刊行された『岩波 仏教辞典』(第三版)を図書館から借りてきました。
以下は、辞典の中にある「悪人正機」の表示です。
悪人正機
親鸞の言葉を記したとされる『歎異抄』の、「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉に示される思想。人間はその本質において皆悪人であるがゆえに、自分を善人と思って「自力の作善に励むものよりは、悪人としての自己の本性を自覚して阿弥陀仏の本願他力にすなおに身をゆだねるものの方が、阿弥陀仏の救済の直接の対象であるとする思想である。
かつては親鸞の思想の真髄とみなされたこともあったが、このような思想が親鸞自身の著作にみえないことから、今日では親鸞の中核的な思想と見ることは否定されている。親鸞においては、五逆や'謗法のような悪は,どこまでも厳しく否定されるべきものと見られている。
また源智編『法然上人伝記』(醍醐本)にも近い思想が見られることから、もともとは法然に由来するとも言われる。なお顕密の高度な教行に堪えられない悪人を救済対象とする平安時代以来の〈悪人正機説〉に対して、衆生の本質を悪人とみる『歎異抄』の主張を〈悪人正因説〉と呼んで区別する説も提起されている。(以上)
「親鸞においては、五逆や謗法のような悪は,どこまでも厳しく否定されるべきものと見られている。」どのような意味か不明ですが、むしろ「五逆や謗法のような悪」を持つ身として阿弥陀仏の救いを喜ばれたのではないでしょうか。
「親鸞」も1173(承安3)~1162(弘長2)でした。本願寺派の太陽暦1163年は、まだまだ認知されていないようです。
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