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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

思考停止という病理

2025年04月29日 | 現代の病理
『思考停止という病理: もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』 (2023/5/17・榎本博明著)からの転載です。


 日本人の礼儀正しさや従順さは折り紙つきだ。海外の人たちの傍若無人の振る舞いや自分勝手な主張の激しさを見るにつけ、その思いを強めざるを得ない。
 海外の人たちからどう見られるかをやたらと気にする私たち日本人は、そうした日本人の礼儀正しさや従順さを海外のメディアか賞賛するのを知ると、とても誇らしい気持ちになる。それこそが日本人の美徳なのだと。たしかにそうだ。私も、そうした性質は美徳だと思う。
 だが、今の世の中を見ていると、少し認識を改める必要があるのではないかと思わざるを得ない。美徳のあり方にも、ひと工夫が必要なのではないか。それが本書を著すことにした主要な動機である。
 多くの国々が性悪説に徂って動いているのに対して、日本には性善説に深く根づいている。そのため日本で暮らすには人を疑う必要がなかった。人を疑うのは失礼だといった感受性さえよく共有されてきた。それにより、何に対しでも疑問をもたず、素心に従い、人を信じて疑わず、何でも「お任せ」にする習性を身についてきた。
 しかし、グローバル化によって、人を疑うことを基本とする海外の人々や組織とのやりとりが盛んに行われるようになるとともに、さまざまな価値観が日本社会に流人し、日本的な美徳が通用しない出来事が多発するようになってきた。
 ここにきて、これまで国民が信頼してきた政府の動きも、企粟など組織の経営理念も、どうも怪しくなってきている。さらには、人々の世間に対する信頼を裏切るような犯罪も多発している。信頼の社会が大きく揺らいでいるのである。もはや疑うことを知らない心のままで安心して暮らせる社会ではなくなりつつある。
 このような時代ゆえに、私たちはもっと自覚的に日々を過ごす必要があるのではないか。
人に「お任せ」の姿勢では乗り切れない社会になっているのだ。日本的な美徳を大切にしながらも、しっかりものを考え、自分の視点をもって、きちんと判断しながら暮らすようにしなければならない。
 それにもかかわらず、文明の利器は、利便性の名のもとに、私たちから考える機能を奪っていく。国民をますます思考停止状態に追いこむ愚民政策を政府が目論んでいるのだろうか。それに産業界が手を貸しているのだろうか。そんな疑念をもたざるを得ないほど、私たちは自ら考える機能を肩代わりしてくれる文明の利器やサービスに取り囲まれている。
 そうした今の状況をしっかりと踏まえて、考える葦としての大切な心の機能を発揮するように心がけたい。
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