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本多正信の供養塔

2023年02月09日 | 浄土真宗とは?

『中外日報』(20223.2.1日号)に「本多正信」のことが掲載されていました。

 

家康を支えた名参謀

本多正信

 

真宗門徒らしく供養塔のみ

 

愛知県安城市野寺町の真宗大谷派本流寺には、今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公・徳川家康を支えた名参謀として知られる本多正信(1538~1616)の供養塔がある。

 本證寺は三河地方を代表する有力真宗寺院の一つで、戦国時代には一揆勢の拠点にもなった。正信は本證寺近くの小川(現同市に小川町)の門徒武士として生まれ、幼い頃から同寺に参拝していたという。1563年~64年の三河一向一揆で一揆側に加担したが、家康に敗れて三河を退去。約20年後に帰参するまで三河には戻らなかった。

 三河退去中の動向は不明だが、帰参後の正信は大名政策や外交、宗教政策など様々な分野で家康を支えた。本願寺の東西分立を献策したことでも知られる。

 俗に本願寺の東西分立策は本願寺教団を弱体化させるためだったといわれるが、近年では2派に分裂していた教団の状況がもたらす大きな混乱を避けるための措置だったとの説が有力になっている。本證寺の小山興圜住職は「本願寺門徒だった正信は、本願寺を残すためにそのような献策をしたのだと思う」と話す。

 本證寺の供養塔はそんな正信の事績を顕彰するため、江戸時代中期に設けられたと伝わってくる。ただ、小山住職によれば「正信の墓」と明確に呼べる墓所は判然としない。正信が没した約1ヵ月後に京都・東本願寺で満中陰法要が営まれ、その後、親族が同寺に遺骨を納めたとの記録が残るだけという。

あらゆる仏事を聞法の縁と考える真宗では、他宗派と比較して墓所や遺骨へのこだわりは強くない。小山住職は「墓がない、というところが真宗門徒の正信らしいところなのかもしれない」と考えている。       (池田圭)

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