仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

第59回全国小・中学校作文コンクールから

2009年12月02日 | 日記
昨日(21.12.1)、今日と朝刊に、法話のネタと言っては失礼だが、お寺の法話で話題になりやすい話が出ていた。下記新聞を見ていない人のために2回に分けてアップします。
 
1つは、読売新聞(21.12.1)の「第59回全国小・中学校作文コンクール」(読売新聞社主催、文部科学省、各都道府県教育委員会後援、JR東日本、JR東海、JR西日本協賛、アートよみうり協力)受賞作品です。

12月1日付 よみうり寸評に受賞についてのコメントがあった。
 森本千瑛(ちあき)さん(富山県・片山学園中1年)の作文は、この夏の花火の夜に祖母から聞いた話だ◆花火が富山大空襲の慰霊のためだとは知っていたが、少女だった祖母が、その空襲で真夜中から朝まで逃げまどったことは初めて聞いた。「大丈夫だった?」とにじり寄って「祖母がいなければ、父も生まれていないし、私もいない」ことを思った◆尾形和紀(かずき)君(静岡市立東源台小6年)は男ばかりの4人兄弟で、作文は「四ぜんの割りばし」。割りばしを小道具にして、毛利元就の「三本の矢」と兄弟団結の大切さを母が教えてくれた◆藤原帆七海(ほなみ)さん(姫路市立水上小2年)の作文は「ようこそツバメさん」。家に巣作りしたツバメを見るまなざしがやさしい◆(以上)

共に体験と通して知ったことを題材にしている。仏教を説くのも体験を用いた伝達か、日常生活上での体験を仏教的に切り込んでいく伝道が求められていると思った。 購読していない人のためと私の記録のために森本千瑛さんの作品を紹介します。

2009年・夏・花火の夜 十三歳の祖母が教えてくれた事

富山県・片山学園中一年 森本千瑛




表紙は古くくすみ、ぺージは糸が取れ、そっとめくらなくてはならなかった一冊のアルバム。そこに貼られた一枚の写真、それは、七十年前の、今の私と同じ十三歳の祖母だった。
 それは八月一日、納涼花火大会の日たった。
 毎年花火は、父方の祖母宅で見る事にしている。思い思いの浴衣を着た人が、神通川の河原へと向かっていた。
 ふと横を見ると、「数珠」を手にかけ、祈るように手を合わせているおばあさんを見かけた。
 家に入ると、祖母はテレビの前に座っていた。
 「ねえ、さっき土手の上で花火見てた時に、どこかのおぱあちゃんが花火を拝んでたよ。あれは何だったんだろう?」と、一人言のように聞いてみた。すると、母の手が止まり、「ねえ千瑛、今日の花火って、何の花火か知ってるよね?」と聞いた。
 「確か、富山犬空襲の慰霊のための花火だよね? それに、空襲の事は小学校の時に詳しく話を聞いたよ。」
 さらに私はこう言った。
 「写真もたくさん見せてもらったし、たくさんの数字を並べて説明してもらったけど、想像できないし、実感なんてわくわけないよ。無理無理。」
 「じゃあ、その富山犬空襲をお祖母ちゃんが経験しているとしたら、どう思う?」
いつの間にか母はちゃんと正座して、私の方を見据えていた。
 「お祖母ちゃん、いい機会だから、千瑛に富山犬空襲の話をしてやって下さい。」
祖母はボロボロになったアルバムの表紙をゆっくりとめくり、十ページ目ぐらいに貼ってある写真を指差し、言った。
 「これ、お祖母ちゃんが女子商業に入学した時の写真だぜ。」
 左ひざが痛い祖母は、イスに座り、入学記念に撮った一枚の写真を前に、ポツリ、ポツリと話し出した。
 八月二日の真夜中、いきなりの「空襲警報」。祖母は、「真っ暗な中、どこをどう逃げたがだったろうか。気がついたら、朝になっとったちや。」と続けた。私は思わず 「大丈夫だった?何ともなかった?」
と祖母ににじり寄り、祖母の手を握った。「大丈夫やったよ、ここにこうしておるがだもん。」
 「そうだよね。お祖母ちゃんが生きててくれないと、私、会えないもんね。」そう言いながら、私はもっと大切な事に気がついた。
 「お祖母ちゃんがいなければ、その前に、お父さんも生まれてないし、と言う事は私も生まれてないって事だよね。」
 祖母が、一通の手紙を見せてくれた。
 「これは、お祖父ちゃんが戦争から帰って来てから結婚する前にお祖母ちゃんにくれた手紙。戦争の事は、一切口にせんかったけど、唯一、これには書いてあったわ。」
その内容は、昭和十八年の十二月二十日に戦地に出発した時の様子から始まっていた。
 そして最後には、辛く苦しい体験の後、『最愛の人敏子』に会えた喜びが何行にも渡ってつづられていて、母は読みながら少し涙ぐんでいた。
 もし、祖母が空襲にあって、命を落としていたら。
 もし、祖父が戦地から帰って来なかったら。
 祖父と祖母は出会うことはない。

 そうすると、私の父は生まれる事はないから、私の母と出会う事もないし、私も生まれる事はない。
 それは、私だけに限らず誰もが持つ命の歴史なのだ。
 私は戦争を知らないけれど、今夜、確かに、七十年の時を越えて、祖父母の命の歴史にふれる事ができたと思う。     (指導=高畠希佳教諭)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝一番の称名念仏 | トップ | 愛の発動 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事