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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

行信両座の史実の信疑

2018年03月19日 | 親鸞聖人
図書館から『誰も書かなかった親鸞[伝絵の真実]』(法蔵館刊・同朋大学文化研究所編)を借りてきました。興味深いところでは御伝鈔にかかれている「行信両座・信心諍論」の史実の信疑について池田勇諦師が執筆されています。

次の通りです。

(行信両座)それは数学的側面からの疑義である。というのは、親鸞が法然から的伝しか念仏往生道において、本来不離一体の[行]と「信」とを分離していずれに立つやと発議することなど、到底考えられないからだ。
(行信両座)一段の記事は『親鸞伝絵』にはじめて見るものであるか、その年月日時の記載はなく、また他の文献にこうした記録も見あたらない。もしこうした記述が史実だとすれば、『恵信尼消息』か、あるいは覚如の「口伝鈔」あたりに何らかの関係記事が見られそうであるが、それも見出しえない。そんなことからこの「信行両座」は、覚如の仮作物語かと疑問視されてもきている。

(行信両座)一段の記事は『親鸞伝絵』にはじめて見るものであるか、その年月日時の記載はなく、また他の文献にこうした記録も見あたらない。もしこうした記述が史実だとすれば、『恵信尼消息』か、あるいは覚如の「口伝鈔」あたりに何らかの関係記事が見られそうであるが、それも見出しえない。そんなことからこの「信行両座」は、覚如の仮作物語かと疑問視されてもきている。

 覚如は親鸞の曾孫として1270年に生まれた。親鸞滅後八年のことである記録(「慕帰絵詞」、覚如の次男・従覚が覚如の没後、父の在池中を追慕して、その行状を絵と詞で編成したもの、貢宗聖教全書第三巻所収)によれば、覚如は21歳のとき両三年の月日をかけて、父・覚恵(覚信尼の子・親鸞の孫)とともに、親鸞の遺蹟を東国に訪ね、存命する円弟らに面接して親鸞在世時の言行を種々聴取したという。おそらくそれらの見聞録が『親鸞伝絵』の素材になったであろうと推考され、いま「信行両座」の伝説もその一つかと指摘されてきている。(以上)

ご紹介までに。

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