親鸞聖人と明恵上人④
拙著『親鸞物語―泥中の蓮華』(朱鷺書房刊)からの転載です。
明恵は沈黙していた。その沈黙には、分からぬことは分からないとする明恵の心の座りに基づく落ち着きがあった。善信は文覚から聴いたことを言葉にした。
「文覚殿にお会いした折、それがしが女犯を口にいたしますると、文覚殿は〝慈悲の実践こそが大乗菩薩戒〟と申されました」
善信はそう言うと明恵の言葉を待った。短い沈黙であったが明恵は静かに心の中の思いを言葉にした。
「私はすべてを仏にゆだねて修行しております。わが行がいかなる結果をもたらすかは、仏のみが知るところにござる。私はただただ仏の仰せのままに行ずるのみ。もし私の修行の姿が、人をして何らかの影響を与えるとするなれば、それこそ慈悲の実践、小乗戒の実践そのままが菩薩戒の実践となりまする」
明恵はそう語りながら、小乗具足戎よりも大乗菩薩戎のほうが上質であるという世間の流れに媚びている自分を感じた。明恵は同年輩の僧に対して、自分を高く見せようとする己の慢心が許せなかった。そして心に浮かぶままを言葉にした。
「私は近頃、『華厳経』に興味を覚えておりまする。〝三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別(さんがいゆいいっしん しんげむべっぽう しんぶつぎゅうしゅじょう ぜさんむさべつ)〟―三界は唯一心にして、心のほかに別の法は無く、心と仏及び衆生、この三つは差別なし―という『華厳経』にある偈は、『華厳経』を学ぶ以前より疑問に思うておりました。私は『華厳経』を拝読して、あることを確信いたしましたのじゃ。すべては心に集約される。その心を通して、自然を感じ、法界を知り、仏道に触れていく。万物の中に己を見出し、わが心を通して万物に触れていく。私はいつでもこの心に敏感でありたい。たとい夢であったとしても、その夢を手がかりとして清浄な世界に心を解き放ちたいと思うております。そして智慧の鏡に自己を映して、わが身のいたらなさを見きわめていきたい。そう願うておりまする」
冬の夕暮れは早い。いつしか障子に樹木が陰を落としていた。善信は明恵の言葉を聞きながら、ふとこの男は夢の中に遊んでいるのではあるまいかと思った。蝶が、風にたわむれながら野の草花を行き交うように、縁のおもむくままに三界に心を遊ばせている。善信はそう思うと、『法華経』の普門示現にある「衆生を度すこと遊戯するがごとし」の御文を思い出した。この人には、修行も遊戯するがごとく楽しんでおられるのであろうと思った。
舘の側室の女が「よろしゆうござりましょうか」と言って顔を出した。善信が「もとより」と返事をすると、お上からだといって茶を運ばせてきた。
鎌倉では栄西が盛んに茶の効用から蒸し方、製法の碾茶(てんちゃ)などについて説いていた。栄西は、建久二(一一九一)年に宋から二度目の帰国を果たした。宋では禅宗が隆盛をきわめ、その修行に眠気ざましとして茶がもちいられていた。栄西は帰国に際しその茶の種を持ち帰り、筑前(福岡県北西部)の背振山に植えるなどして普及に努めていた。
善信は運ばれてきた茶を喫した。茶は初めてだった。香りが湯気と共に目から脳裏にしみこむような気がした。瞑目して口に運んだ。明恵も同様に口にした。静かな時の流れが香りに深みを与えていた。畳をはじく音がしたのでうっすらと目をあけると、明恵が指で弾いた畳をさっとなぞり、その指を茶碗の上ですり合わせた。善信は目に映った今の光景を尋ねた。
「いかなることでござりましょう」と問うと、明恵はぽっと顔を赤らめてつぶやくように言った。
「あまりの良い香に…」
明恵は、美味しいという思いは煩悩の所為であると考えていた。美味しいという思いは、次には不味いという思いにも代わるに違いない。そのことが許せなかった。善信はその赤らめた顔に、煩悩のぬくもりを感じた。
しかし後に明恵は、薬としての茶の効用を知り、栄西から茶種をもらい受けて、栂尾高山寺の前庭に植えて茶を栽培することになる。
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