仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

師の恩を喜ぶ

2009年05月20日 | 日記
読売新聞(21.5.20朝刊)読者欄に下記の投稿が掲載されていた。

 半世紀経て知る恩師の思い
無職 高松常太郎 71歳
                 (さいたま市)
 自宅で書類整理をしていると、高校の先生が書いた封書が見つかりました。開けると、成績表が入っていて、「この人物は貴社の発展に貢献すること間違いないと保証します」との添え書きがありました。
 就職活動の際、先生が送ってくれた内申書で、志望していた会社の内定が取れなかった場合の予備でした。私は幸い志望企業に就職でき、その封筒はしまったままになっていたのです。先生がこんなに強く私を推してくれていたとは知りませんでした。53年を経て初めて内容を知りました。
 昨年10月、先生は亡くなりました。私と7歳しか違わず、友達のようでした。「世の中のためになる人間になれ」と励ましてくれました。卒業後も文通をしたり、時々会ったりしていました。
 内申書を見て、年を重ねても、社会の役に立つ人生を送ろうと誓いました。

恩師への感謝の内容ですが、おそらく高卒後、その内申書を見ても、これほど師の恩を感じなかったと思う。それは若い時は自分のことでいっぱいで、目先のことが気になります。53年を経ているからこそ師の恩に思いが至るということがあります。

この投書を取り上げたのは、「師の恩を喜ぶ」から、もう一段深く味わうと「恩を喜べる自分をよろこぶ」ということがあります。この自分を喜ぶということは、常日頃から仏壇に手を合わせていないと見えてきにくいことだと思われます。お仏壇は自分を知るという心の鏡となるからです。

宗教でも同じです。神仏の恩寵に感謝するということと、神仏の恩寵を感じられる感性に感謝するということがあります。

親鸞聖人の恩師は法然聖人です。法然聖人は他の行に比べて念仏を慶ばれた方です。そのお弟子である親鸞聖人は、念仏を喜べる心を慶ばれた方です。行を慶ぶことから信を慶ぶことへと念仏の味わいを深めていかれたのです。
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