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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

東昇先生の逸話

2023年05月19日 | 浄土真宗とは?
死線をさまよって 東昇

(昭和57年10月26日 『大乗』掲載)



 今年の四月二十四日、わたしはいつものように元気よく京都大学ウイルス研究所の自分の研究室へ出かけました。

 研究所へつきまして、自分の部屋のドアをひらいたとたんに、わたしは倒れてしまったのです。午前十時のこと、それはまったく突然のことで、倒れた直後はしばらく意識がはっきりしておりました。冷い脂汗、ねばっこい脂汗がとめどもなく吹き出て、キリキリと刺すような、剔られるような、いいようのない胸の痛み、はり裂けるような背中の痛み、今にも息が止まりそうな苦しさでした。

 医学をおさめたものとして、わたしは直感したのです。これはしまった、これは循環系の中枢部の突発的な変化からきた痛みにちがいない。間髪を入れずに、わたしの周囲の人たちはわたくしをすぐ隣の京大病院へ運びこみました。わたくしは生まれてはじめて担架というものにのせられたのです。

 さて、大学病院に入院しますと、直ちにいろいろな臨床検査がなされました。検査の結果はそろって肝心要の臓器の細胞が崩れはじめ、壊れはしめたことを示すものでした。わたくしはにわかに自分の黒い死の影が目の前にちらついた思いでした。

 自分の死を真正面からみつめる。自分はまもなく死ぬる、明日といわずに、今日中に死を迎えねばならない。この病気は発作後数時間で死ぬということは医学をおさめたものの常識であり、また自分の直感でもありました。六十歳の今日に至るまで、わたくしは、肉親あるいは親しい友人を何人か見送ってきましたが、今度はわたしが人間世界にさようならして、かの世へ招かれる番がきたのだと考えました。

  大学の停年退官を三年後にひかえ、研究の仕上げに入って、すべてはこれからなさなれなければならないという、わたくしにとって人生のかけがえのない、もっとも大切なこきに、死を迎えねばならないとは、なんという情けないことであろうかと思いました。生きていきたいという生への執着が、これほどまでに強いいとは、いままで考えもしなかったし、からだで実感したこともありませんでした。

 言葉ではいっていても、今度という今度はなんとかして生きたいという強い生への執着というものを考えたわけです。急ぎ浄土へまいりたき心は微塵も起こらない。これはいったいどうしたことであろう。

そういうことのないようにと長い間こと仏教修行もしたつもりなのに、どうもあまり実りのない聞法の時をすごしたのではないかと考えました。なかなかこの世は捨てられません。

人間世界が恋しくてなりません。いまわと思われる枕元に、妻あり、子あり、孫あり親しき友あり、教え子がおられる。面会謝絶というドアを押し開いて、わたくしに最後の別れを告げようとしている。これらの多くの人たち、愛する人たちと死に別れをしなければならないのです。「妄念はもこより凡夫の自体なり。」、執着の心深くて、いろんな妄想に悩まされる。「妄念の外に別の心もなきなり」、これは有名な源信僧都都の「横川法語」の中に出てくる痛烈な人間の叫びですが、この叫びはまた、わたくしの叫びでもあります。 久遠刧よりいままで流転してきた苦悩の旧里は捨てがたい。未だ生まれざる彼の土、浄土は恋しからず。まことに煩悩の深いことであるという親鸞聖人のお言葉はわたくしの心を見抜いてのお言葉です。「仏かねて知ろしめして煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願は此の如きのわれらがためなりけりと知られて、いよいよ頼もしくおぼゆるなり」。有名な『歎異抄』の第九章にでてくる聖人のことばですが、「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫とおおせられてることなれば、他力の悲願はかくの如き私のためであったといことが知られていよいよたのもしく思われたことです。「なごりおしくおもへども、娑婆(しゃば)の縁つきて、ちからなくしておはるときに、かの土(ど)へはまひるべきなり。」、まことに実感をもって深く味わえる信の世界ではないでしょうか。「いそぎまひりたきこゝろなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそいよく大悲大願はたのもしく、往生は 決定(けつじょう)と存じさふらへ。」という救いの絶対性を諄々に説かれる聖人の教えの真っ只中にある自分、念仏せずにおれない自分を見出しました。不安はなかったのです。心の落ち着いた明るい静かな世界、静かな喜びが私を包んでくれたのです。私はさきほど定年まで三年、まだ仕事があると未練がましいことを述べましたが、この静かな喜びの世界においては、やるだけのことはやらせて頂いた。皆さんのお力で、私の幸せな一生を送らさせて頂いたという感謝の思いで、周囲にお礼を言って死を迎える境地でした。(以上)

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