本日は、関西文化の日。いろいろな施設が無料開放されます。
https://www.kansaibunka.com/kansaibunka/about/
昨日なら、自然史博物館と植物園双方が無料開放であった長居公園に行っていたのですが、本日は、自然史博物館しか無料開放されていません。
それで、やんぴ。
通常の入場料が一番高いところで、かつ、行くのに交通費がかからない場所という事で、探し、大阪歴史博物館へ行くことに。
大阪城の近く、NHK大阪ホールと同じ建物にあります。
自転車で行くことに。
谷町筋から250メートル東に入ったところにあります。
谷町筋に行くので、このあたりから行くと、上町台地のきつい坂を登らないといけないので、坂の直下にある松屋町筋で北上し、中央大通りで谷町筋へ。
これなら、坂が緩やかなので。
午後2時20分に事務所を出発。午後3時前につきました。駐輪場に自転車を止めます。
駐輪場。建物は、NHK大阪ホールと同じ建物のようです。
受付に置いてあったパンフ。
エレベータで10階へ。そこから7階まで下がっていきます。
エレベータを降りると、日本最古の都 難波宮の大極殿が。
そこからの眺め。
四角いところに、この大極殿はあったとのこと。
通りすがりの人に撮影してもらいました。
百済の国の位置がいまいちわかりませんでしたが、今の韓国の西海岸にあったのですね。
そこから多くの人が日本に渡ってきて、現在の東住吉区などに住んだのですね。現在でも、百済と言われている地域があります。
日本最古のまじない木簡が見つかった桑津も東住吉区にあります。
桑津天神社のあたりです。
前期の難波宮復元模型。
長岡京が作られたときに、その資材を使うために難波宮がつぶされたという事です。
後期難波宮の復元模型。
エスカレーターで9階へ。
エスカレーターのところからの眺め。
エスカレーターの踊り場のところにあった絵。
住吉大社が描かれています。太鼓橋でわかります。
驚いたのは、住吉大社の前に海があることです。
9階の中世・近世の展示場へ。
安治川口の模様。
当ブログで パチモン という言葉がよく使われますが、
パチモン という言葉は、元来、安治川口で使われていた言葉だそうです。
もともとの意味は、8分目のもの という意味だそうです。
江戸時代の摂津国八十八所巡礼案内
法楽寺も南たなべ法楽寺として載っていました。
江戸時代の大阪市街地。
田辺や平野の地名はありますが、駒川や中野の地名はありません。
そして、エスカレーターで8階へ。
特集展示 なにわの考古学2019へ。
そこに置いてあったパンフ。
住吉区や平野区の半分ぐらいが遺跡なのに驚きます。
そういえば、地下鉄谷町線の開通が平野区の遺跡の為に何年も遅れたのを覚えています。
8階からは7階の展示場。大大阪時代の街の様子が見られます。
そして、エスカレータで7階へ。
大阪が大大阪と呼ばれ、大阪が日本最大の人口をもつ都市(2位は東京)で、世界で6番目の大都会であったころの地図です。
現在の住之江区、住吉区、阿倍野区、東住吉区、平野区を称して住吉区と言っていたことがわかります。
現在の大正区、生野区、都島区、旭区、城東区、鶴見区、淀川区もないことがわかります。
大大阪として編入された地域は、黄色で。元からの大阪市は青で。
東住吉区の矢田地区や平野区の瓜破地区・長吉地区・加美地区、生野区の巽地区はまだ大阪市に編入されていないことがわかります。
また、近鉄南大阪線の今川駅。この地図ではこまがは(駒川)駅と表記されています。また、JR阪和線の長居駅が臨南寺前駅となっているのもわかります。
現在の東住吉区の地名でこの地図に表記されているのは、住吉区の桑津町、北田辺町、田辺本町、今林町、今川町、中野町と矢田村の矢田部、枯木、富田、住道だけです。(西田辺町は現在の阿倍野区)
湯里や駒川、鷹合の地名はありません。
大大阪時代の町並み。
戦時中の空襲を受けたところの地図。
浪速区がほぼ全域が焼けているのに対して、
大阪市南部の東住吉区や阿倍野区、住吉区は、焼失地域が少なくなっています。
終戦時に東住吉区には14万人の人口がありました。
そして、17時の閉館で17時10分に。係員が閉館時間ですよと言いに来て、エスカレータではなく、エレベータを案内され、エレベータで1階へ。
外に出ました。
ペットボトルと缶コーヒーを持ってきていましたが、飲む時間がありませんでした。
それで、高床式の建物を復元したところの前に、ベンチがあり、そこに座って、缶コーヒーを飲みました。
午後6時前に事務所につきました。
「湖水伝説」とは、かつて甲府盆地が一面の湖水であった頃、人が住み、畑が出来るように二人の神が力を合せて山を切り開き、水路を引いて水を現在の富士川へ流し陸地をつくったというものです。こうして、現在の甲府市の土地ができたといわれています。
https://kofushingen.jp/news/1550
毎年、初出勤の日には、有名な農学の先生が勤め先に来られて、私にその年の農作物のことについて尋ねられるのです。なので、私はその年の農作物に関する病気や出来不出来などをお話しするんです。その先生には、「今年は神戸に大地震が来るかもしれない」という話もしました。
そしたら、その先生が自身の講演会で「今年は神戸に大地震が来る」と話してしまったんです。
それから本当に阪神淡路大震災が起きたものだから、その先生が大予言者になってしまったという話もありました。
https://tocana.jp/2019/11/post_124036_entry_2.html
★神戸市生まれの松原照子の逸話ですが、ひょうたん氏はどうでしたか?
地元の事しか分からなかった三流霊能者の彼女もお化けのような写真になりました。