亡くなった島根県出身母が、父の山本家のことを「ド紀州」と呼んでいました。
厚かましくてずうずうしくがめつく、面の皮が厚いさまを例えて言っていました。
私も、「ド紀州」の山本家の血を引いています。厚かましくて、ずうずうしくて、がめつくて、面の皮が厚いのは、「ド紀州」の血から来ています。
大阪府や兵庫県の海水浴場が今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため開設しないと決めた中で、和歌山市の5ヵ所の海水浴場は、すべて、開設されています。
淡路島ですら全海水浴場が今年は開設されない中で、和歌山市の全海水浴場は、ここぞとばかりに開設されます。
よそが開設しないなら、海水浴客は、こちらに殺到する。めちゃ儲かると踏んだわけです。稼ぐチャンスと見たわけです。
大阪メトロ・近鉄・南海・京阪 の4社がお勧めの各一か所をPRしている共同広告が、地下鉄・近鉄・南海・京阪の車内につるされています。
大阪メトロはスパイシーカレー。近鉄は、横山展望台。南海は加太海水浴場。京阪は、枚方パーク。
加太海水浴場が今年、開設されていることは、大阪メトロ・近鉄・南海・京阪の利用者なら、容易にわかることになります。
先日、金券屋チケットキングで、南海の株主優待乗車カード6回分を3600円で買いました。関空駅以外のすべての駅間で利用できます。それを利用します。
加太までの運賃は、片道600円となります。
加太海水浴場は、ものごごろついたときから、海水浴に利用しています。
波がなく、透明度の高い、遠浅の海水浴場です。水質は、AA。人工の片男波海水浴場や浜の宮海水浴場との差別化を図るために、天然の海水浴場であることを強調しています。
今宮戎駅10時6分のなんば行きに乗車。10時9分なんば着。10時15分発の特急サザン自由席(運賃のみ)に乗車しました。
11時14分和歌山市駅に到着。11時25分発の加太行きに乗車。
車内にいた若者の大半は、磯ノ浦で下車。車内は空っぽに。
磯ノ浦には、すごい数のサーファーや海水浴客が。
電車の車窓から。何千人ものサーファーが一列に並んでいるのが見えます。
そして、次の終着駅加太駅へ。11時59分に到着しました。
歩いていきます。
下車している人が少ないので、海水浴場はすいていると思いきや。駐車場に次々と車が。
県外車ばかりが、、入っていきます。
1台の駐車料金が1000円。ド紀州が、他県ナンバーの車を断るわけがありません。
そして、ビーチを。
見たことがないくらいの人、人、人。
テントを設営。
バナナボート。
絶え間なく聞こえてくるのは、バナナボート乗船者のお呼び出しです。待ち時間が長いためか、個人名で放送されています。
ここは、盛り上がった丘となっています。そこだけ、テントがありません。
管理棟もバーベキューの受付で、すごい列。
沖のブイすべてにでんを。
そして、トイレへ。駐車場の中にあります。
駐車場につながる突堤からの眺め。
バーベキューコーナーには、おそろいのテントが。
テントが返却され、新たに貸し出せますとテント貸出待ちの人への案内放送も頻繁に。
車は、京都・奈良・なにわ・和泉ナンバーが大半。和歌山ナンバーは、少数。
駐車場が満杯。突堤の道にまで車が。神戸や大阪なら、満車として入れませんが、ここは、ド紀州。1台1000円もらえるので、いくらでも車を入れます。
突堤に止まっている車も、みんな1000円支払っています。
空気入れに50円入りますが、バーベキューの受付などで、長蛇の列。みんなお金を支払わずに空気を入れています。
私も。
今年は、人が多く、シャワー室が満杯で待ち時間が長いので、屋外に。無料。
バーベキューの受付。バーベーキュー器具貸し出し。バナナボートの受付。儲かって儲かって仕方ない加太海水浴場です。
お散歩タイム。
宿泊施設。テントに泊まります。
こちらの岩場で泳ぎました。
波打ち際にいたおばちゃんに撮ってもらいました。
塩のついた手で、撮影したので、。
そして、先ほどのシャワーで全身を洗い、浮輪をしぼめました。
午後5時で管理棟閉鎖とはアナウンスがありますが、シャワーの長蛇の列。
午後5時45分になっても、バナナボードが出発。大阪や神戸では、午後5時以降となる人については、申し込みを受け付けませんが、
ここは、ど紀州。バナナボードは、結構な金になるので、受付を断ることはしません。
そのため、午後5時45分になっても、出発するのです。
ど紀州の血が流れる私。神戸大学の時、私の作ったクラブ情報統計部では、神戸大学六甲祭で一番人気の世界の占い博を開催していました。
入場料500円。室内では、占いがやり放題。2日間で800名が来場。売り上げは40万円ありました。
いつも、模擬店終了時間となっても、まだ、入れますよ。と言って客を入れていました。よその模擬店は、終了時間厳守のため、終了30分前から客を入れていませんでした。ド紀州の血が流れるものとしては、客が500円を出して入りたいと言っているのを断ることはできません。
そして、午後5時55分。加太海水浴場を出発しました。
午後6時20分発の和歌山市駅行きに。
アプリの乗り換え案内で見ると、加太線と南海本線が合流する紀の川駅でなんば行き普通に乗り換え、泉佐野駅で、関空急行に乗り換え、難波へとなっていました。
駅員に聞くと、早く難波に着くと言えば、紀ノ川で普通に乗り換えとなるけど、和歌山市駅まで行って、特急サザンに乗っても、なんば到着は、5分遅いだけ。
和歌山市まで行って、特急サザンに乗って難波まで行った方が楽やでと。
それで、和歌山市まで行き(18時43分到着)。和歌山市19時00分発の特急サザンへ。なんば19時59分着。難波発20時2分発の高野線各停にのり、今宮戎駅へ。そして、事務所に。
★以下の通り、ヨゲンノトリの時代も長崎からコレラが感染していました。
安政5(1858)年、長崎で発生したコレラが、7月には江戸に到達し、同月後半、甲斐国でも感染が拡大していきました。「暴瀉病流行日記」によって、このコレラの甲斐国における流行状況を知ることができるのです。
8月初頭、喜左衛門が聞いた噂に現れたのが「ヨゲンノトリ」でした。この時、甲府でのコレラはさらに猛威をふるい、1日に30~40人もの人が亡くなるようになったとあります。甲府の善光寺をはじめとする寺社では、病魔退散を祈る祈祷や祭礼が盛んに行われました。
8月16日ころから、喜左衛門は村で昼夜の念仏を行います。このころには、農民も商人も、すべての人が仕事を行わず、ひたすら念仏を唱える日々が続いたとあります。喜左衛門は大山石尊や三峰山、大嶽山に垢離をささげ、村の人々の無事を祈りました。
8月24日、村では「年替」として、家々に松を飾り、人々はまるで正月が来たかのように振る舞いました。しかし病はおさまらず、今度は病を狐のせいであるとして、油揚げと赤飯を森に供えています。
9月に入ると、流行はやや収束したようです。同月26日の記事では、今回の流行病で甲府では683人の死者が出たとまとめられています。
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3rd_news/3rd_news_news200410.html#yogennotori
★長野善光寺や元善光寺でも有名ですが、身近な存在でもある阿弥陀三尊は疫病退散の救世主だったのです。
8月11日 駿河湾で地震 M6.5 最大震度6弱。死者1人。最大40 cmの津波を観測。気象庁は史上初の東海地震観測情報を発表
以上のように2009年8月9~11日に起きた大地震ですが、当時の天気図は台風8号と熱帯低気圧が接近中でした。
https://tetujinn.exblog.jp/iv/detail/?s=8783580&i=200908%2F10%2F00%2Fa0135700_7503231.jpg
★台風5号のコースも不気味ですが、2009年8月11日に土星の環が消失(15年に一度)する現象もシンクロしたのです。
https://www.astroarts.co.jp/alacarte/2009/200908/0811/index-j.shtml
しかし、2020年は天文ファンなら21世紀最大のネオワイズ彗星が8月10日頃まで観測出来そうです。
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/11302_ph200700