是非、お読みください。
本日は、石清水八幡宮・流れ橋・三室戸寺・宇治上神社・宇治神社・平等院・伏見稲荷へ。
特に、流れ橋近くにある石田神社に行くことについては、偶然では言い表されない何かを感じ取るとることができると思われます。
こういうのを「引っ張られて」といいます。
①流れ橋の存在は知っていたものの、八幡にあるとは知りませんでした。ケーブルカーに乗る直前、駅に置かれていた八幡市観光マップをとって見ないと、流れ橋に行くという発想はありませんでした。
②乗ったケーブルカー。1便早くても遅くても、流れ橋には向かっていません。バス待ちの時間が無駄に思え、次の目的地、三室戸寺に向かっていました。
③乗ったケーブルカーが八幡市駅到着後、3分後に1時間に1本も走っていないバスが出るなんて知りません。もし、ケーブルカー駅のトイレに入っていたら、そのバスへの乗車は逃していたことになります。1時間20分後のバスまで待てません。
④バスから下車時、運転手が上津屋のバス停の話をしていなかったら、堤防下のトイレに立ち寄った後、元来た道を通り、浜上津屋のバス停へ。石田神社の前は通りませんでした。
こういうことは、私の中では、日常茶飯です。よくあることです。
特に、神社・仏閣にたまたま参るというときに発生します。