日コン連企画(株)の歴史を綴ったものです。
このメールを見て、効果なしでしたが、じじいの理事からは、提案に書いたホームページの更新を無償で行うことについて、余計なお世話だと逆に怒られました。
ホームページ更新は、2年ごとの役員更新時に行っているということでした。
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先日は、お騒がせして、大変申し訳なく思います。お詫びさせていただきます。こんにゃく会館4階に入っている日コン連企画(株)は、何ぞやということについて、ご紹介させていただきたいと思います。
1988年5月、近畿地区の大学のコンピュータクラブの連合体であった、近畿学生コンピュータ連合を母体として創設された日本コンピュータクラブ連盟の事業部門として設立されました。
近畿学生コンピュータ連合の初代理事長で当時、シャープに勤務し、名誉理事長をしていた私が、日本ソフトバンク(当時・現在はソフトバンク)の孫社長にお願いして、東京の日本ソフトバンクの本社を借りて、関東地区の大学を取り入れて作ったものが始まりです。1988年4月にシャープを退社。孫正義社長と社団法人化を模索するも、いろいろと難しく、任意団体日本コンピュータクラブ連盟とその事業部門、日コン連企画株式会社とに分けて運営することとなりました。日コン連企画の事務所は、浪速区難波中2丁目に設けました。ちなみに、日コン連企画株式会社という社名の命名者は、孫社長です。その後、京都大学、大阪大学、神戸大学、和歌山大学、大阪府立大学、大阪市立大学などが加盟する近畿学生コンピュータ連合を吸収合併し、北海道から九州に至る全国108大学6000名が加盟する組織に成長させました。各メーカーから協賛金やパソコンなどの無償提供も得て、加盟大学サークルの開発したゲームソフトの販売を手掛けていました。日コン連企画の取締役も、京大マイコククラブや阪大コンピュータクラブ、神戸大学情報統計部などから順繰りに出していました。1998年私が創設した神戸大学情報統計部のメンバーが開発したゲームソフトが大ヒット。1990年、日本最初のコンピュータウイルス撃退ワクチン「サイバーワクチンいてこまし」を販売。ワクチン市場で、国内シェア9割を占めるに至りました。また、各コンピュータメーカーに広告を出してもらい、ケーブルという季刊雑誌を発行。本屋の店頭に並んでいました。ただ、ゲームソフトについては、ファミコンが台頭。ファミコンのROMを作るには、1本2億円かかり、そういう資本力のないところで、エロゲームを開発していないところは、撤退せざるを得なくなりました。当然、うちは、撤退せざるを得ませんでした。ワクチンソフトについても、NECの推奨ワクチンなどなりましたが、WINDOWSというOSが出だし、ウイルス対策は、国内のものだけから海外のものへとうつり、国内のワクチン会社は、外国の会社に買収されるか、または、ワクチンソフト開発から撤退せざるを得ない状況となりました。うちは、海外との会社とネットワークがなく、撤退せざるを得ませんでした。
1994年ごろには、教育用のソフトだけで食いつないでいました。1995年12月、DOS/V組立ショップパソコンショップケーブルを作りました。NHKのおはよう日本などマスコミに大きく取り上げられ、出だしは快調でしたが、マスコミ露出が止まると、経営が苦しくなりました。ケーブルという雑誌の広告収入だけで食いつないでいる状態となりました。
そして、1998年、プレステが大流行。CDにコピーしたゲームソフトを動作可能とするMODチップの販売で富を得ました。ただ、1999年不正競争防止法が改正され、MODチップの販売が違法となり、できなくなり、仕方ないので、プレステなどゲーム機のアクセサリーやゲーム改造ツールを販売するゲームカルトをオタロードの路面店に開設。繁盛しました。また、店員の一人が、マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームを個人的に扱っていて、バインダーで店で販売。売れたので、2000年カードゲーム専門店「カードカルト」を日本橋5丁目のビル2フロア73坪で開設しました。日本最大150席の対戦場があるなど、各マスコミに大きく報道されました。スペースが73坪もあり、知人の記者から、「占い師で鑑定場所をほしがっている人がいる。場所を貸してもらわないか。」と言われ、占いコーナーを作ったのが、占い師・霊能者との縁ができるきっかけとなりました。その後、梅田にヨドバシカメラがオープン。ヨドバシカメラがゲームカルトと同じものを扱っていたので、売り上げが激減、閉店に追い込まれました。トレカについては、ヨドバシカメラは、メーカーが作ったパック売りだけで、シングルカードの買い取り・販売をしていなかったので、日本橋のカードゲーム専門店の売り上げには、影響を及ぼしませんでした。
ただ、このころ、パソコンは、マニアの一部から大衆に広がり、大学のコンピュータクラブの存在価値がなくなり、各加盟団体は衰弱、廃部となるところも続出。各メーカーからの日本コンピュータクラブ連盟への支援金もなくなり、日本コンピュータクラブ連盟は、休眠、実質形骸化。日コン連企画株式会社という法人だけが残るという状態になりました。
トレカ業界は、遊戯王の大ブレイクで、2000年には、業界売り上げ1200億円市場であったのに、2002年には、市場規模が4分の一の300億円に激減。カードゲーム専門店は、閉店・倒産ラッシュを迎えました。うちは、霊能者の祈祷などがあったので、閉店・倒産ラッシュに巻き込まれませんでした。2005年ごろからカードゲームが再流行しだし、競合他店がなかったので、急速に売り上げを伸ばし、日本橋地区以外への進出を果たしました。また、神戸進出時、兵庫県内を別会社(有限会社鈴なり会)としました。日本橋以外に、京橋・なんば・千日前・三宮・芦屋・堺・奈良・京都。カードカルトは、結局14店舗作りました。(同時存在は8店舗)2010年の1億5000万円弱の年商を上げたのをピークに。売り上げが激減。理由は、東京系のカードゲーム専門店の関西進出、ファミコンショップや古本屋など異業種からの参入によるものでした。カードカルトは、関西資本最大手のチェーン店でも、東京系大資本と、大資本の異業種からの参入に太刀打ちできません。各店舗を順次閉鎖し、2013年10月に、大阪日本橋店と京都河原町店を閉店。前の第一片倉ビルは、この時2フロア73坪から1フロア37.5坪へ。カードカルトは、現在は、神戸三宮店だけになりました。その間、2010年12月、当時占い鑑定室とカードカルトをしていた南海難波駅前店に、占い師の知人で、整骨院で働いている人がいて、その人の指導のもと、リフレ店、メイドエステ萌をオープンさせました。その後、日本橋店、アメ村店と広げましたが、リフレ店での高校生の雇用がだめとなり、2013年に3店舗とも閉店。その後、リフレではなくおしゃべりのできるメイドリラク萌に業態変更をしたものの、客が来ず、2014年12月をもって完全廃業となりました。現在は、神戸三宮でのカードゲーム専門店、なんば、高槻、三宮の占い鑑定室のみの営業となっています。収入の半分は、インターネットで受け付ける霊相談・霊鑑定・御祈祷から得ています。
以上のことで、日コン連企画とは、何屋さんかご理解していただけましたら幸いです。
マスコミ登場1400回と私のプロフィール紹介サイトに記載していますが、テレビには、2006年3月26日放映のたかじんのそこまで言って委員会
http://www.ytv.co.jp/iinkai/data/bn200601.html
以降は、日本コンピュータクラブ連盟理事長の肩書では、新聞や週刊誌を除いては、出ていません。
それ以降は、日本霊能者連盟理事長や日本占い師連盟理事長の肩書で、テレビ・ラジオ・週刊誌・新聞にときたま出ているだけです。
●こんにゃく会館へ
昨年、売り上げの激減に伴う、経費削減で、9月末に、日本橋の第一片倉ビルと高槻の占い鑑定室の家賃引き下げ交渉を行いました。引き下げ交渉は、過去、何度も行っていますが、方法としては、テナント解約通知書を提出。こんだけの家賃に下げてもらえるとそのままいるが、下げてもらえないと出ますと言います。第一片倉ビルのオーナーは、各地にマンションを持っていて、家賃値下げ交渉に応じないと聞いていたので、7階建ての片倉ビルで支払わされていたエレベータの電気料金1/6。階段の電気代1/7を払わなくてよいようにしてもらいたいというものを出しましたが、却下されました。14年余り借りていた第一片倉ビルを12月末までに出ていく羽目になりました。同じ時に行った高槻の占い店舗の家賃交渉では、求めていた15パーセント値下げを大家が飲み、そのままいることになりました。
その後、物件探し。マストミさんからこんにゃく会館4階を紹介されましたが、エレベータがないので、引っ越しが大変なので、保留。事務所の近くで、手ごろなエレベータ付マンション2階を見つけました。しかも、マンション系列不動産屋のあっせんのため、礼金・敷金・仲介手数料0円でした。そこに決めていたのですが、大手なので、10月の契約で、12月下旬からの家賃発生は無理ということで、今後、案内が入って、決めそうな人が出てきたら、その時点で契約するということで、待ってもらうことになりました。そんな中、マストミさんから「こんにゃく会館どうするんか」と聞かれたので、他の物件で決める予定と伝えると、「いくらやったら入る?」と聞かれたので、6万円やったら決めると答えました。すると、「6万円(税別)で決まった」と言われたので、逆に、こんにゃく会館へ入る義務が生じてこんにゃく会館へ移転することになりました。12月1日からの家賃発生となりました。インターネット回線が敷かれ電話移転ができた12月26日が、実質的な移転日となります。前の事務所は、正月を挟むということで、管理会社のご厚意で、本年1月10日に、立ち合い明け渡しが完了しました。
引越や移転にかかったお金は、40万円に達しました。
●想定外
非常用として受け取った鍵で1回だけ屋上に出ただけで、退出を求められるのは、私にとっては、想定外です。
過去、法人名での賃貸契約を31件(大阪府18件、兵庫県9件、奈良県3件、京都府1件)してきましたが、強制退出を求められたのは、今回が初めてです。
引越費用に40万円かかり、引っ越し先もめどが立たないし、第一お金がありませんので、退出は、無理です。
●お願い
今回、非常用のカギを使って、屋上に出たということは、初めてのことで、深く反省しています。2度と同じ行為をいたしませんので、なにとぞ、大目に見ていただきたいとお願いする次第です。
●提案
大阪府こんにゃく協同組合さんとは、今後も良きご縁を築きたいと考えています。
私は、現在でも、多くのマスコミとのチャネルを持っていますので、大阪府こんにゃく協同組合さんのイベントなどを一般紙やテレビで大きく取り上げられるように最善の努力をします。
業としてのホームページ制作はしていませんが、関連ホームページは、すべて自分で作っています。8つのドメインを有して、管理しているサイトは100を超えています。ご希望があれば、無償で協同組合のサイトの制作・更新などを行います。
2015年5月6日 日コン連企画株式会社
代表取締役 山本隆雄
06-6644-6901 携帯080-3766-1101