東京の環八通りから目黒通りに入ります。
ほとんどのクルマは目黒方面に向かいますが、逆らうように反対方向へと向かいます。坂道になり、突き当たりは多摩川の土手です。
Uターンし、反対側の駐車場へと入ります。
等々力不動です。
境内の下には谷沢川が流れています。
世田谷区桜丘の湧水が水源で、上用賀の複数の湧水と合わさり、等々力に至る川です。このときに国分寺崖線に沿って侵食したことで、都内23区唯一の渓谷になっています。この川は渓谷を通ると玉堤で多摩川に合流して終点を迎えます。
台地面との標高差は 10m.程度あります。周辺は閑静な住宅地ですが、斜面の随所から湧水があり、緑にあふれていることから、渓谷に降り立つと都内23区にいるという感じは一切しないでしょう。
クルマを停めてから、まずは境内に入ります。
正式名称は瀧轟山明王院満願寺別院で、御本尊は大聖不動明王、秘仏です。北緯35度36分1秒、東経139度39分2秒に位置し、関東三十六不動霊場の17番になっています。
真言宗寺院ですから弘法大師の大師堂があります。
あまり大きな堂ではありません。本堂に向かう参道の右手にポツンとある感じです。しかし、ここに来た以上、まずは弘法大師空海に手を合わせます。
このとき、骨伝導機器をセットするのを忘れてはいけません。
耳ではなく骨で聴く弘法大師空海の声を感じるのです。
本堂で合掌したあとは左手に進み、斜面を降りていきます。
まさに大自然が待っています。いきなり山深い渓谷に来たような錯覚に陥ります。この感覚の差はまさに見事です。
右手に岩をくりぬいたような場所が現れてきます。
弘法大師の次に現れたのは役の行者です。
役の行者は修験道の開祖です。日本特有の修験道は山に籠もって厳しい修行を行う神仏が融合した宗教です。
この断崖の雰囲気は役の行者でなくても、充分に修験道の聖地として認められそうです。住宅地である東京の世田谷区の一角から完全に超越しています。
役の行者の神変窟は、一部がブロックで補強されていますが、これも聖地としての位置づけを貶すことはなさそうです。
さて、役の行者の次は覚鑁上人です。
時代は平安時代の末、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁上人の夢にお不動様のお告げがあったといいます。
「武蔵野國、調布の陵に結縁の地がおる。永くその地に留まり衆生を済度せん」(引用:寄り道⇒等々力不動尊)
覚鑁上人は夢のお告げに従い、東国へ向かいました。そして武蔵野國に入り、夢に見たのと同じ渓谷が目の前に広がったのです。
瑞雲がたなびき嶺をおおう正しく霊地、それが等々力渓谷だったのです。
なるほど! と、納得しつつさらに斜面を下ります。
瀧が見えてきます。
豪快な瀧ではありません。
ただ荘厳さがないかわりに神聖さを感じる瀧です。
数千年間、どんな早魃にも涸れることなく玲瓏と流れる冷水が渓谷に轟く音から「とどろき・等々力」の地名が起こったといわれますが、霊気が満ちる「お瀧の霊城」こそ象徴的といえるでしょう。
参拝者の姿もかなり見られます。
この瀧のすぐ隣には真言密教の瞑想の道場「宝珠閣」があります。修験道から真言密教と続き、深い木立と瀧の轟く爽やかな響きが骨伝導を通じて言葉に出来ない状態をもたらします。単なる深山幽谷でない感覚です。
興教大師・覚鑁上人が開いた道場は確実に現代まで続いているのです。
川を渡ります。
やはり真言密教といえば再び弘法大師空海に戻ります。
対岸に弘法大師空海の幼少期の姿の坐像があります。稚児大師堂です。
あまり他では見かけないせいか、それだけで興味深くなります。
やはりここは都内ではありません。
異界に入り込んだようです。
そっと、骨伝導のヘッドセットを外します。
むむ、
むむむ、
耳で聞く世界には環八通りを疾走するトラックの音だけがこだましているようです。この落差は、骨伝導の偉大さだけでなく、真言密教の結界をも凌駕する魔物のように思えるのは、おそらく私だけかもしれません‥‥。
そこで、
⇒ 骨伝導について知りましょう!
初めやりかた分かんなくて騙されたと思ったけど、あれ本当だったんだなぁ。
……って、見つけたのってここだっけ?(笑)http://proly.net/s/811
まぁ、最後は裏技 使ったからだけど、風俗行って病気移されるよりはマシでしょww
http://celecele.net/dpm/95