関東屈指のパワースポットとして名高い榛名神社へ、骨伝導機器とともに参拝です。
榛名山は群馬県にあり、筑波山、鹿野山と並び関東三大修験道名山の1つです。また群馬県内では、妙義山、赤城山とともに上毛三山の1つにも数えられています。
山麓には関東の奥座敷・伊香保温泉もありますが、榛名神社が鎮座する場所は伊香保温泉とは別の方向になります。
太祖山が掃部ヶ岳、祖山が榛名富士で、この2つの山を線で結び、さらに榛名神社とを結んだ三角形のエリアに気が生じているといわれています。また、榛名富士から榛名湖を経て榛名神社へと通じるラインにエネルギーの気脈が通じているともいわれています。
参道に沿って流れる榛名川にも水のパワーが宿っていることから、元気をチャージしてくれるほどの効果があるともいわれています。
それほどまでに強力なパワーを秘めた環境に加え、本殿は御姿岩という巨岩の窪みにすっぽりはまっていて、ここでも岩から地球のパワーを直接もらっているといいます。
主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神で、水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合せ祀られています。
歴史は古く、綏靖天皇の時代に鎮座し、用明天皇元年(586年)に社殿が造営されたと伝えられているほどです。中世以降は「満行権現」と称され、「元湯彦命」が祭神とされていました。しかし、南北朝の動乱に連動した榛名山座主職をめぐる抗争が生じ、戦国時代になると座主職も置かれず、衰微の一途をたどっていたようです。
近世に入ってから復興を遂げました。天海僧正の手によります。
慶長19年(1614年)「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が出され、上野の寛永寺の支配を受けるようになりました。
慶応4年(1868年)に神仏分離令が出され、明治3年(1870年)には、神仏分離取締に任命された新居守村が赴任して、榛名神社から仏教色は一掃されたといわれています。このとき三重塔も壊す予定だったようでしたが、現存しているのは、奇跡的なことかもしれません。
明治5年(1872年)には修験宗廃止令により、呪術、祈祷が禁止されました。
古き良き時代の神仏習合の名残とともに、強大なパワーで漲る聖域は、耳を使わない骨伝導ヘッドセットを使うことで秘密のエネルギーまで骨から脳へと届くような気になります。
これも米軍で採用された特許技術の骨伝導製品だからこそ感じられることかもしれません。
⇒ 米軍採用の骨伝導製品