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雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第七回 植木屋嘉蔵

2014-10-26 | 長編小説
 為吉の家は、路地裏の長屋であった。長屋表の井戸端では、カミさん連中が大声で下世話の話に夢中になり、下衆な笑いを上げていた。
   「為吉兄ちゃん、居てはりますか?」
 カミさん連中は、三太の声を聞いて、一瞬静かになり、すぐに家の中で為吉の声がした。
   「ああ、三太さんか?」
   「そうや、約束通り来ました」
   「ちょっとそこで待ってください」
   「うん、わかった」
 暫くすると、為吉が口をモゴモゴさせながら出てきた。
   「朝飯の最中やったのか?」
   「そうや、待たせてごめん」
 カミさん連中が、三太に無遠慮な視線を送る。
   「わい、待っとくさかい、最後まで食べて来いや」
   「いや、もう済んだ」
 為吉は、戸口で振り返り、「三太さんだ」と、紹介した。為吉の母親が黙って頭を下げた。
   「母ちゃん、いってくるわ」
 三太と連れあって長屋を後にした。カミさん連中に、爆発したような笑い声が起こっていた。
   「失礼なおばはんたちや」

   「まず、わいを連れ込んだ神社の森へ行こう」
   「何をするの」
   「神様に、お礼を言うのや、為吉兄ちゃんを、こんなええ子にしてくれたお礼や」
   「恥ずかし」
 森では、あの時と同じように、木々のてっぺんに向かって柏手を打ち、恭しくお辞儀をした。
   「次は、お父っちゃんが行きそうな酒処や、兄ちゃん知っているやろ」
   「うん、安酒場の天狗屋だ」
 店に入り、店主に尋ねてみると、一時は毎日来ていたが、ここ十日以上は来ていないと言う。
   「おっちゃん、有難う」
 店主に礼を言って、外にでた。
   「次は、石川島の寄り場や、兄ちゃんのお父っちゃんは、きっと寄り場にいると思う」
   「持ち金が無くなったのだろう」

 寄り場へ行くと、そこに居た人足たちに片っ端から尋ねまわった。   
   「嘉蔵という三十過ぎの人足を知りまへんか?」
   「さあ、知らんな」
   「そんな名前、聞いたことない」
   「元、植木職人の手伝いをしていた男だすが」
   「うーん、知らんな」
 為吉と三太は、寄り場内を探しまわったが見つからなかった。
   「ここと違うところへ行きはったのかな」
   「もしかしたら、偽名を使っているのかも知れません」
   「そうか、偽名だすか」

 名前だけでは埒(らち)があかないので、植木職、木登りが得意、高い所を恐がらない男だと言って探すことにした。
 
 探し続けると、平気で高所での作業が出来る男が網にかかった。その男は、弥太と名乗り、鳶職の手伝いをしているのだそうである。三太達は、弥太の今日の仕事場を訊き、行ってみることにした。

 遠目ではあるが、丸木の柱をするするっと登っていく男を見つけ、為吉が叫んだ。
   「あっ、お父うだ」
 二人は駆け寄ってみた。また柱を伝って降りてきた男を見て、為吉が駆け寄った。
   「お父う、こんな処で働いていたのか」
   「為吉、わしを探しに来たのか、済まん」
 為吉は男泣きに泣いている。
   「お父う、帰ってきてくれよ、お願いだ」
   「植木職の仕事をしくじって、お前達を食わすことが出来なくなったのだ」
 為吉は三太に袖をクイクイと引っ張られて、父親に紹介した。
   「この子は三太と言って、霊感占い師だ、この子がここへ連れてきてくれた」
 嘉蔵は、三太に向かって黙って頭を下げた。
   「この子が奉公しているお店の旦那様が、植木職の親方と、お父うがしくじった家に、一緒に行って謝ってやると言ってくれたのだ」
   「有り難いが、もうダメだろう、親方はカンカンに怒っていた」
   「たとえダメでも、旦那さんやこの子が、お父うを立ち直らせてくれる」
   「三太さん有難う、お店の旦那様にもお礼を言っていたと伝えてくだせえ」
   「伝えまへん、おじさんが直に言ってください」
   「そんな恥晒しなことをさせねぇでくれ」
   「大丈夫、旦那様はわいと同じく上方の人間で、それはもう気さくな人だす」

 結局、今日の日当は京橋銀座の福島屋亥之吉が払ってくれると言って、鳶の仕事を昼までで打ち切り、嘉蔵は三太と倅の為吉に付いて福島屋まで来た。

   「おっちゃん、遠慮しないで店に入って」
 そう言っても、嘉蔵は外でもじもじしている。
   「何や? 三太か? 嘉蔵さんを連れて来たのか?」
   「へえ、それが客やないからと遠慮して入りません」
   「そうか、それならわしが出て行こうか」
 亥之吉は嘉蔵を見て言った。
   「嘉蔵さん、とにかく家(うち)の前栽(せんざい)を見ておくなはれ、松の根元に何やら黒い虫がいるのだす」
   「へい、見させて貰います」
 嘉蔵は、店の裏へまわり、潜戸を開けて前栽に入り、松の根元を見ている。そこへ亥之吉が覗きに出て来た。
   「何や気持ちの悪い毛虫みたなのが口から糸を出していますやろ」
   「旦那様、これは松食虫と言いまして、放って置いたら松の木が枯れてしまいます」
   「そうか、退治出来ますのか?」
   「はい、根元を掘って、虫を焼き殺さねばなりません」
   「そうか、ほんなら植木職の親方を呼びに行かせますよって、二人で退治しておくれ」
 嘉蔵が慌てた。
   「親方が来たら、また叱られます、わしはこれで失礼します」
   「嘉蔵さん、帰ったらあきまへん、あんな年寄りひとりで穴が掘れまへんやろ」
   「堪忍してください、また叱られたら、わし立ち直れません」
   「何を子供みたいなことを言うているのや、腹を括りなはれ」
 三太に指示して、植木屋の親方を呼びに行かせた。



 親方が、押っ取りがたなで駆けつけてきた。
   「旦那さん、松の木がどうかしましたか?」
   「へえ、根元に松食虫がわいているのやそうな」
   「誰がそんな事を言いました」
 親方は周りを見回して、嘉蔵がこの場にいるのに気付いた。
   「嘉蔵、来ていたのか」
   「へい、福島屋さんに呼ばれまして…」
 嘉蔵、気恥ずかしいのか、恐れているのか、下を向いてもじもじしている。
   「どれ、松食虫かどうか調べてみよう」
 親方、持ってきた円匙(えんし)で穴を掘ろうとしたが、土が硬くて掘れなかった。
   「嘉蔵、黙って見てないで、代わって掘ってくれ」
   「へい、承知しました」
 嘉蔵が穴を掘ると、くろい毛虫がぼろぼろと出てきた。
   「ほんとうだ、これは松食虫だ」
 嘉蔵は、落ち葉と枯れ草を集めて火を熾し、虫を一匹一匹摘まみ上げると、火の中へ放り込んだ。
   「明日、もう少し掘って、竹酢をふり掛けてみましょう、酢を嫌って出てくるかもしれません」

 亥之吉は嘉蔵の肩に手をかけ、親方に向かっていった。
   「もう、嘉蔵さんを許してあげたらどうだす?」
   「へい、わしは遠に許しとります、わしはもう年寄りです、嘉蔵に植木屋を任せようと思っております」
   「親方、許してもらえるのですか」
   「だから言っているだろ、遠に許していると」
   「有難うございます」
   「嘉蔵、いまからしくじったお客に詫びにいこう」
 親方は少しにっこりとした。
   「約束だすさかい、わしも付いて行って、先様に許してくれるように頼みます」
   「有難うございます、三太さんも有難う」
 嘉蔵の目が潤んでいるように見えた。

 先様は、亥之吉の知人であった。
   「この嘉蔵さんが、しくじったそうで、わたいも謝ります、どうぞ嘉蔵さんを許してやってください」
 先様は、慌てて亥之吉の肩を掴んだ。
   「福島屋さん、頭を上げてください」実はと、その後のことを明かしてくれた。
   「嘉蔵さんが切った枝を割ってみたら、カミキリムシの幼虫がでてきて、放っておいたらどうせ枯れる枝だとわかりました」
   「嘉蔵さんは、それが分かっていて枝を切り落としたのですね」
   「はい」
   「怒って、悪いことをしました、庭木の手入れは、嘉蔵さんにお任せします」

 この後、嘉蔵が植木職の親方を継ぎ、また、完三という二十歳前の男を手伝いに雇い、為吉にも手伝わせた。嘉蔵一家は、親方の土地を借りて建てた屋敷に移り、大々的に客を増やしていった。子供の居ない親方夫婦は、嘉蔵の子供を孫のように可愛がり、為吉と将棋をさすのが楽しみとなった。
   「ご隠居さんと将棋をさしても、いつも俺に負けている」
 為吉は辟易しながらも、我慢して付き合っているようであった。

  第七回 植木屋嘉蔵(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第六回 政吉、義父の死

2014-10-26 | 長編小説
 所は京の都。開け放たれた侠客一家の表て戸を入った正面の天井のすぐ下には白木の神棚があり、それを挟んで榊が活けられている。左右の壁には提灯がずらりとぶら下がり、政吉にとっては、幼、少年期を送った懐かしい第二の実家である。

   「軒先三寸借り受けやして、ご挨拶申し上げます、どうぞお控えなすって…」
 京極一家の若い衆が出てきて、玄関のたたきに控える。
   「早速のお控え、有難うござんす、当方生まれはお江戸です」
 中年の代貸し格の男が覗いた。
   「お江戸と申しましても、些か広う御座んす、江戸は神田の生まれ、育ちは京の都に御座んす」
   「何や、豚松(政吉)やないかいな、そんな仁義は要らへん、早う上がってお父はんに顔を見せてやりなはれ」

   「てめえ生国と発しますは、摂津の国は池田です」
   「はあ、知っとります、池田の亥之吉どんでっしゃろ、そんな処で遊んどらんと、早く貸元のところへ行きなはれ」
   「誰も遊んでいますかいな」
   「亥之吉どん、あんさんも豚松も、堅気の商人(あきんど)どすやろ、堅気なら堅気らしくしなはれ」
   「へえ、すみまへん」

 京極一家の貸元は、思ったよりも元気そうであった。
   「親父さん、豚松ただいま帰って参りました」
   「ああ、豚松か、お帰り、いっぱしの商人になったなぁ、遠いところご苦労やった」
   「親分、池田の亥之吉さんも参りました」
   「おぉ、亥之吉か、懐かしいなぁ、その節は豚松が世話になった」
 布団をめくって半身を起こそうとしたが、代貸が止めた。
   「起きたらあきまへん、無理をせんといてください」
   「豚松も亥之吉も、ゆっくり出来るのか」
   「へぇ、しばらく厄介になるつもりで参りました」
   「そうか、嬉しいなぁ、これで酒を一献汲み交わせたらええのやが、医者が飲んだらあかんと硬いこと言うのや」
   「親父さん、顔色もよろしいし、この分やったら半月もしたら元気になりますやろ」
 政吉は、心からそう思えた。
   「そうか、これで豚松が京極一家のあとを継いでくれたら、思い残すことが無いのやが」
   「すみまへん、親不孝を堪忍しとくなはれ」
   「いや、構へん構へん、わいの愚痴や、聞き流してか」

 その日は、夜半まで政吉と亥之吉は貸元の寝所で思い出話などをして笑っていたが、貸元の身体に障ってはいけないと二人は別の座敷で眠り、翌朝貸元に朝の挨拶に行くと、貸元はまだ眠っているような穏やかな顔で亡くなっていた。
 政吉は、貸元に縋って大泣きをした。その声を聞きつけて、代貸以下、子分達が貸元の寝所に集まり、貰い泣きをした。

 通夜を済ませ、政吉が喪主となり、立派な葬儀を出した。京極一家の後継は、最年長代貸に任せて、政吉と亥之吉は、新貸元と、子分ではなく舎弟となった人たちに見送られ、帰途の旅に就いた。


 神田明神前の菊菱屋では、三太が首を傾げていた。以前、お店の使いにでた時に、悪ガキに囲まれ、舌先三寸で難を逃れたことがあったが、その折は京橋銀座の福島屋の小僧としか知れていなかった筈なのに、名前は知れているうえ、そのガキ大将が神田の菊菱屋にまで尋ねて来るとはどうなっているのだろうと考えていたのだ。
 
 今なら、武具を携えている。ガキの四人や五人に囲まれても、打ち負かす自信はある。さりとて、相手は三太より年上と言えども子供たちである。怪我をさせでもしたら、亥之吉旦那に叱られる。悪くもないのに黙って殴られるのもつまらない。どうしたものかと三太は思い巡らせていた。
   「福島屋の三太さんは居ますか?」
 それ来たと三太は思った。
   「わいが三太です、どなた?」」
   「俺です、何日か前にお使い帰りの三太さんに難癖をつけた…」
   「あぁ、あの時の兄ちゃんか」
   「ごめん、堪忍してください」
   「なんとも思ってないよ、どうしたんや、改まって」
   「あれから、俺に悪いことばかり降りかかるのです」
 話を聞いてみると、母親は包丁で手を切るし、父親は商売に失敗してやけ酒に浸りっぱなしで家にも帰らなくなった。腹が減って町を彷徨っていたら、泥棒に間違われてしょっ引かれ、お奉行から大目玉を喰った。それもこれも、三太さんを虐めた神罰が下ったのだと思っていると言うものだった。
   「兄ちゃん、名前は何て言うのや」
   「俺は為吉」
   「わいがここに居ることを、誰に訊いたのや」
   「福島屋の番頭さんが名前と居場所を教えてくれた」
   「思慮のない番頭はんや、わいに仕返しする為に訊いたかも知れんのに、簡単に教えるなんて」
   「ごめん、俺が友達だと言ったもので…」
   「そうか、ほんならついでに、本物の友達になろう」
   「いいのかい?」
   「ここの新平も友達やで」
   「うん」
   「為吉兄ちゃん、腹減っとるのやろ」
   「うん」
   「新平、なにか喰うものあるか?」
   「冷や飯でよかったら、おいらが塩むすびを作ってやる」
   「新平、頼むわ」
   「うん」

 新平が、大きな握り飯を八つも作って厨から出てきた。
   「残ったら、持って帰って兄弟にも食べさせてやって」
   「ありがとう」
 三太が為吉に言った。
   「ここの若旦那が戻ってきたら、わいがお父さんを占いで探してやる、ほんで商売の失敗の原因を探って、立派に立ち直らせて見せる」
   「本当ですか?」
   「こんな嘘をついてどうするのや、友達の為に全力を尽くすのが友達や、虐めるよりも友達になる方が自分の為になるのやで」
   「もう、決して誰も虐めたりはしません」
   「そうか、それなら今日はこのおにぎりを持って帰りなはれ、若旦那が帰ってきたら為吉兄ちゃんのところへ行くから、場所を教えといてや」
   「うん」
 為吉は喜んで帰って行った。

 
 それから十日後、若旦那の政吉が帰って来た。
   「えらい、ゆっくりだしたなぁ、仰山寄り道なさったのやろ?」
   「あほなこと、寄り道なんかするものか、京のお父はんが亡くなったのや」
   「あの親分が亡くなったのだすか、わいも一宿一飯の恩義があります」
   「親分は、わいを育ててくれたお父はんや」
 政吉は黙祷をした。三太も、京の方を向いて手を合わせた。
   「うちの旦那さんは、お店に戻りはりましたか?」
   「いいや、三太を迎えに行く言うて、ここまで来ておいでどす」
   「外で、何をしてるのだす?」
   「路地に入って、立ちションベンしてはります」
   「何をみっともないことをしてはるのや、店に入れば厠もあると言うのに」
   「我慢が出来んようになったのやろ」
 亥之吉が店に入って来た。
   「三太、ご苦労やった、何事も無かったか?」
   「弁天小僧とかいうオカマさんの盗人が来ました」
   「何か盗られたのか?」
   「いいえ、追い払って何も盗られていまへん」
   「そうか、そら良かった」
   「それから、わいを襲ったガキ大将が来ました」
   「泣かしたのか?」
   「友達になりました、それで一つ約束をしました」
   「どんな?」
   「お父さんが商売に失敗して、家出をしたらしいのです」   
   「それで?」
   「わいの占いで、お父さんを探してやると約束しました」
   「探せるのか?」
   「多分文無しになって、寄り場へでも行ったのだと思います」
   「では、明日一日暇をやるから、約束を果たしてきなはれ」
   「有難うございます」
 三太は為吉の住処を書いた紙を亥之吉に見せて、「為吉」と言う子だと知らせておいた。
   「あぁ、この為吉なら、植木屋の手伝いをしている嘉蔵の息子や、何を失敗したのやら」
   「なんや、旦那さんの知っている人ですか」
   「家の前栽(せんざい)も見て貰っとります」
   「なんや、さよか」
   「失敗と言うのは、どうせ客の大事な木の枝を、切ってしもうたのやろ、嘉蔵を見つけたら、まずわしの処へ連れておいで、わしが親方とその客に謝ってやるさかいに」
   「旦那さん、おおきに」
   「任しておきなはれ」

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第五回 奉行の秘密

2014-10-25 | 長編小説
 三太と新平は、店番をしながら小諸藩士に返り咲いた山村堅太郎のことを話していた。
   「山村さん、お嫁さんを貰いはって、赤ん坊が生まれているかもしれん」
   「あれから二年も経ちますから、きっとそうでしょう」
   「手紙でも欲しいだすなぁ」
   「あの時、小諸藩へ馬を跳ばしてくれた緒方三太郎さん、きっと優しい人でしょうね」
   「そら、わいの先生佐貫鷹之助さんの兄さんやさかい、優しいに決まっている」

 そこへ、数日前に根付を紛失して、三太に占ってもらった娘がやって来た。
   「三太さん有難う、母の形見の根付が畳紙(たとうし)の中から出てきました」
   「それは良かっただすなァ」
 娘は、風呂敷包みを、「わたしの手作りで不出来ですけど」と、三太に差し出した。朱塗りの重箱に、牡丹餅が八個入っていた。
   「新平ちゃんも、どうぞ召し上がれ」
   「おおきにありがとうさん」
   「ごちそうさま」
 三太がひとつ取ろうとしたのを新平が止めた。
   「おいらがお茶を入れます、奥の大旦那様と奥様にも召し上がって戴きましょう」
 新平は厨(くりや)に入ると、カチャカチャとお茶の準備をしている。
   「ねえ、三太ちゃんの占い凄いのね、お友達に教えてもいいかしら?」
   「待ってください、わい、若旦那が戻り次第に元のお店に帰りますので、ここには居まへん」
   「ではお願い、一人だけ占ってあげてくださいな」
 末は夫婦と誓い合った恋人が、最近気変りがしたらしく、急に余所よそしくなったと言う。友達は何が原因か知りたがっているのだそうである。
   「占ってあげないでもないが、友達の恋人にここへ来て貰わないといけません」
   「わかりました、私が連れてきましょう」
 女は、新平が出したお茶も飲まずに、そそくさと戻って行った。

 暫くして、女は一人の若い男を引っ張ってやってきた。
   「何をさせるのですか?」
   「いいから、ちょっと会って欲しい人が居るの」
   「何者ですか?」
   「いいから、いいから」
 女は、男を三太の前に連れてくると、「占って頂戴」と、三太に言った。
   「何を占って貰うの?」
 男が訝って言うと、
   「しーっ、黙って」
 女が自分の口を人差し指で閉じて見せた。

 三太は目を閉じて占っているふりをした。新三郎の活躍待ちである。
   「わかりました、でも、これを明かしたらお嬢さんが困ることになりますで」
   「新さん、いいから言ってください」
 三太は、男に向かって言った。
   「あんさんの胸の内を明かしますが、かまやしまへんか?」
 男はキョトンとしているが、取り敢えず返事をした。
   「構いません」

   「では言いますが、この人が気変わりしたのは、お嬢さん、あんたが好きになったからです」
   「えっ、そんな…」
 娘は、自分は知らなかったとは言え、友達を裏切ったような気持ちになり、逃げ帰ってしまった。男がその後を追ったが、一丁ほど先へ行ったところで、男を振りきったのが見送った三太に見えた。
   「何や、ややこしいことになってしもうた、わいは知らんでー」
 
 殆ど入れ違いに、与力の長坂清三郎が入って来た。
   「三太、北町のお奉行が会いたいそうだ、奉行所に来てくれないか」
   「前にも言いましたやろ、わいはこの店の用心棒だす、ここを離れることは出来まへん」
 長坂は、三太がそう言うだろうと、目明しの仙一を連れて来ていた。三太が奉行所へ行っている間、仙一が居てくれるそうである。しかも長坂は馬で来ていた。
   「さあ三太、これに乗って奉行所まで行こう、帰りも送るから心配は要らない」

 三太はあまり気が進まなかったが、仕方なく長坂の前に乗せられ、パカポコと北町奉行所へ向かった。
 
 三太はお白州に通された。
   「なんや、わい引かれ者みたいやな」
   「しーっ、黙って頭を下げて待て」
   「わい、何も悪いことしてないのに…」
   「黙れと言うのに」
   「なんかあほらし」
 長坂は、きざはしから奥の斜紗綾形(しゃさやがた)模様の襖(ふすま)に向かって声を掛けた。
   「お奉行、三太を連れて参りました」
 襖が左右に開いて、奉行が進み出た。
   「三太とやら、足労をかけた、面を上げい」
   「ははー」
   「長坂から聞き申したが、そちの霊感で殺しの下手人を見つけてくれたそうじゃのう」
   「ははー」
   「奉行、礼をいうぞ」
   「ははー」
   「どうだ、この奉行にもその霊感とやらを披露してくれぬか?」
   「ははー」
   「ははーはもうよい、何とか言わぬか」
   「では、今朝のお奉行様の様子など占ってみましょう」
   「身共のことであるか?」
   「へえ、お奉行様、今朝お父上の大切になさっておられた盆栽をひっくり返して、お父上に叱られましたね」
   「あれは身共の所為ではない、父上が廊下に盆栽など置いているから、袴の裾が引っかかったのじゃ」
   「母上にも、朝食の魚を残して叱られました」
   「あれは、身共が魚嫌いと知ったうえで、妻が態と魚を膳に供したからである」
   「それから…」
   「もう良い、よくわかったから止めい」
   「ははー」
 長坂清三郎が、忍び笑いをしている。

   「今日、三太を呼んだのは他でもない、これはこの度の褒美として奉行から下すものである」
 役人が三宝に二両乗せて、三太の前に進み出た。三太は断ろうと長坂の顔を見ると、貰っておきなさいと目で知らせている。
   「ありがとうございます」
   「また、何事かあれば、長坂に知恵を授けてやってくれ」
   「ははー」

 これにて一件落着とは言わなかったが、奉行は襖の向こうへさがった。
   「三太、どうした?」
   「足が痺れて立てまへん」  

 三太は二両貰ったが、お店の小僧が大金を持っていたら、店の金をくすねたと思われるので、これは目明しの仙一おじさんに上げてほしいと長坂に頼んだ。

 
 目明し仙一は、長坂が同心の頃からの情報集めの手下で、お手当は今でも長坂から出ているという、ちょっと変わった手下であり、親友でもある。
   「仙一、ご苦労でした、何事もなかったか?」
   「へい、変な子供が三太を尋ねてやって来ましたが、十手を見せると黙って帰っていきました」
   「ふーん、誰やろ、心当たりはおまへんが…」
   「何だかガキ大将のようだった」
   「ああ、彼奴か、何の用で来たのやろ」
   「俺、今夜ここに居ましょうか」
   「おじさん、わいなら大丈夫だす」
   「そうか、では帰るが気を付けなさいよ」
 長坂が、仙一に言った。
   「そうだ、三太がお奉行から褒美をもらったのだが、三太はお前にやると言っておる」
   「えっ、どうして?」
   「用心棒の謝礼だす」
   「一刻ばかりの留守番に?」
 長坂が口を挟んだ。
   「お店の小僧が大金を持っていたら、お店の金をくすねたと思われるからだと」
   「そうか、では遠慮無く頂戴しよう」
   「その代わり…」三太が言った。
   「何だ?」
   「必ず奥さんに渡すように…」
 また、長坂が口を挟んだ。
   「仙一は博打も女にも手を出さないから大丈夫だ、女房の喜んだ顔を見るのが唯一の楽しみだそうな」
   「変なの」

  第五回 奉行の秘密(終)-次回に続く- (原稿用紙11枚)

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「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第四回 与力殺人事件

2014-10-23 | 長編小説
 江戸は神田の明神前、今日も大旦那が臥せているので、三太と新平が店番をしている。客は主に娘さんたちで、櫛、簪、帯留め、根付、手提げ袋、財布など、小物を扱っている。

   「若旦那はお留守なの?」
 また、若旦那の政吉目的の客らしい。
   「若旦那は旅に出ています」
   「あらそう、新平ちゃんが一人でお店番ですか?」
   「店の隅で居眠りしている三太さんと二人どす」
   「ほんとうだ、黒いのが暗い隅にいるので気付かなかったわ」
 三太が目を覚ました。
   「黒いのって、わいのこと黒猫みたいにいうな」
   「まあ、起こしてしまったわ、ごめんね」
 三太は、不機嫌になった。
   「大切にしていた根付を無くしてしまったの、母の形見だったのに残念でしかたない」
 新平が、「それなら」と、三太を紹介した。
   「三太さんは霊能占いができはるのどす、失せ物が見つかるかも知れません」
   「本当ですか、是非お願いします」
 三太はふて腐っている。
   『新平の顔を立てて、占ってあげましょうよ』
 新三郎に言われて、しぶしぶその気になった。
   「ところで新平、根付って何?」
   「帯飾りで、小物入れなどを帯にぶら下げるための留め具でもあるのです」
   「ふーん」
 三太、気のない返事。新三郎が女に憑き、記憶を手繰った。その間、三太は黙って目を瞑っていたが、やがて新三郎が戻り三太に伝えた。三太は目を開き女の目を見ていった。
   「お姉さん、最近お見合いをしましたやろ」
   「はい、お断りしましたけど」
   「その折に、桜小紋の着物を着ましたね」
 三太にズバリ当てられて、たかが子供の占いと、侮っていた女は驚いた。
   「はい」
   「お屋敷に戻り、その着物の畳紙(たとうがみ)を調べてみなさい、根付はその中に紛れ込んでいます」
   「えっ、本当ですか」
 女は喜んで帰って行った。
   「根付ひとつ売り損ねたけれど、お母さんの形見が見つかってよかった」
 新平は、自分の提案が誇らしげであった。
   

 京橋銀座の福島屋亥之吉のお店を、北町奉行所の長坂清三郎という中年の与力が訪ねていた。長坂は、佐貫三太郎とは知り合いで、その三太郎と同じ霊術を使う三太という小僧が福島屋に居ると耳にして、もしや三太郎の兄弟ではないかと思い立ち寄ってみたのだ。
 店の番頭らしい男が気の毒そうに言った。
   「申し訳ありません、三太はただいま神田明神さんの門前、菊菱屋の手伝いに行っております」
   「左様で御座るか、三太は東海道中で色々と手柄を立てた少年と聞き及び、是非会っておきたいと思い、やって来た」
   「しばらくはこちらへ戻りませんので、宜しかったら神田の方へお足をお運び頂けませんでしょうか」
   「わかった、そうしよう、邪魔をしたな」
   「いえいえ、滅相も御座いません」

 長坂清三郎は、神田の菊菱屋に足を運んだ。
   「お武家様、いらっしゃいませ」
 新平が丁重にお辞儀をした。
   「いや、お店の客ではない、その方に会いに来たのだ」
   「えっ、おいらですか?」
   「そちは三太であろう」
   「あっ、違います、あちらに居るのが三太です」
   「わいが三太だす」
 座っていた三太が顔を上げて、長坂を見上げた。
   「店の手伝いに来た割には、暇そうにしておるのう」
   「わいは、用心棒だす」
   「なるほど、強そうでござるな」
   「もしやそなたは信州上田藩の佐貫三太郎という御仁を知って御座るかな?」
   「へえ、三太郎さんは、わいの先生佐貫鷹之助さんの兄上だす」
   「やはり何らかの繋がりがあったのか」
   「そやけど、三太郎さんは佐貫ではなく、今は緒方三太郎という蘭方医だす」
   「そうか、三太の奴め、また名前が変わったのか」
 江戸は長屋の三太から、二代目能見数馬に変わり、二代目佐貫三太郎を経て緒方三太郎と、諸事情があって改名してきたのだ。
   「ところで、お侍さんはどなたさまですか?」
   「申し遅れた、拙者は北町奉行所与力、長坂清三郎と申し、三太郎殿には色々助けられたのだ」
   「今日はどのようなご用でいらっしゃいました?」
   「ことの起こりは、一ヶ月程まえに拙者の後輩与力が、町中(まちなか)で斬り殺されたのだ」
   「どのような訳だす?」
   「それが謎なのだ、彼奴(きゃつ)は腕が立つ若者で、辻斬りに斬られるような男ではなかった」
 男は新免一之進という若侍で、父親譲りの桐生一刀流の使い手であった。父親が病死したあと、家督を継いで与力になり日も浅い。その男の後ろから袈裟懸で一刀のもとに斬られていた。長坂は、一之進が油断する程の親しい人物に違いないと語っていた。一之進は、他人に恨まれるような男ではない。部下の同心に対しても、決して偉ぶることもなく、敬語を以って接していた。
   「一之進さんが死んで得をする人は居ますか?」
   「腹違いの弟はまだ子供だが、兄のことを気遣う優しい男だ」
   「その他には?」
   「叔父が居るが、叔父もまた与力で、一之進を気遣って色々と教えておった」
   「損得でなく、恨みでも物盗りの仕業でもないとなると、誰かと間違えられて斬られたのかも知れまへん?」
   「それも考え難い」
   「それでは、一之進さんが何らかの不正か事件を目撃したのだすやろ」
   「そう言えば、一之進は殺される前に、何事か悩んでいたような気がする」
   「長坂さん、それですよ、何かを目撃したが、親しい間柄であった為に訴えることが出来ずに悩んでいたのでしょう」
 よし、犯人を炙りだしてやろうと三太は思ったが、自分は菊菱屋の用心棒である。この店を離れることは出来ない。そこで長坂清三郎に、三太は何事か耳打ちすると、長坂は頷いて帰っていった。


 長坂は北町奉行所に戻ると、与力や同心を集めて三太という少年の話をした。三太は霊を呼び寄せて話が出来る霊能力を持っている。自分は初代の霊能力者とは知り合いで、その人の助けを借りて数々の事件を解決してきた。その二代目が三太である。三太も然りで、不思議な力を持っている。自分はこの三太の霊能力を借りて新免一之進を斬った下手人を突き止めようと思う。
 新免は何らかの秘密を知った為に斬られたに相違ない。その秘密を新免の霊から聞き出して、下手人とその秘密を明らかにする。
 三太という少年は、神田明神門前の菊菱屋に居るが、店の主が留守の間、用心棒の為に店から離れることが出来ない。あと数日もすれば主(あるじ)が戻るので、犯人探しをさせる。

 長坂清三郎は、部下や同僚から絶大な信用を得ている人物で、奉行も一目置いている。その長坂が言うことなので、絵空事ではあるまいと、噂が広がった。


 その夜、長坂は一旦屋敷に戻ると、岡っ引きの仙一を連れて、こっそりと菊菱屋へやって来た。仙一もまた、三太という名を聞いて、初代の三太を懐かしんでいるようだ。

 夜更けて、菊菱屋の戸が叩かれた。
   「三太は居るか? 拙者で御座る、長坂清三郎だ」
   「へえ、三太です、今頃何のご用で?」
   「三太に刺客が差し向けられたようなので、護衛に参った」
   「本当に長坂清三郎様ですか?」
   「そうだ、お前と問答している暇はない、すぐ開けなさい」
   「へえ、只今開けます」
 三太が閂を外すと、賊の手で戸がガラッと開けられた。賊は刀の抜身を上段に構えて三太に斬りかかった。三太は身軽に飛び退くと、後ろに長坂清三郎が立っていた。
   「そうか、そなたが下手人であったか」
 長坂の名を語った賊は、年番方の下で働く同心、進藤勘助であった。
   「新免一之進を斬ったのは、お主であろう」
 進藤は剣を振り翳し、長坂に斬りつけた。長坂は剣で受け止めたが、若い同心の力に押され気味であった。
   「わいが三太や」
 三太が叫ぶと、進藤がチラッと三太を見た。その隙をついて、長坂が渾身の力を込めて進藤を押すと、進藤の剣は長坂の剣を離れた。そこに三太の天秤棒が、ピシリと進藤の腕を打ちのめした。
 進藤は、「あっ」と声を上げて怯んだ隙を、長坂が剣の峰で進藤の肩を打ち据えた。そこへ目明し仙一が飛び込み、縄をかけた。

 同心の進藤は、恐らく上司の命で新免一之進を斬ったのであろう。進藤は奉行所で裁かれたが、上司である年番方は、評定所で調べられることになった。いずれは不正が明らかになり、処分がくだされるだろう。

 その前に、進藤は斬首刑になった。

  第四回 与力殺人事件(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三回 弁天小僧松太郎

2014-10-18 | 長編小説
   「ねえ親分、コン太は今頃どうしているのでしょうね」
 菊菱屋の店先で、二人は黙って客待ちをしていたが、新平が沈黙を破った。コン太は、一年前に山へ帰っていったのだ。
   「夜中にコン吉が迎えに来たので檻を開けてやったら、コン太は喜んでコン吉に付いて行ったから、今頃自分の家族が出来てコン吉のように面倒見のよいお父っちゃんになっていると思う」
   「普通の狐と違っていましたね」
   「うん、コン太もコン吉と同じく人間の言葉が分かるようやった」
   「やっぱり、稲荷神の使いだったのかも知れませんね」

 二人でそんな話をしていると、お客が店に入ってきた。
   「あらっ、若旦那は留守なの?」
   「へえ、ご用が出来て、旅に出ました」新平が答えた。
   「いつ頃お帰りの予定ですか?」
   「半月先だと思いますが、ご用が長引けばもっと先になりましょう」
   「なーんだ、つまんないの、またその頃に来ます」
   「大旦那は居ますよ」
   「若旦那から買いたいのっ」
 客は何も買わず、さっさと帰っていった。

   「若旦那が目的みたいだすな、あのどすけべ女」
 三太が言うと、新平が慌てて三太を咎めた。
   「お客様に、そんな悪たれついてはいけのせん、大旦那に聞こえたら大目玉ですよ」
   「あはは、わりぃわりぃ」

 また、若い女が店に入ってきた。
   「ぽっちゃりとした、男前のお兄さんは居ないの?」
 新平が、応対をした。
   「へえ、若旦那は暫く帰りません」
   「暫くって、どのくらい?」
   「へえ、半月ばかり…」
   「何があったのかしら」
   「若旦那を育てた義理の親が病に倒れたので、京までお見舞いに行きました」
   「京なの、それは大変ですね」
   「お嬢様、今日のお買い物は…」
   「柘植(つげ)の櫛を戴こうと思いまして」
   「お嬢様に柘植の櫛は地味ではありませんか?」
   「お祖母様への贈り物ですの」
   「それでしたら、櫛はお止めになった方がよろしいのではありませんか」
   「そうなの?」
   「櫛は苦死といって、苦しんで死ぬと忌み嫌われますよ」
   「あら、子供なのによく知っているのですね」
   「大旦那が他のお客様に言っていました」
   「では、お祖母様への贈り物、何がいいかしら」
   「柘植の串よりちょっとお高いですが、こちらの鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)など如何でしょうか」
   「喜ばれるかしら」
   「お値打ちものですから、きっと」
   「でも、もっと簪を色々見せてくださいな」
   「はい、承知しました」
 新平は奥座敷に引き込んだ。

   「新平も商売が板に付いてきたな」
 店の間の隅で、新平の様子を見ていた三太は、自分よりもテキパキと客に接するのを見て、感心するばかりであった。

 その間、客は鼈甲の簪を弄(いじ)くり回していたが、新平が幾つかの簪を持って店の間に顕れると、客は待ちきれないかのように新平に擦り寄り、「まあ、綺麗」と言った。
   「そうねえ、目移りしますわねえ」
 と、いままで手に持っていた簪を、新平の懐にこっそり差し込んだ。
   「これがとても素敵だわ、これに決めようかしら」

 女は後から新平が持ってきた簪の中から高価そうな一つを選んだ。
   「承知しました、こちらの螺鈿細工がされたものは、三両になります」
   「まあ、高価なのね、生憎持ち合わせがありません、一度帰ってお金を持ってきます」
   「そうですか、ではお待ちしております」
 新平が簪を桐の箱に納め、それ以外の簪を片付けようとして、最初に客にみせたものが無くなっていることに気が付いた。
   「お客様、簪が一本足りないのですが、お足元にでも転がっていませんか?」
 客は立ち上がって着物の裾をはらって見せたが無かった。
   「可怪(おか)しいな、最初にお見せした簪が無いのですが」
   「まあ、私が盗ったとでもいうのですか?」
   「いえ、そうは言いませんが…」
   「私の気が済みません、着物を脱いで見せましょう」

 言うが早いか、女は帯を解きはじめた。
   「さあ、どこに入れたと言うのです、全部脱ぎますが、それで簪が出てこなかったらどうしてくれます? 百両や二百両の詫び金では納得して帰りませんよ」

 大旦那が客の喚く声を聞いて出てきた。新平の説明を聞いた大旦那は、客の女に手をついて詫びた。女は、さも悔しそうに大旦那に告げた。
   「簪はこの小僧さんが懐に仕舞ったではありませんか、それを忘れて私を疑うなんて…」
 新平が自分の懐を調べてみると、簪が入っていた。新平は泣きそうな顔をしてその場にひれ伏した。
   「ご無礼をいたしました、お詫びの金子を用意します、どうぞ暫くお待ちを…」
 大旦那が金子の用意をするために立ち上がったとき、三太が声を掛けた。
   「お客さん、この新平の目は誤魔化せても、わいの目は誤魔化されまへんで」
   「何を言うのですか、私が何時ごまかしました?」

 三太は笑って、お金を用意した大旦那を制した。
   「お嬢さん、いや、あんた女のふりをしているが男だすなぁ」
   「えっ」
   「わいは、他人の心が読めますのや、あんさんの名は松太郎さんですな」
 ずばり名前を言われて「ギクッ」としたが、松太郎は落ち着きはらったふりをした。
   「馬鹿なことを言わないで、私はお松です」 
   「お嬢松太郎という、騙り専門の盗賊やおまへんか」
   「無礼な、証拠もなくそんな出鱈目が言えたものです」
   「証拠か? 証拠はもうすぐここへ来まっせ」

 三太がそう言い終わると直ぐに男が店に入って来た。
   「お松、どうしたのだ」
 男は、帯を解いている松太郎を見て、凄んでみせた。
   「騙りの濡れ衣を着せられたのか?」
 松太郎は何か言いたげであるが、突然声が出なくなった。
   「お松、訳を言ってみろ」
   「--------」
   「そうか、悔しくて声も出せねえのか」
 三太が男に話しかけた。
   「おっちゃん、この松太郎はん、何も言ってないのに、濡れ衣を着せられたとか、悔しいとか分かるのか」
   「なんだお前は」
   「この店の丁稚です」
   「丁稚?」
   「いや、小僧です」
   「その小僧が何を言いたいのだ」
   「わい、この女に化けた松太郎はんが、簪を新平の懐へ入れるところをしっかり見ていたのや」
   「それがどうした」
   「新平は、簪を自分の懐へ突っ込まれたのを知らずに、その女に化けた松太郎はんに簪の行方を尋ねたら、いきなり怒り出して、百両だの二百両だのと脅しはじめたのや」
   「馬鹿を言え、この女はわしの女房だ、それを男だとは何という侮辱だ、女房に謝れ」
   「女房か何だか知らんが、男やないか」

 松太郎は、黙ったまま着物を脱いだ。仲間の男は慌てて制したが、松太郎は夢遊病者のように腰巻きまで外して褌(ふんどし)姿になった。
   「これの何処が女や、何やったら褌もとってもらいましょか?」
 松太郎は、褌に手をかけた。
   「やめろ! ずらかるぞ」
 男は左腕に松太郎が脱いだ帯と着物と腰巻きを、右腕で腑抜けのようになった松太郎を抱えて店の外へ飛び出した。

   「彼奴等は、この手をほうぼうで使っているようだす、塒(ねぐら)は判っとります、役人に訴えて、捕まえてもらいます」

 新平が三太の耳に囁いた。
   「新さん、親分、ありがとう」
 松太郎が着物を脱いだのは、新三郎の仕業だと新平は気付いたのだ。

  第三回 弁天小僧松太郎(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二回 政吉の育ての親 

2014-10-14 | 長編小説
 福島屋亥之吉は、三太が奉公するお店の主(あるじ)である。それと共に、天秤棒術と亥之吉が勝手に名付けた護身用武術の弟子でもある。この天秤棒術は、日本で自分だけの技だと豪語する亥之吉であるが、それは当たり前のこと、武具自体は肥担桶(こえたご)を担ぐ天秤棒で、亥之吉がならず者に襲われた時、偶然近くの農家で借りた老農夫の汗と肥やしが染み付いたものであった。

 実はこの天秤棒、肥担桶紐が滑り落ちないように小さな木の杭が前後四つ打ってある。その杭が取れて穴が広がり修理出来ない状態になり、薪にするために陽に干していたものを貰ったのだ。

 三太用の天秤棒は亥之吉の注文通りに誂えたもので、肥担桶など一度も担いだことのない物だ。暇があれば、三太は此の天秤棒を振り回している。荀子(じゅんし)の『青は藍より出て藍より青し』という比喩があるが、三太は藍より青くなるのが目標である。
   「すぐに師匠を超えてやる」
 その目標を立てて、二年が過ぎた。

 
   「三太、お客さまのご指名がありましたよ」
 亥之吉の声が、店内で掃除をしていた三太に届いた。
   「へえ」と、三太は返事をして、直ぐに店先へ出てきた。
   「奈良屋の女将さんが、三太にお相手して欲しいそうだす」
   「へえ、おこしやす、毎度おおきに」
 奈良屋の女主人は後家である。旦那に先立たれ、気丈にも女手ひとつで呉服商を担っている。子供に恵まれず、しっかり者の三太を養子にと狙っているのだ。

   「奥様、いつもお綺麗だすなァ、まるで小町娘のようだす」
 歯の浮くような三太の世辞であるが、三十路を跨(また)いだこの後家にとって、心底嬉しいようである。
   「まあ、三太ちゃんたら、こんなお婆ちゃんを煽てても何も出ませんよ」
 そんな会話をしながら、店の奥に消えていった。

   「うかうかしていると、三太をあの後家さんに盗られるかも知れん」

 小僧の成り手は多い。だが、三太はただの小僧で収まるタマではない。
   「強くなって、兄の仇をとる」
 兄の仇は、既に処刑されている。だが、三太にとってみれば、そんなことで兄の悔しさは癒えていないと思っている。世の中の悪は、全て兄の仇なのだ。その信念があるからこそ、師匠の技に食い下がる気迫を持っている。
 
 店の奥で、奈良屋の後家と何やら話し合いながら二人は店先に出てきた。
   「三太ちゃん、考えておいてね」
   「あきまへん、わいは亥之吉旦那さんから棒術の指南を受ける為に浪花からやって来たのです、ただ商人に成るのなら、浪花にある相模屋の丁稚で頑張っておりました」
 相模屋長兵衛を説得して、お店を止め江戸へ出てきたのは、「兄の仇打ち」を優先しているからなのだ。
   「そうですか、残念ですね」
 奈良屋の後家は、それでも諦めがつかない様子で帰っていった。

   「奈良屋の養子になれと言われたのか?」
   「さいだす、だが、わいはその気はありまへん」
   「三太は福島屋の養子になるのやさかいに、掛け持ち養子は出来まへんわなァ」
   「それも嫌だす」
   「はっきり言いよるな」
   「それよか辰吉坊っちゃんの天秤棒を誂えとくなはれ、わいが旦那様から教わったことを伝授します」
   「辰吉は、わいの孫弟子かいな」
   「お爺ちゃん師匠、宜しくお願いします」
   「二十歳を少し過ぎたら、もうお爺ちゃんか」
   「師匠と弟子の話だす」

 会話の直後、亥之吉が思い出したように三太に言った。
   「そうそう、菊菱屋の政吉に頼まれていたのを忘れとった」
   「何だす?」
   「政吉が、二十匁蝋燭(にじゅうもんめろうそく)を買いにきたのやが、生憎(あいにく)切らしていたので、入荷したら届けていると帰したのや」
   「へえ、分かりました、二十匁を五十本だすな、今から届けてきます」
 三太は五十本の蝋燭を油紙で丁寧に包み、更に風呂敷で包んで、神田明神下の菊菱屋を向けて飛び出した。
   「おっと、忘れ物や」店の奥から三太の天秤棒を持ち出し、急いで駆けていった。

   「まいど有難う御座います、ご注文の二十匁蝋燭が入荷しましたのでお届けに上がりました」
 普段の会話では、ベタベタの大坂弁であるが、商売の客に対しては出来る限り江戸の言葉を使うように心掛けている。
   「それは、ご苦労さんでした、代金はおいくらですか?」
 店番をしていた政吉の母親が、帳簿座卓の抽斗を開けて三太の返答をまっている。
   「へえ、一本四十文ですから四朱頂戴します」
   「はい、これ四朱」
   「有難う御座いました」
   「ご足労様でした」
   「あのー奥様、新平は居ないのですか?」
   「新平は、政吉のお伴でお得意様回りをしています、おっつけ戻ると思いますので、待ってやってくださいな、今、お茶とお菓子をお持ちしますので…」
   「へえ、待たせて貰います」
 
 三太でも分かる高級なお茶をよばれ、金鍔(きんつば)を頬張っているところに、新平が一人で戻ってきた。
   「あ、親分いらっしゃい」
   「新平、元気が無いやないか、どうしたんや」
   「若旦那さまのことが気がかりで…」
   「政吉さんがどうかしたのか?」
   「いいや、寄るところがあるから、先に帰ってくれと、どこかへ行ってしまいました」
   「そんなもん、政吉さんは大人やさかい、何処かへ寄ることもあるのやろ」
   「いつもなら、ちゃんと行き先を言って、旦那様や奥様に伝えるようにおおせつかるのですが…」
   「ははぁん、それは女のとこへ行かはったのやろ」
   「親分じゃあるまいし」
   「こら新平、わいが何時女のところへ行った、仮に行ったとして、子供のわいに何ができる」
   「おっ母ちゃんに甘えるみたいなふりして、お乳をモミモミ」
   「どついたろか、わいを変態みたいに言いやがって」
   「一度もしませんでしたか?」
   「しました」

 
 その頃、政吉は大江戸一家の卯之吉に会いに行っていた。
   「卯之さん、京極一家の貸元の噂が耳に入っていませんか?」
   「入っていないが、どうしやした」
   「身体が弱っているそうですので、もしや病に臥しているのでは無いかと思いまして」
   「そうか、京極一家の貸元は、政吉の育ての親だからな」
   「へえ、そうどす、昨夜の夢見が悪かったので、胸騒ぎがして…」
   「よし、わかった、わしからご機嫌伺いの手紙を出してみよう」
   「有難うございます」

 七日後、京極一家から大江戸一家に返事が来た。やはり京極一家の貸元は、床に伏して明日をも知れぬ病で、「豚松に会いたい」と譫言(うわごと)のように言っているのだそうである。
 
 豚松とは、政吉が京極一家に育てられている頃に呼ばれていた渾名(あだ)で、政吉は役者のような男ぶりだが、今でも少々太り気味である。

 知らせを聞いて、政吉は涙を零した。飛んで行って、せめて看病なとしてやりたいと思うのだが、一ヶ月近くも店を実の両親に任せるのも心許ない。政吉は亥之吉に相談することにした。
 
 
   「政吉、行きましょ、貸元はお前の育ての親や、わいも貸元にはお世話になっとります」
 政吉を探して旅を続けていた頃とは違い、最近の両親はめっきり弱くなった。そんな二人と小僧一人に店を任せて旅に出ることは出来ないと、政吉は迷っているのだ。
   「それなら三太を貸しましょ、政吉が留守の間、用心棒とお店の手伝いをさせるのだす」
   「三太はまだ子供どす、用心棒になりますか?」
   「なりますか? とは何だす、わいの指南で三太は強くなっています」
   「へえ、いろいろ手柄は聞いております」
   「そうでっしゃろ、わいが保証します」


 亥之吉と政吉は、「せめて貸元の息がある間に」と、旅支度をして急ぎ旅に出た。

   「わい、また貸三太や」
 ぶつぶつ言いながらも、三太はよく働いた。新平は客の応対を、三太は裏方の仕事を熟(こな)し、菊菱屋政衛門に「頼もしい」と、まで言わしめた。


 その深夜、菊菱屋の戸が叩かれた。新平が戸を開けようと寝床を出たのを、三太が止めた。
   「こんな夜更けに客がくるなんて可怪しい、わいに任せておけ」
 三太が戸口に立った。
   「へえ、何方ですやろ」
   「俺だ、政吉だ」
 若旦那の政吉は、自分のことを「俺」とは言わない。それに政吉は京言葉を使う。
   「忘れ物を取りに帰った、早くここを開けなさい」
 三太は試してやろうと思った。
   「若旦那さまでしたか、今、開けます」
   「早くしろ」
   「ところで若旦那、とり決めた合言葉を言っておくなはれ、狐」
 声の主は考えこんでいるらしい。
   「遊んでいる場合ではない、早く開けないか」
   「狐」
   「稲荷」
 合言葉など決めてはいなかったが、男はでたらめを答えた。その間に守護霊の新三郎が外へ出た。
   『どうやら、盗賊のようです』
 若旦那が旅に出て、夫婦と子供が二人しか居ないことを、賊はよく知っているようだ。三太は奥の部屋に戻ると、旦那夫婦と新平を蔵に隠れるように指示すると、天秤棒を持って、戸口に立った。
   「若旦那、今、開けます」
 三太が潜戸のつっぱり棒を外すと、がらっと戸が開けられ五人の賊が傾れ込んできた。真っ先に入ってきた賊は、いきなり三太を庇った。
   『三太、あっしは新三郎です』
 賊の一人に新三郎が憑いたのだ。三太と新三郎の奮闘で、四人の賊は縄で縛られてしまった。
   「わいが番屋へ行ってきます」
   「三太、その前にあっしを縛ってくだせえ、あっしが抜けるとこの男、凶暴になりやす」
 男を縛り上げると、三太に戻った新三郎と共に、闇の中を突っ走っていった。

 
  第二回 政吉の育ての親(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)

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「第二十一回 若先生の初恋」へ
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「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
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「第二十六回 三太郎、父となる」へ
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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第一回 小僧と太刀持ち 

2014-10-09 | 長編小説
 「チビ三太」と呼ばれる六歳の三太には、中乗り新三というやくざ者の霊が憑いている。この霊は、三太が通っていた「鷹塾」の先生を護っていた守護霊であったが、佐貫鷹之助先生の頼みでチビ三太の守護霊となって江戸までチビ三太に付いてきた。
旅の途中で同い年の新平という少年と出会った。共に江戸へ出てきて、かれこれ二年の月日が流れた。三太、新平とも八歳になり、もうチビ三太とは言えない。

 大坂(今の大阪)の佐貫鷹之助先生も儒学の天満塾を修了して、昆布を商う小倉屋千兵衛の末娘お鶴と祝言を交わした。公家北小路家の元下僕である田路助(たろすけ)と、鷹之助の弟子を志願した九歳の源太を伴い、夫婦仲良く信州上田藩の実家に戻り、藩校明倫堂(めいりんどう)の師範に就任した

 佐貫三太郎は、佐貫家の実子鷹之助が戻ったことで、佐貫の家を継いでいたのを辞退し、町人の身分に戻って町医者になり上田藩の城下に留まるつもりであったが、藩侯の強い希望で藩士に留まることになった。佐貫家の嫡男は鷹之助、佐貫家とは別で医師として藩に留まり、水戸の医者緒方梅庵の義弟として、姓名を緒方三太郎と改めることになった。

 
   「三太、ちょっと使いに行っとくれ」
   「へーぇ」
 雑貨商福島屋の店は、客が希望した商品を店の使用人が店先に持って来て客に見てもらう他のお店(たな)のやり方でなく、お客が商品を陳列している棚から取り、使用人が持った篭に入れて貰い、店先の帳場で計算して客からお代を頂戴するというやり方であった。
 三太は、篭を持ってお客の相手をしていたが、旦那様に呼ばれて近くに居た三番番頭に交代して貰った。
   「あぁ、お客様のお相手をしていたのか、それはお客様に悪いことをしましたな」
   「三番番頭さんが代わってくれました」
   「さよか、お客様が帳場においでになったら、よく謝っときますから心配せんでもええで」
   「へえ、わいもよく謝っときました」
   「お得意さまの角屋さんが、これを届けて欲しいとおっしゃったので、三太が届けておくれ、お代は一分と一朱やが、忙しそうやったら序での時で宜しいですと言っといてや」
   「へえ、行って参ります」
 荷物を抱えて、飛び出していった。後から追うように亥之吉が声をかけた。
   「これ、そんなに急がんでもええ、走って荷物落としなや」
 
 ぱたぱたと、走っていた三太だったが、人通りの途切れた辺りに来ると、ゆっくりと歩いた。行く先に十歳前後の子供たちが待ち伏せをしているのだ。三太がその前を通り過ぎようとすると、ぱらぱらっと飛び出して三太を囲んだ。数えると七人居た。
   「こら待て」
   「何や?」
 子供たちは、三太の言葉を聞いて嗤った。
   「なにが可笑しいのや」
 一人が三太の口真似をしたので、七人がどっと嘲笑った。
   「上方言葉が可笑しいのか?」
 七人のなかで一番背が高いのが三太に突っ掛かってきた。ガキ大将はこいつだろうと三太は思った。
   「お前、よそ者の癖に態度がでかいぞ」
   「何でよそもんは小さくなってないとあかんのや」
   「生意気なやつ、やつけてしまえ」
 三太は傍らに荷物をそっと置くと、両手を真横に掌を広げて「待て」と叫んだ。
   「わいは仕事の途中や、お前らと遊んでいては仕事にならん、喧嘩は後にしてくれ」
 背の高いのが他の者に命令した。
   「構わん、叩きのめせ!」
   「待てと言うのが分からんのか」
 三太はガキ大将を「キッ」と、睨みつけた。
   「喧嘩に待ったはない」
   「この商品を先様にお届けしたら必ずここへ戻るさかいに、それから叩きのめしてくれ」
 ガキ大将は、「この商品」と聞いて、帰りは代金を持っていると踏んだらしい。
   「こいつ、度胸があるじゃねぇか、よし、待ってやる」

 荷物を角屋に届けると、受け取った番頭は代金を支払うから待ってくれと三太を止めた。
   「番頭さん、すみまへん、代金は序でのときに店に届けてくれまへんやろか」
   「何故だ?」
   「わい、そこで悪ガキに襲われています、そこへ大金を持って行ったら、奪われてしまいます」
   「ああ、あの悪ガキどもか、仕方のない奴らだ」
   「番頭さん、知ってはりますのか?」
   「弱いもの虐めをしては小銭を脅し取るので、この辺の鼻つまみ者です」
   「役人は何もしないのですか?」
   「彼奴等の中に、その役人の息子も居るそうなのだ」
   「ちぇっ、酷い話ですなぁ」

 三太用の天秤棒は店に置いてきた。素手で戦ったのでは相手は多勢、一気にかかってくれば三太に勝ち目はない。ここは黙って殴られてやるかと、三太は覚悟を決めて角屋を出た。

   「新さんに出張ってもらう程のことではおまへん」
   『三太がやられるところは見たくないですぜ』
   「まあ、舌先三寸で向かってみる、殺されることはないやろ、最後の締めは新さんお願いします」

 さっきの場所に戻って来ると、悪ガキ七人が雁首揃えて待っていた。
   「兄ちゃんたち、ありがとう、お陰でちゃんと仕事が済ませました」
   「よし、こっちへ来い」
 ガキ大将は、懐からドスを出して、三太の目の前でチラつかせた。 
   「へえ、何処へでも行きます、そやけど殺してしもたら兄ちゃん達、人殺しになるからな」
   「うるせえ、半殺しにしてやる」
   「生意気やというだけで、半殺し?」
   「そうだ、恐いか」
   「いいや、恐くないけど」
   「強がりか?」
   「兄ちゃん達を怒らせてしもうたのやから、仕方がない」
   「いい度胸だ」
 三太は引っ張られて、神社の森に連れてこられた。
   「兄ちゃん、こんな処で殺生したら、神さんの罰があたりまっせ」
   「神さんは見ていない」
   「それは間違いだす、神さんは怒ってはります」
   「何処で?」
   「見えまへんか? ほれ、あの木の上や」
 ガキ大将が見上げると、一陣の風が吹いて木の葉が伍・六枚パラパラっと降ってきた。ガキ大将の顔が不安げになったのを見定めて三太が叫んだ。
   「あっ、神様、何でもおまへん、わいらはただ遊んでいるだけです」
   「お前には、神様が見えるのか?」
   「へえ、生まれつき神様や仏様や幽霊が見えるのです」
   「それで、俺たちを庇ってくれたのか?」
   「そうです、わい一人を虐めたくらいで、罰があたってはお兄ちゃんたちが気の毒ですから」
   「ふーん、それで神様は今何をしている?」
   「あっ、お兄ちゃんの中に入って行った」
   「俺の中?」
 その時、ガキ大将は神の声を聞いたように思った。
   『悪い子はいねがー、苛めっ子はいねがー』
   「居ません、居ません」
 ガキ大将は、狂ったように首を振った。

 ガキどもはわけが解らないまま、ガキ大将に付いて逃げていった。
   「新さん、何て言ったのや」
   『悪い子はいねがー、苛めっ子はいねがー』
   「ナマハゲやないか」

 三太は、福島屋の店に戻ってきた。
   「旦那様、行って参りました」
   「はい、ご苦労さん、それで代金は渡してくれましたか?」
   「行く途中で、悪ガキたちに囲まれましたので、わいが持って帰りよると恐喝されそうなので、代金は序でのときにお店へとお願いしました」
   「そうか、心配しとったのや、相手に怪我をさせていませんかな?」
   「何や、そっちの心配かいな、大丈夫だす」

 三太は、亥之吉の一人息子、五歳になる辰吉の兄がわりである。
   「三太兄ちゃん、喧嘩したのか?」
   「してないよ」
   「何や、三太兄ちゃんが喧嘩するとこ見たいのに」
   「何で見たいと思うのや」
   「三太兄ちゃん、天秤棒持たしたら強いもん」
   「お商売のお使いに、邪魔になるから天秤棒は持って行かへん」
   「ほんなら、これから俺が天秤棒を持って三太兄ちゃんに付いて行く」
   「相撲の太刀持ちみたいなものやな」
   「その代わり、喧嘩してや」
   「わいは師匠の言い付けを守って、自分から喧嘩なんか仕掛けることはしまへん」
   「なんや、しょーもない」
   「それより、坊っちゃんもそろそろ棒術習わんとあかんな」
   「坊っちゃんなんか言うな、弟やから辰吉でええと言うているやろ」
   「そやかて、わいはこの店の使用人やさかい、そう言う訳にはいかん」

 辰吉は不満そうであるが、他の使用人の手前もあって、主の子供を呼び捨てにはできない。
   「三太、かまへんかまへん、辰吉が三太お兄ちゃんと呼んでいるのに、お前がお坊ちゃんでは辰吉の立場が無いやろ」
   「番頭さんたちに叱られます」
   「主人のわいが、かまへんと言うているのに、何で番頭に気兼ねしますのや」
   「分相応ということがあります、辰吉坊っちゃんには、三太と呼んでほしいものだす」
   「わかった、それやったら、三太をわしの養子にします、それでどうや」
   「ご嫡男がいらっしゃるのに、どこの世界に養子をとる人が居ます」
   「ここにおるやないか」

   第一回 小僧と太刀持ち(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)
 
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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 最終回 花のお江戸

2014-10-06 | 長編小説

    江戸の土を踏んだとき、三太が亥之吉にお願いをした。
   「わい、江戸へ来たら真っ先にやりたいことがおますねん」
   「そうか、千代田のお城見物か?」
   「そんなもん、見たくもありまへん」
   「これっ、そんなもんとは何だす、お役人に聞こえたらこれだっせ」
 亥之吉は、首を斬られる手振りをした。
   「お寺参りがしたいのです」
   「どこのお寺や?」
   「経念寺(きょうねんじ)です」
   「どこかで聞いたような気がするが、知り合いの墓でもあるのか?」
   「へえ、知り合いも何も、わいの守護霊新三郎さんのお墓だす」
   「ああそうか、それは良いことや、わたいも一緒にお参りしましょ」

 三太から寺の場所を訊くと、ここから二刻(ふたとき=4時間)もあれば往復できる場所である。ゆっくりお参りをしても夕刻までには亥之吉のお店に着ける。
   「三太、そんな場所を良く知っていなさるな」
   「当たりまえのコンコンチキでえ、本人の新さんがわいの中に居まさあね」
   「なんや、江戸へ来たとたんに江戸っ子になったのや」
   「あたぼうよ、神田の生まれだい」
   「嘘つきなきれ、おまはんは大坂(今の大阪)の生まれだす」

 昼前に経念寺に着いた。
   「たのもー」と、三太。
   「おやおや、まるで道場破りや」
亥之吉が呆れて三太を見た。
 
   「はい、拙僧は悠寛と申します、何方様でいらっしゃいますか?」
   「わたいは京橋銀座で雑貨商を営んでおります福島屋亥之吉でおます」
   「わいは、三太、この子は新平だす」
   「左様ですか、して、ご用の向きは?」
   「いやいや、ただのお墓参りで御座いますが、お墓を立ててくださった亮啓(りょうけい)和尚に一言お礼をと思いまして」三太が答えた。
   「何方のお墓でございますか?」
   「俗名、木曽の新三郎さんでございます」
   「そうでしたか、私は新三郎さんの霊のお告げで命を救われ、この寺へ来た者です」

 三太は、新三郎に尋ねた。
   「覚えている?」
   「覚えていますよ、この悠寛さんは元、久五郎という博打うちでさあ」

   「只今、住職を呼んで参ります、暫くお待ちを」
 この人が元侠客だとは思えぬ物静かな僧侶であった。

   「お待たせしました、拙僧が亮啓でございます」
   「わいは三太だす」
   「はて、拙僧が知り申す三太どのは、もう二十歳を超えている筈ですが」
   「その三太さんは、いまは佐貫三太郎さんというお侍だす」
   「そうでしたね」
   「わいは和尚とは初めてお目にかかりますが、わいのなかに新三郎さんが居ます」
   「それは懐かしい、ちょっと失礼して、胸に手を当てさせてくだされ」
   「ちょっと待ってください、懐に狐の仔が入っています」
 コン太を懐からだして、地上に置いてやると、コン太は大きな欠伸をしてキョロキョロ辺りを見回している。
   「どうぞ、懐に手を当ててください」
 三太は着物の襟を開いた。亮啓はそっと手を入れた。
   「こちょば」と、三太は肩を揺すぶる。
   「しーっ、黙って」
   『亮啓和尚、お久しぶりでございます』
   「おお、新さんかい、お達者でしたか… 霊にお達者でもないか」
   『まだ、今生で彷徨っておりやす』
   「今度は、阿弥陀様も許されていらっしゃいますので、心置きなく今生に留まれますな」
   『へい、今はこの三太の守護霊でございます』

 見ていた悠寛が、自分もと三太の懐に手を突っ込んだ。
   「ひゃー、こちょばい」
   「我慢、我慢」と悠寛。
   
   「新さん、お久しぶりです、久五郎(悠寛)です。
   『立派な和尚になられましたな』
   「いや、まだまだ沙弥(しゃみ)の粋を出ておりません」
   『亮啓和尚、あっしはこうしていると能見数馬さんを思い出します』
   「そうでしたねぇ、拙僧が初めて新三郎どのと話をしたのは、数馬さんを介してでした」
   『数馬さんも擽(くすぐ)ったくて、歯を喰いしばっていました』

 亮啓が、三太の懐から手を抜いて、両手を合せて頭を下げた。
   「では、新三郎さんのお墓にご案内しましょう」
 亮啓が先頭に立ち、三人を案内して、悠寛が後ろに付いて歩いた。墓石には、「俗名新三郎の墓」と、刻んであった。
   『ここへ来たら何時も思うのですが、自分の墓を自分でお参りするのは、妙なものです』
 三太が、思わぬことを言い出した。「新さんのお骨が見たい」というのだ。
   「はいはい、見てあげてください、悠寛、石棺お開けしなさい」
   『髑髏だけですぜ、そんなものが見たいのですか?』
   「へえ、生きていた頃の新さんを想像するのです」
   『格好良く想像してくだせえよ、市川團十郎みたいな』
   「そんなことを言わないでください、頭から役者絵の顔が離れへんやないですか」
   『♪やくざ渡世の白無垢鉄火、ほんにしがねえ渡り鳥、木曽の生れよ、中乗新三』
   「へんな唄歌わんといて、縞の合羽と三度笠しか浮かばない」
 悠寛が石棺を開け、骨箱を丁重に出してくれた。蓋をあけると、黒褐色の髑髏が見えた。
   『どうだ、男前か? 恐くないか?』
   「もう、煩いなぁ、想像できへん」
   「では、このくらいで石棺に収めましょう」と、悠寛が骨箱の蓋を閉めた。
   「何のこっちゃ」 

 三太は着物をはだけ、腹に巻いていた鷹之助先生が用意してくれた路銀と、首から下げた巾着を外すと、悠寛に渡した。
   「路銀の残りですけど、もう要らなくなったので、新さんの供養に使ってください」
 新平も、巾着を取り出すと、悠寛に渡した。
   「お預かりいたします」
 亮啓が、合掌して頭を下げた。

   「江戸に居るあいだ、また何度もお参りにきます」
 三太と新平は、ペコンと頭を下げた。遅れて亥之吉が合掌した。
   「お手数をとらせました、これにて失礼いたします」
 亥之吉が言うと、亮啓、悠寛両和尚が合掌して見送ってくれた。

 
 コン太は、寺からずっと歩いて付いてきていたが、途中で座り込んでしまった。疲れたのだ。三太は抱き上げて懐へ入れると、まるまって寝ようとした。三太はコン太の頭を外に出し、指でコン太の瞼を開け、「ふーっ」と吹いた。
   「コン太、今日からワン太に名前が変わるのや、ええか」
 コン太は怒って、着物の襟を噛んだ。

 途中、昼食をとって、福島屋の店先についたら、もう夕刻であった。
   「お絹、今戻ったで」
 使用人が集まって来た。
   「旦那様、お帰りなさい」
 亥之吉の女房お絹が、前垂れで手を吹きながら、暖簾を頭で分けて出てきた」
   「旦那さん、お帰り、ご苦労さまだした」
   「ああ、お絹、留守頼んで済まなんだ、変わりはないか?」
   「へえ、番頭さんたちがよくやってくれましたので、労ってやってください」
   「番頭さん、みんな、済まんことだした、今月はお手当はずまんといけまへんなァ」
   「へい、有難うございます」
   「何や、遠慮せえへんのかいな」
   「しませーん」

   「みんなに紹介します、この子がしっかり者の三太だす」
   「しっかり者の三太だす、どうぞよろしくお願いします」
   「自分でしっかり者と言う人がありますかいな」
 亥之吉、苦笑する。
   「こっちの子は苦労していますから、温和しくてよく気がつく新平だす」
   「温和しくてよく気がつく新平です、よろしくお願いします」
   「真似しなさんな」

 そこへ、菊菱屋政衛門の長男、政吉がやって来た。
   「兄ぃ、お久しぶりどす、兄ぃが小僧さんを二人連れてきたと聞いてやってきました」
   「誰に聞いたのや」
   「へい、たった今、卯之吉さんとそこで会いまして…」
   「ああ、さよか、何や? 一人狙っとるのか?」
   「そんな、イタチが鶏狙っているように言いなさんな」
   「ほんなら、猫が鼠をか?」
   「だれが鼠やねん」と、三太がふくれている。
   「ほれ、子供たちが怒っているやおまへんか」
   「堪忍や」
   「素直な旦那はんやなぁ、福島屋さんがよかったら、一人うちへ回してもらおうと思いまして」
   「三太は、わしの棒術の弟子になるのやさかいにあかんで」
   「三太て、その真っ黒けの顔をした方か?」
   「人のこと、黒鼠みたいに言うな」
三太がむかついている。
   「うちは、女の人相手の店やから、そっちの可愛らしい顔をした子が宜しおます」
   「わいは可愛らしくないのか」
   「こっちの子、三太というのか? あんたは男らしくて、強そうで、格好よろしおます」
 三太、にっこりと笑って、
   「それならよろしおます」

 結局、新平が菊菱屋の小僧になることになった。政吉は、ちょっと太めであるが、顔立ちは役者のようで、女にもてるらしい。菊菱屋は、櫛や簪など女の小間物を商う店で、使用人は居ない。両親と息子三人でやっている店だ。

 政吉は、赤ん坊の時に人さらいに連れ去られ、京へ売られたが、買った夫婦に諦めていた実子が生まれたことから、侠客一家の親分に「この子を処分してくれ」と、頼んだ。この親分とは、亥之吉と親しい京極一家の貸し元で、それを聞いて「処分とは何だ」と、激怒した。この政吉は、十四歳まで京極一家で育てられ、後は二代目になる筈だったが、政吉の頼みで亥之吉に連れられて親探しの旅にでた。

   「新平は、おっ母さんに捨てられたのか?」
   「いいえ、おいらが居ると、おっ母の邪魔になるようなので、三太の親分に付いて江戸へきました」

 落ち着く先が決まって、三太と新平はほっとしたが、江戸の町は将軍様のお膝元なので不安もある。上方では言いたい放題だったことも、江戸では言えないのである。

 だが、「頑張っていこうな」と、三太と新平は兄弟のように手を取り励まし合った。

  第四十三回 花のお江戸(最終回) (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第四十二回 卯之吉、お出迎え

2014-10-05 | 長編小説
 保土ヶ谷宿の帷子橋(かたびらばし)中程で腰を下ろして溜息をついている女の傍に寄り、亥之吉は声を掛けた。
   「お絹、お絹じゃないか、お前どうしてこんなところに…」
 女は驚いて顔を上げた。
   「おっ、これは失礼しました、女房とよく似ていたので、申し訳おまへん」
 亥之吉は頭を下げて謝った。
   「いいえ、どういたしまして」
 女も、丁寧に頭を下げた。
   「お兄さん、お願いがあります」
   「へえ、わたいに出来ることでしたら、なんなりと」
   「わたくしの躯を買ってくださいませんか?」
   「えっ、お姉さんのようなお方が何故だす」
   「掏摸に遭いまして、有り金全部盗られてしまい、今夜の旅籠代もありません」
   「それはお気の毒でした、それにしてもそこまでしはないでも、平旅籠で働かせてもらったら、路銀にはなりまっせ」
   「こんな素性のわからない女を使ってくれるでしょうか」
   「お姉さん、お綺麗だすさかい、何処でも歓迎されますわ」
   「綺麗だなんて…」
   「わたいも二分(ぶ)ばかりだすが、差し上げます、路銀の足しにしておくなはれ」
   「えっ、本当でございますか? 有難う存じます」
   「お姉さん、お一人旅だすか?」
   「わたくしは人妻でして、夫は博徒で、それも半かぶち(親分を持たない博徒)です」
 二年前に、旅に出ると言って出たまま未だに帰らず、生きているのやら、野垂れ死にをしたのやら、音沙汰もなく、居てもたってもおれず、普段夫との会話の中で「浪花」の話をしていたのを思い出して、後追い旅をしているのだという。
   「では、早くご亭主が見つかりますように祈っとります」
   「ありがとう御座いました、お言葉に甘えて、この金子頂戴してまいります」
 丁重に礼を言った割には、金を貰った男の名前を尋ねるわけでもなく、女はそそくさと立ち去った。
   
 近くの茶店で亥之吉たち三人が串だんごを頬張り、茶をすすっていると、店の爺が亥之吉に話しかけた。
   「お客さんが、さっきお金をやっていた女は美人局(つつもたせ)ですよ、お気付きでしたか?」
   「へえ、感付いておりました、向こうの木陰でチラチラと、わたいの方を伺っている男がおりますので、多分あれが相棒かと…」
   「そうです、そうです、それを承知でお金をやったのですか?」
   「有り金全部奪われるよりも、ましかと思いまして」
   「そうでしたか、それは賢明でした、罠にはまってからだと、半殺しにされかねません」
 半殺しと聞いて亥之吉は、「しまった」と思った。それなら態と罠に嵌(はま)って、あの男を叩きのめしてやったのにと、悔しがった。

 茶店を出て暫く行くと、どうしたことか金貨二分を与えた女が引き返してきた。
   「お兄さん、ちょっとお待ちくださいな」
   「どうしはりました?」
   「お名前を訊いておくのを忘れました、わたくしは小万(おまん)と申します」
   「わいは江戸の商人、福島屋亥之吉だす」
   「お店のご主人でしたか、わたくしはまた、お百姓さんかと思いました」
   「この棒の所為ですか、肥担桶(こえたご)を担ぐ天秤棒だすさかい」
   「失礼をいたしました」
   「いえ、それはかいませんが、態々引っ返してきはったのは、まだ何かご用が…」
   「やはり、ただお金を頂戴するのも申し訳なくて…」
   「それはええのだす」
   「せめて今夜、夫婦としてご一緒に旅籠で」
   「ごらんのように、わたいには二人の子供がいましてな、こいつらが大人の男女がすることをよく知っとるのですわ」
   「こんなことや、そんなことも知っていなさるのですか?」
   「へえ、そればかりやおません、あんなことまで知っているのです」
   「何のこっちゃ」三太が呟(つぶや)いた。

 ほっといて行こうとする亥之吉に、女はまとわり付いてきた。
   「ねえ兄さん、よろしいじゃありませんか」
   「あきまへん、子供が見とります」
 その時、博打うち風の男が飛び出してきた。
   「おい、そこな兄さん、わしの女房に何をするのだ」
   「へえー、あんさんの女房だしたのか、あんさん、この女房を置いて旅に出たのやおまへんのか?」
   「馬鹿言え、おい等は女房と二人旅でえ」
   「さよか、この女、嘘つきだすな」
   「何ぬかす、おい等の女房に手を出した責任はどうしてくれるのだ」
   「まだ、手も足も褌の中身も出しとりません」
   「やらしい」と、三太が呟く。
   「今、おい等の女房の肩を抱いていたではないか」
   「あほなことを言いなさんな、こんな美人局の女を、誰が抱きますかいな」
   「言い逃れをするのか」
   「最初から、お前らが美人局だということを見抜いておりましたんや」
   「この野郎、温和しくしていれば、舐めた口を…」
   「なら、どうするのです?」
   「女房を寝盗ろうとした罰だ、有り金出してもらおうか」
 男は懐から匕首を出した。
   「本性をさらけだしたな」 
 亥之吉は天秤棒を立てて右手で持ち、相手が出てくるのを待った。男は匕首を順手に持って突きつけ、左右に振り回しながら亥之吉に近付いてきた。

 亥之吉は仁王立ちのまま、微動だせずに相手が更に近付くのを待った。それを無防備とでも思ったのか、男は亥之吉の心の臓を目掛けて跳び込んできた。
 
 亥之吉は天秤棒を立てたまま、左に振って匕首を跳ね飛ばした。匕首は傍(かたわ)らの石に当たって、チャンと音を立てて亥之吉の居る方へ跳ね返ってきたのを、足で蹴って傍らの水溝へ落とした。慌てて匕首を拾おうとした男の尻を天秤棒で突いたので、男はもんどり打って水溝へ頭から突っ込んだ。
   「匕首は見つかりましたかな?」
 その時、亥之吉の後ろで三太が叫んだ。振り向くと、女が三太を左手で抱え込んで、右手で三太に匕首を突きつけていた。だが、次の瞬間女が悲鳴を上げた。三太の懐から顔をだした狐のコン太が、女の腕に噛み付いていた。甘噛みでさえ、仔狐の歯は針のように尖って痛いのに、コン太は思い切り噛み付いていた。女は三太を突き放すと、腰が抜けたかのように、這って男の元へ行こうとしていた。

   「美人局のおばちゃん堪忍な、こいつ狐ですねん、犬と違って加減をしらんから痛かったやろ」
 三太は、女をいたわった割には、大笑いしていた。

 二分(ぶ)は取り返すことなく、しかも美人局を許してやることにした。
   「お前ら、ええかげんに足を洗わんと、そのうちしくじって縛り首になるぜ、お前より喧嘩の強い男はいっぱい居るのや」
   「へい、済まんことでした」
 男は、女に顔を拭いて貰って、街道を上りに向けてしょんぼりと歩いていった。


 神奈川の宿を通り過ぎると、川崎の宿である。やたら渡しの多い東海道で、三太たちも船に慣れるというよりも辟易していた。
   「もうすぐお江戸だす、生き馬の目を抜くというくらい人の動きが早いので、気を付けなはれや」
   「馬の目を抜いて、何に使うのです?」
   「ほんまに抜くわけやあらしまへん、あの早い馬でさえも目を抜かれかねない程やということだす」
   「漢方薬にするのかと思った、目薬とか」
   「あほな洒落を言いなさんな、江戸まで六里半だす、品川の宿でもう一泊してから店へ帰りましょ」
   「へえ、何もかも初めてのことやから、恐いような嬉しいような」
   「おいらは、江戸に馴染めるだろうか」
 新平は、不安そうである。コン太は、あと半年もすれば山へ帰れるかも知れない。それまでは、犬として三太が面倒を見なければならない。

 川崎の宿場町で、亥之吉の親友、やくざ風の男、鵜沼の卯之吉が迎えにきてくれた。
   「親分、ご苦労様です」
 三太は驚いた。新平はふざけて三太のことを親分と呼ぶが、旦那も親分と呼ばれているのだ。
   「卯之さんや、その親分はやめてくれませんか」
   「そうか、亥之吉さんは堅気のお人ですからねえ、では何と呼んだら良いのです?」
   「友達やさかい呼び捨てで宜しおます、わたいも卯之吉と呼び捨てにさせてもらいまっせ」
   「へい、わかりやした、お店へいった時も呼び捨てでよいのですかい?」
   「へえ、宜しいですとも、その方が親しみを持てますさかいに」
   「へい、そうさせてもらいます」
   「ところで卯之吉、誰に頼まれて迎えに来てくれたのや、お絹か?」
   「いえ、大江戸一家の貸元です」
   「貸元がどうしてわたいなんかの迎えに、卯之吉を寄こしたのです」
   「用心棒らしいです」
   「えらい心強い用心棒だすな」
   「面目ない」
 亥之吉が三太と新平の紹介をした。
   「この子等が三太と新平、懐の犬はコン太だす」
   「鵜沼の卯之吉です、おやぶ… いや亥之吉、これは犬ではねえですぜ」
   「分かったか、どうも名前がいけまへんな」
   「ほな、ワン吉にしますわ」と、三太。


 品川の宿では、四人で相部屋になった。亥之吉と卯之吉は、近くに居てもなかなか話をする機会がなかったらしく、夜遅くまでぼそぼそと話をしていた。

 翌朝、日本橋を渡った。京橋銀座(今の銀座二丁目辺り) までは眼と鼻の先である。
   「まだ朝なのに、えらいたくさんの人通りだすな」
   「よう、前を見て歩きや、きょろきょろしていたら、人に突き当たって跳ね飛ばされまっせ」

  第四十二回 卯之吉、お出迎え(終) -最終回に続く- (原稿用紙13枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第四十一回 寺小姓桔梗之助

2014-10-03 | 長編小説
箱根八里を越えて、小田原の宿で三太と新平は馬子と別れた。三太達の前を歩いていた十四・五の男が、よろよろっとよろけた。運悪く前から来た侍の前で倒れて、侍の腰のものに掴まってしまった。
   『この痴れ者、武士の魂を杖代わりにするとは無礼千万、手討ちにしてくれよう』
 てっきり、この侍は若い男を斬ろうとするに違いないと、思わず三太は飛び出していった。
   「不意に眩暈(めまい)がしまして、大変ご無礼いたしました」
 若い男は、額を土につけて謝った。三太が「待ってください」と、侍に声をかけようとした時、侍はにっこりと笑った。
   「いやいや、何のこれきしのことで土下座まですることは御座らぬ」
 若い男は、拍子抜けしたように顔を上げてきょとんとしている。その様子に、三太は違和感を憶えた。何だか若い男は不服そうなのである。
   「こんなご無礼をして、決して無事で済むとは心得ておりませぬ、どうぞご存分になさってくださいませ」
   「良い、良い、拙者は何とも思っておらぬ、気にするな」
 侍は、腰の物を差しなおすと、さっさと行ってしまった。三太は、さりげ無く若い男を見ていたが、眩暈がしてよろけたにしては態(わざ)とらしかったうえ、侍から財布を抜き取った様子もない。

   「新さん、あの男どうしたんやろか」
   『三太、気付かなかったか、あの男、殺されたいようですぜ』
   「どうしたのやろ?」

 新三郎と話していたら、亥之吉が若い男に近付いて言った。
   「もしもし、お若い方、どうされました?」
   「えっ」
 男は振り返って驚いている。
   「あんさん、さっきの侍に斬られようとしましたやろ」
   「何故です」
   「それは、こっちが聞きたいことだす」
   「いえ、そんなことはありません、ただ眩暈がしてよろけたのです」
   「それは嘘ですやろ、あんさん、態とよろけはりましたで」
   「お言葉がけ、ありがとうございます、先を急ぎますので失礼いたします」
 身形は町人風だが、言葉遣いと言い、行儀の良い仕草と言い、どうやら武家の出だと亥之吉は見た。
   「待ちなはれ、話を聞いてあげましょ、話してすっきりしなはれ、ことによっては、お味方をさせてもらいまっせ」
   「ご親切は身に沁みますが、他人に話してどうなることではありません」
   「やっぱりそうか、何か訳がありそうでおますな」
 流石、大人の亥之吉である。どうやら訳を聞き出せそうだ。
   「わたいは、江戸商人で京橋銀座の福島屋亥之吉と申します」
   「わたしは、訳あって寺の名と私の姓は出せませんが、寺小姓の桔梗之助と申します」
 貧乏武家の五男坊の桔梗之助は、行儀作法と学問の為にとの名目で売られて寺小姓になった。小姓は出家しておらず、ご住職の身の回りの世話をする下男のような役割である。ただ、寺小姓の場合は、僧侶に妻帯を許されていない宗派があり、その慰みに陰間として夜伽をさせられていたのだ。
   「私が居た寺に、よく私と同年代の娘がお参りに来ていました」

 その娘に、一声かけて、それが切っ掛けで仲良くなった。楽しく話をしているところを僧侶に見られて住職に告げ口されたことから、こっ酷く住職に叱られ、暫くは蔵に閉じ込められていた。その所為で娘に逢うことが出来ず、涙が止めどなく流れ落ち、これは恋なのだと知ることになった。
   「その娘さんに縁談が来て、親同士の話し合いで嫁にいってしまいました」
 その後は、住職の寝屋の伽が辛くなり、とうとう寺を逃げ出してしまったのだという。だが、桔梗之助は親に売られた身である。寺から親元へ文句が行くだろう。逃げて行くあてもなく、実家へも戻れず、恋に敗れた辛さにも耐えられず、とはいえ自害をすれば地獄に堕ちると教えられている。そこで思いついたのが無礼討ちであったのだ。
   「買われたものなら、わたいが金を出しましょう、親御さんに買い戻してもらいましょう、初恋は生涯忘れることは出来まへんが、敗れた痛みは癒えます、さあ、生きることを考えましょ」
 亥之吉は、今から桔梗之助の実家へ行って、親と相対する積りである。
   「いえ、それはそれで親たちが辛い思いをします、どうぞ捨て置いてくださいませ」
   「話を聞き出しておいて、捨て置いたのでは、わたいの気が済みません」

 だが桔梗之助は、決して姓を明かそうとはしなかった。
   「父や兄たちの迷惑になります、どうか察してください」
   「では、寺へ参ろう、わたいが金を出して、あんたを江戸へ連れて行きます」
   「それもご勘弁を…」
   「わたいの相手をさせようと言うのやおませんで、お前さんを立派な商人にして見せます」
 桔梗之助の心が、少し動いたようである。
   「桔梗之助さん、気が付きませんでしたか、わたいらはただの旅人やおません、あの子の懐にいるのは狐だす、あの子は稲荷大明神から他心通(たしんつう)を授かってとります」
   「他人の心が読めるのですか?」
   「そうだす、三太、この人の居た寺の名前は何だす」
 聞かれるまえに、新三郎が探っていたらしい。
   「本山妙開寺だす」
   「それ、この通り間違いはおませんやろ」
   「はい」
 桔梗之助は驚いたと共に、素直になった。
   「お名前は、桔梗之助は仮の名で、ご本名は掛川留五郎だす」
 訊かれるまえに、三太が言った。
   「はい、左様でございます」
   「親元にも、寺にも納得して貰えるように話を付けましょ、桔梗之助さん、江戸へ来て町人になる気はおますか?」
   「はい」
   「元の鞘に丸く収めてやっても良いのだすよ」
   「江戸へ行きます」
   「さよか、ではまず妙開寺へ行って話をつけてきましょう」

 妙開寺住職は、本堂で経を読んでいる最中に、体中で大日如来の御意思が伝わった。いうまでもなく、新三郎の悪戯である。
   『そなたは稚児を買い、己の欲望のためにその者の自由を奪っておるな』
   「はい?」
   『その者、桔梗之助はその所為で悩み苦しんでおる』
   「拙僧は虐めたりはせずに、ただ可愛がっているだけでございますが」
   『檀家の娘と話をしただけで、蔵へ閉じ込め三日三晩食事を与えなかったであろう』
   「それは…」
   『仏に仕える僧侶とも思えぬ行為、地獄に墜してくれようぞ』
   「寺小姓を置くことはご法度ではございません、他の寺でも置いていることです」
   『安心せい、他の寺も仏の意思にそぐわぬものは、残らず地獄に墜とそう」
   「子供の頃に出家をして、もう三十年も仏様に仕えてきた拙僧が、地獄に墜ちるのですか」
   『自らの行いを悔い改めぬからは、それも仕方がなかろう』
   「如来様、悔い改めます、どうぞお許しくださいませ」
   『さようか、では此の度は許して進ぜよう、桔梗之助が間もなく戻って参ろう、その方の対処を見せてもらうぞ』
   「はい、ありがとう御座います」

 暫くして、門前に桔梗之助が佇(たたず)んだ。当寺の修行僧が声をかけた。
   「桔梗之助どの、帰って参られたか、ご住職が心配なされていましたぞ」
   「申し訳ありませんでした」
   「ささ、なにはともあれ、ご住職にお会いなされ」
   「はい」
 
 住職は、自(みずか)ら本堂の縁側に立たれて桔梗之助を待っていた。
   「桔梗之助、よくぞ帰ってくれました」
   「は、はい」
   「いやいや、今まで通り寺小姓に收まれ言わぬ、お前はもう自由の身だ」
   「えっ、本当でございますか」
   「嘘は申さぬ、今までよく拙僧に仕えてくれました」
 桔梗之助が十八歳になった暁には、足軽株を買わせようと貯めて置いた金が、まだ二十両ばかりではあるがと、住職は桔梗之助に差し出した。
   「お前の父親に渡した金は、返してくれとは申さぬ」
   「和尚さま、ありがとう御座います、桔梗之助は、町人留五郎になって江戸へ参ります」
   「江戸で働くのか?」
   「はい、商人になりとう御座います」
   「そうか、どこかあてがあるのか?」
   「はい、雑貨商の旦那様が、江戸へ来ないかとお声がけくださいました」
   「そうか、それはよかった」
 と、言って住職は「はーっ」と溜息をついた。内心は、桔梗之助を手放したくはないのだ。
   「桔梗之助、もう辛い勤めはさせないと誓う、どうだろう思い直して戻ってきてはくれまいか、わしはそなたが愛しい」
   「申し訳ありまませぬが、桔梗之助は江戸へ参ります」
   「そうか、それでは仕方がない、もし気持ちが変わったら、何時でも戻ってきてくれ」
 僧侶の目は、こころなしか潤んでいるように見えた。

 住職と別れたその足で桔梗之助いや、留五郎の実家へ向かった。

   「馬鹿者、何故あと四年耐えられなかった、父はお前に足軽株を買わせて、苗字帯刀を許されたお前を見たかった」
   「申し訳ありません、留五郎は意気地なしで御座います」
   「お住職より受け取った金は、一文も減らさずこれにある、父は今から返しに参る」
   「それには及ばないと、和尚様はおっしゃいました」
   「そう言う訳にはいかない、お前が足軽になるのが嫌であれば、この金は無用だ」
   「では、今までのお手当だとして、二十両頂戴しました、これを置いて行きます」
   「路銀はとってあるのか?」
   「実は、わたしにお声をかけて下さった商人の福島屋の旦那様が連れていってくださいます」
   「そこに御出なされるのか?」
   「はい」
   「では、お会いして、お前のことをお願いしよう」
 亥之吉が、留五郎の案内で屋敷の中へ入った。

   「福島屋どのでござるか、この度は倅がご厄介になるそうで、誠に有難うございます」
   「あ、いえいえ、お武家様が町人のわたいに頭をお下げになるのはお止めください」
   「武士とは名ばかりの二半場(にはんば=御家人の家格)でござってのう、惣領(そうりょう=長男)に跡目を継がせることができるかどうかも分からぬ身分でござる」

 長男は、不確かながら跡継ぎとして、次男は男の子がいない他家の養子になった。三男は商家の主人に囲われて、自ら陰間となった。四男は出家をして、修行中である。五男の留五郎には、何とか足軽株を買って、最下層であれ武士にしてやりたかったこの父親であった。
   「そうだしたか、留五郎さん、お父上の心のうちをお察しなさいましたか?」
 留五郎は下を向いて黙りこんでいる。暫くの刻をおいて、いきなり父親の前に手をついて、
   「申し訳ありませんでした、父上のお心も知らず、留五郎は不心得者でした」
 父上に捨てられたものと思い込み、世を拗ねていたことを謝り、涙をポロポロと零した。

   「留五郎は寺へ戻り、和尚様にお詫びいたします」
 留五郎は、亥之吉に土下座をして謝り、父に二十両を返してもらうと、脱兎のごとく駈け出して行った。
   
  第四十一回 寺小姓桔梗之助(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第四十回 箱根馬子唄

2014-09-29 | 長編小説

   ◇箱根八里は馬でも越すが
   ◇越すに越されぬ 大井川

   ◇雲か山かと 眺めた峰も
   ◇今じゃわしらの 眠り床

 三島の宿から四里と八丁のところ、標高七丁(750m)弱の高所に、幕府の都合で急遽造られた箱根の宿がある。その箱根の宿から小田原の宿までが四里、合計八里と八丁を「箱根八里」と言ったのだ。

 鈴鹿峠は、雨の中を馬で越えたが、箱根は日本晴である。とは言え、木立の間や山間を越える箱根街道は、「昼なお暗き」と歌われたように、薄暗く険しい、そして長い道のりであった。亥之吉は歩き、三太と新平は馬の背である。

   「なんか、昼間からお化けが出そうや」
 三太は、木々の間から、「ぶらん」と、お化けが下がってきそうな気配を感じて亥之吉を見ると、亥之吉もまた、{キョト、キョト」と上を見て不安げである。
   『あっ、旦那様もお化けが恐いのやな』
 三太は心の中で思った。亥之吉は悪人には強いが、お化けには弱いのだ。以前、女房のお絹に言われたことを亥之吉は思い出していた。
   『一人旅で江戸に向かっても、箱根で怖くなって引き返してくるのやろ』
 あの時は、鵜沼の卯之吉という男と、政吉という少年の連れができた。

   「旦那様、ここでお化けがでたらどうします?」
 三太は亥之吉に尋ねた。
   「そんなわかりきったことを訊くな」
   「わかりきったことだすか?」
   「そうや」
   「わいらを連れて逃げてくれるのですか?」
   「いいや、お前らがお化けに喰われている間に、わい一人で逃げる」
   「この卑怯もん」

 亥之吉が馬方に尋ねた。
   「なあ、馬子さん、この辺でお化けがでたという話はないやろうな」
   「それが、ちょくちょくあるのです」
   「へー、どんな具合に出るのです?」
   「十人連れの旅人さんが、この辺りに差し掛かると、どう数えても九人しかいないのです」
   「えーっ、お化けに連れ去られたのですか?」
   「それが、居なくなった一人の名を、どうしても思い出せないのです」
   「うわぁ、それはまた恐い話ですなあ」
   「どう数えても、一人足りない、どう思い出そうとしても、全部揃っているように思える」
   「へえへえ、一人喰われたのですな」
   「そこで、はっと気がついたのです」
   「何を…」
   「人数を数えている自分を数えるのを忘れていた」
   「そんなもん、どこがお化けの話や、恐がって損をした」

 馬子にからかわれながら、険しい坂を登ったり下ったりの連続で箱根の宿に着いた。事件が起きたのは翌朝のことであった。
   「無い、おいらの財布が消えた」
 三太たちの隣部屋で、若い男が騒いでいる。
   「邯鄲師(かんたんし)だ、この旅籠に邯鄲師がいる、掴まえてくれ!」
 男は今にも泣きそうな顔で、狂ったように叫んでいる。宿の番頭が手代に言いつけて、こっそり役人を呼びに行かせた。
   「今、役人を呼びに行きました、申し訳ありませんが、役人が来る迄、どうぞお立ちになりませんように」
 番頭は泊まり客の足止めをした。泊客とても、疑われたままで出立するわけにはいかない。ぶつぶつ文句を言いながら、それでも役人が来るのを待った。

   「かんたんして、何だす?」
 三太が亥之吉に訊いた。
   「枕探しや、泊客が寝ている部屋に夜中に忍び込んで、布団の下に隠している財布を盗むのや」
   「ああ、あれか、あの人、貴重品は帳場に預けておけばええのに…」
   「それも不安やったのやろ」
 財布を盗られた男の声を聞いていると、財布の中に五両と二分入っていたのだという。男はお店の手代で、実家の母が病に倒れ、せめて薬代を持って帰ってやろうと、自分が貯めていた二両二分と、お店の旦那様に借りた三両を持って帰る途中だそうである。
   「気の毒やなあ、見つかったらええのやけれど、見つからなかったらわいの持っている一両をあげて路銀にしてもらお」
   「三太は、優しいなあ」
   「へえ」

 やがて二人の役人が来て、泊客の衣服改が始まった。一人一人呼びつけて、裸にして調べていた。
   「えっ、女の私も裸になるのですか?」
   「これはお役目である、我慢せい」
   「腰巻まで抑えるのですか?」
   「いや、抑えるだけでは分からぬ、中へ手を入れる」
   「嘘っ、冗談ですよね」
   「お役目である、決して喜んでやるわけではない」
   「お役人さん、涎が垂れているではありませんか」
   「これは涎ではない、涙である」
   「腰巻きの中に手を入れて、何故泣くことがあるのです」
   「辛いお役目であるからのう」
 
 亥之吉も調べられた。
   「そこのお前、いやに褌が膨らんでおる、怪しいやつ」
   「あほなこと言いなさんな、こんな形の財布がありますかいな」
   「それにしても膨らみ過ぎである」
   「そやかて、朝早から叩き起こされて、まだ小便もしていまへんがな」
   「だから何だというのだ」
   「朝勃ちですがな、子供の前でへんなこと言わしなさんな」
   「左様か、ではちょっと触ってみる」
   「あんさん、さっきは女のお腰に手を突っ込んで、今度は男の褌を触るのですか」
   「辛いお役目であるからのう」
   「いいや、両刀使いでっしゃろ」
   「無礼なことをぬかすと、容赦はしないぞ」

 結局、誰からも、どの部屋からも、男の財布は見つからなかった。役人も、何かの間違いであろうと、さっさと引き上げて行った。泊客たちはそれぞれ怒って立っていった。残された男は、項垂(うなだ)れている。
   「おいら、宿賃も払えない、どうすればいいのだ」
 番頭が男の背に手を乗せて、慰めるように言った。
   「余程、手練(てだれ)の枕探しだったようですね、主(あるじ)とも相談しましたが、うちの宿で起きたこと、その五両二分は私どもの方で弁償しましょう」
   「ありがとうございます、助かります」
 男は番頭に何度も頭を下げて、宿を出て行った。三太達も男の後を追うように出立した。

   「おーい、お兄さん」
 男が振り返った。
   「おいらのことでしょうか?」
   「お前さん、上手くやりましたなあ」
   「何が?」
   「あはは、あんさんの芝居だすがな」
 男は恐い形相で、亥之吉に殴りかかってきた。
   「おっと、野暮はよしましょう、他人は騙せても、この亥之吉はだませはしままへんで」
   「くそっ」
 商人のような身形の男が、懐から匕首を出した。
   「やはりそうか、騙(かた)りやったのですな」
 男が斬りつけてきた。亥之吉は「ぱっ」と体を交わすと、天秤棒で匕首を叩き落とした。
   「これ、待ちなはれ、何も掴まえて番屋に突き出すとはいうてまへんやろ」
 男はその場に胡座(あぐら)をかいて、開き直った。
   「さあ、斬るなり突くなり、好きなようにしてくんな」
   「あほ、誰がそんなことしますかいな、あんさんも、大袈裟過ぎます」
   「見逃してくれるというのか?」
   「見逃すも何も、あんなに簡単に騙せるのなら、わいもやってみようかと思いますのや」
 三太が亥之吉の袖を、「クイクイッ」と引いた。
   「止めなせえ、その身形(みなり)、その恰幅(かっぷく)では誰も同情くれませんぜ」
   「さよか、あきまへんかな」
   「わいは三州無宿の勝五郎と申します」
   「おや、三河のお人でしたか」
   「へい、喧嘩はからっきしですので、半かぶちにもなれずに、こんなことをやっとります」
   「わたいは、江戸京橋銀座で雑貨商を営んでいます福島屋亥之吉だす、どうぞお見知り置きを」
   「これは、堅気の衆でしたか、失礼をしました」
   「いやいや、わたいも元は旅鴉でおましてな、方々の貸元さんの世話になっていましたのや」
   「へー、それが今はお店の旦那ですか」
   「勝五郎さんもその気になれば堅気になれます、江戸へ来たら寄っておくなはれ、身の立つようにしてあげましょ」
   「へい、ありがとう存じやす」

 
 勝五郎と別れて、暫く行くと、頼んではいなかったが昨日の馬子が煙草を燻(くゆ)らせながら待っていた。それではと、三太と新平だけ馬に乗り、小田原の宿まで行くことにした。
   「ねえ、旦那様、なんであんな盗賊を逃してやったのです?」
   「捕まれば、刺青もんになり、五年は娑婆に戻れまへんのや、手口を見破られたら、ちと反省するのとちがうか」
   「旦那様、甘い、あんなやつ反省なんかしますかいな」
   「そうやろか、わいはきっとわいを尋ねて江戸へ来ると思いまっせ」
   「旅籠でせしめた五両二分を持って、今頃、盆茣蓙(ぼんござ)を囲んでいると思います」
   「あの男、あんがい真面目と違うやろか」
 亥之吉は、勝五郎の肩を持つ。
   「真面目な男が、あんな騙りをしますかいな」と、三太。


   ◇箱根御番所に 矢倉沢なけりゃ
   ◇連れて逃げましょ お江戸まで

   ◇箱根番所と 新井がなけりゃ
   ◇連れて行きましょ 上方へ
 
 遊女に惚れた男の唄だろう。馬子の歌う『箱根馬子唄』が、箱根山に木霊する。

   「新平、寝たらあかん、馬から転げ墜ちるで」
 
  第四十回 箱根馬子唄(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚) 

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「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
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「第三十四回 又五郎の死」へ
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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第三十九回 荒れ寺の幽霊

2014-09-26 | 長編小説
 沼津の宿を出て三里と二十八丁、三島の宿に着いた。ここから高所にある箱根の宿まで四里と八丁、いくら元気といえども、子供である。続けて八里は無理というもの。少し早いが三島の宿で旅籠をとった。
   「三太と新平は、この旅籠に泊まりなはれ」
 どうやら亥之吉は別の旅籠に泊まるらしい。
   「別れて旅籠をとるのですか?」
   「そうや、わいはあちらの旅籠に泊まる」
   「何ですねん、旅籠賃がもったいないのに」

 亥之吉が三太達に指定した旅籠は、平旅籠である。自分が泊まるといった旅籠は、飯盛旅籠、どこがどう違うのだろうと、三太は思った。
   「親分、旦那様は、わいらが邪魔なのです」
 新平がぽつりと言った。
   「沼津の宿では、同じ部屋やったのに…」
   「大人の都合があるのです、素直にこの宿に泊まりましょう」
   「大人の都合で、飯盛女と遊ぶことか?」
   「知っているじゃないですか」
   「わいらが見ておっても、やればええねん」
   「子供がジーッと見ているところで、あんなことやらしいことは出来ないでしょう」
   「寝た振りをしとくのに…」
   「それも、やらしい」

 旅籠はとったが、日暮れまでに時間があるので、三太達は旅籠に荷物を預け町に出て、コン太のご飯になるものを探すことにした。

 めずらしく、猪(しし)の肉が分けてもらえるところを道行く人に教わった。漁師のおやじさんが山で仕留めた猪を直接もってくる店らしい。
   「何だ、その仔狐の餌にするのなら、皮をただでやるから削って持って行きなさい」
 肉包丁を貸してくれた。肩のあたりは固いので、腹の柔らかいところを削り取れと主(あるじ)は指をさして教えてくれた。生臭い臭いに反応してか、コン太の目が輝いている。
   「お、細かく切ってやらなくても食べられるのやな」
 コン太がむしゃぶりついている。殆どが脂で、こんなのをしょっちゅう食べさせていると、ぷっくりお腹の狸みたいな狐になりそう。
   「うーっ」
 コン太に触ると、餌を横取りされると思ったのか怒る。
   「盗らへんわ、生肉なんか」

 三太達は、しばらく町をぶらつき、三嶋大社に参拝をして宿に戻った。三太達の顔を見るなり、旅籠の番頭が声を掛けてきた。
   「子供さん達、暗くなったら外へでたらいけませんよ」
   「どうしたんや、何かあったのですか?」
   「ここから山の手に二十丁ほど歩いた山裾に、住職の居ない荒れ寺があるのですが、昨夜そこを通ってきた屈強な若者が、幽霊にとり憑かれたようなのです」
   「へー、わいと一緒や」
   「子供さんも、とり憑かれているのですか?」
   「へえ、わいの中におっちゃんの幽霊が居ますのや」
   「夜中に、魘(うな)されたりしないのですか?」
   「全然」
   「良い幽霊ですかねえ」
   「お父っちゃんみたいな優しい幽霊です」
   「それは宜しいですね、でも古寺の女の幽霊はとり憑いたひとを殺すそうです」
   「嘘だす、幽霊は人を恨んだり殺したりはしまへん」
   「そうなら良いのですが…」

 番頭は、子供に言っても仕方ないと思ったのか、それっきり何も言わなくなった。三太たちが部屋に戻ると、帳場で話している言葉が聞こえてきた。幽霊に取り憑かれた男は、気を失ってしまったのだそうである。

   「新さん、何かおかしいすすね」
   「幽霊が人を取り殺す訳がないのだが…」
   「お化けだすやろか」
   「女の幽霊と言っていましたぜ」
   「お化けが女に化けたとか」
   「三太、その男の家が何処か、尋ねてくだせえ」
   「行くのですか?」
   「幽霊に殺されたと噂が立っては阿弥陀様に申し訳ねえ」
   「へー、そんなもんだすか?」

 男の家は、旅籠から三丁ばかり離れたところの畳屋であった。
   「こんにちは」
   「へい、畳のご注文でしたら、主(あるじ)は寝込んでいすので、日を改めてお越しくださいな」
   「いえ、畳の注文やおません、ご病気のご主人に用があってきました」
   「主は、ちゃんと受け答えができる状態じゃありません」
   「知っています、幽霊に取り憑かれたのでおますやろ」
   「それを知って、子供さんが何用でしょうか?」
   「わいは、霊と話しが出来る霊媒師でおます、ご主人に合せてくれませんやろか」
   「そんなことを言って、後で法外なお金をとるのでしょう」
   「わいは子供だす、それに商売で来たのではおませんので、金は一文も貰いまへん、安心しとくなはれ」
   「そうですか、医者に匙を投げられたのです、どうぞ見てやってください」

 男は真っ赤な顔をして、熱のために意識が朦朧としていた。
   「これは…」
 新三郎が見るなり唸った。
   「これはダニに刺されていますぜ」
 本人は気付かないらしいが、赤疣ダニという大型のダニが体に喰いついておこる病気である。新三郎も旅鴉の時期があった。野宿をする旅鴉にはダニは大敵である。
   「奥さんに、虫が喰いついていないか探してもらうのです」
 新三郎に言われた通り、奥さんに話し、調べて貰った。
   「あらっ、こんなに大きな血疣ができています」
 それは、血疣と見紛う大きな膨らみで、痛みも痒みもなく、本人も気がつかないことがある。
   「それはダニだす、引っ張って離してはいけまへん」
 ダニの口が皮膚の奥に残って、病気を重篤なものにしてしまうのだ。新三郎の指図どおりに、酢を入れた杯(さかづき)を被せて暫く抑えていた。やがてダニは苦しくなって、肌に喰い込ませた口を外して死ぬのだ。

   「熱はダニの所為だす、あとは綺麗に焼酎で拭いてあげてください、ここ二・三日、頭を冷やすと、きっと治りますよ」
   「幽霊じゃなかったのですか?」
   「幽霊は、人を呪ったり、殺したりはしまへん」
 礼金を断り、畳屋を出ると、日はとっぷりと暮れて、三太はダニのお化けが出そうな気がした。
   「恐わ、早く旅籠に戻ろう」
   「うん」
   「新さん、あれでええか?」
   「へい、四・五日もすれば、すっかり良くなるでしょう」
   「よかった、これから荒れ寺へ行こうと言われるのやないかと、ビクビクしていた」
   「行こうかい?」
   「いやや、ダニのお化けが出そうで恐い」
   「おいらも恐い」

 帰り道、亥之吉が泊まっている飯盛旅籠の前に来た。
   「旦那様、今頃何をしているのかな?」
   「そんなことに興味を持ったらいけない」
   「新平はよく知っているやろうが、わいは知らん」
 言って三太は「はっ」とした。言ってはいけないことを言ってしまったのだ。新平の母は飯盛女だったが、旅籠を馘首(くび)になると、客を家に連れ込み商売をしていた。客が家に来た折、新平は気を利かせて家の外へ出るのだが、酔った客は新平がまだ家の中に居るのに、母親に絡みつくのだった。
 もう終わっただろうと家に戻ると、あからさまな行為の最中を目撃してしまうこともあった。そんな時は、後で母親に「商売の邪魔をした」と、こっ酷く叱られ、罵られる新平だった。
   「お前なんか、山犬にでも喰われて死んでしまえ」
 母ひとり、子ひとりの生活の中で、絶えず母の口から出た嘲弄(ちょうろう)で、新平の胸深く今も食い込んでいる。
   「ごめんな、嫌なことを言ってしもうた」
   「いいよ、おいら大きくなったら、みんな忘れたふりをして、おっ母に会いに行く」
   「そうか、新平は強いなあ」
   「強くないと思う、すぐ泣くから…」

 三太は、亥之吉が泊まっている飯盛旅籠を覗いてみた。
   「子供さん、どうしたのです、旅籠の中を覗いたりして」
 旅籠の番頭らしい人が声をかけてきた。
   「へえ、ここに、わいのお父っちゃんが泊まっている筈ですが、本当に泊まっているか確かめたくて」
   「お父っちゃんの名前は?」
   「福島屋亥之吉といいます」
   「ああ、その御方なら、確かにお泊りですよ」
   「それを聞いて安心しました、もしや、わいは捨てられたのやないかと思いまして」
   「それは何故?」
   「昨夜までは同じ旅籠、同じ部屋に泊まっていたのに、今日に限って別々やなんて可笑しいと思いました」
   「大丈夫ですよ、大人には大人の都合というものがありまして、今夜はお一人でお仕事をなさっています」
   「一人で仕事だすか、子供が居ては身が入らない仕事があるのですね」
   「そうそう、そうですよ、お父っちゃんを分かってあげてくださいね」
   「へえ、よくわかりました、旅籠に戻って、おとなしく寝ます…くすん」
   「おや、聞き分けの良いお子ですね」
   「ありがとうさんでございました」
   「はい、暗いですから、お気をつけてお戻りなさい」

 陰で聞いていた新平が「くすっ」と笑った。
   「親分、後で叱られますよ」
 三太も「くすっ」と笑った。

 宿に戻ると、客や旅籠の使用人たちが、幽霊の話をしている。
   「子供さん、暗くなったら外へ出たらいけないと言いましたのに、幽霊に取り憑かれますよ」
   「その幽霊の正体を見てきました」
   「えっ、あの荒れ寺へ行ったのですか?」
   「いいや、幽霊に取り憑かれた人に会ってきました」
   「それで、幽霊の正体は?」
   「赤疣ダニの所為でした、あれに食いつかれると、熱が出て譫言を言い、幻を見るのです」
   「それで、その人はどうなりました?」
   「ダニは殺しましたので、四・五日もすれば元気になりますやろ」
   「医者にも見放されたのに、子供さんがよく見つけたのですね」
   「わいは、霊と話しが出来る子供霊媒師だす、霊は人を呪ったり、とり憑いて人を殺したりはしまへん」

 新三郎の受け売りであるが、三太自身もそう思っている。人に嵌(は)められて、無実の罪で処刑された兄定吉は、一度も人を呪ったり、恨んだりして、この世の者に仇なすことは無かったではないか。

  第三十九回 荒れ寺の幽霊(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)
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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第三十八回 貸し三太、四十文

2014-09-23 | 長編小説
   「もしもし、お子達のお父様でいらっしゃいますか?」

 原の宿場を通り過ぎて沼津の宿に近づいたあたりであろうか、年の頃なら二十五・六、色の白い、ややぽっちゃりとした武家の奥方と思しき女が、襟足の解れ毛に何とも言えない色香を漂わせて亥之吉に近付いてきた。
   「へえ、まあそういったところでおます」
   「お父様に折り入ってお願いがございます」
   「どうぞ、何なりと…」
 亥之吉は鼻の下を伸ばしている。
   「お子を一人、わたくしに貸して頂けませんでしょうか?」
   「へ、貸すのですか? 鼠でも捕らせるのでおますか?」
   「わいらは猫か!」
 三太がつっこんできた。
   「いえ、そうではありません」
   「わいは江戸京橋銀座で商いをしています福島屋亥之吉でおますが、あんさんは何方でおます?」
   「申し遅れました、わたくしは沼津藩士、矢崎虎之介の妻、朱鷺(とき)と申します」
   「その御新造さんが町人の子供に何のご用だす」
   「ほんのちょっとで宜しいので、わたくしの実の母にお顔を見せて頂きたいのです」
 話を訊いてみると、お朱鷺は男の子を産んで小虎と名付けたが、三歳の時に流行病にかかって死んだ。最近実家の母が、分別が付かなくなり、ただ孫「小虎の顔が見たい」と駄々を捏ねるようになってしまった。今で言う「痴呆症」であろうか。

   「わかりました、お貸ししましょう」
   「なんでやねん、簡単にお貸ししましょうやなんて、いつ返してもらえるかわからんのに」
 三太は乗気ではないらしい。
   「いえいえ、母に会ってもらったら、直ぐにでもお返ししましょう」
   「そうだすか、ではこの三太をお貸ししましょう」
   「お代金は如何程?」
   「半刻程度でしたら五十文、その後は半刻ごとに百文頂きます」
   「わいの値段なんか、その程度だすか?」
 三太は不服そうである。
   「高いですか? では半刻四十文と半刻すぎる毎に八十文におまけしましょう」
   「誰も、値切ったりしてないやないか」

 沼津の城下町から少し離れたところにあるお朱鷺の実家は、立派な武家屋敷で、父が亡くなり、お朱鷺の兄が跡目を継いで、この人も沼津藩士である。この家の主は、嫁を娶ったのが少し遅くて、まだ内孫が居ない。その所為もあってお朱鷺の母親は外孫ではあるが初孫の小虎に逢いたがるのだろう。
   
   「母上、小虎を連れて参りましたよ」
   「おお、そうかそうか、どれどんなにか大きくなったことでしょう」
   「お祖母様、小虎でおます… じゃなかった… 小虎です」
   「おや、立派に挨拶が出来ました、賢そうな子になりましたねえ」
   「いい子だ、いい子だ」と、祖母は三太の頭を撫でた。
   「今夜は、この婆と一緒に寝ましょうね」
 三太とお朱鷺は「ギクッ」とした。
   「母上、三太は今夜お友達のお屋敷にお呼ばれしています、久しぶりの再会ですので行かせてやってくださいな」
   「そうか、それでは仕方がないのう」
 祖母は残念そうに言ったが、はっと気付いたように、
   「この婆も一緒に行って、ご挨拶をしましょう」
 またまた、「ギクッ」である。
   「男の子同士、つのる話も有りましょう、一人で行かせてやってくださいな」
   「そうかい、婆は邪魔かい」
 祖母は納得したようであったが、そうではなかった。

 三太は、お朱鷺からこっそり四十文を渡された。
   「嘘ですよ、あれは親父の冗談だす、銭なんか要りません」
 三太は外で待たせてあったコン太を懐に入れると、さっさと屋敷を出た。

   「おっ、三太、早かったなあ」
 亥之吉と新平が待っているところまで来ると。後ろからお朱鷺が追いかけてきた。
   「母が三太さんを追って屋敷を出たのですが、お見かけしませんでしたか?」
   「いえ、見ておりまへん、それはえらいことだす」
 こちらへ来ていないということは、反対側の道を行ったということになる。反対側の道の向こうには、池がある。池の傍を歩いて、眩暈でもすれば池に落ちてしまう。
   「反対側の道には、義姉(あね)が走りました、今頃母を見つけて連れ戻ったことでしょう」
 と、言いつつも、お朱鷺は焦っていた。自分が母を騙した為に、母を死なせでもしたら兄に申し訳がたたないのだ。
   「では、御免ください、急いで戻ってみます」
 別れを告げて、お朱鷺は走って戻っていったが、亥之吉たちも心配であった。
   「見届けようか」
 亥之吉がぽつんと言った。
   「へえ、心配だす」
   「おいらも心配です」
 三人は駈け出し、お朱鷺の後を追った。

 屋敷の前まで来ると、お朱鷺が屋敷から飛び出してきた。
   「まだ母も義姉も帰っていません、使用人も母を探して屋敷をでたようです」
 屋敷の中には、女中が二人残っているようであった。
   「物騒だから、三太と新平はお屋敷をお護りしなさい、わいはお朱鷺さんとお母さんを探してくる」  
 
 三太と新平は、亥之吉を見送ると、二人でこそこそ話している。
   「旦那様は、美人とみるとデレデレしとる、他人の奥様なのに」
   「根がスケベなのですね」
   「しゃあない、わいらは鼠でも捕ろうか」
   「もういいよ、親分の貸出は終わったのだから」
   「そうだすか、ではコン太にご飯でも食べさせてやるか」
 お屋敷の門の前で、コン太に餌を与えていたら、亥之吉達が行った方向から駕籠が走ってきた。三太は新平が連れ去られた時のことを思い出したが、まさかお婆さんを拐かすなんてことはないだろうと見過ごした。

 しばらくして、亥之吉が汗をかいて戻ってきた。
   「あかん、おれへん、池に落ちたのかも知れん」
   「今、向こうから駕籠が来たけど、旦那様、会いませんでしたか?」
   「いや、気が付きまへんでした」
 三太は新三郎に話しかけた。
   「新さん、どう思います、あの駕籠が怪しいとおもいまへんか?」
 新三郎の返事がない。
   「新さん、どうしたんや?」
 居ない。今まで新三郎が三太に何も言わずに居なくなることは一度も無かった。
   「もしもしー、新さん居ないのですか?」
 やはり、居なくなったようだ。
   「わいとこも、えらいこっちゃ」
   「どうしたのや?」と、亥之吉。
   「守護霊の新さんが消えた」
 三太は泣きべそをかいた。
   「わい、まだ新さんが必要や、戻ってきてくれー」
 亥之吉が来たから、自分はもう三太にとって必要でないと思ったのか、新三郎は消えた。

   
   「もしや…」
 亥之吉は、自分の左掌を右手の拳で叩いた。
   「あの駕籠が怪しいと思うて、駕籠かきに憑いていったのかもしれへん」
 

 駕籠舁きは、ひと気のないところで駕籠を止め、簾を上げた。老婆が手足を縛られ、猿轡をされている。
   「婆さん、悪かったなあ、もう暫く我慢をしてくれよ」
 言いつつも、猿轡だけを外した。
   「わしをどうする気だ」
 気丈に、駕籠舁を睨みつけた。
   「婆さんは、あの大きなお屋敷の人だろ、身代金を百両盗ってやるのよ」
   「わしの命は、たった百両か?」
   「それなら、あのお屋敷の主は、いくらだせる?」
   「大事な母親だ、息子は五百両でも出す筈だ」
   「そうか、それなら五百両出せと言ってやる」
 老婆は高笑いをして言った。
   「ところで、お前たち、字は書けるのか?」
   「そうか、書けないから代書屋で書いて貰う」
   「馬鹿たれ、そんなことをしたら、直ぐに手が回って、お前らは打首だ」
   「ひゃあ、そうか、どうしょう」
   「わしの縄を解け、わしが書いてやる」
   「えっ、本当か? それは助かる」
 駕籠舁は、老婆の手足を縛っていた縄を解いた。老婆は若いころ俳句を嗜んでいた所為で、いつも腰に矢立を下げていた。その矢立を取ると、懐紙にすらすらと文字を書いた。
   「それ、書いてやったぞ、これをどうやって屋敷に届ける」
   「それは簡単でやす、俺が一っ走り行ってきまさあね」
 駕籠舁の一人が、老婆から文を受け取ろうとしたところ。老婆はその手を取って肩に担ぎ、男を宙に浮かせると、そのまま「どっ」と、地上に投げ飛ばした。
   「うひゃー。この婆、なんて強い…」
 もう一人の駕籠舁が驚いて尻もちをついた。老婆はその男を後ろに倒すと、裾をまくって馬乗りになった。
   「婆だと侮りやがって、これでも武士の妻、身を守る技はまだまだ健在だぞ」
 男の顔を平手打ちで三発くらわした。
   「わしの息子は沼津藩の吟味方与力でのう、お前達は捕えられて打首になる運命なのじゃ」
 駕籠舁の男たちは驚いた。
   「ひえーっ、どうぞご勘弁を…」
   「お屋敷までお送りします、どうか許してくだせえ」

 駕籠は矢崎虎之介の屋敷に着いた。門前ではお朱鷺や使用人、亥之吉と三太、新平が思案の最中であった。
   「ご老人が町で彷徨(うろつ)いていましたのでお連れしました」
   「あらま、ご親切な駕籠屋さん、有難う御座います、心配していましたのよ」
 調子の良い駕籠屋、いけしゃあしゃあと、
   「何の、何の、わしらは商売ですから、お乗りいただいて喜んでおります」
   「お駕籠賃は如何程で…」
   「へい、百五十文です」
   「そう、有難う、これはご親切のお礼も入れて一朱、酒代にでもしてくださいな」
   「いやあ、これは、これは有難う御座います」
 駕籠屋は、お金を受け取ると、頭を下げてそそくさと帰っていった。

   「新さんはどこへ行ったのや?」
 三太が落ち込んでいる。
   「どこへも行きはしないですぜ、新三郎はここに…」

 三太は、「わっ」と、喜んだ。
   「わいを捨てて、極楽浄土へ戻ってしまったのかと思った」

 駕籠から下ろされて佇んでいた老婆は、訳がわからないらしく「キョトン」としている。
   「母上、どこへ行こうとしていたのです」
   「小虎を迎えに行ったのだが、途中で気を失ったらしく… それよりも、何故か肩と腰が痛くて…」

 新三郎が働かせ過ぎたらしいと、三太は思った。

  第三十八回 貸し三太、四十文(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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「第四回 三太、母恋し」へ
「第五回 ピンカラ三太」へ
「第六回 人買い三太」へ
「第七回 髑髏占い」へ
「第八回 切腹」へ
「第九回 ろくろ首のお花」へ
「第十回 若様誘拐事件」へ
「第十一回 幽霊の名誉」へ
「第十二回 自害を決意した鳶」へ
「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
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「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
「第三十六回 新平、行方不明」へ
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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第三十七回 亥之吉の棒術

2014-09-20 | 長編小説
 敵の注目を亥之吉に向けさせておいて、新平を雨宿り小屋へ走らせた筈だったが、刺客を倒して新平を呼び寄せようとすると、そこに新平の姿はなかった。どうやら、小屋の中にも刺客の仲間が居て、新平を連れ去ったようであった。
   「何の目的で連れ去ったのですやろ」
 亥之吉は自分の迂闊を後悔していた。
   「旦那様、それは捕まった仲間の命と交換する為やと思います」
 三太は、新平の安否が心配で、半ベソをかいている。

   「新さんの勘で、なんとか居場所を突き止めてください」
 三太の頼みの綱は、新さんの推理であった。
   「何も手懸りを残していないので、ただ四方八方を探すだけです」
 遠くまでは行っていないとは思うが、大名の若様の一行は一言の礼もなく江戸を向けて既に発ってしまったので、亥之吉と三太と幽霊の新三郎だけで探さねばならない。
   「手を拱いていても仕方がおまへん、敵は若様の後を追ったか、捕まった仲間たちのあとを追ったか、どちらかやと思うが、わいは若様を追う、三太は城へ戻る捕り方の後を追とくなはれ」
   「わかりました」

 その時、三太の懐でコン太が暴れだした。
   「わっ、こんな時に腹を空かしたのかいな」
 仕方なくコン太を下ろして、軍鶏の卵を食べさせようとしたが、それには見向きもせずにコン太は走りだした。
   「コン太、何処へ行くのや?」
 コン太は、仔狐の癖に素早い。
   「こらっ、戻って来い! 今は忙しいのや、コン太と遊んでいる暇は無い」
 それでも、コン太は走っては止まり、振り返って三太の姿を確認してはまた走る。こんなに走れるのに、三太の懐に入りたがる。「この横着もんが」三太はコン太の後を追うのをやめた。
   「コン太、放っといて船に乗るで」
 コン太には、何かが憑いたかのように走り続ける。
   「もう、しゃあないなあ、何がしたいのや」
 三太の脳裏に、ふと、あることが浮かんだ。コン太は、新平の臭いはよく覚えている。それを犬のように辿っているのではないだろうか。
   「旦那様、ちょっと待っとくなはれ、コン太の様子が唯事では無いようだす、新平の臭いを追っかけているようなのです」
 亥之吉の頭の中では、「仔狐に犬の真似ができるかいな」と、否定的である。
   「大好きな卵には目もくれずに走りだしましたんや、これは何かおます」
   「さよか、ただのウンチをる場所探しかも知れまへんで」
   「お願いします、コン太に付き合ってください」
   「わかった、後を追いましょ」

 コン太は、「ハァハァ」と、息を荒げながら、それでも十町(約1Km)を走り通した。ようやくコン太が止まった畑の中に、農家の農具などを入れておく掘建小屋があった。三太が新平の名を呼ぼうとしたとき、慌てて亥之吉が遮った。
   「し-っ、まだ刺客がいるようだす、ここはわいに任せておきなはれ」
 亥之吉が小屋にそっと忍び寄ると、小屋の中に人の気配がする。
   「小屋から柄杓だして、畑に肥を撒くさかいに、お芳、先に菜畑へ行っといてや」
 と、芝居をしておいて、亥之吉が天秤棒を手に持って小屋の戸をあけると、案の定、男が一人、剣を鞘から抜いて、仁王立ちになっていた。
   「うわぁ、吃驚した、おまはんは何方でおます」
 問答無用、見られたからには殺すしかないと思ったのか、男はいきなり亥之吉に向かってきた。
   「何をしはりますねん、わたいが何をしたといいますのや」
   「気の毒だか、命は貰い受ける」
 男は小屋から飛び出すと、亥之吉目掛けて刀を左から右に振った。亥之吉は後ろに飛び退くと、天秤棒を振り上げ男の肩先に振り下ろした。男は「うっ」と漏らしたうめき声と共に片膝がガクンと崩れながら、傍に縛られて転がっていた新平に躙り寄り、切っ先を新平の喉に突きつけた。
   「近寄るな! 拙者に近寄ると、このガキの喉を突く」
   「わかった、あんさん止めなはれ、子供が恐がっていますやないか」
   「煩い、近寄るなと言うに」
 その時、コン太が小屋に跳び込んできた。驚いて怯んだ男の刀の下に天秤棒を差し込んで、そのまま上に跳ね上げた。それでも觀念せずに男は新平を掴もうとしたが、亥之吉の天秤棒が男の脳天を直撃した。男は頭を抱えて気を失った。

   「新平、恐かったやろ、いま縄を解いてやるからな」
 新平の縄を解く亥之吉の傍で、コン太が疲れ果てたのか、コテンと横に倒れた。
   「コン太、大丈夫か」
 縄を解いて貰った新平が、自分のことは忘れてコン太を気にかけている。
   「新平、無事か、よかったなあ」
 三太が小屋の中を覗きこんだ。
   「あっ、親分、コン太が…」
 三太が小屋に入り、コン太を抱き上げた。
   「大丈夫や、ようけ走ったから、疲れているだけや」
 三太は、手ぬぐいでコン太の汚れを拭ってやると、自分の懐へ押し込んだ。
   「コン太、お手柄やったなあ、寝てもええで」

 男は、子供を拐かしたとして、番所に突き出した。どこの藩かもわからないので、若様暗殺計画の刺客だとも言えず、あとは代官所で自白させてもらわねば仕方がない。多分、男は自白しないであろう。

   「わい等の知らない侍の世界の話や」
 
 三太と新平は、目の上のたんこぶ、亥之吉を伴って江戸への旅を続けた。

 三太は、新平と亥之吉に聞こえないようにコソコソ話している。
   「なあ新平、わい等旅を楽しんでいたのに、若様なんか助けたばっかりに、とんだ災難やったなあ」
   「恐い目に遭った、あのまま断って二人で旅を続けとったら、もっと楽しい旅でしたのにね」
   「もう、お店に奉公しとるのと同じや、何も自由にはできしまへん」

 先を歩いていた亥之吉が振り返った。
   「じゆうが、どうしたんや?」
   「いえ、後三年しないとじゆう歳にならへんと…」
   「奉公が、どないしたんや?」
   「歩いている方向はこれでええのやろかと…」
   「東海道を東へ歩いているのや、アホでも方向を間違えたりするかいな」
   「それで安心しました」
   「嘘をつきなはれ、わいと一緒に旅をしたら奉公しているのと同じで自由がないと言ったのですやろ」
   「何や、聞こえていたのやないか」
   「わいは老耄(おいぼれ)やあらしまへん、耳はちゃんと聞こえとります」
 三太は亥之吉に提案した。
   「吉原宿で、一泊しましょうな」
   「あきまへん、お天道さまはまだあんなに高いのや、あと四里や五里は歩けます」
   「わっ、地獄や、今から五里も歩くのやて」
   「そうだす、宿は三島宿で取ります」
   「あっ、三島やて、旦那様さま、何か企んでいまへんか?」
   「企むて、何を?」
   「大人の男が考えることだす」
   「三島の宿で、女郎買いでもする積りやと言いますのか?」
   「子どもたちに向かって、えらいハッキリ言いますのやな」
   「女郎の居る宿場で、大人の男が考えること言うたら、それぐらいですやろ」
   「わい、子供やから、ようわかりません」
   「そうか、わからへんやろな、じょろ言うたら、植木に水をやるもんや、それを買うことがじょろ買いだす」
   「そんなもん買うて楽しいのですか?」
   「そら、男の第一の楽しみだす」
   「嘘ですやろ、女を買うて抱くことですやろ」
   「それみろ、分かっていて言うとるのやないか」
 上方の人間が二人寄れば、掛け合い漫才になると言われている。それにしても師匠と弟子の会話にすれば、あまりにもあけすけで無遠慮である。
   「ほんなら、三島で泊まっても、何処へも行かへんのですか?」
   「そら、行くけど… わいの女房に言い付けたらあきまへんで」
   「言い付けたりしまへん、女郎買いで、息抜きをしたやなんて…」
   「嫌な小僧やなあ、先が思いやられるわい」

 喋りながら歩いていると、後ろから忍者走りで三人の男がつけてきた。亥之吉がキッと構えたが、男たちは亥之吉たちを追い越してしまった。
   「あんさん達、ちょっと待ちなはれ、若様の命を狙う刺客でっしゃろ」
 男たちは「ギクッ」として立ち止まった。
   「誰だ、お前たちは?」
   「へえ、富士川で刺客を捕らえる手伝いをした者でおます」
   「お前たちか、仲間七人を縄目にしたやつは」
   「いいえ、八人だす」
   「仲間の仇だ、序にお前達の命は貰って行く」
   「鎌をかけてやったら、あっさりと白状しましたな」
   「洒落臭せえ、殺ってしまえ!」

 一斉に剣を抜いて亥之吉に向けた。新三郎が加勢しようとしたが、亥之吉の気迫に押されてしまった。
   「三太、真剣勝負だす、よく見ておきなはれ、天秤棒はこうして使うのです」
 亥之吉は天秤棒を両手で持って、右上から左下に斜めに構えだ。
   「コヤツ、出来るぞ、気をつけてかかれ!」一人の男が叫んだ。

 亥之吉は咄嗟に読んだ。三人同時に斬りかかって来れば、味方を傷付ける恐れがある。まず一人が突っ込んでくる。亥之吉が一人に感けていると隙が出来てしまう。そこを後の二人が斬り込んでくるだろうと。   

 亥之吉は虚を突いて、切り込んできた男を飛び退いて避けると、後に控えていた男の一人の肩を責めた。肩を打たれた男は「どっ」と倒れた、もう一人の控えていた男は驚いて隙をみせた。
 一人目の男を倒した天秤棒が、その反動で上段に跳ね上がったかと思うと、二人目の男の脳天に振り下ろした。
   「三太、天秤棒は武器ではなくて武具です、一対一では決して自分から攻めることはおまへんのやが、相手が三人なら先手も仕方がないことです」
 二人を自分から攻めた弁解とも見られたが、これも我が身を防御する手段なのだろうと三太は感じた。
 
 亥之吉は残る一人と向き合った。天秤棒を斜に構えて亥之吉はピタリと動きを止めた。対する相手は腕に自信があると見えて、怯む気配はない。先程は逃げられたので、逃すまいとにじり寄ってくる。亥之吉の天秤棒が相手に届くところ近寄ってきたが、それでも亥之吉は動かない。
 さらに、相手の剣の切っ先が亥之吉に届くところまで来ると、上段に構えた相手の男の手首がピクリと動いた。
   「来るのやな」
 亥之吉の天秤棒の上先が、少し後ろへ引いた。それを合図のように相手が踏み込んできて、剣を振り下ろした。その瞬間、亥之吉の天秤棒が風を切った。
 「ブーン」と風を切る音が聞こえて亥之吉が後ろへ飛んだ。三太には何が起きたのかわからなかっが、相手の男が「どすん」と倒れた。

   「三太、よろしいか、相手を焦れさせるのも戦術だす」

 三太は、旦那様の強さを自分の目で確かめて、何があってもこの人について行こうと決心した。

 倒した三人は怪我をしていて、若君の後を追えないだろうと、このまま捨て置くことにした。 

  第三十七回 亥之吉の棒術(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第三十六回 新平、行方不明

2014-09-19 | 長編小説
 蒲原宿で一泊して、吉原宿に向かっていたら、身形(みなり)の良い武士が三太と新平に近づいてきた。三太たちが通りかかるのを待ち伏せしていたようである。
   「これ町人の子供、お前達は三太と新平であるな」
 見知らぬ人が三太たちの名を知っているのは慣れているから、二人は驚きもしなかった。
   「へえ、そうだす」
   「お前達に折り入って頼みがある」
 ものを頼むのに、この横柄な態度はなんだと、三太は些か腹を立てた。
   「わいらは、先を急ぎますので、他の人にあたってください」
   「それが、そうは参らぬのだ」
   「と、申しますと?」
 子供で、強くて泳ぎの達者な者でないとならないのだという。
   「何だす、それは?」
   「実は、ある止事(やんごと)なき若君が、狙撃されようとしているのだ」
   「わいが身代わりになって撃たれろと言いはるのですか」
   「いや、絶対に撃たせない、拙者たちが命を賭けて護る」
   「それが護りきれないかも知れないから、わいを身代わりにするのやろ」
   「済まぬ、若君は江戸上屋敷のお殿様を見舞い、上様にお目通りをせねばならぬ身だ」
   「お大名の若君の命を護る為には、虫けら同然の町人の命など捧げよと言うのですか」
 某お大名が、江戸城に詰めておられるが、もともと体が丈夫ではなかったので、御城勤めの無理がたたって心の臓が弱り、明日をも知れぬ病の床に就いている。父君の息のある間にお目にかかり、若君の元気な姿を見て貰ったうえに、上様にお目通りをして「世継ぎこれにあり」と、意思表示をするのが目的である。
 ところが、城代家老の一派がこれを好機と考え、若君を亡き者にして家老の次男を大名の養子に据え、自らが実権を握る陰謀を巡らしているのだ。

   「お断りします、どこの何方か知りませんが、名も知らない人の身代わりは御免だす」
 三太は、まったく応じる気持ちはない。
   「時は迫っておる、もし聞けないと申すなら、刀にかけても連れて参る」
   「そうは問屋が許しません」
 三太は武士の前からするりと抜けて、叢に飛び込んだ。武士は、にんまり笑って新平を抱え込んだ。
   「三太がきかぬなら、新平を連れて行く」
 三太は、叢から飛び出した。
   「この卑怯者、そんなことさせるものか」
 三太は腰の木刀をとって、武士に向けた。この時、三太の後ろで声がした。
   「三太、このお侍さんのことを聞いてあげなはれ」
   「わいの命が無くなるかも知れんのに、だれや、そんな無責任なことを言うのは」
   「わいだす、福島屋亥之吉だす」
 そこに、天秤棒を立てて持った商人風の若い男が立っていた。
   「あっ、旦那様や」
 亥之吉は、武士に言った。
   「あんさんも、何だんねん、辺りに人が居るのも確かめんと、そんな大事なことを喋りはって」
   「迂闊であった、そなたは何者でござる」
   「何者やと、人のことを曲者みたいに言いなさんな、わいは江戸京橋銀座の商人、福島屋亥之吉で、三太の父親みたいな者だす」
   「お父つあん、逢いたかった」
   「こら、お調子者、どれだけのろのろと歩いとったのや、遊びながら旅をしていて、逢いたかったが聞いてあきれるわ」
   「すんまへん」
   「それに、懐でもこもこしているのは何や」
   「狐の仔だす」
   「あほ、狐の仔なんか捕えて、お稲荷さんの罰があたりまっせ」
   「これは、お稲荷さんに頼まれて育てていますのや」
   「嘘つきなはれ」
   「ほんまだす、大人になったら、きっと山からお迎えがきますのや」
   「誰が迎えにくるのや?」
   「コン吉という狐だす」

 傍で聞いていた武士が焦れだした。
   「狐の話はさておいて、若君の身代わりをするのか、しないのか、はっきりしてくれ」
   「他人に命がけの仕事をさせるのに、その横柄な態度はどういうものだすか」
 亥之吉も腹を立てた。
   「すまん、気が急いているもので失敬した」
   「話は聞かせてもらいました、力になりましょ」
   「忝ない、三太を貸してくれるか」
   「三太だけやない、わいも新平も参りまっせ」

 武士は樫原伊織と名乗った。樫原について蒲原の本陣まで歩いた。本陣では、若君が足止めを食っていた。「富士川の渡しで家老派の刺客たちに襲われる」と、家老派にもぐらせた間者からの繋ぎがあったのだ。
   「では、三太に若君の着物を着せて、若君は三太の着物を着て頂く」
 若君は、三太の着物を着て、「犬臭い」と、文句を言った。
   「若君の命が狙われており申す、何とか我慢をなさりませ」
 三太も不服である。
   「臭くて悪かったなぁ、気に入らんなら腰元の着物でも着いや」
 三太は感情を露わにした。

 家老派の刺客は、恐らく船が対岸に着く直前の最も無防備なときを狙ってくるだろうと亥之吉は考えた。対岸には葦原があり身を隠せるところもある。亥之吉は新平と共に、一足先に出立して対岸で待つことにした。それから四半刻(30分)の間をおいて、三太が乗った駕籠が発った。若君と数人の家来は、本陣にて待機している。
   「新平、わいが亥之吉だす、三太と一緒にわたいのお店で働いて貰いまっせ、よろしいか?」
   「はい、よろしくお願いいたします」
   「おや、しっかり挨拶が出来ますのやなあ」
   「新平は、三太のことを何と呼んでいますのや」
   「はい、親分です」
   「うちは、気質のお店(たな)だす、親分はあきまへんで」
   「歳は同じだし、何と呼べば良いのですか?」
   「三太で宜しい」
   「親分は、おいらの命の恩人だす、それを呼び捨てなど出来ません」
   「ええのだす、店に入れば小僧同士やろ」

 亥之吉は、三太が言っていた通り、天秤棒を持っている。渡し船を降りると、亥之吉は周りを見渡している。狙撃者が隠れそうな場所を特定しているのだ。
   「新平は、わいが護るから心配せんでもええで」
   「はい、旦那さま」

 亥之吉は、葦原を気にしている。
   「あ、居るな、あの中や」
 葦原を指さした。
   「新平、わいはあの葦原に入って行くので、お前さん向こうの小屋で待っておりなはれ」
   「はい、わかりました」
   「まだやで、わいがうんこするというて、葦原にはいりかけたら、新平は走るのや」
 一呼吸於いて、亥之吉が声高に言った。
   「わい、この中でうんこしてくるさかい、向こうで待っていてや、覗きに来るのやないで」
   「へい」
 新平は走った。亥之吉は葦原に踏み込んだ。少し奥に人の気配を感じる。そこへ向けて入っていくと、武士風の二人の男が立ちはだかった。
   「こらっ町人、あっちへ行け」
   「何でだす、わいは、うんこがしたいのです」
   「煩い、とっとと立ち去れ、行かぬと斬るぞ」
 ひとりの武士が長刀をぎらりと抜いた。鉄砲の準備は、まだしていないようである。
   「そんな殺生な、うんこぐらいさせておくなはれ」
   「黙れ」
 長刀を上段に構えて、亥之吉に迫ってきた。亥之吉は杖にしていた天秤棒で男の小手を打った。男は長刀をその場に落とし、腕を抑えて蹲(うずくま)った。代わって、もうひとりの男が長刀を抜こうとしたが、亥之吉が男の左に跳んで、男の左上腕をビシッと打ち付けた。

 敵が怯んだ隙に、亥之吉は足元にあった二丁の猟銃を拾いあげると、川面に向かって投げ捨てた。
   「こやつ、なにをしやがる」
   「あんな物騒なもので撃たれたら敵(かな)いまへん」
 今度は、芦原から出て、二人がかりで亥之吉に迫った。その時、三太の乗った船が岸に近づいてきた。それと共に五人の刺客仲間達が駆けつけてきて、亥之吉を取り囲んだ。
   「ほう、町人一人を、侍が七人がかりで殺そうと言うのですか」
 亥之吉は怯(ひる)みもせずに、天秤棒を頭上に両手で構えたとき、船が着いて一人の武士が走ってきた。
   「待ちやがれ、この卑怯者供!」
 味方の武士が、亥之吉を取り囲んだ刺客たちの後ろから、武士らしからぬ言葉をかけてきた。
   「おぬしは…」
 刺客がそう言い掛けたとき、味方の武士は長刀を抜き、峰を返すと、あっと言う間に三人の刺客を倒した。
   「亥之吉さん、お怪我は?」
   「わいは大丈夫だす」
 そう言っている間に、亥之吉の天秤棒がブーンと風を切り、二人の刺客が倒れた。
   「三太と、新平がお世話になります」
   「ん? あんたさんは?」
   「へい、あっしは新三郎と言いやす、三太の守護霊です」
   「へえへえ、佐貫さんの兄弟から聞いております」
 逃げようとする二人の刺客を、亥之吉が追いかけて、天秤棒で足を打った。倒れている刺客七人は、船から降りてきた若君の護衛たちに縛り上げられた。

   「わいは、半信半疑だしたが、本当に強い守護霊さんが三太を護ってくれはったのだすなぁ」
   「いやあ、お恥ずかしい」
 この一人と一柱、たった今七人の刺客を倒したことなど、もうすっかり忘れているようであった。
 新三郎が憑いていた武士は、力が抜けてへたり込んでいる。
   「おい佐々木、おぬし強かったなあ、見直したぞ」
 若君の護衛の武士が感心している。佐々木はただキョトンとしているだけだった。

   「新平、もう出てきてもええで」
 亥之吉が大声で叫んだが、新平は聞こえないらしい。亥之吉が小屋を覗きに行った。
   「新平、何処に隠れとるのや」
 やはり、小屋の中には誰も居ない。
   「勝手に何処へ行ってしもうたのか」
 小屋の周りを探して見たが、やはり見つからない。
   「しもた、連れ去られたかも知れへん、小屋の中にも刺客の仲間が居たのか」
 亥之吉は、三太たちの居るところへ戻った。 
   「三太、大変や、新平がおらん」
   「えっ、連れ去られたのですか?」
   「そうかも知れへん、ああ、えらいことした、わいが迂闊やった」
 亥之吉は意気阻喪(いきそそう)であった。


 若君派の武士達が応援に来て、七人の刺客を連れていった。若君は、とって返した駕籠に乗って無事富士川を超え、三太と着物を取り替え、江戸へ向けて立った。その際、三太と亥之吉に「是非、同行して若君を護って欲しい」と頼まれたが、新平が行方知れずになっていることを話して断った。
 まだ遠くには行っていないだろうと周辺一帯を探したが、何の手懸りも掴めない。
   「新平、生きているのか、何処に居るのや」
 三太は泣きそうであった。

  第三十六回 新平、行方不明(終) ―次回に続く- (原稿用紙15枚)

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