雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

心掛かり

2012-10-30 | 日記
 あるブログで、若い弱視の方が書いていらした。 白杖を使わずにステータスとして腕に下げて歩いていたら、見知らぬ人が寄ってきて「見えるんですかァ?」と。訝しげに声を掛けた来たそうである。 明らかに「見えるくせに白杖をなんか持って…」と、その弱視の方には声をかけてきた人の言葉の裏が感じられたようだ。 

 私も弱視なのだが、障害者手帳を交付されていないので白杖は持てない。 街の中やスーパーの狭い通路を歩いていて「白杖を持っていれば、こんなめに逢っていないのでは?」と思うことが多々ある。 ドンと押されて倒れそうになったり、うっかりこちらからぶぶっかってしまった時など、冷ややかな視線が感じ取れる。 「全盲者よりも、弱視者は冷遇される」なんて、不謹慎なことは言わないが、「少しは見える」状態は、ステータスの白杖を下げていても、なかなか健常者には理解されないようだ。 2進数の「0」と「1」の間に、「0.5」が存在しないように…。

 昨日、ホームセンターの入り口付近で、久しぶりに眩暈に襲われた。足元にあったカラーコーンにしがみついてぶっ倒れるのは逃れたが、暫くは立ち上がれなかった。 すぐ傍に立って黙って暫く様子を見ていた中年の男性が、文字通り上から目線で、「大丈夫か?」と声をかけてくれた。 以前にぶっ倒れたときは、大勢の通行人に完全に無視されたので、この度のその一言が泣きそうになるくらい嬉しく思えた。 その割には、ちゃんとお礼を言った記憶がないので心掛かりだ。

 

 

  

359年後?

2012-10-28 | 日記
 iPS細胞から、生殖細胞が作り出せるという話。 卵巣を摘出して、妊娠を望めなくなった女性の皮膚細胞から卵子を造り、配偶者の精子と合わせた有精卵を子宮に着床させることで妊娠が可能になるとか。 世の不妊に悩む夫婦に福音をもたらすだろう。 もう、既に動物実験では成功していると聞いたが、人間が対象となれば、倫理の問題が湧き起こるだろう。 しかし、考えてみれば本人の細胞から作られた卵子であるから、DNAは本人のものである。 子宮に着床させるまでは確かに人工ではあるが、ここから先は普通に育ち、普通に分娩に至る。 母親が「お腹を痛めて生んだ子」であることに違いないし、DNA鑑定をしても自分の子供に間違いないのだ。 では、何が引っかかるのか。 神の領域である生命を作り出すという行為は、宗教的倫理に反することだからか。 

 私の個人的見解であるが、神が行うべきことを人間が行ってなぜわるいのか。 神の自尊心が傷つくとでも言うのか。 神とは、そんなにもケツの穴が小さいものなのか。 不幸な夫婦を救う事を反対するのは「慈しみ深き神」の御心に反するのではないか。 そもそも、神など存在するのだろうか。 もし存在するならば、私などは遠の昔に神罰が下り、この年までのうのうと生きている訳がないだろう。 

 カトリックが弾圧を加えてまで反対したガリレオの地動説は、ガリレオの死去から359年後にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「間違いであった」と認め、ガリレオに謝った。 天動説とは、地球は静止しており、天体が地球の周りをまわっているという説。 これに対してガリレオは、天体が回っているのではなく、地球が回っているのだと唱えた。 

 カトリックが正式に地動説を承認したのは、1992年の事だというから驚きだ。 その間に、ソ連の宇宙船ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行や、アメリカのアポロ11号が月面着陸していると言うのに…。 

 iPS細胞から造った卵子が日の目を見るのは、やはり359年後なのだろうか。


  (これは、個人の私感及び想像であります)(・・;)

宇宙と幽霊

2012-10-21 | 日記
 宇宙の超未来は、どうなるのだろう。 そんなことを想像するのは楽しいものだ。 今、宇宙はものすごい勢いで膨張しているのだそうで、このまま延々と膨張し続けると、銀河と銀河の間はどんどん広がり、宇宙はスカスカになってしまう。 星々はすべて燃え尽き、新星も誕生することなく、宇宙は素粒子とブラックホールだけの暗黒になるだろう。 では、この時点の神や仏や幽霊はどこに疎開するのだろう。 天国だの地獄だの、あの世だのこの世はどこへ移転するのだろう。 

 どこかで膨張が止まり、こんどは収縮に転じたとしたらどうだろう。 銀河と銀河の間は縮まり、宇宙の温度は高まって、星々は蒸発し素粒子に分解され、一点に集められ収縮する。 やがて宇宙の誕生当時のように再びビッグバーンが起こり、リサイクルの新宇宙が誕生する。 

 人はいつの日か絶滅するだろうが、宇宙に終りはないと思う。 無の揺らぎから有へ、有から無の揺らぎへのサイクルを永遠に続けるのだろう。 

 神や仏や幽霊、天国だの地獄だの、あの世だのこの世は、どうなるか? それは、人間の絶滅とともに消え去ってしまうのだ。  


 (これは、個人のゲーム的感覚の空想であり、事実を保障するものではありません) (・・;)

年寄りの口癖

2012-10-20 | 日記
 今日は秋晴れ、朝から洗濯やら部屋の片付けやら寝具を干したりチョコマカと動きっぱなしで、ようやく落ち着いたところ。 しばらくブログの更新をしていないので、ここらでイッパツぶちかますべぇかとPCの前にドッカと座り込むが、気の利いたテーマが浮かばない。 

 どこで読んだのか、聞いたのか忘れたが、「年寄りは死ぬ話が好きだ」と。 そういえば、このブログのモチーフもどうやら「死」のようだ。 言い訳するのではないが、年寄りにとって死はもっとも近しい現象である。 

 妻が生前(元気な時)に、よくしかめっ面で言っていた。 「お婆ちゃんは何かと言えばお迎え、お迎えと言う」 気が悪いとぼやいていたが、その妻もまた死ぬ数年前から「お迎え」を口にするようになっていた。 

 歯科クリニックで、お年寄りが次回の予約をとっていた。 「次回は3ヶ月先ですが、予約を取っておきますね」と、窓口事務担当の女性は爺さんに言う。 「はい、お願いします。 生きていたら来ます」 「〇〇さんはまだ若いよ、そんなん言う歳じゃありません」と苦笑しながら世辞気味にあしらう窓口の女性。 横で聞いて居て、「ははあん、爺さんはこれを言ってほしかったのだな」と理解。 妻が「お迎え」と口にするのを無視していたのを反省することしきり。

 お年寄りを「汚い、嫌い、気が悪い(3K)」と邪見にしないで、やさしく接してほしい。 間もなく「お迎え」が来るのだから…。(T_T)/~~~

 

   

温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」

2012-10-15 | 日記
   ◆自殺にはさまざまな種類がある。なかで死に顔が最も美しいのは…◆

 渡辺淳一著「自殺のすすめ」の出だしである。 この短編小説のテーマは、「自殺」であるが、「美しい死に顔」だと私は受け取った。 白髪で医師免許を持たない解剖学のY教授が、抗議の中で医学生Uの自殺未遂をとりあげた。 Uは首の血管を切ったが、頸静脈だったから失敗したのだと嘲笑する。
 「死ぬなら、頸動脈をきちんと切って仰向けに倒れなければならない」
 「医学生が、こんな易しいところを間違っては笑われる」と。
 このことは、本人の学生Uにも伝わった。

 それから一ヶ月後、学生Uは、自殺を遂げる。 今度はきちんと頸動脈を切り、仰向けに倒れていた。 白く美しい死に顔だった。 その傍らには、解剖の本が頸動脈のところを開いて、きちんと置いてあった。

 その後のY教授は、退職し自宅で、脳溢血で倒れ、「たれ流しの寝たきり老人」になり、肺炎を併発して死んだ。

  (自殺に対する逆説と、ペーソスであり、決して読者に自殺をすすめるものではない) …と思う。 
    (原稿用紙2枚)

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
  温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
  温故知新「土佐日記」2012-04-12
  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
  温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
  温故知新「杉原千畝」2012/07/24
  温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
  温故知新「死者の奢り」2012-12-06
  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

100ショップの鉢植えセット

2012-10-14 | 日記
 ダイソーで鉢植えセットを買って来たとブログに書いたのが9月13日、すぐに種を撒いたので今日で丁度1ヶ月、芽が出たのは一週間前で、たった一本だけだった。 それが100均の100均たる所以なのだろう。 まあ、窓際の暖かいところに置いてもう暫く様子を見よう。 

 Gooメール箱に、「あなたが昨年に投稿した記事」というのがしばしば届くようになった。 あれはどのような意味かあるのだろう。 「頑張って、たくさん記事を書けよ」と言ってくれているのだろうか。 勿論、ロボットが送っているのだろうと思うが…。

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)を培養して、網膜を作り人間の目に移植する臨床実験が来年から始まるそうだ。 私には「時、既に遅し」だが、網膜剥離等で視力を失った若い人は大いに期待すべきだと思う。 それでも、小さな網膜でも、培養にかかる費用は1千万だと山中教授が言っていた。 早く移植に成功して、培養や手術の費用が安くなり、量産可能になってほしいものだ。

 iPS細胞で6名の患者の心筋治療をおこなったとする森口氏の発表は、5人までは全くの嘘だったとか。 残りの1名も、森口氏が移植治療をしたというマサチューセッツ病院では、「そんな記録はない」と断言している。 そのうえ、森口氏は医師の免許さえ持っていないというから驚きだ。 森口氏の発表を知って、期待した心臓病の患者たちが気の毒だ。 

 特許という一攫千金があるため、仮説の段階で事を急いでしまうのだろうと推測するが、虚言はいただけない。 韓国での事件を思い出して…

    ◆さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ (良寛)

 

ものは試し

2012-10-11 | 日記
 今日はバスでクリニックへ行って来た。 バスの老人優先座席で、初めて席を譲られた。 有難く座らせて貰ったが、譲ってくれた人が私よりも年配のようだった。 なんか複雑な気持ち。

 大分前に100円ショップで2個買った鉢植えセット(植木鉢、土、種)が、1個目は全く芽が出なかった。 2個目の鉢は、かなりの日数が経ってショボコイ芽が1つだけ出た。 説明書には発芽率60%と書いてあったが、20粒の種のうち、12粒が芽を吹くということではないらしい。 芽が出るか出ないかの確率が60%対40%か。 これだと1個目の鉢は0%、2個目は100%ということになる。 2鉢で50%も発芽したので、めでたし、めでたし。 (?_?) ん?

 近くにレンタルビデオの店(ゲオ)が出来ていると聞いたので、寄ってみた。 入会金0で、新作ビデオ一本(一泊二日)50円だった。 欲張って6本も借りてきたが、明日の晩までに見終えるだろうか。 もしや延滞?

 安価なオージービーフや、カンザスビーフの固い肉は、塩麹を薄く塗って一昼夜置いておくと、柔らかになる。 うっすら塩味も付いて、ステーキソースなんぞは不要だ。 塩麹のブームは終わったのかも知れないが、我が家では重宝している。 今日は豚のステーキ肉を買って来たが、これも塩麹を塗っておこうと思う。 ものは試しだ。

お姉系の幽霊

2012-10-10 | 日記
 怪談に出てくる霊は、圧倒的に女の霊が多い。 しかし、小泉八雲の「耳なし芳一」では、屈強な武者の霊が登場する。 男の霊は、目立たない存在なのだ。 では、最近テレビを賑わしている「お姉系」は男女どちらの霊が宿っているのだろうか。それは、「女」の霊であると思われる。 「魂魄(こんぱく)」という霊の概念から考えて出した私の答えであるが、魂(霊)とは、精神を統制するもの。 魄は、肉体を統制するもので、それぞれ独立して存在するもの。 従って、「お姉」は、女の魂(心)が、男の魄(身体)に宿った結果に生まれた神聖なる神(仏)の御子である。「お前、お姉のけがあるのか?」「俺はそんな趣味ないよ」 なんて、決して「け」だの「趣味」だのと思ってはいけない。 故あって、神または仏のなされた事なのである。 ゆめゆめ疑うことなかれ。 

 では、男の魄(身体)が、男の魂(心)と、女の魂(心)を同時に宿したらどうか。 それは、バイセクシュアル男と呼ばれ、神(仏)の域に達した存在である。 この男が死ぬと、男女二つの幽体が手を取り合って屍から離れ、あの世に向かうという、まことに神々しくも微笑ましい有様になる。 もし、凡人がこれを目指そうとしても、残念ながらそれは無理というもの。 なにしろ、我々には一つの霊しか宿していないのだから。 


  (すみません、私、嘘をつていました) m(__)m
 

本当にあった、怖いかも知れない話

2012-10-06 | 日記
 「幽霊を信じるか」みたいなスレで、こんな話を拾って来た。 なんでも拾ってくるので、我が家はそのうち「ゴミ屋敷」と呼ばれようになりそうだが…。

 ビル建築現場の上階で、(何故か独りで)コンクリート均し(ならし)をしていた工事担当者が後を振り向くと均したはずのコンクリートに人の足跡がついていたそうだ。 工事担当者は手直しをしたが、均しても均しても足跡が現れ、終いには電灯も消えてしまったのだとか。 担当者は怖くなって監督に泣きついたところでこの話は終わっている。 この話、さわりの「怖がらせ」場面だけで、肝心なその後がない。 これでは、このストーリー、推理しか出来ない。 

 仏教的に霊を見ると、身体と精神(霊)は、それぞれ独立したものとして人間を形成し、人が死ぬと身体は滅びて土(原子、分子)に戻るが、霊は身体から離れ、あの世に行き生まれ変わるのを待つのだそうである。 その人間の「迷い」の程度により、6段階の道があり(六道)、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、そして、最下道の地獄道があるが、こういう世界が存在するのではなく、心の状態を言う。

 仏教でいう「霊」は、人を驚かしたり、呪ったりする「悪霊」などは存在せずに、ただ迷子になってあの世へ行けずに彷徨っている気の毒な霊が存在するだけであるという。 すなわち、僧侶が行う「除霊」とは、害をなす霊を追い払うことではなく、あの世へ導いてやることなのだ。(ただし、インチキ霊媒師の除霊は金儲けである) しかも、霊には質量がない。(霊の重さをモチーフにした「映画 21g」は、フィクションと思われるので無視する) (つぶやき:そりゃあ、生前と死後の体重を比較すれば、21cc位の水分は蒸発しているだろうよ) (-_-)

 ここで、ようやくビル建築現場の怪談に戻るが、質量の無い霊にコンクリートに窪みを付ける力はない。 多分、その作業員は睡眠不足か、酒に酔っていたか、薬物中毒患者か、ストレスか何かで心神耗弱状態にあったのだろう。 さもなくば、その記事の投稿者か他の誰かのフィクションであったと思われる。 

 なぜ、電灯が消えたのか? それは、誰かが誤って消したか、過電流でブレーカーが落ちたかだろう。 工事現場ならちゃんと確認して、安全に備える義務があつた筈だ。

 (以上は、霊の専門家ではなく、ど素人の戯言であり、事実を保障するものではありません)

本当に有った怖い話?

2012-10-04 | 日記
 ネット検索をしていて、質問サイトやスレッドに迷い込んでいることがよくある。 最近は、新横綱「日馬富士」がインタビューで盛んに云っていた「全身全霊」について、仏教用語なのかなーと思い検索していたら、「科学者は霊の存在を信じるか?」みたいなスレッドに嵌入していた。 

 まず、全身全霊の霊とは精神の事。 肉体と精神は別個のものであり、肉体は死滅するが、精神は存在し続けるというのが宗教的観念である。 肉体が死に、精神が肉体から離れることが「幽体離脱」であり、お笑い芸人のタッチがその様子を見せてくれる。 あまりにもデブすぎて、幽体という感じがしないのだけれど…。 そうだなァ、彼らのは幽体離脱というよりも、豚の解体かな? (あっ、失礼)

 話がそれたようなので、元に戻そう。 「科学者は霊の存在を信じるか?」 愚問だと思う。 科学者も人間、霊の存在や神仏を信心しする人も居るだろうし、鼻でせせら笑う人もいるだろう。 科学といえども、数式で現せないことも、分からないことも多い。 例えば、霊の実態は解っていない。 しかし、精神は臓器の一つ、脳の働きであることは証明されていて、全身と全霊が一体であることは誰もが理解できる筈なのだが、そう簡単に割り切れないのが人間である。 

 私は、霊をこんなふうに考えてみた。 霊とは質量のない、実体の掴めないものである。 しかし、素粒子と同じく、「存在するかも知れない」と考えたらどうだろう。 霊の実態は、「或いは18番目の素粒子ではないだろうか」 その素粒子(仮に素霊子と名付けよう)がヒッグス粒子の影響でまとめられたものが霊だと考えたらどうか。 科学の発見は、まず「仮定」から始まって、「証明」に達し「発見」になる。 近い未来、偉い博士によって、素霊子が発見されるかも知れない。 そんな訳で、霊をの存在を信じる科学者も、たくさん居て欲しいと思うのだ。 (と、書きながら思わずクスッと笑ってしまったが…) 

 「ところで、お前は霊の存在をどう思うか?」 自分は、精神は脳の働きだと思っている。 そう考えると、霊など存在価値が全く無いので、有っても無くてもいいものである。 その有っても無くてもいい霊で金儲けをしている人達が多いので、霊の存在を信じている人達は、くれぐれも騙されないように。 「本当にあった怖い話」という作り話に、他愛無く「キャー、怖いっ!」と悲鳴をあげる程度に楽しんでおこう。

 

「ちゃんぽん亭」の焼き飯

2012-10-03 | 日記
 秋晴れの好天気が二日続いた。 台風も、神戸の市街地では暴風だったらしいが、六甲山の北側は穏やかで、いつ来ていつのまに去ったのか分からないほど。 六甲山は防風林ならぬ防風山らしい。 
 
 先週にフルーツが実る季節だろうと思い、「フルーツフラワーパーク」に行って来た。 桃、梨、葡萄は終わっていたが、林檎が半数以上色付いていた。 それよりも興味を持ったのが、山の中に柿と芝栗と野生の林檎が実っていたことである。 真っ赤に熟れたスマートボール大の小さな林檎が沢山落ちていたが、食べられそうにもないので拾わずに、芝栗を少し拾ってきて仏壇に供えた。 心は、完全に子供に還っていた。 

 帰り道、イオンモールに寄って、ミスタードーナツの半額セールに並ぶ長蛇の列を横目で眺めながら、気に入りの「ちゃんぽん亭」で焼き飯を食った。 序でに買い物をして帰ってきたが、かなり山道を登り降りしたので、心地よく疲れ切っていた。