雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「能見数馬」 第十三回 姉の縁談

2013-06-29 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬の姉、千代に縁談が舞い込んだ。 相手は水戸光圀に仕えた儒学者、佐々宗淳(さっさむねきよ)の曾孫、佐々助三郎(さっさすけさぶろう)であった。 助三郎と聞くと、光圀の伴をして諸国漫遊をした佐々木助三郎を想像されるかも知れないが、時代が違う。 曽祖父の宗淳をモデルに作られた架空の人物が佐々木助三郎である。

   「姉上、気が進まないのですか」 数馬は、浮かぬ顔の千代に声をかけた。
   「私の理想の殿方は、兄上のような真面目で優しい方です」
   「兄上とは夫婦にはなれませんよ」
   「分かっています、そんなことぐらい」
   「私で我慢なさい」
   「誰が数馬なんかの世話を受けますか」

 要するに、顔も見たことのない男とくっつけられようとしているのが気に入らないのだ。
   「佐々殿とお逢いになれば気が変わるかも知れません」
   「お見合いをすれば、女のわたくしはお断りすることは出来ません」
   「相手の返事次第なのですか」
   「運悪く気に入られたら、どうしょうもありません」
   「では、相手の男が気に入らぬ場合は、嫌われるように仕向けたら良いではありませんか」
   「どうするのですか」
   「私がお見合い中の座敷の襖をサッと開けて、こう言います」
   「なんて」
   「姉上ッ、姉上のオネショ布団、私が干しときました」
   「バカバカ、なんてこと言うの」
   「姉上、昨夜も首が伸びて油を舐めていましたよ」
   「そんな噂が流れたら、わたくしは生涯お嫁に行けません」
   「その時は、私が姉上の面倒を見ましょう」
   「いりません!」

 結局、父親能見篤之進に押し切られて、能見の屋敷でお見合いということになった。 千代は、しぶしぶ父上と見合いの座敷に入ると、佐々助三郎は父上の佐々信禎(さっさのぶよし)と共に既に席に着き、畏まっていた。 千代の第一印象は、「奥床しい方」、
 挨拶を交わし、控え目な会話であったが進めていくなか、「兄上より真面目そうで、優しそうで、頼りがいのありそうなお方」 と、千代は大乗り気になった。 ただ、心配なのは数馬のことだった。 相手を気に入ったときの合図は伝えていなかったので、いつ襖がサッと開くか、いつ「オネショ布団」と言われるか、気が気ではなかった。その時、襖がサッと開いて「失礼致します」と、千代の母親千登勢が挨拶に入ってきた。
 千登勢の後ろに数馬が控えているのを見た千代は、「シッ、シッ」と、出ていけの合図した。

 若い者どうし、二人だけにして、「あなたと、お父さまは別のお部屋にお酒の用意ができております」と、篤之進に囁いて千登勢と数馬は退席した。

   『数馬さん、あの男優しそうに見えて、一癖も二癖もありそうですね』守護霊の新三郎。
   「私もそう思います」
   『酒癖が悪いとか、女癖が悪いとか、夜中に首が伸びるとか』
   「くだらないから、首はやめましょう」
   『数馬さんが言い出したことですぜ』
   「姉上は相手を気に入ってしまったようです」
   『数馬さん、嫉妬していませんか』
   「嫉妬ではありませんよ、心配しているのです」

 父、篤之進に話したが、取り合ってはくれなかった。 そればかりか、怒鳴られてしまった。
   「佐々殿は、水戸光圀公にも仕えた由緒あるお家柄、難癖をつけるとは何事か!」
   「申し訳ありません」
   「数馬が千代の心配をするのは分かるが、行き過ぎはいけない」
   「これからは、ちゃんと調べて証拠を基に父上にご報告します」
   「こらっ、数馬、何を企んでいるのだ」
   「いえ、何も」

 数馬は藩学に届け出て休みを頂き、母には兄上に相談事があるのでと告げて、水戸へ向けて旅発った。 武蔵の国関本藩主の関本義範から頂いた百両の中からちょっぴり抜き出し懐に入れて。
   「新さん、助三郎の素行調査をしてやりましょう」
   『よしきた格さん、やりやしょう』
   「誰が格さんですか」

 蟻の這い出る隙もない水戸城であったが、頭の上はスカスカ、まして日が落ちれば幽霊新三の天下である。 
 一方、数馬は助三郎が立ち寄るであろう盛り場で助三郎を待ち受けた。
 姉との見合いの席で見た顔の武士が、三人の仲間らしい若い武士を従えて料亭に入った。 表に居て助三郎に挨拶をした年増女に、数馬はさり気無く訊いた。
   「今お入りになったお侍は、もしや佐々助三郎様ではありませんでしたか」
   「そうですよ、あんたは」
   「はい、私は佐々様と同じ水戸藩士の倅です」
   「その倅さんがどうして佐々様の跡を付けているの」
   「いえ、跡を付けたのではありません、偶然お見かけしたのです」
   「あら、そう、それで佐々様ならどうしたいの」
   「いえ何も、佐々様は強そうで、男らしいお方なので、子供のころから憧れていました」
   「あの方が強そうで、男らしいですって」
   「違うのですか」
   「あの方が強いのは、弱い女にだけです、見ていなさい、もうすぐ女の子が悲鳴を上げて飛び出してきますから」
   「女の子を苛めるのですか」
   「そうよ、ご自分の言う儘にならない娘には、暴力を振うの」

 案の定、女の悲鳴が聞こえたかと思うと、頬から血を流した娘が転がり出て来た。 数馬は駆け寄り、自分が持っていた手拭いで出血した頬を抑え、周りの者に「医者は何処ですか」と声を掛けると、通り掛かりの人が指をさして教えてくれた。
   「侍に斬られたのですね、何も言わなくてもよろしい、医者に手当をして貰いましょう」
   「私はお金を持っていません」
   「料亭の店主に出して貰いましょう」
   「たった今、やめさせられました」
   「大丈夫です、私に些か持ち合わせがあります」

 深い傷ではないが、頬に跡が残りそうな刀傷が付いていた。 女の子なのに惨いことをすると、数馬は憤りを覚えた。

 新三郎もまた、悪い噂をたんまり聞いてきた。 コソコソ噂話をしている仲間から外れて、興味なさげに欠伸をしている男にこっそり取り憑いて聞き耳を立てるのだ。
   「一人目の女房は、暴力に耐え切れずこっそり逃げようとして半殺しの目に遇った」
   「二人目は、他の男に助けを求めて隠れたところを見つけ出され、姦通したとして男もろとも手打ちにされた」
   「三人目は、能見氏の娘御だそうだ、能見氏は助三郎の悪い噂を聞いていないのか」
   「縁談に大乗り気だそうだ、娘御が可哀そうに」
   「下手なことを言いふらすな、我らに目を付けられるぞ」

 頬を切られた娘は、傷の手当はして貰ったものの、両親は亡くなり、里には叔父夫婦が居るが、仕送りが出来なくなった姪を引取ることは無いだろう。
   「明日から、どう生きて行けばよいかわかりません、いっそ、切り殺された方が良かった」 と、泣き伏す娘を置いては戻れないので、数馬は、
   「江戸へ行きましょう、奉公先がみつからなかったら、私の屋敷で働いてください」
 少し警戒をしたようだったが、「水戸に残っても死ぬのを待つだけだから」と、思い直したのか、素直に礼をいった。

   「さて、新さん、この事実をどう父上と姉上に話せば良いだろうか」
   『数馬さんが水戸藩主に訴え出ても、話を聞いてもくれないでしょう』
   「父上と姉上を説得するしか、ないようです」
   『すぐに信じて貰えますよ、証人も居ることだし』
   「そうだ娘さん、お名前を聞いていなかったですね、私は水戸藩士能見篤之進の倅、数馬と申します」
   「私は水戸藩ご領地の百姓の娘、樹(しげ)と申します」
   「お歳は」
   「はい、十五になります」
   「お亡くなりになったお父さんの田畑はどうなりました」
   「叔父に取り上げられました」
   「お気の毒なお身の上ですね、さぞ辛い思いをされて来たのでしょう」
 この一つ年上の娘が、将来自分の妻にしようと心に決めるのだが、今の数馬は思いも寄らなかった。
   「お樹さん、江戸は遠いです、疲れたら言って下さい、私が背負っていきます」
   『ん? 数馬さんスケベですね』
   「そんなこと言っている場合ですか、それより新さんの発想、どうやら幽霊は色気がないと言うのは嘘ですね」
   『色即是空と言うじゃないですか』
   「意味が違います」

 数馬とお樹は、途中伊東良庵養生所に立ち寄り、松吉にお樹の膏薬を張り替えてもらい、屋敷に帰り着いた。
   「母上、只今帰りました」
   「おや、お客様ですか」
   「はい、水戸のご城下からお連れしました」
   「まあ、そんなに遠くから、お疲れになりましたでしょ」
   「母上に総てをお話しします」 と、水戸で聞いた助三郎の噂を話した。
   「あの優しげな助三郎殿が」
   「そうなのです、助三郎は酒癖と女癖が悪くて、二度も妻に逃げられています」
   「信じられません、それで兄上はなんと・・・」
   「兄上は知りませんでした」
   「どこまで信じたらよいのやら」
   「数馬は、やっかみや、姉上への嫌がらせで言っているのではありません」
   「この娘さんは、どうして傷つけられたのです」
   「お樹さん、話して下さい」
   「はい、無理矢理寝間に連れ込まれたので、必死で拒んだ所為で、懐刀で刺されました」
   「なんて酷いことを」
   「一人目の妻は、助三郎に連れの男と寝てやれと命令されて拒み、半殺しの目に遭わされて放り出されました」
   「惨いことを」
   「二人目の妻は、逃げて知り合いの男のところで匿ってもらったのですが、それを見つけられ男ともども手打ちにされました」
   「ご亭主どのは、そのような殿方を、なぜ千代の婿に選ばれたのでしょう」
   「父上はずっと江戸詰めですので、噂をご存じなかったのです」
   「わかりました、千代は私が説得しましょう、数馬は今夜、父上を説得して下さい。
   「では母上、死装束をご用意下さい」
   「なぜそのような物を」
   「切腹覚悟で申し上げます」
   「数馬はバカですか 父上は数馬に切腹させる程頑固一徹な方ではありません」
   「わかっています、情に脆い父上への演技です」
   「まっ、狡賢い数馬」

 日が暮れて、篤之進が帰って来た。 着替えを済ませた篤之進の座敷に、
   「父上、お話があります」 と、入ってきて座り、父の許ににじり寄って来た。
 見ると、死装束の数馬、 何事かと驚く篤之進。
   「数馬は、水戸の兄上の処へ行って参りました」
 そこで聞いた助三郎の噂をしたところ、篤之進は、「ただの噂であろう」と、受け流した。
   「いいえ、そうではありません、水戸から証人を連れて参りました」
   「証人だと」
   「はい、助三郎殿に手籠めにされようとして拒み、顔を切られて放り出された娘です」
   「それは、本当か」
   「はい、お樹と言う娘で、廊下に控えてさせております」
   「よし、お樹さんとやら、お入りなさい」
 篤之進は、入ってきたお樹をみて、「娘御の顔を傷つけるとは許しがたい」と、呟いた。
   「もし父上に数馬を信じて頂けない場合は、この場で切腹して抗議します」
   「ほお、それは天晴れな覚悟であるのう」
   「はい、姉上を守るためなら、数馬は命も惜しみません」
   「儂がそなたに与えた刀で切腹をするのか」
   「はい、左様でございます」
   「では、その刀を抜いて見せよ」
   「はい、ただいま抜きます」
   「早よう、抜いて見せい」
   「ん 抜けない」
   「そうであろう、それは真剣に見せかけた木刀じゃ」
   「えっ、名刀長船だと父上は仰いました」
   「それは迷刀棹船じゃ」
   「なんですか、その茶番は」
   「そちは刀など興味がないと、一度も抜かなかったであろう」
   「はい、埃がたかっていました」
   「ただの飾りに名刀は無駄だから、木刀にすり替えて置いたのだ」
   「では、その名刀長船はどうなりました」
   「あははは、質屋の蔵で眠っておるわ」

 翌朝、父篤之進は水戸へ出向いた。 佐々殿から見合いの返事が来る前に、伝えて置きたいことが有ったのだ。
   「助三郎殿には申し訳ないことをしました」
   「なにごとですか」
   「娘千代が健康体であるか確かめるために医者に診てもらったら、病気がみつかりまして」
   「どのような」
   「労咳だと聞きました、隠して嫁がせて、助三郎殿にうつしてはならぬと、恥を忍んでお伝えに参りました」
   「そうでござったか、それは遠路ご苦労様でした」
   「この上ない良縁と喜んでおりましたものを」
   「では、この話は無かったことにしますが、よろしいかな」
   「はい、仕方がありません、本当に申し訳のないことをしました」
   「いえ、いえ」

 この縁談の結末を父から聞いた数馬は、なんとも消極的な終決だと、初めて父上のことを情けないと思った数馬であった。

   (姉の縁談・終)   ―続く―   (原稿用紙18枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十二回 悪霊退散!

2013-06-26 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

   北町奉行遠山景元から数馬に使いが来た。 武蔵の国関本藩の若き藩主「関本健太郎」の一足早い元服祝いへの招待だった。 通常、元服祝いは小正月に行うべきものであるが、健太郎の場合はこの度藩主となり、一国一城の長となった為、時期を早めて挙げることになったらしい。 元服祝いなどというものは、ただ神前で月代(さかやき)を剃り上げ後ろの髪を束ねた(髻=もとどり=現代で言う、ちょんまげ)を乗せる、少年の髪型から、大人の髪型に変える儀式であるが、武家の場合は、幼名から元服名に代わる。

   「どうだ、数馬行ってくれるか」
   「嫌ですよ、ただ元服の祝いの為に遠くまで行くなんて」
   「この前のお礼をたんまり貰えるかも知れんぞ」
   「いりませんよ、どうせお菓子の詰め合わせとか、魚の干物でしょ」
   「名刀、武蔵丸かも知れんぞ」  (武蔵つながりで)
   「私に刀は不要です」
   「大名と友達になれるかも知れん」
   「はい、行ってきます」

 奉行も人が悪い。 数馬の弱点をしっかり握っている。 数馬は旅支度を整えて、翌朝早く江戸を発ち武蔵の国へ向かった。


 儀式は氏神の社前にて恙(とどこおり)なく終った。 藩主は関本健太郎改め、関本義範(よしのり)となった。数馬に劣らぬ童顔の若様だったが、急に大人の殿様になっていた。 数馬も正式のお目通りが叶い、殿様の御前に進み出て、お祝いの言葉を申し述べた。
   「数馬殿、よく来てくれた、慎みて礼を申す」
   「有り難きお言葉に御座います」
 お互いに形だけの儀礼を尽くしているが、気持ちは「成人おめでとう」「ありがとう、よく来てくれたねぇ」 みたいな軽い気持ちで、肩を叩き合っているのだ。

   「水戸のお殿様、徳川斉昭(なりあき)様に数馬殿の長崎行きの支援を申し出たところ、断られました」
   「やはり、西洋医学だからで御座いましょう」
   「そうではない、もう既に水戸藩で支援を決めておられました」
   「藩士でもない私を、ですか」
   「斉昭様は、これからの医学は西洋医学も取り入れるべきと仰っておられました」

 義範はご家来に、「あれを・・・」と、指示すると、切り餅が四つ(百両)乗せられた三宝が出て来た。
   「これは些少だが、数馬殿への応援の気持ちでござる、長崎への路銀にお使いくだされ」
   「私一人が、こんな大金を頂いて良いので御座いましょうか」
   「これは礼金とは申しておらぬ、数馬殿への支援でござる」
   「しかし、こんな若造に大金過ぎます」
   「そうかではもそっと減らそうか」
   「はい、お心だけで結構です」
   「そうか、では五十両にしておこう、まだ多いか」
   「はい、まだ多すぎます」
   「では、二十五両にしよう」
   「まだ多おうございます」
   「では、五十文ではどうか」
   『数馬さん、あんたバカか』 新三郎が口出ししてきた。
   「バカとは、何ですか」
   「どうかしたか」と、義範。
   「いえ、何でもありません」
   「嘘だ、嘘だ!いきなり五十文で、驚いたのであろう」
   「いえ、あ、はい、ありがとう御座います、大切に使わせて頂きます」
   『そうそう、素直に貰っときなさい』 と、新三郎。

 義範は別れ際、数馬に言った。
   「余を友と思って、何か困ったときは訪ねて来てほしい」
   「はい、お殿様も、数馬に出来ることが有りましたら、お呼び寄せください」


 帰り道、民家で人だかりがあった。 土地の者に訊いてみると、江戸から来た高名な除霊師が娘に憑りついた悪霊を追い払っている最中だそうである。
   「新さん、悪霊だそうですよ」
   『へえー、恐いですね』
   「新さんが恐がってどうします」
 二十歳過ぎであろうか、苦しみ、のた打ち回っていた娘に、除霊師が呪文を唱えると娘は静かになり、やがて安らかな表情になっていった。
   「たいしたものですね、流石(さすが)高名な除霊師です」
 倒れていた娘は、何事もなかったように起き上がり、母親に抱きついた。
   「よかったねぇ、江戸からここまで先生を追ってきた甲斐がありました」 と、母親は抱き返す。
   「これは、お礼の十両です、どうぞお収め下さいませ」 母親は、除霊師に差し出した。
   「いや、それがしも旅の空、たやすい除霊で十両も戴くわけには参らぬ」
 除霊師は、一両取って九両は母親に返した。 見ていた人々は「あーっ」と感嘆の声を上げた。
   「なんと、欲のないお方」
   「お優しいですね」
   「なんと凄い除霊の術でしょう」 人々は、口々に賞賛の声をあげた。
 人々は散らばると、様々な症状の病人を連れてきた。
   「長患いのお父っつぁんを…」
   「医者に見放されたこの児を…」
   「腰を痛めて起き上がれなくなったおっ母さん…」

 もしや悪霊に取り憑かれているのではないかと、集まってきたのだ。

   「新さん、あの娘さん、元気になって帰っていきましたね」
   『あの娘さんは、さくら ですぜ』
   「そのようです」
   『悪霊はどうなったと思います』
   「初めから悪霊なんて居なかったのでしょう」
   『その通り、奴らの芝居に騙されて、こんなに依頼者が集まってきました』
   「一両盗られるのが可愛そうです、新さん、ちょっと懲らしめてやりましょう」
   『わっ、これで葵の御紋の印籠が有れば、水戸黄門みたいですね」
   「余の顔を見忘れたか」
   『わーっ、暴れん坊将軍だ! …って遊んでいる場合か』  新三郎は、除霊師に憑依した。 除霊師は次の依頼者の除霊をしようとして、突然倒れた。 除霊師の生霊(いきりょう)は新三郎に追い出されて、新三郎の芝居が始まった。 苦しみのた打ち回る演技をしながら、
   「先ほどの悪霊が戻ってきた」 「助けてくれーっ、殺されるー」 「ぎゃー、許してくれーっ」 「拙者がわるかった」 「他の者に憑いてくれー」

 病人を連れて集まった人々は気味が悪くなり、自分に乗り移られてはたまらんと散り散りに逃げ帰った。 暫くして生霊が戻り、意識を取り戻した除霊師は、自分の周りから悲鳴を上げて逃げて行く人々に気付き、「もしや、霊の祟り」と考えると、体が震えだした。

   「新さん、ちょっとやり過ぎではありませんか」
   『これぐらいしても、奴らは懲りないでしょうよ』

 先程のさくらの娘が除霊師の許に戻り、甲斐甲斐しく介抱をしているのを横目に、数馬は帰路についた。

 数馬は屋敷に帰る前に、北町奉行所に寄って遠山に報告をした。
   「お奉行様、数馬ただ今立ち戻りました」
   「おゝ、帰って参ったか、どうであった、土産は菓子の詰め合わせであったか」
   「長崎へ行くときの路銀と援助金を賜りました」
   「それは良かった、奉行もこの前の礼と申して、金子(きんす)を頂戴したので、手当として携わった者に分配した」
   「そうなのですか、関本藩のお殿さまは、金持ちですね」
   「関本家は外様(とざま)大名でな、身分が上の譜代(ふだい)大名よりも禄高が多いのだ」
   「友達になっておけば、いろいろ助かりますね」
   「数馬、お前が友を増やすのは、金子目的か」
   「いえ、決して・・・」
      (悪霊退散!・終)   ― 続く―   (原稿用紙10枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十一回 数馬、若様になる

2013-06-24 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬が母上の使いで町に出かけ、問屋街を少し離れた寺の門前を通ると、木立の根っこに蹲(うずくま)っている老婆がいた。 数馬が駆け寄り尋ねた。
   「お婆さん、ご気分が悪いのですか」
   「はい、急に差し込みが来まして難儀しとります」 顔をしかめて唸り声を漏らした。
   「それはいけません、この近くに診療所でも有ればよろしいのに」
   「そこのお寺の境内の日陰にでも連れて行っていただけませんでしょうか」
   「はい、日陰でいいのですね」
   「少し休めば楽になると思います」
   「わかりました、私が背負って行きましょう」
   「ご親切に、ありがとうございます」
   『ちょっと、待った!』 と、数馬の体に居候している新三郎の魂が数馬に呼びかけた。
 老婆を背負う為にしゃがみ込もうとした数馬の動きが一瞬止まった。
   「お婆さん、ちょっと待ってくださいね」 と、老婆を待たせて、
   「新さん、どうしたの」
   『この婆さん、怪しいですぜ』
   「なにが」
   『どうやら、巾着(きんちゃく)切りのようです』
   「なに その巾着切りって」
   『スリです、負ぶってもらった時に懐に手を入れ、巾着の緒を切って盗み取ることもあります』

   「お若い方、どうかしましたか」と、老婆が急かす。
   「いえ、ちょっと小便をもよおしましたので、申し訳ない暫くお待ちを」
 寺の塀に沿って、曲がったところに行くと、新三郎の話を聞いた。
   『こんな熟練の婆さんにかかったら、締めている褌(ふんどし)まで抜き取られますぜ』
   「えーっ、それは困った、女の前で裾が捲れたらどうしょう」
   『数馬さん、何の心配をしているのですか、巾着の心配をなさい』
   「それなら大丈夫、十文しか入っていませんから掛蕎麦(かけそば)も食えません」
   『数馬さん、貧乏ですね』
   「当たり前でしょう、働いていないのですから」
 走ってお婆さんのところに戻ると、「また急に差し込みが」と、老婆は顔をしかめてみせた。
   「待たせてごめんなさい、はい、背中に負ぶさってください」
 数馬が立ち上がると、老婆の右腕が数馬の胸に伸びてきた。 新三郎に聞いていなかったら、多分気が付いていなかったであろう。 歩いているうちに下がってきた老婆の体を上に持ち上げる際に、右手が「すーっ」と襟に滑り込み、指の間に小さな刃物を忍ばせていたらしく巾着の紐を切った。 透かさず左手が数馬の袖から「すーっ」と入ってきて、巾着を抜き取った。

   「へえ、凄い!」 数馬は思わず両足の付け根を閉じて褌を守った。
   『数馬さん、褌は例え話ですぜ、汚い褌を盗む奴はいません』
   「なんだ、そうだったのですか」

 使いの用を済ませ、数馬が老婆に巾着を切られた寺の前を通りかかると、寺の境内で人だかりがしていた。 何事だろうと数馬も覗いてみると、人が切り殺された様子であった。 そこに同心の長坂清三郎と仙一も来ており、数馬を見つけて走り寄ってきた。 殺されたのは、行きがけに会った老婆であった。 数馬が一刻(30分)ほど前にこの老婆に巾着を切られたことを長坂に話すと、老婆の懐など調べていたがそれらしいものは持っていないという。
   「十文しか入っていなかったので、そんなものを奪うために殺したのでしょうか」    「・・・かもしれないが、どこかに捨てたと見るのが妥当でしょう」と、長坂。
   「私が、辺りを探してみましょう、なにか下手人の手がかりになるかも知れません」
 数馬はそういうと、草むらなどを分けて探し始めた。 見当たらなかったが、「そうだ!」と思い付いて本堂前の賽銭箱を見に行った。 やはり、賽銭箱の縁に、十文入ったままの巾着が「ちょん」と、置いてあった。
   「長坂さん、有りました」 こんなものを奪うための殺しではなかった。
   「お婆さんは、この巾着を私に返そうと思ったが、どこの誰だか知りません」
   「それで、賽銭箱の縁に」と、仙一。
   「私が気づいて探しに戻るかも知れないと、目につき易いところに置いたのでしょう」
   「何故、殺されなければいけなかったのでしょう」長坂は数馬の推理を待った。
   「考えられることは、お婆さんが居ることに気づかず、ここで何か陰謀の打ち合わせをしたのでしょう。それをお婆さんに聞かれたか、聞かれたと思われて口封じをされたのだと思います」
   「長坂さん、今日か明日あたりに、お大名か、ご家老がここをお通りになるご予定はお聞きになっていませんか」
   「あります、先だって武蔵の国関本藩の藩主がご病気でお亡くなりになり、明日の朝、お世継ぎの若様健太郎様が上様お目通りのために、お駕籠でここをお通りになり千代田のお城に向かわれます」
   「それです、若様のお命が危ない」
   「わかりました、直ぐお奉行に申し上げ、対策を立てて頂きましょう」

 北町奉行遠山景元は眉を寄せた。 暗殺の陰謀を避けるためとは言え、大名の若様をお駕籠から下し、もし何事も起きなければ責めを受けるのは奉行である。 数馬や長坂の申し立ては、あくまでも推理である。 遠山は明らかに躊躇していた。
   「わかりました、若様の処へは私を使いに行かせて下さい」
   「こんな重要なことで子供を使いに出すなぞ、ますます奉行の立場が無い」
   「子供ではありません、私も決心したのですから、死を覚悟して参りましょう」
   「そうか、護衛を付けよう」
   「お願いします、若様をお護りする与力様を一騎、馬が必要なのです」
   「わかった、数馬に托そう」

 今日のうちに数馬と町方与力は、一つ馬で関本健太郎の本陣近くまで乗り付け、歩いてこっそりと健太郎に会い、事の次第を話した。 健太郎は数馬と同年代だと遠山景元から聞いていたが、体格もほぼ同じであった。 健太郎に与力を紹介すると、今夜、夕闇に紛れて与力と共に北町奉行所まで駆け、今夜は奉行所で過ごすように依頼した。
   「分かり申した、数馬殿はどうされる」と、健太郎。
   「私はお駕籠の警護をされる方々と打ち合わせをして、若様に扮してお駕籠に乗ります」
   「危険ではないか」
   「私は大丈夫です、多分敵は鉄砲か弓を射てくると思います、その前にお駕籠から抜け出て、 ご家来衆に紛れて道の辺に隠れ、ご家来衆も、お駕籠の横から慌てずに離れて頂きます」
   「どの辺りで襲って来るか分かっているのか」
   「はい、それは絞ってあります」
 銃声が聞こえたら、普通なら家来衆が駕籠の周りを警護するのだが、今回は前と後ろにまわり、方々に危害が及ばないようにと伝えるつもりである。

 昨夜、健太郎と与力は無事に北町奉行所に到着した。 数馬は、家来衆とよく打ち合わせをして、翌朝一行は本陣を後にした。 駕籠が襲撃場所と推測される寺の近くまで来たとき、数馬はどこかで見張っているだろう賊に見えるように駕籠の横に家来を呼び、簾を捲って何事かを言いつけた。 家来は駕籠に向かって一礼し、一旦駕籠の後ろに下がり、数人の家来衆と共に再び駕籠の横に集まった。 健太郎の裃(かみしも)を脱いだ数馬は、家来衆に隠れて駕籠を抜け出した。

 駕籠は、何事も無かったように先に進んだが、暫く行ったところで第一発目の銃声がして、空の駕籠に弾丸が命中した。家来たちが騒ぐ間もなく、第二発目も駕籠を貫いた。

 鉄砲を撃ったのは二人のようである。数馬は銃声がした方に走り寄ると、やはり男が二人寺の裏山に逃げ込むのが見えた。
   「新さん、男たちを追って下さい」
   『えーっ、また真っ昼間に放り出されるのですか』
   「慣れているでしょう」
   『慣れていませんよ、日に当たって干物になってしまいます』
   「そうなれば、私が水に浸けてあげますよ、元に戻るでしょ」
   『あっしは、ワカメですかい』
 新三郎が、鉄砲を持った二人の浪人者に辿り着いたときは、二人は口封じの為か殺害されてこと切れていた。 魂魄あい別れるその瞬間に、新三郎は男たちの魂に会えた。
   『あなたたちに、こんなことをさせた首謀者は誰ですか』    「関本孝徳(たかのり)でござる」
   「われ等は騙され申した」
   「事の成就の暁は、関本藩に志願が叶うと・・・」
   『酷い目に遇わされましたねぇ、でも怨んではいけませんぜ』
   「何故でござる」
   『人を怨んでは、浄土へ行けません、あっしのようにこの世をさまようことになります』    「さようか」
 素直に二人は、靄の中に「すーっ」と、消えて行った。

 この時、ようやく数馬が二人の男の死骸を見つけた。 新三郎の魂が数馬の中へ入り込み、首謀者が関本考徳であることを告げた。 関本孝徳は、亡くなった藩侯の腹違いの弟であった。 若様健太郎は藩侯の一人息子で、彼が亡くなれば孝徳が藩を継ぐことになる。 まだ幼い孝徳の子が長ずれば、藩を継がせる積りであろう。

 翌朝、健太郎は無事に上様のお目通りを終え、晴れて関本藩主になった。 奉行は考えた、このまま藩侯を帰せば、また命が狙われるだろうと。
   「お殿様をここへお連れした与力は、腕が立つ上に、馬術にも優れた者、武蔵の国はそうは遠くない、あの者に馬で送らせよう」 大名の護衛に、大っぴらに大勢の町方役人を付ける訳にはいかない。 遠山の苦肉の策である。

   「数馬、お殿様の身代わりを頼むぞ」
   「えーっ、今度はどこで襲撃されるか分からないのですよ」
   「数馬殿に、そんな危ないことをさせられません」
 健太郎は、帰りは土嚢にでも身代わりをさせようと言った。
 その夜のうちに健太郎と与力は、馬の早駆けで武蔵の国へ発った。 健太郎の家臣には、家老派と孝徳派があったが、健太郎は孝徳派の人物総てを把握していた。 与力の背にしがみ付いて走りながら、自分の迂闊さを反省していた。
   「父上は、奴らによって毒殺されたに違いない」 砒素という毒物は、少しずつ飲ませると、直ぐに死なず、徐々に衰弱していき、遂には命を落とすと聞いたことがある。

   「これだ!」 父の死は正しくこの途を辿った。 何故にもっと早く気付かなかったのかと、健太郎は自分を責めた。

 藩の屋敷に戻った健太郎は、家老以下藩の重鎮を集めて、事の次第を明かした。 家老もまた、自分の迂闊さを責めているようであった。 やがて空の駕籠も無事に到着して、新しい藩主のもと、大掃除がなされたことは言うまでもない。 叔父孝徳は、自ら切腹をして果てた。 孝徳派の家来たちは、悉く藩追放が決まったが、無理矢理に孝徳派に引き入れられたと思われる比較的身分の低い藩士たちは、お咎めなしとの沙汰が下った。
   「健太郎様も、数馬に劣らぬ裁量の持ち主でござったな」 遠山は数馬に言った。
   「当たり前でしょう、若様には権力というものがお有です」
   「数馬にはないのか」
   「それは、皆無とは言えませんが・・・」
   「なんだ、それは」
   「はい、権力を持った友達が居ます」

    (数馬・若様になる・終)   ―続く―   (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第十回 遠山裁き

2013-06-21 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬の兄で能見家の後継者、水戸藩士能見篤馬を訪ねた二泊三日の旅の帰り道、千住に入って江戸に帰り着いたのを実感したころで日がとっぷりと暮れてしまった。予定より遅れてしまったのは、梅の開花時期でもないのに、ちょっと寄って行こうと水戸の偕楽園に立ち寄ったのが原因である。江戸に入ったとはいえ夜は物騒である。

 数馬が弱音をはいた。
  「千住でもう一晩旅籠を取りましょうか」
  『せっかく残した路銀が減りますぜ』
  「うーん、もったいないなあ」
  『あっしが付いています、歩きやしょう』
  「来年は長崎へ行って西洋医学を修業したいのですが、父上が金を出してくれるでしょうか」
  『藩は出してくれないのですかい』
  「私は能見家の後継者ではない予備駒ですので、藩の庇護はないのです」
  『冷や飯食いってやつですかい』
  「藩士の長男以下は、自分で生計を立てねばならんのです」
  『たとえば…』
  「農民に成るとか、商人になるとか、武家の養子になるとか」
  『藩医を目指して、藩の奨励金を受けられないのですかい』
  「私は西洋医学の心の医者(今の心療内科医)を目指しているので、藩も親も奨励しないでしょう」
  『つらい立場ですね』
  「何か、金儲けを考えなければなりません」
  『金儲けなら、あっしに任せてくだせい』
  「新さんに」
  『数馬さんは、除霊師になるのです』
  「また霊媒師ですか」
  『今度は除霊専門の祈祷師みたいなものです』
  「嫌ですよ、そんな詐欺みたいなこと」
  『悪霊に取り憑かれて苦しんでいる人を助けるのです』
  「悪霊なんて居るのですか」
  『あっしが取り憑きます』
  「ほら、やっぱり詐欺じゃないですか」
  『あっしの存在は誰にも知られていなのですから、バレやしやせんぜ』
 真夜中過ぎて、数馬は屋敷に帰ってきた。もう、とっくに休んでいる時刻なのに、屋敷に明かりが点いて、ざわざわしていた。数馬は、自分の帰りが遅くなった所為だと思ったが、そうではないらしい。
  「どうかしたのですか母上」
  「あゝ、数馬ですか、帰っていたの」
  「父上の姿が見えませんが、どうかされたのですか」
  「そうではないのです、北町の遠山様と、南町奉行の矢部定謙様のお立場が悪くなっているのです」
  「どういうことです」
  「昼間、寺子屋に浪人者が数人押し入り、子供たちを人質に立て籠もったのです」
  「それで、子供たちに危害は」
  「今のところ、お奉行が犯人たちの言うとおりしして、なんとか無事らしいのですが」
  「遠山様が人質になるから子供を放せと交渉中なのですが、矢部様も一緒でないと交渉に応じられないと突っ撥ねているらしいのです」
  「矢部様はどうされたのですか」
  「今月は北の月番で、矢部様は所用で上総まで行っておいでになるそうなのです」
  「父上はどうされました」
  「遠山様が数馬をお呼びになったのですが、数馬に代わって父上が参りました」
  「わかりました、直ちに北の奉行所に向かいましょう」
 数馬は、かなり疲れていたが、月明かりの道を走って行った。奉行所で寺子屋の場所を教わり、数馬が到着すると、父上能見篤之進が出て来た。
  「数馬、よく来てくれた、遠山殿がお待ち兼ねだ」
  「遠山様はどちらに」
  「寺子屋の入り口においでになる」
 心配顔の人質の子の親たちを分けて入り口を入ってきた数馬の顔を見ると、遠山は「ほっ」とした顔をした。余程数馬が頼れる男だと、認めているようだった。
  「数馬、待ち兼ねたぞ、なんとか打開策はないか考えてくれ」
  「わかりました、まず私が寺子屋の中に入って話をしてきましょう」
  「そんなことをすれば、殺されるかも知れないぞ」
  「お任せ下さい、お奉行様は何もなさらず待機していてください」
  「気を付けなさい」
  「はい」
 数馬が入ると、犯人の男たちは一瞬身構えたが、丸腰の若造と見ると刀を突き付けて脅しにかかった。
  「小僧、何しにきた」
  「はい、子供たちを放して頂きたくてお願いに参りました」
  「それはならぬ、お前も人質になるのだ」と、数馬の襟首を捕まえたとき、突然その男が気を失った。
  「小僧、なにをしたのだ」と、あとの二人が駆け寄ってきた。
 次々に残りの男たちも気を失って倒れた。人質の子供たちの中には、泣く元気もなくしてぐったりとしている子もいたが、数馬の見立てでは、一人残らず無事であった。
  「さあ、悪者が目を覚まさない内に、お父っつあん、おっ母さんのところへ戻ろう」
 数馬の掛け声に、元気な子供たちは「わーっ」と駆け出していった。
元気のない子を両脇に抱えて外にでると、親たちが安堵の面持ちで走り寄ってきて子供を受け取った。
 奉行と役人たちが寺子屋の中に入ると、三人の男たちが「ポカン」とした顔で床に座り込んでいた。役人が三人を縛り上げて連れ出した後、奉行は数馬を呼んだ。
  「数馬、どうやって三人の男を倒したのだ」
  「はい、縛心術或いは誘心術とでも申しましょうか、数馬があの者たちの心に術を掛けました」と、嘘をついた。
本当は、新三郎が男たちの魂を追い出し、自分も抜け出たためである。
  「ほう、なんとすごい術ではないか、やはり数馬は心医であるな」
  「なにしろ、お奉行様の友達でございますから、それなりに…」
  「いつの間にか、友達になりおった」
 奉行の大笑いが、またしても聞かれた。傍にいた能見篤之進も、我が子の働きを誇らしく思っていたに違いない。
 遠山は、これを仕組んだのは、老中水野忠邦とその臣下鳥居耀蔵が、敵対する両江戸奉行の失墜を狙ったものであろうと推理した。

 この数年の後、遠山景元は北町奉行を罷免され、矢部定謙も南町奉行を罷免された後、鳥居はあらぬ濡れ衣を着せられて自害することになるが、この時点で両奉行は予想出来なかった。

 翌朝、能見家は大騒ぎになった。奉行の命を救うほどの偉業を成し遂げた倅を祝って、父親は有頂天に成っていた。
  「さあ数馬、酒を飲め」
  「私はまだ子供でございます」
  「子供が酒を飲んだらいけないというお定めは無いぞ」
  「お定めではありません、苦しくなります」
 肝の臓に酒の有害物を分解する酵素が、まだ充分に備わっていないからだ。
  『あっしが代わりに飲みましょうか』
  「体は数馬です!」
  『あははは、そうだった』
 翌日、町は子供たちの命を救った数馬の噂で持ちきりだった。並んで、遠山左衛門尉影元の英断もまた噂の種であった。


 一つ事件が終われば、また一つ難題を抱える遠山である。次に数馬の意見を訊いてきたは、一人の四歳になる子供をめぐっての、二人の母親の訴たえであった。二人の女は、一歩も譲らず自分が産んだ子供だと言い張る。どちらが実の母かを見破り、子供を実の母に委ねなければならない。そこで遠山は、昔の大岡裁きを思い出したという。大岡は二人の女に子供の両手を引っ張らせて、子供が痛がると手を離した女が実の母だと裁いたのだ。
  「子供の手をとり両方から引っ張り、勝った方が実の母である」と、遠山は二人に告げて、お白洲で引っ張らせた。

 子供が痛がって「わーっ」泣き始めたが、二人の女はそれでも引っ張り続けた。遠山が見かねて「やめい!」と止めると、二人の女は不服そうに手を離した。奉行は一旦奥に引っ込み、数馬に声をかけた。
  「数馬、どう見る この女たちを」
  「それは簡単です、どちらも本当の母親ではありません、自分が産んだ子供が痛がっているのに、手を引っ張り続ける実の母など居ません」
  「それでは、裁きにならぬぞ」
  「いいえ」
 この女達に、「どちらが実の母か分からないので、この子は奉行所で引き取ろう、いくら払えば引き取らせるか」と訊いてみるように耳打ちした。
  「わかった」

  「百両でございます」
  「私は九十八両で結構でございます」
  「では、九十五両で…」
  「いいえ、九十両…」
 二人に競らせておいて、その間にこっそりと新三郎が女に忍び込んだ。
  「元手が十両だから、なんとか八十両は儲けよう」と一人の女、もう一人は、
  「苦労して越前からかっ攫(さら)ってきたのに、足元を見てこの女は十両ぽっちで買い取りやがって」と、本音 新三郎は、それらの呟きをしっかり聞いて戻った。
  「二人の者、よく聞け、お前はその子を越前で盗み、十両でそちらの女に売ったであろう」  女は、「えっ」という顔をした。「この奉行の目が誤魔化せると思うか、この馬鹿者が!」奉行は二人の女に縄を討ち、牢にいれるように役人に指示した。

 早速子供の似顔絵を描かせ、早馬を乗り継ぎ越前に向けて使者を飛ばした。数馬の指摘が的中して、子供を連れ去られた両親が現れた。ある村の庄屋の娘であった。汚い身なりをした子供たちのなかで、一人だけ綺麗な娘が居たので、金になると思い連れ去ったらしい。
 奉行は不思議に思った。いくら他人の心を読むのが得意だとは言え、場所を越前とまで言ってのけた数馬に、どうにも納得がいかないのであった。
  「数馬、なぜそこまで分かったのか」
  「はい、子供を掠ってきた女が呟いたので、その小さな唇の動きを読み取りました」

 遠山影元は感嘆した。南北奉行たちの窮地を救ってくれたことと言い、この裁きの早い解決と言い、これはお上に申し出て、予てから「長崎へ勉強に行きたい」と漏らしていた数馬の願いを叶えてやらねばなるまいと、影元は密かに思うのであった。

   (遠山裁き・終)   ―続く―   (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第九回 江戸の痴漢

2013-06-20 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 ある日の午後、小石川養生所に数馬が訪れた。浪人新井良太郎の見舞いに来たのだ。
  「ご気分は如何でございますか」
  「あ、これは数馬殿、お蔭様でこの通り、明日にも帰宅のお許しが頂けそうでございす」
  「それは宜しゅう御座いました、くれぐれもご無理をなさいませんように」
  『うりゃうりゃ』
 数馬の脳裏で新三郎の声がした。
  「ありがとう御座います、それもこれも、数馬殿のお蔭です」
  『うりゃうりゃ』
  「うるさいなあ、何をうりゃうりゃいっているのですか」
  「はぁ、どうかしましたか」
  「いえ、何でもありません、蠅が飛んでおりましたもので…」
  「そうでしたか」
  「すみません、ちょっと用足しに行って参ります」と、数馬は立ち上がる。

 厠に来ると、新三郎に話かけた。
  「さっきから何を言っているのですか」
  『早くお貴さんの事を聞きなせえよ』
  「お貴さんの見舞いに来たのではないでしょう」
  『うりゃうりゃ、耳が熱くなりましたぜ』

 厠から戻ると、新井良太郎にさりげなく訊いた。
  「今日は、御嬢さんがおいでになりませんね、お使いにでも…」
  「長屋に掃除をしに行きました」
  「ご帰宅のご準備ですね」
  「左様、左様」 良太郎は嬉しそうに答えた。

 数馬が新井良太郎の長屋にやってくると、お貴が入り口の外でもじもじしている。
  「お貴さん、どうしました」
  「あ、これは数馬様、お元気そうでなによりで御座います」
  「はい、お貴さんもお元気そうで」
  「今日は、どちらへ」
  「お父上さまのお見舞いに行ってきました、もうすぐご帰宅が許可されそうですって」
  「はい、そうなのです、それでお掃除をしておこうと戻ったのですが…」
  「お済になりましたか」
  「いえ、それが…、恐くて中へ入れないのです」
  「幽霊ですか」
  『あっしは何も恐がらせていませんぜ』
  「違います、蜘蛛なのです、天井に大きな蜘蛛が張り付いているのです」
  「なんだ、蜘蛛ですか、追い払ってあげましょう」
  「今にも跳びかかってきそうなので、気を付けて下さい」
 中に入り天井を見ると、大きな灰色の蜘蛛が居た。
  「あれは人に危害を加えない家蜘蛛です、蠅や蚊を捕って食べるので殺さずに追い出しましょう」
  「助かります、わたくしは恐いから外へ出ております」

 数馬が箒の柄で天井を「トン」と叩くと、蜘蛛が驚いて糸にぶら下がって「するするっ」と下がってきた。途中の糸を掴んで外へ出そうとしたが、蜘蛛の重みで糸が「つつつ」と繰り出されて床に届きそうになったので、数馬は自分の着物にとまらせた。そのままそっと外へ出て、長屋の近くの草むらに逃がした。

 数馬が手伝って掃除も終え、「小石川養生所までお送りしましょう」と、家の外へでようとしたとき、新三郎が囁いた。
  『お貴さんを抱き寄せて、チュッと接吻をしてやりなせえ』
  「そんなこと、出来ませんよ」
  『お貴さんは、それを待っていなさる、それが女心というものですぜ』
  「それ、いつするのです」
  『それは今でしょう』

 貴が先に立って戸を開けようとしたとき、数馬が声をかけた。
  「お貴さん!」
  「はい」と、お貴が振り向いたとき、数馬は抱き寄せて「好きです」と、額にチュッと口づけをした。お貴は豹変した。
  「何をするのです、落ちぶれ果てても貴は武士の娘、無礼は許しませんぞ!」と、胸に差した懐刀に手を掛けた。
  「すみません、あまりにも可愛いかったものでつい…」と、数馬は土下座をした。
  「もう、わたくしの前に、姿を見せないで下さい、汚らわしい!」
 貴は、さっさと外へ飛び出し、振り返りもせずに小石川養生所に向けて早足で戻っていった。
  「あのねえ新さん、話が違うのだけど」
  「町娘と、武士の娘の違いかなあ、申し訳ねぇ」
  「私はあんな恐い女は苦手です」
  「あっしもですぜ」
  「どうでもいいけど、新さん無責任ではありませんか」
  「あははは」
  「笑って誤魔化しましたね」

 ある日、数馬が帰宅すると、母上が血相を変えて出迎えた。
  「数馬、あなた新井良太郎というご浪人の御嬢さんになにをしたのです」
  「はい、あまりにも可愛いかったもので抱き寄せて額にチュッとしました」
  「それだけですか」
  「はい、それだけです」
  「ご浪人は、娘を傷物にされたと仰っています」
  「それで傷物になったと仰るのならば、そうなのでしょう」
  「何を呑気なことを言っているのです、相手様は五十両もの大金を要求されているのですよ」
  「すみません、私が働いて返します、それまで父上に拝借しとうございます」
  「父上は激怒されて、あなたを手討ちにするかも知れません」
  「その時は仕方がありません、討っていただきます」
  「一度味を占めたら、何度もお金を要求してくるでしょう」
  「それでは、お奉行様に一部始終を申し上げて、お裁きを受けます」
  「わかりました、今夜お父上に打ち明けましょう」

 数馬の父上は話を聞いて、怒るどころか大笑いをした。   「いつまでも子供だと思っていたら、すっかり大人になっていたのだなぁ」  寧ろ感慨深そうですらあった。数馬は、父上の大きさを感じて「この父上の子に生まれて良かった」と、しみじみ思うのであった。
  「よし、五十両は私が工面しよう、数馬は明日奉行所へ行きなさい」
  「はい、父上」
 その夜、数馬は新三郎に語りかけていた。
  「どんな親切を尽くしても、一つの失敗で消えてしまうものですね」
  『あっしの所為です、面目ねぇ』
  「新さんの所為だけではありませんよ」
  『いえ、あっしが数馬さんにやらせたのですから…』
  「もう、止めましょう、こんな押し問答は…」
  『へえ』
  「ところで新さん、最初新さんと出会ったころは、暗闇では私に新さんの姿が見えていました」
  『はい、縞の道中合羽に三度笠姿ですかい』
  「そうそう、それがすっかり見えなくなったのは何故です」
  『それは、あっしが人間不信になり、恨みを持っていたからでござんす』
  「信じられるようになったのですか」
  『数馬さんに出会ってから、すっかり』
  「あははは、そうだったのですか」

 母上が廊下から窘(とが)めた。
  「数馬、夜中に何を独りで笑っているのですか 気でも狂ったのですか」
  「あ、母上、済みません、ちょっと思い出し笑いをしていました」
  「気持ちがわるい、早くお休みなさい」
  「はい」
   翌朝、数馬は北町奉行所に赴き、お奉行の遠山影元に自訴した。数馬はお奉行にも大笑いをされた。
  「額にチュッで、五十両か、随分と吹っ掛けたものだ」
  「でも、罪ですから」
  「よし、わかった、新井良太郎を呼んで、お白洲(しらす)で裁こう」
  「お手数をかけます」
  「神妙だなあ、数馬」
  「恐れ入ります」

 数馬の父能見篤之進が見守る中、新井良太郎と、お貴がお白洲に姿を見せた。暫くして数馬がお縄を受け、お白洲に引き出されてきた。白洲に敷かれた筵に座らされ、やがてお奉行が出座した。
  「能見数馬、面をあげい」
  「ははあ」
  「そちは、そこなるお貴が嫌がるのを抑え込んで、無理矢理に押し倒し、娘を傷物にしたと訴えられておるが相違ないか」
  「少し違います、立ったまま抱き寄せて、額に接吻をしました」
  「それだけか」
  「はい、迂闊なことを仕出かしてしまいました」
 貴は、異議を唱えるでもなく、黙って下を向いていた。
  「そうか、それでは五十両で和解をしたいとの訴願者からの申し出であるが、奉行の前にある五十両は、その和解に応じるために用意したものであるな」
  「はい、父上が持参いたしました」
  「ところで新井殿、そちは小石川養生所で病が治癒したそうであるな」
  「はい、お上のお蔭をもちまして…」
  「そうか、その小石川養生所へ入れるように懇願して参ったのはそこの下手人能見数馬であったのは存じておるか」
  「それはそれ、これはこれでございます」
  「では、それを許可したのは、この奉行であったが、やはりそれはそれで御座るか」
  「はい、この事件とは別のことでございます」
  「よくわかった、この五十両はそちの物じゃ」
  「ありがとう御座います」と新井。
 貴は下を向いて黙ったままであった。能見篤之進が差し出した五十両は、奉行の前にの三宝の上置かれていた。役人に合図をすると、新井良太郎の前に三宝が移された。
  「ところで新井殿、小石川養生所は、貧しい者にお上が手を差し伸べるところである」
  「はい、よく存じております」
  「養生所で新井殿に使った費用は五十両であった」
  「さようでしたか、ありがとう御座いました」
  「新井殿は、五十両もの大金を所持した金持ちであるな」
  「たった今、頂戴しました」
  「では、その五十両は、養生所へお返し頂こう」
  「えっ、そんな御無体な」
  「何が無体なものか、それが道理というものであろう」
  「おそれいりました」
  「もし今後、能見家に金を要求した時は、恐喝として縄目を受けることになろう」
 数日後、五十両は奉行所からこっそりと能見家に戻された。数馬は新井父娘のことが気がかりで、そっと覗きに行ってみたが、そこは空き家だった。近所の者に尋ねると、夜逃げ同然に引っ越していったという。数馬は、己の軽はずみな行動で、新井父子に辛い思いをさせたことを申し訳なく思い、これからは祝言を挙げるまでは女性に手を出すまいと誓うのだった。

   (江戸の痴漢・終) ―続く― (原稿用紙14枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第八回 幽霊新三

2013-06-18 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 水戸藩士、能見篤之進の次男数馬に、経念寺の僧、亮啓から使いが来た。亮啓は、元佐貫藩士の藤波十兵衛であったが、同藩士の親友阿部慎太郎が足を滑らせて崖から墜落したのを助けることが出来ずに死なせてしまった。

  「十兵衛が突き落とした」と、口さがない藩士たちの噂に耐えかねて脱藩し、江戸に落ち出家をして経念寺の僧になった。
 数馬が十兵衛の無実を明かしたことから親友となり、折につけ数馬を支えてきた若き僧侶である。
  「新さん、亮啓さんが新さんの墓が出来たからお参りに来るようにと言ってきた」
  「あっしの墓ですかい、なんか気恥ずかしいような…」
  「亮啓さんが、手厚く供養してくれるのだから、幽霊冥利に尽きるでしょ」
  「へえ、ありがとうござんす」

 新三郎の墓は、こぢんまりとはしているが、寺の敷地をちょっぴり占めて佇んでいた。その真新しい墓石は、空の色を反射して青く輝いていた。
  「いずれは木曾へお帰りになりたいでしょうが、当分はここで我慢して頂きましょう」  線香の束に火がつけられ亮啓の読経が始まったが、その声が裏山に吸い込まれて行くかのように耳に遠く聞こえた。
  「私が独り立ちできるようになったら、木曾へ改葬しましょう」
 数馬は新三郎に心で囁いた。
  「いえ、訳はともあれ、凶状持ちになった時点で、あっしは兄弟に縁を切られており、あっしも木曾に未練はありません」
  「そんなに意地を張らなくても、私が新さんの兄弟を説得に行きましょう」
 住職と亮啓に礼を言って帰宅の途についた数馬に、駆け出しの目明し仙一が手を振りながら走ってきて数馬の前で止まった。息を切らしている仙一に「どうしました」と、数馬が声を掛けると、松阪木綿の問屋、松阪屋宗右衛門の孫である四歳の男の子が拐かされたそうであった。

 宵五つ(午後8時ごろ)に指定した神社の境内へ千両持って来れば子供は返すが、役人に知らせたとわかれば、直ぐに子供の命を取ると繋ぎをとってきたという。
  「それで、私に何をせよと言うのですか?」
  「同心の長坂清三郎さまが、数馬さんのお知恵を拝借したいと仰っています」
 仙一は、長坂の下で働く目明しである。
  「わかりました、すぐ長坂殿の許へ参りましょう」
 仙一が息を整えるのを待って、二人は駆け出していった。
  「数馬殿、お待ちしておりました」
 長坂は数馬に一部始終を説明した。とにかく犯人は松阪屋周辺の動向をどこかで見張っており、役人は身動きとれぬ有様であった。例え千両を渡したところで、子供を返すことなぞ有り得ないことである。そこで、数馬に子供の居場所を推理して貰い、千両は奪われようとも、孫の命を救いたいというのが宗右衛門の願いであると言って長坂は昼間に届いた脅迫状を数馬に見せた。
  「暫く、この脅迫状を預からせて下さい」と、数馬は脅迫状を懐に入れると、長坂の前から離れた。
  「新さん、この紙の匂いを嗅いで、犯人を追えませんか?」
  「あのー、あっしは犬じゃ有りませんぜ、匂いなんかわかりません」
  「そうか、そうだろうなァ」
  「でも、神社からそんなに遠くではないでしょう、日が落ちたら、あっしが探してみます」
  「子供を隠しているのは、三町(約300m)四方の範囲内でしょう」
 これは、子供を負ぶってすぐに境内まで行ける距離を推理したもので、千両を渡す時に松阪屋の使いが、必ず「子供が無事か」と尋ねるだろうと犯人は考えて、この時点ではまだ子供を殺していない筈である。
  「指定した宵五つ前には子供を負ぶった犯人が神社の周辺を通るはずだから、それを新さんが見つけて私に場所を知らせて下さい」
  「子供はどうやって助けます?」
  「犯人は一人ではないかも知れません、新さんはその中の、子供を背負った者に取り憑いてください、そして、驚かすのです」
  「どうやって?」
  「うらめしや、とか、魂魄この世に留まりて、とか幽霊の振りをして犯人の心に話しかけるのです」
  「あっしは、振りをしなくても幽霊ですぜ」
  「あ、そうだった」
  「もう、頼りない!」
  「驚いて子供を落とすので、闇にまぎれて私が子供を抱いて逃げます」
  「仲間が居たら?」
  「そいつらも順に驚かせて下さい」
  「うへ、忙しそう、幽霊使いが荒いのだから…」

 数馬は、長坂に頼んだ。千両箱の中に石を詰めたものを用意して、松阪屋の使いの者に説明して途中の道で取り換えて貰う。初めから石を詰めろと松阪屋に言えば、恐らく子供の命が危ないと反対するだろうから、松阪屋から神社に向かう道の途中で、長坂と仙一に隠れて待っていて欲しい。数馬が子供を抱いて逃げてくるので、その時に犯人の居場所を知らせる。直ちに捕り手を呼んで、共に直行して欲しいと告げた。

事は計画よりも簡単に片付いた。新三郎が思いのほか早く三人の悪人たちを見つけた。数馬に知らせに戻った後、悪人たちの処へ戻った新三郎は子供を抱いた男に取り憑くと精一杯驚かせてみた。三人が呼び合う名を記憶したので、名前を出して「儂は死に神じゃが、お前はもうすぐ死ぬぞ~」なんて、取り憑いた男に告げると、「わっ!」と、腰を抜かして耳を塞ぎ、山道に丸くなって蹲り、ガタガタ震えだした。星明りにそれを見た仲間は、何事かと狼狽し、新三郎が取り憑くまでもなく隙だらけになった。その場へ到着した数馬が、子供を抱えて脱兎のこどく今来た道を取って返したのだった。
  「長坂殿、子供はこの通り無事です、長坂どのと仙一どのは、神社の本殿の真裏にある山道に入って行くと、三人の男がまだ狼狽していると思います、星明りで足元が暗いのでお気を付けて奴らを捕えて下さい」
  「よし、わかった」と、同心長坂と、仙一、捕り手衆が駆け出していった。
 子供を安心させながら暫く待っていると、長坂たちが三人の悪人捕えて戻って来た 数馬は仙一に子供を渡すと、「私はこれで…」と、帰途に向かった。

 殆どは新さんの手柄で、ことは計画通りに運んだ。千両も無事で、孫の命も取られずに事件が収拾したが、数馬のたっての希望で自分が手を貸したことを伏せてもらった。役人でもない者が無謀にも捕り物に加担したとあれば、お奉行遠山様のお叱りがまぬかれないのと、数馬の両親が心配するに違いないと思ったからだ。
 事件は長坂と仙一の大手柄になった。
  「あっしの働きはどうなるのです」と、不服な新三郎。
  「いいじゃないですか、新さんもあんな悪戯をしたことが極楽浄土の阿弥陀様に知れたら、ますます浄土へ行けませんよ」
  「誰がやらせたのですか」   「さあ?」   「さあって、無責任な、まあいいか、極楽浄土よりも数馬さんのなかに居る方が楽しいかも知れない」
  「そうでしょうか?」
  「これで数馬さんが嫁をとれば、もっと楽しい」
  「新さん、幽霊は本当に色気が無いのですか?」
  「さあ?」

 それから数日後に、北町奉行遠山影元から「すぐさま奉行所に来てくれ」と、数馬に使いが来た。拐わかし事件のことでお小言を頂戴するのかと恐る恐る出かけてみると、「これからお白洲で取り調べが始まるが、お白洲で畏まる熊吉と寅吉を数馬の観察力で見極めてほしい」と、奉行直々のご依頼であった。

 熊吉は昨夜三両の金を落とし、それを拾った寅吉が熊吉に届けてやった。熊吉は「俺は落としたのだからもう俺の金ではない」といい、お前にやるから持って帰れという。寅吉は拾って届けてやったのだから礼を言って受け取れという。どちらも引かないので奉行所に持ち込み裁定を願い出たということの次第であった。
  「あの両名の者は、正直者なのか馬鹿なのか、心医数馬はどう観る」と、奉行。
  「はい、暫く刻を下さい」と、待ってもらい、
  「さあ、新さんの出番です」
  「あのねぇ、このまっ昼間に抜け出るのは嫌です」という新三郎を宥めすかし、寅吉の真意を観に行かせた。新三郎から報告を受けた数馬は、お奉行に耳打ちした。

  「遠山左衛門尉様、御出座ーッ」

 襖が開いて、お奉行様が颯爽と登場する。お白洲の二人は土下座をしていたが、お奉行の   「両名の者、面を上げ」の号令で、恐る恐る顔を上げた。
  「話は全て聞及んでいる、両名の者、中々殊勝であるな」
  「おそれいりまする」
  「熊吉は、三両を受け取らないというのじゃな」
  「はい、左様でございます、私は落としたのですから、もう私のものではありません」
  「寅吉も、三両は受け取らぬと申すのか?」
  「はい、元々は熊吉のものでございますから、熊吉に受け取らせて下さい」
  「左様か、こう言い張っても埒が明かぬ、ではこうしょう」と、お奉行は懐から三両を取り出し奉行の前に置いてあった熊吉が落とした三両が乗った三宝に、奉行が出した三両を加え六両にした。
 両名は「ははーあ」と頭を下げて、「しめしめ、三両も儲かるぞ」と、ニンマリとした。
  「それでは、この六両を…」
  「ははあー、有り難き幸せ…」
  「小石川養生所へ寄付することとしよう、この裁きを、三方三両損と申す」
 熊吉、寅吉、「ガクッ」

   その昔、南町奉行であった大岡越前守忠相の、三両に奉行が一両足して四両にし、二人に二両ずつ分け与えたという「三方一両損」裁きの、ちょいぱくりであった。

  (幽霊新三・終)  ―続く―   (原稿用紙12枚)


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猫爺の連続小説「能見数馬」 第七回 江戸の名医

2013-06-17 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 数馬が新三郎に尋ねた。
  「新さん、あなた夜中に私の体から抜け出して、姉上の寝所へ行っていませんか?」
  「とんでもない、幽霊になってからは、そっちの方はからっきしダメでござんす」
  「姉が、深夜に天井で物音がして、誰かに節穴から覗かれているような気がする」というのだが、「新さんでないなら、何者だろう」
  「ねずみか、青大将でしょうよ」
  「そんなものが節穴から覗きますか」
  「あっしじゃありませんぜ、あっしには物音なんぞたてられやしません」
  「そうだなぁ」
  「あっしにお任せぐだせぇ、今夜、屋根裏で見張っていましょう」
 何も悩むことはない。新三郎なら簡単に正体を見極めてくれる。持つべきものは、幽霊の友達だと数馬は思った。

 真夜中前に、新三郎は数馬から「すーっ」と抜け出し、千代の寝所の屋根裏に入り込むと、ゆらゆらせずに隅っこで「じーっ」と待った。真夜中になって、大小の黒い塊が何処からか侵入して来た。ムササビの親子であった。ムササビからは新三郎の姿が見えないらしく、警戒することもなく、新三郎のすぐ近くで親がコロンと横になり、子供たちが競っておっぱいに群がった。
  「可愛いものですぜ、人間の棲家ということを弁えているのか、鳴き声もたてずに乳を飲んでいやした」
  「そっとしておいてやりたいが、糞尿が溜まると臭くなるので、出入り口を塞ぐしかない」
 翌日の夕方、数馬が屋根裏に入り、開いていた壁穴を古い金網で塞いだ。そのことを千代に話すと、「流石、数馬」と、褒めてくれた。心の中で、「あっしの手柄ですぜ」と、新三郎が叫んでいた。

 数日後、数馬の母千登勢が実家に戻った際に、千登勢もお付き合いのあるご近所のお屋敷でお嬢様が病の床に就き、医者を呼んだが病名が分からず、医者に「匙をなげられた」話を聞いてきた。

 お嬢様は、食事が喉を通らない所為で段々痩せ衰え、明日をも知れない病状だという。ご両親もまた心労が重なり、方々から医者や祈祷師や占い師を招いたが、やはり原因のわからない病気だと言われて、ただ神に縋る明け暮れだという。
  「新さん、この病何だと思います」
  「それは、お医者の仕事でしょう、幽霊にわかる訳がありませんぜ」
  「そうですねぇ、でもお気の毒です」
  「まてよ、打つ手があるかも知れない、あっしが御嬢さんに憑き、心の中を覗いて参りましょう、病気の手がかりが掴めるかもしれません」
  「それは妙案、明日母上の名代として、お見舞いに行きましょう」
  「ふーっ、若い女に憑ける」
  「何を喜んでいるのですか、新さん本当にそっちの方は、からっきしダメなのですか?」

 翌日、母上の承諾を得てお見舞いに行くことになった。病気の御嬢さんの屋敷を訪ねると、藁をも掴みたい心境の両親が「どうぞ見舞ってやって下さい」と、招き入れてくれた。
  「御嬢さん、私は能見千登勢の次男坊で、数馬と申します、私も医者を目指す者、この手拭の上からで構いませんから、お脈を診させてくださいませんか?」
  「お願いします」と、御嬢さんは蚊の鳴くような声で言った。
  「では、失礼して」と、脈を診ている振りをして固まっている間に、新三郎が「スーッ」と数馬から抜け出て、御嬢さんの中へ入り、暫くして戻ってきた。

  「数馬さん、これは恋煩(こいわずら)いですぜ」
  「なんだ、そうだったのか」
  「好きな男の名前も分かりました」
  「そうか、今からその男を探しに行こう」

 数馬が何やら呟いているので、母親が心配して数馬に声をかけた。
  「なにか、悪い病気なのでございますか?」
  「いえ、この病気は、私に治せるかも知れません」
  「本当でございますか」
  「はい、きっと治して見せましょう」
  「なんと、あれ程探した名医が、こんなにも近くにいらしたなんて」
 妙薬を取ってくると両親に告げると、数馬は屋敷を飛び出して行った。半刻(一時間)程のちに、数馬は若い男を連れて戻ってきた。
 男に訊くと、彼もまた名前しかわからぬ御嬢さんに一目惚れをして悩んでいたのだという。その御嬢さんが自分に恋をして寝込んでいると聞き、急いで掛け付けてきたのだ。男は数馬と同じく武家の冷や飯食いであったが、これが水も滴るよい男で、役者絵から抜け出てきたようであった。(落語・崇徳院のちょいパクリ)

  「御嬢さん私です、お逢いしとうございました」
 人前で、しかも両親が見守るところで、二人は抱き合った。見る見る元気になる娘を見て、両親は唖然としていた。
 御嬢さんは武家のひとり娘、男は旗本の三男坊、話はとんとん拍子に良い方に進むに違いない。
  「これは、心ばかりですが、娘の命を救ってくださったお礼です」と、帰りに小さな紙包みを数馬に持たせてくれた。中に十両もの大金が入っていた。
  「その十両、あっしに貰えませんか」新三郎が数馬の心に話しかけた。
  「幽霊が大金を何に使うのですか」
  「はい、実は私の屍が、鵜沼の山深くに打ち捨てられています、体の骨は狼に持っていかれてありませんが、頭骨だけが草に埋もれています」
  「それを拾いに行くのですね」
  「はい、数馬さんの屋敷裏にでも埋葬してほしいのです」
  「間もなく藩学が夏休みに入ります、鵜沼へ行きましょう」
 数馬は、両親に旅の途中で倒れた親友の骨を拾いに行くのだと打ち明け、旅の許しを乞うた。数馬は、長旅は生まれて初めてである。鵜沼宿は今の岐阜県である。しかし、我が新三郎の為である。尻込みしている場合ではない。旅慣れした新三郎が憑いていることだし何とかなるだろうと、父親の篤之進が止めるのも聞かず、一人旅に出立した。

 お江戸日本橋を出て、中山道を行くと、六十九次の五十二番目の宿が鵜沼である。序に記すと、中仙道、木曽街道、または木曾海道と呼び名は違うが、いずれも中山道のことである。起伏の激しい街道なので、若い数馬でも時にはへこたれることもあるが、そこは先を急ぐ旅でもないので、中山道を旅慣れた新三郎に身を任せ、のんびりと旅を楽しんだ。

 幽霊の新三郎もまた、数馬の目を通して昼間の風景をみることが出来るので、大のおとなとは思えないはしゃぎようであった。
  「前から美人がきやしたぜ」
  「顔を見てはいけませんぜ」
  「振り返ってはいけませんぜ」
  「お貴さんが泣きますぜ」
 数馬が煩い新三郎を窘めた。
  「ちっとは黙っていて下さいよ」
  「お貴さんが…」
  「お貴さんとは、何でもないのですから」
  「それ、顔が火照った」
 数馬がちょっぴり原をたてた。
  「いったい、誰の為にこんな旅をしているのですか」
  「それは…」
 やっと新三郎が静かになった。この足の早さであれば、往復しても二十日ちょっとだろうと、新三郎は予測していた。
  「ここは、南木曽(なぎそ)馬籠(まごめ)の宿ですが、間もなく美濃の国に入ります」  新三郎の道案内に堂が入って来た頃、鵜沼の宿に着いた。宿を取りゆっくり体を休め、明日の朝から山へ入ることにした。どこかの農家で手向けの花を分けてくれるところがないか、旅籠の女将に尋ねようとしたら、新三郎が遮った。
  「あっしゃ、花なんぞ要りません、酒にしてくだせえ」
 翌朝、女将に訳を話して、塩握りと竹筒に酒を満たして持たせてもらった。
  「数馬さん、これからあっしの骨を拾いに行くのですぜ、なんですかそのウキウキした顔は、まるで子供が袋をぶら下げて栗拾いに行くみたいじゃないですか」
  「いちいちうるさいなあ、新三郎さんは注文が多すぎます」
  「それでも、もう少し神妙な顔つきで出かけて下さいよ」
  「えーっと、これから山へ出かけるのは、誰のためでしたかねえ」
  「はいはい、わかりました、あっしのためです」
 こんな遣り取りを宿の者に聞かれたら、新三郎の声は聞こえないので、数馬はアホみたいみえるだろう。

 山裾のなだらかな斜面に、半分土と草に埋もれた頭骨が見つかった。来る途中、農家に立ち寄り、金を払って穴掘り鍬を借りてきたので、少し広く掘って骨格を探してみた。殆どが野犬か狼に持ち去られて大きな骨はなかったが、ばらばらになった小さな骨を拾い集めて持ってきた袋に入れた。頭骨の土を払って拾い上げ、胸に抱えると生きて元気に走りまわっていた新三郎の体温が感じられ、数馬はハラハラと涙を頭骨の上に落とした。新三郎もまた泣いているらしく、二倍の涙で頭骨が濡れた。
 一旦頭骨を岩の上に置き、酒をかけて涙を洗った。

  「ご苦労様でしたなあ」と、旅籠の女将が労ってくれた。
  「余計なことだったかも知れませんが、お骨を納める桐の箱を用意しておきました」
 箱にお骨を納め、白い布で包み、首から掛けて道中の妨げにならないようにと、女将が気を使ってくれたのだ。
  「ご親族の方ですか?」
  「はい、出来の悪い兄でして、私や両親を散々泣かせた上にこのあり様です」
  「そうでしたか、どんなお人でも、亡くなれば仏様です、大切に弔ってあげてください」
  「ありがとうございます」
  「誰が出来の悪い兄ですか」
 新三郎が文句を言った。
  「誰の為にこんな苦労をして遠くまで…」
  「あ、はいはい、あっしのためです、もーどれだけ恩に着せるのですか」
  「ははは、分かればよろしい」
 江戸を出立して、二十二日目に戻ってきた。経念寺に立ち寄り、十両から旅で四両使ったので残った六両を亮啓に渡し供養を頼んだ。亮啓は快諾し、早速本堂にお骨を置き、経を読んでくれた。数馬には亮啓が一段と僧侶らしくなったと、頼もしく思えるのだった。   「母上、数馬戻りました」
  「おかえりなさい、この塩を体に振り掛けて、お浄めをしなさい」
 数馬は躊躇した。もしや塩を掛けたら新三郎が融けてしまうのではないかと危惧したのだ。
  「あのねえ数馬さん、あっしはナメクジじゃありませんぜ」

    「数馬、日に焼けて随分黒くなりましたね」と、姉の千代。
  「ほんと、男らしいですよ、数馬」と、母上。
  「あのなまっ白いピーヒョロの数馬さんが、こんなに逞しくなったのは、誰のお蔭ですかねえ」と、新三郎。
  「それは、あのー」
  「あのー何ですか?」
  「お日様のお蔭です」


   (江戸の名医・終)   ―続く―  (原稿用紙13枚)


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猫爺の連続小説「能見数馬」 第六回 二つの魂を持つ男

2013-06-17 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 水戸藩江戸上屋敷の藩士、能見篤之進の次男能見数馬が帰宅の途につく早足を遮った男がいた。男は役人らしく、腰に大小の刀の他に、真っ赤な房が付いた十手を差していた。
  「能見数馬どので御座るか」
  「はい、能見数馬ですが」
  「拙者は同心、桧山進八郎と申す」
 数馬が北町奉行に散々頼みごとをするものだから、時には借りを返せと用事を謂いつけに来たのかと数馬は勝手に想像した。
  「よく私が能見数馬だと分かりましたね」
  「いや、声を掛けたのはお主で四人目だ」
  「私がこの刻にこの道を通ることを桧山様にお教えしたのはどなたですか?」
  「伊藤良庵先生のところの松吉でござる」
  「お知り合いですか?」
  「お役目中、眩暈がして倒れ、運び込まれたのが伊藤良庵養生所で、松吉に診てもらった時に故郷の話などをしました」
  「その松吉どのが、どうして私を桧山様に紹介したのでしょうか?」
  「実は拙者、霊媒師を探しておりまして、松吉に話したところ、あなたが高名な霊媒師の御曹司で在らせられると聞きました」
  「違いますよ、松吉のヤツ嘘をつきよったな」
  「嘘でござるか?」
  「嘘ですよ。以前に人助けの為、そんな風に騙ったことが有りましたが…」
  「騙りでも何でも良いですから、是非幽霊に逢ってやって下され」
  「また、幽霊ですか、そんなものはこの世に存在しませんよ」
  「私もそう思っていましたが、今度ばかりはそのお思いが翻りました」
  「へー、面白いかも知れない、お話をお聞きしましょう」
  「聞いて下さるか、有り難い」
 桧山の話を要約するとこうである。街道が山道に差し掛かって間もない場所に、朽ち果てた寺がある。その寺に幽霊がでると近くの村人たちの噂にのぼり、たまたま道を尋ねるために新八郎が村に立ち寄ったところ、腰に差した十手を見て、恐ろしいので調べてほしいと村長(むらおさ)に頼まれたのだった。

 夜が更けて進八郎が寺を見張っていると、やはり村人たちがいうように寺の中から何者かが出てきて、ふわりと空中高く舞い上がると、闇の中へと消えて行ったのだそうである。その出(い)で立ちは、道中合羽に三度笠、手甲脚絆(てっこうきゃはん)に紺の股引(ももひき)、足に草鞋(わらじ)、腰に長脇差(ながどす)だったらしい。

  「幽霊に十手を突き付けても糠(ぬか)に釘でござる、ここは一度引き下がって霊媒師にお出まし願おうと数馬殿を探しておりました」
  「変な幽霊ですね、草鞋履きだなんて」
  「はい、ふざけた幽霊で、生前はやくざだったようです」
 何にでも興味をもつ数馬のこと、何が出来るか分からないが結局は今夜出かけてみることにした。数馬もまた、借り物の縞の合羽に三度笠をかぶり。

    夜半になって、例の幽霊が姿を現した。道中合羽に三度笠の数馬を見つけると、飛んで来て中腰で右手を差さ出し、掌を上に向け、「お控えなすって」
  「あんさんこそ、お控えなすって」
  「いや、あんさんから…」
 こんなことを何時までやっていても埒(らち)が明かないので、数馬が控えると。「早速のお控え、ありがとうござんす」と、仁義が始まった。
  「手前、生国と発しますのは、信州にござんす。信州と申しましても些か広うござんす。信州は木曾の山裾、木曽川の水で産湯を使い、樵(きこり)の親父の背中をみて育った山猿の新三郎と発します。長じて、木曽川で中乗りをしておりましたことから人呼んで中乗り新三というケチな野郎にござんす」
 数馬も負けじと、
「手前生国は水戸にござんす、水戸に生まれて江戸育ち、墨田の数(かず)と発します」
  「ところで、今夜お見えなすったのは、このあっしに何かご用でござんすか?」
  「この近くの村人が、ここで幽霊を見たと騒いでおりますので、どのような事情であなたがここに滞在されるのか、お話を聞こうと参りました」
  「よくぞお訊きくださった」と、説明が始まった。
 木曽川で中乗りをしていた頃、材木の取引で世話になっていた江戸の材木商木曾屋孫兵衛が、やくざの陰謀にかかり殺害された。店も乗っ取られようとしていると噂を聞き、中乗りの水棹(みざお=筏を操る棹)を長脇差(ながどす)に持ち替え、江戸に出向き、やくざの親分を叩き斬り木曾屋の難を救ったが、凶状持ちになりお上の十手から逃げ回らなければならない旅鴉になった。
 一旦は木曾に戻り、将来を約束していたお蓑の家に匿(かくま)って貰ったが、追手が迫りお蓑に火の粉が降りかかってはならぬと、こっそり木曾の架け橋、太田の渡しを越え、鵜沼まで来たがお蓑が恋しくて鵜沼が立ち難く、もう一日、もう一日と日を延ばしているうちにやくざの子分たちに見つかり、 闇討ちに合ったと語った。

 ここで、中乗り新三のテーマ演歌を・・・

   ▽やくざ渡世の白無垢鉄火、ほんにしがねえ、渡り鳥
    木曾の生まれヨ、中乗り新三、いつか水棹を長脇差…
         (木曽節三度笠より)

 幽霊となったが、いつかはぐれてあの世にも行けず、魂魄(こんぱく)この世にとどまりて、独り彷徨う幽霊旅鴉、人恋しさに村里に来たが、人に嫌われ追い払われて、かくなる上は木曽路に身を潜め、悪霊となって旅人を驚かせてやろうかと…。
  「だめですよ、そんなことになれば、もっと人間に嫌われます」と、数馬は慌てて言った。
  「わかりました、私と一緒に人里へ行きましょう」
 だまって遣り取りを聞いていた桧山進八郎は、数馬の袖を引っ張った。
  「町へ連れて行ってどうするのですか」
  「まあ、私に任せて下さい」と、数馬。
  「知りませんよ、命を取られても」
 言い出したら聞かない数馬である。
  「新三郎さん、私の体に取り憑きつきなさい」
  「いいのですか?魂が二つになりますよ」と、新三郎。
  「これからは、この私の体を棲家となさい」
  「本当にいいのですかねえ」
  「私は一向に構いません、ただし、時は密偵として働いてもらう事があるかも知れません、よろしいですか」
  「はい、喜んで」と、中乗り新三。
  「私は夜中にやることがあります、気が散りますからごじゃごじゃ言わないでくださいよ」
  「はい、それはもう、あっしも男でござんすから、よく弁(わきま)えておりやす」
  「あっしも男とは、何なのですか」
  「それは、あのー、布団の中でゴソゴソと…」
  「違いますよ、勉強です!」
  「数馬殿、耳が真っ赤ですよ」と、蝋燭の火を翳して桧山。
  「さあ、新三郎さん、私の中へ入って下さい、もう夜が更けたので私は帰ります」

 翌朝、何時もの時間に雀の鳴く声を聞いて数馬は目が覚めた。何の違和感も無い。数馬は藩学の帰り道、桧山進八郎に会おうと北町奉行所に立ち寄り、「桧山進八郎さんの居場所を教えて下さい」と、尋ねてみたが、北町奉行所に桧山進八郎という人は居ないということだった。
  「南にもそんな名前の同心はいませんよ」と、尋ねた役人は不思議そうな顔をした。
  「数馬殿、夢でも見ているのでは…」
  「は?夢ですか?そんな筈はないのですが」
 ゆうべ、確かに桧山進八郎という人が待ち受けていて、一緒に朽ち果てた寺に行ったのだが、あんな馬鹿げた幽霊が居る筈もなく、自分の体に憑いた感じもない。やはり夢だったのかと思い直した。

 ある日、数馬が考え事をしながら町を歩いていると、どこからか数馬を呼ぶ声が聞こえた気がした。
  「数馬さん、この先の神社の杜で、若い女がチンピラ男たちに囲まれています」
  「行きましょう、なんとか止めさせることが出来るかも知れない」
 神社の裏山にいってみると、案の定三人の男が娘を押さえつけていた。
  「待ちなさい、今役人を呼びに行かせたので、もう直ぐ飛んできます」
  「なに、役人?ちっ!邪魔が入った」
  「逃げようぜ!」
 チンピラたちは丸くなって逃げ去った。
  「見ればお武家の御嬢さん、大丈夫でしたか」
  「はい、ありがとうございます、祈願をかけ、御百度参りをしていて襲われました」
  「今日は、これで帰りましょう、またあの男たちが襲って来るかも知れません」
  「はい、そうします」
  「お屋敷の近くまで、お送りしましょう」
 帰り道、祈願とはどのような… と、数馬が尋ねると、娘は「父の病が良くならないので」と、心配そうに言った。

 貧乏長屋の入り口で、「あばら家ですので恥ずかしいからここで失礼します」と、娘。
  「明日は、私の知り合いの同心に頼んで男たちを召し取って頂きましょう」
 娘を送り届けると、その足で同心長坂清三郎を訪ねた。
  「数馬さん、一緒に隠れて見張っていましょう、仙一も連れていきます」
 娘が御百度参りを始めると、案の定昨日の三人のチンピラたちが娘を取り囲んだ。娘に猿ぐつわをすると、担いで杜の中へ入っていった。

 今まさに乱暴をしようとした時、長坂が叫んだ。
  「待てー!北町奉行所の者だ、神妙にお縄につけ」
 驚いて逃げようとした男たちの一人に、長坂が取っ組み、投げ飛ばした。二人目は、仙一が習いたての十手術で羽交い絞めにした。三人目は、数馬が手に持った石を、足の踝めがけて投げつけた。三人の男は、数珠つなぎにお縄を受け、近くの番屋まで連れていかれた。
  「これで安心して御百度参りができます」と、娘。
  「そうですね、でもお供をお連れになった方がよろしいかと」
  「まだ、御百度参りが終わっていません」
  「では、お済みになるまで、私がここで見張っていましょう」
  「重ね重ね、ありがとうございます」

 数馬も医者を目指す者、娘の父のご病気が気になるので、会わせてくれないかと言ってみた。娘は父の病気のこととなると、恥も外聞も無い様子だった。
  「はい、お願い致します」
 娘は快諾してくれた。一間しかない長屋の部屋で、浪人は煎餅蒲団に寝かされていた。浪人の名は、新井良太郎、娘の名前はお貴であった。
  「新井様、お脈をとらせていただけませんか」
 数馬は、まだ医者ではありませんがと断って頼んでみた。
  「お願い申す」と、良太郎は痩せた腕を差し出した。さらに、お腹を打診しながら数馬は言った。
  「時々、たくさん血を吐かれましょう?」
 良太郎はこっくりと頷いた。お貴も、「それはもう」と、心配そうに言った。そして、数馬に訊き返した。
  「労咳でしょうか?」
  「まだ、医者には一度も診て貰っていないのですか?」
  「はい、父が拒みますので」
どうやら、娘にお金の心配をさせたくないのであろう。
  「労咳ではありません、胃の腑が爛れているようです、放置していると胃の腑に穴が開きます」
 現在で言う胃潰瘍であった。
  「この病は養生次第で治ります、小石川養生所で受け入れて貰えるか、私から問うてみましょう」
 もし、患者がいっぱいで待たなければならないのであれば、伊藤良庵の養生所に数馬の出世払いで頼んでみようと数馬は思った。
 とにかく、早く治療しなければ命に係るのだ。運よく、お奉行の耳にいれて置いたのが功を奏したのか、お奉行が口添えしてくれたらしく、小石川養生所の承諾が得られた。

 翌日、駕籠を差し向け、新井良太郎を小石川養生所に連れて行った。やはり、数馬の見立ては当たっていた。而もその原因は、娘に苦労をかけることに対する心労から来るものらしかった。
  「新井様、もう心配は要りません、娘さんには、暫くここで介護をして頂くそうです」
 数馬が、ここはお金が掛かりませんから安心してしっかり養生して下さいよ、と言うと気の所為か新井良太郎の目が潤んだように見えた。
  「新三郎さん、良いことをしましたね」
  「もう一つ、数馬さんに伝えることがあります」
  「何でしょう?」
  「数馬さんは、お貴さんに惚れてしまいます」
  「ん?そんな事が分かるのですか?」
  「あっしは、色恋沙汰では場数を踏んでおりやす」
  「へー、なんか、嫌なやつ」
  「まあ、そう言いなさんな、今にお役に立つときがきますぜ」
  「ところで、桧山進八郎さんはどうしたのですか?」
 気になって訊いてみた。
  「あの同心は信州のお役人さんで、あっしの成仏を気にかけてくれていました」
  「それで、新三郎さんが私に憑いたことで安心して帰ってしまわれたのですね」
  「本当は、凶状持ちのあっしを捕えるお役をお奉行から命じられていたようですが、あっしに同情して、わざと逃がしてくれました」

 やはり、あの変な出来事は夢ではなかった。あの日以来、「独り言の数馬」と異名をとるようになってしまった。
  「年寄りになったみたいで嫌だなあ」と、思ったが、新三郎の人の良さが快かった。数ヶ月後、数馬がお貴さんに会いに行くと、新井良太郎の病気は改善していて、爽やかな笑顔で迎えてくれた。新三郎の言う通り、数馬の胸がキュンとなったが、抑えて何事も無かったように別れてきた。

 新三郎は、何もかもお見通しの様子であった。

   (二つの魂を持つ男・終)  ―続く―   (原稿用紙17枚)


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猫爺の連続小説「能見数馬」 第五回 父の仇!

2013-06-17 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 白装束に白鉢巻、仇討ち姿の男女が能見家の門前に立った。女は十七・八歳、男は十歳前後だろうか、キリリと結んだ襷と腰に差した二本差しが凛々しい。

  「当家の数馬様は只今外出中ですが…」
  「それでは、門前にて待たせて戴きましょう」
 奥に下がった伝兵衛は、この家の内儀に伝えた。
  「何かの間違いでしょう。いくら道場で褒められたとは言え、数馬は一度も真剣を腰に差したことがありません。仇討の助太刀など無理というものです」と、言いながら、「わたくしがお話を伺いましょう」と、台所に立っていた内儀が前掛けを外して門口まで出て来た。
  「わたくしは数馬の母、千登勢です。お二人はどちらから参られましたか?」
  「はい、陸奥は越後長岡藩から参りました。わたくしは、長岡藩士加藤大介が一子雪と申します。こちらは弟の小太郎でございます」
  「それはまた遠方からご苦労様です。数馬にどのような御用でしょうか」
  「父の仇にございます。数馬どのが越後に武者修行に参られたおりに、卑怯にも父の背後から不意打ちで斬り付けました」
  「お待ち下さい。数馬はまだ塾生の身、而も真剣さえも握ったことのない十四歳の若造です。武者修行になど出かける訳がありません」
  「ですが、わたくしは父の苦しい息の下から、江戸から来た能見数馬の不意打ちに合ったと、はっきり聞きました」
  「それはおかしいですね、数馬は一度も長旅は致しておりません、数馬は医者を目指しており、寧ろ武道にあまり興味がありませんが」
  「それも、数馬殿から直に聞きましょう」
  「間もなく、数馬は藩学から戻ります。数馬がそのような男で無いことは一目みれば分かると存じます。くれぐれも冷静に見てやって下さい」
  「分かりました。待たせて頂きます」
  「どうぞ、座敷にお上がりになって、お寛ぎ下さい」
  「いえ、ここで待たせて頂きます」
 四半刻の後、数馬が帰ってくると、門前で刀の柄に手をかけて「キッ」と自分を睨み付けている二人が目に入った。
  「能見数馬どのですか」
  「左様、数馬ですが、どなた様です?」
  「わたくし共は、越後長岡藩士、加藤大介の一子雪です」
  「同じく、弟の小太郎です」
  「そのように遠方のお方々が、私に何の御用でしょうか」
  「黙まれ能見数馬、父の仇、尋常に勝負!」
 雪は仇討の決まり文句を言ったものの、腰に剣も差さず、柔和な、まだあどけなさが残る自分より年下らしい少年を見て「やはり人違いだったか」と、がっかりした。
  「私は逃げも隠れもしません。座敷の方でお話を聞きましょう」
 数馬は、自分が無防備であることを示す為に、故意に二人に背を向けて門を潜った。
  「母上、数馬ただ今帰りました」
  「はい、はい、お帰りなさい」
 濡れた手を前垂れで拭きながら、千登勢が出て来た。
  「お客様も、どうぞご一緒にお上がりになって、数馬と先ほどのお話をなさいませ」
 先ほど、仇討ちの話を姉弟から聞いた様子なのに、何と落ち着いた母上の態度と、半ば呆れ気味に数馬は母親を見ていた。
  「雪さんと、小太郎さんもお腹が空いていらっしゃるでしょ?いま用意しますからね」
 雪が「どうぞお構いなく」と言う間もなく、千登勢は奥に下がった。数馬も、二人を客間に残して「着替えをして参ります」と、座敷を出た。

  「お待たせいたしました」と、数馬が座敷に戻ると、一瞬警戒して脇に置いた大刀を引き寄せたが、数馬が丸腰なのに気づくと、「ふっ」と、緊張した気持ちを緩めた。
  「お食事の用意が出来ました」と、下女のお多美が姉弟に「数馬さまとご一緒でよろしゅうございますか?」と聞いた。
  「はい、お世話をおかけします」と、雪は素直に応えた。
  「なにも気の利いたものは有りませんが、どうぞご遠慮なく召し上がって下さい」と言って、「大丈夫ですよ、お毒見は数馬にさせますから」と、千登勢は笑って見せた。
  「母上!毒見をわが子にさせる母親はどこの国に居ますか」と、怒ったのを見て、弟の小太郎が「ふふっ」笑った。
  「いますよ、伊達家のお家騒動で、若様が毒で殺されようとしたとき、若様の乳母の実子が、常々母に教えられていたことを守り、若様に献上されたお菓子を毒入りと知って食べて死に、若様の命と母の窮地を救うのです」
  「それはお芝居でしょう。伽羅(めいぼく)先代萩とかいう」
  「あら、知っていたのですか?」
  「知っていますよ、小さい頃お芝居を観に連れて行ってくれたでしょ。母上がメソメソ泣くもので、数馬は恥ずかしかったです」
  「泣いていませんよ」
  「泣きました、芝居が終わって外に出たら、目を真っ赤に泣き腫らしていて」
  「嘘ですよ」
 親子の会話を聞いていた雪も、控え目に「くすっ」と笑った。

 弟は、国に独り残してきた母のことが気がかりなのか、少し寂しげであったが…。
  「お話によると、お父上と賊が、擦れ違い様にお父上と確認して背中から斬り付けているようですね。その時に、私の名前を告げたのでしょう」
  「はい、そうだと思います」
  「武者修行など真っ赤な嘘で、何者かに雇われた殺し屋が殺ったものでしょう」
  「態々、江戸から殺し屋を呼び寄せたのでしょうか」
  「それは、考え難いですね。流れ者の殺し屋でしょう」
 それにしても、どうして自分の名前を出したのだろう。自分が恨まれるとしたら、盗賊楽天組の残党かも知れないが、全て磔になった筈である。或いはその家族か、あの皆殺し事件の時に居なかった仲間の逆恨みだろうか。それとも、殺し屋が咄嗟に口にした名前が、たまたま能見数馬だったのだろうか。

  「雪さん、小太郎さん、今から北町奉行所へ行って能見数馬という男が、最近江戸を離れていないか調べて貰いましょう」
  「お奉行様が、取り上げて下さるでしょうか」
  「大丈夫です、お奉行の遠山さまは、私の友達ですから」
  「これ数馬、お奉行さまを友達とは何事ですか、少しは口を慎みなさい」と母上。

 北町奉行所の門前で「能見数馬ですが」と言いかけると、奉行所の門番は「また、お奉行に頼みごとですか」と笑ったが、すぐに門を開いてくれた。

  「数馬、お前はこの奉行を余程暇人と思っておるようじゃのう」
  「いえ、人がひとり殺された事件ですので、いや、一人ではないかも知れません」
  「拙者の耳には入っておらぬぞ」
  「はい、越後の事件ですから」
  「そのような遠方の事件を、江戸の奉行にどうしろと申すのじゃ」
  「下手人が江戸の者らしいからです」
  「聞こう、申してみよ」

 数馬は、雪と小太郎を奉行に引き合わせ、事の次第を申し上げた。
  「その下手人の名が、能見数馬というのじゃな」
  「はい、左様でございます」
  「それで、数馬は自訴して参ったのか?」
  「違いますよ、数馬は越後などへ行っておりません」
  「その能見数馬という男の人別帳を調べろというのか?」
  「はい、どうかお願いいたします」
  「よし、わかった、今から調べさせよう。待っている間に、良いものを見せてやろう」
 奉行は、配下の者に耳打ちをすると、若い役人は「どうぞこちらへ」と、奉行所の裏へ案内してくれた。
 そこでは、同心が一人の若い町人に十手術を教えていた。
  「数馬殿、このことは決して外部に漏らしてはならぬぞ」と、役人は特別の事だと勿体ぶるように言った。

 指導を受けている若い町人は、数馬に気付き、「あっ」と声を上げた。  教えていた同心は「隙あり」と、町人の脳天を竹刀で打った。町人は、殺された目明し、達吉の倅仙一だった。  「話なら、稽古が終わってからにしなさい」と、同心は稽古を続けたが、仙一は浮き足たって打たれっぱなしだった。

 稽古が終わらないうちに、奉行の呼び出しがあった。能見数馬という男は居ないが、最近越後に行って、重い怪我を負って帰ってきた高須庸介という浪人者が居たという。現在は小石川養生所で怪我の治療をしているそうである。

  「どうだ、同心と目明しを付けるから、数馬得意の鎌をかけて問い質してみるか」
  「鎌をかけるなんて人聞きがわるい、尋問ですよ」
 数馬にはすぐに分かった。同心とは、先ほど仙一に十手術の稽古をつけていた若い同心で、目明しは仙一のことだろう。
  「はい、行って参ります」
 現れたのは、やはり数馬の推察通りだった。
  「数馬さん、私は同心長坂清三郎、こちらは目明しの仙一です」
  「長坂どの、よろしくお願い申します、仙一は私の友人です」
  「そうでしたか、どうりで稽古途中、数馬どのを見て仙一はそわそわしておりました」
  「すみません、懐かしかったものですから」
 仙一は、腫れ上がった頭を撫でながら弁解した。
  「事情はお奉行から全て聞きました」
  「そうですか、こちらの二人が其の殺された長岡藩士加藤大介殿のご子息小太郎どのと、姉上の雪どのです」
  「無念でしょうお悔やみ申す、それにしても、よく江戸まで無事に来られましたなあ」
  「弟も、幼いながら武士の子です、わたくしをしっかり護ってくれました」
  「いやァ、頼もしいですな」
 小太郎は、ちょっと得意顔だった。

 小石川養生所にも、奉行から繋ぎを受けていたらしく、五人を快く迎えてくれた。高須庸介の病室に入ると、高須もまた背中を斬られたらしく、俯せに寝かされていた。
  「高須さん、分かりますか、私は能見数馬と申します」
 高須はギクッとしたが、観念したのか「名前を騙って申し訳なかった、皆殺し事件の時に耳にした名前だったのでつい出てしまった」と、詫びた。
  「名前のことは良いのです、あなたは誰かに呼ばれて越後へ行きましたね」首を少しコックリとして、頷いてみせた。
  「その人が誰か言えますか?」
 高須は、だまり込んだ。
  「言わなくても結構です、今、早馬を乗り継いで密偵が越後に向かっています」  数馬は続けた。
  「あなたは、加藤大介という長岡藩士を知っていますね」
 高須は肯定した。
  「あなたは、長岡藩士の誰かに金を貰って、加藤大介殿を卑怯にも背中から不意討ちをかけましたね」
 高須は、観念したようだった。
  「あなたを口封じのために斬ったのは、その藩士でしょう?」
 掠れた声で「はい」と言って、顔を布団に埋めた。
  「ここに居るお二人が、その加藤大介殿のご子息と姉君です、なぜここに来られたかわかりますよね」
 高須は頷いて、「申し訳ないことをしました」と、あっさり白状した。
  「では、その殺しを頼んだ藩士の名前を訊きましょう」
  「松井稼頭之進です」
 雪と、小太郎は驚いた。松井稼頭之進は、父加藤大介の古くからの親友だった。
  「そこまで白状したのです、密偵が戻らぬうちに全部吐いて、楽になりませんか?」
  「越後の縮緬問屋、光衛門に金で頼まれて二人の商人を殺しました」
  「長坂殿、お聞きになりましたか?」
  「しかと聞き申した」
  「雪どの、小太郎どの、こんな男を殺したとても気が晴れないでしょう、ここはお役人に任せて、お国にお戻りなさい」
お奉行に頼んで、一部始終を書簡にしたためていただき、長岡の殿様の裁量を待ちましょう。別件の越後の縮緬問屋の方も、調べさせて下さるでしょう。
 「仇討をすれば、周りの者が天晴れと褒めたたえてくれるでしょうが、人を斬った感触は一生不快な記憶として残ると思いますよ、ねえ、長坂どの」
 「いえ、私はまだ斬ったことは有りませんが、お役目ですから斬ることもあるでしょうし、不快などと言っていられませんよ」
 「正直な長坂どのですね、この二人の為に、話を合わせて下さいよ」
 「私も武士の子ですから平気です」と、小太郎。
 「仙一どのは、私の言うことがわかりますよね」
 「わかりません、わたしは父のように殺されても、人を殺すことはないでしょうし」
 「そうですか、そうですか、私の思いを分かってくれるのは雪さんだけですよね」
 「いいえ、わたくしも武家の娘です」
 「・・・・・」

 雪は頼もしい小太郎と共に越後へ帰っていった。二ケ月後、雪から書状が届いた。そこには、松井稼頭之進が藩金横領と、それを加藤大介に知られて自訴を薦められ、大輔の口封じのために殺害を高須庸介に依頼したことを告白して斬首刑となったこと。藩主が雪と小太郎の働きを褒め、加藤小太郎を跡目相続人として、お家の再興を許可してくれたこと、縮緬問屋光衛門が町奉行に捕えられたこと等がこと細かく記されていた。

 数馬からも、殺し屋高須庸介が磔になったこと、北町奉行遠山影元が長岡藩主と連絡を取り合って、事件を解決へと導いてくれたこと等を記した書状を送った。その追伸に、悪戯半分、冷やかし半分で「同心長坂清三郎殿が、雪さんに一目惚れしたらしい」と、書いたことが切掛けで、後に清三郎は越後へ行き雪さんと夫婦になり、夫婦して江戸へ戻ってきた。

   (父の仇!・終)  ―続く―   (原稿用紙16枚)


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嘘の物語

2013-06-15 | 日記

 私がこのブログに投稿している物語は、時代背景などの考証は完全無視である。 例えば、北町奉行の遠山左衛門尉影元の時代なのに小石川養生所が出てくるが、影元が北町奉行に就いたその年に、小石川養生所はなくなり町医者に切り替えられているのだ。

 物語を面白くするために、こう言った「嘘」はよく用いられるもので、水戸黄門の諸国漫遊のドラマに、平賀源内が登場したりするのも、時代考証の誤りではなく故意に登場させているのだ。

 今、書いている「能見数馬」14歳の主人公は、魂を二つ持っている。 ひとつは、数馬自身の魂。 もうひとつは、死んだやくざの魂。 普段は数馬に憑いているが、体から離れて忍者として活躍する。 「そんなアホなことがあるかい」 と、突っ込みを入れながら読んで頂けるか、無茶苦茶マンガとして読んで頂けるか分からないが、本人は面白がって楽しんで書いている。 純情な少年と、世間擦(せけんす)れした「お兄いさん」の取り合わせが、いろんな事件を解決してくれるかも知れません。

 ずっと以前に、男の体に女の魂が宿った人の事を書いた記憶があるが、あれは魂というから「嘘っぽい」のであって、魂を「心」に置き換えれば、性同一性障害のお姉系男性にそのまま通用する。 ただしホモセクシャルとは自ずから異質なもの。 こちらは、男の体に男の心が宿っているのだが、その性愛対象が同性に向けられたもの。  

    
 *世間擦れ(世間に揉まれてきて、世間の裏まで知り尽くしていること) 


ましゅまろ、ぽーん

2013-06-12 | 日記

 マシュマロ、ぽーん。 あれは洗濯柔軟剤のCMかな? 最近の若い人たちは、ご近所の人たちとフェイスタオルを貸し借りしているのだろうか。 昔人間には理解不能。 タオルだのパンツなんぞは貸し借りしないものだと思い込んでいた。

 布団や絨毯の丸洗い? あの消臭スプレーで丸洗いが出来るの? 最近の技術の進歩に、年寄りはカルチャーショックを受ける。 消臭剤に元来は有害な筈の滅菌成分クウォットを混ぜて、これで布団を丸洗いする程もスプレーして無害な訳がないのだが、そこが進歩なのかなァ。 染みついた汚れを取らずして、丸洗いが出来るというのも「へー」と感嘆する。

  食器洗い用の滅菌成分入り洗剤のCMをよく見かけるが、私はあの手のCMを脅迫型CMと呼んでいる。 使い終わったスポンジを滅菌せずに置いておくと翌日は食器にばい菌を塗り付けていることになるのだとか。 翌日ばい菌の付いていないスポンジで洗おうと思えば、殺菌用アルコールか、塩素系の漂白液にでも浸けっぱなしにしなければならない筈だ。 翌日汚した食器を洗うときは洗剤を付けて洗い、食器についた洗剤をよく洗い流してから乾燥させて食器棚に片づける。 ばい菌だらけのスポンジで食器を擦っただけで片付けるバカは居ないだろう。 私はふつーの洗剤で洗った食器を毎日使っているが、それで食中毒を起こすなら、私は年中食中毒症に悩まされているだろう。 

 行き過ぎた脅迫型CMや大袈裟CMや嘘CMの粛清を、民間(アメリカ人演歌歌手みたいな名前)の自主規制機関にまかせっきりにするのはどうかと思う。 「自主」という言葉が示すように、広告主などが主体なのだから、あれは苦情を訴える消費者と広告主の間に入る緩衝的役割の機関だと私は思っている。


猫爺の連続小説「能見数馬」 第三回 十四歳の占い師

2013-06-09 | 長編小説
 能見数馬の目前を、四人の男が人を探している様子で通り過ぎて行った。数馬が何事かと訝るっていると、暫くして十七・八の町娘が、男たちが走って行った方向に歩いて行った。数馬は胸騒ぎがして、思わず娘に声をかけてしまった。


  「娘さん、ちょっとお待ちになって下さい」
  「わたくしですか?」
  「はい、そうです。私は占い師の能見数馬と申す者、あなたに御難の相が現れています」
 娘は、「ほほほ」と笑って、「わたくしは占いなど信じませんので」と、その場から立ち去ろうとした。
  「そうですか、それでも其方の方角に行かれるのはお止しになられたほうが…」
  「ですから、占いは信じませんと言っているではありませんか」と、ちょっと苛ついた様子であった。
  「見料など頂戴しませんから」
  「お若いお武家様、どんな魂胆かは知りませんが、少しくどくはありませんか」
 娘は、言い放った。
  「申し訳ない、気掛かりだったもので…」
 数馬は、立ち去る娘の後ろ姿を暫く目で追ったが、「自分の思い過ごしであろう」と、忘れることにした。
 日が暮れて、所用を済ませた数馬が大川橋を渡ろうとしたとき、今まさに川へ飛び込もうとしている娘の姿が目に入った。
 数馬が「お待ちなさい!」と、大声を出したのを合図のように、娘は橋から飛び降りた。数馬は後先を考えず、着物を脱ぐと川へ飛び込んでいた。泳ぎは達者だったが、川の流れが速くて苦労した。まず水に潜り、娘の足を持って頭が水面の上になるように持ち上げ、娘を仰向けにして首に左腕をまわし、右腕と足だけで何とか川岸まで泳ぎ着いた。
 娘は少し水を飲んでいたが、自分で吐き出すとケロッとした顔で言った。
  「また、昼間の占い師の方でしたか、もうわたくしのことはほっといて頂けませんか」
  「命を粗末にするのを見て、それは出来ません」
  「あなたさまの占いを信じていればこうは成らなかったと仰いたいのでしょうが、わたくしは後悔などしておりません」
  「何か有ったのですね、話して頂けませんか」
 数馬は「その前に」と断って、「取敢えず、その濡れた着物をお脱ぎになって、わたしの着物を羽織って頂けませんか?」
わたしは、暫くあちらにおりますから、と堤を指差しその方へ歩いて行った。着替えた頃合いを見て戻ると、男物の着物を着たのが余程恥ずかしいのか、それとも数馬の褌姿を見るのが恥ずかしいのか、娘は小さく屈みこんでいた。
  「娘さん、ここから二、三町行ったところに私の屋敷があります。そこで今後のことをお話ししませんか?」
  「でも、そのお姿では…」
  「わたしは男ですから平気ですよ」
 数馬は笑った。
  「わかりました。あなたさまにお任せいたします」
 娘は、すっかり頑なな態度を改め、数馬に従う覚悟を決めたようであった。
  「お譲さん、お風呂を沸かせましたから、お身を清めていらっしゃいな」
 数馬の母が、何かと客の世話をやいていた。 姉は自分の着物と襦袢などを用意して、「お風呂からお上りになりましたら、お着せ致しますから」と、姉妹ができたように突然の女性客を喜んでいるようであった。
  「娘さんは、どちらのどなたですか?」
 今まで、何も聞いていないことに気付いた数馬が娘に尋ねた。
  「下崎町の薬種問屋、蔦ノ屋の娘結衣と申します」
  「では、使用人を走らせて、無事で当家にお預かりしていることをご両親にお伝えしましょう」
  「でも、父母は心配していないと思います」
  「それは、何故ですか?」
  「父母の思い通りにならない娘ですから」
  「我が娘の安否が気にならない両親など居ましょうか」
  「わたくしを、良家に嫁がせることしか頭にない親たちですから」
  「そうですか。でも拐かされたとお思いかも知れません。一応、使いを遣ります」
  「お世話をおかけします」
 この娘は数馬に会ってから今までで、初めて礼らしい言葉を発した。

 客間の大卓にお茶と茶菓を用意させて、数馬は結衣と二人で向き合った。数馬の姉が結衣の乱れた髪を直したらしく、また姉の着物がよく似合って、あの慇懃無礼な娘はどこかに去り、可愛らしい結衣が座っていた。
  「昼間、あなたは若い武士たちに襲われたのではないですか」
  「その通りです。わたくしには、親の薦める縁談を断っても一緒になりたい人がいます」
 それは、まだ医者見習いの農家の三男坊松吉という若者で、町の養生所に住み込んでいると打ち明けた。
  「その人の名を騙(かた)って、誘(おび)き寄せられたようですね。御難の相が顕れていると申し上げたときの、あなたの一途な気持ちがそれを物語っていました」
  「はい、愛しい人に逢いたい一心でした」
 しかし、呼び出された場所に行ってみると、無頼の旗本の若様が待っており、廃屋に連れ込まれて取り巻きの若い男たちと共に乱暴されたという。
 このまま家にも帰れず、こんなにも汚れてしまった体で愛しい人のところに行く気にもなれず、思い余って川に身を投げたところを数馬に助けられたのだった。
  「旗本は町方には手が出せません。ですが、そのために目付が置かれているのです」
 旗本の若様については、数馬が調べて「手を打ちましょう」と言った。  この若すぎる武家の御曹司に何が出来るのだろうと、結衣は内心「気休めだろう」と、考えていた。
 娘の両親に知らせに走った能見家の使用人が、「そんな娘は要らないから、焼くなり煮るなり、能見さまにお任せします」との返事を持って戻ってきた。
  「そうで御座いましょう。多分私はあの両親の娘ではないと思います」
 結衣もまた平然としていた。
  「それにしても、呆れ申した」
 数馬は、こんな親子も居るのだと、世の中の広さに驚かされた。
  「わたしの占いでは、あなたは幸せを掴むと出ています」
  「こんなわたくしが、で御座いますか」
「はい、明日松吉さんに会いに行きましょう」
  「こんな汚れた体で、嫌でございます。もう、生涯あの方のことは考えないようにします」
  「体の傷跡も、心の傷跡も生涯消えることはありません。でも、痛みは消えます。松吉さんの愛が本物であれば、きっと彼が痛みを取り除いてくれるでしょう」
 これ以上悲しい思いはしたくないと渋る結衣を「わたしの占いを信じて…」と宥(なだ)め、ふたりは松吉が働く養生所へ向かった。
 結衣が自分に会いにきてくれたことを、松吉は大喜びして迎えてくれた。数馬は、その喜びが「すーっ」と消えることを話さなければならなかった。結衣に起こった一連の身の上を包み隠さず聞いた松吉の顔色が変わった。
 やがて怒りの表情になり、壁に自分の頭を打ち付けた。怒りは、旗本の無頼息子に向けたものではなかった。その話を聞き、怯(ひる)んだ自分への怒りであった。
  「もし私が武士であったなら、その男たちを斬り、私も切腹して果てたでありましょう」  松吉が流す涙は、血も混じりかねなかった。   「私の復讐は、医者を志すものとして結衣さんの傷を治すことです。医者としては、まだまだ未熟ですが、結衣さんへの愛は誰にも負けません」
 数馬は、自分の占い、いや、読みが正しかったことを確信した。
  「結衣さんの行き場所がないなら、この養生所で私と一緒に働きませんか?」
 ちょうど、病人を介護する女手が足りなくて困っていたところだった所長は、「是非」と、言ってくれた。  食事と寝所は提供するが、お給金は「雀の涙」程しか出せないと所長は恥じながら言った。私立の養生所は、お上が運営する養生所のようにお上からの助成金が皆無だからである。
  「それでも構いません」と、結衣は快諾し、いつの日か松吉の妻になることを夢見た。
  「私が医者になれたら、ご両親のところへ挨拶に行きましょう」
 松吉の胸も膨らんだ。
  「その頃は、数馬さんも立派な大人に成られておいででしょう。私たちの媒酌をお願いします」
  「立派な大人かどうかは補償の限りではありませんが、引き受けましょう」
 実のところ数馬に自身はなかった。媒酌人は夫婦でやるものだから…。

 日を改めて、数馬は北町奉行を訪ねていた。無頼の旗本の若様を突き止めたこともあり、二つの願い事をするためであった。
 一つは、登城の際に無頼の若様の父上に耳打ちしてほしいことがあると、断られることを承知で願ってみた。
 一言、「ご子息三男坊の暴虐ぶりをお目付けに進言しょうとしている者がいます。お気を付けられますように」と。
 もう一つ、下崎町の薬種問屋、蔦ノ屋の娘結衣が受けた難儀と、両親の娘への仕打ちなどをこと細かく話し、時が満ちてこの二人が結ばれるとき、この冷酷な両親に会いに行き、「駆け落ち者」と訴えられる恐れがある。そうなれば、松吉は死罪を免れない。駆け落ちではないというお奉行の「お墨付き」を、この二人に持たせてやりたいという数馬の親心である。
  「数馬に親心があるとは、恐れ入った」 と、大笑いしながらも遠山影元は筆を執った。  それ以後、無頼の若様の悪い噂がすっかり消えた。

   (十四歳の占い師 終)  ―続く―   (原稿用紙12枚)


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   「第九回 江戸の痴漢」へ
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   「第十六回 弟子入志願」へ
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   「第十八回 暫しの別れ」へ
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  「次のシリーズ 佐貫三太郎」
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猫爺の連続小説「能見数馬」 第四回 若き霊媒者

2013-06-09 | 長編小説
【能見数馬 第一回 心医】から読む

 ある日の昼下がり、数馬が水戸藩の藩学分校から戻ると、門口の掃除をしていた下男の伝兵衛が「数馬さま、先程から客人がお待ちです」と、庭の隅を指差した。伊東良庵養生所の見習医者松吉だった。伝兵衛は客間に通そうと思ったが、「ここで待たせて貰います」 と、庭石に腰を掛けて待っていたそうである。
  「松吉さん、いらっしゃい。どうされました?」
 数馬の声を聞いて松吉は立ち上がり一礼をした。
  「数馬さまにご相談があり、罷り越してございます」
  「こんな若造の前で、そんなに畏まらないで下さい。結衣さんのご機嫌はよろしいですか?」
  「はい、それはもう活き活きとして、よく働いてくれます」
  「それは良かった」
  「今日伺ったのは、結衣さんのことではありません」
  「お聞きしましょう。ところで松吉さんは昼の食事は摂られましたか?」
  「いえ、まだです」
  「わたしも腹が減りました。母上が何か用意していると思います。家に入って、お話は食べながら伺いましょう」

  数馬は松吉を自分の部屋に案内し下女に二人分の食事を持ってこさせ、松吉と食べながら話した。
  「相談というのは、どのようなことでしょう?」
  「数馬さまが心医という医者を目指していると結衣さんから聞きまして」
  「誤解なさらないで下さい。わたしは心の臓の病を治す医者を目指しているのではありません」
  「はい、承知しております。魂医とかいう胡散臭い医者で無いことも存じております」
  「それで安心しました。どうぞお話し下さい」
  「実は、病人のことなのです」
 松吉が話したのは養生所の患者の病状である。昼間は普通の生活をしているのだが、夜になると体中に痛みが走り眠れないという。亡霊に取り憑かれているのか、恐ろしい幻覚を見るらしく、呻いたり騒いだり悲鳴を上げたりで、霊能者に見てもらったところ悪霊が憑いていると言われ、大枚を払って悪霊祓いをしてもらったが一向に良くならない。家族の手に負えないので養生所預かり(現在でいう入院)にして昼夜脈診をしてみるが異状なく、薬剤も効かないためどうしても原因が掴めない。もしかしたら、これは数馬さまが言っておられた心の病ではないかと、結衣が言い出したのである。
  「わかりました。ちょうど明日は藩学が休みなので、今から養生所へ行きましょう」
  「そうですか。恐れ入り序にお願いですが、今夜は養生所で明かしていただけませんか?」
  「もちろんです。今夜、診察のお手伝いをしましょう」

 数馬は、母上に告げるために部屋を出たが、すぐに母上と共に戻ってきた。
  「こんな子供がお役に立つのでしょうかねぇ」
 母上は笑いながら、「お寝しょをしたら、ぶってやって下さいよ」と、冗談を言った。
  「お寝しょとは酷い、いつまでも赤ん坊扱いされていますから、数馬は中々大人に成れません」

母上が部屋から出て行くと、数馬は声を潜めて、「病人には、わたしを権威ある霊媒者の後継者で、生まれついての霊能力を持った御曹司と嘘の紹介をして下さい」
 数馬が、何を企んでいるのか、或いは悪戯心なのか、松吉には想像がつかなかった。

   道すがら、数馬は松吉に病人について質問をした。病人というのは父親辰平が一代で築き上げた小間物店の長男で、小売店といえどもそれなりの構えと、使用人も五・六人雇っている商家である。
 辰平夫婦には二人の男の子供があり、長男を卯吉、次男は寅次郎という。卯吉は二十歳で博打好き、寅次郎は十六歳の真面目過ぎるくらい真面目な性格で、店の帳簿管理など任されるくらいであった。それに比べて卯吉は、放蕩とまではいかないまでも、ちょくちょく店の金をくすねては博打で使い果たし、父親の辰平に見つかりこっ酷く叱られていた。
 そんなこんなで卯吉と父親は普段から折り合いが悪く、時には派手に親子喧嘩をやらかし、「お前を勘当して、店は寅次郎に継がせる」と、言うのが辰平の口癖になっていた。

 その日、辰平は卯吉に身を固めさせようと二階の卯吉の部屋へ上がったが、思いとどまったのか卯吉の部屋に入らずに降りようとして、階段から足を踏み外して転げ落ち、そのまま帰らぬ人となった。口さがの無い使用人の中には、勘当を言い渡されて「卯吉がカッとなって突き落とした」と噂をしていた。

 松吉に紹介されて、徐に卯吉の前にドッカと胡坐をかいた数馬は、敵に合った小動物が毛を膨らませて出来るだけ大きく見せようとするかのように、肩を怒からせていた。
  「どうぞ、お楽になさって下さい」と、数馬が言った。松吉は横を向いて「ぶっ」と、笑った。どう見ても数馬の方がぎくしゃくしていたからだ。
  「今夜、わたしがあなたに取り憑いている霊に逢って話を聞いてきます」
  「よろしくお願い致します」
 体格は大柄であるが、少しばかり気が弱そうな卯吉であった。昼間は正常という松吉の言葉通り、とても病人と言える様子はなかった。少しばかり世間話のような会話をして「それでは夜にまた参ります」と、数馬は病人の部屋を出た。

 夜、再び卯吉の部屋に入ると、卯吉の様子は一変していた。姿が見えない何かを恐れて、顔面は蒼白になり、体が小刻みに震えていた。
  「卯吉さん、私が今から霊に合ってきます。安心して、わたしを見ていて下さい」
 数馬は、祈祷をするでもなく、念仏を唱えるわけでもなく、黙って目を瞑り、静かに座っているだけだったが、突然立ち上がろうとして、横向けにばったり倒れた。数馬は悶えることもなく、身動きさえしなくなった。ほんの少し時間が流れ、数馬は意識を戻した。
  「卯吉さんに取り憑いたのは悪霊ではなく、あなたのお父さんでした」
 それを聞いて、卯吉は狼狽した。数馬は、卯吉の様子をしっかり見届けていた。
  「卯吉さん、安心しなさい。お父さんは、卯吉さんのことを心配なさっているのです」
 卯吉は、怪訝そうに数馬を見つめた。その顔は、「なぜ?」と、言っていた。
  「お父さんが亡くなったあの日、卯吉さんに身を固めさせようと縁談を持って二階に上がると、卯吉さんが寝ている様子だったので後にしようと後戻りしかかったとき、階段の一番上で眩暈に襲われて、まるで背中を突かれたように前に崩れ落ち、そのまま気を失い亡くなってしまったと仰いました」更に、「倅の卯吉が背中を突いたのではないと、断言されていました」
 何かお心当たりがあるようですねと、数馬は卯吉の表情を読み取って更に続けた。
  「お前を叱ってばかりいたこの父を、どうか許しておくれとも言われました」
 卯吉は下を向いて聞いていたが、グスグスと洟をすすり始めた。
  「お父さんは、兄弟で、店を盛り立ててくれるのが何よりの供養だそうですよ」

 その日限り、卯吉の病状は消えていた。弟寅次郎と力を合わせて商いに精を出し、傾きかかった店を立て直すべく努力した。そんな日々のなか、弟の寅次郎が突然伊東良庵養生所を訪れ、霊媒師の先生に会いたいと言ってきた。
  「先生は忙しくて会われないでしょう」と、松吉が断ると、「兄の命を救ってもらったことにお礼を申し上げたい」と、言う。
 松吉は、「命を救ったとは何と大袈裟な」と、思ったが、
「先生に伝えるから、先生の手がお空きになったら連絡します。そのときは、ここへいらっしゃって頂きましょう」と、寅次郎を帰した。

 その旨を数馬に伝えると、数馬は「そうだったのか」と、呟いた。寅次郎は、何もかも知っていたのだ。兄が、階段で父の背中を押してしまったことも、数馬が霊媒師ではなかったことも。
 兄が、自分が犯した罪の意識に耐え切れずに自訴すれば親殺しは大罪、どのような事情があろうとも磔獄門の刑は免れない。そこで数馬が兄の罪意識を和らげて、その代わりに商いに精をだすように仕向けてくれたのだ。
 それを感じ取り、寅次郎は「兄の命を救って貰った」と言い、その礼を言いたかったのである。
  「お断りします」
 松吉の、「寅次郎に会ってやって欲しい」と言うのを、数馬はきっぱり断った。理由は、「地獄で閻魔様に舌を抜かれるのはごめんです」
  「霊媒師なんて、全部嘘つきじゃないですか」と、松吉は言おうとして止めた。
 この人は霊媒師と違って、自分の嘘に罪意識を持っているのだなあと思ったからである。

   (若き霊媒者・終)  ―続く―   (原稿用紙10枚)

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猫爺の連続小説「能見数馬」 第二回 江戸の探偵

2013-06-09 | 長編小説
  【能見数馬 第一回 心医】から読む

 朝早く、能見篤之進の役宅の門がドンドンと叩かれた。使用人の伝兵衛が戸を開けると、当家の次男数馬に逢いたいという少年が立っていた。
  「数馬さまはご在宅で御座いましょうか?」
  「はい、どなた様ですか?」
  「わたくしは江戸北町奉行所の同心、田中将太郎さまの元で働く目明し達吉の倅、仙一ともうします」
  「もうお目覚めになる頃です。窺って参りますから、暫くここでお待ち下さい」
 勝手に通してもよいものか判断できないため、伝兵衛は失礼かと思ったが客人を門前で待たせて一旦門を閉めた。 しばらくすると、再び門が開いた。
  「お待たせしました、私が数馬です。仙一殿とは、どこかでご一緒になりましたか?」
  「いえ、お初のお目通りです」 と、仙一は深々と一礼した。
  「ここで立ち話は失礼です。伝兵衛、お客さまをお部屋にご案内して下さい」
  「はい、数馬さま」
 客間に通された仙一は、香呂の白檀の香りに促されるように口を開いた。
  「昨日、父の達吉は斬殺されました」
  「斬殺とは、何故に」
 数馬は、どう慰めてよいものか、とっさに言葉が出てこなかった。
  「同心の田中将太郎さまは、試し斬り目的の辻斬りとしてお奉行に報告すると、簡単に片付けてしまいました」
 辻斬りとは合点がいかず、埋葬するのを躊躇していたら、父の弔いを依頼した経念寺の亮啓という御坊が声を掛けて、「水戸藩士能見さまのご子息数馬さまに思いを打ち明けてみなされとお教え頂きました」
 亮啓は、数馬さまは仙一さんと同じ年頃で、とても利発な方だから、気軽に相談できるだろうと口添えしていた。
  「それで、あなたの思いとはどのような…」
  「はい、父は密かにある事件を探索していました。その事件に関わる者に殺されたのではないかと思うのです」
  「わかりました。 お父さんのご遺体は、もう埋葬されましたか?」
  「いえ、亮啓さまが、数馬さまにお見せしてから埋葬しようと仰ったもので」
  「では、今から直ぐに経念寺へ参りましょう」
 経念寺では、亮啓が本堂へ案内してくれた。 仏前に畳を敷き、遺体が安置されていた。住職の読経の中、仙一が遺体に掛けてあった白布を捲り、死装束の胸を肌蹴て傷口を見せてくれた。肋骨を避けて刀を肋骨と平行に、一突きで心臓に突きたてていた。
  「背中にも刀傷があるでしょうね」
 仙一は遺体を俯せにして、背中の刀傷も見せた。
  「これは、武士の試し斬りではありません」
 傷口を確かめていた数馬が、静かに言った。 これは、心臓を一突きにされて素早く刀抜かれている。返り血を浴びないように、しかも確実に相手を殺害する殺し屋の手口だ。こうすることによって、襲われた人は即死状態で前のめりに倒れ、血は飛び散らず、湧き出るように流れる。
  「お役人が、試し斬りだという根拠はなんですか?」
 数馬が仙一に尋ねた。
  「遺体の近くに、家紋の入った印籠が落ちていたことです」
  「その印籠を、仙一どのも見ましたか」
  「はい、同心の田中さまが見せて下さいました」
  「血は付いていましたか?」
  「いいえ、血はついていませんでした」
  「やはりそうですね」
  「なぜそのようなことを?」
  「この殺人が、偶発的な辻斬りによる殺害ではないからです」
  「と、言いますと?やはり…」
  「お父さんが殺される前に、何か大きな事件がありませんでしたか?」
  「ありました。十日ほど前に両替屋のお店が押し込み強盗に入られて、千両箱が奪われ、手代一人を除いて店の中で皆殺しに遭っています」
  「何と酷いことを…」
 数馬は、強い憤りを覚えた。
 「その手代は、小野川の渡し場で殺されていました」
  「お父さんは、その事件を追っていたのですね」
  「そうです、ようやく事件が見えてきたようで、同心の田中将太郎さまに知らせなければと家を出たその夜に殺されたのです」
  「わたしにも、事件の真相が見えてきたように思います」
 数馬の目が輝いていた。
  「本当でございますか」
  「はい、わたしはこの事件の囮になろうと思います」
  「数馬さん、危険なことをされてはいけません。お役人にお任せなさい」
 亮啓が、心配そうに言った。
  「囮ならわたしがなりましょう」 と、仙一。
  「いえ、わたしに考えがあります。どうぞ安心して私にお任せ下さい」
 数馬は、自信ありげに言った。その夜、数馬は父上の能見篤之進に事件のことも、これから自分がやろうとしている事も全部打ち明けた。篤之進は止めることなく、「よし、わかった」と、友人の北町奉行遠山影元に手紙を書くから、明日それを持って北町奉行所に行きなさいと、長文の手紙を書いてくれた。
 奉行は、人の良さそうな笑顔で、「承知した」と、言った。自分に捕り手を付けて欲しいと頼んだところ、奉行は自分も行くと言いだした。
 「それはあまりにも…」と遠慮する数馬に、能見殿のご子息に傷でも負わせてはならんからと、町人に姿を変えて付き添い、隠れて付いてくれることになった。
 行先は奉行の配下、同心の田中将太郎の屋敷であった。数馬は独りで屋敷に入っていった。
  「私は水戸藩士能見篤之進の倅で、能見数馬と申す者です」と、応対に出た使用人らしき男に告げると、すぐに将太郎が戸口に立った。
  「拙者に何か用か?」
 相手が若造とみて、ぞんざいな言葉で応対してきた。
  「はい、殺された岡っ引き達吉のことでお耳に入れたいことが御座いまして」
  「あゝ、達吉か、私の元で十手を預かっていたが、可哀想なことをした」
  「達吉さんが殺される前日に、両替屋の押し込み強盗の手がかりを掴んだと言って、こっそり話してくれました」
  「ほお、どんなことだ」
  「はい、この事件には、北町奉行の同心が関わっているとか」
  「それは誰だね」
  「私がここへ来たのは、どうしてかとお聞きになりませんね」
  「その同心が、このわしだとでも言うのか」
  「さあ、それは今ここで明かしますと、私の命が危のう御座います」
  「小野川の渡しで、押し込み強盗の手引きをした両替屋の手代が口封じに殺される現場も目撃したと言っていました」
  「貴様、達吉とどんな関係だ」
  「子供の頃から可愛がって貰っています。親子みたいな関係でしょうか?」
  「小野川を下り、大川へ出る前の、夜は人通りのない船着き場と言えば、宮里ですね」
  「それがどうした?」
  「両替屋から奪った千両箱は、宮里あたりに隠されていることでしょう。捜索はされましたか?」
  「そんな漠然とした情報で捜索は出来ない」
  「何故で御座いますか?達吉の調査では盗まれた千両箱の中身は、上方の商人と取引するための両替用の丁銀であったそうです。蔵改めをすれば出る筈です」
  「あははは、若造、考えが甘いぞ、千両箱の中身は全部小判であったわ」
  「おかしいな、そんな筈はないのだが」
  「お前は、もうここから生きては帰れぬから教えてやろう。盗賊楽天組の頭目はこのわしじゃ」
  「やはり、そうでしたか。序にその小判の行方は?」
  「貴様のいう通りじゃ、宮里のある寺の墓地に眠っておるわ」
  「そうでしょう。あの寺には、田中家の先祖の墓がありますからね」
  「よく調べておるのう。達吉が調べたのか?」
  「いえ、これはわたしの当てずっぽうでございます」
 田中将太郎は手を打って、仲間を呼んだ。
  「もういいぞ、出て参れ」
 奥から人相の悪い男たちが二人出て来た。 数馬も叫んだ。
  「遠山さま、お聞きに成りましたか」
 頬被りをした遠山影元が「おゝ、聞き申した」 その声を合図に捕り手がずらり。

 捕えた三人を吐かせて、盗賊の残りも総て捕えられ、盗まれた小判も発見された。盗賊は悉く市中引き回しのうえ、磔獄門の刑となった。仙一は父親の弔いを済ませ、数馬と共に北町奉行遠山左衛門尉影元さまのところへお礼に行った。
 お奉行は気さくな人柄で、すぐに合ってくれた。
  「いやいや、礼はこちらが言わねばならない。お蔭で事件は解決した」
 奉行は獅子身中の虫を見抜けず、達吉を死なせてしまったことを詫びた。
  「達吉さんの遺体の傍に落ちていた印籠はどうなりましたか?」
  「あれはとある藩の武士がスリに盗まれたものだった」
  「お奉行様、ひとつお願いがあります」
  「褒美の品か?」
  「いいえ、岡っ引き達吉の倅どのを、下っ引き見習いに就かせて下さい」
  「そうだなァ、成績の良い同心を見付けて、任せてみよう」
  「きっと、達吉さんのような立派な岡っ引きになりましょう」 なァ、と数馬は仙一に言った。
 仙一は嬉しそうに、よろしくお願いします。と、頭を下げた。 帰り道、「仙一さん私達、良い友達になれそうですね」
 数馬は、仙一の肩をポンと叩いていった。 末は、仙一に能見家の養子になって、同心、いや与力にもなって貰いたいと思う数馬であった。


 (江戸の探偵・能見数馬 終)-続く-   (原稿用紙12枚)


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猫爺の連続小説「能見数馬」 第一回 心医

2013-06-01 | 長編小説
 夜の田舎道で、一人旅の中年の侍を追ってくる若い武家娘風体の女がいた。侍が振り向くと、娘も立ち止まり下を向いてもじもじしている。侍が歩き出すと、慌てて小走りで付いてくる。
  「これお女中、如何いたした。拙者に何か用がおありか?」
  「いえ、申し訳ありません。夜道が恐ろしゅうて、つい…」
  「左様か、何故若いお女中がこんな夜更けに、このような寂しいところを歩いておられる?」
  「はい、江戸に行って行方不明の兄を探そうと参りましたが、路を逸れまして…」
  「江戸へ参られるのじゃな、拙者も江戸への帰り道でござる。付いて来なさい」
  「有難うございます」
  「ところでお女中、足はおありか?」
  「は? 足で御座いますか?」
 その意味に気付いて、この通り御座いますと、ほんの少し裾をまくって見せた。
  「あははは、なにしろこの夜更け故に、幽霊ではないかと思うてな」
  「まァ、お侍さまがそんなことを仰っしゃいますから、何やら後ろが気になってきました」
  「そうか、もっと近づいて歩きなさい」
 侍は振り返って「ところでそなたは、どちらから来られましたかな」
  「上総の国は佐貫藩(さぬきはん)の藩士、阿部慎之介の娘、佳世と申します」
  「兄上は、江戸で何をしておられる?」
  「わかりません、突然に脱藩して家出同然に飛び出したもので、どこでどうしていることやら、只ただ無事を祈るばかりで御座います」
  「左様でござったか。ご心配ですなァ」
  「はい、お心使い、ありがとう存じます」
  「拙者は水戸藩上屋敷詰めの藩士、能見篤之進と申す」
  「水戸藩のお侍さまで御座いましたか」
  「藩士と申しても、下っ端で御座る」
 謙遜したわりには、豪快に笑った。江戸に入って、四半時(しはんとき=30分)も歩いたところで、篤之進が訊いた。
  「まもなく、みどもの役宅に着くが、佳世どのは行く宛てがお有りか?」
  「いいえ、どこか宿をご存知でしたら、教えて下さいませ」
  「それなら、みどものところへお出でなさい」

 こじんまりしていたが、使用人が数人居そうな立派な武家屋敷であった。篤之進が潜り戸を叩いて「わしじゃ、今帰ったぞ」と叫ぶと、すぐさま戸が開けられた。
  「旦那さま、お帰りなさいませ」
 使用人の初老の男、伝兵衛が主人を迎え入れて、後ろに居る娘に気付いた。
  「あっ、お客様で御座いましたか」と丁寧に頭を下げて、「お嬢さま、こちらへ」と招ねき入れた。
  「あなた、お帰りなさいませ。お客様とご一緒でしたか」と内儀は佳世に会釈して、振り返りざまに奥に向かって、「お多美、お多美、旦那さまがお戻りになりましたよ」と、声をかけた。

  「お客様です、足盥(あしたらい)をふたつお願いしますよ」と、付け加えた。
  「お嬢さま、よくお越し下さいました。今、おみ足を濯いでさしあげますからね」と、笑顔で言った。
  「わたくしは妻の、千登勢です。それから、あちらに控えている二人が、娘の千代と次男の数馬です」と、奥方に紹介されて、二人は揃ってぴょこんと頭を下げた。次男の方は、まだ元服前の少年と見受けられた。
  「数馬はご覧の通り子供ですが、これで中々腕が立つ上に頭も良くて大人顔負けです」と、篤之進が言ったので、奥方が慌てて、「あなた、親馬鹿が過ぎますよ」と、窘めた。

 篤之進は、使用人にも佳世を紹介し、兄上を探しに江戸に来たことも説明した。
  「数馬、お前明日から藩学(藩士の子息のための学校)が終わったら、佳世さんのお供をして、兄上を探されるお手伝いをしなさい」
  「はい父上、承知しました」
 素直そうな真面目顔で、佳世に向かって頭を下げた。
  「よろしく!」と言ったつもりのようであった。

  「お嬢さま、昨夜はよくお休みになれましたか?」
 数馬が自分より五、六才年上らしい佳世に声を掛けた。
  「はい、お蔭様で、ところで数馬さま、お嬢さまは止めていただけません?」
  「では、佳世さまとお呼びしましょう」
  「佳世さんとお呼び下さいな」
  「では、佳世さんも、わたくしのことを数馬とお呼び下さい」

 二人の気が合って来たようなので、数馬は佳世の兄上のことを尋ねるところから始めた。童顔の少年とは思えない程しっかりとした、まるで高校生探偵の工藤新一(名探偵コナン)のような落ち着いた口調で質問した。
  「兄上のお名前とお年は?」
  「申し訳ありません。兄とは嘘で御座います」
 実は兄の仇を探していることを告白した。娘一人で仇討と言えば危惧されてはいけないと、嘘をついてしまったのだ。

 それは、兄の子供の頃からの親友で、佳世はどうしてもその人を仇とは思えないのであった。
  「どうぞ、お父上さまにはご内聞に」
  「わかりました。では、その仇の男のことを伺いましょう」
 数馬は冷静に言った。
  「名前と年は?」
  「兄と同じで佐貫藩士の藤波十兵衛、十九才で御座います」
  「十兵衛が国許にいた頃に、何かをやりたいと言っていませんでしたか?」
  「いいえ、なにも…」
  「それでは、何かに興味を持っていることはありませんでしたか?」
  「別に…、でも、子供の頃から動物が好きで、怪我をした犬や猫や小鳥のお手当をしてやっていましたが…」
  「そうですか、では明日の午後から探しに行きましょう」
 この時代に獣医というのは居なかった。医師の手伝いをしているのではないかと推理して、小石川養生所を皮きりに、お江戸の医者を二人は半日尋ね回ったが見つからなかった。
  「江戸は広いですよ、まだほんの少し回っただけです。覚悟しておいてください」
 数馬は、やる気満々だった。翌日も、翌々日も、尋ねて回ったがだめだった。
  「数馬さんは、将来は能見家を継がれるのですか?」
 歩きながら佳世が聞いた。
  「いえ、私には勘定方にお勤めする兄が居ます」
  「どこかに御養子の予定でも…」
  「ありません、まだ親には言っていませんが、医者になろうと思います」
  「まあ、お医者さんに」
  「はい、まだこの時代には存在しませんが、心医になります」
  「それは、お坊様のことですか?」
  「いえ、違います。わたしは神仏を信仰しておりません。従って、魂を浄土に導くのではありません」
  「魂のお医者さんではないのですね」
  「心の医者です」
 今の時代で言えば、心療内科医だろうか。
  「心も病むことがあるのですか?」
  「あります、憎しみに歪んだ心や、猜疑心に苛まれた心、人前に出たら何も喋れなくなるのは心の病です」
  「素敵なお医者さまですね」
  「いや、これでは食っていけないと思いますよ。私は生涯兄上の荷物になるかも知れません。ところで、佳世さんは仇を見付けたらどうされるお積もりですか」
  「実は、まだよくわからないのですが…」
  「敵討ちをするのではないのですか?」
  「真実がわからないので、取り敢えずそれを突き止めたいのです」
 何故わからないのかという数馬の問いに、佳世は訳を話した。
  「兄慎太郎と藤波は、同じ女の方を好きになってしまいました」
 ある日、諍いをした二人は、決着をつけてくると言い残して山へ登った。その帰り道、藤波は慎太郎を崖下に突き落として、慎太郎を殺したそうである。ひとり帰って来て、私が殺したのではないと喚いていたが、その夜藤波は脱藩して、姿をくらましたというのが佳世の話である。
  「佳世さん、兄上が突き落とされるところを誰か目撃していないのですか?」
  「はい、でも噂が流れ、藤波家のご両親は心痛のあまり自害して果てました」
 数馬は不審に思った。武士が二人決着を付けようとするなら、何故刀を使わなかったのだろう。強いて、「卑怯者」と罵られる方法で殺害し、武士の喧嘩で済まされるのだろうか。たかがとは言わないが、一人の女を取り合って、竹馬の友である親友を殺害するだろうか。自分はまだ子供で、分からないことがあるにしても、何か腑に落ちない。
  「私は大きな間違いをしていたようです」
 数馬は、何か気付いたようだった。
  「佳世さん、明日からは寺をたずねましょう」
 傷ついた動物の手当をしていたと聞き、てっきり医者を目指したと思ったのは早とちりで、気持の優しい藤波十兵衛は父母の自害を知り、僧侶になる決心をしたに違いない。あるいはきっと佳世の長兄阿部慎太郎の菩提を弔っているだろう。数馬はそう思ったのだ。

 数馬の推理は当たっていた。寺を回り出して五日後、経念寺(きょうねんじ)という小さな山寺に、亮啓(りょうけい)という若い僧が居た。応対に出てきた亮啓を見た佳世は、「あっ!」と小さく声を漏らした。
 亮啓は、佳世を見てさっと顔色を変えたが、観念したように佳世の前で土下座をした。
  「佳世さん、申し訳ないことをしました。どうぞご存分に慎太郎殿の仇を打って下され」と、佳世の前に進み出た。

 その時、寺の奥から、多分この寺の住職であろう白髪の僧侶が出て来た。
  「これ、寺の門前で血生臭いことを言うでない」
 数馬が進み出た。
  「和尚様、私どもは敵討ちに来たのではありません」
  「そうであろうとも、ご姉弟は敵討ちの装束ではなく、刀剣もお持ちではないから、お話合いに来られたのだな」
  「はい、姉弟ではありませんが、その通りに御座います」
  「では、門前で立ち話もなかろう」と、仏前に通された。
  「私たちは、真実が知りたくて参りました」
  「真実というと」と、住職。
  「十兵衛さんは、佳世さんが仇討ちに来ることを覚悟されておられたようですが、何故そこまでして真実を隠そうとなされるのですか?」
 数馬が言った。

  「それは、真実を申し上げても、到底信じて貰えないと思ったからです」
  「そんなことはありません。現に私と佳世さんは、貴方を信じてここまで来たのです」

 亮啓は、ぽつりぽつりと話し始めた。
  「私と佳世さんの兄上は、ひとりの女を同時に好きになりました」
 諍いはしたが、それは奪い合うものではなく、譲り合いの諍いだった。二人で話し合った結果、どちらも手を引こうということになった。ただ、二人が好きになった女が、どちらかを好きになったら、好かれなかった方はきっぱり諦めようと約束をした。
 その帰り道、慎太郎が踏んだ石が崩れて足を掬われ、慎太郎は崖下に墜落しそうになって松の幼木に掴まった。十兵衛は、近くに生えていた木を折り、助けようとしたが、慎太郎が掴まった幼木は根こそぎ抜けて、崖下へ落ちていった。十兵衛は、山を駆け下りて救いを求めたが、救助に出かける者の、「これはきっと十兵衛に突き落とされたに違いない」という囁きを聞いて、気が動転してしまった。このままでは、切腹の御沙汰が出るに違いないと思い、気が付けば十兵衛は故郷を捨てて逃げ出していた。
  「わたくしは上総の国に戻りこのことを藩に申し出て、十兵衛さまの冤罪をはらします」
 その時は、佐貫藩に戻り、藤波家を再興なさいますか?と、佳世は亮啓に尋ねた。亮啓は首を振った。
  「いいえ、わたしは生涯このお寺で父母と親友の菩提を弔います」
  「このままでは、亡くなったご両親は無念でしょうに」
  「父母は、もうここに来ております」
  「このお寺に?」
  「はい、このわたしの胸で憩われておいでです。ただ…」
 亮啓は、言いかけて口を噤んだ。
  「どうぞ仰って下さいませ」
 亮啓は、「そうですか」と、遠慮がちに言った。
  「もし、佐貫藩に立ち入ることが許されましたら、どこかに打ち捨てられていよう父母の遺骨を探しとう存じます」
  「それでしたら、ご安心下さい。荼毘(だび)に付してわたくしがお預かりしております」
 それを聞いた亮啓は、あたりを構わずに男泣きをした。
  「佳世さん、有難う御座います」
 何度も、何度も、頭を床に擦りつけて礼を言った。余程、気になっていたのであろうと、数馬は貰い泣きをした。
  「それから、慎太郎殿の持ち物を一つ頂けませんか?」
  「わかりました、兄の羽織がとってあります。上総の国へお戻りになった折に、ご両親のご遺骨と共にお持ち下さい」

 佐貫藩主の許可がおりたら、佳世は亮啓に手紙で知らせる約束をした。数馬は、亮啓と佳世のこころの蟠りを治療した心医になったような気がしていた。

(心医能見数馬終) ―続く―  (原稿用紙15枚)

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