雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十回 離縁された女

2015-02-06 | 長編小説
 福島屋の店を開けて間もなく、亥之吉が三太を呼びつけた。
   「三太、ちょっと来ておくれ」
   「嫌だす」
 亥之吉が唖然としている。
   「店の主人が丁稚(小僧)を呼んでいるのに、何も聞かないうちから嫌て何やねん」
   「嫌やから嫌だす」
   「お前なあ、わしを何やとおもとるのや」
   「陰間茶屋の因業爺だす」
   「何ちゅう言い草や、わしはお前の主人で師匠やで、あのことをまだ根に持っとるのか?あれからもう何日も経っとるのに」
   「まだ三日だす」
   「それでも有田屋はうちの客や、すっぽかしたのを謝りにだけは行っておかないとあかん」
   「わいは何も約束した覚えはない」
 三太は奥へ入ってしまった。
 
   「困った奴や」
 入れ代わりに女房のお絹が出てきた。
   「すっかり三太の信用を無くしたようだすなァ」
   「わしのことを因業爺やと言いよった、わしまだ二十歳を過ぎて間がないのに」
   「三太から見れば爺だす」
   「ほんならお前は婆ァか?」
   「歳の離れた姉だす」
   「どついたろか!」

 亥之吉は真吉と一緒に行って貰おうと思った。
   「真吉、ちょっと出て来ておくれ」
   「へい、旦那様ご用は何でしょう」
   「あのなァ、わしと一緒に有田屋へ行って…」
   「嫌です」
   「真吉、お前もか」

 仕方がないので、亥之吉はやはり嫌がる三太を連れて行こうと思った。亥之吉とて商人(あきんど)の端くれ、上得意様を棒にふるわけにはいかないと、三太の重い腰をあげさせようと思った。
   「三太、出てきなはれ、わいと一緒に行って謝っとくれ」
 三太は渋々顔を出した。

   「福島屋亥之吉でおます、こちらの旦那様はお出でになりますかな」
 若旦那が暖簾を分けて出てきた。
   「これは若旦那、この前はとんだ失礼をしました、お詫び申し上げます」
   「わたしも三太ちゃんに嫌われたものです」
 若旦那は、チラチラ三太を見て、「ふんっ」と、目を逸らした。この屋の大旦那も顔を出した。
   「三太は小僧の癖に、客を客とも思わぬ不躾者、馘首(くび)にしますかな?」
 亥之吉、頭にカチンときた。
   「三太のどこに罪があると言いますのや、嫌なものを嫌とはっきり言うただけやおまへんか」
   「商人は客を大切にするものです」
   「そやからこうして謝りにきています、それでもまだ文句があるなら、お上に訴えておくなはれ」
   「倅は深く傷ついていますのや、謝って済むと思いますのか」
   「不躾者はおたくの息子でおます、うちの大事な小僧を誘い込んで、何をする積りだしたのや」
 有田屋も負けてはいない。
   「うちの倅は男色だと言うのか」
   「そんなことは知りまへん、うちの三太は、ただの子供やおまへん、霊能力で若旦那の心を読んだうえで、はっきりと嫌やと言うたのだす」
   「ほう、どう読んだか言って貰いましょうか」
   「有田屋さん、若旦那が『酒や博打や女で家財を蕩尽されるよりも安いものだ』と、子供を連れ込むのを黙認しとりますなァ、文句を言ってきた親には、一分の銭を渡して納得させていましたやろ」
   「福島屋さん、そんな出鱈目を誰から訊いたのですか」
   「今、言ったやおまへんか、三太が有田屋さんの心に訊いたのだす」
   「わしは話した覚えはない」
   「当たり前だすがな、心に訊いたと言ってますやろ」
   「わしは知らん」
   「若旦那にも訊いてまっせ」
   「何を…」
   「女よりも、男の子供が好きやと…」
   「言っていない」
   「最近では、大工手伝いの伝五郎さんの息子に手を出しましたなァ、ねえ若旦那」
   「えっ」
 若旦那、子供の親の名を出されて「ずしん」と来たようである。
   「有田屋さん、伝五郎さんにごてられて(文句を言われて)、一両二分取られましたな」
 有田屋も、「ギクッ」とした。
   「ほら、覚えがありますやろ」
 二人が黙った。亥之吉は、ここぞとばかり尻を捲って二人の心に踏み入った。
   「わいは、何も若旦那が男色家とも、男色が悪いとも言っとりまへん、ただ、子供は止しなはれ、親たちを金で抑えても、子供は心が傷付いたまま大人になっていくのだす」
 亥之吉は三太を見て更に言葉を続けた。
   「世間の人に何と言われても、嫌なものは嫌と妥協せずに言える三太を、わたいは誇りに思っとります、そんな三太を馘首(くび)になんぞしますかいな」

 帰り道、亥之吉は三太に話しかけた。
   「少しは、わしの気持ちを分かってくれたか?」
   「へえ、そやけど、上客を一軒無くしましたな」
   「何の構うもんか、お得意の一軒や二軒、わいは浪花の商人や、潰せるものなら潰してみい」
   「誰も潰す言うてないけど…」

 
 ここは信州、緒方三太郎の養生所である。
   「先生、今日の患者さんはこの方が最後です」
 弟子の三四郎が三太郎に告げた。
   「そうか、では私は文助兄さんのところへ行って、卯之吉さんに会ってくる」
   「お母さんが、徐々回復しているのを報告に行くのですか?」
   「それもあるが、お宇佐さんのことを常蔵(卯之吉)さんに相談してくるのだ」
   「山村堅太郎さんのお嫁にするのですね」
   「そのことをどうして知っているのだ」
   「勘と言うか、なんとなく聞こえてきたと言うか…」
   「盗み聞きしたな」
   「勝手に聞こえてきたのは、盗み聞きとは言いません」
   「では何と言うのだ?」
   「漏れ聞きです」

 馬を引き出して、文助の店に向かっていると、道端に蹲る女が居た。どうやら熱があるようだ。
   「どこか痛むのか? 私は医者だ」
   「はい、でも暫くじっとしていれば落ち着きます」
   「そうでもなさそうではないか、私が診てあげよう」
   「いえ、私は文無しです、お代金が払えません」
   「そんな心配をしている場合ではないだろう、手を出しなさい」
 女は、恐る恐る手を差し出した。
   「いかん、熱が高過ぎる、取り敢えず、この薬を飲みなさい」
 三太郎は持っていた竹筒の水と、頓服薬を差し出した。
   「お金は頂戴しないので、安心して飲みなさい」
 女は、素直に薬を飲んだが、やがてぐったりとした。
   「馬に乗れたらいいのだが、この様子ではそれも叶わぬ、私が背負って戻ろう」
 三太郎の養生所から然程離れていないところだったので、四半刻(30分)程で戻ってきた。
   「三四郎、もう出掛けぬから馬を厩舎に繋いでくれ」
   「はい、先生」
 三太郎は女を診療部屋に運んだ。すぐさま女を診ていた三太郎の顔が一瞬曇った。
   「いかん、高熱の所為で心の臓が可成り弱っている、解熱剤は先ほど飲ませたので、少しずつ湯冷ましをのませてやってくれ」
   「はい、先生」
 弟子の佐助が用意する為に立った。三太郎の実母お民は、井戸水を汲み、手桶に満たして持ってきた、手拭いを濡らして、女の額を冷やす為だ。

 その日、夕日が沈む頃になって、女の表情から苦痛が和らいだように思えた。
   「まだ安心は出来ない、今夜がヤマだろう、安静にしてやってくれ」
 夜が更けて、弟子たちは寝かせたが、三太郎は寝ずの看病をした。夜が明ける頃になると、女は安らかな寝息を立てていた。

   「先生、女の人が目を覚ましました」
   「そうか、では少し重湯を飲ませてみよう」
   「はい、すぐに支度します」
 佐助も三四郎も、よく働いてくれる。早くも診療が出来るようになっており、三太郎の留守の折は、二人で相談しながら薬も出している。三太郎にとっては、頼もしい弟子たちである。
 
   「ここは?」
 女が口を開いた。
   「私の診療所だ、言っておくが、お金は頂戴しないので安心して静養しなさい」
   「ありがとうございます」
   「私はここの医者で、緒方三太郎と申す、あなたのお名前は?」
   「はい、雪と申します」
   「お雪さんですか、お雪さんはどちらへ行かれる途中で倒れたのかな?」
   「嫁ぎ先で離縁されて、実家へ戻るところでした」
   「よろしかったら、離縁された訳を聞かせてくれぬか?」
   「嫁に貰われて、三年経ったのに子供が出来なかったことと、私が病気がちで婚家の働き手として役に立たなかったからです」
   「子供が出来ないのは、お雪さんの所為ばかりとは言えない、病気がちなのは、随分無理をさせられた所為のように思うが…」
   「ありがとうございます、こんなに優しく言って頂いたのは初めてです」
   「わかりますよ、病気になっても、休ませて貰え無かったのだろう」
   「それが嫁の務めの常なのです」
   「酷いことだ」
 今まで我慢をしていたのであろう、三太郎の労りの言葉に、思わずお雪は涙したようであった。
   「実家に帰っても、私の居場所はありません、世間体を気にする親兄弟ですから、すぐに追い出されることでしょう」
   「それで行く宛は?」
   「ありません、どこかの宿場で、飯炊き女にでも雇って貰います」
   「そうか、それではどうだろう、お元気になったら、ここで働かぬか?」
   「えっ、本当ですか?」
   「今は養生所とは名ばかりで、多くの患者さんをお預かりすることが出来ない、せめて十人以上の患者さんに養生していただけるようにしたいのだが、人出が足りないのだ」
   「ありがとうございます、それで私に何が出来ましょう?」
   「私の母と共に、患者さんや私どもの食事の世話です」
   「私に出来ましょうか?」
   「患者さんが増えれば、賄い役があと三人はほしいところだ」
   「ぜひ、働かせてください、お願い致します」
   「わかった、では養生して元気になってくだされ」
   「はい、頑張ります」
   「いや、頑張らなくてもいいのだ、決して無理をしてはいけない」
 元気になったら実家に戻り、離縁された訳を話して、これから独り身で生きて行くことを伝えてくると、お雪は明るい表情を見せた。
  
  第三十回 離縁された女(終)-次回に続く- (原稿用紙14枚)

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