雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「魂が宿った遺品」

2016-06-29 | 日記
 本物の僧侶が出演されるTVバラエティ番組を視た。テーマは、個人の遺品整理であった。遺品の中には、故人のメガネについて語られていた。

 故人が大切に愛用していた物には魂が宿っていて、無暗に捨ててはいけない。こういった物は奉納していただける社寺で「魂抜き」をした後、供養して保管して貰えるのだそうである。

 「へー、魂抜き?」 昔、猫爺はワイシャツのコーヒー滲みをベンジンで抜いたのを思い出していた。

 魂って、分割してそのような遺品に遺(のこ)しておけるものなのか。人は死ぬと、魂魄すなわち「たましい」は「なきがら」と別れて「あの世」へ旅立つものだと教えられていたので、創作の中でもそのように描いてきた。

 で、その宿ったものから無残に引き離された魂はどうなるのだろう。浜辺の「ヤドカリ」のごとく、別の宿り物を探して旅にでるのだろうか。なんだか、面白くも悲しい物語が書けそうに思えてきた。


 物語「魂次郎はぐれ旅

   「雁が啼いて東の空へ飛んで行かあ、あの雁に乗っていれば極楽浄土のおとっつぁんの元へ行けるかも知れねえなァ」
 魂次郎は、一番若くて力強い雁を選んで背中にくっついた。
   「おとっつぁん、待っていてくだせぇ、お前さんが遺して逝った魂の切れっ端、魂次郎でござんす」
 夢にまで見たおとっつぁんの姿。上の瞼と、下の瞼を閉じると、優しかったおとっつぁん姿が浮ぶのだ。

 
 ・・・・なんでやねん。


 冗談はさて置き、

 猫爺は子供に(チビ三太風に)言って置いた。
   「わいは、遺品に魂なんぞ遺したりせえへんから、何でもかんでも無動作に捨ててもよろしおますせ」

猫爺の日記「当ブログを訪れてくださる皆さま」

2016-06-27 | 日記
Tさまには、常々のご助言感謝します。

 稚拙で「記事」とは名ばかりの作品をお読み戴きまして有難うございます。また、当ブログをご贔屓くださいます稀少の皆さまがたには感謝の念に堪えません。

 「朱鷺姫さま」は、2015/07/06 に投稿したオリジナルの短編小説ですが、400字詰め原稿用紙33枚と、短編小説としては短いのですが、読むとなりますと大変な時間ロスとなることでしょう。
 そのため、猫爺の小説には、タイトル後に枚数を記入しております。まず、これをご覧になって「時間が惜しい」と思われた方々はここでお読みになるのをお止めになってください。その場合は、またお暇なおりに、思い出してお立ち寄りくださいますようにお願い申し上げます。

 「猫爺」の後に小説、短編、掌編 日記、コラム、エッセイなどを付けて検索していただきますと、当方の作品がいくつかヒットします。ただし「猫爺」だけですと、大阪の大人気者の猫爺さんが、ばんばんヒットしますが、残念ながらあの方と当方は別人ですのでご承知おきくださいますように。
 

猫爺の短編小説「続・朱鷺姫さま」第一章 陸奥三人旅 (原稿用紙15枚)

2016-06-26 | 短編小説
   「わらわは天台宗のお寺にお参りしてこようと思います。亮馬、そなた伴をしてはくれませんか」
 天台宗の寺と言えば、水戸城からは目と鼻の先にある長福寺であろう。朝発てば、昼前には優に城へ帰れる。
   「はい姫様、喜んでお伴仕ります」
   「そうか、頼みましたぞ、旅支度は勘定方のそなたの父、能見篤馬に申し付けておいた」
 水戸家の御息女、末娘の朱鷺(とき)姫、その容姿は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の喩え宛(さなが)らであるが、その立ち振る舞いは男顔負けである。剣と柔術の腕は関口流免許皆伝のつわもの、家来たちは陰で「じゃじゃ馬(暴れ馬)姫」と呼んでいる。

 姫は何を大袈裟に言っているのだろう。長福寺にお参りするのに、旅支度など不必要である。二・三人の家来をお伴に、お駕籠で行けば良いではないか。亮馬は、帰りに料亭に立ち寄り、美味しいものが食べられると、心浮き浮きである。
   「姫様、帰りには鰹のたたきを食べさせるよい料亭にご案内いたします」
   「ほう、鰹のたたきとな、それは上々、楽しみにしていようぞ」
   「はい、お任せを」
   「では、日が暮れたら城を抜け出す。心積もりをしておくように」
   「日が暮れてからのお寺参りは、止しましょうよ」
   「どうして?」
   「幽霊とか色々出るといけません」
   「あはは、そんなことか」
 
 日がおちると、姫が亮馬を促して城の冠木門に向かった。前もって命令しておいたのか、門番は姫を見ると、黙って門を開けた。
   「姫様、長福寺へ行くのはこの道ではありませぬぞ」
   「誰が長福寺にお参りすると言いました」
   「違うのですか?」
   「違います、中尊寺です」
   「嘘っ」
   「何が嘘なものですか、陸奥の国は平泉の関山中尊寺(かんざんちゅうそんじ)です」

 恐らく姫は俺を揶揄っているのだろうと、亮馬は自分を落ち着かせようとした。
   「亮馬、この先の旅籠で誰が待っていると思う?」
   「助さん格さんと、風車の弥七でしょう」
   「そうそう、それとかげろうお銀… 違います」
   「誰が待っているのですか?」
   「そなたの父上、能見篤馬だ」

 夜もとっぷり更けた頃、姫の言う旅籠に着いた。話は繋いでいたのか、戸締りをせずに待っていてくれた。
   「亮馬、ご苦労」
   「えっ、何なのです父上まで巻き込んで、亮馬を驚かせようとしたのですか」
   「しっ、声が高い、姫は大きな使命を持って陸奥へ旅立たれるのだ」
   「伴は、私一人ですか?」
   「いや違う、要所に上様の御庭番を配置しておる」
 八代将軍が設けた御庭番の職が、後の将軍まで引き継がれているのだ。
   「父上、一体何事なのですか?」
   「今は言えぬ。上様の命をうけた大切な御使命だから、心してかかるように」
   「そんなこと言われても、姫のお命を護るには、私には重すぎる御役目です」
 姫が父子の会話に割って入った。
   「わらわは、そなたに護ってもらおうとは思わぬ。お伴は弱そうな者の方が物見遊山の旅らしくて良いのだ」
 亮馬が父の顔を見ると、父も同意のようである。
   「酷いッ」

   「亮馬、わらわはもう一つこの旅の目的がある」
   「それも亮馬には内緒でございましょう」
   「いや、こちらは話しておきましょう」
   「ふーん」
 亮馬気のない反応。
   「父上が勝手に決めたわらわの縁談じゃ」
   「さいですか」
   「その縁談を壊しに行く」
   「何故に?」
   「わらわには、将来夫と心に決めた殿御がおるのじゃ」
   「それは宜しゅうございました」
   「そなたじゃ」
   「ふん、もうその手は食いませんよ」
   「若い男女の二人旅です。どこでどう縁が結ばれるやら…」
   「嘘をおっしゃいますな、甘い誘いに乗って亮馬が姫にツツツと近付くと、蹴り出すくせに」
   「殿方を蹴るなどと失礼な、そんな下品なわらわではありません」
 能見篤馬が横槍を入れた。
   「愚図ぐず言っていないで、今夜はもう休みなさい、明日は早立ちでござるぞ」
   「え、姫と同じ床で」
   「馬鹿、お前はこの父と寝るのじゃ」
   「やっぱり」

 翌朝はさっぱりとした旅立ちに相応しい好天気、気の乗らない亮馬を急き立てて、野羽織に野袴姿の武士が二人旅に出た。傍目には、どう見ても兄弟である。兄はがっしりとした成人ではあるが、弟の方はまだ十代後半の少年のようであった。
   「亮馬、実はもう一人伴の者がいるのじゃ」
   「柘植の飛猿ですか?」
   「猿は猿なのだが、ましらの三太という猿じゃ」
   「また三太ですか」
   「またとは、どう言うことですか」
   「いえ、別に…」
   「おかしな亮馬だ」
 しばらく歩くと、道の脇から少年が飛び出してきた。
   「おお、三太来てくれたか」
 十にも足りない少年であろうか、黙って姫に頭を下げ、亮馬を「キッ」と睨みつけて威嚇した。
   「三太、この男は亮馬と言って私の伴の者じゃ、決して食べてはいけませんよ」
 亮馬は飛び上がって思わず防護の姿勢をとった。
   「姫様、こいつは人食い猿ですか」
   「最近は食べていないようだが」
   「?」

 三太は、朱鷺姫の前を歩いていたかと思うと、すっと姿を消した。
   「ん?」
 亮馬が辺りをキョロキョロ見回したが、どこにも居ない。
   「何ですか、あいつは?」
   「恐らく没落武士の末裔であろうが、両親に死なれて山で健気にも独り生きていたのを御馬番の足軽が育てているのだ」
   「消えたのは?」
   「木々の間を飛び移って付いてきているのでしょう」
   「地面を歩くよりも、その方が楽なのでしょうか」
   「性に合っているのでしょう」
   「ふーん、成程飛猿だ」
 時々、頭の上で「バサッ」と音がするのだが、飛猿の姿は見えなかった。
   「姫様、あんなのを連れて行って、なにか役にたつのですか?」
   「役に立ちますとも、それは夜になると分かります」
   「ふーん、あいつはムササビかモモンガですかねぇ」

 それは、次の旅籠で分かった。旅籠の番頭に朱鷺姫は、
   「部屋は三人一緒で構いません」と告げた。
   「姫様、それは困ります」
   「困ることはありません、川の字になって眠れば良いのです」
   「姫様を二人の男で挟むのですか?」
   「いいえ、三太を大人二人が挟むのです」

 その夜は姫の言う通り、川の字で眠ろうとしたが、若い亮馬のこと、姫の可愛い寝息が気になって眠れない。真夜中に「そーっ」と三太を乗り越えて姫の横へ行こうとした亮馬の腕に三太が噛みついた。
   「痛てぇ、お前は番犬か」
 三太は「うーっ」と、唸っている。鈍い亮馬にも、三太が役に立つ理由が漸(ようや)くわかった。

 翌朝も、三人揃って早立ちをした。
   「姫様、こんな野猿は邪魔です、帰しましょうよ」
 寝不足で赤くなった目を擦りながら亮馬が言った。
   「あら、昨夜三太と何かあったのですか?」
   「いいえ、何もありませんけど…」

 三人が向かう先から、手傷を負った旅の武士が喚きながら走って来る。その後から、四人の武士が追いかけてくるようである。旅の武士は見る見る追手に追い付かれ、抜き身の刃を向けられた。追手の一人が旅の武士の前に回り、刀を上段に構えて振り下ろそうとしたとき、亮馬が声をかけた。
   「待て、待てぃ」
 その声に驚いたのか、刀を上段に構えた武士が振り返った。
   「事情はどうあろうと、多勢に無勢を襲うとは卑怯で御座ろう」
 卑怯と言われて、追手の武士達は亮馬を睨みつけた。
   「こやつは脱藩して逃亡を図った我が藩の藩士で上意討ちで御座る、余所者は黙って貰おう」
 だが、手傷を負った旅支度をした若い武士は「違う、違う」と、首を振る。
   「黙って見過ごすことは出来ん、事情を窺おう、それからでも上意討ちは遅くなかろう」
 問答無用とばかり、抜き身を亮馬に向けて来た。
   「無礼者、こちらにおわすお方を、何方と心得る。恐れ多くも水戸のご息女、朱鷺姫さまなるぞ!」
   「亮馬、お前威勢ばかりで、危うくなると私の名を出すのですか、印籠など持っておらぬぞ」
 だが、水戸と聞いて一瞬ヤバいと思ったのか、一旦は刀を引いたが、思い直して亮馬を黙らせようと刀を振りかぶった。朱鷺姫は亮馬を自分の後ろに回すと、瞬時に腰の刀を抜いて相手の刀を受け止めた。
   「水戸の姫か何か知らんが、なかなかの使い手と見た」
   「私がお相手致そう、どこからでもかかって来なさい」
 朱鷺姫が相手の刀を突き放したとたん、相手は体を崩さずそのまま斬り込んできた。朱鷺姫は「サッ」と体を交わすと、次の瞬間相手の胴に斬り込んでいた。「うっ」と唸って崩れた相手に、朱鷺姫が言い放った。
   「安心しなさい、峰打ちです」
 残りの三人は、亮馬が言った「水戸の姫」が気になったのか、「ここは一旦引き上げよう」と、崩れた仲間を起こし、逃げて行った。

   「危ういところを忝(かたじけ)ない、お蔭で命拾いをしました」
   「命拾いじゃないですよ、奴らは『一旦引き上げよう』と言って去ったでしょう。また襲ってきますよ、事情を姫にお話ししたらどうです。力になって戴けましょう」
 危なくなると姫に任せて、鎮まると亮馬がしゃしゃり出て来る。
   「朱鷺姫様、我が藩の恥を話しますが、どうか藩の取り壊しだけはお許し願いとう御座います」
   「私は公儀隠密ではありません、そのようなことは上様がお決めになることです」
   「然もありましょうが、どうぞお執り成しを…」
   「執り成しも何も、そなたの藩で何が起こりましょうとも、私からは誰にも漏らすことはありませぬ」
   「有難うございます」

 旅支度の武士は、ぽつりぽつりと話はじめた。この若侍、名は滝沢丈太郎、某藩の藩士である。藩候が参勤交代で不在を良い事に、国許では国家老が百姓の年貢を水増しして取り立て、思いのままに私腹を肥やしている。その為に百姓達は苦しめられ、一触即発で一揆も起こりかねない状況にあるのだそうである。
 その事実を、江戸屋敷の藩主に進言しようと密かに藩を離れたのであるが、国家老の知るところになり、刺客を放たれた。それが先ほどの討伐劇の真相だ。
   「滝沢どの、粗方の事情は分かりました。だが、そなたに付き添って江戸まで行けばよいのですが、私たちは陸奥に用があって向かっております」
 早飛脚で江戸の藩候に書状送っても、信じては貰えないだろう。水戸へ書状を届けて、水戸から江戸の藩侯へ私の信用できる家来に早馬でこっそり届けてもらいましょうと、朱鷺姫は提案した。だが、早飛脚、早馬でも相当の日数がかかる。また、藩侯が手を打ってくれようとも、さらに日数が重なる。その間に滝沢丈太郎は亡き者にされているだろう。通りかかった船だ、何とか滝沢を護ってやらねばなるまいと、朱鷺姫は思案した。
  「滝沢どの、近くの旅籠で傷の手当をしましょう」
  「何のこれしき、手当など…」と、傷口を叩いて見せたが、「うーっ」と唸って滝沢はそのまま気を失ってしまった。
 
   ―続く―
  

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猫爺のエッセイ「股旅演歌」 最近感動したこと

2016-06-23 | エッセイ
 あまりにも過激な「お涙頂戴」の再現ドラマや出来事には感動が薄くなっている爺には、どこにでもありそうな日常的な感動物語に参ってしまうことがある。

 つい最近、surprise番組で子供たちがまだ幼い頃に離婚して、男手一つで三人の子供を育て上げた50代の父親に、感謝の気持ちを伝えたいという高校生の長女の依頼を取り上げたTVprogramを見て感動した。
 自分だって若い頃から病身の家内に代わって、朝早く起きて子供たちの弁当を作り、家内が自宅療養の時期には食事の用意をして勤めに出ていた。勤めが終わると、スーパーで夕食の材料を買って電車に揺られて帰っていたが、そんなことは一向苦にはならない。
 このお嬢さん、初めて父親のために弁当を作って仕事場を訪ねる。此処で建築の外壁を担当する父親のバリバリと仕事をしている姿と、一息入れているところを垣間見るのだが、一服終えた父親がまた仕事に戻るときに足を引きずっているのを見る。
   「足が痛いのだなァ」と、意外そうにお嬢さんが呟く。

 猫時は勝手に想像した。この父親、子供たちの前では、「痛い」と言ったことが無いのだろうと。
 自分もそうであった。父親たるもの、子供に弱いところや、悩んでいる姿を見せてはならないと思っていたのだ。まして、「養ってやっている」とか、「誰の所為で大きくなった」とか、「親の恩」みたいな恩着せがましい言葉は一度も吐かなかったはずだ。

   「恩は着るもの、着せてはならぬ」

 これは、橋幸夫がドドンパのリズムに乗せて歌う「花の仁義」のサビの一節である。



     こじつけ ごめん

 写真は、処方箋薬局にて

 



猫爺のエッセイ「股旅演歌」粋でいなせなお兄さん

2016-06-22 | エッセイ
 クイズ番組を視ていたら、「鯔背(いなせ)」の読み方が問題に出ていた。猫爺みたいな半分化石になっている爺は、誰にでも通じるだろうと投稿記事にばんばん使っているが、「もしや死語?」だったのかなと不安になってきた。

 鯔とは、魚のボラのことで、江戸の魚河岸で働く威勢がよくて勇み肌の兄さんたちの間で流行った丁髷がボラの背中に似ていたことからその髪型を「鯔背銀杏」と言い、転じて意気の良い若者を「粋で鯔背なお兄さん」というようになった。

 我々堅気の衆は、「兄さん」を「にいさん」というが、渡世人は「あにさん」と言うことがある。「フーテンの寅さん」のセリフによく出て来た言い方だ。この「にいさん」「あにさん」を丁寧に「お」を付けて呼ぶと、「おにいさん」「おあにさん」になる訳だが、「おあにさん」は呼びにくいし、かっこわるい。それを調子に乗せて言ったのが「おあにぃさん」である。

 粋で鯔背なおあにぃさんと言えば若き日のこの人。上の瞼と、下の瞼を合わせると、在りし日のあの雄姿が浮かぶ。あ、番場の忠太郎と違いまっせ。

   YouYube へ飛ぶ


猫爺のエッセイ「辞世の短歌」

2016-06-20 | エッセイ
 麻生太郎財務相は、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。

 では、望むと望まざるにかかわらず、90歳まで生きてしまった人々に、どうしろと言うつもりだろう。年寄りはすべて大金持ちとは限らない。生きていれば、死ぬまでの生活が不安な人々も多く居る。その人々に「自殺しろ」というのだろうか。それとも、姥捨て山を復活させるとでもいうのだろうか。

 この麻生氏の暴言に対して、おそらく批判的世論は起こらないだろう。それは、今世論を担っている人々の殆どが90歳には程遠い若い人々であるからだ。年寄りも、長年にわたり税金を納め、年金を払い続けて来た人たちであることは無視されて、ただの若い人たちに寄生しているように思われているのではないだろうか。

 麻生さん、あなたも十五年経てば90歳ではないか。もしその時が来て元気ばりばりであれば、あなたは潔い最期でしめくくることができるのだろうか。「お前はいつまで生きるつもりだ」と言われて、笑って過ごすことが出来るのだろうか。

 全国よぼよぼ連合代表 猫爺。


   ◇猫爺・辞世の短歌◇

   ◇高き山 深き峡谷(たに)こそ なかりせど 旅のおわりの 峠いま越ゆ◇ 

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 作詞しよう

2016-06-17 | 掌編小説
  ◇サラの合羽に 一本刀
   罪を被って 兄貴の代り
   西へ行こうか 東へ飛ぼか
   熊野熊坂 熊五郎

  ◇いつか晴れると 思っていても
   今日も果しの ない旅暮らし
   下手な仁義に 命をかけて
   馴れぬ渡世を 三度笠
 
  ◇可愛い娘に お酒を注がれ
   ほろり零した 里心
   花の三下 虚勢は張れど
   意地が折れそうな 旅鴉

 おいら、かっこわりーぃ 旅鴉でござんす。

 893というもの、どの時代であろうとも、恰好悪いものである。「任侠」とか、「渡世人」とか呼ばれて、切れ長の目に長い睫毛の粋でいなせな「おあにいさん」を想像するのは、東映映画や松竹映画を観すぎたお年寄りである。カッコイイ侠客とは、映画や浪曲、股旅演歌、お芝居にだけ存在する架空の人間だと猫爺は思っている。
 

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 木曽ぶし三度笠

2016-06-15 | エッセイ
 木曽節といえば、

    ◇木曽のナー ナカノリサン 木曽の御嶽山は ナンジャラホイ◇

 この「ナカノリサン」とは何だろうとネットでもよく語られている。いろいろ説はあるが、一番有力とされているのが、筏は三枚連ねて流すとして、一番前に乗るのを舳乗り(へのり)、後ろに乗る人を艫乗り(とものり)真ん中を中乗りというのだそうで、筏を船に見立てたものであろう。
 写真は都合よく、三枚セットで流されているようであるが、前後をちょん切ったのだろう。 筏は常に三枚をセットにして流すとは限らない。一枚のときもあれば、珠数つなぎで流すこともあった筈である。
 猫爺の妻は、その木曽で生まれ育っている。しかも妻の兄たちは、木曽の檜林で働いていた。彼らも、舳乗りや艫乗りなど知らないようであった。

 股旅演歌「木曽ぶし三度笠」では、ナカノリサンを「仲乗りさん」と字を当てている。ネットで調べてみると、この股旅演歌の作詞者が、中乗りは舳乗りと艫乗りの仲を取り持つから「仲」という字を使ったのだそうである。
 筏が三枚セットで流すとは限らないとすれば、この「仲」は作詞者の発想でしかない。げんに、古い民謡歌集を見ても、「ナカノリサン」または「中乗りさん」になっている。

 では、この中乗りさんとは何だろう。猫爺の推理では、これは「筏乗り」の職業名であったのではないかと考える。一枚の筏の真ん中に立って、水棹(みざお)で筏を操るからである。勿論この中乗りさん、筏の前にぴょんと跳んだり、後ろに移ったり軽業芸もする。しかるに、中乗りさんは、舳乗りさんでもあり、艫乗りさんでもある訳だ。

 では、「木曽ぶし三度笠」の物語を簡単に。
 もとは筏流しの「中乗り」であった主人公の新三郎(猫爺の連続小説では、守護霊として登場する)は山を嫌って、水棹を長ドスに持ち替え、「中乗り新三」と名乗りやくざになる。旅の途中女衒(ぜげん=女を売り買いすることを生業にしている)に出会い、自分を川に投げ込んだ宵宮の佐吉という男を懲らしめてほしいと頼まれ、二両で請け負う。
 中乗り新三は木曽街道で佐吉を待ち伏せして遣り合うが、新三もまた川に投げ込まれてしまう。その折に佐吉の三度笠と道中合羽が新三とともに川へ落ちたので、その代わりに佐吉は新三の笠と合羽を持ち去る。
 新三は佐吉の笠と合羽を着けて旅に出るが、旅の途中で伊那に住む従姉のところへ行く一人旅の娘お美代と出会い、互いに惚れ合い伊那まで送っていくことになる。
 その途中、新三は佐吉の笠を着けていたので、佐吉と間違われてやくざの出入りに巻き込まれる。

   ◇木曽の桟 太田の渡津 越えて鵜沼が 発ち難い
    娘心がしん底ふびん などとてめえも惚れたくせ

 この「渡津」と書いて「渡し」と読ませているのも、作詞者の考案だろう。「津」は、船着き場のことであるから、太田の渡しは船で渡るということを表現したのだと思う。

 中山道の三大難所である「木曽の桟」「太田の渡し」は、難なく越えてきたのに、鵜沼の宿は離れ難い。それは、お美代の心根が不憫だと言っているが、新三が自分に話しかける。
   「お前も好きになったお美代から離れるのが辛いのだろう」

 ちなみに、中山道の三大難所のあと一つ「碓氷峠」は、軽井沢の方なので、この物語の舞台とはならない。

   「木曽ぶし三度笠」

 この歌は、YouTubeで、 milkye326さんがソフトに歌っておられるのを推す。プロの歌手ではないようなのだが、歌の上手さは抜群である。

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 一宿一飯

2016-06-14 | エッセイ
 「一宿一飯」とは、逃走などの理由で旅をする旅鴉が、ヤクザ一家に無料で食事と宿泊させて貰うことである。ただで恩義をうけられるとは何と都合のよい習慣だと猫爺が杖をついて一家の門口に立ち、「お控えなすって…」と、暗記した口上をスラスラ述べたところで、到底恩義を受けることは出来ない。仁義を切るとは、ただの挨拶ではないのだ。

 仁義とは、面接試験のようなもので、ヤクザの旅鴉なのか、ただで一宿一飯に有り付こうとする騙りなのかを見極められるのである。もし、「此奴は騙りだ」と見破られると、殴る蹴るの暴行を受け、場合によって簀巻きにして重石をつけられ、大川に投げ込まれるかも知れないのだ。無事に一宿一飯の恩義がうけられたとしても、こんどは親分の命令を断ることができない。

 股旅演歌で「沓掛の時次郎」というのがある。

 ある日、時次郎は下総(しもふさ)は鴻巣(こうのす)というところの鴻巣一家に草鞋を脱ぎ一宿一飯の恩を受ける。この鴻巣一家は、中野川一家の縄張りを奪うために子分たちの命を奪い、ただ一人の生き残った子分、六ツ田の三蔵が孤軍奮闘で中野川一家を守り通していた。
 鴻巣一家の親分は、時次郎にこの六ツ田の三蔵を殺せと命じる。一宿一飯の掟の為に断ることが出来ないので、時次郎は一騎打ちで、何の恨みも無い六ツ田の三蔵を倒す。三蔵は苦しい息の下で、身重の妻と倅の太郎吉を頼むと時次郎に言い遺す。

 脚本によって可成り物語は違っているが、猫爺は坂本(冬)さんの浪曲入り股旅演歌が気に入っている。素晴らしい名演技なので、猫爺が全てに字幕を入れた。興味が湧けばクリックして戴きたい。

  YouTube 歌謡浪曲「沓掛の時次郎」全字幕版

猫爺のエッセイ「股旅演歌」

2016-06-13 | エッセイ
 家に居る時、股旅演歌を流していると気持ちが落ち着く。若い頃にはなかったリラクゼーション法である。

 ブログ渡り(鶯の谷渡りみたいなものか)をしていると、「都々逸」を作って(詠んで?)おられる方が居られた。都々逸は、「俗曲」で、三味線の旋律にのって唄われた情歌(お色気唄)であった。現代では、詩や俳句、短歌、川柳のごとき「文芸作品」として若い方々にも愛されているようである。

 この都々逸は、七七七五または、五字冠りで、五七七七五の韻律でうたわれたものである。都々逸を楽しんでおられる方々はよくご存知ですが、七七七五でも実は三四 四三 三四 五の韻律なのである。
 
   ◇人の恋路を邪魔する奴は、窓の月さえ憎らしい◇ こんな都々逸があるが、これは…

   ◇ひとの(3) こいじを(4) じゃまする(4) やつは(3) まどの(3) つきさえ(4) にくらしい(5)


 記事タイトルは股旅演歌なのに、何故都々逸のことを書いているのかお判りでしょが、股旅演歌が猫爺の心を癒すのは、ひとつはこの韻律にあるのだと思っている。股旅演歌の「旅笠道中」という歌がある。これは若き清水次郎長が、喧嘩と博打に明け暮れる股旅を歌ったものである。

   ◇夜が冷たい 心が寒い 渡り鳥かよ 俺等らの旅は 風のまにまに 吹きさらし◇

   ◇よるが(3) つめたい(4) こころが(4) さむい(3) わたり(3) どりかよ(4) おいらの(4) たびは(3) かぜの(3) まにまに(4) ふきさらし(5)

 都々逸の韻律を中伸ばしをしているだけで、最後(5)で締め括るところは都々逸と同じだと気付く。もっと新しい歌ではどうだろう。

   ◇渡る雁 東の空に 俺の草鞋は 西を向く   意地は三島の 東海道も 変わる浮き世の 袖しぐれ◇

 ここまでは、都々逸を二つ並べた形になっている。 3443345 3443345 である。ここからはドラムのフィルインの如く目先を変えてはいるが、ここにも都々逸の韻律は生かされている。


 股旅演歌は、出て来るグッズ、山や川、雨や風は似たり寄ったり。グッズは、三度笠、道中合羽、長ドス、草鞋、サイコロ、落葉など。山は、富士山、磐梯山、浅間山、赤城山、御嶽山など。川は利根川、天竜川、木曽川など。後は雨、雪、雲、雁がねや喧嘩、などを適当にあしらってやると股旅演歌が出来上がる。

 メロデイの方はと言えば、たった5音(ド レ ミ ソ ラ)これをペンタトニックと言うのだが、要するに「♯」や「♭」の無い音階だけで作る曲である。

 例にあげた「旅笠道中」には、「ファ」と「シ」は使われていない。二例目の歌も、ペンタトニックである。これは沖縄民謡にも言えることで、特に猫爺のような古人間には馴染める旋律なのである。

 もちろん、使われるコードが少ないので、作曲もペンタだと容易い。作詞作曲してロック調に編曲してみてはどうだろう。お若いアーチストの方々に提案する。


猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第一部 再会 (原稿用紙15枚)

2016-06-08 | 短編小説
 朝倉辰之進の妹お鈴は、信州は国定一家に匿われて無事であった。親分に礼を言って、「いずれ恩返し来る」と一家に別れを告げて去ろうとしたとき、国定一家の子分が駆け込んできた。
   「親分、てえへんです、羽柴一家が縄張りを取り返しに殴り込みをかけてきます」
 国定一家は、俄かに騒々しくなったが、勘太郎は振り返りもせずに外へ出た。
   「勘太郎、お鈴を頼む」
 朝倉は、腰の刀を抑えると、一家に取って返した。今こそ恩義を返す好機だと思ったからである。
 勘太郎は、お鈴を促して旅籠に向かった。
   「お鈴さん、この旅籠で待っていてください」
   「勘太郎さん、行かないでください、あなたは喧嘩に加勢する義理はないではありませんか」
 勘太郎は、旅籠賃を前払いすると、国定(くにさだ)一家へとって返そうとしたが、お鈴は兄はともかく、まだ一宿一飯の恩義を受けてはいないこの青年が、喧嘩に加担しようとしているのを心配したのだ。
   「いえ、俺らは喧嘩をしに行くのではありません」
   「では何故行こうとするのですか?」
   「朝倉さまをお護りするためなのです。朝倉さまはお強いですが、相手は多勢です」
   「ありがとうございます」
 言うが早いか、勘太郎は韋駄天走りで国定一家を目指した。朝倉のことだから、大丈夫とは思うが相手は無法者、卑怯を恥じる意識などない。いかような手で迫っているか知れないのだ。

 朝倉は、敵も味方も面識がない。中庭で自分に向かってくる暴漢のドスをただ交わして、やくざの喧嘩にあるまじき峰を返した刀で相手を叩きのめしている。
   「止めろ! 止めるのだ」
 朝倉は、いつしか喧嘩の仲裁者になっていた。

   「朝倉さま、勘太郎助勢に参りました」
   「勘太郎、戻れ! お前はこんなくだらない喧嘩に巻き込まれてはならぬ」
 朝倉がそう叫んだ瞬間に、襲って来る敵に集中していた神経が散漫になった。隙ができた朝倉の背後からドスを小脇に抱えた男が突進してきた。
   「あっ、危ない!」
 次の瞬間、勘太郎は朝倉を押し退け、男のドスを横へ弾き飛ばした。男はだらしなく前に倒れ、顔で着地した。
   「それ見ろ、危険だから早く戻りなさい」
   「危険なのは朝倉さまの方です。こんな加勢はお止めになってください」
   「お鈴を護ってくれた義理だ」
   「その恩は、俺らが返しましょう」
 勘太郎は、どうしたことか、敵も味方も打ちのめしにかかった。忠治こと忠次郎親分が見かねて勘太郎にドスを向けた。
   「勘太郎、それはわしに対する意趣返しか」
   「いいえ、喧嘩を鎮めて師匠の身をお護りするためです」
   「なぜ儂の子分を倒すのだ」
   「俺らには、敵も味方もない、片っ端から打ちのめすので、後は親分が止(とど)めを刺すなり、命を助けるなり、勝手にしてください」

 朝倉辰之進は、忠治親分に手厚く礼を言って立ち去ろうとした。勘太郎がそれに続いたとき、忠治こと忠次郎親分が止めた。
   「勘太郎、ひとつ分かってやって欲しいことがある」
   「親父を殺した言い訳か?」
   「いや、儂のことではない、浅太郎だ」
   「兄ぃがどうかしたか?」
   「浅太郎は、お前のお父っつぁんを殺してはいない」
   「誰が殺したと言うのだ」
   「勘助は、浅太郎の目を盗んで自害したのだ」
 それは、勘太郎も薄々勘づいていた。しかし、その自害を見落としたのか、気付いていながら親分への義理のために見過ごしたのかは不明である。
   「ふーん」
 勘太郎は、何の感慨もない返事をして踵を返し朝倉を追った。


 旅籠では、朝倉の妹お鈴が、心配をして待っていた。長い間、別れ別れになっていた兄妹が、思いがけない再会に二人は暫くの間、涙を交わしていた。

   「兄上、これからお国元へ帰り、お殿様に詫びを入れましょう」
   「お鈴、馬鹿を言うでない、藩に戻れば即切腹を申し受けることになる」
   「でも、事情が事情ですから、分かって戴けるかも知れません」
   「だめだ、親友と思っていた千崎駿太郎が、お鈴にとった非情な態度を思い出してみなさい」
 千崎がとった態度は、お鈴を庇護すれば上司を殺して逃げた極悪人を庇護することになるからであろう。それは、取りも直さず未だに藩は朝倉を極悪人と見ている証拠である。そのような処へのこのこ帰えれば、捕り抑えられて即刻切腹ならまだしも、屈辱な断罪かも知れぬ。

   「儂は江戸へ行こうと思う」
 江戸には、一時身を置いていた父方の叔父がいる。また、同じ道場へ通った北城一之進という朋友も居る。叔父は南町奉行所の与力の家に婿養子として入り、義父亡き今は跡目を継いでいる。北城一之進は、北町の町方与力である。
   「困ったことがあれば訪ねて来い」
それは、若き門下生時代の一之進の口癖であった。
   「叔父は厳格な人であるから、上司を殺めて脱藩した儂など敷居を跨がせないだろうが、一之進ならこの落ちぶれ果てた儂の立つ瀬を考えてくれるであろう」
   「兄上、宜しいのですか、兄上は千崎さまも親友だと仰っておられましたねぇ」
   「今も変わらず千崎は親友だ。だから彼奴の立場も理解できるのだ」
   「兄上は、お人がよろしいのですね」
   「お前は、千崎に未練はないのか?」
   「ございません、寧ろ恨みに思います」
 どちらが強がっているのか。或いはどちらも強がって見せているのか、勘太郎には分からない兄妹であった。

 翌朝から、三人は江戸へ向けて旅立った。この先、勘太郎には三つの選択肢がある。一つは辰巳一家に戻り、親分の盃を貰いやくざ渡世で生きる道、二つ目は勘太郎を育ててくれた昌明寺へ戻り僧侶に戻る道、三つ目は信州浪人朝倉辰之進と共に江戸へ出て剣の師辰之進の夢に付き合う道である。
 三つ目の道は、全くあてにはならない。江戸の与力北城一之進は、果たして朝倉を快く迎えてくれるのだろうか。千崎と同じく、罪を犯して脱藩した朝倉に対して、冷たく門前払いをするかも知れない。
 だいたい、若い頃の言葉を信じて頼りにしていること自体、朝倉の甘さを暴露しているように思えるが、まあいいだろう。三つ目がダメなら、二つ目があるさ。二つ目もダメなら、一つ目があるじゃないか。勘太郎も自分の人生を三つ又にかけるとは、些か呑気なものである。
   「ところで、朝倉さま」
 勘太郎は、このまま三人で江戸へ出るとして、気がかりなことが一つある。自分のことではなく、お鈴のことである。
   「お鈴さんの身の振り方はどうお考えなのです?」
   「お鈴か、お鈴は心配要らぬ、江戸には叔父上が居るでナ、頼んでみようと思う」
   「お鈴さんは、敷居を跨がせてくれますか?」
   「お鈴は何の罪もない、快く引き受けてくれるであろう」
 またか、と口には出さぬが勘太郎は思う。この師匠は人ばかりあてにして、自分は何か努力をするのだろうか。叔父の屋敷で断られたら、親友の北城がどうにかしてくれるとでも思っているのではないだろうか。心細くなってくる勘太郎であった。


   「ご浪人さま、どうぞお助けください」
 とある宿場町にさしかかったところで、農家の女房と思しき女が朝倉の前に来て土下座をした。歳の頃は二十歳前後であろうか、破れた着物に裸足である。
   「どうしたのだ」
   「どうぞ、お助けを…」
   「助けてやるから、事情を話してみなさい」
 女は取り乱して、ただただ「お助を…」と懇願するばかりである。朝倉兄妹と勘太郎は辺りを見まわしたが、追って来る者はいない。
   「聞いてやるから、話してみなさい」
 暫くして落ち着いたのか、堰を切ったように話し始めた。
   「居ないのでございます」
   「誰が?」
   「わたしの赤ん坊でございます」
   「何処で居なくなったのだ?」
   「そこの石に腰を掛けて、お乳を飲ませていたら居なくなりました」
   「消えたのか?」
   「はい」
 勘太郎とお鈴は、思わず顔を見合わせてしまった。赤ん坊といえども一人の人間である。そんなに簡単に消える訳がない。
   「そなたは、居眠りでもしてしまったのか?」
   「いいえ、赤ん坊の顔をみていたら、不意に消えました」
 朝倉はと見れば、あまりの馬鹿々々しさに、話を聞いてやる気を失っている。代わって勘太郎が口を挟んだ。
   「それは、神隠しかもしれませんね」
   「ええ」
 勘太郎も、気が逸れてしまった。今度はお鈴が然も心配げに女の肩に手を遣り女に同情した。
   「赤ん坊はどこへ行ってしまったのでしょう」
   「わかりません」
 お鈴は、何かに気付いたようである。
   「あなたの赤ん坊が居ましたよ、ほら、あの雲の上に」
   「どこ? どこですか」
   「あなたには見えないかもしれません、わたくしは如来さまの召使いです」
 お鈴は空を指さした。
   「赤ん坊は、如来さまに抱かれてスヤスヤと眠っています」
   「私には見えません、どうかこの手にお返しください」
   「赤ん坊は死にました、でも如来さまは、あなたの手に赤ん坊はお返しになります」
 お鈴は、この母親を抱きしめ、優しく諭すのであった。今すぐ叶わないが、来年、または再来年かも知れないが、再びこの世に生まれてくる。あなたの元か、他の誰かのもとかも知れないが、あなたが元気に明るく生きていれば、きっとあなたの元へお返しになるでしょう。いつまでも亡くなった赤ん坊のことばかり考えて涙に暮れていれば、ほかの誰かの子供になってしまいますよと‥。
   「あっ、如来さまが微笑んで会釈なさいました」
   「このお乳を飲ませてやりたいのですが…」
   「大丈夫ですよ、如来さまの元では、お乳を飲む必要がないのです」
 お鈴は女を立たせ、手を取った。
   「さあ、お家まで、送ってさしあげましょう」
 
 家に着くと、丁度女の夫らしい男が野良仕事から帰って、女房を探しているところだった。
   「申し訳ありませんでした、もう治ったとばかり思っていたのですが、また赤ん坊が消えたと訴えたのですね」
   「でも、もう大丈夫ですよ、奥さまは立ち直りました。優しく見守ってあげてくださいまし」
 いろいろと農夫の話を聞いてやり、別れて立ち去るとき、お鈴は「ご夫婦仲良くね」と、声をかけた。農夫も「今夜は雨になりそうです。お気を付けなすって」と、声をかけてくれた。

   「お鈴さんは、凄いですね。如来さまのお姿が見えるのですね」
   「見えません。あれは嘘です」
 赤ん坊は、死んで生まれたそうである。それを自分の所為だと気に病み、想い煩ってしまったらしい。それに気付いたお鈴が、咄嗟の嘘で救ったのだそうであるが、来年、再来年にあの夫婦に子供が生まれたらよいが、そうでなければお鈴は恨まれるだろうと笑っていた。
   「朝倉さまのご兄妹は、いいかげんですね」
 呆れながら足を早めた。農夫が「今夜は雨ですよ」と言っていたのを思い出したのだ。 ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の日記「日本晴れ」

2016-06-03 | 日記
 昔、よく使った言葉「日本晴れ」、最近はあまり見かけなくなった。恐らく、猫爺が文献を読まなくなった所為であろう。
 当地の本日、その「日本晴れ」であった。日本晴れとは最上級の晴れで、雲一つない快晴のことである。また、身も心も晴れ晴れとした状態の表現としても日本晴れと使う。
 こんな、滅多に無い日本晴れの日には家に居て、寝具を天日に干し、夏の衣類を出して「虫干し」をしたいところであったが、用があって出かけてしまった。午後四時近くになって帰宅し、最低の寝具を干し終えたところである。

 部屋着に使うパンツ(ズボン)を買って来た。今まではジーンズであったが、頻繁に洗濯をするので、色が剥げ、少し擦り切れ気味になってきた。娘に言わせれば、「ジーンズは、そのような状態が値打ちが出る」と言いそうだが、それはビンテージ物に限ることだ。猫爺のは、そこらへんのスーパーで買ったメチャ安物。洗濯ではソフターを入れるし、乾いてシワクチャならばアイロンを当てる。放っておけば、穴が開いたら継ぎあてをして、まだまだ使うだろう。

 今日買ってきたのは薄地のパンツで、1280円也。これでも、猫爺には勿体無いくらいだ。

 本当は、家の中ではトランクス一丁でウロウロしたいのだが、頻繁に人が来る。とくに宗教関係の勧誘、インターネット関係の勧誘、とくにしつこくて感じが悪いのは、読瓜新聞の勧誘である。自分は昔から朝目新聞しか読まないと断っても、「一ヵ月でけでも‥」と、古新聞か当日の新聞かわからないが置いて行こうとする。
 宗教の関係者もしつこいが、「神」がどうのこうのと言い始めると「うちは日蓮さまを信仰しているので…」と言い、来た人が「日蓮系」だと、「自分はクリスチャンなので…」と断るようにしている。その双方が連携してきたとしたら、それはもう「うちはイスラム教徒ですので…」とか何とか。

 チャイムを鳴らして人が来たので、「またセールスか」と、態と裸で玄関を開けると、宅配の女性だったりして恥をかく。

 常に、ズボンだけでも穿いておこうと、心がけているのだ。


 

猫爺のいちびり俳句「ユスラウメ」

2016-06-02 | 日記
   ◇梅桃(ユスラウメ)お前は梅か 桜桃か◇

 今日、Tさまのブログを訪問して、収穫したユスラウメの写真を拝見した。小学生の頃、実家の庭にユスラウメの木が一本だけ植わっていたのを思い出した。ちょっと赤くなってくるとチョン切って、その小さな実を「酸っぱ-」と言いながら食べていたような…。


   ◇代掻きを 終えて農夫の 逞しき◇

 猫爺の住んでいるところは、時期が少し遅れているようである。余所の地では、既に田植えが終わっている頃に、こちらでは引水そして代掻作業が終る。
 機械化が進み、昔のような農繁期ではないにしろ、農家はこれからが忙しくなってくるのだろう。

   ◇ドクダミや 母が手際の 化膿どめ

 昨日、余所の庭で「ドクダミ」が満開(と言っても花数が少ないのでスカスカだが)なのを見て、これまた小学生の頃に、実家の庭に咲いていたのを思い出した。
 ドクダミは乾燥したものを煎じて胃腸薬として、生葉は、「でんぼ=おでき」の良薬であった。また、茹でて乾燥させて炒り、「ドクダミ茶」にしたり、はたまた天婦羅にして食べたことを思い出した。生葉は臭いが、熱すると消えたように記憶する。