雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

本当にあった怖い話

2011-11-30 | 日記

 シリーズもののサスペンスドラマを見ていると、刑事でもない主人公が、毎回殺人の被害者や自殺者の死体を見つけている。 人間生涯のうちに他殺死体、自殺死体など、そんなに見かけるものではない。  私も長い人生において、事故死体を除いては、たった一度きりの体験だった。 

 まだ学生の頃、一人で登った山に登った時のこと。 もう少しで下山道というところに差し掛かった時、脇道に迷いこんでしまったことに気付いた。 まだ日暮れには間があったが、雲がぐんぐん垂れ下がり、雨になるかも知れないと焦りが出てきた。 数十メートルも引き返しただろうか、あたりの視界を遮っている大木の下に、黒っぽい人のようなものがぶら下がっているのが見えた。 ちらっと視線を送ってすぐに気付いた。 フードの隙間からチラッと見えたのは、白骨化した人の顔だった。 自分は死体を見ても絶対に驚かないと思っていたし、「噛みつくわけでもないじゃないか」と、日頃高を括っていたのに、だらしなく心臓は早鐘を打ち、その場にひっくり返ってしまった。 顔は白骨化していても、まだ微かに腐臭が立ちこめていた。 下山道にもどり、「早く警察に知らせなきゃ」と、速足で下山しているつもりなのに、気持ちとは裏腹に足が動いてくれない。 そのうち、後ろの方で何かを引き摺るような音が聞こえてきた。 振り返っても何も見えない。 きっと恐怖心からくる幻聴だと思い直した。 しかし、歩き始めるとまた聞こえる。 振り返っても何も見えない。 しかも、背負っているリュックがずしんと重く感じられるようになってきた。 首を肩のほうに向けると、「ぷーん」と悪臭がした。 怖かったが、リュックの中を確かめることにした。 

 リュックの中に手を入れて、私は「わーっ!」と、大声をあげてしまった。 そこに居たものは、私が大の苦手な、でっかいカメ虫だった。 足はバンバンに張って、疲れがどっと押し寄せてきた。 幻聴も、足がおそくなったのも、リュックが重くなったのも。この疲れの所為だった。 そう気が付いたのは、警察の事情聴取をすませ、帰宅してからのことだった。


亡き妻にささげる俳句

2011-11-29 | 日記

 ▼夜が明けて 木槿(むくげ)の花の ただ白き

  (妻が見たら「奇麗ね」と言ったかも知れない花も、私の目にはただ「白い」と見えるだけ)

 ▼南天の 実と葉を付けて 白うさぎ

  (去年の暮れの雪が積もった朝に、妻に見せるために雪うさぎを作った。 妻が「子供みたい」と笑った顔が懐かしい)

 ▼妻の遺書 待ち草臥れし 鰯雲

  (妻の「先に逝って待っているよ」と冗談めかして書いた遺書。 つまらんことを書くから、はぐれ雲さえお前に見えるじゃないか)

 2014.12.30 改

二つの届きもの

2011-11-28 | 日記
 今日の午前中、ヨシケイから今夜の食材が届いた。 スチロールの箱を開けると、人参だの、卵など、結構沢山食材が入っている。 また、こまごまと書かれたレシピが入っていて、読んで理解するだけでも一苦労。 スパゲティーサラダ用の少量のパスタも、生から茹でなければいけない。 面倒くさいので省略しようかと思ったが、なにしろ最初のこと、一応やってみようと思い直す。 ここで、ちょっと後悔したりして…。 

 昨夜、アマゾンに注文した東芝の47W・LEDシーリング・ライトが、今日の午後に早くも届いた。 早速、くたびれた40W/32Wの蛍光灯を外して付け替えてみた。 25Wの倹約になるが、蛍光灯の方が明るい。 蛍光灯と同じ明るさのLEDシーリング・ライトを選ぶと、電気代は変わらなくなりそうだ。 結局、明るさを我慢するだけのエコノミーだった。 全部屋をLEDに替えるのは、少し様子を見ようと思う。

 ブログの見出しに使う画像が無くなったので、娘に絵か写真をくれるように頼んだら「何で毎回見出しを替えなきゃならんの?」と言われた。 「そうか、週一でも、月一でもいいのか、それなら、ずっと同じ絵か写真にした方がいいかも知れない」なんて今頃気付く。 それではと、娘が以前に妻のHPのために書いてくれた「この絵」に決めた。 

俳句をちょっと2

2011-11-27 | 日記
とまり木に とまりて眠る 蝶々かな
    突っ込み「余程暇な酒場なんやなァ」

春ノ海 ひねもすばたり ばたりかな
    突っ込み「投げられてばかりの、弱い全敗力士でっか?」

面白うて やがてほされる コメディアン
    突っ込み「誰のことやねん? 季語ないし…」

    告白「3つとも盗作だす」

雑感2

2011-11-27 | 日記
 夕食の準備にかかるにはちょっと早いし、部屋の片づけをするには時間が遅い。 コーヒーは先ほど飲んだばかりだし、乾いた洗濯物にアイロンでもかけようかと思い立った時、妻に笑われたことを思い出した。「下着にアイロンをあてるなんて…」と。

 妻が入院したての頃、下着やパジャマにキチッとアイロンをかけて持っていったら、同室の患者さんと顔を見合わせて「クスッ」と笑った。「下着なんか、干した時にパンパンと両手で叩いておけばいいよ」。 下着だって着替えるときに皺がのびていた方が気持ちいいだろうし、病院ではパジャマで人前をうろうろするのだから、皺がよっていればみっともないと思うのだが…」 こうすることは、私の母がやっていたことだが、下着もキッチリとアイロンで皺をのばし、上下をしつけ糸で合わせて各自のタンスに入れてくれていた。 

 笑われたけれど止めないでアイロンをかけ続けていたら、時間がなくてかけずに持っていった時「アイロンをかけて持ってきて」と突き返えされた。「ムカッ」として小声で言い争っていたら 同室のおばあさんに「喧嘩ばかりしている仲の良い夫婦やなぁ」と、大笑いされた。 若き日の思い出である。

 さあ、時間もよし、メシの仕度をしてこよう。 冷凍グラタン美味いけれど、まだ残っていたかな?

好きな曲7・「蔵王エコーズ」

2011-11-27 | 日記
 蔵王エコーラインのキャンペーン・ソングではなく、レコード・ジャケットに「山形新聞・山形放送局選定」とあるから蔵王山の愛唱歌のようだ。 ダーク・ダックスが歌う軽快な青春歌である。 この曲は、流石の YouTube にも見当たらなかった。

 仰ぐ嶺々 かがやいて
 蔵王の空は われを呼ぶ…

という大畑専さんの詩がついている。 好きな思い出の曲だ。 年配の(元?)スキーヤーならご存知かも知れない。 4番の歌詞は…

 銀のシュプール ひきながら
 二人で描く イニシャル…

 シュプールでイニシャルを描くのは、「相当高度な技術が要るなぁ」と思いながら4番の歌詞を歌ったものだ。

爺の料理9・食材のデリバリー

2011-11-27 | 日記
 つい面倒くさくて炒飯とか油ものとか栄養の偏った食事を摂ってしまう。 これではいけないと、試しに[ヨシケイ」のデリバリーを試してみようと推進キャンペーンに申し込んだ。 安価で手間のかからない弁当と、食材だけを配達してもらい、調理は自分でするタイプがあるので、後者を選択し、明日から届くことになった。 

 昨日今日と晴天続き、しかし、今日は昨日の快晴とは違い薄雲を通した柔らかな陽光。 暑くもなく、寒くもなし、小春日和とは、まさしく本日のような日のことだろう。

スッポンのイメージ

2011-11-27 | 日記
 前記事に「作りました3」がありましたが、スッポンのイメージの部分に下ネタっぽい不適切な表現がありましたので削除いたしました。 既に読まれた方がいらっしゃいましたら、記憶の中のその部分を消しゴムで消していただきますように。 忘れてしまわれた方や、全然気が付かれなかった方は、強いて思い出したりせずに、そのまま無視願います。

柿なくて 鐘がならない 法隆寺

2011-11-25 | 日記
 なんで? って、説明がいるのですか? そ、それは~ですね。 えーと、えーと。 その昔、テレビアニメで「ヤッターマン・シリーズ」と言うのがあったでしょ。 そこに、ちょこっと出てきた暴れん坊がいたのですよ。 その子の名前は「柿太郎」。 柿食えば、力100倍、柿太郎。 柿無けりゃ、何も出来ない柿太郎って。 憶えています?

 法隆寺の鐘は大きくで、鐘つき棒が太いのです。 この鐘をつける和尚さんはただ一人しかいません。この和尚さん、柿太郎と同じで柿を食わないと力が出ません。 そのために、干し柿を一年分保存してあったのですが、とうとうきらしてしまいました。 そんな訳で、法隆寺ではしばらくの間鐘が鳴らないのです。 納得していだだけましたか? ダメ? 

俳句をちょっと

2011-11-24 | 日記
 柿無くて 鐘が鳴らない 法隆寺
      突っ込み「法隆寺は、誰かが柿を食わんと鐘を鳴らさんのか!」

 こそ泥に 釣瓶盗られて 貰い水
      突っ込み「ただの窃盗事件じゃん! 季語無いし」

 秋深き 隣は空き家 誰も居ず
      突っ込み「それで?」


      総合突っ込み「三つとも盗作や」
    
 

催眠商法

2011-11-24 | 日記
 もう、何十年も前に横行した悪徳商法が、今でも存在するのをニュースで知った。 この商法に、私の母も引っかかって、説得するのに苦労したものだ。 ポリ容器だの、肩たたきだの、アルミの雪平鍋など、今なら100円ショップで売っているような物をどっさり貰ってきて、その代わりに50万円近くもするようなマッサージ・チェアを契約させられて来た。 

 只でものが貰えると近所の主婦を30人ほど貸店舗に集めて、「これもあげる」「これ欲しい人はてを上げて」と、一つ一つ配り、客達が高揚してきたところで商品の説明を始める。 今なら、2万円くらいで買えるようなものを、すごい効果があるように説明して契約させる。「月賦でいいよ」の声に、何人もの人が契約したそうだ。 多分、さくら(偽客)が何人か居たのだるう。

 私が「騙されている」と言っても、母は頑として聞く耳を持たなかった。 詐欺にかかった人は、「自分は詐欺になど引っかからない」という自信が有って、家族の説得をなかなか聞き入れてくれない。 オレオレのように当の孫や息子と連絡が付いて、はっきりと嘘だと判るまで、ATMの前で「詐欺では?」と注意されても、「ほっといて」と、頑なに振り込もうとする老人が居ることでもわかる。 

 たった一度、妻も元気な時に近所の主婦に誘われて出かけたことがある。 妻は何も貰わずに、もちろん契約もせずに帰ってきて「あんなもの、インチキよ!」と、吐き捨てるように言っていた。 私が母のことを妻に話していたし、妻も図太いところがあるので、「結構毛だらけ、猫灰だらけ」とは言わなかっただろうが、縁日のたたき売りでも見物してきたような様子だった。 これは、後々妻の自慢話になつた。

雑感(日記)

2011-11-23 | 日記
 23日の朝、大阪に住む娘の家に遊びに行く約束をしていたが、眩暈に襲われたので電話をかけて中止した。 梅田の阪神百貨店で買って行ってやろうと、お土産まで考えていたが、過日道路で転倒したことを思い出し、車道で転びでもしたら「きまりが悪いでは済まされない」と思ったからだ。 結局、どこへも行かず、何をするでもなく寝たり起きたりして、ぐーたらな一日を過ごした。 

 このブログに一旦記事を投稿したら、削除して書き直さなければ修正できないものと思い込んでいたが、「記事一覧」から修正できることを今頃気付いた。 まだまだ爺には判らないことだらけ。

 今日の見出し写真は、私の部屋から見える夕景だ。

CMと、勧誘

2011-11-23 | 日記
 ちょっと乱暴な主張かも知れないが、CMと言うものは多かれ少なかれ消費者を騙そうとしていると思う。 サプリのCMは、その「多かれ」の代表ではないだろうか。 曖昧用語の連発と、素人の真似をした顔の売れていない役者と、尤もらしいアンケートや愛用者インタビューで、薬事法に引っかからないように「効能」を仄めかしている。 化粧品のことは私には判らないが、顔のしみが薄くなると宣伝しているものでも、決して「消えてしまう」とは言っていない。 ニキビが治ってくるとか、毛穴の汚れが取れるとナレーションで言っていても、画面では必ず少し残っている状態で画面が切り変わる。 クレーム対策だろうか。 

 話はかわって電話での勧誘だが、同じところから何度も何度も掛かってくる。 「奥さんと代わっていただけます?」に、「妻は亡くなりました」と答えているのに、またしても電話がくる。 先の応対を疑っているのだろうか。 それとも、電話を掛けるてくる会社の横の繋がりがないのだろうか。 

 新聞の訪問勧誘も、断っても断ってもまた押しかけてくる。「俺は阪神タイガースのファンだから、嫁売新聞はとらない」と言っているのに、数か月たつと同じ勧誘者がまたくる。 一度や二度なら兎も角、なが年ずっと続いている。 商売熱心だから諦めないってことなのか?

 宗教を勧めに来る人も、同じ宗教団体から入れ替わり、たちかわりやってくる。 小さな子供を連れているのも、子供を利用しているようで気に入らない。 この宗教に入信すると、輸血が許されないそうで、ちょっと恐い。 

夢枕ではないけれど…

2011-11-23 | 日記
 妻が亡くなった時の夢ばかり見ていたのに、初めて元気な姿の妻の夢を見た。 それも真っ昼間の微睡のなか。 台所から居間にはいると、絨毯の上に妻がちょこんと座っていた。 抱きしめて「なんで、なんで」と質問を繰り返すのだが、言っていることはトンチンカン。 「一人で帰ってきたのか?」「先生、かえって良いと言うんか?」「黙って帰ってきたんやろ」 亡くなったことは判っているのに、入院先の病院から抜け出してきたような感覚だ。 妻は、何も言わずに笑っていた。 

 昔、聞いたことがある。「亡くなった人は、夢の中では喋らない」 なるほど、このことかと思ったが、そんなことは無い。 先に亡くなった友達連中は、うるさいほど喋りかけてくる。 妻が何も喋らなかったのは、私の現実から逃避しようと思う意識が、妻を黙らせてしまたのだろう。「夢には色がない」と言うのも嘘だ。私の見る夢は、昔風に書けば「総天然色」だ。 昔、そう主張したら、「色付きの夢を見るのは、気が狂っている証拠だ」と言われた。 「ほっとけ!バカタレ!」と私が言い返したかどうかは定かでない。

 幾度となく入退院を繰り返してきた妻だが、一度たりとも独りで帰ってきたことも、誰か他の人に連れて帰ってもらったことも無い。 必ず私が迎えに行っていた。 迎えに行くと、妻は嬉しそうに怒ってみせた。「遅いなあ、用意してずっと待っていたのに、何しとったん!」 そして、同室の患者さん達に冷やかされるのが常だった。