雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十九回 三太の家出

2015-02-04 | 長編小説
 神田の菊菱屋へ使いに行った帰り道、三太の後を追うように付いて来る男が居た。三太は何気なく振り返ってちらっと見たが、そのまま気付かぬふりをして歩いていた。自分を付けているのか試そうと三太が走ってみると、男も走って付いてくる。
   「新さん、あの男、わいに用が有るのやろか?」
 守護霊の新三郎に問いかけてみた。
   『悪い男には見えないが、執拗だね』
   「気持ちが悪い」
   『まあ、気付かないふりをしていましょうぜ』

 三太は、この男を見るのは初めてではない。自分に何の用があるのだろう。三太は思いきって、確かめてやろうと思った。
   「お兄ちゃん、わいに何か用だすか?」
   「三太ちゃんですね、福島屋の小僧さんの」
 男なのだが、話すと女っぽい。
   「へえ、さいだす、何でわいの名前を知っているのだす?」
   「お店の客ですよ、ほら何時ぞやお買い物でお店に行きましたでしょう」
   「そうだしたか、毎度おおきにありがとうさんでございます」
   「そこでね、三太ちゃんが大好きになってしまったの」
   「弟のようにだすか?」
   「まあ、そんなところかな」
   「また福島屋をご贔屓(ひいき)に…」
   「はいはい、度々行かせてもらい、三太ちゃんに手助けを願いますよ」

 帰りを急いでいるのでと別れようとすると、引き止める。
   「ねえ、そこらで何か美味しい物でもご馳走しましょうか?」
   「すみまへん、仕事がおます、すぐに店に戻らんとあかんのだす」
   「ちょっとくらい、いいではありませんか、私も店まで行ってご主人に謝ってあげます」

 仕方がないので茶店に付き合って、蜜たらし団子を一皿食べた。代金を払おうとすると、男が止めた。
   「いいわよ、わたしが誘ったのだから、それよりも…」
 今夜、男の家に泊まりに来いという。
   「行けませんよ、わいは福島屋に奉公している身、そんな勝手なことは出来まへん」
   「わたしが、旦那様に頼んであげる」
 男は店の客が頼めば、店主は断らないと自信ありげに言い、とうとう店まで付いてきてしまった。

   「これは、これは有田屋の若旦那、いらっしゃいませ」
 亥之吉は、この男を知っていた。
   「今日は、旦那様にお願いがあって参りました」
   「いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます、何なりとお申し付けください」

   「そうか、あいつか」
 三太も気が付いた。いつも恥ずかしそうに顔を隠し、お伴のおなごしに喋らせていたので、三太にはこの若旦那の印象が残らなかったのだ。
   「それでねえ、今夜一晩、三太ちゃんをうちの店にご招待したいのですが、都合は如何なものでしょうか?」
 三太は、当然旦那は断ってくれるものと思っていたが、あに図らんや亥之吉は「どうぞどうぞ」と、揉み手をする有り様。
   「それでは、今夜店を閉めましたら、有田屋さんまで三太を行かせますので、宜しいように」

   「こいつは男色(なんしょく)や」
 三太はがっかりした。「陰間」のことは三太も知っている。その陰間として、亥之吉はこの男色家に自分を差し出そうと言うのだ。一晩とは言え、何をされるか分からないのに、この無責任な旦那が三太は憎らしかった。
   「絶対嫌や」
   「そんなに痛いことはせえへん、我慢してやりなはれ」
 亥之吉はニヤニヤ笑っている。
   「嫌や、嫌や、それやったら旦那さんが行っとくなはれ!」

 その日、日が暮れる前に、三太の行方がわからなくなった。真吉に有田屋へ走らせたが、三太は行っていなかった。
 亥之吉は、心配になり、菊菱屋へ走ったが、政吉も知らないという返事だった。
   「日が暮れたら、怖くなって戻ってくるやろ」
 亥之吉は、三太を有田屋に泊めるつもりは無かったのだ。ちょっと三太を怖がらせて、宵の口に自分が迎えに行くつもりだった。
   「しまった、悪戯が過ぎた」
 亥之吉は後悔したが、三太はその夜戻らなかった。お絹は亥之吉から事情を聞いて、激怒した。
   「何てことをしたのだす、あんさんは三太の気持ちを考えたのだすか」
   「すまん」

 次の日も、またその次の日も、三太の行方は杳(よう)として知れなかった。
   「三太は、元奉公していた浪花の相模屋長兵衛さんのところへ戻るつもりかも知れへん」
 そうなれば、三太を託してくれた長兵衛さんに合わす顔がない。亥之吉は思いきったようにお絹に言った。
   「わし、浪花まで行ってくるわ、三太に謝って戻って貰う」
   「まだ、浪花に戻ったと決まったわけやおまへん」
   「そやかて、日が経つばかりで、埒(らち)が明かへんやないか」
   「落ち着いて考えてみようやおまへんか」
   「どう落ち着くのや?」
   「考えてみれば、可怪(おか)しいことがおます」
 お絹は、菊菱屋の政吉と新平のことが引っかかっているのだと言う。
   「そうやおまへんか、三太が行方不明やと言うのに、一緒に探そうとは言ってくれまへんし、心配してここへも来てくれまへんやないか」
   「そう言えばそうやなァ、政吉も新平も、三太には世話になっているのに、知らんふりや」
   「そうでっしゃろ、あの二人何か隠しておりまっせ」
   「よし、今から政吉のところへ行って、問い質(ただ)して来る」
   「怒ったらあきまへんで、下手(したて)に出て訊くのだすよ」
 亥之吉は天秤棒を担いで、駈け出して行った。

   「政吉、あれから三太がここへ顔を出さなんだか?」
   「へえ、来まへんどす」
   「そうか、どこへ行ってしもうたのか、まだ戻らんのや、わし心配で、心配で、飯も喉に通らん、このまま行ったら、わしが寝込んでしまいそうや」
 亥之吉は、がっくりと肩を落として二人に見せた。見るに見兼ねて、政吉がポツリと言った。
   「もしかしたら、守護霊新さんのお墓がある経念寺(きょうねんじ)へ行ったのと違いますやろか」
   「何でそう思うのや?」
   「新さんに連れられて、死んだ定吉兄ちゃんのところへ行く気かも知れまへん」
   「お前なあ、そんな縁起でもないことをいけしゃあしゃあと、よく言えるなァ」
   「ふと、そう思ったのどす」
   「嘘をつけ、今までここに三太を隠していたのやろ」
   「いえ、決して…」
   「新平はどうや、子供は正直と言うやろ、お前も嘘をつくのか」
   「それが…」
   「それが何や、嘘ついたら死んだ時閻魔さんに舌を抜かれるのやで」
   「それが…」
   「政吉に口止めされているのやろ、構へん言うてみなはれ」
   「若旦那、すみません、全部打ち明けます」
 政吉は慌てた。
   「こら待て、新平、三太との約束を破るのか」
 為て遣ったり顔の亥之吉。
   「それ見い、二人して、いや三太と三人して、わしを困らせようとしていたのやな」
   「すんまへん」
   「それで三太は何処に居るのや?」
   「経念寺へ行きました」
   「それだけは、ほんまやったのか」
   「へえ」
   「何しに?」
   「今日あたり、旦那さんがここへ来はるやろさかいに、隠れているのがばれたら菊菱屋に迷惑がかかると…」
   「あほか、経念寺は子供の駆け込み寺やないわい」
 見つけ次第、どつきまわしても連れて帰ると、亥之吉は熱り立って経念寺に向かった。

   「三太親分が叱られる」
 新平が心配顔で悄気(しょげ)かえっているが、政吉は亥之吉の性分は分かっている。
   「怒ったり、どついたり出来る亥之吉兄ぃやないわ、きっと泣いて謝りよる」 

 経念寺は、住職の亮啓和尚(りょうけいおしょう)が応対してくれた。
   「三太、出てきなさい、旦那様のお迎えですよ」
 三太が、決まり悪そうに出てきて、和尚の後ろに隠れた。
   「若旦那が喋ったな」
   「いや、新平を脅してやったら、あっさり吐いた」
   「あいつ、正直者やからな」
 亮啓和尚は、三太に礼をいった。
   「久しぶりに新三郎さんに会えて、和尚、嬉しかったです」

 亥之吉は、政吉の言う通り、怒りもどつきもせず、「わしが悪かった」と、三太に詫びた。二人連れだって帰り道、桶屋に寄って三太の紛失した天秤棒の代わりになる、三太の背丈に合った水桶用の天秤棒が有ったので買った。手に持つと、ずっしりとして樫の木の匂いが快かった。

  第二十九回 三太の家出(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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「第九回 卯之吉の災難」へ
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