雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「廃物利用?」

2016-04-30 | 日記
 余所様のブログで、仔猫の動画を拝見してきた。仔猫のミルキーちゃん、可愛らしかったなァ。ティッシュペーパーを箱から全部掘り出して包まっていた。それはふかふかのティッシュに包まれば気持いいだろう。猫爺も包まって寝てみたい… あっ、嘘嘘。今の嘘だよ。こんなことを書いたら、猫爺の柩に、ティッシュ詰められるよ。

 お別れ窓を開くと、ティシュが飛び出し、柩の中で、何をしていたのかと笑われて、猫爺恥ずかしいもんね。

 ティッシュは、こっちへ置いといて(/・ω・)/

 ささやかなアイデアだが、カップ焼きそばの空きカップを、108円のマグクリップ(大)を用いて冷蔵庫の側面にくっつけて写真のように利用している。


猫爺の日記「葱坊主」

2016-04-29 | 日記
 当ブログに、よくいらっしてくださる方のブログを拝見してまわると、目の覚めるような花の写真や、お住いの近くに、野鳥が見られる自然の環境があるなんてと、「ハー」と、ため息が出る。
 爺の癖して、花を見て溜息なんて‥ とおっしゃるかも知れませんが、「そうおっしゃいますが、ねー」(急に馴れ馴れしくなる)猫爺、投稿の度に見出しの写真や、イラストを付けたいのだが、種切れで古いのを使い回しているのだ。
 住いの近くに、素晴らしい花々や、自然の風景があれば種に困らないのにと思うと、ため息の一つもでるというものである。

   ◇紫陽花や 鉢植え買わず 盗み撮り (セコ爺)

 種と言えば、あるブロガーさんが「葱坊主」が食用になると書いておられた。猫爺も葱坊主を天婦羅にして食べているのをテレビで見た。いまいち信用していないのだが、試食したタレントさんは「美味しい」と言っておられた。だが、葱坊主付の葱など、普通のスーパーで買えない。

 スーパーさん、葱坊主を販売してみてはどうだろう。葱坊主5個をパックして、100円で、「天婦羅にどうぞ」と表示すれば売れるかも知れない。旨いとなれば、葱坊主ブームを引き起こすだろう。葱は健康にも良さそうなので、早速サプリメーカーが、「乳酸菌100億個と葱坊主が入った青汁」なんて発売するかも。

 あ、そうそう、葱の根も天婦羅にして食べていたぞ。天婦羅にすると、なんでも食べられるのだなぁ。とは言え、葱の根だけをパックに入れて売りだしたところで、売れないだろう。

 

猫爺のエッセイ「吉良の仁吉」

2016-04-29 | エッセイ
 吉良の仁吉(大田仁吉)の物語も、様々であるが、浪曲家、二代目広沢虎造(脚本)のものが泣かせてくれる。

 仁吉は若いが清水の次郎長と兄弟分の盃を交わす仲であった。次郎長一家で三年世話になった仁吉は、生まれ故郷の三河の国吉良に戻って、吉良一家を構えた。仁吉二十一歳のときである。

 それから何年か経ったある日、仁吉一家に、以前に兄弟分の盃を交わした神戸一家の貸元(親分)神戸の長吉(かんべのながきち)が相談にやってきた。

 神戸一家は子分、数十名という小さな一家だが、父親から引き継いだ荒神山の縄張りを持っていた。この縄張りは年に一度、諸国の親分衆が寄り集まって、大きな賭博が行われる。その、たった一度の賭博に依る収入は、千両を下らないとも言われたものである。
 この縄張りを、徳次郎一家の貸元、穴太徳次郎(あのう とくじろう)が信州浪人の入れ知恵で神戸一家に「いちゃもん」をつけて喧嘩を売り、縄張りを取り上げようと図った。

 穴太徳次郎は子分、数百人の大一家、それに比べて神戸一家はひ弱過ぎる。神戸の長吉は、普段心やすくしていた貸元衆をまわり加勢を頼むが、仮病を使われたり、長旅に出ていると嘘をつかれたり、はっきりと断られたりもする。
 もうダメだと諦めかけようとした時、義理に厚い吉良の仁吉を思い出して相談に出掛けたのだ。

 吉良の仁吉は、穴太徳次郎のやりかたに腹を立て、加勢を引き受ける。仁吉が真っ先にやったことは、嫁にしてまだ三か月の恋女房お菊(十八歳)に離縁状を投げたことである。お菊は穴太の徳次郎の妻の妹であったのだ。
   「恨むなら、卑怯者の徳次郎を恨め」
 仁吉とて、惚れて一緒になった女房である。断腸の思いであっただろう。

  ◇吉良の港は おぼろ月
   泣けば乱れる  黒髪の
   赤いてがらも 痛ましや
   お菊十八 恋女房

 「てがら」とは、日本髪を飾る赤い布である。

  ◇嫁と呼ばれて 未だ三月
   ほんに儚ない 夢のあと
   行かせともなや 荒神山へ
   行けば血の雨 涙雨
 
   YouTubeで、歌を聴く
 
 仁吉は、清水の次郎長に頼み込み、強力な子分衆の助太刀を得て、荒神山へ向かう。喧嘩には勝ったのだが、仁吉は徳次郎に雇われた猟師の鉄砲で撃たれて命を落とす。

 仁吉は死体となって、船で清水港に戻ってくるが、通夜の席で次郎長の子分の一人が、仁吉の長脇差と長吉に出させた長脇差を比較して皆の衆に見せる。
   「見てやってくだせぇ、仁吉の長脇差は、この通り…」
 刃がガタガタに欠けて血くもりが酷い。
   「それに引き換え長吉の長脇差は、刃が欠けるどころか、血くもり一つありやせん」
 長吉は、喧嘩の途中、どこかへ隠れていたに違いないと批判し、長吉を斬ろうとさえした。

   「ちょっと待っておくんなせえ」
 仁吉から事情を聞いていた者が居た。
   「仁吉さんは、長吉と荒神山へ向かう途中…」
 長吉に当て身を食らわせて縛り上げ、農道の小屋へ押し込めて荒神山へ向かったのだ。これは、長吉の年老いた母親を悲しませないための配慮であった。長吉が自分で縄を解き、荒神山へ駆けつけた頃には、喧嘩は終わっていた。   仁吉、二十八歳没

 この物語は、半ばフィクションであろうと思われます。(猫)
 

猫爺の日記「重宝している100円グッズ」

2016-04-27 | 日記
 猫爺が使って、重宝している108円グッズを述べてみよう。
猫爺は、普通の砥石と、電動式回転砥石と、この108円砥ぎ器を包丁によって使い分けている。

ステンレス製の包丁には、これが簡単に砥げて便利である。テーブルの上で、二~三回往復して擦るだけで良いのだから。


 
 これは、カプチーノ用の「牛乳泡だて器」だが、猫爺は、「青汁」の攪拌に用いている。回転数が少ない(遅い)ので、青汁がカップからあふれることがない。もちろん牛乳の泡立てや、アイスコーヒーの攪拌などにも使っている。

 
 こちらのタイプは、回転数が多く力も強いので、水溶きカタクリや、酢の物用の酢と砂糖と塩の攪拌、酢味噌、トンカツソースを作るときの攪拌などに重宝している。

 
 回転式日付印と、スタンプパッドだが、買い置するレトルト食品などの賞味期限をシールに押して、見やすいところに張っている。目が良い人には不必要だろうが、猫爺のように目が悪い者には、重宝する。

 なにしろ、買って来た新しい物から使ってしまうので、二年前に賞味期限が切れたものが出て来たりする…。

 番号印をロイヤルなどで買うと、1000円をはるかに超えるので、108円のもので十分である。またこのスタンプパッド、赤いボタン押して開くと赤いパッドが、黒いボタンを押すと黒いパッドが開く優れもの。当たり前と言えば、当たり前であるが、逆でも楽しいかも…。楽しくないか。

猫爺のエッセイ「軍歌・戦友」

2016-04-26 | エッセイ
 猫爺は、揺るぎない「反戦主義者」である。侵略、異宗教間、異民族間の争いなど、どのような理由があろうとも、戦争に正当性はない。

 その戦争の為に洗脳され、教育されて駆り出された人々が犯した「罪」は憎むが、その人々自体は憎むことは出来ない。彼らもまた戦争の被害者なのだから。

 この「戦友」の背景は、満洲事変であろう。この「事変」と言うのは、第二次世界大戦のように国と国が「宣戦布告」をして勃発するのを「戦争」と呼ぶのに対して、宣戦布告なしにおっ始める大規模な事件を「事変」という。
 
 「満洲事変」は、関東軍(日本)の策略で、南満州鉄道(日本所有)の線路を故意に爆破し、これを中国軍の仕業だとして、それを口実に事変(戦争規模)を勃発させ、満洲を占領したものである。

 軍歌「戦友」の二人は、この戦争に駆り出された若者たちを想定したものであろう。この二人が「御国の為」だと洗脳されて命がけで戦っている心中を想うと、涙を零さずにはいられない。もっとも猫爺は、自分の書いた小説を読み返して、涙を零すような「変態」ではあるが‥。

 このフルコーラスの動画は、もともとYouTubeにアップされていたものに、猫爺が勝手に歌詞を表示せたものである。この行為が良いのか悪いのかよくわからないが、悪いのであれば「削除」してくれるだろうと、高を括っている。

猫爺のエッセイ「日本の神話、古事記」

2016-04-23 | エッセイ
 猫爺の空想的解釈を述べてみよう。(ちょっとだけ修正版)

 古事記は、天地の始まりから述べられているのだが、宇宙は混沌としているものから何となく出来上がっていくようである。地上と言えば、陸地も海もなく、ゼリー状のものがウネウネとしているばかりであった。宇宙が出来上がる以前に地上が有ったのは、猫爺の-憶測に過ぎないが、実は神話とは神が主役だと考えがちであるが、人間が主役なのではないだろうか。

 混沌とした宇宙に、「独り神」といわれる男でも女でもない神が、何処ともなく現れ、いつのまにか消えてしまう。この形すらわからない神々を「コトアマツカミ」と言い、その神々が消えた後に、「双び神(ならびがみ)」という五組十柱の神々が生まれてくる。この神々は最初泥のようであったが、代を重ねるたびに人間のような姿になって来る。「神が何故人間の姿に?」それは人間が主役である証拠とも言えよう。

 双び神は七代(神世七代=カミヨナナヨ)続き、七代目に現れた双び神が、イザナギノミコト(男)と、イザナミノミコト(女)である。
 この夫婦の神たちは、神の国、高天原(タカマガハラ)の神々に、ウネウネしているゼリー状の地上を鎮めよと命じられる。
 夫婦の神は、天の浮橋(アメノウキハシ)という空中に架かる橋の上に立ち、天の沼矛(アメノヌボコ)という棒の先に両刃の剣が付いた矛で地上のゼリーを掻き混ぜて引っこ抜くと、しずくがポタリと地上に落ちた。これが固まってオノコロ島が出来たのであった。

 夫婦の神たちは、この島に天の御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)という広々とした神殿を建て、ここを夫婦の住居とした。
 この夫婦神は、スーパー多産系で、超スケベであった。「お前の足りないところを、俺の余分な部分で埋めよう」と、自然に性交を思いつき、北海道と沖縄を除いた日本の国土、大八島(オオヤシマ=本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡)を次々と産んだ。
 猫爺のこと、それら産む様子を想像してみたのだが、途中で挫折してしまった。お産の慣用句に「小さく産んで、大きく育てる」というのがあるが、きっとそれのスーパー版であろう。
 この夫婦神、「ヤリまくり、産みまくり」で、ポコポコと八百万(ヤオヨロズ)の神々を産んでいくのだが、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)またの名を 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)通称カグツチを産んだあと、イザナミノミコトは死んでしまう。カグツチが火の神であった為に、イザナミの腹の中では羊水に覆われているが、破水して生まれ際には火で覆われていたのだ。赤ん坊の出口を大火傷したイザナミは、それがもとで死んでしまったのである。
 夫のイザナギは怒り狂って、罪のないカグツチを斬り殺してしまう。そのカグツチの流した血や死体から、多くの神々が生まれることになる。この生まれた神々は、カグツチのクローンであろう。

 イザナギは、妻イザナミのことが忘れられずに、呼び戻そうと黄泉の国へ出かけるが望み叶わず戻ってくる。汚れた躰を浄めようと禊(ミソギ)をするが、この禊で多くの神々が生まれる。イザナギの両目や鼻や垢から生まれた太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)や乱暴者で八岐大蛇退治で知られる須佐之男命(スサノオノミコト)、夜の食国(オスクニ=国家)を任された月読命(ツキヨミノミコト)もクローンと言えるだろうが、杖や帯やブレスレットからも神々が産まれている。まァ、神の仕業なので、凡人ごときが突っ込みをいれることは出来ないが、神世とは不可解なものである。

 古事記のなかには、不思議で漫画的で面白いエピソードがたくさんでてくるのだが、この物語は何のために作られたのであろうか。
 神々の子孫が、やがて「神武天皇」へ行き着くのだが、ここで猫爺の空想的解釈を述べさせていただくと、この神話(物語)は、神武天皇から始まる天皇を神格化するために作られたのであろうと考える。作られたというよりも、豪族の命によって「作らされた」というべきかも知れない。

 古事記は「口伝え」で、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の記憶をもとに太安万侶(オオノヤスマロ)が、雇い主である元明天皇の命を受けて編纂したものとされているが、いくら記憶の天才だとて、一人でこの膨大な物語を記憶していたとは考え難い。
 稗田阿礼は一人ではなく、集団であったかも知れない。また、この膨大な物語は、太安万侶の創作も組み込まれた脚本であろうと想像する。

猫爺のエッセイ「園児の遊ぶ声が煩い」

2016-04-21 | エッセイ
 今、食事の支度をしながら、テレビの音声に耳を傾けていたのだが、自分の家の近所に幼稚園が建つのを反対して、市に陳情する人々が増えているのだそうである。 その結果、幼稚園の周りを高い防音壁で囲ったり、地下に遊び場を造っている幼稚園もあるそうだ。

 我が家の向かいにも大きな公園と、並んで小学校がある。200メートルほど離れたところには、幼稚園も建っている。元気な子供たちの声が聞こえてくるうえ、土・日曜日には、公園で野球少年の叫び声が聞こえる。あの元気な声を、煩いと感じる大人がいることが、猫爺には意外なことでである。

 煩いと感じることがあっても、幼稚園であればたかだか午前中の3時間程度ではないか。それが我慢できないのは、近隣の人々のエゴとまでは言わないが、心の狭さは否めないのではないだろうか。

 家の近くで、子供の声ひとつ聞こえない環境など、寂しいものだと思う。あの元気に騒いでいる子供たちが、日本の将来を背負っていくことを考えると、窓を閉め切って我慢をしてあげるのも、我々大人の勤めだと思う猫爺の考えは、時代に不相応なものだろうか。

日記「猫爺の昼餌」 信じる者は救われる

2016-04-19 | 日記
 昼の外食、本当は色々な処へ行ってみたいのだが、行動範囲の狭い爺には近場で間に合わせる他はない。今日もまた、マックで済ませた。

 「ペヨング」の「焼きそば」は、通販で18個入りを買って、既にその2/3は平らげてしまった。他社の「焼きそば」、例えばニッ○ンのものなどは、直ぐに飽きてしまうのだが、「ペヨング」は飽きない。昼が近付くと、「ペヨング焼きそば」が頭に浮かぶ。これが、夜中にも浮かぶので、困ったものだ。

   焼きそばはこちらにおいといて…。 「この表現も、猫爺飽きちゃった(?)みたい」

 我が家の近くに来ては、充電式メガホンで何やらひととき「お説教(?)」をして行くある宗教の信者が居る。このおっさん、盛んに「信じる者は救われる」みたいな遠の昔に聞き飽きたお説教を並べて帰って行く。
 いつもなら、「また、やっていやがる」と、苦笑して聞き流すのだか、今日は腹が立った。

 何が「信じるものは救われる」だ。猫爺なんざ、ミジンコ程も神信心していないのに、神戸の水害の折も、阪神大震災の折も、救われっぱなしだ。震災の折など、大きな教会が崩れて、多くの信者が被害に遭っている。

 この度の、熊本の震災では、将来は日本の農業を背負って立つべく希望にあふれる「あたら若き命」が犠牲になっている。これが「神の思し召し」か。

 反面、間もなく「カップ焼ぞば」をやめて、「霞」を食って生きて行く程の年寄りが、小説で神仏を茶化しているにも関わらず「神罰」にもあたらずに長生きをしている。「神よ、お前は馬鹿かっ」と、詰ってやりたい。

   「信じるものは救われる」?
   「信じるものは、足を掬われる」の間違いではないのか? え、おっさん。

 

猫爺のエッセイ「染井吉野に実がならない理由」

2016-04-17 | エッセイ
 「猫爺の日記」で、ふざけ半分に「染井吉野に実がならない理由」を書いたが、今、読み返して自分が書いたことなのによく分からなかった。どうせ記事にするのなら学術的ではなく、猫爺なりの解釈で、真面目にエッセイとして書き直してみようと思う。

 お花見と言えば、桜花である。桜花と言えば、白に近いピンクの染井吉野がお馴染みであるが、春になれば霞か雲かと咲き誇り、我々の目を楽しませてくれる。

 この「さくら」、実が一つも実らないのは、「そんな品種」だと思いこんで、「何故?」と疑問を持つ人は少ないのかも知れないが、染井吉野は不稔性(不実性)ではない。ただ、自家不和合性と言って、自分の木に咲いた花の花粉では結実しないのである。この染井吉野の近くに、同じ時期に開花する桜の木があれば、染井吉野も「さくらんぼ」を付けるはずである。

 ここで、こんな疑問を持っていただければ、猫爺としては「シメシメ」と言いたいところである。

   「桜の木なんて、一本だけ植わっている処ばかりではない、まとまって500本も植わっているところもあるではないか、そこでも実はなっていないぞ」

 実が成りにくい原因を先に書いておくと、染井吉野は「クローン」だからである。誤解されると困るので、クローンは実が成らないのではなくて、クローンだからこその理由があるのだ。ここで、染井吉野が生まれた江戸時代のお江戸の町へタイムスリップしてみよう。

 お江戸の町は「染井」というところに住んでいた植木職人が苦労(?)して「江戸彼岸桜」と「大島桜」を交配させて「染井吉野」という新種の桜を作り出した。ここに生まれた「染井吉野君」は、ハイブリッドというか、雑種であって、クローンではない。この染井君か染井さんかわからない桜を育て上げ、別の桜と交配させると「染井吉野」は姿を消してしまう。そこで手っ取り早くクローンで増やすことにしたのだ。

 クローンと書けば、クローン羊を思い浮かべて何やら難しいことのように思うが、猫爺も結構クローン植物を作っているのだ。例えば「ポトス」の茎を水に差しておくと根が出てくる。これを植木鉢に植えてやると、一丁前の観葉植物になる。これが枝を貰ったポトスのクローンなのだ。さつま芋の植え付けも、クローンを利用したものであろう。



 で、お江戸の話に戻るが、大きく育った染井吉野の小枝を「接木」や「挿し木」でドンドン増やし、これを売り出したものが現代に咲いている「染井吉野」の桜になったのだ。

 現存する染井吉野は、全て雄株か、全て雌株である。しかも江戸で生まれた染井吉野のクローンで、兄弟でも親戚でも子孫でもなく、みんな同じ躰(?)の一部なのである。たとえば、染井吉野を密集して植えると、大きくなって競い合い、自分が生き残ろうとするが、隣に咲いている桜も「自分」であるから、いたわり逢って「共倒れ」になることもあるという、悲しい(?)運命を背負っているのだ。

 

 

 

猫爺の日記「家事えもんのファン」

2016-04-15 | 日記
   ◇春爛漫 あとに控えし 花水木

 梅が散ったら、辛夷(こぶし)があるさ。辛夷が散ったら、桜が咲くさ、桜が散ったら‥

   「さて、お次に控えしは、拙者花水木の出番でござる」

 白と桃色の花水木の花が競って咲き誇っている。霞か雲かと咲き乱れても、染井吉野には実がならないが‥

   「拙者には、小さいながら真っ赤な実が成るでござるよ、えへん」


 染井吉野(お馴染みの桜)は何故実を付けないのだろうか。花びらが散ったあと、確かに萼(がく)が残っている。ならば、実をつけてもよさそうであるが、やがて萼も地上に落ちて実を結ばない。

 染井吉野の実などというもの、数えきれないほど年をとった爺でも、ついぞ見たことがない。だが、染井吉野は「山吹」のごとき不稔性ではないのである。

 不稔性ではないのに実がならないのには理由がある。この理由には人間が関わっている。染井吉野は、お江戸は染井というところの植木職人が、ピンクの江戸彼岸桜(おっ母さん)と白い大島桜(お父っつあん)を掛け合わせて出来た交配種を吉野桜と命名した。この名は、奈良吉野の桜と紛らわしいので、後に生み出されたところの「染井」を付けて染井吉野と名付けられたものである。

   「それが、実が成らないことと関係があるの?」
   「それが、あるのです」

 近くに他人の桜が植わっていれば、その花粉を受粉して実を結ぶのだが、自分の花粉では実がなりにくいのだ。ことに染井吉野の場合は、自分の花粉ではダメなのである。

   「桜の木なんて、其処ら中にあるではないか!」
   「有りますよね」

 もう一度、江戸時代の染井に住んでいた植木職人のおっちゃんのところへ戻ってみよう。おっちゃんが苦労して交配させて作り上げた染井吉野を育て上げ、おっちゃんの弟子などが、その枝を接木してドンドン増やしていき、現在に至ったのである。この染井吉野の先祖を辿れば、みんな同じ江戸彼岸桜のおっ母さんと、大島桜のお父っつあんの子供のクローンなのである。いわゆる、現在に残る染井吉野は、同じ枝から分かれたクローンなのだ。

 この染井吉野君たち、それぞれ木は違っても、みんな「自分」だと認識している。ポトマック川河畔に咲く染井吉野も、猫爺の家の近くの公園の染井吉野も、兄弟とか親戚ではなくてクローン(本人‥、本木?)なのである。


   「何でこんな話になったのかな?」

 そうだ、花水木侍が「えへん」なんて威張ったのがいかんのだ。


   染井吉野の話はこっちへ置いといて(/・ω・)/


 猫爺、お笑い芸人「松橋周太呂」くんの大のファンである。実は、「お笑い芸」は、一度も視たことはないのだが、「家事えもん」としての彼は凄いと思う。洗濯機の掃除や、ヘルシーだがパサパサして旨くない「鶏むね肉」を砂糖一つまみ入れた水に浸してジューシーにする方法など、参考にさせて貰い、その都度感心されられている。お蔭で、100g48円のモツよりも安いヘルミー(ヘルシーでエコノミーの略)鶏肉を、よく食卓にあげるようになった。

   ヘルミーな話はこっちへおいといて(/・ω・)/

 夕食の支度をしなければならんので、ここまでにしておこう。あっ、プロ野球も始まっているし‥。

 





猫爺のいちびり俳句「桜花散る」

2016-04-13 | 日記
   ◇気が付けば 桜花散り果つ 医者通い

 ほんの数日、出無精をしていたら、公園の花は散り果てていた。だが、大丈夫だ。ブログを散策すれば、素晴らしい桜花の写真を見ることが出来る。

   ◇春雨や 今日も昨日も 春雨ぞ

 春は、布団を天日に干せる日がない。たまに晴れても霞がかかって冷たい風が吹く。

   ◇春雨に 濡れて行くほど 若くなし (川柳ぽい俳句)

 今年、肺炎球菌のワクチン打ったから大丈夫だと思うのだが‥‥


 今日は、「お花見」をしようと思う。

   「酒も飲めないのに?」
   「花より団子と言うではないか、本物の団子とコーヒーで花見をして何故悪い」
 爺、絡んだりして‥。

 

 

猫爺の連続小説「赤城の勘太郎」第三部 信州浪人との出会い (原稿用紙15枚)

2016-04-10 | 短編小説
 妙珍が修行した昌明寺では、般若心経をあげることはなかった。他の宗派では、「行によって煩悩を断ち切れ」と教える般若心経を上げるのだが、浄土真宗ではその行すらも必要ではなく、ただ阿弥陀如来に身をお任せするだけで良いと教える。
 本堂に向けて妙珍が声をかけると、檀家の人であろう男が気付いて応対に出た。
   「どちらのお坊さんですか?」
   「私は赤城山の麓にある昌明寺の僧で妙珍と申します、ご住職にお会いしたいのですが‥」
   「当寺の住職は、ただいまお勤め最中ですので、暫くお待ち戴いても宜しゅう御座いますか?」
   「はい、待たせて頂きます」

 妙珍は、はっきりと聞いた。当寺の住職は、阿弥陀如来像に般若心経をあげるばかりで、
領解文、重誓偈、阿弥陀経などの経は一切あげることはなかった。
   「変だなぁ」

 四半刻(30分)も待たされたであろうか、読経の声が止み僧侶が妙珍の前に現れた。
   「昌明寺の妙珍どの待たせたな、して、儂に用とは?」
   「先代のご住職さまは如何されましたか?」
   「二年前に、儂がここへ来て間もなく遷化(せんげ=死亡)なされた」
   「そうでしたか」
   「先代の住職に用があったのか?」
   「いえ、和尚さまにお尋ねしたいことがあります」
   「他に何か?」
   「和尚さまのご宗旨は、浄土真宗とお聞きしましたが」
   「如何にも、それがどうかしたか?」
   「先ほど読経を聞かせていただいておりましたが、どうして般若心経ばかりなのでしょう、阿弥陀経はお上げになりませんでしたね」
   「お前は、儂に因縁をつけにきたのか?」
   「そうかも知れません、貧乏人を檀家から外すなど、僧に有るまじき暴挙ですので、真意を確かめに参りました」
   「小僧の分際で何をぬかすか、痛い目に遭いたくなかったら帰れ!」
   「これはシタリ、まるで破落戸(ならずもの)のおっしゃりようではありませんか、あなたは僧侶ではありませんな」
 妙珍は確信した。この男は僧に化けているが、どこからか流れて来た破落戸であろう。しかも、男がこの寺へ来て間もなく先の住職が遷化したという。これは、もしかしたら先の住職はこの男に殺されたのかも知れない。
 住職の形相が変わった。それは僧侶のそれではなく、正体を言い当てられた鬼の形相であった。妙珍は駆け出した。住職は妙珍を追いかけてきたが、足の素早さでは妙珍の比ではない。住職は途中で諦めて寺へ戻っていった。

 翌日、本山の高僧に出向いて貰い、妙珍は役人と共に西福寺へ乗り込んだときには、住職の姿は消えていた。
 後に、医者の立ち合いで、元の住職の棺桶を掘り起こして再検分が行われたが、妙珍の勘があたり、土色の骨ばかりになっていたものの、肋骨に刀で斬られたた跡が見られた。

   「妙珍さん、村に留まって、西福寺の住職になってはくださらぬか」
 村長(むらおさ)に勧められた。葬儀を無事に終え、父親のご遺体を西福寺に埋葬されることになった作兵衛も、若い妙珍に頭を下げた。
   「申し訳ありません、私はこの通り未熟な僧です、そのお勧めには応じ兼ねます」
   「いえ、お若いが立派な和尚様です、なにとぞ‥」
 妙珍は、実は還俗した身である。僧侶の恰好で頭を丸めているために、僧侶として振る舞ったのであって、胸の内は既に僧ではない。
   「私は思うことがあり旅に出ました、この先は任侠の世界に身を投じようと考えております」
   「任侠の‥」
 村長は絶句した。だが、妙珍にはそれなりに訳と覚悟があるのだろうと思えた。
   「訳は訊きますまい、せめて新しいご住職が来られるまでご滞在いただけないでしょうか」
 作兵衛の父親の新仏(しんぼとけ)を、せめて四十九日の間は供養したい。そんな考えもあって、妙珍は暫く西福寺に留まることにした。殺された元のご住職も、それを願っているに違いないと思ったからである。

 作兵衛の父親の四十九日法要を終えて数日が経っていた。妙珍はそろそろ旅立とうと思っていた矢先、村長(むらおさ)が西福寺にやってきた。
   「住職を引き受けてくれる和尚が見つかった」というのだ。
   「それは宜しゅう御座いました、私はこれで心置きなく旅に立つことができます」
   「足止めして済まなかった、村の衆とも話し合ったのだが‥」
 村長は、懐が懐紙の包を取り出して妙珍に差し出した。
   「貧乏な村なので、皆寄ってもこの程度のお礼しか出来ないのだが‥」
 包には、一分金が三枚包まれていた。
   「名主さま、そのようなお心使いは無用に願います」
 妙珍の懐は乏しいが、侠客一家に身を寄せるつもりである。そこで働いて父親を殺した浅太郎と、それを教唆した忠太郎の消息を知りたいのだ。礼金は、布施として寺に置いて行くつもりで一応受け取った。

 間もなく、村の若い衆が墨染の僧衣に網代笠を被った僧を案内してきた。
   「新しいご住職がみえたようです」
 村長は、深く頭を下げて住職を迎えた。
   「では、私は新しいご住職に挨拶をして旅に出ましょう」
 妙珍もまた頭を下げて迎い入れた。僧は、網代笠をとって、やはり村長と妙珍に向かって頭を下げた。
   「ようこそ、お出でくださいました」
 僧の顔を見た妙珍は、飛び上がる程に驚いた。見紛うことなく、従兄弟の浅太郎である。相手は妙珍に気付いていないらしく、掌を合わせて妙珍に語り掛けた。
   「拙僧は伊那の仙光寺の僧、曹祥(そうしょう)と申します」
曹祥は、まだ妙珍に気付かない。
   「私は赤城山の麓、西福寺の妙珍でございます」
西福寺の名を聞いて、漸く気付いたようである。
   「お前は、勘太郎なのか?」
   「如何にも、三室の勘助の倅、勘太郎にございます」
   「よかった、生きていたのか」
 曹祥は思わず駆け寄って妙珍の肩を抱こうとしたが、妙珍はその手を跳ね除けた。
   「浅太郎兄さんは、僧侶になられたのですか」
   「あの後、俺は赤城山に戻って、親分に勘助おじさんが遺した言葉を伝え、親分子分の盃を返し、村へ戻って勘太郎を探したのだが見つからなかった」
   「私は西福寺に匿われておりました」
   「やはりそうだったのか」
 浅太郎は、幾度も西福寺に出向き、勘太郎のことを尋ねたのだが、その都度「知らぬ」「来てはいない」と追い返された。足を滑らせて池へ落ちたのではないか、山へ逃げ込んで飢え死にしたのではないかと、一帯を掛けずり探し回ったのだと言う。
 浅太郎は、自分の思慮の足りから、罪のない勘太郎まで死なせてしまったと自分を責め、二人の供養のために出家したのだと言う。

 僧侶同士で、仇討ちも仕返しもないだろうと、妙珍は、旅支度にとりかかった。
   「妙珍、何処へ行く」
   「ただいまから、妙珍の名は捨て、赤城の勘太郎に戻ってやくざの世界に身を投じます」
   「勘太郎、待ってくれ」
   「浅太郎兄さん、俺のことは、放っといてくれ」
   「勘太郎、お前は父親の仇を討つ積りだろう」
   「仇などとは武士の世界のこと、町人の俺に仇討ちなど出来ない」
   「やくざの仕返しなのか、勘助おじさんを殺したのは俺だぞ」
 浅太郎は、父を殺しておいて出家という駆け込み寺へ逃げ込んだのだ。もう怨むことも手出しをすることも出来ない。
   「俺はたった今から、あんたにそうさせた国定村の忠次郎だけを憎むことにした」
 勘太郎の父、勘助は目明しという立場から、代官殺しの大罪人忠次郎を逃がす訳にはいかなかった。そこで、それとなく逃げ道を忠次郎に教えたのだが、忠次郎にはその配慮が通じずに、恩義ある自分を裏切ったと勘違いしてしまったのだった。忠次郎がそれに気付いたのは、こともあろうに勘助の甥浅太郎に、「勘助を殺せ」と命じた後だった。

   「浅太郎兄さん、俺はもうあんたに会うことはないだろう、あばよ」

 待ってくれと懇願するような浅太郎の目を逃れて、勘太郎は旅に出た。恰好良く啖呵のひとつも切ってやりたかったが、着ている僧衣がそうはさせてはくれなかった。
   「どこかで銭を稼がなければ、旅籠にも泊まれない」
 と、言ってもこの若造に出来る仕事があるのだろうか。
   「とりあえず、侠客一家に草鞋を脱ごう」
 だが、客人として一宿一飯の恩義を受けるだけの器量も度胸もない。喧嘩出入りにでも出くわせば、何の役にもたてない。出来るのは、寺で覚えた飯炊き、風呂焚き、庭掃除の類である。


 行くあてなど無いも同然であるが、勘太郎の草鞋は信州を向いていた。途中、三基の一里塚を数え宿場町に入ると、通行人の数が目立ちはじめた。勘太郎がキョロキョロしながら歩いていると、後ろから足早に歩いてきた浪人者に追い越された。
   「大人の足は、早いなぁ」
 浪人の遠ざかっていく後姿を、感心しながら眺めていると、路地から町人の女が飛び出してきた。浪人の前に回ると、ふらっとよろけて胸に縋るように寄り掛かった。
   「破落戸(ならずもの)に追われています。どうぞお助けください」
 しきりに懇願しているが、女を斜め後ろから見ている勘太郎には、その手付きがよく見える。女は浪人の懐から財布を抜き取った。そこへ、女が飛び出してきた路地から男が女を追って来た。
   「こらお紗江、待ちやがれ!」
   「何だ、お前たちは知り合いか」
   「へい、女房のお紗江です、このアマ叩き殺してやる」
   「夫婦喧嘩か、人騒がせなヤツらだ」
   「へい、申し訳ありません」
   「だが、叩き殺すとはただ事ではないな」
   「いえ、これは口癖で、本当に殺したりはしません」
   「そうか、夫婦喧嘩は犬も食わぬと申すぞ、もっと人目のないところでやりなさい」
   「済みません、お紗江も謝らないか」
 女も頭を下げ、浪人の前から立ち去ろうとしたとき、駆け込んできた勘太郎が真相を明かした。浪人は自分の懐を探ると、漸く財布が無くなっていることに気付いた。
   「何と、こやつ等は二人組の掏摸であったか」
 浪人は、行き成り男に当て身を食らわして蹲せると、女の肩を抑え付けた。
   「掏り盗った財布を返してくれ」
 女はしぶしぶ浪人の財布を出した。
   「両の手首を斬り落としてやりたいが、やめておこう。お前たち、狙うならもっと金持ちを狙え」
 こんなことで、掏摸をやめるようなタマではない。その証拠は、離れ際に二人して勘太郎を睨みつけたことである。

   「おい坊主、よく知らせてくれたのう」
   「俺らに見られてしまったのに、子供だと侮ったのでしょう」
   「財布を盗られたら、博打の元手がなくなってしまう。今夜から野宿をしなければならないところであった」
 たいして入っていないがと、財布の中身を確かめながら、勘太郎に見せた。それでも二両と二分二朱という勘太郎にとっては大金である。
   「拙者は、とある藩の藩士であったが、事情あって陸奥へ行っておった、矢も楯もたまらず故郷で待つ妹に一目会おうと戻るところだ」
   「俺らは、赤城山の麓の生まれで勘太郎と言います」
   「拙者は、信州浪人 朝倉辰之進と申す。これでも腕は新免一刀流免許皆伝であるぞ」
 訊きもしないのに、腕前をひけらかす。素直で、あっけらかんとしているのか、何やら魂胆があってのことか勘太郎には推量できないが、一応「怪しい浪人」として、受け止めておくことにした。   ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺のプチ・アイディア「油ストッカーの巻」

2016-04-01 | 日記
 「油ストッカー」というのは、使ったサラダ油を、一度や二度の使用で捨てるのが「もったいない」ので、ストックして置いて、また使用するための容器である。その容器の中蓋が金網になっていて、その上に「油漉紙」をのせて油を注ぎ入れる。

 この「油漉紙」がヘロヘロで、熱い油を注ぐとたんにズレてしまったり、中心に折れ曲がったりして用を足さなくなる。こんな時は漉紙をきつく叱っていたが、今日ふとアイディアが浮かび、実行してみた。

 缶詰の空き缶を上下とも蓋を取り、筒抜けにしたものを置いて、それに油を注ぎ入れた。

 バッチシだ。今まで手をベトベトにして紙を取り換えたり、紙をきつく叱っていたのは「何だったのだ」

 ストッカーの大きさに合って、高さの低い空き缶を選べばもっと快適(?)だろう。


 と、いう訳で、今日は、安いトンカツ用の肉を買ってきたので手製の分厚いトンカツを食べた。いつもなら、業務スーパーの薄い冷凍トンカツで済ますのだが、今日は妻の「月命日」イブだったもので‥。(関係無いか)


 「あっ」 今日(4月1日)猫爺は昼餌を食うのを忘れていた。焼きそばも食っておらん。道理で、分厚いトンカツを完食したはずだ。


 また猫爺、くだらないジャンルを増やしたな。 (#^^#)テヘ