![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ae/fb779f9b0d7ed9564d55361b1422b49c.jpg)
お店の旦那ふうの男が、若い旅支度をした男の胸倉を掴まえて、何やら喚きちらしている。傍で十七・八の娘とお店の使用人と思われる男が二人、懸命に旦那風の男を宥めようとしている。
「お父っつあん、それは違います」
「奴は駆け落ち者や、お前を唆(そそのか)して逃げようとしたではないか」
「徳次郎を見送りに来ただけです、私は旅支度をしていないじゃないですか」
「わかるものか、何処かに隠してあるのだろう」
旦那が大声を出すものだから、往来の人たちが立ち止まって見ている。そんなところに、三太が通り合わせた。
「新さん、何かもめている」
「役人を呼んで来いと言っていますぜ、大事のようです」
新さんは、「ちょっと偵察」と言って、三太から離れた。
「事情はわかりました」
若い男は徳次郎、娘はお初。旦那は駆け落ちだと言って、二人の弁解を聞こうとしない。だが、若い二人が言っていることは、本当のようだ。
女はお店(たな)のお嬢さん、男はそのお店の手代だった。徳次郎はお初の習い事の送り迎えをしたり、買い物のお伴をしたりするうちに、お初が好きになり、お初も何時しか優しい徳次郎に惹かれるようになった。やがて恋に陥ったが、徳次郎は身分を弁(わきま)えて、清く慎ましやかにお初を見守るに留めていた。
「番頭さん、早く役人を呼んできなさい」
「旦那様、そうなれば徳次郎は死罪です」
「構うことあるものか、徳次郎はお初と駆け落ちをしようとしたのです、死罪になって当然です」
徳次郎は、八歳の時から真面目に奉公をして、陰日なたのない働き者だった。番頭とて、それはよく知っている。その徳次郎を無慈悲にも死に追い遣ろうとしている主人だが、何を言っても無駄だと、二人の番頭は諦めて口を慎んだ。
徳次郎自身は、愛しいお初の居るお店にあっても、遠く離れて生きることになっても、苦しいことに変わりはないと諦め、死罪になることが最良だと思い始めて、その場に崩れて神妙にお縄を待った。
やがて、役人がやって来て、店主から事情を訊いている。
「やい徳次郎、立て」
徳次郎は立ち上がると、一瞬よろけたが両腕を揃えて役人の前に突き出した。
「お店の娘と、駆け落ちをしようとしたことは、間違いないのか?」
徳次郎は黙って頷き、お初の顔を見た。無言でお初に今生の別れを告げたのだ。
「お役人さま、それは違います」
お初ははっきりと訴えた。
「確かに徳次郎と私は惚れあっております、でもこの通り、私は旅支度をしておりません、駆け落ちをする気が無いからてす、それは徳次郎とて同じこと、ただ、惚れあっても結ばれない二人が、同じ屋根の下で暮らすことは辛すぎます、徳次郎は独り故郷へ戻り、畑を耕して暮らすと私に言いました」
店主は、お初の言葉を遮り、徳次郎を睨み付けて言った。
「この男は娘を誑(そその)かし、こう言えと教え込んだに違いありません」
お初は、尚も徳次郎を庇おうとしたが、徳次郎がそれを止めた。
「お嬢さん、ありがとう御座いました、私はお裁きを受けます」
「嫌、そんな悲しいことを言わないで」
その場へ、三太が飛び出した。
「徳次郎さん、自棄(やけ)になってはいけません」
それは、三太ではなく、新三郎の言葉だった。
「こらっ、子供は引っ込んでなさい、番頭さん、生意気なこの子を追い払いなさい」
番頭の一人が、三太の肩を掴もうとしたとき、番頭は「わっ」と叫んで倒れ、気を失った。もう一人の番頭も、店主に命じられて、三太の頭を撫でようとしたが、やはりぶっ倒れて気を失った。
「わしは、ただの子供ではない、鬼子母神(きしもじん)の末神、嬪伽羅(ピンカラ)である」
店主は、「何を馬鹿な…」と笑おうとしたが、気を失った番頭たちを見て言葉を呑み込んだ。話し方も内容も、子供のそれとは違っていた。
「鬼子母神の末神が、何故このような場所に姿を見せなさる」
「わしは罪のない人間の命を、無下にするヤツの子供を食うために人道にやってきた」
「この徳次郎が、罪のない男なのか?」
「そうだ、私には分かる、徳次郎は駆け落ちなど企んではいない」
徳次郎は、もう今生でお初と逢うことはない、もし縁があればあの世で逢いましょうとお初に別れを告げている。お初とても、親には逆らえないから、今生は諦め、あの世で逢う約束をした。そんな健気(けなげ)な二人が駆け落ちなどする筈がない。
「ふん、何が鬼子母神の末神、嬪伽羅だ、嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけ」
店主は、役人に早く徳次郎を連れて行ってくれと頼んだ。
「そうか、これだけ言っても聞き分けがないなら、店主、お前の娘お初はわしが貰うぞ」
これは、ハッタリである。
「それから、そこのお前」
通りがかりの者のなかに、さっきから他人の不幸を見てゲラゲラ笑っている男を指差した。
「お前、家に男が一人と、二人の女の子が居よう、その男の子長吉をわしに食われたくなかったら、さっさと通り過ぎろ」
男は子供の名前まで出されて、血相を変えて立ち去った。
「お初、こっちへ来なさい、わしは釈尊に罪のない親から子供を奪って食うなと戒められて、最近子供は食っていない、やっとありついたご馳走なのだ」
「はい、ご存分にお召し上がりくださいまし」
「お嬢様、それはいけません、嬪伽羅さま、喰うなら私を食ってください」
「生憎だが、わしは大人の男は食わん、固くて臭いからのう」
お初と徳次郎は、これが嘘芝居であることを、何故か感じ取っていた。恐らく、新三郎が二人に送った超感覚の所為覚であろう。
「では、せめて私をお嬢様と共に、あの世にお送りください」
臭い芝居が続く。
「いえ、徳次郎は故郷へ戻って、強く生きなさい、私はあの世で待っています」
普通なら、こんな茶番は、失笑ものだが、こと我が娘の命に関わること、店主には真に迫っているように思える。
「お父様、今まで十七年間育てて戴き、有難う御座いました、今生のお別れでございます」
お初がしおらしく三太に付いて去って行く、徳次郎が役人の手の中でもがいた。
「私も連れて行ってください」
「アホぬかせ、お前は代官所へ行く身や」
三太が振り返って、役人に言った。
「離してやりなさい、離さないと痛い目に遭いますよ」
「ガタガタぬかすと。お前もお縄にするで」
と、役人は虚勢を張りながら、へなへなとその場に膝から崩れた。
「わかりました、わかりました、嬪伽羅さま、徳次郎は許しますから、お初を返してください」
三太は、怒った。
「許すだと? 徳次郎はお前に許されるような悪いことはしていないぞ」
「すみません、もう駆け落ちをしたとは言いません」
「言わないから何なのだ、そんなこと位で、今夜のご馳走をふいにはしないぞ」
「お初と、徳次郎を夫婦にさせます」
「そうか、それなら仕方がないか、ご馳走はさっきの男の倅、長吉にするか」
「そうしてください」
「何、他人の子は食われてもよいのか」
「あ、間違いました、どうか人間の子供を食うのは、やめてください」
「よくわかった、それなら固い、臭い、パサパサのお前で我慢する、さあ、こっちへ来るのだ」
「そんな殺生な、勘弁してくださいよ」
「勘弁してもよいが、この先、お初と徳次郎の仲を裂いたり、徳次郎を苛めたりすると、お前を食いにくるぞ」
「わあ、やめてください、そんなことはしません」
三太が一人で立ち去った後、二人の番頭と役人が起き上がった。そのうち、役人は膝から崩れた折に、石に膝小僧を打ち付け、血を出していた。
「何があったのやろ」
三人は気が付いて、きょとんとしていた。
「お父っつあん、わたしらが夫婦になることを許してくれてありがとう」
「旦那様、有難う御座います」
「こうなったら、仕方が無い、あした祝言を挙げよう」
三太は、いまひとつ、事の成行きがわかっていないが、なんだか面白かったとは感じていた。
「新さん、おもろかったな」
「滅茶苦茶だったが、丸く収まりました」
「わい、これからピンカラ三太でいこうかな?」
「格好悪いが気に入ったのならどうぞ」
因みに、嬪伽羅(ピンカラ)は、鬼子母神の五百番目の子供で、末っ子である。
近江の国、草津の宿場に着いた。三太は漁師の子ではないが、海の近くで育っている。死んだ兄、定吉の背中にくっついて遊んでいるうちに、物心がついたときには、すでに泳げた。草津の温泉で泳いでみたいのだ。
「新さん、早いけど温泉に入りたいからここで泊まる」
「宿場ごとに泊まっていますね」
「江戸まで五十三日かかるのやろ」
「まあ、いいでしょう」
宿の中には温泉が無くて、外湯だと言う。夕食まで時間がたっぷりあるので、宿で手拭いを借りて温泉に行くことにした。
「おっちゃん、風呂賃なんぼや」
「大人は四十文、子供は二十文です」
「ほんなら、二十文払います」
「ぼん、お連れさんは何処です」
「わい、独りや」
「お連れさんなしでは、大人と同じ四十文です」
「なんや、高いなあ、出直してくるわ」
暫くすると、三太は若い女に手を引かれて、女湯に入ってきた。
「わい、お姉ちゃんと一緒やから二十文でええのやろ」
「へえ、よろしおます」
広い温泉で、三太はパチャパチャ泳いで遊んだ。
「三太さん、泳ぎが上手ですね」
お姉さんは、にこにこ笑って見ていてくれた。
「疲れた、お姉ちゃん、膝に据わらせて貰ってもええか?」
「はい、いいですよ」
女が両足をくっ付けて屈んでいる膝に、三太は後ろ向きに座った。
「お姉ちゃん、凭れてもええか?」
「はい、どうぞ」
三太は、なにやら背中をモゾモゾ動かしている。
「どうしたの? 背中が痒ゆいの?」
「へえ、背中に丸いものがコロコロ当たりますねん」
「これ、私のお乳です」
「へえー、何か固くなってきたような…」
「あんた、本当に子供ですか? 大坂の’ちっこいおっさん’と違いますか?」
「六歳の子供です」
「よく分かっていて、やっていますでしょう」
「いいえ、何も、わい痴漢とちがいますから」
「分かっているから痴漢なんて言葉がでたのでしょ」
「えへへ、ばれたか」
三太、赤い舌をぺろり。
「お姉さんねえ、男の人に裸をみせてお金を頂戴するお商売をしていますの」
「ふーん」
「大人なら二朱戴くところですが、あんたは子供やから子供料金の一朱に負けておきます」
温泉から帰り道、三太はしょげていた。
「新さん、二十文ケチって、一朱(二百五十文)とられた」
「三太さん、いやらし過ぎ」
第五回 ピンカラ三太 -続く- (原稿用紙15枚)
「第六回 人買い三太」へ
「お父っつあん、それは違います」
「奴は駆け落ち者や、お前を唆(そそのか)して逃げようとしたではないか」
「徳次郎を見送りに来ただけです、私は旅支度をしていないじゃないですか」
「わかるものか、何処かに隠してあるのだろう」
旦那が大声を出すものだから、往来の人たちが立ち止まって見ている。そんなところに、三太が通り合わせた。
「新さん、何かもめている」
「役人を呼んで来いと言っていますぜ、大事のようです」
新さんは、「ちょっと偵察」と言って、三太から離れた。
「事情はわかりました」
若い男は徳次郎、娘はお初。旦那は駆け落ちだと言って、二人の弁解を聞こうとしない。だが、若い二人が言っていることは、本当のようだ。
女はお店(たな)のお嬢さん、男はそのお店の手代だった。徳次郎はお初の習い事の送り迎えをしたり、買い物のお伴をしたりするうちに、お初が好きになり、お初も何時しか優しい徳次郎に惹かれるようになった。やがて恋に陥ったが、徳次郎は身分を弁(わきま)えて、清く慎ましやかにお初を見守るに留めていた。
「番頭さん、早く役人を呼んできなさい」
「旦那様、そうなれば徳次郎は死罪です」
「構うことあるものか、徳次郎はお初と駆け落ちをしようとしたのです、死罪になって当然です」
徳次郎は、八歳の時から真面目に奉公をして、陰日なたのない働き者だった。番頭とて、それはよく知っている。その徳次郎を無慈悲にも死に追い遣ろうとしている主人だが、何を言っても無駄だと、二人の番頭は諦めて口を慎んだ。
徳次郎自身は、愛しいお初の居るお店にあっても、遠く離れて生きることになっても、苦しいことに変わりはないと諦め、死罪になることが最良だと思い始めて、その場に崩れて神妙にお縄を待った。
やがて、役人がやって来て、店主から事情を訊いている。
「やい徳次郎、立て」
徳次郎は立ち上がると、一瞬よろけたが両腕を揃えて役人の前に突き出した。
「お店の娘と、駆け落ちをしようとしたことは、間違いないのか?」
徳次郎は黙って頷き、お初の顔を見た。無言でお初に今生の別れを告げたのだ。
「お役人さま、それは違います」
お初ははっきりと訴えた。
「確かに徳次郎と私は惚れあっております、でもこの通り、私は旅支度をしておりません、駆け落ちをする気が無いからてす、それは徳次郎とて同じこと、ただ、惚れあっても結ばれない二人が、同じ屋根の下で暮らすことは辛すぎます、徳次郎は独り故郷へ戻り、畑を耕して暮らすと私に言いました」
店主は、お初の言葉を遮り、徳次郎を睨み付けて言った。
「この男は娘を誑(そその)かし、こう言えと教え込んだに違いありません」
お初は、尚も徳次郎を庇おうとしたが、徳次郎がそれを止めた。
「お嬢さん、ありがとう御座いました、私はお裁きを受けます」
「嫌、そんな悲しいことを言わないで」
その場へ、三太が飛び出した。
「徳次郎さん、自棄(やけ)になってはいけません」
それは、三太ではなく、新三郎の言葉だった。
「こらっ、子供は引っ込んでなさい、番頭さん、生意気なこの子を追い払いなさい」
番頭の一人が、三太の肩を掴もうとしたとき、番頭は「わっ」と叫んで倒れ、気を失った。もう一人の番頭も、店主に命じられて、三太の頭を撫でようとしたが、やはりぶっ倒れて気を失った。
「わしは、ただの子供ではない、鬼子母神(きしもじん)の末神、嬪伽羅(ピンカラ)である」
店主は、「何を馬鹿な…」と笑おうとしたが、気を失った番頭たちを見て言葉を呑み込んだ。話し方も内容も、子供のそれとは違っていた。
「鬼子母神の末神が、何故このような場所に姿を見せなさる」
「わしは罪のない人間の命を、無下にするヤツの子供を食うために人道にやってきた」
「この徳次郎が、罪のない男なのか?」
「そうだ、私には分かる、徳次郎は駆け落ちなど企んではいない」
徳次郎は、もう今生でお初と逢うことはない、もし縁があればあの世で逢いましょうとお初に別れを告げている。お初とても、親には逆らえないから、今生は諦め、あの世で逢う約束をした。そんな健気(けなげ)な二人が駆け落ちなどする筈がない。
「ふん、何が鬼子母神の末神、嬪伽羅だ、嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけ」
店主は、役人に早く徳次郎を連れて行ってくれと頼んだ。
「そうか、これだけ言っても聞き分けがないなら、店主、お前の娘お初はわしが貰うぞ」
これは、ハッタリである。
「それから、そこのお前」
通りがかりの者のなかに、さっきから他人の不幸を見てゲラゲラ笑っている男を指差した。
「お前、家に男が一人と、二人の女の子が居よう、その男の子長吉をわしに食われたくなかったら、さっさと通り過ぎろ」
男は子供の名前まで出されて、血相を変えて立ち去った。
「お初、こっちへ来なさい、わしは釈尊に罪のない親から子供を奪って食うなと戒められて、最近子供は食っていない、やっとありついたご馳走なのだ」
「はい、ご存分にお召し上がりくださいまし」
「お嬢様、それはいけません、嬪伽羅さま、喰うなら私を食ってください」
「生憎だが、わしは大人の男は食わん、固くて臭いからのう」
お初と徳次郎は、これが嘘芝居であることを、何故か感じ取っていた。恐らく、新三郎が二人に送った超感覚の所為覚であろう。
「では、せめて私をお嬢様と共に、あの世にお送りください」
臭い芝居が続く。
「いえ、徳次郎は故郷へ戻って、強く生きなさい、私はあの世で待っています」
普通なら、こんな茶番は、失笑ものだが、こと我が娘の命に関わること、店主には真に迫っているように思える。
「お父様、今まで十七年間育てて戴き、有難う御座いました、今生のお別れでございます」
お初がしおらしく三太に付いて去って行く、徳次郎が役人の手の中でもがいた。
「私も連れて行ってください」
「アホぬかせ、お前は代官所へ行く身や」
三太が振り返って、役人に言った。
「離してやりなさい、離さないと痛い目に遭いますよ」
「ガタガタぬかすと。お前もお縄にするで」
と、役人は虚勢を張りながら、へなへなとその場に膝から崩れた。
「わかりました、わかりました、嬪伽羅さま、徳次郎は許しますから、お初を返してください」
三太は、怒った。
「許すだと? 徳次郎はお前に許されるような悪いことはしていないぞ」
「すみません、もう駆け落ちをしたとは言いません」
「言わないから何なのだ、そんなこと位で、今夜のご馳走をふいにはしないぞ」
「お初と、徳次郎を夫婦にさせます」
「そうか、それなら仕方がないか、ご馳走はさっきの男の倅、長吉にするか」
「そうしてください」
「何、他人の子は食われてもよいのか」
「あ、間違いました、どうか人間の子供を食うのは、やめてください」
「よくわかった、それなら固い、臭い、パサパサのお前で我慢する、さあ、こっちへ来るのだ」
「そんな殺生な、勘弁してくださいよ」
「勘弁してもよいが、この先、お初と徳次郎の仲を裂いたり、徳次郎を苛めたりすると、お前を食いにくるぞ」
「わあ、やめてください、そんなことはしません」
三太が一人で立ち去った後、二人の番頭と役人が起き上がった。そのうち、役人は膝から崩れた折に、石に膝小僧を打ち付け、血を出していた。
「何があったのやろ」
三人は気が付いて、きょとんとしていた。
「お父っつあん、わたしらが夫婦になることを許してくれてありがとう」
「旦那様、有難う御座います」
「こうなったら、仕方が無い、あした祝言を挙げよう」
三太は、いまひとつ、事の成行きがわかっていないが、なんだか面白かったとは感じていた。
「新さん、おもろかったな」
「滅茶苦茶だったが、丸く収まりました」
「わい、これからピンカラ三太でいこうかな?」
「格好悪いが気に入ったのならどうぞ」
因みに、嬪伽羅(ピンカラ)は、鬼子母神の五百番目の子供で、末っ子である。
近江の国、草津の宿場に着いた。三太は漁師の子ではないが、海の近くで育っている。死んだ兄、定吉の背中にくっついて遊んでいるうちに、物心がついたときには、すでに泳げた。草津の温泉で泳いでみたいのだ。
「新さん、早いけど温泉に入りたいからここで泊まる」
「宿場ごとに泊まっていますね」
「江戸まで五十三日かかるのやろ」
「まあ、いいでしょう」
宿の中には温泉が無くて、外湯だと言う。夕食まで時間がたっぷりあるので、宿で手拭いを借りて温泉に行くことにした。
「おっちゃん、風呂賃なんぼや」
「大人は四十文、子供は二十文です」
「ほんなら、二十文払います」
「ぼん、お連れさんは何処です」
「わい、独りや」
「お連れさんなしでは、大人と同じ四十文です」
「なんや、高いなあ、出直してくるわ」
暫くすると、三太は若い女に手を引かれて、女湯に入ってきた。
「わい、お姉ちゃんと一緒やから二十文でええのやろ」
「へえ、よろしおます」
広い温泉で、三太はパチャパチャ泳いで遊んだ。
「三太さん、泳ぎが上手ですね」
お姉さんは、にこにこ笑って見ていてくれた。
「疲れた、お姉ちゃん、膝に据わらせて貰ってもええか?」
「はい、いいですよ」
女が両足をくっ付けて屈んでいる膝に、三太は後ろ向きに座った。
「お姉ちゃん、凭れてもええか?」
「はい、どうぞ」
三太は、なにやら背中をモゾモゾ動かしている。
「どうしたの? 背中が痒ゆいの?」
「へえ、背中に丸いものがコロコロ当たりますねん」
「これ、私のお乳です」
「へえー、何か固くなってきたような…」
「あんた、本当に子供ですか? 大坂の’ちっこいおっさん’と違いますか?」
「六歳の子供です」
「よく分かっていて、やっていますでしょう」
「いいえ、何も、わい痴漢とちがいますから」
「分かっているから痴漢なんて言葉がでたのでしょ」
「えへへ、ばれたか」
三太、赤い舌をぺろり。
「お姉さんねえ、男の人に裸をみせてお金を頂戴するお商売をしていますの」
「ふーん」
「大人なら二朱戴くところですが、あんたは子供やから子供料金の一朱に負けておきます」
温泉から帰り道、三太はしょげていた。
「新さん、二十文ケチって、一朱(二百五十文)とられた」
「三太さん、いやらし過ぎ」
第五回 ピンカラ三太 -続く- (原稿用紙15枚)
「第六回 人買い三太」へ