雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十八回 三太がついた嘘

2015-01-29 | 長編小説
 日本橋から中山道にとり、板橋に行く街道から横道に逸れて二町ばかり入ったところに、朽ち果てた空き家があった。男は下見をしておいたのであろうこの家に、三太を連れ込んだ。
   「えーっ、わいをこの柱に、縛り付けるのだすか?」
   「そうだ、計画通りなら、福島屋の女将を縛り上げるつもりだった」
   「この家、今にも倒れそうやないか」
   「お前が暴れると、柱が腐っておるから倒れるぞ」
   「そんなー、殺生や」
   「お前にも亥之吉にも恨みはないが、渡世の義理で亥之吉を斬らねばならんのだ」
   「一宿一飯の恩義だすか?」
   「最初はそうだった、わしは半かぶちながら、もうすぐ貸元の盃を受けるところだ」
   「わいは福島屋の小僧、三太だすが、おっさんは?」
   「わしは、木曽の松蔵だ、おっさんと呼ばれるのは嬉しいが、まだ十八歳なのだぞ」
 強がっているが、何やら心配事がある様子だ。
   「わしの誤算と言えば誤算なのだが、亥之吉は佐久の三吾郎と一緒なのだ」
 三吾郎が一宿一飯の恩義を忘れていなければ、松蔵の味方になってくれるだろうが、そうでなければ松蔵はここで斬られるのは間違いない。それを恐れて逃げ帰ったところで、おめおめと一家の敷居を跨ぐわけにはいかない。考えてみれば、三吾郎に亥之吉を殺る気があれば、旅籠で寝首を掻いているに違いない。
   「やはり、ここがわしの墓場になるようだ」
 三太は、松蔵の悄気げた顔を見て「ぷっ」と、吹き出した。
   「何が可笑しい」
   「亥之吉旦那は堅気の商人(あきんど)だす、一宿一飯の恩義で堅気を斬って、男の株が上るのだすか?」
   「そうだな」
 こいつ、素直で根は善い男らしい。
   「ところで、亥之吉旦那はいつここを通るのだすか?」
   「わからん、わしは夜も眠らずに先回りしてきたが、あいつは寄り道ばかりしておる」
   「そうでっしゃろ、明日になるか、明後日か分からへん」
   「うん」
   「こんな物騒なところで夜を迎えたら、お化けが出るかも知れんし、腹も減ってきた」
   「何か食べ物でも買ってくるか」
   「それより、一緒に日本橋へ戻って何か食べようやおまへんか」
   「お前、逃げる気だな」
   「いいや、逃げまへん」
   「ほんとうか?」
   「嘘はつきまへん、安心しておくれやす」
 三太の言葉をあっさりと信じた松蔵は、縄を解き二人して日本橋へ向かった。
   「なあ、わいの天秤棒はどこへ捨てたんや?」
   「覚えていない」
   「もー、あれはわいの魂やで」
   「ただの肥担桶用の天秤棒だろ」
   「あほ、違うわい、旦那さんがわいの背丈に合わせて誂えたくれたものや」
 探しながら戻って来たが、見つけることは出来なかった。
   「折角手に馴染んでいたのに、どないしてくれるのや」
   「わかった、わかった、そこらの藪で竹を切ってやる」
   「そんなもん、要らんわい」
 三太は、ぶつくさ言いながら、日本橋に着いた。見つけた一膳飯屋で腹ごしらえをして、朽ち果てた空き家に戻ろうと言うことになったが、三太が突拍子もないことを言い出した。福島屋へ行こうと言うのだ。これから殺ろうという男の店に行けば、役人に訴えられてお縄になるのは見え透いている。
   「三太、お前はわしを騙そうと言うのか?」
   「いいや騙さん、店で旦那さんの帰りを待てば、ふかふかの布団で眠れるやないか」
   「空き家では、お化けが怖いのか?」
   「うん」
 空き家に亥之吉を誘い込んでも、結局、斬られるのは自分だろうと松蔵は考えた。
   「よし、行こう」
 破れかぶれになっているのか、三太を信用しきっているのか、松蔵は三太に従うことにした。


 亥之吉と三吾郎は、木曽の棧、大田の渡しと並んで中山道の三大難所、碓氷峠に差し掛かっていた。難所と言っても若い二人のこと、息切れをするでもなく、談笑しながら難なく越えた。
   「三吾郎はん、この度大江戸一家にで草鞋を脱いだら、もう客人ではおまへんのやで」
   「へい、分かっとります、親分子分の盃が貰えるように精一杯務めます」
   「堅気になれと言うたとて、あんさんは根っからの渡世人らしおますから我慢が出来まへんやろ」
   「その通りです」
   「大江戸の貸元はんは、五街道一の大親分だす、代貸の卯之吉が足を洗った後釜として、頑張っておくなはれや」
   「へい、ところで卯之吉兄ぃは、どうして足を洗う気になったのです?」
   「妹や、妹がお武家の妻になるかも知れへんから、妹に恥をかかせたくないのやろ」
   「渡世人は恥ですか?」
   「そらそうやろ、ひとつ違えば凶状持ちになって、お上に追われる身になるのやさかい」
   「そうですね」
   「それに、卯之吉には病の母親も居るのや、博打が飯より好きな卯之吉でも、母と妹のためには堅気になるしかなかったのやろな」
   

 江戸の福島屋では、松蔵が三太の言葉に従って亥之吉が帰るのを待っていた。いつまでも福島屋の世話になっては居られない。明日にでも気の向くまま、足の向くまま、宛も果てしもない旅に出ようと心に決めた松蔵であった。
   「そやけど、旦那さんが帰るまで待っていてくれまへんか?」
   「もう、亥之吉さんを斬ることは出来ない、待っていても仕方がないことだ」
   「そうは思いまへん、松蔵さんのことを旦那さんは放っておかへんと思います」
   「命を狙ったこのわしをか?」
   「そうだす」
   「嘘をつけ、小僧が殺られると知っても、小僧のなり手はたくさん居るから構わんと無視する男だと言ったではないか」
   「あれは嘘だす、そんなことをする旦那さんやおまへん」
   「この野郎、もうお前の言うことは信じないぞ」
   「あれは、松蔵はんの企みを、止めようとしてついた嘘や」
   「亥之吉は、賭場荒らしだ、それにわしの兄貴分を尽(ことごと)く藩の奉行所に突き出した」
   「だんさんは、博打はしまへん、奉行所に突き出したのも、あんさんの親分に非があるに違いおまへん」
   「突然賭場に乗り込んできて、客を連れ去ったのだぞ」
   「その原因も、旦那さんが戻れば分かることだす、それまでゆっくり骨休めをしていてください」


 それから三日たった夕刻、亥之吉は佐久の三吾郎を連れて戻ってきた。
   「お絹、今戻った」
 お絹は、奥から転がるように出てきた。
   「今戻ったやないやろ、こんなに長い間、信州で何をしていたのだす」
 お絹は、涙声である。亥之吉が戻ったら離縁するのではなかったのかと三太は思ったが、強いて突っ込みはしなかった。
   旦那さんが斬られたと聞いて、わたいは気を失いそうになったのだすから…」
   「それは誰から聞いたのや?」
   「ここにお見えの、松蔵さんからだす」
   「松蔵さん? 店に居るのか?」
 三太が松蔵と共に出てきた。亥之吉は松蔵の顔に見覚えがあった。
   「松蔵はん、あんたは…」
   「へい、亥之吉さんに荒らされた賭場の三下でござんす」
   「はいはい、あの賭場の、どうりで見覚えがある筈や、それで?」
   「亥之吉さんが斬られたと嘘をついて、兄ぃ達の仇を取ろうとやってきました」
   「そうか、ほんならどうぞ… と、言いたいとこやが、悪いのはそっちの貸元だっせ」
   「どう悪いのだ」
   「堅気衆を脅して賭場に誘い込み、金を借りさせていかさま博打で全部巻き上げ、客に残るのは利息月三割の借金だけや」
   「月、三割?」
   「知らんのか? 十両借りたら直ぐ返しても十三両や、半年も返すことが出来なかったら、五十両近くに膨れ上がるのや、一年もすれば二百三十三両や、あんさん、これをどう思う?」
   「知らなかった」
   「わい等は、無理矢理に借用書を書かされた文吉と言う商人を救うために乗り込んだのだ」
 松蔵は、漸(ようや)くこの場に佐久の三吾郎が居ることに気が付いた。
   「あっ、三吾郎の兄い、ごきげんさんです」
   「あの貸元はとんだ悪玉だぜ、仇を討って貸元のところへ戻るのか?」
   「いや、戻りません、明朝、ここを発って陸奥あたりに行こうかと思いやす」
   「宛はあるのか?」
   「いいえ」
   「それなら俺と一緒に大江戸一家に草鞋を脱がないか」
   「兄いと一緒なら、心丈夫です」
   「亥之吉さんが付いて行ってくれるそうだ、信州の貸元には、大江戸の親分が話を着けてくださるだろう」
   「へい」
   「俺も、次に大江戸一家を後にするときは、信州に戻って一家を構えるつもりだ、松蔵さんも来てくれるかい?」
   「もちろんです」

  第二十八回 三太がついた嘘(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十七回 敵もさるもの

2015-01-28 | 長編小説
 ある日の昼下がり、お江戸京橋銀座は福島屋の店先、女将のお絹が三太を呼んだ。
   「用があって月島のお得意様まで行きますのやが、三太、伴をしておくれ」
   「えーっ、またわいだすか、真吉の番と違いますか?」
   「えーって、何だす、旦那様のお伴は喜んでするのに、わたいの伴は嫌か?」
   「女将さん、知っいてる人と出会うと立ち話をしますけど、長いから嫌だす」
   「それも仕事だす、主人の言いつけを 嫌だす とは何事や」
   「そやかて…」
   「旦那さんが帰りはったら、言い付けまっせ、三太がわたいの言うことを聞かへんと」
   「お伴します、すればええのだすやろ」
   「何やいな、その態度」
 
 ごちゃごちゃ言いながら二人で店を出ると、一町も行かないところで近所の店の女将と出会った。
   「おや、福島屋の奥様、お出かけですか?」
   「へえ、ちょっと其処まで…」
 三太、不機嫌な顔をして呟いた。
   「余所行きを着ていそいそと歩いとるのや、出かけるのは当たり前やないか」
 
   「この前は、結構なものを頂戴しましてありがとうございます」
   「いえいえ、つまらないものだす…」
 三太、「そら始まるぞ」と、石を蹴りながら待っていたが、痺れをきらす前に別れてくれた。

   「なあ三太、旦那さんのお伴をしたら、何かええことがあるのだすか?」
 お絹が、何か三太から聞き出そうとしている。
   「いいえ、何にもおまへん」
   「若い女のとこへ行ったとき、小遣いくれるのと違いますか?」
   「くれまへんけど、面白いことがおます」
   「何や?」
   「この先の子授け神社へ旦那さんと立ち寄ったのだすが…」
   「へえー、旦那さんがまた殊勝なことを」
   「何を思うたのか、手水舎へ行くと、裾をからげてちんちんをお清めし始めたのだす」
   「まあ、なんて恥曝しな」
   「はたに居た若いお参り客がキャーキャー騒いでその場から逃げたのだすが…」
   「変態やがな」
   「神主さんが飛んできはって、旦那さんに注意をしはったのだすが」
   「怒られたやろな」
   「旦那さんが子授け神社でちんちん清めて何が悪いと逆ギレしはって、逆に神主さんに説教してはりました」
   「恥ずかし、まさか旦那さん、店の名前を出さなかったやろな」
   「出しました、わいは京橋銀座の福島屋亥之吉だすって」
   「ひゃー、わたい正面向いて外を歩かれへん」
   「それを見ていた参拝の男女に、『お前さんたちも子供が授かりたいなら、裾からげて清めなはれ』と、胸を張って指図をしてました」
   「もう言わんでもええ」
 お絹、気絶寸前で、その場に座り込んでしまった。
   「その間、旦那さんは黒くて大きなちんちん放り出したまま、喋る度にブランブラン…」
   「もうええちゅうに、あの変態野郎、信州から戻ってきたら、離縁してやる」

 更に一町ほど行くと、後ろから遊び人風体の男が追いかけてきた。店を出るときから、後を付けてきたらしい。
   「福島屋の女将さんですよね」
 お絹が座り込み何も言わないので、三太が代わりに答えた。
   「へえ、さいだす」
   「大変です、旦那さんの亥之吉さんが浪人者に斬られました、虫の息で女将さんに会いたがっていますぜ」
 お絹は、弱り目に祟り目、驚き過ぎて目眩がしたようであったが、漸く気を取り戻して男に尋ねた。
   「主人は、今何処に?」
   「日本橋の近くです」
   「医者は駆け付けたのだすか?」
   「へい、亥之吉旦那は気丈なおかたで、女房に会うまでは死なんと苦しい息の下で叫んでいました」
 お絹は、袖で涙を拭きながら男に付いて日本橋に向かった。

   「新さん、この男の言うことは、ほんまだすやろか」
 三太の守護霊、新三郎に問いかけた。
   『亥之吉さんが、浪人ごときに斬られたとは信じ難いですね』
   「何か魂胆があるようだすな」
   『探って来ます』

 
 その頃、亥之吉は遊び人佐久の三吾郎と二人、信州小諸藩士山村堅太郎の屋敷に居た。
   「弟の斗真(真吉)が、お世話になっています」
   「いやいや、お世話なんてとんでもない、真面目によく働いて貰っとります」
   「いつか、旦那様みたいな商人になって、小諸へ戻ると言ってくれました」
   「そうだすなぁ、わたいも小諸に雑貨商福島屋が生まれるのを楽しみにしとります」
 堅太郎は、三吾郎に目を遣った。
   「お連れの方は?」
   「佐久の三吾郎と言いましてな、博徒だすが善い男で、江戸までの道連れだす」
 堅太郎は、三吾郎にも丁寧に挨拶をした。
   「三太さんは、お元気ですか?」
   「へえ、頼もしくなって、今では福島屋の用心棒みたいな者だす」
   「何れ藩侯のお許しが出たら、会いに行きます」
   「そうしてやっておくなはれ、弟(真吉)さんや、新平も喜びますやろ」

 山村堅太郎の屋敷には、堅太郎が幼い頃に屋敷の使用人だった初老の夫婦が戻っていた。
   「堅太郎さん、奥さんはまだだすか?」
   「こんなところへ来てくれる人は居ないのですよ」
   「それは良かった」
   「何故です?」
   「緒方三太郎はんが、堅太郎はんのお嫁にと思っている人が居るようですよ」
   「それは有り難いことです」
   「町人の娘さんですので、一旦三太郎はんか、佐貫鷹之助はんの養子にするようだす」
   「若い父上ですね、鷹之助殿は、わたしよりも年下です」
 山村堅太郎は、嬉しそうであった。亥之吉と三吾郎は、山村の屋敷で一泊させて貰い、翌朝二人は江戸へ向けて旅立った。


 お絹を支えるようにして歩いていた三太が、お絹の耳元で囁いた。
   「女将さん、こいつは嘘をついています、旦那さんはまだ信濃の国だす」
 こっそりと伝えた。
   「女将さんは、ここで目眩がして倒れるふりをしてください」
 お絹は三太に言われた通り、目眩がしたふりをしてその場に座り込んだ。三太は慌てて知り合いのお店に駆け込んだ。
   「福島屋の者だすが、手前どもの女将が倒れました、休ませておくなはれ」
 お店のおとこしが出てきて、お絹の元へ飛んで行ってくれた。
   「女将さん、大丈夫ですか?」
 おとこしは、お絹を背負ってお店に運んでくれた。
   「女将さん、わいは日本橋へ向かい、あの男の魂胆を確かめます」
   「三太、気を付けなされや」
 この後、女将がお店のおとこしに事情を伝えた。三太は天秤棒を担いで飛び出して行った。
   「女将さんは、気を失っとります、わいが亥之吉旦那のもとへ行きますさかい、案内しておくなはれ」
 亥之吉が斬られたと伝えた男は、仕方がなさそうに三太を連れて日本橋に向かった。

   「日本橋だすが、旦那さんは何処に…」
   「もうちょっと先だ」
 男は不機嫌な顔で板橋の方向に進んだ。
   「そんな棒をいつまで持って歩いでるのだ、そこら辺に捨てな」
   「これは、わいの魂だす、捨てることなんか出来まへん」
   「何が魂だ、こっちへ寄越しな」
   「嫌や」
 人通りの少ない場所に来たので、三太を無理やり脇道に誘い込もうとした男だったが、三太に「キッ」と構えられて苦笑した。
   「お前は野良猫か」
   「野良猫は棒を振り回さへん」
 三太は、天秤棒の端を両手で持ち、横に構えた。
   「折角、親切に知らせてやったのに、それでわしを殴る気か」
   「おっさん、嘘をついているやろ、浪人に斬られたりするだんさんやないで」
   「亥之吉は、賭場荒らしだ、もうすぐ日本橋に着く、お前を人質にして遺恨を晴らしてやるのだ」
   「遺恨て何や、うちの旦那さんに仲間がやられたのか?」
   「そうだ」
   「それでわいを人質に取って、旦那さんの動きを封じるつもりか?」
   「その通り」
   「ははは、それはあかんで、旦那さんは小僧一人の命を取られても平気や」
   「どうしてだ」
   「そうやろ、小僧の代わりなんか、なんぼでも居るやないか」
   「そんな冷酷な旦那か?」
   「商人なら、それが普通やろ」
   「そうなのか?」
 この男、あまり賢くないなと、三太はからかい半分である。
   「それでおっさん、仲間は何人いるのや」
   「わし一人だ」
 この男は何を考えているのだ。独りで人質にドスを向けて、亥之吉とどう遣り合う積りだろう。三太は男に尋ねてみたくなった。

   「お前の首にドスを押し付けて、天秤棒を遠くに捨てろと叫ぶ」
   「それから?」
   「相手が丸腰になったら、わしでも勝てるだろ」 
   「ん?」
 敵もさるもの、引っ掻くもの。だが、守護霊新三郎の存在を知らないから仕方が無いが、熱り立つ男を哀れと思う三太であった。
 
  第二十七回 敵もさるもの(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)

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猫爺の短編小説「山賊の塒」

2015-01-19 | 短編小説
 どこでどう間違えたのであろうか、村里へ通じる筈の山道が段々と細くなってくる。日も傾き、遠くの山の稜線が赤く染まっている。山肌の木々が深紫色に黄昏れて、やがて一帯を覆う闇が着々と生まれているようである。

 作兵衛は、一度行ったことのある村であるから、然したる不安もなくここまで来たのであるが、行けども行けども村は見えてこない。日暮れは何時しかついそこまで迫り、疲れた脚が棒のようになってしまった。ここで闇に包まれるのは些か本望ではないが、笹の葉陰で夜露を凌いで、一夜明かす覚悟もせざるを得ないと思えてきた。

 笹薮で、両腕を後頭部で組み、枕の代わりにして寝転がり、今来た道を思い出していたとき、男たちのざわめく声が聞こえたきた。山賊かも知れないと、作兵衛の胸に不安が過った。

 作兵衛の懐には、十年間をかけて貯めた二十両の金が入っている。これを村に嫁いだ妹お多恵に届けてやりたくてやって来たのである。お多恵は夫に先立たれ、二人の子供と病身の姑を抱えて、独りで田畑を耕し、夜は頼まれた仕立て物を縫って生活をしていると、同郷の男から作兵衛に伝わった。

 声が近付いてくる。ここに居ては山賊に捉まり、金を盗られるばかリか身包(みぐる)みを剥がされ、最悪の場合は命も奪われかねない。作兵衛は疲れきった体に鞭打って、更に山の奥へと逃げて行った。だが、作兵衛が立てる笹の葉擦れの音で気付かれたようだ。
   「今、この先で音がしたぞ」
   「旅人が逃げ込んだのかも知れない」
 やはり気付かれたようである。

 暫く歩くと、荒れた山家が見えてきた。恐らく山賊どもの塒(ねぐら)であろうと、作兵衛はその前を通り過ぎようとしたが、山家から出てきた女と目が合ってしまった。
   「旅のおかた、どうされました?」
 その女の身綺麗いさと美しさに、悪人ではなかろうと作兵衛は安堵した。
   「この先の村へ行きたいのですが、道に迷い休んでおりましたところ人の気配を感じて、もしや旅人を襲う盗賊ではないかと思いここまで逃げて参りました」
   「そうでしたか、それはまさしくこの山家を塒とする山賊でしょう」
 女は、山賊の頭目は自分の夫で、今は訳をお話する間がないか、とにかく逃げ道を教えましょうと言った。
   「この先を真っ直ぐ行くと、薪を保存する小さな洞穴があります、その薪を三束ほど奥へ押し込むと人ひとり入れる穴が開きます」
 この中に入り、薪を戻して身を潜めていなさい。夜が明けると山賊たちは塒から出て行くので、自分が洞穴の入り口で合図をするから出てきなさいと言った。
   「くれぐれも洞穴の奥に入らないでください、地下深くに向かって大きな穴が開いており、落ちると命がありません」
 翌朝、無事に村へ辿り着くように、女が道案内をしてくれるのだと言う。作兵衛にはこの女が女神のように思えた。
   「さ、さ、夫たちが来ます、早く行ってくださいな」
 そう言うと、女は山家の中へ入って行った。

 重い脚を引き摺りながら、作兵衛は必死に洞穴を目指した。焦りながらも考えた。女の言動が腑に落ちないのだ。あの山家で山賊の夫や男たちと暮らしているのだから女も仲間であろう。その女が仲間を裏切って自分を助けようというのだ。
   「あの女は女神などではない、何か裏があるぞ」
 正常時の心境では、そうは考えないことであるが、作兵衛は追い詰められていることと、生来の用心深い性格も相まって勘繰ってしまったのだ。そんな深い洞穴があるのなら、山賊たちも知っていて当然である。作兵衛の足が止まった。案の定、山賊たちは塒の山家を通り越して、洞穴に向かってくる。笹薮に身を伏せて山賊たちを遣り過すと、作兵衛は引き返して山家に向かった。
 そっと山家の戸を開けて中に入ると、居る筈の女の姿が無かった。山賊の群れの中に女は居なかったから、どこかへ消えてしまったらしい。
 作兵衛は山家の裏へ回ると、堆肥にするつもりであろう木の葉が堆積しているところがある。作兵衛はこの中にすっぽりと身を隠すと、朝が来るまでここへ隠れていようと思った。

   「可怪しいな、旅人が洞穴に居なかった」
 女が独り言を呟きながら、何処からともなく姿を現わした。やがて山賊たちが山家に戻ってきた。
   「気の所為だったのか」
   「桔梗、お前は見ておらぬのか?」
   「何をです?」
   「旅人だ」
   「見ていません」
   「まさかこの家に匿っているのではなかろうな」
   「わたしがどうしてそんなことをするのです、夫を裏切るようなことはしていません」
 それでも、山賊の一人が床下を覗き込んだり、戸棚を開けたりしている物音が作兵衛に聞こえた。
   「そうか、気の所為だったらしいな」
 やがて男たちの酒盛りが始まり、夜が更けると鼾が聞こえてきた。作兵衛は起き上がると、こっそり木の葉の中から出てきて洞穴を目指した。
 やはり可怪しい。女は洞穴の入り口に来ずに、作兵衛が洞穴内に居ないことを知っていた。と言うことは、この洞穴には桔梗しか知らない入り口がもう一箇所どこかに有るに違いない。

 作兵衛は、それでも女を信じてみようと、真っ暗な洞穴の入り口の外で刻(とき)をすごした。こんな状況下でも、睡魔に襲われる。作兵衛が「うとうとっ」とした時、薪の隙間から洞穴の奥に明かりが見え、女の影が見えた。女は桔梗である。
   「ちっ、あの男、逃げやがって」
 あの優しい女神が豹変して、丑の刻参りの女怨者のように思えた。桔梗は手に持った燭台を下ろすと、洞穴の壁を撫で、魔術のように壺を出した。壺の中身を「しゃりしゃり」と鳴らして掴んでは溢し、安心したように元の壁に戻した。
 桔梗は再び燭台を持つと、幽霊のように「すーっ」と奥へ消えていった。

 夜が白んできた。作兵衛は洞穴の中に入ってみた。どこからか光が入り込み、足元が見えるようになっている。怖いもの見たさとでもいうのだろうか、洞穴の奥へ入ってみると、無残にも白骨化した人間の亡骸が山積みになっていた。

   「読めたぞ」
 作兵衛には、腑に落ちなかった桔梗の行動が分かってきた。桔梗は山賊たちの目を欺き、山賊に追い込まれた旅人を匿うふりをして洞穴に誘い込み、殺して金品を奪っていたのだ。奪った金は壺のなかに隠し、いずれは山賊の仲間をも殺害してしまうのだろう。
   「壺の金を奪ってやろうか」 
 ふと、作兵衛に邪心が頭を擡げたが、人を殺して得た金など災いの元だと思い留まった。

 作兵衛は単身で村へ続く道に戻った。漸く村へ辿り着き、お多恵に会えた。姑は亡くなっており、お多恵は子供を連れて実家に戻るか、兄の作兵衛を頼って町に出ようかと、考えていたところだったと打ち明けた。持ってきた二十両をお多恵に渡すと、「ちょっと用があるのでその話は後で」と、作兵衛はお多恵の家を飛び出した。代官所へ行って、山賊の塒の場所、洞穴で見たことなどを知らせておこうとしたのだ。
   「代官さまは今、身分の高い客人のお相手をなさっているのだ、暫くそこで待ってくれ」
 家来に言われておとなしく待っていると、代官の大きな声が聞こえてきた。
   「桔梗、お客様のお帰りだ、お見送りを…」  
   「桔梗?」
 作兵衛は、その名に覚えがある。しかも代官の声にも聞き覚えがある。作兵衛は何を思ったのか「出直してきます」と、代官の家来に告げると、代官所を飛び出した。

   「お多恵、旅支度をしなさい、今日中に村を出るのだ」
   「あんちゃん、どうしたの?」
   「あんちゃんは、見てはいけないものを見てしまったようだ」

  -おわり-

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十六回 三太郎、父となる

2015-01-16 | 長編小説
 佐貫の屋敷、鷹之助と亥之吉の声を聞いて、奥から鷹之助の妻、お鶴が前掛けを外してたたみながら出てきた。
   「亥之吉さん、ようこそ、いらっしゃいませ、妻のお鶴です」
   「初めてお逢いしましたが、お噂は三太から聞いております」
   「まあ、三太ちゃんが?」
   「鷹塾へ来る時は、鷹之助先生、たいへんたいへんと叫びながら入って来たとか」
   「そんな恥ずかしいことを話したのですか」
   「がらっ八のお鶴だと言っておりました」
   「失礼ね」
 鷹之助が笑いながら言った。
   「それを三太に教えたのは、わたしですよ」
   「もう、酷いわ」
 
 奥から小夜も顔を出した。
   「いらっしゃいませ、亥之吉さんは三太郎の良き武芸の好敵手ですってね」
   「いえ、好敵手やなんて、いつも手玉に取られております」
   「嘘仰い、三太郎は亥之吉さんのことを、『商人(あきんど)にあんな強い人は居ない』って言っていましたよ」
   「一度くらい私が勝ってから、それを言って貰いたいものだすわ」
   「そうですか」

 ご飯が炊ける良い匂いが漂ってきた。
   「あら、ご飯が炊けたようね、お鶴さん、あなた行って火を引いて頂戴」
   「はい、お母様」
 お鶴は、すっかり佐貫の嫁に収まっているようだ。
   「この夫婦、一度も喧嘩をしないのですよ」
   「仲が良ろしいのだすな」
   「偶には喧嘩もしなさいと私がけしかけても、夫婦して笑っているだけなのですよ」
   「そうだすやろ、なにしろ夫婦である前は、先生と塾生だしたのやから」
   「その所為でしょうかねぇ、ところで亥之吉さん、お帰りは一人旅ですか?」
   「いえいえ、ちゃんと伴は信州佐久の三吾郎という旅鴉を用意しております」
   「あなたは一人旅が出来ないのでしょ」
   「ま、当たりってとこだすか、よく道に迷いますからなぁ」
   「道に迷ったら他人に訊けばいいのです『鼻の下に口あり』と言うでしょう」
   「そらそうですわなぁ、鼻の上に口があれば、恥ずかしくって道を訊けしまへん」
   「誰がそんなお化けの話をしているのですか」
   「奥様、それを言うなら『鼻の下に地図あり』だすやろ」
   「あら、そうだったかしら?」
 お鶴が皆を呼びに出てきた。
   「お化けといえば、三太ちゃんは幽霊が恐くない癖に、お化けは恐がりましたねぇ」
 亥之吉は、鼻の上に口があるお化けを想像して、「ぶるっ」と身震いをした。自分も三太と同じだと言いそうになって、口をつぐんだ。
   「お食事の用意が出来りました、お茶の間へどうぞ」 

 
   「ただいま」
   「お母さんお帰り、佐貫のお屋敷で亥之吉さんと出会いませんでしたか?」
   「いいえ」
   「道の途中で会っていませんか?」
   「会っていてもわかりませんよ、だってそうでしょ、わたし亥之吉さんを存じませんもの」
   「そうでした、亥之吉さんは、長い棒を担いでいます」
   「それなら会いました、何だか痴漢のようでしたので、路地に隠れて遣り過しました」
   「お母さんが痴漢に襲われる心配はありませんよ」
   「まあ、失礼な、これでも女ですのよ」
 緒方三太郎と、三太郎の実の母お民の話を聞いていた信州佐久の三吾郎が、ぽつりと言った。
   「母子って、いいものですね、あっしは早くから家を飛び出して、親の死に目にも会うことができませんでした」
   「私達母子も、波瀾万丈でしたよ」
 三太郎も遠い昔を思い出した。
   「だって、お侍さんのご子息だったのでしょう?」
   「いいえ、お江戸貧乏長屋の小倅で、町人ですよ、わたしは」
 母、民が指でそっと目頭を抑えた。
   「四歳の時、父に捨てられて寺の床下で独り寝泊まりしていました」
   「ええっ、そうなのですか、そんな風には見えません」
   「人の運命など、どこでどう変わるかはわかりませんよ」

 翌朝、佐貫の屋敷から亥之吉が戻り、三太郎に鵜沼の卯之吉のことを頼み、亥之吉と三吾郎は名残を惜しみながら、『信州小諸藩士山村堅太郎にひと目会ってから江戸へ帰る』と旅発った。

 上田から小諸にかけて暫く歩くと、あとから五・六人の男たちが追ってきた。
   「亥之吉さん、奴等ですぜ」
   「あの、ゴロツキどもか」
   「へい、浪人者を一人雇ってきたみたいです」
   「使い手のようや、三吾郎さん気を付けとくなはれや」
   「へい」
   「浪人者はわいが相手する、その間、あんさんは刻を稼いでおくれやす」
   「わかりました」
   「一時、逃げても構いまへんで」

 ゴロツキの中に親分が居ない。どうやら危ないことは避けて、指図だけをしているようだ。
   「先生、この天秤棒野郎をやつけてくだせえ」
   「よし、お前らは下がっておれ」
   「へい」
 浪人がギラリと刀を抜いて亥之吉に向けた。幸いなことに、ゴロツキ共は三吾郎のことは眼中にないらしい。
 亥之吉は、天秤棒を頭上に構えた。浪人が刀を左から右へ払ってきたのを亥之吉は一歩後ろへ飛んで体をかわすと、天秤棒を浪人の左上から右下斜めに振り下ろし、浪人の左腕をピシリと打ち付けた。浪人は「あっ」と声を漏らしたが、体は崩さずに刀を我が身に引きつけた。
 その時、ゴロツキどもが我に返り、三吾郎を取り囲んだ。亥之吉は「やばい」と思って三吾郎を庇いに行こうとしたとき、馬の蹄の音が近づいてきたのに気付いた。
   「三太郎先生、どうしました?」
 亥之吉は態と大声を出した。ゴロツキどもの気を引きつける為だ。馬上の人は、やはり緒方三太郎だった。
   「亥之吉さんこそ、真っ直ぐに帰らないで、どうしてこんな所で油を売っているのだ」
   「へえ、こいつらに油を買わされているのだす」
   「賭場のゴロツキどもだな」
   「そうだす」
   「よし、わしがその浪人を引き受ける、亥之さんと三吾さんは、ゴロツキを追い払いなさい」

 三太郎は、馬から降りると抜刀して浪人者に立ち向った。
   「貴様は何者だ」
 浪人者が三太郎に尋ねた。
   「上田藩士、緒方三太郎だ、おぬしは何者だ」
   「元、上田藩士、今は流れ者の用心棒谷中為衛門だ」
   「思い出したぞ、藩侯に反逆し、佐貫慶次郎に捕らえられた家老の手下か」
   「そうだ」
   「拙者は、その佐貫慶次郎の倅だ」
   「そういえば、慶次郎の傍に、小さいガキが居たな」
   「それだ、それが拙者だ」
 浪人者のかねてよりの仇敵(きゅうてき)は病死したが、ここでその息子に出会うとは、切腹した家老の引き合わせだと意気込んだ。
   「そうと分かれば手心は加えぬ、そのつもりでかかって来い」
 ここで三太郎は刀の峰を返すところだが、まるで父の敵に出会ったごとく、険しい表情で挑んだ。浪人は、三太郎の気迫に一瞬怯んだが、気を取り直して刀を上段に構えた。
   「えーぃ!」
 浪人は、渾身の力を刀に込めて打ち込んだが、三太郎の太刀捌きに幻惑されて、浪人の刀は空を切った。その太刀が再び上段に戻らぬ隙に、三太郎の太刀が浪人の肩に食い込んだ。
   「うーっ」
 浪人は唸ると、その場に崩れ落ちた。
   「安心しろ、峰打ちだ」
 三太郎の刀は、浪人の肩に食い込む寸前、峰を返していたのだ。
   「だが、お前は謀反人だ、このまま逃す訳にはいかぬ、連行して藩侯の裁きを仰ぐ」

 亥之吉はと三太郎が振り向くと、賭場の門口で襲ってきた時と同じく、ゴロツキ共は土の上に転がされていた。
   「序だ、こいつらも藩のお奉行に裁いて頂こう」
 総て数珠繋ぎにされて、三太郎が馬上で綱の先を持ち引っ張った。
   「ところで、三太郎先生は、わいらに何か用が有ったのではおまへんか?」
   「そうだ、そうだ、肝心のことを忘れておった」
 三太郎は笑いながら言った。
   「母と弟子がお二人の為に作った弁当だ、持っていってくれ」
   「わたいらに弁当を届けてくれる為に、態々馬を飛ばして?」
 三太郎は少し声を潜めて、照れながら言った。
   「今朝、わしの子が生まれたと知らせがあったのだ」
   「おめでとうございます、それで男の子ですか?」
   「いいや、女の子だった」
 だからと言って三太郎はがっかりしている様子などなく、満面に笑を浮かべていた。

  第二十六回 三太郎、父となる(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十五回 果し合い見物

2015-01-14 | 長編小説
 三太と真吉が重い塩を背負って、町外れに鎮座まします天津鎮守神社を目指している。お宮で数日先に奉納相撲が行われるのである。真吉の懐には、袱紗に包んだ奉納金が入っている。
   「氏子でもないのに、なんでこんな遠いお宮に奉納するのやろ」
 三太は、訳がわからない。
   「お宮の宮司さんと、うちの旦那さまは、飲み友だちなのですよ」
   「へー、顔の広い旦那さんだすなァ」
   「それで、女将さんが気を利かせて奉納するのです」

 朝発って、お宮に着いたのは正午九つ刻であった。
   「宮司さんにお目にかかりたいのですが…」
 真吉が境内に居た巫女に声をかけた。
   「宮司は、奉納相撲の打ち合わせに出かけているのですが… 宮司以外の者ではいけませんか?」
   「禰宜(ねぎ)さんでも、権禰宜さんでも構いません、宮司さんなら私共の主人をよくご存知でしたので判り易いと思いまして…」
   「そうでしたか、今こちらへ歩いてきますのが権禰宜でございます」
 真吉と三太は、二人揃って頭を下げた。
   「京橋銀座の福島屋の者でございます」
   「ああ、福島屋亥之吉さんは私もよく存じております、お店の方ですか」
   「はい、奉納相撲でお使いになるお清めの塩と、奉納金を持参いたしました」
   「これはご苦労様です、私、権禰宜が確かにお受けいたしました、どうぞ亥之吉さんには宜しくお伝えください」
 真吉と三太は、権禰宜に頭を下げ、本殿の前に行き、お絹に教わってきた通り、二拝、二柏手、一拝をして、今来た道を戻った。途中、腹が減ったので、人影の無い広場の隅に腰を降ろして、持ってきた弁当を食べていると、若い侍が二人駆け込んできた。
   「ここで良かろう、いざ存分に戦おうぞ」
   「望むところだ、手心は加えぬ、おぬしもな」
   「わかった、いざ」
 白い鉢巻に襷掛け、侍たちは刀を抜いて向かい合った。そのとき、広場の隅で弁当を食べながら、二人の果し合いを見ている子供たちが目に入った。
   「ちょっと待て、あの子供たちが目障りだ、立ち去るように言ってくる」
 一人の侍が、三太達の前に走ってきた。
   「お前たち、黙ってここから去れ」
 三太がムカついた。
   「何を言うてますねん、ここはわいらが先に来て、休んでいるところだす、勝手なとを言いなはんな」
   「何っ」
 侍はムッとしたのか、刀を三太に向けた。見たところ純朴そうで、性悪侍ではないようである。
   「なんで、わいらを追い払うのだす」
   「我らはここで果し合いを致す、とばっちりを受けて怪我でもすれば、両親が悲しむであろうが」
   「わいらのことは気にせんと、思いきりやっとくなはれ」
   「怖くはないのか?」
   「ぜんぜん」
   「そうか、勝手にしろ」
   「へえ、勝手にします、そやけど、あんまり砂煙をあげないでくださいや」
   「そんなことは知らぬは、嫌なら他所へ行け」
 
 三太は守護霊新三郎に語りかけた。
   「なあ新さん、あの二人どう思う?」
 返事がない。
   「新さん、ねえ、新さん、あれっ、おらへん」
 どうやら、好奇心に勝てず、二人を探りに行ったらしい。

 侍二人は、刀を相手に向け合って、掛け声ばかりで一向に斬り込まない。たまに一人が斬り込もうとすると、相手は切っ先を下げて、まるで斬られてやろうとしているようである。
   「何や、何や、今、隙があったやないか」
 三太が野次る。
   「煩い、黙れ!」
 また逆に、いま切っ先を下げた方が斬り掛かると、相手が切っ先を下げる。
   「おもろないぞー、もっと気合を入れてやれっ」
 
 新三郎が戻ってきた。二人の関係と、この度の経緯を探ってきたようだ。新三郎は、三太に話して聞かせた。
   「ふーん、それでこいつらの気合の入らない果し合いの意味がわかった」
 三太は思い切り大きな声で、二人を野次った。
   「やれ、やっつけろ、もっと派手にやれーっ」
 侍の一人が、またやって来た。
   「このガキ、まずお前を黙らせてやる」
   「ちょっと待て、わいは心霊読心術が使えるねん、なっ、田沼藤三郎はん」
 田沼はぎくっとして、三太の顔を凝視した。
   「なぜ拙者の名前を知っておるのだ」
   「そやから、心霊読心術が使えると言うたやないか、お侍さんの魂に教えて貰ったのや」
   「拙者の魂がお前に喋ったのか?」
   「そうだす、相手は高崎勘兵衛さんでっしゃろ」
   「そうだ、お前の名は何と言う」
   「三太だす、福島屋の小僧、三太だす」
   「本当にそんな術が使えるのか?」
   「果し合いの原因も訊きましたで」
   「何だ」
   「上役のお嬢さん、あやめさんを取り合っての恋の鞘当てだすやろ」
   「お前、子供の癖に、よくそんな言葉を知っておるのう」
   「お侍さんの魂が教えてくれたのだす」
   「そうか、わしの魂は口が軽いのう」
 三太は、声高く笑った。
   「そうだす、よく躾ときなはれ」
   「うむ」

 高崎勘兵衛も、「何をしているのだ」と、寄ってきたので、三太は新三郎に聞いたことを話した。上役の美しい娘を、二人は同時に見初めてしまった。二人は幼馴染で、心の許せる親友であったが、同じ娘に惚れてしまったことに気づくと、どちらからでもなく「拙者が降りる」と、言い出した。親友を傷つけたくないお互いの思いから、二人共があやめを諦めようと話合った。
 面白くないのが、あやめ当人であった。二人してあやめに言い寄り、チヤホヤしていたのが、ばったりと途絶えたのである。そこで、あやめが思いついたのは、二人を同時に同じ場所に呼び出すことである。
 高崎には、「田沼殿のことで話がある」と、田沼には「高崎殿のことで話がある」と誘った。それを聞いた二人は、ふっと懐疑心が生じた。
   「もしや、男と男の約束を違えて、相手はあやめさんに逢っているのではないだろうか」
 半ば憤慨しながらあやめに指定された場所にやって来ると、案の定、相手があやめに逢いにやって来た。
   「やはりそうであったか」
 自分はまんまと騙されていたのだと思うと、互いが激怒して「果し合い」のくだりとなったのである。
 
 しかし、相手は心から認めていた親友である。どうしても斬ることが出来ない。ここは思いきって、相手に斬られてやろう、そうして、草葉の陰から、親友の幸せを見守ってやろう。お互いにそんな気持ちであったが、男の意地だけは貫こうと、ここを果し合いの場に決めてやって来たのだ。
   「どうだす? わいの術は信じることが出来ましたか?」
 二人は唖然として、返す言葉を忘れていた。ほんの暫くの刻をおいて、田沼が口を開いた。
   「参った、三太とやらの言う通りだ」
   「わいらは店に戻らないとあかんのだすが、もうちょっとお二人に付き合いまひょ」
 三太は二人に、あやめさんの屋敷に連れて行ってくれるように頼んだ。三太は、あやめの心が凡そ分かるつもりだが、確かめておきたいのだ。

 屋敷の前まで来ると、丁度若い武士が門の前に立っていた。
   「あの人は?」
   「お目付頭の若様だ」
 聞くが早いか、新三郎が三太から離れた。屋敷の潜戸が開けられて、若様は門番に丁重に招き入れられて、屋敷の中へ消えた。

 やがて、新三郎が家人に憑いて出て来ると三太に囁き、三太は二人に説明した。
   「高崎さん、田沼さん、その若様は、あやめさんを妻に娶りたいと親御さんに会いにきたみたいですよ」
 両親は大喜びで若様を招きいれた。あやめも、満更でもない様子である。つまり、あやめは二人にチヤホヤされて、悦に入っていたところ、二人から急に突き放されて自尊心が傷つき、その復讐のために友情を壊してやろうと考えたのだ。それで、一人が殺されようと、相打ちでふたりとも死のうとも、知ったことではないと思ったようである。
   「酷い」
 高崎も、田沼も、そんなあやめに惚れた自分の愚かさを知ったと同時に、果し合いで相手を斬らずに、また斬られずに済んだことに安堵した。

 この話は、まだ続きがある。あやめは若様に気に入られて妻になったが、この若様は女癖が悪く、あやめもまた身持ちが悪くて、一年も経たぬまに相手を罵りあいながら破局となった。あやめの復讐は、若様の性癖を世間に晒したことであったが、あやめもまた間男の存在を晒されて、罪を問われた。

   第二十五回 果し合い見物 -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺のエッセイ「おーい、お茶」

2015-01-13 | エッセイ
   「おーい、お茶」
   「はーい、ただいま」
 そんな一般家庭なみの生活は、我が家にも3年くらいはあったのだろうか。家内の入院と家庭療養の繰り返しで、いつしか逆転してしまった。   
   「お父さん、お茶」
 台所で片付けをしていると声がかかり、「はーい」みたいな…。

 ランチタイムに、近所の「くら寿司」や、「スシロー」で食べることがちょくちょく有るのだが、お茶はセルフで、「粉末緑茶(実際は粉末玄米茶)」で入れる。湯呑みに龍角散に添付している匙くらいのもので粉末を一杯入れて、蛇口からお湯を注ぐ。決して旨い茶ではなが、急須で入れるより簡単便利である。猫爺など、お茶には全く拘らない人間には、打って付けだ。粉末緑茶は、くら寿司で缶入りのものを買ってきた、これは缶の蓋を回すと穴が開、そこから振り入れることができるので匙も要らない。

 ここで役に立つのが「ダイソー」のミルク泡だて器である。「セリア」で買ったまっすぐなタイプは、電池が新品であれば回転速度が早いので、小さな湯呑みであればお茶が溢れてしまう。その点、「ダイソー」のものはギアが入っているのか音が大きく速度は遅いので好都合。現在の猫爺は、一人でお茶をいれて一人で飲んでいるので、便利なアイテムである。
 
 これって、茶道の茶筅に使うと楽だと思うがどうだろう。無作法かな?(^_^;)

 
 業務スーパの、中国産筍、蓮根、薇、山菜などの水煮が安いので、貧乏人の猫爺は助かる。だが、それらは漂白しているために、そのまま水で洗って煮ると薬臭かったり、妙な酸味があって不味いことこの上ない。
 そこで、煮る前に重曹水に浸けておくと、けっこう旨く食べられる。調理してからボールに食材が浸かる程の水と、小匙やまもり一杯程度の重曹を入れ、108円泡だて器で軽く混ぜて30分程度置くだけである。ダイソーに掃除用重曹というのがあるが、猫爺はマツモトキヨシの食用(あく抜き)重曹を買って使っている。

 胡瓜などの酢の物を作るとき、酢、砂糖、塩と、猫爺は酸味が苦手なので水も入れる。ワンカップ日本酒の容器にそれらを入れて、泡だて器で撹拌すると、綺麗に混ざって底の方に砂糖が沈殿することがない。

 108円グッズは、すぐに壊れるモップや、最初から書けないボールペンなどがあるのだが、このグッズは、随分長く重宝している。

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十四回 亥之吉の不倫の子

2015-01-13 | 長編小説
 夕暮れ前、江戸は福島屋の店先で店じまいの準備をしている三太に手招きをしている見たことのない女がいた。色街の女であろうか、まだ明るい内というのに厚化粧であった。
   「どなたでおます?」
   「旦那さんに用があってきました、お駒といいます」
   「折角ですが、旦那さんは留守でおます」
   「日が暮れるまでにはお帰りになりますか?」
   「それが旅にでておりまして、いつお帰りかわかりまへんのやが」
   「では、三太さんという小僧さんはあなたですか?」
   「へえ、さいだす」
   「ちょっと話を聞いて頂きたいのですが、ここでは何ですからそこの路地まで一緒に行ってくれませんか?」
   「わかりました、ちょっと女将さんの許しを貰ってきますから、待っていてください」
 お駒は慌てて三太を止めた。
   「女将さんに知られたくないので、ほんの少しの時間ですからこのまま…」
   「へえ、そうします」
 並んで行きかけると、お駒は自分のお腹を擦った。
   「実は、ここに旦那様のお子を宿っているのです」
 三太は驚いた。お駒のお腹を見ると、幾分ポッコリとしている。三太はお絹が常日頃言っていた言葉を思い出した。
   『そら男の甲斐性やさかい妾を持つのはとやかく言いまへんが、わたいに内緒で外に子供を作るのは止めとくなはれ』

 これはもめるぞと、三太は思った。お絹は大坂の福島屋の娘、亥之吉はそこの番頭であった。惚れ合って一緒になった夫婦なのに、「あのスケベは、何をしやがるねん」と、お絹が可哀想に思えた。
   「それで、産みはるのだすか?」
   「このお江戸で産みたいのですが、旦那様のご迷惑になったらいけないので、どこか遠くに行ってこの子産み、一人で育てていくつもりです」
   「それでお駒さんはええのだすか?」 
   「はい、生涯旦那様の前には現れないつもりでおります」
   「子供は父なし子だすが、可哀想やと思いませんか?」
   「仕方がありません、奥様がいらっしゃる殿方に惚れてしまった私がわるいのです、この子に詫びる気持ちを忘れずに、大切に、大切に育てます」
 三太はお駒が可哀想になった。
   「それでいつ旅に…」
   「はい、すべて支度はしております、今日旦那様にお別れを言って、明日発つ積りで来ました」
   「悪いのは、無責任な旦那さんだす、みんな女将さんに打ち明けましょう」
   「それでは、女将さんも傷つけてしまいます、それだけはお許しください」
   「旦那さんから、十分なお金を貰っているのだすか?」
   「今月いっぱい食べていけるだけのお金は頂戴しております」
   「それでは、路銀にも足らしまへん、戻りましょう、わいが女将さんに取り持ちます」
 お駒は、おおいに戸惑ったが、三太に引っ張られて仕方なく店に向かった。

   『三太、この女の言うことは、みんな嘘ですぜ』三太の守護霊、新三郎が話かけた。
   「嘘、こいつまんまとわいを騙しやがって」
   『どう出る積りなのか、もう少し騙されてみてはどうですか?』
   「うん」

 店に戻ると、三太はお駒を待たせておいて、奥へ引っ込んだ。お絹にすべてを話すと、お絹は真吉に何事か囁き、真吉は裏口からこっそりと出て行った。

   「あんたさんがうちの亭主のお手掛はん(愛人)だすか?」
   「はい、お駒と申します」
   「お駒さん、親兄弟は?」
   「天涯孤独です」
   「それはお寂しいことだす」
   「すみません、三太さんがどうしてもと仰るもので、つい来てしまいました」
   「いえいえ、うちの亭主がとんでもないことをしまして、御免なさいね」
   「奥さんの有る殿方と知りつつ惚れた私がわるいのです」
   「それで、どうすれば宜しいのだすか?」
   「明日、どこか遠くに参ります、少し、このお腹の子供にお情けを頂けたら、もう二度とこのお店の敷居を跨ぐことはありません」
   「子供は、どうなのだすか?」
   「たとえわたしがこの身を売っても、立派に育て上げる積りでおります」
   「幾ら出せば宜しいの?」
   「はい、二十両いや、三十両も頂ければ十分でございます」
   「三十両ねえ、その話が本当なら百両でも二百両でも出しましょう、でもうちの旦那は、そんなふしだらな男ではないのだすよ」
   「でも、こうしてわたしのお腹に子供が…」
   「本当にうちの亭主の子供ですか?」
 お駒は泣き崩れた。
   「こんなことなら、ここへ来るのではなかった、三太さんを恨みます」
   「ところで、店の表でお駒さんのことを覗き見している強面の男が居ますなあ」
   「そんな人は知りません、他人です」
   「そうかなあ、呼んでみましょうか」
 お絹は、言うなり表の男に声をかけた。
   「お駒さんがお呼びだす、そこな方、どうぞお入り」
 男は裾をはしょり、店に飛び込んできた。
   「お駒、どうした?」
   「あっ、お前さん…」
 お絹は、にんまりとした。なかなか強気である。
   「あんさん達、夫婦だすな」
   「ばれてしまったか、こうなれば大暴れしてやるか」
 お絹は店の奥に向かって大声をだした。
   「お店の衆、出てきておくれ、強請りだす」
 店の衆がばらばらと出てきたが、強請りの男が短ドスを出して左右に振り回したので、また引っ込んでしまった。
   「何や、うちの男は溝の糸ミミズみたいに意気地のないのばかりやなァ」
 黙って見ていて三太が、とつぜん大笑いをした。
   「何だ、このガキ」
   「わいは三太や、噂ぐらい聞いとるやろ」
   「あの他人の心が読めるガキか」
   「そうや、お駒さんのお腹の子は、おっさんの子供やろ、その子の前で強請りなんかして、恥ずかしくないのか」
   「喧しい、お前から先に黙らせてやるわ」
   「わい、お喋りやから、なかなか黙らへんで」
   「煩い、痛い目に遭わせてやる」
 ドスを三太に向けた。
   「お駒、そこの抽斗を開けて金を奪え」
 帳場の座卓を顎で示した。その間に、かねて三和土の隅にねかせて置いた天秤棒を手に取ると、男に向かって斜に構えた。その時、表口から同心が岡っ引きを連れて入ってきた。
 同心は、懐から十手を出すと、男のドスを払い落とし、あっと言う間もなくお縄にしてしまった。岡っ引きはお駒を縛った。
   「何や、三太兄ちゃんの喧嘩が見られると思ったのに、お侍さん早く来過ぎや」 
 亥之吉の長男、辰吉がお絹の後ろへまわり、不服そうな顔をした。  


 こちらは、信州の三太こと、緒方三太郎の診療所である。突然亥之吉に連れられてやって来た三人、卯之吉とその母親、妹のお宇佐の収め先は決まった。卯之吉は文助のもとで八百屋の修行をして何れは自分の店を持つ。母親は三太郎の診療所で十分に療養をして元気になれば療養所の手伝いをしてもらう積りである。妹のお宇佐は、当分は三太郎の療養所を手伝ってもらい、いずれは小諸藩士の山村堅太郎に引き合わせようと思っている。後に賭場(とば)で知り合った信州佐久の三吾郎は、三太郎の診療所で泊り、亥之吉は今夜、佐貫の屋敷に止まる。明日、二人は落ち合って北国街道を上田から小諸、三吾郎の故郷佐久の追分で中山道に進路をとり、江戸へ戻る段取りである。

 亥之吉が、今夜佐貫の屋敷に泊まることは、三太郎の弟子佐助を走らせて、佐貫家の客人がお帰りになったことを確認したうえに知らせた。主人佐貫鷹之助の了承は取ってある。鷹之助の母小夜も、亥之吉に鷹之助がお世話になった礼が言いたいと心待ちにしている。

   「亥之吉さん、三太は元気にしていますか?」
 三太と同じ「鷹塾」の塾生、源太である。源太は鷹之助の弟子として、鷹之助の付き人役をしている。今日も二人は藩校明倫堂から帰ってきたところであった。
   「元気だっせ、元気過ぎて手に負えんこともおます」
   「それは良かった、いつか会いたいです」
   「そうだすな、この旅の伴をさせたら良かったのだすが、三太は強くなったので、うちの用心棒でもあるのだす」
   「そうですか、それは頼もしい」
 鷹之助が挨拶に出てきた。
   「ようこそいらっしゃいました、三太がお世話になっています」
   「三太は、先生に教わったことを常に思い出して守っとります」
   「そうですか、お恥ずかしい限りです、亥之吉さんの仰ることもよく聞いていますか?」
   「へえ、それが…」
 亥之吉はそこでクシャミを一つした。
   「三太だすわ、三太がわたいの悪口を言っているみたいだす」

  第二十四回 亥之吉の不倫の子 -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺のエッセイ「物語の中の大坂弁」

2015-01-11 | エッセイ
 猫爺の連続小説「三太と亥之吉」の登場人物で、大坂(今の大阪」で生まれ育ったのは、三太と亥之吉の他、亥之吉の女房お絹である。亥之吉の息子辰吉は、江戸生まれの江戸育ちだが、両親の影響で大坂言葉気味である。
 この三人の使う言葉は、江戸時代ということで誇張しているために、決して現在の子供や若者が使う言葉ではない。
 
   「わいは、三太だす」

 こんな風に喋ることはない。現代の若者は「おれは三太です」と喋る。「これのどこが大阪弁やねん」と、思われるかも知れないが、イントネーションが標準言葉とは違うのだ。

 仮に言葉の音の高さを  普通のトーンを「1」 アクセントを「3」 その中間を「2」としょう。

 大阪弁では、アクセントの場所が違う。
        わ「1」い「1」は「1」さ「3」ん「2」た「1」だ「1」す「1」

 標準言葉では、お「1」れ「2」が「2」さ「2」ん「1」た「1」で「1」す「1」と、こうなると思う。

  大阪弁では、 な「1」ん「1」で「3」や「2」ね「1」ん「1」
 
 標準言葉の人が大阪弁真似ると、アクセントの位置が違って、
         な「3」ん「1」で「1」や「1」ね「1」ん「1」

 ですから、文字で大阪弁を書いても、ほんとうの大阪弁ではない。そこで猫爺は、いわゆる大阪弁と船場言葉と、京都言葉、神戸言葉を混ぜこぜにして、大袈裟にすることで江戸時代の大坂言葉の雰囲気をだしているつもりである。

猫爺のエッセイ「卯の花姫伝説」

2015-01-10 | エッセイ
 山形・長井市にライダーたちのお参りが絶えない、通称ライダー神社(?)、由緒ある「総宮(そうみや)神社」という大社がある。この総宮という名は、長井郷四十四ヶ村の神社を合祀合祭して鎮守とした時に付けられたもので、総合の意がある。
 総宮神社には、古式ゆかしい黒獅子舞が伝承されるが、これは「卯の花姫伝説」から発祥したものだ。

 今から約千年前に、朝廷から奥羽制圧の命(めい)を受けた朝廷軍と、それに反抗する奥羽軍の戦い「前九年の役(えき)」が勃発する。朝廷軍は源頼義、義家親子、奥羽軍は安倍頼良(頼時)、貞任親子である。安倍貞任(あべのさだとう)には、気丈で美しい「卯の花」という姫が居て、要害の地すなわち敵が攻めにくい長井の郷を果敢に護り抜いていた。
 苦戦を強いられた源頼義は、息子の義家を卯の花姫に近付かせるように仕向ける。

 ある日、卯の花は山中で道に迷った凛々しくも美形の若い男をみつける。
   「如何なさいました?」
   「道に迷って難儀をしています」
   「それはお気の毒なこと、わたくしが郷まで道案内を致しましょう」
   「忝のうございます」
 二人は他愛のない話をしながら歩いたが、最後には笑いが出るほどにも打ち解けた。
   「また、姫にお逢いすることが出来ればよいものを…」
 別れ際に言った男の言葉に、姫もまたそれを願った。
   「明後日、またここでお逢いしましょう」
 姫は、そういうと、再び今来た山道を引き返して行った。

 何度か逢瀬を重ねたある日に、男は姫に尋ねた。
   「もしや、あなたさまは安倍殿のご息女、卯の花姫ではございませんか?」
   「如何にも卯の花でございます」
 男は、いきなり姫の前に土下座をして涙を零した。
   「わたしは、何を隠そう姫の怨敵、源頼家に御座います」
 頼家、「何という悲しい運命、こんなことであれば姫と出逢うのではなかった」と嘆いた。
   「わたしは、戦を憎みます」
 もとより、戦などというものが無ければ良いと願っていた頼家であるが、朝廷の命に逆らえず奥羽の地に攻め入った。
   「姫、どうぞ敵であるわたしを、この剣で刺し殺してくだされ」
   「戦を憎むは、わたくしとて同じこと、どうぞこの場よりお立ち去りください」
 頼家は感涙に咽んだ。
   「わたしは戻って、奥羽の地が安泰ありますように祈り、帝にこの制圧を止めるよう奏上致します」
 卯の花姫も、もとより頼家と同じ思いであった。
   「次は戦のない世の中で、愛しあう男と女として、ここでお逢いしましょう」
 卯の花は、戦を制止するためという頼家の言葉に酔い痴れ、奥羽軍の戦略を語ってしまうのであった。

 朝廷軍は、次々と奥羽軍の要害を破り、卯の花姫の父、安倍貞任は討ち死にする。頼家を信じた姫は、騙されてたことに気が付き、自分の所為で父を死なせてしまったと嘆く。敵の勢力は止むことなく、長井にまで及び、阿倍の一族は次々と倒された。卯の花姫は逃げ場をなくし、最後に頼りとした僧兵も破れ、堂宇に火を放たれたと知らされる。卯の花姫は断崖に立ち、もはやこれまでと三淵に身を投じた。一族のものは討ち死にし、残ったものは姫の後を追った。

 
  これは「卯の花姫伝説」に、猫爺の想像を加えた「セリフ入りエッセイ」であります。
  総宮神社の宮司さんのお名前は「安倍」さんとおっしゃいます。これは偶然ではなく、安倍一族の末裔でいらっしゃるのでしょう。(猫爺)
 

 

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十三回 遠い昔

2015-01-09 | 長編小説
 緒方三太郎は佐貫の屋敷へ行って、亥之吉と卯之吉を義弟の鷹之助に会わせたいが、まだ上田藩校明倫堂(めいりんどう)から戻ってはいないだろう。その前に八百屋の文助に会って卯之吉を引き受けくれないかと都合を訊きに行こうと三太郎は考えた。

 亥之吉も卯之吉のことが気がかりなので、自分も付いて行くと言い出した。それではと二人の弟子に母娘を頼んで三人で昼下がりの町へ出た。
   「文助さんのお父さんは、義父慶次郎の馬の世話役をしていたが、亡くなって今は奥さんと子供が二人居ます」
   「お子達は、まだお小さいのだすか?」
 亥之吉が尋ねた。
   「上が女で下が男、どちらも二十歳前だよ」
   「卯之の嫁に丁度よろしい歳だすな」
   「歳はそうでも、既に許婚が居るかも知れないだろう」
 
 店には文助の息子文太郎が店番をしていた。
   「あ、先生いらっしゃいませ」
 文太郎は、三太郎の顔を見て満面の笑みを見せた。
   「おやじさんは居るかね」
   「それが、午前中に掛取りに出かけて、まだ帰らないのです」
   「方々まわっているのだね」
   「いいえ、一軒だけです」
   「おやじさんは、途中で油を売ったりはしない人なのに」
 文太郎は、三太郎の言葉を聞いて、ちょっと心配になってきた。
   「そう言えば、売掛金を何ヶ月も溜めていて、一向に返してくれないのだとぼやいていました」
   「行った先は、文太郎さんも知っているのだね」
   「はい、たちの悪いゴロツキで、金が入ると博打場に入り浸りだそうです」
   「職業は?」
   「善次といって一応は左官ですが、働かないで弱い者に難癖を付けて強請り紛いのことをしています」
   「そうか、おやじさんが危ないかも知れない、すぐ行ってみよう」
 文太郎から善次の住処を聞くと、亥之吉と卯之吉に目で合図を送り、すぐに駆け出して行った。
 
 善次が住む長屋に来てみると留守であった。
   「博打場だ、おやじさんは脅されて貸元から金を借りさせられているかも知れない」
 近所の人に善次がよく行くという博打場の在り処を訊くと、「すぐ近くです」と教えてくれた。
   
 文助は掛取りに出かけたのだから、受取証に押す印鑑を持って出た筈だ。案の定、胡散(うさん)らしい賭場に連れ込まれ、今まさに借用書に印鑑を押させられようとしたところに三太郎たちが入ってきた。
   「文助兄さん、押すのは待って!」
 三太郎が叫んだ。文助は印鑑を持つ手を思わず引っ込めた。
   「誰でえ!」
 貸元らしい男が怒鳴った。
   「わたしは文助の弟だ、おまえら兄さんに無理矢理印鑑を押させようとしていたな」
   「何が無理矢理だ、この男が博打をしたいというから、金を貸そうとしたまでだ」
   「嘘をつきやがれ、兄さんは博打なんかしねえ、それに借金もだ」
 貸元が子分たちに「こいつ等をつまみだせ」と、目で指図した。その時、子分の一人が卯之吉を見て声を上げた。
   「卯之吉兄いじゃないですか、大江戸一家の代貸し、鵜沼の卯之吉兄いでしょう」
   「卯之吉だが、おめえさん一体誰でえ」
   「ほら、役人に追われていたあっしを、大江戸の貸元が匿ってくれたではありませんか、旅鴉三吾郎、ほら、信州佐久の三吾郎でござんす」
   「おお、思い出した、あの三吾さんかい、お達者でなによりです」
 大江戸一家の代貸しと聞いて、一堂は驚いた。大江戸一家といえば、五海道に知り渡る大任侠一家である。
   「そうですかい、これはどうも恐れ入りやした」
 最初に折れたのは貸元であった。
   「それで、こちらのお兄さん方も同じ大江戸一家の?」
 卯之吉が紹介した。
   「こちらの方は、上田藩士で医者でもある緒方三太郎さんです」
 亥之吉は卯之吉に紹介される前に自分で紹介した。
   「わいは、元浪花の商人、いまは江戸で商いをしとります福島屋亥之吉だす」
 和やかに紹介をしていると、善次がコソコソと逃げようとしたのを、卯之吉が捕まえた。
   「三太郎さん、悪いのはあの善次です、わたしが溜まっている掛け金を取りに行ったら、いきなり殴られて、ここへ連れてこられました」
 文助が、憤懣やるかたない思いを三太郎に訴えた。
   「よく分かっています、善次は藩の奉行所に突き出してやりましょう、他にも色々罪を犯しているようです」

 卯之吉が、この賭場の貸元に対して、捨て台詞を残した。
   「親分さん、一ヶ月で三割の利子を取ってるいと聞きましたが、お前さんもあくどい金貸しをしていなさるようですね、いつまでもこんなことをしていると、藩のお牢に繋がれることになりますぜ」
 この卯之吉の捨て台詞に危機を感じたのか、やはり一癖も二癖もある貸元、このまま四人を帰せば藩奉行所に訴えられてまずいことになると思ったのか、子分たちを集めて何やら指図している。
 
 まだ日が高いというのに、子分達が後を追いかけてきた。三太郎たち四人と縄で繋いだ善次を壁際で取り囲むと、いきなり懐からドスを出し斬りつけて来た。三太郎は卯之吉に文助を護るように頼むと、亥之吉と二人は子分たちに向かった。善次はその場に転がされた。
   「亥之さん、乱闘は久し振りでしょ?」
   「江戸は物騒なところだすから、ちょくちょくやっとります」
   「そうかね、わしは久し振りだ、思い切り楽しませて貰います」
 一人、長ドスを腰に差した男が、三太郎に向かってきた。卯之吉が「止めろ!」と、制した。
   「佐久の三吾郎さん、お前さんはおいらの兄弟分みたいなものじゃないか、ドスを引いておくんなせえ」
 卯之吉が説得しようとしたが、三吾郎はなおも三太郎に斬りかかった。
   「卯之吉の兄いとも思えねえ、これが渡世の義理ってやつですぜ、あっしのは一宿一飯恩義のドス、兄さん方には何の意趣遺恨もありやせんが、真剣にかかって参りやす、どうぞ手心を加えずに思いきりやってくだせえ」
   「わかった、行くぞ、と言いたいところだが、生憎(あいにく)わしらは堅気(かたぎ)でな、堅気相手に一宿一飯の義理もなかろうと思うがどうだ」
 三吾郎がドスを構えて三太郎に突進してきたのを、三太郎の脇差でドスの切っ先をチョン横へずらせると、ドスを三太郎の小脇に抱える形となった。
   「三吾さん、わし等は堅気の医者と商人、卯之吉さんも足を洗って新しい出発をするところだ、渡世の義理も恩義もないでしょう」
 尚も向かってくる三吾郎を跳ね返しながら、三太郎は説得にかかった。ここの奴等は侠客じゃなく、堅気の衆を脅して無理矢理に金を貸付け、その金を博打で巻き上げたうえに高利を取るゴロツキ共の集まりである、江戸の大江戸一家で大親分の杯を受けるか、足を洗うか、少なくともゴロツキ渡世よりも善い道がある筈だ。

 そんな三太郎の話を聞いて、三吾郎の切っ先が下に垂れた。
   「親分は、倒れた子分たちを放っておいて、姿を消したようだ、ケチな野郎だね」
 そう嘲笑する三太郎の言葉に、戦意を無くした三吾郎を尻目に、亥之吉が唐突に言った。
   「先生、そう言えば久し振りで会ったのに、まだ手合わせをしとりませんでしたなァ」
 会えば、必ず刀と天秤棒の手合わせをする三太郎と亥之吉である。 
   「そうか、序(ついで)に、今、やっとくか」
   「そんな、序なんて…」
 三太郎は笑いながら、刀の峰で向かってくる子分たちをバタバタと倒していく。亥之吉も、天秤棒をブンブン振り回して、善次の周りに子分たちが蹲(うずくま)った。
 
 乱闘騒ぎを聞きつけて、藩の捕り方役人が数人駆け付けてきた。
   「先生じゃありませんか、何やっているのですか」
   「医者とても、降りかかる火の粉は払わねばならんのでなァ」

 役人に経緯をすっかり話し、三吾郎の肩を押し文助の店に戻ってきた。三吾郎が江戸から信州の佐久を通り越して上田まで来た訳を聞くと、親の顔が見たさに戻ってみると、両親は亡くなり、田畑は見知らぬ他人が耕していた。風の吹くまま気の向くまま旅を続け、銭も無くなって一宿一飯の恩義を受けたのがゴロツキ一家だったのだそうである。
   「三吾さん、わしと一緒に江戸へ戻りまへんやろか」
 亥之吉が言うと、卯之吉も賛成した。
   「堅気になって地道に働き、ええ娘をみつけて所帯を持つのもええもんだす」
 帰る処も無くなった三吾郎、少しはその気になったようであった。

   「文助兄さん、困ったことがあったら、いつでもわしに言ってくださいよ」
 緒方三太郎の偽らざる心である。 
   「いやあ、売掛金のとりたてのことまで、先生に相談できませんよ」
   「裏の畑で、大根の育て方を教えて貰った私の師匠じゃないですか、遠慮はいりませんよ」
   「師匠だなんて」
   「少なくとも、歳の離れた兄貴だと思っています」

 文助の店では、文助の妻、楓が店番をしていた。
   「楓姉さん、こんにちは」
   「あら、三太ちゃんじゃないですか」
 楓にとっては、いつまでもひよこを懐で飼っている三太郎である。後ろの文助の顔を見て、楓は「ほっ」としたようであった。
   「お前さん、帰りが遅いから心配していたのですよ」
   「危ういところを先生がたに助けて貰った」
   「まぁ、そうだったのですか、文太郎はお前さんのことを心配して、今、番所へ行ったところです」
 文助夫婦は、三太郎と亥之吉、卯之吉に深々と頭を下げて礼を言った。そこへ文太郎も戻ってきて、文助の無事な顔を見ると、再び駆け出して行った。番所に父親の無事を知らせる為であろう。

   「この卯之吉に、八百屋の商いを教えて貰いたくてここへ来たのです」
 三太郎は、此処へ来た本当の目的を説明した。寝泊りと食事付きであれば、給金は三太郎が出すから要らないと申し出たが、文助は首を振った。
   「いえ、働いて貰えるのなら、お給金は払いますよ」
 卯之吉の鵜沼で犯した罪も話したが、文助は喜んで卯之吉を受け入れてくれた。
   「卯之吉さん済みませんが、ほとぼりが冷めるまで名前を変えてくれませんか?」
 無理からぬことである。結局、亥之吉が名付けて「常蔵」と、呼ばれることになった。

   「三太ちゃん、奥様は順調ですか?」
   「さあ、どうでしょう、亭主のわしにも生まれたとも、生まれそうだとも、沙汰がないのですよ」 
   「それは、三太ちゃんが悪いのですよ、しげしげ足を運ぶなり、使いを遣るなり、三太ちゃんの方から待ち遠しい気持ちを伝えなきゃいけません」
   「そうなのですか」
   「そうですよ、奥様の方でも、情の無い旦那様だと思っていらっしゃいますよ」
   「では、明日にでも馬を飛ばして行ってまいります」
   「奥様に、優しくしておあげなさいね」
   「わかりました」
   「まっ、素直な三太ちゃん」
 文助が、楓に「控えて、控えて」と、手合図をした。
   「剣豪も、妻の楓にかかったら形無しですね」
 楓には、懐でひよこを飼っていた可愛い三太のままであったのだ。

  第二十三回 遠い昔(終)-次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十二回 三太の分岐路

2015-01-08 | 長編小説
 ここ江戸は京橋銀座、雑貨商福島屋の店先、午後のひと時、ふっと客足が途絶える時間がある。お客を門口までお送りした後、三太はお帳場座卓に座って帳簿を調べているこの屋の女将、お絹の前にペタンと座った。お絹の作業が一区切りついたところで、三太はポツリと呟いた。
   「旦那さんの帰り、遅過ぎます」
   「何や? 旦那さんがおらへんと寂しいのか?」
   「いや、聞いて貰いたい話があるのだす」
   「何も旦那さんやのうても、わたいが聞きましょ、話してみなはれ」
   「へえ、それが…」
   「旦那さんやないと、話されへんのだすか?」
   「そんなことはないけど…」
 三太の態度が煮え切らない。
   「こう言うてても、すぐ帰りはるやろ、もう四・五日待ちなはれ」
   「それが…」
 聞き質してみると、先日大江戸一家へ塩を納めに行ったとき、貸元の妻お須磨姐さんになにか言われたらしい。
   「わいに大江戸一家の養子になって、一家を継いで欲しいと言われました」
   「よう養子になれと言われる子やな、奈良屋の後家さんにも言われたのやろ」
   「へえ」
   「それで…」
   「それでって?」
   「三太らしくないなァ、三太の気持ちはどうなんや?」
   「それが…」
   「また、それが…か」
 お絹は、三太がどちらを選んでも反対はしないつもりだ。
   「三太が江戸に来たとき、旅鴉の格好やったな、任侠道に憧れていますのか?」
   「わかりまへん、けど、あの格好をしたのは遊びだす」
   「何も思案することあらへんがな、嫌ならはっきりと断れば?」
   「面白いかも知れないし、恐いかもしれへん、はっきり断われないのだす」
   「何が恐いのや?」
   「えんこ詰めとか…」
   「あほらし、それで旦那さんに相談しようと帰るのを待ってますのか」
   「へえ」
 お絹は、はたと思案が閃いた。きっぱり足を洗って商いに精を出す政吉に相談させようと思ったのだ。政吉なら任侠の渡世も、堅気な渡世の情趣も知っている。さっそく暇な時をみて、神田の菊菱屋の店に菓子折りを持たせて三太を行かせた。

 菊菱屋の若旦那と、小僧の新平が何やら談笑をしているところであった。
   「ごめん、お邪魔します」
   「何や、親分か」
   「何やはないやろがな、折角食べてもらおうと京菓子を持ってきたのに」
 新平に渡された紙包みを新平は政吉に差し出した。
   「それはおおきに、女将さんが持たせてくれたのやな」
   「へえ、さいだす」
   「丁度、八つ過ぎで小腹が空いてきたところや、ほな、お茶を…」
 と、政吉が奥へ入ろうとしたのを新平が止めた。
   「お茶なら、おいらが入れて参ります」
   「そうか、ほんなら頼みます、火傷しいなや」
 政吉は優しい童顔を三太に向けて、「どないしたんや」と、話の切欠を作ってくれた。
   「お菓子を持ってきてくれただけやないやろ、話してみんかいな」
 新平も、若旦那も、よく気が付く人やと、三太は感心した。
   「へえ、実はわいのことだすけど…」
   「うん、どうしたのや?」
   「大江戸一家の養子にならへんかと誘われていますねん」
   「ほう、大江戸と言えば立派な貸元の一家や、不服なのか?」
   「このまま堅気の渡世を進むか、格好良く任侠道を行くか迷っています」
   「そら、いまのまま堅気の商人になる方が良いに決まっているやないか」
 三太は意外に思った。京極一家という任侠道の世界で育った人の言葉とは思えないのである。
   「任侠は格好ええのやが、ひとつ違えば縄張り争いで命をかけなあかへん」
   「えんこ詰められたりする?」
   「そうや、掟を破るとそういうことにもなる」
   「指全部無くなったら、どうやって飯を食うの?」
   「そんなことにはならん、そんなやつ、そうなる前に殺されているわ」
   「こわいなあ」
   「そら、そのくらいの覚悟がないと、渡世人としてやって行けへん、それより、地道に商いをした方がええと思う」
 今のままで、旦那の亥之吉に付いて、商いと護身用の棒術を修め、立派な商人になるのが三太の進むべき最良の道だというのが政吉の意見であった。
   「三太と兄ぃの武器は天秤棒やが、わしと新平の武器は何だと思う」
 政吉が三太に謎かけた。
   「さあ、わかりまへん」
 政吉が「ここや」と、自分の顔を指した。
   「なあ、新平」
   「はい、若旦那」
   「よう言うわ」
 三太、ずっこけた。

 やはり今の選択は間違っていないのだと、商いの道を進むことを三太は決心した。
   「三太、戻りました」
 お絹が出迎えた。
   「どうやった、政吉さんは何といっていました?」
   「今のまま、商いと、棒術に精を出せと…」
   「それで三太はどうするの?」
   「明日、大江戸一家へ行って、姐さんに断ってきます」
   「そうか、それは良かった、一人で行けるのか」
   「へえ、大丈夫だす」


 ここは江戸から遠く離れた信州は上田である。緒方三太郎は、八百屋の商売をしてみないかと卯之吉に勧めていた。
   「わたしが子供の頃、佐貫の屋敷の使用人に文助という兄さんがいたのです」
 思い返せば、農家のお婆さんに貰った鶏の雛に、文助が竹の小屋を作ってくれた青年だ。雛は「サスケ」と名を付けて三太の懐へ入れ、義父佐貫慶次郎と共に江戸まで馬で行った思い出もある。
   「その文助さんは、大きな八百屋をしている、そこで暫く商いのいろはを教わるのです」
   「博打しか出来ないあっしに商いができるでしょうか」
 卯之吉は全く自信がなかった。自分は寡黙で無愛想だ。こればかりは努力しても直らないであろう。そんな男に商いが出来るであろうか。
   「ははは、それは大丈夫だ、その解決法があるぞ」
   「解決策?」
   「そうだ」
   「どうすれば良いのでしょう?」
   「可愛くて、愛想の良い嫁を娶ればよいのだ」
 母親と妹のお宇佐は、取り敢えず三太郎が面倒を看るという。
   「実は、私の妻がお産の為に里へ戻っているのだ」
 赤子を連れて戻ってきても、診療所の患者さんを看ることは出来ないので、三太郎の実母と共にお宇佐に看護女になって貰えたら、一人や二人の患者を養生させることが出来ると考えたのだ。三太郎は、皆の前でその計画を語った。
   「お宇佐さんは、何れここから嫁に出す、お宇佐さんに勧めたい善い男が小諸藩に居るのだ」
 亥之吉は、大賛成だった。卯之吉は鵜沼にも江戸へも戻れない。卯之吉が嫁を貰って八百屋の店を出すときは、自分の出番が来るだろうと、わくわくする亥之吉であった。
   「鵜之どうや、流石、艱難辛苦を乗り越えてきたわいの兄貴分や、この人に任せておけば、きっと悪いようにはなりまへんで」
 卯之吉は嬉しかった。こんな自分の為に、ここまで考えてくれる緒方三太郎先生が眩しかった。
   「ところで先生、卯之吉の嫁も考えてくれていますのか?」
   「考えていないよ、真面目に働いていれば、周りが放ってはおかないよ」
   「ほんなら、わいが江戸で探しまっせ」
   「亥之さん、あんたのお古を押し付ける気じゃないだろうね」
   「なんてことを…、失敬な」
 話し声が卯之吉の母親に聞こえたのであろうか、少し笑ったように思えた。
   「お母さんも、少しずつ良くなっていきますよ」
 三太郎の自信に満ちた言葉が、卯之吉とお宇佐の耳に快かった。

  第二十二回 三太の分岐路(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十一回 若先生の初恋 

2015-01-05 | 長編小説
 北町奉行所与力、長坂清三郎の子息で兄の清心、弟の清之助が二人で三太の元へやって来た。聞けば三太に頼みごとがあると言う。
   「お父上に言われて挨拶に来たというのは嘘だすな」
 どうも可笑しいと最初から思っていた三太である。
   「済みません、いきなりお願いするのも気が引けたもので…」
   「もう、友達になったのだすから、何でも言ってください」
 清心は恥ずかしそうに語った。父の長坂清三郎から、三太が幼くして他人の心が読めたり、強いのは三太に守護霊が憑いているからだと聞いていた。そのことを寺子屋(手習指南所)の筆子(生徒)に吹聴したところ、守護霊など居る訳がないと「嘘つき」呼ばわりされたのだ。そのことを師匠に告げ口され、清心は師匠から注意を受けた。

   「清心、それはお前の妄想であろう、この世の中に霊など存在しないのだよ」
   「これは、わたしの父上から聞いたことで、父上は嘘など申しません」
 清心は、師匠相手に強情を張った為に、その日は屋敷に帰された。
   「帰って反省しなさい、もう嘘はつかないと誓う決心がつくまで、指南所に来なくてもよろしい」

 師匠にきつく言われて、清心は悔し泣きをしながら屋敷に戻り、その足で弟を連れて三太の元を訪れたのだと語った。

 三太は困った。寺子屋が開いている時間は、三太の一番忙しい頃である。お店の女将が三太の外出を許す訳がない。
   「新さん、何か良い思案はありませんか?」
   『何とかして行ってやりやしょうぜ、清心さんが可哀想じゃありませんか』
   「うん」

 暖簾を分けて女将のお絹が出てきた。
   「おや、三太にお客さまだすか」
   「へえ、長坂清三郎様のお坊ちゃんたちだす」
   「これは、これはようこそ、女将の絹だす、長坂さまには色々とお世話になっとります」
 ここぞとばかり、三太がしゃしゃり出た。
   「その長坂清三郎さまのお使いでみえたのだすが、明日昼ごろわいに来て貰いたいそうだす、わいには仕事がおますので、今、お断りしようかと…」
 お絹が、三太の言葉を遮った。
   「何を言っていますのや、長坂さまのお頼みを断ってどうしますのや、行きなはれ、行って長坂さまのお役に立って来なはれ」
 三太は、長坂兄弟の方に顔を向けて、ぺろりと舌を出した。
   「女将さんもああ言ってくれました、明日寺子屋が開いている時間に、わいが行ってあげまひょ、場所と先生の名前を教えておくなはれ」


 長坂兄弟が通う寺子屋は、私塾のようであった。その名を藪坂手習い所(てならいしょ-)と言い、藪坂兼功という学者が設立したもので、師範の中に兼功の一子で藪坂冠鷹(かんよう)という二十歳前の先生が居た。この先生が長坂清心の手習いの師である。

   「先生に会いたいと、子供が来ています」
 年少筆子が冠鷹に伝えに来た。
   「この手習いが終わったら会いましょう、待って貰いなさい」
 だが、三太は既に付いて来ていた。
   「手習いの邪魔をして悪いのだすが、わいは時間がありまへん、それに筆子の皆にもわかってほしいのだす」
   「さようか、では仕方がなかろう、用件を申してみよ」
   「長坂清心さんが話した守護霊のことだす」
   「わたしはそんなものは居ないと清心を嗜めましたが…」
   「居る証明をする為に参りました」
   「ほう、居ると申すのか?」
   「へえ、わいに憑いて居ます」
   「手妻か、他人の心を惑わす妖術ではないのか?」
   「では、守護霊に人の魂を抜いて貰いますので、誰か一人此処へよこしてください」
 冠鷹は、筆子の一人を指名して、三太の元へ行かせた。
   「それから、先生も此処へ来てください、魂を抜かれた人が倒れて頭を打たないように護ってください」
   「わかった」
 冠鷹は三太の前で筆子を後ろから抱き抱えるようにして三太の指示を待った。別段、祈祷をするでもなく、怪しげな手付きで催眠を誘うでもなく、三太は黙って立っていたが、やがて冠鷹に抱えられた少年は気を失って先生に身を委ねた。
   「なるほど、これは守護霊の仕業ではなく、妖術の一種であろう」
 三太は、首を左右に振った。
   「こんなのでは、信用できまへんか?」
   「信用できぬ」
   「では、先生の心を読んでみましょう」
   「今度は読心術か?」
   「こんな子供の術で、人様の心が読めましょうか」
 守護霊新三郎は、冠鷹に憑いた。

 三太は、冠鷹に向かって囁いた。
   「先生、いま悩みを抱えているでしょう?」
   「ほう、悩みとな」
   「それを筆子の皆さんの前で話してもよろしいか?」
 冠鷹は、それをハッタリと見たらしく、笑って「どうぞ」と、言ってしまった。
   「先生には好きな女子(おなご)が居ますやろ」
   「一人や二人の好きな人くらい誰でも居るであろう」
   「ちゃいますがな、惚れて、惚れて、惚れぬいた女子だす」
 冠鷹は、筆子達にも分かる位に、ぱっと顔を紅らめた。
   「その女は、同心の子女で、椿さんと言います」
   「ま、待ってくれ、誰にそんなことを聞いたのだ」
   「先生は、誰にも喋ったことはないでしょう? 先生の心に教えて貰ったのだす」
 冠鷹の心は明らかに動揺しているのに、まだ疑っているようで、懸命に三太が当て推量で言っているのだと思おうとしている。
   「先生、椿さんにまだ心の内を話していませんね、それどころか普通に話し掛けてもいないじゃないですか、そんなふうじゃ、他の男に奪われまっせ」
 冠鷹は黙り込んでしまった。
   「先生、しっかりしなはれ、今日手習いが終わったら、椿さんに会いに行きまひょ、わいの守護霊に椿さんの心を読んで貰います、なるべく早く終わってくださいよ」
 こうなっては、冠鷹先生形無しである。筆子たちは囃し立てるし、頭の中は椿のことで一杯になり、手習いなど有ったものではない。

 早々に手習いを終えると、三太と共に椿の屋敷に向かった。筆子たちが、そっと跡を付けてきたのは言うまでもない。

 うまい具合に、椿が屋敷から出てきた。どうやら買い物に行くらしい。
   「あら先生、今日は」
 椿はすれ違いざまに挨拶だけをして、恥ずかしそうに下を向いて行き過ぎようとした。その時、守護霊新三郎が椿に移った。

   「冠鷹先生、安心しなはれ、椿さんも先生のことが好きのようだす」
   「ほんとうかっ」
 冠鷹の顔が、明るくなった。
   「椿さんを追っ掛けて、話をしてきなはれ、椿さんはそれを待ち焦がれています」
   「どんな話をすればよいのだ?」
   「そんなこと、子供に訊いてどうしますのや、この際やから、いきなり胸の内を打ち明けてもよろしいやろ、早く行きなはれ」

 冠鷹は駆けて行った。三太が立ち止まって二人の様子を見ていると、どうやら旨くいったらしく、そのまま二人は並んで街角を曲がって消えた。筆子たちが「わーっ」と、その後を追って、やはり角に消えた。その中に、長坂清心も居た。
   「あほくさ、とんだ仲立ちや、わいも早くおとなに成ろ」

 三太は、そのままサッサと店に帰ってきた。
   「女将さん、ただ今」
   「三太か、遅かったやないか、どこか他所の小僧さんと話をしとったのやろ」
   「違います、男と女の仲立ちをしていました」
   「何や? それ」
   「女将さん、おとなって他愛ないものだすなァ」
   「何があったのや?」
   「寺子屋の冠鷹という先生が、好きになった女子が居るのに、よう話し掛けへんのだす」
   「それで三太が仲立ちを…」
   「へえ」
   「何と生意気なことを…」
   「女将さんも、好きな男が出来たらわいが仲立ちしてやりますで」
   「あほ、そんなことしたら死罪や」

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十回 長坂兄弟の頼み

2015-01-04 | 長編小説
 亥之吉は卯之吉の母親を背負い、卯之吉は妹お宇佐の手を取り、木曽路の激流難所「大田の渡し」を越え、木曽は上松の「木曽の桟(かけはし)」を難なく越えて塩尻、長久保を経て信濃(しなの)の国は上田藩に入った。 

 この上田藩には、少年時代を捨て子の「三太」、拾われて上田藩士で今は亡き佐貫慶次郎に育てられたが、江戸へ母を探しに出て、母に暴力を振るう実の父を見て殺してしまった。奉行の情けで死罪を免れ、水戸藩士能見家の亡き次男の名を貰い、養子になって能見数馬と名を変えたが、やがて佐貫の家に戻り、義兄の名を貰い、剣豪「佐貫三太郎」へと成長した。今は蘭方医「緒方三太郎」としてここに居る。

 上田城下に入り、大店(おおたな)の店先で「医者の緒方三太郎」と尋ねると、すぐに教えてくれた。名前が知れているようだ。
   「緒方先生の診療所ならこの近くです、私が案内しましょう」
 店主とみられる恰幅(かっぷく)のよい男が、先に立って導いてくれた。
   「先生、お客様ですよ」
 男が診療所の表口で叫ぶと、十二歳くらいであろうか、少年が飛び出してきた。
   「これは、諏訪屋の旦那さま、ご案内して頂いたのですか?」
   「はい、わたしもこちらの方面に用がありましたのでな」
   「有難う御座います」
 少年は見知らぬ一行へも一礼した。
   「生憎(あいにく)、先生は往診にでかけており留守ですが、間もなく戻りましょう、中へお入りになってお待ちください」
 少年は、亥之吉が背に負った卯之吉の母親をみて、床をとった。
   「ご病人はこちらに寝かせてください」
 亥之吉の顔を見て、会釈した。よく行儀が行き届き、師の人柄が偲ばれる少年であった。少年は湯の入った足盥(たらい)を用意して、濯足(たくそく)促した。三人が足を濯いでいる間に、少年は病人の様子を診た。
   「熱があり、たいへん弱っておいでですね、私は漢方薬の葛根湯をお進めしたいのですが、先生の留守に勝手なことは出来ません、今、葛湯を作りますので、取り敢えず飲んで頂きましょう」
 少年は緒方三太郎の弟子で佐助と名乗った。彼はかって「美江寺の河童」と呼ばれた少年で、両親を亡くして叔父の家に引き取られたが、苛められて家出をし、倒れているところを当時の能見数馬、今の緒方三太郎に救われた。

   「あっ、馬の蹄(ひづめ)のお音が聞こえます、先生のお帰です」
 佐助が言って間もなく、緒方三太郎が戸口に立った。
   「先生、お客様です」
   「お客様? 急な病人か?」
   「いえ、福島屋亥之吉さんと仰るお客さまです」
 三太郎が慌てて駆け込んできた。
   「おお、正しくお懐かしい亥之吉さんだ、よく来られました」
 亥之吉の顔を見て、三太郎の人懐っこい童顔に笑みが零れた」
   「その節は、たいへんお世話になりました」
   「その節て、どの節のことかね」
   「あの節や、この節や、仰山(ぎょうさん=たくさん)だす」
   「あはは、冗談です、どうしてこんな田舎町へ?」
   「三太郎さの顔が見たくて来たのだす」
   「それは嘘です、何か相談事があったのでしょ」
   「へえ」 
 弟子の佐助が遮った。
   「先生、募る話は後にして、はやくお連れの方の容態を診てください、先ほどわたしは葛湯を差し上げましたが、半分飲まれただけでした」
   「おお、そうか、わかった」
 三太郎が診察室へ入った。その時、馬を繋(つな)いでいたのか、弟子の三四郎も入ってきた。
   「あ、亥之吉さんじゃないですか、お懐かしゅうございます」
   「おや、憶えていてくれましたか、三四郎さんは、見違える程大きくなりましたなぁ」
 三四郎は、三太郎と共に、江戸銀座の福島屋に寄ったことがあるのだ。
   「その節は、お世話になりました」
   「その節て、どの節や?」
   「先生に連れられて、福島屋さん…」
   「あはは、嘘や、嘘や、ちゃんと憶えてまっせ」
 亥之吉は、三太郎にやられた仇をとったつもりである。

 三太郎は、卯之吉の母親の手を取って脈拍を見ていたが、弟子の佐助を呼んだ。
   「これは熱の為に、体が弱っている、漢方薬よりも効き目が早い西洋薬にしよう」
 三太郎は筆を取り、すらすらっと処方箋を書いた。
   「先生、解りました、直ぐに調合します」
 佐助は慣れたもので、ちょいちょいと混合した薬を、十等分に分け薬包紙で包んだ。
   「先ほど、葛湯を差し上げたのなら調度良い、今一包と白湯を差し上げてください」
   「はいっ、直ぐに用意します」
 佐助の、まだ幼さが残る横顔には、もう医者の風格があった。

   「三四郎、今夜はお客様がお泊りですから、私と一緒に夕餉の支度をしよう」
 三四郎は、「とんでもない」と、手を顔の前で振った。
   「三四郎さんは、師匠思いですね」
 亥之吉が三四郎に話かけると、またしても手を顔の前で振った。
   「違うのです、先生がお料理を手伝うと、みんな不味くなってしまうのです」
   「いつもは、何方が作っていなさるのだすか?」
   「先生のおっ母さんです」
   「今日は姿が見えませんね」
   「はい、先生のご実家の佐貫家にお客様がおみえですので、お手伝いに行って今夜はお帰りにならないと思います」
   「そうだすか、それは悪い時に来てしまいました」
   「大丈夫です、私の料理の腕は確かですから」
 
 自信有りげに言うと、三太郎から金を受け取り、三四郎は食材の買い込みに外へ飛び出して行った。

 緒方家の夕餉は、久し振りに賑やかであった。食事が済んで三太郎と亥之吉、卯之吉の三人になったところで、三太郎が切り出した。
   「私に相談事と言うのを伺いましょうか」
   「へえ、この親子を助けてやってほしいのだす」
   「助ける?」
 亥之吉は、ことの次第を隠すことなく話した。鵜沼のある村の村役人が、村人から江戸幕府に収める年貢米に上乗せして重い年貢を納めさせ私腹を肥やしていた。その役人は、邪な心で卯之吉の妹お宇佐を我がものにしようと、嫌がるお宇佐を屋敷牢に監禁した。そればかりか、病に臥せる母親を孤立させて、餓死させようとした。息子の卯之吉がそれを知り、激怒して村役人を斬ってしまったのだ。

 卯之吉は自訴するつもりだが彼はやくざ者、相手に落ち度があるとしても、自訴すれば満足なお調べもなく確実に打ち首である。
 亥之吉は、どんな犠牲を払っても、卯之吉の命を助けたいのだと三太郎に匿ってくれるように訴えた。

   「あはは、そんなことでしたが、私に任せておきなさい、きっと三人を護ってみせましょう」
 亥之吉は思った。緒方三太郎と言う人は、なんて心の広いお方だろうと。三太郎の自信に満ちた笑顔をみていると、ここへ来て良かったとつくづく思う亥之吉であった。


 江戸は京橋銀座、福島屋亥之吉のお店(たな)に、十四・五歳の少年が、弟と思われる十歳前後の少年を連れて訪れた。
   「ごめんください」
   「へーえ、いらっしゃいませ」
 少年たちの声に、真っ先に反応したのは三太であった。
   「この店の三太さんにお会いしたいのですが…」
   「三太はわいだすが、どなたさんでおます?」
   「私は、長坂清心、この子は長坂清之助です」
   「あはは、わかってしまった、長坂清三郎さまのお坊ちゃまですね」
   「はい、そうです」
   「どのようなご用だす?」
   「父上が色々とお世話になっています」
   「それを言いにここへ?」
   「はい、それと、私たちも何れお世話になるから、今の内に友達になって貰えと父が申しました」
   「何のこっちゃ、長坂様は何を企んでいるのや?」
   「いいえ、企んではいません、そのままです」
   「わいは町人の子やで、町人と遊んでいたら、寺子屋の仲間に笑われまっせ」
   「そんな事で笑う者は居ません、なっ」
   「うん」
 弟が相槌を打った。
   「わかりました友達になりまひょ、その代わりわいに遊ぶ時間なんか殆どおまへんで」
   「三太さんと遊ばなくてもいいのです」
   「そうか、ほんならわい町人やし、大分年下やから三太と呼んでくれたらええで」
   「では友達の三太、一つ頼みがあって来たのだが…」
   「ガクッ」

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