雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「心霊者テスト」

2016-10-18 | エッセイ
 数日前、猫爺が興味津々になるテレビ番組を視た。録画を逃したのでうろ覚えではあるが、思い出してみよう。ご覧になった方々も多いであろう。

 ある不動産屋が担当している「事故物件」がテスト会場(?)である。ここでいう事故物件とは、この家に住んでいた人が、ここで事故や殺人、自殺などで亡くなった物件でである。

 その家に三人の「霊能者・心霊者・霊媒師」といった幽霊を扱うプロ(?)を呼んで、事故物件となった原因を当てさせるという軽率というか、罰当たりというか、めっちゃ面白いプログラムであった。
 
 当てるのは、
   ● 死んだ人が男か女か?
   ● 年齢はどのくらいか? 
   ● その場所は、この家のどこか?
   ● 死んだ原因は何か?
 この程度だったと記憶する。

 若い女と答えた人が二人。そのうちの一人の心霊者は、女の幽霊の「似顔絵」まで描いていた。場所は、それぞれ分かれて、風呂場、ベランダ、部屋のクーラーの下と答えていた。原因は、自殺と他殺。

 さて、答えは、独り暮らしの60歳なかばの男で、酒に酔って風呂に入り、溺死したのだという。当たったのは、二人で、風呂場と答えた人と、別の人が男と答えて当たったが、その他の答えは外れであった。

 若い女の似顔絵まで描いた人は、風呂で事故死した男のずっと以前に死んだ女の幽霊が見えたのだと、聞き苦しい言い訳をしていた。


 「霊能者・心霊者・霊媒師」と名乗ってそれらしい恰好をして、それらしい姓名を付けて金儲けをしているプロでも、全くの素人にあて推量をさせても、正解の確立は何ら変わらないのであろうと感じた。違うのは、プロには言葉で誤魔化す術が備わっているということ。

 幽霊はこの世に存在するか?と問われて、そんなものはないと一番よく知っているのは、「霊能者・心霊者・霊媒師」等と名乗る人々であろう。何故なら、自分の発言が出まかせであることを知っているからである。

猫爺のエッセイ「エスカレーター」

2016-08-22 | エッセイ
 こんな状景を見た。 茶髪の母親の後を追って、三歳にも満たないだろうと思われる男の子が誰の手も借りずにエスカレーター乗った。
   「さすが現代っ子だ」
 感心して見ていると、エスカレーターの中程へ来たとき男の子はクルッと振り向くと両足を揃えてピョンと一段飛び降りた。エスカレーターが上がるとまた一段飛び降りるものだから母親と離れて行く。五回繰り返したところで母親が上階に着き振り返って注意をした。
   「何をしとんねん、早よ上がって来なさい。置いて帰るよ」
 子供は遊びを止めて、上がって行った。普通なら、「危ないよ」と、注意をしたいところだが、その素晴らしく安定した動作に、「危ない」なんて感じが全くないのだ。

 猫爺は、内村航平さんの見事な「着地」を思い出していた。
   「もかしたら、この子は十八年後のオリンピックのマットで見事な演技を決めて、拍手を受けているのではないだろうか」
 十八年後など猫爺はこの世に存在するわけはないのだが、空想するのは猫爺の勝手だ。「頑張れよ」と、心で応援して、その場を去った。

 思えば最近、エスカレーターに乗るのを恐がる子供なんて見たことがない。昔々その昔、猫爺が若かりし頃にはよく居たものだ。いや、大人でさえもエスカレーターの乗るところでタイミングが取れずに躊躇している人が居たものだ。

 もっと昔々には、エレベータに恐くて乗れない人が居たという話を聞いた。また、エレベータに乗るのに履物を脱いで入り、降りる時に履物が無くなっているのに気付き大騒ぎをしたという笑い話もあった。
 だが、あれは嘘に違いない。そんな昔は勿論、昭和二十年代でも、エレベータには「エレベターガール」と呼ばれる係員が乗っていた。もし、履物を脱いで乗る人がいたら注意をした筈である。
   「お待たせ致しました。上へ参ります」
 デパートでは、売り場の案内もしてくれた。
   「ドアが閉まります。ご注意ください」
 ユニフォームに白い手袋の美人エレベータ嬢が、優しく丁寧に案内してくれたものだ。
   



猫爺のエッセイ「お盆玉」

2016-08-21 | エッセイ
 猫爺には耳慣れぬ言葉なのだが、もう普及しているのであろうか、テレビのクイズ番組で「お盆玉」というがあるのを知った。鈍い爺にもすぐ理解ができる。お盆に里帰りをしてきた孫たちにあげる「お小遣い」であろう。
 ネットで検索して教えて貰ったのだが、「お盆玉」という言葉自体は、ある紙袋などを扱う印刷会社が提案して、それに郵便局が乗っかっりポチ袋を売り出したものらしい。なるほど、正月の「お年玉」に対して、盆には「お盆玉」とは郵便局が乗っかりたくなるであろう商魂である。「お盆玉は、郵貯銀行へ」かな?

 猫爺とて、分からないわけではない。年に二度帰って来る可愛い孫の喜ぶ笑顔が見たい。「お盆玉」が習慣化すれば、孫たちもお爺ちゃん、お婆ちゃんに「お盆玉ちょうだい」とねだることが出来るし、貰えるか貰えないか気を揉むこともない。

 だが、遠くの外孫はそれでよいとしても、内孫や近所に孫がゴロゴロ居るお爺ちゃん、お婆ちゃんは大変だろうなあと思ってしまうのは、猫爺が貧しいからであろう。

 誰が決めたのだろうか、お盆玉の相場というのがあるそうで、小学生ならば1,000円~3,000円、中学生ならば3,000円~5,000円、高校生ならば5,000~10,000円程とか。富山県あたりの裕福なお爺ちゃん、お婆ちゃんなら小学生には百万円程度、中学生には五百万円程度、高校生ならば1千万円以上を相場としている家庭もざらにあるに違いない。

 お盆玉の習慣は、江戸時代からあったというが、それは少し違うのではないだろうか。商家などに奉公する使用人に、小遣い程度の額や品物を与えたのは、日頃安い賃金、または年季奉公の場合は当人は殆ど無報酬で働いているのだから、使用者の外面対策であったように思う。また、それと「お盆玉」とは意味合いが違っているように思う。

 習慣化すれば、都会に住むサラリーマン夫婦なども、孫だけとは限らず「お盆玉」を子供にも与えることになるだろうが、そもそもお盆とは「盂蘭盆」のことで、先祖を供養する行事である。子供や孫を喜ばせる目的の祭りではないのだから、そんな流行など無視してもよいと爺は思うが、世間で習慣化すれば、「そうはイカのキン〇マ」かも。(注・昭和初期のギャグ)

   ◇盆過ぎて 来るべく時季の 待ち遠し◇    暑いっ!

 

 

猫爺のエッセイ「心霊写真」

2016-08-08 | エッセイ
 夏になると、恐怖番組がもてはやされる。番組を作成する側も、てっとり早く安上がりで視聴率が稼げる「最恐の番組」だとか、「本当に有った」とか恐怖を煽りたてた番組が多々放映される。

 そのなかでも、100%馬鹿々々しいのが「心霊写真」である。 一時、大流行して霊能者だとか霊媒師とかが荒稼ぎをしたであろう時代があったが、ちょっと大人げない写真家が悉く分析して、心霊写真と言われていた写真の謎解きをしたものだ。

 その結果、猫爺などは霊能者と自称する輩の「平然とした嘘」に唖然としたものであった。

 ひとつ思い出した一件がある。 中学校の卒業写真だが、二十年程経ったある日「幾ら数えても一人多い」と気付いた男性が居た。写真をよく観察すると、最後列に一人眼鏡をかけた記憶にない男子生徒がいた。しかも、彼は胸から下が消えかかっていたのだ。
 
 この写真をテレビ番組に持ち込み、スタッフともども写っているクラスメイトの家々を回り、この消えかかっている男子生徒のことを尋ねてまわったが、知っている者は居なかった。 

 そこで番組は、霊能者にこの写真を見せることにした。
 
   「何年か前にこの学校で亡くなった生徒が、自分も卒業写真に写りたくで出て来たもので、このまま放置しておくと、写真の持ち主に禍を為すかも知れない。きちんと浄霊して、霊の行くべきところへ送ってさしあげましょう」

 ところが、テレビでこの写真を見た他のクラスの生徒が名乗り出た。

   「そこに写っているのは俺です」

 どうやらこの男子生徒君は悪戯好きで、他のクラスに紛れ、教科書で顔を隠して写ろうとしたものであった。「もう、シャッターがおりたかな」と思い、教科書を下げたときにシャッターが押された。
 当時のフィルムは、ガラスを用いた乾板(かんぱん)と呼ばれる比較的感度の低いものであったため、シャッター速度が遅く、動いているものはブレてしまうのだ。

 
 言えることは、心霊写真なるものは100%無い。偶然そう見えるものや、作為、カメラのトラブルなどによるものが心霊写真と呼ばれているだけである。

 仏教では、霊は「非物質的な存在」と位置付けされている。その非物質的な存在が、光を反射して写真に写り込むことはない筈である。

 心霊写真を取り扱ったどんな番組でも、「霊能者」の釈明は放送されない。多分、今後の心霊写真番組の為に、釈明はタブーとされているのだろう。

 このような番組に、猫爺は四字熟語を造った。「故意画策」 PDの外のスタッフたち、写真提供者とその周囲の者、霊能者、スタジオのオーディエンス(キャーキャーと怖がって見せる人たち)の故意の画策だと思っているのだ。

 そうだろう。写真が出来上がったとき、担任の教師が気付かないわけがない。当時の生徒たちだって知っていた筈だ。卒業写真なら、写真に合わせて生徒の名前を書いた人も居ただろう。そして、誰よりも「心霊写真ではない」と知っていたのは、霊能者であった筈だ。(再稿)

   写真は、猫爺がそれらしく(?)合成したものです。御免なさい

猫爺のエッセイ「食用油は腐る?」

2016-07-23 | エッセイ
 「腐る」とは、雑菌が繁殖して有毒で臭い排泄物を多く出すことである。雑菌が繁殖するには、水と空気が必要で、開封したての油には、その条件が調っていない。ただし、油はゆるやかではあるが「酸化」する。
 油の酸化臭とは、安い即席の鍋うどんに入っている「天ぷら」が、その臭いを発している場合がある。食べ残して忘れていた古いピーナッツや、麩、パン粉、おかきも、酸化臭がすることがある。お好み焼きをするときに使う「油引き」を綺麗に洗っておいても、酸素に触れる面積が広い為に、すぐに酸化臭がするようになる。
 だが、天ぷら油自体が「酸化臭」を出しているのは、星の数ほど年月を生きて来た爺も、一度も体験したことがない。

 何故、猫爺がこんな文章を書く気になったかと言うと、天ぷら油(サラダ油)は、「2度天ぷらを揚げると捨てなさい」というのがネット通念になっているらしいからである。
 やはり貧乏人の猫爺には、お金持ち衆の考えには、とても付いてはいけない。

 ネット散歩していると、 

   問い「開封して初めての油で天ぷらを揚げていると、泡立ってしまった」 
   答え「それは油が既に腐っています。すぐに捨てなさい」

 …みたいな問答が目についた。


 油が泡立つのは、揚げている食材の水分や不純物の所為で、食材の前処理に問題があろう。猫爺は、水分の多いイカやサカナを揚げるときは、まず食材の水分をよくふき取り、小麦粉をまぶしてから、溶きコロモに浸して揚げる。
 こんなのは、猫爺は見様見真似で無意識に憶えたことであるが、主婦には常識だと思う。また、泡が立ったからと言って猫爺は慌てない。例えば、冷凍のコロッケなどを揚げるときは、入れると同時に蓋をする。鍋の中でバリバリ大きな音がしているが、無視していればやがて大人しくなる。

   「冷凍したままで、食材を油に入れてはならない」
 
 …これがネット通念らしい。下手すれば火傷をするからかも知れないが、解凍してから油で揚げると、具材が崩れてしまうだろうに…


 これは、決してお勧めするのではないが、猫爺は新品の油を使い始めると、10回以上は使い回しをしている。ただし、毎回鍋の底の部分は捨てる。また、ストッカーの底に溜まった不純物も鍋に戻さない。そうして油の減った分は、新品で補う。

 油の使い回しで気になるのは、コレステロールである。元の植物油には、どんなものでも当然ながらコレステロールはゼロである。だが、肉や魚を揚げると、それが流れ出す。
 猫爺は、新しい油では暫くは芋や玉ねぎなど、野菜を揚げている。

 このエッセイは、猫爺の素人判断である。従って、決して他人様にお勧めするものではない。
  

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 一本刀土俵入り

2016-07-21 | エッセイ
 「一本刀土俵入り」は、長谷川伸の同名戯曲をモチーフに作られた「股旅演歌」である。

 舞台は常陸の国(茨城県)取手宿(水戸街道の江戸寄り千住の宿から五番目の宿)の水茶屋、安孫子屋の二階の欄干に凭れかかって宿場女郎のお蔦が酒の酔いを醒ましていると、土地の嫌われ者、船戸の弥八が通行人に絡み暴れまわっている。そこへフラフラッと通りかかった少年が、頭突で弥八を追っ払う。お蔦が少年に声を掛けると、自分は上野の国(こうずけのくに)駒形村の出で、江戸で相撲の取的(とりてき)駒形茂兵衛の名で修行をしていたが、親方に「見込みがない」と見切りをつけられて、一旦は国へ帰されたものの身寄りもなく実家も焼けて無くなっていた。
 もう一度江戸へ戻り、親方に頼み込んで命がけで横綱を目指して修行を続けさせてもらおうとここまで来たが、持っていた僅かな銭を使い果たし、空腹で倒れそうだと打ち明ける。
 
   「取的さん、ちょっとお待ちよ」
 そういうと、お蔦は奥へ消え、やがて腰帯に財布と櫛(くし)、簪(かんざし)、笄(こうがい)を結んで二階から下ろし「これをやるから持ってお行き」と激励とともに持たせてやる。
   「さっきのヤツが仕返しにやてくるだろう。それまでに腹ごしらえをしておおきよ」

 それから十年、取手の宿をお蔦の消息を尋ねてまわる旅鴉が居た。横綱になる夢に破れ、博徒に身を窶した駒形茂兵衛だった。
 
 やっと突き止めてお蔦の住いに逢いにきたが、お蔦は所帯を持っており、夫辰三郎は、いかさま博打がばれて土地のやくざ波一里儀十(なみいちり ぎじゅう)親分に命を狙われ、妻のお蔦も脅されていた。駒形茂兵衛はお蔦に、あとは自分に任せて逃げろと金を与えるが、お蔦はこの親切な男がいったい誰なのか思い出せない。

   「お蔦さん、十年前に必ず横綱におなりと財布と櫛、簪、笄を恵んでもらった駒形茂兵衛でござんす」
 
 親子三人逃げて行く後姿に、「姐さんに横綱の土俵入りを視て貰うことが出来なかったが、これがしがねえやくざ駒形茂兵衛の一本刀土俵入りで、せめてもの恩返しの真似事でござんす」

猫爺のいちびり俳句「意固地な朝顔」

2016-07-07 | エッセイ
   ◇朝シャワー 生きてる証 髭を剃る

 老い耄れなのに、髭がすぐに伸びる。剃るのが煩わしいが、これも生きている証である。呑気に感慨に浸っていると、こんな時に限って玄関チャイムが鳴る。裸で出るべきか、待たせるべきか、はたまた居留守を使うべきかと、狼狽える爺。

   ◇朝顔や 棒が不服か 反抗か

 こやつ、意固地な朝顔である。昨日、細い竹棒を立ててやり蔓を巻き付けてやったのに、朝見るとわざわざ解いて地を這っていた。人に強要されるのが嫌らしい。勝手にさらせ。

   ◇我がブログ 暑さの所為で 寂れ気味

 いやいや、そうではなかろう。猫爺の「やる気」が薄らいだ所為に違いない。

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 バラエティ気味のトーク番組で、進化について語っていた。都合よく進化した生物、例えばここではコノハチョウとしておこう。これをコメンテーターが「良く考えたものだ」と評価していた。誰が考えて木の葉に似た蝶になったと言うのだろう。

   「ボクらの仲間は、鳥に食べられてばかりいるから、ボクは今日から木の葉に似た羽をつけよう」

 そう言って、蝶自身が考えたとでもこの人は思っているのだろうか。それとも、考えたのは神様とでも言うのだろうか。もしそうだとすれば、この神様、何と依怙贔屓が過ぎるのだろう。

 進化とは、ダーウィンが立てた説「自然選択」が正しいと猫爺は思っている。ただし、地球上に人間が現れてからは、「人間選択」加わってしまったと考える。
 何万年、何千万年という時を経て変化した「自然環境」が、変異を繰り返す生物を選別し、環境にそぐわないものをバッサバッサと絶滅させて、環境に耐えられるものを残した結果、今地球上に存在する生物が生き残ったのだ。

 これからは、「人間選択」が幅を効かせて、ますます「絶滅」が進むだろう。まだまだ人間が多細胞生物を生み出すことが出来ない以上、地球上の生物が減少して行くに違いない。「人間に役立つものだけを残せばいいだろう」と思うかも知れないが、人間には害こそあれ、何の益もないと思われるゴキブリのごとき虫でも、それを餌にしている動物も居るのだ。

 もし猫爺が神様であれば、地球に最も害を成す生物を絶滅させることだろう。その生物は? ・・・省略

 

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 最近感動したこと

2016-06-23 | エッセイ
 あまりにも過激な「お涙頂戴」の再現ドラマや出来事には感動が薄くなっている爺には、どこにでもありそうな日常的な感動物語に参ってしまうことがある。

 つい最近、surprise番組で子供たちがまだ幼い頃に離婚して、男手一つで三人の子供を育て上げた50代の父親に、感謝の気持ちを伝えたいという高校生の長女の依頼を取り上げたTVprogramを見て感動した。
 自分だって若い頃から病身の家内に代わって、朝早く起きて子供たちの弁当を作り、家内が自宅療養の時期には食事の用意をして勤めに出ていた。勤めが終わると、スーパーで夕食の材料を買って電車に揺られて帰っていたが、そんなことは一向苦にはならない。
 このお嬢さん、初めて父親のために弁当を作って仕事場を訪ねる。此処で建築の外壁を担当する父親のバリバリと仕事をしている姿と、一息入れているところを垣間見るのだが、一服終えた父親がまた仕事に戻るときに足を引きずっているのを見る。
   「足が痛いのだなァ」と、意外そうにお嬢さんが呟く。

 猫時は勝手に想像した。この父親、子供たちの前では、「痛い」と言ったことが無いのだろうと。
 自分もそうであった。父親たるもの、子供に弱いところや、悩んでいる姿を見せてはならないと思っていたのだ。まして、「養ってやっている」とか、「誰の所為で大きくなった」とか、「親の恩」みたいな恩着せがましい言葉は一度も吐かなかったはずだ。

   「恩は着るもの、着せてはならぬ」

 これは、橋幸夫がドドンパのリズムに乗せて歌う「花の仁義」のサビの一節である。



     こじつけ ごめん

 写真は、処方箋薬局にて

 



猫爺のエッセイ「股旅演歌」粋でいなせなお兄さん

2016-06-22 | エッセイ
 クイズ番組を視ていたら、「鯔背(いなせ)」の読み方が問題に出ていた。猫爺みたいな半分化石になっている爺は、誰にでも通じるだろうと投稿記事にばんばん使っているが、「もしや死語?」だったのかなと不安になってきた。

 鯔とは、魚のボラのことで、江戸の魚河岸で働く威勢がよくて勇み肌の兄さんたちの間で流行った丁髷がボラの背中に似ていたことからその髪型を「鯔背銀杏」と言い、転じて意気の良い若者を「粋で鯔背なお兄さん」というようになった。

 我々堅気の衆は、「兄さん」を「にいさん」というが、渡世人は「あにさん」と言うことがある。「フーテンの寅さん」のセリフによく出て来た言い方だ。この「にいさん」「あにさん」を丁寧に「お」を付けて呼ぶと、「おにいさん」「おあにさん」になる訳だが、「おあにさん」は呼びにくいし、かっこわるい。それを調子に乗せて言ったのが「おあにぃさん」である。

 粋で鯔背なおあにぃさんと言えば若き日のこの人。上の瞼と、下の瞼を合わせると、在りし日のあの雄姿が浮かぶ。あ、番場の忠太郎と違いまっせ。

   YouYube へ飛ぶ


猫爺のエッセイ「辞世の短歌」

2016-06-20 | エッセイ
 麻生太郎財務相は、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。

 では、望むと望まざるにかかわらず、90歳まで生きてしまった人々に、どうしろと言うつもりだろう。年寄りはすべて大金持ちとは限らない。生きていれば、死ぬまでの生活が不安な人々も多く居る。その人々に「自殺しろ」というのだろうか。それとも、姥捨て山を復活させるとでもいうのだろうか。

 この麻生氏の暴言に対して、おそらく批判的世論は起こらないだろう。それは、今世論を担っている人々の殆どが90歳には程遠い若い人々であるからだ。年寄りも、長年にわたり税金を納め、年金を払い続けて来た人たちであることは無視されて、ただの若い人たちに寄生しているように思われているのではないだろうか。

 麻生さん、あなたも十五年経てば90歳ではないか。もしその時が来て元気ばりばりであれば、あなたは潔い最期でしめくくることができるのだろうか。「お前はいつまで生きるつもりだ」と言われて、笑って過ごすことが出来るのだろうか。

 全国よぼよぼ連合代表 猫爺。


   ◇猫爺・辞世の短歌◇

   ◇高き山 深き峡谷(たに)こそ なかりせど 旅のおわりの 峠いま越ゆ◇ 

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 木曽ぶし三度笠

2016-06-15 | エッセイ
 木曽節といえば、

    ◇木曽のナー ナカノリサン 木曽の御嶽山は ナンジャラホイ◇

 この「ナカノリサン」とは何だろうとネットでもよく語られている。いろいろ説はあるが、一番有力とされているのが、筏は三枚連ねて流すとして、一番前に乗るのを舳乗り(へのり)、後ろに乗る人を艫乗り(とものり)真ん中を中乗りというのだそうで、筏を船に見立てたものであろう。
 写真は都合よく、三枚セットで流されているようであるが、前後をちょん切ったのだろう。 筏は常に三枚をセットにして流すとは限らない。一枚のときもあれば、珠数つなぎで流すこともあった筈である。
 猫爺の妻は、その木曽で生まれ育っている。しかも妻の兄たちは、木曽の檜林で働いていた。彼らも、舳乗りや艫乗りなど知らないようであった。

 股旅演歌「木曽ぶし三度笠」では、ナカノリサンを「仲乗りさん」と字を当てている。ネットで調べてみると、この股旅演歌の作詞者が、中乗りは舳乗りと艫乗りの仲を取り持つから「仲」という字を使ったのだそうである。
 筏が三枚セットで流すとは限らないとすれば、この「仲」は作詞者の発想でしかない。げんに、古い民謡歌集を見ても、「ナカノリサン」または「中乗りさん」になっている。

 では、この中乗りさんとは何だろう。猫爺の推理では、これは「筏乗り」の職業名であったのではないかと考える。一枚の筏の真ん中に立って、水棹(みざお)で筏を操るからである。勿論この中乗りさん、筏の前にぴょんと跳んだり、後ろに移ったり軽業芸もする。しかるに、中乗りさんは、舳乗りさんでもあり、艫乗りさんでもある訳だ。

 では、「木曽ぶし三度笠」の物語を簡単に。
 もとは筏流しの「中乗り」であった主人公の新三郎(猫爺の連続小説では、守護霊として登場する)は山を嫌って、水棹を長ドスに持ち替え、「中乗り新三」と名乗りやくざになる。旅の途中女衒(ぜげん=女を売り買いすることを生業にしている)に出会い、自分を川に投げ込んだ宵宮の佐吉という男を懲らしめてほしいと頼まれ、二両で請け負う。
 中乗り新三は木曽街道で佐吉を待ち伏せして遣り合うが、新三もまた川に投げ込まれてしまう。その折に佐吉の三度笠と道中合羽が新三とともに川へ落ちたので、その代わりに佐吉は新三の笠と合羽を持ち去る。
 新三は佐吉の笠と合羽を着けて旅に出るが、旅の途中で伊那に住む従姉のところへ行く一人旅の娘お美代と出会い、互いに惚れ合い伊那まで送っていくことになる。
 その途中、新三は佐吉の笠を着けていたので、佐吉と間違われてやくざの出入りに巻き込まれる。

   ◇木曽の桟 太田の渡津 越えて鵜沼が 発ち難い
    娘心がしん底ふびん などとてめえも惚れたくせ

 この「渡津」と書いて「渡し」と読ませているのも、作詞者の考案だろう。「津」は、船着き場のことであるから、太田の渡しは船で渡るということを表現したのだと思う。

 中山道の三大難所である「木曽の桟」「太田の渡し」は、難なく越えてきたのに、鵜沼の宿は離れ難い。それは、お美代の心根が不憫だと言っているが、新三が自分に話しかける。
   「お前も好きになったお美代から離れるのが辛いのだろう」

 ちなみに、中山道の三大難所のあと一つ「碓氷峠」は、軽井沢の方なので、この物語の舞台とはならない。

   「木曽ぶし三度笠」

 この歌は、YouTubeで、 milkye326さんがソフトに歌っておられるのを推す。プロの歌手ではないようなのだが、歌の上手さは抜群である。

猫爺のエッセイ「股旅演歌」 一宿一飯

2016-06-14 | エッセイ
 「一宿一飯」とは、逃走などの理由で旅をする旅鴉が、ヤクザ一家に無料で食事と宿泊させて貰うことである。ただで恩義をうけられるとは何と都合のよい習慣だと猫爺が杖をついて一家の門口に立ち、「お控えなすって…」と、暗記した口上をスラスラ述べたところで、到底恩義を受けることは出来ない。仁義を切るとは、ただの挨拶ではないのだ。

 仁義とは、面接試験のようなもので、ヤクザの旅鴉なのか、ただで一宿一飯に有り付こうとする騙りなのかを見極められるのである。もし、「此奴は騙りだ」と見破られると、殴る蹴るの暴行を受け、場合によって簀巻きにして重石をつけられ、大川に投げ込まれるかも知れないのだ。無事に一宿一飯の恩義がうけられたとしても、こんどは親分の命令を断ることができない。

 股旅演歌で「沓掛の時次郎」というのがある。

 ある日、時次郎は下総(しもふさ)は鴻巣(こうのす)というところの鴻巣一家に草鞋を脱ぎ一宿一飯の恩を受ける。この鴻巣一家は、中野川一家の縄張りを奪うために子分たちの命を奪い、ただ一人の生き残った子分、六ツ田の三蔵が孤軍奮闘で中野川一家を守り通していた。
 鴻巣一家の親分は、時次郎にこの六ツ田の三蔵を殺せと命じる。一宿一飯の掟の為に断ることが出来ないので、時次郎は一騎打ちで、何の恨みも無い六ツ田の三蔵を倒す。三蔵は苦しい息の下で、身重の妻と倅の太郎吉を頼むと時次郎に言い遺す。

 脚本によって可成り物語は違っているが、猫爺は坂本(冬)さんの浪曲入り股旅演歌が気に入っている。素晴らしい名演技なので、猫爺が全てに字幕を入れた。興味が湧けばクリックして戴きたい。

  YouTube 歌謡浪曲「沓掛の時次郎」全字幕版

猫爺のエッセイ「股旅演歌」

2016-06-13 | エッセイ
 家に居る時、股旅演歌を流していると気持ちが落ち着く。若い頃にはなかったリラクゼーション法である。

 ブログ渡り(鶯の谷渡りみたいなものか)をしていると、「都々逸」を作って(詠んで?)おられる方が居られた。都々逸は、「俗曲」で、三味線の旋律にのって唄われた情歌(お色気唄)であった。現代では、詩や俳句、短歌、川柳のごとき「文芸作品」として若い方々にも愛されているようである。

 この都々逸は、七七七五または、五字冠りで、五七七七五の韻律でうたわれたものである。都々逸を楽しんでおられる方々はよくご存知ですが、七七七五でも実は三四 四三 三四 五の韻律なのである。
 
   ◇人の恋路を邪魔する奴は、窓の月さえ憎らしい◇ こんな都々逸があるが、これは…

   ◇ひとの(3) こいじを(4) じゃまする(4) やつは(3) まどの(3) つきさえ(4) にくらしい(5)


 記事タイトルは股旅演歌なのに、何故都々逸のことを書いているのかお判りでしょが、股旅演歌が猫爺の心を癒すのは、ひとつはこの韻律にあるのだと思っている。股旅演歌の「旅笠道中」という歌がある。これは若き清水次郎長が、喧嘩と博打に明け暮れる股旅を歌ったものである。

   ◇夜が冷たい 心が寒い 渡り鳥かよ 俺等らの旅は 風のまにまに 吹きさらし◇

   ◇よるが(3) つめたい(4) こころが(4) さむい(3) わたり(3) どりかよ(4) おいらの(4) たびは(3) かぜの(3) まにまに(4) ふきさらし(5)

 都々逸の韻律を中伸ばしをしているだけで、最後(5)で締め括るところは都々逸と同じだと気付く。もっと新しい歌ではどうだろう。

   ◇渡る雁 東の空に 俺の草鞋は 西を向く   意地は三島の 東海道も 変わる浮き世の 袖しぐれ◇

 ここまでは、都々逸を二つ並べた形になっている。 3443345 3443345 である。ここからはドラムのフィルインの如く目先を変えてはいるが、ここにも都々逸の韻律は生かされている。


 股旅演歌は、出て来るグッズ、山や川、雨や風は似たり寄ったり。グッズは、三度笠、道中合羽、長ドス、草鞋、サイコロ、落葉など。山は、富士山、磐梯山、浅間山、赤城山、御嶽山など。川は利根川、天竜川、木曽川など。後は雨、雪、雲、雁がねや喧嘩、などを適当にあしらってやると股旅演歌が出来上がる。

 メロデイの方はと言えば、たった5音(ド レ ミ ソ ラ)これをペンタトニックと言うのだが、要するに「♯」や「♭」の無い音階だけで作る曲である。

 例にあげた「旅笠道中」には、「ファ」と「シ」は使われていない。二例目の歌も、ペンタトニックである。これは沖縄民謡にも言えることで、特に猫爺のような古人間には馴染める旋律なのである。

 もちろん、使われるコードが少ないので、作曲もペンタだと容易い。作詞作曲してロック調に編曲してみてはどうだろう。お若いアーチストの方々に提案する。


猫爺のエッセイ「色即是空」

2016-05-22 | エッセイ
 若い人たちの間で、「般若心経」が語られているのを読んだ。般若心経の世界観を一言にすれば、「色即是空」であろう。五蘊(ごうん)すなわち、色蘊(全ての物質)、私たち(人間)の受蘊(感受)、想蘊(表象)、行蘊(意思)、識蘊(認識)は、「空」なるものだと言う思想である。
 これらを「空」だと悟ることで「度一切苦厄(思い通りにならないことや、災厄)から解き放たれる」のだそうである。超凡爺の私には、「般若心経」を「超スゲエ」と絶賛する若者のようにはなれない。

 我々は、目から電磁波のある帯域(可視光線)を受け入れて、レンズでもって網膜に像を結び、その刺激を視神経で脳に伝えると、それを色彩として脳が判断する。我々が綺麗、汚いと判断しているものは、電磁波なのである。人によって、その帯域にズレがあるかも知れない。また、なんらかの障害により、大幅に標準と違っている場合もあろう。人間以外の動物のそれとも全く違うかも知れない。

 光だけではない。音は空気の振動を鼓膜で受けて、聴神経から脳に伝えて、脳が「音」と判断している。臭、触、味も脳で判断している。

 では、それらの本(もと)になっているものは「空」だろうか。ゴータマ・シッダールタが生きた時代では「空」だろうが、現在は「空」ではなく原子、その周りを回る電子、さらに原子電子を構成する最も基本的、かつ要素的なもの、素粒子であると解明されている。

 さらに、「空(スペース)」だとされていた宇宙空間も、実は「ヒッグス粒子」で満たされているのだという説もあるのだ。

 この素粒子が構成する世界を、「空」と悟った仏陀は、宗教家というよりも科学者だったのかも知れない。般若心経の現代語訳の一節に「空にして、生ぜず、滅せず。汚れず、浄からず。増さず、減らず」とあるが、素粒子の世界を語っているように思われる。

 「万物の形は仮のものであり、本質は空(くう)で、不変ではない」超凡爺は、この「空」を、素粒子で満たされた「空」と理解することにした。
 
 超凡爺の私は、「般若心経」を、ネット上の現代語訳でしか知らないが、この訳の中に、「死後と生前は同じものである」という一節があった。まさしく、その通りである。これらは、「空」である。
 受精の瞬間に生命体という「有」になり、臨終の瞬間に生命は「無」に帰る。こう考えると、釈迦の悟りは、宗教を否定するもののように思えてくる。釈迦が開祖とされる仏教の、輪廻転生などの思想に相反すると思うのは、超凡爺が浅はか故なのであろうか。釈迦の悟りとは、「本当は宗教観を打ち破ることではなかったのだろうか」と超凡爺は空想する。

 釈迦(ゴータマ・シッダッタ)のことは、手塚治虫の「ブッダ」でしか知らないのだが、シッダッタが釈迦になった、即ち悟りを開いたときから、肉体を責める修行は止めてしまったと記憶する。それは、彼岸に達したから止めたものであろうか、ただ、「あほらしい」と気付いたから止めたのであろうか。超凡爺は、密かに後者だと思っている。

 以上は、フィクション爺の想像的感想であって、意見として主張したものではありません。
 


猫爺のエッセイ「卑猥過ぎて発禁・ブンガチャ節」

2016-05-12 | エッセイ
 年を重ねてからというもの、昔懐かしい歌謡曲を好んで聴くようになった。最近は、「股旅演歌」の単純なメロディーと韻を踏んだ歌詞が耳に心地よい。

 昨日も、YouTubeで、サブちゃんの演歌を聴いてまわっていると、デビュー曲に辿り着いた。結構広く知られた曲「ブンガチャ節」である。この曲が「卑猥」だとして、たった一週間で「発売禁止」になったことは、猫爺も知るところである。
 この歌詞をここでご披露することは、著作権侵害になるそうなので控えるかわり、その内容を書いてみよう。合いの手はそのままである。

 『ブンガチャ節』
 
  あの娘は、いい女だ こっちを向いてくれないか?
   キュッキュキュー キュッキュキュー
 「ふんっ」と怒って横を向いたさまが、尚のこと可愛いよ
   ブンガチャ チャ ブンガチャ チャ

  江戸時代じゃないけど、恋患いの娘か息子を心配して 親御さんがお医者を呼んだ。
  (以下、一番に同じ)
 「熱があるようなので氷枕をしてやりなさい」と言われて、あててやると風邪をひいた。
  (以下、一番に同じ)

  ほっぺにチューをしてくれよ この淋しい俺の頬に
  君のキッスは、紅の花のように芳しいに違いない

  そっと隠して渡した 名刺の裏側に、
  こんど来る日を 書いておいた

  夢が降る 夜更けの街に、
  君に逢うため 雨のなかをやってきた

  他の人は、逢わないでいると恋が冷めるというけど、
  俺は逢わないでいると もっともっと燃える(最近は、萌える?)

  俺は心で泣いている
  酒を注がれると それが顔に出てしまう。

  お金持ちになって、暇ができたら行こう
  二人きりで月世界へ  (熱海旅館「月世界荘」のことかな?)

 さて、これで全部だが、何処が「卑猥」なのかな? ネットでは、こう語られていた。あの合いの手の「キュッキュキュー キュッキュキュー」が、ベッドの軋む音を想像させて卑猥なのだそうである。アホか、そんな想像をする方が「下衆の極み」じゃないか。
 このサブちゃんのデビュー曲は、発売当時の世相からしても、決して卑猥なことはない。この曲は解禁になって、どこかの国営テレビの番組でサブちゃんが歌っていたが、当時でも何ら問題はなかった筈だ。


 さて、ここからは下衆爺の推理だが、問題はこの歌の元歌「キュッキュラキュ節」だ。ここにその歌詞の一部を書いてみようか。

 『キュッキュラキュ節』
 
  一発やろかと 紙までもんで
   キュッキュキュ キュッキュキユ
 ひとが来たので 鼻をかむ
   ブンガチャッチヤ ブンガチャッチヤ
 
 奈良の大仏 ○○○○かけば
 奈良の都は糊の海

汽車の窓から ○○○○出して
 汽車○○出したと おおいばり

 それを見ていた 列車の車掌
 大きすぎて 釣りが無い

 発売禁止になったのは、この元歌が酒場などで流行しすぎていて、「ブンガチャ節」のメロディーを聞いただけでも赤面する程卑猥だったからであろう。宴会の席でよく歌われる「ヨサホイ節」に、わりと真面目な歌詞を付けたようなものである。

 『ヨサホイ節』

 一つ出たホイのヨサホイのホイ
 一人娘と‥‥‥   (シャイな猫爺にはこの後が書けない)


 では最後に、この「キュッキュキュー」と、「ブンガチャッチャ ブンガチャッチャ」は、何なのだろう。

 「キュッキュキュー」の方は、バオリンの音だ。「ブンガチャッチャ」は、パーカッションの入った管弦楽の音だ。カラオケの無かった時代に、口で伴奏を付けたのだろう。それが合いの手になったのだ。

   (これは個人の想像であり、意見として押し付けるものではない)