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雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十一回 若先生の初恋 

2015-01-05 | 長編小説
 北町奉行所与力、長坂清三郎の子息で兄の清心、弟の清之助が二人で三太の元へやって来た。聞けば三太に頼みごとがあると言う。
   「お父上に言われて挨拶に来たというのは嘘だすな」
 どうも可笑しいと最初から思っていた三太である。
   「済みません、いきなりお願いするのも気が引けたもので…」
   「もう、友達になったのだすから、何でも言ってください」
 清心は恥ずかしそうに語った。父の長坂清三郎から、三太が幼くして他人の心が読めたり、強いのは三太に守護霊が憑いているからだと聞いていた。そのことを寺子屋(手習指南所)の筆子(生徒)に吹聴したところ、守護霊など居る訳がないと「嘘つき」呼ばわりされたのだ。そのことを師匠に告げ口され、清心は師匠から注意を受けた。

   「清心、それはお前の妄想であろう、この世の中に霊など存在しないのだよ」
   「これは、わたしの父上から聞いたことで、父上は嘘など申しません」
 清心は、師匠相手に強情を張った為に、その日は屋敷に帰された。
   「帰って反省しなさい、もう嘘はつかないと誓う決心がつくまで、指南所に来なくてもよろしい」

 師匠にきつく言われて、清心は悔し泣きをしながら屋敷に戻り、その足で弟を連れて三太の元を訪れたのだと語った。

 三太は困った。寺子屋が開いている時間は、三太の一番忙しい頃である。お店の女将が三太の外出を許す訳がない。
   「新さん、何か良い思案はありませんか?」
   『何とかして行ってやりやしょうぜ、清心さんが可哀想じゃありませんか』
   「うん」

 暖簾を分けて女将のお絹が出てきた。
   「おや、三太にお客さまだすか」
   「へえ、長坂清三郎様のお坊ちゃんたちだす」
   「これは、これはようこそ、女将の絹だす、長坂さまには色々とお世話になっとります」
 ここぞとばかり、三太がしゃしゃり出た。
   「その長坂清三郎さまのお使いでみえたのだすが、明日昼ごろわいに来て貰いたいそうだす、わいには仕事がおますので、今、お断りしようかと…」
 お絹が、三太の言葉を遮った。
   「何を言っていますのや、長坂さまのお頼みを断ってどうしますのや、行きなはれ、行って長坂さまのお役に立って来なはれ」
 三太は、長坂兄弟の方に顔を向けて、ぺろりと舌を出した。
   「女将さんもああ言ってくれました、明日寺子屋が開いている時間に、わいが行ってあげまひょ、場所と先生の名前を教えておくなはれ」


 長坂兄弟が通う寺子屋は、私塾のようであった。その名を藪坂手習い所(てならいしょ-)と言い、藪坂兼功という学者が設立したもので、師範の中に兼功の一子で藪坂冠鷹(かんよう)という二十歳前の先生が居た。この先生が長坂清心の手習いの師である。

   「先生に会いたいと、子供が来ています」
 年少筆子が冠鷹に伝えに来た。
   「この手習いが終わったら会いましょう、待って貰いなさい」
 だが、三太は既に付いて来ていた。
   「手習いの邪魔をして悪いのだすが、わいは時間がありまへん、それに筆子の皆にもわかってほしいのだす」
   「さようか、では仕方がなかろう、用件を申してみよ」
   「長坂清心さんが話した守護霊のことだす」
   「わたしはそんなものは居ないと清心を嗜めましたが…」
   「居る証明をする為に参りました」
   「ほう、居ると申すのか?」
   「へえ、わいに憑いて居ます」
   「手妻か、他人の心を惑わす妖術ではないのか?」
   「では、守護霊に人の魂を抜いて貰いますので、誰か一人此処へよこしてください」
 冠鷹は、筆子の一人を指名して、三太の元へ行かせた。
   「それから、先生も此処へ来てください、魂を抜かれた人が倒れて頭を打たないように護ってください」
   「わかった」
 冠鷹は三太の前で筆子を後ろから抱き抱えるようにして三太の指示を待った。別段、祈祷をするでもなく、怪しげな手付きで催眠を誘うでもなく、三太は黙って立っていたが、やがて冠鷹に抱えられた少年は気を失って先生に身を委ねた。
   「なるほど、これは守護霊の仕業ではなく、妖術の一種であろう」
 三太は、首を左右に振った。
   「こんなのでは、信用できまへんか?」
   「信用できぬ」
   「では、先生の心を読んでみましょう」
   「今度は読心術か?」
   「こんな子供の術で、人様の心が読めましょうか」
 守護霊新三郎は、冠鷹に憑いた。

 三太は、冠鷹に向かって囁いた。
   「先生、いま悩みを抱えているでしょう?」
   「ほう、悩みとな」
   「それを筆子の皆さんの前で話してもよろしいか?」
 冠鷹は、それをハッタリと見たらしく、笑って「どうぞ」と、言ってしまった。
   「先生には好きな女子(おなご)が居ますやろ」
   「一人や二人の好きな人くらい誰でも居るであろう」
   「ちゃいますがな、惚れて、惚れて、惚れぬいた女子だす」
 冠鷹は、筆子達にも分かる位に、ぱっと顔を紅らめた。
   「その女は、同心の子女で、椿さんと言います」
   「ま、待ってくれ、誰にそんなことを聞いたのだ」
   「先生は、誰にも喋ったことはないでしょう? 先生の心に教えて貰ったのだす」
 冠鷹の心は明らかに動揺しているのに、まだ疑っているようで、懸命に三太が当て推量で言っているのだと思おうとしている。
   「先生、椿さんにまだ心の内を話していませんね、それどころか普通に話し掛けてもいないじゃないですか、そんなふうじゃ、他の男に奪われまっせ」
 冠鷹は黙り込んでしまった。
   「先生、しっかりしなはれ、今日手習いが終わったら、椿さんに会いに行きまひょ、わいの守護霊に椿さんの心を読んで貰います、なるべく早く終わってくださいよ」
 こうなっては、冠鷹先生形無しである。筆子たちは囃し立てるし、頭の中は椿のことで一杯になり、手習いなど有ったものではない。

 早々に手習いを終えると、三太と共に椿の屋敷に向かった。筆子たちが、そっと跡を付けてきたのは言うまでもない。

 うまい具合に、椿が屋敷から出てきた。どうやら買い物に行くらしい。
   「あら先生、今日は」
 椿はすれ違いざまに挨拶だけをして、恥ずかしそうに下を向いて行き過ぎようとした。その時、守護霊新三郎が椿に移った。

   「冠鷹先生、安心しなはれ、椿さんも先生のことが好きのようだす」
   「ほんとうかっ」
 冠鷹の顔が、明るくなった。
   「椿さんを追っ掛けて、話をしてきなはれ、椿さんはそれを待ち焦がれています」
   「どんな話をすればよいのだ?」
   「そんなこと、子供に訊いてどうしますのや、この際やから、いきなり胸の内を打ち明けてもよろしいやろ、早く行きなはれ」

 冠鷹は駆けて行った。三太が立ち止まって二人の様子を見ていると、どうやら旨くいったらしく、そのまま二人は並んで街角を曲がって消えた。筆子たちが「わーっ」と、その後を追って、やはり角に消えた。その中に、長坂清心も居た。
   「あほくさ、とんだ仲立ちや、わいも早くおとなに成ろ」

 三太は、そのままサッサと店に帰ってきた。
   「女将さん、ただ今」
   「三太か、遅かったやないか、どこか他所の小僧さんと話をしとったのやろ」
   「違います、男と女の仲立ちをしていました」
   「何や? それ」
   「女将さん、おとなって他愛ないものだすなァ」
   「何があったのや?」
   「寺子屋の冠鷹という先生が、好きになった女子が居るのに、よう話し掛けへんのだす」
   「それで三太が仲立ちを…」
   「へえ」
   「何と生意気なことを…」
   「女将さんも、好きな男が出来たらわいが仲立ちしてやりますで」
   「あほ、そんなことしたら死罪や」

  第二十一回 若先生の初恋(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十回 長坂兄弟の頼み

2015-01-04 | 長編小説
 亥之吉は卯之吉の母親を背負い、卯之吉は妹お宇佐の手を取り、木曽路の激流難所「大田の渡し」を越え、木曽は上松の「木曽の桟(かけはし)」を難なく越えて塩尻、長久保を経て信濃(しなの)の国は上田藩に入った。 

 この上田藩には、少年時代を捨て子の「三太」、拾われて上田藩士で今は亡き佐貫慶次郎に育てられたが、江戸へ母を探しに出て、母に暴力を振るう実の父を見て殺してしまった。奉行の情けで死罪を免れ、水戸藩士能見家の亡き次男の名を貰い、養子になって能見数馬と名を変えたが、やがて佐貫の家に戻り、義兄の名を貰い、剣豪「佐貫三太郎」へと成長した。今は蘭方医「緒方三太郎」としてここに居る。

 上田城下に入り、大店(おおたな)の店先で「医者の緒方三太郎」と尋ねると、すぐに教えてくれた。名前が知れているようだ。
   「緒方先生の診療所ならこの近くです、私が案内しましょう」
 店主とみられる恰幅(かっぷく)のよい男が、先に立って導いてくれた。
   「先生、お客様ですよ」
 男が診療所の表口で叫ぶと、十二歳くらいであろうか、少年が飛び出してきた。
   「これは、諏訪屋の旦那さま、ご案内して頂いたのですか?」
   「はい、わたしもこちらの方面に用がありましたのでな」
   「有難う御座います」
 少年は見知らぬ一行へも一礼した。
   「生憎(あいにく)、先生は往診にでかけており留守ですが、間もなく戻りましょう、中へお入りになってお待ちください」
 少年は、亥之吉が背に負った卯之吉の母親をみて、床をとった。
   「ご病人はこちらに寝かせてください」
 亥之吉の顔を見て、会釈した。よく行儀が行き届き、師の人柄が偲ばれる少年であった。少年は湯の入った足盥(たらい)を用意して、濯足(たくそく)促した。三人が足を濯いでいる間に、少年は病人の様子を診た。
   「熱があり、たいへん弱っておいでですね、私は漢方薬の葛根湯をお進めしたいのですが、先生の留守に勝手なことは出来ません、今、葛湯を作りますので、取り敢えず飲んで頂きましょう」
 少年は緒方三太郎の弟子で佐助と名乗った。彼はかって「美江寺の河童」と呼ばれた少年で、両親を亡くして叔父の家に引き取られたが、苛められて家出をし、倒れているところを当時の能見数馬、今の緒方三太郎に救われた。

   「あっ、馬の蹄(ひづめ)のお音が聞こえます、先生のお帰です」
 佐助が言って間もなく、緒方三太郎が戸口に立った。
   「先生、お客様です」
   「お客様? 急な病人か?」
   「いえ、福島屋亥之吉さんと仰るお客さまです」
 三太郎が慌てて駆け込んできた。
   「おお、正しくお懐かしい亥之吉さんだ、よく来られました」
 亥之吉の顔を見て、三太郎の人懐っこい童顔に笑みが零れた」
   「その節は、たいへんお世話になりました」
   「その節て、どの節のことかね」
   「あの節や、この節や、仰山(ぎょうさん=たくさん)だす」
   「あはは、冗談です、どうしてこんな田舎町へ?」
   「三太郎さの顔が見たくて来たのだす」
   「それは嘘です、何か相談事があったのでしょ」
   「へえ」 
 弟子の佐助が遮った。
   「先生、募る話は後にして、はやくお連れの方の容態を診てください、先ほどわたしは葛湯を差し上げましたが、半分飲まれただけでした」
   「おお、そうか、わかった」
 三太郎が診察室へ入った。その時、馬を繋(つな)いでいたのか、弟子の三四郎も入ってきた。
   「あ、亥之吉さんじゃないですか、お懐かしゅうございます」
   「おや、憶えていてくれましたか、三四郎さんは、見違える程大きくなりましたなぁ」
 三四郎は、三太郎と共に、江戸銀座の福島屋に寄ったことがあるのだ。
   「その節は、お世話になりました」
   「その節て、どの節や?」
   「先生に連れられて、福島屋さん…」
   「あはは、嘘や、嘘や、ちゃんと憶えてまっせ」
 亥之吉は、三太郎にやられた仇をとったつもりである。

 三太郎は、卯之吉の母親の手を取って脈拍を見ていたが、弟子の佐助を呼んだ。
   「これは熱の為に、体が弱っている、漢方薬よりも効き目が早い西洋薬にしよう」
 三太郎は筆を取り、すらすらっと処方箋を書いた。
   「先生、解りました、直ぐに調合します」
 佐助は慣れたもので、ちょいちょいと混合した薬を、十等分に分け薬包紙で包んだ。
   「先ほど、葛湯を差し上げたのなら調度良い、今一包と白湯を差し上げてください」
   「はいっ、直ぐに用意します」
 佐助の、まだ幼さが残る横顔には、もう医者の風格があった。

   「三四郎、今夜はお客様がお泊りですから、私と一緒に夕餉の支度をしよう」
 三四郎は、「とんでもない」と、手を顔の前で振った。
   「三四郎さんは、師匠思いですね」
 亥之吉が三四郎に話かけると、またしても手を顔の前で振った。
   「違うのです、先生がお料理を手伝うと、みんな不味くなってしまうのです」
   「いつもは、何方が作っていなさるのだすか?」
   「先生のおっ母さんです」
   「今日は姿が見えませんね」
   「はい、先生のご実家の佐貫家にお客様がおみえですので、お手伝いに行って今夜はお帰りにならないと思います」
   「そうだすか、それは悪い時に来てしまいました」
   「大丈夫です、私の料理の腕は確かですから」
 
 自信有りげに言うと、三太郎から金を受け取り、三四郎は食材の買い込みに外へ飛び出して行った。

 緒方家の夕餉は、久し振りに賑やかであった。食事が済んで三太郎と亥之吉、卯之吉の三人になったところで、三太郎が切り出した。
   「私に相談事と言うのを伺いましょうか」
   「へえ、この親子を助けてやってほしいのだす」
   「助ける?」
 亥之吉は、ことの次第を隠すことなく話した。鵜沼のある村の村役人が、村人から江戸幕府に収める年貢米に上乗せして重い年貢を納めさせ私腹を肥やしていた。その役人は、邪な心で卯之吉の妹お宇佐を我がものにしようと、嫌がるお宇佐を屋敷牢に監禁した。そればかりか、病に臥せる母親を孤立させて、餓死させようとした。息子の卯之吉がそれを知り、激怒して村役人を斬ってしまったのだ。

 卯之吉は自訴するつもりだが彼はやくざ者、相手に落ち度があるとしても、自訴すれば満足なお調べもなく確実に打ち首である。
 亥之吉は、どんな犠牲を払っても、卯之吉の命を助けたいのだと三太郎に匿ってくれるように訴えた。

   「あはは、そんなことでしたが、私に任せておきなさい、きっと三人を護ってみせましょう」
 亥之吉は思った。緒方三太郎と言う人は、なんて心の広いお方だろうと。三太郎の自信に満ちた笑顔をみていると、ここへ来て良かったとつくづく思う亥之吉であった。


 江戸は京橋銀座、福島屋亥之吉のお店(たな)に、十四・五歳の少年が、弟と思われる十歳前後の少年を連れて訪れた。
   「ごめんください」
   「へーえ、いらっしゃいませ」
 少年たちの声に、真っ先に反応したのは三太であった。
   「この店の三太さんにお会いしたいのですが…」
   「三太はわいだすが、どなたさんでおます?」
   「私は、長坂清心、この子は長坂清之助です」
   「あはは、わかってしまった、長坂清三郎さまのお坊ちゃまですね」
   「はい、そうです」
   「どのようなご用だす?」
   「父上が色々とお世話になっています」
   「それを言いにここへ?」
   「はい、それと、私たちも何れお世話になるから、今の内に友達になって貰えと父が申しました」
   「何のこっちゃ、長坂様は何を企んでいるのや?」
   「いいえ、企んではいません、そのままです」
   「わいは町人の子やで、町人と遊んでいたら、寺子屋の仲間に笑われまっせ」
   「そんな事で笑う者は居ません、なっ」
   「うん」
 弟が相槌を打った。
   「わかりました友達になりまひょ、その代わりわいに遊ぶ時間なんか殆どおまへんで」
   「三太さんと遊ばなくてもいいのです」
   「そうか、ほんならわい町人やし、大分年下やから三太と呼んでくれたらええで」
   「では友達の三太、一つ頼みがあって来たのだが…」
   「ガクッ」

  第二十回 長坂兄弟の頼み(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の短編小説「碓氷の銀八、夫婦旅」

2014-12-29 | 長編小説
   「あっ、危ない!」
 戸塚の宿を出て間もない東海道で、鳥追い女お政の先を歩いていた旅鴉がよろめいた。彼は体を持ち直したものの、道脇までよろよろと歩いて濡れ雑巾のようにへたり込んだ。

   「兄(あに)さん、大丈夫ですかい」
 駆け寄り男の横顔を見ると、お政より二つ三つ若そうで、今は亡き亭主に似ていた。
   「ありがとう、暫くここで休んだら、また歩けるようになりやす」
 男は強がってみせたが、すぐにぐてんと横になってしまった。   
   「ちっとも大丈夫じゃないね、ちょっと待ってなよ」
 そう言うと、お政は今来た道を引き返して、暫くして町駕籠をつれてきた。
   「この男は、あたしの亭主さ、戸塚の旅籠まで乗せて行ってくださいな」
 駕籠舁きは、旅鴉を駕籠に乗せると、お政と共に戸塚の宿に向かった。

   「ご苦労だったね、これは酒代込みだ、取っといておくれ」
 お政は、一朱(約6000円)も駕籠舁きに渡してやった。
   「これは姐さん、有難うごぜえます」
 駕籠舁きは、男を宿の中まで運んで帰っていった。

   「亭主が熱を出しています、医者を呼んで貰えますか?」
   「へい、ただ今呼びに行かせますが…」
 宿の番頭は受け答えはしたものの、やくざ風の男と、鳥追い女の姿に、怪しんでいるようである。
   「取り敢えず、帳場に二両預けておきます、不足になったら言ってくださいな」
 番頭の態度が、がらっと変わった。
   「へい、直ぐに行かせます、これ、何をしてます、早く行きなさい」
 番頭は、ぐずぐずしたのを手代の所為にして、追い立てた。

 医者は、男の熱は単なる風邪と診立て、空腹と疲労のために体が弱ったのが原因と言い、明日の朝まで寝かせて、目が覚めたら粥を食べさせて薬を飲ませなさいと指示をして帰っていった。お政は朝まで付きっきりで眠らずに介抱していた。

   「ここは何処だろう」
 翌朝目覚めた男は、部屋を見渡した。
   「旅籠ですよ」
 お政が答えると、男は慌てた。
   「いけねえ、いけねえ、あっしは文無しでさァ」
   「大丈夫ですよ、あたしが付いていますから…」
   「お前さんは何方で…」
   「名前なんか後でもいいじゃありませんか、いまお粥が来ますから、あたしが食べさせてあげます」
 
 粥を啜り込んで、少し元気になった男は、自分の名を告げた。
   「あっしは、上野(こうずけ)の国は碓氷村(うすいむら)の生まれで銀八、他人(ひと)呼んで碓氷の銀八というケチな旅鴉でござんす」
   「そうかい、あたしは鳥追いのお政、またの名を壷振りのお政さ」
   「えっ、姐さんはあの有名な壷振りのお政さんかい?」
 銀八は目を擦ってお政を見つめた。
   「どこが有名なんだね、あたしは滅多に壷は振らないよ」
   「本当だ、お政姐さんに違いねえ、博徒の間じゃ、姐さんが片肌脱いで壷を振るとき、片足を立てるだろ、すると赤い蹴出(けだ)しがチロチロ見えて、妙に色っぽいと噂してますぜ」
   「そうかい、あれはあたしの手なのさ」
 盆茣蓙(ぼんござ=博打の壺を振る茣蓙)を囲む男たちが壷振りの女の蹴出しをチロチロ見る間に、イカサマをするための策略である。
   「それだ、これ見破りの銀八も、姐さんが壷を振る てら で、文無しになったのですぜ」
   「そうかい、それは悪かったねぇ」
   「いやいや、姐さんの色香に迷ったあっしが悪いのさ」
   「その代わりって言えば何だけど、医者代も旅籠代も、あたしが持つから許しておくれな」
   「へい、有難うござんす」
   「あっ、そうそう、この旅籠では、あたしはお前さんの女房ってことになっているから、合わしておくれよ」

 聞けば、壷振りお政は怪しげな貸元の間では引っ張り凧で、一度振らせて貰えば、お政も五両や十両の金は稼げるのだそうで、今も懐には七両もの大金が入っていると明け透けに言う。

   「お前さん、あたしの亭主とは言わないから、ヒモになっておくれでないかえ」
 二日この旅籠に泊まって三日目の朝、別れ際にお政が言った。
   「一人旅は、こころ細いのさ」
   「姐さんの旅の目的は何だね」
   「大きな声では言えないが、実は亭主の仇討ちさ」

 五年前に、亭主は江戸の奉公先、薬種問屋立花屋の集金で小田原に出向き、二十両の金を受け取って帰り旅の途中、八幡一家の三下に誘われて賭場へ連れていかれた。そこで無理矢理に賭けさせられ、二十両全てをいかさま賭博で巻き上げられてしまった。その事実を小田原藩の代官に訴えようとしたところ、亭主は八幡一家に殺害されてしまったのだ。お政がそれを知ったのは、殺しを目撃した旅鴉が立花屋の店に来て、苦しい苦しい息の下から女房に伝えてくれと頼んだと伝えた。お政は、直ちに奉公していたお店を止め、女博徒になって修行を積んだのであった。

   「いかさまで金を奪うばかりか、命まで取るとは許しておけねぇ」 
 お政は、その銀八の言葉を聞いて「悪い男ではない」と、確信を持った。

   「今夜は、出会茶屋に泊まらないかぇ」
 お政が戸惑いも無く言った。
   「姐さんは、死んだご亭主に顔向けができるのですかい」
   「お前さんには悪いけど、あたしゃお前さんに亭主をみているのだよ」
 お政は、銀八の横顔が死んだ亭主にそっくりだと言った。
   「お前さんに抱かれて、亭主に抱かれている夢を見たいのさ」
 そう言われると、銀八も気が軽くなった。その夜は、出会茶屋での夜伽は、仇討ちの作戦だった。そして抱き合って燃え、夜が明けた。

   「あたしは、八幡一家で壷振りに雇ってもらうよう掛け合いに行くよ」
   「では、あっしは夕刻に客人として賭場に入り込む」

 暮れ六つ刻(午後五時頃)、八幡一家の賭場(とば)に盆茣蓙(ぼんござ)が敷かれ、ご開帳となった。銀八はお政に貰った二両を懐に、ぶらりと賭場に顔をだした。
   「へい、いらっしゃい」
 威勢の良い三下が、銀八を賭場に案内した。お政が例の色気で客の視線を引き付けている。
   「四六の丁、被ります」
 お政がサイ二個を指に挟み、高く上げた壷を振り下ろし、サイを放り込むと盆布(ぼんぬの)の上に伏せた。
   「さあ、張った張った」
 中盆の声に誘われて、銀八も予め換えておいた木札を、今日のカモらしい大店の若旦那風の男に乗って賭けた。若旦那と銀八が賭けた目がでた。次もまた二人がが勝つ。幾度賭けても、銀八と若旦那風の男が勝ち、二人の前には木札の山が出来た。金を巻き上げる為にイカサマをせよと貸元に言われていたお政は、故意にカモの若旦那を勝たせた。
   「姐さん、悪戯は止めにしてくんな」
 まず中盆がお政を疑った。
   「何だね、あたしがイカサマをやっているとでもお言いかい?」
   「そうじゃないか、この二人ばかり勝っていなさる」 
 負けが込む客人も文句を言いはじめた。
   「そうだ、そうだ。これはイカサマだ!」
 お政が姿勢を正し、脱いでいた袖を整えた。
   「そうかい、では言ってやろう、あたしにイカサマをやれと命じたのはそちらの貸元さ」
 お政は三下に捕らえられて、貸元の前に突き出された。
   「こいつ、ふてえアマだ、そっちの男も怪しい、ここへ連れてきな」
 銀八も捕らえられて、貸元の前で押さえ込まれた。
   「てめえら、連れだな」
 銀八は大声で笑った。
   「気が付きなすったか、その通りよ」
 言うが早いか、銀八は自分を押さえ込んでいた男二人を跳ね除け盆茣蓙に駆け戻ると脇に置いていた長ドスに手を掛けた。貸元はお政を抱え込むと、銀八に向かって言った。
   「うぬが暴れると、この女の命はねえぜ」
 だが、次の瞬間、貸元はお政をつき離した。貸元の横っ腹には、お政が隠し持っていた匕首が刺さっていたのだ。

   「あたしは、五年前にこの貸元に亭主を殺されて二十両奪われた商人の女房さ」

 お政は、天井を見上げて金切り声で叫んだ。
   「お前さん成仏しておくれ、お政はお前さんの仇を取ったよ」

   「そ、そんな覚えは…」
 貸元は言いかけたが、途中で気を失って崩れ落ちた。

 貸元の子分の一人が、懐の匕首を抜いてお政に向かったが、後ろから銀八が子分の肩先に長ドスを打ち込んだ。呻き声を上げてお政に倒れ掛かろうとした子分をお政が交わすと、男は前のめりに倒れた。
   「馬鹿野郎、慌てるな峰は返してるぜ」

 貸台から七両掴んで懐に突っ込むと、銀八はお政の腕を引っ張って表にでた。二両は銀八がお政から預かった分、五両はお政の壷振りの報酬である。

 子分たちは「貸元(親分)の仇」とばかり、二人の後を追ってくるかと思ったが、親分を刺されて動揺したのか、追ってくる人影はなかった。

 
   「お政さん、これからどうするのです?」
   「銀八さんさえ良ければ、このまま夫婦になって、旅を続けましょうよ」
 上方へでも落ちて、夫婦して小奇麗な食べ物屋でも開き、仲良く暮らしたいとお政は考えている。

 そんな二人の旅姿を後ろで伺っている男が居た。江戸のお政の元へ亭主の遺言を伝えた旅鴉であった。
   「へへへ、あの女、まんまと俺の謀(はかりごと)には嵌(はま)りやがったぜ」

 その翌日の早朝である。八幡一家に殴り込みがあって、小さな八幡一家の子分たちは残らず追い払われてしまった。

   「女に殺られるようなへなちょこ貸元に、この縄張りは任せておけねえ」
 この主張は、周囲の貸元たちも同感のようであった。

 -終わり-

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十九回 美濃と江戸の師弟

2014-12-24 | 長編小説
 ここはお江戸、福島屋の店先である。今朝も三太と真吉は掃除とお客を迎える準備に余念がない。
   「番頭はん、そろそろお店を開けっせ?」
 いつもの三太のセリフである。 
   「三太、信吉、準備は宜しいな」
   「へえ、抜かりはおまへん」
   「それでは、開けなさい」
 いつもなら、この号令をかけてドッカとお帳場机の前に腰を下ろすのは旦那の亥之吉であるが、今朝も店に亥之吉の姿はなかった。三太は店の木戸を開け放すと、表通り左右を見て客の姿が無いのを確かめると振り返って番頭に話かけた。
   「旦那さんの帰りが遅おますなァ、卯之さんを送って行ってもう半月にもなりまっせ」
   「旦那さまは、忙しいお方ですから、序に方々回っていなさるのでしょう」
 奥から旦那の女房のお絹が顔を出した。
   「糸の切れた凧みたいに男二人がふらふらと羽を伸ばしていなさるのやろ」
 番頭は身分を忘れて、お絹に苦言を呈した。
   「おかみさん、店先で旦那様をそのように仰ってはいけません、三太も聞いていることですし」
 三太が割って入った。
   「そうだす、旦那さんはともかく、卯之吉さんは真面目な男です、おっ母ちゃんや妹のことを心配して、女遊びなどしていません」
   「旦那さんはともかく、て何だす、仮にもお前の主人で師匠だすやろ、それに誰が女遊びと言いました」
   「エへへ旦那さんはスケベだすから…」
 番頭が慌てて三太を嗜めた。
   「旦那様のことをスケベとは何です、仮に旦那様がどうしょうも無いスケベであるとしても、奉公人が言うことではありません」
   「番頭はん、ちょっと待ちなはれ、どうしょうも無いスケベとはなんてことを言うのです」
   「済みません、仮にですから…」
 三太は得意顔で番頭に言った。
   「番頭さんは、いつも心でそう思っているから、つい出てしもたのだすなぁ」
   「あんさんは、いつも旦那のことをそんな風に見てなさるのか」
 お絹が問い糺した。
   「いえ、決して」

 三人で、わあわあ言っていますとお客が入って来たので、三人一斉に笑顔になった。

 
 こちらは鵜沼の卯之吉の実家である。卯之吉は縞の合羽を回し掛けて三度笠を被り、飛び出して行こうとしたのを亥之吉が止めた。
   「卯之吉待て、お前のことは、このわいが全財産を投げ打っても護ってみせる」
   「兄貴には迷惑ばかりかけていますが、今度ばかりはそうもいけません」
   「わいは堅気の商人やさかい兄弟の杯こそ交わしていないが、親の血を引く兄弟よりも、堅い契りの義兄弟やないか」
   「歌の文句ですか?」
   「あほ、この時代にこんな歌があるかい」
   「おふくろ、お宇佐、この亥之吉兄いがきっと悪いようにはしないと思うからな」
   「勝手に決めつけやがって、わいは知らんと言えば、どうする気や」
   「兄ぃは、そんな人じゃない」
   「どついたろか、それにわいはお前より一ヶ月遅く生まれとるのや、勝手に兄いにしやがって」
   「それなら元に戻って、親分、後を頼みます」
   「待て、待て、待てと言うのに、このまま番所に駆け込んだら、代官所に連れていかれてお裁きもせずに即刻首を落とされるのやで」
 お宇佐が、「わっ」と泣き伏した。卯之吉のおふくろも、お宇佐に覆い被さって嗚咽した。
   「大丈夫や、わいにはもう一人義兄弟みたいなお人が信濃の国に居なさる」
 亥之吉は、上田藩のお抱え医師で、頼り甲斐のある男、緒方三太郎のことを言っているのだ。この男は、江戸の町人の子供で、ある長屋に住んでいたが、四歳のおりに母は家出をして、父に捨てられた。その子を拾ったのが当時の佐貫三太郎、今の水戸の診療院および緒方塾の医師緒方梅庵である。

   「卯之吉、おふくろさんを負ぶって行け、わいはお宇佐さんを負ぶって行く」
   「何処へ?」
   「わいの命の恩人、緒方三太郎はんのところや」
   「親分は、おふくろを背負ってくだせえ、あっしは妹を背負います」
   「それはまた何でや」
   「親分はスケベですから…」
   「こんな気忙しいおりに、なにを暢気なことを言うとるのや」
   「お宇佐、亥之吉親分にはなあ、若くて綺麗な奥さんが居なさるのだ」
   「この際、そんなことは関係ないやろ」
   「からだをくっつけあって、お宇佐が惚れちまったらいけませんから…」
   「こいつ、絶対どつく(殴る)、わいの楽しみ奪いやがってからに」
   「それ見なさい」
 お宇佐が突然泣き止んで亥之吉に言った。
   「わたし、歩けます」
   「ガクッ」

 
   「三太、来ておくれ」
 江戸は福島屋の女将、お絹が三太を呼んだ。
   「へえ、何の御用だすか?」
   「大江戸一家まで、ご注文の塩を届けてきなはれ」
   「へーい、行って参ります」
   「これ、何も持たずに行くつもりか?」
   「そうだした」
   「担げるようにしてありますから、子供でも持ち上がります」
   「うわぁ重たい、こんなにたくさんの塩を何に使いますのやろ」
   「そら、お清めに使ったり、大勢の賄い料理に…、そんなことどうでも宜しい」
   「へい、行ってきます」
   「荷を渡したら、さっさと寄り道せんと戻ってきなはれや」
   「そやかて、わい文無しで、何処へも寄り道するとこあらしまへん」
   「帰りは御代を頂戴するやないか、愚図愚図言わんと、早う行きなはれ」
   「そんなー、わいがお店の金を横領すると思うてなさるのか」
 三太は、ぶつくさとぼやきながら出て行った。
   「からの大きな真吉はんに頼めばええのに」

 三太が歩いていると、三河屋の小僧である三太より年が三歳上の磯松が声をかけてきた。
   「三太、店のお使いか?」
   「そうやねん、磯松もか?」
   「旦那の妾の家まで、着物を届けに行くのだ」
   「へー、女将さんにみつからへんのか?」
   「女将さんの認めた妾だから、内緒じゃないのだ」
   「女将さん、妬かへのか?」
   「全然、この着物も女将さんが仕立てたのだ」
   「変な夫婦」
   「そんなことない、どこでも女将さんと妾は仲がいいのだよ」
   「ほんとかなあ」

 道が同じらしくて、二人はずっと同じ道を行く。
   「三太の荷物は、重そうだなあ、代わってやろうか」
   「え、ほんまか?」
   「ほら、一度荷をおろしな」
   「ふー、助かった、悪いなぁ」
   「いいよ、どこまで行くの?」
   「お得意さんの大江戸一家までや」
   「えっ、怖そうなお得意さんやなぁ」
   「何で?」
   「指を詰められたりしないのか?」
   「何で注文の品を届けに行って、えんこ詰めされなあかんのや、しかもわいは子供やないか」
   「恐いあんちゃんが大勢居るのやろ?」
   「居るけど、みんな優しいで」

 他愛ないのか、恐ろしいのか分からない話をしながら、暫く肩を並べて歩いていたが、途中の分岐路まで来ると、「おいらは、こっちへ曲がる」と、磯松が背の荷物を下ろした。
   「うん、ほんならまたな」
 二人は別れた。

 三太は大江戸一家の門前に着いた。
   「あのー、卯之吉さ…、あっ、そうや卯之さんはもう居ないのや」 
 三太は、ちょっと寂しさが湧いた。
   「あのー、福島屋ですがー」
 若い下っ端の者が出てきた。
   「おお、三太か、何だ?」
   「塩を届けに来ました」
   「そうか、そうか、それはご苦労だった、まあ上がってお菓子でも食べて帰れ」
   「それが、時間がかかったら、女将さんに怒られるので、直ぐに帰ります」
   「そうか、それならお菓子は紙に包んでやる」
 若い下っ端は、姐御から代金を受け取りに奥へ入っていき、暫くして出てきた。
   「三太、姐御が三太に用があるそうだ、用が済んだら俺が店まで付いて行って女将さんに訳を言って謝るからいいだろ」
   「それならええわ」
 奥座敷に通されると、姐御が待ち受けて居た。

  第十九回 美濃と江戸の師弟(終)-次回に続く- (原稿用紙11枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十八回 卯之吉今生の別れ?

2014-12-21 | 長編小説
 お定が放免された数日後、木綿問屋三河屋の主人善右衛門が女中お定を連れて三太の元へやってきた。
   「申し訳おまへん、主人の亥之吉は生憎故郷へ帰る友達を送って行き、留守でおますのや」
 女房のお絹と小僧の三太が頭を下げた。
   「いやいや、この際亥之吉さんはどうでも宜しい、三太さんにお礼をしたくて参りました」
   「お定ちゃん、えらいめに遭いましたなァ」
 三太が大人の口調で慰めた。
   「有難う御座います、三太ちゃんのお陰で命が助かりました」
   「うん、ええよ、困ったことが有ったらいつでもおいで」
 お絹が笑って言った。
   「まあ、偉そうに、一端(いっぱし)の大人になったつもりや」
   「三太さんは、他の大人より頼りになります」
 お定は言って、はっと気づいた。善右衛門をみて軽く頭を下げた。

   「お礼の気持ちに添えて、これは些少ですが縁日に飴でも買ってください」
 善右衛門から三太へ紙に包んだ小判らしきものが渡された。
   「だれが縁日で飴買うのや、わいはそんなガキやあらへんで」
 お絹が「ぷっ」と、噴出し笑いをした。
   「こんな子供にお駄賃をやって頂けるのなら、五文か十文で宜しおます」
   「まあまあ、そう仰らずに受け取らせてやってください」
   「そうだすか、それでは無理にお断りするのも失礼だす、三太、頂いときなはれ」
   「へえ、旦那さん有難う御座います」
 善右衛門は笑っていたが、ふと真顔になった。
   「ところで、亥之吉の帰りが遅いようですが、どこまで送って行ったのでしょうね」
   「それが、友達の実家までらしいのだす」
   「お近くですか?」
   「美濃の国は鵜沼だす」
   「・・・」


 亥之吉と卯之吉は、東海道宮宿から脇街道である美濃路に進路をとり、木曽街道の垂井の宿を経て鵜沼宿に着いた。
   「ここから山に向けて一里程歩いたところの集落に、あっしのおふくろと妹が住んでおりやす」
   「ふーん、えらい山の中だすなァ」
   「そうです、親父が亡くなった後、無事に居てくれるといいのですが…」
   「誰が知らせてくれたのだす?」
   「集落の若い衆が百姓を嫌い、あっしを頼って大江戸一家に草鞋を脱ぎやした」
   「その人が出てくるときには、母子は達者やったのだすな?」
   「それが、業突く張りな集落の村役人に、あっしの親父が借金をしていたとかで、酷い取立てに遭っていたそうです」
   「それは心配だす、早く行ってやりましょう」

 卯之吉の実家に戻ってみると、母親が独りで煎餅布団に包まって寝ていた。食べるものは食べているらしく痩せ衰えてはいたが、卯之吉に気付いたようであった。
   「お宇佐はどうした? 妹のお宇佐は…」
 話す前に、おふくろの目からぽろりと涙が零れた。亥之吉には、悲しくも悔しい涙のように思えた。
   「食べる物は、誰かが持ってきてくれるのか?」
 母親は黙って頷いた。近くに住んでいる者が、毎日持ってきてくれるようであったが、それを最近村役人に知られ、咎めをうけたそうである。村役人は、この母親の死を待っているように思える。

 家中を探してみたが、食べ物はなにも無く、近くの人が食べ物を運んでくれなくなると、母親は餓死せざるを得ない状況で、ここ二・三日は何も食べていない様子であった。
   「事情を訊くのは後回しや、とにかく暖かい粥でも作って食べさせよう、卯之吉、この近くに食べ物を売る店はあるのか?」
   「一里戻って、鵜沼の宿場町に出れば何かあります」
   「一里か、時間がかかるなァ、近くの民家を回って何か分けてもらおう」
   「あっしが行って来やす」
   「いや、やくざ姿で行ったら警戒しよる、わいが行って来る、卯之吉は火を焚いて支度をしていてくれ」
 亥之吉は傍らにあった竹の背篭を背負って駆け出して行った。

 しばらくしてお湯が沸いた頃、亥之吉は戻って来た。
   「わいらの食べるものも、分けて貰ってきたで、早う粥を炊いて食べさせよう」
 亥之吉も甲斐甲斐しく働いて、卵粥を卯之吉の母親に食べさせてやった。
  
 翌朝になって、母親は病の所為で起き上がれないまでも、ようやく元気を取り戻し、事情を話してくれた。
   「お父うはんなァ、何も借金など残して死んでおらん」
   「そうだろうなァ、親父は借金をすることは大嫌いで、真面目に黙々と働いていた」
 亥之吉が、卯之吉の背中を指で突いた。
   「妹のことを訊かんかいな」
 母親のことが心配で、お宇佐のことを忘れていた卯之吉が気付いた。
   「お宇佐はどうした?」
   「借金の形に、村役人に連れて行かれた、女中として扱き使われて、役人の慰み者にもされていることじゃろう、可哀想に…」

   「卯之さんや、ちと懲らしめてやりましょう」
   「へい、真相を確かめて、指の一本も圧し折ってやります」
   「あまり手荒なことはしないで、腕の一本にしておきまひょ」
   「余計手荒じゃないですか」

 村役人の屋敷を訪ねると、用心棒かと思われる腰に長ドスを差した屈強な男が立ちはだかった。
   「誰だ、何の用だ」
   「へえ、江戸の商人(あきんど)でおます」
   「嘘をつけ、言葉は上方訛りじゃないか」
   「生まれも育ちも上方で、いまは江戸へ出て商いをやっております」
   「その商人が、何の用だ」
   「お宇佐さんに会いに来ましたんや」
 男は両手を真横に広げた。
   「会わせる分けにはいかん、帰れ!」
   「こちらに控えるのはお宇佐さんの実の兄貴だす、どうか会わせてやってください」
   「兄だろうが弟だろうが、会わせる分けにはいかん」
   「それは、何でだす?」
   「何でもよい、帰れ、帰れ」
   「ははあん、何かあくどいことをして無理矢理手に入れましたのやな」
 屋敷の内から主とみられる村役人が出てきた。
   「どうした、何を騒いでおる」
   「はい、お宇佐に会わせろと言っております」
   「お前たちは何者だ」
 卯之吉は憮然として言った。
   「お宇佐の兄だ」
   「お宇佐は、貸した金の形にわしが貰ったものだ、わしが断わる、兄とて会わせる訳にはいかん」
   「何でだす? 遠い江戸から会いに来たものを追い返すとは」
   「煩い! 足腰が立てる間に、温和しく帰った方が身の為だぞ」
   「それは脅しだすか? 脅しを恐れるようなわいらと違いまっせ」
 村役人は、屋敷の奥に向かって大声で使用人たちを呼び寄せると、三人の男が飛び出して来た。
   「こいつらを痛い目に遭わせて、外へ放り出せ」
 都合四人の男たちが亥之吉と卯之吉を取り囲んだ。亥之吉は天秤棒を両手に持ち直し、中段で真横に構えた。卯之吉は、落し差しの長ドスの柄に手にかけて亥之吉の後ろで構えた。
   「遠慮いらん、こいつが長ドスを抜いたら、殺してもよいぞ!」
 村役人の命令に、男たちは奮い立った。だが、直ちに一人の男が悲鳴を上げた。その間に、亥之吉と卯之吉がくるりと入れ替わった。
 その瞬間、またしても一人の男が、空に呻き声を残してストンと崩れ落ちた。
   「おのれ!」
 後から出てきた三人の内の最後の男が、短ドスを振り回して亥之吉に突進してきた。亥之吉は天秤棒の先でドスを掃い、天秤棒をくるりと回して反対側の先で男の横っ腹を打った。
 残ったのは、一番強そうな用心棒風の男である。この男には卯之吉が長ドスを抜いて男の攻撃に備えた。男も長ドスを抜いて卯之吉の胸を突き立てようとしたが、男の右横から亥之吉が天秤棒で長ドスを持つ両手をしこたま打ち据えた。
   「わいが相手や、かかってきやがれ」
 一旦、怯みはしたものの長ドスを持ち直すと、上段から亥之吉の肩先を向けて斬り込んできた。
 亥之吉は横にすっ飛んでドスを交わすと、天秤棒の角が男の脳天を打ちつけた。男は真後ろに倒れて頭を土に打ち付け気絶した。
   「わっ、堪忍や、つい本気になってしもうた」
 一方、卯之吉は村役人に長ドスを向けて声を荒げた。
   「お宇佐はどこに居る、隠すとこのドスがお前の腕に食い込むぜ」
   「わかった、今案内する」
 案内されたところは、座敷牢であった。どうしても言うことを聞かないために、お宇佐は牢に入れられていた。
   「お宇佐か? そこに居るのはお宇佐なのか?」
 牢の中の女が振り向いた。
   「あっ、兄ちゃん、卯之吉兄ちゃんが来てくれたのか? これは夢に違いない」
 意識が朦朧としていたのか、お宇佐はうわ言のように呟いた。
   「夢と違う、兄の卯之吉が助けにきたのだ」
 食べる物は与えられていたようで、やせ衰えてはいないが、もういく晩も寝ていないらしくて、頭がふらつき、視線が定まらないお宇佐であった。
   「兄ちゃんが来たからには、安心しろ、もう大丈夫だ」

 まだ使用人が居たらしく、亥之吉は三人の男と闘っていた。やがて静かになり、村役人が亥之吉を諭す声に変わった。
   「まっ、待ってくれ、お宇佐は返すから殺さないでくれ」
   「金は、わいが返してやる、お宇佐の父親が借りた金は幾らだ、証文をこれに出せ!」
   「済まん、あれは嘘だ」
   「嘘をついてお宇佐さんを手に入れたのか」
   「お宇佐に惚れたもので、どうしても手に入れたかった」
   「お宇佐さんを手に入れて、残された母親のことは考えてやれなかったのか?」
   「母親は、どうせ病気で直ぐに死ぬのだから…」
   「それで放ってお置いたのか」
 卯之吉は、村役人のその言葉を聞いて逆上した。
   「殺してやる」
 卯之吉は村役人の左胸に長ドスを向けた。
   「卯之吉、やめろ!」
 亥之吉は止めたが、卯之吉のドスが村役人の左胸を貫く方が早かった。村役人の「うっ」と呻く声を聞いて卯之吉はドスを引き抜くと、血飛沫をあげて村役人は仰向けにどっと倒れた。
   
 卯之吉は呆然と、亥之吉は唖然として佇んでいたが、亥之吉が先に口を開いた。
   「卯之吉、とうとう殺ってしもうたなァ」
   「これが最初で、最後です」
   「卯之吉、最後てどうする気や?」
   「こんなやつに生きていられては、この集落はこやつに何もかも吸い尽くされてしまいます」
   「そやから、どうするねん?」
   「あっしはこの足で自訴します」
   「おっ母さんとお宇佐さんの面倒は誰が見る?」
   「兄ぃ、後生です、どうかお願いします」
   「こら、勝手なことをぬかすな、せっかく息子に会えたのに、それでおふくろさんの気が休まると思うのか」
   「済まんことしました」
   「お宇佐さんも、兄貴に助けてもらったのに、もう今生の別れなんて悲し過ぎるやろ」
   「あっしは、どうすればいいのでしょう」

  第十八回 卯之吉今生の別れ?(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)
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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十七回 三太の捕物帳

2014-12-08 | 長編小説
猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十七回 三太の捕物帳
2014-12-08 | 長編小説

 ある朝、三太は店の表を掃き少量の水を撒いていると、福島屋から十町先の木綿問屋三河屋の女中である顔見知りのお畝(うね)が三太に会いにやって来た。
   「三太さんに助けて欲しいと思い、やって来ました」
 慌てて来たのか、まだ髪も整えていないらしく、鬢(びん)のほつれが風に揺れていた。
   「お畝さん、何があったのですか?」
   「今朝早くお役人が来て、一ヶ月前にお店に雇われたお定ちゃんが連れていかれたのです」
   「何の罪で?」
 聞き質すと、昨夕お定が見知らぬ若い男に、さかんに手で合図を送っているのを店の番頭が目撃していた。それを番頭が旦那に話したところ、いま江戸の町に出没している夜盗の仲間ではないかと疑われ、お役人に連絡されたものだ。お定は仲間を手引する為に、一ヶ月前に潜入したものだと勘ぐられたのだ。
   「お定ちゃんは今頃、南町奉行所で『仲間の居場所を吐け』と拷問を受けているに違いない」
 畝は涙ながらにそう話した。
   「それでお畝さんは、お定さんを盗賊の仲間ではないと思っているのですな?」
   「はい、あんな素直で優しい娘が、盗賊の仲間であろう筈がありません」
   「たった一ヶ月一緒に働いただけで、そう言いきれるのですか?」
   「私の勘ですけれど…」
   「盗賊の仲間でないと言う証拠はないのですな?」
 お畝は、黙って頷いた。三太は考えた、合図を送った相手の男は誰だったのであろうか。また、声を出さずに手合図で何かを伝えていたと言うのだから、見知らぬ他人ではなかろう。これは、疑われても仕方がないことだと口には出さなかったが三太はそう考えた。とは言え、お定と言う名に、濡れ衣を着せられて刑場に散った兄の定吉を思い出し、無実であれば必ず助けてやらねばと、心に誓う三太であった。

 三河屋の主人善右衛門は、亥之吉と気が合うらしく、親しくしていた。特に猜疑心の強い男でも、意地の悪い男でもない。ただ家族や店の者たちの命を護りたい一心なのだ。

   「女将さん、三河屋のおなごし(女中)さんが、わいに助けて欲しいと来ています」
 三太が今聞いた事情をお絹に話すと、お絹は「行ってきなはれ」と店を離れることを快諾した。
   「旦那さんが居たら、自分が飛んで行くところやが、三太、頼みまっせ」
   「へえ、真意を確かめて、お店を護ってきます」
 お絹は三太を見送りながら、「ほんまに頼もしい子になったなぁ」と、目を細めた。


 三太は三河屋善右衛門と、お定が不審な男に手合図を送っているところを目撃した番頭に会った。
   「三太さん、よく来てくれました」
 旦那から詳しい話を聞けば聞くほど、三太はお定と見知らぬ男が怪しく思えて仕方がなかった。

   「わあ、南の月番かァ 北町やったらお奉行さんとも顔見知りやのに」
 これから南町奉行所へ行き「お定さんに会いたい」と言っても聞いてもらえる訳がない。だが、会わぬことには何も掴めない。ここは、木曽の中乗り新三こと、守護霊新三郎に頼るしか手がない。
   「新さん、なんとかお定さんの心を覗けませんやろか」
   『三太は、南町奉行所へ行き、門番に話しかけてくだせぇ』
   「その間に、新さんは門番に憑き、そのうち帰ってくる与力か同心に移る」
   『順に移って、最終的に牢番に辿り着けばしめたものだ』
   「もし、お定さんが盗賊の仲間だったら?」
   『お定さんはそのままにしておいて、三河屋を護りに行かねばならない』
   「南町は、わいの話を聞いてくれるやろか?」
   『聞いてくれないだろうね』
   「ほな、わいらで三河屋を護ってやらねばならないのですな」
   『相手は多勢だ、店の者が何人か犠牲になるかも知れぬ』
   「北の長坂さんに出張(でば)ってもらう訳にもいかないし…」
   『あっし等でなんとかしやしょう』
   「なんとかって?」
   『お店の衆と小判を別蔵に隠しておくと、押し入った盗賊たちは店の衆が誰も居ないのを怪しんで逃げて行くでしょう』
   「逃げなかったら?」
   『あっしは盗賊の鍵師に移り、刻(とき)を稼いで蔵を護る』
   「わいは、その間に番所に駆け込めばええのか」
   『その前にしておくことがある』
   「何です?」
   『南町与力のだれかに、予感させておくことだ』
   「予感?」
   『今夜、三河屋に押し込み強盗が入るぞと予感させておくと、手柄を立てたいがために、三河屋の近くの番屋に捕り方を待機させ、夜回りもさせるでしょう』
   「そこへ、隠れていたわいが飛び出して、夜盗やーと叫べばええのやな」
   『そうです』

 
 作戦開始である。まず南町奉行所へ行き、お定の心中(しんちゅう)を探ることだ。三太は奉行所の開いた門前で門番に話しかけた。
   「こらっ、ここを何処だと心得る、子供の遊び場ではないわ」
   「あ、すんまへん、お牢のお定さんに会いたいのですが…」
   「まだお調べも終っていない疑い者に、会わせる訳にはいかん」
   「いつ会えるのです?」
   「お裁きが終わり、刑が決まった後じゃ、それにしても子供を入れる訳にはいかないぞ」
   「ふん、ケチ」
 その間、新三郎が門番の一人に移った。三太は諦めたふりをして奉行所から離れた。暫くすると同心が目明しを連れて奉行所の門を潜って奥に消えた。もちろん新三郎は同心に移ったに違いない。

 一刻(2時間)近くして、やっと新三郎が別の同心に付いて外へ出てきた。
   『三太、三河屋の言うことは、検討違いだったようだ』
   「お定さんは、無実だすか?」
   『そうだ』
   「では、お定さんが手合図で何かを伝えたのは何の為だす?」
   『あの男は、お定ちゃんの同郷の男で、耳が不自由なのだそうだ』
   「それで手で話を伝えていたのですか」
   『そのようだ』
   「盗賊騒ぎは、三河屋善右衛門さんの深読みし過ぎだしたか」
   『ところが、そうとも言えないのだ』
   「どうしてだす?」
   『南町役人が予測している夜盗の目標の中に、三河屋も入っているのだ』
   「作戦は続けるのですか?」
   『続けるが、その目標の中に福島屋も入っている』
   「こうしては居られまへん、わいお店に帰りますわ」
   『そうすると、三河屋に夜盗が押し込めば、皆殺しにされるやも知れない』
   「えーっ、どうしたらええのや」
   『福島屋には手引をするものは居ない、みんな二年以上も奉公している者ばかりだし、一番新しい真吉は夜盗の仲間ではない』
   「何でだす?」
   『徒党(ととう)を組む盗賊の一人が、腹を減らして単独で盆栽を盗んだりはしないだろう』

 新三郎は三河屋に出向き、お定以外で最近奉公に来た人物は居ないか尋ねてみようと思った。

   「そこに居ます、お定と同じ日に口入れ屋の紹介で来た佳野というお定と同い年の女です」
 三太が善右衛門と話をしている隙に、新三郎は佳野の記憶を探った。

   『三太、手引は佳野ですぜ、やはり今夜は三河屋が狙いらしい』
   「福島屋は、狙われまへんか?」
   『三河屋を仕損じて逃げたとしても、十町走る間にあっしが一人また一人と、順次遣っ付けてやりやしょう』
   「では、直ぐにお店の衆を集めて、わいが説明します」
   『佳野から仲間に漏れないように、夜中まであっしが佳野に憑いて見張りましょう』

 皆殺しにされる恐れがあると分かると店の衆は慄いたが、逃げ出したいと申し出る者は一人も居なかった。粛々と千両箱を金蔵から空き蔵に移し、深夜四つ半(午後10時)になるとみんな揃って空き蔵に入って押し黙って刻を過ごした。三太は蔵に鍵をかけると、店の外に隠れて待機した。新三郎が佳野から離れると、佳野は思い出したように「厠(かわや)へ行きたい」と、泣き始めた。仕方なく蔵から出してやったが、新三郎が再び佳野に憑いたことは言うまでもない。

 佳野は、自分の髪から櫛を外して厠の小窓から塀を飛び越えて外へ投げようとした。その瞬間、佳野はふらっと蹌踉めき、櫛を厠の中に落とした。これは新三郎の仕業である。

 案の定、夜盗はやって来た。一人が野犬の遠吠えを真似て佳野に合図を送ったが、佳野は出てこなかった。不審に思ったが、身軽い男に塀を乗り越えさせて、中から戸を開けた。
   「佳野はどこいる?」
 探したが佳野は居ず、夜働きの中止合図と決めておいた櫛も見当たらない。夜盗の一団は手引なしで蔵を探し当て鍵師に開けさせたが、千両箱は無かった。他の蔵も開けて見た、三つ目の蔵を開けさせようとした時、鍵師は眩暈がして倒れた。
   「どうした、早く開けないか」
 この時点の鍵師は、新三郎の魂と入れ替わっていた為、起き上がって鍵を開けようとする仕草をしたが開けなかった。その頃、三太は夜回りに知らせると共に、番所へ走った。やがて捕り方が三河屋に駆け付け、夜盗は全てお縄になった。

   『もう済んだ、三太帰ろう』
   「うん」
 月は傾き、夜明けが近いと教えていた。風が三太の頬に少し冷たかった。


 後日にも三太に南町奉行からの労いの言葉も礼もなく、予感が当たった与力のお手柄になったようだ。

 それでも、お定はお解き放しになり、佳野も手引をするに至らなかった為にお縄になることもなく、三河屋の女中を止め、故郷へ帰って行ったことを嬉しく思う三太であった。

  第十七回 三太の捕物帳(終)-次回に続く- (原稿用紙13枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十六回 土足裾どり旅鴉

2014-12-04 | 長編小説
 福島屋亥之吉の弟分である大江戸一家の代貸、鵜沼の卯之吉が足を洗って故郷の鵜沼へ帰る挨拶に来た。生憎、亥之吉は留守の為に会うことが出来なかった。明日の早朝に出立するという卯之吉を亥之吉旦那は見送ってやることも出来ないかも知れない。
 三太は気を揉んで、一夜、旦那の帰りを寝ずに待つことにした。亥之吉旦那のことである。卯之吉が足を洗うのを喜び、路銀や堅気に成る為の金子(きんす)は持たせてやりたいと思うに相違ない。

 四つ刻(午後九時)になって、ようやく戸を叩く音が聞こえた。
   「わしや、誰か起きているか?」
   「旦那さんだすか?」
   「そうや、三太か? はよう開けとくれ」
   「へえ、ただいま」
 閂を外して戸を開けると、酒臭い旦那が倒れ込んできた。
   「この時間まで、何処へ行ってなさったのや?」
   「お絹の真似するな」
   「それより、大変だす」
   「何が?」
   「卯之の兄ぃが、鵜沼へ帰るらしいだす」
   「いつ帰るのや」
   「明日、明け六つに発つそうだす」
   「ええっ? えらい急やないか」
 三太は、卯之吉から聞いた事情を話した。
   「そうか、お父っつあんが亡くなったのか、確かおっ母と妹がおったな」
   「さいだす、それで放っておけないので博打打ちの足を洗って故郷へ帰るそうだす」
   「そうか、こうしては居れない、直ぐ大江戸一家へ行ってくる」
   「だんさん、三太がお伴します」
   「あかん、泥棒が押し入ったら、店の者を護ってやってくれ」
   「ほな、留守番しときます、わいがお奉行の奥さんに貰ったニ両を卯之吉兄いにあげとくなはれ」
   「よっしゃわかった、何や一遍に酔いが醒めてしもたなァ」

 亥之吉は、妻のお絹を起こすと百両の金を出させて、懐に突っ込んだ。
   「そんな大金を持たせて大丈夫だすか? 卯之吉さん、喧嘩に弱い言うてたやないか」
   「喧嘩に弱い言うても大のおとなや、自分の身くらい自分で護れるやろ」
 言いながら、山賊に襲われる卯之吉を想像して、亥之吉旦那、ちょっと不安になって来た。
   「なあお絹、そこらまで送って行ってやっても構へんやろか?」
   「大事なお友だちだすよって、やっぱり心配になって来ましたな」
   「杯を交わした義兄弟みたいなものだす」
   「あんさんは堅気でっしゃろ、それが杯を交わしたのだすか?」
   「そやから、みたいなもんやと言うてますやないか」
 亥之吉は、どこまでかは言わなかったが、日本橋辺りまでだろう、送って行く気になっているようである。
   「また、卯之さんと連(つる)んで博打をしたらあきまへんで」
   「卯之吉のことや、するかも知れん」
   「やめときなはれ、折角持たせた金子が無くなってしまいますがな」
   「それは大丈夫や、卯之吉は博打には強い男やさかい」
   「博打に強いて、どう強いのだす?」
   「まず、いかさまを見抜く目が良いこと、それと勝負勘の良さ、運を味方に付ける神技や」
   「卯之さんも、たまにはいかさまをしはりますのやろ?」
   「それは絶対無い、あの男も大江戸一家も真っ正直や」
   「きっぱりとそう言えるのは、あんさんも博打やってはりましたな?」
   「わしは、賭け事は嫌いや、ほな送ってくる」
 亥之吉はそう言うと、暗闇の中へ消えて行った。


 亥之吉は、大江戸一家の門を叩いた。
   「福島屋亥之吉でおます、鵜沼の卯之吉に会いに来ました、ここをお開けください」
 もしかしたら亥之吉兄ぃが来るかも知れないと思っていたので、真っ先に卯之吉が気付いた。
   「へい、亥之の兄ぃですか、今開けます」
 卯之吉は、よく寝ていなかったようである。
   「もう、会えないかと思っていました」
   「わしも、今夜は女の家に泊まるつもりやったのやが、何やら胸騒ぎがして帰ってみると、三太が『大変だす』と言うから『何が?』と尋ねたら『卯之の兄ぃが、鵜沼へ帰るらしい』と、わしが帰るのを寝ずに待ってましたのや」
   「三太は優しい良い子ですね」
   「そやろ、わしもそう思うている」
   「亥之の兄ぃには、色々お世話になっているのに、恩返しの一つもできずに、心苦しく思っていやす」
   「いいや、博打打ちの足を洗って堅気になるのが何よりも嬉しいことや」
 亥之吉は懐から百両を出して卯之吉に渡した。
   「それからこの二両は、三太が北町奉行の奥方に頂いたものや、路銀の足しにしてやって欲しい」
   「大江戸の貸元にも頂いておりやす、どうかお気遣いなく、三太にも返してやってくだせえ」
   「そんな可哀想なことを言いなさるな、折角卯之の兄ぃに使って貰いたいと渡してくれたのに」
   「亥之吉兄い、あっしがそんな大金を持って歩けば、山賊に襲われて奪われてしまいまさあね」
   「卯之吉安心せい、わいが鵜沼まで付いて行ってやる」
 咄嗟に出た言葉ではない。三太に事情を聞いた時点で思ったことだ。
   「えっ、本当ですか? 商いに忙しい亥之の兄いがですか?」
   「そうや、お店の護りは三太が居るし、男手も何人か居るのでわしが店を留守にしても心配はおまへん」
   「最近は、非道働きをする盗賊が江戸の町に出没していると言うじゃありませんか」
   「三太も行くと言うたのやが、それを考えて留守番をさせたのや」
   「三太でお店が護れますかい?」
   「大丈夫だす、此頃はわいよりも強くなりよった」
   「へー、それは頼もしい」

 その夜は、亥之吉も大江戸一家に泊まり、翌朝、卯之吉と亥之吉は、貸元、代貸達に送られて江戸を発った。何年ぶりの卯之吉との旅であろうか。
   「どなたさまも、お世話になりました、卯之吉これにて…」
 縞の合羽に三度笠、長脇差一本、草鞋を履いて土足裾どり、『おいとましやす』と、きりりと決めた卯之吉と肩を並べているのは、商人姿で天秤棒を担いだ、商人か百姓か分からぬ冴えない男である。
 少し前に京へ行って帰ってきたばかりの呑気な亥之吉は、東海道草津追分を経て、鵜沼まで行った帰りは、信州上田藩の医師緒方(もと佐貫)三太郎に会ってから、小諸藩士山村堅太郎を訪ねる積りであると、亥之吉はこっそり三太に告げていた。

 
 庭掃除をしている三太の元へ、お絹が近付いて言った。
   「だんさん、卯之吉はんを何処まで送って行ったのだすか?」
   「美濃の国、鵜沼の卯之兄ぃの郷までだす」
   「アホかいな、なんぼ大事な友達やからと、そこまではやり過ぎだす」
   「その後、信濃の国の上田藩まで足を延ばして緒方三太郎先生に会って…」
   「まだ、どこかに行きますのか?」
   「へえ、おなじく信州小諸藩士の、山村堅太郎さんに会うそうだす」
   「よっぽど旅が好きか、お店での仕事が嫌いかだすなァ」
   「旅が好きなんだす、わいもそうですけど」
   「そやけど、うちの旦那と卯之吉はん、可怪しいのと違いますか?」
   「おかしいって? 男色だすか?」
   「違いますがな」
   「そうでっしゃろな、あの女好きのスケベ親父が男色である筈がない」
   「これ三太、まがりなりにも、亥之吉はお前の主人で師匠ですやろ、女好きのスケベ親父とは言い過ぎだす」
   「あ、すんまへん、つい心の中で思っているもので…」
   「普通やったら尊敬せなあかんのに、いつもそんなふうに思っているのか?」
   「へえ」
   「亥之吉は三太のこととなったら一生懸命やのに、亥之吉が可哀想…」
   「その話はこっちへ置いといて、どこがどう可怪しいのだす?」
   「博打だす、卯之吉さんが博徒から足を洗うわけがない」
   「卯之の兄ぃは、多分子供の頃に可愛がって貰った鵜沼一家の貸元と親分子分の杯を交わすに違いおまへん」
   「そやろ、お母はんや妹はんの面倒がちゃんと見ることが出来るのか心配だす」
   「それは、旦那さんが卯之の兄いに言って聞かせると思います」
   「さあ、それやが、亥之吉も一緒に鵜沼一家の貸元と、杯を交したりしまへんやろか」
   「あははは、それはおまへんやろ」
 亥之吉は江戸で店を持ち、二年間商いの腕を磨いたら浪花へ戻ると言っていたのに、二年が三年経っても江戸に居続けている。浪花へ戻るのは止めたのであろうか、未だに大江戸一家と繋がっているのは、卯之吉が居たからではなかったか。お絹は余計な心配までしている。
   「けど女将さん、旦那さんは博打のことは何も知らはらしませんで」
   「そやった、そやった、わたいの知る限りでは、博打はしたことがおまへんわ」

 亥之吉はお江戸日本橋を過ぎたところで、くしゃみを一つした。

  第十六回 土足裾どり旅鴉(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十五回 立てば芍薬

2014-12-01 | 長編小説
猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十五回 立てば芍薬
2014-12-01 | 長編小説

 ある日の昼下がり、年の頃なら十四・五というところだろうか。早くも女の色香を漂わせた武家娘風体の女が、ばあやと思しき女を従えて福島屋へやってきた。店先では、亥之吉が帳簿を付けており、横から一番番頭がそれを覗きこんでいた。
   「ご主人の亥之吉さまでいらっしゃいますか?」
   「へえ、そうだす、わてが亥之吉でおます」
   「わたくしは、北町奉行井川対馬の娘、糸路ともうします」
   「これは、これは、お嬢様、ようこそいらっしゃいました」
 奉行の娘だけあって、気品が高く「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿が百合の花」を地でいったように美しい。
   「三太さんはいらっしゃいますか?」
   「三太にご用でしたか、只今呼びに行かせます」

 三太が番頭に連れられて出てきた。
   「わいが三太でおます、何かご用でも?」
 糸路は驚いた。自分よりも遥かに年下の子供が、弟の命を救ったばかりか、裁かれて斬首刑と決まった下手人の身柄を捕り抑え、しかも商家から奪った千両箱まで取り戻した豪儀の男だとは信じられなかったのだ。
   「この度は、誠に有難うございました、聞けば父は碌にお礼も言わぬまま三太さんをお帰ししてしまったようで、わたくしが奉行に成り代わりましてお礼に参りました」
   「お礼など…」
 言いかけた三太の言葉を、亥之吉が遮った。
   「お礼などと、とんでもありまへん、三太は当たり前のことをしただけでおます」
 三太、膨れっ面。
   「どこが当たり前のことですねん」
 亥之吉は、お嬢さんに自ら座布団を進め、番頭にお茶と茶菓子をお出しするように言い付けた。亥之吉の心の中では、お祭り騒ぎなのだ。
   「美人に弱い、どすけべ」と、三太の心の内。
 亥之吉、娘にお伴がいることなど、気も付かない様子である。
   「三太、お嬢さんの前でうろうろしていたら邪魔やないか、隅っこで温和しくしてなはれ」
   「そやかて、お嬢さんはわいに礼を…」
   「三太、お買い物のお客様が、お待ちになってはりますやないか、早やくお相手をしなはれ」
   「もう、しゃあない旦那さんや、一人で大騒ぎしてからに…」
 三太が奥に入ると、亥之吉はお嬢さんに茶と茶菓子を勧め、談笑している。
   「そうだすか、三太がそんなに強かったか、わたいが丹精込めて指南した成果でおます」
   「三太さんに武術をご指南されたのはご主人でしたか」
   「へえ、そうだすねん、三太は、わたいがみっちり手ほどきしたもので成長したようだすなぁ」
 会話が途絶えたところで、娘が袂から袱紗(ふくさ)で包んだものを取り出した。
   「あのー、これはこころばかりのお礼でお恥ずかしいのですが、母から三太さんへと預かって参りました…」
   「これはご丁寧に有難うございます」

 亥之吉が娘を笑わせているらしく、暫くはころころと可愛い笑い声が三太に聞こえていたが、やがて静かになった。
   「ご馳走さまでございました、三太さんはお忙しいようですので、わたくしはこれでお暇(いとま)させて頂きます」
   「そうですか、それではわたいがお屋敷まで送って差し上げましょう」
   「いえ、それではあまりにも申し訳がございませぬ」
   「宜しいのです、美しいお嬢様の一人歩きは物騒ですから」
   「あのー、わたくしは一人で参ったのではありませぬ、ばあやと一緒です」
   「あ、婆さんが居たのですか、それはちっとも気が付きまへんでした、やっぱり事が起きたら、わたいの責任だすので、お送りさせて頂きます」
 奥で三太が呟いた。
   「何でやねん」

   「さあさあ、参りましょう」
   「そうですか、それではお言葉に甘えまして…」
 亥之吉は天秤棒を担いで、浮き浮きしながら先に立った。娘とばあやは、恥ずかしそうに後へ続いた。


 お奉行のお屋敷に着くと、すぐに奥方に知らされ、丁重に迎えられた。
   「まあ、送って頂いたのですか」
 奥方は玄関に正座をして、三指をついて迎えてくれた。
   「末息子の命を救っていただき、その上、使いに出した長女を送って頂き、有難う存じます」
   「いえいえ、ご子息さまの運がよかったのです、また、お力添えが出来る事がありましたら、仰ってください」
 すっかり自分が手柄をたてたような気分になり、手厚い饗応(もてなし)を受けて、上機嫌で引上げていった。
   「あのー、お母様、弟を助けて下すったのは、あの方ではなく小僧さんの三太さんですよ」
   「わかっていますよ、だけどあの方も頼りになりそうな善い人ではありませんか」
 母子の会話が余韻のように暫く続いた。



   「だんさん、お帰り」
   「旦那様、お帰りなさいませ」
 店先にいた使用人達が、てんでに声を掛けて亥之吉を迎える。その声を店の奥で聞いたお絹が顔を出した。
   「だんさん、お帰りなさい、あ、まだ日が高いうちから、お酒の臭いをさせておいでやないか」
   「お奉行の奥様にすすめられましてな、しょうこと(仕方)なしに…」
   「何のために、あんさんがお嬢様を送っていきやしたのだす?」
   「何のためやて、若い娘さんが護衛も付けずに町の中を歩いたら物騒やおまへんか」
   「三太を訪ねてきはったのやないか、そんなこと三太に任せたらええのとちがいますか」
   「三太では、心許ないやおまへんか」
   「いいえ、最近では三太の方がしっかりしています」
   「そんなことあるかいな、三太はまだまだ子供だっせ」
   「その子供の三太が、お奉行のお子を助けたのでっせ、あんさんやおまへんやろ」
   「そうやったかな?」
   「それに何だす、三太が頂いたお礼を、あんさんの懐へ入れたままやおまへんか」
   「あ、そうやった」
   
 亥之吉は、三太を呼んだ。
   「三太、ちょっとおいなはれ(来なさい)」
   「へーえ、旦那さん何だす?」
   「お奉行のお嬢様が、三太にお礼や言いなすってこれを置いて行きなはった」
   「小判だすか?」
   「そうらしい、これは二枚だすな」
 亥之吉は掌に乗せて、ちょいちょいと目方を量る仕草をした。
   「ふーん」
   「ふーんて、嬉しくないのか?」
   「何も使う当てがないので、別に嬉しくもありまへん」
   「そうか、おまはんもわしと同じで、欲が無いなぁ」
 お絹が口を挟んだ。
   「商人の癖に欲がないなんて、頼りおまへんなぁ」
   「アホぬかせ、強欲な商人(あきんど)はあくどい商売をしますやないか」
   「強欲になれとは言いません、商人は商人としての欲が必要だす、小判に興味がない商人など、商人ではありまへん、三太を立派な商人に育てるのでしたら、お金の使い方も教えなはれ」
   「そうか、ちょっと早いと思うが三太にも道場を持たせるか」
   「違いますがな、将来お店を持ったときの元手のために残して置くとか…」
   「へえ」
   「これ、待ちなはれ、『三太にも』と言うことは、あんさんまだどこぞに道場を作っておいでなはるな」
 秘密を持っても、すぐお絹にばれる亥之吉であった。

 
   「三太、手が空いていたら来ておくれ」
 ある日、亥之吉が留守のおり、お絹は三太を呼び寄せた。
   「女将さん、何だす?」
   「旦那さんが、また妾を囲っているようだす」
   「あ、赤坂のことだすか」
   「あんた知っていなさるのか?」
   「いえ、まだ行ったことはおまへんのやが」
   「さよか、ほんなら今度お伴したら、場所と女の名前を憶えてきておくれ」
   「血、見るのですか? チャンチャンバラバラ…」
   「かも知れんなぁ」
   「うひー、辰吉坊っちゃんと一緒に見物や」
   「アホ、辰吉の前で喧嘩なんかするものか」

 
 その夕暮れ刻(どき)、大江戸一家の博打うち卯之吉が、珍しく福島屋の店に顔を出した。
   「亥之の兄ぃ居ますか?」
 応対したのは三太であった。
   「卯之の兄ぃ、おこしやす、旦那さんは出かけとります」   
   「そうか、では鵜沼の卯之吉がお別れに来たと、宜しく伝えてくだせえぇ   
   「え? お別れて何だす?」
   「明日の朝、故郷の鵜沼へ発つので、ご挨拶に来た」
   「博打うちの足を洗うのですか?」
   「親父が亡くなって、おっ母と妹が残されたので、一本刀を鋤鍬に持ち替えようかと」
   「博打(ばくち)しか能が無い卯之吉兄ぃが、よく決心しましたな」
   「こいつ、言い難いことをずけずけと…」
   「いやこれは、旦那さんが言っていることだす」
   「亥之吉兄ぃが言っているのなら、文句は言えねえ」
   「それで、百姓の経験はおますのか?」
   「子供の頃に少し親父の手伝いをした」
   「農家の長男が、その程度だすか?」
   「博打にしか興味が沸かなかったのだ、それに鵜沼組の貸元に小遣い銭をもらって可愛がられていたから、親父も文句を言わなかった」
   「へー、それで根っからの博徒(ばくと)にならはったのですな」
   「うん」
   「旦那さんが言っていました、卯之吉は博打には強いが喧嘩には弱いと」
   「兄ぃがそんなことを… まあ、その通りだから仕方がないか」
   「おっ母ちゃんと、妹さんを江戸へ呼び寄せたらどうだす?」
   「博打打ちの兄を頼って、田舎育ちの二人が江戸へ来ると思うか?」
   「頼りにならんから不安やろなぁ」
   「ん?」

 卯之吉はお絹に勧められ、店の奥で酒をよばれながら亥之吉の帰りを待ったが、亥之吉は戻って来なかった。
   「女将さん、ご馳走になりやした、卯之吉これにて帰らせて頂きやす」
   「大切な友達がお別れに来てくれましたのに、うちの旦那は何処をほっつき歩いていますのやら、お留めして悪いことをしましたなぁ」
   「どうぞ亥之吉兄ぃに宜しくお伝えください」
   「お発ちは明日の朝だしたなぁ、あの人、夜になって帰って来たら、驚いて大江戸一家へ飛んで行くと思います、どうぞ夜中の殴り込みと間違えないようにしてやってください」
   「へい、兄ぃの声は、みんな分かっていますから大丈夫です」

 卯之吉を送り出したら、暮れ六つの鐘が鳴った。

  第十五回 立てば芍薬(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
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「第二十七回 敵もさるもの」へ
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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十四回 奉行の頼み

2014-11-23 | 長編小説
 暫くは雨の日が続いていたが、その日は朝からカラリと晴れ渡った。小僧の真吉が表を掃いていると、侍がやって来た。
   「亥之吉どのはご在宅かな?」
 すっかり顔見知りになった北の与力、長坂清三郎であった。
   「あ、長坂さま、主人は居ります、只今お呼びしてきます」
 真吉が店の奥に入ると、時を置かずに亥之吉が顔を出した。
   「これは、これは長坂さま、使いを寄越してくだされば、此方から参りましたものを…」
   「亥之吉どの、そなた程揉み手が似合わぬ商人(あきんど)は居ないのう」
   「なんと、これはご挨拶だすなァ」
   「いやあ、済まぬ、別に喧嘩を売りに来たのではない」
   「安ければ、お買い申します」
   「いやいや、喧嘩では、そちに敵わぬわ」
   「何を仰せられますやら」
 長坂は真顔になって、やや声を落として言った。
   「本音はその位にして…」
   「これからが冗談だすか?」
   「北のお奉行が、三太を連れて参れと申されておられる」
   「三太が、何か悪さをしたのだすか?」
   「そうではないと思うが、拙者にも分からぬ」
 亥之吉は、真吉に目で合図をして、三太を呼びに行かせた。

   「嫌だす、定吉兄ちゃんみたいに、罪を着せられて首を刎ねられるのは御免だす」
 三太は長坂の前に出てくると、長坂に付いて奉行所へ行くのを拒んだ。
   「三太、何か心当たりがあるのか?」
 あるとしたら、猟師が罠で捕まえた狐を逃したことか、ご領主が管理する里山に、狐の死骸を埋めたこと位だろう。
   「無いけど、お奉行やったら勝手に罪を作って着せるのにきまっている」
   「兄の定吉の恨みが三太から離れまへんのや、堪忍してやってください」
 亥之吉が弁解して謝った。
   「存じておる、無理からぬことじゃ、だがのう、拙者はお奉行から、三太を召し捕って来いとは言われていないぞ」
 三太は不服だったが、長坂に言い包(くる)められて仕方なく従った。

 
 三太は、お白州ではなく、控えの間に通された。どうせ意地の悪そうな奉行が出てくるのだろうと、ブツブツ文句を言いながら暫く待つと、襖が開いて若くて柔和そうな奉行が入ってきた。三太は長坂に無理やり頭を押さえつけられて、お辞儀をさせられた。
   「長坂、手を放して面(おもて)を上げさせなさい、お白州ではないのだぞ」
   「ははあ」
 長坂は畏まって、三太の頭から手を離した。 
   「そなたが三太か、年端もいかぬのに、中々の面構えじゃのう、なるほど強そうじゃ」
 三太は少し気を良くして、奉行の目を見た。
   「福島屋の丁稚(小僧)、三太でおます」
   「よく来てくれた、奉行の井川対馬守じゃ」
   「長坂さまに、無理矢理連れてこられました」
   「そうか、それは済まぬことをした、この奉行が是非にと言い付けた所為じゃ、許してくれ」
   「まあ、ええけど」
 長坂が、慌てて注意をした。
   「これ三太、口を慎みなされ」
 奉行は、二人をもっと近付かせ、急に声を潜めて言った。
   「まだ、長坂にも明かしていないのだが、末の六歳の倅(せがれ)が何者かに拐われて、儂の屋敷に矢文が射込まれた」
 三太は、冗談で自分を試しているのではないかと疑ったが、奉行の表情は真剣だった。
   「その矢文の内容は、最近捕えて殺しの罪で極刑を言い渡した男と、倅との交換なのだ」
 長坂は、驚いて奉行に詰め寄った。
   「何故それを、もっと早く言ってくださらなかった」
   「それをそなた達に言えば、倅の命が大事と、罪人を解き放そうと言うであろう」
   「当たり前です」
   「だがのう、奉行の倅を拐かして、殺さずに返すと思うか?」
   「それは…」
   「同じ殺されるのであれば、罪人を解き放すこともなかろう」
 長坂が、返事に窮していると、奉行は話を続けた。
   「そこで、はたと気付いたのじゃが、三太の不思議な力に頼ろうと思うてな」
 三太は、奉行の「頼ろう」と言う控えめな言葉に、すっかり感服していた。
   「わかりました、やりましょ、必ずお奉行の倅の命を助けてみせます」
 長坂が焦った。
   「これ三太、お奉行のご子息に、倅呼ばわりはご無礼でござろう」
   「そやかて、お奉行さんが倅と言うてたやないか」
   「それは、ご自分のお子様だからで、他の者が言ってはならぬ」
   「そうだすか、それは済まんことだした」
 長坂が、額の冷汗を手拭いで拭っていた。


 三太は、罪人の解き放ちを薦めた。その罪人に守護霊の新三郎に憑てい貰い、隠れ家を突き止めるのだ。罪人には、奉行のお子が解き放たれたら、奉行所へのお伴と称して、子供である三太を付けることを解き放ちの条件に付けた。
 罪人は、それが子供であることに警戒心を和らげた。
   「何のために天秤棒を持って歩く?」 
解き放された罪人が不審がった。
   「ああ、これだすか? わい、虐めっ子によく虐められますので、こんな物でも持っていたら、少しは恐がってくれるのやないかと持ち歩いています」
   「そんな物を持たぬと、喧嘩が出来ないのか?」
   「そやかて相手は大勢だすから、すぐに泣かされてしまう」   
   「何だ、この弱虫めが」

 男は、とあるお屋敷に着いた。付けて来た者はおらぬかと、いま来た道を振り返り、誰も居ないとわかると潜戸を開けさせて三太と共に中へ入った。門の内に立っていた仲間に三太を指差し、「始末しておけ」と命令すると、一人屋敷の中へ入っていった。
 仲間の男が右手にドスを持って、三太を殺そうと駆け寄ってくるのを、三太は天秤棒で足を払った。男がフラ付いて前のめりになったところを、思い切り天秤棒の横の鋭い方で背中を打った。
   「アホたれ、お前なんかに殺られてたまるか」
 男は「うーっ」と、背中に左手を回し、座り込んだ。

 罪人は、笑いながら集まってきた仲間に「ご苦労だった」と労い、縛られてぐったりしている奉行の子息を見て、一言「殺ってしまえ!」と命令した。仲間の一人がドスを出し、子供の首に押し当てようとしたとき、罪人は「待て!」と叫んだ。
   「屋敷内を血で汚してはならん、奉行への仕返しだ、俺が殺る」と仲間に命令して縄を解かせた。罪人は、子供を脇に抱えると庭に出た。そこには三太が待っていた。
   「三太、新三郎だ、この子を連れて外に隠れていてくれ」
   「ホイ来た」
 奉行の子供は、恐怖と一晩縛られて泣いていたのとで、すっかり力が抜けてフラフラである。三太が肩を貸し、なんとか表に出た。

 屋敷の中では、男たちが何やら喚いている。罪人である親分が、仲間の子分達を次々と剣の峰で打ち据えているのだ。
   「親分、わしらが何をしました?」
   「黙れ、儂を裏切って盗んだ金を山分けしようとしていただろう」
   「していません、千両箱は手付かずで秘密の場所に隠してあります」
   「では、儂が確かめる、案内せい」
   「へい、承知しました」
 
 またしても、男たちは喚き散らしている。
   「何やいな、煩いおっさん達やなァ、今度は裏の方で騒いどる」
 暫くすると、シーンとした。三太が「どうしたのかな?」と思っていると、罪人である親分が一人で戻ってきた。
   「三太、終わったぞ、坊っちゃんは無事か?」
   「へえ、少し元気を取り戻して、お腹が空いたと言っとります」
   「そうか、では早く戻ろう、坊っちゃんはあっしが背負って行きやしょう」

 罪人が奉行の子供を背負って帰ったのでは、役人達が狼狽えるだろう。そればかりではなく、罪人を捕らえようとして子供に怪我をさせてはいけない。子供は奉行所のすぐ近くで罪人の肩から下ろし、歩かせることにした。罪人はお縄で縛り、三太が率いている体にした。

 奉行所では、奉行が門の外まで出て三太を待っていた。
   「三太忝ない、よくやってくれた」
   「坊っちゃんはお腹が空いています、何か食べさせてあげてください」
   「わかった、罪人は牢へ、子供には菓子でも与えてやってくれ」
 父親の前に来ると、子供は大泣きをするだろうと思っていた三太であったが、菓子に気を取られて喜んで大騒ぎをしていた。
   「流石、奉行の子や」

 三太は、罪人の仲間達の隠れ家を役人に教え、全部縛って転がしてあると伝えると、驚くと言うよりも三太のことを気味悪がっているようであった。千両箱の在処も、忘れずに伝えておいた。
 
   第十四回 奉行の頼み(終) -次回に続く- (原稿用紙1)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十三回 さよなら友達よ

2014-11-20 | 長編小説
 三太が奉公する京橋銀座の福島屋からさして遠くない場所で、早朝、番所に「小僧が辻斬りに斬られた」との訴えがあった。目明しの仙一が見に行くと、その場所に血痕はあったが斬られた小僧の姿も死体もなかった。仙一は、もしや見知りの三太ではないかと福島屋を訪ねたが、三太は元気に朝食の最中であった。
 三太は仙一に同行し、顔見知りの小僧が居るお店を尋ね歩いたが、該当する小僧は見つからなかった。諦めて斬られた現場に戻ってみると、訴え出た男が独り佇んで、三太を見て首を傾げていた。
 男は、思い出したように大声で目明しの仙一に言った。
   「親分、斬られたのはこの小僧さんです」
 目明しは、男の顔をまじまじと見つめた。
   「お前さん、自分の言っていることが分かっているのか?」
   「はぁ?」
   「この子は、どこも斬られていないじゃないか」
   「でも、確かにこの小僧さんでした、ほら、手に持っているこの棒が何よりの証拠です」
 そう言って、男は「はっ」と気付いたようだ。
   「そうだ、福島屋の文字が入った提灯を持っていました」
 仙一は、三太に聞き質した。
   「三太、早朝に福島屋の提灯を持ってここを通ったのか?」
   「へえ、確かに通りました」
   「では聞くが、斬られたか?」
 三太は自分の身体を方々叩いてみせた。
   「どうにも憶えがおまへん」
 男が、ようやく気付いたように、目を擦りながら言った。
   「わし、寝ぼけていたのでしょうか?」
   「そんなことはないだろう、血が落ちていることだ」
 
 三太は考えてみた。斬られたのは、もしかしたらコン太ではなかったのだろうか。コン太が人間に化けることはない。だが、新三郎のように人の心に幻覚として伝えることは出来るのかも知れない。コン太が罠にかかって三太を呼び寄せたように。

 目撃した男には、コン太が三太に見えるよう伝達したように思える。コン太は、三太に会って、また一緒に居たいと三太を追いかけてきたのではないだろうか。さすればコン太の死骸を持ち去ったのは一体誰だろうか。
   『三太、この男が見たのはやはり狐ですぜ』
 新三郎が探ってきたようだ。
   『コン太かも知れない』
 三太は、このことを仙一親分に話した。
   「なんだ、狐だったのか、よかった、よかった」
 仙一は事件にならなかったことで胸を撫で下ろした。三太はそれが気にいらなかった。
   「なんだ、狐たったのかはおまへんやろ、コン太は、わいの弟みたいなものやったのに」
   「そうか、済まん、済まん」
 仙一は謝っているわりには笑っていた。その笑い声を聞いていると、三太は涙が溢れてきた。

   「新さん、コン太は何処へ連れて行かれたのやろか」
 探して、葬ってやりたいのだ。
   『三太、良く見て見なさい、小さな血の雫が落ちていますぜ』
 よく気を付けて見なければ見過ごすほどの血痕が点々と続いている。三太はこの血痕を追って行くことにした。一刻(2時間)ほど追い続けて町外れまできた。血痕はとある農家の前まで続いていた。
   「ここの人がコン太を連れて来たらしい」
   『そのようですね』
 農家に近付いてみると、筵に挟んだ狐の死骸が置かれていた。
   「コン太や」
 三太が駆け寄ってみると、罠にかかった時に手当をしてやったあの傷跡も膏薬も無い。どうやらコン太では無いらしい。三太は「はっ」と、気が付いた。コン太がヨチヨチ歩きの頃に穴に落ちたとき、通りかかった三太に助けを求めてきたのはコン吉だった。コン吉は特別な能力を持ち、三太に話しかけることが出来た。
   「そうだったのか」 
 この度、コン太が罠にかかったのを、三太の心に伝達してきたのもコン吉だったのだ。コン太を助けて貰ったことで、お礼のために三太を追って来たのであろう。三太はコン吉を連れて来た農家の住人に会うことにした。
   「ごめんやす、誰かいますか?」
 暫くして男が出てきた。
   「はいはい、何方じゃな?」
   「表の狐の知り合いのものだす」
   「ほお、あんたも狐かね」
   「違いますけど」
   「そうだろうねぇ、狐には見えねえ」
   「あの狐の友達なんだす」
   「それで、要件は?」
   「あの狐を、山に葬りたいのだす」
   「おお、そうかそうか、ではそうしてやりなさい、わしも川原へでも埋けてやろうと思っていたところじゃ」
   「おじさん、ありがとうございます」
   「今、筵で包んでやるから、担いで行きなさい、ちょっと重いぞ」
   「頑張って担いで行きます」
   「気を付けて行きなされ」
   「わい、京橋銀座の福島屋というお店(たな)の小僧で三太と言います、また日を改めてお礼に来ます」
   「おや、あの亥之吉さんのところの小僧さんか」
   「亥之吉をご存知だしたか」
   「知っていますぜ、何時ぞや肥桶を担ぐ天秤棒の古いのをわけてくれと言って来ましたよ」
   「ははは、間違いなくうちの旦那だす」
   「何も古いのでなくて、新品を誂えてはどうですかと言ったところ、汗と肥やしが染み付いたのやないとあかんと仰いました」
 話していて、男は気が付いた。
   「おや、小僧さんも小さい天秤棒を持って居なさるな」
   「これ、自分の身を護るための武具だす」
   「ああ、そうですか、それで手に馴染むのが良かった訳ですね」
   「そうらしいだす、わいのは、新品で誂えたものだすけど」
   「亥之吉旦那さんに、農家の久作がその節は高い値段で古い天秤棒を買っていただき、お礼を言っていたと宜しく伝えてください」
   「へえ、わかりました」

 三太は店には帰らず、そのまま山へ向かった。コン吉の死骸を山に葬り、店に戻って来たのは暮れ六つ刻(午後五時過ぎ)であった。
   「旦那様、三太ただ今戻りました」
   「ただ今戻りましたやないで、お前なァ、今、何刻(どき)やと思うているのや」
   「多分、六つだす」
   「朝の御膳が済んだとたんに出て行ったかと思うたら、昼刻にも帰らず、一日中どこをほっつき歩いとったのや」
   「えらいすんまへん、友達が殺されたので、山へ葬りに行っていました」
   「友達って誰や?」
   「へえ、コン吉だす」
   「それ何処かの小僧さんか? それとも山に放したコン太のことか?」
   「いいえ、別の狐だす」
   「アホ、この忙しい時に、別の狐の為に一日も費やしていたのか」
   「えらいすんまへん、そやかて命がけで、わいに会いに来てくれた友達だす」
 言い訳をしていて、次第に悲しくなって来た。江戸へ出てくるとき、兄の定吉が命を絶たれた大坂千日の刑場で三太は長い時間大泣きをして、もう泣かないと兄の霊に誓ったのに、今日はコン太とコン吉のために二度も泣いてしまった。旦那様に叱られたことより、泣いた自分が情けなくて悔しかった。
 
 店の奥から、亥之吉の女房お絹が出てきた。
   「三太、何をそんなに叱られていますのや、お前が泣いているなんて、わては初めて見ましたえ」
   「ほんまや、三太も泣くことがあるのかいな」
 自分がきつく叱っておいて、他人ごとのように言っていると、お絹は呆れている。
   「あんさんは何をそんなに怒っていますのや」
   「お前、気が付かなかったのか? 三太は今日一日中、店の仕事を怠けておりましたのや」
   「三太は怠けたりする子やあらしまへん、あんさんが一番よく知っていなさるやろ」
   「それが、狐が殺された言うて、遠い山まで埋めに行っていたそうや」
   「あのコン太が死んだのか?」
   「別の狐やそうな」
   「アホ、三太お前は狐か、コン太ならまだしも、別の狐のために山へ行っていたのか?」
   「二年前に友達になった、コン吉という狐だす」
   「ほんなら、今朝目明しの親分さんが、斬られたと言うてたのは狐のことか?」
   「そうだす」
   「けったいな親分さんやなぁ」

 三太は、急に突拍子もない声を張り上げた。
   「忘れるとこやった、農家の久作おじさんが、旦那様によろしくと言うていはりました」
   「何やいな、今泣いた烏が、もう笑うている」
   「照れ笑いだす」

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十二回 小僧が斬られた

2014-11-11 | 長編小説
 三太は夢を見た。コン太が罠にかかり、もがきながら自分に助けを求めている夢だ。まだ夜明けには間がある。今宵は月も出ていず足元は暗く、コン太を戻した山は遠い。

 三太は旦那さまに訳を話すと、「ただの夢やろ」と出かけるのを止めたが、三太の特殊能力を度々見せつけられていたので、提灯を持たせ独りで山まで行くことを許した。夜明けまでには戻れないかも知れぬが、コン太が気がかりでならないからと、天秤棒と提灯をもって出かけた。きっとコン太は罠にかかって怪我をしているだろうと、晒と膏薬を持って行くのを忘れなかった。

 早足で山に向かっていると、猟師に捕獲されたコン太が逆さ吊りにされて、生きたまま皮を剥がされている様を想像してしまった。
   「コン太、いま助けるからな、暴れずに待っていろよ」

 今まで激しく暴れていたコン太が、急におとなしくなったような気がした。これはどうしたことだろうと三太は思った。ただの夢であろうに、こうも生々しくコン太の叫びがわかる。三太は何者かに導かれるように、つい駈け出していた。

 一年前にコン太と別れた辺りにきた。周りを見回し、耳を澄ませても、水路を流れる水の音しかしない。
   「コン太、何処に居るのや」
 此の頃には空は白み始め、遠方の山々の稜線がくっきりと見えてきた。
   「何や、やっぱりただの夢か」
 三太が諦めて戻ろうとしたとき、「クゥーン」と、紛れも無いコン太の声が聞こえた。
   「コン太やな、何処に居るのや」
 今度は一際大きく「ケーン」と鳴いた。警戒心の強い野生のコン太にとって、これが精一杯の鳴き声なのだ。三太は少し山に踏み入ってみた。
   「コン太、三太が助けに来たぞ」
 林の下草の中から、葉擦れの音がした。見ればコン太は罠に足を挟まれ、蹲(うずくま)っていた。
   「コン太、二年前は穴に落ち、今度は罠にかかったのか」
 三太は不思議でならなかった。コン太の助けを呼ぶ声が、江戸の町中(まちなか)まで届くとは、コン太はやはり稲荷神の使いなのかと思った。コン太の足に食い込んだ罠をこじ開け、持ってきた膏薬を傷口に貼り、晒で巻いてやった。

   「痛みがなくなったら、膏薬を外しや、引っ張ったら直ぐに外せるからな」
 コン太は、山に戻ろうとせずに、三太に擦り寄ってきた。
   「コン太、山で仲間が待っているのやろ、早く帰り」
 コン太は、三太の前にきちんと座り、三太の顔を見上げている。
   「夜が明けないうちに帰らんと、罠を仕掛けた猟師がやってくるで」
 三太が手の甲で「山へ帰れ」と合図すると、仕方がなさそうに振り返り振り返り、怪我をした足を引きずりながら仲間が居る山へと消えていった。

   「新さん、コン太は本当に稲荷神の使いかも知れないなぁ」
   『三太、稲荷神と狐は何の関わりもないのだよ、コン太の叫びが聞こえるのは、三太の方に能力が備わっているのかも知れねえ』

 新三郎の薀蓄を聞きながら、帰路を急いだ。
   『稲荷神は、御食津神(みけつのかみ)と言って、農業や食物の神様なのです』
 狐は昔「けつ」と読み表わされていて、何者かがふざけたのか、それとも間違えたのか御食津(みけつ)を三狐(みけつ)と当て字をしたことから、三狐神と呼ばれるようになった。稲荷神社には狐が神を護るごとくに鎮座しているが、本当は稲荷神と狐は何の関係もない。
   「新さんは、誰に教わったのですか?」
   「あっしは元旅鴉で、方方(ほうぼう)の稲荷神社を塒(ねぐら)にしましたから神社の立て札を読んだのです」

 その時、後ろから人が追ってくる気配を感じた。
   「こら、待ちやがれ」
 男は、かなり怒っている。
   「わしが仕掛けた罠にかかった狐を盗むとは太てぇガキだ」
   「何も盗んでない」
   「それじゃあ、逃がしたのか?」
   「うん」
   「折角捕まえた獲物を逃がすとは、どういう了見だ」
   「あの狐はコン太と言うて、わいの友達や、稲荷神の使いやで」
   「馬鹿言え、お前は何処のガキだ、親に弁償させてやるから、名前と家を教えろ」
   「わいは三太や、家は上方や」
   「今住んでいるところを言え」
   「京橋銀座の雑貨商、福島屋亥之吉のお店や」
   「そこの小僧か?」
   「そやそや、小僧や」
   「よし、このまま付いて行って、福島屋に弁償させてやる」
   「ふーん、おっちゃん、その前にお稲荷さんの使いを怪我させたのや、祟があるで」
   「何が稲荷神の使いだ、何が祟だ、狐は二分で売れる獲物だ」
 そう言い終わらない内に、男は路肩の石ころを踏んで、側溝に落ち尻餅をついた。
   「ほれ、罰があたったやろ」
   「痛い、足を挫いて歩けない」
   「わいは知らんで、帰り道で町駕籠を見たら、ここへ来るように伝えてやる」
 男が「待ってくれ」と言うのを無視して、三太はさっさとお店に帰っていった。町に入ったところで駕籠舁が客待ちをしていたので、男が足を挫いた場所を教えて駕籠待ちをしていると伝えると、駕籠舁は喜んで駆けて行った。恐らく足元を見られて、駕籠賃をぼったくられるだろうと三太は想像した。

 お店(たな)に戻ってきたころは、夜は白々と明け、やがて茜がさしてきた。お店の戸は閉まっていたが、戸を叩き「三太だす」と叫ぶと、女中が開けてくれた。
   「本当にコン太が罠にかかっていたの?」
   「うん」
   「怪我をしていたでしょう」
   「うん」
   「治療をしてやったの?」
   「うん」
 女中は「うん」としか言わない三太の心境を察していた。一年前の別れを思い出しているのだろうと思ったのだ。
   「寂しいね」
   「それよかもうすぐ、罠を仕掛けたおっちゃんがここへ来る」
   「何の為に?」
   「罠にかかった獲物を、わいが逃したから弁償しろと…」

 開店まで時間がある。みんなと一緒に朝食を摂っていると、開いている潜戸から目明しの仙一が跳び込んできた。
   「三太は、無事ですか?」
 真吉が応対に出て行った。
   「いま、食事中ですが?」
   「そうか、良かった」
   「何がどうしたのですか?」
   「昨夜、どこかのお店の小僧が辻斬に遭ったと聞いて、夜中に外にでる小僧なんて三太しか居ないだろうと思って跳んで来たのだ」
   「へい、うちの三太は昨夜外へ出ていたが、今し方戻って来ました」
   「足はあるのか? 怪我はしていないのか?」
   「別に何も…、それで親分は子供の死体は見ていないのですか?」
   「子供が斬られるところを目撃した男が示した辺りに血が落ちていたのだが、死体は無かった」
 真吉は首を傾げた。
   「死んではいなくて、医者に駆け込んだのではありませんか?」
   「そうかも知れんな」
 食事を済ませて、三太が店先に出てきた。
   「親分、お早うございます」
   「おお三太か、成る程怪我などしていないようだな」
   「へい、この通り」
 三太は自分の身体中を叩いて見せた。仙一親分が、「他のお店を当たってみる」と戻ろうとしたのを三太が止めた。
   「わいの知っている小僧さんかも知れないので、連れて行ってください」
   「旦那様の許しが出たら、是非来て欲しい」
 亥之吉旦那が出てきて、「行っておいで」と言ってくれた。

 
 現場に行ってみると、血糊はまだ残されていて、三太の見知らぬ同心と年をとった目明しが検分していた。目明しは仙一を見るなり立ち上がって、被害者が判明したのか訊いてきた。
   「この三太かと思ったのですが、そうでは無かった」
   「あっし等は、近くのお店を訊いて回ったが、該当する者は居なかった」
   「そうか、残るは医者だな」
 仙一親分は、付近の医者を当たってみると、駈け出していった。三太は、心当たりの店を覗き、顔見知りの小僧の無事を確かめて回った。
   「さっき、目明しの親分が来て同じことを訊かれたが、うちの小僧ではない」
 お店をまわり、小僧が行方知れずになっているところは無いかと尋ねて回ったが、どこも同じ応えだった。
 
   「新さん、目撃した人の話が間違っているように思えてきました」
   『道に落ちていた血糊の形も可怪しいですぜ』
   「うん、丸く固まって落ちていた」
   『刀で斬られたのなら、血は飛び散るだろうし、生きていて歩いたか運ばれたりすれば行った方向に点々と血を落とすだろう』
   「うん、ここは一先ず引き上げて、お店に戻りますわ」
   『あの猟師のことも気掛かりです』
   「ああ、あの足を挫いたおっちゃんは、駕籠にのって帰ったか、旦那様を強請りに行ったかだすなぁ」

 斬られた小僧を探すのを諦めて、仙一に報告がてら血糊のあった場所へ戻ってくると、仙一も他の役人も居ず、男が独り佇んでいた。
   「何だか怪しい、本当に見たのかな」
   『行ってくる』
 新さんが男を探りに行った。

  第十二回 小僧が斬られた(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十一回 山村堅太郎と再会

2014-11-05 | 長編小説
 京橋銀座の雑貨商福島屋亥之吉のもとに、若い武士が訪れた。
   「ご主人はおいでになりますか?」
   「はい、居ります、何方様でございましょうか」
 真吉が応対した。
   「拙者は信州小諸藩士、山村堅太郎と申します」
   「山村様ですね、主人を呼んで参ります、暫くお待ちを」
 真吉は亥之吉を呼びに行った。ちょっと長めの暫くである。亥之吉は裏の空き地で、三太に棒術の指南の最中であった。

   「いやあ、山村さま、お久しぶりだす、立派なお武家様になられましたなぁ」
   「その節は、一方ならぬお世話を賜りました、私が藩士に戻れましたのは、亥之吉さんと三太さんのお陰でございます」
   「いやいや、わたいはただ手紙を一通書いて差し上げただけのこと、店まで手伝って頂き、有難うございました」
   「三太さんはいらっしゃいますか?」
   「はい、只今奥で汗を拭っております、山村さんがお見えだと聞いて、喜んでおりました、間もなく出てくるでしょう」

 三太が上気して、真っ赤な顔で現れた。
   「山村様さま、お久しぶりです、いつ江戸へ来られたのですか?」
   「今日です、まっしぐらにここへ参りました」
   「藩命ですか?」
   「いいえ、三太さんにご助力を賜りたく、藩の許可をとり罷り参りました」
   「わいにだすか? どのようなことだす?」

 山村堅太郎は、ぽつりぽつりと話し出した。自分は両親を亡くし、親類もなく天涯孤独だと思っていたが、もと山村家の使用人の老婆が訪れて、山村堅太郎には腹違いの弟が居ることを知らされた。弟の母親は、子供が出来て半年もすると、堅太郎の父山村堅左衛門の奥様に知れるのを恐れて、子供を連れて行方知れずになってしまった。
   「その、たった一人の肉親である弟の行方を占ってほしいのです」
   「わいも、堅太郎さんも会ったことがない人を探すなんて、雲を掴むようなものだす」
   「たった一つ手懸りがあります」
   「それは何です?」
   「はい、婆さんの言いますには、弟は善光寺のお守りを持っており、弟の名前を書いた紙切れが入っているそうです」
   「その名は?」
   「斗真(とうま)です」
 三太は「何のこっちゃ」と、あまりの偶然に笑うしかなかった。
   「それなら、占いも何もいりません」
   「えっ、どう言うことですか?」
   「斗真さんなら、このお店(たな)で働いていますがな、さっき会われましたやろ」
   「ご主人を呼んでくれたのが斗真ですか?」
   「そうです、そう言えばどこか似てはります」
 今度は、三太が真吉(斗真)を呼びに店の奥に入った。

   「真吉さんに、お客さんだす」
 斗真は商(あきない)の品を陳列していた。
   「へい、おいらもお客さんに指名されるようになったのですか?」
   「店のお客やない」
   「奉行所のお役人ですか?」
   「それも違う」
   「おいらを訪ねてくる人なんか居ませんよ、人違いでしょ」
   「帳場まで行ったら判ります」

 そこには、堅太郎が待っていて、斗真を見つめていた。
   「本当です、どこか拙者に似ています」
 斗真が堅太郎の前に立ち、ペコッと頭を下げた。
   「おいらの元の名は斗真といいます、何方様でいらっしゃいますか?」
   「拙者は、信州小諸藩士山村堅太郎と申す」
   「はあ」
   「そなたの兄だよ、そなたの父の名は山村堅左衛門、そなたと拙者は母親の違う血の繋がった兄弟なのだ」
   「お兄さんですか?」
   「そうだ、善光寺のお守りを持っておろう、そのなかに「斗真」書いた紙が入っいる筈だ」
   「はい」
   「その名をお前に付けたのは、今は亡き父上、山村堅左衛門なのだ」

 父に内緒で、お前の母親はお前を連れて姿を消してしまった。父堅左衛門は、必死にそなた達を探したが見つからないまま、父は濡れ衣を着せられて無実の罪で無念の詰腹を切らせられたのだ。

 母は父の無実を信じてやれず、自害して果てた。自分も小諸を追われて天涯孤独だと思っていたが、亥之吉さんと三太に助けられ小諸藩に返り咲いた。そこへ元の使用人が訪れて腹違いの弟が居ることを知らされ、三太の占いに縋(すが)ろうと思い江戸へ来たのだと話した。
   「斗真の母は、お達者なのか?」
   「いえ、母はおいらが幼い頃に亡くなりました」
   「そうだったのか、斗真どうだろう、兄と小諸へ戻ってくれないか?」
   「おいらに兄が居ただけで嬉しいです」
   「跡継ぎの居ない小諸藩士が居るのだが、そこの養子になり兄と共に小諸藩にお仕えしてみないか?」
   「わたしは、根っからの町人です、このお店で商いを学び、立派な商人になります」
   「そうか、武士は嫌いか」
   「はい、性に合いません」
   「無理強いはすまい、だが、浅間山の麓には、実の兄が居ることを忘れないでくれ」
   「もちろんです」
   「何か困ったことがあれば、この兄を頼ってくれ」
   「心強く思います、兄さんも…」

 山村堅太郎は、こんなに早く弟に会えるとは思っていなかったので、この偶然に感謝した。弟と二人旅でないことは残念ではあるが、弟に会えただけで足取りは軽く小諸へ戻っていった。

 帰り道、足を延ばして上田藩の緒方診療所に立ち寄り、緒方三太郎に会って礼を言った。堅太郎が小諸藩へ返り咲いたのは三太郎の骨折りがあったからである。また江戸の福島屋へ行き、三太という少年霊能者の導きで、行く方知れずであった弟に会えたことを報告した。
   「三太はわたしの幼いころの名前と同じで、一度会いたいと思っています」
 三太郎は三太にまだ会ったことがないのに、懐かしそうに言った。三太の守護霊木曽の新三郎に会いたいのだ。
   「おーい、新さん、経念寺のお墓でまた会おうな」
 三太郎は心の中で叫んだ。


 弟子の佐助が三太郎を呼びに来た。
   「先生、患者さんがお待ちです」
   「お邪魔をしました、わたしはこれにて…」
 堅太郎が帰っていった。

   「チャンバラ先生、お腹が痛い」と、若い男が腹を抑えてしかめ面をしている。
 暇があれば弟子の佐助や三四郎を相手に木刀を振り回しているので、患者にそんな渾名が付けられてしまった。
   「また、腐りかかったものを食ったな」
   「お婆が、まだ食えると言ったもので」
   「何を食った?」
   「川魚の煮付け」
   「それで、お婆はどうもないのか?」
   「お婆、食わなかった」
   「お婆に毒見させられたな」

 三太郎は聴診器で腹の音を聴いていたが、すぐに調合した薬を紙包みにして二包渡してやった。
   「下痢をしているか?」
   「はい」
   「この薬を飲んだら、腹の中の悪い物が全部出るから、今一包、翌朝に一包飲みなさい」
   「そしたら治りますか?」
   「その前にすることがある」
   「それは?」
   「川魚の煮付けを捨てることだ」


 ここは江戸の福島屋の店頭。朝早く三太は店のまえで掃除をしている。
   「三太、旦那様がお出かけだす、あんたお伴をしなはれ」
 お絹が指図した。
   「へーい、旦那さん今日はどちらへお出かけだす?」
   「ちょっと遠いが。赤坂や」
   「今度は赤坂に道場作りなさったのか?」
   「そうや、そこでおもいっきり棒を振り回すのや」
   「お盛んな五寸棒でおますなぁ」
   「ほっとけ」

  第十一回 山村堅太郎と再会(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)


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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十回 兄、定吉の仇討ち

2014-11-02 | 長編小説
 長坂清三郎が、目明しの仙一を連れて京橋銀座の福島屋にやってきた。普通、目明しは同心に雇われて働く間者であるが、仙一は長坂が廻り同心の時代から雇われていて、長坂が与力になっても雇っているのは異例のことである。それは、長坂が同心から与力に異例の出丗をしたからである。
 長坂からの手札(てふだ)は、小遣い程度の微々たるものであるが、目明しは犯罪者から商家や町人を護る役目を担っており、商家からの心づけが主たる収入と言えそうである。

   「これは長坂さまと仙一親分、いらっしゃいませ」
 亥之吉が出迎えた。
   「今日、拙者が参ったのは他でもない、三太を借り受けに来た」
   「へえ、三太でございますか、犯人でも追跡させるのでございますか?」
   「そうだ、如何程で貸して貰えるかな?」
   「そうですなぁ、一刻二分(ぶ)で、その後は半刻過ぎる毎に一分ではどうでっしゃろ」
   「それは高い、一日につき一分ではどうかな?」
   「えらいえげつない値切り方でおますなぁ」
   「お上からは一文も貰えないので、拙者の自腹なのじゃ」    

 三太に聞こえている。
   「新さん、あいつ等わいのことを、犬みたいに言いよる」
   『まあいいじゃないですか、聞いてやりましょう』

 亥之吉が最初に笑った。
   「嘘ですよ、どうぞお連れになってください」
   「そうか、拙者も冗談でござった」
   「あほらし」

 三太は不機嫌になった。
   「そんな馬鹿言っていてええのだすか、何か急ぐのやおまへんのか」
   「あぁそうだ、今、江戸の町を震撼させている非道働(ひどうばたら)きの盗賊だが、昨夜も大店が襲われたのじゃ」
 
 押し込んだお店では、女、子供さえもとどめを刺して、決して尻尾を掴ませないのだ。しかも、奉行所の動きは逐一把握している。長坂が推理をして多分次はこの店だろうと張っているところには決して現れず、常に奉行所の裏をかく。どうしても正体が掴めないのは、恐らく奉行所の中に盗賊の間者が居るのだろうと役人たちが噂している。

   「北町奉行所の中で、元、大坂東町奉行所でお奉行だった人はいはりますか?」
 三太が変な質問をした。
   「筆頭与力の矢野浅右衛門殿がそうである」
   「いつ頃こちらへ?」
   「二年ちょっと前だ」
   「ふーん」
   「それがどうした?」
   「いえ、何でもおまへん」
 
 何でもないことはない。三太は、よく調べたら簡単に濡れ衣だとわかる兄定吉を、よく調べようともせずに刑場へ送り込んだのが矢野浅右衛門なのだ。
 その後、真犯人の玄五郎が名乗り出て、殺人を教唆した相模屋の番頭平太郎が処刑になったが、手を下した玄五郎は自訴したために罪一等が減じられ、永の遠島となったのだ。

   『三太、兄の仇をとるつもりらしいな?』
 守護霊新三郎が問うた。
   「いいや、それは許されまへん」
   『あっしに嘘をついても無駄ですぜ』
   「うん、わかっている」

 三太は、長坂清三郎の後を付いて被害にあったお店に寄ってみた。亡骸は片付けられているものの、店の中は荒らされたままであった。柱、壁、天井に飛び散った血の跡が黒ずみ、悪臭が鼻を突いた。三太はこのような事件は初めてではなかった。
   「金は幾ら有ったのかわからぬが、全て持ち去られたようだ」

 幾許(いくばく)かの金の為に、人の命を虫けらのように奪った盗賊を三太は許せなかった。店の中を見回していた三太は、何かの物音に気付いた。押し入れの襖を「さっ」と開けたが、人影はなく、座布団ばかりが積み上げられていた。押入れの一箇所に埃が落ちていた。その上に天井への出入孔がある筈だと見ると、三太は持っていた天秤棒で突いてみた。ガタンと音がして、天井板が少しずれた。長坂は目明しの仙一に「覗いてみろ」と、指示した。
   「何かあります… あっ、赤ん坊です」
 母親か父親が咄嗟に我が子を隠したのであろう、赤ん坊は、衰弱して泣く元気も失っていた。仙一は、赤ん坊を抱いて、養生所に連れていった。
   「助かりますやろか?」
   「あの赤ん坊の生きる力次第だ」

 長坂と三太は、北町奉行所へ向かった。盗賊を動かせて甘い汁を吸っているのは矢野浅右衛門ではないのか、いや、矢野浅右衛門であって欲しい。三太はそう思っている。
   「長坂さま、わいを、矢野浅右衛門に会わせてください」
   「要件は何だ?」
   「いえ、ただちょっと」
   「そんな理由では、会ってくださらぬだろう」
   「では、ちらっと見るだけでも」
   「わしには喋られぬ訳があるのだろう、何とかしよう」
 長坂は、非道働きをする盗賊捕縛の為に協力して貰う心霊占い師だとして、三太を矢野浅右衛門に紹介してくれた。
 矢野浅右衛門は、それが子供だと見て、鼻で嘲笑っているようだ。
   「この者は三太と申します、三太は奉行所の内部に盗賊と通じて居る者が必ず居ると言っております」
   「さようか、それは早く突き止めねばならぬのう」
   「はい、それも直ぐに判ることでしょう、三太の占いには今まで幾度となく助けられております」
 
 そんな話をしている間に、新三郎は矢野浅右衛門に探りを入れた。三太は、間諜新三郎が得た情報を長坂に耳打ちした。
   「矢野さま、この三太は浪花の相模屋元番頭定吉の弟でございます」
   「相模屋の番頭?」
 矢野浅右衛門は、何かを思い出したようである。
   「知らんなぁ、番頭などいちいち覚えておらぬわ」
   「そうでしょうなぁ」
 長坂はそう矢野に相槌を打って、三太に向かって言った。
   「矢野様にお伝えすることがある、三太は下がって庭で待て」
   「へえ」

 長坂は、矢野の耳に今宵の張り込み先を告げた。
   「わたしの推理では、恵比寿屋あたりが襲われると思います」
   「左様か、抜かりのないように手配頼むぞ」
   「はい、今宵こそは盗賊共を一網打尽にして見せます」

 長坂は矢野浅右衛門に一礼すると、部屋を出た。
   「三太、どうであった?」
   「もうちょっと待ってください」
 新三郎がまだ戻っていないのだ。やがて新三郎は戻り、三太に告げた。
   「長坂さま、やはり盗賊と繋がっているのは矢野浅右衛門で、今宵盗賊どもは、恵比寿屋を襲う計画を三河屋に変更するようです」
 盗賊への繋ぎであろう、矢野浅右衛門は中間(ちゅうげん)を走らせた。中間は同心が付けているとも気付かず、一目散に盗賊の隠れ家へと向かった。

   「わかった、作戦通り恵比寿屋を張ろう」
   「えっ、何でだす?」
   「中間は盗賊の隠れ家へ着く寸前に取り押さえるのだ、繋(つな)ぎはとれなかろう」

 八人の盗賊と矢野の中間は捕まった。隠れ家を家探しすると、千両箱が三つ見つかった。新三郎が矢野浅右衛門の余罪を突き止めていたので、長坂を通し奉行に進言して証拠固めをした上、評定所で裁かれた。矢野浅右衛門には切腹の沙汰が下った。
 三太は矢野浅右衛門が無実の兄定吉に処刑を言い渡したことも、兄の仇を討ったとも他人には一切口に出さなかった。ただ夜更けの河川敷で上方の方向に向かって兄定吉に「兄ちゃん、仇は討ったでー」と、晴れやかに叫んだ。

 江戸の庶民を震撼させた盗賊がお縄になったことは江戸の町に伝わったが、その盗賊を動かしていたのが筆頭与力の矢野浅右衛門であったことは、幕閣が意識的に隠蔽して終結した。お上のご威光に関わることだからである。

   「三太、ご苦労さんやった、お陰で江戸の商人は枕を高くして眠れますわ」
 亥之吉旦那が、三太を労った その後、長坂清三郎が来て、亥之吉に礼を言って帰った。
   「何や、三太の貸賃も、礼金も無しや、せめて羊羹の一本でも持って来んかい」
   「せこいなー、旦那さんも」

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第九回 卯之吉の災難 

2014-10-30 | 長編小説
 ここは福島屋の店先、奥で女将のお絹が三太を呼んでいる。
   「これ真吉、三太はどこへ行きました?」
   「さっき大江戸一家の若い衆が呼びに来て、旦那様は三太と共に血相を変えて出ていきました」
   「何で堅気の商人が、侠客に呼び出されて駆け付けんといかんのや?」
   「さあ、何故でしょう」
   「何か言い残したことはおませんのか?」
   「いえ、何にも」

 大江戸一家の入り口の前で、若い衆が三人で立ち話をしていたので亥之吉が問うた。
   「どうしたのや、卯之吉に何かあったんか?」
   「へい、昨夜この近くの空き地に、卯之の兄ぃが女を連れ込んで不埒なことをした疑いで番所に連れて行かれました」
   「そんなアホなこと、卯之吉に限ってそんなことをする男やない」
 亥之吉は憤慨した。
   「あっし達も役人にそう言ったのですが、当の女が卯之兄ぃをみて、この人だったと証言したのです」
   「そうか、とにかく卯之吉に会ってくるわ、三太、行こう」
   「へえ」

 卯之吉は北町奉行所のお牢に入れられているらしい。亥之吉と三太が駆けつけると、与力の長坂清三郎が対応してくれた。
   「卯之吉は、絶対にそんなことをする男やない」
   「拙者もそう思うが、被害にあった女が証言しておるのでのう」
   「卯之吉に会わせてくれへんか?」
   「それは出来ぬ、まだ取り調べが終わっておらんのでな」
   「そこを何とか、刑が決まってからでは遅いやないですか」
   「刑といっても、精々寄せ場送り程度じゃ」
   「寄せ場送りだけと仰いますが、刺青刑が付くやないですか」
   「卯之吉は侠客だ、体中刺青だらけで御座ろう」
   「それとこれは違います、それに卯之吉は刺青なんかしていまへん」
   「ところで、そなた卯之吉の何なんだ?」
   「親友でおます、弟とも思っております」
   「兄弟盃を交わしたのか?」
   「わいはれっきとした堅気の商人(あきんど)です」
   「そうだった、これは済まぬ」
 長坂と亥之吉がそんな話をしている間に、幽霊新三郎はお牢の卯之吉のところへ行った。
   『三太、卯之吉は白ですぜ、道端に倒れていた女を抱き起こして事情を訊いてやっただけです』
 そこへ通行人らしき男が通り掛かり、大声で人を呼んだ。集まった人達の一人が番所に駆け込み、卯之吉はご用になった。三太はそれを長坂と亥之吉に告げた。
   「三太が言うのだから真だろう、わかった、女が嘘をついているようなので、この後の女の出方を見よう」
 長坂は、被害者を装った女を手練(てだれ)の騙りだろうと思った。美人局の変形だ。長坂はお牢の卯之吉に囁いた。
   「卯之吉、おまえは騙(かた)りに遭ったようだ、拙者と亥之吉で女の出方を見ているから、もう少しお牢で辛抱してくれ」
   「亥之の兄貴が乗り出してくれたのか?」
   「そうだ、三太も来ている」
   「有り難ぇ、大江戸一家の貸元に恥をかかせないで済む」

 長坂と亥之吉、三太は大江戸一家に来た。貸元(親分)と話をしているとき、折しも当の女がやって来た。
   「親分さん、あんたの子分に辱(はずかし)めを受けたが、この決着(おとしまえ)はどう付けてくれるのですかい?」
   「まだお裁きがでた訳ではない、うちの若い衆が犯人だと決まっておらん」
   「決まってからでは、遅すぎませんか、聞けば大江戸一家は真の侠客一家だというではありませんか、その真の侠客が地に落ちますよ」
   「それで、わしにどうしろと言うのだ」
   「二十両、いや三十両は出して貰いましょう、そうすれば、訴えは取り下げますがね」
   「お前さん、大江戸一家を強請(ゆす)りに来たのか?」
   「馬鹿を言っちゃいけません、女一人で大江戸一家に立ち向かいはできませんよ」
   「他に仲間が居るのかい?」
   「居ませんよ、兄は同心ですがね」
   「へー、同心の何方です?」
   「北町の柴田主水ノ介ですよ」
 長坂たちは裏から外へでて、表にまわり、話を聞いていたが、そんな男は知らない。
   「そうか、ちょうど良かった、今、北町の与力さまがみえました」
 女は「えっ」と振り返った。入り口に羽織袴(はおりはかま)の長坂が腰に十手を差して立っていた。女は逃げようとしたが、長坂に掴まってしまった。
 亥之吉が一人の男を掴まえて入ってきた。
   「この男は、女の亭主らしいが、全部吐きました」
 女は、その男を見て蔑(さげす)むようにいった。
   「ちっ、口の軽いやつ」


 卯之吉は、お解き放ちで自由の身になった。
   「亥之の兄ぃ、手数をかけて済まねぇ」
   「卯之吉、胸を張れ、お前はなにも悪いことをしていない」
   「へい」
   「ところで卯之、この三太の守護霊が、お前の心の内を探りに行ったが、自覚はなかったか?」
   「全然」
   「お前には、わいが付いていることを忘れとったやろ」
   「いや、亥之の兄ぃだけには迷惑をかけたらいかんと肝に命じとりました」
   「それがいかんと言うとるのや」
   「亥之の兄ぃは、堅気の衆です」
   「かまへん、店に来てくれてもええのや、わしかて大江戸一家に出入りしとるやないか」
 

 卯之吉と長坂に別れを告げて店に帰る筈の亥之吉の足が、新橋の方を向いている。
   「旦那さん、道が違うやおまへんか」
   「そうか?」
   「ははん、また新橋か」
   「三太が変なこと言うから、お絹はわいが何処かへ出かけよると、また新橋の道場かと言うようになったやないか」
   「違うのですか?」
   「違うわ」
   「あ、またどこかに道場開きはったな」
   「煩いやっちゃ、お前一人で店に帰れ」
   「へえ、帰ります、帰って女将さんと仲良く語り合います」
   「お前なぁ、小僧のくせして主(あるじ)を脅すのか」
   「別に脅しておりまへん」
   「ほんなら、お絹と何を語りあうのや」
   「そら、わいの将来のこととか、嫁さんを貰った晩に何をすればよいのかとか」
   「お前、子供やろ、そんなことまだ早い」
   「そやかて、不安ですがな」
   「今はそんなこと考えんと、わいの生き方を見て学ばんかい」
   「えーっ、じっと見ていてええのだすか?」
   「何を?」
   「新橋の道場で、五寸の棒術を…」
   「あほ、お前子供のくせにやらし過ぎ、なんちゅうスケベや」
   「旦那さんに似てくるのだす」

 結局、その日はご令嬢の祝言を控えているお得意さんを尋ねて、嫁入り道具の注文を受けてまっすぐ店に帰った。

   「旦那さん、お早いお帰りで」
 お絹が笑顔で迎えた。
   「なんや、嫌味みたいに聞こえるなぁ」
   「それは、旦那さんが後ろ暗いことをしてなはるからやろ」
   「なんやそれ、お前わしの何を知っているのや」
   「いいえ、何にも」
   「三太が喋ったのか?」
   「三太は口の重い子だす、そうやって旦那さん自身が少しずつ白状してはるのでっせ」
   「白状? わしは罪人か」
   「そら男の甲斐性だす、女の一人や二人を囲うのも宜しい、けど、わたいに内緒でコソコソする浮気は許しませんで」
   「言えばよいのか?」
   「そう、ここへ女を連れてきて、お店の衆全部に紹介しなはれ」
   「辛いやないか、辰吉にもか?」
   「当たり前ですがな」
   「あれっ、ほんまや、わし全部白状しているがな」
 
 お絹は新橋の妾宅に三太の案内で出かけることにした。
   「御免なさいよ」
   「はい、何方様でいらっしゃいますか?」
   「わたいは、福島屋亥之吉の妻、絹と申します」
 女は慌てることもなく平然としている。
   「旦那様には、お世話になっております」
   「そうみたいだすな、それでお手当の方は滞ったりはしていまへんか?」
   「はい、毎月きちっと」
   「それで安心しました、あんさんお名前は?」
   「蔦と申します」
   「お蔦さんだすか、今までお仕事はされておいででしたか?」
   「はい、新橋で芸者をしておりました」
   「ああ、そうだすか、垢抜けをしたお方だと、一目見て感じました」
   「奥様がここへお見えのことを旦那様はご存知ですか?」
   「へえ、うちの人は馬鹿が付くほど正直な男だすから、ちょいと突いたら全部白状しました」
   「済みません、奥様にご迷惑をお掛けしました」
   「いえ、ええのです、これからは秘密にしないで、どうどうと逢ってやってください」
   「いいのですか?」
   「勿論です、どうぞ店にもいらしてください、お店の衆にも紹介します」
  
 こうも明け透けになると変なもので、亥之吉の新橋へ向かう足が鈍った。やがてお絹が中に入り、お蔦には十分な金を渡して亥之吉と別れることになった。その後、お蔦は新橋で小料理屋を開いて、時々亥之吉も絹と共に立ち寄るようになった。
   「いらっしゃいませ、これは旦那様と奥様、ようこそおいでくださいました」
   「おや、若い板さんが入りましたね」
   「亭主です」
 亥之吉、ちょっと嫉妬しているようである。

  第九回 卯之吉の災難(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)
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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第八回 棒術の受け達人

2014-10-28 | 長編小説
 開店までには少し刻がある。雑貨店福島屋の主(あるじ)亥之吉は前栽(せんざい)を眺めながら手水(ちょうず)を使っている。三太が前栽の掃除をしながら何かを拾い首を傾げていた。
   「旦那さん、これ何だすやろ」
 亥之吉に差し出した。
   「それは、足袋の鞐(こはぜ)や」
   「昨日来た植木屋さんが落としたのやろか?」
 
 そんな話をしていると、女中がとんできた。
   「旦那様、昨夜雨戸を抉じ開けようとした跡があります」
   「どこだす?」」
   「こちらです」
 女中が指したところを見ると成る程、戸に傷が付いている。だが開いた様子はない。
   「何か盗られてないか、番頭さんに言って調べて貰いなはれ」

 三太が前栽を見回したところ、亥之吉が大切にしていた盆栽が無くなっているのに気付いた。
   「旦那さん、備前屋の旦那さんに貰った盆栽が消えています」
   「あ、ほんまや、どないしょう」
   「旦那さん、まだ盆栽なんか育てる歳やおまへんのやろ」
   「そやかて、備前屋さんに顔向けでけへんやないか」
   「正直に、盗られたといえばよろしいがな」
   「そんなこと言えば、枯らしたんやと思われるやないか」

 その盆栽は五葉の松で、値段を付ければ五両は下回らないものである。盆栽を育てるのが趣味の備前屋の旦那さんに勧められて「柄やない」と断ったところ、試しに一鉢あげるから、育ててみなさいと頂いたものである。
   「盆栽も育ててみると可愛いものや、どこぞの憎たらしい丁稚(小僧)より、よっぽど可愛いいで」
   「それ、誰のことです?」
   「いや、余所(よそ)の丁稚やけどな」
   「嘘言いなはれ、わいのことやろ」
   「そうかも知れんなぁ」
   「そんなこと言うてええのんですか?」
   「なんや?」
   「この前、得意さん周りや言うて、新橋へ行きましたなぁ」
   「ああ、わしがお伴なんか要らんと言うたのに、お絹が三太連れていきなはれと押し付けられた」
   「あの時、紅白粉(べにおしろい)をつけた綺麗なお姉さんの家に行きましたやろ」
   「はぁ、店の上得意さんや」
   「あのお姉さん、旦那さまに、お帰りなさいと言いましたな」   
   「あぁ、あれか、あれはあの人の口癖だす、誰にでもお帰りなさいと言いよるのや」
   「その後、蕎麦でも食べて来なはれと二十文くれましたわな」
   「そうやったか?」
   「半刻(一時間)程たったら戻っておいでと言わはったが、半刻の間、二人で何していはったのですか?」
   「そら、ご挨拶やないかい」
   「嘘つきなはれ、半刻経って行ったら、旦那さん褌を付けている最中やったやないですか」
   「あれはわしがお茶を零して、かわりの褌をお客様に頂いて履き替えとったのや」
   「独り暮らしの若い女が、何で褌なんか用意していますのや」
   「そんなこと知らんがな、あの人の趣味ですやろ」
   「へー、けったいな趣味だすなぁ」
   「三太、お前わしとあの女の仲を疑っとりますが、わしとあの人は、深い仲やおまへん」
   「浅いのだすか?」
   「うん、浅い、浅い、ほんの五寸(15センチ)くらいの付き合いや」
   「旦那様の持ち物、大きくなったら五寸だすか?」
   「たかだかそんなものやろ」
   「そうか、ほんなら奥様に尋ねてみる」
   「これ、待ちなはれ、それでのうてもお絹は恐いのに、誤解して暴れますやないか」
   「なにが誤解やねん」
   「わかった、わかった、三太は盆栽より可愛いがな」
   「やけくそで盆栽と比べられるのも、けったいな気分や」
   「えらいことした、白い方を引き受けとけばよかった」
   「白い方て、新平のことか?」
   「いや、何でもあらへん」

 一応、盗人に盆栽を盗られたと番所に届けておくことにした。
 
 盗人は次の日にお縄になった。ドジなことに盗んだ盆栽を福島屋の前栽を見てもらっている植木屋へ持ち込んだらしい。盆栽を見た嘉蔵が、福島屋の前栽にあったものだと気付き、その場で嘉蔵に取り押さえられたのだそうである。

   「まさか」

 亥之吉は、コソ泥が箱根の宿で会った三州無宿の勝五郎ではないかと訝(いぶか)った。自分を尋ねてきたものの、盗人から足が洗えず、ついつい盆栽を盗んでしまったのではないか。そう思えてならなかった。

   「今月は北の月番やから、北町奉行所へ行ってくるわ」
 
 北町奉行所で、盆栽を盗んだ男は、もしかしたら知り合いかも知れないと申し出たら、難なく牢内の盗人に会わせて貰えた。
   「何や、まだ子供やないかいな」
 見れば、まだ十五・六の少年であった。
   「盆栽を盗んだぐらいなら、身元引受人が申し出たらお解き放ちになりますやろに」
   「俺の身元引受人になってくれる人なんか居ない」
   「親はどうした」
   「居ない、俺は孤児だ」
 亥之吉は、信州上田藩の三太、今の緒方三太郎を思い浮かべた。
   「そうか、よっしゃ、わいが身元引受人になってやろうやないか」
   「俺が押し込んだお店の旦那さまが身元引受人に?」
   「そうや」
   「嫌だ、俺はお牢の中がいい」
   「何でや?」
   「飯を食わして貰えるからだ」
   「盗人の足を洗ったら、飯ぐらいうんと食べさせてやる」
   「本当か?」
   「ほんまや、知っとるやろが、わいは福島屋の主や、真当に働く気があるのなら、わいの店で働いてもええ」
   「俺、なにも好きで盗みに入ったのやない、腹が空いて堪らなかったからだ」
   「そうか、よし信じよう」
 これが三州無宿の勝五郎であっても、亥之吉は同じことをいっただろう。早速役人に申し出て、少年を預かることになった。
   「ところで、あんさん名前は何だす、まさか三太ではおまへんのやろな」
   「三太違います、斗真(とうま)と言います」
   「とうま? その名は誰が付けたのです」
   「捨てられた時に身につけていたお守りの中に、紙切れに書かれて入っていました」
   「そうか、もしかしたら、お前さんは武士の子かもしれへんで」
   「武士でも百姓でも、捨てられたら同じことです」

 亥之吉は、斗真は武士の子で、双子の兄弟が居るに違いないと思った。武家や商家では、双子は跡目相続でモメることから忌み嫌われていた。産んだ母親は「畜生腹」と蔑まれるので、双子の片方をこっそり捨てるのだ。
 捨てられた片方は、斗真のように不幸な目に遭い、武家に残された片方は大切に育てられて、恵まれた生涯を送ることになる。
 従って、この不公平が妬み、恨みを引き起こさないように、捨て子に決して姓名は伝えることはなかったのだ。

   「ウチには、三太と言う小僧が一人おりますのや、斗真は小僧という歳ではおまへんが、一年間は小僧で居ておくれ」
   「はい」
   「一年たったら手代になります、よろしいな」
   「はい、小僧さんに見習います」
   「そうや、その謙虚さを失わず、立派な商人になっておくれ」

 
 斗真は、真吉と名を改め、福島屋のお店にやって来た。
   「お店の衆、ちょっと集まっとくなはれ、今日から小僧として働いてもらう真吉だす」
   「わっ、大きな小僧やなぁ」
 三太は驚いた。
   「本当の名は、斗真と言うのやけど、商家の小僧さんらしく無ないので、真吉と呼んでやっておくれ」
 三太が勘を働かせた。
   「真吉さん、旦那さんの盆栽を盗んだ兄ちゃんやろ?」
   「すみませんでした、その通りです」   
   「わい、三太だす、仲良くしてください」
   「こちらこそ」
 真吉は、お店の衆一人一人に挨拶をした。
   「三太、小僧さんが二人になったさかい、暇が出来るので、棒術の修練に励みましょな」
 亥之吉が三太に告げた。
   「場所は、やっぱり新橋の道場だすか?」三太は皮肉のつもり。
 亥之吉の女房お絹が聞きつけた。
   「なんで棒術の修練を新橋の道場でしますのや、今まで通り家の前栽か、裏の空き地でやりなはれ」
   「それが、棒術の受け達人が新橋に居ますのや」
 亥之吉しどろもどろ。
   「へー、その受け達人、紅白粉(べにおしろい)付けていますのやろ」と、お絹がずばり。
   「ん?」

 「第八回 棒術の受け達人(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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