雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十回 長坂兄弟の頼み

2015-01-04 | 長編小説
 亥之吉は卯之吉の母親を背負い、卯之吉は妹お宇佐の手を取り、木曽路の激流難所「大田の渡し」を越え、木曽は上松の「木曽の桟(かけはし)」を難なく越えて塩尻、長久保を経て信濃(しなの)の国は上田藩に入った。 

 この上田藩には、少年時代を捨て子の「三太」、拾われて上田藩士で今は亡き佐貫慶次郎に育てられたが、江戸へ母を探しに出て、母に暴力を振るう実の父を見て殺してしまった。奉行の情けで死罪を免れ、水戸藩士能見家の亡き次男の名を貰い、養子になって能見数馬と名を変えたが、やがて佐貫の家に戻り、義兄の名を貰い、剣豪「佐貫三太郎」へと成長した。今は蘭方医「緒方三太郎」としてここに居る。

 上田城下に入り、大店(おおたな)の店先で「医者の緒方三太郎」と尋ねると、すぐに教えてくれた。名前が知れているようだ。
   「緒方先生の診療所ならこの近くです、私が案内しましょう」
 店主とみられる恰幅(かっぷく)のよい男が、先に立って導いてくれた。
   「先生、お客様ですよ」
 男が診療所の表口で叫ぶと、十二歳くらいであろうか、少年が飛び出してきた。
   「これは、諏訪屋の旦那さま、ご案内して頂いたのですか?」
   「はい、わたしもこちらの方面に用がありましたのでな」
   「有難う御座います」
 少年は見知らぬ一行へも一礼した。
   「生憎(あいにく)、先生は往診にでかけており留守ですが、間もなく戻りましょう、中へお入りになってお待ちください」
 少年は、亥之吉が背に負った卯之吉の母親をみて、床をとった。
   「ご病人はこちらに寝かせてください」
 亥之吉の顔を見て、会釈した。よく行儀が行き届き、師の人柄が偲ばれる少年であった。少年は湯の入った足盥(たらい)を用意して、濯足(たくそく)促した。三人が足を濯いでいる間に、少年は病人の様子を診た。
   「熱があり、たいへん弱っておいでですね、私は漢方薬の葛根湯をお進めしたいのですが、先生の留守に勝手なことは出来ません、今、葛湯を作りますので、取り敢えず飲んで頂きましょう」
 少年は緒方三太郎の弟子で佐助と名乗った。彼はかって「美江寺の河童」と呼ばれた少年で、両親を亡くして叔父の家に引き取られたが、苛められて家出をし、倒れているところを当時の能見数馬、今の緒方三太郎に救われた。

   「あっ、馬の蹄(ひづめ)のお音が聞こえます、先生のお帰です」
 佐助が言って間もなく、緒方三太郎が戸口に立った。
   「先生、お客様です」
   「お客様? 急な病人か?」
   「いえ、福島屋亥之吉さんと仰るお客さまです」
 三太郎が慌てて駆け込んできた。
   「おお、正しくお懐かしい亥之吉さんだ、よく来られました」
 亥之吉の顔を見て、三太郎の人懐っこい童顔に笑みが零れた」
   「その節は、たいへんお世話になりました」
   「その節て、どの節のことかね」
   「あの節や、この節や、仰山(ぎょうさん=たくさん)だす」
   「あはは、冗談です、どうしてこんな田舎町へ?」
   「三太郎さの顔が見たくて来たのだす」
   「それは嘘です、何か相談事があったのでしょ」
   「へえ」 
 弟子の佐助が遮った。
   「先生、募る話は後にして、はやくお連れの方の容態を診てください、先ほどわたしは葛湯を差し上げましたが、半分飲まれただけでした」
   「おお、そうか、わかった」
 三太郎が診察室へ入った。その時、馬を繋(つな)いでいたのか、弟子の三四郎も入ってきた。
   「あ、亥之吉さんじゃないですか、お懐かしゅうございます」
   「おや、憶えていてくれましたか、三四郎さんは、見違える程大きくなりましたなぁ」
 三四郎は、三太郎と共に、江戸銀座の福島屋に寄ったことがあるのだ。
   「その節は、お世話になりました」
   「その節て、どの節や?」
   「先生に連れられて、福島屋さん…」
   「あはは、嘘や、嘘や、ちゃんと憶えてまっせ」
 亥之吉は、三太郎にやられた仇をとったつもりである。

 三太郎は、卯之吉の母親の手を取って脈拍を見ていたが、弟子の佐助を呼んだ。
   「これは熱の為に、体が弱っている、漢方薬よりも効き目が早い西洋薬にしよう」
 三太郎は筆を取り、すらすらっと処方箋を書いた。
   「先生、解りました、直ぐに調合します」
 佐助は慣れたもので、ちょいちょいと混合した薬を、十等分に分け薬包紙で包んだ。
   「先ほど、葛湯を差し上げたのなら調度良い、今一包と白湯を差し上げてください」
   「はいっ、直ぐに用意します」
 佐助の、まだ幼さが残る横顔には、もう医者の風格があった。

   「三四郎、今夜はお客様がお泊りですから、私と一緒に夕餉の支度をしよう」
 三四郎は、「とんでもない」と、手を顔の前で振った。
   「三四郎さんは、師匠思いですね」
 亥之吉が三四郎に話かけると、またしても手を顔の前で振った。
   「違うのです、先生がお料理を手伝うと、みんな不味くなってしまうのです」
   「いつもは、何方が作っていなさるのだすか?」
   「先生のおっ母さんです」
   「今日は姿が見えませんね」
   「はい、先生のご実家の佐貫家にお客様がおみえですので、お手伝いに行って今夜はお帰りにならないと思います」
   「そうだすか、それは悪い時に来てしまいました」
   「大丈夫です、私の料理の腕は確かですから」
 
 自信有りげに言うと、三太郎から金を受け取り、三四郎は食材の買い込みに外へ飛び出して行った。

 緒方家の夕餉は、久し振りに賑やかであった。食事が済んで三太郎と亥之吉、卯之吉の三人になったところで、三太郎が切り出した。
   「私に相談事と言うのを伺いましょうか」
   「へえ、この親子を助けてやってほしいのだす」
   「助ける?」
 亥之吉は、ことの次第を隠すことなく話した。鵜沼のある村の村役人が、村人から江戸幕府に収める年貢米に上乗せして重い年貢を納めさせ私腹を肥やしていた。その役人は、邪な心で卯之吉の妹お宇佐を我がものにしようと、嫌がるお宇佐を屋敷牢に監禁した。そればかりか、病に臥せる母親を孤立させて、餓死させようとした。息子の卯之吉がそれを知り、激怒して村役人を斬ってしまったのだ。

 卯之吉は自訴するつもりだが彼はやくざ者、相手に落ち度があるとしても、自訴すれば満足なお調べもなく確実に打ち首である。
 亥之吉は、どんな犠牲を払っても、卯之吉の命を助けたいのだと三太郎に匿ってくれるように訴えた。

   「あはは、そんなことでしたが、私に任せておきなさい、きっと三人を護ってみせましょう」
 亥之吉は思った。緒方三太郎と言う人は、なんて心の広いお方だろうと。三太郎の自信に満ちた笑顔をみていると、ここへ来て良かったとつくづく思う亥之吉であった。


 江戸は京橋銀座、福島屋亥之吉のお店(たな)に、十四・五歳の少年が、弟と思われる十歳前後の少年を連れて訪れた。
   「ごめんください」
   「へーえ、いらっしゃいませ」
 少年たちの声に、真っ先に反応したのは三太であった。
   「この店の三太さんにお会いしたいのですが…」
   「三太はわいだすが、どなたさんでおます?」
   「私は、長坂清心、この子は長坂清之助です」
   「あはは、わかってしまった、長坂清三郎さまのお坊ちゃまですね」
   「はい、そうです」
   「どのようなご用だす?」
   「父上が色々とお世話になっています」
   「それを言いにここへ?」
   「はい、それと、私たちも何れお世話になるから、今の内に友達になって貰えと父が申しました」
   「何のこっちゃ、長坂様は何を企んでいるのや?」
   「いいえ、企んではいません、そのままです」
   「わいは町人の子やで、町人と遊んでいたら、寺子屋の仲間に笑われまっせ」
   「そんな事で笑う者は居ません、なっ」
   「うん」
 弟が相槌を打った。
   「わかりました友達になりまひょ、その代わりわいに遊ぶ時間なんか殆どおまへんで」
   「三太さんと遊ばなくてもいいのです」
   「そうか、ほんならわい町人やし、大分年下やから三太と呼んでくれたらええで」
   「では友達の三太、一つ頼みがあって来たのだが…」
   「ガクッ」

  第二十回 長坂兄弟の頼み(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
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「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

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