雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十八回 三太がついた嘘

2015-01-29 | 長編小説
 日本橋から中山道にとり、板橋に行く街道から横道に逸れて二町ばかり入ったところに、朽ち果てた空き家があった。男は下見をしておいたのであろうこの家に、三太を連れ込んだ。
   「えーっ、わいをこの柱に、縛り付けるのだすか?」
   「そうだ、計画通りなら、福島屋の女将を縛り上げるつもりだった」
   「この家、今にも倒れそうやないか」
   「お前が暴れると、柱が腐っておるから倒れるぞ」
   「そんなー、殺生や」
   「お前にも亥之吉にも恨みはないが、渡世の義理で亥之吉を斬らねばならんのだ」
   「一宿一飯の恩義だすか?」
   「最初はそうだった、わしは半かぶちながら、もうすぐ貸元の盃を受けるところだ」
   「わいは福島屋の小僧、三太だすが、おっさんは?」
   「わしは、木曽の松蔵だ、おっさんと呼ばれるのは嬉しいが、まだ十八歳なのだぞ」
 強がっているが、何やら心配事がある様子だ。
   「わしの誤算と言えば誤算なのだが、亥之吉は佐久の三吾郎と一緒なのだ」
 三吾郎が一宿一飯の恩義を忘れていなければ、松蔵の味方になってくれるだろうが、そうでなければ松蔵はここで斬られるのは間違いない。それを恐れて逃げ帰ったところで、おめおめと一家の敷居を跨ぐわけにはいかない。考えてみれば、三吾郎に亥之吉を殺る気があれば、旅籠で寝首を掻いているに違いない。
   「やはり、ここがわしの墓場になるようだ」
 三太は、松蔵の悄気げた顔を見て「ぷっ」と、吹き出した。
   「何が可笑しい」
   「亥之吉旦那は堅気の商人(あきんど)だす、一宿一飯の恩義で堅気を斬って、男の株が上るのだすか?」
   「そうだな」
 こいつ、素直で根は善い男らしい。
   「ところで、亥之吉旦那はいつここを通るのだすか?」
   「わからん、わしは夜も眠らずに先回りしてきたが、あいつは寄り道ばかりしておる」
   「そうでっしゃろ、明日になるか、明後日か分からへん」
   「うん」
   「こんな物騒なところで夜を迎えたら、お化けが出るかも知れんし、腹も減ってきた」
   「何か食べ物でも買ってくるか」
   「それより、一緒に日本橋へ戻って何か食べようやおまへんか」
   「お前、逃げる気だな」
   「いいや、逃げまへん」
   「ほんとうか?」
   「嘘はつきまへん、安心しておくれやす」
 三太の言葉をあっさりと信じた松蔵は、縄を解き二人して日本橋へ向かった。
   「なあ、わいの天秤棒はどこへ捨てたんや?」
   「覚えていない」
   「もー、あれはわいの魂やで」
   「ただの肥担桶用の天秤棒だろ」
   「あほ、違うわい、旦那さんがわいの背丈に合わせて誂えたくれたものや」
 探しながら戻って来たが、見つけることは出来なかった。
   「折角手に馴染んでいたのに、どないしてくれるのや」
   「わかった、わかった、そこらの藪で竹を切ってやる」
   「そんなもん、要らんわい」
 三太は、ぶつくさ言いながら、日本橋に着いた。見つけた一膳飯屋で腹ごしらえをして、朽ち果てた空き家に戻ろうと言うことになったが、三太が突拍子もないことを言い出した。福島屋へ行こうと言うのだ。これから殺ろうという男の店に行けば、役人に訴えられてお縄になるのは見え透いている。
   「三太、お前はわしを騙そうと言うのか?」
   「いいや騙さん、店で旦那さんの帰りを待てば、ふかふかの布団で眠れるやないか」
   「空き家では、お化けが怖いのか?」
   「うん」
 空き家に亥之吉を誘い込んでも、結局、斬られるのは自分だろうと松蔵は考えた。
   「よし、行こう」
 破れかぶれになっているのか、三太を信用しきっているのか、松蔵は三太に従うことにした。


 亥之吉と三吾郎は、木曽の棧、大田の渡しと並んで中山道の三大難所、碓氷峠に差し掛かっていた。難所と言っても若い二人のこと、息切れをするでもなく、談笑しながら難なく越えた。
   「三吾郎はん、この度大江戸一家にで草鞋を脱いだら、もう客人ではおまへんのやで」
   「へい、分かっとります、親分子分の盃が貰えるように精一杯務めます」
   「堅気になれと言うたとて、あんさんは根っからの渡世人らしおますから我慢が出来まへんやろ」
   「その通りです」
   「大江戸の貸元はんは、五街道一の大親分だす、代貸の卯之吉が足を洗った後釜として、頑張っておくなはれや」
   「へい、ところで卯之吉兄ぃは、どうして足を洗う気になったのです?」
   「妹や、妹がお武家の妻になるかも知れへんから、妹に恥をかかせたくないのやろ」
   「渡世人は恥ですか?」
   「そらそうやろ、ひとつ違えば凶状持ちになって、お上に追われる身になるのやさかい」
   「そうですね」
   「それに、卯之吉には病の母親も居るのや、博打が飯より好きな卯之吉でも、母と妹のためには堅気になるしかなかったのやろな」
   

 江戸の福島屋では、松蔵が三太の言葉に従って亥之吉が帰るのを待っていた。いつまでも福島屋の世話になっては居られない。明日にでも気の向くまま、足の向くまま、宛も果てしもない旅に出ようと心に決めた松蔵であった。
   「そやけど、旦那さんが帰るまで待っていてくれまへんか?」
   「もう、亥之吉さんを斬ることは出来ない、待っていても仕方がないことだ」
   「そうは思いまへん、松蔵さんのことを旦那さんは放っておかへんと思います」
   「命を狙ったこのわしをか?」
   「そうだす」
   「嘘をつけ、小僧が殺られると知っても、小僧のなり手はたくさん居るから構わんと無視する男だと言ったではないか」
   「あれは嘘だす、そんなことをする旦那さんやおまへん」
   「この野郎、もうお前の言うことは信じないぞ」
   「あれは、松蔵はんの企みを、止めようとしてついた嘘や」
   「亥之吉は、賭場荒らしだ、それにわしの兄貴分を尽(ことごと)く藩の奉行所に突き出した」
   「だんさんは、博打はしまへん、奉行所に突き出したのも、あんさんの親分に非があるに違いおまへん」
   「突然賭場に乗り込んできて、客を連れ去ったのだぞ」
   「その原因も、旦那さんが戻れば分かることだす、それまでゆっくり骨休めをしていてください」


 それから三日たった夕刻、亥之吉は佐久の三吾郎を連れて戻ってきた。
   「お絹、今戻った」
 お絹は、奥から転がるように出てきた。
   「今戻ったやないやろ、こんなに長い間、信州で何をしていたのだす」
 お絹は、涙声である。亥之吉が戻ったら離縁するのではなかったのかと三太は思ったが、強いて突っ込みはしなかった。
   旦那さんが斬られたと聞いて、わたいは気を失いそうになったのだすから…」
   「それは誰から聞いたのや?」
   「ここにお見えの、松蔵さんからだす」
   「松蔵さん? 店に居るのか?」
 三太が松蔵と共に出てきた。亥之吉は松蔵の顔に見覚えがあった。
   「松蔵はん、あんたは…」
   「へい、亥之吉さんに荒らされた賭場の三下でござんす」
   「はいはい、あの賭場の、どうりで見覚えがある筈や、それで?」
   「亥之吉さんが斬られたと嘘をついて、兄ぃ達の仇を取ろうとやってきました」
   「そうか、ほんならどうぞ… と、言いたいとこやが、悪いのはそっちの貸元だっせ」
   「どう悪いのだ」
   「堅気衆を脅して賭場に誘い込み、金を借りさせていかさま博打で全部巻き上げ、客に残るのは利息月三割の借金だけや」
   「月、三割?」
   「知らんのか? 十両借りたら直ぐ返しても十三両や、半年も返すことが出来なかったら、五十両近くに膨れ上がるのや、一年もすれば二百三十三両や、あんさん、これをどう思う?」
   「知らなかった」
   「わい等は、無理矢理に借用書を書かされた文吉と言う商人を救うために乗り込んだのだ」
 松蔵は、漸(ようや)くこの場に佐久の三吾郎が居ることに気が付いた。
   「あっ、三吾郎の兄い、ごきげんさんです」
   「あの貸元はとんだ悪玉だぜ、仇を討って貸元のところへ戻るのか?」
   「いや、戻りません、明朝、ここを発って陸奥あたりに行こうかと思いやす」
   「宛はあるのか?」
   「いいえ」
   「それなら俺と一緒に大江戸一家に草鞋を脱がないか」
   「兄いと一緒なら、心丈夫です」
   「亥之吉さんが付いて行ってくれるそうだ、信州の貸元には、大江戸の親分が話を着けてくださるだろう」
   「へい」
   「俺も、次に大江戸一家を後にするときは、信州に戻って一家を構えるつもりだ、松蔵さんも来てくれるかい?」
   「もちろんです」

  第二十八回 三太がついた嘘(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

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「第四回 与力殺人事件」へ
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「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
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