雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

鳩を狙う猫日記

2012-01-31 | 日記

 こんな場所でこんなチビ猫に鳩が捕まる訳がないのだけれど、果敢にアタック・・・・しなかった。 鳩が猫を見るや、すぐに飛び立った。 猫は頭上の鳩を見上げて、「チッ! 惜しかった」と言っているようだったが、惜しくもなんともなく、ただの「すっとぼけ猫」になっていた。 

 話は変わるが、最近の使い捨てカイロって、「随分長い時間もつのだなぁ」と感心した。 包装紙に書いてあるのは18時間ただそうであるが、20時間たった今もまだ暖かい。 私の知っている昔のものは、7,8時間も経つと固く冷たくなったが、今のはまだサラサラしていて、振るともっともつのではないかと思わせる。 そういえば、使い捨てカイロなど、もう何十年も買ったことがなかった。 小さな小さな静電気の電撃以下のカルチャーショック。

 

 


丑三つ日記2・小判焼き煎餅

2012-01-31 | 日記

 税金の督促葉書が来た。 妻が居た折は、こんな事はなかった。 私が忘れていても、妻が教えてくれたから。 督促葉書を持ってコンビニで払い込めば済むので別にたいしたではないのだが、ちょっと自分を情けなく思った。 

 払い込みに行ったついでに、スーパーで買い物をして、昼食もファーストフードで済ませた。 焼きそばとコーヒーで380円なり。 キャベツの芯がごろごろ、豚肉は一かけしか入っていなかった。 

 夜にPCのキーを叩いていると、手が冷たい。 ストーブまでは不要だが、ちょっと手を温めるものが有ってもいいかなと思い電池式の手袋をネットで検索してみると、流行っているのかバイク用手袋のようなものがたくさんヒットした。 結構高価(私にとって)な上に、電池は10時間程度しかもたないそうな。 あほらし、それなら小さな使い捨てカイロを手袋に入れて温めよう。 早速使い捨てカイロを買ってきて使っている。 手はぽかぽかで快適だが、二文字同時打ちが多くて修正が面倒くさい。  

 3時のおやつに、好物のスルメの足を買ってきた。 少しオーブン・トースターで焙って食べると癖になる程美味い。 かなり塩辛いので、ほどほどにしておこう。 

 昔、小判焼きという固い煎餅が有った。 歯が立たない程固いあの煎餅、今の若い人は好まないのか、どこのスーパーの売り場を探しても見つからない。 あれも好物だったのだがなぁ…  歯が丈夫なうちにもう一度食べたい。 


バナナ日記

2012-01-29 | 日記

 デスクの上に,買ったばかりの充電式の髭剃りを置いて、暇が有れば髭を剃っている。 おもちゃを買って貰った子供のようだ。 その所為で、「今日は出かけるから髭を剃っておく」という生活スタイルはなくなった。 

 子供の頃、親に玩具を買ってもらったことがないので、なにか小さな物でも買うと子供のようにウキウキしてしまい、帰宅するとすぐに開けずにいられない。 その点、娘たちは違っていた。 封も切らずに一週間も二週間もそのまま。 育ってきた時代、環境の所為だろうか。

 この冬、当地は積雪が無い。 2,3度、早朝の屋根に霜か雪か埃か判らないようなものが白く残っていたが、すぐに消えていた。 ただし乾燥した寒い日が続きっぱなし。 歩き始めた「みいちゃん」みたいに、「はーるよ来い」の心境。 しかも、「さっちゃん」のように、バナナを半分しか食べられないし。 関係ないけど・・・。

 

  

 


詐欺予知トレーニング(SYT)

2012-01-28 | 日記

 工場、作業現場、道路交通、オフィスに於いて「危険予知」は重要である。 その危険予知能力を高める訓練をローマ字表記で 「KYT」、低燃費を「TNP」と言うが如し。 これは、家庭に於いても重要で、例えばフロアに広告チラシが落ちているのを見つけると、これを踏むと足を滑らしひっくりかえるかも知れないと誰もが思う筈だ。 この「危険かも知れない」と予測する能力を高めて安全に導こうと言うのが(KYT)である。 そして、安全策として広告チラシを片づける。 「この棚は、お爺ちゃんが吊ったものだから、重いものを乗せると落ちて下に居た者が怪我をするかも知れない」と、補強させたり、ティッシュ・ペーパーより重いものは乗せないようにするなど、安全策をとるのだ。 家庭に於けるささやかな「危険予知訓練」でも、いろいろな危険に気が付く。 

 この「危険予知訓練」の要領で、「詐欺予知訓練」を自分でしてみたらどうだろう。 それには、様々な詐欺の手口を勉強して、「騙しうるシチュエーション」 「騙されうるシチュエーション」を想定できるまでに意識を高めることが出来れば鬼に鉄棒ではなかろうか。 一寸法師に木綿針かな? 

 現在は、「騙し」の時代。 コマーシャル然り、訪問販売然り、電話勧誘然り、我々純良(?)な老人には、その道のプロフェッショナルが張り巡らした罠を見抜く力は到底ない。 「なんとなく怪しい」、「・・・かも知れない」と思う「と思ったら、身近な若い人にすぐ相談する習慣を身に着けたい。 「老いては、まず子の意見を聞け」である。 

 (詐欺予知トレーニングは私の造語なので、使って恥をかかれないように)


丑三つ日記

2012-01-27 | 日記

 まさに「丑三つ時」に日記を書いているので、「丑三つ日記」と名付けることにする。 で、「草木も眠る丑三つ時、どこでつくやら寺の鐘が、陰にこもって物凄く…ごーん」って書きたいところ、近くに鐘をつく寺はない。 

 怪談噺と言えば、桂枝雀師匠の創作落語「幽霊の辻」 年配の大阪人は「ゆうれんのつじ」と言う。 なかなか面白い落語なので、まだ聴いたことがない人は You Tubeで一度聴いてみて欲しい。 

 それと、かなり古い作品であるが、明治生まれの落語家、お婆さんを演じては東西ピカイチの五代目古今亭今輔師匠の創作落語「死神」 

 ある男がひょんなことから死神が見えるようになる。 死神と親しくなった男は、死神から金儲けの方法を教わる。 祈祷師になって、お金持ちの病人のところへ行き、死神が病人の枕元に座っていたらその病人の命は助かる。 もし、足元に座っていたら、まもなく命が消えるというのだ。  早速、次の日から始めてみると、どこへ呼ばれていっても、死神が枕元に。 ところが、ある大金持ちの屋敷に呼ばれていってみると、死神は足元に… 助かる見込みは無いと告げて男が帰ろうとすると、千両出すからどうか助けてくれと頼まれ、欲に負けた男は、ある策を思いつく・・・・。 これも You Tube にある。 

 今日は寒い一日だった。 仏壇の花が萎れたので、スーパーまで買いに行った。 菊の花を買ってきたが、菊の花は驚くほど長持ちする。 それに、仏様には内緒だが、安い。 余ったお金で、蜜たらし団子を買った。 思えば我が家の仏様は、甘いものが大の苦手であった。 仏様のお下がりは、明日私のオヤツに・・・・。


深夜日記

2012-01-26 | 日記

 老人性乾燥肌で背中とかが痒いのが、入浴後直ちに保湿クリームを塗ったら、翌日は痒みが無かった。 やはり、テレビ番組で言っていたことは正しいのかな? まだ一日ぽっきりしか経っていないので、結論を出すのは早いかな?  

 また、新しいクイズ番組がスタートしていた。 お馬鹿キャラのスットボケが面白いので、人気番組になるのかな? MCの、紳介さんを意識しているようなアクの強い司会ぶりも面白い。 ただ、回答者の中に全くルールを理解していないくて、その間抜けぶりには面白いを通り過ぎて呆れさせられる。 拗ねたり、怒ったり、泣いたり、本番中を通しで蚊帳の外を決め込んでいるのが居たり、ハチャメチャ番組と言っても言い過ぎではないと思う。 

 昨日(水曜日)は、晴だった。 ただ今、部屋の温度は11度。 キーを叩く手が冷たい。 と、いうか、半分凍ってきたみたい。 (嘘) ホット手袋がほしい。 


クロルヘキシジン

2012-01-24 | 日記

 風呂に入り、この一つ前の記事で書いた「我が家の風呂は小さいので溺れることは無いだろう」みたいなことを検証してみた。 両横と後ろへは倒れることは無いだろうが、前には無防備だった。 そこで風呂蓋をおいて前に倒れてみたら、蓋が巻き上げ式なので「くるん」と前にすべり顔が「ポチャン」と湯船の中へ。 頭だけ外に出せる風呂蓋でも作らないとだめだと判った。 しかしそれだと、溺死は免れるとしても、溢死するのではないか? とか、「馬鹿な考え休むに似たり」のお手本か? 

 風呂上りには、体が乾かないうちに安物で良いから「保湿クリーム」を塗ると乾燥肌対策になるとか。 背中とかが痒いので、これを実行しようと「尿素保湿クリーム」を塗ることにした。 結果報告は、乞うご期待。 もし、効かなかったらテレビ番組を責めてほしい。 こんなことに期待をよせるご同輩は居ないと思うが…。

 昔、一日中革靴を履いて仕事をしていた頃、足が臭くなって困っていた。 風呂でよく洗っても、翌日の晩になるとまた臭くなる。 この対策として、クロルヘキシジンの製剤を風呂上りに吹きかけることで改善された。 この製剤の0.05%液を、病院で器具の消毒や、皮膚の消毒に使用しているもの。  薬局で手に入るはずだが、入らない場合は同じ製剤を含む「オロナイ〇軟膏」でも効いた。 汚い話だが、これを風呂上りに股間に塗っておくと、3~4日風呂に入らなくとも不思議と臭くならない。 ただし、これは私の場合のことで、万人に当てはまるとは限らない。 念のため。

 今日はやっぱり体調がわるいのかな? ろくなことを考えない一日だった。

 


長良川の鵜飼いのように・・・

2012-01-24 | 日記

 曇り時々晴れ間。 ちょっと体調を崩したかな? 朝から眠ってばかりで、亡くなった人の夢ばかり見ていた。 食欲もいまいちだし、寒いくて堪らない。 咳も頭痛もないけれど風邪かな? つい最近風邪ひいたばかりなのに。 こんな日は風呂で体を温めて、早い目に寝るとするか。 

 とはいえ、冷えて血管が収縮し血圧が上がっている状態で熱めの湯に浸かると、血管が広がって急激に血圧が下がる。 この時に気を失って溺れて死ぬことがあるとか。 しかし、我が家の風呂は小さくて、座って足を延ばすと湯船の先についてしまうし、横に倒れると、ゴチンと湯船の縁に当たってしまう。  安全なんじゃないかな? さて、気を失った後、いつ気がつくかが問題だ。 気がついたら、三途の川で「首に紐をつけられ、潜っては魚をくわえて上がり、鬼さんに渡していたなんてことも、無きにしも・・・・・・無いか。

 と、あほなことを書いているうちに、風呂が「ピッピッピッ」 昼間寝すぎたので、今夜はなかなか寝付かれないだろう。 


誕生日

2012-01-21 | 日記

 妻の誕生日が近いことを思いながら、 こう考えた。 (漱石の草枕調で…)

 「25才過ぎたら、誕生日なんかめでたくないよ」 こんなことを言う人が居る。 

 正月や 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 

 一休和尚の短歌に引っかけて、「誕生日は冥土の旅の一里塚」だから、めでたくは無いと主張する人が年寄りの中には結構居る。 そうかも知れない。 しかし、誕生日とは年が一つ増えたからめでたいだけではないと思う。 

 無限の確率を経て生まれてきたあなたよ、おめでとう。 程度の差はあるだろうが、艱難辛苦乗り越えて、ここまで無事に年を重ねられたあなたよ、おめでとう。  この星に生まれて来てくれて、ありがとう。 また、来年も、再来年も、あなたのお誕生日のお祝いをしましょう。

 そんな、家族や親類や友人たちの願いを受けて、「誕生日」のお祝いをするのだ。  ・・・・・・かな? (^_^;)


高級品ではないけれど…

2012-01-20 | 日記

 充電式の髭剃りを買った。 今使っているのはバイブレーター付の安全剃刀と、充電式の回転型髭剃りだが、回転型はかなり使い込んでいるので電池の寿命がきているのか、髭剃り中に髭を噛んで止まったりする。 なんだかネズミに顎を噛みつかれたようになり、剃刀がぶらんとぶらさがるので、痛いのに耐える馬鹿まるだしの様相を呈してしまう。 安全剃刀の方は、かなり気に入っている。 しかし、シャワーを浴る時に使うと快適なのだが、ちょっと急いで出かける時にはシェービング・フォームが面倒くさい。 そこでバイブレーター式の剃刀を買って使ってみたら、昔の電動式バイブのブルブルとは全然ちがっていた。 周波数は1000Hzぐらいだろうか、かなり快適に剃れる。 こんな物にも、爺は時代の進歩を感じて、小さな驚きを覚えてしまった。 昔、流行った「カルチャーショック」という言葉を思い出したりして、「これから先、こんなショックばかりであればいいのに」と、生意気にも地球環境の劣化を憂いてしまった。                    


雨降り

2012-01-19 | 日記

 今日は曇りのち雨。 夕方になって雨はあがり、先ほどまでカラスの鳴き声が飛び交っていた。 カラスの鳴き声は個性があって、あれは「おっさんカラスだ」とか、あれは「若いメス」だとか、あれは「まだ子供だ」とか、聞きなれると判ってくる。 正解かどうかは別にして、要は一羽一羽の声が違っているのだ。 で、「それがどうした」と突っ込まれても「いや、ただそれだけのこと」と答えるしかない。 まあ、軽いサギにでも遭ったと忘れてほしい。 えーっと、鷺の話ではなかった筈なんだけれど…。

 夕べテレビを見ていたら、世界一国民が幸せな国「ブータン」の話をしていた。 貧しい私から見ても、かなりレベルの低い幸せだなあと思えた。 教育は、まだまだ行き届いていないようだし、 多少といえども貧富の格差はある。 ただ中国のように極端ではないだけだ。 

 ブータン国民の話のなかで、彼らの頭上に蝿が飛び交っていても、決して叩き落とすことはしないそうである。 たとえそれが蚊であれ野良犬であれ、叩き潰したり、追っ払ったりしないのだとか。 その理由は、獣や虫などの生き物は亡くなった人間が生まれ変わったものだと信じられているからである。 蚊にさされても「この蚊は先ごろ亡くなったお爺ちゃんかも知れない」と考えるのだそうである。 仏教世界観の輪廻の教えが信仰されている為だとか。

 幸福のかたちが、さまざまであることを今更のように知った。 また、一地球人として客観的にその幸福格差を見るならば、 「本人達が幸せだと言っているのだから、それはそれでいいじゃないか」で終わらせて、無責任に「世界一幸せな国」と呼ぶには、罪悪感みたいなものが心をかすめるのは、私だけだろうか。


ただの日記

2012-01-19 | 日記

 今日は朝から快晴であった。 間もなく立春なので、小春日和というには少しずれているけれど、寒中小春とでも呼ぼうか、主婦的に表現すれば「洗濯日和」であった。 家庭用の洗濯乾燥機が我が家にもあるには有るのだが、やはり節電が必要なこの時期に長時間かかる乾燥機は使い辛い。 屋外の見た目がどうあれ、今は節電優先でいくべきだろう。 

 昨年に、我が家の家族である金魚の水槽照明蛍光管が老化減光した。 マゼンタ色の蛍光管に取り換えたら、水槽のガラスに付く「苔」が汚らしいドブ泥色から奇麗な緑色に変わってきた。 どうやら、マゼンタ色の蛍光管は植物育成用だったらしい。 苔をとる手間は同じだけれど、見た目はわりと奇麗。

 妻が以前に入院していた病院の当時婦長さんだった方からお手紙を頂き、今日礼状をを投函した。 投函してから気が付いたのだが、現在は「婦長さん」ではなく「師長さん」に変わっていたのだ。 「しまった」と思ったが、当時は婦長さんだったのだから「まあいいか」と自分を誤魔化した。  

 

  


K病院内科婦長様への礼状

2012-01-17 | 日記

拝啓

 寒い日が続いております。 婦長様にはお元気に活躍されいる様子で、何より喜ばしいことと存じます。 この度は励ましのお便りを頂戴いたしまして、ありがとうございます。 暖かいおこころ使いに触れ嬉しく拝読させて頂きました。 

 妻の入院時、妻共々一方ならぬご親切に接し、思い返せば心温まる思いが込み上げてまいります。 妻ときたら、看護師さんや先生に対して歯に衣をきせない無礼な口をきいては私をハラハラさせておりました。 それにも拘わらず皆様の優しさに包まれて、病苦の中にも心に温かいものを宿していたに違いありません。 他の病院に移ってからも、よく婦長様のお噂を、自分ごとのように話しておりました。  

 妻を亡くして半年が過ぎました。 まだ張り合いのない老後生活のなか、ようやく私の気持ちが外に向かってきましたが、今度は体の方が怠けるようになりました。 仕事に、家事に、介護にと飛び回っていた若いころが懐かしく思いだされます。 

 まだ暫くは寒い日が続くと思われます。 婦長様にはお体を大切に、更なるご活躍をお祈り申し上げます。

                                              敬具 


天上天下唯我独尊

2012-01-15 | 日記

  釈迦が生まれてすぐに歩き、天と地を指さして言ったと伝えられている。 これは、天上天下に於いて、自分が一番尊い存在であると主張したものと私は教わってきた。 最近では、「唯我」の我は、それぞれの個人の事だと言われている。 「この世の中で、あなたにとってあなた自身が一番尊いのだよ」と諭していると解釈されている。 私は、その両者とも違うと思う。 

 この言葉は、釈迦が言ったことではないと考える。 「仏典」は、釈迦の言葉を集めて編纂されたものであるが、釈迦像に様々なデフォルメがなされていると思う。 釈迦誕生のエピソードも、「天上天下」のくだりも、のちに仏典の編纂時に付け足されたものだろう。 釈迦(ゴータマ・シッダッタ)は、私には人間臭さが残る仏教の開祖だと映る。 その赤ん坊の釈迦が、「ぼくが一番尊いよ」と言うのは不自然だし、世の人々に「あんたが一番尊のだよ」と叫ぶのも、その必然性がない。 

 釈迦は、菩提樹の下で何と闘ったか、何をどう悟ったか、生とは何で、死とはなにか。 諸行無常の不思議とは…。 私は立派な人間ではないし、まだ仏でもないが、そのようなことは科学的に悟っている。 尊いのは大宇宙の営みである。 


13日の金曜日

2012-01-14 | 日記
 今朝はどんよりと曇り空。 私の部屋の温度は13.6度、暖房器具は置いていないのでフリースのベストを着こんでいる。 

 昨日は13日の金曜日、仏教でいえば「仏滅」の日にあたるのかな? その午前中、私は病院の外来待合で退屈な時間を過ごしていた。 保全診療(私の造語で、治療あるいは検査結果後の経過を見る診察)で、3ヶ月ごとの眼科受診であった。 眼科前の待合は座るところも無い混みようであった。 仕方がないので、隣の泌尿器科の待合に座っていたら、夫婦らしいの老人たちの生々しい会話が聞こえて来た。 膀胱の内視鏡検査の様子をあからさまにジェスチャーを交えて微に入り細に入り話し合っていたのだ。 そのうち、3歳くらいの男の子が呼ばれて診察室に入っていったかと思うと、「わーっ、痛い、痛い、ちんちん痛い」と泣き叫んでいる。 いたたまれなくなって、そっと泌尿器科の待合から離れた。 そのまた隣は産婦人科だし、そんなに離れた場所で待っていたら呼ばれても聞こえないので、立待を覚悟で眼科待合に戻った。 
 眼科は、1時間以上待たされて、診察は30秒で終わった。 なんだか、ドクターに挨拶のため寄ったようなものであった。