雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.02.29

2016-02-29 | 日記
 今日の午前中、歯科クリニックへ行ってきた。帰り道にスーパーへ寄って弁当を買って来た。作るのが面倒なので、ついつい弁当を買ってしまう。それも千円越えの豪華絢爛なものならともかく、三百円台の侘しいもの。味噌汁はインスタントに麩を加えただけ。
 メインおかずの鯖の天ぷらが硬くて不味いのが、より侘しい思いをさせてくれる。なのに、目出度くもないのに赤飯。こんな弁当を選んだ猫爺が悪いのか、選ばせたサイフが悪いのか。

 帰り道、公園の中を通って帰ってくるのだが、立て看板に「空き缶、生ごみ等のポイ捨て禁止」と書いてあった。「ほんなら何かえ、ポイ捨てがいかんのやったら、ソッと置いて帰ればよいのか」と、突っ込みを入れてみる。煙草の吸殻も、「丁寧に足元へ置いて、かしわ手のひとつも打って去ればよいのか、バカタレ!」こうなると、猫爺もただの近所迷惑なゴテ爺である。

 ここは、かって緑多き住宅街であった。やれ木の葉が飛び散るだの、鳥がとまって糞を落とすなどと近隣の人々が苦情をいうものだから、夏になってもスカスカの木立になっている。ちっとは、木や鳥の苦情も聞いてやらねばならない時期に来ているのではないのか。

 以上、本日のボヤキ終了。

 

猫爺の掌編小説「孤独死」

2016-02-26 | 掌編小説
 与助は夢を見ていた。若い頃の夢が、いつか見た絵巻のように次から次からと現れる。外は雪が深々と降りつもっているだろう。その冷たい隙間風が、与作が寝ている煎餅布団を突き抜けて、容赦なく五臓六腑を責めている。

 与作は六十四歳、人間(じんかん)僅か五十年というが、それを十四年も生き存えてしまった。十八歳の時にもらった嫁との間に子は生まれず、与作は一代男である。その嫁も八年前にこの世を去った。
 体力が衰えたことから、年貢が納められなくなり、田畑と家を捨てて八年間、山中の荒ら家で独り生きてきたが、寂しいと思ったことはなかった。与作が拓いた一畝の畑で採れた野菜と、沢で漁った小魚や貝、山では茸や芋が与作の命を支えてきた。
 時折、麓の村から欲張り婆が残り物の古米を持って来て、山の芋や茸をどっさり背負篭に入れて帰る。与作が一人食うくらいの食料は、欠かしたことはないのだ。

 しかし、最近は寄る年波には勝てずに、起きたり寝たりであったが、ここに来てとうとう寝込んでしまった。
   「もう、何日食っていないのだろう」
 支え棒の窓も、閉じたままで幾日か経っている。だが、一向に空腹感が襲ってこないのだ。這っていけば、食料はある。囲炉裏に火を熾すくらいの体力は残っている。温かい芋粥を作って腹に入れると、ちっとは気力が涌いてこようものを、布団の中から出たくない。このまま、じっとして夢を見続けていたいのだ。

   「お、お前は弥助ではねえか、死んだと聞いていたが、生きていたのか」
   「……‥」
   「そうか、そうか、それは良かった、おら、お前に会いたかったのだ」
 与作と弥助は同い年である。一緒に野山を駆け回り、兎を捕えたり、スカンポや木苺を食べたり、秋には芝栗、木通がうまかった。
   「そうそう、タヌキの仔を捕えて、お前、母狸に見つかって尻を噛まれたことがあったなぁ」
   「……‥」
 後で弥助の親父に、野獣に噛まれたら死ぬこともあるのだと聞かされて、震えあがったものだ。
   「弥助、何か喋ってくれよ、おらを迎えに来てくれたのじゃなかったのか?」
 起き上がって、弥助の手を取ろうとして目が覚めた。
   「何だ、夢か」
 与作の目尻から、涙が一粒あふれ出て、耳朶を濡らした。
   「なあ弥助、おらを連れて行ってくれないか?」
 弥助の姿は消えて、板壁の隙間から陽が差し込んでいた。

 しばらくは、子供の昔に思いを馳せていたが、また睡魔が襲ってきた。

   「今度は女房のお松が来てくれたのか」
 お松は、与作に背を向けて、せっせと囲炉裏に粗朶をくべている。
   「お松、さっき弥助が顔を見せにきてくれたよ」
 弥助は、お松のことが好きだった。だが、お松が与作の嫁に決まったとき、何も言わずに引き下がった。与作は長男であったが、弥助は次男であった。次男はやがて家を出て、田畑を継ぐ男が居ない家に婿に入るか、仕事を求めて町へ出るしか生きる道はない。
   「弥助が村を出て行く日、お前は峠まで送って行こうと言ったなぁ」
 与作は、「行かん」と、お松の提案を無視した。弥助が可哀そうに思えたからだ。弥助は、お松を抱きたかったに違いない。与作も、幼馴染の弥助の思いを遂げさせても良いと思った。
   「弥助、一晩お松を抱いてもいいぞ」
 与作の口を衝いて出そうになったが、口を噤んでしまった。それは、弥助とお松までも屈辱すると思ったからだ。
   「お松、あちらの様子はどうかね」
 弥助と仲良くやっているかと言いたいのだ。お松は振り向いて、にっこりと笑った。
   「そうかい、弥助は優しいだろう」
 お松は鉄瓶に水を入れて、自在鉤にぶら下げた。
   「お松、もう食べるものは要らないよ」
 お松は、子供を叱るような表情を見せた。
   「食べないと、体力が持たないと言いたいのだろう」
 お松は頷いた。
   「駄々をこねているのではない、食欲が湧かないのだ」
 それでも土間へ降りると、お松は迷いもなく米櫃を開けると、米を一つかみ鉄鍋に放り込んだ。放っておけば、粥を煮て自分の口に運ぶのだろう。
   「お前なぁ、俺を死なせないためにここへ来たのか?」
 お松は、こっくりと頷いて、笑って見せた。
   「そうか、分かったぞ、弥助の差し金だろうが」
 お松と弥助が仲良くしているところへ、自分が行っては邪魔になるから、もっと生きておれということに違いない。
   「弥助、そこらで様子を窺ってニタニタしているのだろう、ここへ出て来い」
 お松の自分に向けた顔が、少し怒っているように見える。
   「お前さん、焼き餅を焼いているのかね」
 今度は窘める表情になって、行き成り与作の布団を捲って、手を握りしめた。
   「私は、お前さん一途に生きた女だよ、死んでからも浮気なんかしていないよ」
   「本当かね、若い頃お松はよく言っていたね、死ぬときはお前さんと一緒だなんて」
 お松は、「うんうん」と頷いた。
   「そのくせ何だよ、おらを置き去りにしてさっさと逝っちまいやがって」
   「そんなことを言ったって、仕方がないじゃないか」
 お松は不貞腐れている。
   「私だって、死にたくて死んだのではない、あれが私の運命だったのだから‥」
 元気で働いていたお松は、ある夜突然熱を出して寝込み、三日三晩魘されていたが、そのまま息を引き取った。
   「お前さんの泣き顔など一度も見たことが無かったのに、死んだ私の手を取って涙を零してくれたねぇ、嬉しかったよ」
 お松は何も喋らないが、与作にはそう言っているように思えた。

   「お松、お松、粥が吹き零れているようだ」
 与作は、叫びながら目が覚めた。もう、夕暮れ刻だろうか、赤い陽が差し込み、少し風が
出て来たようだ。すごく気持ちが良い。はらわたが凍り付いているように思えるが、決して冷たくも寒くもない。全身から、苦痛という苦痛がすっかり抜けだして、今は春の野で野苺を食っているような気分である。

   「お松、また来てくれたのか?」
 そう思って視線を向けたのだが、それは間違いだった。頭に掛けた手拭を取ると、真っ白の髪で母親のそれであった。
   「何だ、おっ母さんか」
 何も言わないが、「母親が来てやったのに、何だとは何事か」と、怒った表情である。
   「お松が来た頃のおっ母さんは、寂しかったのだろうなぁ」
 明けても暮れても、温和なお松に嫌がらせをして泣かせていた。与作がおっ母に注意をすると、いつも何度も繰り返していた。
   「お前を産んでくれた母と、他人の女とどちらを大切に思っているのだ」
 いつも黙ってしまう与作だったが、ある日ぶち切れて怒鳴ってしまった。
   「親と息子は、一世の隔たりだが、妻とおらは隔たりのない一心同体だ」
 お松を虐めることは、おらを虐めていることと同じである。これ以上お松を虐めるなら、おらはお松と共にこの家を出て行く。
 父は既に亡くなっており、この家の田畑は与作夫婦の肩にかかっていた。そんなことが出来る訳はないのだが、「おらは、いつも女房の味方だ」と母親に分からせたくて言ってしまったのだ。

   「この罰当たりが‥」
 母親は悲しげにそう言って黙り込んでしまった。与作の父親が死んだとはさえも泣かなかった母親が、井戸端で水を汲みながら泣いていた。
   「おっ母、あの時は御免よ、本当は心にもないことを言ったのだ」
 そのことがあってから、母親はお松に意地悪をしなくなった。自分には、もう味方は居ないのだと思ったからだろう。
   「あの世とやらで、親父に会ったかい?」
 母親は、後ろ向きのままで、頷いていた。
   「そうか、よかったな」
 戸を叩く風の音で、与作は目が覚めた。次から次と、夢ばかり見ているのは、眠りが浅いからだろう。それに、自分の死期が近付いているからなのだろうと与作は思った。それは、孤独死と言われる見た目は哀れなものだろうが、与作の心は安らかであった。寂しくも心細くもない。ただ布団の中でじっとしていれば、やがて訪れるものなのだ。
 もう、板壁の隙間から光は差し込まない。闇の中で目を開けてもどっちみち仕方がないことだ。
   「与作、与作、お前もここへ来てみろ、あの世も住み心地の良いものだぜ」
 弥助の声だ。
   「お前、喋れるじゃねぇか」
   「あたりめぇだ、俺はいまあの世から話かけているのだ」
   「へー、あの世からの声が、おらに聞こえるのか」
   「そうだ、ここにはもう妬みも恨みもない、変な想像をしないで、早く来なよ」
   「うん、だがなァ、おら兎を飼っているのだ、あいつを野に放してやらねばならない」
   「心配いらねぇよ、その兎なら既にここへ来ている」
   「死んでいたのか、可哀そうなことをしてしまった」

 喋り疲れた所為か、闇の中から強烈な眠気が襲ってきた。
   「弥助、おらは何も見えないのだ、ここへ来てくれ」
 返事は返ってこなかった。
   「お松、俺の手を取ってくれ」
 風の音が闇に呑まれた。  ―終―

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第二部 小坊主の妙珍  (原稿用紙15枚)

2016-02-24 | 短編小説
 勘太郎は、父親の呻き声を聞いて飛び起きた。そこには,油皿の明かりに浮かび上がった朱に染まって動かなくなった父親と、その傍らに蹲る従兄弟の浅太郎の姿があった。
   「父ちゃん、父ちゃん!」
 勘太郎は泣き叫んで父親に縋り、振り返って浅太郎を見た。
   「父ちゃんを殺したな」
 浅太郎に近寄り、拳で叩きながら泣き叫ぶ勘太郎に、訳も話せず、弁解も出来ず、浅太郎は泣いて叩かれ続けるのであった。
   「勘太郎、俺と赤城山へ行こう」
   「嫌だ、人殺しの親分が居るところへなんか行くものか」
 どうやら、父親殺しは忠次郎の言い付けであることを夢現で聞いていたらしい。
   「違うのだ、訳は後で話す、とにかく赤城山へ行くのだ」
   「嫌だ!」
 強く叫ぶと勘太郎は駆け出し、戸を開けて外へ飛び出した。
   「いつか、仕返しをしてやる」
 何度も叫びながら、勘太郎は闇に消えた。浅太郎も後を追ったが、月は雲間に隠れ、小さくてすばしっこい勘太郎は、探しても見つからなかった。

 勘太郎が消えた先へ走って行くと、近隣村々の檀家を永代供養する菩提寺である昌明寺に辿り着いた。
   「ここへ逃げ込んだのだろう」
 浅太郎は寺の境内を探したが、暗いうえに裏が森である為、見つけ様が無かった。もし、寺の僧侶に匿って貰っているなら、幼い知恵でも「人殺しに追われている」と、訴えたに違いない。僧侶に尋ねても「知らない」と言うだろう。
 勘太郎を探してばかりはいられない。早く赤城山に戻って、叔父勘助が遺した言葉を忠次郎に伝えなければならない浅太郎なのだ。


   「あゝ 吃驚した」
 早朝の昌明寺、若い真寛(しんかん)という僧侶が境内を掃除していたら、本堂の縁の下から子供がのそのそっと、出てきた。
   「どうしたのだ? 昨夜ここで寝たのか?」
   「うん」
   「おや、三室の勘助親分のところの勘太郎ではないか」
   「うん」
   「家出をしてきたのか? お父さんが心配しているぞ」
   「従兄弟の浅太郎に父ちゃんが殺された」
 勘太郎は「シクシク」泣き始め、やがて大泣きをして真寛に抱きついた。
   「和尚様に相談して、お役人を呼ぼう」
 住職に相談すると、寺男を呼び代官所まで走らせた。駆けつけた役人が勘助の家に赴き、勘助の死体を見分(けんぶん)して寺へ戻ってきた。
   「浅太郎に父ちゃんが殺されるところを見たのか?」
   「うん、親分の言い付けだと言っていた」
 親分と言えば、あの手配されている大前田一家の忠次郎だろう。
   「すぐに捕えて、仕置きしてやるからな」
 翌朝、人数が揃ったので、役人達は赤城山に出掛けたが、立て籠もっていた忠次郎たちは、もぬけの殻であった。
   「勘助が浅太郎に脅されて、山狩りを漏らしたらしい」


 勘太郎は、昌明寺で預かることになり、やがて得度して妙珍(みょうちん)という法名を住職から戴き、修行に入った。


   「妙珍、隣村の長老がお亡くなりになった、今夜は通夜なので真寛に御供しなさい」
 住職は、別の檀家の法要に出掛けるという。妙珍が昌明寺に来て三年の月日が流れた。来た当時は六歳であったが、九歳にもなると、経も読め、字も真寛に習って写経が出来、すっかり僧侶としての日課勤行を熟していた。
   「はい、和尚様」
 まだ声変わりもしていない、幼さののこる少年であるが、見た目は修行僧でも、その心の内は僧にあるまじき復讐心に燃えていた。口には出さないが、いつの日か父親を死に至らしめた浅太郎と忠次郎に仕返しをする決意を秘めていたのだ。
   「和尚様、では行って参ります」
   「明日は葬儀があるので、今夜は先様へお泊りすることになる。ご無礼のなきようにな」
   「はい和尚様は、御無理をなさらないように‥」

 よく働き礼儀を尽くし、はきはきと経を読むので妙珍はどこへ行っても子ども扱いされずに、一人前の僧侶として敬われた。

 三歩下がって師の影を踏まず、妙珍にとって真寛は師ともいうべき僧侶であった。小さい体で、大きな荷物を背負って、チョコチョコと真寛の後を歩いていると、妙珍の顔をすれ違い様にジーッと見ていた行商人風の男が近寄って話しかけてきた。
   「小僧さん、もしや三室の勘助親分のお子さんではありませんか?」
   「はい、倅の勘太郎です」
   「やはりそうでしたか、勘助親分に似ていらっしゃる」
   「そうですか、私は父の顔が思い出せないのです」
   「人情に厚いお方でしたよ」
   「そうですか、有難う御座います、それで私に何か御用でも‥」
   「商いで信濃の国へ行ったとき、浅太郎さんにお会いしました」
   「そうですか」
 妙珍は気のない返事をした。
   「浅太郎さんは、勘太郎さんのことを気にかけていらっしゃいましたよ」
   「お尋ね者の忠次郎親分と一緒でしたか?」
   「そのようでした」
   「信州の何処に身を置いていましたか?」
   「それは訊きませんでしたが、会ったのは佐久の沓掛でした」
 妙珍は真寛に促され、男に礼を言って「先を急ぎますので」と、別れた。表面は事もなげに繕ったが、妙珍の心の内に棲む夜叉が目覚めていた。

 今にも信州へ飛んで行きたい気持ちに駆られるたが、子供の自分には尚早である。まして修行中の小坊主、仏に仕える身で決して許されることではないのだ。

   「妙珍、葬儀の仏壇を設える、そちらの端を持ちなさい」
 仏の枕元で経を読んでいた妙珍の背に真寛の声が降った。
   「あ、はい真寛さま」
 粗末ではあるが、ご家族の方々と共に仏壇を設置すると、妙珍は矢継ぎ早に真寛から命令を受けた。
   「妙珍、お前は絵が得意であったな」
   「はい」
   「亡き大旦那様の似顔絵を描いて差し上げなさい、仏壇に掲げましょう」
 家族の一人に墨と紙、毛筆用の細筆、太筆を用意して貰い、妙珍の前に置かれた。その後、亡き大旦那さまの顔に掛けられた布をとると、そこに眠っているが如く安らかな顔が顕われた。
   「お目は、開いて描きなさい」
   「はい、大旦那様には何度かお会いしております」
 妙珍は、達筆であるが、絵も見事である。「すらすらっ」と、在りし日の長老の生き生きとした肖像画を描いた。それを見た家族の者たちは喜び、涙を新たにした。
 葬儀は、しめやかに執り行われ、御遺体は昌明寺に運び込まれて無事に埋葬された。この時から、妙珍の噂が村々に広がり、「是非、妙珍さんに‥」と、法要の折には妙珍一人で出かけることが増えた。


 昌明寺において、妙珍は穏やかな日々を送り、五年の月日が流れた。妙珍十四歳の立派な僧侶になった。色黒で背丈は大柄の真寛にも届きそうで、僧衣で目立たないが、骨太のがっしりとした体つきになっていた。

 ある日、妙珍は住職と真寛の前で正座をして、深く頭を下げた。
   「和尚さま、お願いが御座います」
   「改まってどうした、言ってみなさい」
 住職が、厳かに声をかけた。
   「妙珍は、還俗(げんぞく)させていただきとう御座います」
 住職と、真寛は驚いて言葉を失った。その二人の耳に、更に驚きの言葉が入ってきた。
   「妙珍、任侠の世界に身を置きとうございます」
 仏に仕えて修行し、漸く一人前の僧侶になった途端のこの申し出、一体何が有ったのかと問いかけようとした和尚だったが、はたと気付いて言葉を呑んだ。代わりに真寛が口を開いた。
   「妙珍お前、父親の仇討ちをする積りではあるまいな」
   「町人の仇討ちはご法度にございます」
   「では、何故の還俗なのだ」
   「父を殺した浅太郎と忠次郎に仕返しをするためです」
   「やはり、仇討ちではないか」
   「いいえ、喧嘩の仕返しでございます」
 そなたは僧侶の身である。俗世の恨みで血を血で洗う諍いをするのは止めて、一心不乱に仏の道一筋に生きなさい。やがて、恨みや憎しみが如何に無意味なものであることを悟る日が来るであろうと和尚は妙珍を諭したが、一途に思いつめた若い妙珍は、既に僧侶の精神ではなかった。
   「妙珍、わしはそなたを縛り上げてもこの寺に繋ぎ置きたいところじゃが、いつか悟って仏門に戻ってくることを信じて待っていよう」
 
 翌朝、執拗に止める和尚たちに別れを告げて、妙珍は寺の布施から幾許かの金を分けて戴き、白衣の上に墨染の法衣、そして網代笠をかぶり、行くあてもなく旅立った。ただ、草鞋の先は、信州に向かってはいたが‥。

 妙珍の足は、赤城山を北にとって、恐らく忠次郎一行が辿ったと思われる街道を西へ向かった。還俗を許されたとはいえ、まだ丸坊主に法衣を纏っている妙珍は、無意識のうちに経を唱えて歩いていた。いくつかの村落を通り抜けたところで、後から若い男が追いかけてきた。
   「お坊さま、お待ちください」
 男は妙珍より四つ五つ年上であろうか、童顔の妙珍の前まで来て、大人の男が行き成り頭を下げた。
   「お願いがあります」
   「どうされました、私は浄土真宗の僧侶、妙珍と申しますが、このような未熟な坊主に願いとは如何なるものでしょうか」
   「私はこの村の者で、作兵衛と申します。今朝、父親が息を引き取りました」
   「それはご愁傷なことです」
   「私どもは貧しくて、亡き父にお寺のお坊さまをお呼びすることが出来ません」
   「たとえ布施など差し上げることが出来なくとも、お寺の和尚さまは来てくださるでしょうに」
   「いいえ、お布施の最低限が決められていまして、それを満たせないところには来て戴けません」
   「それはおかしいですね、檀家をお布施の額で差別をなさることは無い筈ですが‥」
   「私の家族は、檀家ではないのです」
   「菩提寺なのでしょう」
   「いえ、貧乏人は檀家の扱いはされません」
   「それは酷い、私がお寺へ行ってご住職に掛け合いましょう」
   「お坊さま、それは無駄です、取り合わないばかりか、追い返されますよ」
   「こんな小坊主のたわごとなど、聞く耳を持たないってことですか?」
   「はい、失礼ながらその通りだと思います」
   「ではまず、お父さまの通夜の準備をいたしましょう」
   「有難う御座います」
 
 妙珍が昌明寺で修行した行儀の真似事であるが、出来得る限りのことをしてあげようと、妙珍はてきぱきと指示を出した。棺桶も妙珍が金を出し、菩提寺である筈の寺の名を訊き、出かけて行って明日の葬儀までに埋葬の話をつけておこうと妙珍は考えている。

 寺は、西福寺と教わった。門前に立つと、この辺りの村々の菩提寺らしく、先祖代々の墓と刻まれた墓石が並び、可成り古びた本堂から読経の声が響いてくる。妙珍が昨日まで見慣れ、そして聞き慣れたた風情である。
 中へ入ると、檀家の衆であろう人の気配などあり、お香の臭いが立ち込めている。妙珍は更に本堂へ近付き、読経の声に神経を集中すると、凍り付いたように動きを止めてしまった。
 西福寺は昌明寺と同じ浄土真宗の寺であるが、聞こえて来たのは般若心経であった  ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜
   

猫爺のいちびり俳句「二番目天神」

2016-02-20 | コラム
   ◇若人の 絵馬累々と 梅の春

   ◇東風吹きて 柏手(かしわで)若き 祈願かな

   ◇水洟や じじい梅花の アレルギー

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 差し歯が抜けたので、午前中に歯科クリニックへ行って来た。このクリニック、歯科医師は一人だけで、三台の治療椅子がある。この三台に患者を座らせて、コンピューターのマルチタスクよろしく、走りまわっていらっしゃる。若くて小柄で小太りの医師なので、その駆けまわる姿が敏捷くて何ともかわいい。オノマトペで表現するなら、医師に対して無礼だが、「チョコチョコ」かな?
 歯の治療というもの、歳をとっても恐くてカチカチに緊張する。あの「チー」という水ドリルの音は、数えきれない程歳をとっていても慣れることがない。そんなとき、目を瞑って先生の「チョコチョコ」を想像していると多少緊張が和らげるとは、失礼な患者だ。

 今日は買い物にも行きたかったが、雨降が降り出したので止めた。雨が降ったら外へも行けないなんて、猫爺、お前はトイレット・ペーパーか。

猫爺のエッセイ「白菜」

2016-02-19 | コラム
   川柳      ◇琴バウアー 真似て爺は 腰痛め
            (五郎丸ルーティンでは、そのまま腰が曲がってしまいそうだし‥)

   川柳ぎみの俳句 ◇春うらら 杖が触れ合う (乗合自動車)バスの内
            (昼間のバスは、年寄ばっか)

   川柳      ◇儲かると 知って坊主も 霊祓い 
            (仏教では、お祓いや除霊などやらなかった筈だが‥)
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 数年前だったか、ご近所から「実家から送って来たのでお裾分け」と、白菜を一株まるっこ頂戴した。スーパーで買ったものと違い、虫食い穴だらけのものだった。
   「こんなにどっさり食べきれるのだろうか」
 大きな声では言えないが、野菜嫌いの猫爺は、戴いたものを捨てる訳にもいかず、ちょっぴり「うんざり」気味であった。だが、油揚げと煮て食べてみるとムチャクチャ美味しかった。スーパーの白菜が白菜なのだと認識していた猫爺には意外だった。
 鍋物に入れても、ケチャップ煮にしても、茹でてカツオブシをブッかけただけでも美味しくいただける。アッと言う間に、大きな一株を食べ尽してしまった。

   「どうして、こんなに違うのだろう?」

 昔々その昔、妻の帰省に付き合って木曽の山奥の実家に行ったとき、山で採れた「キノコ」を夕食に出された。母親が、山を駆けずり回って採取したものだった。しばはり、ねずみたけ、しめじなどいろいろあったが、これまたムチャクチャ美味しかった。塩漬けにしたものをどっさり貰って帰り、塩抜きして食べたのだが、忘れられない味になった。
 同じ「しめじ」でも、スーパーで売っているものと、山で採れたものでは形も違い、山のものは数段に美味い。「何か違うぞ」って感じなのだ。
 
 始めて妻の実家へ行ったとき、本当に山の中だったので、揶揄気味に「熊や猪や狼が出そうや」と言ったのだが、本当に出ると聞かされた。夜中、シシオドシの音が遠くから聞こえてきた。「コン」と鳴る風流な「竹の鹿威し」ではない。大砲をブッ放しているような物騒な音であった。
 
    

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.02.17

2016-02-17 | 日記
 コメはスーパーで小さいのを買ってくることにしているが、いつも不思議に思っていたことがあった。米に無洗米というのが有ることだ。
 「無△」の無は、△を否定するものであるから、無洗米はてっきり「洗っていない米」だと思い「普通の米じゃん」と思っていた。娘に尋ねたら、「無洗米」は、洗らわなくても良い米だとか、それならば、「既洗米と表示してくれよ、爺が狼狽えるではないか」と言いたいところだが、最初に名前を考えた人がそんな風に名付けてしまい、「無洗米」は遠の昔に慣用語になってしまったらしい。

 今日の「猫爺の昼餌」は、芋粥とメザシとホウレン草のお浸しである。オーブン・トースターで焼いたものだから、トースターがメザシ臭くなって、当分抜けそうもない。明日の朝は、メザシの臭いがするトーストと、ツナマヨ・サラダ。
 最近の猫は、メザシとか、イリコは、あまり食べないそうな。猫フーズに、ちゃんとカルシウムが入っていて、塩辛いそんなものを食う必要がないのだろう。猫爺も、塩辛いものばかり食っていないで、猫フーズにするかな?
 

猫爺のエッセイ「あ、タイトル忘れて投稿した」

2016-02-17 | コラム
   「やっぱりパパが作ったお料理は美味しいわね」
   「うん、ボクいつもパパに作ってほしいよ」
   「本当は、料理の腕も男の人のほうが優っているのだと思う」

 パパしたり顔で、少々無理して包丁捌きを披露する。ほのぼのとした円満な家庭での1頁だ。

 だが、猫爺が妬み半分に水をさすと、「そんなもの当たり前だよ」と言いたい。時間をたっぷりかけて、高級な食材を使用し、贅沢に料理したのだからこれが下手っピーで不味いとあれば奥方は泣くに泣けない。

 普段の奥方はどうだろう。冷蔵庫の残り物で、手際よく三品も四品も食卓に乗せる。そういつもいつも、「わっ、御馳走だ」と、家族を満足させてはいられないのだ。
 時には、「またか」と言われ、「鶏胸肉や豚バラばかりでなく、分厚い牛のステーキにしてくれよ」文句を言われても、ぐっと耐えてサラリー・ピンチを凌がねばならないこともある。

 あ、これは皆様方のような裕福なご家庭の話ではないので、ここは「へー、下々ではそうなんだ」と、一嘲されたい。

 
 この頃、「猫爺の昼餌」が休み状態になっているが、なにしろ「ペヤングの焼きそば」と、「紅ナンチャラ」という薩摩芋がどっさりあるので、せっせと平らげている最中なのだ。
 これは内緒なのだが、裕福なご家庭のブロガー様が、毎日のように豪勢なランチを公開されているので、こんな貧しいランチで満足している猫爺みたいなのも居るのだよと分かって戴くために始めたもの。
 今日など、芋粥とメザシ二匹で済まそうと思っている。写真を載せても仕方ないかな?


 昨日は、猫爺がブログを始めてから、最多の方々がお見えだった。とはいえ、ここへお越しの皆さまのブログの十分の一くらいだが、それでも嬉しいもので、何だかブログ依存症になりそうである。

 だが、当ブログは、時代小説というよりも、時代遅れ小説がメインなので、人気ブログにはならないだろう。やはり、ブログは華やかに写真、イラスト、漫画でもてなさなければダメなのだなァと、つくづく思う今日この頃である。

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第一部 板割の浅太郎   (原稿用紙12枚)

2016-02-16 | 短編小説
  この年、上野(こうずけ)の国、赤城山の麓の村々では、天候不順で穀物の凶作に苦しんでいた。それでも、お上の年貢軽減は行われず、代官は百姓の糧までも取り立ててしまう有り様であった。
 田の畔に出来る粟、稗などがある内は良かったが、それさえも食い尽くすと雑草を食み、冬になれば飢え死ぬ者や夜逃げをする農民も出ることだろうと危ぶまれた。
 これを憂いて、必死に代官の悪政と闘い続けた侠客が居た。国定村の苗字帯刀を許された豪農長岡与五左衛門の長男、忠次郎である。忠次郎は、上州百々村(どどむら)の大前田一家を束ねる若き貸元である。

   「こらこら、ここはガキがくるところではない、けえれ!」
 最近、十二、三歳の少年が、大前田一家の前をうろついている。時には門口から中を覗き込んだりもする。忠次郎が出入りするのを待っているのだ。
 忠次郎の姿を見かけると、駆け寄って「浅太郎と言います、どうか子分にしてください」とすがる。
   「馬鹿なことを言うな、お前はまだ子供ではないか、やくざなどになると、親達が泣くぞ」
 忠次郎が宥めると、その日はおとなしく帰るのだが、また暫くすると大前田一家の前をうろつくのであった。

 そんなことが続いたが、ある日からピタッと来なくなった。忠次郎は少年のことをすっかり忘れていたが、五年経ったある日、大きな図体になって再び姿を見せるようになった。
   「親分、あっしです、浅太郎です」
   「五年前に子分にしてくれとしつこく言っていたガキだな、大きくなりやがって」
「へい、両親が借金を残して亡くなった為に田畑は他人に渡り、あっしは無宿者になりやした、どうか下働きにでも使ってくだせぇ」
   「嘆く親が居なくなったのか」
   「へい、」
   「お前には、他に身寄りはないのか?」
   「勘助という叔父が居ますが、三歳になる倅を残して妻に先立たれ、男手ひとつで懸命に働きながら子育てをしております」
   「仕事は何だ」
   「目明しのようなことをやっております」

 目明しの勘助ときいて忠次郎は思い出した。三年前、俄かに目が見えなくなった目明しがいた。目明しが盲目ではお役目も果たせないと前途を悲観して首をも括りかねない男がいると訊いた忠次郎は哀れがって、大金をはたいて江戸から名医を呼び、手厚い治療させた。その甲斐あって目明しは目から鱗が一枚一枚剥がれるように見えるようになった。だが、女房のお房は、看病疲れと気苦労のために弱っていたところに、風邪を拗らせてぽっくりと死んでしまった。残された三歳の幼子を背負って苦労をしている目明しに、忠次郎は温かく手を差し伸べたのだ。「浅太郎は、あの目明し勘助の甥だったのか」と、忠太郎は不思議な縁を痛感した。

   「それで、お前に何が出来る?」
   「風呂焚き、飯炊き、厠の掃除なんでもやります」
   「ドスの心得はどうだ」
   「持ったこともありません、ただ一つ、素手で板が割れます」
   「ほう、どのくらいの板だ」
 浅太郎は、こんなこともあろうと持参した分厚い板をだして、忠次郎に渡した。
   「これが割れるのか、力持ちだなぁ」
   「いえ、力だけで割るのではありません、技と気合いで割るのです」
 浅太郎は、忠次郎の前で板を割ってみせた。
   「見事なものだ」
 忠次郎は、浅太郎を置いてやることにした。
   「そのうち、盃をやるから、しっかり働いてくれ」
   「へい、ありがとうござんす」
 数日後、叔父の勘助がやってきた。浅太郎は、叔父の自分が面倒をみてやらねばならないところだが、貧しいうえに女手もなく、困っていたらしい。
   「どうか、甥の浅太郎をよろしくお願いします」
   「わかった、預かろう」
   「重ね重ね、有難う御座います」
 勘助は丁重に礼を言って、浅太郎に顔を向けると、
   「親分には、たいへんお世話になっているのだ、浅太郎、その万分の一でもわしに代わって親分に尽くしてくれよ」と、言い残して帰っていった。浅太郎、十七歳の砌である。

 その年は、五年前よりも深刻な天候不順に襲われ、米の生産は平年の七割を下回った。百々村を含む十数ヶ村を取り締まる代官の熊村伝兵衛は、相も変わらず厳しく年貢を取り立てて私利私欲を満たし、農民を苦しめ続けた。
 代官に村人の現状を訴え、陳情に行った忠次郎は、代官の薄情な態度に激昂したが、お上に盾突くことも出来ず、悔しい思いで戻らざるを得ないのであった。そんな忠次郎をこのままにしておいては、代官の不正がいつ何処で暴露されるや知れぬと、「忠次郎を殺れ」と、代官は家来に命じた。
 忠次郎を捕えにやってきた役人たちと、大前田一家の者は忠次郎のもとで一糸乱れずに闘い、追い返してしまった。
   「こうなれば破れかぶれだ、熊村伝兵衛を生かしておいては村人たちの為にはならない、代官屋敷に殴り込みをかけよう」

 忠次郎は、後先のことも考えずに代官屋敷に襲撃をかけ、代官を斬ってしまった。お尋ね者となった忠次郎は、子分を引き連れて赤城の山に立て籠もったのであった。

 捕り方役人が赤城山まで追ってくることもなく、立て籠もってひと月も経ったであろうか、ある日、忠次郎は独り夕闇に紛れて下山し、久しぶりに湯に浸かり、髪結い床屋に髪を結い直して貰い、さっぱりとして赤城山へ戻ろうとした時、待ち伏せしていた役人に囲まれてしまった。
 多勢に無勢、それでも腕のたつ忠次郎は幾人かの役人を倒し、ほうほうのていで逃れ、時雨の赤城山麓に差し掛かったとき、ここでも待ち伏せしていた役人に取り囲まれた。道に迷って、「もうだめだ」と、観念した忠次郎に十手を突き出した目明しがいた。
   「忠次郎、ご用だ!」
 御用提灯の明かりに照らし出されたその人物は、見紛うことなく浅太郎の叔父、三室の勘助であった。忠次郎は、勘助に斬りかかったが、刃の下を潜り抜けた勘助は、十手で忠次郎の肩をぐいと押した。その忠治の耳元で、勘助は叫んだ。
   「一本椎ノ木に沿って南に折れると、赤城山頂に向かう一本道だ、忠次郎はその道を通って山頂へ逃げた、逃がすな!」
 この野郎、この俺に十手を向けるとは何という恩しらずだ。忠次郎は、尚も自分に十手を向け続ける勘助をぐっと睨みつけて、山頂に向かって逃げ去った。

   「浅太郎、ちょっとここへ来い!」
   「へい、親分何か御用でも‥」
   「てめえ叔父の勘助に手柄を取らせようとして、わしが今夜下山することを勘助に喋っただろう」
 浅太郎は、寝耳に水であった。
   「俺は親分を売るようなことはしませんぜ、それを一番ご存知なのは親分ではありませんか」
 忠次郎は、町で自分が役人の罠にかかったことを話した。誰にも言わずに出かけたことが、漏れていたのだ。
   「あの恩知らずの首を、お前の手で取ってきて身の証を立ててみせろ」

 こともあろうに、血の繋がりのある叔父を殺して来いというのだ。浅太郎は、その夜のうちに山を下りて、叔父勘助の家に向かった。

 夜中にも関わらず、叔父は快く浅太郎を迎え入れ、一番先に忠太郎親分が無事に戻ったかと尋ねた。勘助はそれを気にかけていたのだ。
   「親分は、無事だ」
   「そうか、それは良かった」
 叔父は、仏壇に忠次郎の名を書いて供え、毎日親分の無事を祈っていたという。また、心ばかりの食料を、明日農夫に頼み親分に届けるつもりだったと風呂敷に包みを差し出した。
 これで浅太郎は真実を理解した。叔父は親分を逃がす為に、逃げ道を教えたのだ。目明しという立場上、恩義ある親分に十手を向けざるを得なかった叔父の辛い心が読めて、浅太郎は涙を零した。さらに、優しい叔父を義理のために殺らなければならない自分の立場が悲しいのだ。

   「浅太郎、今夜は親分にこのわしを殺れと言われてここへ来たのだろう」
 叔父は、百も承知で、覚悟をきめていたのだという。それは、一本椎ノ木のところで親分が見せた怒りに満ちた目だった。親分は、勘助の心が読めなかったのだ。
   「浅太郎、お前に頼みがある。安らかな寝息を立てている勘太郎の行く末だ」
 勘太郎は六歳である。まだ一人で生きて行く力はない。
   「どうか、勘太郎はお前の手で堅気に育ててやって欲しい」
 さらに、忠治郎親分に伝えて欲しいことがある。代官をやくざに殺されたとあっては、お上の威光にも関わると、代官所では明後日に赤城山で山狩りを行う計画があるのだという。これには、公儀の助人も加わるので逃げきれないだろう。その前に何とか逃げて欲しいという伝言である。
 勘助は、浅太郎に両の掌を合わせた。そのあと、勘助はくるりと浅太郎に背を向け、隠し持った短剣を自分の腹に突き立て前のめりになった。
   「叔父さん、早まったことを‥」
 抱き起そうとした浅太郎の手を拒み、勘助は再び座り直すと浅太郎に言った。
   「お前も、やくざの足を洗って堅気になってくれ。わしはここでお前に討たれて死ねば本望だが、お前を叔父殺しの凶状持ちにはしたくない‥」
 勘助は、そう言い残すと、自分の腹から短剣を抜き取り、刃先を胸に当てて再び前のめりになり呻き声を残して事切れた。  -つづく-

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍へ
   第三部 信州浪人との出会いへ
   第四部 新免流ハッタリへ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の日記「カラオケ大好き爺」

2016-02-13 | 日記
 猫爺の若い頃、演歌歌手志望の友人が居た。彼はオーディションを受けるのだと言って、三波春夫の「親分お世話になりました」というタイトルのレコードを買ってきて、B面に収録されていた演奏で、懸命に練習をしていた。
 その頃は「カラオケ」がまだ無い頃で、猫爺は、このレコードがカラオケの始まりではないかと思っている。
 彼は、独り暮らしの猫爺のアパートにやってきては、レコードをかけ、リール式のテープレコードに自分の声を吹き込んでいた。そのテープが、今も我が家に残っている筈であるが、再生する機械が無いうえ、出てきたところで黴が生えていることであろう。

 その後何年か経って、彼は神戸の三ノ宮で「喫茶店」をやっていると噂に聞いたので、出掛けて行ったことがあった。そこには、歌手デビューをすっかり諦めて、エプロン姿が良く似合う親父がいた。その彼の影響か、猫爺もカラオケが大好きになったのだ。


 猫爺のカラオケ趣味は、他人に聞いてもらうほどのものではなく、専らYouTubeのカラオケ動画で一人遊び。それでも結構気晴らしになるうえ、創作のストーリーが湧いて来る。ただいまは、「賢吉捕物帖9話」と、「赤城の勘太郎」を空想中。「勘太郎」と聞けば「伊那の勘太郎」が頭に浮かぶ方がおられると思うが、こちらは「伊那節仁義」という映画の主人公で、江戸時代末期に生きた侠客という架空の人物である。
 
 猫爺の「赤城の勘太郎」は、「影かやなぎか、勘太郎さんか」の勘太郎ではない。もう一人、有名な「股旅演歌」に顔を出す「勘太郎」が居る。物語「国定忠治」の子分「板割の浅太郎」が背負った浅太郎の従兄弟である六歳の勘太郎である。

  ♪泣くなよしよし 寝んねしな
   山のカラスが 啼いたとて
   泣いちゃいけない 寝んねしな
   泣けばカラスが また騒ぐ

 知る人ぞ知る、知らない人は全然知らないであろう「赤城の子守唄」である。この勘太郎は、国定忠治の無思慮がもとで、子分の浅太郎に勘太郎の父親「目明しの勘助」殺害を命じる。勘助は浅太郎の叔父であり、勘太郎は浅太郎の従兄弟である。

 勘太郎の目前で浅太郎に父親を殺害され、次は自分も殺されると思い勘太郎は闇に紛れて逃走する。彼は菩提寺に逃げ込み、住職に匿われて十歳になるまで小坊主として寺で修行する。だが、浅太郎と、そして浅太郎に父親勘助殺害を命じた親分「忠次郎」に仕返しをするために寺を出てやくざの三下になり、信州出身の浪人朝倉辰之進と出会う。辰之進は、晋明一刀流の剣の達人であった。勘太郎は辰之進に可愛がられる一方厳しく剣を教わり、耽々と仕返しに備える。

 ‥‥と、「国定忠治」の一部をパクって物語が始まる。

 ポケッと朝食を摂っている時や、夜布団に入ったときなどに、この程度のあらすじを頭に描く。後は出たとこ勝負でPCにストーリーを繋げていく。創作力も文才全く無く、ただ自分が読んでストーリーが何とか理解できるように書いているだけなのである。

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猫爺の短編小説「母をさがして」第六部 別離 -最終- (原稿用紙12枚)

2016-02-09 | 短編小説
   「奥様、おいら仕事が見つかりました」
 耕太が喜んで飛び出してきた。その後を、奥方が追って出てきた。
   「どのようなお仕事ですの?」
   「お客様の相手をすればよいのだそうです」
 弥生は、首を傾げた。
   「いったい、何を商うお店(たな)でしょうね」
   「まだお店に行っていないのでわかりませんが、道で男の人に声をかけられたのです」
   「それで、いつお店に紹介して貰えるのですか?」
   「明日の朝です、五年先までのお給金を前借りできるそうです」
 弥生は、怪しいと話だと確信した。
   「今夜、旦那様がお帰りになったら相談してください、全てお話しするのですよ」
   「はい」

 弥生は会津の出である。江戸のことはよく分からないのだが、十三歳の駿平にとって、こんなにも都合のよい話があるものだろうかと疑問を抱いた。
   「耕太喜べ、おっかちゃんを取り戻せるかもしれないぞ」
   「本当かい、嬉しい」
 無邪気にはしゃぐ子供たちを眺めながら、不安に駆り立てられる弥生であった。

   「旦那様、お帰りなさいまし」
 駿平たちを喜ばすような良い情報が無かったのであろう。こころなしか格之進の表情は曇っていた。
   「あなた、駿平さんが仕事を見付けてきたのですって、何だか怪しいお話しなのでよく訊いてあげてくださいな」
   「怪しい?」
   「どこの誰だかわからない男の人に、誘われたそうです」
   「わかった、聞きだしてみよう」

 夕餉を終えたあと、格之進は兄弟を呼んだ。
   「駿平、それでどのような仕事か教えて貰えなかったのか?」
   「はい、でも働くところは陰間茶屋と言っていました」
 格之進は驚いた。この男は、巧言で女や男の子を騙して、遊里や富豪の男色家に売りつける人攫いの類に違いない。
   「それで、その男と何か約束したのか?」
   「いいえ、お世話になっているお屋敷の方々にご挨拶してから行くので、明朝待ち合わせということにしました」
   「よくやった、そのままついて行っておれば、母親の二の舞になるところだった」
   「おいら、売られるところだったのですか?」
   「そうだ、お給金の前払いなど真っ赤な嘘で、その男が全額受け取ってとんずらされるところだったのだ」
   「なんだ」
 駿平は、がっかりした。
   
 翌日、格之進は手下二名を駿平につけることにして、それを伝えに下男を番屋に走らせた。男が怪しい素振りをしたら捕えてふん縛るもくろみである。

 早朝、格之進の屋敷に、伝吉と平次という目明しが来た。格之進は、二人に小声で何事か指示して声高に「抜かるではないぞ」と言い放った。

 駿平が男に指定された場所で待っていると、ひょいひょいと男が姿を現した。
   「待たせたな、では行こうか」
   「はい」
 
 道のりは、可成り遠かった。朝でかけて、昼前に郊外のとある屋敷に到着した。
   「茶屋ではないのですね」
 駿平は、男に尋ねてみた。
   「そうだ、今日からお前はここで働くのだ」
   「お金は、いつ貰えるのですか?」
   「お屋敷の主がお前の働きを見て、気に入れば渡してくれるのだ」
  男は駿平を屋敷の戸口に待たせると、中へ入って行った。そこへ伝吉が来て、駿平の口を人差し指で封じて見せた。この時は、既に平次の姿は消えていた。

 伝吉は、屋敷内の様子を窺っている。中では、なにやら交渉している様子である。
   「小僧、入って来なさい」
 駿平が屋敷内に入ると、五十絡みの主(あるじ)らしき男が駿平の頭から足の先まで舐め回すように見ている。
   「ご主人さまだ」
 男が主を紹介した。
   「この子かい駿平というのは、わしの屋敷に奉公したいのか?」
   「はい」
   「歳はいくつだ」
   「十三歳です」
 屋敷の奥では、使用人らしき、いや用心棒かも知れぬ屈強な男達が棒立ちでこちらを見ている。主は、駿平を連れてきた男に、指を三本立て示した。
   「そんな殺生な、こんな上玉ですぜ、せめてこれは戴かないと‥」
 男は指五本を示した。
   「素性は?」
   「孤児でさぁ」
   「よし、それで手を打とう」
 使用人に五十両を持ってこさせて、人攫いに手渡し、男が懐に捻じ込んだところで、入り口の外で呼び子の笛が鳴った。

   「子供の売り買いはご法度、まして男の子となれば重罪だ」
 呼び子笛の合図で平次とともに駆けつけた同心が叫んだ。その後ろには、刺又、突棒、袖絡と十手を手にした捕り方が並ぶ。この屋敷の主は、以前から人買いの容疑で目を付けられていたのだ。

   「駿平、焦るな、お前たちのことはこのわしが悪いようにはしない」
 その夕刻、奉行所の勤めを終えて屋敷に戻った格之進が駿平兄弟に言った。慰めだけではなく、母親お由の行く方も、ほぼ掴めたようである。
   「最近、千住に会津出身の女が来たようで、名前はお由という」
   「おっかちゃんだ」
 耕太が叫んだ。格之進は気を使って「千住」としか言わなかったが、駿平は「千住遊郭」だと分かっていた。
   「駿平は侍になる気はないか?」
   「なれるのですか?」
   「一応、わしの義弟として、子供が生まれない同心夫婦の養子になるのだ」
   「なりますが、耕太はどうなるのですか?」
   「耕太は江戸の大店、津野国屋が引き受けてくれるそうだ、丁稚だが年季奉公ではないぞ、お給金の前借ということで、三十両渡して貰える、保証人はわしだ」
   「はい、一生懸命つとめます」
 明日、双方へ連れて行って、承諾を得るのだと格之進は言った。明後日は、高崎格之進独りで千住へ確認するために行くという。
   「高崎様、おいら達も連れて行ってください」
   「おっかちゃんに会いたいです」
 連れて行っても、子供は遊郭へは入れない。
   「お前たちのお母さんが居るところに、子供は入れないのだ」
   「会えずとも構いません、少しでもおふくろの近くに行きたいのです」
   「そうか、では行こう」

 子供の居ない同心は、一番目の妻との間に子供に恵まれず離縁し、二番目の妻との間にも生まれずに離縁した。現在は、三番目に貰った妻と三年添ったが、未だ子宝に恵まれず四十路を迎えてしまったのだという。賢そうな駿平を見て、高崎格之進様の義理の弟君であれば申し分ないと、是非とも養子になってほしいと望まれた。
 津野国屋でも、高崎格之進様の後ろ盾があるなら是非にも奉公して貰いたいと、揉み手で受け入れてくれた。

 日本橋から日光街道に行く手をとり、最初の宿場町が千住であった。その中で江戸の街中よりも人通りがある色街と呼ばれる郭で兄弟の母親は働いているのだそうである。
   「おっかちゃんに、会いたいなぁ」
 耕太が呟いた。
   「我慢をしようよ、いつかきっと会えるのだから」
 駿平は、兄として耕太を宥めたが、駿平もまた母親に会いたい気持ちは耕太以上であった。遊郭から少し離れた橋の上で兄弟は待ち、格之進一人が遊郭の中へ消えていった。それから半刻(一時間)ほどして、格之進は兄弟のもとへ戻って来た。
   「喜べ、お前たちの母親に違いなかったぞ」
 お由に、駿平と耕太が千住まで来ていることを伝えると、大泣きをして息子たちに詫びていたそうである。駿平と耕太の行く末を話し、一年もすれば兄弟で見受けしてくれるぞと話すと、悲しみの涙は喜びの涙に代わり「母は頑張ります」と、伝えて欲しいと、笑顔さえも見せたそうである。


 それからの兄弟は、強く明るくよく働いた。駿平は、同心の家へ養子に入ったものの、養子では義父の跡目を継ぐことは出来ないかも知れないと知らされても平然として、使用人以上に働き、親孝行につとめるのであった。
 耕太は、先輩丁稚のいうことをよく聞き、小さいながらも一生懸命に働いた。その甲斐があり格之進の補充も入れて、見受け料の六十五両の金繰りが出来た。
 丁度一年後に、兄弟は格之進に連れられて千住にでかけ、兄弟は母親のお由会えた。
   「おっかちゃん、会いたかったよ」
 八歳になっていた耕太が、母親の胸に飛び込んだ。抱き合う二人に駿平はそっと近寄り、二人を抱きしめた。

   「ところで、お由さんの身の振り方だが‥」
 格之進の言葉が終わらないうちに、お由が言った。
   「お江戸で子供たちの世話になることは出来ませんので、私は会津へ戻ります」
 会津で一人生きているか、死んでしまったかわからない亭主のもとに戻るのだという。
   「お由どの、またしても借金の肩に身売りということにならないだろうか」
   「子供たちのように、私も働きます」
 亭主が病んでいれば、生涯働きながら面倒を看たい。死んでいれば、自分の生涯をかけて弔ってやりたいと言う。
   「千住で地獄を見てきました、もう弱いお由ではありません」
 そして、お由は付け加えた。
   「亭主は、親孝行者の駿平と耕太の実の父親ですもの」   -終-

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猫爺の日記「ポインターが勝手に動く」

2016-02-08 | 日記
 今まで使っていたコードレス・マウス(1000円程度)を壊してしまい、新しいのを買った。値段は3000円強の猫爺にすれば高額のものを選んだ。
 軽くて、歯切れが良いので気に入っていたが、どうしたことかポインターが勝手にヒョロヒョロと動く。
 マウスに手を触れず見ていると、振動も与えないのに画面の縁まで移動して、今度は縁に沿って動いている。マウスを二個着けている訳でもなし、叩いても掃除をしてもダメだった。これは、猫爺が日頃「心霊現象」を馬鹿にしているので、鼠の霊が猫爺を困らせに来たのかと思った。

 娘に相談をすると、てっきり「霊能者に除霊をして貰え」と言われるのかかと思いきや、「マウスパッドをこれに代えてみ」と黒いマウスパットを渡された。

 心霊現象はピタリと止み、今は快適なマウス走行になった。マウスパッドなど、どれも同じだと思い百均の光学パットを使っていたが、今度買った「気位の高い」マウスには、百均のマウスパッドは気に入らなかったようだ。

猫爺のいちびり俳句「春立ちて」

2016-02-07 | 俳句
  白梅や 首をすくめて 一分咲き

  在りし日の 母の匂いが する蓬


 朝早く目覚めて外に出ると、薄っすらと雪が積もっていた。この冬、二度目の積雪である。猫爺、童心に返り雪団子を作って遊んでいたら、指先がジーン。慌てて家に入り微温湯で温めた。耳たぶが未だに痒い。霜焼けにならなければ良いが‥。ってか、爺のくせして歳甲斐もなく馬鹿だねぇ。

 娘が「紅ナンチャラ」という薩摩芋を通販で買ってくれた。テレビ番組で、炊飯器で芋が半分浸かる程度の水を入れて「お急ぎモード」で炊くと焼芋のように甘くなるのだと言ってそれをやってくれた。元々甘い芋なので、電気釜の効果はよく分からないが、とにかく甘い。ただし、釜にこびり付いたアクがとれ難い。こんなことを何度もやっていたら、釜を傷付けそうだ。テレビは、そんな細かいことまで注意をしないので、無責任と言えば無責任だ。

 テレビ番組は、視聴率を稼ぐために効用にはスポットを当てるが、それによって起きる害は無視することが多い。猫爺のようなテレビ爺は「鵜呑み」にしがちなので、慎まなければ‥。

 

猫爺のショート漫才「川ゆかば」

2016-02-06 | 掌編小説
 「雑文の旅」ブログを始めて間もない頃に、好んで投稿していた「ショート漫才」を復活してみた。「原点に帰る」ってところかな?

 A「先週の日曜日に、家族で動物園へいってきたよ」
 B「それは良かった、子供たちが喜んだだろ」

 A「それはもう、良い家族サービスになった」
 B「河馬の檻には近付かなかったかい?」

 A「近付いたさ、子供は大きな動物が好きでね」
 B「臭かっただろ」

 A「離れているから、わからない」
 B「動物は皆臭いけど、河馬は特別だそうだよ」

 A「おまえ、それを誰に聞いた?」
 B「古い和歌に記されているのだよ」

 A「どんな?」
 B「川ゆかば 水漬く河馬ね
 
 A「それって、大伴家持の和歌で<海>じゃなかった?」
 B「その元歌だよ、大伴家持がパクった」

 A「それで?」」
 B「陸ゆかば 草食む河馬ね おヽ君の 屁にこそ死なめ

 A「死ぬほど臭いのかい?」
 B「そうだよ、近くでぶっぱなされると、悶え苦しんで死ぬ」

 A「惨い」
 B「長閑には死なじ

 A「嘘をつけ」
 B「ごめん、嘘だ」

 A「侮辱だよ、謝れ!」
 B「河馬さん、ごめん」

 A「そっちにかい」

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.02.05

2016-02-05 | 日記
 今朝、早く起きてゴミを出し、天候の所為で溜まりにたまっていた洗濯をした。今日は内科の診察日。近くに内科クリニックがあるにも関わらず、阪急バスに乗ってヒョコヒョコと遠くのクリニックへ通っている。それは、今は亡き妻がお世話になっていたクリニックで、我が家のホームドクターに決めているからである。

 帰りにサイ△リアで昼餌「ハヤシ&ターメリックライス」を食べ、買い物をして帰って来た。お茶がわりにホット・コーヒーを付けたが、妙な味がして飲めたものではなかった。家で、400g380円の超安物コーヒー豆を挽いて入れたコーヒーの方が余程美味しい。

 悪口はこっちへ置いといて、UFOの話。

 最近、テレビでUFO番組が頻繁に放映されている。「あなたはUFOの存在を信じるか?」この質問はどうにも可笑しい。信じるも何も、「未確認飛行物体」なのだから、風船か流星か凧か確認する間もなくサッと出て来て、サッと消えたら、みんなUFOではないか。頻繁に現れるUFOを、性能の良い超望遠カメラでクッキリと撮った映像が一枚も無いのはどう言うことだろう。どれもこれも、性能の悪いカメラで撮ったピンボケ写真や動画ばかり。クッキリ撮れたら、ネタにならないからだろうと思うのは、猫爺のひん曲がった根性の所為か?

 「宇宙人かも知れない?」と、地球上の生物や、人間の想像や空想から抜けきらないものを見せてくれるが、宇宙は無限の広がりだ。本物の宇宙人は、人間の空想を遥かに超えたものも存在するに違いない。それを「人」と呼ぶのは乱暴すぎるだろう。地球外知的生命体は、地球人の知能を遥かに超えていても不思議ではないと思う。

猫爺のエッセイ「ヒー」

2016-02-03 | エッセイ
 猫爺は、酒もダメなら、ピリ辛もダメという、人生の楽しみの半分は損をしている。その猫爺が、最近「◇×△ヤ」の「辛ムーチョ」なるポテト・スナックを食べ始めた。周りの者が不思議がっているのだが、訳はこうである。

 根っからの「いやしんぼ」なので、食間につい菓子を口にしてしまう。酷いときは、菓子で腹が膨れて食事の時には既に満腹であったりもする。「辛ムーチョ」は、この防止策なのだ。
 細い棒状のポテトを一本口に入れて、袋のキャラクタ「ヒー婆ちゃん」よろしく「ヒー」。スナックは長持ちするうえ、口寂しいのも解消する。

 最近、当ブログに来られる方々の中で、「猿轡小説」で検索されておられるのが目立ってきた。「どれ」と、「猫爺 猿轡」でグーグル検索をしてみると、当ブログの記事が五つもヒットした。なるほど、猫爺は猿轡小説を書いていたのだ。
 だが、決して「SM小説」を書いているつもりはない。事件の小道具として猿轡を登場させているのだ。もう一件。どこかで「男色爺の小説」と書かれていた。こちらも「猫爺 男色」で検索してみると、二つヒットした。いずれも、弁解の余地なしか。

 そう言えば、「歌をわすれたカナリヤ」の歌詞を、SMみたいに茶化した掌編があった。

   ♪歌を忘れたカナリヤは、柳の鞭でぶちましょか♪

 あの一節に、猫爺は「ローソクを垂らす」を加えた。立派なSM掌編だ。こちらは、カナリヤが「ヒー」