雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十回 兄、定吉の仇討ち

2014-11-02 | 長編小説
 長坂清三郎が、目明しの仙一を連れて京橋銀座の福島屋にやってきた。普通、目明しは同心に雇われて働く間者であるが、仙一は長坂が廻り同心の時代から雇われていて、長坂が与力になっても雇っているのは異例のことである。それは、長坂が同心から与力に異例の出丗をしたからである。
 長坂からの手札(てふだ)は、小遣い程度の微々たるものであるが、目明しは犯罪者から商家や町人を護る役目を担っており、商家からの心づけが主たる収入と言えそうである。

   「これは長坂さまと仙一親分、いらっしゃいませ」
 亥之吉が出迎えた。
   「今日、拙者が参ったのは他でもない、三太を借り受けに来た」
   「へえ、三太でございますか、犯人でも追跡させるのでございますか?」
   「そうだ、如何程で貸して貰えるかな?」
   「そうですなぁ、一刻二分(ぶ)で、その後は半刻過ぎる毎に一分ではどうでっしゃろ」
   「それは高い、一日につき一分ではどうかな?」
   「えらいえげつない値切り方でおますなぁ」
   「お上からは一文も貰えないので、拙者の自腹なのじゃ」    

 三太に聞こえている。
   「新さん、あいつ等わいのことを、犬みたいに言いよる」
   『まあいいじゃないですか、聞いてやりましょう』

 亥之吉が最初に笑った。
   「嘘ですよ、どうぞお連れになってください」
   「そうか、拙者も冗談でござった」
   「あほらし」

 三太は不機嫌になった。
   「そんな馬鹿言っていてええのだすか、何か急ぐのやおまへんのか」
   「あぁそうだ、今、江戸の町を震撼させている非道働(ひどうばたら)きの盗賊だが、昨夜も大店が襲われたのじゃ」
 
 押し込んだお店では、女、子供さえもとどめを刺して、決して尻尾を掴ませないのだ。しかも、奉行所の動きは逐一把握している。長坂が推理をして多分次はこの店だろうと張っているところには決して現れず、常に奉行所の裏をかく。どうしても正体が掴めないのは、恐らく奉行所の中に盗賊の間者が居るのだろうと役人たちが噂している。

   「北町奉行所の中で、元、大坂東町奉行所でお奉行だった人はいはりますか?」
 三太が変な質問をした。
   「筆頭与力の矢野浅右衛門殿がそうである」
   「いつ頃こちらへ?」
   「二年ちょっと前だ」
   「ふーん」
   「それがどうした?」
   「いえ、何でもおまへん」
 
 何でもないことはない。三太は、よく調べたら簡単に濡れ衣だとわかる兄定吉を、よく調べようともせずに刑場へ送り込んだのが矢野浅右衛門なのだ。
 その後、真犯人の玄五郎が名乗り出て、殺人を教唆した相模屋の番頭平太郎が処刑になったが、手を下した玄五郎は自訴したために罪一等が減じられ、永の遠島となったのだ。

   『三太、兄の仇をとるつもりらしいな?』
 守護霊新三郎が問うた。
   「いいや、それは許されまへん」
   『あっしに嘘をついても無駄ですぜ』
   「うん、わかっている」

 三太は、長坂清三郎の後を付いて被害にあったお店に寄ってみた。亡骸は片付けられているものの、店の中は荒らされたままであった。柱、壁、天井に飛び散った血の跡が黒ずみ、悪臭が鼻を突いた。三太はこのような事件は初めてではなかった。
   「金は幾ら有ったのかわからぬが、全て持ち去られたようだ」

 幾許(いくばく)かの金の為に、人の命を虫けらのように奪った盗賊を三太は許せなかった。店の中を見回していた三太は、何かの物音に気付いた。押し入れの襖を「さっ」と開けたが、人影はなく、座布団ばかりが積み上げられていた。押入れの一箇所に埃が落ちていた。その上に天井への出入孔がある筈だと見ると、三太は持っていた天秤棒で突いてみた。ガタンと音がして、天井板が少しずれた。長坂は目明しの仙一に「覗いてみろ」と、指示した。
   「何かあります… あっ、赤ん坊です」
 母親か父親が咄嗟に我が子を隠したのであろう、赤ん坊は、衰弱して泣く元気も失っていた。仙一は、赤ん坊を抱いて、養生所に連れていった。
   「助かりますやろか?」
   「あの赤ん坊の生きる力次第だ」

 長坂と三太は、北町奉行所へ向かった。盗賊を動かせて甘い汁を吸っているのは矢野浅右衛門ではないのか、いや、矢野浅右衛門であって欲しい。三太はそう思っている。
   「長坂さま、わいを、矢野浅右衛門に会わせてください」
   「要件は何だ?」
   「いえ、ただちょっと」
   「そんな理由では、会ってくださらぬだろう」
   「では、ちらっと見るだけでも」
   「わしには喋られぬ訳があるのだろう、何とかしよう」
 長坂は、非道働きをする盗賊捕縛の為に協力して貰う心霊占い師だとして、三太を矢野浅右衛門に紹介してくれた。
 矢野浅右衛門は、それが子供だと見て、鼻で嘲笑っているようだ。
   「この者は三太と申します、三太は奉行所の内部に盗賊と通じて居る者が必ず居ると言っております」
   「さようか、それは早く突き止めねばならぬのう」
   「はい、それも直ぐに判ることでしょう、三太の占いには今まで幾度となく助けられております」
 
 そんな話をしている間に、新三郎は矢野浅右衛門に探りを入れた。三太は、間諜新三郎が得た情報を長坂に耳打ちした。
   「矢野さま、この三太は浪花の相模屋元番頭定吉の弟でございます」
   「相模屋の番頭?」
 矢野浅右衛門は、何かを思い出したようである。
   「知らんなぁ、番頭などいちいち覚えておらぬわ」
   「そうでしょうなぁ」
 長坂はそう矢野に相槌を打って、三太に向かって言った。
   「矢野様にお伝えすることがある、三太は下がって庭で待て」
   「へえ」

 長坂は、矢野の耳に今宵の張り込み先を告げた。
   「わたしの推理では、恵比寿屋あたりが襲われると思います」
   「左様か、抜かりのないように手配頼むぞ」
   「はい、今宵こそは盗賊共を一網打尽にして見せます」

 長坂は矢野浅右衛門に一礼すると、部屋を出た。
   「三太、どうであった?」
   「もうちょっと待ってください」
 新三郎がまだ戻っていないのだ。やがて新三郎は戻り、三太に告げた。
   「長坂さま、やはり盗賊と繋がっているのは矢野浅右衛門で、今宵盗賊どもは、恵比寿屋を襲う計画を三河屋に変更するようです」
 盗賊への繋ぎであろう、矢野浅右衛門は中間(ちゅうげん)を走らせた。中間は同心が付けているとも気付かず、一目散に盗賊の隠れ家へと向かった。

   「わかった、作戦通り恵比寿屋を張ろう」
   「えっ、何でだす?」
   「中間は盗賊の隠れ家へ着く寸前に取り押さえるのだ、繋(つな)ぎはとれなかろう」

 八人の盗賊と矢野の中間は捕まった。隠れ家を家探しすると、千両箱が三つ見つかった。新三郎が矢野浅右衛門の余罪を突き止めていたので、長坂を通し奉行に進言して証拠固めをした上、評定所で裁かれた。矢野浅右衛門には切腹の沙汰が下った。
 三太は矢野浅右衛門が無実の兄定吉に処刑を言い渡したことも、兄の仇を討ったとも他人には一切口に出さなかった。ただ夜更けの河川敷で上方の方向に向かって兄定吉に「兄ちゃん、仇は討ったでー」と、晴れやかに叫んだ。

 江戸の庶民を震撼させた盗賊がお縄になったことは江戸の町に伝わったが、その盗賊を動かしていたのが筆頭与力の矢野浅右衛門であったことは、幕閣が意識的に隠蔽して終結した。お上のご威光に関わることだからである。

   「三太、ご苦労さんやった、お陰で江戸の商人は枕を高くして眠れますわ」
 亥之吉旦那が、三太を労った その後、長坂清三郎が来て、亥之吉に礼を言って帰った。
   「何や、三太の貸賃も、礼金も無しや、せめて羊羹の一本でも持って来んかい」
   「せこいなー、旦那さんも」

  第十回 兄、定吉の仇討ち(終)-次回に続く- (原稿用紙11枚)

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