雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の才能なし俳句「近所の公園にて」

2017-05-17 | 日記
   ◇五月晴れ しろつめ草を 摘む子らも◇

 公園の芝生の中、故意か無意か、しろつめ草の花が蔓延っている。その花を幼児たちが、無心に摘んでいる。子らの心も、五月晴れのようである。

   ◇鳩に餌を 与える子等に みどり風◇

 羽毛、糞塵を巻き上げて逃げる鳩を追う腕白な子。恐る恐る鳩に餌を投げ与えている子。子等に何の罪があろう。要は、親のマナーと健康に対する無関心に問題があるのではないか。親たちはベンチでおしゃべりに夢中。


 南瓜の天婦羅を食べた。後に残った種を、悪戯で空いたプランターに蒔いておいたら、でっかい双葉が芽を吹いた。せめて、大きな尾花だけでも見せてくれないだろうか。そんな願いを持つほど、南瓜の花を見ることがない。そう、あの大きな黄色い尾花だ。過去にも悪戯で植えてみたが、小さいプランターでは、あの奥行きがあり、ぷっくり子房が膨らんだ雌花はつけなかった。

   ◇遠き日や カボチャの花の 首かざり◇

 白いシャツを、花粉だらけにして遊んだこともあった。 







猫爺の日記「がーん」

2017-05-17 | 日記
 「弱り目に祟り目」とは、このことだろうか。きっちりと医者通いをしていても、思わぬ祟り目に出遭う。自分は運命論者ではないと思っていたが、結構運命に操られているのに気がつく。 
 わが血族は、癌で亡くなったものは居ないから、自分もまた「そうであろう」と高を括っていたが、兄に裏切られた。昨年、肺がんで亡くなったのだ。

 自分も、部分MRIを受けて影が出たのだが、さらに「生検」をした結果、「癌告知」となってしまった。
 幸か不幸か、「骨シンチ」と「造影剤スキャン」の結果、転移はないとの事だったが、大概「病気のデパート」であった上に、更にこの告知である。

 昔、「癌告知」は慎重になされた気がするが、今は医者も笑みを浮かべながら「残念でしたが…」と、サラリと伝える。それだけ、治療法が進歩して、完治も夢ではなくなっているのであろう。だが、猫爺の場合は違う。数十年以前に入院40日の手術を受けているのだ。これでは内視鏡手術は出来ないそうである。そのうえ脳梗塞があり、血液をサラサラにする薬は欠かせないとくる。

 可能な治療は、ホルモン療法、そしてコバルト療法で進行を遅らせるくらいなもので、完治などは望めない。とは言え、ここまで長生きしたのであるから、諦めもつくというもの。カネのかかる最新治療とかは避けて、可能な治療を素直に受けて、十返舎一九ではないが、「灰さようなら」と辞世するのも宜しいかも知れないと思う昨今である。