雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のミリ・フィクション「転生」

2013-04-27 | ミリ・フィクション
   「俺は死んだのか?」

 真っ暗な部屋の中で、泰智は目を覚ました。
   「たしか俺は五階マンションの屋上から身を投げた」
 一瞬だったが、自分が墜落していくときの感覚を記憶している。どうやら、命だけは取り留めたようだ。
   「ここは病院なのか?」
 それにしては暗過ぎる。視力を失ったのか。何も聞こえない。身体を動かそうとしても、瞼さえ動かない。完全閉じ込め状態なのか。
 いや違う。先程から、泰智の近くにいるらしい人々の心情が読める。頻繁に近付くのは、父母に違いない。息子がこのような状態になっているのに、悲しみは伝わってこない。 寧ろ、安堵さえ覚えているようだ。
 小、中、高の学生時代は虐められっ子だった。 虐めっ子に囲まれると、下を向いて黙り込んでしまう。 それが「腑抜け者」だと言って馬鹿にされ、偶に顔を上げて睨みつけると「生意気だ」と殴り倒され蹴飛ばされる。 しかし、そんな痛みは苦にはならなかった。 ただ、
  「お前のようなクズは、死んでしまえ」
  「社会の役立たず」
 などと罵られるのが辛かった。言われるままに、虐めのその場で死んで見せたかっが、そんな勇気があろう筈もなく、重苦しく長い12年間が過ぎて職に就いても、上司やまわりの人々とのコミュニケーションがうまくとれず、すぐに辞めてしまうのだった

 家族の中にあっても、四面楚歌だった。大学生の兄と高校生の弟がいるが、頭がよくてしっかり者の彼らは親の受けもいい。仕事もせずに、家の中でゴロゴロしている泰智には絶望しているらしく、邪魔者扱いだった。母親は泰智の顔をみると、グジグジと小言ばかりで、父親は、「自衛隊にでも入れ」と口癖のように言う。泰智の脆弱な体力では、自衛隊に志願しろということは「死ね」と言うに等しい。要は、長男が嫁をとるまでに出て行けということだろうと泰智は思っている。泰智とても、将来の事を考えると夜も眠れないのだ。   暗闇の中で「おや?」と思った。泰智に近づく人が、次々と代わるのだ。    「これは、焼香に違いない」と気付いた。
   「俺はやはり死んだのだ」

 その癖、泰智の死を悼むものは居ない。ただ、無感情に儀式に従っている人の群れだ。悲しくは無かった。寂しくもない。この後に起きることを考えても、恐ろしくはない。やがてこの身は、火葬炉の中で焼かれてしまうのだろう。
 それから、どれ程の時が流れたのであろうか。再び、更に三度、人々に囲まれた。最初のそれは、最後の「お別れ」の儀式で、次のそれは「骨あげ」だったのだろう。今の自分は、闇の中を漂っているに違いないと泰智は思った。

 ヒッグス粒子の影響を受けない質量ゼロの「魂」が、宇宙の中を「思い出」を伴に漂うのだ。やがてその思い出すらも、少しずつ、少しずつ薄らいで跡形もなく消えてしまう。なんだか、夢と知りつつ夢をみているような、そんな気がする。

   ゆったりと、どれ程の時がながれたのであろうか。思い出がすっかり消え去った魂は、眩い光を見た。そんな気がしたのではない。確かに見ているのだ。魂は親を認識し本能のままに四本足で大地を踏みしめて立ち上がり、親の乳首を探した。

   (修正再投稿)  (原稿用紙4枚) 

猫爺のミリ・フィクション「骨釣り」

2013-04-27 | ミリ・フィクション
 長屋暮らしの独身もの八兵衛が、昼近くになって釣竿を持ってぶらり大川の堤へやってきます。今夜の酒肴(しゅこう)に、鰻でも釣るつもりでしょう。時間が時間です、釣れそうな場所には早くから来た太公望たちがびっしり。僅かな隙間に腰を下ろした八兵衛、黙って糸を垂らせばよいものを、あたりの人に大声で話しかけます。

   「あんさん、もっと静かにしなはれ、魚が皆にげてしまいますがな」
   「えらいすんまへん」

 注意されて、少しの間はおとなしくしていました八兵衛、魚に餌を取られると、根が苛らち(せっかち) ですから、もう、大騒ぎ。竿で水を叩くやら、喚(わめ)くやら八兵衛の近くにいた釣り人達は、一人去り、二人去り、誰も居なくなり、竿の方もピクリともしなくなりましたので、場所を替えようと他人の入らない葦の繁る川べりに入っていきます。
   「おーい、そんなところへ入りなさったら、危のおまっせ」
   「大丈夫だす。こう見えても、泥鰌すくいの八っあんでとおった男でおます」
   「そんなこと、関係あらへんがな」
 八兵衛、奥へ奥へと入っていき、場所を定めて糸を垂らしたとたんに、ガツンとあたりがきます。
   「ほら来た、大物や、今夜は鰻の蒲焼で一杯に有り付けそうやで」
 釣り上げて腰を抜かさんばかりに驚きます。なんと、これが人間の骸骨です。
   「わあーっ、えらいものを釣り上げてしもた、なんまいだー、なんまいだー」
 祟りがあってはいけないと、八兵衛は釣りどころではない。早々に引き揚げて旦那寺の和尚さんに持っていた有り金を渡し供養を頼みます。和尚は有難いお経をあげて、無縁仏の墓に埋葬してやります。
   「これでよろしいかな」
   「へえ、和尚さん有難うさんでござります。これで、祟りはおませんでっしゃろか?」
   「何が祟りなぞあるものか、お前さんは良いことをなすったのじゃから」
 その夜、文無しになった八兵衛、空き腹を抱えて早い目に寝てしまいます。真夜中過ぎになって、表の戸を叩く音が…。
   「もし、八兵衛さん、ちょっとここをお開け」
 艶めかしい女の声がした。
   「この夜更けに、どなたさんでござりますかいな」
   「へえ、わたしでおます、昼間お逢いしました」
 戸を開けると、そこに芸者姿の超美人が様子よく佇んでおります。
   「昼間は結構な供養をありがとうさんでおました。お蔭さんで成仏出来ることになりました」
   「えーっ、あんたおゆうさんでおますか?なんと奇麗な幽霊」
   「へえ、 この通り、足がおませんでっしゃろ」
   「わあ、ほんまや、祟やったら堪忍しておくなはれ、態と釣ったのやおまへん」
   「違いますがな、浄土へ行く前にせめてお礼と思いまして、お酒と肴を持って来ました、どうぞ、今夜はゆっくりと夜伽なと…」

 差しつ差されて、しっぽりと時を過ごしているかと思えば、唄をうたい始める、隣の熊五郎すっかり目が覚めてしまい、壁の穴から八兵衛の部屋を覗くと、美人芸者を連れ込んでいちゃいちゃしているではありませんか。
   「どないなってんのや、しけた八兵衛のところへ、あんな美人芸者が来ているなんて」
 そのうち、八兵衛の部屋では灯かりを消して、何やらもぞもぞ」
   「えーっ、そんな殺生な!」
 翌朝、熊五郎は八兵衛を捉まえで訳を訊くと、実はかくかくしかじかと、骸骨の話を聞きます。 熊五郎は「俺も」と、八兵衛から釣竿を借りると、川辺の芦原へ向かいます。

   「たしか、この辺りやと言うとったなァ」
 釣り糸を垂れると、早速、ガツンと当りがあります。
   「おっ、来たぞ、美人のお骨さんが」
 竿を上げてみると案の定、骸骨がひっかかっています。
   「大きい骸骨やなァ、そうか、ぽっちゃり型の年増芸者というところかな」
 八兵衛がやったように、旦那寺の和尚さんにお金を渡して供養してもらいます。家に帰りまだ明るい内から布団を敷いて待ち、あれこれ空想して独り言を言っています。

   「あら、兄さん、昼間はありがとうさんでおました。お蔭で極楽浄土へ行けることになりました」
   「お礼に、お酒と肴、それに、川の底に小判がありましたのでお土産に持ってきました」
   「今夜はゆっくりと、夜伽なと…、あらっ、気が速い、もう布団を敷いていますのか」
   「ささ、早うこっちへ…」
   「その前に、耳掃除でもしてあげましょうか、横になってわたいの膝枕に…」
   「あっ、そうや、わたい足無かったのや…」
 熊五郎の独り言が八五郎に聞こえたらしく、壁穴から覗いています。
   「まだ明るいうちから布団に入って、何をぶつぶつ言うとるのや」
   「今夜、ぽっちゃり年増の芸者が来るもので、うれしゅうて…」

 ようやく真夜中になりますと、八兵衛の話にたがわず、表の戸を「ドンドン」
   「それ、お骨さんがお出でになりなすった。お越しやす。今開けますさかい」
 熊五郎、喜び勇んで戸を開けますと、鎧姿の荒武者がすっく。
   「拙者、昼間そなたに供養してもらった骸骨でござる」
   「えーっ、男でしたんかいな、どうりで大きい骸骨やなあと思いましたわ」
   「お蔭で、極楽浄土へいけることになりもうした」
   「それはようございましたな」
   「そこで、お別れの前に礼をと参じた、なにも無いが夜伽なと…」
   「わーっ、要らん、要らん、男の夜伽なんか」
   「そう言わずともよかろうが、折角こうして来たのじゃから」
   「夜伽は要らんから、川底に沈んでいた小判でもあれば頂きます」
   「そんな物は無い。そのかわり…」
   「あっ、布団の中に入ってこないでくれーっ、そんなとこ、触るなっ!」

 わあわあ騒いでおりましたが、その後、熊五郎兄さん疲れて眠ってしまったというか、気絶してしまったというか、大人しくなります。翌朝になって八兵衛がやってきた。
   「よかったなァ、ぽっちゃり年増芸者と一夜過ごせて」
 熊五郎、死んだフリ。

    (上方落語「骨釣り」より)   (原稿用紙9枚)

股旅演歌

2013-04-23 | 日記

 コブクロも、スキマスイッチも、ゴスペラーズの歌も好きだが、つい口遊むのは古い演歌、それも股旅(またたび)演歌と言うやつ。 またたびと言っても、ネコ科の動物が酔い痴れるアレではなく、いわゆる江戸時代の無宿者の旅である。 股旅演歌は、哀愁があって、威勢がよくて、ゴロが良く、韻を踏んだ心地よい響きがあるが、内容と言えばものすごく単純。 年を取ると、そんな歌が好みになった。

 例えば、股旅演歌の「流転」なんかもよく歌っている。  ここに歌詞は書けないが…。

   1番◇三味線に命を懸けている男の歌で、三・七(さんしち)と歌詞に掛け算がでてくる。 その答えはというと、サイコロの目を一から六をたした二十一、かけ算とたし算が出てくる算数の歌のようなので、小学生に薦めようと思うが、サイコロ賭博で身を持ち崩した男の話らしくて、小学生に薦めてはいけないかも知れない。 それでもって、浮世はかるたのように浮き沈みするんだとか。 かるたと言えば「犬も歩けば棒に当たる」とか、「論より証拠」、「花より団子」みたいな為になるヤツだったら小学生に薦めても良いのだが、賭博に使う「花札」、「株札」の類のようだ。 やはりこの際、小学生に薦めるのは止めようかと思う。 

   2番◇どうせ一度は死ぬんだから、鳴いてはいけない、夜明けの渡り鳥 ただそれだけ。

   3番◇男は「意地」で、女は「情け」だそうである。 そうとは限らないと思うけど。 自由になるのだったら、男を捨てて、恋に生きたいと願う任侠の世界に生きる男らしい。 最近だったら、ちょっとお金がかかるようだがタイに行けば男を捨てられると、男を捨てたカルーセル・マキさんが仰っていた。  

 この男、三味線に命を懸けているのではなく、三味線で命を繋いでいる男ではないのだろうか。 そんなことを考えながら、口遊んでいる股旅演歌である。

 YouTubeで、ぜひ聴いてみて欲しい1曲である。 


猫爺のミリ・フィクション「大きな桃」

2013-04-21 | ミリ・フィクション
   「この島の平和はどこへ行ってしまったのでしょう」
 荒らされた田畑を眺めて、女の鬼が呟いた。 彼女の視線は、空(くう)を彷徨っている。
京の都に出没して、人を喰い財宝を奪ったと噂された鬼たちだが、財宝は先祖が身を粉にして働き、蓄え残したもので、子孫が慎ましく護り通してきたものであった。

   その、たった一つの安住の地が「鬼が島」である。
   「男ばかりか女と子供の命を奪い、先祖から引き継いできた財宝を盗み、揚々と引き揚げていったあの軍団が憎い」
   都に流れたあの噂は全くの嘘である。都の人々を殺し、財宝を奪い取ったのは人間の盗賊である。それを鬼の仕業に転嫁し、あの少年を焚き付けたのは、紛れもない「桃太郎」を育てたお爺さんとお婆さんなのだ。

 脳みそは空っぽで、ただ正義感だけが全身に詰まった桃から生まれた桃太郎こそが、いとも簡単に洗脳されてロボット化した殺人鬼なのだ。
   「先祖の墓が荒らされて、装飾品まで根こそぎだ」
   「わしらのひ弱な戦力では、財宝を取り返すことは出来ない」
   「仕方がない、わしらのボスに訴えて、お導きを給わろう」

 鬼たちは、屈強な男ばかり三人を選出して旅支度をさせ、地獄に向かわせた。山を越え、川を越え、賽の河原、そして地獄に渡り、極寒地獄、阿鼻地獄、叫喚地獄、針地獄、火焔地獄などを周り、閻魔大王のおいでになる法廷に到着するまでに49日のときが流れた。

 三人の鬼たちは閻魔大王の御前に進み出て平伏した。
   「このような遠方までよく来たな」
 閻魔大王は三人の鬼を優しく労った。
   「何も申さずとも判っておる、実はあの桃太郎なる者は、儂が荒れた人間社会に遣わした救世の使者だったのだが…」

 あの子を託した老夫婦が失敗だった。物欲の塊のような奴らで、桃太郎を自分たちの欲望を満たす道具にしてしまったのだと大王は三人の鬼たちに詫びた。
   「それで、私たちはどのようにすれば良いのでしょうか?」
   「そうだなァ、時を戻そうと思う」
 お婆さんが川で洗濯をしていると、「川上から大きな桃がドンブラコ」の時点に戻そうというのだ。
   「さすれば閻魔大王さま、死んだ者たちも生き返るのでございますか?」
   「さよう、すべて元のままだ」
   「ありがとうございます」
 鬼たちは歓喜に咽んだ。早く鬼が島に戻って皆に知らせようと、法廷を後にした。

 昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが住まいしておりました。ある日お爺さんは山へ柴刈に、お婆さんは川へせんたくに行きました。お婆さんがせんたくをしていると、川上から大きな桃がドンブラコと流れてきました。

 お婆さんは桃を拾うと、慌てて家に持ち帰りました。お爺さんが帰ってこないうちに、一人で食べようと思ったのです。

 包丁で桃を真二つに切ろうとしたところ、桃は勝手にパカンと割れて中から可愛いらしい女の子が出てきました。

 やがてお爺さんも山から戻り、二人で相談をして、かねてから子供を欲しがっていた長者の屋敷に売りに行きました。
   「将来は美しい姫になって、玉の輿に乗ったかも知れないなぁ」
   「そうかも知れませんが、将来の富よりも目先の金子(きんす)ですよ」
   「そうだなァ、わしらも歳だからいつお迎えが来るかも知れん」

 お爺さんとお婆さんは、夜更けてそんなヒソヒソ話をしていた。門口まで、お迎えがきているとも知らずに…

(改稿)  (原稿用紙5枚)

年寄りカレー

2013-04-20 | 日記

 カレーライスのカレーの隠し味の話をテレビでやっていた。 チョコレートだの、イカの塩辛だの、ミルクキャラメルだの、ナンプラーなどといろいろあったが、私がいつも入れているケチャップはなかった。 私にはカレーを香辛料から作れる筈もないが、例えば、バーモントカレーの固形ルーを外函のレシピ通りに作ると、塩辛くて血圧に影響しそう。 ルーを半分に減らして作ると「おじや」みたいになってしまう。 そこで、ケチャップと溶き片栗粉でトロミを付け、味は顆粒のコンソメを少々入れて調整する。 なんだか離乳食みたいなカレーであるが、年寄りには食べやすい。 しかし、カレーはカレー。 決して離乳食にはしないで頂きたい。 

 齢を重ねると、カレーはカレーでも、加齢臭というものが体から出るそうな。 口臭なら、ブレスチェッカーという小さくて手軽なものが有るが、加齢臭は自分にはわからない。 脱いだシャツを自分で嗅いでみても、なんのにおいもしないので「自分はまだ出ていない」と思うのは早計らしい。 何でもズケズケと言う若い眼科医が、手術が終わった時に「〇〇さん、虫歯ある?」ときいてきた。 歯科は定期的に診療を受け、電波殺菌とレーダーで歯石を取ってもらっているので「無いと思う」と答えたら、「前立腺の病気は?」。 「何で眼科で前立腺の問診を受けなければならんのか」と怪訝に思ったが、泌尿器科には行ったこともないし、多少、トイレが近くなっているが、特に自覚もないので、これも「無いと思う」と答えた。 その時は気付かなかったが、あれはきっと加齢臭の指摘だったのかも知れない。 

 加齢臭チェッカーってあるのかな? 検索をかけてみたら、ある一般人がブレスチェッカーで出来るそうな記事を書いていた。 だが、その人も実際に試行した訳ではなく、怪しいかぎり。 あと、検索で出て来るのは、石鹸だのサプリばかり。 石鹸は一時的に誤魔化すだけだろうし、サプリは信じられん。 

 と、書きながらも、密かに手持ちのブレスチェッカーを体にあてて暫く置いたが、チェッカーの反応なし。 あのなー。 


猫爺のミリ・フィクション「まだ生きている」

2013-04-20 | ミリ・フィクション
 自分の生涯に、このような恐ろしい世界が待ち受けていようとは想像さえしなかった。  いや、これは生涯ではなく、死後の世界かも知れない。亡骸から離脱した魂が、宇宙の闇を漂っているのだろうか。
 私はダムの点検作業中に突風に煽られて、迂闊にも堤防から放水口側の滝壺に墜落した。滝壺の底に激突したまでは、はっきりと記憶にあるのだが、その後のことは闇に包まれている。  やがて記憶だけがありありと蘇り、子供の頃のことなど、事故の前よりも鮮明に思い出す。やはり、自分は死んだのだろう。しかし、「自分は生きている」と思う気持ちもある。根拠はないが、その確信が徐々に強くなってくる。これは、ただの生への未練かも知れない。

 五感の総てが無くなって、外界からの通信は、すべて途絶えている。自分が外界へ呼びかける術もない。ただ「俺は生きているぞ」と、心の中で叫び続けるだけだ。
 もし、生きているとすれば、自分は病院の白い壁に囲まれたベッドの上で、たくさんのカテーテルを体に差し込まれて、微動もせずに眠りこけているのだろう。そして、自分のことを医療関係者は「植物状態人間」と呼んでいるのだろう。
 自分は断じて「植物人間」ではない。こうして学習も成長も無いながらも、記憶や思考は働いているではないか。

 時折、記憶にない場面を考えていることがある。例えば、火葬炉の中で目を開けて、「まだ生きているぞ」と叫ぶ悪夢である。それは、脳が眠っている時に違いない。そんなおりに、自分は生きているのだと確信する。とは言え、このままの状態が続けば、やがて家族も諦めてしまうのだろう。どうかその前に気付いてくれ。多分、既に脳死と宣告されているのだろう。それを、おふくろと嫁が必死に生命維持装置の取り外しを拒んでいるのだろう。

 おふくろよ、妻よ、もう少し頑張ってくれ。きっと自分は目を覚ますだろう。目を覚まして、医師の質問に答えるだろう。自分の名を、おふくろの名を、妻の名を、二人の子供達の名を。俺はすべて答えることができる。生年月日は1986年10月24日だとはっきり言える。

 届くことのない言葉で、声にならない声で懸命に叫んでいて、ふいに不安が込み上げて来た。自分は、臓器提供意思表示カードを持っている。しかも、脳死状態での提供を望んでいる。今に角膜が、腎臓が、肝臓が、肺、心臓と移植可能な臓器が取り外されてしまうかも知れない。

 もう、あの事故からどれくらいの時間が経ったのだろう。まだほんの数日か、それとも数年だろうか。今の自分には時間の観念というものがない。恐怖に打ちひしがれながら、「まだ生きているぞ」と叫びながら、いつまで頑張ればよいのだろうか。
 そんな地獄の喘ぎのなかで、微かに子供の声を聞いたような気がした。続いて、妻の嗚咽を聞いた。間もなく自分は意識を取り戻すかも知れない予感に魂は震えた。聞こえる声は段々に大きく、意味すら分かるようになってきた。
   「パパは死じゃうの?」
 あれは息子の声だ。
   「このままでは、パパはきっと辛いのよ、もう楽にさせてあげましょう」
 妻の声。
   「これ以上生命維持装置で生きさせるのが可哀想で…」
 母の声も聞こえる。
   「それでは、取り外させていただいてよろしいでしょうか」
 これは医療関係者の声だろう。
   「はい、お願いします」
 妻は、はっきりと答えている。
   「臓器提供にご承諾いただけますか?」
   「その決心はつきません、本人の意志に逆らいますが、拒否いたします」
   「そうですか、残念ですがご家族の悲しみを思いますと無理にお願いできません」
   「申し訳ございません」
   「では、取り外します、どうぞお別れをなさって下さい」
 母がすすり泣いている。自分の周りで話している言葉の意味が、はっきりと理解できた。
   「待ってくれ、殺さないでくれ」
 叫びながら突然自分の意識が遠退いていくのを感じた。

  (添削)   (原稿用紙5枚)

温故知新「二宮金次郎」

2013-04-17 | 日記

 先刻、テレビを視ていたら、「二宮尊徳(たかのり)」の像が、小学校の校庭からどんどん撤去されているそうな。 理由を聞いていたら、「本を読みながら道を歩くと危険」だからだそうである。 おやおや、そんな事をいう親だって、携帯電話のメールを見ながら歩いているんじないの?
 「最近の子供が、道路で携帯を見ながら歩くのは、二宮さんの像の影響」だとか。 二宮さんの所為にされてお気の毒。  

 「子供が労働する姿を、子供に見せたくない?」 ははん、労働基準法に照らしているのかな? 二宮さんは労働というよりも親の手伝いをしているので、これがダメなら、よその子供が庭の掃除やゴミ出しをしているところを見せるのもダメってことになるのかな。 

 とは言え、時代は変わっているのだ。 なにも二宮尊徳さんに拘ることはないだろうと思うのだが、多少は大人のノスタルジアもある。 戦争を知らないのに、親兄弟が歌っていた軍歌にノスタルジアを感じる猫爺みたいなものかな?

 この際、思い切ってイメージチェンジしてみたらどうだろう。 沢穂希さんがサッカーボールをけっている像だとか、スポーツの顧問が、生徒を蹴飛ばしている像とか。 スポーツ推進や虐めの反面教師像とか理屈を付けて。 

 あっ、そうだ。 二宮金次郎(尊徳の元服改名まえの名)がハチマキをして受験勉強をしている像なんてどうだろう。 きっと教師にも、父兄にも、像を作っている業者にも喜ばれるとおもうけど。

 


セラミック

2013-04-14 | 日記

 「無用の長物」という慣用句がある。 有っても、却って無用なものである。 例えば猫爺の台所の中でいえば、セラミック製のピーラー。 よく切れて、気持ちの良いほどスムースに皮が剥ける。 それがどうして無用の長物なのか不思議かも知れないが、じゃがいもの場合、大きくて凸凹の少ないわりと高価なものは買ってこない。 一袋98円で、15個位入った種いものようなものをよく買ってくる。 これをセラミック製のピーラーで皮を剥くと、手指の爪を削るし、指先の皮まで剥いて血だらけになる。 刃が直角にチョンと肌に当たっても血が滲む。 恐いので抽斗に仕舞って、結局使っているのは、セラミックの10分の1位の値段のステンレス製ばかり。 セラミック製の包丁も買って使ってみたが切れすぎて、こちらは刃が軽く肌に当たっても、真っ新の剃刀と同じでザクリと切れる。 不器用者には、ステンレスの刃物が向いているようだ。

 え、何で急にそんな話を書いたか? 今夜の惣菜にと、ピンポン玉くらいのじゃがいもを10個程剥いてきたもので…。


今朝の淡路地震

2013-04-13 | 日記

  今朝、すやすやと安らかに眠っていたら、大きな地震で目が覚めた。 震源地は淡路島で、マグニチュード6.0だったそうで、猫爺が住む辺りの震度は4と報道していた。 震度4といえば、そう大したことはないのだが、それでも、部屋を見渡してみると、結構棚から物が落ちていた。 阪神淡路大震災を経験しているだけに、「またか!」と不安になった。  

 今朝起きたら、ガス湯沸器が点火しなかった。 地震の時は安全装置が働くこと位は知っているし気が付く筈なのに、真っ先にしたことは、浅はかにも着火用の電池を交換していた。 

 これも阪神淡路大震災の後遺症であろうか、揺れがとまっているのにゆらゆら揺れ続けているような気がした。 おまけにテレビカメラが揺れて画面が大きく揺れている画面を見せられると、船酔い状態になってしまった。  


ドライバーと蛍雪時代

2013-04-12 | 日記



 特殊ドライバーセットを買った。 六角星形や、三角、Y型のさきっぽ据替タイプ。 何に使うのかといえば、この度は内蔵ハードディスクを破棄するためにディスクを取り出すためである。 クレジットで買い物をしているので、データの残るディスクを破壊するため。 その他、100円ショップで買ったグッズを、少し改造したいのだが、三角ドライバーを持っていなかったので、開けるのに苦労していた。 もっとも、開けられないようにしているのだろうが。 

 星形ドライバーと言っても、太さが色々あって目的のものを選ぶのに手こずる。 それでも、ドライバーを開封した時はきれいに並んでいて「この位かな?」と辺りを付けて選び出せたのだが、ケースをひっくり返してバラバラにしてしまい猫爺の悪い目では元に戻せない。 「箱根八里の半次郎」ではないが、「ヤダネー」って感じ。(古いか)


 昔々その昔、「蛍雪時代」という受験対策情報誌があった。(今でもあるのかな?)ここに文学作品の投稿欄があって、小説の部の選者は確か「小堀杏奴(こぼりあんぬ)」女史であったと記憶している。 女史は、かの文豪「森鴎外」の娘さんである。 その女史の文章に「こぶしの花は、春の田圃を耕す頃に花を開くので、東北地方では田打ち桜と呼ばれている」みたいな解説があって、これが女史自身の小説だったのか、投稿作品の批評の一文だったのか思い出せないでいる。 ただ、こぶしの花を見ると、その一文を思い出す。 猫爺の住む辺りでは、こぶしがたくさん植えられている。 ことしも白い花びらが散ってしまったが、こんどはハナミズキの花が咲く番だ。 そして「蛍雪時代」は、亡き妻との出会いの場であった。 

昔人間

2013-04-08 | 日記

 この算数を解いてみて下さい。

    1+2×3=[ ] 

 あるクイズ番組でこんな問題が出て、女性の回答者は[9]と答えて不正解のブザーが鳴ったら「合ってるのに」と、不服顔。 次の問題へ進んだ後も、ブリブリ怒っていた。  この女性、他の回答者から計算の仕方を教わったら、恐らく「私はそんな風に習っていない」と、膨れっ面をしたに違いない。 

 他の大物女性歌手なども、勘違いか問題の聞き違いかで不正解になったら、「今のは無かったことにして、やり直してくれ」と、泣き脅しにかかる。 と、いうことは、クイズ番組で大物が不正解を出すと、そこはカットしてやり直すことがあるのだろう。 それなら、いっそ番組が始まる前に、答えを全部教えてもらっておけば良いものをと思ってしまう。 

 「習っていない」、 「もう一度やり直してくれ」、「その答がおかしい」、と、怒ったり泣いたり、結構みっともないのだが、ちっとも気付かない人が多い。 とは言え、それで結構高額のギャラを貰っているのだから、やはり尊敬に値するのだろう。

 猫爺は、地理の問題に疎い。 テレビの前でトンチンカンの答えを言って、密かに赤面しているのだが、そんな時はこう言う。 「昔人間は、そんなことを習っていないもので…」

 


野菜の食い溜め

2013-04-02 | 日記

 どうなっているのかな? 最近、野菜がメチャクチャ安い。玉葱の小なら、12個入った1袋が100円、大きな玉葱なら、6個入った1袋が100円。 じゃが芋も20個ほど袋に入って1袋100円。 キャベツも白菜もホウレン草も小松菜も茸類も…。 「えーっと、ここは100円ショップだつたかな?」と思ってしまう。 消費者にとって安いのは有難いが、生産者のことを考えると「安いのもほどほどに」と言いたくなる。 物価が上がって、しかも購買力が上がるのが「好景気」というもの。 「貧乏人は麦飯を喰え」発言と、「日本も核を持たねば…」発言で物議を醸した総理大臣池田隼人氏の「所得倍増計画」を回想する。

 そこで、今夜は安い野菜をふんだんに使って、手作りの「八宝菜」を作って食べた。 野菜は苦手だが、安い時に食いだめ溜めしておこうと思う。 ピーマンは好きではないが、これを天ぷらにしてウスターソースをかけると、俄然「好物」になる。 人参もダメだが、1ミリ位に薄切りにして電子レンジで調理したものを八宝菜などに入れると意識せずに喉を通る。 茄子も食べると胸がムカムカしていたが、カレーに入れると食べられる。 もっとも、溶けて存在感ゼロになっているけれど…。  


狼老人

2013-04-01 | 日記

 人は皆、疲れるとニンニクが食べたくなるものらしい。 ニンニクと黒酢と卵黄を摂っていれば、いつも元気で居られるものらしい。 また、コラーゲンとヒアルロン酸を摂れば、歳をとっても若々しく居られるものらしい。 どうりで、最近はアラ・セブンティ、アラ・エイティの元気で若々しい方々が増えていらっしゃる。 どうやら、みなさん高価なサプリを食しておられるようだ。 
 昼間のテレビをみていると、疎ましい程サプリのCMが続け様に流れる。 ある老夫婦の人生を、ドキュメンタリー風に切々と、30分も語られるので「ふーん、病弱で苦労されたのだ」と、サクセス物語に感動していると、「これのお陰です」と、サプリ。 「もう離せません。 生涯続けます」と、美味しそうにサプリを食べるところを見せてくれる。 それを見て、ずっこけている猫爺。
 そんな結構なサプリを、医者は患者に何故薦めないのだろう。 猫爺の知っている総ての医者は、サプリの「サ」の字も言わない。 サプリはめっちゃ高価なので、「貧乏なお前に薦めても買えないだろう」と、見くびられているのかと僻(ひが)んだり、皆がサプリを摂ると、医者が儲からないからと、医者の間で言い合わせているのか?と、疑ったり…。

 今日は4月1日、エイプリル・フールだったので、今日くらいは嘘をつかないでおこうと心に誓って1日を過ごした。