goo blog サービス終了のお知らせ 

雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第七回 温情ある占い師2 (原稿用紙20枚)

2015-11-25 | 長編小説
 相も変わらず、占い堂は人気を集めて依頼者の列ができていた。右吉と賢吉は、こっそりと列の最後尾に並び、おとなしく順番を待っていたのだが、占い師陣容の一人が気付いて近寄ってきた。
   「お役人さん、また見張りでございますか? 私どもは何も不正はしおりません」
   「いや見張りではない、昨夜成松屋へ盗賊が押し入ったので、その隠れ処を占って貰おうと思うのだ」
 何と横着な目明しであるが、相手の反応を見ているのだ。賢吉が、男の顔色を窺っていたが、動揺している気配はなかった。
   「さようでしたか、物騒でございますね、先生ならきっと何か手掛かりを見つけましょう」
 男は引き下がり、お堂の中へ消えた。占い師に報告を入れる為だろう。やがて順番がきて、右吉たちは呼び込まれた。

   「恐ろしいことです、それでお店の方々はご無事でしたか?」
 占い師は、その答えを知っていながら訊いている様子であった。
   「ただ一人として命を取られることも、傷付けられることもなく、全財産を持ち去ることもありませんでした」
   「それは不幸中の幸いでした」
   「非道働きが多いなかで、情のある盗賊です」
 占い師の口元が緩むのを、賢吉は見逃さなかった。
   「それで、何を占いましょうか?」
   「盗賊の手掛かりです、隠れ処などが分かればよいのですが」
 占い師はさっそく瞑目して、暫くはそのままで身動ぎもしなかった。再び目を見開くと、厳かに答口を開いた。
   「盗賊集団は、いま甲州街道に向かっています、早く手配なさるが良いでしょう」
   「甲州街道を、どこへ行くつもりでしょう」
   「甲府か、信濃か、それ以上のことは占いでは知ることが出来ません…」
   「ところで奪った千両箱は、持っていますか?」
 占い師は即答した。
   「たかだか千両箱三つです、置いてゆくこともないでしょう、担いでおります」
 聞いていた賢吉が、「早くお奉行に手配をして貰いましょう」と、右吉に耳打ちをしたが、それは占い師の耳にも届いているようであった。
   「わかりました、そんな物を担いでおれば直ぐに見付けられることでしょう、いや、お蔭を持ちまして、盗賊の集団を見つけたのも同然です」
 占い師は、黙って頷いた。
   「占い料は、如何程でしょうか」
   「個人であれば、五十文も戴ければよいのですが、あなたはお上の御用で参られたのですから、一両頂戴致します」
   「わかりました、わたし共はそんな大金は持っておりません、上司に払って頂きますので、どなたかに奉行所まで取りに来て戴けませんか」

 右吉たちの後から、「付け馬」が付いてくる。占い料などに執着しない集団なのに、奉行所の様子を探るためだろうか。賢吉が思い着くのは、奉行所が集団の正体を感づいているのではないか探ろうとしているのであろう。金を出す上役の言動など奉行所の空気に神経を注ぐに違いない。

 ただ歩いているだけではあるが、やはり男の足取りが軽い。コイツも忍びに違いないと賢吉は確信した。
   「右吉親分、親父が心配していると思うので、俺はここから家に帰ります」
 賢吉は、右吉に告げると、脱兎のごとく駆け出して行った。

 右吉と「付け馬」は、北町奉行所の門前に立つと、その前に二人の門番が立ちはだかった。
   「右吉、その男は?」
   「はい、今評判の占い師の陣容の方です」
   「長坂清心さまの言い付けで占って貰ったのですが、長坂さまから占い料を預かって行くのを忘れました…」
   「さようか、長坂さまは奥に居られる、入りなさい」
 普通なら、胡散臭い男を連れて行けば、おいそれと門内に入れてくれる筈はないのだが、どうやら賢吉が先回りをして話しておいたに違いない。

 門内に入ると、与力の長坂清心が待ち受けていた。
   「右吉、盗賊の行方を占って貰ったか」
   「はい、盗賊集団は、甲州街道を甲府か信濃方面に向かっているそうでございます」
   「千両箱を抱えて小仏関所までは、男の速足でも五日はかかるだろう、早馬を飛ばして関所に手配させよう」
 長坂は、思い出したように右吉に付いてきた男を見た。
   「ところで右吉、この御仁は?」
   「占い師集団の陣容の方で、わたしが占い料を払う金がなかったので、ここまでご足労願いました」
   「左様か、それはご苦労であった、いくら払えばよいのだ?」
   「一両頂戴致します」
   「では、これを…」
 長坂は用意した一両を出すと見せかけ、懐に忍ばせた懐剣を出して男に突き付けた。男は身軽に後方に跳び、懐に手を突っ込んで構えた。
   「いやあ、済まぬ、済まぬ、間違えてしまった、許してくれ」
 懐剣を懐に仕舞うと、小判を一枚出した。
   「一両で御座ったな」
 長坂が小判を差し出すと、用心しがら手を出した男のその手首を長坂が掴んだが、男はスルリと外すと長坂を睨みつけた。
   「何をするのだ」
   「其処許は、忍びで御座るな」
   「忍びならどうした」
   「成松屋を襲った盗賊も忍びの疑いがあるので、訊いてみただけで御座る」
 黙ってその場を去ろうとした男を、右吉が遮った。
   「尋ねたいことがある、暫し待たれよ」
 右吉、無意識で武士に戻っていた。尚も右吉を振り払い、逃げようとする男を、右吉は後から十手で羽交い絞めにした。すばしっこさでは男に敵わぬ右吉も、力では負けていなかった。
   「待てというのが分からぬか」
   「煩い、貴様俺を嵌めやがったな」
 そこへ、目明しの長次と同心が走り寄り、男をお縄にした。賢吉も植え込みの中から、ひょいと姿を出した。
   「成松屋の主人に、お店の信用に関わるから盗まれた千両箱の数は内密にしてくれと頼まれていて、誰も喋っていないのに占い師は千両箱三つと言ったのですよ」
   「それは占いで当てたのだ」
 男は暴れながら叫んだ。
   「黙れ! それにお前が忍びであることが怪しい、伊賀者の集団であろうが」
 男はいきなり着ているものの襟を噛もうとした。
   「そうはさせないぞ」
 長坂は言うと、男の着物の襟を懐剣で切り裂き、小さな紙袋を取り出した。中身は笹ケ森と呼ばれる猛毒の砒素である。安土桃山時代の「伊賀者」のしきたりが、江戸時代の今も受け継がれているのだ。しかし、このことで占い師の集団が盗賊であると長坂は確信した。自害をしてまでも守らなければならない程の秘密を、集団は抱えているのだ。
   「捕り方を引き連れて踏み込んでくれ」
 長坂は、古参の同心に命令した。
   「はっ、承知仕りました」
   「賢吉行くぞ、捕物をよく見ておくがよい」
   「はい」

 占い堂は、昼までの占いを終えて一旦扉を閉めたところだった。二人の男が表の掃除をしている。そこへ右吉と賢吉がやってきた。
   「今、朝の占いが終わったところです、半刻のちにお出でください」
 言葉は丁寧であるが、態度は横柄である。
   「いや、占って貰いに来たのではない、建物の中を調べる」
   「何故でございますか?」
   「成松屋で盗まれた千両箱を、ここに隠している疑いがある」
   「我々がその盗賊だと言われるのか」
   「まだ疑いだ、入るぞ」
   「何を証拠に言っておられる」
   「その証拠を探させて貰う」
   「そんな強引な」
 男二人は、何が何でも入れてなるものかと、立ちはだかった。何処かで様子を見ていた同心たち捕り方が集まってきた。それを見て、男たちは堂内の占い師のところへ駆け込んだ。

   「お待ちください、我らが盗賊だという根拠を見せて頂きたい」
 頭目であろう、占い師が仁王立ちになり、男たちがその両脇と後方を固めた。
   「建物の中のどこかに隠している筈だ」
   「筈だというだけで家探しをされても困る」
 同心の一人が占い師の前に進み出た。
   「お前たちの仲間が一人我らの手に内にある、忍びであると判明致した」
   「忍びは皆盗賊だと言われるか」
   「ヤツは、自害しようと致したぞ、ヤツが命を持って守ろうとした秘密は何だ」
   「我らに秘密などない、何かの間違いでしょう」
   「間違いかどうか、ここを家探しすれば分かることだ」
   「家探しをして、何も出ないときは何とされます」
   「その時は、お前たちは疑いが晴れる」
   「それだけですか、我らが被った屈辱と、落とした信用はどう償われる」
   「それは、何も出なかったときに改めて考えよう」
   「無茶な…」

 お堂とは言え荒ら家、大きな千両箱を隠す場所などそうは無かろうと侮ってかかったが見つからない。家探しする同心、長吉や右吉たちに焦りの色が出てきた。大口を叩いた手前、引っ込みが付かないのだ。
   「運び出して、他へ移したのだろうか」
 同心の一人が、諦め加減で呟いた。
   「賢吉はどう思う?」
 右吉が、考え込んでいる賢吉に声をかけた。賢吉は頼みの綱だったのだ。
   「ちょっと考えさせてください」
   「よし」
 占い師が、「それ見ろ」と言わんがごとくにやけている。

 縁の下も、天井裏も隅から隅まで探したが見つからなかった。押しかけた捕り方が諦めかけたとき、ようやく賢吉の顔が綻んだ。賢吉は、厠に目を付けたのだ。厠(かわや)とは便所のことで、当時は後架(こうか)とも言っていた。
   「わかった、厠ですよ」
   「厠も散々調べたぞ」
 与力の一人が憮然として言った。
   「糞尿も竹で突いて調べた」
   「違います、糞尿に沈めているのではありません」
 天井や壁をトントン叩いて調べたが、壁は厚みが無く、天井は屋根の傾斜がそのまま見えている。
   「壁は外に回ってみたが厚みはない」
   「天井も調べたぞ」
 賢吉は、床を拳で叩いて確信した。
   「足元ですよ、床に厚みがあっても、便器の囲いで気が付かないのです」
 占い師の薄ら笑いが消えた。それを賢吉は見逃さなかった。
   「例え釘付けしていようとも、何処か開くところがある筈です」
 床に羽目の蓋も無ければ、切れ込みらしき形跡もない。
   「床を壊しましょうか?」
 同心たちが壊そうと合意したところで、賢吉が待ったをかけた。
   「羽目の蓋が無ければ、床全体が蓋なのかも知れません」
 天井の付梁に縄をかけ、一端を厠の外へ、もう一端に身の軽い賢吉の腰に巻き付け、天井から賢吉がブラ下がり、「金隠し」を持ち上げた。床は周りにぴったりくっ付いていて重かったが、持ち上げることは出来た。
 千両箱は、三つだけではなかった。もう三つ、合計六箱が並べられていた。
   「賢吉良くやった、お手柄だ」
   「そんなことよりも、早く盗賊を捕まえてください」
 だが、遅かった。捕り方が気付いたときは、盗賊の一味は素早く逃げ去った後であった。

 後日、三千両は成松屋にはそっくり戻されたが、残りの三千両の出処が不明であった。江戸に、はそれに該当する被害届はなかったからだ。どこかの藩で奪った金を江戸に持ち込んだのであろうと、長坂清心は、京や浪花方面へ問い合わせするつもりだが、当面は奉行所預かりとした。気になるのは逃げた盗賊の集団である。

 長坂家の長男心太郎と剣道の手合わせをしていた賢吉は、屋敷に戻って来た長坂清心のもとに駆け寄った。
   「お帰りなさいませ、盗賊の手掛かりが見つかりましたか」
   「いや、さっぱりだ、ヤツらは金を取り戻す為に、再び成松屋を襲うかも知れぬ」
   「一度襲った商家を、もう一度襲いますか?」
   「金蔵の錠前は壊されていない、だが盗賊共が今後の為に鍵の形を写し取っていたとしたら、もう母屋を襲う必要はない、行き成り金蔵を開けて易々と千両箱が奪える、今度は我らへの面当てで六千両を奪うだろう」
   「長坂さまのお考えは分かりましたが、いつ成松屋を襲うかがわかりません」
   「そうだなぁ、一人や二人で張り付いても、相手は多勢だ、わしの押し当てで捕り方を幾日も張り付かせるわけには参るまい」
   「その前に、掴まっている仲間を助けに来ると思われませんか?」
   「猿轡を噛まされてまだ生かされていると分かれば、寧ろ殺しに来るだろう」
   「生かされて拷問を受けているという噂を広めましょう、きっと焦って事を急ぐでしょう」
 成松屋を襲うのが先か、掴まった仲間を殺しに来るのが先か、何れにせよここ数日のうちに動くに違いないと賢吉は睨んでいる。
   「長坂さま、成松屋は俺が小僧に入って見張ります」
   「賢吉一人では、大勢の盗賊に太刀打ち出来ぬではないか」
   「太刀打ちはしません、ちょっとでも不可解な出来事があれば、お知らせに来ます」
   「それで間に合うのか?」
   「盗賊が襲うまえに、きっと何かが起こります」
   「例えば?」
   「妙な客の探るような仕草とか、夜中に役人が見回りに訪れるとか」

 賢吉のは自信あり気である。長坂は奉行の許しを得て、成松屋に賢吉を張り付かせることにした。成松屋の主は、賢吉が子供であることが不安のようであったが、長坂に説得されて受け入れることにした。

 賢吉が見張り小僧になった翌日に、役人と思しき男が見回りに来た。
   「北町の与力、長坂清心である、今夜あたりに盗賊が取り戻された千両箱を再び奪いに来る恐れがある、深夜は我々が店の前に隠れて見張っているので安心致せ、決して取り乱すではないぞ」
 賢吉は長坂の声を知っている。明らかに偽者だ。番頭は、ペコペコ頭を下げて承っていた。賢吉は偽長坂の顔をしっかり見たところ、やはり占い師のところで見かけた記憶がある。賢吉は奉行所へ走った。

   「そうか、すぐに手配して貰おう」
 賢吉は奉行所に立ち戻り、右吉に報告した。右吉から長坂に、そして奉行へ伝えられて、同以下捕り方の手配万端、深夜になる前に少し離れたお店や、空き家などに隠れて、与力が率先して飛び出し、采配を振るのを待つ。

 真夜中過ぎに、成松屋の戸が叩かれた。
   「はい、何方さまでいらっしゃいますか?」
   「拙者だ、昼間声を掛けた北町の与力、長坂清心である」
   「はいはい、ただいまお開け致しますが、用心の為施錠致しましたので、暫くお待ちを」
 昼間応対した番頭が答えた。
   「何をしておる、捕物で怪我を致した者の傷口を洗ってやりたい、水を所望致す」
   「申し訳ございません、鍵はあるじが持っております、今呼びに行っております、今暫くお待ちを」
   「左様か、早くしてくれ」
 さらに待たせたので、焦れて戸を叩き続ける。
   「早くせんか、戸を壊すぞ」
   「あ、漸く主が参りました、ただいまお開けします」

 その時、急に表が騒がしくなった。「御用」「御用」の声とともに、十手の鉤で刀を受け止める音、刀の鎬を削る音が聞こえる。恐いもの見たさで、賢吉が戸の覗き窓を開いた。驚いたことに、右吉が刀を振り回している。十手では思い切り戦えず、賊の刀を奪ったようだ。
   「右吉親分は、やはり根っからの武士なのだ」
 右吉は水を得た魚の如くきびきびと立ち回り、峰打ちで次々と賊を倒していった。捕物が終わるとポイと刀を捨てて、涼しい顔で賢吉に合図を送ってきた。「もう出てきても良いぞ」という合図だ。
 右吉の様子を見ていた長坂は、「早く身を固めさせて武士に戻してやろう」と、密かに思うのであった。

 成松屋を襲おうとした盗賊は、悉くお縄になった。盗賊集団は奪った小判で、何を企んでいたのだろう。恐らく、この集団の他にも第二、第三の盗賊集団が存在するに違いないが、誰一人吐かぬままに処刑されて露と消えた。

 「賢吉捕物帖」第七回 温情ある占い師2 (終)

  「賢吉捕物帖」第八回 執筆中

  「賢吉捕物帳」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第六回 温情ある占い師 (原稿用紙17枚)

2015-11-09 | 長編小説
 北の与力、長坂清心の屋敷に居候している元武士桐藤右近(とうどううこん)こと駆け出しの目明し右吉(うきち)は、朝早く賢吉の声に起こされた。
   「凄い占い師が江戸にやって来て、貧しい人からは料金をとらずに占ってくれるのです」
   「賢吉、金持には高額を吹っ掛けるのだろう」
   「出張って占うので、ほんの出張料程度でよく、最高でも一両を超えることはないのだそうです」
   「どのように占ってくれるのだ」
   「ジッと相手の目を見るだけです、占いばかりではなく、悪霊による病気もお祓いしてくれるそうです」
   「どのように?」
   「先生の前に座るだけで、これは悪霊の所為だ、流行り病の所為だと振り分けてくれます」
   「ふーん、嘘臭いなぁ」
   「右吉親分もそう思いますか」
   「まあ、貧しい者に被害がないのが何よりだ、金持ちも一両程度なら気が晴れて、満足するのだろうから被害とは言えないだろうな」
   「被害が出始めるまで、それとなく見張っていましょうか」
   「そのうち依頼者になって、探りを入れてみよう」
   「はい」

 だが、占い料が吊り上がる訳でなく、金持ちだけを依頼者とするでもない。貧富公平で真剣に占っているようである。出張る理由として、町なかと言うのに空き地に頗る粗末な小屋を建てて御堂と称し、そこで一向に勿体ぶることもなく依頼を受けている。その近しさが庶民の人気を集める要因になっているようだ。

 そのうちとは言ったが、気になって翌々日に右吉と賢吉はノコノコ出かけて行った。依頼者は列をなしていたので、右吉たちも並んだ。占う様子を見ていたが、やはり賢吉が持ってきた情報のごとく、大した占い料を取らずに次々と相談事に助言し、時には病気の対処法や流行り病に関しては医者に診て貰うように勧めていた。

   「先生、次の方をお呼びしてもよろしいか?」
 弟子であろう若い男が窺(うかが)いをたてた。先生と呼ばれた占い師は、頷(うなづ)いて言った。
   「お上がり願いなさい」
 呼ばれたのは、夫婦者であった。
   「夫は太助、私は妻のシカで髪結いを生業(なりわい)にしてございます」
   「何を占いましょうか?」
 夫らしい男は不貞腐れている。妻が恐る恐る訴えた。
   「五歳になる倅ですが、家出をして一ヵ月も経つのに戻らないのです」
   「親戚や、知人の家には探しに行ってみたのか?」
   「はい、わたくしが血眼で探し続けました」
   「その間、父親は何をしておったのだ」
 男がそれを聞いて、熱り立った。
   「お前は占い師だろ、余計なことを訊かずに子供の居場所を占え」
 占い師の側近の者が、慌てて男を窘めた。
   「先生に無礼であろう」
 占い師は、到って冷静であった。
   「良い、良い、それも道理じゃ、どれ占って進ぜよう」
 占い師は暫く夫婦の目を見ていたが、妻に向かって口を開いた。
   「子供の父親は如何致した?」
   「は?」
   「実の父親だ」
 男は怒って占い師の胸倉を掴みかかったが、側近の者たちに取り押さえられた。
   「その男は、実の父親ではなかろう」
   「お察しの通り、後夫(うわお)でございます、子供の実父は、死別しました」
   「では占いましょう」
 占い師は瞑目し、暫くは身動きもしなかったが、ゆっくりと目を開くと物静かに言った。
   「ところで、子供の居場所が見つかれば何と致す」
   「連れ帰ります」
   「さようか、では訊くが子供は何故家出をしたと思うのか?」
   「わかりません」
 占い師は再び瞑目して、次に目を開いた時は一段と厳しい目になっていた。
   「居場所は教えぬ」
   「何故にございますか?」
   「そなた達は、自分たちが子供にしたことを一向に反省しておらぬではないか」

 そればかりか、占い師は恐ろしい事実を話した。ある夜、母親が花嫁の髪を結うために先様に出張って家を留守にしたおり、男は「腹が減ったから、蕎麦を食いに行こう」と、子供を連れ出し、橋の上から子供を投げ落としたと言うのだ。
 その時は、偶々橋の下で夜釣りをしていた男が気付き子供を助けたが、子供は恐怖のあまりに家に帰るのを拒んだのであった。
 男は自分に懐かぬ子供に暴力を振い、母親は暴力を見て見ぬふりで男の機嫌取りをするばかりである。子供の居場所を教えると、子供は男に殺されると占い師は思ったのだ。
 男は顔を真っ赤にして、自分を取り押さえている側近の男の手を振り放そうともがいている。
   「この嘘つき野郎! 見てきたような事を言いやがって」
 実は、これは占いの結果ではなくて、子供を連れて占い師のところへ相談に来た男が居たのである。子供を助けた釣り人だ。占い師は子供の訴えを訊いて家には帰さずに、あるお寺へ十両の小判を渡して預けることにした。両親の名を訊いて、占い師が子供の両親だと気付いただけである。

 子供の義父太吉は、占い師の喋ることがあまりにも事実のままなので、負け犬のごとく意気消沈している。
   「これ以上子供の行方を探そうとするなら、子殺し未遂として役人に引き渡す、そうなればお前は遠島になるであろう」
 占い師は太助に釘を刺すと、おシカに顔を向けて言った。
   「おシカ、そなたも子供を顧みずに男と睦み合って、子供が愛想を尽かしておるぞ、以後、一端(いっぱし)の母親気取りで子供に会いたいなど思わずに精々男に可愛がって貰え、やがて捨てられる日がくるまでだが」と、占い師は憎々し気に言い放った。

 夫婦は、追い立てられるように帰っていった。
   「凄いものだ、占いであれ程言い当てるとは…」
 右吉が賢吉にこっそりと漏らした。すっかり占い師に傾倒しているようである。
   「次の人、御堂へお上がりなさい」
 右吉と賢吉が呼ばれた。二人揃って占い師の前に進み、頭を下げた。頭を上げた二人に、占い師はいきなり敵意を露わにした。
   「そなたは変装して来たお役人ですね、与力ですか、それとも同心ですか?」
   「いえ、わたしは町人でございます」
 右吉が畏まって答えた。
   「嘘ですね、あなたの右手の指に、剣ダコがあります」
   「あ、これは剣ダコではなく…」
   「どうして隠す必要があるのですか、私を探りに来たからですか?」
   「いえ、とんでもございません」
   「では、何を占ってほしいのですか」
   「はい、こちらの倅のことでございます」
   「また、嘘をつくのですか、その子があなたの子供とすれば、あなたが十二、三のときの子供ですね」
 取りつく島が無いと言うか、見透かされていると言うか、右吉は逃げるようにその場を離れ、賢吉もそれに従った。

   「あの占い師は本物だ」
 右吉は、興奮気味にため息をついた。
   「右吉親分、俺はそうは思いません」
   「何故だ?」
   「あの夫婦のことは、子供を助けた釣り人が占い師に教えたのでしょう」
   「そうか、恐れて帰りたがらない子供を連れて、占って貰いに来たのか」
   「多分、そうでしょう」
   「では、わたしのことを見破ったのは?」
   「それも、占ったのではありません、占い師の観察眼でしょう、俺だって分かることです」

 右吉には分からないことがあった。次々と依頼の者を占ったわりには、料金が二文とか精々五十文程度しか取らないのだ。それで十人程度は居た側近の者にお手当が払えるのだろうか、生活はどうなっているのだろうか。右吉は「嘘だろう、仙人じゃあるまいし」と、首を傾げた。

 右吉は忘れていたのだ。占い師は、午後になると、時々金持ちの屋敷に呼ばれて、郎党を引き連れて出張(でば)って行くのであった。
   「そうか、金持ちからは、ごっそりと戴くのか」
 だが、賢吉が訊いてきた情報では、一両が最高だと言っていたのを思い出した。
   「感心な占い師だ」
 右吉は、それっきり占い師のことを忘れてしまつた。

 それから幾日か経ったある日、北町奉行所からさして遠くはない大店に、夜盗が入った。ただ、一人たりとも命は取られず、血の一滴さえも流さず、千両箱が金蔵から三箱だけ持ち去られた。奉行所の面目は丸潰れである。奉行からの探索命令が下りて、奉行所の中は大騒ぎになった。当然、長坂からの命で、目明しの長次と右吉にも聞き込みの指令が下った。
   「店の者の証言で、盗賊は十人を超えていたそうだ、気を付けて探索に当たれ」
 完全に覆面をしていたうえ、一言も発することがなかったとの店の者の証言である為に全く手掛かりがなく、長次や同心たちも、どこから手を付けてよいか分からなかった。だが、右吉だけはよい思案が浮かんだようである。
   「右吉親分、どこへ行くのですか?」
 賢吉は右吉の後を追いながら尋ねた。
   「決まっているだろ、占い師のところだ」
   「怪しいのですか? あの集団が」
   「違うよ、盗賊の手掛かりを占って貰うのだ」
 賢吉は、右吉を止めた。
   「その前に、襲われたお店(たな)へ聞き込みに行きましょうよ」
   「占って貰えば、その必要はなかろう」
   「ある程度の情報を持って行った方が良いのではありませんか」
   「他の誰かが先に行くということもある」
   「では、本心を言います、俺はあの集団を疑っています」
   「まさか、あの善人集団が夜盗だなんて」
 右吉は大笑いをしたが、賢吉が大真面目なので従うことにした。

 賢吉が、大店の主(あるじ)に尋ねた。
   「旦那様、盗賊はどこから入ったのでしょう」
   「同心の方にも訊かれたのですが、それがさっぱり…」
   「最近雇った店の使用人は居ますか?」
   「いいえ、ここ何年かは雇っていません」
   「お店の方々は皆縛られたそうですが、誰も逃げなかったのですか」
   「夜中に起こされて、行き成り当て身を食わされて、苦しさの余り気が朦朧としている間に縛られてしまいました」
   「金蔵の鍵は、誰が開けたのですか?」
   「店の者は、誰も知らないと申します」
   「盗賊は、鍵の在り処を知っていたようですね」
   「金蔵の鍵は、わたしの寝所の金庫に納めています、金庫の鍵は番号を合わせるもので、その番号はわたしだけが知っています」
   「よくわかりました」
 賢吉がそう言って右吉を促して帰ろうとしたが、思い出したように立ち止まった。
   「旦那様、では最後にもう一つだけお尋ね致します」
   「なんでしょうか?」
 右吉も興味律々で耳を傾ける。
   「昨夕、占い師を呼んで占って貰いませんでしたか」
   「最近降って涌いた取引のことで、受けるべきか断るべきかを占って戴きました」
   「その時やって来た占い師と側近の人たちの数は覚えていますか?」
   「さあ、十人以上の人々が来て下さったのですが、数えたりしませんでした、それが何か?」
   「いえ、俺が今後の勉強の為に知りたかっただけです」
   「これ賢吉、こんな時に何を訊くのだ」
 賢吉は、右吉に窘められた。
   「済みませんでした」

 盗賊に入られたお店を後にして、右吉と賢吉は占い師のもとへ向かった。
   「右吉親分、あの占い集団は忍者だと思うのですが…」
   「根拠は何だ」
   「お店に呼ばれて占いに出張った人数が、多すぎると思いませんか?」
   「だから?」
   「十何人も押しかけて、占いを終えて引き上げた人数が一人減っていたら気が付くでしょうか」
   「気が付かないかも知れないなぁ」
   「でしょう、忍者なら素早くお店の天井裏へでも隠れることが出来ます」
   「隠れていて、何をするのだ」
   「旦那様が商いの金を金蔵に仕舞うときを待って、金庫を開けて金蔵の鍵を取り出すのを天井の隙から番号を覗き見するのです」
   「それから?」
   「深夜になるのを待って、店の者が寝静まったら戸を開けて仲間を手引きする」
   「店の者たちに、同時に当て身を食らわせ、縛りあげると金庫を開けて金蔵の鍵を取り出すのか?」
   「そうです、金蔵を開けて千両箱を三つだけ運び出すと、鍵をもと通り金庫に納めて立ち去る」
   「まだ千両箱が有っただろうに、遠慮深くて物静かな盗賊団だなぁ」
   「非道働きをしないと言うヤツらの誇りでしょう、だが盗賊は盗賊、顔を見られたら見た相手を必ず殺すでしょう」
   「さあ、ヤツらの塒へ乗り込みましょう」

 「賢吉捕物帖」第六回 温情ある占い師 ―続く― 


 「賢吉捕物帳」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉捕物帳」第五回 お園を付け回す男2  (原稿用紙15枚)

2015-11-03 | 長編小説
 お縄こそ掛けられていないが、長次に連れられて番所に向かう壮吉は、打ちひしがれて咎人さながらであった。見かねた賢吉が壮吉に声をかけた。
   「おじさん、大丈夫だよ、俺の親父や与力の長坂さまは、おじさんの味方だからね」
 壮吉は黙ったまま項を垂れた。
   「おじさん、このまま黙って歩いていたのでは気が滅入るだろう、俺と話をしないか」
 壮吉は、気のない返事をした。
   「おじさんは、与太郎という男を殺してはいないのだろ」
   「昨夜家に帰ってお園の話を聞いたが、賢吉さんが護ってくれているというので晩酌をして朝までぐっすり寝た」
   「ノミは盗まれていなかった?」
   「今日は、ノミを使う仕事はしていないので、確認はしなかった」
   「盗まれているかも知れないのだな」
   「そうだ」
   「今日仕事場へ戻ったら俺と調べてみよう」
   「うん」
   「ところで、もしおじさんが咎人にされて、しかも与太郎が死ねば得をする者って誰だろう」
   「居ないと思う」
   「よく考えてみなよ、きっと居る筈だ」
   「居るものか、そんなヤツ」
   「そうかなぁ、いや、待てよ」
   「何だ、どうしたのだ」
   「お園さんが危ないかも知れない」
   「どうしたのだ、言ってくれ」
 壮吉は、娘が危ないと聞いて心配になってきたようだ。
   「親父、俺はお園さんの所へ行くから、番屋へいったら右吉親分もきてほしいと伝えてくれ、親分はお園さんの家を知らないから、親父が教えてやってほしい」
   「わかった」

 賢吉は、父親の帰りを待つお園の家を指して、駆け出して行った。
   「賢吉さん、お園を頼むぞ」壮吉が叫んだ。
   「がってんだ」
 賢吉は振り向かず、肩越しに手を振った。

   「お園さんは居るかい」
 戸は閉まっていたが、賢吉の声を聞いてお園が開けた。
   「あゝ、無事で良かった」
   「どうしたの? お父っぁんはどうしたのですか?」
   「お調べを受けている」
   「お父っぁんに、疑いがかかっているのですか?」
   「なに、すぐに帰されるさ、それより、もうすぐ右吉さんという目明しが来るから、一緒におじさんの仕事場へ行こう、大工道具が一つ盗まれている筈だ」

 右吉と賢吉がお園を伴って仕事場に到着したときは、すでに日が傾きかかっていた。壮吉の大工道具は、仕事場に放置されたままである。
   「大工道具は全部揃っているかい」右吉がお園に尋ねた。
   「だって、わたしは元々何本あったか知りません」
   「そうか、では変わったことは無いか調べてみよう」
 右吉がノミの一本を手に取って見ていたが、「やはり」と、頷いた。
   「そのノミが、どうかしましたか?」
   「賢吉見てみろ、握りに血が付いている」
   「凶器の可能性があるってことですか」
   「そうだ」
 
 その日、壮吉は帰宅を許されなかった。お調べ協力人から、容疑者に切り替えられたのだ。
   「長次親分、おれは殺していないよ」
   「分かっている、お園さん親子は目明しの右吉と、倅の賢吉が護りに行った、右吉はもと武士で凄腕だ、安心しろ」
   「えっ、なにか心配なことがあるのですか」
 壮吉は、余計に不安になった。
   「女二人きりでは、夜は物騒だろう」
   「与太郎とかいう男は死んだではないですか」
   「男は、与太郎一人ではないぞ」
   「あっしは殺してなんかいない、すぐ帰してくださいよ」
   「我慢しろ、与太郎殺しの本当の下手人が分かるかも知れないのだ」
 壮吉は、自分が疑われているのではないと、一安心したようだ。

 そこへ、右吉と賢吉とお園が番所にやってきた。お園を家に帰そうとしたが、賢吉が止めたのだ。今夜あたり与太郎を殺した下手人がお園の所へ来るような気がしたからだ。
   「壮吉さんの道具箱を仕事場から持ってきたぜ」
 右吉が壮吉の前に「どすん」と置いた。
   「何か無くなっている道具はありませんか?」
 壮吉は、道具箱の蓋を取った。暫く調べていたが気が付いた。
   「ノミが一本足りません」
   「それは、どんなノミだね」
   「薄ノミの、一番刃幅の狭いヤツです」
   「ところで、このノミの中に、柄に血が付いたのがあるのだが」
   「賢吉さんにお園に付き纏う男が居ると聞いて、心配しながら仕事をしていたら指を切ってしまったのです、大工仲間に嘲笑われてしまいました、お恥ずかしい次第で…」


 壮吉を帰すには、下手人を挙げなければお奉行の許可が下りない。長坂清心も壮吉が下手人だとは思っていない。ここは暫く様子見て、下手人の出方を待つより仕方がないと思われた。とにかくお園を宥めて送って帰し、米や味噌、目刺など必要な物を右吉が様子を窺いがてらに届けた
 それから二日、三日と経っても、下手人は姿を見せなかった。そろそろ壮吉が焦れはじめて、見ていられなくなった賢吉が長坂に申し出た。
   「長坂様、下手人は壮吉さんがお仕置きになるのを待っているに違いありません」
   「拙者もそのようだと考えておったが、壮吉が処刑されたと嘘の噂で誘き出すのをお奉行はお許しになるまい」
   「それで、よい事を思いつきました」
   「何だ、言ってみなさい」
   「右吉親分に頼んで、お園さんに惚れて貰うのです」
   「賢吉、お前子供のくせに何と妄りがましいことを言うのだ」
   「そりゃあ、親父の倅ですから」
   「何を言うか、長次が聞いたら怒るぞ」
   「それより、話の続きを聞いてくださいよ」
   「右吉がお園に惚れたら、どうだと申すのだ」
   「下手人は、お園さんを自分のものにするために邪魔な与太郎を殺し、壮吉さんを嵌めたと思うのです」
   「まあ、そうであろう」
   「下手人がうかうかしている間に右吉さんがお園さんに言い寄ると、焦ると思うのです」
   「お前、大人の気持ちが分かるのか?」
   「男の女に対する気持ちは単純ですから」
 長坂は、賢吉の策略を試してみようと思った。
   「だが、右吉がやってくれるだろうか」
   「長坂さまが命令すれば、イチコロです」
   「壮吉は、嫌がるだろう」
   「長坂さまが説得すれば、イチコロでしょう」
   「気が進まないが、やるしかないだろう」
   「お願いします」

 右吉は、嫌がることもなく引き受けた。壮吉は、そのままお園を右吉に取られそうで嫌な気がしたが、早くお牢から出たいので承諾した。後は、お園が傷つかぬようにこの作戦に引き込むことだが、父親の命に関わることであるから、断ることはなかろう。

 右吉に付いて食料を届けに行った賢吉が、前もって「芝居だから」と、母娘に話を付けた。だが、心配ごとは、別のところにあった。お園が右吉に好意を持ち始めていたのだ。長坂は、右吉を同心か与力の養子にするつもりである。夫婦養子となると、まず縁談は纏まるまい。賢吉が余計なことまで報告したので、長坂は右吉に釘を刺した。
   「右吉、頼んだぞ、だがお園に惚れるではないぞ」

 右吉がお園の家に訪れると、お園を誘い出して近くの神社を詣で、時には二人で町まで買い物に出掛けるようになった。二人で歩くときは、仲良く寄り添っているように見せる。
   「右吉さん、どうしました?」
   「シーッ、後ろを見てはいけません、誰かが付けているようです」
   「はい」
 右吉が徐にお園の肩を抱いた。付けてきた男を挑発しているのだ。
   「なんだか嬉しいけれど、恥ずかしい」
 お園は逢引き気分に酔っていた。買い物をして帰り道も、男は付けてきた。右吉は、だいぶん前からお園を付け回していたのは与太郎ではなく、この男だったのかも知れないと思った。
 お園を家まで送って行くと、後を賢吉に任せて右吉は早い目に帰るふりを装った。今日こそ下手人が右吉の命を狙って来ると踏んだからである。
   「親分、俺の木刀を持って行ってください」
   「いや、木刀は賢吉が持っていて、お園さんを護ってくれ」
 実は今日、右吉は長坂さまから十手を預かってきており、懐に隠し持っているのだと、賢吉に見せた。
   「十手術は見様見真似だが、何とかなるだろう」
 右吉は、軽い足取りでお園の家を出た。ものの一町も行かないうちに、四人の男に囲まれた。そのうちの三人は遊び人風で、腰に長ドスをだらしなく差している。
   「おい、お前は誰だ」
 男の一人が右吉に声を掛けた。
   「何だ、誰か分からないで取り囲んだのか」
   「お園の何なのだと訊いている」
   「末は夫婦になる約束をした」
   「そうはさせない、お園は俺の女だ」
   「お園が承諾をしたのか?」
   「させるさ」
   「お園に言い寄った与太郎を殺ったのはお前たちか?」
   「フフフ、お前もそうなるのだ」
   「私も、与太郎みたいに匕首で一突きかな?」
   「与太郎は、ノミを使ったぜ」
   「そうか、私もノミで殺られるのか」
   「あのノミは、大川の流れに捨てちまったさ」
 そう言った男が、行き成り懐から匕首を出すと、右吉に斬りつけてきた。右吉は、素早く匕首を避けると、懐から十手をだした。
   「あっ!」
 男たちは、瞬間に罠だと気付いたが、四対一の安堵があるのか、怯むことはなかった。
   「殺れ!」
 匕首を持った男が叫ぶと、三人が長ドスを抜いた。その一人が、斬りかかってきたのを鉤で受け止めて十手を捻り、長ドスを跳ね上げた。回転してくるドスの柄を左手で受け止めた右吉は、十手を腰に差し長ドスに持ち替えて構えた。
 刀を取らせば、この男たちが束になってかかっても敵う右吉ではない。右吉は峰を返して、たちまち四人を遣っ付けてしまった。
 右吉は、蹲る四人を置いてお園の家に取って返すと、賢吉を番所まで走らせた。

   「右吉、お手柄だった」
 四人の男を牢に入れると、長坂が右吉を労った。
   「いや、お手柄は賢吉の知恵です」
   「賢吉の知恵と、右吉の腕が寄れば、凄腕の目明しだな」

 後は、奉行所のお取り調べに任せて、右吉と賢吉は引き上げて行った。やはり、匕首の男は与太郎殺しの下手人で、男が喋った通り、大川を浚ったところ壮吉の薄ノミが上がった。 
 男は死罪を言い渡され、後の三人は男に金を貰って手を貸したとして、寄せ場送りになった。壮吉は、無罪お解き放ちになったが、お牢に入っていた日数だけ、大工としての日当が支払われた。

  「賢吉捕物帖」第五回 お園を付け回す男2(終)  続く

   
   「賢吉捕物帳」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第四回 お園をつけ回す男  (原稿用紙16枚)

2015-10-28 | 長編小説
 賢吉は北町の与力長坂清心の下で働く目明し長次の倅である。歳は十歳、体格は優れ、言動も大人顔負けである。剣道は、賢吉と同い年の清心の長男心太郎が道場で習ってきたことを親友である賢吉に教えると、彼は漏らさず習得してしまう 併せて、ただいまは十手術の修練を積んでいる最中である。
 今はまだ本物の十手を預かることはないので木製の十手であるが、武士を辞し町人になった駆け出しの目明し桐藤右近こと右吉の手下としてチョコマカと動いている。
 右近は、剣術、馬術ともに長け、力量としては与力並みであるが、今は町人であるから刀は持たず、馬で早駆することも許されてはいない。賢吉とともに専ら情報を拾い集めて与力の長坂清心に知らせることが役目である。

 賢吉が路地から表通りに飛び出した途端、娘が「キャッ」と、大げさに驚いてその場に崩れて地面に手をついた。賢吉自身もまた、何事かと驚いて立ち竦んだ。しばしの間があって、賢吉が口を開いた。
   「お姉さん、驚かせてごめんよ」
 娘も、相手が子供だと知って、胸を撫で下ろしている。
   「それにしても、凄い驚きようだったが、俺を誰かと間違えたのか?」
   「はい、何者かに後を付けられているような気がしてビクビクしていたもので、先回りをされたのかと思いました」
 それを聞いて賢吉が辺りを見回したところ、娘が歩いてきた道で男が「すっ」と、陰に隠れたのを見て取った。
   「なるほどお姉さん、男に付けられているようです」
   「怖い」
   「大丈夫、俺が家まで送ってあげます」
 子供と見て、一瞬不安げな表情を見せたが、子供ながら屈強な体つきなので、頼りになりそうだと思ったらしい。
   「ありがとうございます」
 歩きながら、賢吉が急に振り向いた。男はまたしても「さっ」と隠れたが、まさしく後を付けてきている。
   「知り合いじゃないのかな?」
   「怖くて見ることが出来ないので、わかりません」
   「では、俺が合図をしたら二人一緒に振り向いてみましょう」
 暫く歩いて「せーの」で振り向いたところ、男は隠れるところが無かった所為で、武家屋敷の壁際に寄り下を向いて知らぬふりをしている。
   「知っている人でしたか?」
   「いいえ、見たことのない人です」
   「では、さっさと歩いて家に帰りましょう」
   「はい」
 賢吉は、男の出方を窺がっているのだ。
   「俺は目明しの倅で、賢吉と言います」
   「わたしはお園、大工の娘です」
 娘は、すっかり安心したようであった。
 
   「すぐそこの長屋です、どうもありがとうございました」
 頭を下げて賢吉と別れようとした娘に、賢吉は声を掛けた。
   「お姉さん、明日も一人でお出かけですか?」
   「はい、父の仕事場へお弁当を届けていますので」
   「では、用心棒を付けてくださいよ」
   「お金持ちの娘ではないので、用心棒など滅相もありません」
   「俺が用心棒になってあげましょう」
   「でも、お礼が出来ませんわ」
   「お礼なんか要りません、俺があの男の魂胆を見届けてやります」
   「賢吉さんに怪我でもさせたら、申し訳ありません」
   「俺は強いから、あんな男に負けませんよ、ぼら、腰に剣を下げているでしょう」
   「だって、木刀じゃありませんか」
   「木刀でも渾身の力を籠めたら、大人でもやっつけられます」

 翌日の昼前、賢吉はお園の古着を借り、鬘(かつら)がないので手拭を頭に掛けて父親の弁当を持って教えて貰った仕事場へ向かった。ものの数町も行ったところで、昨日の男が付けているのを感じた。
 どうやら、男は賢吉をお園だと信じている様子だが、父親の仕事場へ行くまでは手出しをしないつもりらしい。弁当を届けるのが遅れて、父親に感付かれないためだろう。

 仕事場では、五人の男が働いていたので、賢吉はその内の一人に声をかけた。
   「お園さんのお父つぁんは、どの人ですか?」
 いつもなら、可愛い娘が弁当を持って来るのに、今日は男の子が女装してやって来たので気味悪く思っているらしく、一旦は躊躇ったが指をさした。
   「あそこで鉋(かんな)を賭けている壮吉さんだ」

   「おじさん、お園さんの使いで弁当を持ってきました」
   「それは済まなかった、どこの誰かは知らないが、ありがとう」
   「おじさん、俺がどうして女に化けているか訊かないのですか?」
   「女装好きだからだろう」壮吉は興味なさげである。
   「もっと、不審に思ってよ」
   「何故だ?」
   「お園さんが、男に付け回されているから俺がお園さんに化けているのだ」
   「娘にちょっかいを出そうって野郎が居るのか?」
   「そうです、男の魂胆を、俺が見届けてやります」
   「やめておけ、相手は大人だろう、怪我をしても知らんぞ」
   「お園さんが危ないかも知れないのに?」
   「わしが行ってとっちめてやる、何処のどいつだ、教えてくれ」
   「俺がそれを調べる、わかったらおじさんに知らせるから、それから奴をどうするか考えればいい」
   「お園は、安全なのか?」
   「今日は、家を出ないように言ってあります」
   「そうか、ところでお前はどこの子だ」
   「俺は北町の目明し、長次の倅だ」
   「あ、あの長次親分のか」
   「おじさん、俺の親父を知っているのか?」
   「知っているとも、あっしは長次親分に命を助けられたのだ」
   「へー、親父がおじさんの命を救ったのか」
   「そうとも、あれは五年前のこと、話せば長いことだが…」
   「そんなの、後でいいよ、俺にはやることがある」
 弁当をその場に置くと、賢吉はとっていた手拭を再び頭に掛けると戻って行った。賢吉が神経を研ぎ澄ませると、確かに男が付けてくる気配がある。昨日の男に違いない。賢吉は、歩く速度を態(わざ)と落とした。
   「お園ちゃん、お園ちゃんだろ」
 男は猫撫で話しかけてきた。賢吉が黙って走り去ろうとすると、男は前に回って止めた。
   「よう、俺は与太郎というのだ、遊ぼうよ」
 賢吉は頭を振って、男を避けようとすると、尚もしつこく纏わりついてくる。
   「お園ちゃん、男を知らないのだろ、俺が教えてやるよ」
 賢吉は、「嫌々」と、首を振って逃げようとしたが、男は辺りに人が居ないのを確かめると、懐から匕首をだした。
   「俺は、お園ちゃんに惚れちまったのさ、俺のものになってくれないと、お園ちゃんを刺して俺も死ぬ」
 匕首を賢吉に突き付けてきた。それまで笑いを堪えていた賢吉は、とうとう噴き出し笑いをしてしまった。
   「ばーか、俺は男だよ」
 男は、咄嗟の判断が出来ないらしく、キョトンとして、手拭を外した賢吉の顔を凝視している。
   「お園ちゃんは、男だったのか」
   「お前、本物の馬鹿かよ、お園さんが男の訳がねぇだろ」
   「そうか、てめえ昨日お園ちゃんと一緒に居たガキだな」
   「今頃気付いてやがるの」
   「俺を騙しやがって、殺してやる」
 与太郎が匕首を向けると、賢吉は懐から十手を出した。与太郎は、一瞬ギョッとしたが、それが木製だと気付いて切りつけてきた。
   「おっと」
 賢吉は飛びのいて、与太郎の匕首を持った手首を力任せに叩きつけた。匕首は宙に舞い、地に落ちて転がった。賢吉はそれを追うと、蹴って道脇の草叢に飛ばした。与太郎の方に向き直り十手を左手に持ち替えると、懐から捕り縄をだして見せた。
   「俺の親父は目明しだ、番所に突き出して親父の手柄にしてやるから覚悟しな」
 与太郎は、痺れているらしい手首を振りながら、匕首を探しもせずに逃げ去った。
   「ガキに脅されて逃げて行きやがった、だらしのねぇ奴だぜ」

 賢吉は、お園の家に行くと事の次第を話し、右吉親分が詰めている番所へ与太郎の匕首を持って報告に行った。恐らく与太郎は性懲りもなく、また、お園を付け回す恐れがあるからだ。
   「長坂清心さまに言って、脅して貰いましょう、お奉行にお伝えして、百叩きにでもしてもらったら懲りるだろう」
 右吉は、北の奉行所へ長坂清心に会いに行った。

 翌朝早く、幹太が長次を呼びに来た。
   「親分、起きてくだせぇ、殺しです」
   「場所は?」
   「八丁堀紅葉橋の下の河川敷です」
   「そうか、行こう」
 長次は、支度を済ませると、飯も食わずに幹太と出て行った。賢吉は、朝飯の支度をすると、弟と妹を起こして一緒に食事をし、右吉親分の元へでかけた。
 右吉が寝泊まりしている長坂の屋敷に来ると、丁度心太郎が道場に出かけるところだった。
   「幹太さんが呼びに来て、右吉さんは父上と一緒に出て行った」
   「何か言っていたか?」
   「うん、殺しだって」

   「たしか、八丁堀紅葉橋の下の河川敷とか言っていたな」と思い出し、賢吉も行ってみた。紅葉橋の上に人だかりができている。
   「おう、賢吉も来たか」長坂清心が声を掛けてきた。
   「お役目、ご苦労さまです」
   「若い男が殺られた、怖くなかったら賢吉も拝んで行くか」
   「はい、怖くはありません」
   「背中から薄ノミで一突きだ、心の臓に届いているらしい」
   「薄ノミって、大工さんが使うあのノミですか?」
   「そうだ、殺しの現場はあの橋の上だろう、殺して橋の上から投げ落としたのだ、欄干に血が付着していた」
 大工が使うノミと聞いて、賢吉は表情を硬くした。お園の父親が脳裏に浮かんだからだ。賢吉の表情を見た長坂は、昨日長次から聞いた話を思い出した。
   「賢吉が助けた娘、それ何と言う名前だったかな?」
   「お園さんです」
   「そうそう、そのお園の父親は大工だと言っていたな」
 賢吉は、「ギクッ」とした。長坂は、思い出したようにホトケに掛けた筵を捲ると、右腕を確認した。
   「おっ、やはり痣がある、賢吉が右手に持った匕首を叩き落としたという男は、こやつだな」
 賢吉は、ホトケの顔を見て不安に襲われた。ホトケはまさしく与太郎である。
   「賢吉、お園の父親の名は何という」
   「壮吉さんです」
   「今、何処に居るのだ」
   「多分、仕事場だと思います」
 長坂清心は、その場に居た長次を呼び、大工の壮吉を連れて来いと命じた。
   「賢吉、壮吉の居場所を案内してやってくれ」
 長次は、壮吉と聞き、五年前のことを思い出したようだ。

 やくざが簀巻きにした男を大川に投げ込もうとしているのを目撃した長次は、分け入って身を挺して止めた。理由を聞くと、壮吉が入り浸っていた賭場で他の客の財布を盗み、入っていた三両を抜き取って、その金を全部博打で摩ってしまったのだという。壮吉は、「そんなことはしていない、摩ったのは自分が持ってきた金だ」と言い張った。
 長次は、三両を盗まれたという男の家に行き調べたところ、一旦財布に金を入れたが、亭主に博打をやらせないためにこっそり抜き取ったのだと女房が打ち明けた。
 長次は、よく調べもせずに無実の男を殺せと命じた貸元をふん縛って牢に入れた。壮吉はその長次から受けた恩を忘れていなかったのだ。
   「壮吉は、それ以来博打を絶って、真面目一途に働いている、その男が娘を守るためとは言え、人を殺すだろうか」
 たった一度会っただけの壮吉だが、賢吉は腑に落ちなかった。
   「娘に言い寄る男をとっちめてやるとはいったが、俺が止めたら素直に引き下がった壮吉さんだ、人殺しまでする筈がない」

 与力、長坂清心の命令である。憤慨する壮吉を宥(なだ)めすかし、番所まで連れて行った。勿論、咎人と決まった訳ではないので、お縄などは掛けずに「お調べ協力人」としてご足労願うのだ。
   「壮吉、咎人を詮議するのではないので、胸を張って与力様の前でありのままを答えてくれ」
   「あっしは、家へ戻って娘から初めて与太郎の名を聞いたのです、何処の与太郎かも知りません」
   「そうだろう、そうだろう、だがなぁ、下手人は大工が使うノミで与太郎を刺しているのだ、或いは壮吉の知った者の犯行かも知れないだろう」
   「あっしに、人殺しの仕事仲間などいませんぜ」
 壮吉は、飽くまで不服だった。一旦嫌疑をかけられたら、白いものを拷問にかけてでも黒くされてしまうご詮議である。奉行所の役人は、目明しの長次親分のような温情は持たない。氷のような奉行所役人の手中に入れば、生きては戻れないかも知れない。壮吉の脳裏に、女房と娘の悲嘆にくれる姿が浮かんだ。

 「賢吉捕物帖」第四回 お園をつけ回す男 (続く)

   「賢吉捕物帳」第五回 お園を付け回す男2へ

   「賢吉捕物帳」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第三回 お家騒動2  (原稿用紙13枚)

2015-10-23 | 長編小説
 心太郎と護衛の男が泊まった旅籠は、一之進の屋敷からさほど離れていなかった。
   「心太郎、護衛って誰だい?」
 賢吉には、どうにも思い当たる人が居なかった。
   「同心の方か?」
   「誰でもいいじゃないか、会ってみれば分かる」
 
 部屋に通されて、賢吉は驚いた。
   「嘘だろ!」
 そこに居たのは、右吉(桐藤右近)であった。
   「賢吉に頼みはしたものの、心配になってやってきた」
   「それでは、俺と幹太さんは何のためにここまできたのだ」
   「まあ、そう言うな、心太郎さんが様子を見に行くと言われたので、町人姿では藩士に見つからないだろうと護衛役を買って出たのだ」
   「信じられねぇや」
 幹太が口を挟んだ。
   「でも、良かったじゃありませんか、江戸へ帰るのが遅くなった訳を、全部右吉さんに話して差し上げなせぇ」

 まだ何一つ根拠はない。賢吉の憶測に一之進が乗っかっただけである。全ての考えを右吉に話すと、右吉は腕を組んで考え込んでしまった。
   「あり得ることだ」
 例えば、藩侯の実弟蜂須賀義詮(はちすかよしあきら)が、右近と一之進に「果し合い」などと意味のないことを命令したのも、忠義者の右近をそれとなく追い払うことであったのかも知れない。藩侯を亡き者にし、後継ぎである若君の命を取れば、藩侯の後を継ぐ者は義詮である。だが、立て続けに藩侯と若君が死ねば幕閣から疑われ、お庭番を差し向けられる。義詮に疑惑があれば、お家騒動として藩は取り潰しとなり、一族郎党は追放となる。
   「拙者も、宗千代君は襲われることになろうと思う」
   「右近もそう思うか」
   「だが、宗千代君を襲うのは義詮の家来ではなく盗賊だろう」
   「義詮の家来である拙者に、何ら命令が下らないので、不思議に思っていた」
   「一之進、このまま陰謀が遂行されたら、おぬしの立場は辛いものになるぞ」
   「わかっている、結果如何によらず、拙者は切腹だろう」
   「馬鹿を言え、我が命に代えてもそうはさせぬ」
   「良い策はあるのか?」
   「拙者は武士に戻ろう、明日、宗千代君が出立される前に、拙者は城へ入り、殿にお目にかかる」
 右近は、堂々と大手門から胸を張って城へ乗り込む心算である。
   「拙者は何をすれば良いのだ」
   「同時刻に搦手門から賢吉を連れて城内に入ってくれ、賢吉は一之進の身の回りの世話をさせている僕(しもべ)とでも言ったら、疑われることは無いだろう」
 宗千代が出立する寸前に、賢吉と入れ替えるのだ。
   「賢吉、決して油断をするではないぞ、襲われたら直ちに逃げるのだ、護身用に宗千代君の脇差を借りておこう」
   「がってんだ」
 心太郎も何か手伝いがしたいようである。
   「俺は何をすれば良いのだ」右近に尋ねた。
   「心太郎さまにもお手をお借りします、幹太を連れて宗千代君の一行より一足早く楓川神社向かってくれませんか」」
   「敵の動向を探る役だな」
   「敵が隠れている気配を察知したら、幹太に忘れ物を取りに行かせる振りをして、後戻りさせてください」
   「承知した」
   「くれぐれも、旅の武士を装って、決して探りを入れるような動きはしないでください、お怪我でもなさったら、お父上に何とお詫びすればよいのかわかりません」
 右近は、すっかり町人の右吉に戻っていた。


 宗千代君の出立の朝、右吉は武士の桐藤右近に戻り、脱藩して姿をくらましていたと思えない堂々とした態度で大手門を潜った。
   「これは桐藤さま、よくお戻りになられました」
 門番がいち早く右近に気付き、深く頭を下げて言葉を続けた。
   「お殿様が、お気にかけておられました」
   「こんな下端のことを、勿体ないことだ」
   「殿は、明日をも知れぬご病態であらせられる、早くお顔を見せてあげてください」
   「さて、ご家老が何と仰せられるか」
 右近は、仕置き覚悟で、無理やりにも殿の御前に押し入る気構えだ。
   「賢吉、覚悟して行こう」
   「はい」

 家老は、快く右近を受け入れた。殿が右近のことを気にかけていたからである。
   「賢吉、家老は悪者ではなさそうだなぁ」
   「そうですね」
 桐藤右近は藩侯の枕辺に通されると、家老が見守るなか、之進が危惧していたことを話した。もしこれが的外れの危惧であれば、右近は賢吉を帰して、自分は切腹する覚悟だ。
   「間もなく、宗千代君がご出立になられます、お城を出る寸前に宗千代君と、この賢吉が入れ替わります、もし、何事もなくお戻りになられたら、蜂須賀義詮さまに嫌疑をかけた無礼を、腹掻き切ってお詫びを申しあげます」
   「分かったぞ、右近を信じよう」
 藩侯は、弱々しい声で言った。
   「ありがとうございます、ところで殿、今朝はもうお薬を服されましたか?」
   「まだであるが?」
   「ご無礼序(ついで)に申し上げます、お薬に疑いがあります、もし、宗千代さまが襲われるようなことが有りましたら、直ちに服されるのをおやめください」
   「藩医の玄宋も疑わしいのか?」
   「まだ、証拠はありませんが、右近が必ず突き止めてみせきす」
   「さて、今朝の薬はどうしたものかのう」
 藩侯は、寝具から痩せ衰えた手を出して襖を指さし、間もなく腰元が持参するだろうと伝えた。
   「できることでしたら、建水(こぼし)へお捨てください」
   「わかった右近、宗千代を末永く護ってくれ」
   「それはお引き受けできません、私は脱藩して町人になっております」
   「右近、余はそちの脱藩を許可してはおらぬぞ」

 出立の時刻がきた。宗千代は藩侯にご挨拶をして本丸前にて大名駕籠に乗り込む寸前に、若君姿の賢吉に入れ替わり、四人の駕籠舁きに担がれて城を後にした。供の者たちは、腕に自信があるものを揃え、駕籠舁きには駕籠を放置して引き返して逃げるように指示してある。賢吉のすばしこいのを計算に入れての作戦である。

 一行が立って間もなく、幹太がふためいて一行の元へとんできて、賢吉に聞こえるように叫んだ。
   「賢吉、やはり待ち伏せしている集団が居る、間もなくだ」
 一行の護衛の者たちは、右近から事情を聞いて知っていたので、心は闘の態勢に入った。そのとき、城の方面から馬が一騎駆けてくるのが見えた。桐藤右近であった。桐藤は、幹太が伝えたことを聞くと、そのまま一行の先頭に進み出て、馬手で抜刀、弓手に手綱を持ち、待ち伏せる賊の群れに向かった。

   「賢吉、逃げろ!」
 先頭の右近が大声で叫んだ。賢吉が駕籠から出ると、真横の草むらから心太郎の声がした。
   「賢吉、伏せろ!」
 賢吉は、反射的にその地面に伏した。心太郎の声がした方向から、矢が飛んできて駕籠を貫いた。
 尚も、二の矢、三の矢が飛んで来るものと、賢吉は身を屈めて待ったが、矢ではなく男の叫び声が飛び込んできたあと、間髪を入れず心太郎が叫んだ。
   「賢吉、射手は仕留めたぞ、安心して逃げろ!」

 安心して逃げろと言われても、賢吉は心太郎が気掛かりなうえ、履いている袴が邪魔で走れない。しかし、賊の的は宗千代の身代わりである賢吉だ。案の定賊の一人が抜刀して賢吉の後を追ってきた。その賊を追って心太郎が走って来る。賢吉は、若君に借用した脇差を抜刀してその場に仁王立ちで賊を待った。賢吉に近付いた賊が斬りかかろうとした時、心太郎が叫んだ。
   「待て、その子は大名の若君ではないぞ」
 賊が振り向いた隙に、賢吉の脇差が賊に突進した。
   「あっ!」
 賊は、左脇腹を抑えてよろめいた。そこへ、心太郎の本差しが賊の刀を叩き落とした。
   「賢吉、危なかったなぁ」
   「矢が飛んで来るとは思ってもいなかった」
   「うん、俺も一時はどうなるかと焦った」
 賢吉は、浅いながらも人を刺して、大いに動揺していたが、流石は心太郎は武士の子である。血の付いた本差しを懐紙で拭うと、平然と鞘に納めた。
   「俺がここへ来たのが、満更無駄ではなかったな」
   「心太郎、ありがとう」
   「うん、おれは賢吉の命の恩人だぞ、今日から友達ではなく、俺の家来に成れ」
   「やだよ、俺は将来右吉さんの家来になるのだ」
   「右吉さんは、藩に戻るぞ」
   「いや、戻らない」
   「では、草餅を賭けようか」
   「残念でした、俺は銭を持っていない、幹太さんが持っているのだ」
 一人前な立ち振舞いをするわりには、二人は子供であった。


 藩侯が飲まされていた薬を、ご城下の名医にみてもらったところ、やはり毒物が入っていた。藩侯の実弟蜂須賀義詮は、旗本の身分を剥奪のうえ長の追放となり、藩医の玄宋は遠島刑となった。義詮の一之進を含めた家来たちは、全て「お構いなし」となって、藩士組み入れられた。なかでも一之進は、陰謀を見抜いたとして俸禄のご加増を賜った。
   「右吉さんは、どうして藩に残らなかった?」
 心太郎が問うた。
   「拙者、いや、わたしは脱藩して町人になった身だ」
   「お殿様は何と?」
   「許可してくれたよ、気が変わったらいつでも戻って来いとも言われたが」
   「戻る気はないのですか?」
   「無い、生涯江戸で暮らすよ」
 心太郎、右吉、幹太、賢吉の四人は茶店に立ち寄り、心太郎の奢りで草餅を頬張りながら話していた。
   「心太郎さん、どうして我々に草餅を…」
 右吉が尋ねた。
   「ははは、賢吉に奢らされたのですよ」
   「賢吉は、何でまた命を助けられた心太郎さんに奢らせたのだ?」
   「旨いねぇ、この草餅」
 賢吉は、お茶を濁した。

  「賢吉捕物帖」第三回 お家騒動2 (終) 次回に続く  (原稿用紙13枚)


    「賢吉捕物帖」第四回 お園をつけ回す男へ

    「賢吉捕物帳」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第二回 お家騒動   (原稿用紙18枚)

2015-10-12 | 長編小説
 父親、長次の使いで叔父の家まで行った帰り道、村道から少し逸れた脇道で若い侍が蹲っているのを賢吉は見つけて声をかけた。
   「お侍さん、お体の具合が悪いようですが、大丈夫ですか?」
 侍は、賢吉を見上げたが、黙って再び項を垂れた。
   「お駕籠を呼んできましょうか?」
 彼は黙ったまま、首を横に振った。
   「もしも、空腹を抱えておいでなら、一っ走り行って何か買って参りましょうか、それとも医者を呼んで参りましょうか」
 漸く、力のない声で「要らぬ」と言い、手で「あっちへ行け」と、手の甲を向けてあおった。
   「行けと仰るなら行きますが、やはりお侍さまが心配です、何なりと申し付けてくださいませんか」
 若い侍は、再び賢吉に顔を向けて、賢吉の顔を繁々と見上げた。最初は町人の子供だと侮ったが、賢吉のよく躾られたらしい丁寧な言葉使いに、少し心を開いたようであった。
「恥ずかしながら、拙者は金を持ち合わせておらぬ、駕籠に乗ること、も医者に掛かることも出来ぬのだ」
   「そうでしたか、私のような子供に、よく打ち明けてくださいました、ここに叔父から貰った駄賃が一朱あります、駕籠で私の家まで行きましょう」
 さっき通ってきた道で、帰り客を待っていた駕籠舁きが居た。賢吉をジロッと見ていた
が子供なので声を掛けてこなかった。あの駕籠を呼ぼうと、賢吉は駆け出して行った。

 駕籠舁たちは、人がかいもく通らないので、諦めて空駕籠で戻ろうとしていた。
   「すぐそこで、お侍さんが待っている、一朱で町まで行けるか?」
   「そうだなぁ、一朱なら一里がとこだ」
   「そうか、俺の家まで一里とちょっとだ、帰り駕籠だろ、負けておけよ」
   「一里とちょっとだな」
   「そうだ、俺の親父は目明しだ、居直ると親父に言いつけるぞ」
   「何をぬかしやがる、わしらは雲助と違うわい」
   「わかった」

 一里半は優にあったが、賢吉の脅しが効いたのか、元々善人だったのか、文句も言わずに賢吉の家まで行ってくれた。
   「お侍さん、いま粥を作って差し上げます、俺の布団で横になってください」
   「そうか、忝い」
 賢吉の見立てでは、侍は医者に診せるような病人ではない。何日も食わずに旅を続けたので空腹から体が弱っているらしいのだ。賢吉は養生所から声がかかったら、手伝いに行くこともあるので、病気か、そうでないかくらいは分かるのだ。
   「親父の帰りはいつも遅いが、気の優しい男だから気兼ねは要らないよ」
 賢吉は、侍に話かけながら、土間で食事の支度をしていた。粥が煮える間に、体を拭いてやろうと、七輪で湯も沸かしている。

 少し塩が入った粥を差し出すと、侍は美味そうにすすった。食事が済むと、熱湯で手拭を濡らし、首筋から腰までを拭いてやると、気持よさそうに目を細める。半身を起こして座敷の縁に座らせて足を洗ってやったら、少し気が落ち着いたのか侍は喋り始めた。
   「拙者は、桐藤右近(とうどう うこん)と申す、藩名は言えぬが、ある、お大名の家来であった」
 「…あった」と言ったので、賢吉はこの侍が脱藩してきたことを察した。
   「賢吉殿、身の上を聞いてくれるか」
   「はい、このようなガキで宜しければどうぞ…」
 右近には、同じ藩士の親友が居た。子供の頃から仲が良く、喧嘩などはしたことがない。喧嘩をしそうになっても、双方が折れようとするので、喧嘩にならないのだ。そんな二人を藩侯の意地悪い弟君が、二人に果し合いを命じた。生き残った方を、弟君付けの家来にして、禄高を加増するというのだ。
 二人は断ったが、弟君は烈火のごとく怒り、何がなんでも「果し合いをせよ」と、迫った。これ以上断れば、手打ちにもされない勢いであった。
 右近は、両親を亡くし、姉が一人居たが既に他藩に嫁いでおり、身軽な独り暮らしであった。それに引き換え、親友は両親も兄弟も居て、彼自身は子供こそ居ないが妻を持つ身であった。果し合いをすれば、武道に長けた右近が勝つに決まっている。仮に八百長試合で右近が負けてやったとしても、それはそれで親友は「八百長試合」と非難を受け、自ら切腹もしかねないだろう。
 右近は考えた挙句、自分が卑怯者になって、脱藩をして逃げ出したとすれば、親友に非難は向けられないだろうと、屋敷にあった有り金を持って江戸に向かったのだ。しかし、後になって考えてみれば、この辺りから仕組まれた陰謀であったのだが、この時点の右近には想像すら出来なかった。
 旅の途中、旅籠で枕探しに遭い、無一文になったが、幸い旅籠賃を先払いしていたために、お上に突き出されずに済んだ。
 江戸に着けばなんとかなるだろうと、水だけを口にして歩き続けたが、とうとうあの場所で動けなくなったのだと言う。

 その日の夕刻、賢吉の父親は珍しく早く帰ってきた。賢吉が桐藤から聞いたことを話すと、「お元気になられるまで、ゆっくりと養生して行ってくだせぇ」と、満面の笑みで答えた。
 長次は、左掌を右拳で叩いて桐藤右近に告げた。
   「そうだ、桐藤さま、お元気になられたら、北町奉行所与力の長坂清心さまにお会わせしましょう、きっと桐藤さまの身が立つように計らってくださいますよ」
   「ありがとう、だが…」
 桐藤は、与力と聞いて国へ知らされるのではないかと訝っている様子だった。
   「長坂さまはお優しい方ですから、桐藤さまをお守りくださいます」
 長次は桐藤右近の心中を察して言ったのだが、賢吉も同感だった。

 長次は、すっかり元気になった桐藤と共に、奉行所の長坂に会いに行った。長坂は快く会ってくれ、働き口を探しているという桐藤に、こんな提案をした。
   「桐藤右近殿、暫くは拙者のもとで目明しとして働いてはくださらぬか」
 桐藤の剣の腕が立つことを聞いた長坂が、いずれは嫡男のいない同心の養子にしたいと思ったのだ。
   「当座は、拙者の屋敷に住まわれては如何なものだろうか」
 長坂の屋敷に離れが空いているので、そこに住まわせて使用人に食事などの世話をさせようと思ったのだ。
 翌日、桐藤右近は町人の髪型に変えて、長坂が保証人になり奉行に申し出ると、十手を授かった。目明し右近の下には、手先がわりに賢吉が付くことになった。右近は、右吉と名を改め、賢吉の助けを借りて次々と手柄を立てていった。

 右吉は、折につけ国の親友のことが気がかりらしく、「あれからどうなったのかぁ」と、心配している様子をみせた。
   「親分、一度俺が見てきましょうか?」
   「まさかだろ、子供の賢吉にその様なことをさせたら、長坂さんや長次さんに叱られますよ」
 右吉は笑って賢吉の言葉を聞き流した。

 そんななか、長次の提案で下っ引きの幹太をつけて、右吉の生国へ行ってこさせようと、話が決まった。賢吉も幹太も、大喜びであった。
   「こら、お前たち、遊びに行くのではないぞ」
   「わかっています」
 右吉は、余程心配だったのであろう「忝い」を何度も繰り返し、長次に注意をされていた。
   「右近さん、いや右吉、忝いは止しなせぇ」
右吉は、友の名と生国を明かした。友は槌谷一之進、国名は少々遠くて、長次の胸に一抹の不安が過った。

 遊びながら、ふざけ乍らの旅は思っていたよりも短く、何事もなく右吉が仕えていた国に入った。目指すは槌谷一之進の屋敷であるが、余所者の町人がいきなり訪ねて行ったのでは先様の迷惑になるかも知れぬと、賢吉の提案で槌谷の屋敷前で行倒れよろしくへたり込んで家中の者が出てくるのを黙して待った。喋ると余所者とわかり、藩士が通りかかれば桐藤右近の使いだと知れるだろうと用心したのだ。

   「これ町人、槌谷殿の屋敷前で休まず、はやく立ち去れ」
 どうやら、槌谷家に用が有ってきた同僚らしい。賢吉たちを「シッ、シッ」と追い払うと、門を開けさせ、屋敷の中へ消えた。
   「賢吉、今日はまずいぞ、諦めて出直すか」
   「そうですね、どこか近くに旅籠をとりましょう」
 表札を残念そうに眺め、二人が行きかけると、また侍がやってきた。
   「これ、そこの二人、拙者に何か用か?」
 どうやら、主の帰宅らしい。
   「槌谷一之進さまでございましょうか?」
   「左様、槌谷だが、そなた達は?」
   「はい、桐藤右近さまの使いで江戸から参りました」
   「何、桐藤の使いだと、藤堂は如何致した、無事なのか」
 余程案じていたとみえて、矢継ぎ早に問い質してきた。
   「ご無事で、あるお侍様のお屋敷にいらっしゃいます」
   「ご家来として取り立てられたのか?」
   「いいえ、今は町人の身分で使用人でございます」
   「そうか…」
  槌谷一之進は、それだけ言って絶句した。目に涙を浮かべている。
 
 その夜、賢吉と幹太は旅籠に泊まるつもりでいたが、一之進が「わが屋敷に泊まってくれ」と無理やり引き留められた。恐らく胸につかえている思いを話して、それとなく桐藤右近に伝えて欲しいのだろうと、賢吉は察していた。
   「殿が病床で右近のことを気にしておられるのだ」
   「お殿様は、ご病気でしたか」
   「ひと月前に風邪をめされてのう、そのまま枕があがらないのだ」
   「風邪にしては、長すぎますね」
   「そうなのだ、風邪からどんどんお弱りになって、今では藩医も匙を投げられた」
   「風邪をひかれる前から、お弱かったのですか?」
   「いいや、とてもお元気でおられた」
   「おかしいですね」
   「お前もそう思うか」
 一之進と賢吉は、夜遅くまでヒソヒソ話をしていた。
   「こんなとき、忠義者の右近がいてくれたら」
   「お殿様は、桐藤右近さまが出奔した訳はご存知ですよね」
   「それが、何もご存じないので、不思議がっておられるのだ」
 藩主の弟君が口止めをしているらしい。
   「こんな子供が言ったのでは、お叱りを受けるかも知れませんが…」
   「言ってみなさい」
 賢吉は、お殿様に処方されている薬が怪しいと思うのだ。ことの起こりは風邪かも知れないが、薬を服用されるようになってから、お殿様の容体が悪くなってきたように思われるのだ。
   「無礼者、なんたることを言うか、この痴れ者と言いたいが…」
 槌谷一之進のあるじは、藩侯の弟君である。賢吉を叱るべきところだが、恐らく一之進も疑っていたのだろう。
 暫くの沈黙があって、一之進が呟いた。
   「もし、殿のお命を狙う者が居るとすれば…」
 一之進は、もう一つ差し迫った心配事があるという。十日後に、藩侯の若君九歳の宗千代君が城から三里ばかり離れた楓川神社へ、父上の病平癒祈願にお参りする行事が予定されているのだ。
   「槌谷さまが今お考えの心配ごとも、お殿様のご病気も、きっと仕組まれたことに違いありません」
   「拙者には、お二人を護って差し上げる力量も、思案もない、ああ、桐藤右近が居てくれたら…」
   「いや、少なくとも、若君の命は護って差しあげることが出来るかもしれません」
   「拙者が?」
   「槌谷さまと、この俺と二人で」
   「どうやって?」
   「出立寸前に、若様と俺が入れ替わるのです」
   「賢吉が襲われて、命を落とすぞ」
   「俺は大丈夫です、自分の命ぐらい自分で護れます」
   「そうか、その手しか無いか」
   「だが、槌谷さまのお立場が微妙ですね」
   「拙者は藩侯の弟君の家来だ、恐らく若君のお命を狙う側であろう」
   「そうなりますね」
   「構わぬ、どうせ拙者の命は桐藤右近に討たれていた筈なのだ、主を裏切って立派に切腹してみせよう」
   「その覚悟でいてください、俺もひとつ違えば首を刎ねられるでしょう」

 賢吉は、「乗りかかった船だ」と、決着がつくまで槌谷一之進に付き合う覚悟をした。槌谷の屋敷でゴロゴロして若君が楓川神社へ参拝する日まで、江戸へ戻らずに待った。幹太には「先に江戸へ戻ってくれ」と頼んだが、賢吉を置いて自分だけ戻ったのでは長次親分に申し訳がたたないと、きっぱりと断られた。

 賢吉たちがそうこうしている間も、藩侯は疑惑の薬を飲み続けているのだと思うと気が気ではないが、何の手の打ちようもないので仕方がなかった。
 そんなある日、賢吉と幹太が逗留している部屋に、一之進の妻が入ってきた。
   「賢吉さんと幹太さん、あなたがたに江戸からお客様が見えていますよ」
「帰りが遅いので、親父が心配してやってきたのだな」
「いいえ、お武家様のご子息のようですよ」
 賢吉は驚いた。長坂清心の長男、心太郎に違いないと思ったが、自分と同じ十歳の少年である。父上の清心がよく許したものだ。
   「お一人ですか?」
   「はい、利発そうな方です」
 女中に案内されて入ってきたのは、やはり長坂心太郎であった。
   「賢吉、親父さんが心配していたぞ、何があったのだ」
   「心太郎こそ、お伴も連れずに独りで来たのか?」
   「ははは、安心しろ、護衛の者が付いて来ているさ」
   「どこに居るのだ、その護衛は」
   「旅籠で待っている」
   「親父の長次か?」
   「違う、もっと強いお方だ」
   「まさか、清心さまではあるまい」
   「当たり前だ、与力が仕事を放りだして、息子の護衛をするものか」
   「誰なのだ」
   「今から、会いに行くか?」
   「よし、行こう」

  「賢吉捕物帳」第二回 お家騒動(終)  次回に続く 


    「賢吉捕物帖」第三回 お家騒動2へ
    「賢吉捕物帖」第一回 大川端殺人事件へ戻る

猫爺の連続小説「賢吉の捕物帳」 第一回 大川端殺人事件   (原稿用紙17枚)

2015-09-17 | 長編小説
 賢吉は当年とって十歳、北町奉行所与力長坂清心の手先として働く目明し長次の長男で、下に次男八歳と妹六歳がいる。賢吉は、度胸がよくて機転が利く。喧嘩には強いうえ、小さい子の面倒見がよく、近所の悪餓鬼が一目を置く存在である。
 賢吉の無二の親友と言えば、長坂清心の長男、長坂心太郎である。歳は賢吉と同じ十歳、町の道場に通い剣道を習っている。屋敷にあっては、専ら賢吉が練習台である。
   「やい、心太郎、痛ぇじゃねぇか、少しは手減しろよ」
   「済まん、済まん、お前と練習すると、つい力が入ってしまう」
 今日は、その練習風景を、賢吉の父親の長次が見ていた。
   「こら、賢吉、お坊ちゃまを呼び捨てにするとは何事だ」
   「心太郎も、俺のことを呼び捨てにしているじゃねぇか」
   「坊ちゃんはお侍のご子息だから、町人のお前を呼び捨てにしてもいいのだ、身分を弁えろ、わしらは、長坂さまから頂戴するお手当てで、おマンマを食っているのだぞ」
   「何でぇ、お手当てだけでは足りないと言っていたくせに」
   「こらっ、何てことを言うのだ、長坂さまに聞こえたらどうする」
 だが、しっかり聞かれていた。長坂清心が次の部屋で聞いたらしく、襖をすーっと開けた。
   「長次、お前ら父子で言い争う振りをして、手当てを上げろと匂わしているのか?」
   「いえ滅相な、決してそのようなことを匂わしておりません」
 ばつが悪くて赤面する長次に、心太郎が助け船を出した。
   「おじさん、子供に身分なんかどうでもいいのですよ」
   「それにしても、お父上の前では、そんな口を利くとは…」
   「ははは、父上の前でも、いつもこうですよ」
 心太郎は、平然と笑っている。心太郎の父清心も、笑って見ているのだそうだ。そこへ、心太郎の母上が縁側から声を掛けた。
   「心太郎、お茶が入りましたよ、お二人を茶の間にご案内しなさい」
 長次が茶の間へ入るのを遠慮した。
   「奥様、あっし等は、ここで頂戴します」
   「そーぉ、美味しいお萩がありますのよ、旦那様と一緒に茶の間で戴きましょうよ」

 甘いお萩が出されて、心太郎や、その妹、賢吉は大喜びでふざけていたが、長次は渋い顔であった。
   「長次、どうした、何を浮かぬ顔をしている」
   「いえね、倅ですが、身分を弁えずに、坊ちゃんたちとふざけまわって、あっしは肝が縮む思いでさぁ」
   「拙者は身分の高い旗本ではなく、一介の御家人だ。それも拙者の親父は、元は同心だった。手柄をたくさん立てたので、時のお目付けの推薦で騎馬与力の職を頂いたのだ」
   「お旗本でなくとも、乗馬も袴も許されたお侍です、われら庶民とは違います」
   「大人はそうかも知れぬが、子供たちにはただの友達同士だ、固いことを言うな」
   「へい、有難うごぜぇます」
そこへ、下っ引きの幹太が長次を呼びにきた。
   「親分、てぇへんです、殺しです」
   「そうかわかった、すぐ行こう、案内してくれ」
すっ飛んで行った父を追いかけて、賢吉も飛び出して行った。
   「あなたもお出掛けになりますか?」
 奥方が清心に訊いた。
   「あいつら、場所がどことも言わずに行ってしまいよった、まあ任せておくとしょう」

 死体が発見されたのは大川端で、建物もなにもない見晴らしの良いところだった。殺されたのは、呉服商成田屋銭衛門の店の番頭伊之助だそうである。番頭を知っている人の証言を訊いて、他の目明しが一っ走り成田屋に知らせに走った。
   「親父、これはよく切れる刀で、一刀の元に袈裟懸けで殺られているぜ」 
 長次は驚いた。長坂様のお屋敷に居る筈の賢吉が、いつのまにか追いかけてきて、一端(いっぱし)の目明し気取りで死体見分をしている。
   「何だ、お前いつの間に付いて来たのだ」
   「えへへ、親父じゃ頼りないからな」
   「この野郎、言わせておけば猪口才な、これが刀傷だという事ぐらい幹太でもわかるわい」
   「親分、幹太でもわかるとは何です、幹太でもわかるとは」幹太が怒った。
   「済まん、これは言葉の綾だ」
   「日頃から、幹太はアホだと思っているから出た言葉じゃないですか」
   「まあ、それは良いとして…」
   「良くないわ」
   「賢吉、おめぇ死体を見ても怖くはないのか」
   「怖くねぇ、何で死体が怖いのだ、何もしないではないか」
   「ふーん、幽霊にとり憑かれるぞ」
   「それが?」
 死体を見るのが怖いどころか、手で傷口に触れている。これには「ガキのくせして度胸がある」と、長次も驚いた。
   「親父、それだよ」
 成田屋の主人が殺られたのなら、もしかしたら商売仲間の恨みを買ったとも思えるのだが、殺られたのは番頭だ。
   「幽霊に刀で殺られたのか?」
   「親父、バカか、幽霊が刀で人を斬るのか」
   「親父に向かってバカとはなんだ」
   「それは良いとして…」
   「良くないわい」
   「番頭さんは、見てはいけない物を見てしまったのだ」
   「幽霊か?」
   「親父、ちと幽霊から離れられないのか」
   「済まん」

 番頭が殺されていたのは、大川端の道だ。あの河岸の近くには、川船が着く。もしやご禁制の品を抜け荷買いしている悪徳商人が、その積み下ろしの現場を見られたとか。または大奥の奥女中が、芝居の役者と逢引しているところを見られたとか。島抜けしてきた流罪人が、上陸するところを見られたなど。
   「お前なぁ、それは芝居の見過ぎだぞ、お父つぁんに内緒で芝居小屋に行っていたな」
   「そんなに小遣いをくれないではないか」

 辻斬りとも思い難い。旗本の殿様が名刀を手に入れて、どうしても人を斬りたかったのかも知れないが、旗本とて試し斬りはひとつ違えばお家断絶、その身は死罪となり、切腹さえ許されない。武士にとっては屈辱の極みである。
 それを、あのように見晴らしの良いところでやるだろうか。親父の言う通り、そんな芝居がかった動機ではないかも知れない。案外、番頭が奉公しているお店(たな)の中でのいざこざが高じた結果の犯行かも知れないと、賢吉はそう考えていた。

   「親父、俺、張り込んでみる」
   「どこを?」
   「呉服商成田屋を」
   「バカバカ、子供にそんなことをやらせたと長坂様に知れたら、十手取り上げだ」
   「十手なんか何だ、俺が作ってやるぜ」
   「お上の十手を勝手に作ったとなりゃぁ、手が後ろに回るぜ」
   「十手の話は、こちらに置いといて」
   「そんな処に置くな」

 翌日の昼下がり、賢吉は成田屋の店先で石蹴りをして独りで遊んでいると、店の戸が開いて中から丁稚と思しき子供が出て来たので、賢吉は声をかけた。
   「成田屋さんは、今日はお休みかい?」
   「うん、番頭さんが亡くなったので、殆どの人はお葬式に満福寺へ行った」
   「ご病気で亡くなったのかい?」
   「知らないのかい、殺されたのだ」
   「あ、昨日の騒ぎは、成田屋さんの番頭さんだったのか、たしか辻斬りに遭ったとか、恐いねぇ」
   「そうじゃないよ、店の誰かが浪人を雇って殺させたのさ」
   「番頭さん、誰かに恨まれていたのだねぇ」
   「それも違うよ、番頭さんは優しくいい人だった」
 この丁稚は、よく旦那様に叱られていたが、殺された番頭さんが庇ってくれていたという。
   「そんな良い人を、誰が殺したのだろう」
   「知らない」
   「そんなこと、子供に分かる訳はないよな」
   「うん、だけど旦那様と奥様の間に子供が居ないので、番頭さんは嫁を貰って夫婦養子になるところだった」
   「わぁ、番頭さん悔しかっただろうな、俺、気の毒で泣いてしまいそうだ」
   「おいら、年季が明けても、番頭さんの元で働こうと考えていたのだ」
 そのとき、店の中から呼ぶ声が聞こえて、丁稚は慌てて店の中に消えた。

 賢吉は家に帰って来た。借家ではあるが長屋ではない。オンボロながら一軒家である。
   「親父、ただいま…、ってまだ真っ昼間だ、居る訳ないか」
 腹が減ったので、朝の残りを弟と妹と共に掻っ込んで、プイッと飛び出した。父親がいる筈の番屋へ行く積りなのだ。

   「親父、居るかい」
 父親と同年輩の目明し、仙吉が番をしていた。
   「お前の父つぁんは、長坂様に呼ばれて北の奉行所へ行ったぞ」
   「おじさん有難う、奉行所へ行ってみる」
   「こら待て、奉行所は遊び場所ではないぞ、ここで待っていろ」
   「長坂様にも用があるのだ」
 仙吉が止めるのを無視して、賢吉は番屋を飛び出した。

 北町奉行所の門前で、門番に止められた。
   「こら待て、坊主また遊びに来たな」
   「遊びじゃないやい、長坂様と親父に用事だい」
 門番が「こらこら」と、止めるのを無視して、ちょこちょこっと入っていった。
   「親父いるかい?」
   「おお、長次の倅か、長次は裏の厩で、長坂さまと話をしている」
 長坂清心は与力で、与騎とも書き、馬にも乗れるのだ。数えるときは、一人二人ではなく、一騎、二騎である。
   「親父、ここだったのか」
   「こらっ、こんなところまで押しかけるとは恐れを知らぬガキだ、お牢に入れるぞ」
   「えっ、本当かい、入る、入る」
   「お前はバカか、お牢に駄菓子は売っていないのだぞ」
   「咎人が入れられるところだろ、一回入りたかったのだ」
   「お牢に入れば、かるくとも百叩きの刑、重いと市中引き回しのうえ磔獄門になる」
   「市中引き回しって言うのは、馬に乗って江戸の町を回るのだろ、乗りたい、乗りたい。
   「磔獄門はどうする?」
   「それは、親父に譲る」
   「お前は、長坂様の前で父親を弄(なぶ)っているのか」
 長坂清心が、父子の会話を呆れて聞いていたが、堪らずに口を挟んだ。
   「長次は、御役目の最中だぞ、遊ぶなら家に帰ってからにしろ」
   「あ、忘れていました、長坂様にお伝えしたいことがあったのです」
   「何だ、言ってみなさい」
   「殺された成田屋の番頭のことですが、もうすぐ成田屋の養子になると決まっていたらしい」
   「賢吉、それを誰から訊いた」
   「成田屋の丁稚です」
   「そんなことを喋ったのか?」
   「優しくて好きな番頭さんが殺されたので、子供の俺に愚痴を言いたかったのでしょう、子供同士だから」
   「よし、その線で調べさせよう」

 子供の言うことなのに、長坂清心はあっさりと信じたのには訳があった。これまで、賢吉が調べたことや、推理をしたことは大抵当たっていたので、長坂は目明しの長次が言うことよりも息子の賢吉が言うことを信じる傾向にあった。
   「事件は拙者たちに任せておいて、賢吉は我が屋敷に行ってくれないか、心太郎が賢吉に用があるそうだ」
   「わかりました、すぐにお屋敷へ行きます」
 賢吉は駆け出していった。

   「心太郎、心太郎は居るか」
 賢吉が叫んだので、奥方が出て来た。
   「何ですか騒がしい、心太郎なら今お勉強中です、勝手口から茶の間に回って待ってやってくださいな、お菓子がありますよ」
   「はーい」
 出されたのは京菓子の松露饅頭だった。甘いお菓子が大好きな賢吉の目は点になっていた。

 心太郎が勉強を終えて茶の間に入って来た。手には二本の木製十手と、木刀が握られている。
   「これは、父上が賢吉と私のために誂えた練習用の木製十手だ、私と捕縄術と十手術の形を練習しましょう」
 樫の木で作られていて、持つとずっしりと重い。それと、かなり使い込んだ古い木刀を一本手渡された。今までは心太郎と竹刀で練習していた剣道を、今日から木刀に持ち替えようというのだ。
   「わっ、嬉しい」
 賢吉は大喜びで木刀を撫でた。心太郎は、町の道場で習ったことや、父の清心に教わったことを、そのまま賢吉に教える。「人に教えることは、自分を磨く最良の鍛錬だ」とは、父長坂清心の言葉である。心太郎は、それを実行しているのだ。早速庭に出て、心太郎と賢吉の鍛錬が始まった。

   「もうすぐ日が暮れますよ、お重に煮物と小魚の佃煮を入れておきました、皆さんで召し上がりなさいな」

 食事の支度は、賢吉の役目である。今夜は飯を炊き、大根の味噌汁とお新香を切っておくだけで済んだ。
   「親父、お帰り、事件はどうなった?」
   「お前の言うとおり、浪人を雇って番頭を殺させたのは、成田屋銭衛門の甥、弥助だった」
 弥助は、銭衛門に跡継ぎが居ないので、自分が跡目を継ぐものとばかり思っていたのに、番頭の伊之助を養子にして跡目を相続させると聞き、逆上して犯行を企てたものらしい。
   「長坂様が褒めていたぞ」
   「褒美はないのかい?」
   「木製十手と木刀が褒美らしい」


「賢吉の捕物帳」第一回 大川端殺人事件(終) -次回に続く-   

   「第二回 お家騒動」へ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 最終回・成仏

2015-08-01 | 長編小説
 父母兄弟が居る筈の福島屋雑貨店に、辰吉を知る者が誰も居ないという。とにかく外へ出て頭の中を整理しようと思った辰吉を店の奥から誰かが呼び止めた。
   「辰吉、待ちなはれ」
 母親のお絹であった。
   「嘘や、嘘や、お父っつぁんが忙しい時に、お前がフラフラしているから、一遍驚かしてやろうと仕組んだ悪戯や」
   「やっぱりそうか、俺、頭が可怪しくなったのかと思った」
 お絹は奥の亥之吉に向かって言った。
   「あんさんも、こんな悪戯やめなはれ、辰吉は旅で疲れているのに、番頭さんとつるんで何をアホなことをしていますのや、辰吉が可哀想やおまへんか」
 亥之吉が顔をだした。
   「そやかて、長男の辰吉が遊び呆けていては、弟や妹に示しがつかへん、いっぺん懲らしめてやらんといかん」
 辰吉にも言い分がある。
   「俺は、弥太八さんを送って行っていたのに、遊び呆けはないだろ」
   「お前なぁ、何が弥太八さんや、弥太八さんは遠に小万さんを連れて帰って来とるがな、しかも祝言も昨日終わったのやで」
   「俺抜きで祝言あげたのか」
   「当たり前や、何時帰って来るかわからん辰吉を待っていられるか」
   「ついでに、信州に行って、俺が助けた才太郎の様子を見てきた」
   「まだ歩くことが出来なかったのか?」
   「いや、三太郎先生に付いて、医者になると言いよった」
   「それは頼もしいやないか、将来は佐助先生や、三四郎先生のような頼れる医者が誕生するのやろな」
   「俺は、商人にしたかったのに」
   「店を才太郎に任せて、お前はフラフラと股旅三昧か?」
   「エヘヘ、見透かされているのか」
 表に出て待っていた又八が店の中を覗いた。
   「なんや、お客さんかいな、辰吉、それならそうと先に言いなさらんか、表の方、どうぞ遠慮なくお入り」
   「三太兄ぃのところへ来た又八です」辰吉が紹介した。
   「辰吉の親父、亥之吉です、三太のお客ですかいな、三太に商人に成れと薦められたのですやろ」
   「いえ」
辰吉が差しで口を挟んだ。
  「三太兄ぃが又八の姉さんに一目惚れして、自分の店を持ったら嫁に迎えにくると手付だと言って十両置いて来たのだが、その話を解消したいと十両返しにやってきたのです」
   「へー、三太というヤツは、アホなのかしっかりしているのかわからんなぁ」
   「親父もそう思うか」
   「惚れたのなら、その時に連れて帰ってこんかいな、それを手付やなんて、嫁は建物やないのやで」
   「うん、三太兄ぃに言ってやります」
   「そうや、お前付いて行って、言ってやりなされ」

亥之吉は、「まだ、目出度いことがあるのや」と、ニヤニヤしている。
   「あんなぁ、三太と一緒に鷹塾で読み書き算盤を学んだ三吉がなぁ」
   「どうしたのだ」
 亥之吉は、勿体づけてすぐには話さない。
   「どうせ嫁を貰ったのだろう」
   「違う、違う、立派な塾舎を建てて、弟の源太を呼び寄せることになったのや」
   「鷹之助先生の弟子の源太か」
   「そうや、浪花に帰ってくるのや」
   「へー、佐貫のお屋敷で何度か顔を見たくらいで、話したこともないのだが」
   『あっしは覚えています』守護霊の新坂郎が話に分け入った。
 源太が柳生藩の若君の「陰」にされたとき、鷹之助と新三郎が助け出したのだ。
   「源太さんは、腕は立つの」
   「いや、先生が鷹之助さんやから、剣術はやらせていないやろ」
   「一人旅で大丈夫かな?」
   「あかん、あかん、またお前が迎えに行くつもりやろ」
   「うん」
   「大丈夫や、三太郎先生が一緒に来てくれはります、鷹之助先生の奥様も里帰りするのやと」
   「忙しい三太郎先生が、患者を放っておいて護衛役か」
   「三四郎先生と、佐助先生が居ますがな」
   「呑気な医者だなぁ」
   「実はなぁ、わいの百貨店が中之島で開業するのや」
   「長年の夢が叶うのだな」
   「お前なぁ、他人事のように思っているようやが、お前の百貨店でもあるのやで」
   「ふーん」
   「お前には、感慨も感激も無いのか」
   「別に…」
   「あほらし、弟の巳之吉に店を継がせようかな」
   「それが宜しい、あいつならしっかりしている」
   「お前はどうするのや」
   「巳之吉に小遣いせびって旅暮らし…」
   「情けない、巳之吉の重荷にならんように、今のうちに絞め殺しておこうかな」
   「俺、お父っつぁんより強いと思う」
   「アホ抜かせ、まだまだ孫弟子には負けんわい」

 辰吉と又八は、三太が奉公している相模屋長兵衛の店の暖簾を潜った。丁度、店先で三太が客の相手をしているところであった。
  「これは、坊っちゃんと又八やないかいな、わいに用があってきたのか」
  「はい」と、又八はいきなり十両を三太に差し出した。
  「何の真似や?」
  「姉のお蔦が、伝六と縒りを戻しました」
 三太は、それで全てを察したようであった。又八は、店に客が居るのも構わずに、その場で土下座をした。
  「三太さんには申し訳ないことになりました」
  「又八、そんなことをするのはやめなはれ、お客さんが驚いていなさるやないか」
 三太は、愛想笑いをしながら客を見送った。天秤棒術の手練、福島屋の番頭から、腰の低い相模屋の番頭に変わっていた。
  「構へん、構へん、もともと伝六と恋仲やったのやさかい、又八が泥棒やないと分かって伝六の両親が許してくれたのやろ、こうなることは分かっとりました」
 三太の強がりらしいことは辰吉にも又八にも分かった。だが、お蔦さんの幸せの為に、全てを無かったことにする気になったのだろう。こんな侠気のある三太を、兄貴と呼んでみたかった又八ではあった。
  「手付の十両は、お蔦さんの持参金にでもして貰いなはれ」
三太は、自分の財布から一両足すと、又八に渡してやった。
  「一両は、又八の路銀です」
 三太は、「幸せになりや」と、お蔦に伝えるように又八に頼み、二人を見送った。気の所為だろうか、辰吉には三太の目が少し潤んでいたように思えた。

 辰吉と又八は、福島屋に引き返すと、その夜は又八を福島屋の店に宿泊させ、辰吉は翌朝早く淀屋橋まで送っていった。
   「又八、お前にこれをやる」
辰吉はぷっくり膨れた巾着袋を渡してやった。
   「十五朱と二百五十文入っている、くらわんか舟が寄ってくるので、何か美味しいものを買って食べなさい」
 巾着袋には、上部には首から下げるための普通の紐と、下部にも同じような紐が付いている。
   「下の紐は何ですか?」
 又八は、上下の紐を引っ張ってみたが、何のために上下に付いているのか分からなかった。
   「上の紐は首に掛け、下の紐は褌に巻きつけるのだ」
   「それは何のため?」
   「巾着切りに上の紐を切られて巾着を引っ張られても分かるようにする為だ」
   「何だか、痛そう」
   「だからいいのだ、痛いと大声を出したら、巾着切りはびっくりして手を離す」
   「離さなかったら、おいらはどうなるのですか」
   「さあ?」

ここから上り三十石船で伏見へ、東海道三条大橋から草津へ、草津追分を中山道側にとると、そこから五つ目の宿場に又八の家にがある。
   「何か困ったことがあったら、俺を頼って来い」
   「有難う御座いました」
 又八は、船上で手を振って辰吉と別れた。辰吉から貰った巾着袋の効果は覿面であった。何しろ、人が近付いてきただけで、褌の中身が痛むような気がして、又八はすぐに逃げるからである。

 それから数ヶ月後、辰吉は、中之島にある亥之吉が買ったという場所へ連れて来られた。敷地には建物が三つ建っている。

   「どや、広い敷地やろ」
   「うん」
   「この建物が、わいの店や」
   「こっちの店は?」
   「三太の酒店や」
   「向こうのお屋敷みたいなのは?」
   「三吉先生の次の弟が設計して建てた塾や、大坂中の寺子屋を見て歩いたのやそうやで」
   「ここで源太さんが鷹塾を開くのか?」
   「もう、源太と違うのやで、佐貫源太郎と言いなさるのや」
   「佐貫家の養子になったのか?」
   「そうや、わいら庶民と違って、苗字帯刀を許された御家人や」
 三太の酒店も、相模屋長兵衛や三太と相談して、この敷地に建ててもらったのだと言う。近々、三太はここで酒の店を開店する。それに備えて、使用人を二・三人雇いたいのと、京極一家に預けている寛吉を迎えに行かねばならない。寛吉は、七里の渡しで船から落ちた少年であり、海の近くで育った泳ぎの達者な三太が新三郎の助言で救ったのであった。
 本当はこの日、彦根の又八のところへ行って、お蔦を連れて来て、亥之吉に媒酌人を頼んで祝言を挙げる積りだったのだ。三太の船は、順風満帆とは言えない、帆にポッカリ穴が開いたような出帆であった。


  「お父っつぁん、俺が信州まで三太郎先生たちを迎えに行こうか」
  「何の為に、三太郎先生は甲賀流の流れを汲む剣の達人やで、何でお前が必要や?」
  「源太郎さんや、鷹之助先生の奥さんも一緒だぜ」
  「それで?」
  「一人で二人を護られないでしょう」
  「三太郎先生なら、十人でも二十人でも護れます」
  「そんなに強いのかい?」
  「そらそうや、わいが勝てないくらいやさかい」
  「根拠薄っ」

 亥之吉一家の引越しは簡単であった。江戸から持ち帰った荷物と言えば、各自の衣類だけである。生活用品は殆ど全てこちらで揃えた。江戸で蓄えた小判は、両替屋を通して浪花で銀貨に替えて受け取れる。両替屋とは、今の銀行であるから。

 亥之吉の百貨店と、三太の酒店の使用人と商品の準備が整った。今朝は、信州から医者の緒方三太郎と、鷹之助の妻お鶴と、源太郎が到着する予定である。お鶴の兄である小倉屋昆吉、源太郎の二人の兄も亥之吉の店で心待ちにしている。
   「お父っつぁん、また三太郎先生とお手合わせするのか?」
   「あかん、わいは長らく天秤棒を振り回してないからな」
   「もう、歳だな」
   「うん」
   「わっ、お父っつぁん素直」

 昨夜、京都の伏見を出た三十石船が、今朝早く淀屋橋に着いた。鷹之助の妻お鶴と佐貫源太郎は、浪花生まれの浪花育ち、懐かしい町並みを駕籠にも乗らず、お喋りをしながら三太郎の先々を嬉しそうに歩いて来た。
   「ひゃー、お兄ちゃんが居る、昔のまんまや」
 お鶴の兄、小倉屋昆吉が待っているのを見付けて奇声を上げた。
   「お兄ちゃん、ただいま」
   「お帰り、お帰り、お前、お侍の奥さんらしくなったなぁ、お父はんと、お母はんが店で首を長くして待っている、皆さんに挨拶をしたら、早う帰って顔を見せてやり」
   「へえ」

 源太郎は、鷹塾の方へ走って行った。二人の兄の姿が見えたからだ。
   「兄上、源太ただいま戻りました」
   「何が兄上や、わいらは町人や、兄上はやめなはれ」
   「ははは、鷹之助先生が、三太郎先生を呼ぶように、一遍兄上と呼んでみたかったのや」
   「あーこそば」
 長男は五人の教え子に読み書き算盤を教えている三吉、その子たちが修了したら、三吉も源太郎と一緒に新しい鷹塾で小さい子を教えるつもりである。次男は大工見習いの浅吉、棟梁の教えを受けながら、この立派な「鷹塾」の建物を設計して建てたのだ。そして、三男源太は、佐貫源太郎である。このあと、三人揃って両親に逢いに行く計画なのだ。
   「三太はどこに居る? あのチビ三太は…」
 源太郎がキョロキョロ目で探している。三太は源太より一つ年下の鷹之助の教え子である。
   「それが、今朝の船で京都へ寛吉という人を迎えに行ったのや」

 緒方三太郎は、亥之吉と何やら話をしている。
   「わいは大歓迎です、何かお手伝いが出来る事がありましたら、遠慮なく申し付けてください」
   「有難う御座います、どうぞ佐助の相談相手に成ってやってください」
 今すぐではないが、一年か二年後に、佐助が浪花に出てきて、診療所を開きたいと言っているらしい。佐助は美濃国美江寺の生まれで、幼くして両親と死別、叔父に育てられたが両親が残した銭の切れ目が縁の切れ目と、追い出されてしまった。
 草を喰み、田螺を食べて生き延びていたが、村人達に「美江寺の河童」と、噂されていたところを三太郎に助けられて弟子になったのだ。

 辰吉が何やら独り言のように呟いている。守護霊新三郎と話をしているのだ。
   「えーっ、新さん成仏するのかい?」
   『お釈迦様に命令されても成仏しない積りだったのだが…』
   「どうしてその気になったのだい?」
   『流石はお釈迦様だ、あっしの弱点を突いてきた』
   「弱点って何」
   『お釈迦様が直々に命令するのではなく、使いをよこしたのだ』
   「その使いって、美人だったのかい」
   『いいや、その使いは、あっしが守護霊として初めて憑いた能見数馬さんの霊だった』
 能見数馬は、新三郎が阿弥陀如来に浄土に戻された途端に殺害されてしまった。せめて、数馬を安全な場所に導いた後に、旅立つべきだったと、今も新三郎は悔いている。 

  「最終回 成仏」(終)  (原稿用紙18枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説 終了 (この他に、掌編・短編も投稿しています。)




猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十七回 辰吉、旅のおわり

2015-07-28 | 長編小説
 辰吉は、開店した斗真の店を訪ね、商売が繁盛しているのを確かめた。父、福島屋亥之吉への土産である。

 小諸を離れると、中山道信濃追分に出て、そこから京へは向かわずに江戸への街道をとった。辰吉の故郷は、江戸である。浪花へ戻ってしまうと、その後いつ江戸へ行けるか分からなかったからである。江戸の神田には、もとチビ三太こと三太兄ぃの旅の連れ新平と、父亥之吉を親分と慕うもと京極一家で育てられた豚松こと政吉が居る。また、辰吉が育った京橋銀座福島屋の店もある。店を継いで店主になった元番頭の活躍ぶりなども父への土産話にしたい。幼馴染の大江戸一家にも顔を出し、一宿一飯の恩義に与ろうかとも思う。
   「あっ、しまった」
 大江戸一家で思い出したのだが、信州で卯之吉おじさんのところへ顔を出すのを忘れていた。
   「まぁ、いいか」

 辰吉は、再び江戸の土を踏んだ。真っ先に向かったのは、守護霊新三郎の墓がある経念寺であった。この寺の住職は、もと佐貫藩士の藤波十兵衛、後の亮啓和尚(りょうけいわじょう)である。和尚は、水戸藩士能見篤之進の次男能見数馬少年に頼まれて、この寺に新三郎の墓を建てた。唐櫃(からと)には、新三郎の頭蓋骨のみが納められている。これは、新三郎が殺された美濃国鵜沼の山中から能見数馬が見付けてきたものである。(シリーズ第一作・「能見数馬」より)

 次に訪れたのは、神田明神前の菊菱屋政衛門の一人息子政吉の店である。政吉は赤ん坊の時に人攫いに連れ去られ、京の子供が居ない公家夫婦のもとに売られた。後に公家夫婦に実子が誕生したために、「要らなくなった子供を処分してくれ」と頼まれた京極一家の親分が激怒し、自分が引き取った。政吉は、京極一家の跡継ぎとして育てられたが、実の親が恋しくて、江戸へ向かって旅をしていた亥之吉に付いて親探しの旅にでる。(シリーズ第三作・「池田の亥之吉」より)

 この菊菱屋には、新平という番頭が居る。彼の母は私娼であった。実の母子であるにも関わらず新平を邪魔者扱いにして、「山犬にでも食われて死ね」と罵られて家を出る。飢えて倒れているところをチビ三太に助けられ、母親の元へ帰るが、「男の子なんか三文の値打ちもない」と、再び罵られる。
 チビ三太は腹を立て、「それならわいが三文で買う」と、母親に三文の銭を投げ、チビ三太と新平は、弥次喜多道中よろしく仲良く江戸に出て来たのだった。(シリーズ六作・「チビ三太、ふざけ旅」より)

 架空の店名で金を貸し付け、暴力で返済を迫り暴利を貪ったとして闕所になった両替屋の店舗を、亥之吉がお上から買い取り、京橋銀座で雑貨商を開業した。その店を亥之吉は番頭に譲り浪花に戻った。この店は、辰吉が生まれたところで、今も繁盛していた。
   「若旦那、お帰りなさい、よかった、よかった、ご無事で何よりです」
 店の主人は、笑顔で辰吉を迎えてくれた。辰吉は喧嘩に巻き込まれ、相手を死なせてしまい、両親にも、店の者にも内緒で独り旅に出てしまったのだった。
 店は、辰吉の知っているのと、まったく変わりなく、お店の衆も誰一人替わっては居なかった。
   「みんなも、心配していたのですよ、なぁ」
 店主が店の衆に同意をもとめると、みんなは笑顔で頷いた。
   「今夜は、若旦那のためにご馳走を造らせるので、ゆっくりしていってくださいな」
   「実は、大江戸一家で一宿一飯の恩義受けようと思っているのです」
   「何を言っているのですか、ここは若旦那の生家ですよ、私達は若旦那の親兄弟同然ではないですか」
   「そうですよ、私なんか坊っちゃんが赤ん坊のとき、オムツを換えていたのですから」
 おなごしのおすみが言った。
   「俺のオムツをかい?」
   「そうですよ、坊っちゃんたら、オムツを開いたとたんに勢い良くオシッコをして、私の顔に引っ掛けたのですから」
   「それくらいのことなら、今でも出来るよ」
   「嫌だぁ、坊っちゃんたら」
 店主が慌てて止めた。   
   「これっ、若旦那もおすみも、下(しも)の話に走るのは止しなさい、お客様に聞こえます」

 下へも置かぬもてなしを受け、嘗て自分の部屋であったところに床をとってくれた。この部屋で眠るのは、これが最後だろうなと思うと、少々寂しさを覚える辰吉であった。

   「有難う御座いました」
 翌朝、別れ際に挨拶をすると、一同は首を振った。
   「お礼なんて言ってはいけません、こんど帰ってくるときは、ただいまと言って暖簾を潜ってください」
 まだ開店していない店の前で、一同は手を振って見送ってくれたが、おすみだけは辰吉が持った棒を握って涙ぐんでいた。

 大江戸一家にも顔を出して行こうと思ったが、卯之吉の店の現況を訊かれそうなので素通りすることにした。
 
 江戸日本橋から東海道を弥太八、小万が居るかも知れない関宿へ、そして、再び中山道に草鞋を向けて近江国は彦根の又八と姉のお蔦に会おうと思っている。

 この旅のはじめに行った関の宿場町へ着いた。小万の家を覗いてみたが、人の気配も、住んでいた様子も全くない。弥太八は、この家で小万の帰りを待つと言っていたが、どこかで出会って小万を連れて浪花へ帰ったようだ。
   「弥太八さん、小万さんをうまく説得したのかな?」
 
 辰吉は、彦根の又八の家に行った。家の中には、お蔦の母親が留守番をしていた。
   「辰吉さん、その節は又八とお蔦を助けてくだすって、本当に有難うございました」
   「その後、みなさんお元気ですか?」
   「はい、おかげ様で元気にしております」
   「お蔦さんは、何処かへお出かけですか」
   「はい、お蔦のもと許嫁、伝六のところへ又八に付き添われて行っております」
 辰吉は驚いた。お蔦は三太と言い交わしたはずである。
   「お蔦さんと伝六は、よりが戻ったのですか?」
   「はい、又八が盗人でなかったと分かり、伝六の両親が許してくれました」
   「では、三太の兄貴との婚約はどうするのですか」
   「三太さんには申し訳ないと、お蔦も泣いておりましたが、伝六とはもともと惚れ合っていた二人ですから、お蔦も伝六の家に嫁ぎたいと申しまして」
   「三太の兄貴は、怒るかも知れませんよ」
   「重々に謝って、頂戴した十両をお返しする積りでおります」
   「兄貴は執念深い男でも、女々しい男でもありませんが、あまりにも兄貴が可哀想ではありませんか、帰って俺は兄貴に何と言えばいいのです?」
   「又八が、浪花の三太さんを訪ねて、命がけで謝ると言っています」
   「それは何ですか? 兄貴が怒って又八を殺すとでも言うのですか」
   「又八は、それほど覚悟を決めているのです」

 又八の父親が野良仕事から戻って来たが、又八とお蔦は帰って来ない。戻ってくれば、辰吉は又八を連れて浪花へ戻ろうと思ったが、どうやら姉弟は伝六の家に泊まるらしい。とうとう日が暮れてしまったので、老夫婦に別れを告げて辰吉は帰ることにした。
   「チッ、三太兄貴、振られてやんの、一目惚れなんかするからいけないのだ」
   『まあ、そう言いなさんな、三太はあれでウブなのだから』
 守護霊新三郎が辰吉に呼びかけた。
   「兄貴にどう言えば良いのだろう」
   『又八が三太に謝りに行くというのだから、辰吉は黙っていればいい』
   「はい」
   『はい、だって、辰吉も素直になっちゃって』
   「素直にもなるさ、気が滅入っているもの」

 日が落ちて暗くなって来たので、旅籠をとった。翌朝、旅籠を出て暫く歩くと、街道で又八が待っていた。
   「親分、済まねえ、朝早く帰って来ると、辰吉親分が来てくれたと言うじゃねぇか、ビックリして飛び出して来たのだ」
   「お蔦さんはどうした」
   「姉貴も一緒に親分を追いかけると言うのを、姉さんが一緒なら追いつけないと言って留まらせた」
   「ふーん、三太の兄貴に済まないと思っているのか」
   「姉貴も辛ぇのだよ」
   「それで、このまま浪花まで行くのか?」
   「三太さんに頂戴した十両、手を付けずに置いてあったのだ、せめてこれをお返しする」
   「後は?」
   「おいらが小指でも詰めて、お詫びするつもりだ」
   「お前は馬鹿か、兄貴は堅気だよ、そんなおとしまえの着け方で納得しねぇ」
   「じゃあ、死んでお詫びするか」
   「お前は阿呆か、それで兄貴の気が済むと思うのか」
   「思わねぇ、だけど姉貴と伝六を一緒にしてやりたいのだ、おいらはどうすればいいのだ」
   「お前は三太兄貴のところへ行って金を返し、お蔦姉さんを許してやってくださいと詫びを入れたら、国へ帰って両親を護ってやれ」
   「へい、両親を安心させてやります」
   「いずれ伝六の両親は、お蔦姉さんを追い出すだろう」
   「何でそんなことが分かるのです?」
   「伝六は親の言う儘で、自分の信念を貫けない男だ、と言うよりも自分の意見がないのだろう」
   「だから?」
   「人間なんて、完璧ではない、親たちはお蔦さんのアラを見つけて、こんな嫁はだめだ、追い出そうと言う」
   「ふーん」
   「その時、好いて一緒になった夫婦なら、嫁を庇って親に立ち向う」
   「うん」
   「伝六は、親の言うままに従う男だ、この夫婦はどうなると思う?」
   「わからない」
   「お前はボケか、別れさせられるに決っているだろう」
   「そんな、馬鹿だの、阿呆だの、ボケだのと、言い草を変えないでくださいよ、辰吉親分の思い過ごしだと思うけどな」
   「スカタン、何が思い過ごしだ」
   「それで姉が帰されたら?」
   「お前はヌケサクか、お前が伝六の家に殴りこみをかけるなり、伝六をたたき斬るなり、お蔦さんの仇を取らねばならないだろう」
   「おいらにそんなことは出来ねぇ」
 とにかく、このまま二人は浪花に向かうことにした。


 辰吉は又八と共に、浪花は道修町、福島屋の店に帰ってきた。
   「お父っつぁん、だだいま、辰吉戻りました」
 何度か叫んで、漸く男が出てきた。
   「誰や? 辰吉さんなんて、そんな人は知りまへんなぁ」
 以前に祖父に会いに来たとき、顔をみた気がするのだが、そのときの番頭なら自分を覚えている筈である。
   「お前さんこそ誰だ?」
   「この店の番頭だす」
   「それなら俺の顔覚えている筈だが」
   「覚えがおまへん」
   「善兵衛お爺ちゃんは居ますか」
   「さあ?」
   「この店の主人、圭太郎おじさんは?」
   「うちの旦那様は、そんな名前やおまへんけど」
 又八が疑いだした。
   「本当に辰吉親分のお父っつぁんが居る店ですか?」
   「そうや、おっ母も、弟も妹も居るはずだが」
 辰吉は店の外に出て、看板をたしかめた。ちゃんと「雑貨商福島屋」と、上がっている。
   「俺は三百年も旅をしていた訳ではないぞ、何がどうなっているのだ」
 浦島太郎状態の辰吉であった。
 

 「第二十七回 旅のおわり」(終) -最終回へ続く- (原稿用紙15枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

   猫爺の連続小説 終了 (この他に、掌編・短編集も投稿しています。)



猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十六回 辰吉、戻り旅

2015-07-10 | 長編小説
 三太は奉公する相模屋長兵衛の店に、荷車を牽いて戻って来た。
   「旦那様、ただいま戻りました」
   「ああ、三太か、ご苦労やった」
   「へえ、銀一千両、師匠の亥之吉旦那が取り返してくれました」
   「そうか、良かった、良かった、そのうちの二百両は、お前の暖簾分け資金や」
 三太自体は、相模屋に奉公した期間は短く、暖簾分けをするには十年は早いのだが、長兵衛は三太の兄、定吉が奉公をしてくれた期間を加えて考えていたのだ。定吉は、無実の罪で処刑になったのだが、無実を信じてやれなかった自分の落度も払拭しきれないものであった。

 相模屋長兵衛は、道修町の雑貨商福島屋の暖簾を潜った。
   「お邪魔しますのやが、亥之吉さんはおいでになりますかな?」
 丁度、買い物に出掛けようとしていた亥之吉の女房お絹が店先に出てきた。
   「まあ、相模屋の旦那さま、この度はとんでもない被害に遭われたそうで、心を痛めていたところです」
   「おや、亥之吉さんからその後のことは聞いていなさらんかな?」
   「まだ続きがおますのか?」
   「被害に遭ったお金を、亥之吉さんが取り返してくれましたのや」
   「そうですか、それは宜しゅうございました、うちの人、何も教えてくれへんのですよ」
   「辰吉坊っちゃんも、活躍してくれたそうです」
   「まあ、あの風来坊が?」
   「いやいや、辰吉坊っちゃんの武勇伝は、いろいろ三太から聞いておりまっせ」
   「済みません、三太に面倒みて貰ったようで」
   「ところで、ご在宅かな?」
   「それが、自分の父親くらいのお人を、国まで送って行くのだと今朝出立しました」
   「お父っつぁんの亥之吉さんは?」
   「同じく風来坊で、朝からどこへいったのやら…」
   「そうですか、それでは出直してきます」
   「どのようなご用件でしたか」
   「お礼を言おうと思いまして」
   「それでしたら、態々足を運んで貰わんかて、わたいから伝えておきます」
   「それと、この度三太に暖簾分けしようかと思い立ちまして、よい知恵がありましたら三太に貸してやってください」
   「喜んで張り切ってますやろな、三太はうちにも奉公して貰ったのやから、知恵ばかりではなく、援助もさせて貰いまっせ」
   「いやいや、三太ばかりでなく、兄の定吉の分もありますので、どうぞお心使いくださいませんように」


 それから数日後、伊勢の国は関の弥太八と江戸の辰吉は、小万の住処を訪ねていが、建物は荒れ果てて、人が済んでいる気配はなかった。
   「そうか、姐さんは京の飯盛旅籠で働かせて貰い、弥太八のことを知っている客を探すのだと言っていたが、まだ関には帰っていなかったのだ」
   「飯盛旅籠かい?」
   「嫌なのか、汚らわしいと思っているのか?」
   「いや、そんなに辛い思いをしていたのかと思ったら、泣けてきやがったのさ」

 二人は、京の飯盛旅籠を尋ねて歩いた。
   「伊勢は関の出で、小万という女を探しているのだが」
   「さあ? うちには居てはらしませんなぁ」
   「そうですか、お手をお止めしまして申し訳ありませんでした」

 二人で何軒か回って、漸く行き当たった。
   「へえ、関の小万さんなら、うちにいてはります」
   「よかった、すぐに会わせて貰えますか」
   「へえ、呼んできます、待っておくんなはれや」
 弥太八が隠れた。悪戯ではなく、合わす顔がなかったのだろう。
   「おや、江戸の辰吉さんではありませんか、弥太八が見つかりましたか」
   「それが…」
 小万の顔が曇った。
   「死んでいたのですか、それなら遺品の一つでも有りましたか?」
   「それが…」
   「何だい、焦れったい、あったのかい、無かったのかい」
 小万は取り乱したが、気付いて「ごめん」と、一言。俯いて涙を零した。
   「それが…」
   「もういいよ、おしえに来てくれて有難うね、辰吉さん」
 その時、入り口の外から男の声がした。
   「小万、ごめんよ、俺だ、弥太八だ」
 小万は、呆然としている。何が起こっているのか、思考が停止してしまったようだ。
   「放っといてごめんよ、俺はまた小万が仕合せに暮らしているとばかり思っていたのだ」
 小万は弥太八の胸に縋って、辺り構わずに泣いた。暫く泣いて、漸く気付いて泣くのを止め、弥太八から離れた。
   「生きていて良かった、逢いに来てくれてありがとうよ、これでもう思い残すことも無い、あたしゃ一人で関へ帰るよ」
   「小万、待ってくれ、小万の家は荒れ果てて、もう人が住める状態ではなかったぜ」
   「そうかい、見に行ってくれたのかい、済まなかったねぇ、いいのだよ、女一人くらい、筵で囲ってでも生きていけるさ」
   「小万、俺は今堅気になって、大坂の酒店で働いているのだ、何れは俺も旦那と呼ばれるような男になる、お店の人は小万を連れてきて祝言を挙げろと言ってくれたのだ」
   「だめだよ、今のわたいは弥太八さんと別れた時のわたいではない、体の芯から汚れちまっているよ」
   「それがどうした、汚れは俺が綺麗に洗ってやる」
   「洗って綺麗になるなら、苦労はしないよ、洗っても、洗っても落ちない汚れだってあるのさ」
 小万は、「ちょっと待っておくれ」と、奥に入ると、紙入れを持って出てきた。
   「ここに小判で十二両ある、お前さんが訪ねて来て、落ちぶれていたら渡してやろう、もし死んでいたら遺品を持って帰り、お墓のひとつも立ててやろうと貯めておいたのさ」
 小万は、弥太八の懐へ紙入れをねじ込んだ。
   「これは、お前が店を持ったときの祝儀だよ、看板代の足(た)しにでもしておくれ」
 小万はそれだけ言うと、袂で涙を拭きながら奥へ消えた。
   「小万、待ってくれ、俺はお前を迎えに来たのだ」
 小万と入れ替わりに、宿の女将が出てきた。
   「ごめんなさいよ、裏口から逃げちまった、あんな我儘な女ではなかったのだけどね、代わりにもっと若い娘にお相手をさせるので、堪忍してくださいな」
   「要らない、俺は小万の亭主なのだ、遊びに来たのではない」
 弥太八と辰吉は旅籠を飛び出して裏口に回ったが、どこに隠れたのか、小万の姿は無かった。
   「きっと、関へ戻る積りだろう、俺も関へ行く、なに俺が先回りすることになっても、あのボロ家で隠れて待っていてやるさ、小万は筵で囲ってでも生きていけると言ったのだ、必ずあの家に戻ってくる」
 弥太八は、辰吉に頭を下げた。
   「俺は喧嘩の上、人を死なせてしまったので関には住めないのだ、小万を見付けたら大坂へもどる、何時になるかわからないので、俺より先に大坂へ戻ったら、店の番頭さんに伝えてくれ」
   「そうか、わかった、俺が全部用を終えたら、帰りに関へ覗きにいきますぜ、もしその時弥太八さんがやくざに戻っていたら、俺はお前さんを番所に突き出してやる、いいか覚えておけよ」
   「俺がまだ小万を掴まえられていなかったら?」
   「俺も弥太八さんと共に、小万姐さんを探すさ」
 辰吉は、親父の店のことなど眼中になく、本気で探す積りである。
   「いつか俺が弥太八さんと小万さんの祝言を挙げてやる」
   「そうかい、有難う、何だか倅に言われているようで、泣けてくるよ」
   「弥太八さん、涙脆いのだねぇ」
   「歳の所為でしょうかねぇ」

 もう一度弥太八に付いて関へ行くという辰吉だったが、「俺は大丈夫だ」と言う弥太八と別れて、辰吉は信州に向かった。
   「あいつ、小万さんに貰った金を、博打で使い果たすのではないか」
 辰吉は、ちょっと心配であった。小万姐さんが命を賭けて作った金だ。もしそんなことになっていたら、あいつの両腕の骨を折って、博打が出来ないようにしてやると、真剣に考えている辰吉である。

 それから何日か経って、辰吉は信州の緒方三太郎の診療院の門を叩いた。
   「あ、江戸の辰吉さんでしたか」
 出てきたのは、若い医者の三四郎であった。
   「才太郎の様子を見に来ました」
   「才太郎は元気ですよ、もう殆ど治っているので、よく我らの手伝いをしてくれます」
   「よかった、そろそろ大坂へ連れていけますか?」
   「えっ、大坂へ連れて行くのですか?」
   「はい、俺の親父の店で商いを憶えさせ、立派な商人にしてやります」
   「本人がそう言ったのですか?」
   「はい、才太郎もその積りでいるでしょう」
 三四郎医師は、才太郎を呼び寄せた。
   「江戸の辰吉さんだ、おいらの命を助けてくれて、有難うございました、もう大丈夫です」
   「そうかい、それは良かったなぁ、もうすぐ、大坂へ行けるぞ」
   「大坂へ行くのですか?」
   「当たり前だろう、大坂へ行って立派な商人になるのだ」
   「いえ、おいらはここに居て、三四郎先生や、佐助先生のような立派な医者になります」
   「おいおい、才太郎は俺を裏切るのか?」
   「そんな、裏切るなんて…」
 三四郎が才太郎に口添えした。
   「才太郎はここへ来て、医者の素晴らしさを知ったのだそうです」
   「だから?」
   「痛い思いをして、苦しんでここへ来たとたんに、医者の治療で痛みも苦しみも和らぎ、感動したのだそうです」
   「それで、自分も医者になりたいと…」
   「はい」才太郎は、きっぱりと返事した。
   「そうか、本人がその気なら仕方がないな」
   「許してやってくれますか?」三四郎が済まなさそうに言った。
   「許すも何も、本人の意志を尊重するしかありませんよ」
   「有難う御座います、才太郎も謝りなさい」
   「申し訳ありません」
   「あはは、ここへ預けたのは間違いだったかな」
   「はい、間違いでした」
 才太郎が余計なことを言うので、三四郎が咎めた。
   「これっ、何てことを言うのです」
   「いいのですよ、才太郎が仕合せになれたらそれで俺は…」

 この後、辰吉は三太郎先生に挨拶をして帰ろうと思ったが、生憎三太郎先生は上田城に出掛けていて留守だと言う。
   「今夜はここに泊まって、先生に会って行かれてはどうです」
 と、止める三四郎に、
   「この後、卯之吉おじさんと、小諸藩士の山村堅太郎さんの弟、斗真さんに会って大坂へ帰ります」
 辰吉はそう言って、診療院を辞した。

斗真の店は、小さいながら繁盛している様子だった。
   「若旦那、また信州へ来たのですか」
   「そんな、煩そうに言わないでよ」
   「そうじゃなくて、旦那様は大坂で奔走している最中でしょ、若旦那もお父さんを助けてあげなきゃいけません」
   「親父は、俺なんか宛にしていない」
   「そんなことあるものですか、猫の手も借りたいと思っていらっしゃいますよ」
   「俺は猫か?」

 そんな遣り取りをしていると、奥から卯之吉の妹お宇佐が出てきた。
   「まあ、辰吉さん、また来たの」
   「三太郎先生のところへ来たから、ご機嫌伺いに寄ったのに、何だよ、二人でまたまたと」
   「あら、ごめん、そんな積りで言ったのではないのよ」
   「じゃあ、どんな積りで言ったの」
   「浪速と小諸は近くないのよ、そう行ったり来たりしていては、いくら若い辰吉さんでも、疲れが溜まるでしょうに」
   「俺は、爺じゃないよ」
   「そう?」
   「それより何だい、夫がお勤めをしている時間に、弟と浮気なんかして」
   「まっ、人聞きの悪い、夫の山村堅太郎に頼まれて、お手伝いに来ているのよ」

 この前、辰吉が小諸の山村の屋敷に来た時に見かけた、堅太郎の長男が出てきて、辰吉に挨拶をした。
   「山村堅太郎の長男堅一郎です」
   「斗真さんがもと働いてくれていた江戸は京橋銀座の福島屋亥之吉の長男、辰吉といいます、今後ちょいちょい顔を出しますので、宜しくお頼み申します」
   「おじさんが言っていました、辰吉さんは棒術の達人だそうですね」
   「いや、それ程でも…、あります」
 斗真が思い出したように、辰吉に尋ねた。
   「三太さんはお元気ですか?」
   「滅茶苦茶元気です、三太兄ぃは、俺の棒術の師匠です」辰吉は、堅一郎に言った。
   「博打に強くて、お化けが怖い、チビ三太さんでしょ」
   「ははは、斗真さんが教えたのですね」
   「いえ、父です」

 山村の屋敷に泊まって行けというお宇佐の誘いを断り、辰吉は中山道にとって返し、三太の許嫁、彦根のお蔦ちゃんに会って様子伺いをし、東海道に出ると江戸方面に向かい、関の小万の住処を覗いて大坂へ戻るつもりである。
   「旅は、これっきりにしようか」
 ぽつりと、幽霊の中乗り新三に話しかける辰吉であった。
   『さあ、どうかな?』

  「第二十六回 辰吉、戻り旅   -続く-  (原稿用紙17枚)

   「第二十七回 執筆中」

   「第一回 坊っちゃん鴉」へ戻る

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十五回 足を洗った関の弥太八

2015-06-19 | 長編小説
 亥之吉父子は、灘郷の代官所にやってきた。開いている門を潜ると、すぐに二人の門番が亥之吉たちの前に立ちはだかった。
   「済んまへん、お代官に会わせて貰えまへんやろか?」
 亥之吉は腰を屈めて下手に出た。
   「何の用だ」
   「この度お縄になった勝蔵さんたち三人のことで、お耳に入れたいことがありまして」
   「お前達の名は?」
   「大坂の商人、福島屋亥之吉と、その倅、辰吉で御座います」
   「暫くここで待て」
   「へえ、待たせて頂きます」
 一人の門番が屋敷内に入って行ったが、時経ずして戻ってきた。
   「お代官は会われるそうだ、付いて来い」
   「ご足労をお掛け致します」
 お代官は、門番程も偉ぶることもなく、ただの好々爺然として亥之吉父子を迎えた。
   「儂の耳に入れたいこととは、どのようなことですかな」
   「勝蔵、作造、文吉の三人は無実です」
   「ほう、実は儂も密告があり三人を捕らえたものの、どうしたものかと考えていたところだ」
 亥之吉は、何者かに造り酒屋「横綱酒造」を乗っ取られようとしていること、その為に勝蔵、作造、彼等を助けてきた文吉を罪に陥れて亡き者にしようと企んでいることなどを、具(つぶさ)に申しのべた。
 また、大坂で起きた相模屋での千両詐取事件、大坂の酒店主を詐欺に巻き込み、金を奪い絞め殺し、自殺に見せかけて死体を天井から吊るした一件、さらに酒店から詐取した銀貨とともに、店の金を奪って隠した件など、その繋がりを説明した。
   「酒店の店主は、自殺とされていますが、自殺でない証拠があります」
 亥之吉は、天井の梁に残された、店主が首を括ったであろうとされている縄に付いた血痕の訳も話した。
   「首を締めた縄を使って、天井に吊るしたのだな」
   「左様で御座います、相模屋で奪った銀も、酒店から奪った銀も、灘郷に持ち込まず、古店舗のどこかに隠しているのに違い有りません」
   「では、勝蔵の家から見つかった銀も、文吉の家から見つかった銀も、こちらで犯人が用意したものなのか?」
   「その通りだと考えます」
   「わかった、では大坂の奉行所に使者を送って、まず酒店の家探しをして貰おう」
   「あの店舗は、わたいが買うことにして手付(てつけ)を打っていますさかいに、存分に家探しをして貰ってください」
 一つ、亥之吉の推理を付け加えた。
   「古店舗の蔵に、幽霊が出ると噂を振りまいた者が居ます」
それは取りも直さず人々を蔵から遠ざけ、古店舗が売れないようにと考えた犯人の策だと考える。即ち、詐取した千両と、この酒店から奪った何某かの大金は、この蔵のどこかに隠されているに違いない。店主が蔵の床下か、壁に仕掛けを作っていたに違いないから、念入りに調べるように伝えてほしいと申し添えた。
   「それから、お代官さま、補えられている勝蔵たちは拷問をしないで欲しいのです」
   「すぐに解き放つことは出来ないが、そなたの証言に納得したから拷問はするまい」
   「有難うございます」
 偽装でよいので、捕らえた三人は唐丸籠で大坂の奉行所に連行されて、数日後にお仕置きになったと横綱酒造の人達に伝えてほしいと、これは真犯人を炙り出す手段になるので「是非お願いします」と代官に願い出ると、快諾してくれた。

 亥之吉父子が灘郷に逗留して四日後、大坂の奉行所より与力が一騎、馬で駆けつけてくれた。
   「亥之吉どの、相変わらずのお手柄でござるな」与力は、亥之吉の顔を憶えていたらしい。
 やはり亥之吉の推察どおり、蔵の床下が寄せ木細工様の造りになっていて、破壊して開けると二千二百五十両の銀が出てきたそうである。

 勝蔵の女房の家には、与力が亭主の処刑を直々に伝えに行くことになった。

   「勝蔵の女房であるか?」
   「はい、左様にございます」
   「伝え申す、勝蔵、作造、その他一名の者は酒店主を殺害し、有り金を強奪したとして大坂の奉行所にて処刑された」
 女房は、「わっ」と泣き崩れた。与力はそれだけ伝えると、さっさと立ち去った。その後に、のこのこと亥之吉父子がやって来て、悔みを伝えた。
   「大船に乗ったつもりで安心して待ちなさいと言ったではありませんか」
 女房は、亥之吉に向かって、恨み辛みをぶつけ、表にまで聞こえるくらいに号泣した。
   「この嘘つき、帰れ!」
 壁や襖に、ものをぶつける音が響いた。
   「力が及ばずに、すんまへんでした」
 亥之吉の謝る声が、虚しく響いていた。

 亥之吉父子は、早々に引き揚げて行った。
   「ああ、偉い目遭った、女将さんには、返す言葉もなかったなぁ」
   「女将さんだけには、本当のことを伝えてあげたかった」
   「敵を欺くには、まず味方からと言いますやろ」
 辰吉は、居た堪れない気持ちでいっぱいだった。

 女房のところから引き上げると、亥之吉父子は、横綱酒造に立ち寄り、自分たちの力が及ばなかったことを詫び、今夜一晩灘郷の旅籠に泊まり、明日大坂に帰ると伝えて早々に横綱酒造を辞した。その後、番頭の鬼助とその息子の助八も、慰めるべく勝蔵の女房のもとへやって来た。

 その夜、勝蔵の女房が泣き疲れて意識が遠のく頃、女房の部屋の襖がスーッと開いた。そこには、悲しみの余りに眠れなかったのか座卓に寄り掛かり、子供を抱いて夜中の冷えを凌ぐためか布団代わりに一衣の着物を頭から掛けて肩を震わせていた。夫が恋しいのであろう、偲び泣いているのだ。
   「女将さん、大丈夫ですかい」
 ピクリと反応をしたが、夢とでも思ったらしく、またウトウトとしているようであった。
   「女将さんには気の毒ですが、お子さんと共に首を括って頂きますぜ」
 女房は、散々泣き過ぎて、声も出なくなっているようだった。男が近付くと、女房は座卓から離れて、壁際まで逃げようと後じさりをした。
   「お子さんと一緒に、旦那さんのもとに送ってやろうと言っているのだ、有り難く思いなせえよ」
 男の手に、腰紐が握られていた。
   「ちょっと苦しいが、直ぐに楽になりますぜ」
 男が女房の首に腰紐を巻きつけようとしたが、跳ね除けられてしまった。
   「なんでえ、力が強い女だなぁ」
 女房は、すっくと立ち上がった。抱いていた座布団をポンと男に投げつけると、手には壁際に寝かせて置いてあった六尺棒が握られた。
   「あはは、生憎だったなぁ、助八」
   「えっ?」
   「与力さま、お聞きになりましたか?」
 隣部屋の襖が開いて、大坂から来た与力が飛び出して来た。その後ろには、女房と亥之吉が控えている。
   「おう、確かに聞いた、聞いた」
 流石に与力である。応えるか早いか、男の腕をねじあげていた。女房は、何時の間にか辰吉と入れ替わっていたのだ。

 助八は、大坂の与力に引っ立てられて代官所に向かったが、亥之吉も証言者として代官に説明して貰いたいことがあると言う与力に同行した。

 二刻(四時間)ばかり後に、亥之吉は辰吉が待っている勝蔵の住まいに戻ってきた。助八は与力と亥之吉の証言により、他に仲間が居ないか、無職の助八が勝蔵と文吉の住まいに隠したそれぞれ二百五十両の出処に不信な点はないかと調べあげた上に、灘郷の代官所で裁かれることとなった。

   「やあ、女将さん、待たせて申し訳なかった、勝蔵さんは約束どおり罪が晴れて解き放されましたで」
   「それで、勝蔵は今何処に?」
   「安心しなはれ、二人の役人と作造さん、文吉さんと共に、横綱酒造へ行きました、番頭の鬼助も連行されて、共犯者としてお取り調べを受けるようです」
 勝蔵の女房は、張り詰めていた気持ちが、一気に解れたかのように、今度は喜びで号泣した。
   「勝蔵さんがお仕置きになったなんて、驚かしてすんまへんでしたな」
   「あの時は、亥之吉さんを心から恨みました」
   「犯人の助八が、庭に隠れて様子を伺っていると思いましたので、女将さんにも打ち明けずにいましたのや」
   「与力さまも、いけしゃあしゃあと嘘をついたのですね」
   「その御蔭で犯人は助八だと確証がとれたのですから、堪忍してください」
   「義弟の作造さんも、文助さんも、お解き放ちになったのですね」
   「勿論です、やがて三人揃って、ここへ来るでしょう」
 勝蔵、作造の兄弟が横綱酒造へ戻り、父親の遺言の真偽について話し合ったが、兄弟が憎しみ合っているように見せる目的で作られた偽物であっても、また母親が本妻であろうと妾であろうと、兄は兄、弟は弟だとの作造の主張で、勝蔵は元の横綱酒造の主(あるじ)に収まり、作造は文助と共に現在勤めている造り酒屋へ戻っていった。

 亥之吉は、主が殺された大坂の酒店の未亡人の実家へ行き、奪われた千二百五十両を取り返したことを伝え、一時、亥之吉が買い取るとした、犯人の助八によって幽霊がでると噂を流された古店舗を戻してやり、商いを再開することを薦めた。幸いなことに、元の使用者たちが他の店に移らずに居てくれたので、全員呼び寄せることにした。中でも番頭格の中年の男は、殺された店主の叔父にあたり、開業当時から若い店主の右腕となり、店の屋台骨をしっかり支えてきた男だという。
   「頼れる人ですね、これからもこの店を支えてくれるでしょう」
   「はい、夫の父親のような存在でした」
   「そんな方が居るのに、何故、詐欺にかかったのですやろ」
   「随分忠告をしてくれましたが、一旦詐欺師の言葉を信用してしまうと、周りの者の忠告など、聞く耳を持たなくなるものです」
   「成程、そのようですね、わいも気をつけないと、騙されるかもしれまへん」
 他に、伊勢の国は関の生まれで弥太八と言う、元はやくざだが忠義者で、骨身(ほねみ)を惜しまずに働いてくれる男が居たのだが、この店を閉めるとき国へ帰ると言っていた男が居たそうである。
   「えっ、関の弥太八?」
 辰吉が反応した。
   「へえ、弥太八とどこかで会われましたか?」
   「会ってはいないが、その男左耳の下に、大豆粒ほどの黒痣がありませんでしたか?」
   「そうそう、うちの弥太八ですわ」
 辰吉は、関の小万姐さんに「見つけてやる」と、約束していたのだ。
   「弥太八は、もうここへ来ませんか?」
   「いえ、夫が死んだ後の賃銀を受け取りに、もう一度来る筈です」
   「そうですか、では使用人の方々を呼び寄せるお手伝いをさせて頂けませんか?」
   「それでしたら、叔父に連絡をとれば、皆に知らせてくれるのですよ」
   「そうでしたか、では俺はお店の方で待たせて貰います」

 店では先に戻った与力が、蔵で見つかった二千二百五十両を、一旦奉行所預かりにしようかと思案中であった。亥之吉は蔵で見つかった丁銀のうち、相模屋長兵衛の被害分千両と、この酒店が奪われたのが千二百五十両なので、それぞれに返してやって欲しいと申し出た。
 与力の裁定で、亥之吉の申し出が認められ、急遽女房ほか使用人が集められ、金蔵は真新しい錠が掛けられた。
   「関出身の弥太八さんはどのお方人ですか?」
 辰吉が叫ぶと、三十歳そこそこの屈強そうな男が名乗り出た。
   「お前さん、関に女房を残して、どういう積りだい」
   「女房? 俺は独り者だが…」
   「関の小万(おまん)姐さんのことだよ」
   「ああ小万か、そう言えば、小万と暮らしたことがあったなぁ」
   「女房でなくとも、女房同然の女だろ」
   「そうだなぁ、一時はそんな気分になったが、その頃の俺はやくざだったから、粋がって『とかくやくざは苦労の種だぜ、堅気の亭主を持ちな』と、振りきって旅に出たのだが」
 旅に病み、野垂れ死に寸前にこの店の番頭さんに救われて、用心棒代わりに使って貰えるよう、亡くなった旦那に口添えしてくれたのだ。
   「弥太八さん、一度関に戻ったらどうだ」
   「小万は、おれを待っているのか?」
   「そうなのだ、俺は旅の途中でお前さんを探して旅をする小万姐さんと会って、あんたを探してやると約束したのだ」
   「そうか、待っていたのか」
 弥太八を救ったという番頭が、弥太八の肩を叩いた。
   「帰ってやりな、そして二人でここへ来で夫婦になればいい」
   「そうだよ、弥太八さんは足を洗って立派な堅気になったのだ、胸を張って帰って来なせえよ」
   「へい、そうさせて貰おうか…」
   「何なら、俺が付いていってやろうか?」
 黙って聞いていた亥之吉が慌てた。
   「これ辰吉、お前もええかげんに腰を据えなされ」
   「だけど、弥太八さんを放っておいたら、小万姐さんの顔を見るのが恐くなって、一人で戻ってくるかもしれないぜ」
 弥太八も、その危惧を認めた。また、小万が別の男と一緒になり、仕合せに暮らしているなら、会わずに戻ってくるだろうとも言った。
   「しゃあないなぁ、福島屋亥之吉は今が正念場や、大坂に福島屋百貨店を建てようとしている親父をほったらかして、後継者のお前は浮かれ旅を楽しもうと言うのか」
   「小万さんと弥太八さんのことも心配だが、緒方三太郎先生に預けた越後獅子の才太郎が心配なのだ」
   「何や、伊勢だけでなく、信州まで行くのか?」
   「それから…」
   「まだ行く所があるのかいな」
   「三太兄ぃが、嫁にするのやと手付を打っている女の気が変わっていないか見てくる」
   「三太の? あのスケベ、手付やなんて何をするのや」
   「誰がスケベやねん」
 入り口外に相模屋の三太が荷車を用意して立っていた。
   「それに辰吉坊ちゃん、お蔦の気が変わってないかやと、そんなことあるかいな、今頃わいが迎えに来るのを今か今かと、首を長くして待っているわい」
   「ろくろ首みたいにか?」
   「こわっ」
 いまだにチビ三太の頃と同じく、お化けに弱い三太であった

  「第二十五回 足を洗った関の弥太八」   -続く-  (原稿用紙19枚)

   「第二十六回 辰吉、戻り旅」へ進む

    「第一回 坊っちゃん鴉」へ戻る

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十四回 見えてきた犯人像

2015-06-16 | 長編小説
 大坂の鷹塾近くにあった酒店の店主が首を括り、空きになった店舗がたった五十両で売りに出ていた。亥之吉の見たところでは、三百両の価値はあるが、心ない噂のために五十両でも売れない状況であった。
 この古店舗に目をつけた亥之吉は、死んだ店主の妻の実家に足を運んだ。店主は詐欺に引っかかり、全財産を無くして悲嘆に暮れて首を括ったのだという。
 女房から話を訊いてみると、亭主が騙し取られた金額は、合計すると二百五十両だそうである。亥之吉は首を捻った。使用人を何人か使っていたこれだけのお店で、二百五十両ばかりの穴を開けて、それが全財産だったとは思い難い。例えそうであったにせよ、店舗だけでも三百両の価値はある。この店舗を担保に金を借りても商いは続けていける。
 本当に店主は自分で死を選んだのであろうか。首を括ったとされる店舗の蔵の梁に、それに使ったのであろう縄の両端が切れて梁にぶら下がっていたのはなぜだろう。普通、死体を下ろそうとすると、縄の一方だけを切れば、反対側の一方を引っ張るだけで縄はするりと死体に付いて一緒に外れ、梁には残らない筈である。もう一つ謎がある。縄の両方を切って死体を下ろしたとして、梁に残った縄に僅かな血が付着いていたのは何故なのだろう。苦し紛れに首を引っ掻いて血が付たなら、巻き付いた首の部分の筈だ
   「はい、主人は五百両と言っておりましたが、言われてみれば、詐欺に遭ったのは二百五十両ですね」
   「それがお店の運用資金だったとして、他に蓄えが有った筈です」
   「主人が全部管理していましたもので額は知りませんが、確かに有りました」
   「それが、すっかり消えてしもうたのが気になりますね」
 亥之吉が推理したこの先を、この妻に言うべきかどうか迷ったが、どうしても聞かねばならないことがあった。
   「ところで、つかぬことをお伺いしますが…」
   「はい、どうぞ」
   「ご主人は左眉毛の上に、ゴマ粒大の黒子が有りましたか?」
   「はい、御座いました」
   「眉は濃く、目は切れ長で、お若いのに目尻に深い皺が有りましたね」
   「その通りに御座います、どこかで会われたのですか?」
   「いえ、お店のご近所の方々がそんなお噂をしていたもので…」
 近所の人がそんな噂をする筈がない。相模屋長兵衛が言っていた詐欺師の容貌である。

 亥之吉は、一旦福島屋に戻り、隠居の善兵衛、義兄で旦那の圭太郎、辰吉と相模屋の三太を呼び、亥之吉が調べた事の次第を説明した。相模屋の他に被害に遭った小売酒屋の店主の容貌が、相模屋長兵衛の遭った詐欺師に似ていること、この店主は、殺された可能性が高いこと。詐欺で盗られた金額の他に存在したと思われる財産が消えていること。この店主の陰に、もう一人乃至二人の人物が見え隠れしていることなどから、亥之吉が組み立てた仮想を皆に聞いて貰った。

   「まだ不確かだが」と、前置きをして、亥之吉はこう想定したと言う。
 この店主は、ある人物に煽られて「米相場」に手を出した。一度目、二度目と大儲けをしたのに欲を深め、儲けた分の倍額を投じ、それが詐欺であったと気付く。この店主の女房は、詐欺師が姿を消したと亭主から聞かされたが、実は損をした分を詐欺で取り戻そうと詐欺師に誘われたのだ。
 店主は詐欺師に言われた通り、造り酒屋「横綱酒造」の店主源蔵を騙り相模屋長兵衛を訪ねて横綱酒造が倒産寸前であると告げた。助けて貰えたら、「清酒横綱盛」の販売権を全て相模屋に託すと持ちかけられた。
 あの銘酒、灘の生一本「横綱盛」の販売権が手に入れば、大儲けが出来ると、相模屋長兵衛もまた欲を抑えられなかった。
   「三太ごめん、これは仮定だから」と、亥之吉は三太に謝って話を続けた。
 相模屋長兵衛は、横綱盛の創業者とそれを引き継いだ次男作造の顔は知っていたが、創業者亡き後、その遺言により店主となった源蔵の顔は知らなかった為に、詐欺に引っ掛かってしまった。では、真犯人は現店主の源蔵なのか、現番頭の鬼助か、あっさり父親の遺言に従った作造なのか、作造と共に横綱酒造を辞めた元番頭の文吉か、それとも今まで全く亥之吉たちに姿を見せない別人なのか。
   「ここは、四人を揺さぶって犯人の出方を観察する必要がおます」
 もう、三太に協力は望めない。相模屋での仕事があるからだ。亥之吉と辰吉父子で、もう一度灘郷へ行ってみると提案した。
   「ははは、暇父子の大詰め舞台やな」
   「父子だけではおまへん、もう一人強い味方が居りますのや」
   「そやなぁ、犯人は一人殺しているのや、二人きりでは危ないわ」
 福島屋の隠居、善兵衛は、役人と一緒に行くのだと思って言ったが、それはもっと後のことで、亥之吉は辰吉を護っている守護霊新三郎のことを言ったのだ。


 亥之吉父子は、灘の横綱酒造に乗り込んだが、今はそれどころでは無いと、追い払われてしまった。手代らしき少年を掴まえて話を訊いてみると、
   「主人の源蔵が、役人に引っ張られた」と、べそをかきかき言った。
   「何の疑いです?」
   「へえ、人を殺して二十貫目の丁銀を奪い、その内の十貫(二百五十両相当)が旦那様の私邸の庭に隠してあったのやそうだす」
   「誰を殺したのや?」
   「分かりまへんが、誰かが訴えたそうだす」
 もっと話を聞こうとしたが、「軽はずみなことを言うでない」と、少年は番頭に耳を引っ張られて、奥へ連れていかれた。
   「訴えたのは、あの死んだ酒屋の店主の女房やろか?」
 父子は、仕方がないので、作造が勤める造り酒屋へ行ってみることにした。

   「作造さんと文吉さんは、役人に引っ張って行かれました」
 ここではひっそりとしていたが、心配顔で店主が出てきて言った。
   「何の疑いで?」
   「大坂の酒店主殺しやと言っていました」
   「訴え出たものが居たのですか?」
   「へえ、密告がありまして調べたら、二人が寝泊まりしている家の床下から、十貫目もの丁銀が出たのやそうだす」

 大坂での殺人と、灘の造り酒屋を繋いだのは、亥之吉の他は誰も居ない筈である。殺された主人の妻にも喋ってはいない。それを知っているのは、真犯人しか居ない。勝蔵と作造が共犯としても、互いが共犯相手を訴えたら、せっかく自殺と判断されて収束していたものを、寝た子を起こす必要が有ったとは思えない。
 番頭の文吉は、作造と共に牢へ繋がれた。残るは横綱酒造の一番番頭鬼助だが、もしかしたら動機があるかも知れないが、あの老齢で大の男を締め殺し、梁に縄を掛けて吊るすのは共犯が居ない限り無理だろう。
   「動機は何」辰吉が訊いた。
   「作造さんは独り身や、もしかして勝蔵さんも独り身やったら跡継ぎが居ないから、横綱酒造を任されるのは鬼助やろ」
   「でも、勝蔵さんは銀十貫目を私邸の庭に隠していてと言うてたぜ」
   「そうや、奥さんも子供も居るかも知れへん」
   「そうしたら、その母子の命も危ないのと違うだろうか」
   「そや辰吉、よう気が付いた、けどまだ殺さへん、今殺したら犯人が他にいることを知られてしまう」
   「三人が仕置されて熱りが冷めたころが危ないなぁ」
 辰吉は、勝蔵に妻子がいたら、自分が護ってやろうと決心した。

   「辰吉、もう一回横綱酒造へ行って、番頭の鬼助を揺さぶってみようや」
   「へい」
 新三郎にも呼びかけた。
   「新さん、出番だよ」
   『分かっておりやす』

   「福島屋亥之吉でおますのやが、鬼助さんに会いとうおます」
 手代らしき少年が出てきた。
   「あ、先程の方だすな」
   「へえ、鬼助さんに会いとうて、また来ました」
 少年が呼びに行き、すぐに鬼助が顔を出した。
   「大変なことになりましたな」
   「へえ、そうだすねん、疑いが晴れて戻してくれたらええのだすが…」
   「本当ですね、勝蔵さんが人殺しをするやなんて、信じられんことです」
 とか言っている間に、新三郎が鬼助に忍び込んだ。
   「ところで、勝蔵さんのお住まいに行きたいのですが、場所を教えていただけまへんか?」
   「今頃、女将さんのところへも知らせが届いとりますやろ、知らん人が訪ねても、会ってくれへんと思いますで」
   「そうですやろか、わいは真犯人の目星が付いたさかいに知らせに行くのですが」
   「それは、誰やと言うのだす?」
   「作造さんも密告されて捕まったのです、勝蔵さんと、作造さんが消えて得をする者です」
   「誰なのですか、それは」
   「多分、鬼助さんがよく知っている人でっせ」
   「わしが知っている人? この店の者だすか?」
   「一人は、この店の人です」
 辰吉が横入りしてきた。
   「番頭さん、助八さんというのは、鬼助さんのご子息ですね」
   「えっ、何故息子の名を…」
   「それから、勝蔵さんの家も教えて頂き、有難う御座いました、まだこちらには引っ越していないのですね」
   「子供さんが酒の匂いで酔ってしまうと仰って…、わし場所を話しましたかいな」
   「へえ、たった今、話して頂きましたよ、助八さんの居場所もね」
   「話した憶えがないのやが、さて?」
 首をかしげている鬼助に礼を言って、二人は勝蔵の妻に会いに行くと告げて店をでた。

 勝蔵の妻は、取り乱していた。そこへ知らぬ男が二人会いに来たとあって、動揺を隠しきれないようであった。
   「決して怪しい者ではおまへん、私は大坂の福島屋亥之吉と言い、これは倅の辰吉でおます」
 名を聞いて、少し落ち着いたようであった。
   「ご用件は何でしょうか?」
   「はい、大坂の酒店の主が殺された件を調べております」
   「主人が殺したというのですか、主人の勝蔵は、人が殺せる人ではありません」
   「わいも、勝蔵さんには何度か会っていますからわかるのですが、勝蔵さんは犯人ではおまへん」
   「では、何故ここへ来られたのですか?」
   「既にご存知かと思いますのやが、弟さんの作造さんにも同じ容疑が掛けられ、役人に連行されました」
   「えっ、作造さんも?」
   「わいは、別件の詐欺師を追っているのですが、その詐欺師と言うのが殺された大坂の酒店の主人のようなのです」
   「分かりました、それで詐欺師を殺した犯人を探していて、主人と作造に行き当たったのですね」
   「いえ、まだ行き当たってはいまへん、勝蔵さんも作造さんも殺しの犯人ではないからです」
   「ありがとう御座います」
   「礼を言われるのも、まだ早いです」
   「無実を信じてくださったのではないのですか?」
   「信じていますとも、だが、礼は勝蔵さんと作造さんの容疑が晴れて、二人共お解き放ちになってからにして欲しいのですわ」
   「晴らしてくださるのですか?」
   「へえ、その為に来たのですから」
   「私は何を話せば良いのでしょう」
   「まず、丁銀十貫目は、どこに隠していたのですか?」
   「ご案内します」
 勝蔵の妻は、庭の隅へ二人を導き、ここに置き、薦を掛けただけだったとその場に残された薦を指さした。何のことはない、隠したというよりも持ち込んで置いただけのことだった。
   「この薦は、元々ここに有ったのですやろか」
   「いいえ、銭函と一緒に持ち込んだものやと思います」
 今度は辰吉が質問した。
   「もう一つお伺いします、番頭の鬼助さんは、よくこちらに来られるのですか?」
   「へえ、うちの番頭ですから、主人の用やら何やらで、よく来ます、主人と私が夕食に誘うこともあり、その時は息子の助八さんを連れて来ることがあります」
   「助八さんは、最近来られましたか?」
   「一昨日、夕食に呼んで戴いたお礼だと言って、荷車でたくさんの小麦粉と大根や大豆を持って来てくれました」
   「助八さんは何歳くらいの方です?」
   「確か、三十歳とか言っていました、いい歳をして独り身やそうなので、主人がお嫁さんを見つけてやるとか申しておりました」
   「そうですか、突然お邪魔しまして、申し訳ありませんでした」
   「何か、お役に立ちましたか?」
   「はい、おおよその検討がつきました」
   「もしや、鬼助父子が犯人だというのではないでしょうね」
   「それはまだ何とも言えません」
   「そうですか、主人のことを、どうぞよろしくお願いします」
 今度は亥之吉が割り込んだ。
   「へえ、松前船くらいの大船に乗ったつもりで、お任せください」
 
  亥之吉の足は、大坂向かっていない。辰吉は、ただ黙って亥之吉に続くばかりである。
   「新さん、親父はどこへ行く積りだろう」
   『多分、代官所だと思いますぜ』
   「勝蔵さんと、作造さんを救いに行くのか?」
   『まだ救えないだろう、事件はどちらも大坂で起きている、お調べとお裁きは東町のお奉行に任せて欲しいと頼みに行くのでしょう』
   「そうか、拷問を受けない為だね」
   『そうだ』
   「もし、受けいれてくれなかったら?」
   『あっしの出番だろうな』
   「新さんは、頼りになるなぁ」
   『あたぼうよ』
   「ちぇっ、当たり前のべらぼうよって、俺の真似かい」

  「第二十四回 見えてきた犯人像」  -続く-  (原稿用紙17枚) 

   「第二十五回 足を洗った関の弥太八」へ進む

   「第一回 坊っちゃん鴉」へ戻る

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十三回 よっ、後家殺し 

2015-06-11 | 長編小説
 三太と辰吉は、摂津国の酒処、灘の町並みを見て歩いていた。造り酒屋が並び、その軒下には青々とした杉玉が下がり、新酒が出来上がったことを知らせていた。その中で、殊の外大きな杉玉が下がっている造り酒屋があり、「清酒横綱盛」の看板が掲げられていた。
   「三太兄ぃ、ここですぜ」
 その佇まいに圧倒された辰吉が、小声で言った。
   「よっしゃ、入ろう」
 暖簾を潜ると、甘い日本酒の香りが漂い、大きな酒樽の前で杜氏が利酒をして、良い酒が出来たのであろう、盛んに頷いている。
   「お邪魔します」三太が声を掛けた。
 もう一人、三和土(たたき)に茣蓙(ござ)を敷き、その上にどっかと胡座(あぐら)をかいて、煙管(きせる)を燻らせいる初老の男が三太たちに気付き、慌てて立ち上がった。
   「大坂の相模屋長兵衛のところから来ました」
   「いらっしゃいませ、良い新酒が出来ました、ご注文の前に、どうぞ一献」
   「申し訳ありません、注文に来たのではないのです」
   「そうでしたか、でも、奥へお入りになって、新酒を召し上がってください、そちらのお兄さんもどうぞ」
 樽の上に、檜の一合升を二つ、酒をなみなみと注いで並べてくれた。
   「実は、うちの主(あるじ)が遭った詐欺の事件を調べているのですが…」
   「そうですってね、済みませんでした、うちも名前を使われて、大変迷惑をしているのですよ」
 この男は、番頭の鬼助と名乗った。この男が悪い訳でもないのに、何度か「済みません」を繰り返した。
   「今、主人を呼んで参ります、お飲みになってお待ちください」
 この店の裏が、住居になっているらしく、鬼助は裏口から出ていった。

 裏口の戸が開けられて、人の良さそうな若い男が揉み手をしながら入ってきた。
   「当店横綱酒造の主、勝蔵と申します」
   「相模屋酒店の番頭、三太と申します、こちらは友達で福島屋の坊っちゃんです」
   「ようこそお越しくださいました、相模屋さんにはお詫びをしたいのですが、お詫びをすると、私が詐欺に関わっているようですし、悩んでいたところです」
勝蔵は本当に悩んでいるようであった。
   「いえいえ、ご店主が詐欺に関わっているなど、主人の長兵衛も思っておりません」
   「ありがとう御座います、どうぞ何なりと訊いてください」
   「ひとつだけお訊きしたいのですが、以前にこちらで働いていて、馘首(くび)になった男は居はりませんでしょうか」
   「その男が怪しいのですか?」
   「それは何とも言えませんが、もし、馘首になったことを恨んでいるなら、その可能性は無きにしもあらずと思いましたもので」
   「そのようなことは、絶対に無いと思いますが…」
   「その方の名前と、お住まいを教えていただけませんか?」
   「それを私の口から申す訳には参りません」
   「それはまたどうして」
   「先代の店主が生きていたころからの杜氏でして、わたしの師匠とも言うべきお人なのです」
   「その方を、どうして馘首(くび)にされたのです」
   「いえ、馘首にしたのではおまへん、私どもは引き止めたのですが、先代が亡くなったことで、自分から辞めていったのです」
   「そのお方が、恨みを持つ原因は?」
   「私がこの店を継ぐのを、大反対しておりました」
   「それは何故?」
   「長男は私ですが、私は正妻の子ではないのです」
   「いわゆる、先代が外に産ませた子ですな」
 店主の話を要約すると、周りの誰もが店を継ぐのは正妻の子供の作造だと信じて疑わなかった。しかし、先代が亡くなった後、金庫の中から先代が書いたと思われる遺言書が見つかった。その遺言書には、妾の子勝蔵に店を譲ると記し、作造には一切触れていなかったのだ。
 そんな訳はない、これは陰謀だと騒ぎ立てた歳を取った番頭各の杜氏が居た。結局この杜氏と作造は、自ら店を出て行ったというのだ。
 私に罪はないが、恐らく二人は私を恨んで、陥れようとしているのに違いないとまで言ってのけた。
   「有難う御座いました、お忙しいところをお邪魔しまして、本当に済まんことだした」
   「いえいえ、早く相模屋さんを騙した詐欺師が捕まればよろしいのに」
   「はい、きっと突き止めてみせます」
   「お役に立てることが有りましたら、また何時でもおいでください」

 三太と辰吉は、腹がたった。憎む相手を陥れるために、罪のない相模屋の店主から金を騙し取るとは、造り酒屋の信用問題にもなりかねない何とも卑劣な手段を取る男なのだと、勝蔵が気の毒になった。
 父である先代が考えた末に、作造と勝蔵のどちらに後を継がせるかを決めたのであり、勝蔵を選んだのにはそれなりの理由があったのだろう。

 三太と辰吉は、近所の造り酒屋に寄り、横綱酒造の作造と一緒に辞めた杜氏の消息を尋ね歩いた。いや、尋ね歩く必要はなかった。最初に尋ねた店で、すぐに分かったからだ。
   「大きな声では言えませんが、作造さんは追い出されたのでっせ」
 勝蔵の話では、勝手に出て行ったと言っていた。近所の噂では、追い出されたと言う。噂というものは、尾鰭が付いて歪曲するのだ。噂話はそこそこに聞いて、棲家だけをしっかり訊いてきた。
 作造は一緒に辞めた独り者の杜氏の家に転がり込んで、そこから二人共小さな造り酒屋に通いの杜氏兼店の使用人として働かせて貰っているのだそうである。

   「お邪魔します」
   「へい、いらっしゃいませ」
 出てきたのは、人の良さそうな白髪の老人だった。
   「今年は美味しい酒が出来ました、先ずは試飲をどうぞ」
 酒器専用の棚から小さな杯を二つ取り出した。
   「済んません、わいらは酒を買いに来た客やあらしません、ちょっちお聞きしたいことがおまして…」
   「そうだしたか、それはどうも早とちりでした」
 それでも、酒を注ぐ手は止めなかった。
   「ここで作造さんという方が働いていると聞きまして…」
   「へえ、作造坊ちゃんは、奥においででおます、お呼びしてきますので、これを飲んでお待ちください」

 老人が奥に入ると、直ぐに歳を取った男と若い男が前垂れを外しながら出てきた。
   「お待ちどうさまでおます、私が作造で、こちらが横綱酒造で杜氏をしていた文吉ですが、どちら様でいらっしゃいます?」
   「大坂の酒店相模屋の番頭ですが」と頭を下げ、三太は詐欺の経緯から、横綱酒造で聞いてきたことを全て話した。
   「兄は、そのように言いましたか」
 作造は溜息を一つついた。
   「文吉おじさんは不服のようでしたが、私は何も恨みなどしていません、まして兄を陥れようなど、微塵も考えておりません」
   「でも、一つだけ言わせて貰えば…」
 文吉が口出しをした。
   「先代の旦那様の遺言は、どう考えても可怪しい…」
 作造が文吉の言葉を制した。
   「いいえ、言わせて貰います、旦那様が可愛がって信頼していた作造坊っちゃんのことを、遺書に一言も書いていないなんて、怪し過ぎるやおまへんか」
 文吉は興奮した面持ちで、声を高めた。
   「おじさん、そんなことを言うたらあかん、それやったら、お父っつぁんの遺言が偽物みたいに聞こえるやないか」
   「偽物だす、大偽物だす、本物は勝蔵が燃やしたに違いおまへん」

 三太は、どちらを信じたら良いのか、分からなくなった。どちらかが芝居をしているのだ。辰吉に目で知らせた。新三郎に探って貰いたいのだ。
 辰吉の様子がおかしい。何だか慌てているようである。三太は小声で辰吉に囁いた。
   「どうしたのや、新さんが居ないのか?」
   「あっ、あかん、新さんを横綱酒造に残して来たようや」
 新三郎は、勝蔵の話に疑いをもったのだ。その為に勝蔵を探りに行ったのを知らずに帰ってきてしまったらしい。

 横綱酒造まで引き返そうと歩いていたら、その方向から棒を持った男がテクテク歩いてくる。
   「あ、お父っつぁんだ」
   「亥之吉旦那も、相模屋に聞いて横綱酒造を探りにきたのやな」
 亥之吉が天秤棒を担いで手を振っている。
   「格好悪いなぁ、お父っつぁん」
   「何ぬかしてけつかるねん、お前らその格好悪い師匠の弟子のくせに」
   「わぁ、悪い言葉、他人の振りして、行ってしまおうか」
   「バカたれども、お前らまだこんなところでウロウロしとるのか、それに新三郎さんをほっぽり出して、どういうつもりや」
   『辰吉は、あっしを必要としなくなったのか、次は誰を護ってやろうかな』
   「あっ、ごめん、ごめん」
 新三郎は、亥之吉に憑いて戻ってきた。新三郎にしてみれば『辰吉は、つー と言えば、かぁ の仲だと思っていたのに、探りに行っている間に帰ってしまうなんて』と些か憤慨している。
   「何? その、つー と言えば、かぁ って」
   「つー は口を閉じ気味に言う、かぁは、口を大きく開けて言う、阿吽の呼吸と同じような意味で、呼吸が会うってことだよ』
   「余計、わからん」
   『また、寝物語で聞かせてやろう』
   「ふーん、きっとスケベなことなのだろうね、うふん は口を閉じていうし、あはん は、口を大きく開けていう」
   『そうそう、そのようなこと… 違うわい』

   「お父っつぁんも、相模屋長兵衛さんの件で来たのかい?」
   「わいは、別件や、ある酒屋の主人が米相場を薦められて手を出し、全財産を潰して首を括ったのや」
   「その薦めたのが、もしかしたら相模屋さんから千両を詐取した詐欺師と同じだと推理したのかい」
   「そやそや、人相風体も訊いてきた」
   「横綱酒造の主人、勝蔵さんと違っていたのかい」
   「うん」
   「ほんなら、横綱酒造の元店主で、腹違いの弟の作造さんに会ってみませんか?」
   「よっしゃ、会ってみよう」

   「もう一度お邪魔しまっせ」
 今度は、作造が店番をしていた。
   「何か忘れ物でも… おや、お一人増えましたな」
   「へえ、言い忘れたことがおまして」
   「どうぞ遠慮なく仰ってください」
   「相模屋に横綱酒造が倒産寸前と話を持ちかけた詐欺師が、若い男だと分かりました」
   「ああ、それで私をお疑いになったのですね」
   「それが違いました、もちろんお兄さんの勝蔵さんでもありません」
   「他に若い男と言えば…」
   「横綱酒造の関係者に居ないのですよ」
   「それは良かった」

 三太と辰吉は、一旦上方へ帰ることにした。亥之吉は、まだ行くところがあると言う。幽霊の出る古店舗の売主である後家さんの家だ。
   「お父っつぁん、美人の後家さんだろ」
   「まだ会ってないのに美人かどうか分かるかい」
   「近所で訊いたのだろ、よっ、この後家ごろし」
   「こら、息子がお父っつぁんに言うことか」

 古店舗の売主は、もと灘屋酒店という小売店にしては大きなお店の女将さんである。今は幼い二人の子供を連れて実家に戻り、先々のことを思案中らしかった。
   「わたいは上方の福島屋亥之吉と申しますが、売り店舗の札をみてまいりました」
   「これは、これは、ようこそおいでくださいました」
 辰吉の推察通り、中々の美人である。
   「五十両でお譲り頂けるのですか?」
   「はい、本当は二百両頂くつもりでしたが、変な噂を立てられて、とんと売れずに二百両が百五十両に下げ、百両でも売れず、早く使用人にお給金を払いたいので五十両に致しました」
   「そうでしたか、ではわたいに買わせて頂きましょう、ここに小判五十両を持参しました、これは手付金としてお払いするもので、決して理不尽な値段で買い取りません、どうぞご安心ください」
 小判五十両は、両替屋へ持っていくと、銀約9キロと交換して貰える。上方で流通しているのは銀である。
   「これは、誠意のあるお言葉、恐悦に存じます」
   「それから、ご主人が詐欺に遭ったと同様に、上方の酒問屋の主人が遭った詐欺についても調べているのですが、お話を聞かせてもらえませんか?」
   「どうぞ、何でもお話致します」

 主人は、灘の横綱酒造に関わるお方と、女房に話したそうであるが、今、米の値段が上がっているのは米の相場を操っている複数の相場師が居る為だ。それは米そのものを買い貯めるたり、売り惜しみをしているのではなく、「株」と呼ばれる証券の遣り取りで値を吊り上げている。これから暫くは米の値段が高騰する見込みなので、今「株」を買うと、直ぐに二倍、三倍に跳ね上がると薦められ、「試しに」と、五十両を出した。それが一ヶ月も経たぬうちに二倍に跳ね上がり、主人は百両近くを受け取った。
   「まだ、株の値段は上がるぞ」と、耳打ちされて、百両にもう百両追加して、その男に二百両を託した。一ヶ月後に四百両近くになって返って来た。
 妻の自分が必死に止めたが、主人は有頂天になり、さらに百両を足して、五百両をその男に渡してしまったが、それから一ヶ月経っても、二ヶ月経っても男から連絡は途絶え、主人は思い切って横綱酒造へ足を運んだ。
 そこで主人は唖然とさせられる事実を聞かされた。そんな男は知らないと言われたのだ。事実、横綱酒造の主人以下全ての使用人に会わせて貰ったが、主人を騙した男は居なかった。
   「それで、ご主人は悲嘆に暮れて、首を括ったのですか」
   「はい、五百両も騙し盗られたと、生前、主人は悄気返っておりました」
 悲しみが蘇ってきたのであろう、妻の目に涙が光った。
   「ちょっと待ってくださいよ、そのお話に可怪しいところがおます」
 亥之吉は、何かに気付いたようであった。

   「第二十三回 よっ、後家殺し  -続く-  (原稿用紙18枚) 


    「第二十四回 見えてきた犯人像」へ進む

    「第一回 坊っちゃん鴉」へ戻る

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十二回 幽霊の出る古店舗

2015-06-06 | 長編小説
 江戸の同心長坂清心は、上方へ来るときは大勢の護衛が居た。帰りは兄弟二人、呑気な旅である。その兄清心と弟清之助が帰った数日後、福島屋亥之吉が三吉の鷹塾にやってきた。塾を終え、子供たちを送った後、丁度昼食の真最中の三吉であった。
   「どうぞゆっくり食べとくなはれ、わいは急ぎはしません、待っていますさかいに」
   「済みません、お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
 膳に向かって食事をしている三吉の後ろから、亥之吉が声を掛ける。
   「男の一人暮らしにしたら、綺麗に掃除が行き届いていますなぁ」
   「あ、はい、子供たちのお母さんが来て、掃除してくれました」
   「そうでしたか」
   「それに、子供たちも手習いの後片付けをして帰ってくれますので」
   「躾が行き届いて、いい子ばかりですな」
   「いいえ、手習い中も、喧嘩ばかりして、鎮めるのに手を焼いているのですよ」
   「あはは、それでこそ子供ですわ」

 食事を済ませ、膳を片付けた三吉が、亥之吉の前に来て「お待たせしました」と、正座して両手を付いた。
   「はい、用と言いますのは、この鷹塾のことやが…」と、前置きをして、亥之吉は盗賊の一件を話した。

 鷹塾を脅しに来るならず者を調べてみたら、江戸から流れてきた大物の盗賊に行き当たった。亥之吉と三太と辰吉の三人で盗賊の捕物に協力した褒美に、お上と、盗賊に狙われた大店から、合計三百両もの大金を頂戴した。これを全額鷹塾の設立に役立てて欲しいとの三吉にとっては夢の様な話であった。
   「そのような大金を頂戴するのは、身に余ります」
   「いえいえ、三吉さんの志を思えば、決して過分ではありません」
   「しかし…」
   「しかしも、おかしもありません、源太先生を迎えるに相応しい塾を建てようではおまへんか」
   「お言葉に甘えてもええのでしょうか?」
   「実は、その位の金子なら、わいが出してあげようと思っておりましたのやが、近々三太が相模屋の暖簾分けをして貰ってお店を出しますので、そちらの援助に廻しますわ」
   「有難う御座います、それでは遠慮無く使わせて頂きます」
   「はいはい、そうしてください、お金は盗まれてはいけませんので、わいが預かっておきます、必要な時は何時でも言ってください」
   「次男が大工ですので、建物は弟と、弟の親方さんに相談してみます」
   「足りなかったら、それも遠慮なく言ってくださいよ、それと…」
 亥之吉は、こんなことまで言うべきか迷った。
   「はい、なんでしょうか?」
   「お金の出処を説明する必要があるときは、わいを呼んでください、畏れ多くも上様からの賜り物だと、ちゃんと説明させて貰います」

 これで一件落着と、亥之吉は帰って行った。三太のところへ行って、援助させて貰いますと言えば、三太が現在奉公している相模屋の旦那長兵衛が、恐らく反対するだろうと読んで、三太の援助は三太が店を出してからすることにした。

   「さあ、今度はわいの番や」
 亥之吉には、志がある。大坂に大きな雑貨商を作ることだが、建物の屋根を高くして、明かりを十分に取り入れ、食料品から衣類から家具など様々な商品を展示し、お客に手に取って商品を選んで貰える雑貨店を作ろうと思っている。
 その名を「福島屋百貨店」と改め、買い物がし易い、大量仕入れで少しでも安く買ってもらえるお店にしたいのだ。
 実は、目を付けている土地があるのだ。大坂の繁華街から少し逸れた土地ではあるが、亥之吉は「やがて繁栄する」と、読んでいる。そこに亥之吉の安い店舗が出来ると、その繁栄化に加速がかかるのではないかと、これは亥之吉の希望的観測ではあるが…。
 将来は、亥之吉の福島屋と同じ場所に、三太の酒店相模屋支店も出店して貰いたいと密かに考えている。

 鷹塾からの帰り道、江戸の福島屋程も大きくはないが、確りした空き家の古店舗を見つけた。価格が五十両と破格なのだが、近所の店舗の人に訊くと、訳ありだそうである。
   「これが出ますのか?」亥之吉は幽霊の手付きをして見せた。
   「そうですがな、大きな詐欺に遭って、お店も財産もなくなった、若い主人が蔵で首を括りなさったのです」
   「それは気の毒に… ご家族は?」
   「女将さんが手元に残った僅かな金を使用人達に分け与えて、小さいお子達を連れて、実家に戻っておいでやそうです」
   「酷い話ですなぁ、それで旦那さんが幽霊になって出るのですか?」
   「それは他人が流した無責任な噂ですけど、その所為でこのお店が売れませんのや」
   「中を見せて貰おうと思えば、どこに頼めばええのですか?」
   「昼間は開いておりますから、自由に見てもらってええそうです」

 女将が来て手入れしているのか、中は綺麗に掃除されて、荷物を運び込めば何時からでも商売が出来そうである。ただし、江戸福島屋の店舗とは造りが違うので、手を加えねばならない。
 蔵も覗いてみた。天井の梁に切れた荒縄が残っていて首吊りの後が生々しい。苦しくて藻掻いたのであろう、ほんの少し縄に血の跡が黒く残っていた。
 亥之吉は、この古店舗を無性に買いたくなった。首を括った若い店主の仇をとってやりたくなったのだ。
「女房や親父に相談せんとあかんのやが、説得してわいが買います」
 亥之吉は、この古店舗の持ち主の実家の在所を教えてもらうと、店舗に向かって「それまでどうぞ売れませんように」と、両の掌を合わせて頭を下げ、満足気に帰っていった。

 亥之吉は、道修町の福島屋に戻ってきた。
   「お絹、戻ったで」
   「あ、お前さんお帰り」
   「お絹に聞かせたい話があるのや」
   「それよか、三太の奉公する相模屋長兵衛さんが大変なことになったそうで」
   「どうしたのや、死んだのか?」
   「そんな縁起でもないことを言ってからに、そうやない、大きな詐欺に遭いはったのや」
   「また、詐欺かいな」
   「またて、誰か他にも遭った人がおいでか」
   「そやねん、その詐欺に遭った人は、首を括ったのや」
   「まぁ、お気の毒に、長兵衛さんはそんなことはしはる筈はおまへんが…」
   「それで、辰吉は居るのか?」
 一緒に、様子伺いに行こうと思ったのだ。
   「もう、とっくに相模屋さんのところへ飛んで行きましたわ」
   「そうか、あいつ三太思いやから気になったのやろ」
   「そうですねん、兄ぃの大事や言うて、血相変えて行きました」
   「そうか、わいも行ってくるわ」
   「行って、長兵衛さんの相談に乗ってあげて」
   「わかったお絹、ほんなら行ってくるで」

 亥之吉は相模屋の前に立ったが、店は普段通りに商いをしていた。
   「ごめん、福島屋の亥之吉ですが、旦那さんおいでになりますやろか」
 番頭が申し訳なさそうに愛想笑いをした。
   「すんません、主(あるじ)は体の具合が悪くて横になっておりますのやが…」
   「それなら、わたいが旦那さんのお部屋に行かせて貰います」
   「それが、誰にも会いとうないと言いまして」
   「相模屋長兵衛ともあろう者が、何を弱音はいていますのや」
  亥之吉、案内もなしにズカズカと入って行った。
   「旦那さん、入らせて貰いますで」
   「だれやいな、誰にも会いとうないと言っておいたのに」
   「へえ、福島屋の亥之吉でおます」
   「亥之さんかいな、三太を取り返しにきたのか?」
   「そんなことはしまへんがな、何を心配していますのや」
 長兵衛の寝所の襖を勝手に開いて、亥之吉がずかずかと入った。
   「長兵衛さん、詐欺に遭ったとは、どのくらい盗られたのです?」
 長兵衛は、布団の中から手を出して、人差し指を一本立ててみせた。
   「えーっ、百両ですか」
   「違います、千両ですわ」
   「ひゃーっ、千両ですか、そら悔しいわ」
 金額よりも、恥ずかしいのが先に立つのか、長兵衛は布団で顔を隠してしまった。
   「実は、長兵衛さんのことを聞くまえに、もうひと方、詐欺に遭ったひとのことを聞いてきたのですが、その人は首を括ったのやそうでおます」
   「同じ詐欺師に遭ったのやろか?」
   「そうかも知れません、長兵衛さんは、どんな手口でした」
 長兵衛は、恥も外聞もかなぐり捨てて、亥之吉に打ち明けた。
   「笑いなさんなよ」
 前置きをして、ぽつりぽつり話した。摂津の国は灘の、酒造りに従事するものは十人程度の造り酒屋の主人が、米の相場に手を出して大損をし、倒産寸前だという。もし、援助して貰えたら、灘の生一本「横綱盛」の販売権を全てと、高槻藩御用達の看板も譲渡する。今後は酒造りに専念し、より良い銘酒「横綱盛」を造っていきたいと店主一同願っていると聞かされた。
 あの銘酒「横綱盛」を無くさずに済み、おまけに販売権の全てが手に入ると、長兵衛は喜んで千両もの金を渡してやったのだと言う。
 金を受け取りに来た作り酒屋の主は、「横綱盛」を無くさずに済んだと、有難がって伴の者に荷車を引かせ、涙ながらに帰っていった。
 その後、何の音沙汰も無いので、使いの者を灘に行かせたのだが、当の造り酒屋は倒産寸前に追い込まれたことはなく、当然ながら援助を求めたことも無いと言うことだった。
 使いの者では埒があかないと、長兵衛は自ら灘の造り酒屋へ行って確かめたが、当の主は長兵衛のところまで来た者とは違っていた。
 自分は詐欺の手には乗らないと自負していた長兵衛だけに、欺かれたと分かったときの打撃は大きかった。

   「相模屋さん、あんさんのところは、千両盗られたぐらいでお店の屋台骨が傾くことはないと思いますが、その金はわたいが取り返して、詐欺師を奉行所へ突き出してやります、詐欺師の人相と、造り酒屋の場所を教えてください」
 亥之吉は、要点の説明を訊くと、わたいに任せとくなはれ。仇はきっと取ってあげますと、自信ありげに言った。
   「相模屋さん、恋患いのぼんぼんみたいに横になっていないで、ばりばり働いて気を晴らしなされ」
 亥之吉は、ちょっと言い過ぎたかなと反省しながら、長兵衛の寝所から離れた。
   「ところで、番頭さん、うちの倅がお邪魔していませんか?」
   「辰吉坊ちゃんなら、来はりましたが、三太と二人して亥之吉さんのところへ相談に行くと出て行きましたで、亥之吉さん、それで来てくれはったのやなかったのですか」
   「どこかで行き違いになったようです、福島屋でわたいの帰りを待っているかも知れません」
 亥之吉は、急いで帰ってみたが、二人の姿はなかった。
   「あいつら、二人で灘へ行ったな」

 また出て行こうとした亥之吉を、女房のお絹が止め
   「さっき、私に話したいことがあるといいはりましたな」
   「うん」
   「出て行くのなら、それを話してからにしなはれ」
   「そやな、話すわ」

 鷹塾からの帰り道、古い空き店舗を見つけたことを話した。その店舗は、たった五十両で売りにだされているのだが、先の店主が詐欺に遭い、首を括ったのだと言う。建物はしっかりしていて、少し手を加えたら、家族も住めるし店も開ける。
   「どやお絹、怖いか?」
   「いいえ、私はちっとも、だけど客が寄り付かへんのと違いますか」
   「かも知れん、だが、わいがその店主の仇をとって、怨霊の呪いを鎮め、成仏させたと言う筋書きを流したら、ええ宣伝になるのやなかろうか」
   「そんなにうまく行きますか? 第一仇がとれますか?」
   「とったる、この店舗も酒屋やったらしいし、詐欺に遭った相模屋さんも酒屋や、きっと関連があると思うのや」
   「そうですなぁ、幽霊はうちの誰も気にしたり怖がったりはしまへん、お化けを怖がるのは一人おりますけどね」
   「ほっとけ!」
   「第二十二回 幽霊の出る古店舗」  -続く-  (原稿用紙17枚)

   「第二十三回 よっ、後家殺し」へ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十一回 上方の再会

2015-06-04 | 長編小説
 草木も眠る丑(うし)の刻(午前一時)、大店高麗屋の戸が叩かれた。
   「起きろ、わしだ、片岡恭之助だ、ここを開けなさい」
 火付盗賊改方同心と名乗っている男だ。
   「早くここを開けなさい」
 はじめは優しく叩いていたが、段々焦れてきたのか乱暴になってきた。
   「早く開けないか、片岡だというのが聞こえないか」
 漸く、応答があった。
   「へえ、こんな真夜中に、何方の片岡様でございますか?」
   「昨日、夜盗の襲撃から護ってやると申したであろう」
   「それは誰に申されましたか?」
   「主(あるじ)だ、お前はあるじの宗右衛門ではないのか?」
   「へえ、わいは番頭の嘉兵衛でおます」
   「主から聞いていないのか?」
   「いいえ、何も」
   「お前では埒(らち)があかぬ、主を呼べ」
   「えらいすんまへん、主は熱を出して休んでいますので、明朝にしてもらえまへんやろか」
   「バカを言うな、わしらはこの店を護る為に、怪我までしているのだ、手当をする、晒と焼酎を用意致せ」
   「それはどうもご苦労さまでした、直ぐお開けしますのでちょっと待って下さい」
   「何故待たねばならぬ」
   「それは、夜盗が出ると聞きましたので、頑丈に戸締まりをしております」
   「そうか、待っているから早くしろよ」
   「へえ、ところで、火付盗賊改方同心の片岡さまとおっしゃいましたね」
   「そうだ」
   「言い難いことですが、火盗改は大坂には無い役職ではありませんでしたか?」
 暫くの沈黙があり、男は言った。
   「この度の夜盗騒ぎで、急遽配備されたのじゃ」
   「さいだすか、それは有り難いことで…」
   「まだ開かぬのか?」
   「あ、支え棒が外れました、今、お開けします」
 勢いよく、引違いの戸が開いた。いきなり刀の抜身が「すっ」と入れられて、戸の正面に立つ番頭に向かってきた。今まさにその切っ先が番頭の腹に突き立てられようとした時、戸の端に居た男が、天秤棒で「バシッ」と、刀を叩き落とした。
   「何をしやがる」
 黒覆面の男が一人戸を潜って入ってきたのを、反対側の戸の端に居た男に、六尺棒で腹を突かれた。戸の外に待機していた男たちが「おー」と、後退りしたのを切欠に、正面の番頭が外へ飛び出して天秤棒を真横に振った。その天秤棒は、ずらり並んだ黒覆面の男たちの喉を擦(こす)ったので、驚いて後退りをした隙に、戸の内から二人の棒を持った男が飛び出してきて、戸を閉めると、黒覆面たちの腹を「ドスドス」と、突きまくった。
 今度は、黒覆面の男たちの後ろにいた一人が、突然刀の峰で仲間の肩先を打って回った。そのとき、呼子笛が鳴った。高麗屋の戸の内からである。
 再び戸が開かれると、縛られて転がっている黒覆面の男が目に入った。一人の目明しが中に居たのだ。
 どこかのお店の内にでも隠れていたのか、御用提灯が闇にわくかのように増えて近付き、やがて黒覆面たちを取り囲んだ。
 黒覆面の男たちは、予め天秤棒や六尺棒で打撃を与えられていたので、難なくお縄になった。

 十人の盗賊共々お縄こそ頂戴しないが、亥之吉師弟も、東町奉行所に連れられて行った。黒覆面の男たちが、「我らは盗賊ではない」と、言い張ったからだ。だが、深夜に黒覆面を着けて大店に押し入ろうとしたのは紛れもない事実である。これで、江戸で盗んだ千両箱が出たら、疑いの余地はないのだが、捕らえられた十人が十人共、「知らぬ、存ぜぬ」と、白を切った。
   「石でも抱かせてみるか」
 奉行が横に居た与力を見て言った。亥之吉が「口幅ったいようですが」と、断りを入れて「千両箱の隠し場所は、わいらに探らせて貰えませんか」と、申し出た。
 奉行は、「探るよい思案でもあるのか」と訊き返した。
   「へえ、巧くいくかどうかわかりませんが、任せて頂ければ手口を見つけてご覧に入れましょう」
 何やら、自信がありそうに答えた。ここで奉行所のお調べに任せて、証拠なしで無罪を言い渡されては、必ずどこかの大店が犠牲になってしまうからである。
   「必ずお役に立てると思いますが、それには一つ条件がおます」
   「どんなことだ」
   「われわれ師弟の内、一人で宜しいので、盗賊が繋がれたお牢の前に四半刻ばかり居させて貰いたいのです」
   「それは叶わぬ、お牢の前に一般の者を入れることは罷り通らぬことである」
   「そうですか、では仕方が有りません、我々はここで引き揚げさせて頂きます」
 後のことは、奉行に任せて、亥之吉、三太、辰吉は戻っていった。

 それから三日後のことである。目明しが亥之吉を訪ねて福島屋へやって来た。捕らえた盗賊を拷問にかけたか、誰一人吐かなかったようだ。
   「亥之吉さん、お奉行がお牢の前に一人入れても良いと言っておられる、来てくださるか」
   「分かりました、では一番若い辰吉という、わいの倅を入れて貰いましょう」
 亥之吉は辰吉を呼び、何やら囁くと、辰吉は「うん、うん」と頷いて、目明しに付いて奉行所へ行った。

   「わしらは盗賊ではない、盗賊の魔の手から高麗屋を護ろうとしていた者達だ」
 牢の中に一纏めに入れられた男たちが騒いでいる。入ってきた辰吉をみて、一斉に睨みつけた。
   「お前は、三吉の用心棒やな」
   「そうだ」
   「何をしに来た」
   「お前らが高麗屋から一朱貰って、店を護ってやると言っていたのを証言してやろうかなと思ったりして…」
   「おう、頼む」
   「止めておこうかなと思ったりして…」
   「止めるな、証言してくれ、このままでは我らは何も悪事を働いていないのに、盗賊にされて島流しになるのだぞ」
   「島流し? 磔獄門の間違いではないのか?」
   「バカ言え、盗みも人殺しもしていないのだぞ」
   「そうかなぁ、ちょっと控の部屋で考えて来る」
 辰吉は牢の前から立ち去ったが、守護霊新三郎は盗賊の頭(かしら)に移っていた。牢番には「四半刻のちに、もう一度来ます」と言ってきた。

 お奉行は、辰吉を呼び寄せた。
   「実はなぁ、江戸でヤツ等が奪った千両箱は八つを下らないと読んでいるのだが、見付からないので、上方へ持ち去ったものとして、当所にもお鉢が回ってきたのだ」
 江戸の北町奉行は、辰吉に協力して貰えば何とか見つかるのではないかと、いやはや無責任にも上方へ押し付けてきたのだと言う。
   「辰吉は、霊占術ができるのであろう?」
   「へ? どなたがそんな嘘を言ったのですか?」
   「江戸の奉行じゃ、奉行は与力の長坂に聞いたと申したそうな」
   「え、長坂様、あの父亥之吉や、三太の兄貴と馴染みのあった長坂清三郎さまですか?」
   「いや違う、たしか清心とか申したが…」
   「そうですか、それはきっと清三郎さまのご子息でございましょう」
   「そなたは会ったことがないのか?」
   「ありません、霊占術も私ではなく、三太の兄貴でしょう」
   「お前の兄か?」
   「まあ、そんなところです」
   「お前は、霊占術が出来ないのか?」
   「出来ます、兄に習いました」
   「そうか、良かった、辰吉、千両箱の行方を占ってくれ、見つけたらお上から礼金を賜ることだろう」
   「わかりました、何とかお奉行のお役に立つように努力します」
   「うむ、頼んだぞ」

 再び辰吉はお牢の前に行き、きっかり四半刻(三十分)后に戻ってきた。
   「新さん、千両箱の在処は、分かったかい?」
   『上方には運んでは来ていないようだ、江戸の越中島にある相馬寺無縁墓地に埋めてある』
「江戸奉行の手抜かりだな」
   『どうやら、寺の住職も盗賊の仲間のようだ』
   「わかった、東町の奉行に言って、江戸へ連絡をとって貰いましょう」

 それから十日後、高麗屋宗右衛門が番頭と共に福島屋へ「亥之吉さんに会いたい」と、やって来た。
   「はい、番頭の亥之吉でおます、どうなさいました?」
   「お約束の物をお持ちしましたのや」
   「わい、何か約束しましたかいな?」
   「それ、盗賊の魔の手からわしらの命とお店を護ってくれた方に百両のお礼をしますと…」
   「へ? あれは盗賊の仲間に払うと言いはりましたのやろ」
   「それを言われると面目ない」
   「どうぞ、わいらに気を使わないでください」
   「お奉行さまから亥之吉さんの大活躍をお聞きしました、おまけに江戸で奪った千両箱の在処まで突き止めはったひそうやおまへんか」
   「それは、あのー、新…」
   「ご子息の手柄と言いたいのですやろ」
   「いえ、それはその…わいではなくて…」
   「あれだけの手柄を立てておいて、何と奥ゆかしい」
 麻で編んだ銭袋に入った銀百両を手渡された。上方で流通しているのは、金の小判ではなくて、丁銀と呼ばれる銀貨で、一両は六十匁(225g)であるとして、百両ともなれば、二十二キログラム以上の重さである。
   「うわぁ、こんなに頂戴してええのだすか?」
   「へえ、店の者、みんな亥之吉さんに感謝しとります」
   「ほんなら、遠慮のう頂戴しまして、有意義に使わして貰います」
 
 亥之吉は、受け取った銀六貫匁を三吉の鷹塾を建てるのに役立てようと言った。同じことなら、新築の建物にしてやりたいのだ。三太も辰吉も異論はなかった。

 それから更に十日後、江戸からお使者が十数人の護衛と共にやって来た。亥之吉、三太、辰吉の三人は、東町奉行所に呼び出された。
   「其方たちの働きで、盗賊が一網打尽に出来た、盗賊達が奪い盗って集めた八千両も無事発見することが出来て、幕閣のお歴々も、誰一人腹を切らずに済んだことを慶んでいると言うことだった。
   「そこで、江戸からお使者が報告に訪れて、其方たちに礼を言いたいそうである」
   「幕閣のお使者をご案内致しました」
 奉行が控える部屋の襖が静々と開かれて、二人の若いお使者が導かれて入って来た。三太がその使者を見上げて、「あっ」と、声を漏らした。
   「長坂清心さまと、清之助さまではありませんか」
 奉行が三太を咎めた。
   「今日のお二人は、お上のお使者ですぞ、三太、慎みなさい」
 だが、清心と清之助が三太の元へ走り寄った。
   「三太さん、お久しぶりです」
   「お父さまは、おかわりありませんか?」
   「はい、元気です、この度も一緒に上方まで行くと困らせたのですよ」
   「それは良かった、お父様には色々とお世話になったのですよ」
   「それは、父も三太さんに助けられたと申しておりました」
 いきなり三人で世間話を始めたものだから、奉行が困惑している。
   「これ、その話は後でゆっくりしなさい」
   「あ、これはお奉行様、失礼いたしました」
 清心、三太から離れて、お奉行に挨拶をした。
   「長坂どの、先に用を済ましなされ」
 長坂清心は、亥之吉たちの前に進み出て、「お上から申し下されました」と、書状を出して読み上げた。
   「この度の其方たちの働きを讃えて、褒美をくだされ申した」
 奉行所役職の侍が、三宝を持って入ってきた。亥之吉たちの前に三宝を置き、掛けた袱紗を取ると、更に一押しして亥之吉の膝元まで三宝を進めた。こちらは小判である。葵の御紋が入った帯で封印した、切り餅が八つ、二百両である。思わず亥之吉は奉行の顔色を窺った。奉行は「うん」と一つ頷いた。遠慮などしては無礼であるぞと識らしめた頷きである。
   「ははぁ、有難き仕合せにございます」
 
 その夜、奉行所を辞した清心、清之助の兄弟は、亥之吉の滞在する福島屋に泊まった。夜遅く三太もやって来て、江戸での子供の頃の出来事など楽しく話をして、翌朝早く帰って行った。お絹が作った弁当や旅の必需品を持たせ、辰吉が船着場まで送っていった。
   「お父上清三郎さまによろしくお伝えください」
   「辰吉さんも、お父さんや三太さんに、江戸へお越しになった時は、必ず我屋敷を訪ねてくださるようにお伝え下さい」
   「ありがとうございました、さようなら」
 清之助も、船上で手を振って別れを告げた。

 「第二十一回 上方の再会」  -続く-  (原稿用紙17枚)

  「第二十二回 幽霊の出る古店舗」へ