雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第一回 坊っちゃん鴉

2015-02-17 | 長編小説
 主人亥之吉が旅に出て不在の江戸京橋銀座の雑貨商福島屋に何者かが忍び込んだ。誰も居ない筈の旦那様の座敷から、「ガタン」と音がしたのを一番番頭の勝蔵が聞きつけて、様子を見に行った時は、もう賊は逃げたようであった。
   「何か盗られたものはおまへんか?」
 女将のお絹が番頭に問うたが、旦那様の座敷からは、何も盗られたものは無かった。手文庫も持ち去られておらず、どこからも金を盗まれた形跡はなかった。
 子供たちは皆寺子屋に行っている時間帯なので、拐かされた気配もない。一体何が目的で押し込んだのか不明であった。
   「もしや…」
 お絹は、喧嘩で相手を刺して姿を暗ました長男の辰吉(たつきち)ではなかったのかと、慌てて手代たちに表を探させたが、そこらに辰吉の姿はなかった。
   「辰吉の武具はありきすか?」
 亥之吉の天秤棒とは違って、丸棒を少し平らに削った六尺棒が辰吉の武具である。父親の亥之吉から伝授された武芸なのだが、主に手をとって教え込んだのは小僧の時からの番頭三太であった。
   「ありません、賊だと思ったのは、若旦那だったようですね」
   「旦那さんが若いころに使っていた道中合羽や三度笠が無くなっとります」
   「若旦那様は、旅に出られたのでしょうか」
   「三太が身代わりになって罪を被ってくれたと言うのに、辰吉は何も知らずにどこへ行ってしまったのやろか」

 急遽店を閉めて、店の者に日本橋方面など心当たりを探しに行かせたが、夕刻になって何らの手がかりはなく、みんなが手ぶらで帰ってきた。
   「居りまへんだしたか、こんなとき旅好きのだんさんか三太が居てくれたら心丈夫やのに…」
 お絹は、勝蔵を呼び寄せて言った。
   「勝蔵はん、旦那さんから訊いたと思うがこの店はあんさんに総てお任せをする積りだす、お店(たな)とお店の衆の面倒はよろしく頼みまっせ」
   「へい、よく心得ております」
 お絹は辰吉が居なくなり気力をなくして、子供たちの世話だけで精一杯、お店の切り盛りが手薄になっていたのだ。
 

 江戸の生まれで江戸育ち、江戸の辰吉十七歳、二度と再び江戸の地に草鞋の先を向けまいと、心に誓って旅に出た。親父のお古の旅支度、縞の合羽に三度笠、手には武具の六尺棒、懐には母親がくれた小遣いの二両ぽっきり、「何とかなるさ」と、風の吹くまま、気の向くまま、当てのない旅に出たものの、小諸生まれの真吉に店を持たすべく親父が歩いたであろう小諸への街道を、知らず知らずに辿っている辰吉であった。

 辰吉にとって、生まれて初めての道標(みちしるべ)を頼りの独り旅である。不安は無いと言えば嘘になる。後から江戸の役人が追ってくるのではないか、辰吉が刺した男の仲間が待ち伏せしているのではないかと、きょときょとしながらの街道旅である。

 しばらく歩くと川の岸に佇(たたず)んでいる女と、その傍(かたわら)で泣いている四歳位の女の子を見つけた。
   「どうしました」
 放っておけずに、辰吉は声を掛けた。
   「路銀(ろぎん)を使い果たして、三日前から野宿で何も食べていません、行く当てもないので川へ飛び込もうと思ったのですが、この子が不憫でどうしても道連れに出来ません」
   「死んではいけません、この先に食物屋がありそうです、とにかく何かを食べてから考えましょう」
 辰吉は女を背負い、女の子の手を引いて次の宿場まで行くことにした。途中、女が「気持ちが悪い」と言い、辰吉と女の子を残して脇道に入っていった。嘔吐か尿意を催したのであろうと、辰吉は街道で女が戻って来るのを待っていたが、一向に戻る様子は無かった。
 そのうち、五人の男たちに取り囲まれた。
   「此奴、ふてえ野郎だ、お千代坊を拐(さら)って売りとばす積りだったのだろう」
   「いえ、拐ってなんかいません、女の人から預かったのです」
 男たちは、お千代に聞いてみた。
   「お千代坊を拐ったのは、この男か?」
 お千代はしっかりと答えた。
   「ううん、女の人」
 男たちは、辰吉から事情を訊いた。
   「そうか、それは済まないことを言った」
   「いえ」
 他の男が辰吉に訊いた。
   「旅人さん、懐のものは大丈夫か?」
   「えっ?」
 辰吉は、自分の懐へ手を入れて驚いた。二両の入った財布が無くなっていたのだ。
   「女は、子供を使った騙り掏摸(かたりすり)だ」
 女が消えてから、時間が経ち過ぎていた。いまから役人に届けても、掏摸は捕まらないだろう。その上自分は脛に傷を持つ身だ。下手に届けて江戸からの追っ手に見つかれば辰吉自身が捕まってしまう。ここは、諦めるよりすべは無かった。

   「さて、今夜からどうしょう」
 野宿をするにしても、食うものにありつけないのは若い辰吉にとっては辛いことだ。とにかく宿場町に入り、どこかの貸元のところへで一宿一飯の恩義を受けようと思うのだが、俄旅鴉のこと、仁義もさえ切れない。兄貴の三太が冗談でやっていたのを聞き覚えていたが、巧く言える自信はない。

 歩きながら、前から親父の亥之吉が歩いてくるような気がして佇んでしまうこと暫し、苦労知らずの自分が情けなかった。
   「こんな事になるなら、鵜沼の卯之吉おじさんに博打のやり方を教わっておくのだった」
 

 夕暮れ時、中山道浦和の宿場町、大山金五郎一家の前で足を止めた。若い者が出たり入ったりして、辰吉はちょっと臆病風に吹かれるが、勇気を出して入ることにした。
   「お控えなすって」
 声が小さかったのか、無視されてしまった。
   「お控えなすって!」
 何度か叫んで、ようやく若い男が辰吉に気付いてくれた。
   「早速のお控え、有難うござんす」
 辰吉は、中腰になり、右手を出し手のひらを上に向けた。
   「軒下三寸借り受けまして、たどたどしい仁義、失礼さんにござんす」
 辰吉は、ふざけた三太の仕草を思い出していた。
   「手前生国と発しますは、お江戸にござんす」
 江戸は銀座のど真ん中、堅気の商家に生まれましたが、長じるに従い重ねる親不孝、いつか逸れて江戸無宿の辰吉と発します」
   「これはご丁重なる仁義、恐縮にござんす、丁度夕食の準備も整いましたところ、どうぞご遠慮なくお上がりくだせえ」
 
 応対してくれた若い男が、金五郎一家の貸元に紹介してくれた。
   「客人、何をやらかしての旅暮らしですかい?」
 貸元に聞かれたが、辰吉が口篭っていると、
   「済まねえ、済まねえ、訳あっての旅でござんしょう、訊いたわしが悪かった」 

 食事が済むと、盆茣蓙の準備が始まった。辰吉も若い衆に従って手伝いをした。
   「客人も、路銀(ろぎん)を稼いで行ってはどうです」
 若い男が博打に誘ってくれたが、辰吉は懐のものをすっかり掏摸に盗られて文無しであることを告白した。
   「それはお気の毒なこってす、あっしが一両貸しましょう、おっと、貸すと言えば負けちゃったときに返せねえだろう、一両やりましょう、もし客人が勝って返せるなら一両返してもらえばそれでいい」
   「俺は博打のやり方を知りません」
   「では、ここで憶えていきなせえ、金を木札に変えて、出方(でかた=案内役)が案内する盆ギレに座ってくだせえ、後は中盆(なかぼん=進行役)に従って長か半に掛けるだけです、勝てば掛けた木札の数だけ貰える、負けたら掛けた木札は取られてしまいやす。
   「返せなくなったら、俺はどうすれば良いのです?」
   「負けたら、絶対にもう借りてはいけない」
   「兄さんには、どう償えば良いのです?」
   「諦めて、今夜はあっしの布団で一緒に寝よう」
   「えっ?」
   「違う、違う、あっしは男色家じゃないから安心しろ」

 無欲の勝利とでも言うのだろうか、辰吉はツキについていた。長と張れば長の目が、半に張れば半の目が出た。辰吉の前には、忽ち木札が小さな山を築いた。

 辰吉に一両貸してくれた兄さんが、もう止めろと手で合図をしている。辰吉は木札を持って貸元のところで金に替えた。何と一両の元手が、十両にもなっていた。五分(5%)のテラ銭を差し引いても九両と二分が手元に残る。兄さんに五両渡しても、四両二分が辰吉の懐に入るのだ。
   「いいよ、いいよ、あっしに一両返してくれたらそれでいい」

 兄さんは、辰吉を本当の弟のように思っているのか、説教もしてくれた。
   「これに味を占めて、あまり博打にのめり込めるのじゃねえぜ、博打は負けることの方が多いのだから」
 翌朝、兄さんは大きなおむすびを五つも持たせてくれた。
   「もう会うこともないだろうが、元気で居ろよ」
 門口で手を降って送ってくれた。

 この街道は、父の亥之吉や山村堅太郎、真吉が踏んだ道だと思うと、なんだかヤケに暖かく感じる辰吉であった。
   「懐には八両二分もある、今度こそ騙し取られないようにしよう」
 世の中には、悪い人も居るが、あの兄さんのような優しい人も居るのだ。そして、この青い空の下には、父母や兄弟、そして三太兄貴が居るのだ。あても果てしもない旅なのに、ちっとも寂しくない辰吉の旅であった。

  第一回 坊っちゃん鴉(終)-次回に続く- 原稿用紙12枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」


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