雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の、ど凡人俳句「早春」

2018-03-07 | 俳句
   ◇灯油売りの 声未だ止まず 春霙(はるみぞれ)

 例年ならば3月に入れば聞かれなくなる灯油屋さんの声が、今年はまだ聞こえてくる。今冬の寒さと長さにはまいった。

   ◇啓蟄(けいちつ)や 望まぬ客か 娘()の悲鳴

 夜中に、娘が「助けて-」と飛び込んできた。「何事か」と尋ねてみれば、「五木武利」が出たのだそうであった。要するに越冬した雌だ。尻に卵を付けていなかったので、どこぞに産み付けたのであろう。今年の夏が思い遣られるぞ。

   ◇蓬摘む 妣()の手の皺よ 温もりよ

 蓬が芽吹くと、懐かしいく妣(はは)の手づくり「草団子」を思い出す。今はスーパーへ行けば安物では3個100円で買えるが、でも違うんだなぁ。第一、期待感が違う。妣に付きっ切りで蓬の匂いを嗅ぎながら蒸しあがるのを待っている、あのわくわく感が愛おしい。


 温かくなれば、また「小説を書いてみよう」と、細やかな意欲が湧いてきた。この極老爺、厚かましくもまだ生き延びるつもりらしい。

 
 

猫爺の通院俳句「放り出したい気分」

2018-01-13 | 俳句
 土休日を除く毎日を、街の病院へ放射線治療に通っている。往復15キロ近くの道のりを車で連れて行ってくれていた娘が、多分病院内で移されたのだろう風邪をひいて寝込んでしまった。
 バス、電車、地下鉄と乗り継いで、ヨボヨボ、テクテクと一人で通っているいるが、極老の身にあっては命がけである。何しか、地下鉄が奈落の底のように深い。エスカレーターの下りは皆無。昇りは一部にチョコッと設置されているだけ。どこかを探せばエレベーターがあるのかも知れないが、それを探す元気がない。
 少しばかり命を伸ばして貰う治療の為に、命を削っている訳だ。「馬鹿々々しい、もうやーめた」と、治療を放ぽり出してしまいたい気分である。

   ◇雪景色 バスの窓から 見るあの世

 「放ぽり出した」と言えば。若くして苦行をやめ、悟りを啓いたとされているお釈迦さまであるが、猫爺はあれを挫折だと思っている。「こんな苦行して、何になる。地獄も極楽も存在するものか」そして、「もう、やーめた、やめた」とブッダが放り出したものを、弟子たちが拾い集めて「仏教」を組み立てたのではなかろうかと、「ん? ばちあたりな考えだと?」 その罰が、俺らのこの病かも知れんなァ。

猫爺の、ど凡人俳句「聖夜」

2017-12-15 | 俳句
   ◇メリークリスマス! 寿ぐ神は 外来種

 神「コラーッ 我、天地創造の神をアメリカザリガニみたく詠みやがって」
 爺「あっ、噛み付き神や」
 神「爺め、神罰が下るものと覚悟しておれ」
 爺「へん、日本にはなぁ、八百万柱の神々が在しますのじゃ、外来種のザリガニなんて、黒集りで一瞬にして骨にして貰いましょうぞ」
 日本の神々「コラーッ爺、わしらを軍隊蟻みたくぬかしおって、天罰を下すぞ」


 
  

猫爺の、ど凡人俳句「破調」

2017-12-01 | 俳句
   ◇プラタナス 落葉(らくよう)の枝(え)に 千の鈴

 プレバト特待生のI君、彼の「破調」の句がかっこいい。猫爺も彼のような句を詠んでみたいと思い、上の句を破調にしてみた。

   ◇落葉(らくよう)のプラタナス 枝(え)に千の鈴

 だめかなー。
 
   ◇冬の朝 音量高き 灯油売り

 猫爺の住む地域には、二社の灯油売りの車が廻って来る。不思議な事に同じ18ℓなのに値段が300円も違うのだ。灯油には小売相場というものがないのか? 

 買った灯油は、玄関まで運んでくれるのだが、そこから裏の物置までは自分で運び入れる。年寄りにはこれが緊いのだ。ちょこっと運んでは休憩。ちょこっと運んでは茶を一服。蝸牛と競争したら負けそう。
 
   ◇疾し月日 黄金の落ち葉 消えて冬

 月日の流れが疾いのは、カップラーメンなどの賞味期限で分かる。まだ買って間がないと思っているのに三ヶ月も経つていたり。「わっ、これなんか一年以上過ぎている。食べられるかな?」 と、お湯を注いで箸をつけてみたが、油分の酸化臭が「ツーン」。98円惜しんで一命落とすのもかっこ悪いから食うのは止めておこう。

猫爺の、ど凡人俳句「自由律句」

2017-11-04 | 俳句
   ◇木枯し一号 黄龍の鱗 地上に舞う

 爺め、生意気に「自由律俳句」に挑戦してみた。以前に、「猫爺のエッセイ」で漂泊の俳人、種田山頭火を取り上げたことがあったが、その奔放さは好きである。山頭火の傍にも寄れないが、これから時々挑戦したいと思う。

 過日、今季初の「木枯らし」が発表された。その日、通院の予約日だったので、強風の中を銀杏の並木路をヨボヨボ歩きながら一句捻り出した。若者がスマホを操作しながら車道を歩いているよりも、余程危険な行動であったが。

 黄龍とは、中国の世界遺産である地形なのだが、猫爺の空想の中で「黄色い竜」にしてみた。嵐のなか、黄色い竜が空に昇った直後として、鱗が剥がれて風に飛ばされている場面を想像した。何のことはない、銀杏の黄葉を鱗に見立てたものだが。

 序に風の句を‥‥

   ◇落葉踏む 杖の孤老へ 摩耶の風

   ◇木犀の 傍を抜け来し 朝の風

   ◇雨やみて 頬に夜寒の 風の音

猫爺の、ど凡人俳句「猫が尾を立て」

2017-10-17 | 俳句
   ◇秋刀魚の値 高しと酢橘 戻す棚

   ◇秋雨や 猫は尾を立て 過ぎる屋根

   ◇昔日の 路地の煙や 焦げ秋刀魚

   ◇雲早く 帆船(ほふね)の早き 二百二十日


 生意気に一句ひねっているが、猫爺は俳句というものを会得していない。プレバトで言えば、「才能なし」をちょっとだけ頭をだしたところで、自分にとっは実に手強い相手である。
 プレバトに置いても、「自分は美しい日本語を生業にしているから‥」「自分は小説や随筆の本を出している文章のプロだから‥」「親が学校の教師であるから、DNAを引き継いでいる」と自信満々で挑むひとに限ってド素人の猫爺でもわかる陳腐な俳句を詠んでいる。

 そりゃあそういうこともあるだろう。「俺は茶が好きで、いつも飲んでいるから茶のことはよくわかっている」という人が茶道に長けているかと言えば、そうとも限らないだろう。
 プレバトの査定をなさる先生が、「俳句には、してはいけないことはありません」と仰いますが、結構厳しい「決まり」というものが存在するようだ。

     

猫爺の、ど凡人俳句「旅の脚止め‥」

2017-10-09 | 俳句
 才能なし俳句から、自分で勝手に「ど凡人」に昇格させた。プレバトと、書店で先生のご本を立ち読みしてきたお蔭だ。 まだまだ勉強不足だけれど。


   ◇亡き妻の 仕種浮かびぬ 夜半の

   ◇目が覚めて 妻の遺書読む 夜長かな

   ◇秋深く 旅の脚とめ 薬飲む

   ◇臥待ちの月の遅きに 窓を閉づ 

   ◇再診の 医師の真顔へ 秋の声


 助詞の使い方には気を付けたつもりだが、映像が乏しい。もっと立ち読みして来なければとは思うが、体力が持たなくて。

   ◇「買いなさい!」と、声が降りくる 二十日月


猫爺のいちびり俳句「春立ちて」

2016-02-07 | 俳句
  白梅や 首をすくめて 一分咲き

  在りし日の 母の匂いが する蓬


 朝早く目覚めて外に出ると、薄っすらと雪が積もっていた。この冬、二度目の積雪である。猫爺、童心に返り雪団子を作って遊んでいたら、指先がジーン。慌てて家に入り微温湯で温めた。耳たぶが未だに痒い。霜焼けにならなければ良いが‥。ってか、爺のくせして歳甲斐もなく馬鹿だねぇ。

 娘が「紅ナンチャラ」という薩摩芋を通販で買ってくれた。テレビ番組で、炊飯器で芋が半分浸かる程度の水を入れて「お急ぎモード」で炊くと焼芋のように甘くなるのだと言ってそれをやってくれた。元々甘い芋なので、電気釜の効果はよく分からないが、とにかく甘い。ただし、釜にこびり付いたアクがとれ難い。こんなことを何度もやっていたら、釜を傷付けそうだ。テレビは、そんな細かいことまで注意をしないので、無責任と言えば無責任だ。

 テレビ番組は、視聴率を稼ぐために効用にはスポットを当てるが、それによって起きる害は無視することが多い。猫爺のようなテレビ爺は「鵜呑み」にしがちなので、慎まなければ‥。

 

猫爺のいちびり俳句「亡き妻に捧ぐ」

2015-10-31 | 俳句

  ◇ハロウィンに 紛れて戻れ 亡き妻よ

   「帰ってきたか、早く入っておいで」
   「南瓜に化けてきたのに、よく私だと分かったねぇ」
   「え、化けていたの? 素顔かと思った」

  ◇秋更けて 経帷子の 妻が呼ぶ

   「こっちは、掃除も洗濯もしなくてよいので楽よ」
   「毎日、何をしているの?」
   「何もしないで、フワリフワリ」
   「わっ、退屈そう」

  ◇柿熟れて 妻と分け合う 仏の間

   「今年も柿が熟れたよ、半分食べな」
   「どうせ食べるなら、馬刺しかユッケがいいけどな」
   「このばちあたり」
   
  ◇団栗は 口に合わぬと 妻が言う

   「別に食べろとはいっていない、懐かしかろうと供えただけだ」

  ◇線香の 煙を揺らす 隙間風

   「この線香、どこで買ったの?」
   「100均」
   「どうりで安っぽい臭いだと思った」
   「嘘つけ、嗅覚も無いくせに」
   「柩覚がある」
   「?」