雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十二回 信濃の再会

2015-02-08 | 長編小説
 朝、福島屋京橋銀座店の店先、三太が浮かぬ顔で掃除をしている。亥之吉が声を掛けた。
   「三太、どうしたのや、元気が無いやないか」
   「へえ、怖い夢を見ました」
   「なんや夢かいな、どうせお化けに追いかけられた夢をみたのやろ、ろくろ首か、一つ目小僧か?」
   「ちゃいます(違います)」
   「提灯か、唐傘か?」
   「もうー、そんな夢とちゃいます」
   「そうか、ほんなら聞いてやるから話してみ」
   「信州の鷹之助先生が病気にならはった夢だす」
   「あはは、それやったら大丈夫や、鷹之助さんには緒方三太郎という名医がついています」
   「そやかて、わいの夢枕に立って、元気に頑張りやと言うたのだす」
   「励ましてくれたのやないか」
   「それが、何や永遠の別れみたいやった」
   「夢なんか、当てにならへん、藩校で元気に教鞭とってはるやろ」
   「うん」

 二人がそんな話をしていると、店の前に二人男が立った。一人はまだ子供のようであった。
   「あっ、先生やおまへんか、緒方梅庵先生だすな」
   「おや、覚えていてくれましたか、亥之吉さんご無沙汰でした」
   「忘れる訳がおまへん、わたいの命の恩人やおまへんか」
   「そんな大袈裟に言わないでください、この子は浩太といいまして、わたしの弟子です」
   「噂は三太郎さんから聞とります、辛いことに遭っても、元気に頑張っていなさるのやそうで、感心しております」
   「恐れいります」
 浩太がペコンと頭を下げた。今度は、亥之吉が三太を紹介した。
   「この子はうちの丁稚で、三太と言います」
   「三太さんですか、弟緒方三太郎の子供の頃の名前と一緒ですね」
   「鷹之助先生の教え子だす」
   「そうでしたか、その鷹之助が病気になったそうで、私どもは見舞いに行く途中です」
   「えっ、三太は「鷹之助先生が病気になった夢を見た」と、心配していたところだす」
   「三太郎が手術をして、助かったそうです、心配しなくてもいいですよ」
 三太が安心したようで、笑顔を取り戻した。
   「実は、信州に戻る本当の理由は、先の上田藩主の松平兼重候がお隠れになったので、ご供養に戻るのです」
 三太が突然に駄々っ子のように言った。
   「わいも信州に行って、鷹之助先生やお鶴ちゃんや源太や田路助さんに会いたい」
 亥之吉が窘めた。
   「何を言うのや、先生の足手纏いになりますやないか」
   「行きたい、行きたい」
   「お前はこの店の丁稚やで、そんな勝手は許されまへん」
   「そやかて、旦那さんは勝手に行って来たやおまへんか」
   「あほ、わしはここの店主や、お前も店主になったら好き勝手できるやないか」
 上方の人間は、すぐに「あほ」を付ける。あほと言われた上方人は、全く気にしない。蛙の面に小便というやつである。
   「今行きたいのに、店主になるまで待っていられへん」
 梅庵が優しく誘ってくれた。
   「私達は構いませんよ」
 亥之吉の女房お絹が、話を聞いていたのか顔を出して言った。
   「あんさんが長い旅に出ている間、三太はこの店の用心棒を務めてくれたのや、わたいも三太に助けられております、行かせてやりなはれ、ご褒美やないか」
 お絹のその一声で、三太の信州へ行きが決まってしまった。
   「先生、すんまへんなあ、足手まといだすけれど連れて行ってくださいな」
   「わかりました、三太ちゃん、一緒に行きましょう」
   「邪魔になったら、そこで帰してください、三太には中山道の旅に慣れた新さんが付いていますさかいに、独りで帰れます」
   「はいはい、新三郎さんのことはよく知っています、三太郎も鷹之助も護って貰ったのですから」


 直ぐに梅庵と浩太と三太は信濃の旅に発つことになった。
   「ほんなら、わいはそこらまで送って行きますわ」
 亥之吉が旅支度をしようとすると、お絹が止めた。
   「あきまへん、あんさんのことやから、また信州まで送って行くのやろ」
   「信州から帰ってきて間がないがな、ほんまにそこらへん迄や」
   「行ったらあきまへん、三太もおらへんのに、夜盗に襲われたら誰が店を護りますのや」
   「男が、ようけ(たくさん)居ますやないか」
   「あんな糸ミミズみたいな男たちに頼れますかいな」

 三太の足取りは軽かった。第一に鷹之助先生に会えるのだ。源太は三太郎先生に剣道を教わって強くなったかな、お鶴ちゃんはまだ若いのに先生の嫁が務まっているかな、また田路助さんに甘えてみたいな、三太の心は早くも信濃路を辿っていた。


 梅庵一行は、まず上田城に上がった。佐貫慶次郎存命時の部下たちが、暖かく迎えてくれた。藩侯にも目通りしてお悔みを述べ、梅庵の近況を尋ねられた。
   「阿蘭陀医学の権威になったそうだな、近隣の大名たちに羨まれて、予は鼻が高いぞ」
   「勿体ないお言葉にございます」
 鷹之助は、まだ明倫堂へ出校していないようであった。上田城を下がると、まっすくに佐貫の屋敷へ足を運んだ。

   「あっ、兄上と三太、来てくれたのですか」
   「そうだよ、鷹之助の身が心配になって来てしまった」
   「嘘でしょ、ご隠居様の墓参りでしょ」
   「それもある」
 梅庵が浩太を紹介した。
   「弟子の浩太だ、この子は見世物小屋に売られて、全身に鱗模様の刺青を彫るられた可哀想な子供だ、驚かないように先に言っておく」
   「三太郎兄上に聞いて知っています、浩太さん、めげずによく頑張っているそうですね」
   「はい、この刺青のお陰で、患者さんによく覚えて頂いております」
   「浩太さんは前向きなのですね」
 
 小夜が小走りで出てきた。
   「母上、緒方梅庵ただ今もどりました」
   「よく戻ってくれました、お殿様へのご挨拶は…」
   「はい、一番に行ってまいりました」
   「そうですか、ご苦労様でした」
   「この方たちが、浩太さんと三太さんですか、どちらも賢そうですね」
   「はい、賢いです」
 この場に亥之吉がいたら、三太の頭を「ぺちん」と叩かれているところである。

 源太と田路助が出てきて、奇声を上げた。
   「あっ、三太や、よく来てくれたなあ」
   「源太、元気そうやなあ、田路助さんも変わりおまへんか?」
   「へえ、おおきにどす、三太ちゃん、男らしくなりましたなぁ」
   「真っ黒やてか?」
   「へえ、一段と」
   「ほっといてくれ」
 昆布屋のお鶴が、武家の若奥さんらしくなっていた。
   「きゃーっ、三太ちゃんが来てくれた、お店の主人がよく出してくれましたなァ」
   「へえ、物分かりのよい旦那さんだすから」

 梅庵、浩太、三太の三人は、今晩佐貫の屋敷に泊まることになり、三人は緒方三太郎の養生所に出かけて行った。
   「兄上、遠路ご苦労様です、ご隠居のお墓には参られましたか?」
   「いや、未だだ、藩侯にはご挨拶してきたのだが…」
   「そうですか、では明日わたしがご案内しましょう」
   「ありがとう、それと、鷹之助をよく助けてくれた」
   「ああ、兄上から頂いた薬のお陰ですよ」
   「虫垂が膿んでいたようだな、いま会ってきたが、すっかりよくなっていた」
   「はい、そろそろ明倫堂に復帰させてやろうかと考えています」
   「鷹之助は無茶をしないから大丈夫だろう」
   「そうですね」

 大人が二人話している間、浩太と佐助と三四郎と、何時の間にか三太も打ち解けて突拍子もない高笑いに包まれていた。
   「三太さん、ちょっと来てくれるかな?」
 三太郎が手招きしながら呼んだ。
   「へえ、何だす?」
   「ちょっと懐へ手を突っ込ませてくれないか」
   「へえ、構いませんが、おっぱいはペチャンコだすで」
   「そんなものを触るのと違います」
   「あっ、わかった、新さんと話をがしたいのだすな」
   「そうそう、新さんは私も護ってくれた守護霊です」  
   「ひゃーっ、冷たい」
 三太が悲鳴を上げた。
   「新さん、お久しぶりです」
   『へい、三太…いや、三太郎さん、お懐かしゅうござんす』
   「きゃーっ、こそばい」
 三太が暴れた。
   「しーっ、静かに」
   「そやかて…」
 三太が煩いが、三太郎は無視している。
   「鷹之助を護ってくれてありがとう、鷹之助には会ってきましたか?」
   『いや、まだです、今夜佐貫の屋敷に泊まるそうなので、ゆっくりと話します』
   「そうですか、阿弥陀様はお怒りではないのですか?」
   『へい、もう怒るのを諦めたみたいです』
   「見捨てられたのと違いますか?」
   『そうかも知れません、あっしは阿弥陀様の膝元でゴロゴロしているよりも、この方が楽しいのです』
   「新さんらしいですね」
   『また三太郎さんに憑いて、旅がしたいものです』
   「楽しかったですね、金儲けも出来たし」
   『人助けでしょ』
   「そうとも言う」

 話は尽きないが、梅庵が佐貫の屋敷に帰ると言う。仕方なく三太も浩太も三太郎養生所の皆さんに別れを告げた。
   「またきっと来るからな」
   「俺達も大人になったら会いに行くよ」
 浩太が少し目を潤ませているが、三太は相変わらず楽しそうにピョンコピョンコしている。その夜、佐貫の屋敷で、三太はお鶴と田路助と、新三郎は鷹之助に憑き、思い出話に更けた。

 翌日はご隠居の墓に詣でて、その足で案内してくれた三太郎と別れ、江戸へ向けて帰っていった。

  第三十二回 信濃の再会(終) -最終回に続く- (原稿用紙14枚)

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