雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のいちびり俳句「金木犀」

2016-09-29 | 日記
   ◇薫る風 汝(なれ)はいずこぞ 金木犀

   ◇登坂せし 爺(じじ)に褒美の 金木犀

   ◇薫りだけでも 持ち帰りたし 金木犀


 今秋、小生はまだ金木犀に逢っていないのだが、余所様のブログで写真を拝見して、即席で詠んでみた。写真ながら、匂うが如く咲き誇る金木犀に、感動しているところである。

   (/・ω・)/ 金木犀おいといて

 安い米でも、「にがり」を一滴入れて炊くと、高級米のように美味い飯が炊けるそうな。小生、ご飯の美味い不味いも分からないクセして興味津々。早速入れてみようと「にがり280円也」を買ってきたのだが、釜を開けてみると「冷や飯」がどっさり。昨夜二合炊いたのが残っているのだ。
 興味津々は、明日の晩までおあずけ。

   (/・ω・)/ 米おいといて

 安いアメリカ産の牛肉でも、肉がヒタヒタに浸かる重曹を小匙一杯入れた水に、30分程度漬けておくと国産牛肉のようになるのだとか。これもやってみようとダイソーで重曹を買って来たが、箱をよく見ると「掃除専用」だとか。どう違うのか分からないが、不純物でも入っているのかも知れない。今夜は止めとこ。


 

猫爺の日記「新之助」

2016-09-26 | 日記
 ちょっと以、投稿した小生の記事に「稲穂が黄金色に変わる頃、野に、畔に、寺の庭にと普通に咲き乱れていた彼岸花も、最近ではさっぱり目にしなくなった。小生の行動範囲が狭くなった所為ばかりではないようだ」と書いたが、これは大間違いのようであった。

 リンク許可を得ていないので、一文字「伏字」にさせて戴くが、「コケ〇ス」さんと仰る方のブログで、まさしく小生が昔に見た田園風景の写真を拝見した。視界一面に広がる金色の田園の畔に添って、紅の曼珠沙華が、まるで区画を示すように咲いていたのだ。
 小生の目に入らなくなったのは、自分の行動範囲が極端に狭まった所為であった。

 田圃といえば、春になると田を起こすまえ、蓮華の花が浩々と咲き乱れていたものである。これも、当地の田では見かけなくなった。蓮華は、田の泥に「根粒バクテリア」を増殖させる為に、故意に咲かせたものである。
 根粒バクテリアは、空気中の窒素を植物が取り入れることのできる肥料に変える働きがあるために植えられたもので、今では廉い化学肥料で間に合うために廃止されたものであろう。

 これも、小生が知らないだけで、化学肥料を使わずに蓮華を植えるところも、きっとあるに違いない。ブログ巡りは、引きこもり気味の小生に、色々なことを学習させてくれる。


 米と言えば、新潟で「新之助」という「こしひかり」と違う新しい品種の米が10月から新潟県内及び三大都市圏の三越伊勢丹グループで試験発売されるとか。自分は「米」には拘りはないが、謳い文句の「冷めても美味い」に、旗本の三男坊(嘘)、冷や飯食いの自分としては興味がある。
 
 

猫爺のいちびり俳句「団栗の思い出」

2016-09-24 | 日記
   ◇山路にて 団栗拾う 幼ごころ

 山路を歩き団栗の実を見付けると、ついつい拾ってしまうのは幼き日の思い出が詰まっているから。

   ◇団栗や 遊びに飽きて 庭に埋め

 翌春、一本だけ芽が出て、子供の背丈くらいまで育てたものだが、その後どうなったのか、何の木だったのか、とんと思い出せない。

   ◇幼き日 団栗齧り しかめ面

 栗が食えるのだから団栗だって食えるに違いないと、齧ってみてその渋さに驚いた思い出がある。母に団栗を齧った感想を話すと、戦時中には団栗も食べていたのだそうで、渋を抜く方法があるのだと言っていた。その方法を訊かぬままに母は逝き、興味を無くして忘れ去っていた。渋を抜くと、どん味だったのであろう。栗と同じなのかな? と、団栗の写真を見ると思い出される。


 作日は、血管梗塞の検査に行ってきた。結果はすぐに出て、カラープリントでデータの説明をして貰った。やはり梗塞気味だそうであったが、「歳が歳だから、こんなものかな」で、片付けられてしまった。あのねえ、もっと言い方があるのではないかい。例えば、「歳相応のデータです」とか。
 意味は一緒でも、言われた方の気分は違うぞ。

 スーパーできれいな秋刀魚(サンマ)が並んでいた。文字通り刀のようにキラキラして、如何にも美味そうであった。一匹150円だったので買って帰ろうと手に取ると、白くて細長いものが腹を破って出て来るところだった。寄生虫である。秋刀魚や鯖などには普通に寄生する虫であるが、生きてくねくねしているのを見てしまうと、たとえ熱をとおしたものでも食べたくなくなってしまう。
 小生は、アレルギーがあるので、なま魚は極力食べないようにしている。くら寿司では、あさりの赤だしと、コーンマヨや卵焼き、天婦羅ばかり食べて、なまのマグロやブリ、マヒマヒなどには手を出さない。

 

猫爺の日記「何があったのだろう?」

2016-09-20 | 日記
 猫爺がブログにアップした昔の記事に、アクセスが集中している。記事に対するクレームかも知れないのだが、それにすれば反論コメントが無い。今までに経験のない不思議な現象だ。
 「炎上か?」とも考えたが、そんな大規模なものではない。マイクロ炎上か、それともピコ炎上かな?
 記事は、「なんで大政国を売る」だが。

    (/・ω・)/おいといて‥

 小生の住いするところは、台風一過。今は雨も止んで「しーん」としている。過去の言い方をすれば、二百十日(にひゃくとおか=嵐の到来する時期で9月1日)、更に二百二十日(にひゃくはつか9月10日)に合致する。

 「危険な場所に近寄らないようにしてください」そんな呼びかけが何度もあったが、氾濫しそうな川の堤を風に煽られながら傘をさして歩いている男がテレビに映し出されていた。若者か爺か知らないが、小生、「用心しろよ」と呟いていた。死ぬほど恐ろしいめに遭ったものでないと、「自分は大丈夫」という自信が危険行為を踏み留めさせないらしい。

    (/・ω・)/おいといて‥

 「二百十日」は、クイズ番組に登場しないことから、わりと知られていない気がするが、夏目漱石の小説のタイトルでもある。友人と二人で阿蘇山に登るのだが、途中「嵐」に遭って下山する。その間に交わす二人の対話形式で物語は終始するもの。

 

猫爺のいちびり俳句「夏過ぎて‥」

2016-09-17 | 日記
   ◇扇風機 ひとつ壊して 季や移る

 数年前にロイヤルで買った2400円の扇風機が壊れてしまった。今年の夏は熱帯夜が長く続いたので、夜通し回していたために酷使が過ぎたのであろう。

   ◇菊の鉢 買うほど心に 余裕湧く

 スーパーの出入り口近くに小さな花卉種苗店がある。陳列している鉢植えの花を、暑い間は見向きもしなかったのだが、少し涼しくなると立ち止まって眺めるようになった。昨日は背丈15センチくらいの黄色い菊に目が留まった。妻が好きであった所為である。1鉢350円也。 「買おう」と思わせるのは、涼しさから来る心と躰の余裕だろう。清水の舞台から飛び降りる思いで税込み378円を奮発して、小袋をぶら下げて帰った。

   ◇朝顔や 種が弾けて また来年

 さて来年の夏も、野生化した朝顔の花を、主は元気で眺めるのであろうか。やや怪しげではある。 


 現在、3つの創作が途切れている。「賢吉捕物帖」「続・赤城の勘太郎」「続・朱鷺姫様」である。イメージの小枝ばかりで、肥料足りないばかりに成長が止まっているのだ。

 今日の昼肥料は、冷凍の「ビビンバ炒飯」を食うつもりである。美味いがピリ辛過ぎるので、ビビンバ炒飯1/3袋に、同量の冷や飯を加えて温め、「粉末中華だし」で味をととのえる。小生の好物である。

 

猫爺のいちびり俳句「花魁と彼岸花」

2016-09-11 | 日記
   ◇花魁の 野辺に佇む 彼岸花

   ◇彼岸花 黄金の裾へ こぼれ紅

   ◇花魁や 鏡に紅指す 曼珠沙華

 稲穂が黄金色に変わる頃、野に、畔に、寺の庭にと普通に咲き乱れていた彼岸花も、最近ではさっぱり目にしなくなった。小生の行動範囲が狭くなった所為ばかりではないようだ。

 子供の頃は、この花で「首飾り」を作ったものだ。根元から切り取り、茎を交互に折り鎖状にして首に下げるのだ。 彼岸花の首飾りを下げているところを親に見つかると、えらい勢いで叱られたものである。彼岸花には毒があるからだ。
 もともとこの花は、田圃の畔や、お墓のまわりに故意に植えられたものであり、この毒で田圃を土竜などから守る目的や、寺では土葬した死体を野犬などの動物から守る目的があった。 今では、故意に植えられることはないのだろうか。

 


 

 

猫爺の狂歌擬き「初秋」

2016-09-03 | 日記
 猫爺のなんちゃって(ヘボ)狂歌

   ◇涼しくて 心地が良くて 眠たくて 昼もすやすや 夜もすやすや

   ◇治安良く 平和な国とは 言うなれど ヤク、チャカ、コロシの 絶えぬ国かも

   ◇鱗雲 鯖雲秋刀魚雲 鰻雲 中央市場で ねをあげる雲


 三日程、涼しい日々が続いた。あれもしなければ‥、これもやりたい…、そう思うだけであまりにも気持ちが良いために、コロンと横になると寝てしまう。何もしたくなかったのは、暑さの所為ではなかったようだ。

 では、なんの所為?  んー、歳の所為にでもしておこうか。