雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の才能なし俳句「プレバトから教わる」2

2017-09-24 | 日記
   ◇地中より 鬼導きて お螻蛄鳴く

 私の住む町では、もう何十年か以前から「螻蛄(けら)」の鳴く声は聞いたことがない。従って、この句は思い出を詠んだものである。螻蛄は地中から「ジー」と断続も抑揚もなく単調に鳴く。私の子供の頃は、「みみず」が鳴いているのだと教えられ、信じ込んでいた。暗闇の、然も地中から聞こえる螻蛄の鳴くさまは、不気味に思えたものだ。

   ◇児のこぶし 抉じ開け逃げし 螻蛄嗤う

 この句も、私の思い出を詠んだもの。螻蛄は毒を持たず、噛みつきもしないが、前足は非常に力が強い。幼児の拳など何のその、指と指の間を抉じ開けて逃げてしまう。

   ◇一刀両断 したし真白の 秋の雲

 真青き空の綿雲を見ていたら、木刀で両断したくなってくる。そんな衝動を詠んだ愚作。

   秋空や 水を抜きたる 田に田螺

 これも思い出の句である。田に生きる田螺は、水が無くなると地中深く水のあるところまで潜り冬を越すのだが、最近の田は深く耕し、完全に乾燥させるらしく、田螺が棲めなくなったのであろう、私ごときの目に留まることはなくなってしまった。絶滅危惧種になったのかも知れない。
 
   ◇有馬路や 出湯へ誘う 花芒

 さしたる映像がなく、実に愚作である。有馬路(有馬街道)は、出湯の里「有馬温泉」へ至る県道15号線である。途中、「水飲み」や「二軒茶屋」などの昔の名が残っている。


 プレバトでは、夏井先生がよく注意されていらっしゃる「季重なり」と、「季語無いじゃん」に気を付けて詠んでみた。あと、「散文(説明するな)にならないように」を気を付けているつもり。難しいが、出来る限り「映像」を描こうとしている。

  (下線は季語)


 

猫爺の才能なし俳句「プレバトを観て俳句の勉強中」

2017-09-20 | 日記
   コンバイン 止めた静寂へ 来る雀

   ◇野を駆ける 子等のズボンに 草虱

   渋柿や 収穫終えて 風寒し

   ◇闇の中より打ち寄せる 虫の声


 ただいま、TVプログラム、「プレッシャーバトル」で俳句の勉強をしている。以前から俳句ごっこはしていたものの、やはり先生の解説、査定、手直しは勉強になる。「夏井いつき先生」のご本を買って読みたいのだが、老人の勉強のこと、それは贅沢というものである。専ら本屋で店員に睨まれ乍ら立ち読みをしている。

 「綺麗だな」なんて個人の感想を詠み込むのは避け、できる限り「情景」を描写して読者に「綺麗だな」と感じて貰うように努力している。「や」「かな」のような「前の文を感嘆した切れ字」の使い方も、助詞のもつ意味も少々身についてきた。そろそろ「才能なし」から「ど凡人」に昇格(?)したいものだ。

 草虱(くさしらみ)とは、我らの子供時代は「ひっつき虫」と呼んでいた雑草の種である。野原で遊んで帰ると、ズボンや服にびっしりと付いていたものだ。

 今年の春、植木鉢に何だか芽を出した。草花の種が芽をだしたものだと思い、「どんな花が咲くのか」と楽しみに水をやって育てていた。夏になって花が咲いたのを見て、子供の頃に花を胸にくっ付けて遊んだ「ひっつき虫」だと判ったが、「折角育ててきたのだから」とそのままにしておいたら、洗濯物にびっしり付いて部屋に入ってきていた。懐かしいけど、取るのが面倒臭さい。母が悲鳴を上げていたのを思い出す。


 
 

猫爺の才能なし俳句「秋」と爺の昼餌

2017-09-14 | 日記
   ◇空冴えて 海色褪せる 秋意かな

   ◇青残る 畔(あぜ)に紅指す 彼岸花

   ◇秋夕焼 青き楓を 包む赤

 過日、昼餌に「和食〇と」で親子丼を食べた。わりと気に入った味だったので、憶えている味覚でローコストに「再現?」してみようと思いたった。鶏肉は焼き鳥の味がしたので、スーパーの焼き鳥(一本68円也)を使った。丼鉢に冷や飯をよそい、電子レンジで温めておき、汁は水と醤油と味醂と粉末の「あごだし」少々で丼の汁らしく調え、ミニフライパンで煮たて、串から外した焼き鳥を入れ、溶き卵を落しいれて火を消した。それを丼鉢にそっと移し、蓋をして余分な汁を捨て1分馴染ませると食卓へ。味噌汁は即席だが、白菜の一番外がわの菜で作ったような店の味噌汁よりも爺好みである。「おっ、出来た出来た」うん、店のものに限りなく近い?。葱か三つ葉を添えると大満足なのだが、葱も三つ葉も高価なために贅沢なものになってしまうため省略。

猫爺の才能なし俳句「貝殻」

2017-09-10 | 日記
 ある治療薬を服用しているためにすぐに疲れる躰だが、家でゴロゴロしているのも怠惰感を覚える。気晴らしにとマーカーペンと印鑑を買いに100円ショップへ行って来た。色々見てまわっていると、小さなビニール袋に貝殻が10個ほど入ったものがあった。猫爺は海辺で育っているいので、こんな屑貝殻なんて珍しくもなく、むしろ足を切ったりすので邪魔っけな存在であった。それでも女の子みたいに綺麗なさくら貝や珍しい巻貝の殻を見付けると拾って帰ったものだ。アルミの筆箱の中へ入れておくと、それを見た女の子が欲しがるからだ。

 その貝殻を思い出して駄作の俳句を一句。

   ◇百円の貝殻 ぬし護りたる 夏の海

 筆箱の中と言えば、現代の子供は絶対にやらないだろうが、猫爺は割れた体温計などから出た水銀を入れていた。素手で引き離したり、またくっつけたりするのが面白いのだ。後に教えられたのだが、水銀は猛毒で、口に入ると脳炎のような症状になり、死に至ることもあるのだそうである。良い子はこんなアホの真似を絶対にしないように。
 
 玩具など買って貰えないため、火事で焼けた電子パーツの工場から、ペーパーコンデンサを拾ってきて、電極のアルミホイルを集め、丸めてボールを作たりもした。人にぶつけると危険なので、専ら転がして遊ぶ玩具だ。

 さき程まで賑やかだった集く虫の声が途絶えた。雨が降り出すのだろうか。それともしんどくなって「今夜はここまで」「また明日」と、寝てしまったのか。そこで一句。

   ◇闇空や 集く虫の音 止みし闇

 帰りに、「和食さ○」で、メニューの鰻重セットを横目に見ながら、親子丼を食べて来た。年寄りには高ボリュームで美味くもあったが、味噌汁は「野菜屑」を集めてブチ込んだような感じで、一口食べて残してしまった。猫爺にとっては、可成り贅沢なチョイスだったのだが‥‥。

 


 

猫爺の才能なし俳句「祟りじゃー」

2017-09-07 | 日記
 過日、腸の内視鏡検診に行ってきた。我慢の出来ない程の苦痛ではないが、些か屈辱ではある。カメラの先端が腸壁を突いているのだろうか、時々痛みが走る。「痛かったら言って」と、ドクターが声を掛けるが、どの程度の痛みで訴えたら良いのかわからない。堪えているとドクターが素っ頓狂に声を出した。
   「○○さん、大腸の憩室を摘出したと言っていたが、残っていますよ」
 ドクターに「大きな手術は?」と訊かれて、虫垂摘出の折に、確か憩室も摘出したと答えていたのだ。カメラは大腸に進んでいるらしい。
 シャッターを押しながら、ドクターの説明は一先ず「憩室」の方へ行ってしまった。

 内視鏡検診を受けながら、自分の悪戯小僧時代を思い出していた。我々が疣蛙(イボガエル)と呼んでた少し大きめの蛙を捕まえ、その尻から麦藁(ストロー)を差し込んで「プゥー」と吹くと、蛙の腹が河豚(ふぐ)みたいに膨らむ。そのまんま池に戻してやると、暫くの間腹を上にして「ぷかん」と浮いていた。蛇が見つけると一飲みだったろう。

 蛙を虐めた罰なのか、今の自分は膨らされた蛙そのまま。内視鏡を突っ込まれて空気を入れ、腹をプクーと膨らされて横たわっている。「蛙の祟じゃー」。 そこで一句‥

   ◇池澄みて 逃げるや 波白し

   ◇池の土手 あけび見付けし 子の歓喜

   ◇天高く 池面に浮かぶ 雲一片 


   (アンダーラインは季語)