雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

メガネの処方箋

2013-02-28 | 日記
 ぽかぽかと暖かい一日だった。 今日は朝から窓を開けっ放しにしていたが、時折吹き込む冷たい風に首を竦めることもあった。 春なのだけれど、まだまだ寒冷前線に覆われる日がくる予感。 年寄りは油断大敵だ。

 白内障の手術から3ヶ月、ようやくメガネの処方箋を書いてくれた。 若い頃から「ど近眼」で、メガネなしでは歩けなかったのだが、手術を受けてからはメガネなしでも歩けるようになった。 しかし、単焦点レンズなので遠景ら近景まで見える訳ではなく、埋めた人工レンズが短焦点なら近視用のメガネが必要だし、遠景用のレンズなら、その逆のメガネが必要だ。

 一昨日、眼鏡市場へ行って驚いた。 メガネと言えば、メガネ職人さんが大きなレンズをグラインダーでフレームに合わせてギーギー削り、顔の曲線にあわせてフレームを調節してもい、7~8万円も払ったものだが、今はそんなことはしないようだ。
 いわば既製服のような感じで、フレームに合ったレンズがあり、着せ替え人形のように取り付けるだけ。 値段もレンズとフレームで1万8千円と安価。 これなら、度付サングラスも欲しいかな? 病院の眼科へ行くと、散瞳薬を注されるので、半日くらいは瞳孔が開いたままになる。 帰り道、天気が良いと眩しくてたまらんから。

 ヒヤシンスの花が、だらしなく開きかけた。 小さい花がちまちまっとたくさん咲くイメージだったが、何かちょっと違う。 ヒヤシンスにも色々種類が有るのだなぁ。

ケツをまくる

2013-02-26 | 日記
クイズ番組をみていたら、「ケツ(尻)をまくる」の意味が問題として出ていた。 正解は「居直る」ことで、意味はよく知られているところである。 では、どういう場面から出てきた慣用語なのだろうか考えた。 時は江戸時代、1860年頃の話を思い浮かべる。

 歌舞伎に登場する五人組の盗賊、「白浪五人男」の一人、弁天小僧菊之助の出番。

 呉服の反物商「浜松屋」に、美しく上品な武家娘がお供を従えて入ってくる。 いろいろ反物を出させるが、どれも気に入らないと愚図る。 店先のこととて、他の客のことを考えて、店主はお金を渡してここはひとまず帰ってもらおうとするが、店の一人に男だと知れ、これは騙り(かたり)だと勘付かれてしまう。
 さあ、そこで女装した弁天小僧がケツをまくって胡坐(あぐら)をかく。 その名場面のセリフが、七五調の…

  知らざあ言って聞かせやしょう
  浜の真砂(まさご)と五右衛門が 歌に残せし盗人の
  種は尽きねえ七里ヶ浜 その白浪の夜働き
  以前を言やあ江ノ島で 年季勤めの稚児が淵
  百味講で散らす蒔き銭を あてに小皿の一文字
  百が二百と賽銭の くすね銭せえ段々に
  悪事はのぼる上の宮 岩本院で講中の
  枕捜しも度重なり お手長講と札付きに
  とうとう島を追い出され
  それから若衆の美人局(つつもたせ)
  ここやかしこの寺島で 小耳に聞いた爺さんの
  似ぬ声色でこゆすりたかり
  名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!

 盗人繋がりで、大泥棒「石川五右衛門」の辞世の句

  ◆石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ

 枕捜し=コソ泥
 お手長講=講の人々の財布を狙う手癖の悪いやつ
 稚児が淵=稚児が身を投げた淵
 寺島=弁天小僧の当たり歌舞伎役者の本名

   手抜き投稿(-_-;)

しんみりと…

2013-02-24 | 日記

 これを、映像慣れとでも言うのだろうか。 逞しくなったとでも言うのだろうか。 ドキュメンタリー番組で生々しい脳の手術や開腹手術の映像を見ながらカウチポテトはまありとして、平然とホルモン焼きが食べられるのだから最近の若い人には感心させられる。 そのうえ、手術の途中でにぎり寿司のコマーシャルを入れるスポンサーも豪気。 内蔵と同じような色の寿司ネタが、これまた内蔵と同じように艶々している。 こんな年寄りの私でさえも、一時は寿司を食べたいと思う気持ちが薄れてしまう。 どうやら、いい年をしたこの爺の神経が繊細すぎるらしい。(・・;)


 最近は美味しいコーヒーを飲んでいない。 コーヒー好きとはいえ、本物のコーヒー通ではないので、砂糖もミルクも欠かせない。 その砂糖を、低カロリーの甘味料にしているので美味しくないのは無理からぬこと。 業務スーパーで買って来たインスタントコーヒーに、これまた業務スーパーで買って来た粉末のクリームを入れて、甘味料で飲むと洗濯石鹸の臭いがしている。 たまにスーパーの飲食コーナーで飲む100円のコーヒーが、めっちゃ美味しく感じるのも、憐れと言えば憐れなのかも知れない。 (-_-.)


ゆるキャラ

2013-02-23 | 日記

貧しい家庭で育った所為だろうか、私は他人様が捨てるところを好んで食べる癖がある。 例えばブロッコリーは、緑色の蕾の部分よりも固い茎をマヨネーズで食べるのが好きである。 ウメボシは固い種を歯で割って、中の胚芽の部分を食べるし、沢庵漬けは、大根を糠味噌に漬けた最後に大根の葉を乗せるが、その葉を刻んで飯に混ぜて食べるのが好きだ。 

 飯も、ほっかほっかの炊き立てよりも冷飯を好んで食べる。 これを妻は最後まで疑っていた。 遠慮かケチに思えたのだろう。 本当のところ、飯よりパンの方が好きだ。 飯も、白飯におかずを添えて食べるより、ピラフや焼き飯、炊き込み、カレーのようなものが好きだ。 「長生きできないよ」と言われたが、これだけ長生きしたのだから「勝利は我が手に」みたいな…。


「ゆるキャラ」の人気が出ているそうな。 私が知っているのは、遷都くん、くまモン、バリーさんくらい。 ところが、この地神戸には7つもの「ゆるキャラ」があるのただそうである。 その内、ワケトンという豚のキャラがあるが、あれが「ゆるキャラ」だと思わなかった。 環境局の職員が描いた落書きだと思っていたのだ。 これは何のキャラクターかと言えば、ゴミの分別だ。 神戸市の場合、ゴミ袋も指定の高価な物でないといけないし、分別方法も「ああしろ、こうしろ」と勝手にルールを変更しては、間違える者を脅しているキャラクターで、決して「ゆるキャラ」では無く、「脅しキャラ」だと思う。 著作権にガッチリ護られているし、目つき悪いし。 

 その点、熊本のくまモンは著作権フリーで、「ゆるキャラ」そのものだ。 その所為か全国で使用されて、その経済効果は数百億だとか。 神戸市も見習えばいいものを…。 とは、森永ハイチューを見て感じたこと。 

 


水栽培のヒヤシンス

2013-02-22 | 日記

相も変わらず寒い日がつづいているが、水栽培のヒヤシンスは日一日と蕾を膨らませている。昨年も球根を買ってきて、芽が出て2~3センチのところで腐らせてしまった。部屋に置いていたのだが、天気の良い日に日向に出してやったのを忘れていて一晩屋外に出したままにした所為だ。今年は気を付けようと、まだ一度も外へだしていない。

 妻が生きていたら喜んだかも知れないと考えながら鉢植えの世話をしているのだが、どうもいけない。ついこの間買って来たサクラソウも萎れさせてしまったし、サイネリアも元気がない。仏壇に供えた切り花の「しきみ」だけが、元気に緑を保っている。


温故知新「琴、花、酒のあるものを」

2013-02-20 | 日記
  旅と旅との君や我
  君と我とのなかなれば
  酔ふて袂(たもと)の歌草(うたぐさ)を
  醒さめての君に見せばやな

 島崎藤村の詩集「若菜集」の中の『酔歌』である。これに曲を付けた歌をYouTubeで聴いた。
 「さびしい歌ですね」というコメントが付いていたが、これは死別の詩でも失恋の歌でもない。旅(人生)というものに挫折して悩む少年(青年)に、ただ突き進むだけでなく、「時には立ち止まって肩の力を抜いてみろや」と諭している詩だと思う。
 「恋をするのもいいもんだぞ」とも。

 恋などと何処にも書いてないが、(我)の詩を君に見て貰いたいが、ちょっとテレ臭いので(君)と酒を酌み交わしている時に見せよう。(君)の酔いが醒めた頃合いを見計らって。
 その詩とは、数多い藤村の恋の詩であろうと推れるではないか。では、(君)が少年(青年)であると私が思うのはどこか。次の詩文である。

  若き命も過ぎぬ間まに
  楽しき春は老いやすし
  誰(た)が身にもてる宝ぞや
  君くれなゐのかほばせは

 「くれなゐのかほばせ」は、紅の顔(かんばせ)、すなわち、紅顔の美少年(青年)であろう。40歳を過ぎた男には、あまりこの形容はしないものだ。紅顔の美壮年とか美中年とか…。
 「君は頗るイケメンじゃないか、もっと砕けて生きてみろよ、女にモテるぞ」

  君がまなこに涙あり
  君が眉には憂愁(うれい)あり
  堅かたく結べるその口に
  それ声も無きなげきあり

 悩み多き青春のまっ直中とはいえ、(君)は鬱陶し過ぎる。なにも語らなくても顔に出ているさ。

  心の春の燭火(ともしび)に
  若き命を照らし見よ
  さくまを待たで花散らば
  哀かなしからずや君が身は

 若いっていうことは、それだけで素晴らしいことだ。その素晴らしい時代を悩み苦しみながら、無駄に過ごしてはならない。 そんなのって、哀しすぎるよ。

 わきめもふらで急ぎ行く
 君の行衛(ゆくへ)はいづこぞや
 琴、花、酒のあるものを
 とゞまりたまへ旅人よ

 「琴花酒」とは、清酒の銘柄ではない。琴は音楽、花は女性、酒はそのまま酒、酒を酌み交わす二人の男の話題である。あまり男二人が酒を飲みながら「俺はチューリップがすきだ」「儂は断然牡丹がいい」などとフラワーを話題にしないものだ。 
 ただ頑なに突き進んで、いったいどこへ行き着こうとしているんだ。音楽に耳を傾けるのも良い。女も、うまい酒もある。ちょっと立ち止まって、脇見をしてみろ。また違った世間がみえてくるぜ。

 この詩を、湿っぽいメロディで歌うのではなく、応援歌として手拍子で歌いたい。やはりこの詩に似合う曲は、与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」に付けられた曲(作曲者不詳)が良い。短調のメロディではあるが、短調は歌い方で「物憂く」もなるし、長調よりも「勇壮」にもなる。
   (2015.02.26 改稿)

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  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
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サボりの青竜神?

2013-02-18 | 日記

 去る2月11日は建国記念日だった。 昔はこれを「紀元節」といった。 初代天皇「神武天皇」が即位した日を紀元として、今年で2673年である。 それ以前には日本は無かった訳ではないが、不明瞭で面倒くさいから切り捨てられたような気がする。 

 立春が過ぎてはや半月、そろそろ暖かくなってきても良さそうなものを、青竜神がサボっている所為か、まだ寒い日が続いている。 我が家のヒヤシンスの蕾が、歩き始めたみいちゃんみたいに「早よ咲きたい」と待っている。 

 野菜が高騰したおりに、安い豆苗を焼き肉にのせて食べたが、その根っこから3センチばかり残して水を入れたトレーにのせて置いたら、またニョキニョキ伸びてきた。 昨夜は、それを天ぷらにして食べた。 豆苗は豌豆(エンドウ)の苗である。 子供の頃は「エンドウマメ」というと、漢字で書くと「豌豆豆」となり豆がダブルので嘲笑されたものだが、今では「エンドウマメ」というのが一般的みたい。 「一泊どまり」というのも嘲笑の的だったが、これもテレビで平然と言われている。 過去の時代では間違いであっても、常用されると間違いではなくなるものらしい。 

 

 

 


装飾音とこぶし

2013-02-14 | 日記

 今、YouTubeでコーラスグループ「フォレスタ」の歌を聞いていて、「あれ?」って思った。 曲は昔懐かしい寺尾聡さんの「ルビーの指輪」。 若い人は、「聞いたことがない」という人が多いだろう。 私は、この曲の魅力を、寺尾聡さんの歌声では、はっきりと入れておられる「装飾音」にあったのだが、フォレスタの歌にはそれが無かった。 多分、曲を簡単にするために、意識して取り除いてしまったのか、私の耳で聞き取れなかったのかどちらかだろう。 見出しに載せた楽譜の一部分で、斜線の入った小さな音符があるが、これが装飾音だ。 他に、トレモロとか、トリルというのが有るがあり、よく演歌の小ぶしと混同されがちだが、トレモロ、トリルは楽譜に表記されるが、、小ぶしは楽譜上には表れない。 歌手が適当に音程に「ゆらぎ」をいれるのが小ぶしだ。

 ギターのトレモロ奏法と言えば、タレガの「アルハンブラの思い出」を思い浮かべる。 YouTubeで検索してみたら、たくさんヒットした。 今夜は布団の中で音楽鑑賞と洒落込むことにする。 

 

 






 


丹波屋のおはぎ

2013-02-11 | 日記

 寒い日が続いたので、その間猫爺は冬眠状態だった。 大阪に住む娘が、「おはぎの丹波屋」の和菓子を20個も買ってきてくれた。 こんなにたくさんどうするのだろうと思っていたら、1個1個ラップに包んで冷凍保存していた。 「食べたくなったら、自然解凍」して食べるのだとか、解凍の間、じーっと待っているの? 食べたくなるのが「点」であればいいが、その日から連続した「線」であれば一度に解凍すればいいのかな? その場合、冷凍の意味ある?

 近くのコープ神戸に行って、「塩を使っていない干しジャコ」を買ってきて、砂糖醤油をからめたカルシウム不足を補う「おやつ」を作ってくれた。 台所で何やらやっていたが、そのうち「興味がないと、覗きにも来ない」と、ブツブツ文句を言っていた。 だってねー、それって「田つくり」じゃないか。  まあ、食べてみたら美味かったので、おやつというより夕食のおかずで食べちゃったけど。

 丹波屋といえば、若き現役サラリーマンの頃、事務の女の子が「おはぎ」をどっさり買ってきて三時のおやつに出してくれたのを思い出す。 それが丹波屋のであったり、「ナダシン」のおはぎであったりしたが、どちらも大きくて美味かった。 関係ないけど、ローヤルのエクレアも美味いよ。 決して、催促じゃないが…。(^_^;)


酷い仕打ち

2013-02-07 | 日記

 今日は総合医の外来診察日、「お腹がぽっこり出てきた」と、指摘された。 少し脂肪肝だとも。 薬を処方する段になって、いつも出ていた胃荒れの予防薬は出さないと言われた。 「なんで?」と訊くと、「少し胃が荒れてムカムカするくらいの方が食欲が落ちでいいだろう」だって。 「むごい!」

 「近いうちに胃の検査をしておこう」と言われたので、「バリウムか?胃カメラか?」と問うたら、胃カメラだと。 あれを最初に受けたとき、ベテランの先生で、ゆっくりと、しとやかに「すーっ」と入れて、抜く時も優しくやってくれたので、「なーんだ、こんなに楽なんだ」と思った。 数年後に受けたときは、メチャクチャせっかちな若い医者で、グイグイ突っ込まれ、なんだか胃の中をグリグリとかき混ぜている感じで苦しかった。 また、抜く時も性急で何度もえずいた。 医者も、指名制だといいのだがなァ。 指名料金をとられたりして…。

 昨日のソロモン諸島の地震で、津波注意報がでていたが、何事もなかったようで一安心だ。 それでも10センチ程度の津波が来たそうで、今後も注意が必要だろう。 10センチの波だと、10センチの高さの波紋でメダカも驚かないが、津波は水嵩が10センチ増えるということで、津波が引くまで陸が10センチ沈むということになる。 ちょっと不気味ではある。  

 



猫爺のミリ・フィクション「浦 島子伝」

2013-02-05 | フィクション
 浦島太郎の記事を、このブログに2度上UPした。一度目は、長野県の「寝覚の床」に伝わるもの。二度目は、猫爺のパロディー。乙姫がくれた玉手箱を、乙姫が「決して開けてはなりません」と言う前に、太郎がその場で開けてしまい、乙姫も鯛やヒラメまでもが腰のまがったお婆さんになってしまったと言うふざけた話。

 今回は、「浦島太郎」の基になった「浦 嶋子伝」を想像してみよう。 想像と書いたのは、原作の「浦嶋子伝」を読んでいないからだ。 浦嶋子(浦島太郎)は、浜辺でウミガメを見つける。 実はこのウミガメは亀姫(乙姫)の化身で、若くてイケメンの男をハントに来ていたのである。 亀姫は、浦嶋子を見るなり一目ぼれしてしまった。



 浦が海辺を歩いていると、雌の海亀が寄ってきた。
   「ちょいとお兄さん、竜宮城で遊んで行かない? 美しいお姫様がもてなしてくれるわよ」
   「お前さんは、客引きかい?」
   「違うわよ。 だって竜宮城はバーでもキャバレーでもないのだから」
   「じゃあ、竜宮城という風俗店?」
   「まっ、しつれいね、客引きじゃないってば」
 平安時代に、こんな会話があろう筈もないのだが、浦 嶋子は亀に蓬莱島(中国)へ連れて行かれる。 竜
宮城に着くと亀は姿を消し、代わって美しい亀姫(乙姫)に出迎えられ、嶋子は亀姫に心を奪われる。

   「ようこそいらっしゃいました。さあ、お寝間はこちらでございます」
   「姫様、いきなりお寝間とは…」
   「そうですか、ではご一緒にお風呂に入りましょう」
   「---」

  -中略-(実は、この浦 嶋子伝はポルノ本のため、ここには書けないことが起る)

   「嶋子がここにきて、早くも三年が経ちました、一度父母の元へもどりとうございます」
   「そうですか、でも嶋子さま、一度お帰りになりますと、もうここへは来てはくださらないのでしょ」
   「いえいえ、滅相もございません、父母の元気な顔を見たら、嶋子は必ずここへ参ります」
   「わかりました、ではこの玉手箱をお預けしましょう」
   「中身は何でございましょうか?」
   「狼煙(のろし)です、また竜宮城へ来たくなったら、この玉手箱の蓋を開けてください、亀がお迎えに参ります」

 浦 嶋子は、三年ぶりに亀の背中に乗り、来た道を戻っていった。亀に出会った浜辺に着くと、そこは三年前とはすっかり様子が変わり、浜辺はゴミだらけ、父母の棲家の有ったあたりは、工場になっていた。嶋子は行くところもなく途方にくれたが、玉手箱を思い出して蓋をあけてみた。ポワーンと紫の煙が立ち込めただけで何事もない。 

 しばらくすると、波打ち際の方から声が聞こえてきた。
   「浦 嶋子さま、姫はもうあなたさまに未練はないそうです、新しく若いイケメンの殿方が見つかりました」

 浜辺でバチャと音がして、沖に向かって戻って行く黒い影が見えた。


      (再投稿)  (原稿用紙4枚)

ハンド・スチーマー

2013-02-04 | 日記

 今日は一日中雨だった。 こんな日は昼寝にかぎると、暖かい毛布に包まっていると、三時間以上も眠ってしまった。 REM熟睡なので、訳のわからない夢をバンバン見ていた。 真っ赤な萩の花と、朝顔と、土筆の押し花を知らない和服の女性から戴いた。 仏壇に供えようとバケツの水に浮かべて押し花を活き返そうとしていた。 夢占いの人に言わせたら、気がふれる前兆とか言われそう。

 土曜日に、ハンドスチーマーをジョーシンで買った。 いつもなら、アマゾンの方が安いのに、ジョーシンは投げ売り(?)状態たったのか、かなり安かった。 言い換えれば、そろそろ製造中止(?)寸前なのかも知れないと推理したりして…。  

 買う前に、アマゾンで投稿者の評価を見たら、「 最悪です。この製品ではシワは取れません。星ゼロにしたいです」と、ヒステリックな感想。 それが、寧ろ面白くて、「使いこなしてやろうじゃないか」と、購買欲をそそった。 

 やはり、使い方だった。 ハンガーに衣類をぶら下げて、スチームをかけるだけでは皺は取れない。 私は、キャンドゥ(100円ショップ)で買って来たアイロン用のミットで裏から押さえ、スチーマーをアイロンの様に使って皺を伸ばしている。 軽くて持ちやすく作られているので、なかなか快適に作業ができ、皺もよくとれる。 水の容器が小さいので、一着ごとに補給する必要があるが、容器の脱着が容易なので、洗面場とか台所で作業をすると面倒くさくはない。 

 で、何が言いたくて記事にしたのか。 ネット上の感想や評価は、あくまでも個人の意見で、多くの意見を代表したものではないということ。 当たるも八卦、当たらないも八卦。 ちょっと意味がちがうか?。


サラリー ピンチ レシピ

2013-02-03 | 日記
 ハライチの澤部さんが「笑っていいとも」で紹介していた「はんぺんとポン酢の炊き込みご飯」を作ってみた。 なるほどこれはイケる。 が、ちょっと侘しい。 はんぺんではなく、「アサリか牡蛎だといいな」と思いながら食べた。 どうやらこれはサラリー ピンチ レシピらしい。

 サラリー ピンチ レシピと言えば、私も自炊していた時期があって、「サケあらの炊き込みご飯」をよく作ったものだ。 新巻きサケのあらを買ってきて、仕掛けた米の上にあらを乗せて炊くだけ。 調味料は一切い入れず、サケの塩味だけでいい。 が、これもちょっと侘しかった。 「鯛めしだといいな」と言いながら食べたような…。

 おかずがちょっと欲しいときは、はこべのかき揚げが美味い。 あく抜きが不要なので、摘んできて洗うだけですぐかき揚げにできる。 もっとも、かき揚げにすると、何でも美味くたべられるので別にはこべでなくても良いが、この記事のテーマがサラリー ピンチレシピなので…。 

 しかし、街なかで奇麗な「はこべ」は手に入らないだろう。 公園などにあるにはあるが、猫や犬が「おしっこ」かけているやも知れず、そればかりか、酔っぱらいのおっさんが立ちしょんしているかも。(+o+)

 ここは奇麗に、玉ねぎと干し網海老(オキアミともいう鯨の餌になるヤツ)のかき揚げということにしておこう。  

猫爺のミリ・フィクション「蟠り」

2013-02-02 | ミリ・フィクション
 先生は、「ロボトミー手術」をご存知でしょうか。 これは、脳やその他の臓器の一塊を切除することを意味し、癌に冒された胃を切除することを指す場合もあります。 今、ここでお話しさせていただきますのは、大脳の前頭葉を切除する外科手術であります。 

 戦後間もない、まだ私が幼いころです。私の父は、もともと粗暴でしたが、そのうえにアルコール依存症で精神に異状をきたし、夜昼構わずに暴れ、大声で喚くために近所からの苦情が絶えず、母は悩んでおりました。
 とは言え当時の「精神病院」といえば監獄の独房のような病室に監禁状態にされて、悶え苦しむ父の姿を母は思い浮かべ、入院させるかどうかを思い悩んでおりました。たまたま見つけた「精神外科病院」で、母は思い切って相談してみました。病院の医師は脳の外科手術で大人しい性格になることを説明して、「ロボトミー」という手術を薦めてくれました。 

 母は、「家庭で介護が可能になる」という医師の言葉をなによりも有難たく思い、内容もよく理解できないまま手術の承諾書にハンコを押しました。入院中は完全看護で、しかも面会謝絶であり、退院の日まで母は病院に足を運ぶことは有りませんでした。 
 手術を終え、父は数週間後に退院が許され、我が家に一人で帰ってきました。 家の近くまで病院の車で送ってもらったようです。

 手術が功を奏してか、父は騒ぐことも暴れることもなく、ただ部屋の隅にしゃがみ込んだまま虚ろな視線を移動させているばかりでした。手術後の、父は無気力で抑制もきかず、食事は有ればあるだけ食べ続けます。時には散歩と称して外出しますが、戻ることが出来ません。母は度々警察に捜索願を出しましたが、思いもよらない遠方で補導されることもありました。

 時が経つうちに、無知な母も「何かが変だ」と気が付きました。母は、病院に相談に出かけました。ところが不可解なことに、病院が無いのです。付近の人に尋ねても「昔からこの辺りに病院などなかった」と、口々に答えます。 

 その父が亡くなり、母も間もなく父を追うようにポックリと亡くなりました。死亡診断書には、父の時も、母の時も「心臓麻痺」と記載されていました。現在にいう「心筋梗塞」でしょうか。
 私は父の手術を「人体実験」ではなったかと疑い続けています。父は医大かどこかの「実験室」に運び込まれたものではないでしょうか。このことは私の心の蟠り(わだかまり)となって、歳を取った今もこの胸にあります。
 
 先日、宇宙真理学の講演会で、先生のご講演を拝聴させて頂きました。今まで長年の疑問だった父の手術への疑いが、先生のお話しでくつがえりました。医学的人体実験ではなく、父の脳の一部が、地球外知的生物により持ち去られたのではないかと危惧するように変ったのです。もしや近い将来、アルコール好きで粗暴な知的宇宙人の軍団が、地球の略奪にやってくるのではないでしょうか。
 先生のご意見を賜ることを切にお願いします。 

 私はこの内容を手紙にしたため、宇宙真理学の講演会で貰ったパンフレットに記載された宛先に送りました。一週間ほど経って、手紙は付箋を付けて戻ってきました。

 「宛先が存在しないため、配達出来ませんでした…」

   (再掲)  (原稿用紙4枚)
 

猫爺のミリ・フィクション「どっちも、どっち」

2013-02-01 | ミリ・フィクション
 霊界での八五郎とご隠居の会話。

   「おや?八つぁん、今年の盆は家に帰らなかったのかい」
   「これは、これはご隠居、そうなのですよ」
   「それはまた、どうしたことじゃな」
   「いえね、ご隠居もご存知のように、今年は盆と霊界の運動会が重なりまして、帰るか運動会か迷ったのですが…」
   「それで、運動会をとったのか、子供達の元気な姿を見るよりも運動会が良かったのじゃな」
   「楽しかったのもそうですが、ご先祖さまとのお付き合いも大事かと思いまして」
   「ほお、感心というべきか、馬鹿というべきか… 」
   「馬鹿とは酷い」
   「ところで、運動会っての言うのは、どんなことをするのじゃな?」
   「霊(たま)入れとか、大霊(おおたま)転がしとか、ボートレースとか…」
   「ボートレース? それはまたどうして?」
   「精霊流しの舟に乗って、スピードを競うのです」
   「なるほど、他には?」
   「競歩もありますが、これが難しくて」 
   「儂らは足がないからな」
   「それだけじゃないのです、必ず体が地に着いていなければならないのです」
   「そうか、そうか、儂らはすぐに浮きあがってしまうからな」
  
 と、話しておりますと、お盆が終わって現世からゾロゾロと帰って来ました霊たちの喋る声の賑やかなこと、まるで幼稚園児の遠足帰りのようでございます。

   「あの中に八つあんの隣に住んでいた男がいるじゃろ、女房や子供の様子を聞いてはどうかね」
   「さすがご隠居、良いことを仰います、ちょっと行って聞いてまいりしょう」
 
 八五郎、男となにやらひそひそと話をしていたと思うと、ご隠居の元に戻ってまいりました。

   「どうだ、みんな元気であったか?」
   「それが、お盆の前からずっと留守だそうで…」
   「仏壇にお供えもなしか?」
   「覗いてみたら、それは有ったそうです、セットした時間が来るとお供え物がコロンと一つ」
   「水はあったか?」
   「舌で球を押すと、水が滲み出てくるのだそうです」
   「お灯明は?」
   「LEDで点きっぱなし」
   「お線香は?」
   「一時間に一度、プシュッと自動でお線香の香りが…」
   「仏花は?」
   「造花」
   「家族は皆どうしたのじゃな」
   「盆休みを利用して、韓国旅行をしているそうで… 有名俳優と逢えるのだとか」
   「八つあん、落ち着きなされや、そんな思いつめた顔をして、どうする積もりじゃ?」
   「来年の盆は…」
   「来年は…?」
   「安心して運動会に打ち込んで、競歩で優勝して見せます!」
  ご隠居「…」
   

   (修正)  (原稿用紙4枚)