雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第三十三回 お玉の怪猫

2014-08-27 | 長編小説
 鞠子宿(まりこしゅく)に入った。コン太は三太の懐の中だが、決して眠らせてもらえないために不機嫌である。
   「鞠子宿は寂しい宿場やなあ」
   「うん、旅籠も少ないし、店も少ない」
 次の府中宿は大きな町で、駿府(すんぷ)城の城下町である。駿府城は徳川家康が隠居して居住した城で、江戸、大坂に次いで大きな町である。

   「新平、府中宿の方から、馬が走ってきよるで」
   「まさか、おいら達に用があるのと違うでしょうね」
   「うん、まだ府中へは行ってないものな」
 あんなのに蹴られたら死んでしまう。うろちょろしていて無礼討ちにでもされたらつまらない。コン太のように叢へ寝転んでやり過ごそうと話し合った。

   「三太どの、三太どのと新平どのであろう、そこに隠れたのは」
   「へ、別に隠れているわけやおまへんけど、何でわい等の名前を?」
   「他藩の者から聞いている、拙者は駿府の重役、大久保彦三郎が家臣、逸心太助と申す」
   「あの、魚屋の一心太助?」
   「魚屋ではない、これでも武士の端くれだ」
   「えらいすんまへん、あの一心太助さんの親分は、大久保彦左衛門様だした」
   「人違いか?」
   「へえ、さいだす」
   「そうか、そなた達を霊能者と見込んで頼みがあり迎えに参った」
   「頼みとは?」
   「屋敷に憑いた化け物を退治して貰いたい」
   「げっ、化け物、わい等は旅を急ぎますので、他の霊能者へ…」
   「それが、そうはいかないのだ、色々肩書を持つ者にお祓いなどして貰ったが、埒があかない」
   「化け物やて、唐傘だすか、提灯だすか?」
   「それが、化け猫で御座る」
   「それでは、わい等はこれにてさよなら…」
   「これっ、逃げないで聞いてくれ」

 話はこうである。彦三郎の一人息子彦四郎は、女癖が悪くて、町で気に入った娘を見つけると、無理矢理に屋敷に連れ込み、飽きると捨てる。一ヶ月前に、町でお玉という娘を見染めて、「私には許嫁がいます」という娘を、「腰元として雇い、行儀見習をさせる」と屋敷に連れ込んだ。お玉は一年という約束で屋敷勤めを承知した。お玉の両親も、お武家のお屋敷で行儀見習いができると喜んで娘を差し向けた。お玉は年老いた猫を飼っており、その黒猫と共に大久保の屋敷に上がった。
 
 それから一ヶ月間は彦四郎は手出しをしなかったが、一ヶ月後の夜、我慢が出来ずにお玉を自分の褥(しとね)に連れ込んだ。お玉は武士の娘ではなかったが、護身の為に懐に匕首を忍ばせていた。
   「私には末は夫婦と誓い合った殿方がいます、それ以上私に近付くと、喉を突いて死にます」
 武士の娘のように覚悟を見せた。彦四郎は構わずにお玉の上に覆い被さり、その弾みでお玉は喉を突き、血しぶきを上げて息絶えた。

 その時、お玉が可愛がっていた黒猫が、お玉が流した血の海に踏み入れ、お玉の血をペロペロと舐めた。

   「キャー怖い」
 三太が音を上げた。新平は腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
   「あきまへん、やめてください、わいも腰が抜けます」
 
 逸心太助は、なおも話を続けた。黒猫はその場に倒れているお玉の体を跨ぐと、彦四郎を睨みつけて何処ともなく去り、消息はぱったり消えてしまった。

   「怖い、もう止めて」
 新平は泣き出している。

 ある日の真夜中、彦四郎が目を覚ますと、障子に女の影が写っている。
   「お玉か、迷って出たな」
 彦四郎が、刀掛台から左手で長刀を掴み刀の柄に右手をかけると、足で障子を開いた。障子に映る影は消え、女の姿はない。廊下に出てみたが、やはり姿はかき消えて雨戸はぴったり閉まっていた。
   「おのれお玉、姿を現せ、八つ裂きにしてやるわ」
 部屋に戻ると、消していた筈の行灯に火が入っている。その行灯に黒猫が頭を突っ込んで「ピタピタピタ」と油をなめている。
   「化け猫め、この彦四郎が退治してやる」
 黒猫めがけて刀を振り下ろすと、猫の姿も行灯のあかりも消えて、行灯が真っ二つに裂け、油が流れでた。こんなことが幾日か続き、彦四郎は夜も眠れないようになってしまった。昼間は死んだように眠り続けるが、夜になると刀を握ったまま、空(くう)を睨にらんで「ぶつぶつ」独り言を呟く。食事も碌に摂らないので、家来が食事を進めようと近づけば、「おのれお玉」と斬られそうになる。
 父、大久保彦三郎は、祈祷師などを呼び寄せたが、大金を取るだけ取って、いい加減な祈祷でお茶を濁すばかりであった。

   「三太どの、この通りだ、化け猫を退治してくだされ」
 太助は、幾度も頭をさげた。
   「嫌や、怖いもん」
   「怖い、怖い」
 太助は、腰の大小を抜き、地面に並べると、つま先を立て開脚し座り込んだ。
   「このままではおめおめと戻れぬ、三太どの介錯を頼む」
 と腹を曝け出し、大刀を手に取ると三太の手に渡そうとした。
   「あのなー、子供に介錯が出来る訳ないやろ」
   「それでは、切っ先を拙者の左胸に向け、その辺りから突進してくれ」
   「嫌や、そんなことしたら、わいは侍殺しでお縄になり、首を撥ねられますわ」
   「では、構わぬ、拙者が切腹して七転八倒しておっても、見捨てて去ってくだされ」
   「うん、わかった」
   「三太どの、足を止めて済まなかった、許してくれ、さらばに御座る」
 太助は、小刀を両手で持ち。切っ先をわが腹に向けて腕を伸ばした。その腕を、力を込めて曲げようとしたとき、動作がピタリと止まった。
   「三太、もう太助さんを虐めるのは止めなさい」
 新三郎が切腹を止めたようであった。
   「虐めていないもん、本当に怖いのや」
 太助は止まったときの姿勢のまま、横に「コテン」と倒れた。
   「化け猫の対処は、あっしがやりますから、三太達は大久保の屋敷で「安倍川餅」でも食べながら待っていてくだせえ」
 安倍川餅はこの辺りの名物である。

 太助の気が戻った。
   「ここは、冥土なのか? 冥土というところは、こんなにも明るいところなのか」 
   「ばーか、わいを試したくせに」
   「それは何故に?」
   「わいが刀を持った手を止める前に、自分で止めていたやろ」  
   「ばれましたか」
   
 主人の大久保彦四郎は憎めても、この男はどうしても憎めない。結局、新三郎に従うことになった。
   「新さん、この男のいうこと、どこまで本当やろか」
   「嘘は言っていませんぜ」
   「そやけど、あの可愛らしい猫が化けるやろか」
   「それもないでしょう」 
   「ほんなら、彦四郎が嘘をついているのですか?」
   「幻覚でしょう、幻覚を見る程も、お玉を死なせた自分を責めているのだと思います」
   「何から手をつけましょうか」
   「まず、黒猫を探しましょう、老衰しているようだが、まだ生きているかも知れません」
   「どうやって探すのや?」
   「コン太に任せましょう」

 大久保の屋敷に着いた。彦四郎に逢おうとしたが、刀を振り回して人を寄せ付けない。新三郎が指示する。
   「誰かが切られてはいけない、刀を取り上げましょう、装飾用の刀剣を持ってくるように言ってくだせえ、床の間に飾っている刀の中身は竹光でしょ」
 竹光の刀はあったたが、彦四郎が自分の刀を手放さない。厠までも持ち込んでいる。そこで仕方なく新三郎がチョンの間、失神させることにした。
   「刀が軽くなったのも気がつかないらしい」
 新三郎が笑っている。
   「さあ、次は黒猫を探そう、屍かも知れんぞ」
 三太がコン太を懐から出して歩かせた。
   「コン太、猫は知っているやろ、座敷に下りて探してくれ」
 コン太は、キョトンとして立っていたが、突然においを嗅ぎはじめた。
   「わかったのか?」
 コン太は、厨を指して走って行った。
   「干し魚の臭いでも嗅いだのとちがうか?」
 だが、すぐに姿を消した。外へも出ていない。一体何処へ消えたのかと不思議に思っていると、厨の床が開いている部分があり、床下に味噌樽、醤油樽、漬物樽などが並んでいる。その樽と樽の間に隙間が開いている部分がある。そこからコン太が飛び出してきた。
   「コン太、どうしたんや」
 三太が下におりて、隙間を覗いてみると、目が二つ、キラリと光っている。黒猫が死期を覚り、蹲っているのだ。気力はないが、目だけは爛々としている。
 錆びついた鍵を壊し、床下に入る鉄格子を開けてもらい、三太は黒猫に水を飲ませてみた。黒猫は美味そうにペチャペチャと三口、四口舐めると、眠るように死んでいった。
 黒猫の屍は、お玉が眠る墓を見下ろす山の斜面に埋葬した。

 彦四郎は、新三郎が憑き、お玉の霊を演じた。
   「私は自害しました、けれど、そうさせたのは彦四郎さまで御座います、ですが、お玉は彦四郎さまを恨みますまい、他の女をお玉の二の舞いにしない限りは…」
 
 お玉と言い交わした男の心を読むと、お玉の妹にお玉を見ていることがわかった。
   「お玉は、貴方様を今もお慕いしています、ですから私は妹と一心同体となり、貴方様と添い遂げたいと思います」

 夢か現か幻か、男はお玉の姿が見えたように思えた。声も聞こえたと思い込んだ。しかし、声ではない。新三郎の心が、男の心に直接伝達した思いだ。
   「お玉、お玉は戻って来てくれるのか? 妹の中に」
 男は、お玉の妹を愛しく思った。


 三太は、大久保彦三郎の前に出た。
   「彦四郎さまは、もう大丈夫だす、日に日に良くなられるでしょう」
   「忝ない、よくぞ化け猫を退治してくれた」
 退治したのではない。葬ったのだ。三太はそう言おうとしたが止めた。
   「謝礼は如何程であるか?」
   「わいは要りません、それはお玉さんの仏前にお供えになり。お玉さんのご両親に頭を下げてあげてください。彦四郎さまがお元気になられましたらご一緒に…」
   「必ず」

 こんなことで、二泊もしてしまった。しかも、大久保の屋敷で安倍川餅など出なかった。
   「府中宿まで行って、自分で買って食べなさい」
 新三郎はそっけない。せめて、黒猫を見つけたコン太にはご褒美をと、畦道の木から青い実を一つ採ってコン太に食べさせた。コン太は喜んで青い実に齧りついた。
   「どないしたのや、吐き出したりして」

 どうやら渋かったらしい。それ以後、木の実を与えるときは、三太が一口食べてからでないと食べなくなった。
   「わいに毒味させとるのや、こいつ」

  第三十三回 お玉の怪猫(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第三十二回 佐貫三太郎

2014-08-24 | 長編小説
 時は飛んで、信州(信濃の国)は、早くも秋の風情に染まり初めていた。佐貫三太郎は、義父慶次郎存命の折には上田藩候の父である隠居の主治医を兼ねた町医者をしていたが、義父亡きあと、上田藩士となり、士席藩医として、一般武士や、町人である使用人の病を担当する一方、義父の役職であった与力も兼ねていた。

 三太郎が馬に乗って、弟子の佐助に手綱を取らせて帰宅した。
   「母上、三太郎ただ今戻りした」
 佐貫家の役宅である。
   「先生、お帰りなさいまし」
 弟子の三四郎が飛び出してきた。続いて妻の佳代が赤子を抱いて迎えにでた。
   「旦那様、お帰りなさいませ、今日、慶介が伝い歩きをしましたのよ、褒めてやってくださいな」
   「おお、そうか、慶介でかしたぞ」

 奥から義母の小夜が出てきた。
   「三太郎お帰り、江戸の福島屋亥之吉という方からお手紙がきていますよ」
   「何だろう? 何かあったのかな?」
 手紙は、元小諸藩士の件であった。十四年前、上司の不正を被り、詰め腹を切らされた藩士の子息が藩を追放されて浪々の身にある。なんとか救ってやることが出来ないかとの相談である。
   「亥之吉め、わしの性格を見抜いたうえの相談だな」
 弟子が、厩(うまや)に馬を繋ぎに行くのを「ちょっと待て」と、止めて三太郎は再び馬に跨った。
   「ちょっと小諸藩まで行ってくる、後を頼むぞ」
 三太郎が駆け出そうとしたところを、妻の佳代が引き止めた。
   「旦那様、小諸へお出かけでしたら、私の実家に寄って、弟たちの古着を沢山戴いたお礼を言ってきてくださいな」
   「何だ、使い走りか」

 佳代の実家は、小諸藩士で、佳代が長女で下に十歳を頭に三人の弟がいる。彼等が小さい頃の着物を母が丁寧に保存をしていたのを、佳代がお願いして頂いたものだ。佳代の母は、先様に失礼になりませんかと心配していたが、三太郎が行ったときに「喜んで頂戴します」と言ったので、後日、届けてくれたものである。

 小諸城に着くと、丁度義父田崎策衛門が下城するところであった。三太郎は義父を馬に乗せ、自分は手綱をとって歩いた。
   「父上、小諸藩士で、十四年前に切腹なされた山村堅左衛門という勘定方のお侍をご存知ですか?」
   「存ずるも何も、拙者の無二の親友で御座った」
   「それでしたら、話が早う御座います、そのご子息の堅太郎殿が江戸の友人宅にご滞在中です」
   「そうか、堅太郎が無事であったか」
   「はい、お元気の模様です」
   「妻は夫を恥じて、拙者が訪ねる前に早まって自害しおったが、八歳の堅太郎は屋敷を追われて行き方知れずになっておったのだ」
 義父策衛門が当時の勘定奉行の目を盗んで堅太郎を探させたが、行方は知れなかった。
   「婿殿、堅太郎に拙者の屋敷に来るように言ってくださらんか」
   「はい、承知しました」
   「堅太郎が仇と狙うべき当時の勘定奉行は、出世して幕閣に納まり手が届かないが、もし罪でも犯して小諸藩に戻されることでもあれば、拙者は藩侯に申し出て、堅太郎に仇を討たせようと思う」
   「では、山村堅太郎殿を呼び寄せますので、父上、宜しくお願い申し上げます」
 話しながら妻の実家義父田崎策衛門の屋敷に着いた。
   「婿殿、ちょっと寄って行かぬか?」
   「慶介を連れずに私だけ寄ったのでは、田崎の母上に叱られてしまいますよ」
   「ははは、さもあらん、またこの次に致すか」
   「はい、父上」
 三太郎は義父田崎策衛門を門前まで送り届けると、馬に跨って帰っていった。
  
   「母上、佳代、ただいま戻りました」
 佳代が出てきた。
   「旦那様、実家の母上にお礼を言ってくださいましたか?」
   「いえ、父上に申しておきました」
   「あら嫌だ、お父様にそんなことを話したのですか?」
   「わしだけが逢いに行ったら、田崎の母上に叱られてしまいますよ、なぜ慶介を連れて来なかったと」
 小夜が笑いながら顔を出した。
   「先様も、初孫ですものね、その点、私は一日中慶介と遊んだり、お風呂に入ったり、おむつを替えたり、有り難いことです」
   「あら、何だか慶介をお母様に押し付けているようじゃありませんか」
   「いいえ、押し付けて貰って、感謝しているのですよ」
   「やっぱり、押し付けられていると思っていらっしゃるのですね」

 三太郎は、弟子達と顔を見合わせた。
   「何処でも、嫁と姑というものは、諍うものなのだよ」
 小夜と佳代の耳に届いたらしい。
   「まあ、私を鬼嫁みたいに言わないで頂けます」
   「そうですよ、私は意地悪の姑ではありませんからね、ね、佳代さん」
   「はい、お母様」

 また三太郎が囁いた。
   「仲が良いのやら悪いのやら、正体が掴めない」
 また、聞こえてしまった。
   「正体だなんて、私はお化けではありません」佳代が言うと、
   「わたしも、首が伸びたりしませんからね」小夜も負けずに言う。
   「あら、そうだ、お母様の首が伸びるので思い出しましたが…」
   「伸びません!」
   「首を長くして待っているのですが、鷹之助さんはまだお帰りにはなれませんか?」
   「あと一年はダメでしょう」三太郎が答えた。
   「早くお逢いしたいわ、さぞかし初々しくて、お父様に似たいい男振りにおなりでしょうね」
   「いいえ、鷹之助は私に似ております」
   「あらま、そうですか?」
   「何です、そのがっかりしたような返事は…」
   「また、始まった」

 そこで奥から「大奥様、お食事のご用意ができました」と、女中の声。
   「あの大奥様っていうの、何とかしたいわね」
   「と、仰いますと」
   「例えば、私が奥様で、佳代さんのことは若奥様と呼ばせるとか…」
   「いいえ、慶介もそろそろ物心がつきます、ちゃんとお婆様と呼ばせるので、使用人にもそう呼ばせましょう」
   「もうお止しなさい、味噌汁が冷めてしまいます」
 三太郎はそう言って止めたが、本心は面白いので、もっとやらせたいのであるが…


 更に時は飛んで、ここは江戸京橋銀座の雑貨商福島屋亥之吉のお店(たな)である。亥之吉の女房お絹が、店で働いていた亥之吉に声をかけた。
   「あなた、信州の佐貫三太郎さんからお手紙がつきましたよ」
   「さよか、待ってましたんや」
 亥之吉は手紙を読んで、小躍りをして自分のことのように喜んだ。荷運びの手伝いをしていた山村堅太郎を呼び寄せ、手紙を見せた。堅太郎は、涙を流して手紙を読んでいたが、いきなり土下座をして亥之吉に礼を述べた。いや、チビ三太と亥之吉と見知らぬ佐貫三太郎に礼を言ったのだ。
   「堅太郎さん、お前さんは武士だす、無闇に町人に土下座などしてはいけまへん」
 父上の仇討ちこそ出来ないが、お家を再興して父を慰めることが出来る。読み書きは父に学び人並みにできるが、勘定方の仕事は何も出来ない。他人より二倍も三倍も努力して、早く父に追いつきたい。涙と土下座の意味は、その決意の表れであったのだ。
 翌日、支度をして信州の小諸を向けて旅たった。別れ際に、餞別と店を手伝って貰ったお給金と、五両の小判を懐紙に包んで亥之吉から貰った。明日は晴れて中山道追分宿を経て北国街道へ入り、懐かしい浅間山の麓、小諸へ直行である。

  -小諸馬子唄-

   ◎浅間根越しの 焼野の中で あやめ咲くとは しおらしや

   ◎小諸出てみろ 浅間の山に 今朝も煙が 三筋立つ

   ◎浅間山さん なぜ焼けしゃんす 裾に三宿(追分宿、沓掛宿、軽井沢宿) 持ちながら


 時はもどる。三太と新平は、まだ岡部宿あたりでうろちょろ。
   「ほれ、コン太、叢で遊んでこい」
 地面に下ろしてやったが、コソコソっと木影に入ってコテンと寝てしまった。
   「こらっ、寝たらあかん」
 コン太は三太を逃れて叢に飛び込むと、姿が見えなくなってしまった。
   「あいつ、やけくそになっとる、野犬に食べられても知らんぞ」
 コン太を放って行くふりをしても反応がない。「コン太出て来い」と三太が叫んでも知らぬふり。
   「コン太、そんなところで寝とったら、野犬に食われてしまうぞ」
 言葉の意味が解ったのか、コン太は叢から飛び出して来て、三太に追いつくと前に行儀よく座った。
   「コン太、山に帰っても、お前のおっ母ちゃんは、お前を自分の子供だと迎えてくれへんで」
 三太のお説教が続く。
   「コン太がもっと大きくなって、鼠くらい捕れるようになったら山へ放してやるから、今はまだわいの言うことをよく聞いて、わいから離れないようにしいや」
 コン太は大人しく聞いているようだ。
   「な、コン太わかったな」
 コン太は少し頷いたように見えた。
   「ほんまに分かったのか?」
 コン太は、反省しているように見えた。
   「わかったらそれでええ、ほな、行こうか」
 反応がない。
   「何や、座ったまま寝とる」

  第三十二回 佐貫三太郎(終)-次回に続く- (原稿用紙13枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第三十一回 吉良の仁吉

2014-08-21 | 長編小説
 清次郎はお見合いに出かけて留守であったが、迎えに来た村長の使用人は気が気でなく、清次郎が出かけた先を尋ねて一刻も早く逢おうと足を運んだ。
   「いょっ、仁吉じゃないか、こんな処まで旦那さまのお使いか?」
   「清次郎に逢いに来たのだ」
   「えっ、俺に?」
   「そうだ、お前に戻って貰いたい」
   「何処へ? 村長のお屋敷にか?」
 清次郎は意外そうであった。 
   「俺はクビになった身だ、どうして?」
 仁吉は、一部始終を話して聞かせた。清次郎は、仁吉の話を聞いて憤りさえ覚えた。
   「それは無理というものだ、俺はお嬢さんに惚れてなどいないし、常に距離をおいて仕えてきた」
   「旦那様は、身分に拘る厳しいお方だから、わし達はお嬢さんを好きになってはいけないものと常に距離を置いていたなァ」
   「そうだろ、俺はお嬢さんの婿になろうなんて夢にも思わなかった」
 強がりでも何でもない、清次郎の正直な思いである。清次郎は続ける。
   「真面目に、一生懸命仕えてきたのに、お嬢さんが俺に好意をもったからと、紙くずでも捨てるように追い出されたのだ」
   「それと…」
 清次郎は続けようとして、止めてしまった。自分の中で言ってはいけないことと封じていたことだ。
   「清次郎、俺に言ってもいいぞ」
   「いや、止めておく」
   「では、俺が言ってやろう」
 仁吉は、知っていた。
   「お前が旦那様に責められたとき、お嬢さんは自分の片思いであることを告げず、庇うこともしなかった」
   「俺はそのことでお嬢さんを恨んでなどいない」
 清次郎がお払い箱になろうとしても、お嬢さんは一言も言わなかった。仁吉もその場に居たから、憤りを覚えたものだ。
   
   「では清次郎、戻る気はないのか?」
   「はっきり言おう、その気はない」
 清次郎が見合いをした先は、見合い相手の娘も、その両親や祖父母にも清次郎は気に入られ、清次郎もまた快く養子縁組を受け入れたのだった。
 明後日にも結納がとどく段取りになっている。清次郎も、この善き人々の為に、身を粉にして働き、生涯を賭けて護る決心をしたところだ。
   「仁吉、お前には無駄足を踏ませてしまったが、わかってくれ」
   「そうか、俺も男だ、くどくどは言うまい」
 だが、仁吉はお嬢さんが不憫であった。戻って何と報告しようかと考えてみても、よい思案などない。帰り道、突然仁吉の目前の景色が潤んだ。大粒の涙がハラハラと落ち、草鞋に吸い込まれて消えた。

 仁吉は、ありのままを報告した。村長は怒りを露わにして、仁吉を叱りつけた。
   「この役立たずが、どうして縄で縛っても連れ戻さなかった、これで娘が死んだら、どうしてくれる」
   「申し訳ありません」
   「ええい、お前の顔など見たくもないわ、クビだ、即刻出て行け! 清次郎はわしが刀にものを言わせても連れ戻す」
 仁吉は、そこに居た三太にも頭を下げて、再び主人に向いた。
   「旦那さま、仁吉は只今出て行きます、その前に言わせてください」
   「なんだ、給金か?」
   「旦那様、お嬢様がこのようなことになられたのは、旦那様のその傲慢さが原因ではありませんか」
   「使用人の分際で何をぬかすか」
   「仁吉は、たった今、クビになりました、使用人ではありません」
   「娘は、狐の霊にとり憑かれたのじゃ」
   「いいえ、それは違います、三太さんの前ですが、お嬢さんは狐憑きではありません」
 たとえ三太が妖術を使う御食津神で、狐が憑いていると言われても、娘をここまで怯弱にしたのは、狐に憑かれた所為ではなく父親の傲慢さにあるのだと言う。娘は自己を抑えて、その不満を内に向ける為に、不満が溜りに溜まって自分を攻撃するようになったのだと仁吉は自分の意見を曝け出した。
   「三太さんは、お嬢さんと清次郎を添わせてやろうと一芝居打ったのです、そうでしょう三太さん」
   「ばれていましたか、その通りだす」
 村長は怒りだした。
   「どいつもこいつもわしを誑(たぶら)かしやがって、三太、お前はわしから大金をせしめる積りであったな」
   「そうや、千両箱一つ位にはなると皮算用した」
   「三太さん、御免」
 仁吉は、三太の冗談を本気にしたらしい。
   「嘘や、金儲けの積りはない、仁吉さんのお嬢さんを思う気持ちに、絆されたから来たのです」
 仁吉は、もう一度村長に向って言った。
   「お嬢さんの命はあなた次第です、その傲慢さを改めなければ、お嬢さんは本当に亡くなるでしょう」

 仁吉はクビを覚悟していたようだ。自分の荷物はまとめられ、小さな風呂敷に納まっていた。
   「三太さんと新平さん、帰りは藤枝まで駕籠でお送りしますと言ったのに、こんなことになり申し訳ありません」
   「わい等が駕籠に乗るときは、拐かされたときだけだす、なあ新平」
   「うん、金平糖落としたし」
   「金平糖?」
   「いえ、こっちの話だす」
   「それでは、その辺まで一緒に行きましょう」

 三人で歩きながら、三太がぽつりと言った。
   「仁吉さん、これからどうするのです」
   「わしは三河の国、吉良の浪人の倅で、太田仁吉ともうします」
   「お侍さんでしたか」
   「故郷に戻り、改めて身の振り方を考えます、多分、堅気を逸れて、任侠の世界に身を投じることでしょう」
   「憧れの侠客は居るのですか?」
   「勿論、清水の次郎長親分ですよ」
   「そおかあ、わいもだす」

 三太は、仁吉が給金を貰っていないのを思い出した。
   「仁吉さん、博打は強いのですか?」
   「いいや、やったことはありません」
   「わいと組んで、一稼ぎして帰りませんか?」
   「恥ずかしながら、わしには元金がありません、全くの文無しです」
   「貰ったものですが、ここに二両あります」
   「如何様をするのですか?」
   「神の力を借りるので、やっぱり如何様かな?」
   「いいですよ、これから遊侠の世界に身を投じようとするわしです、教えて貰えば何でもします」
 
 田中城の城下町、藤枝で賭場を探した。探すと言っても、遊び人風の男に尋ねると一発で教えてくれた。ここでも新三郎の活躍で、あっさりと二十両を手に入れた。勝って戻りぎわ、金を取り戻そうと追って来た男達に取り囲まれたが、仁吉はあっと言う間に追い返してしまった。
   「仁吉さん、強かったなあ」
   「あれは、わしの力ですか? 違うでしょう、わしは三太さんに護られているような気がしていましたよ」
   「いえ、仁吉さんの実力で、すごい度胸の良さの勝利だす」
   「本当かなあ」
   「ほんとうです、わいは何もしていまへん」
   「では、そう言うことにしておきましょう、元手の二両が二十両になりました」
   「元手の二両は、わいに返して貰って、残りは仁吉さんのものです」
   「せめて、折半にしましょうよ」
   「子供が大金をもっても、碌なことがありまへん」
   「そうですか、では有難く頂戴します、またいつか何処かで逢えるのを楽しみにしています」
 
 太田仁吉と別れて街道を往きながら三太は考えた。
   「ちょっと待てよ、わいは仁吉さんの遊侠の世界入りに、背中を押してしまったかな?」
   「ヤツの度胸の良さが、身を滅ばさなければいいのですが…」
 新三郎も気掛かりのようであった。


 仁吉は、この後清水次郎長一家に草鞋を脱ぎ、やがて三州吉良へ戻って「吉良一家」を構えたが、二十八歳の時に、荒神山に於いて鉄砲で撃たれて亡くなっている。後の世に、こんな歌が流行るのだが、この時の三太達には知るすべもなかった。

    海道名物、数あれど  三河音頭に打ち太鼓
    ちょいと太田の仁吉どん  後ろ姿の粋な事 

    嫁と呼ばれてまだ三月  ほんに儚(はかな)い夢のあと
    行かせともなや荒神山へ  行けば血の雨、涙雨


 コン太の機嫌が悪い。三太に近寄る人があると、歯を剥きだしている。眠いのに寝かせて貰えないからだ。
   「その代わりに、軍鶏(しゃも)の肉を買ってやるからな」
 藤枝の城下町をぶらぶらしていると、お菓子屋があった。
   「金鍔(きんつば)を買う」
   「おいらは、芋羊羹がいい」
 コン太が金鍔の臭いを嗅いで、がっかりしたように「ぷい」と、横を向いた。
   「なんや、軍鶏の肉と違うやないか」
 とは言わなかったが、それらしい文句を言っているようだった。

   「あった、あった、あのお店に「かしわ」と書いた看板が出ている」
 軍鶏の生肉と、焼き鳥を売っている。
   「おっちゃん、この子が食べられるように、軍鶏の肉を細かく切ってほしいのやけど…」
 コン太を見せた。
   「あいよ、どれくらい要る?」
   「二十匁(もんめ=75g)でも多い位やけど、ややこしいやろか」
   「可愛い仔犬の為だ、わけて上げましょう」
   「その代わり、焼き鳥を二串貰うわ」
   「へい、有難う」

 歩きながら軍鶏の串焼きを食べていると、コン太が懐から「呉れー」と前足を伸ばす。
   「コン太は、こんな塩辛いものを食べたらあかん」
 三太たちが焼き鳥の匂いをさせて食べているので、コン太はどうにも我慢ができない。体ごと懐から出てきて、よじ登ってくる。
   「しゃあないなあ、軍鶏(しゃも)の肉食わせてやるわ」
 コン太を地面に下ろして、腰からお椀を外すと、さっき買った肉を入れてやった。コン太は息つく間もなく「ペチャペチャ」と、平らげてしまった。更に、お椀を舐め続けるとお椀が逃げて、お椀ごと溝に落ちてしまった。
   「よう落ちるヤツや」

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「第十二回 自害を決意した鳶」へ
「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
「第三十二回 佐貫三太郎」へ
「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第三十回 お嬢さんは狐憑き

2014-08-19 | 長編小説
 コン太は、三太の前に座り、三太の顔を見て「くぅん」と甘えて鳴いた。
   「あかん、懐に入れたら寝てしまうやろ」
 昼間は寝かせないようにしなければ夜が煩い。コン太を置いて発とうとすると、コン太がピクンと何かを感じたようであった。首を上に伸ばして、耳を動かしている。
   「コン太、どうした?」
 再び三太の顔を見ると、農道を山裾に向けて走り出した。時々止まっては振り返り三太を見て、付いてきているのを確認すると、また駆け出した。
   「コン太、早く走れるのやなあ、ちょっと休憩や」
 コン太が戻ってきて、三太の着物の裾を噛んで引っ張る。
   「休憩もさせへんのか、これでうんこするだけやったら怒るで」
 だが、三太の耳にも「ケィーン」と、狐の仲間を呼ぶ鳴き声が聞こえた。

 若い狐が罠にかかっていた。金具に足を挟まれて、逃げようと暴れていたが、暴れる程に金具は足の傷を広げていた。
 罠にかかった狐にコン太が近付くと、狐は白く尖った歯を剥いて寄せ付けなかった。三太が近付くと暴れまわり、手の打ちようがない。
 コン太は、若い狐の前にきちんと座り、暫くの間「クウンクウン」と、甘えるように鳴いていると、若い狐は急に大人しくなった。コン太が近付き、傷口を舐めても、歯を剥かず、暴れもしなくなった。
   「コン太、何を言うたのや?」
 コン太は、三太に何も伝えないが、若い狐を助けてやってくれと言っているようであった。三太は若い狐にそっと近付くと、狐は足を屈めて地上に這いつくばった。
   「そっか、それがお前の服従の姿勢か」
 三太が罠を外してやろうとしたところ、山の方角から男が走り寄ってきた。若い狐は再び暴れだした。
   「こら、わしの罠に掛った狐を盗む気か」
   「いいや、わいは稲荷神や、この子を助けに来た」
   「何が稲荷神だ、コソ泥の癖に」
   「ほんなら、この子を買います、何ぼで売ってくれる?」
   「狐は、二百文で売れるのだ、子供がそんな大金を持っていないだろう」
   「よし、一朱で買って、この子は逃がしてやる、文句はなかろう」
 三太は懐の巾着から一朱銀を一枚取り出して、男に渡した。
   「わかった、売ってやろう、だが手傷を負った狐をお前の手で罠を外してやれるかな」
   「外せるとも、わいは稲荷神やと言うたやろ」
 三太が罠に繋った狐に手を差し出すと、狐は大人しく、為すがままになっている。狐の足を締め付けていた罠を外してやると、小川に連れて行き、傷口を綺麗に洗ってやった。更に、三太の背中の荷物から傷に効く軟膏を取り出して塗ってやった。
   「もう、里へ出て来るなよ、怖い罠が仕掛けられているからな」
 若い狐は、傷ついた方の足を引き摺りながら、山を目掛けて逃げていった。途中一度止まって、後ろを振り返ったが、再び走り始めると、二度と振り向かなかった。
 
 罠を仕掛けた男は、その一部始終を見て首を傾げている。「このガキは、只者ではないな」と、感じたからだ。
   「おっちゃん、無闇に狐を
殺して、祟られんようにしいや」
   「どうすれば、祟られない?」
   「商売やから仕方がないけど、偶には稲荷神社に参ってや」
 男は少し考えていたが、思い切って三太に打ち明けた。
   「わしの田畑は場所が悪くて秋になっても痩せて稔らないところが多いのじゃ」
 一生懸命に働いているのに、年貢を納めれば、家族が食う分にも足りなく、借金が増える。偶に掛かる猪や狐で得た収入で、その借金を返しているのだと言う。

 三太は、どう答えてやろうかと守護霊の新三郎に尋ねてみた。
   「あっしが代わって答えやしょう」
 
 新三郎が、男に語りかけた。
   「おっちゃん、そう言いながらも、猪や狐が捕れて何とかやっていけるから、安心しているのやろ」
 田圃の水が干上がっているところがある。罠に感(かま)けて、草茫々の畑もある。田畑を正念場と考えて、もっと大切にしなさい。稲荷神即ち、御食津神(みけつしん)は、農業の神であり、五穀豊穣のご利益があるとされる神だ。
   「もっと田畑と稲荷神を大切にしなさい」
 それだけ言うと、新平が待っているところへ戻っていった。

   「もう、遅いなあ、何をしていたのです?」
   「罠に繋った狐を助けてきたのや」
   「ふーん」
 コン太が「クゥン」と、甘え鳴きをした。
   「腹が減ったのやな、よし卵を食べさせてやろう」
 旅籠で、少し漆の剥げた椀をコン太の為に貰ってきた。懐に入れて持ち歩くと邪魔になるので、指物大工の工房で穴を開けて貰い、腰に下げている。
 コン太は、喜んで「ペチャペチャ」と、あっと言う間に食べてしまった。
   「よし行こう」
 
 島田宿から藤枝宿までは二里(約8km)である。途中、コン太が疲れて座り込んでしまった。
   「懐へ入れてやるが、寝たらあかんで」
 コン太を懐へ入れてやったが、首を引っ込めると寝てしまうので、頭だけ外に出して、左手で襟を押さえて頭を引っ込ませないようにして歩いた。それでも寝そうになったら、右手でコン太の瞼を開けて、眼に息を吹っ掛けた。
   「がぅ」コン太は、少し怒っている。
 
 歩いていると、男が叫びながら三太たちを追ってきた。
   「お稲荷さん、待ってください」

   「わい等のこと、お稲荷さんやって、稲荷寿司みたいに言いよる」
   「狐連れとるからでしょう」
 男が追いついてきた。
   「どうしたのです?」
   「わしは、島田新田村の村長(むらおさ)の使用人ですが、田吾作にお稲荷さんと逢ったと聞いてとんできました」
   「田吾作さんとは、罠を仕掛けて狐を掴まえようとしていたおっさんですか?」
   「そうそう、あの罰当たりです」
   「何か言っていましたか?」
   「いえ、聞いて欲しいのは、わしの主人のお嬢さんのこってす」
 路肩に座り込んで話を聞くことにした。その間、コン太は草叢へ遊びに行った。

 新田村の村長の娘が元気を無くして、時には錯乱状態になり、ろくに食べる物も食べられず、医者は匙を投げた。霊能力を持つ占い師を呼んで占ってもらったところ、娘には狐の霊が憑いていると言われた。そこで祈祷師を呼び、祈祷をして貰ったが、さっぱり回復は見られず、日に日に衰えていく娘を見て、両親は悩み苦しんでいるという。
   「お稲荷さんの神通力で、狐の霊をお嬢さんから追い出してくだせえ」
 男は、話しながら涙ぐむ程の主人思いである。
   「わかった、会ってみましょう」
 とは言ったものの、また後戻りかと、三太はがっくりだった。それを察知してか、男は言った。
   「お戻りのおりは、駕籠で藤枝あたりまで送らせます」

   「では、お嬢さんに逢いに行きましょ」
   「ご足労ですが、どうか宜しくお願いします」

 村長の屋敷内は、憂いが漂っていた。使いの男が村長に三太を紹介すると、子供と見て一瞬怒った表情をしたが、藁にも縋る思いからであろうか、娘の両親と三人の使用人が立会い、娘に逢わせてくれた。
 娘は、すっかり衰弱していた。痩せ衰え、目だけで三太を迎えた。
   「お嬢さん、わいは三太と言います、こっちは、わいの供で新平だす」
 娘は、頷く元気も無いようであった。
   「お嬢さんに狐の霊が憑いていると言われて除霊に来ました、狐のことなら安心してわい等に任せなはれ」
 娘は、ゆっくりと瞬きをした。これが頷く代わりらしい。
   「今から、お嬢さんの心を読みますが、宜しいですか?」
 またしても、ゆっくりと瞬きをした。

 新三郎が、娘の心を覗きにいった。記憶を辿っていくと、清次郎という名が出てきた。以前、ここの使用人であったが、村長は娘が清次郎に惚れていると分かると、さっさとクビにして、実家に帰らせてしまった。身分が違うという理由だ。
 村長は苗字、帯刀が許されているとは言え、身分は武士ではなく町人である。「何が身分だ」三太は憤りを覚えた。

 三太は両親に尋ねた。
   「最近、狐の襟巻きを手に入れましたやろ」
 お嬢さんが、それをさかんに気にしていたのだ。
   「はい、わしの父が来年還暦なので、贈り物にと買い求めました」
   「元凶はそこにおます、狐の霊は、その襟巻きに憑いてきたのです」
 新三郎からの情報をもとに、三太が即興で作った嘘である。
   「狐の霊は、取り敢えず襟巻きに戻しましょう」
 襟巻きを持ってこさせ、娘の胸元にそっと置いた。
   「狐よ、襟巻きへ帰れ!」
 三太が呪文のように呟いたところ、部屋の隅に座っていた使用人の男がばったり倒れた。新三郎と三太は、「つう」と言えば「かあ」である。三太と新三郎連携の臭い芝居が始まる。
   「あ、狐のヤツ逃げよったな」
 三太は倒れた男のところへ襟巻きを持って行った。
   「こらっ狐、ジタバタするな、わいは御食津神である」
 三太が怒鳴ると、倒れていた使用人が正気に戻り、きょとんとしている。
   「お、戻ったな」
 三太は襟巻きを自分の懐へ仕舞った。懐のコン太が驚いて、懐から逃げ出そうとしたが三太が襟を押さえていたので叶わぬと分かると、縄張りに他の狐が侵入してきたと思ったのか、怒って歯を剥きだした。
   「これ、コン太、怖れなくてもええ、仲間や」
 コン太が大人しくなって、襟巻きのにおいを嗅いでいる。
   「襟巻きは、後ほど霊を追い払ってお返しします」
 今は霊が娘から離れ、落ち着いているが、このままでは又も他の狐の霊に取り憑かれる恐れがあるが、この世の中で娘を霊から護れる男が一人だけいる。三太はそう告げた。
   「それは、誰です?」
   「わいは見たことも逢ったこともない男やが、名前は清次郎と言う」
   「清次郎? あいつが?」
   「そうです、清次郎さんの他には、お嬢さんを護れる人は居りままへん」
 逢ったこともない男の名を出した三太を、どうやら村長は信用する気になったようだ。
   「そうか、清次郎か」
 村長は溜息をついた。
   「お嬢さんの命を助けるには、その男と添わすしか手がおまへん」
 早く清次郎を呼び寄せないと、近々清次郎に縁談が持ち上がる。そうなれば、お嬢さんは狐の霊に取殺されるだろうと急(せ)かした。
   「清次郎さんには、狐の霊除けの神通力を授けたい」

 使用人に清次郎を呼びに遣ったが、行って戻ると夜になってしまう。今夜は村長の屋敷に泊めて貰うことになった。

 使用人が清次郎の家に着いたところ、清次郎は出かけて留守だった。
   「清次郎は、然(さ)る村役人に見初められて、その娘と先様のお屋敷でお見合いをしております」
 清次郎の兄が応対した。

  第三十回 お嬢さんは狐憑き(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第二十九回 神社立てこもり事件

2014-08-14 | 長編小説
 夜が明け、三太たちが目を覚ますと三太と新平の間で丸くなってコン太が寝ていた。夜中中走り回ってふざけていたのが嘘のようである。
   「こらコン太、寝かせへんで」
 三太がコン太の瞼を抉(こじ)開けたが、眼球は微動せず、熟睡している。三太が拳でコン太の頭をコツンとすると、一瞬「わう」と、噛み付こうとしたが三太であることを確認すると、また眠ってしまった。
   「しゃあないヤツや」

 三太たちは旅籠で弁当を作ってもらったが、コン太の餌が思い当たらない。人の食べるものは、濃い塩味が付いている。コン太には食べさせられない。とりあえず鶏卵を二つ分けて貰った。

 この時代以前の人々は、「残酷だ」と、鶏卵を食べなかった。しかし、この時代になって、無精卵は元々生命が宿っていないということが知れ渡り、町の人々も食べるようになってきた。だが、養鶏は かしわ(鶏肉)の為のもので、鶏卵を得る為の養鶏でなかったことから、鶏卵は希少食材であり、高価であった。
   
   「ぼったくられたけれども、なんとか二個わけて貰った」
   「おいらたちの弁当より高いですね」
   「仕方ない、何をたべさせたらええのかわからへんから」
   「肉が手に入っても、食べやすくしてやらねばなりませんね」
   「コン吉に、詳しく訊いておけばよかった」
   「コン吉って?」
   「ほれ、わいを呼びに来た大人の狐がおったやろ」
   「親分は、動物と会話が出来るの?」
   「そうや」

 広い川原に着いた。大井川である。大井川は、通称「暴れ川」といって、雨が降り続くと氾濫して幾日も渡れなくなる。川の両岸の旅籠は「川止め」をくった旅人でごったがえす。いわば儲け時なのである。従って、旅籠賃や遊興費で文無しになる旅人も居るわけで、その人達の為に只で泊まれる仮屋が設けられていた。
   
   「おっちゃん、一人何ぼで渡してくれるのや」
 川越え人足の男に声をかけた。
   「今日は、ひとり五十文だ、あそこで木札へ買ってきてくれ」
   「日によって渡し賃がかわるのか?」
   「水嵩によって変わるのだ」
   「ふーん、子供でも五十文か?」
   「そらそうや、渡す手間は一緒だ」
   「ほんなら、両肩に一人ずつ乗せて渡ってくれるか、ほんなら二人で五十文やろ」
   「そうだなあ、よし、そうしてやろう」
   「おっちゃん、おおきに有難う」
   「二人で五十文だが、その犬も木札一枚貰うぜ」
   「わっ、こんなに小さいのをか?」
   「気に入らないのなら、その犬だけ泳いで渡らせば良い」
   「殺生や、まだ赤ちゃんなのに」
   「赤ちゃんでも犬は犬や、犬や猫は人並みと決められている」
   「そうか、これが犬やなかったらええのやろ」
   「そやな、兎とか鶏なら荷物並みに只や」
   「そうか、よかった、こいつは狐やねん、名前はコン太だす」

 川を渡っていると、となりで人足の背で渡っていた男が声をかけてきた。
   「三太さんと新平さんじゃないですか」
 どこかで見かけたような男であった。
   「どこかで逢いましたのやろか、わい等の名前を知っていなさるお方」
   「ほら、お忘れかい、今切りの渡しで助けて貰った船客です」
   「そうだすか、これは御見逸れしました」
   「確か、お江戸までの旅でしたな」
   「へえ、さいだす」
   「路銀が足りなくなったのではありませんか?」
   「あ、渡し賃値切っているところを見られてしまったようだすな」
   「はい、偶さか」
   「値切るのは、上方人の血筋だす、習性みたいなものかな?」
 
 大井川を渡れば、島田宿である。
   「おっちゃんは、何処まで行くのや?」
   「この島田へ来たのです、此処に弥都波能売(みずはのめ)神社という水の神様を祀る神社があり、わしの末娘が巫女をやっています、大井川の恵みを感謝して、こうしてお参りさせて貰っています」
   「ほんまは、娘さんの顔を見にくるのですやろ」
   「まあそういうことですわ」
   「では、わい等もお参りして行きます」
   「それは宜しいことです、是非ご一緒致しましょう」

 神社に着くと、本殿の外で人集が出来ている。三太と新平と男が本殿へ入ろうとすると、神主に止められた。
   「今、三人の巫女を人質にとって、本殿に立て籠もっている二人の賊がいます」
 賊は、巫女を縛り上げ、匕首を一人の巫女に突きつけて、五百両もの大金を要求しているのだという。役人に知らせたら、即二人の人質を殺害し、一人の巫女を人質にとって逃げおおせ、その人質も殺すと共に、社に火をつけに来ると脅しているのだ。
   「その巫女の中に、わしの娘も居ますのじゃ」
   「お父さんでしたか、申し訳ありません」神主が頭を下げた。
   「そんなことより、何としても巫女さんたちを助けねばなりません」
   「こんな神社のこと、直ぐに五百両もの大金を用意することが出来ません」
 氏子(信者)に集まってもらい、借財をお願いしているところだという。

   「その必要はおません、わいがその賊を退治してやりましょ」
 三太がしゃしゃり出た。
   「何を言うのですか、相手は屈強な男二人で、巫女が三人人も人質にとられているのですよ」
 大井川の渡しで一緒になった男が口を挟んだ。
   「このお子達は、普通の子供ではありません、今切りの渡しで、五人の海盗を撃退したのです」
   「それは凄い、どうか巫女たちの命を助けてやってください」
   「わかりました、神社に立て籠もるやなんて、罰当たりなヤツ等を遣っ付けてやります」

 三太は、一人で本殿に入っていった。賊たちは身構えたが、子供とみると怒鳴りつけた。
   「子供はこんなところへ入ってくるな、お前も殺すぞ」
   「そんなこと言わないで、わいも寄せてくれや」
   「馬鹿かお前は、これが遊びにみえるのか」
   「強盗ごっこですやろ?」
   「そう思うのなら、此処へ来てみろ、この匕首で耳朶を切り落としてやる」
   「そうか、ほんなら近くへ行くで」   
   「耳朶切り落とされてもいいのか?」
   「二個あるから、一個ぐらい無くなってもええわ」
   「何だ、このガキ、わしらを弄っているのか?」
 そう叫びながら、男はばったりと倒れた。少し間合いがあって、倒れた男が起き上がると、もう一人の男に匕首を向けた。
   「兄貴、どうした、俺だよ、仲間だよ」
   「煩い、わしはお狐様だ、お前の仲間ではない」
   「兄貴、正気に戻ってくれ、俺だ、俺だよ」
 ようやく、この男は巫女から離れた。兄貴と呼ばれた男は、尻込みする男の匕首を払い落とし、拳を鳩尾に一発ぶち込んだ。
   「う… 兄貴…」
 三太が巫女たちの紐を解いたので、その紐で伸びている男を縛り、兄貴はもう一度気を失った。その兄貴を縛ったのは三太であった。

   「この男達は、番屋に突き出してください」
 人質にとられていた巫女たちは、安堵のあまりぐったりして、男の娘は父親に縋って泣いた。
   「な、凄いでしょう、わしもこのお子等に命を助けられたのですぜ」
 娘を抱いて落ち着かせながら、男は皆に自分の手柄のように吹聴した。
 
 まだ興奮醒めやらない氏子たちを後にして、三太と新平はこっそり抜け出て、神社を後にした。

   「あれっ、あのお子たちは何処へ行かれた?」
 てんでに氏子たちが騒いでいる
   「消えてしまいましたな」
   「見ましたか、あの子の懐に狐が居ましたぜ」
   「お稲荷さんだったのかも知れません」
   「同じ神様のよしみで、退治しに来てくれたのでしょうか」
   「誰も、一言のお礼も言っていませんね」
   「ほんとうだ」

 三太達と一緒に来た男が提案した。
   「わしが後を追いかけて、礼を言いましょう」
   「でしたら、ここに二両あります、これを差し上げてください」
 神主が二両差し出した。
   「ご心配無く、それはわしがお出ししましょう」
   「有難うございます、それもこれも、お父さんのお陰と、水神さまのご加護でございます」
 
 
 コン太が「クゥン」と鳴いた。懐から出して下ろしてやると、柔らかい土を探して穴を掘りはじめた。うんちが終わると、三太の元へ戻らずに、草叢の中へ入っていった。草叢からぴょんと頭を覗かせたと思うと、姿を消す。しばらく待ってやることにした。コン太はぴょんぴょんやっていたが、漸くバッタを銜えて草叢からでて来た。誇らしげに三太にバッタを見せると、やおらバシバシっと食べ始めた。
   「コン太、凄いぞ、自分で餌が捕れるのや」
   「ほんとだ、偉い、偉い」
 何度かバッタを捕らえてきては、三太に見せてバシバシ食っていたが、満腹したのか飽きたのかバッタを食わないで玩具にしだした。態と逃がしては、跳びついて捕まえる。

 巫女の父親だと言っていた男が、三太達に声を掛けてきた。かなり早足で追ってきたとみえて息急き切っている。
   「何かまだ用がありましたのか?」
   「弥都波能売(みずはのめ)神社の神主さんに頼まれまして、これをお届けに来ました」
 男は、懐紙に包んだ小判を差し出した。
   「巫女を人質にとられ緊張が解れたとたんに心放心して忘れてしまい、礼も言わずにお帰ししたことを悔やんでおられました」
   「礼なんか、要らないのに…」
   「お礼の気持ちには到底届きませんが、どうぞ納めてあげてください」
   「ん? これは神主さんからの頂き物とちがいますね」
   「わかりますか?」
   「へえ、おっちゃんの財布から出したものです」
   「三太さんに嘘はつけませんね、やはりお稲荷さまでしたか」
   「何で?」
   「それ、懐にお稲荷さまの使いのお狐さんが…」
   「おっちゃん、間違っています、お稲荷さんの使いは白狐だす、この子は狐色の狐だす」
   「あっ、本当だ」

 路銀も、ちょっと使い過ぎたので、差し出された二両は有難く頂戴した。

 コン太は、ふところに入れずに歩かせてみた。峠の登りでは放っていかれても歩こうとしなかったコン太だが、平地と分かると、ヨロヨロと腰がぶれながらも元気よく付いて歩いた。困ったことに、草の背丈がコン太に丁度良い草叢を見つけると、腹も空いていないのにバッタ捕りに行ってしまう。三太と逸(はぐ)れたとわかると、いつまでもその場に座り込んで迎えをまっている。まだ、自分が野犬や狼の餌になることがわかっていないようだ。

   「コン太、来い」
 三太に呼ばれると、一目散に駆け出してくるコン太ではあった。

  第二十九回 神社立てこもり事件(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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「第五回 ピンカラ三太」へ
「第六回 人買い三太」へ
「第七回 髑髏占い」へ
「第八回 切腹」へ
「第九回 ろくろ首のお花」へ
「第十回 若様誘拐事件」へ
「第十一回 幽霊の名誉」へ
「第十二回 自害を決意した鳶」へ
「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
「第三十二回 佐貫三太郎」へ
「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第二十八回 怪談・夜泣き石 

2014-08-12 | 長編小説
 三太と新平は、急勾配の登り道に差し掛かった。小夜の中山である。峠に至るまでに、木碑が立っていたので、道行く人に尋ねると脇道の奥に「夜泣き石」があると教えてくれた。特に気にも留めずに峠まで来て茶店で休憩すると、出てきた老婆に話しかけてみた。
   「坂の途中で、夜泣き石と描いた木碑があったが、あれは何だすか?」
   「お教えしますが、近付かない方がよろしいですよ」
 そう前置きをして、他に客も居ないことから、長々と詳しく話をしてくれた。
   「あれは、十年前のことです…」

 掛川の商家に嫁いで若女将になっていた娘が、島田宿の実家の父が倒れたことを伝えに来た下男に聞き、居ても立ってもおれずに不在の夫が帰るのも待てずに、生まれて一年目になる末の息子を背負って実家を目指した。途中小夜の中山に差し掛かったとき、雲助駕籠に目をつけられて駕籠に乗せられた。
 女が下ろされたのは街道を横道に逸れた草深い山道であった。女は草叢に倒されて我が子が見ているところで散々弄ばれた。
   「顔を覚えられたので、番所に駆け込まれないように始末をしておこう」
 相談している男たちに、
   「お願いです、どうか命だけはお助けください」
 女が泣いて頼むのを冷やかな目で見て、女の帯紐を取り、首に巻きつけた。
   「どうぞ子供の命だけでも助けてやってください」
 悲痛な叫びを残して、女は事切れた。泣き叫ぶ子供を足蹴に倒し、二人の男は、女の財布を抜き取り、空駕籠を担いでさっさと走り去った。

 この山道は、人は滅多に通ることはない。子供は母親の元へ這い寄り、動かぬ母に縋って泣き叫び、やがて母にもたれて餓死した。母子の亡骸が見つかったのは、それから十日も経ってからであった。
 女の亭主が、女房の帰りが遅いと心配して、女房の実家を訪ねたことから、行方知れずになっていることを知った。

 女房は実家に戻っては居ず、病に倒れた父親は既に亡くなっていた。腰を抜かさんばかりに驚いた亭主は、それから人を使って妻子を探したが見つからなかった。それでも諦めきれずに、一人になっても探し続けた。

 ある日、小夜の中山に差し掛かったところで、客待ちをしている雲助駕籠を見つけた。
   「十日程まえに、子連れの女を乗せなかったか?」と、尋ねてみた。
 駕籠舁は、「知らぬ」と答えたが、その時に薄ら笑いを浮かべたのを亭主は見逃さなかった。もう一つ引っ掛かったことがある。決して「駕籠に乗ってくれ」と言わなかったことだ。

 妻は子供を背負って小夜の中山の勾配をさぞかしきつく感じたであろうと思った。そんな折に駕籠屋に声をかけられたら、焦る気持ちからきっと応じたに違いないと亭主は考えた。
   「そうか、分かったぞ」
 妻子は、この峠の枝道の何処かに拘束されているか、殺されているに相違ないと、亭主は虱潰しに探し回った。

 妻子の屍のある位置は、はからずも妻子が教えてくれた。街道から脇道に逸れて暫く歩くと、普段なら気がつかないような獣道を見つけて立ち止まると、風に乗って僅かだが腐臭が漂ってきたのである。
   「やはり殺されていたのか」
 それでも、微々たる希望を捨てずに獣道に入ると、目の前が真っ暗になった。見覚えのある妻子の着物が目に付いたからだ。

 亭主は引き返し、穴掘り鍬を買い求め、再び亡き妻子の元に取って返すと、目印になる大きな石の前に穴を掘り、妻子の亡骸を埋葬した。
   「来年まで待ってくれよ、立派な墓を建てて、迎えにくるからな」
 それから亭主は、月に一度は花と線香を手に持って遣って来ては自分の落度を詫び、一頻り話をして帰っていった。
   「番所に届けても、行き倒れとして取り扱われてしまうのだ」
 町人の仇討ちはご法度である。あの駕籠舁が殺ったに違いないとは思うが証拠はない。何もしてやれないままに月日が流れた。

 秋も深まったある日、亭主は噂話を耳にした。小夜の中山で夜泣きをする石があるという。その場所というのが妻子の亡骸を埋葬した場所らしく、そこにある石は「夜泣き石」と、名付けられていた。

 亭主は考えた。例え泣き声なりとも聞いて、あやしてやりたい。その日は昼間に参るのをやめて、夜泣きの声が聞こえるという真夜中に行くことにした。旅籠をとり、夜中になるのを待って、提灯の灯りを頼りに石の前に来てみた。真夜中になるのを待つこと半刻、どこからともなく、子供の泣き声と、女の啜り泣きが聞こえてきた。
   「許してくれ、あの日わしが戻ったときに、お前達のことを聞いて後を追えばよかった」
 子供の泣き声が聞こえる。
   「こわかったろう、ひもじかっただろう、助けてやれなかったお父っあんを勘弁しておくれ」
 だが、その後も夜泣きの声は続いた。
   「月に一度と言わずに、十日に一度は来るからな」

 それから十日目の夜、夜泣き石の前まで来ると、道の真ん中に空の駕籠が置かれていた。不審に思い、辺りに提灯の灯りを向けてみると、駕籠舁の二人が折り重なって死んでいた。番所に届けて経緯を話したが、駕籠舁たちは外傷もなく、首を絞められた形跡も、毒を飲まされた様子もなかった。
   「なんらかの病気であろう」
 この不自然な状況下で死んでいる駕籠舁たちを、いとも安易に片付けてしまった。
 

 峠の茶屋の婆さんは、三太たちに言った。
   「どうじゃ、怖いだろ」
   「いいや、怖いことない」
   「おいらも怖くない」
 老婆はほんの少し眩暈がした。
   「この話は、まだ続きがある」
 老婆は、そう言って話を続けた。

 この亭主、心労と疲労の為に、寝込んでしまった。夜泣き石のことが気掛かりで、死んだ妻子の夢ばかりを見る毎日であった。
 だが、毎晩深夜になると提灯の灯りが夜泣き石を目指してふらりふらりと歩いていくのだ。それを見つけた近くの若い村人が後を付けて行ってみると、提灯を持っている筈の人影が見えない。目を凝らして見ても誰も居ないので、声を掛けてみた。
   「もしもし、こんな夜更けに何処へ行きなさる」
 提灯が振り返り、パカンと大きな口を開くと、長い舌をべろべろと出した。
   「へえ、ちょっと夜泣き石のところまで主人の代わりにお参りを…」

 それを聞いた三太と新平は、抱き合って震えた。
   「怖い!」
   「おいら、おしっこちびるー」

 老婆はキョトンとしている。
   「何です、少し時をおいて怖がるなんて」
 提灯お化けの話は、老婆が話したものではないらしい。三太と新平は峠の下り坂を転げ落ちるように逃げて行った。

   「三太達を急かせるには、これに限る」
 新三郎が呟いた。
   
 
 三太と新平は、金谷宿に入った。
   「怖かったなあ」   
   「おいら、提灯を見たら思い出す」
 新三郎は、それを聞いて「ちょっとやり過ぎたかな」と、反省している。幽霊を怖がらないのは、自分の存在の所為であろう。しかし、お化けに関しては度が過ぎる怖わがりかたである。何とかしてやりたいような、このままの方が面白いような、新三郎の迷うところである。

 
 三太と新平は、道草を食ったので疲れてしまった。この辺で旅籠をとろうと相談していたらコン太が「クゥーン」と鳴いた。
   「どうした、腹が空いたのか?」
 下ろしてやると、ちょこんと行儀よく座って三太の顔を見上げている。
   「そうか、腹が減ったのか、よしよし」
 明日まで置いたら腐るかも知れないので鶏の皮と卵を食べさせることにした。竹の皮に包んだ鶏皮は、痛んでいないようであった。前に置いてやると、尻尾こそ振らないが、喜んで食べているのが分かる。その場の土に浅い穴を掘ると、食べ終わってあいた竹の皮を乗せ、少し窪みを付けて卵を割って載せた。
   「コン太、うまいか?」
   「うん」
 代わりに返事をしたのは新平であった。


   「お客さん、犬をお部屋に上げて貰っては困ります」
   「赤ちゃんやさかい、外へ繋いだら野犬に食われてしまう」
   「それでしたら、土間に繋いでくださいな」
   「ひとりにさせたら、寂しがって鳴きます、それにこいつは犬やおません、狐だす」
 女中は驚いて番頭を呼びにいった。
   「お客さん、狐なんか捕まえて飼ったりすると、祟りがありますよ」
   「わいは稲荷神の使いだす、何で使いの者に祟りなんかありましょう」
   「ふざけていると、狐共々追い出しますよ」
   「では、稲荷神の神通力をお見せしましょう、女中さん、よう見ていてや」
 「つう」と言えば「かあ」で、新三郎は三太のしようとすることは心得ている。
 三太は、「コン」と叫ぶと、番頭が「ふんにゃり」と、崩れ落ちた。女中も腰を抜かしたようである。
   「わかりました、早く番頭さんを元に戻して…」
 番頭は気がついて、きょとんとしている。その番頭に身振り手振りで、今見た状況を女中は説明している。
   「糞やおしっこで畳を汚しませんか?」
   「それは大丈夫だす、わいがお尻を舐めて始末しますさかい」
 新平が、「げっ」と吐きそうになっている。
   「嘘だす、ちゃんと教えてくれますさかい、わいが外へ連れ出します」
   「戸締りは、ちゃんとしてくださいよ、夜中は物騒ですから…」
   「へえ、泥棒が来たら、わいが退治をします」

 昼間、寝てばかりいたコン太、夜は三太を遊びに誘う。ぴょんと跳ね上がっては、三太の股間を目掛けて飛びつく
   「こら、わいのちんちんで狩の練習をするな」
 足の指に噛み付いたり、耳たぶを舐めたり、これでは三太が寝不足になってしまう。
   「よし、明日からは、昼間は寝かせへんで」
 それには、昼間に遊んでやるしかないと、覚悟を決める三太であった。

  第二十八回 怪談・夜泣き石(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)
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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第二十七回 ここ掘れコンコン

2014-08-04 | 長編小説
 掛川の城下町を横目に見て、日坂宿に入った。立派な事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)がある。どうやら、お祭りの準備が始まっているらしい。気の早い鼈甲飴の出店が、子供を集めている。
 少し本殿から離れたところで、二つの人垣ができている。炙り出し売りと蝦蟇の油売りである。見るからに胡散臭い、喋り上手のおやじが、客を集めている。

   「さあ、霊験あらたかなるこの一枚の真っ白な紙に、神様に教わりたいことを書いて火で炙ると、あら不思議、神様のお答えが文字で顕れるよ」
 香具師(やし)は三枚の紙を出して、「さあ、試してみたい者は居ないか」と、客を見渡す。待っていましたとばかり三人の男が手を上げた。遅れて三太も「はい」と、手を上げたが、子供は駄目だと撥ねられた。
 懐のコン太が、何事かと目を覚まして頭を出した。体を反らして三太の顔を見上げたが、三太が怒っている様子も、怖れている様子もなかったので、安心して頭を引っ込めた。

   「この紙の右端に、神様に伺いたいことを書いてわしに返してくれ」
 三人の内一人が、「おいらは字が書けねえ」と返そうとすると、香具師は、
   「わしが書いてやるから、言いなさい」
 男は何やらコソコソ言っていたが、香具師が達筆でサラサラっと書いた。他の二人が書き終るのを待って、香具師は三枚の紙を客に見せた。

   「では、神様に伺ってみよう」
 と、一枚目の紙に書かれた文字を読み上げた。
   「俺の嫁さんになる女は、どこの誰か?」
 香具師は、厳かに紙を蝋燭の火で炙った。
   「まだ、当分現れず」と、黒々と表われた文字を読み上げて周りの客に見せると笑いが起きた。
   「まだ、神様さえ分からないそうだ、がっかりせずに自分で見つけなさい」男はなさけなそうな顔をして首を竦めた。

 次の紙を手に取った。
   「嚊のへそくりは、何処に隠してあるか?」
 香具師は、これを書いた男を咎めるように言った。
   「お前さん、了見が悪いや、嚊のへそくりで女郎買いに行こうという魂胆だろうが」
   「違う、違う、ちょっと博打で稼いで、倍返ししてやろうと思いまして」
   「さようか、了見が良いのか悪いのかよく分からんが、神様に伺ってみよう」
 紙を炙ると、文字が表れた。
   「釜戸の横の、水瓶の下に隠しておるそうだ、くれぐれも女房を泣かしなさんなよ、さもないと神罰が下るぞ」」
 書いた男は、これ見よがしに文字が表われた紙をヒラヒラさせながら、喜んで帰って行った。

   三枚目は、「これは深刻だ、女房が居なくなったそうだ」
 紙を炙ってみると、表れた文字は、
   「お前の女房は、駆け込み寺へ逃げた、手遅れなり」
 男は、泣きそうな顔をして、帰っていった。

   「一枚、百文じゃが、今日は八幡様のお祭りにより、たった三十文でお分けする」
 客は、わしも、おれも、と、買い求めて帰って行った。三太も買おうと巾着袋から三十文を出そうとしたが、新三郎が止めた。
   「あれは、インチキですぜ、炙ると出る文字は、予め酢で書いてあったもので、試した三人の男は さくら と言って香具師の仲間です」
   「なんや、それでお伺いとお答えがぴったりと合うのか」
 三太と新平は、ひとつ勉強をしたようである。

 そのすぐ横手では、武士の仇討ちのように襷と鉢巻をした男が刀をキラつかせて客を集め、口上を聞かせている。
   「さあ、お立会い、取り出したるこの長刀、見ての通りよく切れる代物…」
 懐より和紙を一枚取り出した。
   「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚…」
 最後は紙吹雪となって、上に撒き散らした。
   「大根もこの通り、すっぱり切れるよお立会い」
 当たり前だが、その切り口の綺麗なこと。
   「抜けば玉散る氷の刃、この抜き身を素手で握ってみせよう、だが、慌てなさるな」
 香具師は懐から蛤を取り出した。
   「このまま刃を素手で掴めば、掌に刃が食い込んで血が滴るのは当たり前」
 香具師はぴったり閉じた蛤を抉じ開けると、練り油のようなものを見せた。
   「これが、筑波山は中禅寺の光誉上人が作り上げた陣中薬、蝦蟇の油だよ」
 蝦蟇は蝦蟇でも前足の指が四本、後ろ足が六本と言う四六の蝦蟇、筑波山中に棲息する四六の蝦蟇に鏡を見せると、己が姿に驚いて、タラリタラリと脂汗を流す。それを集めた蟾酥(せんそ)らしいとされるが、蟾酥は現代でも医薬品として扱われている漢方薬である。
   「さあ、お立会い、この蝦蟇の油を掌にチョンと付けて延ばしておく」
 その手で刃を握り締め、おまけにその拳を客に力任せに縛らせた。
   「これで刀を抜き取って見せる」
 香具師は、大仰に気合とも唸りともつかぬ大声を張り上げて刀をスーッと抜き去った。    
   「さあ、お立会い、切れてなかったら蝦蟇の油の威力だ」
 拳を結んでいた紐を解くと、まとめて懐に押し込んだ。
   「さて、手を開いてみよう」
 香具師は、ゆっくりゆっくり掌を開いていった。
   「これ、この通り、切り傷どころか擦れた痕もないよ、お立会い」
 客は、「わあーっ」と感嘆の声を上げる。

   「それだけではない、お立会い、今からこの刀で拙者の前腕に傷を付けてみよう」
 言うが早いか、前腕の内側に刀の刃を当てた。そのまま刀をスーッと滑らせると血が噴出した。香具師はすぐさま腕を曲げて出血を止めるように傷口を隠し、刀を置いて蝦蟇の油を人差し指にたっぷりと付けた。
   「傷口に蝦蟇の油を塗って十を数える間だけ待ってくれ」
 香具師は十を数えると手拭いを取り出し傷口を拭くと、
   「これこの通り、たちどころに傷は治って元通り」
 客は「やんや」の喝采。
   「一つ二百文だ、ちょっと高いがゆるしてくれ、大阪夏冬の陣で使われた有名な救急薬だ」
 値段が高いということも、蝦蟇の油がよく効くように思わせる一因でもある。
   「一つおくれ」
   「わしも…」
 客が客を釣り、蝦蟇の油もよく売れていた。

 
   「新さん、さっき切った傷が消えている」
   「これは、どちらも手妻(てづま=手品)です」
   「手妻なの?」
   「最初のは、鉛で作ったコの字形の物を手に隠し持って、握るときに刃に被せてから握ったのです」
   「そうか、刃は鉛を滑っていたのか」
   「次の手妻の種は、一寸(いっすん=3㎝)程に切った魚の腸の一方を糸で括り、紅を水で溶いたのを入れてもう一方も糸で括った物を用意しておき、腕を切ると見せかけてこれを潰していたのです」
   「へー、すごい手妻の腕だすなあ」
   「そうですねぇ」
   「蝦蟇の油は偽物だすか?」
   「本物の蟾酥は、高価な漢方薬ですから、二百文やそこらで買えません、牛脂か何かで作った偽物でしょう」
   「なーんや」

 結局、鼈甲飴を一つずつ買い、八幡さまにお参りして神社を後にした。
   
 
 暫く歩くと、コン太が「くぅん」と鳴いた。
   「コン太どうした? お腹が空いたのか」
 三太の懐から出たがっているようだ。下ろしてやると、街道脇の空き地に転がるように飛んで行った
。「くんくん」と、嗅ぎながら空き地の端にいくと、やおら後ろ足で土を掘りはじめた。
   「何か、ここ掘れワンワンをしている」
   「親分、もしかしたら、宝物を見つけたのかもしれません」
   「そうか、大判小判がザクザク出てきたら、わいら大金持ちや」
   「それはいけないよ、お上に届けなければ」
   「一両くらいやったら、コン太のご飯代に貰ってもええやろ」
 コン太は突然穴掘りをやめると、クルッと後ろを向いて「何を見ているのだ」という顔をして三太達を見た。
   「何? 一緒に掘れというのか?」
 コン太は、三太の目を見ながら、「ぷりぷりっ」と、ウンチを垂れ、後ろ足で穴を埋めた。
   「ちっ、あほらし」
   「だけど、行儀が良いじゃないですか」
   「そやなあ、おっ母ちゃんの躾がよかったのやろ」

 コン太は、脇に流れる浅い小川に飛び込んだ、水の中で転がっている。どうやら体を洗っているらしい。三太は農道に落ちていた荒縄で束子を作り、コン太の体を擦ってやると、気持ちよさそうにおとなしくじっとしていた。
   「おまけに、コン太はわい等よりも綺麗好きみたいや」
 三太は濡れたコン太の体を拭いてやろうとしたが、コン太は体をブルブル震わせて、水滴を飛ばしている。勢いがよすぎて後ろ足が宙に浮き、その反動で腰が砕けても、懸命に水滴を飛ばし続ける。ようやく得心すると、行儀よく座って三太を見上げ、抱き上げてくれるのを待っている。
   「まだ濡れているからあかん」
 ちっとは歩かせてやろうと、三太が行きかけてもコン太は座って待ち続けた。
   「コン太、早くおいで」
 コン太は動かない。三太が見えなくなってもコン太はきちんと座ったままである。
   「あいつ、強情張りやなぁ」
 三太は根負けして戻ってみると、コン太は山の方に体を向けて、やはり座っている。近付いてみると、何やら悲しげに忍び音を漏らしている。
   「コン太、どうした、おっ母ちゃんや兄弟が恋しいのか?」
 その三太の声に、振り向いて嬉しそうに飛んできた。
   「わいがコン太を躾けようと思うているのに、わいがコン太に躾けられているみたいや」
 コン太は満足そうに、三太の懐に収まった。


 ここからは、東海道の三大難所の一つとされる「小夜の中山」という峠にさしかかる。
   「コン太、お前知っていたのか? それで歩こうとしなかったのやろ」
 コン太は懐から体を出し、背伸びをして三太の顎を舐めた。
   「人間の世界には笑って誤魔化すって言うのがあるけど、コン太は舐めて誤魔化すのやなあ」

 鈴鹿峠は馬の背で越えたが、この峠は自分の足で越えようと、三太と新平は話し合った。

  第二十七回 ここ掘れコンコン(終)-次回に続く- (原稿用紙14枚)

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「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
「第三十二回 佐貫三太郎」へ
「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
「第三十六回 新平、行方不明」へ
「第三十七回 亥之吉の棒術」へ
「第三十八回 貸し三太、四十文」へ
「第三十九回 荒れ寺の幽霊」へ
「第四十回 箱根馬子唄」へ
「第四十一回 寺小姓桔梗之助」へ
「第四十二回 卯之吉、お出迎え」へ
「最終回 花のお江戸」へ

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