雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十一回 人を買う

2014-04-30 | 長編小説
 京は竹薮の多いところである。北小路篤之の屋敷へも、幾つかの竹薮に挟まれた路を通り抜けた。田路助は御所から程近い、公家屋敷に鷹之助たちを案内した。
   「このお屋敷にございます」
   「立派なお屋敷ですね、田路助さん、占い料は如何程請求しましょうか?」
   「そうですね、十両だと吹っ掛けてみては如何でしょう」

 大きく開かれた門には、二人の番人が立っていた。田路助が門番達に何事か囁くと、二人は鷹之助を見て軽く頭を下げた。
   「ご主人様がお待ちかねじゃ、お通しなされ」と、田路助に言った。

   「田路助、ただ今戻りました、ご主人様にお取次ぎを…」
 下女が足盥を持って出て来て、鷹之助と政吉の足を洗ってくれた。「裏口へまわれ」と、言われなかったのも、一応は「客人」として迎え入れられたのであろう。

   「占い師殿、よく来てくれた」
   「私は佐貫鷹之助でございます、して、こちらは供のもので、政吉と申します」
   「麻呂が北小路篤之じゃ」
   「田路助どのに聞き申し、取るものも取り敢えず参上いたしました」
   「その方が占い師とは、なにやら若すぎて頼りなげであるのう」
   「どうぞ、お気の済むように、我が霊力をお試しくださいませ」
   「そうであるか、では、そこの家来を、接近せずに倒してみせよ」
   「そのような事で、お気がすまれるのでしたら、どこからでも斬り込ませてください」
   「これ、山之辺、剣を抜いて鷹之助どのに挑んで見せぃ」
   「はっ、斬ってもよろしいのですか?」
 家来、山之辺は勇んで一歩前にでた。鷹之助は山之辺を睨み据えて、「構わぬ」と、身構えた。
   「ただし、私が手心を加えきれずに、山之辺どのの命を奪ってしまうかも知れぬ、そう心得てかかってきなさい」
 その鷹之助の一言で、山之辺はあきらから動揺したが、勇気を振り絞って剣を上段に構え、「やあーっ」と、鷹之助に斬りかかった。剣が鷹之助に届く辺りまできて、気合が悲鳴に変わった。山之辺は、大仰に叫ぶと、剣をパラリと地上に落とし、苦しみの表情をみせて自らも地上に崩れた。鷹之助は新三郎の芝居とみてとり、可笑しくて噴出しそうになったが堪えて北小路の方に向き直った。
   「こんな事で宜しいでしょうか?」
   「山之辺は死んだのか?」
   「いえ、気を失っただけでしょう」
   「失礼仕った、どうぞ失せ物の行方を占うてくりゃれ」
   「紀州へは、間もなくお発ちになられるでしょう、さっそく占い、必ず失せ物の茶釜を探し当て、お公家様の牛車に追いつきますので、安心なさって旅をお続けください」
   「さようでおじゃるか、鷹之助、確と頼むぞ」
   「はい、お任せください」
   「占い料は、如何ほど用意すれば良いのじゃ」
   「三百両でございます」
   「高いのう、もちっと負からぬか?」
   「お公家様ともあろうお方が、お値切りになるとはご家来衆の手前、如何なものですか」
   「そう申すな、麻呂とてもこの切羽詰まった折りに言いとうないが、このところ出費が嵩んで家計は火の車なのじゃ」
   「まあ、ご相談には応じましょう」

 北小路篤之は牛車(ぎっしゃ)に乗り込むと、やや不安げに旅発って行った。鷹之助は、屋敷の者に頼み、茶釜を探しに出る為に道案内役として田路助を供につけてくれるようにと頼み込み、しばし占い師らしく黙祷して見せた後、町に出た。

 茶釜は、田路助が人っ気の無い古寺にある墓石の唐櫃(からと)の中に隠していた。重い石蓋を開けると、油紙で包んだ箱が出てきた。中を確かめると、三人は北小路が乗る牛車を急ぎ足で追った。

 牛車には、伏見に差し掛かったところで会った。ここで三十石船に乗り換えて大坂まで下り、紀州藩から迎えに来た大名駕籠で和歌山城へ向う行程である。

 鷹之助たちは、先回りをして伏見の船着場で待った。牛車はゆっくり止まり、輿の戸が開かれ、北小路が下りて来た。
   「茶釜をお届けに参りました」
 鷹之助が茶釜を差し出すと、中を改めた北小路は、安心したように胸を撫で下ろした。
   「言葉通り、幾らか負けて貰えるのであろうのう」
   「負ける事は出来ませんが、田路助さんを私に百両で譲って戴けませんか?」
   「わかった、譲ろう、それでは二百両を支払えばよいのでおじゃるな」
   「はい、それで結構で御座います」
 北小路は、供の家来に二百両払えと指示した。
   「ところで、お公家様は、私の供の政吉に見覚えはありませぬか?」
   「はて? 一向に覚えは無いぞ」
   「十数年前に遡ってお考えください」
   「知らぬのう」
   「お公家様は、人攫いから子供を買いませんでしたか?」
 北小路は政吉を繁々と眺めて「えっ」と言った後、絶句した。
   「思い出されましたか、政吉はその時の子供です」
 暫く経って、北小路は政吉に声をかけた。
   「政吉と申すのか、お前には酷いことをしてしまった、京極の親分からは、大切に育てていると聞いたが、辛い思いをさせなんだか?」
   「いいえ、親分の言葉通り、可愛がってくれました」
   「左様か、それは良かった、あの時に生まれた麻呂の子は、流行り病で死んでしまったのじゃ、これは我が非道の祟りと後悔しておった」
   「私は恨んでなぞいません、恨むとしたら子供を拐かして売った人攫いです」
   「買った麻呂も悪かった、政吉、許してくりゃれ」
 北小路は、たった今、田路助を鷹之助に売ったことなど忘れ去っていたようである。一行は船に乗り込んだが、鷹之助は政吉を京極一家まで送る為に船に乗る日を遅らすことにした。
   「では、お別れで御座います、和歌山城までの御旅、どうぞご無事で…」
 一行とは、伏見京橋の浜で別れた。


   「田路助さん、これで良かったのですか?」
   「はい、有難う御座いました、これからは鷹之助さんの下僕として、一生懸命にお尽くし致します」
   「あはは、あれは嘘ですよ、私ごときに下僕などいりません、田路助さんはご自由になさってください」
   「でも、いきなり自由だと仰せられても戸惑うばかりどす、暫くは鷹之助さんの下僕として置いていただけませんか?」
   「それは構いませんが、下僕ではなく友人としてお迎えいたします」
 田路助は「もったいない」とは言いつつ、それを承諾した。
   「では、二百両のうち、百両が田路助さんの分です」
   「そんなに戴いて良いのですか?」
   「元はと言えば、田路助さんが立てた計画ではありませんか」
   「面目次第もありません」
   「残りの百両は、政吉さんがお使いなさい」
   「わいは何も…」
   「政吉さんは私と違いお金持ちでしょうから、どうでしょう京極の親分に差し上げては如何でしょうか」
   「そうですね、育てて貰って何も礼をしていませんので、親孝行の積りで置き土産にします」
   「ところで…」田路助が済まなさそうに言った。「鷹之助さんには塾を休んで戴き、船賃や旅籠代まで出していただきましたのに、一文もなしではあまりにも申し訳がありません」
   「では、双方から一朱ずつ戴きましょうか」


 京極一家まで政吉を送って行くと、「明日の夕刻までゆっくりして行け」と、政吉や子分達にもせがまれ、鷹之助と田路助は言葉に甘えることにした。
   「一宿一飯の恩義にあずかり、ここで殴り込みでもあれば、私達は何の役にもたちませんね」
 鷹之助が冗談半分に言うと、政吉が即座に返した。
   「その時は、亥之吉兄ぃの手で行きましょうや」
   「どうするのですか?」
   「隅っこに居て、声援だけするのです」
   「それでも斬りかかられたら?」
   「尻に帆かけて逃げ出すのです」
 子分の一人が笑いながら言った。
   「こら、豚松(政吉)、わいが首根っこ掴んで、相手の前に突き出してやる」

 政吉は、鷹之助に言われた通り、百両を京極の親分に差し出すと、親分は喜んで受け取ってくれた。ちょっと親孝行をした気分になった政吉であった。

 翌朝、政吉は江戸へ向けて出立した。やはり京極一家が政吉の実家のようで、親分子分と別れるのが寂しげであった。

 その日の八つ刻過ぎに、鷹之助と田路助は一家の人達に礼を言って別れ、伏見の船着場へ向かった。船上では、田路助の身の振り方について話をした。
   「俺は、鷹之助さんの下僕として末永くお仕えしたいのどす」
   「だから言ったでしょう、わたしは下僕を置くような身分ではありません」
   「私は手に職も、商人の知識もありません、読み書きすら出来ないのどす」
   「今からでも遅くはありません、勉強しましょう」
   「俺はもうすぐ二十歳なのですよ、今更勉強なんて出来ませんよ」
   「何を言うのですか、読み書き算盤は私が教えましょう」
   「俺に覚えられるでしょうか?」
   「大丈夫です、上方に戻ったら、まず一年間鷹塾で読み書き算盤を勉強しましょう」
   「はい、よろしくお願い致します」
   「その後は、私の知り合いの雑貨商福島屋さんに頼んで、商いの見習いをしては如何ですか?」
   「雇ってくれるでしょうか」
   「雇われるのではありません、勉強をさせて貰うのです、お給金は貰えなくても、食と住と商いの勉強が田路助さんへの報酬なのです」
   「わかりました、頑張ってみます」
   「それまで、この百両は両替屋に預けておきましょう」
   「お任せいたします」


 ようやく、鷹之助は普段の生活を取り戻した。だが、田路助が居るお陰で、食事の用意をする必要がなくなった。生活費を田路助に渡しておくと、女房さながらにやりくりをしてくれる。その分、鷹塾の学習時間を延ばして二部制にし、塾生の子供も二倍に増えた。田路助は子供好きとみえ、すぐに子供たちの心を掴んでしまった。
 鷹塾が終わったあと、鷹之助は子供たちを送り届けるようになった。ただ困ったことに、お鶴との二人きりの時間が取れずに、お鶴はご機嫌斜めである。そこで、鷹之助は考え、お鶴を店まで送り、小倉屋の店で茶を一服頂戴して、お鶴と語り合い、そして鷹塾に戻るのを日課にした。
 
   第二十一回 人を買う(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

「佐貫鷹之助リンク」
「第一回 思春期」へ
「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
「最終回 チビ三太、江戸へ」へ

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第二十回 公家、桂小路萩麻呂

2014-04-27 | 長編小説
 早朝、鷹塾に来客があった。その旅鴉風の男は、江戸の商人菊菱屋政衛門の倅、政吉と名乗った。
   「申し訳ありません、わたしはあなた様を存じ上げませんが…」
   「そうですね、一度もお逢いしたことはおへんのどす」
 それもその筈、雑貨商福島屋亥之吉を兄と慕うもので、亥之吉は佐貫三太郎を命の恩人であり友と親しみあう仲らしい。鷹之助は亥之吉に逢ったことはないが、名前は兄から聞いて知っている。ここへ相談に来た美濃吉の弟、池田の須馬八に「親兄弟に逢ってきなはれ」と、路銀と旅衣装を与えた商人である。
   「その政吉さんが、わたしにどんな御用でしょうか」
   「いえ、ご用って程のことではないのどすが、お元気になさってはるかご様子を伺って来いと亥之吉兄ぃに頼まれました」
   「それはご親切に有難うございます、わたしはこの通り、元気にやっております」
   「もし、お独りで生活なさって、お困りのことがおしたら、道修町の雑貨商福島屋を訪ねるようにと言いつかって参りました」
   「福島屋さんの本店ですか?」
   「その通りどす、もし鷹之助さんが訪ねていらっしたら、あんじょうしてあげてくださるようにと伝えておきました」
   「本当に心丈夫です」
   「佐貫三太郎さんのことは、みなさんご存知ですから、親戚だと思って頼ってくださいと、福島屋のみなさんがおっしゃっておられました」
   「有難う御座います、お帰りになりましたら、福島屋亥之吉さんに宜しくお伝えください」
   「わかりました、亥之吉兄ぃも、安心することでっしゃろ」
   「ところで、政吉さんは、京のお生まれですか?」
   「いえ、生まれは江戸どすけど、赤子の頃に拐わかされて京のお公家屋敷に売り飛ばされました」
   「そんなことがお有りでしたか、大変な目にお遭いでしたのですね」
   「その二年後に、わたいを買ったお公家に実の子が誕生して、わたいが邪魔になったお公家が京極一家の親分に、処分してくれと頼んだのだそうどす」
   「処分とは酷い」
   「親分も犬猫のように処分とは何事と前後の見境もなく怒って、尻を捲ったそうです」
 政吉は、京極一家の跡取りとして大切に育てられたが、十四歳の時に亥之吉と出会い、親分の承諾を得て、亥之吉に護られて両親を探す旅に出た。両親は、それまで営んでいた装飾品の店菊菱屋を売り払い、我子政吉を探すべく、お遍路姿で京に上ったのだった。
 すれ違いなど、紆余曲折があって、菊菱屋政衛門夫婦に出会い、亥之吉の助けもあって、元菊菱屋があった神田に小さな店を構えることが出来た。
   「実は、亥之吉兄ぃの前で、育ての親である京極一家の親分に逢いたいと呟いたばっかりに、旅のお膳立てをされて、旅に出されましたのどす」

 京極一家の親分に逢ったら、ちょっと足を伸ばして、福島屋の本店と、鷹之助さんを訪ねて、様子を見てきてほしいと亥之吉に頼まれた政吉であった。
   「そやけど、どちらさんもお達者で、兄ぃによい土産ができました」
 丁度、鷹之助も天満塾に行く時刻だったので、政吉と一緒に出かけることにした。政吉は今夜、淀屋橋あたりの旅籠に泊まり、明朝三十石船で京へ上り、もう一度京極一家に立ち寄り江戸へ向うそうであった。
   「堅気の政吉さんが、どうして渡世人姿で旅をなさっているのですか?」
   「これは兄ぃの提案で、商人姿だと強請(ゆす)りや盗賊に襲われやすいから、態(わざ)とボロ着の旅鴉風体で旅をしているのどす」
   

 その日、鷹塾の勉強が済んで子供たちが帰った後に、またしても客人が訪れた。
   「鷹之助どのとは、そなたでおじゃるか?」
 鷹之助は驚いた。今どき「おじゃる」なんて言葉を使う公家(くげ)など居ないと思っていたからだ。
   「お公家様でいらっしゃいますか?」
   「桂小路荻麻呂じゃ」
   「お公家様が、牛車(ぎっしゃ)にも輿(こし)にもお乗りにならず、このようなあばら家においでになるとは…」
   「麻呂は、苦しゅうないぞ」
   「どのようなご用件でしょうか?」
   「京へ上り、失せ物を探してほしいのじゃ」
   「わたしは塾に通う塾生の身です、その上、子供たちに読み書きを教えていますので休むことが出来ません」
   「さようでおじゃろうが、こちらは公家一人の命がかかっておじゃりまする」
 
 鷹之助は、考え込むような振りをして、新三郎に相談した。
   「新さん、この公家、怪しいですね」
   「偽者ですぜ、鷹之助さんを京へ連れて行き、何やら金儲けに使うようです」
   「そんなことだろうと思いました」
   「話を聞いてやりなせぇ、いざと言うときは、あっしが何とかしやす」

 鷹之助が、悩んでいると見てか、萩麻呂が先に口を開いた。
   「鷹之助どのが通っている塾には、麻呂がお願いしましょう」
   「いえ、それには及びません、お公家様のお命がかかっているとあれば、何を捨て置いても参りましょう」
   「それはかたじけのうおじゃる」
 萩麻呂の話はこうである。毎年、紀州候が催す野点(のだて)に、公家の代表として出席する北小路篤之(きたのこうじあつゆき)が持参することになっている八代将軍から贈られた茶釜を、何者かに盗まれてしまったのだ。別に武士のように切腹して面目をはらす必要はないものの、将軍家からの贈り物を紛失した無礼は、帝の面目さえも潰しかねない。困り果てている篤之に、ある男が鷹之助の話をした。
 男は、鷹之助の霊験あらたかなる術で、盗まれた茶釜を探し当てさせようと話を持ちかけたのだった。
 紀州候の野点は、七日後に迫っていた。
   「京へ参りますが、期日までに探せるかどうかは保障できません」
   「それは良いのでおじゃる、茶釜は既に麻呂が見つけておじゃる」
   「へ? それはまた何故でございますか? 桂小路様がお渡しになればよろしかろうに」
   「麻呂の手から返せば、一文にもなりませぬ」
 それっ、出たぞ、こいつの魂胆。鷹之助は内心「にたり」と笑った。
   「わたしが入れば、お金になるのですか?」
   「左様でおじゃる、そのために鷹之助どののことを、若いが日本一の占い師と言っておじゃる」
   「分かりました、この儲け話に乗りましょう」
   「おおきに有難うで、おじゃります」
   「ところで、あなたはお公家さまではありませんね」
   「何故にそのような戯言を言いおじゃるか」
   「私は日本一の心霊占い師ですぞ、それ位のことを見破れぬ訳がありません」
   「そうでした、大変失礼を致しました」
   「お話を聞きましょう」
   「へえ、俺は北小路家の下僕で、田路助(たろすけ)と言います」
   「手を組んだからには、真実を打ち明けてください」
   「はい、何もかも申し上げます」
 田路助は、十歳のときに北小路家に連れてこられ、陰間として散々弄ばれた末、下僕として扱き使われている。勿論、お手当てなどは貰えず、もし病に倒れでもしたら、使い古した雑巾のように捨てられる奴隷のような身上である。
 十余年前にも、人買いから幼い男児を買って養子にしたところ、直ぐに実子が誕生し、要らなくなった養子をヤクザの親分に処分させたこともあった。
 どうせこの家で犬死するのなら、たとえ失敗をして殺されることになっても、主を困らせてやりたい。できることなら、ここを逃げ出して、貧しくとも人並みの生活がしてみたい。そう考えて、主人が捨てた衣服を拾って繕っておき、茶釜を盗んで隠し、この企てを実行することにした。
   「あなたの言葉を聞きながら、あなたの魂を透視しましたが、嘘偽りはないようですね」
   「もう嘘は申しまへん」
   「京へ行きましょう、それには私が通う塾と、この鷹塾の子供たちの許可をとらなければなりません、明日一日待ってくれますか?」
   「はい、では明後日の早朝にお迎えに上がります」
   「今夜と明日の旅籠は取られているのですか?」
   「今から、どこか安宿を探します」
   「その形(なり)で、ですか?」
   「着替えは持っておるのどす、ちょっと井戸端をお借りして、化粧を落とさせて戴けまへんか?」
   「どうぞ、よろしければここへお泊り戴いても構いませんよ」
   「いえ、このような泥棒を泊めてはいけまへん」
   「あなたは信用できる方だと確信しております」
   「助かりますが、甘えてもよろしいのどすか?」
   「はい、丁度、塾生の親御さんが恵んでくださった真新しい布団があります、明日一日は、ここでゆっくり為さって居てください」
   「お留守の間、薪割りでも、洗濯でも、何でもお申しつけください、俺は何もしないと死んでしまいます」
   「回遊魚みたいな方ですね」

 翌朝、鷹之助は味噌汁の香りで目が覚めた。田路助が朝餉の支度をして待っていてくれたのだ。鷹之助が塾に出かけるときは、まるで女房のように見送ってくれた。

   「新さん、幼い政吉さんを人買いから買った、さるお公家とは、北小路かも知れませんね」
   「そうでしょうが、たとえ一年でも二年でも、育ててくれた養父母です、政吉さんは恨みには思っていないでしょう」
   「処分されそうになったのに?」
   「そこいらのならず者ではなく、京極一家の親分に処分を頼んだのが、せめてもの北小路の良心だと思いましょう」


 翌朝、鷹之助と田路助は淀屋橋から三十石船に乗り、夕刻に伏見に着いた。京極一家に挨拶がてらに立ち寄ると、余程ここが居心地良いのか、政吉はまだ江戸へ立たずに留まっていた。政吉と親分に鷹之助が京へ来た訳を話すと、親分は「さるお公家」と言っていたのが北小路であることを打ち明けてくれた。
   「わいはその屋敷に恨みも憎しみも持っていまへん、物心がつかないうちに売り買いされて、物心がつく頃には、親分に育てられていたのですから」
   「明日、北小路の屋敷に出向きますが、政吉さんは行きませんか?」
   「連れて行ってくれはるのでしたら、盗んできたとわかる赤子を買った男の顔を見てやります」

 わしも行くという親分に、「ことが大きくなるかも知れない」と、ご遠慮願い、三人と一霊は、北小路篤之の屋敷を目指した。
 
  第二十回 公家、桂小路萩麻呂(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)


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猫爺の日記「裏切られた歯科治療」

2014-04-24 | 日記
 情けないことに、歯の治療中にポロリと涙を零してしまった。 この歳になって、こんなに痛い思いをするとは予想だにしなかった。 一番奥の歯が虫歯になっていたのだ。 外から見ても、触ってみても穴など開いていず、歯茎が傷み始めて歯科医院でレントゲンを撮ってそれと分かった次第である。

 最近の歯科治療は痛くない、そう思い込んでいたのが、見事に裏切られた。 また、若いうちから歯科医院に通い、電波滅菌とレーザーによる歯垢除去を受けていたので安心していたのだが、これも安心材料ではなかった。

 医師は言った。
   「この歯は親知らずですから、歯茎の腫れが引いたら抜きましょうね」

 最近は、極力「抜歯はしない」と、言っていた医師の言葉にも裏切られた思いがした。

 医院へ行った初日は、チョコッと歯に触れても痛いのに、その痛い歯茎に注射針をぐいぐい差し込まれ、悲鳴を上げそうになり、翌日は、腫れた歯茎をぎゅうぎゅう押さえて膿を押し出されて、とうとう「うっ」と、唸ってしまった。

 歯が痛み出したのが土曜日だったことから、月曜までは牛乳や即席味噌汁、ポタージュスープに食パンの柔らかい部分を小さく千切って浸したものを飲んで凌いだ。

 過去にエッセイで投稿したが、「里美八犬伝」の著者、滝沢馬琴の晩年は総入れ歯だった。その苦労をわが身を持って体験したような大袈裟な気分になっている。、

猫爺のエッセイ「マナー」

2014-04-15 | エッセイ
 深夜のテレビ番組を観ていて感じたのだが、若い人の大方はマナーは不要だと思っているのだろうか。例えば食事のマナーなど必要なく、「楽しく美味しく食べればいいじゃないか」そんな風に考えているのだろうか。

 番組は、食事のマナーをクイズ形式で、女性アイドルタレントに当てさせるもの。全くマナー心得ていないタレントがトンチンカンに答えるのを、マナーの先生が怒った。怒ったと言っても、先生はご自分のキャラクター作りだと見え見えの怒り方なのだが、怒られたタレントは「だから怒られるは嫌いだと言ったのに」と多分所属事務所の誰かに言ったのだろう。そこで、べそをかきながら膨れっ面で呟いたのが「美味しく食べれはいいじゃん」
 
 それを聞いて、さぞかしご両親にも、事務所の人たちにも、甘やかされ機嫌どりをされているのだろうなと猫爺は感じた。

 美味しく食べることと、マナーとは別物だと思う。家族や、仲間内での食事であれば最低限の良識があればそれでいい。これが、会社の社長クラスの人との会食であればどうだろう。食事が不味くなってもマナーは弁えなければならない。話を膨らませれば、天皇陛下との会食に招待されたとすれば、「美味しく食べれば…」では済まなくなる。

 「私は、そのような席には出ない」 それはそれで良いとして、だからマナーなど必要がないものだとは言えないだろう。まがりなりにも、テレビで大衆に向けて放映される番組である。

 親からも誰からもマナーなど教わっていないなら、「知りません」と素直に答えるのも可愛いものだ。はなっからマナーを否定するのはどうかと思う。

 同年代のタレントの中で、マナーをよく弁えている人が居た。観ていて眩しいくらいに好感が持てた。この方のご両親の躾の良さが、目に浮かぶようであった。

猫爺の連続小説 「佐貫鷹之助」 第十九回 嘯く真犯人

2014-04-14 | 長編小説
 ここは、人殺しの罪で処刑された定吉が奉公していたお店(たな)である。鷹之助はある日の夕刻に暖簾を分けて入った。
   「私は霊媒師の佐貫鷹之助と申す者、平太郎さんにお逢いしたいのですが」
 鷹之助の肩書きは、時と場合によりコロコロ変わる。このたびの訪問には、霊媒がぴったりなのだ。
   「平太郎はわてです、どのようなご用件だっしゃろか」
   「はい、元このお店に奉公していた定吉さんに頼まれて参りました」
   「定吉は、既に亡くなりましたが」
   「解っております、その亡くなった定吉さんのご依頼ですが」   
   「仰っておられる事が、よくわかりまへんが…」
 平太郎は惚けたわりには厳しい表情になった。
   「ですから、亡くなった定吉さんが、私に訴えるのです」
   「死者が?」
   「私は霊媒師です、死者と話が出来ます」
   「帰っておくなはれ、そんな戯言に付き合っている暇はおまへん」
   「お店の外で、戯言かどうか、確かめなくても宜しいのですか?」
   「どうせ、騙りで銭をせしめる積りでっしゃろが、その手には乗りまへんで」
   「そうですか、では仕方が無い、店先で言わせて貰いますが、定吉さんは人殺しなどしていないと訴えています」
   「いいかげんな嘘を言わないでください」
 その時、奥からこの屋の主人らしい人が顔をだした。
   「平太郎、この方のお話を聞かせて貰いなはれ、何や定吉は無罪らしいやないか」
 鷹之助は、出てきた男に深々と頭を下げた。
   「お金を戴くために来たのではありません、定吉さんを哀れと思い来たのです」
   「そうですか、番頭がえらい失礼なことを申しました、堪忍しておくなはれや」
   「いえいえ、分かって戴ければそれでいいのです」
 男は、この屋の主人で、相模屋長兵衛と名乗った。一見、物分りの良さそうな好々爺で、目尻の深い皺が、長年笑顔でお客に接してきた証のように鷹之助には思えた。主人は「店先で立ち話もなんですから」と、鷹之助と平太郎を店の奥の間に導いた。
   「それで、定吉は無罪だと申しておりますので」
   「はい、刺した覚えはないと言っています」
   「では、誰が刺したと言っとります?」
   「知らぬ男だそうで、その男が権爺を刺したとき、権爺は低く呻いたそうです」
   「その刺した男が、定吉の手に匕首を握らせたのですな」
   「いいえ違います、握らせてはいません、平太郎さんが、定吉さんの着物に血を付けただけです」
 平太郎の顔色が変わったのを、鷹之助も主人も見届けた。
   「寝言を言っていますのか、わたいはその頃定吉を探しておりましたんや」
 ここぞと、鷹之助は突っ込んだ。
   「それで平太郎さんは、役人を何といって誘い出したのですか?」
   「定吉は酒に酔って、あの業突張りの爺め、殺してやると言って出て行ったと」
   「それまでは、あなたの家で二人酒を酌み交わしていたのですね」
   「そうです」
   「定吉さんは、平太郎さんの肩を借りて、殺しの現場になった処まで行ったと言っています」
   「もう止めましょう、こんな下らない遊びは」
 平太郎は立ち上がってこの場を外そうとしたが主人が止め、手で座れと命じて、鷹之助の方に顔を向けて言った。
   「それを、あんたはんの推理ではなく、定吉が言っているのやという証が知りとうございます」
 鷹之助は、待っていたとばかりに承諾した。
   「よろしいです、まず権爺に手を下した男を、私の心霊術で平太郎さんの胸の内から探ってみましょう」
 新三郎は、既に先程から平太郎に憑いていたのだ。
   「分かりました、平太郎さん、あなたの脳裏に地回りごろつきの玄五郎という男を思い浮かべましたね」
   「知らない、知らない、そんなヤツは」
   「平太郎さん、そうは言いながら、玄五郎が権爺の胸を刺す場面を思い浮かべて身震いしましたね」
   「旦那さん、この人が言っていることは、みんな口から出任せでっせ」
   「そうとは思えまへん、それに平太郎、お前は定吉が借金をしていたように言いましたんやが、定吉は酒も博打も女に貢いだりもしてまへん、これはお奉行さまにも何度も訴えましたが、聞いてはくれませんでした」
   「相模屋さん、お奉行のことは、私からご老中に申し上げる積りです」
   「そんな手立てがお有りですか?」
   「はい、あります、いくら人が裁くことだからと言って、定吉さんは余りにも匆々に裁かれ、処刑されてしまいました」
   「定吉は、真面目で働き者だした、将来を楽しみにしておりましたのに…」
 相模屋長兵衛は、そっと目頭を薬指でそっと押さえた。定吉の無念を推量って、居た堪れない気持ちになったのである。

 平太郎の胸の内から玄五郎の名を引き出せたので、鷹之助は白を切り通す平太郎を捨てて、玄五郎を吐かせようと考えた。相模屋長兵衛の心も掴んだようであるし、ここは早々に辞することにした。


 真っ昼間というのに、若い五人のならずものが集っている。その中心で若い町娘が今にも泣きそうな顔をして立っている。
   「ちょっと行って、あの娘を助けて来やす」
 新三郎が正義感を出した。鷹之助が暫く見ていると、縞の合羽に三度笠、腰に長ドス落し差し。嫌が上にもそれと知れる旅鴉のおあにいさんの登場である。

   「待ちねえ、そこの娘さんが嫌がっていなさるではござんせんか」
   「お前何者や、わいらに文句あるのか?」
   「おいらかい? おいらは小山(おやま)の鹿次郎、任侠道をまっしぐら、弱い者が苛められるのを見れば放っておけねえ真っ直ぐな性質でござんす」
   「喧しい、こいつを黙らせてから、女と遊んでやろうや」
   「おいらは、てめえらに黙らせられるような甘ちゃんじゃねえ」
   「痛い目に遭わされて、泣きっ面をかいても堪忍しねえで」
 新三郎は娘を助けることの他、もう一つ目的があった。
   「やい玄五郎、おいらのこの胸が、お前に一突きできるか?」
 玄五郎は、いきなり名を呼ばれて驚いた。
   「何でわいの名を知っているのや」
   「お前だろ、金貸しの権爺を殺ったのは」
   「何を言いやがる、寝言はあの世で言いやがれ」
 玄五郎は、ドスを左右に振りながら、鹿次郎に向ってきた。向ってきたドスをチャリンと横に逸らすと、わき腹を蹴り上げた。
   「やりやがったな、あの世に送ってやるで」
 四人が束になって鹿次郎に飛び掛ってきたのを、長ドスの鞘で一人は手首を払い、一人は肩を、一人は背中を、長ドスをくるりと回すと、柄頭(つかがしら)最後の男は鳩尾を突かれて倒れた。
   「覚えておけ」
 五人が捨て台詞を残して逃げて行ったあとに、三度笠の男と町娘が残った。娘が男に礼をいっているのだが、男はキョトンと立ち尽くすばかりであった。

   「あの鹿次郎という男、新さん知っている人ですか?」
   「知りやしません、小山の鹿次郎という名も、あっしの口から出任せです」
   
 だが、鷹之助は玄五郎の顔を覚えた。新三郎の機転で知ることが出来たものだ。早速、明日にでも玄五郎に揺すぶりをかける積りである。

 日を改めて、鷹之助は町に出た。ならず者が屯(たむろ)していそうな場所で玄五郎を探した。探し回ること半刻、水茶屋の店先で五人揃って何なやら相談をしている。どうせ善からぬ企みを練っているのだろうと、鷹之助は思った。

 鷹之助にすれば、ちょっと勇気が要ったが、新三郎が護ってくれることを意識して、ゴロツキの前に進み出た。
   「私は心霊術師だが、この中に死相が浮かんでいるものが一人います」
   「死相だと、それは誰や」
   「そちらの玄五郎と申す男です」
 いきなり名を呼ばれて、玄五郎は驚いた。前にも見知らぬ男に名前を指され、またしても名指しである。
   「わいはこんなに元気や、何で死ぬのや?」
   「役人に捕らえられて奉行所で裁かれ、磔(はりつけ)獄門になります」
   「何の咎(とが)や」
   「この場で申しても良いのですか?」
   「ああ、言ってくれ、わいが何をしたというのや」
   「人殺しです、金貸しの権爺を、相模屋の番頭平太郎に頼まれて殺害した罪です」
   「誰から聞いたのや、平太郎が吐きよったのか?」
   「私は心霊術師です、濡れ衣を着せられた定吉さんと権爺の霊から聞きました」
   「嫌や、嫌や、わいは、平太郎に殺らせられたのや、磔なんかで死にとうない」
   「人ひとりの命をとっておいて、身勝手過ぎやしませんか」
   「平太郎から小遣いを貰っていた手前、断れなかったのや」
 仲間四人は、関わり合いたくないとばかりに逃げていった。
   「玄五郎さんが自訴して、何もかも洗い浚い白状すれば、島送りで済むかも知れません」
   「もし、自訴しなかったら?」
   「私が恐れながらと訴え出て、我が霊力を以って玄五郎さんと平太郎を処刑台に送ってあげます、そうれば、磔どころか火あぶりか釜茹での刑かも知れません」
   「自訴します、わいを奉行所へ連れて行ってくれ」

 東町奉行所では、既に裁かれたとして突っ放そうとしたが、老中の声が掛り、再吟味される事となった。玄五郎は包み隠さず事実を述べ、潔(いさぎよ)しとして罪一等が減じられ、離島へ島流しとなった。また、平太郎は玄五郎を教唆(きょうさ)したとし、また偽証により罪なき定吉を処刑に追いやった罪で、市中引き回しのうえ磔獄門となった。
 この後、奉行の裁きにも手落ちがあったと老中に指摘されて、奉行はひっそりと引退した。

 
 ある日、鷹塾に相模屋長兵衛がお菜香と四・五歳の少年を連れてやってきた。
   「この度は、定吉の濡れ衣を晴らして戴き、有難う御座いました」
 お菜香は、出家して生涯を定吉の供養に捧げると言うのを長兵衛が引き止め、定吉の温もりが残る相模屋の店で働くことになった。
 少年もお店に奉公させて、何れは暖簾を分けてやるのだと長兵衛が語った。
   「そこで鷹之助さんにお願いがおますのやが、この子を鷹塾に入れて戴けませんか?」
   「私も塾生の身、八つ刻(午後1時から3時)だけの勉強ですが、それで宜しければお寄越しください」
   「それで結構です、謝儀は如何ほどで…」
   「謝儀は戴きません、月並銭として十六文頂戴しております」
   「それで宜しいのですか?」
   「払えない子も居ます、戴けるなら有り難いことです」 
 長兵衛が、少年を紹介した。
   「この子は、定吉の弟で、三太といいます」
 三太という名に、鷹之助が反応した。同時に、新三郎も興味を示した。
   「鷹之助さん、どうかされました?」と、怪訝がる長兵衛に、
   「はい、私が尊敬している兄の幼称も三太でしたので、つい懐かしく…」
   「お兄さんは、どうかされましたんか?」
   「いえ、元気過ぎるくらい元気で、藩士として主君をお護りするほか、医者も勤めております」
   「そうでしたか、この三太も、お兄さんに肖(あやか)って、立派な商人になって貰いたいものです」
 長兵衛に「挨拶を…」と、言われない先に、三太はピョコンと頭を下げた。
   「定吉兄ちゃんの濡れ衣を晴らしていただき、有難うござました、両親も兄弟も、喜んでいました」
 なんと、はきはきした子供だろう、この子はきっと兄上のように強く賢くなるだろうと、鷹之助は感じずにいられなかった。
 新三郎も然りである。いずれこの三太と供に行動する日が来る予感に魂が震えた。

   「いつからでもいいから、都合が付いたらいらっしゃい」
   「はい、宜しくお願いします」
 小さいのに、背筋をピンと伸ばしてお辞儀をする三太を、長兵衛は目を細めて見ていた。

  第十九回 嘯く真犯人(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)
 
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十八回 千日墓地の幽霊

2014-04-11 | 長編小説
 鷹塾に通う子供達が帰った後は、いつものように鷹之助とお鶴の憩いの時である。
   「先生、大人たちがひそひそ話をしていたのですが、千日墓地で幽霊が出るそうです」
   「そうですか」
   「先生、怖くはないのですか」
   「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花って言うじゃないですか」
   「そうかなあ、絶対に居ると思うのですが…」
   「何かを見間違えたのでしょう」
   「千日墓地には、刑場もおます、無実で処刑されて、この世を恨んで成仏できない幽霊が出てくるのではおませんか」
   「そうだったら、気の毒ですね」
   「人間ですから、お奉行さまも間違いがあるかも知れません」
   「大人の人たちがそう言っていたのですか」
   「実はそうです」
 後で、新三郎の意見を聞いてみようと、その場は話題を変えて、楽しい話しでお茶を濁し、ひと時を過ごした。
 お鶴が帰った後、夕餉の支度をしながら、鷹之助は新三郎に訊いてみた。
   「さっきの話、新さんどう思います」
   「余程、霊視能力を持った人が居れば、生前の姿を一瞬見るようですが、普通は姿など見えません」
   「強い恨みを持った人が死ねば、恨みがこの世に残ることはありませんか」
 新三郎の話はこうである。恨みというものは、人間の肉体に宿るものであり、「魂」即ち幽霊は真っ白な無垢で一切の邪念はない。従って、人々の言う地獄などは有り得ない。現世で犯した罪は、肉体に罰が与えられる。魂が地獄に落とされようと、どんな地獄で責められようと、魂に苦痛は与えられない。嘘をつくと、閻魔大王に舌を抜かれるなどとは、子供の躾のための大人がつく大嘘で、もし舌を抜かれるとすれば、大人の方であろう。
 幽霊には、舌も無ければ喉チンコもない。血も出なければ、痛みを感じることもない。幽霊(亡者)を責める地獄など有っても意味が無いのだ。
 新三郎は幽霊であるが、感情と言うものは、憑いている鷹之助の感情を写したものである。幽霊が恨みを持って、人の前に出てくることはない。まして、罪のない人々を驚かすために姿を見せることなど無いのだ。
 幽霊新三郎の生前の姿を垣間見た人がいた。強い霊視能力を持った今は亡き能見数馬である。彼は一瞬新三郎の姿を見て「行くところがないのなら、私に憑きなさい」と声を掛けたのだった。
   「一度確かめに行きたいのですが、鷹之助さん行ってくれますか」
   「ええまあ、行ってもいいですが…」
   「怖ええのですかい」
   「新さんが居るから、怖くはないです」
   「じゃあ行ってくだせえよ」
   「でも、新さんが知らないような悪霊だったらどうします」
   「悪霊か、三太さんも、あっしを悪霊だと言ったことがありやした」
   「新さんが悪霊だなんて」
   「では、今夜出掛けましょう」
   「明日の昼間にしませんか」
   「真っ昼間に、幽霊は出ねぇでしょうよ」
 なにしろ、大坂千日は刑場のある墓地である。骸(むくろ=首の無い死体)が乱雑に埋められている。深夜にうっかり墓地の中を歩いていたら、土の中から白骨化した腕が「ぬぼっ」と出てきて、足首を掴まれるかも知れない。鷹之助は、そんな想像をしていた。
   「馬鹿ですか、そんな幽霊はいませんぜ」
 鷹之助の想像を新三郎に知れてしまった。
   「では、今夜にも出掛けやしょう」
   「君子、危うきに近寄らず と、言いますけどねぇ」
   「それも孔子の言葉ですかい」
   「違いますよ、ただの諺です」
   「行くのを止めましょうか」
   「反諺(はんげん)に、虎穴に入らずんば、虎児を得ず と言うのもありますけどね」
   「何です そのオケツがどうのと言うのは」
   「オケツじゃありません、コケツです」
 新三郎、少々焦れぎみ。
   「それで、行くのですかい、行かないのですかい」
   「行きますよ、行けばいいのでしょ」
   「やけくそですか」
 その夜、十六夜の月が冴え渡って、持ってきた提灯の出番がない。墓荒らしの見張り番も寝てしまったのか、番小屋の明かりが消えている。
   「鷹之助さん、さっきから下ばかり見ていますね」
   「土が軟らかいので、悪霊が出るとしたらこの辺りかなと…」
   「それで注意をしているのですかい」
   「ええ、まあ」
   「悪霊は、土の中から出るとは限りませんぜ、頭の上から、がばーっと食い付くかも…」
   「ひえーっ」
 鷹之助は、両手で頭を抱えた。それでも、新三郎に促されて奥に向うと、新三郎が何かを見つけた。
   「しーっ、静かに」
   「何も言っていませんけど」
   「居やした、女です」
 鷹之助も目を凝らしてみると、堆く盛られた土の前に踞(かが)む女の姿が見えた。
   「居るのが分かったから、帰りましょう」
   「何しに来たと思っているのですか、あっしはあの女と話がしたい」
   「口説くのですか」
   「幽霊が女を口説いて何をするのですか」
   「嫁にするとか…」
   「もう宜しい、鷹之助さん、独りで帰ってください」
   「御免、謝るからこんな所で独り帰さないで」
   「子曰く、鷹之助さんの、弱点見たり、枯れ尾花」
   「何です、それは」
 新三郎が鷹之助から抜けると、突然女が立ち上がり振り返って鷹之助を睨み付けたが、直ぐに穏やかな顔付きになり、その場に再び踞(かが)んだ。鷹之助は背筋が「ゾクッ」として、思わず後退りした。
   「鷹之助さん、女は生きた人間です」
   「なんだ、そうですか」
   「鷹之助さん、話しかけてくだせぇ」
   「あいよ」
   「何です、その変わりようは」
 鷹之助は、娘に近付いて声を掛けた。
   「娘さん、こんな夜更けに怖くはありません」
   「私は菜香と申しますが、どなたさまですか」
   「はい、私は佐貫鷹之助と申す儒学徒です」
   「そのお方が、どうしてこのような場所へ…」
   「実は、私は霊能者で、ここに幽霊が出るという噂を聞いて参りました」
   「そうですか、それはきっと私のことでしょう」
   「あなたは、何故昼間ではなく夜更けにここへ…」
   「無実ながら処刑された人の供養で、人目を避けております」
   「菜香さんにとって、大切だった人のようですね」
   「はい、末は夫婦と誓った人です」
   「それは惨い、その人はどんなにか悔しい思いで死んだことでしょう」
   「あなたは、信じてくださるのですか」
   「信じますとも」
   「誰も無実だと信じてくれなかったのです、有難う御座います」
 菜香の話を聞くと、菜香は飾り職人の父親と二人で長屋暮らしをしていたが、昨年父親が急死し、娘は通いで料理茶屋の仲居をして暮らしを立てていた。そこへ出入りしている酒屋の御用聞き定吉と言葉を交わしているうちに相惚れとなり、「将来は夫婦に」と誓い合った。
 その横恋慕したのが定吉の先輩番頭、平太郎である。
 その事件があった夜、酒に弱い定吉がその日に限ってベロベロに酔ってお店には戻らず菜香の長屋に転がり込んだ。定吉は大量の血を流している様子なので、手当てをしてやろうと着物を脱がせたが傷はどこにも無かった。血は、着物にだけべっとりと付いていた。
   「定吉さん、何をしてきたのや」
   「平太郎さんに酒を無理やりに飲まされて、気が付けば道端で寝ていました」
 その傍らに見知らぬ男が倒れており、匕首で胸を一突きにされていた。定吉は、男を助けようと胸に刺さった匕首を、無我夢中で抜いてしまったのだ。噴出した血が定吉にかかり、吃驚仰天した定吉は迂闊にもその場を逃げて菜香の元へ来たのだった。
 役人は、直ぐに菜香の長屋に来た。案内して来たのが平太郎であった。菜香が定吉の為に縫って置いた着物を着せると、役人は定吉を縛り上げて番屋へ連れて行った。
 定吉は、泣き叫ぶ菜香を振り返り振り返り「わいが殺したんやない」と、叫び続けていた。
   「殺されたのは、金貸しの権爺でした」
   「定吉さんは、借金をしていたのですか」
   「私の知る限りでは、借金はしていません」
   「では何故定吉さんが殺したとして裁かれたのでしょう」
   「金貸しの証文が何枚か抜き取られていたのです」
   「それだけでは定吉さんが殺したとはならないでしょう」
   「その証文を燃やした燃え残りが、定吉さんの行李の中から見付かりました」
 考えてみれば、おかしなことである。定吉は事件の後、気が付いてお店には戻らず、菜香のもとへ真っ直ぐに来たのである。証文を盗んだり、燃え残りを自分の行李に隠したりしたとすれば、権爺を殺す前にやったことになる。権爺は殺されるまで、一言も証文を盗まれたことを誰にも言っていないそうである。証文の燃え残りも、役人が調べたところ、肝心の名前のところが全て燃えていた。
   「その事を奉行所に訴えようとしましたが、門前払いでした」
   「お菜香さん、奉行所は一旦裁きを下すと、どう足掻こうと、訴えようと、聞く耳を持ちません」
   「悔しいけど、そうですね」
   「そこで、一番怪しい平太郎に殺したヤツをはかせましょう」
   「私は、平太郎が殺したと思うのですが、違いますか」
   「違うと思います、殺したのは平太郎が雇ったゴロツキでしょう」
 平太郎は、定吉を「良い酒が手に入ったから飲みに来てくれ」と連れ出し、ゴロツキは、金貸しの権爺を何らかの口実で連れ出し、殺害現場で落合った。現場では権爺の鼻と口を濡れた手拭で塞ぎ、仮死状態で定吉と平太郎が来るのを待った。
 到着すると、息を吹き返した権爺の胸を刺し、ペロンペロンに酔った定吉をその傍に寝かせて立ち去った。
 平太郎は、定吉を探していたと見せかけ、現場で権爺の死体を発見して直ぐさま番屋に走った。その頃、定吉は菜香の家に辿り着いていたのだ。
 以上は、あくまでも鷹之助の推理である。これから、平太郎に全てを吐かせ、権爺を殺害したゴロツキを突き止め、平太郎もまた無実の定吉を刑場に追いやった罪で町奉行に裁いて貰わなければならない。
   「菜香さん、定吉さんの仇をとりましょう」
   「有難う御座います、仇がとれましたら私は安心して定吉さんの元へ行きます」
 菜香は、定吉が無実だと信じながらも、何も出来なかったことを詫びる為に千日墓地へ通っていた。この後、菜香は平太郎の女になり、隙を見て平太郎を殺し、その場で自分も果てる積りでいた。霊能者鷹之助の話を聞き、この善良そうな若者に託してみようと思う菜香であった。

  第十八回 千日墓地の幽霊(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十七回 ねずみ小僧さぶ吉

2014-04-06 | 長編小説
 ある夜、鷹塾の戸口でカタリと音がして、シャリンと何かを投げ込まれた音がしたのを新三郎が気付いた。
   「鷹之助さん、何者かが物を投げ込んでいきやした」
   「執念深い男ですね、江藤俊介は」
   「あの男とは違うようです」
   「何を投げ込んだのでしょう」
 油杯(あぶらつき)を翳(かざ)して見ると、小判が一枚あった。
   「ちょっと追いかけて偵察してきやす」
 新三郎は夜明け近くに戻ってきた。調べてきたのは、親父が植木職で杉松と言い、その三人の息子の長男琢磨である。十二歳の頃までは、親父の手伝いをして、真面目に働いていたが、あるお屋敷の木に登って剪定をしているとき、このお屋敷の奥方が、箪笥の抽斗を開けて小判を取り出し奥に消えたのを見て、スルスルッと木から下りて屋敷内に忍び込み、数枚の小判をくすねた。そのお屋敷の家人は、小判を盗まれたことすら気付かなかったことが盗人になった切っ掛けであった。
 琢磨は、お金持ちの屋敷に忍び込んでは九両だけ盗み、得た金は自分では一文も使わず、長屋の貧しい家々に、一両ずつ投げ入れてやった。
 義賊、ねずみ小僧次郎吉の再来だと噂が噂を呼び、人呼んで「ねずみ小僧さぶ吉」、次郎の次は三郎であると持てはやされ、本人は些か有頂天になっている。
   「新さん、このままやらせておくと、何れお縄ですね」
   「そうです、本人は九両しか盗まないから処刑されることはないと思っていやす」
   「お白州で、二件の盗みを吐かされると、十八両の盗みが発覚するのだから、間違いなく打ち首獄門ですよね」
   「気がいいヤツなのですがねえ、なにしろ世間が義賊だと煽(おだ)てるものだから、天狗になっていやす」
   「なんとか止めさせて、真っ当に生きて貰いたいものです」
   「一発、お灸を据えてやりますか」
   「どうするのです」
   「捕えて、奉行所に連れていくのです」
   「そう成らないように案じているのではないですか」
   「そうか、なるほど」
 鷹之助は、琢磨が家に居る頃合を見計らって植木屋杉松の戸を叩いた。
   「何方さんですやろ」
   「琢磨という方にお逢いしたいのですが」
   「琢磨は、俺ですが」
   「私は心霊術師の佐貫鷹之助です」
   「へー、心霊術とはどんなことをしはるのですか」
   「私の守護霊にお願いをして、人の心の病を診てもらうのです」
   「よく分かりません」
   「今日ここへ来た訳を話しますから、外へ出ませんか」
   「へえ、今日は仕事が無かったので、朝から何も食わずに寝ておりました」
   「それでは、二人で饂飩でも食べましょう」
   「恥ずかしいですけど、仕事がない日は銭がなくて、饂飩など食えません」
   「お金は私が出しましょう」
   「ほな、お言葉に甘えまして」
 琢磨は、饂飩を二杯平らげ、その上、お父さんへ土産だと言って鰻弁当を鷹之助に買わせた。
   「えらい厚かましくて、申し訳おまへん」
 鷹之助は、ここで切り出した。
   「厚かましくなんかありませんよ」
   「えっ、何でだす」
   「お金は、あなたが私の家で落としていった小判ですから」
 琢磨の顔が急に厳しくなって、「キッ」と身構えながらも惚ける。
   「俺はこの通りの文無しです、小判なんか持っておりまへん」
   「安心しなさい、私はあなたのことを誰にも漏らしません」
   「そやかて…」
   「私は心霊術師だと言ったでしょ、あなたのことは何もかも分かっております」
   「そうか、そう言うことだしたか」
   「そうです、そこで私はあなたを占いましたら、あなたは近々役人が仕掛けた罠にかかって捕らえられ、しかも二件の盗みが明らかになり、斬首の刑を受けて獄門台に曝されます」
   「それがあなたに見えるのですか」
   「はい、その後のことも」
   「後とは」
   「お父さんが世間の冷ややかな目に耐えられず、大川に身を投げます」
   「世間の人には喜んで貰っていたのに、俺が処刑されると冷たくなるのですか」
   「そうです、それが世間というものです、その後は…」
   「まだ後があるのですか」
   「あなたには、二人の弟がいますね」
   「へえ、十四歳と、十六歳の弟が、それぞれのお店に奉公しています」
   「どちらも、店を追い出され、路頭に迷った挙句、渡世人になり、組どうしの諍いで人を殺め、追われ追われての旅鴉、もう一人は兄貴分の罪を被って遠島になります」
 琢磨は黙って聞いていたが、突然嗚咽した。
   「佐貫さま、俺が自害すれば、親父と弟は助かりますか」
   「そうです、助かるでしょう」
   「よくわかりました」
   「あなたは、素直なよい人ですね、私を少しも疑うことなく、命を捨てようとするのですから」
   「へえ、佐貫様は、私のことを全てご存知でした」
   「まだ、もう一つ知っていることがあります」
   「それは何ですやろ」
   「それは、お母さんのことです」
   「母は、下の弟が三歳のときに、借金のかたに連れていかれ、苦界に売られて病で死にました」
   「お父さんがそう言ったのですね」
   「へえ、父は今でも後悔して、自分を責めています」
   「ところが、お母さんは生きていらっしゃいます」
   「ほ、本当ですか」
   「はい、お父さんもそれを知っています」
   「何故それを俺達に隠しているのですやろ」
   「とても言えなかったのでしょう、お母さんも、あなたがたの恥になると考えたのだと思います」
   「そんな…」
 琢磨は、男泣きに咽んだ。
   「琢磨さん、お母さんはあなた方に逢いたがっています、そんなお母さんを置いて、自害なんか出来ますか」
   「出来ません、俺はどうすれば良いのですやろか」
   「まずあなたは、お母さんが生きていることを知ったとお父さんに話しなさい」
   「へえ、話して、何処に居るのか聞き出します」
   「お母さんは、とある宿場町で、雇われ芸者をしておられます」
 いつの日か、盗んだ大金ではなく、真っ当に働いて例え一両でも良いからそれを持って逢いに行ってあげなさいと諭した。
   「その後、あなたが自害すべきか、するべきでないか、ご自分で判断しなさい」
 鷹之助は、自分より年上の琢磨が、まるで弟のように思えてきた。
   「琢磨さん、今日から私達は友達になりましょう」
 琢磨にとって、思いがけない言葉であった。
   「こんな俺を友達にしてもいいのですか」
   「はい、私は決して友達を裏切ることはありません、何時も味方でいます」
 琢磨にも意味が分かった。自分のことは決して他人にばらしはしない、奉行所に訴えもしないと言うことだ。だから、たった今から、盗みを働いてはならないと、暗に諫めてくれたのだと思った。
   「琢磨さん、いま私の言葉を理解してくれましたね、その通りですよ」
 やはりこの人は心霊術師だと、琢磨は確信した。
   「鷹之助さん、また蜆を持ってきましたので買ってください」
   「嫌ですよ、この前琢磨さんが持ってきた蜆は、砂だらけだったじゃないですか」
   「えへ、あれは砂出しをするのを忘れとりました」
   「植木屋さんなのに、蜆売りまでするとは思いませんでした」
   「お詫びに、この前買うてくれた人には、ただで配っとります」
   「私は勿体無いから、上澄みの汁だけ飲みましたけれどね…」
   「ほんなら、上澄み代、三文貰っときます」
   「せこっ」
 琢磨は、植木屋の仕事がないときは、川で蜆を採り、農家で野菜を分けて貰い、行商をしている。鷹之助は見守っているものの、矢鱈と売れ残りを持ってきて売付けるので、時には友達になったことを後悔する。
 琢磨には目標ができた。二両貯めて母親に逢いに行くのだ。懸命に働いた所為で、思ったより早く目的を達成できた。母親は、伊勢の国、榊原温泉で雇女芸者をやっていることも分かった
   「お藤という芸者を探して居るのですが」
   「お藤さん、さあ、聞いたことがありませんけど」
   「確かにこの温泉町に居ると訊いて来たのです」
 芸妓が温泉宿に入ってきた。
   「女将さん、おおきに」
   「ああ、志麻奴ちゃんか、ご苦労さん」
   「女将さん、ありがとさん」
   「へえ、白梅姐さん、ご苦労さんです」
 挨拶をして奥に通ろうとする芸妓を引き止めて、温泉宿の女将が訊いた。
   「あんた達、お藤という芸者さんを知っていますか」
   「お藤さんとは、あの雇女の清滝さんと違います」
   「そうですわ、確か清滝さん本名は、お藤さんでした」
 女将が、軽蔑したように言った。
   「何や、ヤトナさんかいな、ほんならうちのような大きな宿やなくて、町外れの安宿で尋ねてか」
 清滝と名乗っているのか、それにしても、あの糞忌々しい女将め、馬鹿にしおってと呟くと、目が潤んできた。
   「清滝姐さん、若い男はんが逢いにきとりますよ」
   「若い男 このお婆ちゃんにだすか」
   「そうですがな、お姐さんも罪作りですねえ、あの男、涙ぐんでいまいよ」
   「そんなに、惚れられた覚えは無いのですえ」
   「若い男は一途ですから、気ぃ付けなさいよ、邪険に断ったら「ブスッ」と、刺されるかも知れません。
   「なんや、嬉しいような、怖いような」
   「とにかく、早う行ってやりなさい」
 宿の戸口に佇んで待っている若い男が居た。
   「はい、わたしが清滝だすが、何方さんですやろか」
   「俺です、見覚えありませんか」
   「さて、何処でお逢いしましたやら」
   「この顔、よく見とくなはれ」
   「えらいすんまへん、どうも思い出せませんが、なにやら懐かしいような気がします」
   「俺ですがな、俺、俺」
   「オレオレ何とかと違いますのか」
   「この時代に、そんな詐欺はおますかいな」
   「そやなあ、名前をいうておくれな」
   「琢磨だす、あんたの息子の琢磨ですがな」
   「えーっ、あの琢磨が、こんなに大きく立派になって逢いに来てくれたんか」
   「お母はん、逢いたかった」
   「わたいもだす、弟たちも元気にしとりますかいな」
   「へえ、お父はんも元気だす」
   「そうか、良かった」
 傍目も憚らず、二人で抱合った。
   「わあ、いやらし、あんな処で抱合っていますやないの、早よ上がって貰って、布団を敷いあげされ」
   「女将さん、違います、お母はんて呼んでいますやないの」
   「親子ですか、ほんならお金頂戴出来ないのですか」
   「女将さんの方が、余程やらしいわ」
  第十七回 ねずみ小僧さぶ吉(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
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「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十六回 怒りの霊力

2014-04-04 | 長編小説

 天満塾からの帰り道、同心と目明しに跡を付けられているのに新三郎が気付いた。
   「鷹之助さん、何か悪いことをしたのですか」
   「しませんよ、すれば新さんが気付かない訳がないでしょう」
   「そう言えば、そうですね」
   「気付かぬ振りをして、帰りましょう」
 火を熾し、湯を沸かして、天満塾の塾生食堂で作って貰った柳行李の弁当箱を開けると、おにぎりが二つと、沢庵漬、山菜の煮付けが入っていた。
 おにぎりに齧り付いたところで、付けて来た同心が踏み込んできた。
   「そなたが佐貫鷹之助か」
   「左様で御座います」
   「御上御用の向きである、屋敷の中を改める」
   「何事に御座います」
 鷹之助の言葉には答えず、鷹之助の懐から捜し始めた。
   「この金は」
   「はい、二百文ですが、直ぐ其処の成田屋さんのお内儀に占い料として戴いたものです」
 幸か不幸か、呉服商糸重のお内儀から貰った五十両は、馴染みの両替屋(銀行のようなもの)に預けて置いたので、問い詰められずに済んだ。
 同心はそのまま無言で押入れを開き、押入れの天井裏への出入り口から天井裏に上がり、何かを探している。天井裏に無いと分かると、畳を捲って床下まで捜し始めた。
   「おかしい無いぞ、何処かへ売り払ったかな」
 呟いた同心に、鷹之助が問うた。
   「何を捜しですか」
   「天満塾の文庫から、三十冊もの書物が盗まれたのだ」
   「その盗んだのが私だとお疑いなのですか」
   「そうじゃ、塾が休みの時に、そなたが足繁く通ってきて、文庫に立ち入っていたとの証言があった」
   「はい、確かに予習、復習の為に書物を読みに通っています」
   「そのような書物を売れば、直ぐに足がつく、盗んだのは塾生に違いないのだ」
   「それで、塾生みんなにお調べが及んでいるのですか」
   「いいや、怪しい者だけだ」
   「その一番怪しいのが私なのですね」
   「そうだ、露見せぬ内に、白状せぬか」
   「私は、やっておりません」
   「そんな強がりが言えるのも、今の内だぞ」
   「やってないものは、やっていない、お帰りください」
 その日は、大人しく引き上げたが、次の日から執拗に尾行している。鷹之助は普段通りの生活を続け、休みの日には、天満塾の文庫にかよった。
 鷹之助の尾行だけでは埒があかないらしく、じわりじわりと塾生のお調べを拡げていった。ある日、塾生の江藤俊介が鷹之助に打ち明けた。塾での勉強に付いて行けずに、自分の屋敷に書物を持ち帰り、勉強しているのだそうである。
   「そろそろ、お調べが私に回ってきそうなので、なんとか見付からないように文庫に戻す手立てはありませんか」
   「そんな手立てはありません、塾長に謝って、お返ししましょう」
 江藤俊介は、「これが父上に知れたら、場合によっては手討ちにされる」と、鷹之助に泣きついてきた。
   「仕方が無い、私がその書物を預かって、塾長のところへ持っていきましょう」
 江藤俊介は、涙を流して喜び、書物を渡すので、今から私の屋敷に来て欲しいと頼まれた。
   「わかりました、行きましょう」
   「お願いです、どうぞ私の名を出さないと約束してください」
   「心得ています」
 鷹之助は、よくも誰にも見られずに三十冊もの書物を持ち出せたものだと提げてみて驚いた。
   「鷹之助さんのお人よしにも程があります」
   「手討ちにされるときけば、放っておけないではありませんか」
   「鷹之助さんがやったのだと思われますぜ」
   「そうですね。場合によれば、退塾させられるかも知れませんね」
   「どうします」
   「正直であるのみ、当たって砕けろです」
 天満領に戻ると、まっすぐ塾長のところへ行った。
   「これは、盗まれた書物です」
   「わしは信じられなかったのだが、やはり同心の言う通り、犯人は佐貫であったか」
   「いえ、私ではありません」
   「では、誰だというのだ」
   「約束しましたので、名前は申し上げることは出来ません」
   「その名を言わねば、お前を犯人だと思わねばなるまい」
   「言えません」
   「そうか、やはりお前なのか、塾を追放せねばならぬのう」
   「これは、ある者が遅れた勉強を取り戻したいが為に行いました」
   「お前は、遅れてはいないであろう」
   「はい、しっかり付いて行っております」
 その時、鷹之助が庇う江藤俊介が塾長の部屋にきて、書物の山を見るなり叫んだ。
   「塾長、やっぱり盗人は佐貫でしたか、私はそうでないかと疑っておりました」
   「お前は、何故犯人は佐貫だと思うのだ」 
   「はい、佐貫は金に困っていましたから、きっと売りさばこうとしたのでしょう」
 鷹之助は「むっ」とした。こんなヤツと約束をした自分が馬鹿だったと思った。
   「お前、よくも…」
   「ふん、自分の罪を私に擦り付けようとでも思っているのか」
 約束は約束だ、ここは我慢して、約束を果そうと鷹之助は思った。
   「塾長、こんな泥棒は即刻追放してください」  
   「そうだのう、きついようだが、泥棒は置いておけぬ」
 泣いて詫びる筈の佐貫鷹之助が、にんまりと笑った。
   「お役人さん、廊下で立ち聞きしていないで、入らせて戴きなさいよ」
 鷹之助は、同心の意見を訊いた。
   「これでも、私が犯人だと思いますか」
   「いいや、思わぬ、わしらは、佐貫鷹之助の跡を、ずっと追っていた」
   「そうでしたね」
   「手ぶらで、そっちの男と二人で江藤様のお屋敷に入っていったが、出てきたのは佐貫鷹之助一人で、書物らしい包みを抱えておった」
   「その荷物がこれです」
 鷹之助は、書物の山を指差した。
   「私は、書物を盗んだ人の名は、一言もいっておりませんが、お役人さまは、もう感づいておいででしょう」
 後はどうなるのか、鷹之助は興味なさそうにその場を外した。
 真夜中、新三郎が表の物音に気付いた。
   「鷹之助さん、賊らしいのが表で何やらやっていますぜ」
   「盗人でしょうか、巾着の二百文が盗まれるかも知れませんね」
   「あっしが偵察してきやす」
 新三郎は、素早く出て、直ぐに戻ってきた。
   「鷹塾の周りに、油を撒いていますぜ」
   「油が勿体無いですね」
   「それどころではないでしょう」
   「白蟻退治でしょうか」
   「鷹之助さん、何をとんちんかんな受け答えをしているのですか、寝ぼけていますね」
   「少し」
   「着け火ですよ、鷹之助さんを焼き殺そうとしているのです」
   「それは大変だ」
   「今頃気付いていなさる」
 そっと戸口に近づいてみると、何をしているのか、チッチッチッと音が聞こえる。どうやら、火打石で油に火を着けようとしているが、なかなか火が熾らないらしい。
   「新さん、何かをしたのかい」
   「へい、男の魂を追い出して、その間に火打金(ひうちがね)だけを遠くに投げ捨てておきやした」
   「火打金が無くなっているのに気付いて、落ちていた石で間に合わせているようです」
   「石と石を打ち合わせても、火は熾りません、奴さん、焦っていますぜ」
 硬い石と石を擦り合わせると、微かに火花は散るが、それでは火口(ほぐち=油を染み込ませたモグサ)に火を着けることは出来ない。石と鋼鉄でなければならないのだ。
   「男は、あの江藤俊介とかいうヤツでした」
   「私が江藤に何故恨まれているのでしょう、特に親しくもなかったし、からかった訳でもないのに」
   「鷹之助さんの成績が良すぎるのを妬んでいるのでしょう」
   「それだけで、罪を着せようとし、更に命まで取ろうとするものでしょうか」
   「この度のことで、罰を受けたのでしょう」
 江藤は執拗に火を着けようと、石を打ちつけている。鷹之助はいきなり戸を開いて江藤俊介に笑顔で語りかけた。
   「江藤さん、火打金を貸しましょうか」
   「き、貴様っ」
   「訳を言ってください、私に落度があるなら改めます」
   「うるさい」
   「話し合っても、けりは付きませんか」
   「糞っ、殺してやる」
 懐から短刀を出した。
   「問答無用という訳ですか、江藤さんに私は殺せませんよ」
   「このへなちょこが何を強がりぬかすか」
 星明りに、短刀の抜き身がキラッと光った。
   「私には、天下一の強い味方が付いています」
 江藤俊介は、短刀を両手で持って、鷹之助目掛けて突進しきたかのように思えたが、寸前で気を失い、後ろに倒れ込んだ。
   「新さん、この男をどうしましょうか」
   「ようがす、あっしがこの男の魂に代わって、番屋に自訴しましょう」
   「重い罪になりませんか」
   「付け火も、人殺しも、遂げてはいません、お咎め程度でしょう」
 翌朝、鷹塾に役人が調べに来た。この前に来た同心と目明しだ。
   「なるほど、油を撒いて火を着けようとしたようだ」
   「火打石も、落ちています」
   「佐貫鷹之助さん、あなたは江藤俊介に余ほど恨まれていますね」
   「何も覚えがないのですが、そのようです」
   「今後も執拗に狙われる恐れがあります、被害を訴えてお裁きを受けさせますか」
   「いいえ、同じ塾の仲間ですから、仲間を陥れることは出来ません」
   「もう、仲間ではありませんよ、退塾になったようですから」
 鷹之助は、江藤俊介の屋敷を訪ねてみた。鷹之助も一緒に塾長に謝りに行き、退塾だけは取り消してもらおうと考えたのだ。
   「帰れ! ここはお前のような者がくる処ではない、帰らぬとぶっ殺すぞ」
 鷹之助がやって来た理由を告げたが、聞き入れてはくれなかった。
   「では、何故それほどまで私を憎むようになったか教えてください」
   「自分の胸に聞いてみろ」
   「自分の胸に聞いて分からないから、こうして訊いているのです」
 江藤俊介は、一度奥に引っ込むと、脇差を持って飛び出してきた。
   「手討ちに致す、そこへなおれ」
   「私も武士の倅、手討ちにされる謂われは無い」
 新三郎が俊介の偵察にいった。
   「これ、俊介、父上の脇差で何をする積りですか」
 俊介の母上らしい女が出てきた。その時、俊介が背中から倒れた。
   「貴方は何者ですか 息子に何をしました」
   「何もしません、見ていたでしょう、手も触れていません、私は天満塾の塾生で、佐貫鷹之助と申します」
   「そなたは何の用があって俊介に逢いに来たのですか」
   「俊介さんが退塾にされたそうなので、一緒に塾長に謝りに行こうと誘いに来たのです」
   「そんな話は聞いておりません」
 母親の後ろから、男の声がした。
   「わしは聞いておる、俊介が文庫の書籍を盗んで退塾になったのじゃ」
 新三郎が偵察から戻ってきた。俊介は、勉強が嫌いで塾を辞めたかったが、楽しそうに勉強している鷹之助を嫌って、鷹之助も退塾にさせようとしたらしいのだ。それに失敗すると憎さも更に膨れ上がり、焼き殺そうとしたのだ。
   「そんなことで、私を殺そうとするなんて、もし新さんが居なかったら、私は焼け死んでいたのですね」
 流石の鷹之助も、怒り心頭である。その時、俊介が意識を取り戻した。
   「江藤俊介さん、あなたはご自分が塾をやめるのに、私を道連れにしようとしましたね、それに失敗すると、私の住まいの周りに油を撒いて、私を焼き殺そうとしました」
   「そんな証拠はどこにある」
   「私はあなたが油を撒くところも、火打石をすり合わせるところも見ました」
   「それを訴えて、誰が信じてくれるか」
   「すでに、役人が確認しています」
   「俺は、知らんとつっぱねる」
   「たった今、その脇差で手討ちと称して私を斬ろうとしたのは、何の為ですか」
   「この無礼者、手討ちに致す、そこへ直れというに」
   「私は霊能者です、霊力により何度でもあなたを気絶させることが出来ます」
 気絶させてみろと、両親の前であることを忘れて、脇差を持ち直して鷹之助に突進してきたが、またしても後ろ向きに倒れ、意識を失った。
   「ご両親、ご安心ください、これは霊力によるもので、病ではありません、私が帰ればご子息は意識を取り戻します」
 鷹之助は、自分は決して訴えたりはしない、だが、自分を殺そうとしたことは目の当たりに見た筈だ。
   「私は俊介さんを友達だと思うのを止めて、この人への警戒心は生涯持ち続けます、後はご家族で話し合って対処してください」

  第十六回 怒りの霊力(終) -次回に続く- (原稿用紙18枚)

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十五回 沓掛の甚太郎

2014-04-03 | 長編小説
 今日は鷹之助が通っている天満塾が休みである。いつもより半刻長く寝ていると、お鶴が囁く声に目覚めた。
   「お鶴ちゃんも、布団に入りたいのかい?」
   「バカ、スケベ、違いますよ」
   「どうしたの?」
   「成田屋の番頭さんが、こっそり先生を呼んできてほしいと」
   「成田屋といえば、旦那さんがお亡くなりになって、今日はお葬式ではないですか」
   「そうそう、その成田屋さん」
   「ふーん、ご焼香に来いというのかな?」
   「そうかもしれまへん」
 おかしいなあ、鷹之助はそう思いながらも出かける支度をする。
   「お葬式に呼ばれるほども親しくはないのですが」
   「よろしいやないですか、行ってあげましょうよ」
   「はい、行くには行きますけれど…」
 葬儀に参列した人々の中には、すすり泣いている人もいる。お葬式なのだから、当然である。お人柄のよい成田屋の主人は、人々から慕われていたのだなあと、鷹之助は感心する。
 旅鴉風体の男が、しきりに嘆いている。
   「お父っつぁん、たった一目でも、元気な姿が見とうござんした」
 男泣きで、肩を震わせている。
   「あっしが、こんなやくざでなければ、お父っつぁんが元気な時に逢いに来ることが出来たものを、自分が憎うござんす」
 鷹之助も、貰い泣きしそうになった。
   「勘当でもされて、やくざに身を窶したご長男が戻って来たのですかねえ」
 鷹之助が独り言のように呟くと、弔問客がそっと耳打ちしてくれた。
   「それが、お内儀は、ご存知ないのですよ」
   「旦那さんが、外で生ませた子供でしょうか?」
   「どうやら、そのようです」
 男は、棺桶の中を覗き込み、ひとしきり悲嘆にくれている。大粒の涙が、一粒、また一粒、棺桶の中に落ちる。
   「女将さん、有難うござんした、堅気の店に、こんな極道が姿を見せて、申し訳ありませんでした」
 お内儀も、夫の子供であるなら、引き取って店の一つも持たせてやりたい気持ちがあるだろうが、信用大事のお店にこの姿では困る。せめて、足を洗って晴れて堅気になって来て欲しい。そんな気持ちでいるのだ。
   「女将さん、親父の死に顔も見せて戴きやした、線香も上げさせてくださいました、あっしは、もう思い残すことはござんせん、これで失礼して、故郷へ帰って死んだおふくろに報告いたしやす、どなたさも、お騒がせ致しやした」
 立ち去ろうとする男に、お内儀が声を掛けた。
   「あんさん、お歳は?」
   「二十一でござんす」
   「お名前は何といいます」
   「へい、甚太郎にござんす」
   「えっ、主人は甚兵衛ですが、もしや主人の甚の字を取って…」
   「へい、左様で、おふくろからよく聞かされやした」
   「お生まれは、どちらです」
   「上方でござんす、ただ、おふくろは旦那様のご迷惑になってはいけないと、赤子のあっしを抱いて、信濃の国は沓掛村の親元へ戻りやした」
   「それで、お母さんは、いつ亡くなりはつたのですか?」
   「あっしが、七歳の時でござんす」
   「その後は、誰が育ててくれたのですか?」
   「爺っつぁんと、婆っつぁんですが、十歳の時に流行り病で供に死にやした」
   「その後は?」
   「へい、独り江戸へ出て、気が付けば渡世人になっておりやした」
 弔問客の中には、嗚咽するものまで出てきて、ざわざわと互いで囁きあっていた。
   「待ちなはれ、ここに五両おます、これあんさんに上げますさかい、今度来るときは、堅気になって来ておくれやす」
   「いえ、お金なら懐にたんまり二百文がとこ持っておりやす、これだけ有れば、半年は食っていけやす」
 また、ざわついた。
   「たった二百文で、たんまりとは」
   「二百文で半年も食えるやなんて、可哀想に…」
   「帰らんと、ちょっと待っていてや」
 お内儀は、弔問客の手前、あまりせこいところを見せたくない為か、二百両持って出てきた。
   「二百文で半年なんて言わずに、これ持っていきなはれ」
   「えーっ、そんなにくれるのですか、お内儀、それはいけません、おふくろに叱られます」
   「宜しおますがな、あんさんを手ぶらで帰したりしたら、わたいが死んだ旦那さんに叱られます」
 黙って見守っていた鷹之助が、二人の前に立った。
   「お内儀、ちょっと待ってください」
   「出し抜けに何ですねん、あんさんは何処の誰です」
   「すぐそこで塾を開いている佐貫鷹之助といいます」
   「その鷹之助さんが、待てというのはどうしてですか」
   「この甚太郎という男、どうも怪しいです」
   「何を言い出すのですか、この人は主人甚衛門の息子です」
   「お内儀、この男の顔をよく見てごらんなさい、旦那さんや、若旦那さんに似ていますか?」
   「そら、似てないけど、それはお母さんに似ているのとちがいますか」
   「それから、この男の目尻の皺といい、口の周りの皺といい、二十一歳とは思えません」
   「それは、苦労を重ねているさかいに更けたのです」
   「私が見たところ、三十五・六ですがねぇ」
 男が怒りだした。
   「この野郎、難癖つけやがって、わしを怒らせたらどうなるか覚悟しとけよ」
   「おやおや、言葉が荒くなりましたね」
 内儀も、腹を立てて、くってかかる。
   「誰や、こんな占い師を呼んだのは?」
   「へえ、わたしです」
 番頭が名乗り出た。
   「お前、私に相談もなく、勝手なことをしなさんな」
   「済んまへん、この男が胡散臭く思えたもので」
   「後で説教しますよってに、今はこの占い師に帰ってもらいなはれ」
 番頭は、すごすごと後退りする。
   「わたいの家のことに、他人が口を挟まんといてくれますか」
   「私は霊能占い師です、この男の歳と名前と生まれ育ったところを占いましょうか?」
   「どうぞ、占っとくなはれ、なあ甚太郎はん、後ろめたいことなんかおまへんなぁ」
 同意を促したが、男は返事をせずに、鷹之助に掴みかかった。
   「本性がでましたね、生まれも育ちも、江戸は日本橋の半次郎さん」
   「何をぬかしやがる、この偽占い師め」
   「そうそう、お歳は三十三歳、歳よりも老けて見えますね」
   「嘘だ、嘘だ、こいつの言うことは皆嘘だ」
 その時、弔問客の男が三人の前に小走りで寄って来た。
   「どこかで見たヤツやと思うていたら、間違いない、こいつ近江の善助さんの葬式にも顔を出して、息子の善太郎や言うて、金をせしめとりました」
 まん前で指を差した弔問客に近寄り、足蹴にして渡世人風体の男は、
   「邪魔しやがって、覚えとけよ」
 と捨て台詞を残して、立ち去った。蹴られた腰をさすりながら、男は内儀に言った。
   「女将さん、あいつは騙(かた)りですよ、あの真面目一途の甚衛門さんが、外で子供を作るやなんて、考えられません」
   「そやなあ、わたいもそう思うとりましたんや」
   「甚衛門さん、何歳でお亡くなりですか?」
   「へえ、四十二歳です」
   「この占い師さんは、何も聞かんでも、生まれから名前まで当てましたんや、歳も三十三歳と占いはったので、甚衛門さん、九歳のときの子ですな」
   「あ、ほんまや」
 お内儀、出した二百両を弔問客の見ている前で引っ込め辛くなったのか、
「ほんならこれ、占い師さんに貰ってもらいましょか」
 鷹之助は驚いた。
   「ひとつ占っただけで、そんなには戴けません」
   「それなら、幾ら払いましょうか」
   「では、占い料、二百文戴きましょうか」
   「わあ、欲のない人、わたい鷹之助さんに惚れました」
   「あのー、葬式はどうなりました?」
   「あ、そうや、忘れとった」
 お鶴と供に、鷹塾へ戻ってくると、塾の前に佇んでいる女が居た。鷹之助が近寄ると、微笑んでお辞儀をした。
   「鷹之助さん、娘がお世話になりました」
 呉服商糸重のお内儀である。
   「重右衛門の家内、糸で御座います」
   「ああ、それで旦那さんの重と、お糸さんの糸で、お店の名が糸重なのですね」
   「お恥ずかしい、主人が若いときに付けましたもので」
   「仲がおよろしかったのですね」
   「それはもう…」
   「お嬢さん達は、楽しそうに手に手をとって江戸へ立たれましたね」
   「はい、もっと早く許してやれば、江戸へ行かずとも、浪花でお店を持たせてやれたのに、うちの頑固親父が反対するばかりでしたもので」
   「お嬢さんは、嬉そうでしたよ、行商から始めるのだと言っておれました」
   「若い内は、苦労をするのも良いかもしれませんね」
   「はい、私も今苦労しております」
   「そうは見えませんよ、良家のお嬢様のようで…」
   「じつは、上方へくるまでは、苦労知らずでした」
 お内儀は、袱紗(ふくさ)を開いて紙包みを取り出し、鷹之助の手に渡した。
   「これは、お礼の気持ちです、どうぞお納めくださいまし」
   「私は商売で占いをやっている訳ではありませんので」
   「そう仰らずにお受け取りください、主人が罪にならずに済んだのも、鷹之助さんのお蔭です」
 内儀は、返そうとする鷹之助の手を押し返し、無理やりに懐に入れさせた。
   「では、遠慮せずに頂戴致します」
   「どうぞ、どうぞ、これからも何かのときは頼りにさせて戴きますので宜しくお願いいたします」
   「はい、承知しました」
 帰ろうとする内儀に、鷹之助は声をかけた。
   「お内儀は、道修町の雑貨商福島屋さんをご存知ですか?」
   「はい、知っております、向こうの主人と、うちの主人は幼馴染です」
   「そうでしたか、その福島屋さんのお譲さんが、番頭さんと夫婦になられて、江戸の町に大きなお店を構えておられます」
   「そうですか、うちの娘たちも、早くそうなれば安心ですのに」
   「その番頭さんは、亥之吉さんと言いまして、私の兄の親友なのです」
   「男の人は、親友を大切にされますね」
   「それで、お嬢さんたちに困ったことがあれば、相談に行きなさいと言っておきました」
   「有難う存じます、娘たちは、さぞ心丈夫でしょう」
 糸重の内儀は、安心した様子で帰っていった。
   「糸重の娘さんとは、あの綺麗な…」
   「そうそう、お鶴ちゃんが焼餅焼いていた人です」
   「焼餅なんて、焼いていません」
 お鶴も、鷹塾の勉強時間まで間があると、「ぷいっ」と帰っていった。
   「鷹之助さん、お内儀は幾らくれました?」すかさず新三郎。
   「ずっしり重いと思っていましたら、五十両もありますよ」
   「ふーん、成田屋で遠慮なんかしなければ、合計二百五十両ですよ、立派な屋敷が建ちます」
   「五十両と二百文でも、大金じゃありませんか」
   「まあね」

   第十五回 沓掛の甚太郎(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第二回 鷹之助の許婚」へ
「第三回 深夜の盗賊」へ
「第四回 矢文」へ
「第五回 鷹之助男難」へ
「第六回 鷹之助女難」へ
「第七回 三吉先生のお給金」へ
「第八回 源太の神様」へ
「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
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「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十四回 福の神

2014-04-01 | 長編小説
 まだ日が高いうちに、鷹之助と沙穂は心斎橋に着いた。
   「そこの長堀川を渡ったら、二町先の店です」
   「橋の中程で、人だかりがしていますね」
   「えっ、まさかこんなに日が高いのに身投げですやろか」
 沙穂の脳裏に、番頭の篠吉が過(よ)ぎった。だが、そのまさかは外れていた。人だかりの中心に、篠吉の姿があったのだ。
   「篠吉、篠吉やないの、何があったの」
   「へえ、わたい、えらいことしてしまいました」
 聞いてみると、お店から沙穂が居なくなって、旦那に言いつけられて探しに来たところ、男にぶつかり、難癖を付けられて男が殴りかかってきた。「やめなはれ」と叫び、身を交わして、男を突き飛ばしたところ、男はフラッと橋の欄干を越えて、濁った川の中に真っ逆さまに落ちた。篠吉は川面を覗き込み、「どうぞ浮かび上がってくれ」と、祈ったが、男は浮かび上がることはなかった。篠吉は、生きていても詮無いことと、自分も川に飛び込もうとしたが、通りがかりの人に止められたという。
   「わては番屋に自訴します、お嬢さん、許しておくなはれ、旦那様にも、篠吉が謝っていたと伝えてください」
 篠吉は、どこの誰だか知らない男に抱えられながら、番屋に向った。
   「篠吉、篠吉、行かないで」
 沙穂は、篠吉に駆け寄り、縋りついて泣き叫んだ。
   「お嬢さん、篠吉のことは忘れて、どうぞお仕合せに…」
 篠吉は、一度地に崩れ落ちたが、気を取り直して立ち上がり歩き始めた。鷹之助は、平然と川面を覗き込んでいた。
 鷹之助は「しっかりしなさい」と、励ましながら、沙穂を抱えて店まで送っていった。
   「お沙穂さん、気を落さないでください、篠吉さんのことは私に任せて、心静かに明日を待ちましょう」
 翌日、長堀川の下流で、男の水死体が上がった。縄で縛られた篠吉が、面通しのために連れてこられた。
   「お前が突き落としたのは、この男に相違ないか」
 顔は岩に擦れたのか、酷く傷んでいて見分けがつかない。
   「ですが、確かにこの着物でした」
 役人は、篠吉が殺ったものと確信したのか、後は尋問せずに引っ立てていった。
   「鷹之助さん、見ましたね」
   「はい、腹も膨れていませんし、僅かながらも腐臭がして昨日死んだとは思えません」
   「あれは、野垂れ死にをした旅人でしょう」
   「どうやら、これを仕組んだのは、重右衛門でしょうね」
   「あっしは、御奉行に閃かせます」
   「閃かせるって」
   「あの死体の疑わしさを、気付かせるのです」
   「では、私は重右衛門に逢って、揺すぶりをかけてやります」
 鷹之助は、呉服商糸重の暖簾を潜った。
   「いらっしゃいませー」
 仲間の番頭がお縄になったというのに、そんなことは微塵も感じさせない笑顔で応対した。
   「客ではありません、お嬢さんのお沙穂さんに逢いにきました」
 帳場で算盤を弾いていた重右衛門らしい男が、顔を上げて鷹之助をジロッと見た。   「沙穂の父ですが、どなたですか?」
   「霊感占い師の佐貫鷹之助と申します」強いて霊感を強調した。
   「霊感 けったいな占い師ですな、それでどの様なご用件ですか」
   「篠吉さんのことで、ちょっとお話がありまして」
   「あきまへん、沙穂は大事な娘です、どこの馬の骨かわからんお方に、逢わせることは出来しません」
   「昨日、お嬢さんからご相談を受けたものです」
   「どんな相談ですか」
   「それはご本人の承諾をとってからお話します」
 重右衛門は鷹之助を観察していたが、仕方が無いと思ったようである。
   「ほんなら、ちょっとだけでっせ」
 重右衛門が呼ぶ声を聞いて、沙穂が奥から出てきた。
   「外で話をしますので、お嬢さんをお借りします」
   「あきへん、ここで話なはれ」
   「店先で宜しいのですか」
   「へえ、宜しおます」
 鷹之助の思う壺である。
   「お嬢さん、篠吉さんは無実ですよ」
   「本当ですか、嬉しい」
 案の定、重右衛門が口出ししてきた。
   「あんたら、何を言うてますのや、水死体も上がったやおまへんか」
   「重右衛門さんは、篠吉さんが処刑になる方がよいのですか」
   「そんなことはあらしまへんけど」
   「それなら、黙って聞いていてください」
 重右衛門は、ふて腐れて黙り込んだ。
   「私は見てきましたが、死んだ男は、水死体ではありません」
   「では、どうして死んだのでしょうか」
   「さあ、それですが、野垂れ死にした旅人の屍を川に流したようです」
 またもや、重右衛門が口出しをした。
   「そんなアホなことがおますかいな、誰が何のためにそんなことをするのや」
   「使用人に、大事な娘を取られない為にです」
   「ほんなら、何か、わたいがさせたと言いますのか」
   「そう聞こえますか」
   「聞こえますがな」
   「私は、何処の誰がしたとも、させたとも言っていません」
 沙穂も、薄々気付いたようである。
   「では、川に落ちて浮かび上がってこなかった人はだれ」沙穂が尋ねた。
   「それは、お奉行様が捜してくれますよ」
   「浮かび上がらなかったのに、生きているのでしょうか」
   「生きていますよ、川に落ちたとき、みんなは橋の川下側を見ていたのでしょう」
 当然、川に流されて川下で頭を出すだろうと思って、その場に居た人は川下に注目したはずである。ところが、落ちた男がもと船頭か猟師で、泳ぎが達者であれば川上に頭を出すことが出来る。そのまま、そっと橋桁の影に隠れて、人々がいなくなるのを待って上がってきたら、目撃した人は溺れ死んだと思うに違いない。
 そう話して鷹之助は重右衛門の顔を見ると、こころなしか青褪めていように思えた。
   「私の心霊占いでは、お奉行は必ず真実を突き止めると、出ています」
   「これがもし、誰かが仕組んだことでしたら、その人は罪になるでしょうか」
 やはり実の娘である。父親のことが気掛かりなのだろう。
   「罪の無い人を、大罪人にしたてようとしたのです、重い罪になるでしょう」
 鷹之助は、立ち上がって重右衛門に挨拶をした。
   「私はこれから心霊術を使ってお奉行に進言しますので、失礼させて戴きます」
 またもや心霊術を強調してお辞儀をした。
 何か言いたげな重右衛門を意識的に睨み圧しながら、鷹之助は店の外に出た。追って飛び出して来た沙穂に、鷹之助が言った。
   「今、お父さんは意気消沈しているでしょう、篠吉さんへの思いを、はっきり伝えなさい」
 鷹之助は、沙穂の手をとり、にっこり笑って店の前で別れた。
 鷹之助は、牢内の篠吉と話をしたかったが、無名の若造に会わせてくれる筈もない。ここは新三郎に頼むしかない。奉行の処から戻って来た新三郎に、慎霊術師の鷹之助からだと言って、篠吉に伝えてほしいと伝言を頼んだ。
 篠吉を裁くお白州に、重右衛門が呼び出され、この度の謀を追求される筈であるから、あくまでも主人を庇って、自分が殺ったと言い張りなさい。ところが、篠吉さんが突き飛ばして川に落ちて溺れた筈の男が現れて、篠吉さんの無実が証明されるから安心しなさい。この件では、だれも殺されていないので、篠吉さんが許せば、重右衛門さんは罪にならないと、よく言い聞かせてほしいと頼んだ。
 大坂奉行所のお白州に敷かれた筵の上に、縄に繋がれた篠吉と、参考人の重右衛門が神妙な顔で奉行の出座を待っている。やがて「おしゅつざー」の声が響き、二人が平伏すると正面の卍繋ぎ模様の襖が開き、奉行の出座である。
   「両名の者、面をあげぃ」
 お裁きが開始された。
   「これより、呉服商糸重の番頭、篠吉が我が身を護らんととった行為により、一人の男を川に突き落として死に至らしめた罪につき、取調べを致す」
 厳かな奉行の声が響き渡った。
   「篠吉が川に突き落とした男の名が、奉行所の調べにより判明致した」
 お付の役人が、名を告げた。
   「元は猟師で、喧嘩で相手を刺し、無宿者となった鮫吉である」
   「鮫吉さんには、申し訳ないことをしてしまいました」
   「うむ、殊勝である、では突き落としたことは認めるのだな」
   「はい、私が殺しました」
   「そうか、ならば奉行はお前に斬首刑を申し付けることになるが、異存はないか」
   「御座いません」
 奉行は、重右衛門を見据えて言った。
   「その方も、異存はあるまいな」
   「はい、篠吉は人を殺したのですから、そのお裁きは当然かと」
   「そうか、よくぞ申した、店の為と、身を粉にして勤め上げた番頭を無くしても悔いはないのだな」
   「御座いません」
 奉行は、与力に申し付けた。
   「では、あの者を弾き出すように」
   「鮫吉、出ませえ」
 男が一人、縄で引かれて、白州に現れた。
   「篠吉、この男の顔は覚えておろう」
 篠吉は驚いた振りをした。鷹之助のいうとおり、死んだ筈のあの時の男が現れた。
   「篠吉、お前が殺したという男に相違なかろう」
   「はい、間違いありません、よかった、生きていたのですね」
   「そうだ、篠吉、お前は騙されていたのだ」
   「この男に騙されたのですか?」
   「いいや、だましたのはそこに居る重右衛門だ」
 重右衛門は誰が見てもそうと分かるくらいに動揺していた。
   「お奉行様、それは何かのお間違いです、私は何も…」
   「重右衛門、往生際が悪いぞ、何もかも鮫吉が吐いておる」
 奉行は、自らが篠吉を陥れておきながら、罪の無い篠吉を斬首刑にさせようとしたことは許し難いと、重右衛門に家財没収のうえ店は取り壊し、当の重右衛門は江戸十里四方追放の裁きを下そうとした時、篠吉が悲痛な声を上げた。
   「お待ちください、元はと言えば、私がお店のお嬢様を好きになったのがことの発端です、悪いのは私で、旦那様ではありません、どうぞこのまま、私を人殺しの咎人として、お裁きを賜りますようにお願い申し上げます」
 重右衛門も、この主人思いの篠吉を罪に追いやろうとした自分を悔いているのか、涙を一粒筵に落とした。
   「お奉行様、何卒、何卒、お聞き届けくださいまし」
 篠吉は、鷹之助の指示どおりに演技をしているとは思えない程、真に迫っていた。
   「篠吉」
 お奉行は、叱り付けるように言葉を放った。
   「真実が見えているものを、この奉行に誤りの裁きをせよと申すのか」
   「私を商人に育ててくださった旦那様やお店を護りたいのでございます」
   「その為には、命をも差し出すというのか」
   「はい、命など惜しみません」
 お奉行は、重右衛門に言った。
   「そなたは、善き奉公人に恵まれたのう、篠吉の思いを汲んでお咎めなしと致すが、このことを忘れるではないぞ」
 奉行は「一件落着」と告げ、太鼓が打ち鳴らされた。
   「篠吉、済まなかった」
   「いえ、悪いのは私でございます、今日限り御暇を戴いて、篠吉は江戸で一から出直します」
   「そうか、止めはしません、ただ、これは今まで働いてくれた賃金と、他に餞別を渡そう」
 旅支度をした沙穂が、いそいそと現れた。
 二人仲良く揃って鷹塾を訪れた。
   「鷹之助先生、有難う御座いました」
   「いえいえ、お二人の思いが叶って何よりです」
   「ところで先生、あの鮫吉って男を突き止めてくれはったのは、先生ですやろ」
   「はい、あれは直ぐに分かりました、町のごろつき仲間に、元は猟師か船頭で、あの日に着物を着替えた男は居ないかと聞いたら、直ぐに鮫吉とわかりました」
   「やっぱり先生やったのや」
   「ご恩は、一生忘れません」
   「篠吉さんには、財宝を手にする相があります、成功してお沙穂さんを幸せにする福の神ですよ」
   「ヒャー先生、先のことが分かるのですか」
   「はい、丸見えです」

 第十四回 福の神(終) -次回に続く- (原稿用紙16枚)

「佐貫鷹之助リンク」
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「第四回 矢文」へ
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「第九回 お稲,死出の旅」へ
「第十回 断絶、母と六人の子供」へ
「第十一回 涙の握り飯」へ
「第十二回 弟に逢いたい」へ
「第十三回 お鶴の嫉妬」へ
「第十四回 福の神」へ
「第十五回 沓掛の甚太郎」へ
「第十六回 怒りの霊力」へ
「第十七回 ねずみ小僧さぶ吉」へ
「第十八回 千日墓地の幽霊」へ
「第十九回 嘯く真犯人 ...」へ
「第二十回 公家、桂小路萩麻呂」へ
「第二十一回 人を買う」へ
「第二十二回 天神の森殺人事件」へ
「第二十三回 佐貫、尋常に勝負」へ
「第二十四回 チビ三太一人旅」へ
「第二十五回 チビ三太、明石城へ」へ
「第二十六回 チビ三太、戻り旅」へ
「第二十七回 源太が居ない」へ
「第二十八回 阿片窟の若君」へ
「第二十九回 父、佐貫慶次郎の死」へ
「最終回 チビ三太、江戸へ」へ

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