雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のいちびり俳句「団栗の思い出」

2016-09-24 | 日記
   ◇山路にて 団栗拾う 幼ごころ

 山路を歩き団栗の実を見付けると、ついつい拾ってしまうのは幼き日の思い出が詰まっているから。

   ◇団栗や 遊びに飽きて 庭に埋め

 翌春、一本だけ芽が出て、子供の背丈くらいまで育てたものだが、その後どうなったのか、何の木だったのか、とんと思い出せない。

   ◇幼き日 団栗齧り しかめ面

 栗が食えるのだから団栗だって食えるに違いないと、齧ってみてその渋さに驚いた思い出がある。母に団栗を齧った感想を話すと、戦時中には団栗も食べていたのだそうで、渋を抜く方法があるのだと言っていた。その方法を訊かぬままに母は逝き、興味を無くして忘れ去っていた。渋を抜くと、どん味だったのであろう。栗と同じなのかな? と、団栗の写真を見ると思い出される。


 作日は、血管梗塞の検査に行ってきた。結果はすぐに出て、カラープリントでデータの説明をして貰った。やはり梗塞気味だそうであったが、「歳が歳だから、こんなものかな」で、片付けられてしまった。あのねえ、もっと言い方があるのではないかい。例えば、「歳相応のデータです」とか。
 意味は一緒でも、言われた方の気分は違うぞ。

 スーパーできれいな秋刀魚(サンマ)が並んでいた。文字通り刀のようにキラキラして、如何にも美味そうであった。一匹150円だったので買って帰ろうと手に取ると、白くて細長いものが腹を破って出て来るところだった。寄生虫である。秋刀魚や鯖などには普通に寄生する虫であるが、生きてくねくねしているのを見てしまうと、たとえ熱をとおしたものでも食べたくなくなってしまう。
 小生は、アレルギーがあるので、なま魚は極力食べないようにしている。くら寿司では、あさりの赤だしと、コーンマヨや卵焼き、天婦羅ばかり食べて、なまのマグロやブリ、マヒマヒなどには手を出さない。

 


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1 コメント

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団栗3句 (takezii)
2016-09-24 06:12:31
思い当たります。
昭和20年代30年代、ろくなゲームも玩具も無かった時代、子供は 自然の中に 遊び道具を見つけていましたが 今では 遠い思い出の世界、
外で遊ばなくなっている今の子供達にも 出来るだけ 自然の素朴な遊びを体験して欲しいものだ等と 思ったりします。
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