雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の日記「おでん」

2016-01-30 | 日記
 夕方、用事をしながらテレビを点けていたら、再放送「マツコと有吉」のトーク番組でボディビルダーを取り上げていた。もりもり、ボコボコの筋肉を、出演者は「美しい」とか「凄い」と感嘆の声を上げていたようだが、猫爺の感想は‥

 「あの男達がもしも牛だったら‥ 全部位、すじ肉とホルモンだなぁ」

 昨日の夕食は、「おでん」だった。具は猫爺が好きなものしか入れないので、大根、じゃがいも、蒟蒻、油揚げと、すじ肉だけ。すじ肉は、安価な牛メンブレン。メンブレンは、横隔膜で臭いにクセがあるが、歯応えがあってなかなか旨い。

 コンビニのおでんなら申し分なく旨いのだが、じゃがいもが無いので不満である。

 
 こんな、つらない記事でお茶を濁すのは、当ブログを現状のままで続けていたいからだ。もし、無更新が続くと、「プログじゅう広告だらけになるぞ」と脅されたからである。BingやYahooの検索エンジンを使ったら、見出しは普通のブログのように思えるのに、クリックしてみると「えげつない」広告ばかりがびっしり。今暫しあんなふうにされたくないので‥

猫爺のエッセイ「年を取ると言うこと」その2

2016-01-29 | エッセイ
 昨年の秋のことだが、猫爺が乗り回して今は娘の物となった普通車を、草むしりのために1m前に動かそうとした。免許証は返却してしまって無免許だが、道路ではないので1m位は大丈夫だろうと運転席に座った。
 何が大丈夫なものか。操作要領はすっかり忘れてしまって、暫くはエンジンをかけるのも躊躇う始末。それでも、まだ大丈夫だと思い、鍵を回そうとしても回らない。気を落ち着けて、やっとエンジンをかけたものの、サイドブレーキを外して前進しようとしたら、「ガクンガクン」、そうだ、大昔、初めて車を運転をした時のあのへたくそぶりだった。
 もし、免許証を返却していないで、このまま道路に出たら、確実にアクセルとブレーキを間違えて何処かに突っ込んでいただろう。

 年を取ると、若い時には絶対にこんな間違いはしないだろうと思うことが多くある。可愛くて、些細な間違いだが、カップ焼きそばを作るのにお湯を入れる前にソースを入れてしまうことがある。それも、お湯を捨てる段になってお湯に色が付いているのを見て間違いに気付く有り様だ。
 そんな時は、市販の「とんかつソース」で間に合わせるのだ。

 年を取ると、元気な若い人が羨ましいと思うだろうが、決してそんなことはない。自分だって、若い時代を過ごしてきたのだから。
 ただ、羨ましい、妬ましいと思うのは、自分より年齢が上だと思える人が、元気に「ピョンコ、ピョンコ」動いているのを見る時だ。

 昼間のローカル局は、年寄りを対象にしたサプリの広告だらけだ。
 
  「私はこのサプリに出合って、こんなに元気になりました、これ無くしては、私は生きていけません」

 「個人の感想」と小さな文字で画面に出しておけば、医薬品顔負けの効能を喋っていても薬事法違反にならないのだ。薬事法なる物物しい法律も、広告に関しては「ザル法」と言わざるを得ないではないか。
 猫爺は、「あれが個人の感想か」と、文句を言いたくなる。素人にしろ、タレントにせよ、ギャラを受け取り用意されたセリフを散々リハーサルを行ったうえで喋っているのである。

 年を取ると、こんな白々しい広告にも、易々と乗ってしまう。

日記「猫爺の昼餌」'16.01.28

2016-01-28 | 日記
 ペヤングの「カップ焼きそば」が旨かったので、また買おうと近所のスーパー巡りをしてみた。以前に置いていた店は売り切れになっており、他ダイエー、コープ生協、業務スーパーなど六店舗には置いていなかった。あと、少し離れた場所に関西スーパー、イオン等三店舗あるのだが、わざわざそこまで行くこともないかと忘れていたら、娘がアマゾンで一ダース入りを注文してくれたらしい。
 値段も、スーパーの場合は、一個税込みで170円だったが、アマゾンでは税、送料込みで140円強らしい。

 と、いうことで、猫爺の昼餌は、当分「ペヤングの焼きそば」が続きそう。

 テレビで、上手な「天婦羅」の作り方を教わった。衣はあまり掻き混ぜずに、そこへ重曹を少々入れ、レモン汁を落とし入れるのそうである。重曹のアルカリと、レモンの酸が化学反応をおこし、二酸化炭素の泡がでるので、ふんわりと膨れてカリッと仕上がるのだそうである。
 以前に、焼酎をいれると聞いて実行していたが、カリッと仕上がるが店の天婦羅のように膨れなかった。今度やってみたいと思っている。番組は、日本の若いシェフがイタリアの日本料理店をまわって、ただしい日本料理を教えるというもの。
 スタジオでは、間違った日本料理を見て、「えー」と驚きや、嘲笑気味の笑い声が漏れていたが、日本だって間違った外国料理を平然と出している店が多いと思う。「お互いさまやん」

猫爺の短編小説「母をさがして」第四部 投獄   (原稿用紙9枚)

2016-01-28 | 短編小説
 餅は朝と夜に一枚ずつ食べるとして、五日分はある。運が良ければ、晒を使って川の浅瀬で小魚を獲ることも出来た。沢のほとりで火を焚き、小魚を炙って舌鼓を打つこともある。このまま行けば、飢えずに江戸まで行けそうである。江戸まで行ければ、何とかなるだろうと駿平が楽天的になれるのは、母親が江戸のどこかに居るという安心感からくるものだろう。

 昼過ぎ時、雲が張り出し雨模様になってきた。今日は少し早いうちに塒を探しておかなければならないだろうと、脇道に逸れて荒れ小屋か住人が絶え果てた廃家を探したが見当たらなかった。更に脇道を奥に進むと、猟師が雨宿りをする為に掘られたらしい洞穴があった。日暮れまでにはまだ刻はあるが、今夜はここで眠ろうと中に入ろうとすると、壁にもたれて休んでいる先客があった。
   「済みません、おいら達も入らせてもらってよろしいか?」
 汚れて擦り切れた打裂羽織と袴を付けてはいるが、立派な大小の刀を下げた侍のようである。
   「お侍さま、よろしいでしょうか?」
 駿平は侍に声をかけたが返事がない。「煩いガキどもが来た」と、無視しているのかも知れない。諦めて別の場所を探そうと思ったところに雨がポツリポツリと降り始めた。洞穴に踏み入れて侍の様子をみたところ、眠っているように思えた。起こしたら、行き成り怒鳴られて刀を抜かれるのではないかと思ったが、恐る恐る肩に手を当ててみた。
   「お侍さん、眠っておられるのですか?」
 駿平が、侍の肩を揺すると、「ガクッ」と横に倒れた。
   「死んでいる!」
 駿平は、慌てて手を引っ込めたが、代わって耕太が侍の胸に耳を当てた。
   「兄ちゃん、この人生きているよ」
 駿平も侍の胸に耳を当てた。息はしておらず、心の臓はさざ波のように小刻みに震えていた。
   「助かるかも知れない」
 駿平は自分の着ているものを脱ぐと侍を包み、馬乗りになって侍の口と自分の口を合わせ息を吹き込むと、暫くは両手で胸を押した。その昔、雪崩に埋まって心の臓が止まった村人を、若い医者が胸を押して助けたことを思い出したのだ。
 百回も続けただろうか。やがて心の臓は弱いながらも脈打ち始め、息を吹き返した。枯草を集め粗朶を拾い集め、枯れ木を燃やして侍の体を温めた。駿平の腰に下げていた竹筒の焼酎を沢の水で薄めて火の傍に置いた。
   「お侍さん、目がさめましたか」
 侍は目を開き、体を動かそうとしたが、「うっ」と呻いて顔をしかめた。体の節々が痛むらしい。やがて、水割り焼酎が人肌ぐらいに温まったので、侍の口に注いでやった。
 腹が減っているだろうと、餅を焼いて食べさそうとしたが、今の今まで気を失っていたのであるから、咀嚼力が低下しているだろうと、思い留まった。喉に痞えるかも知れぬと思ったからだ。

 体を摩り、火を絶やさず、どうにか夜明け近くになって侍は安定した寝息をたて始めた。耕太も駿平の傍らでスヤスヤと眠っている。
   「夜が明けたら、どうしょうか」
 侍を放って旅立ちも出来ず、この大男を背負って人里まで行く力もない。パチパチと燃えるたき火を見ながら、思案に暮れる駿平であった。

 夜が明けると、駿平は耕太を起こした。
   「兄ちゃん、近隣の村へ人を呼びに行ってくる」
   「おいらも行く」
   「耕太は、この人を看ていてくれ」
   「恐いから嫌だ」
   「どうして?」
   「この人、良い人か悪い人かわからない、目を覚ましたらおいらを殺すかも知れん」
 言われてみれば、そうである。自分と耕太が必死に介護したのに、気を失っていて何も知らない。懐に財布などはもとから無かったが、自分達が盗んだと思うかも知れない。
   「そうか、では一緒に行こう」
 昨夜は暗くて顔が見えなかったが、若いようであった。髭面で顔色など今もって分からぬが、寝息が安らかであった。放っておいても大丈夫だろう。

 民家を見付けて侍の様子を訴えると、番屋まで連れて行かれた。兄弟は役人に尋問されて、足止めをされた。
   「その侍を連れて来るから、それまでここで待っておれ」
 二人の役人に見張られて、縛りはされなかったものの完全に盗人扱いである。
   「あんな侍に関わって損をしたな」
 駿平は膨れっ面をしたが、耕太は平然としている。
   「おいら達は、なにも悪いことをしていないのだから平気だよ」

 兄弟を足止めしておきながら、茶一杯も出さない役人たちに憤りながら待たされること一刻(2時間)、漸く行倒れの侍を連れて役人が戻ってきた。筵に包み、上半身と足に縄をかけ、それはまるで屍でも運んで来たようであった。どうやら、侍の意識がはっきりとしていないようで、背負うことも出来なかったのであろう。
   「懐に財布はあったか?」
   「いいえ、有りません」
   「やはりこのガキどもが盗み取ったのだろう」
 兄弟は裸にされて取り調べられた。
   「財布は無いが、それぞれ巾着に百文ずつ入れて持っております」
   「盗んだ財布は、何処か途中の藪にでも隠してきたのだろう」
 取り調べているのは、威張ってはいるが手代と呼ばれる代官所の下級役人である。
   「その人は、初めから財布など持っていなかった」
 駿平が抗議をしたが、それが帰って疑いを深めさせた。
   「小僧、語るに落ちたなぁ、侍の懐を探ったからそう言えるのであろう」
   「違う、その人は息が止まり、心の臓も止まりかかっていたので、胸を押したのだ」
   「嘘をつけ、息をしていなかった者が、生き返ることはない」
   「このお侍は、息を吹き返しました」
   「ガキの癖に大嘘つきめ、こやつを縛り上げて、代官所のお牢に入れておけ」
 役人は、部下らしき男に申し付けた。そのとき、今まで黙って成り行きを窺っていた耕太が役人に言った。
   「お役人さん、小父さんは馬鹿か、懐にお金を入れていた侍が、あんな洞穴で野宿をするのか」
 お金が無かったから宿場に泊まらずに、洞穴で夜を過ごそうとしたのである。自分達が見つけて看病したときは、この侍は一文なしであったのだ。
 耕太が説明したが、馬鹿と言ったのが悪かったようである。役人は激怒して、侍の朦朧とした意識が回復したら、必ずお前たちを仕置きしてやると意気込んだ。

   「おいらたちはツキが無いらしい」
 お牢の中で、駿平は独り言のように呟いた。
   「お兄ちゃん大丈夫だよ、あの侍の意識が戻れば、おいら達は解き放ちになるさ」
   「ところであの侍、医者に診せたのだろうか」
   「さっき、医者を呼んで来いと手下を走らせていたよ」
 
 一日過ぎても、二日過ぎても何ら音沙汰はない。少しでも早く江戸に近付きたいのに、駿平は苛立ってきた。
   「あの侍、死んだのかも知れない」
 そうなれば、意地の悪い役人に盗人にされてしまう。どうぞ生きていてくれと、祈る気持ちで待ち続ける駿平であった。

-つづく-


  「母をさがして」第五部 金繰りへ

  「母をさがして」第一部 旅立ちへ戻る

猫爺の短編小説「母をさがして」第三部 拐かし  (原稿用紙10枚)

2016-01-27 | 短編小説
 その日も暮れかかったので、兄弟は街道を逸れて一夜の塒を探した。運が良いことに、今度は小さなお社が見つかった。神主様にお願いをして、床下をお借りしようと中に入ったが、誰も居なかった。
   「おかしいなぁ、人が居た気配はあるのに」
   「どこかに、ご用で出かけているのかも」
 日が暮れても、神主は戻ってこなかった。兄弟は勝手に床下に潜り込み、横になっていると、「ドタドタッ」と、床上で音がした。
   「その柱に縛り付けておけ」
 誰かが捕えられてきたらしい。駿平が耳を澄ましてみると、縛られたのは女の子のようだ。猿轡をされて喋れないが、「ううう」と、泣いている様子である。
 大人の男は、三人いるらしい。
   「よく見張っておけよ、そこで泣いているのは子供ではなく、百両だと思え」
 一人の男に番をさせて、二人は出て行った。
   「拐かしだ」 
 駿平は直感した。耕太を待たせて、駿平はこっそりと外へ出て、本堂を覗き込んだ。男は、落ち着かずに歩き回っていたが、やがて女の子の傍にしゃがみ込み、嫌がる女の子に悪戯をはじめた。夢中になっている男の後ろに忍び寄り、駿平は持ってきた棍棒を男の脳天に振り下ろした。
 頭を抱えて悶える男の上に馬乗りになって男の帯を解くと、その帯で「のごみ猿」のように男の手足を縛りあげた。

   「お嬢ちゃん、おいらが助けるから静かにするのだよ」
 耕太より一つか二つ年下のような女の子だった。縄を解き、猿轡を外してやると、泣き止んで安心したように静かになった。
   「お家まで、背負ってあげるからね」
 女の子は、こっくりと頷いて駿平の背におぶさってきた。耕太を呼び寄せて事情を話して聞かせ、街道に向かって小走りで急いだ。下弦の月明かりのもと、目の良い耕太を四半町(200m)ほど先に歩かせて、男たちの姿を見かけると駿平の元に戻ってくるように指図した。耕太が戻ってくると、隠れて男たちを遣り過ごして難を逃れる算段である。
 もう少しで街道に出る辺りで、耕太が戻って来た。
   「兄ちゃん、ヤツ等が戻ってきた」
   「よし、茂みに隠れよう」
 女の子も、自分達の置かれている立場がわかっているらしく、茂みの中で大人しく息を潜めた。
 
 無事街道に出たが、女の子の家の方角がわからない。女の子に尋ねても、きょとんとしているだけである。もしかすれば、反対の方向かも知れないが、江戸の方角に向かって急いだ。例え反対であろうとも、代官屋敷か番屋に駆け込んで、女の子を保護して貰おうと考えたのだ。

   「家はお店かい?」
 江戸方向に歩き続けて、女の子に家を訪ねると、「辰巳屋」と告げた。途中の農家に立ち寄り、事情を話して辰巳屋の場所を尋ねると、次の宿場町の旅籠であることが分かった。後ろから拐かしの犯人たちが追ってこないか気にしながら、駿平はへとへとになりながら急いだ。
 突然、女の子が指をさした。
   「あの旅籠かい?」
 女の子は、嬉しそうな声で、「うん」と答えた。そこは、街道沿いの大きな旅籠であった。
   「そしたら、ここから一人でお帰り」
 女の子を肩から下ろしてやると、家に向かって駆け出していった。駿平と耕太は脇道に入り、旅籠の前を避けて進んだ。どうせ、このままお店までついて行ったら、自分たちが拐かし犯にされて、役人に引き渡されると思ったからである。

 暫く歩いて、ふたたび街道に戻ると、三人の男が追いかけてきた。
   「あっ、拐かし犯が仕返しにきたぞ、耕太、逃げよう」
 だが、振り返って男たちを見ていた耕太が、兄を止めた。
   「あいつ等と違うぞ、兄ちゃん」
 駿平も振り返ってみると、身なりの良い宿の番頭のようであった。
   「待ってください、うちのお嬢さんを助けてくれた方たちでしょう」
   「はい」
   「どうして、店に寄ってくださらぬ」
   「拐かし犯にされるのではないかと‥」
   「お嬢さんが、はっきり言っています、お兄ちゃんたちに助けて貰ったと」

 呼び寄せられて、怖気づきながら辰巳屋の番頭たちに連れられて暖簾を潜ると、女の子が「お兄ちゃん」と呼びながら飛んできた。昨夜は大騒ぎだったようで、二人の役人も来ていた。
   「娘が危ないところを、有難う御座いました」
 旅籠の主らしい男が出てきて駿平に頭を下げた。女の子の母親であろう、心配で泣き腫らした目を袖で抑えながら出てきて、深々と礼をした。ただ、二人の役人は違っていた。駿平と耕太を足元から頭のテッペンまで舐めるように疑いの目で見ていた。
   「あの社は、宮司が居ない筈だ、無断で侵入したのか?」
   「はい、縁の下をお借りして、一夜を明かそうとしていたら、男の声が聞こえて覗いてみたら女の子が柱に縛られていました」
 事の始終を訊かれて素直に答えたが、やはり子供を使った騙りではないかと疑いの目をしていた。
   「旦那様、おいら達は旅を急ぎますので、行かせて貰います」
 駿平が立ち去ろうとしたところ、女の子の母親に引き留められた。
   「いま、お食事を用意させています、お昼のご飯を食べて行ってください」
 食べ物と聞いては、断れない。遠慮せずに言葉に従った。
   「これは、お礼です」と、主は裸のままの二両を駿平に差し出した。
   「旦那様、おいら達の身形をよく見てください、この恰好で買い物をしようと小判を出したら、泥棒に違いないと番屋に連れて行かれますよ」
   「では、4貫文(一両=約30㎏)二つにしてあげよう」
   「まさか、それでは重くて持てませから、お礼は要りません」
   「では、三十二朱(2両)にしましょうか?」
   「いえ、戴けるのでしたら、百文で結構です」
   「そうか、ではせめて弁当でも作らせるので持って行ってください」
   「有難うございます」
 母親が櫛状に切った「なまこ餅」を風呂敷にどっさり包んでくれた。
   「折角で御座いますが、全部食べないうちにカビが生えてしまいます」
   「それなら、いいことがあります」
 ちょっと待っていてと言い残して、女将は厨に入っていき、暫くして竹筒と丸めた晒をもって出てきた。
   「これは焼酎です」
   「おいら達は、まだ飲めません、飲んだら目を回してしまいます」
   「飲むのではないのよ、これを少しこの晒に付けて、毎日餅の表面を拭いてごらん、長持ちするから」

 百文は、耕太の背中に縛り付け、駿平は餅の包を背中に縛り付け、腰に竹筒をぶら下げて辰巳屋を後にした。銭は駿平の懐の百文と耕太の背中の百文とで、合計二百文ある。駿平も耕太も、大金持ちになったような気分である。とは言え、旅籠に一泊すれば、もとの無一文になってしまう。今夜は餅を一つずつ齧り、やはり野宿である。

 その夜は、畑の中に積み上げられた枯草の上で眠ることにした。物音に目聡い耕太だが、疲れていたのか先に眠ってしまった。しばらく「スヤスヤ」と寝息を立てていたが、突然大きな声で寝言をいった。
   「おっかちゃん、こんなに土筆を摘んできたぞ」
 母親が喜んでいるらしく、耕太も笑っている。
   「おっかちゃんの煮浸し、旨いからなぁ」
 駿平も思い出して、つい涙を零してしまった。
   「おふくろ、どこに居るのだ、いまにきっと会いに行くから待っていろよ」
 江戸に着いても、すぐに会える筈がない。母を連れて帰るには、何十両、或いは百両を遥かに超える金が必要だろう。十年いや、耕太と二人でそれ以上の年月がかかるかも知れない。それまで、どうぞ元気でいてくれと、脳裏の母親にそっと呼びかける駿平であった。

―つづく―


  「母をさがして」第四部 投獄へ

  「母をさがして」第一部 旅立ちへもどる

猫爺の短編小説「母をさがして」第二部 野宿   (原稿用紙9枚)

2016-01-26 | 短編小説
 翌日の早朝、父親が鼾をかいている間に、普段に着ているボロ着のままで、家に有った塩と火打ち鉄を懐に入れて兄弟は家を後にした。向かうは江戸である。会津西街道に出ると、兄弟はただ西へ西へと歩き続けた。陽が頭上近くに昇りつめた頃、ようやく腹が減ってきたことに気が付いた。朝から、なにも食っていないのだ。
   「耕太、腹が減ってきただろう」
   「うん」
   「街道脇に農家がある、行ってみようや」
   「うん」

 農家の近くまで来ると、初老の農夫が一人で薪を割っていた。駿平は恐る恐る農夫に近付き、一本割り終えて腰を伸ばしたところで声を掛けた。割っている最中に声を掛けて、驚かせてはいけないと気を配ったのである。
   「おじさん、お願いがあります」
   「おや、見慣れない子だね、この辺の村の者かね」
   「いいえ、会津の方から来ました」
   「こんな遠くまで遊びに来たのか」
   「遊びに来たのではなく、江戸へ行く途中です」
   「子供二人で、江戸へ何をしに行くのかね」
   「母を探しに行くのです」
 男は訝かし気である。
   「そんなことを言って、本当は江戸に憧れて家出をして来たのだろう」
   「違います、本当に母を探しに江戸へ行くのです」
   「お母さんは、どうして江戸へ?」
   「父の借金の肩に、売られて行きました」
   「それじゃあ、子供がノコノコ出掛けて行っても会えないだろう」
   「一目だけでも、元気な顔を見るだけでいいのです」
   「一目見た後は?」
   「兄弟して、死んでも構いません」
 男は声高に笑った。
   「馬鹿な作り話をしていないで、早く家に帰りなさい、親達が心配しているぞ」
   「本当なのです、薪割りでも、畑仕事でも手伝わせてください」
   「しつこいと、役人に言って連れ帰って貰うぞ」
 農夫は、駿平の言うことなど全く信じることはなかった。

 言いたいことを最後まで聞いて貰えず、駿平は悄気返ってしまった。
   「兄ちゃん、今度はおいらが頼んでみるよ」
 耕太は、まったく悲観していなかった。

 次に見つけた農家には、耕太が走って行った。
   「こんにちは、誰か居ますかー」
 二、三度叫んで、漸く老婆が出てきた。
   「はい、はい、何処のお子じゃな」
   「おいら、耕太と言います、会津から江戸へ行く途中です」
   「おやおや、遠くまで行くのですね」
   「はい、おとうの借金の肩に、江戸へ売られていったおっかぁを探しにいくのです」
   「たった一人で?」
   「いいえ、お兄ちゃんと一緒です、どうせ飢え死にするのなら、少しでもおっかぁに近いところで死のうと話し合いました」
   「それで、どうしてここへ?」
   「薪割りでも、畑仕事の手伝いでもなんでもやります、おいら達に野菜屑を恵んでください」
 耕太は、尋ねられるだろう事情を、先に訴えるのだった。
   「分かったよ、野菜屑だったらあげるけど、それよりお爺さんが野良から帰って来たら相談するので、今日は家で泊まって行きなさい」
 老婆は兄弟の為に、雑炊を作って食べさせてくれた。駿平は、取り敢えずお礼にと、納屋から短く切った丸太を運び出して斧で割った。
 耕太は耕太で、縁側で老婆の肩を叩いていた。駿平は弁えたもので、割った薪を荒縄で束ねて納屋に次々と重ねていった。
   「お爺さんが喜ぶよ、年をとると薪割りも辛いらしくてねぇ」
 
 だが、この農家の主が帰ってくると、兄弟を見て行き成り怒り出した。主の留守を見計らって入り込み、何かを盗んだに違いないと、駿平を捕まえて柱に縛り付けた。縛られた駿平に縋りつく耕太を、そのまま駿平と共に縛り付けてしまった。
   「お爺さん、何をするのです、この子たちは素直な良い子たちですのに」
   「いいや、何か無くなっているに違いない、探してみろ」
 主は箪笥の抽斗や、押し入れの中まで探したが、何も無くなってはいなかった。納屋はどうだと探しに行ったが、薪が割られて綺麗に積み上げられていただけであった。
   「これは、ガキどもがやったのか?」
   「そうですよ、お昼に雑炊を食べさせてやったので、そのお礼だと言って」
 主は、感謝しているに違いないのだが、えらい剣幕で疑った手前、素直に折れることが出来ないらしく、仕方が無さげに兄弟を解き放った。
   「許してやるから、とっとと出て行け」
 兄弟は黙ったまま出て行こうとすると、老婆がそっと風呂敷包を渡してくれた。
   「百文しか入っていないけど、持って行きなさい、爺さんを許してやってね」
 包には、巾着と白い大きな握り飯が二つ入っていた。

 兄弟が、会津西街道にとって返した時は、太陽は西の山並みに沈みかかっていた。
   「今夜は野宿だ」
 街道を逸れて、山道を少し行くと荒れた墓場があった。墓場に入って突き進むと、昔は墓守が寝泊まりしたのであろう壊れかかった小屋が有った。恐る恐る中へ入ると、プーンと黴と壁土の臭いがした。
   「筵も藁もないけど、雨露は凌げる、耕太、墓場が怖いかい?」
   「ううん、兄ちゃんと一緒だから怖くない」
 その夜、兄弟は農家の老婆に貰った握り飯を食って、幸せな気分で抱き合って眠った。
 
 真夜中、耕太が物音に気付いて目を覚ました。
   「兄ちゃん起きてくれ、今、外で音がした」
   「どんな?」
   「カリカリカリ ゆうた」
 駿平が耳を澄ませると、小屋の外を動物が歩き回っているようである。
   「野犬か、狼かも知れん」
   「おいら達を食べに来たのか?」
   「そうらしい」
   「怖いなぁ」
   「小屋の中に居れば大丈夫だ」
 駿平は床板を一枚剥がし、足音のする方向に構えた。板壁の隙間からにゅっと前足が入ってきた。どうやら、この板を抉じ開けようとしているらしい。その前足を目掛けて、駿平は板の角で思い切り叩きつけた。
   「キャン、キャン」
 やはり野犬らしい。逃げて行ったのか、それっきり物音は止んだ。だが、またいつ仲間を連れて仕返しにやって来るかも知れない。兄弟は眠れぬままに夜明けを迎えた。

   「兄ちゃん起きろよ、もう昼近いみたいだぜ」
 夜が明けてから、兄弟は安心して眠ってしまったらしい。

 昨日は、昼と夜に鱈腹食ったので、今日は空腹を我慢して歩き続けた。懐に百文入っているが、これは万が一のときに備えてとっておくことにしたのだ。

-つづく-


  「母を探して」第三部 拐かし へ

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猫爺の短編小説「母をさがして」第一部 旅立ち   (原稿用紙8枚)

2016-01-25 | 短編小説
 会津の国は、とある山村の農家に夫婦と二人の息子が慎ましく生活していた。夫は働けど働けど貧しさから抜けることの出来ない憤懣が募り、いつしか働くことを止めて酒に溺れていった。妻と十二歳と七歳の兄弟は僅かな畑にしがみつき、その日その日を生きていた。妻は夫の憤懣の捌け口となり、重なる暴力にも涙ひとつ零さずに耐え忍んでいた。

   「おとう、おふくろは何処へいった」
 朝早く目が覚めた長男の駿平が父親孫六に尋ねた。
   「さあ、今朝目が覚めたら居なくなっていた」
   「どこへ行ったか、心当たりはないのか?」
   「ない」
 何処かへ行くなら、一言告げて行けば良いのにと、駿平は文句を言いながら母に代わって朝餉の支度をした。

 その日、酒の臭いが残る父親を家に残し、駿平と耕太は畑仕事に出掛けた。夕刻になっても母は帰っていなかった。母は、何も言わずに出かけて、日暮れまで帰って来なかったことなど、今まで一度もなかった。また、身寄りもなく、行くあてなどないのである。
   「おとう、おかしいぞ、もう暗くなって来たのに帰って来ねえなんて」
   「そうだなぁ」
 父親は嘯いているようにも見える。弟の耕太が、泣きべそをかき始めた。
   「おっかあ、どこへ行った」

 次の朝にも帰って来なかった。
   「おら、村長さんに相談して来る」
 駿平が駆け出そうとすると、孫六が止めた。
   「わしが不甲斐ないから、家出したのかもしれねぇ」
 駿平も耕太も驚いた。耕太は大声を出して泣き喚いた。
   「おとう、おふくろは俺たちを残して家出なぞする筈がねえ」
 孫六は、黙って俯いた。駿平は、父親が何かを隠していると勘付いた。
   「おとうは知っているのだろう、言ってくれ」
 駿平は母親を迎えに行くと言いだした。孫六は相も変わらず黙って下を向いている。
   「もしや‥」
 駿平は、不吉なことを想像して、身震いをした。
   「もしや、おふくろを売っちまったのではなかろうな」
 言われて、孫六は二人の息子に手をついた。
   「許してくれ、わしの借金の肩に連れて行かれたのだ」
 それを聞いて、駿平は顔を真っ赤にして逆上した。仕事をしないばかりか、母親に暴力を振るい、挙句の果ては借金の肩にするとは、どうしてもこの父親が許してはおけなかった。
   「殺してやる!」
 駿平は水屋へ行くと、出刃包丁を握りしめた。
   「何処へ行ったら、おふくろに会えるか言え!」
   「わからん、何処かへ売られたのだろう」
   「売られたのだろうと、他人事のように言うな、お前がそう仕向けたのだろうが」
 包丁を両手で握り、父親に突進しようとしたが、弟の耕太が叫んで止まらせた。
   「兄ちゃん、止めてくれ」
 兄ちゃんがそんなことをしたら、おいらは独りぼっちになると、泣いて駿平の足に縋った。気付いて出刃包丁は手放したが、駿平はどうにも遣る瀬無い気持ちでその場に蹲った。

 その日は野良仕事に出掛ける気にもならず、駿平は外へ飛び出すと小川の縁に腰を下ろして水の流れを眺めていた。
 いつの間にか、耕太が兄の姿を見付け出し、そっと寄り添って涙を零していた。それから数日が経った。駿平は小川で小魚を獲り野菜を煮て弟に食べさせたが、働く気にもなれずに同じ場所に座り込んでは水の流れを見て時を過ごした。夜になると家に帰るのだが、父親に背を向けて黙りこくるばかりであった。

 ある日、やはり小川の縁に座り込んでいると、この日も耕太がやってきて駿平に寄り添った。
   「なあ耕太、おら達二人で家出をしようか」
   「おっかぁを探しにいくのか?」
   「うん、隣の権爺に訊けば、おっかぁの行先が分かるかも知れん」
 母親は、よく権爺の家に行き悩み事を話しては癒されて帰ってくるのを思い出したのだ。権爺が野良から戻る頃を見計らって、兄弟そろって権爺が通る農道に座り込んで待っていた。
   「あっ、権爺だ!」
 耕太が鍬を担いで戻ってくる権爺の姿を見付けて叫んだ。
   「駿平と耕太じゃないか、そんなところで何をしている」
   「権爺を待っていたのです」
   「そうか、おっかぁのことを訊きたいのか」
   「うん」
   「孫六の為に、お前たちも悲しい思いをされられたのだろう」
   「うん」
   「お前たちに言うのは残酷なのだが、おっかぁは売られていったのだ」
   「何処へ?」
   「女衒に連れられてお江戸方面に向かうお由さんの姿を、月明りに見た村の若衆が居たのだ」
   「お江戸のどこか分かりませんか、おふくろは権爺に告げませんでしたか」
   「お由さんも、寝耳に水だったようじゃ、お前たちやわしにも別れを言う間も無かったのだろう、可哀そうに‥」
 権爺は、涙で言葉を詰まらせた。
   「権爺、ありがとう」
 駿平と耕太は、何やら希望の光が射したような明るい顔になって権爺と別れた。

 その日の朝も、駿平と耕太は小川の流れを眺めていた。ただ、今までとは違って駿平の目は輝いていた。
「なあ耕太、このまま家に居ても冬になれば、おいらたちは飢えて死ぬかも知れない」
   「うん」
   「家出をしてお江戸へ行かないか」
   「だって、おいら達は一文なしだろ」
   「途中の農家で、手伝いをして食べ物を貰うのだ」
   「手伝いって?」
   「薪割りとか、草むしりとか、荷物運びとか土竜退治だ」
   「そんなこと、させて貰えるのか?」
   「きっと居るさ、そんな優しい人が」
 もし、盗人だと騒がれて役人に引き渡されたら、誰も庇ってくれる人は居ないだろう。そうなれば牢に入れられ、働かされて牢死するかも知れない。駿平は、弟を不憫に思うが、あの暴力を振るう父親のところに一人残しては行けない。
   「どうせ死ぬなら、兄ちゃんは少しでもおっかぁに近いところで死のうと思う」
   「おいらも」

-つづく-
 

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日記「猫爺の夢は夜ひらく」

2016-01-23 | 日記
昨日内科か、今日は歯科
明日は眼科か、脳外科か
人生儚く、過ぎてゆく
夢は夜ひらく


 1967年に発売された歌謡曲「夢は夜ひらく」元歌は、練馬鑑別所で「ネリカン・ブルース」と共に歌われていたものらしい。

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
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  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
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  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
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  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

猫爺の日記「ただいま冬眠中」

2016-01-22 | 日記
 娘から電話が入った。暫くブログ更新をしていないから心配してくれたらしい。
   「寝込んでいるのと違うのか?」
   「アハハ、サボッてんねん」
 実は猫爺、ただいま冬眠中。冬眠と言っても、猫爺の場合はハムスターみたいに仮死状態で冬眠することは出来ない。食わねばならないし、洗濯もしなければならない。今朝も天気予報を裏切り、カッと晴れてポカポカ小春日和かと思わせてくれた。「わーい」と喜んで洗濯機を回したのだが、終了を知らせる電子音が「ピッピッピ」と鳴ったとたんに「どんより、寒々」、仕方なく震えながら干し終えた。

 餌も食わねばならないので、買い置きの安い生協製焼きそばと、「神戸居留地」ブランドのトマトジュースを用意した。焼きそばは、旨いペヤングの普通サイズの半額、トマトジュースは、一缶30円程度のもの。ワンコイン(100円玉)昼餌である。



 話題は変わって、この前テレビCMで視て、「これは良いかも?」と、「ピカッと輝くシート」と言うのをマツキヨで買ってきた。すごい豪華そうなピカピカの風袋から中身をワクワクしながら出してみると、厚手のエンボス加工の紙に液体クレンザーを染み込ませて乾燥させたものだった。これを濡らしてタイルなどを磨くのだとか。これなら、キッチンペーパーに液体クレンザーを付けて磨くのと全く同じだった。
 コマーシャルの凄さに脱帽だ。流石プロフェッショナルのCM製作者だ。「お見事」と、拍手するしかない。

猫爺の日記「年を取るということ」

2016-01-10 | 日記
 猫爺とても熟練した年寄りではなく、年寄り初体験の連続である。年末に風邪を引き、年を跨ぎ正月3ヶ日寝ていたのであるが、一向に熱が出ない。これは、免疫力が強くて元気な証拠だと勘違いをしていたが、寧ろその逆で、発熱はバイ菌やウィルスを弱らせて体の免疫力の助太刀をするものだそうである。
 それなら、熱は出る程良いのかといえばそうでもないらしく、上がり過ぎたり延々と高熱状態が続くと、体が弱り逆効果になると言う。そう言えば、医師は「38度以上になると解熱剤を飲め」と指示を出す。あれが「助太刀」と「勇み足」のラインなのだなと納得する。

 今日は、朝から洗濯をしたり、片付け物で疲れてしまい、横になるとそのまま夕方まで眠ってしまった。こんなことは「まだ若い」と思っていた頃に無かったことで、これは年寄りならではの「臨終の予行演習」なのかなと解釈した。

 年を取ると、40代頃の「死への恐怖」が無くなる。平気で「死」を語るのもその歳の所為である。40代に乗り入れたころは、「柩に入れられ、火葬場で生き返りはしないか」と、アホな恐怖に捉われ、柩に「呼び鈴を取り付けて貰おうかな」と思ったことがあった。こんな事を恥ずかし気もなく書けるのは、年を取って羞恥心をかなぐり捨てた成果かなと満悦する。

 
 

 

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.01.09

2016-01-09 | 日記
980円のステーキと、160円のライス


 スーパーの安売り、2枚680円とかで売られている豪州産の硬い牛肉で、柔らかくする為にやや薄切りにして、更に叩いて大きく見せているような感じだ。

 昔、牛肉の値段が上がり、代用に硬い鯨肉を食っていた頃に、突然メチャ安の牛肉に出合った。何人かで金を出し合って、中央市場で働いていた友人にまとめてどっさり購入して貰い分配したのだ。
 当時、その牛肉を「オーストラリアン・チルド・ビーフ」と呼んでいた。その肉をスキヤキで食べて驚いた。「これが牛肉?」誰もが驚き、落胆したものだ。その肉を初めて食べたときの感想が、「ボール紙を砂糖と醤油で煮込んで食べているようだ」

 大袈裟ではなく、それほど日本産の牛肉が旨かったのだ。安物の並み肉でさえ、くらべものにはならなかった。ひとつは、神戸市は長田区にある人工島、「苅藻島」に場があり、一度も冷凍されていない牛肉が買えた所為でもあるのだろう。

 長田区には朝鮮人が多く、かっては廃棄していた内臓を上手く調理して「ホルモン焼き」の店を出していた。客四、五人で満員の店から、「モランボン」のような大手まで、実に多くの店があった。
 ホルモン焼き店の看板は、赤提灯一つあれば良い。モクモクと店から吐き出す煙が、ネオンの看板よりも客を呼び込んでいたからだ。現在であれば、恐らく「消防法違反?」、でなくとも、近隣からの苦情が殺到するであろう。
 

猫爺の日記「猫爺の昼餌」'16.01.07

2016-01-07 | 日記
350円の、結構質素な弁当


 本日1月7日、当地では鏡開きである。当地と断ったのは、地方によっては1月10日のところも、15日のところもあるからだ。

 元旦に、初日の出と共に降臨なされた「歳神様」を、注連飾りや門松を立ててお迎えし、御鏡餅をお供えする。歳神様をお迎えした元日から七日までを「松の内」と言い、本日「鏡開き」の日に神様は天上にお戻りになるのだ。

 昔は、重ね置いた部分がカビだらけになった鏡餅を、割って水に浸けてカビを洗い、それでもカビ臭ささの残った鏡餅を「神様の御下がり」と称して食べたものだ。いまでは、カビの生えた餅を食べるなどとんでもないことだが、それで猫爺供は腹を壊したことなど無かったと記憶する。

 本日の朝、「七草粥」をお召し上がりになったご家庭も多かろうと思うが、ひとつは七草をセットにしてスーパーで売っているからだろう。今の若い方々に、「野に出て七草の若菜を摘んで来なさい」と言っても、何を摘んでくるかわからない。「自然の物は安心」などと謳ったハーバル・サプリなどがあるが、どうしてどうして、自然のハーバルには毒が有るものが多いのだ。