雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

月の砂漠をはるばると

2012-03-30 | 日記
 YouTube で懐メロを聴いていたら、童謡の「月の砂漠」を歌謡曲の歌手が歌っていた。 懐かしいので最後まで聴いた。

 ♪ 月の砂漠をはるばると 旅のラクダが行きました 金と銀との鞍置いて ふたつ並んで行きました
   金の鞍には銀の甕 銀の鞍には金の甕・・・(以下略)

 思い出といっても、行ったことがあるのは「鳥取の砂丘」くらいなもので、あそこは砂漠とは言わないし、王子様とお姫様がラクダで行くようなところではない。 

 懐かしいとは、子供の頃関西のガキらしくこの歌に「突っ込み」を入れて騒ぎ立てていたのだ。 王子と姫がたった二人で金や銀を付けて砂漠を歩いたら、「絶対盗賊に逢うやろなぁ」「そやそや、ラクダごと奪われて、着てるものまで盗られるわ」 「わっ、ふたり真っ裸や」と言ったかどうだかは定かではないが、ブログに書けないそれ以上のことを多分言っていたと思う。 

 

テッペンカケタカ

2012-03-30 | 日記
 至極ぽっかぽかの本当の春日和、何度か期待を裏切られたがもう寒くはならないだろう。 なにせ、すぐ4月に入るのだから。 過去、梅の花などは2月の終わりごろには咲いていたように記憶するが、ここにきてようやく目に留まった。 山近くを通ると盛んに鴬の声が聞こえる。 梅に鴬、松に鶴、桜にまん幕、藤に不如帰は花札だが、今朝も暗いうちから不如帰の声が「テッペンカケタカ」と鳴いていた。 

 昨日書いた記事の続きになるかも知れないが、霊が映っていると称するVを見て、「キャー、怖い!」と叫んでいたお〇かタレント類に言いたい。 映っていたのが百歩譲って霊だとして、それが愛する亡き家族の霊だとしたら、または愛しい恋人だった人の霊だとしたら、やはり「キャー、怖い!」と叫ぶのだろうか。 
 私は妻を亡くしたとき、もっと話したいことがいっぱいあったので、霊が存在するなら出てきてほしいと願ったものだ。 妻が遺していった生きた証しの一つ一つが捨てられなくて、私が使えるものは出来るだけ使ってやろうと、妻の使っていた茶碗さえも使っている。 尤も、下着や服は使えないが…。

 死者が使っていた茶碗は、京都あたりでは出棺の時に割るしきたりがある。 死者に対して「あなたが帰る家は、ここではありませんよ」と教えるためだとか聞いた。 「あなたの行先は、極楽浄土ですよ」と…。

 無知な人を怖がらせて、浄霊だのと称して金銭をせしめる商売も、実は詐欺だと私は思う。 ただ、詐欺に遭った人に自覚がないのだから始末が悪い。 金銭で万事片が付くと思い込んでいるようで。
 

浄霊

2012-03-29 | 日記
 今週の水曜日も、恐怖番組とかを放送していた。 私が台所のテレビで見ていたのは、荒れた廃屋にカメラを持ち込み、霊能者と称する男と共に、例によって「キャーッ」と叫んで何ぼの女性タレント、或いはアナウンサーの盛り立てで作成したおとぼけ番組。 破れ天井から木片が落ちてきたら、霊能者が視聴者サービスのつもりだろう、「何かいる」とつぶやいていた。 それは霊だという。 霊能者が「危険だから浄霊して立ち去ろう」と言って霊取材は終わった。 大荒れの廃屋に大勢が詰めかけたら、壁や天井が崩れ落ちるのは当たり前だ。 危険なのは霊ではなくて崩れかけの廃屋だ。 廃屋のなかで撮影すれば、得体の知れないものが映りこんでも「当たり前田のクラッカー」だろう。 (古っ!)  得体が知れないのは、作為か取材不足がどちらかだと思う。

 霊が存在して、うかばれない霊が浄霊することでうかばれるのなら、東北の震災・津波の被災地に霊能者を集めて、日本全国規模の「浄霊大会」を何故行わないのだ。 行方不明の死者の霊を呼び寄せて、どうして霊の話を聞いてあげるような番組を作らないのだ。 この大会によって行方不明者がゼロになったら、死者の家族がどれほど救われることだろう。 テレビ局のスタッフたちが霊の存在を本当に信じているのなら、スポンサーを説得し、寄付金やボランティアを集めて、それくらいの事をしても良かったのではないだろうか。 本当は、スタッフも霊能者さえも、霊の存在など信じていないのだろう。 視聴率稼ぎと金儲けのために、廃屋でチマチマと霊を追っているふりをしているだけではないのか。 

 番組のあほらしさを通り越して、少し腹立たしささえ覚える番組(一部しかみてないが…)だった。 

崇徳院

2012-03-29 | 日記
 和歌が出てくる落語の3席目、「崇徳院」YouTube に、かなり若い頃の笑福亭仁鶴師匠の落語があった。 

   瀬をはやみ岩にせかるる滝川の  われてもすゑにあはむとぞ思ふ (崇徳院) 詞花集

 落語のストーリーは至極シンプルで、商家の若旦那「作次郎」が高津神社へお詣りの帰り、立ち寄った茶店で水も滴る若い女性に一目惚れする。 女性が先に帰って行ったが、座っていたところに茶袱紗を忘れているのに作次郎が気付く。 追いかけて届けてやると、女性は崇徳院の歌の上の句を料紙に書いて作次郎に渡した。 その後、作次郎はその女性のことが寝ても覚めても頭から離れず、病の床に就いてしまう。 父親が医者を呼び診てもらうと、思うことが叶わないために病気になったもので、あと5日は持たないだろうという。 父親は作次郎の幼馴染の熊五郎を呼び、叶わぬことが何なのか訊いてくれと頼む。 結果恋患いと判明、作次郎は女性を3日以内に探すようにと褒美を餌に半ば命令される。 手がかりは崇徳院の歌だけ、熊五郎は女房の知恵を借り、人の集まるところで「瀬をはやみー」と叫んでまわる。 ようやく3日目、例によって床屋で叫んでいると、お嬢さんに頼まれたという大工の棟梁に出くわす。 先に若旦那の方へ来い、いやお嬢さんの所へ来いともめているいるうちに、床屋の大鏡を割ってしまう。 怒る床屋に向かって熊五郎、「割れても末に 買わんとぞ思う」(落ち)

    崇徳院(すとくいん)=崇徳天皇
    茶袱紗(ちゃぶくさ)=茶道の用具で、絹のハンカチのようなもの
 

温故知新「太田道灌」

2012-03-28 | 日記

 和歌の入った落語を探してみたら、自分のコレクションDVD約800席の中には無かったが YouTube で見つけた。 タイトルは「太田道灌」、演者は「橘ノ圓都」

  七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞかなしき (中務卿兼明親王) 後拾遺和歌集

 狩りの途中、雨に降られた太田道灌は、一軒のあばら家を見つけて「蓑」を借りようと立ち寄る。 この家の娘は、黙って山吹の花枝を差し出す。 太田道灌は怒って立ち去るが、後で家来に「実の一つ」と、「蓑一つ」をかけて、奥ゆかしく断ったことを教わる。 道灌は「自分はまだ歌道に暗いのう」と反省して歌の道に励んだという。 

 落語では、このことを隠居さんから教わった八五郎が自分もやって見たくて、提灯を借りに来た「ダチ公」に隠居がカナで書いてくれたこの歌を黙って差し出す。 「ダチ公」も文盲に近いのでうまく読めずに「ナナヘヤエハナハサケドモヤマブシノ、ミソヒトダルトナベトカマシキ」と読む。 意味がわからない「ダチ公」に八五郎「お前も歌道に暗いのう」と言うと、ダチ公は、「暗いから提灯を借りに来た」(落ち)

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
  温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
  温故知新「土佐日記」2012-04-12
  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
  温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
  温故知新「杉原千畝」2012/07/24
  温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
  温故知新「死者の奢り」2012-12-06
  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

落語に出てくる和歌

2012-03-27 | 日記
 私の知っている落語で、和歌を使ったものが二つある。 もっと有ったような気がするが、思い出せない。 思い出せるのは、落語のタイトル「千早ふる」と、「崇徳院」だけ。 今回は、「千早ふる」を取り上げてみよう。

  千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに 水くくるとは  (在原業平朝臣)古今集

 この和歌の登場人物:力士「龍田川」、 吉原の花魁「千早太夫」、千早の妹分の花魁「神代」 そして、謎の女性の名前「とは」

 関取に昇進した龍田川関が花の吉原で千早太夫を見初めるが、千早太夫は「わちきは、お大名しか客を取らない」と、冷たくふる。 仕方なく、妹分の神代に言い寄るが、わちきも嫌でありんす」ときかない。 千早太夫のことが忘れられない龍田川は、相撲にみが入らず辞めて田舎の実家へもどってしまう。 実家の豆腐屋を継いで、五年が経ったある朝、店の前に物乞いの女が立ち「何日も食べていないのでおからを恵んで欲しい」と言う。 龍田川は「おから」をやろうとして女の顔を見ると、龍田川をふった元千早太夫だとわかり、憎しみが込み上げてきて「お前にたべさせるおからはねえ!」と追い払う。 千早はおからをくれない男が龍田川だと知り、昔を悔いて店の前にあった井戸に身をなげてしまう。(みずくくる)   …ところで最後につく「とは」って誰だろう。 実は、千早太夫の本名なのだそうである。(落ち)

100円ショップだより

2012-03-26 | 日記
 何も解らないのに寂しさを紛らすためにこのブログを借りて、もう190日にもなるらしい。 ここに投稿した稚拙な記事は205件なのだそうで、平均1日1件は書いていることになる。 わりと陽気な性分のつもりなのに陰気な記事が多いのは、沈みがちな気持ちをここに捨てにきているのかも知れない。 

『100円ショップで買った物』

 年を取ると体が硬くなって、風呂でうまく背中が洗えない。 タオル型のものやスポンジ型のものを試してみたが、力が入らないので不満だった。 1ヵ月ほど前にくすりのスーパー「アルカ」で探してみたが、どうも適当なのが見当たらない。 ところが100円ショップで写真のものを見つけた。 これで背中を洗うと力を入れて洗えるし、皮膚を傷めることもなく快適だった。 

 実はこれ、網戸の掃除用タワシなのだ。 娘がこのタワシで体を洗っていることを知って嘲笑していたが、本当に快適なのだから。 首から下は全部このタワシで洗い、顔と頭は手で洗っている。

 このタワシを使っていて、一つだけ不都合がある。 夢中でゴシゴシやっていると、柄の先か手元のところで体をツンと突いてしまうこと。 「痛てっ!」なんて声をだしながら、それでも満悦している。

  
 

バイセクシャル

2012-03-24 | 日記
 前回の「不倫密会」で、大海人皇子と、額田王、天智天皇のおかしな関係について面白半分に書いたが、こんな関係を「三角関係」というのだそうな。 どこが三角なのだろう。 大海人皇子と天智天皇は双方とも額田王を愛している。 額田王も二人を愛している。 これでは一角関係じゃないのか? 三角と言うからには、天智天皇と弟の大海人皇子も愛し合っていなければならない。 したがって、この兄弟はバイセクシャルであるべき。 と、どうでもよい屁理屈を書くのが私の趣味… でもないけれど。 

 万葉集の中から好きな歌を一首  作者「長忌寸意吉麻呂(ながのいみき おきまろ)」

  蓮葉(はちすは)はかくこそあるもの 意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし

 意味:蓮の葉は、このように美しいものなのだ。 私の家にあるものは、蓮の葉でなくて、芋の葉らしい。

 芋→妹(妻) これだけで歌の意味は判ってしまう。 意吉麻呂は、これを宴会の席で詠んだ。 その場にいた美しい女性への世辞と、我妻の謙遜と、席の笑いを取るために詠んだものらしい。 こんな歌を夫が詠んだことを妻が知ったら、意吉麻呂だんな竹箒で叩きのめされたであろうに…。

 

不倫密会

2012-03-22 | 日記
 万葉集のことを考えながら夕食を摂っていたら、唇を噛んでしまった。 血はすぐに止まったが、痛い。 このまま放置しておくと、必ずと言っていい程「口内炎」になる。 すぐに「ヨードグリセリン」で消毒をしたので、もう大丈夫だろう。

 で、好きな万葉集の和歌は、口内炎とは関係がないのだが「糠田王(ぬかだのおおきみ)」の面白くて、不思議な一首を思い浮かべていた。 動画サイトにある人気ランキングの第一位の歌

   茜指す紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

 もともと天武天皇(大海人皇子-おおあまのみこ)の妻であった額田王は、天武天皇の実兄である天智天皇に見初められて今は天智天皇の妻になっている。 にも拘わらず、額田王と大海人皇子は逢瀬を楽しんでいるのだ。 

 茜は「あーほんま、あーまんま、茜が人生応援してる」(関西人しか判らない?)の茜は夕焼けだが、万葉の茜は朝焼けらしい。 その朝焼けに紫色に染まる「標野-しめの」(皇室などのご領地)を通って額田王の元にやってくる大海人皇子が、額田王の姿を見つけるや否や、袖を大きく振りだした。 これは、孔雀の雄が羽を広げて雌を誘うときの仕草と同じで、額田王を誘っているのだ。 そこで額田王が、「大海人皇子さま、そんなに私に対してど派手に袖を振っては、野守(領地の番人)に見られてしまいますよ」と、たしなめた歌。 この歌を、額田王は宴会の席で詠んだとか。 不倫密会なのか、「あけっぴろげ」なのか判らない状況である。 この話も、どこまで本当のことやら…。

蕨(わらび)と薇(ぜんまい)

2012-03-22 | 日記
 万葉集から、私の好きな一首

   石ばしる垂水の上のさ蕨の、萌え出づる春になりにけるかも  (志貴皇子)

 この歌は、有識者の言葉の裏の解説はさておき、素直に情景の美しさだけを鑑賞したいものだ。 ざわざわと音を立てて岩の上を滑り落ちる澄んだ水と白い水しぶきが見える。 そのすぐ上の水しぶきがかかる斜面に早蕨がニョキニョキと握り拳のような頭を出している。 ああ、春が来たのだなあ。 

 この時代の「蕨(わらび)」とは、現代の「薇(ぜんまい)」のことだそうである。 もっとも、山を遊び場所にして育った私にはよく判る。 現代「わらび」と言っているのは、陽のよく当たる山の斜面に群生しているもので、笹の切り株で足に傷をつくりながら、親に褒められたくて山ほど摘んだものだ。 一方ゼンマイは、水辺の苔が生えているような場所に生えていた。 食べられるゼンマイだと思って摘んでかえったら、「これは鬼ゼンマイだ」と捨てられたりしたものだ。 それ以後、薇は見分けがつかないので摘まないことにしたのだった。
   
 志貴皇子は、前回に書いた大津皇子の従弟にあたる皇子だろうか。 何しろこの時代の親族関係は、素人にはややこしすぎて判らない。 

万葉集に興味を持ったりして…

2012-03-22 | 日記
 万葉の時代といえば、平和でほんわかとした良き時代のイメージがあったのだが、実際はそんなことは無い。 勢力争い、陰謀、妬み、果は戦争も勃発し、戦乱の時代と言っても、決して誤りではないように思える。 万葉集に登場する二人の姉弟、父を天武天皇に、母を大田皇女に持つ長子の「大津皇子」と、二つ違いの姉、大来皇女の哀しい歌が人気の上位にある。

 父天武天皇の崩御後、母大田皇女はすでに死んでおり、もう一人の天武天皇の妻である鵜野讃良皇女の謀略で大津皇子は謀反の疑いをかけられ処刑される。 大津皇子は処刑の直前に、姉に逢うために伊勢に赴く。その弟を大和に見送った姉の歌の中から三首

  わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁露にわが立ち濡れし
  二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ

 弟が処刑された後に詠んだ歌で、二上山は弟が埋葬された山

  うつそみ(現世)の人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む

 弟のことを背子と言ったり、君と言ったり、弟(いろせ)と言ったりしている。 なぜばらばら?
 

 大津皇子の歌一首

  ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ

 「ももづたふ」は枕詞。 「磐余(いわれ)」は地名。 「雲隠りなむ」は「死んでいくのだ」


 多分、後世の誰かが創作したものだろうが…。

西方浄土

2012-03-21 | 日記
 仏の住む極楽浄土は、西方浄土とも言い西の方角十万億仏国土の彼方にある。 1仏国土が何メートルか、あるいは何平方メートルか推測してみも意味はない。 要するに、現世に存在する人間には到達することが出来ない距離にあると考えるべきである。 この概念は、現世が象の背中に乗った円盤状のものであると思われていた頃に想像されたものに違いない。 もし地球上と考えるなら、西へ西へ進めば元の位置に戻ってしまう。 また、宇宙の彼方だと考えると、我々の立っている場所から西と言えば、夜と昼では真逆の方角になってしまう。 したがって、「西方に向かって、念仏を唱える」という教えは矛盾なのだ。 ここは、ただ屁理屈を言わずに、西方角の無窮の彼方に仏(阿弥陀仏)が支配する極楽浄土があるのだと考えるべき。 

 極楽浄土に於いても、子供が生まれる。 男と女が、ベッドの上で苦労してつくるのではなく、蓮の花の上にポコンと生まれて来るのだ。 やはり子供は苦労してつくり、苦労して育てる方がいい。 ポコン、スクスクでは愛情がわかない。 しかし、極楽浄土では、子供は「仏」の慈愛を一身に受けてスクスク育つのだろう。 とにかく、仏の世界は、慈愛と矛盾にあふれているのだ。 

ひとつ積んでは母のため…

2012-03-18 | 日記
 親より先に死ぬことは子供にとって最大の親不孝として、極楽浄土へ行けずに「賽の河原」で報いをさせられる。 河原の石を一つ一つ積み重ねて、親の供養塔を作ろうとするが、夜になると鬼が現れてその塔を壊してしまう。 また一から幾度となく積んでも、次々と鬼に蹴散らされてしまう。 

 今も、50日間親に放置されて、飢えで死んだ幼児二人が泣きながら石を積んでいる。 その時に謳わされるのがこのご詠歌。

  これはこの世のことならず
  死での山路の裾野なる
  賽の河原の物語
  聞くにつけても哀れなり
  二つや三つや四つ五つ
  十にも足らぬ幼子が
  賽の河原に集まりて
  父上恋し母恋し
  この世の声とは事変わり
  悲しき骨身を通すなり
  かの幼子の所作として
  川原の小石を取り集め
  これにて回向の塔を積む
  一重積んでは父のため
  二重積んでは母のため
  三重積んでは故郷の…
  
 父親は誰かも判らず、母親には見捨てられて死んでいったこの子供たちは、仏の世界にも行けずに賽の河原で親の為に石を積んでいる。 この子達の両親に、己の罪深さを思い知る日が来るのだろうか。  
 

極楽浄土から手招き

2012-03-18 | 日記
 昨日の午前中は、暖かく強い風が吹き荒れていた。 多分、春一番であろう。 明日は彼岸の入り、「暑さ寒さも彼岸まで」という昔の慣用句は、最近ではあてにならない。 まだ「寒の戻り」なんてのがありそうで…。

 彼岸はあの世「極楽浄土」、此岸はこの世、その間にある川を「三途の川」、その河原が「賽の河原」というのは年配の者なら知っていることだが、それらの概念の理解度となると私のような不信心者は些か怪しいものである。 だいたいこのような概念は日本の誰かの創作であり、仏教の聖地であるインドにはない。 私たちは彼岸を、極楽浄土に住む先祖を供養する行事と、なんとなく認識しているに過ぎず、ぼた餅や彼岸団子を供えて手を合わせる。 ここでちょっと考えてみよう。

 極楽浄土は、迷いも苦しみも無い、幸せに満ち溢れたところだそうである。 それに対して、この世は迷いと苦難と煩悩に満ちたところであるという。 そうであるなら、極楽浄土にある先祖がこの世に生きる子孫を憐れんで供養してくれるべきではないだろうか。 「早く此処へおいで」と手招きされたら躊躇するけど。 
 
 (私流お題目) 悪しきを払うて 南無妙 アーメン 陀仏 遍照金剛

王世孫イ・サン

2012-03-14 | 日記
 本日、3月14日は春だった。(何ちゅう出だしや!) ぽっかぽかの快晴で、布団を干したり、部屋の掃除をしたりでちょっぴり忙しい半日だった。 取りも直さず、私の仕事は「生きる」こと。 朝から飯を食い過ぎて、只今腹ごなしの休憩。 腹ごなしの運動が正しい表現かも知れないが、表現は兎も角として、静かに座って休憩する方が胃の働きを助けるのではないだろうか。 屁理屈かもしれないが…。

 昨夜、「君が代」に関する駄意見(こんな熟語はない)を書いたが、君が代の内容って、なんだか違和感がある。 君の世が八千代も続いたころは、人間は絶滅していないだろうか。 例えばお隣の国の時代劇風に表現すると、謀反など無いことを条件にして、王様1代、長いときは60年以上、次の王世子の代は、即位する時の年齢が高いことから短くなる。 そして王世孫の代はまた長くなる。 このことから単純計算すると、2代で90年程として、1代45年その8千代であるから、36万年。 人間が引き起こす環境破壊、人間が生み出す放射能を含む有害物質の所為で、地球上には植物とシロアリしか生き残っていないかも知れない。 (この発想、韓国ドラマ「イ・サン」と、映画「猿の惑星」が参考になっている)(^_^;)

 次に、「さざれ石の巌となりて…」 小石が36万年で大岩になるという発想が理解できない。 その逆で苔むす大岩が風化や波に洗われて小石になるのは理解できるのだが…。 これも屁理屈か。

 王世子(わんせじゃ)は、王の世継ぎ。 王世孫(わんせそん)は、世子の子供で、次の世継ぎ。 参考まで。 (ちょっと韓流時代劇の見すぎかも知れない自分)