雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十六回 土足裾どり旅鴉

2014-12-04 | 長編小説
 福島屋亥之吉の弟分である大江戸一家の代貸、鵜沼の卯之吉が足を洗って故郷の鵜沼へ帰る挨拶に来た。生憎、亥之吉は留守の為に会うことが出来なかった。明日の早朝に出立するという卯之吉を亥之吉旦那は見送ってやることも出来ないかも知れない。
 三太は気を揉んで、一夜、旦那の帰りを寝ずに待つことにした。亥之吉旦那のことである。卯之吉が足を洗うのを喜び、路銀や堅気に成る為の金子(きんす)は持たせてやりたいと思うに相違ない。

 四つ刻(午後九時)になって、ようやく戸を叩く音が聞こえた。
   「わしや、誰か起きているか?」
   「旦那さんだすか?」
   「そうや、三太か? はよう開けとくれ」
   「へえ、ただいま」
 閂を外して戸を開けると、酒臭い旦那が倒れ込んできた。
   「この時間まで、何処へ行ってなさったのや?」
   「お絹の真似するな」
   「それより、大変だす」
   「何が?」
   「卯之の兄ぃが、鵜沼へ帰るらしいだす」
   「いつ帰るのや」
   「明日、明け六つに発つそうだす」
   「ええっ? えらい急やないか」
 三太は、卯之吉から聞いた事情を話した。
   「そうか、お父っつあんが亡くなったのか、確かおっ母と妹がおったな」
   「さいだす、それで放っておけないので博打打ちの足を洗って故郷へ帰るそうだす」
   「そうか、こうしては居れない、直ぐ大江戸一家へ行ってくる」
   「だんさん、三太がお伴します」
   「あかん、泥棒が押し入ったら、店の者を護ってやってくれ」
   「ほな、留守番しときます、わいがお奉行の奥さんに貰ったニ両を卯之吉兄いにあげとくなはれ」
   「よっしゃわかった、何や一遍に酔いが醒めてしもたなァ」

 亥之吉は、妻のお絹を起こすと百両の金を出させて、懐に突っ込んだ。
   「そんな大金を持たせて大丈夫だすか? 卯之吉さん、喧嘩に弱い言うてたやないか」
   「喧嘩に弱い言うても大のおとなや、自分の身くらい自分で護れるやろ」
 言いながら、山賊に襲われる卯之吉を想像して、亥之吉旦那、ちょっと不安になって来た。
   「なあお絹、そこらまで送って行ってやっても構へんやろか?」
   「大事なお友だちだすよって、やっぱり心配になって来ましたな」
   「杯を交わした義兄弟みたいなものだす」
   「あんさんは堅気でっしゃろ、それが杯を交わしたのだすか?」
   「そやから、みたいなもんやと言うてますやないか」
 亥之吉は、どこまでかは言わなかったが、日本橋辺りまでだろう、送って行く気になっているようである。
   「また、卯之さんと連(つる)んで博打をしたらあきまへんで」
   「卯之吉のことや、するかも知れん」
   「やめときなはれ、折角持たせた金子が無くなってしまいますがな」
   「それは大丈夫や、卯之吉は博打には強い男やさかい」
   「博打に強いて、どう強いのだす?」
   「まず、いかさまを見抜く目が良いこと、それと勝負勘の良さ、運を味方に付ける神技や」
   「卯之さんも、たまにはいかさまをしはりますのやろ?」
   「それは絶対無い、あの男も大江戸一家も真っ正直や」
   「きっぱりとそう言えるのは、あんさんも博打やってはりましたな?」
   「わしは、賭け事は嫌いや、ほな送ってくる」
 亥之吉はそう言うと、暗闇の中へ消えて行った。


 亥之吉は、大江戸一家の門を叩いた。
   「福島屋亥之吉でおます、鵜沼の卯之吉に会いに来ました、ここをお開けください」
 もしかしたら亥之吉兄ぃが来るかも知れないと思っていたので、真っ先に卯之吉が気付いた。
   「へい、亥之の兄ぃですか、今開けます」
 卯之吉は、よく寝ていなかったようである。
   「もう、会えないかと思っていました」
   「わしも、今夜は女の家に泊まるつもりやったのやが、何やら胸騒ぎがして帰ってみると、三太が『大変だす』と言うから『何が?』と尋ねたら『卯之の兄ぃが、鵜沼へ帰るらしい』と、わしが帰るのを寝ずに待ってましたのや」
   「三太は優しい良い子ですね」
   「そやろ、わしもそう思うている」
   「亥之の兄ぃには、色々お世話になっているのに、恩返しの一つもできずに、心苦しく思っていやす」
   「いいや、博打打ちの足を洗って堅気になるのが何よりも嬉しいことや」
 亥之吉は懐から百両を出して卯之吉に渡した。
   「それからこの二両は、三太が北町奉行の奥方に頂いたものや、路銀の足しにしてやって欲しい」
   「大江戸の貸元にも頂いておりやす、どうかお気遣いなく、三太にも返してやってくだせえ」
   「そんな可哀想なことを言いなさるな、折角卯之の兄ぃに使って貰いたいと渡してくれたのに」
   「亥之吉兄い、あっしがそんな大金を持って歩けば、山賊に襲われて奪われてしまいまさあね」
   「卯之吉安心せい、わいが鵜沼まで付いて行ってやる」
 咄嗟に出た言葉ではない。三太に事情を聞いた時点で思ったことだ。
   「えっ、本当ですか? 商いに忙しい亥之の兄いがですか?」
   「そうや、お店の護りは三太が居るし、男手も何人か居るのでわしが店を留守にしても心配はおまへん」
   「最近は、非道働きをする盗賊が江戸の町に出没していると言うじゃありませんか」
   「三太も行くと言うたのやが、それを考えて留守番をさせたのや」
   「三太でお店が護れますかい?」
   「大丈夫だす、此頃はわいよりも強くなりよった」
   「へー、それは頼もしい」

 その夜は、亥之吉も大江戸一家に泊まり、翌朝、卯之吉と亥之吉は、貸元、代貸達に送られて江戸を発った。何年ぶりの卯之吉との旅であろうか。
   「どなたさまも、お世話になりました、卯之吉これにて…」
 縞の合羽に三度笠、長脇差一本、草鞋を履いて土足裾どり、『おいとましやす』と、きりりと決めた卯之吉と肩を並べているのは、商人姿で天秤棒を担いだ、商人か百姓か分からぬ冴えない男である。
 少し前に京へ行って帰ってきたばかりの呑気な亥之吉は、東海道草津追分を経て、鵜沼まで行った帰りは、信州上田藩の医師緒方(もと佐貫)三太郎に会ってから、小諸藩士山村堅太郎を訪ねる積りであると、亥之吉はこっそり三太に告げていた。

 
 庭掃除をしている三太の元へ、お絹が近付いて言った。
   「だんさん、卯之吉はんを何処まで送って行ったのだすか?」
   「美濃の国、鵜沼の卯之兄ぃの郷までだす」
   「アホかいな、なんぼ大事な友達やからと、そこまではやり過ぎだす」
   「その後、信濃の国の上田藩まで足を延ばして緒方三太郎先生に会って…」
   「まだ、どこかに行きますのか?」
   「へえ、おなじく信州小諸藩士の、山村堅太郎さんに会うそうだす」
   「よっぽど旅が好きか、お店での仕事が嫌いかだすなァ」
   「旅が好きなんだす、わいもそうですけど」
   「そやけど、うちの旦那と卯之吉はん、可怪しいのと違いますか?」
   「おかしいって? 男色だすか?」
   「違いますがな」
   「そうでっしゃろな、あの女好きのスケベ親父が男色である筈がない」
   「これ三太、まがりなりにも、亥之吉はお前の主人で師匠ですやろ、女好きのスケベ親父とは言い過ぎだす」
   「あ、すんまへん、つい心の中で思っているもので…」
   「普通やったら尊敬せなあかんのに、いつもそんなふうに思っているのか?」
   「へえ」
   「亥之吉は三太のこととなったら一生懸命やのに、亥之吉が可哀想…」
   「その話はこっちへ置いといて、どこがどう可怪しいのだす?」
   「博打だす、卯之吉さんが博徒から足を洗うわけがない」
   「卯之の兄ぃは、多分子供の頃に可愛がって貰った鵜沼一家の貸元と親分子分の杯を交わすに違いおまへん」
   「そやろ、お母はんや妹はんの面倒がちゃんと見ることが出来るのか心配だす」
   「それは、旦那さんが卯之の兄いに言って聞かせると思います」
   「さあ、それやが、亥之吉も一緒に鵜沼一家の貸元と、杯を交したりしまへんやろか」
   「あははは、それはおまへんやろ」
 亥之吉は江戸で店を持ち、二年間商いの腕を磨いたら浪花へ戻ると言っていたのに、二年が三年経っても江戸に居続けている。浪花へ戻るのは止めたのであろうか、未だに大江戸一家と繋がっているのは、卯之吉が居たからではなかったか。お絹は余計な心配までしている。
   「けど女将さん、旦那さんは博打のことは何も知らはらしませんで」
   「そやった、そやった、わたいの知る限りでは、博打はしたことがおまへんわ」

 亥之吉はお江戸日本橋を過ぎたところで、くしゃみを一つした。

  第十六回 土足裾どり旅鴉(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ



最新の画像もっと見る