雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のミリ・フィクション「心霊写真」

2014-02-28 | ミリ・フィクション
 彼は心霊写真家である。 ただし、商売上、心霊写真家と名乗る訳にいかないらしく、彼の名刺には「写真家」と印刷してある。 作品は、偶然に奇怪なもの(モップの影や壁のシミなど)が写り込んだもの、人為的に写し込んだもの、写真に手を加えたものなどが有る。 販売対象は、テレビの「恐怖体験番組」などのほか、個人の悪戯用、プログやホームページへの張り付け用にネット販売をしている。 要望があれば、UFO写真や、動画なども作成するそうだ。

 テレビ番組用には、写真や動画の販売のほか、番組で写真を公開した折に、タイミングよく悲鳴をあげる通称「キャーギャル」の斡旋もしているらしい。 キャーギャルが一人居るだけで、スタジオに招いた若い女性などがつられて叫びをあげるので、番組が盛り上がるのだと彼は言っていた。

 私は医師であるが、もう一つの肩書は「心霊現象研究家」である。 世間は私のことを「スピリチュアルカウンセラー」だと思っているようだが、それは間違いだ。 私は心療内科医として、心霊現象に悩む人の心を研究し、心理カウンセリングを行っているのだ。

 彼は人伝に聞いて「奇怪な現象に悩んでいる」と私の所へ相談に来た。 写真を撮ると、どの写真にも同じ女性の顔が映り込むのだそうである。 カメラを替えようとも、ロケーションを替えようとも、やはり写り込んでしまう。 自分は心霊など信じたことが無かったのに、これはどうしたことかと今までの女が映り込んだ写真を差し出した。 写真をみて驚いている私の表情を、心配そうに覗き見て、    「この女性が誰なのか心当たりがないのです」と付け加えた。 姉に似ているような気もしないではないが、彼女はアメリカ人の青年と結婚をして、長年日本へは帰っていないという。 母は彼が生まれて間もなく亡くなっている。 彼は自分のことを「全く女性にモテない」と語る。 付き合った彼女は全くいないのだそうだ。

   「わかりました。 暫く女性が写った写真は全て私に預からせて下さい」
 彼は写真を集めると封筒に入れ、メモリーを添えて私に手渡した。 週一のカウンセリングを予約し、彼は帰って行った。 毎週のカウンセリングに、忘れずに除霊と称して催眠術をかけた。

 二か月後に、
   「もう大丈夫です。 あなたに憑いていた霊は成仏しました」と、言って写真を返した。
   「ご覧なさい、女性の顔は消えてしまいましたよ」
 彼は頷いた。
   「確かに消えています。 有難うございました」

    彼が帰ったあと、看護師が寄ってきて尋ねた。
   「どうして、写真に写り込んだ女性の顔が消えてしまったのですか?」
   「あれは、彼の未だ見ぬ母親の顔だったと思いますよ」 さらに付け加えた。
   「始めから写真に女性の顔は写っていませんでした」
 彼の心の深層に母親への憧れと、心霊を商売にしている自分に、少し罪意識を持っていたようだ。

(原稿用紙4枚)

猫爺のミリ・フィクション「幽霊粒子」

2014-02-27 | ミリ・フィクション
 質量ゼロである素粒子が、質量を持つ矛盾を解き明かすために、ヒッグス博士がそれまでに発見・分類された16の素粒子の他に、もう一つそれらの素粒子に質量をもたせる素粒子がある筈だと仮説を立てた。 それを2012年の12月に実験により証明し、「ヒッグス粒子」と名付けられた。 質量ゼロの素粒子が質量を持つ仕組みは、素粒子はヒッグス粒子がびっしり詰まった中に存在して、ヒッグス粒子に押さえ付けられているからだ。 即ち、宇宙空間の何も無いと思われていたスペースも、ヒッグス粒子で埋められていたのだ。

 ヒッグス粒子が証明されてから約10年後に、日系のアメリカ人であるティーズウォーター博士が、ヒッグス粒子の中にちょっと変わった粒子が存在することを発見した。 後に博士はこのヒッグス粒子を「幽霊粒子」と名付けた。 「幽霊なんかないサ」、「お化けなんかないサ」 と思われていた霊は、ヒッグス粒子であったのだ。 例え、「幽霊は存在する」と信じていた人が居たとしても、それは昔からの言い伝えを盲信していたに過ぎない。 しかし、幽霊粒子の発見により、幽霊の存在は揺ぎ無いものになった。

 その仕組みはこうである。 記憶は、すべて脳細胞に蓄積されているように思われていたが、脳細胞だけでは一人の膨大なデータを記憶しきれない。 実は、脳細胞の他に外部記憶装置(外付けHDDみたいなもの)が必要で、それを担っていたのが体内にビッしりと詰まったヒッグス粒子の中の幽霊粒子であったのだ。

 人が亡くなると、霊がスーッと屍から離れて行くイメージがあったが、それは違っていた。 霊はその場に留まり、屍の方が棺などに納められ霊から離れていくものなのだ。 霊即ち幽霊粒子は、亡くなった人の形でその場に留まり、その幽霊粒子たちはそれぞれ記憶を持っている。 ティーズウォーター博士が、ちょっと変わった粒子と思ったのは、この記憶を持ったヒッグス粒子だったのだ。

 幽霊粒子は、やがて時間と共に記憶を無くして、普通のヒッグス粒子に戻る。 人間、特に仏教の信者は、霊は西方10万億土彼方の極楽浄土へ行くと思わされているようだが、そもそも西方というのがおかしい。 今朝、信心深い仏教の信者が西方の極楽浄土に向いて手を合わせたとしよう。 この信者、夕方にも西方に向いて合掌した。 朝、極楽浄土に向かい合掌したのが正しいとすれば、夕方は極楽浄土にケツを向けて合掌したことになる。 なぜなら、その間地球は180度回転したのだから。

 極楽浄土など元から無かったもので、死者の霊も極楽浄土へ向かう筈がない。 では、どこに向かうか? ここでしょう。  地球上で死んだものの霊は、暫くは地球の周辺に存在し続ける。 やがて幽霊粒子はただのヒッグス粒子に戻って、霊は消えてしまうのだ。
 博士は、まだ屍から引き離されたばかりの幽霊粒子を、これから生まれて来る胎児に入れようと企んでいた。 新婚旅行で日本へ来ていた大阪育ちの新郎新婦が乗ったタクシーが事故に巻き込まれ、新婦は新郎が咄嗟に庇ったために無傷であったが、新郎は意識不明の重体でアメリカへ帰国し、病院のべツドで息を引き取った。 新郎が偶々博士の甥っ子だったことから、甥っ子の魂をその実子である胎児に生まれ変わらせたいと新婦に話をしたところ、「愛しい夫が生まれ変わってくるなら」と、快く承諾してくれた。

 新郎が息を引き取ったベッドから、遺体は棺に納められ、博士はその空いたベッドに新婦を寝かせた。 これで24時間、博士が発見した電磁波μ線を照射し続けると、幽霊粒子が母親の体内に入り込み、やがて胎児の体内に入るというのが博士の推論である。 その間に通夜が行われ、新婦がベッドから解放されるころには葬儀が始まっていた。
 博士の思惑が的中して、約3ヶ月後、新婦の妊娠が判明した。 さらにそれから2ヶ月後の検診で、病院の産科医が超音波診断装置のモニターを覗きながら言った。 「元気な男の子です。ほら御覧なさい。ここにおちんちんが見えるでしょ」 と、ボールペンでそのあたりを指した。

  胎児は順調に育ち、臨月を迎えていた。 少々長いお産だったが、助産師が臍の緒を切って赤子を抱き上げ、お尻をペンペンとぶったところ、元来なら大声で泣く筈の赤子が、可愛い声で「あー、ビールが飲みてえ」 と、言った。 助産師は、あまりにも驚いたので、赤子を落としそうになると、「落さんといてや」 と、赤子は関西弁で言ったのであった。  (添作再投稿) (原稿用紙6枚)

猫爺のミリ・フィクション「疑惑」

2014-02-26 | ミリ・フィクション
 大川の土手沿いの道をふらふらと歩いているのは、裏山で伐採した竹を使って笊(ざる)を作り、町で売って生計を立てている孫助である。   今朝は十枚の笊を持ってきたが、全部売りさばいてほくほく顔で戻りしな、付けて来た若い男のスリに巾着を摺られてしまった。 代官所に届けようかとも思ったが、どうせ「お前がぼんやり歩いているからだ」と、嘲笑されて追い出されるのがオチだ。 諦めて帰ろうとしたが、昨日から何も食べていなかったので、眩暈がしてきた。 柳の木に凭れて休憩をしていると、なりの良いヤクザ風の男が声を掛けてきた。    「おいどうした若いの、どこか具合でもわるいのか?」   孫助は正直に訳を話した。    「掏摸に巾着を掏られ、文無しで腹が減って動けない」    「それは災難だった、すぐそこに茶店があるから何か食べ物を腹に入れなせえ」  男は肩を貸し、茶店まで孫助を連れて行った。     「団子しかないそうだが、金は儂が払ってやるから存分に食え」    「はい、ありがとうございます」 孫助は深々と頭を下げ、団子にむしゃぶりついた。    「お前が掏(す)られた金はいくらだ、気の毒だから俺が出してやろう」  孫助は驚いた。 団子を食べさせてくれた上に、掏られた金まで呉れるという。 のろまなわりには勘が鋭い孫助は、「何か裏があるぞ」と、内心「キッ」と身構えた。 妻や子が待っているのかと問われて、つい「居ません」と、本当のことを言ってしまったのも気がかりだった。    「ひとつ、儂の頼みを聞いてくれんか」  それ、おいでなすったと、自分の勘が正しかったことを自負した。     「何でございましょうか?」    「日当を出すから、わしに付いてきてほしい」  この男の魂胆が判ったぞ。 俺を人殺しの現場に連れて行き、俺はバッサリと切られて匕首を握らされ、人殺しの罪を着せられるのだ。 孫助はヘビに睨まれた蛙のように従順になっていたが、勇気を振り絞って男の隙を見て逃げようと決心していた。    「入ってくれ」と、薄汚い長屋の一軒に導かれた。 戸を開けた瞬間に、血まみれの死体が横たわっている…訳ではなかった。 家具もなにもないがらんとした部屋の隅の木箱の上に、小さな不動明王の像が置いてあった。     「あゝ、不動明王の像が気がかりか? それは恩ある姐御が、乳の横に岩のように固いしこりが出来て、医者にあと半年も持たないと言われたのだ」 それで、不動明王を祀り、朝な夕なに姐御の命が伸びるように祈願しているという。   訊きもしないのに、男はベラベラと説明した。 そうか、「これだな」と、孫助はおもった。 男が言っているしこりは、乳岩(現在の乳がん)といって不治の病だとお爺いから聞いたことがある。 乳岩には、生きた人間の肝が特効薬とも。 俺は手足を縛られて腹に短刀を突きたてられ、生きたまま肝を抜き取られるのだろうと、恐怖に体が震えた。    「どうかしたのか?」と、怪訝がる男に、    「いえ、なんでもありません」と言ったつもりだったが、多少舌が縺れて余計に不審に思われたようだった。    「それで、わたしはどうすればよいのでしょう」 孫助は度胸を据えて訊いた。    「今夜、ここに泊まってほしい」     「えっ」と孫助は驚いた。     「わたしは何をすれば良いのでしょうか?」    「何もしなくても良い、ただ儂の横で寝ていてくれれば良い」  わかったぞ、この男は世に聞く「男色」だなと、孫助は思った。 一緒に寝ていて、男の手が褌に伸びてきたら、枕元の着物を抱えて逃げ出そうと用心していた。   昨夜孫助は一睡もできなかったのに、男は手を伸ばしてくるでもなく、高いびきで寝ていた。 翌朝、男は大きな欠伸をして、「あゝ、久しぶりによく寝た」といって、背伸びをした。    「どうして、わたしを?」    「大きな声では言えんが、わしは蜘蛛が嫌いで…」  四、五日前に、寝ていたら、顔の上になにやらモソモソするものが掛かって、振り払い灯かりを点けてみたら、大きな蜘蛛が天井から下がってきたというのだ。    「あと一つ、すまんが天井裏を覗いてみてくれないか」と、男。  孫助はぞっとした。 天上裏に、しゃれこうべがごろごろしている様子を思い浮かべたのだ。 恐る恐る天上裏の蓋を開けて、ソーッと首を出し見回したが蜘蛛は居ず、骸骨もなかった。    「何も居ません」    「そうか、よかった」  男は約束の金を孫助に渡すと、    「ありがとな」と言って、帰してくれた。    (添削再投稿)  (原稿用紙6枚)

猫爺のミリ・フィクション「誤算」

2014-02-25 | ショート・ショート
 佐伯叶作(きょうさく)は、若き宇宙工学博士(はくし)である。宇宙工学の大学院で研究に没頭していたが、大富豪の父親が巨万の富を遺して死んだことから、大学院を終了後、私財をなげうって研究所を設立した。
 
 叶作の夢は、この小さい地球を飛び出し、宇宙の彼方で知的生命体と遭遇することである。叶作は、巨額をかけて叶作一人が乗れる宇宙船を完成させた。この宇宙船は、光速の2倍の速度で推進するが、1年かけても高だか2光年の距離にしか達することが出来ない。そこで無重力圏に達すると、自分を冷凍して生命を維持することが出来、知的生命体センサーにより目的の惑星に到着すると解凍するように設計したのである。

 操縦はコンピューターに任せ、障害物や恒星を避け、惑星であっても高温や低温過ぎるものを察知して避ける。実は、この宇宙船は、地球へ戻ることは考えていないので、水や食料などは積んでいない。

 
 叶作は宇宙に飛立った。やがて眠りに就き、叶作のからだは冷凍された。冷凍の間は時間が無いので、叶作の宇宙船は「あっ」と言う間に惑星の海に浮かんだ。
 やがて地球の海上巡視艇にそっくりな船が近づき、拡声器で何やら叫んでいる。叶作は宇宙船のハッチを開き外へ出てみた。
   「おーい、そこの兄ちゃん、大丈夫か、どこから来たんや」
 日本語で、しかも大阪弁である。
   「あれっ、ここは地球ですか?」
   「兄ちゃん、当たり前や、地球やで」
 まるで「猿の惑星」である。叶作の宇宙船は、後戻りして地球に戻っていたのだ。
   「そうか、知的生命体センサーは付けたが、地球を標的から外すのを忘れていた」

 二度目は準備万端、これで何処までも進めると、叶作は納得がいくまで機能を追加し、点検をした。地球を出発し、大気圏を突破すると、叶作は眠りに就いた。


   「もしもし、お兄さん起きておくなはれ」
 また、大阪弁だ。あれだけ納得をして発射したのに「またもや失敗か」と、叶作はがっかりした。
   「ここは地球ですよね」
   「いいえ、違います」
   「地球ではない? では、地球にそっくりな惑星かな?」
 叶作は、心が躍った。
   「いいえ、惑星とは違います」
   「では、何処なのです?」
   「兄さん、ここは極楽浄土です」
   「ええっ、私は死んだのですか?」
   「はい、そんなご大層な乗り物に乗って来んでも、死んだらスーパーテレポーテーション(瞬間移動)で、易々とここに来ることが出来ますのに」

(修正)  (原稿用紙4枚)

猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 最終回 新三、上方へ

2014-02-24 | 長編小説
 藩士と共に松平兼重候の隠居庵を護り、大事には至らなかったものの、十人ばかりの盗賊を逃がした。賊たちは荒稼ぎをして江戸へでも紛れ込むつもりなのだろう。焦っているのが窺える。
 ここ二・三日の内に、盗賊たちは必ずどこかを襲うだろう。こんな時に新三郎が居てくれたら、賊の一人に憑依し次の襲撃の的を偵察してくれるのだが、暫くは戻らないだろう。いつまでも新三郎を頼りにしてはいられないのだ。
 上方は、池田の亥之吉のように、人情味にあふれる人が多いと思っていたが、あのような悪夢を見るのは、きっとそうではないに違いない。鷹之助が気にかかって仕方がない三太郎であった。
 その夜、思いがけなく新三郎が戻ってきた。
   「新さん、鷹之助は無事ですか 鷹之助が殺された夢を見たので心配していました」
   「へい、今は無事なのですが、危ういこともありました」
 こんな事を言えば、三太郎は心配するだろうとは思いながらも、鷹之助に起こった災難を全て話した。案の定、三太郎は「今から上方へ行く」と、言い出した。
   「ここ三ヶ月は大丈夫です」
 実の兄、緒方梅庵が上方に来ていて、鷹之助は梅庵が講師を務める診療院に居ることを伝えた
   「ところで、三太郎さんは何事も無かったのですかい」
   「こっちも、ご隠居庵が盗賊に襲われ、ゆっくりさせて貰えずじまいです」
   「あっしは、直ぐに鷹之助さんの所へ戻ってやらないといけないのですが…」
   「忝(かたじけな)い、そうしてやってください」
   「暫くは大丈夫です、お役に立つことが有ったら言ってくだせぇ」
 夜が明けたら、奉行所の牢に入っている怪我をした五人の盗賊仲間を治療に行く積りだが、その内の一人から、次に襲撃するお店(たな)か屋敷の名を新三郎に探って貰えば一網打尽に出来るのだがと、頼み込んだ。
  「わかりやした、行きましょう」
 奉行所では、例え死罪になる者であっても、怪我人を放置する訳にはいかない。お裁きが下るまでは容疑者であって咎人ではないのだから。
 とは言え、治療する医者が居なくて困っていたところへ三太郎が来たので、渡りに船であった。
   「お医者殿、よく来てくださった、腕を斬り落された男が、早く殺せと叫びどうしでござる」
   「つい力が入って、腕を切り落としてしまったのは拙者でござる」
   「貴殿が佐貫三太郎殿でしたか、これは御見逸れ致した」
   「蘭方の痛み止めの薬を持って参った、これで少しは静かになりましょう」
 消毒で、一頻り悲鳴をあげていた男であったが、痛み止めの薬が効いたのか、やがて男は眠りに就いてしまった。他の四人も、消毒で呻いたが、新しい絆創膏を貼って貰うと、直ぐに安らかな寝息をたてた。昨夜は、五人とも寝ていなかったのである。
 一人の男に、新三郎が憑依した。男の記憶を辿ってみると、隠居の庵を襲った後は、城下町の米問屋「越前屋」を襲撃すると、その男は記憶していた。
   「三太郎、ご苦労であった」
 出てきて労いの言葉を掛けたのは、佐貫慶次郎であった。
   「いえいえ、父上こそお疲れでございましょう」
   「何を申すか、拙者はまだ若い…と言いたいところじゃが、歳には勝てぬのう」
   「屋敷にお帰りになられましたら、お肩など揉み解しましょう」
   「そうか、頼むぞ」
 新三郎から得た盗賊の次の標的は、「御城下の米問屋越前屋のようです」と伝え、張り込みを頼んだ。
   「そうか、お奉行でも吐かせることが出来なかったのに、よくやった」
 早速、今日から店の内に役人たちを待機させると共に、近所にも隠れて待つことにすると慶次郎は勢いづいた。
   「では、私はご隠居様をお見舞申し上げて、先に屋敷に戻ります」
   「三太郎、ちょっと待ってくれ」
   「はい、何の御用でしょうか」
   「兄者から手紙が来ておったのを忘れるところであった」
   「緒方梅庵先生からですか」
   「そうじゃ」
 書簡の宛先名は、「佐貫慶次郎様」であったが、慶次郎へは挨拶と「鷹之助は元気で、勉学に励みおり候」程度の報告で、用件は三太郎へのものであった。
 長崎から上方に船で荷が着いて、「クロロ」という麻酔薬や、傷みの少ない消毒薬「ヨグリ」など、その他新薬も手に入ったとか。用法などを教えるから、三ヶ月以内に上方へ来ないかという誘いであった。
   「ご隠居様にお伺いをたて、お許しが出たら弟子を連れて行ってきます」
   「そうか」
   「お牢の怪我人のことも有りますので、発つのは一月程先になるかも知れません」
   「わかった」
 盗賊騒動は、佐貫慶次郎の手柄で、一網打尽になった。お裁きは、全員打ち首になり、その首は獄門台に晒された。
 弟子の佐助と三四郎は、上方へ行けるのを喜んだ。帰りは、背中に荷物を背負わされるとも知らずに。
 三太郎と佐助と三四郎の三人は、木曽の架け橋、大田の渡しを過ぎて美江寺に差し掛かった。佐助が草を食み、蛙を食って「美江寺の河童」と噂され、辛い日々を生き抜いた地である。その頃を思えば、佐貫の屋敷で佐貫慶次郎から剣を学び、何不自由なく楽しい旅が出来るのも、師佐貫三太郎のお陰である。
 後から、三太郎達を追ってくる男があった。
   「おーい佐助、待ってくれ」
 佐助を追い出した叔父であった。
   「佐助、いい身形をしているじゃないか」
 佐助は、三太郎にしがみ付いた。苛められた恐怖が蘇ったようだ。
   「佐助の叔父さんですか」三太郎が尋ねた。
   「そうです、佐助、お前を育ててやったおれを忘れたのか」
   「佐助は、そのほうに追い出されて、この地で死にかけていたのだ」
   「知らん、追い出した覚えはない」
   「よく言いますね、それで佐助に何の用ですか」
   「おれの倅が病気になって、朝鮮人参を飲ませないと死ぬと医者に言われたのだ」
   「拙者も医者だ、どんな具合なのだ」
   「へえ、両方の耳の下が腫れ上がって、お多福の面みたいになり、痛がっています」
   「それは流行り病だ、朝鮮人参で治る病ではないぞ」
   「先生、診察してやって貰えませんか」
   「断る! 拙者は二人の子供を連れておる、この子らに感染させられないのでな」
   「それでは、佐助を返してください」
   「それも断る、人買いに売って、朝鮮人参を買うのであろう」
   「出るところへ出て、子供が拐かされたと訴えます」
   「生憎だった、美濃の国大垣藩には、拙者の知り合いが多くてのう、拙者が子供を拐わかしたと言っても、取り上げてくれないただろう」
   「では、金を恵んでください、子供を死なせたくない」
   「わかった、それでは薬をやろう、これを飲ませて、腫れたところを冷やしてやってくれ、腫れが引けば命は助かる」
   「おありがとう御座います」
   「一両やろう、これで病人に粥や玉子を食べさせなさい、朝鮮人参を飲ませないと死ぬぞと言った医者は、食わせ者であるぞ、騙されるなよ」
   「よくわかりました、佐助、済まん事をした、許してくれ」
 佐助の叔父は、慌てて帰っていった。
   「あれは、お多福病と言って、子供が罹る流行り病だ、どんな薬を飲んで効かない、冷やして傷みを和らげ、安静にしておれば九分九厘は治る、治れば二度と罹らない病気だ」
 佐助と三四郎は、「うん、うん」と、頷きながら聞いていたが、どんな薬でも利かないのに、何の薬を渡したのか気になるらしい。
   「それは、甘藷の粉だ、甘いから子供は喜んで飲むだろう」
   「効きますか」
   「病気には効かん」
 幾泊かして、三人は上方に着いた。佐助も三四郎も、まるで他所の国へでも来たかのように、見るもの全てが珍しいようであった。緒方梅庵が講師を務める診療院に着いたが、洋館の建物が気味悪いようで、佐助も三四郎も、三太郎から離れようとはしなかった。
   「緒方梅庵先生にお逢いしたい」
 三太郎が窓口から係りの者に声を掛けると、梅庵から聞いていたらしく、快く部屋に通してくれた。
   「先生、お手紙有難う御座いました」
   「おお、三太来たか、二人の弟子も一緒だな」
   「はい、佐助は先生にお会いするのは初めてですので、連れて参りました」
   「佐助です、よろしくお願いします」
   「行儀がいいですね、緒方梅庵です、よろしく」
   「三太、この子らを食堂へ連れて行ってあげなさい、カステーラが用意してあります」
   「わーい、カステーラ、カステーラ」
   「カステーラって、何ですか」
 三太郎は、梅庵に尋ねた。
   「先生、鷹之助はどうしています」
   「鷹之助は元気ですよ、今、屈強な用心棒と天満塾へ行っています」
   「用心棒って、新三郎さんのことですよね」
   「そう、新さんが憑いていれば安心です」

 午後になって、鷹之助が帰ってきた。
   「先生、三太郎兄上が来てくれたのですか」
   「そうだよ、今、食堂に居ます」
 「どたどたどた」と足音がして、食堂の戸が開いた。
   「兄上、会いたかった」
 鷹之助は大きいなりをして、三太郎に抱きついた。
   「兄上、新さんに来て戴いて、どんなに心丈夫か知れません」
   「そうだね、これからずーっと、新さんに護って貰いなさい」
   「兄上は、護って貰わなくてもいいのですか」
   「私は大人ですから、自分で自分を護れます」
 新三郎が、三太郎に移り語りかけた。
   「三太郎さん、今度は本当にお別れでござんす、お達者でいてくだせぇ」
   「新さん、いろいろ有難う、鷹之助を宜しくお願いします」
   「はい、任せてくだせぇ
   「新さんと一緒に居て、楽しかった」
   「あっしもです」
 佐助は、三太郎が黙り込んでしまい、目が潤んでいるのに気付いた。
   「先生、鷹之助さんも弟子にしてください、ずっと一緒に居らます」
   「鷹之助は孔子が開いた『儒学』という学問の道を選んだのだから、医者の弟子にはならないよ」
   「ふーん」
 三太郎は、梅庵から新薬の調合を教わり、弟子達にも持てるだけの薬品を背負わせて信州の屋敷に持ち帰ることになった。三人揃って、まるで「富山の薬売り」のようである。
 ご隠居の庵(いおり)の程近くに、三太郎は小さい診療院を建てた。診療院の横には馬屋と馬の世話人の宿舎を立て、箱根で知り合った男、久作とその子、新吉を住まわせた。
 めったに患者が来ない場所なので、三太郎と弟子一人が馬に乗り、往診専門の診療院であったが、よく治してくれると評判がたち、患者は増えていった。
 三太郎が手すきの時は、裏の空き地で師弟そろって木刀を振り回していた。二人の弟子は、医者の腕も、剣の腕も、そして馬術の腕もメキメキ上げていった。時には佐貫の屋敷に赴いて慶次郎から剣を教わることもあった。
 五日に一度は、ご隠居を見舞うことも忘れなかった。三太郎は嫁を娶り、上田藩士となり、藩医に推される。弟子たちは三太郎の養子となり、藩に仕えて三太郎の助手として活躍した後、それぞれ町に出て診療院を開くことになるのだが、それはずーっと後のこと。ここからは舞台を上方に移し、佐貫鷹之助と新三郎の物語になる。
  第回 新三、上方へ(最終回) -物語は次シリーズに続く- (原稿用紙15枚)


   「佐貫鷹之助」第一回思春期へ
   

猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第三十一回 さらば鷹塾

2014-02-17 | 長編小説
 弟の鷹之助が、血塗れになって戻り、入り口でばったりと倒れた。
   「鷹之助、何が有ったのだ、新さんはどうした」
 三太郎は、思わず鷹之助に駆け寄って抱き起こした。
   「鷹之助、しっかりしろ、誰にやられた!」
 三太郎は鷹之助を裸にして、とめどなく流れ出る血を止めんと苦闘した。
   「兄上、私は志(こころざし)半ばでこのようなことになって、悔しいです」
 鷹之助は、まだ何か言おうとしたが力尽きてこと切れた。
   「鷹之助、鷹之助、戻って来い、戻ってきて兄上と呼べ!」

   「先生、三太郎殿、大声を出してどうしました」
 三太郎は、目を覚まして自分を揺り起こしている護衛藩士の腕を掴んだ。三太郎は、ご隠居松平兼重候の護衛につきながら、迂闊にも微睡(まどろ)んでしまったのだ。
   「盛んに、鷹之助と名を呼んでいらっしゃいました」
   「ああ、夢でしたか、不吉な夢を見ていました」
   「三太郎殿は、お疲れになられていらっしゃるのでしょう」
   「その所為でしょうか」
   「きっと、そうですよ、鷹之助殿は確か上方へ行かれているのでしたね」
   「そうです、あまりにも気掛かりでしたので、ついこんな夢を見たようです、面目ない」

 どんなに気掛かりでであっても、今の任務を放り出して上方へ行くことはできない。頼みは、新三郎のみである。せめて、その新三郎が鷹之助の様子を知らせてくれたら、無事でいれば安心するし、鷹之助に危険が迫っているなら、何を捨てても駆けつけるのにと、心ならずも新三郎を恨んだ。

 見張り番から情報が入った。この庵(いおり)の周りに黒装束の男たちが一人、また一人と集まりだしたようである。
   「やはりそうか、上田藩で元大名いえば、富豪と思うのは当然であろう。その上、隠居庵なれば、手薄だと考えるに違いない」
 ここを襲撃の的にするのは、当然のことかも知れない。
   「来やがったな、天誅組め」
 三太郎は、襷(たすき)をかけ鉢巻きをして敵に望んだ。
   「拙者は、ご隠居と奥方を確(しか)と護る、貴殿たちは心置きなく敵と戦ってください」
 三太郎は、護衛の藩士たちに叫んだ。その時、三太郎の目に敵が矢に火を点けるのが見えた。その火が離れ座敷寄りに集まってきた。敵も然(さ)る者、先に母屋を全焼させては盗みが難しくなる。まずは離れ座敷に火を点け、こちらの気を離れ座敷に逸らせて置いて母屋に押し入る。盗んだものを持ち出した後に、母屋が全焼するという目論見(もくろみ)らしい。
 三太郎は、素早く敵の手の内を読んだ。こともあろうに、火がつくかも知れぬ離れ座敷にご隠居と奥方と使用人の女たちを導き、三太郎は外に飛び出した。
 戸板を二枚はずすと、放れ座敷の前に立て、その後ろで抜刀して火矢を待った。一本目の矢が戸板に命中して燃え上がった。その矢は捨て置いて、二本目の矢を待った。これまた戸板に命中した。三本目は戸板を逸れたが、三太郎の剣は素早く火矢を叩き落した。
 何度か繰り返したが、矢が尽きたのであろうか、やがて矢は途絶えた。三太郎は離れ座敷に戻り、ご隠居たちに伝えた。
   「もう、離れ座敷は安全です、決してここを出ないように」
 そう叫ぶと、三太郎は再び外に出た。戸板は、ますます勢いを増して燃えている。

 三太郎は敵の中へ飛び込んだ。敵も相当の人数である。刀の峰で戦っていた三太郎であったが、とうとうその余裕を無くしてしまった。返した峰を戻すと、斬りこんでくる賊の小手を狙って斬り付けた。最初は手心を加えていたが、つい力が入り、どさっと鈍い音がして、賊の腕が草叢に落ちた。
   「しまった、遣り過ぎた」と、後悔する三太郎の足元で、腕を斬られた男が、「うわーっ」と声を上げて、のた打ち回っている。
   「引け!」と、号令がかかって、天誅組の賊たちが引き上げていったが、傷ついて逃げられぬ五人の男たちがとり残された。
 三太郎は、腕を斬りおとした男の上腕を自分の襷を切って縛り止血をした。男が暴れないように縛り上げ、腕の切り口を消毒すると、骨を削り皮膚を引っ張って絹糸で縫い合わせた。
 続いて傷ついた男達の傷口を消毒してやり、血止めの絆創膏を張り、逃げられぬように手足を縛り上げた。

 三太郎は、「賊がまだそこらに居るかも知れない、拙者が奉行所へ知らせに行きましょう」と、馬に跨(またが)り上田藩奉行所に向けて走った。
 丁度、町の警戒に当たっていた慶次郎に出会った。状況を話し「当方に、手負いの者なし」と伝え、捕り方への知らせを依頼した。

 捕り方がやってきたのは、夜が明けてからであった。賊の男たちは、荒々しく引っ立てられて行った。


 鷹塾があったボロ家は、跡形もなく壊され、瓦礫(がれき)も近くの空き地に運ばれた。やがて更地に建築の資材が運び込まれ、少しずつ建物が建ちはじめると、鷹之助は絶望感に襲われた。元ここに建っていた廃屋は、鷹之助が買ったものではなく、ただ同然の店賃(たなちん)で借り受けていたものである。その廃屋が新築の建物に変わると、大家さんは欲を出すに違いない。鷹之助は追い払われて、もう鷹塾やっていけない。自分の身の振り方さえも分からないのだ。
 鷹塾の塾生たちの親たちが、ぽつりぽつりとやって来るようになった。
   「何かお手伝いをしましょう」
   「空き地に瓦礫が積まれて居ます、木を集めて束ねましょう」
   「敷地周囲の草を刈りましょう」
 斧や鎌や鋤を持って手伝いに来てくれる。鷹之助は、建ちつつあるこの建物が、自分のものではないと言い出しかねていた。
   「皆様のお仕事に差し障りましょう、お気持ちだけで結構です」
 鷹之助は、それだけ言うのが精一杯であった。その日の夜、新三郎が再び現れた。
   「三太郎さんに頼まれて、鷹之助さんを護りにきやした」
   「兄上がお願いしたのですか お願いしたものの、兄上は困っているのではありせんか」
   「大丈夫です、暫くは鷹之助さんの傍にいます」
   「嬉しいです、本当は一人で心細かったのです」
   「立派な屋敷が建ちそうですね」
   「壊した親方を、新しく建てるように脅したのは、新三郎さんでしょう」
   「わかりやしたか」
   「わかりますよ、壊しておいて、すぐに新しく建ててやるなんて、おかし過ぎます」
   「鷹之助さんを苛めた罰ですぜ」
   「けど、わたしはここに住めないと思います」
   「どうしてずすか」
   「すぐわかりますよ」

 廃材を集めて作った鷹之助の塒に、翌朝、大家がやって来た。
   「わしが鷹之助さんに貸したのはボロ家です、それを壊して新しく建てるのは鷹之助さんの勝手ですが、建った建物はわしの物です」
   「はい、わかっています」
   「ボロ家だから、一ヶ月五十文で貸したが、新建てなら一分は頂戴します」
 現在までは五十文だったのが、一気に二十倍の一分(千文)になるので、鷹之助にはとても払えそうにない。早く言えば、鷹之助に出て行けということである。
 出て行くのは構わないが、今まで鷹塾に通ってくれた塾生に申し訳ない思いでいっぱいの鷹之助であった。
   「新さん、分かったかい、こう言うことなのだ」
   「そうか、あっしも迂闊だった」
   「ここを出る覚悟は出来ている、どこかこの近くに廃屋があれば良いのだが…」
   「よし、あっしが探しましょう」
 新さんは鷹之助から離れて、何処かへ行ってしまった。

   「こいつだぜ、寺子屋ごっこで、銭儲けをしている生意気な奴は」
 寺子屋に通っている鷹之助より少し年下の悪餓鬼五人組のようだ。
   「もう、ここで商売が出来ないように、痛い目に遭わせてやろうぜ」
 言うが早いか、鷹之助は腹を蹴られて、そのばに「どすっ」と倒れた。腹を抑えて苦しむ鷹之助を、寄って集って足蹴にした。鷹之助はやられるままに耐えていたが、その内、ぐったりとなってしまった。
   「おい、こいつ死ぬかも知れん」
   「構うものか、筵(むしろ)で巻いて、大川へ投げ込んでやろうぜ」
 度を越した悪ガキどもは、大笑いしながら鷹之助を筵で巻き、その上から縄でぐるぐる巻きにした。

 鷹之助は、遠退く意識の中で、兄上佐貫三太郎の名を呼び続けた。
   「兄上、鷹之助を助けてください」
 そして、新三郎にも語りかけた。
   「新さん、どこへ行ったの、わたしは死にますよ」
 鷹之助は考えた。
   「死ねば、新さんのように兄上の守護霊になろう」
 早くも、鷹之助の心は信濃の国の三太郎や父上、母上の元に飛んでいった。


 鷹之助は、意識をとり戻した。そこに鷹之助を覗き込む男の目があった。
   「兄上、兄上ですね」
   「そうだよ、もう大丈夫だ」
 覗き込んでいるのは、佐貫三太郎ではなく、緒方梅庵であった。梅庵は上方の蘭方医学診療院へ講師として呼ばれて三ヶ月契約の出張だった。鷹之助が籍を置く天満塾に行ってみたが、ここ二・三日休んでいると聞いた。鷹塾という塾を開いていると教わったが、場所が分からず、ただ誰かに導かれるような気がして無意識に歩いていると、五人の子供が倒れて気を失い、その中心に縄で縛られた鷹之助が居たのだ。五人の悪ガキたちは、それから直ぐに気がつき、梅庵を見て逃げていった。

   「新さんだ、新さんが助けてくれたのだ」
   「新さんとは、どこのどなた」
   「三太郎の兄上がよこしてくれた守護霊です」
   「守護霊 記憶にある、私の中の能見数馬さんの記憶だ、木曽生まれの渡世人で新三郎さんだろ」
   「そうです、新さんもまた兄上のことを知っていたのでしょう」

 鷹之助が開いていた鷹塾の建物が壊された経緯から、この度の殺されようとしたことまで、梅庵に打ち明けた。梅庵は、暫くこの診療所から塾に通いなさいと言ってくれた。鷹之助の治療代から食費まで、梅庵が出してくれことになったのだ。
   「新さんと話がしたいが、どうすれば良いのだろう」梅庵が言った。
   「それは簡単です、私の胸に手を当ててください」
   「こうかい、新三郎さん、鷹之助を助けてくれて有難う」梅庵は語りかけてみた。
   「いいえ、あっしが鷹之助さんから離れたばかりに、鷹之助さんを酷い目に遭わせてしまいました、面目ない」
   「新さんが戻っていなかったら、わたしは川の底に沈んでいました」
   「わたしは三ヶ月上方に居ますが、その後のことが心配です」と、梅庵。
   「あっしに任せてくだせぇ、もう鷹之助さんから離れませんから」
   「三太郎のところへ戻らずとも良いのですか」梅庵は、三太郎も心配である。
   「三太さんは強いから、あっしが居なくても大丈夫ですよ」
   「そうですか、だが私が上方に居る間に、新さん、一度三太郎のところへ行って鷹之助の様子を伝えてやってください」
   「へい、分かりました、では今夜発ちます」
   「有難う、そうしてやってください」

  第三十一回 さらば鷹塾  -続く-  (原稿用紙枚)

   「最終回 新三、上方へ」へ

猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第三十回 三太郎の木曽馬

2014-02-13 | 長編小説
 佐貫三太郎が戻って間もないある日、下城してきた父上の慶次郎が、三太郎に言った。
   「三太郎、殿のお目通りが叶ったぞ、晴れて嫡子の許しが降りるのだ」
   「そうですか」
 慶次郎が喜んでいる割に、三太郎は気のない返事であった。自分は、弟鷹之助の一時的な身代わり嫡子だという思いが心の隅にあるからだろうか。
   「殿のお目通りの後は、ご隠居様にもご報告に参ろう」
 殿とは、慶次郎が使える上田藩主松平兼良候であり、ご隠居様とは、先の藩侯松平兼重候である。

 三太郎は、兼重候が藩主であった頃、父慶次郎にくっついて幾度か城に上がったことがある。家老の矢倉宗右衛門が、その娘である兼重候の側室「お菅の方様」と企んで、兼重候を砒素で亡き者にし、嫡男の兼良候が少数の供を従え、馬で善光寺参りの途中に狙撃されようしたのを父慶次郎と当時の三太郎(緒方梅庵)父子が護った折である。

 慶次郎と三太郎は、殿の御前に進み出た。
   「三太、久しいのう」
   「お久し振りで御座います」
   「あのチビすけが、大きくなりよって、余の背丈を越えたであろう、この無礼者めが」
   「それは、私を育てた父上と母上の所為です、お殿様こそ、あの腕白若様が、ご立派なご領主になられて…」
 横に居た慶次郎が血相を変える。
   「これ、何を申すか、言葉を慎みなさい」
   「よい、よい、腕白は余にとって褒め言葉じゃ」
   「恐れ入ります」慶次郎が畏まる。
   「ところで三太、今は懐にひよこは入ってはおらぬのか」
   「いませんよ、あの頃のことを、お殿様はご覧になっておられたのですか」
   「見ておったわ、腰元たちも大笑いしておったぞ」
   「ひよこが可笑しかったのですか」
   「いいや、ひよこを庇って、慶次郎の馬に乗る三太の格好が可笑しかったのじゃ」
   「ひどい」

 慶次郎の養子となり、佐貫家の嫡子と認めて頂いたのは良かったのだが、三太郎にはハラハラさせられどうしであった。

   「それから三太郎、昨日幕府の御偉方のお使者が見えて、三太郎の活躍を上様がお褒めになられたそうじゃ」
   「恐悦至極に御座います」
   「余は鼻が高かったぞ」
 慶次郎が、自分には何も聞かされていなかったことに不満げである。
   「三太郎は、江戸の町が火の海に、はては謀反も起きかねないところを鎮めたのじゃ」
   「父のそれがしには、何も申さなかったのは何としたことか」
   「恐らく、上様のご褒美を独り占めしたのであろう」
 三太郎が大真面目で否定した。
   「違いますよ、ご褒美を四つに分けて、お世話になった中岡慎衛門おじさんに一つ、弟の鷹之助への仕送りに一つ、生活に窮する弟子浩太の父母へ一つ差し上げました」
   「残りはどうしたのじゃ」慶次郎は、まるでお裁きをする奉行さながら。
   「残りは、父上に馬を買って差し上げようと…」
   「嘘をつけ、自分の馬であろう」慶次郎もそれくらいは察しがつく。
   「お城大事の折は、いち早く馬で馳せ参じようと…」
   「あはは、それは忠義なことである、慶次郎、責めるではない」
   「ははあ」
 ああ言えば、こう言う。三太の頃に舐めた辛酸が、ここまで三太郎を強かに育てあげたのかも知れぬと、慶次郎も心のうちではこの義理の息子を頼もしく思うのである。
 殿は、側用人に命じて、三宝に乗った褒美をもって来させた。
   「三太郎、これは余からの褒美じゃ、慶次郎にも分けてやるがよい」
   「ははあ、有り難き仕合せに存じます」

 ではこれから、ご隠居様へご報告に伺いますと、殿の御前を下がって隠居松平兼重の庵に向かった。

 ご隠居にも「三太郎が戻りましたら、ご挨拶に参ります」と、知らせていたらしく、兼重候は心待ちにしていた様子である。
   「おお三太、来よったか、懐かしいぞ」
   「ご隠居様には、ご機嫌麗しゅう、慶賀の至りに存じます」
   「頼もしく成長致したのう」
   「はい、父上の厳しい仕込みの賜物で御座います」
   「拙者は厳しくした覚えはないぞ」慶次郎が口を挟む。
   「慶次郎も甲賀で仕込まれた猛者(もさ)であるから、三太には厳しかったのであろう」
   「それはもう、辛い日々でありました」
   「嘘をつけ、この優しい父が厳しい訳がないであろう」
   「父上、ご隠居様の御前でありましょう、一度ならず二度までも嘘付けとは何事で御座います」
   「これは、見苦しいところをお見せして、ご無礼仕りました」
   「面白い父子(おやこ)よのう、そち達は」
   「恐縮で御座います」

 三太は、一旦他家に預けていたが、他家との折り合いがつき、殿の許しを得て、再び佐貫の養子に収まったことを報告した。
   「それで三太、改名致したか 佐助か 三四郎か」
   「三太郎で御座います」慶次郎が答えた。
   「やはり、三太郎か、確か三太が幼い頃に申しておった通りになったのう」
   「はい、兄上が医者になって改名したら、兄上の名を貰うのだと申しました」
   「わしは、昨日のように覚えておるわ、その三太郎も医者になったそうじゃな」
   「はい、医は兄上に、武は父上に学びました」
   「ほう、それで三太郎は文にはたけておらんのか」
   「文は弟の鷹之助に任せます」
   「ははは、慶次郎は頼もしい息子達を持ったのう」
   「これ三太郎、お前は謙遜という言葉を知らんのか、父は聞いていて顔が火照るわ」
 ご隠居の思いつきであるが、三太郎を側近として傍に来て欲しいと言い出した。医者と護衛人の二役をさせる気らしい。
   「私には、佐助と三四郎という二人の弟子が居ります」
   「それは、鶏(くだかけ)であるか」
   「違いますよ、医者を目指す若者です」
   「七歳と八歳の子供です」慶次郎がまたも口を挟む。
   「それは良い、この庵が賑やかになる、連れて来なさい」
 三太郎は暫く考えたが、慶次郎や母上小夜のことも気掛かりである。その上、馬の世話人親子も連れてきたので、佐貫の屋敷を出る訳にもいかない。
   「ご隠居様、佐貫の屋敷から通ってくるというのは如何で御座いましょうか」
   「それでは、わしの護衛としては全う出来ないであろう」
   「護衛は、屈強な藩士が付いておられます、私はご隠居様のご健康をお守りする医者として庵に参ります」
   「そうか、通いか、それも良かろう、毎日か」
   「五日に一度、弟子を一人連れて参ります」
   「わしは三太郎と弟子達を連れて、水戸の中納言様のように諸国漫遊がしてみたいのじゃが」
   「それでしたら月に一度、ご領地内をお駕籠で漫遊されては如何で御座いましょう、お供はご家来十人くらいと、ご隠居様をお世話するお女中を四・五人、お道具を一竿持たせます」
   「つまらん漫遊よのう」

 結局、ご隠居の目論見(もくろみ)とは程遠い、五日に一度の往診をすることになった。
   「ご領地のことは、この三太郎がご隠居様にお話申し上げます」
   「左様か、なんだか三太郎に丸め込まれたようじゃのう」
   「丸め込むとは恐れ多い、ご提案を申し上げ、ご了承を賜っただけで御座いましょう」
   「何も変わらぬわ」

 殿より頂戴した褒美は、将軍様と同じく百両であった。それは総て慶次郎に渡し、三太郎の懐の金子から大枚二十両を出して馬を買った。二歳の木曽馬の雌で、三太郎は「新山(しんざん)」と、名づけた。

 屋敷内の馬小屋を修理改装して、久作と新吉の寝泊りする間を設け、馬の世話を任せた。二人の弟子達も、自ら進んで馬の世話を手伝った。その甲斐甲斐しく働く弟子達に、三太郎は自分の子供の頃の姿が重なった。

 佐助を馬の前に乗せて、三太郎の腕のなかにすっぽりと収まるようにすれば、昔の自分を慶次郎が腹に紐で括ったようにしなくても滑り落ちることはない。あの頃の三太は四歳、佐助は七歳なのだから。

   「ご隠居様、三太郎に御座います」
   「お約束の往診ですか、ご苦労」
 ご隠居の奥方が出迎えてくれた。
   「ご隠居様は、お変わりありませんか」
   「はい、今朝も早くから、ご本をお読みあそばされております」
   「暫く、お待ちしましょうか」
   「いいえ、どうぞお上がりなさい」
 奥方は気さくな方で、お城に居た頃の大名家の「御前様」から、お武家の奥方様にすっかり変身していた。
   「あなた、三太郎が来ていますよ」
   「おおそうか、第一回目の往診じゃな、通せ」
   「失礼仕ります」
   「おお、来たか、来たか、心待ちに致しておったぞ」
   「医者を心待ちにしてはいけません、ご隠居様はご病人ではないのですから」
   「小煩いことを申すな、おや、そちが三太郎の弟子か」
   「はい、初めてお目にかかります、佐助に御座います」前もっての師の注意どおり、行儀よく挨拶をした」
   「そうか、この大きさでは懐に入らないな」
   「何でございますか」
   「よいよい、独り言じゃ」

 ご隠居の顔をみれば、ご健康であることは分かるが、一応脈を拝見し、形ばかりの問診をした。後は世間話をして、ご隠居の話を聞くだけの往診であった。
   「上田のご城下に、天誅組という富豪ばかりを狙う盗賊が現れたそうです」
   「盗賊団か、昔の事件を思い出すのう」
   「はい、お城は警戒を高めましたので、ご隠居様のお屋敷もおっつけ護衛官が参ろうと存じます」
   「三太郎も来てくれるのか」
   「はい、勿論で御座います」
   「そうか、それは心安らかである」
   「一度戻りまして、夕刻に単身で参ります」
   「慶次郎はどうするのじゃ」
   「町なかの襲われそうな屋敷を見回り、そちらを警戒します」
   「左様か、将棋の相手をさせようと思ったのに残念じゃ」
   「それでしたら、私がお相手しましょう」
   「そうか、三太郎も指すのか」
   「はい、父譲りですが、父を越えております」
   「こやつ、言いよったな、慶次郎に言いつけるぞ」
   「そればかりは、ご勘弁を…」


 戻り道で、鷹之助のことが気になった。
   「新さん、どうしたのかな」
 もう、二ヶ月も新三郎からの知らせが無いのは何事か起きているのかも知れない。新三郎が憑いているから安心ではあるが、やはり気になる。
   「行ってやることも出来ないなぁ」
 佐助は、無邪気に馬上で鼻唄などうたっていた。

  第三十回 三太郎の木曽馬  -続く-  (原稿用紙15枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二十九回 暫しの別れ 

2014-02-09 | 長編小説
 何事もなく旅が続き、何泊かの後、草津の宿で旅籠をとった。温泉に浸かって、楽しい宿泊であったが、その深夜、三太郎は鷹之助の夢を見た。鷹之助が町のならず者に脅されている夢だ。そればかりか、ボロ家ながら修理をして鷹之助が生活をしている建物を壊そうとしているのだ。

 何があったのか分からないが、鷹之助が泣きながら「こんな時、三太郎の兄上が居てくれたら」と、助けを求めていた。

 まだ子供の身でありながら、独りで生活をして、懸命に苦学している鷹之助を気遣うあまりに、夢を見てしまったのであろう。

 草津まで来たのだから、二日費やしても、上方まで行ってやろうという三太郎に、新三郎は、今から自分が行って見てこようと言った。三太郎と三四郎だけならともかく、久作と新吉も一緒なのだ。思い過ごしの夢であれば、久作父子に気の毒である。三太郎も、ひとまず新三郎に頼もうと思った。


 まだ明けやらぬ闇の中、新三郎が上方の鷹塾まで飛んできた。三太郎の夢の通り、鷹塾は見事に壊され、鷹之助は残った壁に戸板を立て掛け、その隙間に布団を持ち込んで眠っていた。

   「鷹之助さん、目を覚ましてください」
 新三郎は、鷹之助の心に呼びかけた。鷹之助は驚いて飛び起き、袖で涙を拭きながら辺りを見回した。
   「なんだ、夢か」と、また寝ようとしたが、またしても話しかけられた。
   「鷹之助さん、夢ではありませんよ」
 鷹之助は、戸板の外へ出てきたが、それでも新三郎の声が聞こえるように思った。
   「わたしに話しかけるのは、どなたですか?」
   「私の名は、新三郎です」
   「どうして、わたしに話しかけるのですか?」
   「私は、佐貫三太郎さんの守護霊です」
 鷹之助は、三太郎の名を聞いて、これは幻聴なのだと思った。自分の心が「三太郎兄上が居てくれたら」と、あまりにも強く願った為に、幻聴が起きてしまったのだと自己分析しているようであった。
   「鷹之助さん、幻聴でもあれませんよ」
   「それでは、兄上は今どこに居ます?」
   「草津ですよ、夜が明けたら草津から木曽路に入る予定です」
   「あっ、本当かも知れない」
   「本当ですよ、三太郎さんは、鷹之助さんの夢を見て、心配になったのです」
   「嬉しいです」
   「話さなくてもいいですから、昨日遭ったことを思い返してください」
   「わかりました」
 以前から、鷹塾で教えていたら、女の子が外から覗くようになった。鷹之助は「一緒に勉強したいなら、どうぞお入り」と、優しく声を掛けた。その日から女の子は座敷に上って一緒に勉強するようになった。
 ある日、女の子の父親が突然やってきて、鷹之助の話など聞かずに「拐かした」と難癖をつけられた。役人に訴えられたが、塾生たちの証言もあって拐かしの疑いは晴れたが、「女が勉強なんかして嫁に貰い手が無くなったら、どうしてくれるのや」と、土足で上がりこみ、金を払えと恐喝された。そんな金は無いと断ると、父親は町のならずものをけし掛けてきた。
   「ガキがこんな所で銭儲けしやがって」
 鷹之助に、殴る蹴るの暴行を加えた挙句、ならず者は鷹塾の建物を壊しはじめた。鷹之助が「やめてくれー」と、泣き叫ぶと、ならず者たちは面白がって更に暴れまわった。

   「ひでえ…、いや…酷いやつらですね、だが、私が来たからには、やつらの勝手はさせません、安心しなせえ、いや、安心しなさい」
   「新三郎さんは、生前、渡世人でしたか?」
   「あはは、ばれちゃったか、その通りでござんす」
   「新三郎さん、明日もまたならず者がここへ来て、残っている壁も壊すそうです」
   「わかった、やるだけやらせやしよう、鷹之助さんは、身を寄せる所がありますか?」
   「ありません」
   「旅籠とか」
   「お金がありません」
   「三太郎さんが送った為替は?」
   「わたしの持ち金は、両替屋に預けてあります」
   「それを下ろしてくれば良いじゃありませんか」
   「兄上に申し訳け無くて、そんなことに使えません」
   「そんなことと言っても、食べなきゃならないだろうし…」
   「懐に小銭があります、当分はここで穴を掘って暮らします」
   「あのねぇ、あんたは土竜ですか?」
   「はい、こうなったら、土竜にでも、土蜘蛛にもなりましょう」

 翌日、鷹之助が大切な本や算盤などを持って天満塾へ預けに行っている間に、またしてもならず者が押し寄せた。鷹之助が戻ってみると、建物は完全に壊され、単なるガラクタに変わっていた。
 ならず者たちは、呆然と立ち竦む鷹之助を囲み、小突きながら大笑いをしたが、その中に、女の子の父親も居た。
 新三郎は、その総てのやつらの顔を鷹之助の目を通して記憶していた。

 新三郎は、女の子の父親の夢枕にたった。
   「お前は、罪の無い男を苦しめたであろう」
 父親は、驚いた。
   「だれや、わいに話しかけたのは」
   「言わずと知れた、死に神様よ」
 あまりにも驚き過ぎて、思わず布団を被った。
   「鷹塾の若い先生は拐かしなどしていない、娘が仲間に入りたくて、自ら上がり込んだのじゃ」
   「そんなことは知らん、わいはてっきり拐かされたと思たんや」
   「お前の犯した罪のために、お前の寿命が短くなった」
   「短くなったって、どのくらい短くなったのですか?」
   「今日でお前の寿命は尽きるのじゃ」
   「えーっ、わいは今日死ぬのですか?」
   「そうだ、わしが黄泉の国まで連れて行ってやる」
   「わーっ、死に神さん、堪忍しとくなはれ」
   「行くぞ、黄泉の国が待っている~」
   「死にたくない、死にたくない、死に神さん手ぶらで帰っておくなはれ」
   「あほか、死に神が手ぶらで帰れるか」
   「なんや、口の悪い死に神はんやなぁ」
   「口は悪いが、優しいところもあるのやで」
   「なんや、今度は上方訛りかいな」
   「お前が壊させた建物を、新しく建ててやれば寿命が延びるのやが」
   「わいはそんな金持ちやない、無理だす」
   「ほんならしゃーない、黄泉の国へ行こ」
   「堪忍してーな、なんとか都合つけます」
   「ほな、段取りをつけて、早くやりなはれ」
 命あっての物種と、この土建屋の親方、ぶつぶつぼやきながら金をかき集めて家を建てる算段をしている。鷹塾の有った土地から瓦礫を除き、建築材料が運び込まれると、塾生の親たちが一人、また一人と手伝いに来る。子供たちまでもが大人の邪魔にならないように周りの草を抜いたり、近くの空き地に捨てに行ったりと、手伝いをする。
   「あんなことをしたばっかりに、えらい損や」
 相変わらず、親方はぼやいているが、「これで命が延びるのなら、安いものか」と、諦めたようすであった。


 三太郎と三四郎、久作父子は、浩太の親子が住む農家を尋ねていた。娘可愛さに、こともあろうに長男の浩太を売った後悔から抜けきれずに、打ち拉(ひし)がれていた。
   「浩太は、見世物小屋に売られ、全身鱗の刺青を彫られました」
 親子は浩太の姿を思い出して泣き崩れた。「ちょっと辛いことを思い出させたかな?」と、反省したが、それは次の言葉から強い安堵を引き出すための導入であったのだ。
   「浩太さんは、刺青のことなどに拘らず、蘭方医学の先生に師事して医者になる修行をしています」
 三太郎は、親子の嬉しい驚きに触れた。
   「きっと、立派な医者になって帰ってきますよ」
 親子の希望の光が差したようだった。
   「それまで、挫けずに待ってあげてください」
 これは、私から差し上げますと、懐から通称「切り餅」(百分=25両)を置いて、「連れの者が待っているから」と、三太郎は立ち去った。


   「母上、三太郎ただ今戻りました」
   「お帰り、お帰り、父上が大そうお待ちかねでしたよ」
   「父上は居られるのですか?」
   「いいえ、お城に上がっておられますが、間もなくお戻でしょう」
   「近江の草津で、母上へお土産の反物を買って参りました」
   「まあ、反物を? それは何よりの土産です」
   「それと、途中で金儲けをしましたので、鷹之助へ二十五両送金しておきました」
   「ありがとう、わたくしも気になっておりました」
   「それから、この子は三四郎、私の弟子にしました」
 佐助が飛び出してきて、挨拶をした。
   「俺、三太さんの一番弟子の佐助、七歳です」
   「俺、三四郎、八歳です」
   「こちらは、久作さんと息子の新吉です、馬の世話をお願いしようと思います」
   「三太郎の母、小夜と申します、宜しくね」
 息子の鷹之助が上方へ行ってしまい、慶次郎の馬が死に、馬の世話をしていた使用人の権八や文助それに女中も嫁ぎ、寂しくなった佐貫の屋敷が、また昔のように賑やかになりそうな予感に、小夜は浮き浮きしていた。
   「ところで、馬は買うのですか?」
   「はい、父上の許可が降りましたら…」
   「当分はここに落ち着いて、父上の手助けをし、いずれは診療所を開設します」
   「二束の草鞋ですね」
   「はい、父上の負担にならぬように、仕事に励みます」
   「みんなのお食事の用意が大変だから、女手も欲しいわねぇ」と、小夜

 その夕方、戻ってきた慶次郎に、水戸での総てと、上方の鷹之助の様子など細やかに話をした。 慶次郎は大いに喜んで、弟子のことも、久作たちのことも受け入れた。今夜は久しぶりに父上と、久作も交えて、三太郎は酒を酌み交わした。
 三太郎は床に就いて、急に鷹之助が心配になってきた。
   「新さんが戻って来ないが、どうしたのだろう」
 思いあぐねて、一人で上方へいってみることにした。馬を買おうと思った二十五両を「当座の費用」と、小夜に渡し、明朝、旅発とうと決心したとき、新三郎が戻ってきた。
 話を聞いて一安心したが、今後のことが益々心配になってきた。

   「新さん、これから暫く、鷹之助の守護霊になってやってくれないだろうか?」
   「ようがす、鷹之助さんに憑いて、護ってやりやしょう」
 新三郎は、快く引き受けてくれた。恐らく、最初に憑いた「能見数馬」と鷹之助が同じくらいの年齢なので、思い出が重なったのであろう。

   「新さん、頼みます」
   「あいよ」

 三太郎と新三郎は、暫しの別れであった。

  第二十九回 暫しの別れ  -続く-  (原稿用紙14枚)

   「第三十回 三太郎の木曽馬」へ

猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二十八回 頑張れ鷹之助

2014-02-07 | 長編小説
 佐貫三太郎と、福島屋亥之吉、鵜沼の卯之吉は、揚々と引き上げてきた。途中で、「せめて親分に逢って行ってくれ」という卯之吉の誘いを辞退して「親分に宜しくな」と、別れた。
 亥之吉のお店に戻ると、亥之吉の女房お絹と三四郎が、気も漫ろで待っていた。お絹は亭主の元気な顔を見て、ほっとしているようであった。
   「この人には、ハラハラさせられどうしです」
   「亥之吉さんは、大そう強いから大丈夫ですよ」
   「わては、そこが心配なのです、生兵法は大怪我のもとと言いますやろ」
   「亥之吉さんは、ただ強いだけではなく慎重な男です」
   「そうでしょうか」
   「安心なさい、無茶はしませんよ、この男」
 亥之吉の店でも、「急ぎの用があるから」と、三太郎はその日の内に三四郎を連れて立ち去った。途中、両替屋に立ち寄り、上方の義弟、鷹之助宛に為替を送った。

 伊東梅庵養生所へは、中岡慎衛門とお樹(しげ)夫婦に、将軍様よりの賜りものの切り餅(二十五両)を一つ届けて、再び正式に佐貫家の養子に入り、佐貫三太郎の名を緒方梅庵から貰ったことを伝えた。
 慎衛門と二人きりになったところで、三太郎は慎衛門に糺した。
   「慎衛門おじさん、これはおじさんと俺だけの話だが、緒方梅庵は、本当はおじさんの子供ではないのかい」
 慎衛門は、サッと顔色を変えた。
   「何を言っているのだ、そんな馬鹿なことはない」
   「おじさん、梅庵先生は、相当前から気付いていたみたいですよ」
 三太郎は、「俺も、梅庵先生も、口が裂けても漏らしはしない」からと、慎衛門に信じてほしいと話した。
   「そうか、梅庵は感付いていたのか」
 慎衛門は、決心したように少しずつ打ち明け始めた。慎衛門と梅庵の母上は、幼い頃からの友達で、十代前半のころにお互いの心に恋が芽生えた。だが、娘の両親のたっての願いで、佐貫慶次郎と祝言を挙げさせられたが、その時には既に梅庵を身篭っていたのだ。二人で死のうと申し合わせたがその期を逃し、梅庵が生まれてしまった。
 梅庵が四歳になったとき、ひょんな事から二人の姦通の噂を立てられ、怒った佐貫慶次郎は、妻を手打ちにしたが、慎衛門はどうしても打ち明けることが出来ずに江戸へ逃げてきてしまった。
 慶次郎は、親友の慎衛門が無実だと信じて江戸へ慎衛門を探しにきたが、慶次郎は銭のために関わったヤクザの喧嘩で、無実であったが人殺しの罪を着て島流しの刑になった。
   「おじさん、やはりそうだったのですね、打ち明けてくれて有難う」
   「梅庵先生にも打ち明けるべきだろうか」
   「今はまだ二人だけの秘密にしておきましょう、おじさんの胸の蟠りが、少しでも軽くなったらそれでいい」
   「三太、有難う」
   「三太郎です」


 上方の儒学塾である天満塾の程近くに、読み書き算盤と初歩の論語を教える鷹塾がある。生徒は、寺子屋には行けない庶民の十歳以下の子供たちだ。別段、庶民だけと決めている訳ではないが、侍の子は、まだ十代前半の先生が教える私塾など、馬鹿にして親が通わせないのである。

 謝儀(しゃぎ)と呼ばれる授業料はただで、月並銭(つきなみせん)と呼ばれる毎月収める参加料のようなものは、一応、二八蕎麦(にはちそば)一杯分の十六文としているが、それさえも納める事が出来ない子供には請求することはない。そのかわりと言って親が気遣って葱やホウレン草などを一握り、味噌や川で採ったお椀に一杯の蜆などを持たせてくれるのが有難い。鷹塾とは、佐貫慶次郎の実の息子、佐貫鷹之助の私塾である。

 放置されて廃屋になっていたボロ家を借り受け、三太郎に貰ったお金で、何とか住めるくらいに修理して貰った鷹塾で、今日も昼下がりから算盤(そろばん)をはじく音がしている。年嵩(としかさ)の多い子供だろう、五人固まって大声で割り算の九九を唱えながらパチパチとやって、「御明算(ごめいさん)」などと、声を発している。割り算の九九とは、二の段なら「二・一天作(にいちてんさく)の五、二進の一十(いんじゅう)」。三の段なら「三・一、三十一、三・二、六十二、三進の一十(いんじゅう)」というもの。

 鷹之助先生はといえば、小さい子供に習字をさせている。算盤は鷹塾に五台しかないので、交代使用をしているのだ。

 子供たちは十七人居るが、その内に女の子は一人も居ない。「女に学問は要らない」という風潮の所為だろう。
   「鷹之助先生、太郎吉が紙の上に墨をこぼした」
   「紙は大切な物だから、捨ててはいけません、先生が小川で洗ってきます」
   「先生、わいの名前が書けました」
   「魚屋の太助か、みごとに漢字が書けましたね」
   「へえ、持って帰って、お父ぅと、お母あに見せてやります」
   「それが宜しいですね、ご両親は喜びますよ」
 そう言えば、大工の又八のお父さんが、「大工の小倅が、すらすらと字が書けるようになった」と、大そう喜んでいたことを鷹之助は思い出した。例え殆どがカナ文字であっても、自分の思いが文字で残せるのは、当の又八にとっても余程嬉しいのであろう。塾のある日は早くから来て、掃除などをしてくれ、鷹之助を兄のように慕っていた。

 鷹之助の一日は、早朝天満塾に登塾すると、掃除をして開講を待つ。午(うま)の刻半(12時)には講義が終わるので、他の塾生と共に掃除をして帰宅する。戻ると独りで食事を作り、食べ終わる頃には、鷹塾の塾生が来る。ここから一時(いっとき=2時間)教えて、遅くとも夕暮れの半時前には家に帰す。夜は、昼に作った食事の残りを食し、一時(いっとき)は塾で借りてきた本を読んでいる。鷹之助の至福のひとときである。

 その日の朝、鷹之助が天満塾に登塾すると、塾の管理人のおばさんに声をかけられた。
   「佐貫さん、お手紙が届いておりまっせ」
   「有難う御座います」
 受け取ってみると、差出人は佐貫三太郎になっていた。
   「はて、この三太郎は、兄の緒方梅庵なのだろうか」
 それとも、もと義兄の三太であろうか、思案しながら手紙を開くと、為替と書状が入っていて、「前略、吾は三太にて候、この度、晴れてそなたの義兄に返り咲き候、名は緒方梅庵師匠より佐貫三太郎の名を頂戴致し候」と、あった。「同封の為替は、ある事件の収拾に貢献した功により、将軍様より賜りましたものの一部、貴殿も上様に感謝して、心おきなくお使いくだされたく候…」
 為替の額面は二十五両であった。これを両替屋に持参すると、手数料は送り主が払っているので、額面どおりの一分銀百枚が受け取れる。鷹之助は、その場には居ない三太郎に深々とお辞儀をして、心の篭った励ましの書状と、為替を押し戴いた。


 帰途は、浩太の両親に金を届けるために、東海道回りをとった。三四郎を人買いに売り飛ばした叔父の家の傍を通るが、三四郎は叔父に逢いたくないと言った。殺されて肝を抜かれた筈の三四郎(当時は亀吉)には、当の叔父も逢いたくはないだろう。

 これと言って変わったこともなく、腕白坊主の三四郎には、退屈な旅が続いた。箱根の宿で旅籠を取り、夜に外湯の硫黄温泉とやらに、三太郎は三四郎を連れて出かけてみた。いろいろ温泉の効能が記されていたが、特に眼の煩いには効くのだそうである。
 それは、眼が赤くなり目脂が瞼を塞いでしまうような、現在で言うトラコーマのような病気であったろう。湧き出た硫黄を含む鉱泉が、眼に感染した菌を抑えたに違いない。
 三四郎は、温泉は楽しいのだが、硫黄の臭いは好きになれないらしかった。
   「三四郎、足の傷にも良いらしいぞ」
 三四郎の足は、引っ掻き傷だらけである。
   「痛てぇー」
 どうやらこの温泉は、三四郎には苦手になったようである。ところがどうだろう。傷を負うと、すぐに膿んでいた三四郎だが、偶然なのかも知れないが、二日目の朝には、きれいに治っていた。

 草津の湯といえ、箱根の湯といえ、病気や膿んだ傷口を治す力を持っているようだ。いつだったか、以前に持ち帰った湯の華だ、この温泉で採取した硫黄を持ち帰って、試してみようと思う三太郎であった。
   「先生、子供の行き倒れが居ます」
 草叢に小便をしに行ってきた三四郎が告げた。三太郎が草叢に分け入ってみると、成程子供が倒れている。そっと近付いた三太郎が、「まだ息があるぞ」と、叫んだ。
 近くに使っていないらしい物置小屋があったので、子供を抱えて小屋に寝かせた。三太郎が子供の体を摩っている間に、命令した訳ではないが三四郎は三太郎の荷から火打石をだして貰い、手早く火を熾した。
 竹筒の水を火の傍に置いて、少し温まったくらいの湯を、子供に飲ませた。子供は、四・五歳の男の子で、三太郎が緒方梅庵と出会った自分と同じくらいであった。
   「親はどうしたのだろう」
 三太郎が小屋から出て、回りを探してみたが見つからなかった。
   「この子も捨て子だろうか」
 やがて子供の意識が戻ったので、三太郎はこの子を背負って旅籠に連れていった。粥を作って貰い啜らせると、驚くほどたくさん食べた。
   「お父っつぁんとおっ母さんは何処に居るの」
 落ち着いた子供に、三四郎が訊いた。ゆっくりだが、はきはきと喋る子供であった。
   「おっ母は死んだ、おっとぉは、でかけた」
 よく訊いてみると、父は山で薪を拾い集めて、旅籠などへ売り、食を繋いでいたらしい。その父が、「薪を売ってくる」と出かけたまま、もう二日も帰ってこないのだ。腹が減り、父親を求めて住処(すみか)を出て彷徨(うろ)ついているうちに、力尽きて意識をなくしてしまったらしい。
 さかんに周りを見て「おっ父ぉ」と叫ぶ子供を、思わず抱きしめて、「おっ父ぉは、おじさんが探してやる」と、励まし続けた。
   「おいら三四郎って言うのだ、お前の名前は」
   「新吉」
   「歳は」
 新吉は、右手の指を開いて三四郎に見た。
   「そうか、五歳か」
   「うん」

 三太郎は、新吉が倒れていた位置から新吉を背負って奥に入っていった。暫く歩くと掘建て小屋が丘の斜面に立っていた。新吉は指をさした。あの小屋に父と二人で暮らしていたらしい。
 小屋の中に入ってみると、物が乱雑に置いてあり、二尺高くなった板の間に煎餅布団が敷いてあった。
 父親が戻った気配はなく、食べ物は何もなかった。新吉はここでひもじい思いをしていたのだろう。
   「おっ父とぉを探しにいこう」
   「うん」

 薪を拾いに行くといったのならば、ここから奥の山に向かったのだろうが、薪を売りに行くと小屋を出たのであるから、旅籠や店が並ぶ人家の多いところに向かったのであろう。三太郎は再び新吉を背負って、父親を探しに出かけた。人家を回り、薪売りの男のことを尋ねると、誰もが知っていたが、ここ二・三日は見かけていないとのことであった。
 それでも、旅籠の使用人や、店主に尋ねまわること半時、消息を知る者が現れた。
   「その男なら、縄で縛られて役人に連れて行かれるのを見た」
 よく訊いてみると、薪が売れずに困り果て、八百屋の店先の芋を持って逃げようとしたところ、八百屋の店主に見つかり取り押さえられ、役人に引き渡されたそうだ。
   「代官所へ行ってみよう」
 代官所では門前払いを食わされ、新吉の父親がここへ来ているかどうかも教えてくれず、途方に暮れているところへ、以前、上方の診療所に入所していた患者が声をかけてくれた。
   「三太先生では御座らぬか」
   「あっ、あなたは矢川千之助どの」
   「その節は、大変お世話になり申した」
   「傷の痛みはとれましたか」
   「先生の蘭方医学のお陰で一命を取り留め、痛みも無くなり申した」
   「それは良かった」
   「ところで先生、代官所に御用向きでも」
   「旅の途中で、倒れているこの子を見つけまして…」
 三太郎が知り得たこの子の父親らしい男が、芋を盗んで二日も捕らえられているらしいと話した。
   「この子の名は」
   「新吉といいます」
   「父親の名は」
 子供に尋ねたが、「おっとお」としか呼んだことがないらしく、いくら尋ねても「おっとお」と、答えるばかりであった。

   「三太先生、ちょっとここでお待ちくだされ」
 矢川は、潜り戸を開けさせ、中へ消えた。
   「お待たせした、どうぞお入りくだされ」

 新吉の父親は、無宿人であることと、引受人が居ないことで放免されなかったそうであった。
   「拙者が引受人になりましょう」
   「宜しいのですか、まだ逢った事もない無宿人を信じて…」
   「この子は、父親が戻らないので命を落としかけたのです、この子の為です」
   「わかりました、お代官にお会いくだされ」

 三太郎と三四郎、そして新吉は取調べの場に導かれた。新吉は父親の顔を見て喜んだ。
   「わたしは信濃の国は上田藩士、佐貫慶次郎が一子、佐貫三太郎と申します」
   「おお、上田藩の佐貫殿のご子息か、存じておるぞ」と、お代官。
   「恐れ入ります」
   「そなたがこの者の引受人になると申すか」
   「はい、身柄をお引き受け致しましょう」
   「分かり申した、そなたに引渡す、されど罪は罪、一両の科料を納めて貰うところだが、その責は免じよう。
   「有難う御座います」
 矢川千之助が男に「良かったのう」と、肩を叩きお縄を解いてやった。
   「新吉の命を救って頂き、見ず知らずのわしにもお情けを、有難う御座いました」と、男は三太郎に深々と頭を下げた。

   「ところで、まだそなたの名前を聞いていなかったが…」
   「久作と申します」
   「久作さん、これからどうされますかな」
   「この罪が知れ渡ったら、もう薪は買ってくれません、他の土地へ移ります」
   「久作さん、馬は扱ったことがありますか」
   「はい、子供の頃に馬子をやっておりまして、馬の扱いは慣れております」
   「そうですか、私は信濃の国は上田藩の佐貫慶次郎の倅で、三太郎と申す、この子は三四郎で、私の弟子です」
   「いずれはお医者様になられるのですね」
   「はい、さらに私が独り立ちしましたら、私の養子にする積りです」
   「宜しゅう御座いますね、三四郎さま」
 三四郎は、もう新吉と仲良くなったみたいで、大人の話など聞いていなかった。
   「久作さん、信州の私の屋敷に来て、馬の世話をしてくれませんか」
   「えっ、宜しいのですか こんな泥棒がお屋敷に行って」
   「泥棒などと、もう口にしないでください、腹を空かせた新吉さんの為に、つい出来心でやってしまったのでしょうから…」
   「有難う御座います、親子共々お世話に成りとう御座います」
   「三四郎、たった今から新吉さんはお前の弟だぞ」
 三太郎の言葉に、三四郎は満面の笑みを浮かべて「はいっ」と、弾んだ声で答えた。いつもなら、「うん」なのに…。

 三太郎、三四郎、久作、新吉の四人連れの一行は、信濃の国を目指して旅立った。
   「よーし、母上の土産にと思った二十五両で、馬を買おう」
 母上への土産は、近江の町で反物を買って帰ろうと思う三太郎であった。

  第二十八回 頑張れ鷹之助  -続く-  (原稿用紙20枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二十七回 十九歳の御老公

2014-02-03 | 長編小説
 水戸街道は日本晴れであった。 三太は、浩太と、亀吉を従えて、水戸のご隠居きどりである。
   「助さん、格さん、そろりと参りましょうか」
   「はぁ?」
   「風車の弥七、柘植の飛び猿、かげろうお銀、うっかり八兵衛も支度はよろしいかな」
   「それ、誰のことですか」
   「中乗り新三なら、これに控えておりますぜ」
   「がくっ」

 水戸と言えば、水戸の御老公、天下の副将軍、徳川光圀の諸国漫遊が有名だが、あれははっきり言って嘘である。 漫遊と言っても、水戸藩の領地内の農家とまりである。
 その漫遊中の御老公が、喉が渇いたので立ち寄った農家で、老婆に水を所望した。 待つ間にそこにあった米俵に腰を下ろしたところ、水を持って出て来た老婆に「ご領主さまか、もしかしたら将軍様が食されるかも知れぬ米の俵に腰掛けるとは何事か」と、叱られるという逸話があるが、これも作り話だろう。 例え気紛れな漫遊でも、家来の十人位は従えていただろうし、身形も普段着とは言え、葵の御紋が入った御大層なものであった筈だ。

   「これ浩太、この先の峠に茶店が見えよう、一休みして参ろうか」
   「はーい、団子、団子」
   「はーい、甘酒っ」
   「お前たちは、軽すぎていかん、御老公様それが宜しゅう御座いますと言いなさい」
 茶店の婆さんに、団子を三皿と甘酒三杯を注文しようとしたら、浩太が口を挟んだ。
   「御老公様、団子は五皿にしてください」
   「この大食いめ!」
 団子五皿が出て来て、三太が串団子を食べようとしたら、浩太がしゃしゃり出た。
   「ご隠居様、私がお毒見をしますので、お待ちください」
 一皿に団子を三個刺した櫛が二本乗っている。 その一本の櫛から、三太の団子が一個ぱくりと浩太に食べられた。
 二本目を食べようとしたら、今度は亀吉が、
   「ご隠居さま、お毒見です」と、またひとつはくりとやられた。
   「こらっ、この欲張りめ!」
 御老公ごっこなんか、するのじゃなかったと思う三太であった。

   「なあ、浩太、水戸へいったら、兄上の梅庵先生に就いて医者の修業に専念し、立派な医者になるか、俺に就いて、武芸を習いつつ、藪医者になるか、決めているかい」
   「三太先生は、藪医者じゃないよ」
   「じゃあ。俺に就くか」
   「いいえ、梅庵先生に師事します」
   「がくっ」
 亀吉はどうするか尋ねてみた。
   「三太さんに師事して、藪医者になります」
   「がくっ」

 次の日も、水戸街道は晴天だった。 いよいよ常陸(ひたち)の国へ入る御一行であった。


   「梅庵先生、三太只今戻りました」
   「これっ、ここでは三太ではないだろう」
   「あ、はい、数馬只今戻りました」
   「随分長い旅だったが、どこへ寄り道していた」
   「あっち、こっちです」
   「早く、この二人を紹介しないか」
   「あ、はい、大きい方が浩太で、小さい方が亀吉です」
   「浩太です」
   「亀吉です」
   「緒方梅庵です、よろしく、それで」
   「それでって」
   「それでは、どういう人なのか分からないじゃないですか」
 浩太は親に見世物小屋へ売られて、全身鱗の入れ墨をされた経緯を、亀吉は叔父に売られて胆を取られるところを助けた経緯を義兄に話した。
   「まだ子供なのに、辛い思いをしたのですね」
 三太は、義兄の梅庵に「二つお願いがあります」と、切り出した。
   「一つは、この浩太を弟子にしてやってください」
   「わかりました、浩太のことは私に任せなさい」
   「それからもう一つ、佐貫の父上が、私を佐貫の養子に戻したがっています」
 これは、佐貫の父上が、能見の父上に宛てた書状ですと、懐から取り出して義兄に渡した。
   「能見の父上より先に、わたしが読んでも構わないのですか」
   「はい、是非お願いします」
 梅庵は、しばらく黙して書状を読んでいたが、納得したようであった。
   「そうか、弟の鷹之助も、佐貫家の後継者になる気がないのか」
   「兄上に似ているのですよ」
   「武士が嫌いなところか」
   「頭が良いところもです」
   「数馬は世辞も言えるようになったのですね」
   「世辞ではありません、本心です」
 梅庵は、何か言いたげであったが、思い留まって口を噤んだ。 自分が佐貫慶次郎の子ではなく、中岡慎衛門の子供だと疑っていることを言いたかったのだろう。
   「わかった、私から能見篤之進殿にお願いしてみよう」
 梅庵は、「ふっ」と、思い付いたように亀吉を見た。
   「亀吉は、どうするのかね」
   「わたしの弟子になるそうです」
   「そうか、数馬も中々のものだ、きっと良い医者に育ててくれるでしょう」

 能見篤之進は、快く承諾してくれた。
   「わしの後は、長男の篤馬が継いでくれたし、この三太郎(梅庵)もわしの息子のようなものだ」
 梅庵は数馬よりも、もっと自分の息子に近い存在であろう。 なにしろ、亡くした次男能見数馬の記憶を引き継いでいるのだから。

   「分かり申した、数馬(三太)はお返ししましょう」
 しかも、
   「佐貫殿の書状に、承諾の暁には、三太では武士の名として相応しくないので、わしに名を付けて欲しいと書いてある」
 篤之進は暫く考えていたが、やはり「三太郎」が宜しかろうと呟いた。 三太郎は緒方梅庵の元の名前であるが、その継承者であるから、三太郎が尤も相応しいだろうとの結論であった。
 そこで問題は、三太郎の実の母、お民さんである。 三太郎に付いて信濃の国へ行ってくれるだろうか。 母お民に尋ねると、
   「三太、いや三太郎、わたしは能見様の屋敷に置いてもらいます」
 能見夫妻も、緒方梅庵も、お民に優しくしてくれる。 もう、これ以上遠くへは行きたくない様子であった。

   「これ三太郎、父上に孝行しなさいよ」梅庵は寂しさを堪えていった。
   「はい、鷹之助が儒学を納めて佐貫に戻るまで、しっかり忠義と、考行を尽くします」
   「三太郎、お民さんのことは、私に任せて置きなさい、佐貫の父上のことは確と頼みますぞ」
 緒方梅庵は、三太郎が頼もしかった。 やはり、武芸にかけては三太郎には敵わないと思う梅庵であった。
   「はい兄上、どうぞご安心ください」
   「弟子は、如何する」
   「わたしの弟として、佐貫の屋敷に居て貰います」
   「名前は、三四郎にするか、それとも佐助か」
   「あのー、小さい頃の鶏に拘っていませんか」
   「拘っている」
   「そうだ、もう一人の弟師が佐貫の屋敷に居たのだ、それが佐助です」
   「では、三四郎に決まりですな、おい亀吉、お前は今日から佐貫三四郎です」
   「まだ、父上の承諾を得ていませんよ」
 三太郎は、佐助と三四郎の名が、気に入っているようであった。

 これは、大きな事件を未然に防ぐことに助力して、将軍様に賜ったもののお裾分けですと、切り餅(二十五両)を篤之進に差し出すと、ことの他喜んで受け取ってくれた。 将軍様からの賜りものだと言うのが嬉しかったようだ。 篤之進は、早速神棚に捧げて、柏手をひとつ打った。

 浩太にも、切り餅を見せて、「これは、通称切り餅と言って、一分銀が百枚包んである、二十五両だ、これを浩太の実家に届けてやろう」と、三太郎が言うと、浩太は涙を流して喜んだ。 母と姉のお加代のことが気掛かりなのだろう。

 浩太は、その日のうちに緒方梅庵に付いて診療院へ行き、三太郎と三四郎は、三日間能見の隠居所に泊って帰っていった。 気丈に振舞っていたお民も、そっと袖で涙を隠して見送った。

 その数日後に、水戸藩から能見数馬(三太郎)に、使いが来た。 将軍様から水戸藩主に、三太郎が関わった事件の功績を知らせられたのだ。
 お使者に一部始終を打ち明け、三太郎は信州の上田藩士の養子になったことを告げると、お使者は大いに躊躇したが、残念そうに戻っていった。


 江戸に着くと、三太郎は亥之吉のお店(たな)福島屋に顔を出したくなった。 虫の知らせというものであろうか、店から亥之吉の女房お絹が、血相を変えて裸足で飛び出してきた。
   「お絹さん、どうしたのですか」
   「あれ先生、亭主が…」
 訴えようとするのだが、声が掠れて声にならない。
   「お絹さん、落ち着いて話してください」
 その様子を見ていた店の使用人が、店に入り水を持って出てきた。
   「おかみさん、お水をお持ちしました」
 お絹は、黙って受け取ると、一気に水を飲んだ。
   「先生、たった今、うちの人が天秤棒を持って、大江戸一家へ行きました」
 訊けば、地回りのやくざが、大江戸一家に殴り込みをかけるとの情報が入り、「あんたは堅気なのだから行ってはいけない」と、お絹が止めたのに、お絹の隙を見て飛び出して行ったと、語ってくれた。
   「よし、私に任せて置きなさい、必ず亥之吉は護ります」
 三四郎を福島屋に預け、三太郎は大江戸一家の場所を聞き、駆けて行った。

   「亥之吉さん、亥之吉さんは居ますか」
 大江戸一家のかどで三太郎が叫ぶと、若い衆が一人出て来た。
   「あんさん、どなたですか」
   「さっき、亥之吉さんがここへ来た筈です、佐貫三太郎が来たと伝えてください」
   「亥之吉さんとは、福島屋さんの事ですか」
   「そうです、福島屋亥之吉さんです」
 若い衆は奥に消えると、すぐに亥之吉と、卯之吉が顔をだした。
   「三太さんじゃないですか、どうしてここへ」
   「お絹さんに聞いてきたのですよ」
   「ちっ、お絹のヤツ」
   「お絹のヤツじゃないでしょうが」
 どんな事情があるか知らないが、堅気の亥之吉が、やくざの喧嘩に加担するとは、どういう了見だと、三太郎は亥之吉を叱った。
   「大江戸一家には、困った時に助けてもらいましたんや、それに…」
   「それに何ですか」
   「ここに世話になっている卯之吉は、わいの弟みたいなものですわ」
   「そうか、それは分かった、だが恩返しと、卯之吉さんを護るために亥之吉さんが喧嘩に加わるのは合点がいかない」
   「先生、わいはどうすれば良いのですか」
 そこへ、大江戸一家の親分が顔をだした。
   「先生、福島屋さんの用心棒ですかい」
   「いいえ、亥之吉さんの友人で、佐貫三太郎と申す医者です」
   「そうでしたか、今、亥之吉さんに手出しをしないでくれとお願いしていたところです」
   「わかりました、そう言うことでしたら、拙者が一肌脱いでこの喧嘩を止めましょう」
   「お独りで、ですか」
   「いえ、それでは恩返しをしたい亥之吉さんの立場がないでしょう」
   「亥之吉さんと二人で、ですか」
   「あと、卯之助さんをお借りしましょう」
   「三人で、逆殴り込みをかける気ですか」
   「そうです、事情は、道々卯之吉さんから訊きましょう」

 卯之吉の案内で、地回りの一家へ向った。 道すがら卯之吉に事情を訊くと、地回りが縄張りを広げる為に、いちゃもんをつけては、喧嘩を仕掛けてくるらしい。

   「そうか、卯之吉さんを信じよう」
   「亥之吉さん、棒を振り回したいのは分かるが、今回は拙者が合図するまでは手を出さないでください」
   「先生独りで大丈夫ですか」
   「大丈夫ですから、まあ任せなさい、卯之吉さんにも手伝って貰いますよ」

 ごろつき共は、鉢巻、襷、草鞋の紐を締めている者、長ドス抜いて、刀身に水を掛けている者、血に飢えた猛獣のような奴ばかりだった。
 三太郎は、少々揶揄(やゆ)ぎみに声をかけた。
   「たのもうー」
   「へっ 何者だ」
   「たのもうと申しておる」
   「兄貴、変なヤツが来ましたぜ」
   「大江戸一家が送り込んで来たのだろう」
   「お前ら、馬鹿か、たのもうと言ったら、親分に通すのだ」
 兄貴とよばれた男が三太郎の前に立った。
   「何をしに来た」
   「大江戸一家との喧嘩を止めに来た」
 親分らしいのが出て来た。
   「ちっ、大江戸一家のやつ、こんなケチな男を送り込みやがって…」
   「ケチなやつではない、佐貫三太郎という医者だ」
 親分らしいのは、三太郎を放り出すよう子分に命じていた。 二人の男が三太郎の両肩を掴みに来たが、三太郎に峰で打たれて、二人同時に倒れ込んだ。
   「やりやがったな」
 子分どもが三太郎を囲んだが、なお三太郎の素早い峰打ちで、子分どもは、バッタ、バッタと倒れていった。
   「人の話も聞かないで、まだ掛かってくるのですか」
 それでも、まだ性懲りもなく三太郎を囲む。
   「大江戸一家には、拙者より強いのがまだおりますぞ」
 三太郎の呼び声で、外に控えていた亥之吉と、卯之吉が入って来た。
   「こちらの天秤棒を持った男と小手調べしてみますか」
 木の棒ならたいしたことはないと侮ったのか、三人の男が亥之吉に掛かっていった。 亥之吉とても、三人や四人の敵ぐらいは「おちゃのこさいさい」で倒す。
   「亥之吉さん、仕方がありません、聞き分けのないこいつらを懲らしめてやりなさい」
 三太郎の口調で、水戸の御老公の真似をしているのが亥之吉には分かったらしい。
   「ははあ」
 バタバタバタと、あっと言う間に、三人の男が倒れた。
   「わかりましたか それともまだ懲りませんか」
 それでも、親分らしき男は、「やめい」とは言わない。
   「大江戸一家で、一番恐ろしい男が控えておりますぞ」
 三太郎は卯之吉を指したが、実は新三郎のことを言ったのだ。 卯之吉は、何をするのか分からないが、三太郎の真似をして印を結ぶと、一人の男が倒れた。 卯之吉が別の男に向かって印を結ぶと、またしてもその男が倒れる。 面白がってやっていると、親分らしき男以外は全部倒れた。 残るは一人である。
   「そなたが親分ですかな」おもむろに三太郎が言った。
 男は唖然として口も利けない。
   「さあ、殴り込みをかけるなら、拙者に付いてきなさい」
 残った親分らしき男も、その場にへたりこんでしまった。 もう、全員立ち上がろうとも、長ドスを掴もうともしなくなった。
   「大江戸一家を侮(あなど)ってはいけませんよ、分かりましたか」と、三太郎が諭すと、亥之吉が声を張り上げて言った。
   「ええい、この馬鹿者ども、こちらのお方を何と心得る、畏れ多くも…」
   「亥のさん、もういいでしょう」

   第二十七回 十九歳の御老公  -続く-  (原稿用紙21枚)

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