雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第五部 朝倉兄妹との再会(最終回)

2016-12-28 | 短編小説
(原稿用紙19枚)

   「和尚さま、寛延は放浪の身、住職に収まる器ではございません」
 お寺のご住職には、村々の長と相談をして、相応しい和尚さまに来ていただきましょうと、寛延は住職の願いをやんわり断った。寄り道ばかりしているが、自分は何れ朝倉辰之進を見つけ出して、庶民の子供を相手にした小さい道場と塾を併せ持った手習い塾を作りたいのだ。

   「和尚様、今夜はお亡くなりなられた草薙村の長(おさ)、吉兵衛さんの通夜に行って参ります」
 住職と夕食を摂ったあと、寛延は「深夜までには帰って参ります」と、出かけて行った。
   「本来なら、わしが行かねばならないのに、寛延、済まないなぁ」と、布団の中から出掛ける寛延の背に合掌した。

 その夜、寛延は明日執り行う葬儀の段取りをつけて、夜半過ぎになって寺へ戻ってきた。寺の門をくぐろうとして、寛延は立ち止まった。住職が一人しかいない筈の寺で、本堂に複数の人が居る気配がしたのだ。
   「もしやご住職がご遷化‥‥」
 不吉な思いが寛延の脳裏を横切った。だが、こんな夜更けに檀家の人が寺を訪れるだろうかと、訝しくもある。念の為、行き成り本堂へは行かず、裏口からこっそり入って様子を窺った。
 二人、町人の破落戸風の男がしゃがみ込んでひそひそと話している。その奥には柱に縛り付け猿轡を噛まされた八、九歳の男の子がぐったりしている。その形(なり)からして、恐らくは商家の子息であろう。
   「拐(かどわ)かしだな」
 寛延はピンときた。と、すれば仲間がまだ居る筈である。あと何人居るのかわからないが、きっと子供の家へ脅迫に行っているのであろう。寛延は躊躇わず木刀を手にして本堂へ飛び込んだ。
   「お前たちは阿弥陀様の御前で何をしている」
 不意をつかれて、男たちは一瞬驚きの形相を見せたが、相手が若造、それも寺の僧と知るや落ち着きはらって寛延に襲いかかってきた。
   「へん、坊主かい、驚かせやがる」
 寛延とて、腕には自信がある。負けずに前へ出て、八双に構えた。
   「坊主とは言っても、其処らの坊主とは違うぞ」
   「煩せえ、黙らせてやろうぜ」
 掴みかかった男を、寛延は横っ飛びで体を交わすと、男の手首を木刀で打ち据えた。悲鳴をあげると、負け犬のごとく寛延の傍から逃れた。
   「拙僧は、新免一刀流免許皆伝の坊主だ。お前らは心してかかって来なさい」
 もう一人の男に向かって、寛延は凛として言い放った。男は懐からドスを出したが、鞘を抜く暇もなく飛び込んだ寛延に手首を打ち据えられてドスを落した。
 男二人は、慌てて外へ飛び出し、寺の外へに消えて行ったが、恐らく親玉を呼びに行ったのであろう。寛延は柱に縛られた男の子の縄を解くと、住職の寝所へ連れて行った。
   「きっと助け出すから、温和しくここで待っていなさい」
 男の子は恐怖と疲れでぐったりしているものの、気は確りしていた。寛延は、子供に話しかけて、安心させようとした。
   「名は何という?」
   「庄吉です」
   「年は?」
   「九歳」
   「庄吉ちゃんの家は、お店かい」
   「三国屋という乾物商です」
   「いま、庄吉ちゃんのお店に、身代金を持って来させるために、投げ文をしに出掛けて行ったようだが、やがて戻って来るだろう」
   「おいらなんか拐かしたところで、旦那さまは一文も出さないだろう」
   「どうして?」
   「だって、おいらはおっ母ちゃんの連れ子だもの」
   「それで、お父っちゃんとは呼ばせてもらえないのかい?」
   「うん、」

 父親は、子連れの女に惚れて妻にしたが、やがて男児が生まれると、妻の連れ子庄吉を嫡子とする気が失せて、庄吉を長男と認めなくなったようだ。現に、庄吉を奉公に出すように妻を説得している最中だったと言う。庄吉も、母親と別れてお店を出る覚悟を決めた矢先のこの拐かしである。
 寛延は、阿弥陀像の御前で戦うのは些か躊躇われるので、外へ飛び出して男たちが引き返してくるのを待った。幸か不幸か、松ヶ枝に架かった十六夜の月が、群雲を拭って地上に煌々と光を降り注いでいた。

   「戻って来たな」
 男は四人に増えていた。寛延は、寺の門前に仁王立ちで男たちが近付くのを待った。
   「何だ、大の男が二人、あんな小僧に追っ払われたのか」
 親分格の浪人者が、二人の男を叱咤した。浪人一人と町のならず者三人、計四人組らしい。
   「へい、面目ねえ」
   「攫ってきたガキは百両に化けるのだぞ、それを放り出して逃げて来やがって」
 寛延は作戦をたてた。留守番役だった二人は、今も手が痺れている様子である。親分格の浪人は、先ず子分らしい町人の男に自分を襲わせるだろう。そうなると、この子分を倒す自信は大である。残るは、腕が立つかも知れない浪人との一騎打ちである。相手は真剣白刃、寛延は木刀である。白刃を木刀で受ければ木刀は真っ二つか、使い物にはならないだろう。寛延の策は、浪人が刀を抜かない間に攻め込むことである。

 案の定、浪人は顎で町人の男に「行け!」と、指示した。男は腰を低く落としてドスを寛延に向けた。そのすぐ後ろには浪人が腕組みをして控えている。寛延は木刀を上段に構え、先手を取って男に突進したかのように装い少し男の左に避けると、男は尚もドスの切っ先を寛延に向けて構えた。
   「とう!」
 寛延の木刀が男の肩先に入ったかのように見えたが、飛び込んで浪人の首根っこを打ち据えていた。浪人は「うっ」と呻いて前屈みになったその脳天を「ごつん」と木刀が捉えた。
 町人の男は一瞬唖然となった。気を取り戻して寛延に突進してきたが、寛延の振った木刀が半回転して男の後頭部を殴りつけた。
   「おぼえていやがれ、仕返しに来るからな」
 四人の賊は、捨て台詞を残して町とは反対の方角へ逃げていった。

   「庄吉ちゃん、もう大丈夫だよ、やがてお店の人たちが駆けつけてくるだろう」
   「来ないよ、今頃投げ文を破り捨て、店の者はみんな寝ているだろう」
   「いくら本当のお父っちゃんではなくても、心配して飛んでくるさ」
 たとえ義理とはいえども、妻とは血の繋がった子供、百両ぐらいは用意して飛んでくるだろうと寛延は高を括って待っていたが、来たのは母親一人であった。 
   「庄吉、庄吉は何処? 庄吉を返して‥」
 半狂乱で叫びながら、寺の門を潜って入ってきた。

   「おっ母ちゃん、おいらは此処だよ」
 庄吉も飛び出して行った。訊けば、主人は「金など一文も出せない」と、投げ文を無視して、店の者にも「構うな、放っておけ」と指示したようである。堪り兼ねた母親は、「自分を離縁してくれ」と叫び、飛び出して来たのだという。金は一文も持ち出せなかったが、拐かしの賊には、自分を売ってくれと願うつもりであったと言う。
 母親は、もうお店には帰れない。さりとて、実家に戻ろうとも世間の目を気にして置いては貰えないだろう。せめて庄吉だけはお店に帰して、自分は苦界に身を沈めるほかに手立てはないが、その代金は庄吉の命を助けてもらったお礼にしたいと寛延に訴えた。

   「庄吉はどうする?」
   「おっ母ちゃんの居ないお店には帰らないよ、おいらが働いておっ母ちゃんの面倒をみる」
 
 とにかく、今夜は二人を寺に泊めてやりたいが、生憎布団が無い。遠慮する母親を無理矢理寛延の布団に寝かせて、寛延と庄吉は本堂で将来のことを語り明かすことした。
   「俺は上州にある昌明寺という寺の寛延という僧であるが、赤城の勘太郎というやくざでもある」
   「変なの」
   「うん、変だよね」
 江戸で信州浪人の兄妹を探していることや、その人のもとで手習い道場を開くのが夢だと話して聞かせた。庄吉は、どこかのお店で年季奉公をして、いずれはお店を構えたいことなど、ぼそぼそと打ち明けあい、四人の賊が仕返しにくるだろうことを予測して、眠らずに夜を過ごした。
 夢は夢として、寛延はこの寺をほっぽり出して出て行くわけにはいかない。ご住職の介護も必要なのだ。
   「ところで、お坊さま、そのご浪人の名はなんていうのですか?」
   「朝倉辰之進さまで 妹さんはお鈴というのだが‥」
   「お鈴さん?」
 庄吉は、お鈴という名に心当たりがあるようだ。
   「一度おっ母さんが着物を縫ってもらった人が、確かお鈴さんと言っていたような‥」
   「その人のお兄さんの名は朝倉さまと言わなかったかい?」
   「知らないけれど、店の者がお武家の娘のようだと言っていた」

 夜が明けたが、庄吉のいう通り義理の父親も、お店の使用人も現れなかった。賊も羞恥心に屈したのか、仕返しに来なかった。寛延は、庄吉の母親がめざめるのを待って、お鈴という人のことを尋ねてみようと思った。

   「失礼かと思い、苗字までは訊かなかったが、三国屋のお店からそう遠くない長屋にお住まいだそうですよ」
 庄吉の母親は、「気品がある娘さんですよ」と、付け加えた。
   「拙僧が探しているお鈴さんかも知れないので、今日訪ねてみたいのですが、その長屋の場所を教えていただけませんか」
   「それでしたら、庄吉に案内させましょう。庄吉、お前知っているだろう。手代の巳蔵のおっ母さんが住んでいる権兵衛長屋だよ」
   「じゃぁ、おいらが案内する」
   「寛延さんが一緒なら、また拐かされることは無いでしょう」
   「安心してください。命を賭けても庄吉ちゃんは護ります」

 町へ出て、それでも半刻(1時間)は歩いただろうか、漸く庄吉が「間もなくだよ」と行く方角を指さした。権兵衛長屋への路地に入ると、井戸端で洗濯をしているおかみさん達に混ざって、若い女が藍微塵の縮緬お召しを洗っている。
   「お鈴さんだ!」
 寛延が、素っ頓狂な声をあげたものだから、おかみさん達の視線を一斉に浴びた。お鈴もまた大袈裟に驚いて見せた。
   「お鈴さん、お前さん坊主の知り合いがあったのかい?」
   「ええ、まあ」
   「おやすくないねぇ」
   「何を言っているのおばさま、お坊様に失礼ですよ」
 だが、寛延もお鈴も、喜び様は恋人のそれであった。

   「勘太郎、よく来てくれた」
 長屋の家の中で、傘張り内職をしていた朝倉辰之進も、満面の笑みで寛延を迎えてくれた。長屋で傘張りとは、落ちぶれ果てたのであろうが、寛延は落ちぶれ果てた辰之進しか見ていない。内心「変わっていないなぁ」と、安心した寛延であった。兄妹揃って、元気そうなのが何よりなのだ。
   「今日はこれで帰りますが、おいらは明日から道場を開く場所を探しますよ」
 辰之進に言って別れたが、寛延には漠然とした自信があったのだ。

 その夜、思いがけない人が大徳寺の門を叩いた。
   「あっ、曹祥和尚どうしてここへ?」
 紛れもなく、板割の浅太郎だ。
   「勘太郎、この寺の和尚に成っていたのか」
   「いいえ、私は一介の流浪僧で、和尚と呼ばれる身分ではありません」
   「私は、檀家に背中の入れ墨がばれて忌み嫌われ、仙光寺を後にしてきた」
   「ちゃんと得度した僧の過去がどうであれ、追い出すなんて‥」
   「いや、追い出されたのではなく、拙僧が逃げてきたのだ」
 曹祥が大徳寺を訪れたのは偶然であった。陽も暮れ、本堂の隅でも借りようと立ち寄ったのだ。信州では、国定の忠次郎親分が何者かに売られて、代官殺しの罪でお縄になったそうである。恐らくは既に仕置きされ、その命は露と消えたであろう。
   
 寛延の頭に、ある思いが涌いた。いずれ曹祥にこの寺の住職になって貰うのだ。当座は庄吉母子にもこの寺に居て貰うが、いずれは三国屋の主人を諭して、庄吉の母親だけでも元の鞘に戻したいのだ。
 庄吉の心は致命的に傷ついている。もはや店に戻るとは言わないだろう。庄吉の将来も寛延が見るつもりである。

 翌日から、寛延は町中を歩き回り、廃屋となった寺や屋敷を探しまわった。一月ほど経て、漸く一軒の武家屋敷が無人になっているのを探し当てた。元の住人が首を括り、その幽霊が出るという曰くつきの屋敷を持ち主に掛け合い、安い家賃で借り受け、手を加えて道場とは程遠いものが完成した。とはいえども、この屋敷で竹刀を振り回すと床が抜けそうである。もっと頑丈にするまで、道場は辰之進に待って貰い。お鈴と二人で手習い塾を開いた。当座は二人とも通いであるが、何れは辰之進らとともにここに住むつもりである。
 場所が町なかで良かった所為か、寛延の呼び掛けが功を奏したのか、町人の子供がひとり、また一人と増えて何とか塾らしいものになっていった。
 その矢先、寛延が仕事を終えて大徳寺に戻ってくると、住職の顔に白い布が掛けられていた。寛延はひととき住職の亡骸に涙を零していたが、思い切るように通夜の準備を始めた。その間、曹祥は経を読み続けてくれた。

 それから一ヵ月ほど経ったある朝、想定外の男が大徳寺を訪れた。三国屋の主人だ。女房に帰ってほしいと懇願していた。新しい女を引き入れる為に、身を粉にしてよく働いていた女房をほうり出したという悪い噂が立って、客が減ったのが原因らしい。
 もちろん、主人が寛延に一言の礼も言わないのを気遣ってか、女房は頑として首を縦に振らなかった。だが、寛延と、庄吉の勧めがあって、母親の方はなんとか帰る決心をしたが、庄吉の心は冷めていた。
   「おいらはここに居て、寛延さんの弟子にして貰う」

 曹祥の過去を包み隠さず話して檀家を説き伏せると、大徳寺を曹祥に任せて寛延と庄吉は手習い塾へ移った。その塾の名を、「昌明寺手習い指南所」として、朝倉辰之進の名を出さなかったのは、彼の叔父の立場を考えてのことであった。
 「町人も文字の読み書きぐらいは出来るべき」という風潮も起こり、入門料や謝儀はとらず、月極銭も他の寺子屋の半分以下だった為に塾生が増えていった。また、依然として女に学問は不要という風潮も根を張っていたので、お鈴が裁縫や行儀作法を教えることで、親御も抵抗なく女子児童を通わせた。男子の希望者には、護身術として剣道を教えたところ、これが意外と人気になり、課外指南として児童には寛延が、大きな子供には、朝倉辰之進が指南に当たった。

 ある日、塾に思いがけなく辰之進の叔父が訪れた。信州の辰之進が仕えていた藩から使いが来て、罪を許すから藩に戻れとの達しであった。大いに躊躇した朝倉辰之進であったが、「丁重にお断りしてくだい」と、叔父に伝えていた。叔父は落胆したものの、子供たちに剣道を教えている甥の生き生きとした姿を見て、諦めて戻って行った。その背中に、辰之進は手を合わせていた。

 その後、しばらくして塾の名が、「朝倉手習い指南所」と、変わった。 -終-

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜
   第五部 朝倉兄妹との再会(最終回)


猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第四部 江戸の十三夜 (原稿用紙16枚)

2016-10-14 | 短編小説
 三国街道から中山道・高崎の宿に入った。勘太郎は、何やら不安に捉われている。朝倉辰之進の考えが甘い。江戸の叔父を訪ねたところで、果たして匿って貰えるのだろうか。叔父は南町奉行所の与力だと辰之進は言っていた。与力であれば、国元で罪を犯した甥を匿うであろうか。寧ろ捕えて国元へ送り返すかも知れない。妹のお鈴には咎はないとはいえ、咎人の妹である。匿えば咎人の辰之進が訪れたことを国元に知られることになる。叔父は恐らく二人を追い返したであろう。それが血を分けた肉親へのせめてもの温情というものである。

 しかし、二人の消息を知るために勘太郎は辰之進の叔父を訪ねねばならない。わが身の形(なり)と言えばしがない旅鴉さながらである。これでは、自分さえも玄関払いを食うだろう。勘太郎は、僧侶寛延に戻ろうと考えた。まんざら成り済ましとも言えないであろう。
 江戸へ入る手前の宿、板橋の古着屋で網代笠(あじろがさ)、墨染の直綴(じきとつ)などを買い求め、いが栗頭の坊主になった。

 江戸に着いた。南町奉行所の門前で合掌して経を読んでいると、門番が気付き声をかけてきた。
   「御坊、奉行所に何かご用がおありか?」
   「はい、与力の朝倉様にお会いしとう御座います」
   「御坊のお名前は?」
   「上野(こうずけ)の国は昌明寺の僧、寛延と申します」
   「その寛延どのが、朝倉さまへのご用向きとは?」
   「旅先でお会いしました甥御さまの行方をお尋ねしたくて参りました」
   「さようか、暫くお待ちを」
 わりと丁重な扱いに、勘太郎は坊主として訪れたことは成功だったとほくそ笑んだ。暫く待たされて、門番が肩衣と袴姿の初老の武士と共に姿を現した。
   「こちらの御坊が、朝倉辰之進様にお会いしたいとのことです」
   「上野の国、昌明寺の僧で寛延と申します」
 勘太郎は丁寧に頭を下げた。
   「拙者が朝倉ですが、甥の辰之進とは縁を切っており申す」
   「では、妹御のお鈴さんはどうされました?」
   「辰之進ともども追い返した」
 勘太郎は、惨い男だとこの与力の目を見たが、意外と優しそうであった。やはり、事情が事情だけに、追い返さざるを得なかったのであろう。
   「お二人は、どこへ行かれるかはお告げになりませんでしたか」
   「言わなかったが、行く当てはあるように思えた」
   「そうですか、拙僧にも心当たりが御座います。そちらに行ってみましょう」

 丁重に礼を述べて、南町奉行所の門から離れた。しばらく行って振り返ると、与力の朝倉は門前に立って勘太郎を見送っていた。冷たくあしらったが、やはり甥と姪のことが気掛かりなのであろう。兄妹に会って、事が一段落したらこっそりと伝えてやろうと思う勘太郎であった。

 北町奉行所には、親友だと言っていた若き与力北城一之進が居る。兄妹も恐らくそちらに行ったに違いない。だが、若造の頃に道場へ通った仲とは言え、兄妹が頼って行ったところで、迷惑に違いない。こちらも追い払われて、どこかで長屋暮らしでもしているのだろうと勘太郎は特に妹のお鈴を気遣った。

   「北城一之進様にお会いしたいのですが‥」
 門番は訝しげに勘太郎を舐めるように観察した。
   「与力の北城一之進様か?」
 他に与力でない北城一之進がいるのかと言葉を返したかったが、勘太郎は慎んだ。
   「はい、左様に御座います」
   「そなたは?」
   「上野の国は、昌明寺という寺の僧侶に御座います」
   「どのような用であるか」
   「ちと、お尋ねしたい向きが御座いまして…」
   「どのような?」
 この門番、役目とは言え執拗に下問を繰り返すので、勘太郎は少々焦れて来た。
   「それは、北城一之進様に会って、直にお尋ねします」
 門番も腹を立てたのか、ムスッとして奥に入った。勘太郎を追い返したかったが、そうすると上司である北城に叱られるかも知れないと思ったのであろう。

   「お待たせした、それがしが北城一之進でござる」
   「初めてお目にかかります、拙僧は上野の国にある昌明寺の僧侶、寛延で御座います」
   「で、拙者への用向きとは?」
   「朝倉辰之進様が、あなた様を訪ねて参りませんでしたか?」
   「朝倉辰之進だと? そんな男は知らぬ」
   「子供の頃、剣道の道場で共に修行したご朋友ではありませんでしたか?」
   「確かにその頃に朝倉辰之進と申す友が居たが、上司を斬って遁走するような男ではなかった。人違いであろう」
 この人も、辰之進の叔父と同じく、辰之進の所行を知っていて、立場上辰之進を受け入れることが出来ないのであろうと、勘太郎は一之進の心中を察した。
   「よく分かりました、ご公務中にお訪ねしまして、申し訳ありませんでした」
 勘太郎は丁重に頭を下げて、北町奉行所をあとにした。

 江戸は広い。勘太郎一人で師・朝倉辰之進と妹のお鈴を探すのは難しいだろう。今は諦めて、自分の生きるすべを模索しなくではならない。さりとて浮浪者同然の自分に、おいそれと仕事が見つかるとは思えない。勘太郎は「やはり坊主に戻ろう」と思った。

 江戸市中(市街地)の寺々を見つけてはあたってみたが、住職は勘太郎の頭から足先までジロジロと観察するばかりで、勘太郎の願いを聞く耳は持っていなかった。どうせ偽坊主で、「碌に経も読めないのだろう」と疑ってかかるだけである。

 勘太郎はがっかりであったが、心が折れることなく町外れの寺も当たってみた。黄昏が迫る頃、草木に隠れてしまいそうな小さな寺を見付けて、せめて一夜の寝泊まりなとも願ってみようと立ち寄ってみた。
 扁額(へんがく)に大徳寺と記された寺の門前に立って声をかけてみたが応答がない。そうかと言って、無人の寺でもなさそうでる。一応掃除がされていて、けっして荒れ放題というものではない。まだ日が暮れたわけではないので燈明は灯ってはいないが、わずかに生活の匂いがしている。勘太郎は本堂の裏へ回り、「御頼み申す」と、声高に言ってみた。

 本堂の裏戸を叩いていたら、後ろの藪から不意に声が聞こえた。
   「どなたじゃな?」
 意外なところから出て来たので、勘太郎は振り向いて飛び上がらんばかりに驚いた。その動揺が少々照れくさかったので、出て来た僧の顔も見ずにただお辞儀をして、動揺が治まるのを待った。
   「わしはこの寺の住職じゃが、どなたで、どちらからみえられた?」
   「はい、わたしは上野の国は赤城山の麓、昌明寺の僧、寛延と申します」
   「え? 何と申したのじゃ?」
   「上野の国、昌明寺の僧寛延と申します」
   「上野の‥?」
 勘太郎は、この年老いた僧は耳が遠いのだと察し、失礼のない程度に近くに寄り、大きな声を張り上げた。
   「はい、上野の国、昌明寺の僧、寛延で御座います」
   「おゝ、それは遠くから来られたのじゃな」
   「人を探しに江戸へ参りました」
   「それは、ご家族の人か?」
   「いえ、我が剣術の師に御座います」
   「僧侶の身で、剣術の修行をしておるのか」
   「はい、剣術を修行して、ゆくゆくは庶民の子供相手の文武私塾を開きたいと思っています」
   「庶民には、文はともかく武は不要であろう」
   「武は攻める武ではなく、身を護り躰を鍛える武であります」
 住職は、納得が行かないようであったが、それ以上の問いかけは止めた。
   「この寺へ来る人は、近村の婆さんが野菜や米を持ってきてくれるぐらいで、旅人は幾久しく来てはおらぬ」
   「此処へ参ったのは、その儀では御座いません。今夜一夜だけでも、宿を賜りたくて参りました」
   「年寄りの独り暮らしなので碌なお構いは出来ないが、どうぞご遠慮されずともよろしい」
   「有難う御座います」
   「食事は、大根の粥。それに寝具は死人を寝かせるための布団しかないが、それで良ければ歓迎申す」
   「もったいない、それで充分で御座います」

 お礼に、今夜の食事は勘太郎が引き受けた。割った薪がきれていたので、勘太郎は薪割りから始めて、葉の付いた大根と米を一握り使って、大根粥と大根葉の煮浸しを作った。湯を沸かせて、住職の躰と自分の躰を拭き、本堂にお燈明を灯した。
   「本堂にお燈明を灯したのは久しぶりである。仏さまもさぞお喜びであろう」
   「和尚は灯さなかったのですか?」
   「手元が心許なくて、蝋燭に火を点せなくてなぁ」
 今まで気付かなかったが、住職の手を見ると少し震えていた。歳の所為で、血の流れが悪くなっているのだろうと勘太郎は思った。
   「和尚様、もし宜しければ、明朝のお勤めから、食事のご用意、お掃除も私にやらせて頂けませんか?」
 和尚は、勘太郎のその言葉を喜んだ。心許ないどころか、大きな不安さえ抱えていたのだ。その日から、勘太郎は昌明寺や辰巳一家で働いてきた腕を活かして、バリバリと働いた。朝のお勤めを果たすと食事の用意、昼間は近隣の村に出向き、「今度、大徳寺に参りました寛延と申す僧です」と挨拶をして、修行僧のように経を読んで回った。

 法事があれば、勘太郎が独りで進んで出かけて行った。最初は、「寺を乗っ取りにきたのでは」と噂されて敬遠されたが、勘太郎の人柄の良さが伝わり、やがて近隣の村でも受け容れられるようになった。
 寺で葬儀が行われると勘太郎は僧になり、葬儀が終われば寺男に早変わり、夜は住職の按摩を終えると、提灯を下げて墓守に変わる。骨身を惜しまず、勘太郎は徳大寺のために働くのであった。

 この寺に来て、一年の歳月が過ぎた。しばらく床に就いていた住職が、勘太郎を枕元へ呼んだ。
   「寛延、わしはもう長くはない。どうかわしの願いを聞いておくれ」
 痩せた白い手で、勘太郎の手を探した。勘太郎が住職の手を握ると、このまま、この寺に居て、住職を継いでほしいと言う。
   「昨夜、阿弥陀様がわしの枕元にお立ちになられた」
 そして、「長い間ご苦労であった」と、お労いになられたと言うのだ。それは取りも直さず、近々お迎えがくると言うことであると、住職は語った。


   「兄上、着物の仕立て賃を頂戴しましたので、今日はお酒を買ってまいりました」
   「ほう、これは有難い。お鈴には苦労ばかり掛けて申し訳ない」
   「何を仰います。こればかりの事では苦労とは申しませんよ」
 朝倉辰之進は、長屋で「剣道指南」の看板を揚げたが、子供に剣道を習わせる親など長屋には居なかった。今は、お鈴の着物の仕立てでその日暮らしをしているが、辰之進はやくざの用心棒でもしようかと思っている。それを必死に留まらせているのはお鈴である。
   「お前も、やくざの世話になっていたではないか」
   「だから言っているではないですか。やくざが縄張り争いや博打に明け暮れて、人を殺すのをこの目で見て来たからです」
   「国定忠治親分は、お前を護ってくれた」
   「忠治親分だって、他の親分衆とどこに違いがありましょう。いつかお縄になって島送りか、三尺高い杉板の上に晒されるでしょう」
 お鈴は身形を正し、兄辰之進の前に正座をした。
   「兄上、今日こんな話を聞いて参りました」
 辰之進は、お鈴が何を言い出すのかと、不安げに耳を傾けた。
   「若い女は、岡場所に高く売れるのだそうです」
 辰之進の不安が当たった。
   「だから?」
   「わたくしを売ってはくださいませんか」
   「何を言い出すかと思えば、お鈴、お前はこの兄が妹を売ると思うのか」
   「思いません。だからお願いしているのです。このままだと、共倒れになってしまいます」
   「共倒れになるくらいなら、俺は用心棒になる。お鈴は高望みをせずに、手に職をもった町人の妻になれ」
   「お願いです。わたくしを売って、小さいなりとも町に道場を持ってくださいませ」
   「嫌だ、お前を犠牲にしてまで、道場を持ちたくはない」
 勘太郎は、今頃何処で何をしているのだろう。今夜は十三夜である。この月を勘太郎も見ているのかなぁと呟いて、辰之進は久しぶりの酒を「ぐい」と飲みほした。  -最終回に続く-

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜
   第五部 朝倉兄妹との再会(最終回)

猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第三部 懐かしき師僧  (原稿用紙12枚)

2016-08-07 | 短編小説
 傷ついて寝込む辰巳一家の貸元の命を取るべく、猪熊一家の親分子分三人が戸の突っ張り棒を力ずくで折って入ってきた。 そこには、子分たちの姿は無く、傷ついた辰巳一家の貸元が寝かされているようであった。
   「今、とどめを刺して楽にしてやるからな」
 連れて来た一人の子分に、「殺れ」と、もう一人の子分に「布団を捲れ」と命じた。

 布団が捲られると同時に、白く光る長ドスが一人の子分の長ドスを弾き飛ばし、返すドスの切っ先が猪熊の右足内腿を刺した。「うっ」と呻いて俯せに倒れた猪熊の躰を押し退けて、布団に寝かされていた男は起き上がった。
   「お、お前……」
   「待っていたぜ、猪熊の」
 寝かされていたのは、紛れもなく辰巳の貸元だった。
   「くたばったと思ったのか」
 猪熊の二人の子分は、驚いて壁際まで逃れた。
   「生憎だったなァ、皮を斬られたぐらいでくたばる程、わしは柔じゃねえぜ」
   「騙しやがったな」
   「騙し討ちにしたのはお前だぜ」
   「糞っ」
   「怪我で動けなくなった振りをして、お前の出方を見てやればこの始末だ」
   「辰巳の子分どもはどうした。 逃げてしまったのか?」
   「周囲で待機している。 さっき呼びにやったから、揃って戻って来るだろう」
   「勘太郎はどこに居る?」
   「今頃、猪熊一家で大暴れしているだろうぜ」
 やがて猪熊親分は両手で傷口を抑えて、黙り込んでしまった。


   「ごめんなすって…」
 猪熊一家の門口に若い男が立った。 男がひとり顔を出したが、慌てて奥へ下がった。
   「勘太郎だぜ、勘太郎が来やがった」
   「あいつ若いが、腕が立つそうだ」
   「辰巳の復讐に来やがったのだろう」

 長ドスを振り回して挑んでくる子分を、勘太郎は躱しながら両一家の喧嘩を計画的に扇動した半五郎を探したが居なかった。 勘太郎を追って来て逆襲されたときに何処かへ逃げてしまったのか、それとも、何処かに隠れて成り行きを窺っているのか最後まで姿を見せなかった。
   「辰巳の貸元を襲った仕返しは、親分ともども悉く簀巻きにして千曲川へ沈めてやるから楽しみにしておけ」
 勘太郎のハッタリが飛んだが、猪熊の子分たちは悉く腕に痣を作って、戦意も恐怖も感じない様子であった。


   「親分、ただ今帰りやした」
   「おぉ、勘太郎か、ご苦労だった、それで首尾は?」
   「存分に暴れてまいりやしたが、半五郎の兄ぃは逃げてしまったようです。 親分は?」
   「作戦通り、猪熊を懲らしめてやった」
   「止めを刺すのですか?」
   「いや、それには及ぶまい」
 今まで医者が来ており、猪熊の手当をして帰ったそうである。
   「医者はどう言ったのです?」
   「四、五日は安静にして、十日も温和しくしておれば、傷は塞がって歩けるようになるそうだ」
 寝所まで勘太郎が覗きに行くと、猪熊の枕元で二人の子分が正座して項垂れていた。 勘太郎の姿を見るや、ビクッとして後退りした。
   「医者は、四、五日動かすなと言っているが、連れて帰るか。 それともこのまま此処に居るか?」
 勘太郎が二人に尋ねると、「此処に居る」と答えた。 間もなく、辰巳の子分衆が戻ってきて、以前の辰巳一家を取り戻した。

   「親分、勘太郎は旅に出ます」
   「儂の養子になる為に帰ってきたのではないのか」
   「俺らは元僧侶です、俺らの心にいる阿弥陀様が人を斬らせません」
   「そうか、やくざには成れないってことか」
 勘太郎は親分の前で正座し、この度のことは親分が引き起こしたことだと、生意気な説教をして詰め寄った。子分には、義理人情に厚く、度胸千両の子分たちが揃っているのに、子分に目を向けずに自分のような若造を養子に据えようとしたことが原因だと非難した。
   「泰吉兄ぃだって、命をかけて親分を護ろうとしていやした」
   「そうだったなぁ」
 せめて今夜は、ここに泊まっていけという親分を振り切って、勘太郎は旅にでた。口には出さなかったが、今夜泊まれば、それは下働きの勘太郎ではない。一宿一飯の義理に縛られる旅鴉だ。やくざ一家の屋根の下に、五年も下働きとして暮らして来た勘太郎である。義理と掟に縛られて、命を落とした旅鴉も見た。何ら意趣遺恨もない男を斬って、後悔に苛まれる旅鴉も知っている。 一時、やくざのふりをした勘太郎であったが、ほとほとやくざ渡世に嫌気がさしている勘太郎なのである。

 
 勘太郎はすでに従兄弟の浅太郎が住職に就いた西福寺に草鞋を脱いでいた。 いまでは、浅太郎改め。住職の曹祥(そうしょう)和尚である。
   「勘太郎、よく来てくれた。元気そうで何よりだ」
 住職の曹祥が勘太郎の無事を喜び、こころから迎えてくれた。
   「兄ぃも、すっかりお坊様らしく成りなすった」
   「勘太郎に見せたいものがある」
   「俺らに?」
 曹祥は勘太郎を西福寺の墓地に連れていった。 墓群の中に、「俗名・勘助」と書かれた粗削りの小さな墓石があった。川石に曹祥が彫ったものであろう。
   「御遺体は昌明寺にあり、真寛和尚さまがご供養してくださっているのだが、この墓には勘助叔父が死んだときに着ていた血の付いた単衣の寝間着が埋まっている」
 曹祥は、毎日この墓に来て、経をあげて供養しているのだという。
   「おとっつあんは、自害したと忠次郎親分から聞かされた」
   「そうだが、義理と掟に挟まれて、自害を止められなかった拙僧の落ち度だ」
 曹祥は、生涯この西福寺で、叔父勘助を供養するのだという。
   「浅太郎兄ぃ、恨み続けて済まねえ」
   「いや、恨まれて当然だ」
 
 勘太郎は、今日にも旅に出ようと思ったのだが、村人たちが寛延という名を聞きつけて集まって来た。 彼らの思い出にある可愛い小坊主が、童顔だが逞しく成人した男となって自分たちの前に居ることが信じられない様子であった。
   「寛延さま、今夜は私たちが夕食を用意しますので、ぜひとも寺に泊まっていってください」
 村人たちは、ここがお寺であることをすっかり忘れているようで、野菜に混ざって猟で仕留めた野鳥や、魚なども持ち込まれた。
   「寛延さま、濁り酒などいかがでしょうか」
   「寛延さま、こちらは雉の肉にございます」
   「待ちなさい」
 一人の村人が制した。
   「寛延さまは、今このような恰好をしておいでだが、真は和尚様ですぞ」
 村人たちのあいだで、わあわあ言っておりますと、寛延は落ち着きはらって声をかけた。
   「浄土真宗の開祖でいらっしゃる親鸞聖人は、鳥や魚、お酒もお召し上がりになりました」
 当時、僧侶は生き物を口にしないしきたりであったが、袈裟を外すと僧侶ではないと理屈をつけて平然とそれらに箸をつけていた。その中で、親鸞聖人はいつも袈裟を外さずに仏教では「殺生」と言われて避けていた鳥肉や魚などをお召し上がりになった。ある人がその訳を尋ねたところ、親鸞聖人はこうおっしゃった。
   「わたしは有難く生き物の命をいただいています。 僧侶として鳥や魚に感謝して、魂をお浄土へ導いてあげるために袈裟は外しません」
 その夜、勘太郎は鱈腹食い、調子に乗って鱈腹飲み、だらしなく目を回してしまった。

 もう金輪際会わないと決めていた浅太郎に会って、誤解をしていたことを謝り、晴れて故郷へ戻る勘太郎の草鞋は軽かった。


 勘太郎の足は、赤城山の麓にある昌明寺に辿り着いていた。 勘太郎を迎えてくれたのは、師僧真寛であった。
   「真寛様、お懐かしゅうございます。 寛延です」
   「おぉ、寛延か、遅かったぞ」
   「どうなさいました?」
   「ご住職さまが一ヶ月前にご逝去なさいました」
 勘太郎は、「えっ」と驚きの声を発し、そのあと固まってしまった。「嘘っ」と咄嗟に言いかけて、言葉を飲んだ。僧侶の真寛さまが、このような時に嘘をつく筈がないと、不謹慎な言葉を思い留まったのだ。
   「ご住職さまは最期のとき、『寛延はどうしておるかのう』と、一言仰いまして息を引き取られました」
 第二の父とも思しきお方である。 まだ六歳の頃、この寺で実の父の死を悲しんだ。住職の死はその時に増して悲しい。 嗚咽している勘太郎の脇に小坊主が座り込み、真新しい手拭を差し出してくれた。
   「ありがとう、あなたの名は?」
   「はい、妙珍と申します」
 勘太郎の小坊主時代の名だ。 勘太郎がこの寺に来た時よりも二、三歳大きい。こちらの妙珍は、六ヶ月前にこの寺へ修行に来たのだという。
   「先のご住職さまは、お優しい方であっただろう」
   「はい、真寛さまよりお優しい方でした」
 真寛がツツツと妙珍の傍に来て、拳骨(げんこ)で頭を一つ軽く叩いた。
   「この妙珍も寛延と同じく、甘い顔をしていると還俗して『任侠の世界に生きる』と言い出すかも知れぬのでな、心を鬼にしているのじゃ」
 真寛は、笑っていた。

 勘太郎は、既に還俗が認められていると思っていたが、先の住職も、真寛もまだ許していないという。 勘太郎は、それから約一ヶ月昌明寺に滞在し、止める真寛に向かって丁重に頭を下げて、江戸へ向けて旅立って行った。   ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第二部辰巳一家崩壊 (原稿用紙12枚)

2016-07-31 | 短編小説
 朝倉兄妹が並んで歩く三間先を思案気に歩いていた勘太郎が足を止めた。
   「勘太郎、どうした、腹でも痛くなったか?」
   「いいえ」
 勘太郎に追い付いた朝倉が、勘太郎の肩に手を置いた。
   「何か心配事でもあるのなら話して見なさい」
   「俺(おい)ら、このまま江戸へは行けません」
   「故郷の上州へ戻るのか?」
   「はい、俺らを育ててくれた昌明寺の師僧、真寛さまにお会いしとうございます」
   「会えば、僧侶に戻れと言われるかも知れないぞ」
   「それも、よく考えて来ます。 それと‥」
   「それと何だ?」
   「五年もお世話になった辰巳一家にも寄りとうございます」
   「そこでは、養子になれと言われるぞ」
   「それはきっぱりお断りしてまいります。俺らの心に阿弥陀様がおいでになり、俺らには人が斬れません」
   「そうだのう、ヤクザの世界では、勘太郎は何時までたっても売り出せない万年三下だろう」
 勘太郎の胸の内には、従兄弟の浅太郎が住職を務めているだろう西福寺へも寄って、胸の蟠りを取り除いて行きたいのだ。

 勘太郎は考えた。江戸には、朝倉辰之進の叔父、南町奉行所与力朝倉典膳が居る。少なくとも妹お鈴の面倒は見てくれるだろう。辰之助の親友北城一之進は、お鈴の許嫁千崎駿太郎同様、少年の頃の約束など忘れてしまったと言うに違いない。親友などというものはどちらかが落ち目になれば、泡のように消えてしまうものだ。
 ここで師と別れるが、勘太郎が江戸の辰之進を訪ねたとき、辰之進は身を持ち崩してやくざの用心棒になっているかも知れない。剣術の腕は立つが、渡世術はどこか甘いこの師匠のことが心配ではあった。

   「朝倉さま、この追分でお別れしますが、俺らも必ず江戸へ参ります。どうぞご無事で…」
   「何を申すか、儂なら心配は要らん、それよりお前だ」
   「俺らはしっかり者なので、食い逸れることはありません」
   「自分でしっかり者と言うヤツがあるか、お前は余計なことに首を突っ込んで、命を落とさんとも限らん」
   「そうでしょうか」
 笑いながら、勘太郎は兄妹と別れた。

 勘太郎は、辰巳一家に寄ってみた。羽振りのよかった辰巳一家が静まり返っていた。 戸は閉じられ、中から突っ張りがされているようであった。中で突っ張り棒がしているということは、中に誰か居るに違いないと思い声をかけてみたが返事はない。
   「親分どうした、誰か居ないのか」
 戸をガタガタしてみると、カタンと突っ張り棒が倒れた。
   「くそーっ」
 三下が一人、長ドスを抜いて飛び出してきた。勘太郎に優しかった泰吉だった。
   「泰吉兄ぃどうした、俺らだよ、勘太郎だ」
 急に緊張が解けたのか、泰吉はヘナヘナとその場にしゃがみ込んでしまった。
   「親分は奥に居るのか?」
 泰吉は声が出ないのか、ただ「うんうん」と頷くばかりであった。勘太郎が奥に入ると、辰巳親分は布団に俯せに寝かされており、もう一人の三下が親分を護って、長ドスの鞘を抜いて構えていた。
   「俺らだ、勘太郎だ。親分は斬られたのか?」
 その三下は、腰を抜かして泣き出してしまった。

 二人の三下が少し落ち着きを見せたので事情を訊いてみると、猪熊一家が縄張りを奪うのが目的で、親分を不意打ちで肩から背中にかけて斬りつけたらしい。これには、辰巳一家の元代貸半五郎が一役買っていて、半五郎に二代目を継がせる意思がない親分を恨んでの裏切りだと言う。

   「泰吉兄ぃ、親分の傷は深いのか? 医者はどう言っている」
   「命には別状ないらしいのだが…」
   「どうなのだ?」
   「一度看てくれただけで、膏薬の張替えもしてくれない」
   「金が払えないからか?」
   「いや、猪熊一家が医者を脅してここへ来させないようにしているらしい」
 今に、ここへ親分の息の根を止めにやってくるだろうと言う。そうなれば、自分達も殺されるに違いない。
   「兄いたち、凄いなぁ、それでも逃げずに親分を護っていたのか」
   「義理人情の世界に生きると決めたのだから仕方ないよな」
   「そうか、そんなことは俺らがさせねぇ。先手必勝だ、もうすぐ日暮れだが、今から猪熊一家に殴り込みをかけてやる。兄ぃたちは、親分を護っていてくれ」
 勘太郎は、腰に長ドスをぶっ込むと泰吉たちの返事も待たず、猪熊一家を目指して駆けて行った。

 猪熊一家では、辰巳一家を根絶やすために親分の指図を受けた半五郎ほか子分四人がこれから出掛けるところであった。

   「待ちやがれ、俺らが帰って来たからには、てめえらの勝手にはさせねえぞ」
 勘太郎は、両手を広げて五人を遮った。
   「なんでえ、勘太郎じゃねぇか。けえってきたのか」 裏切り者の半五郎が気付いた。
半五郎の顎が、「勘太郎も殺ってしまえ」と命令した。辰巳が「末は一家を継がせたい」と思った勘太郎だ。後腐れのないように、今の内に片付けておこうという魂胆であろう。

   「まだ若造だが、俺らは新免一刀流の免許皆伝だ。てめえらのドスじゃ俺らは斬れねぇぞ」
   「ガキが寝言を言ってやがる。殺ってしまえ」
 勘太郎は生意気な口をたたいたわりには、踵を返すと一目散に逃げ出した。暫く追いかけさせておいて、いきなり立ち止まり身を翻した。
   「バーカ、息切れしてやがるの」
 勘太郎はこれを待っていたのだ。 長ドスの鞘を払うと、小さな力でも打撃を受ける首、鳩尾など所謂急所を責めて追手を次々倒していった。
   「追ってきたのは、五人だけか? もうドスが握れないように、手首を斬り落としてやる。腕を前に出せ」
   「勘太郎待ってくれ、もう手出しはしねぇ、勘弁してくれ」 半五郎が言った。
   「ヘン、その手には乗るものか、てめえらは猪熊親分の命令には背けねぇのだろうが」
   「そりゃあそうだが…」
   「では丸坊主にしたうえ、牡牛にするように大人しくさせてやろうか」
   「バカバカ、そんなこと止めてくれ」
   「俺らを殺れずに、おめおめと一家には帰れないだろう。うまれ故郷へ帰って親孝行しな。今に猪熊の親分がこっちに来るぞ」

 案の定である。勘太郎がその場から消えて間もなく、猪熊親分が、子分を二人連れてやって来た。 腰を抜かしている子分たちを見付けると怒鳴りつけた。
   「既に始末をつけた頃かと思ったら、お前たちこんなところで遊んでいたのか」
   「勘太郎にやられました」
   「勘太郎とは、辰巳一家の下働きをしていた小僧か?」
   「その小僧です」 
   「勘太郎と言えば、まだほんの若造じゃねえか、そんなヤツに大の男が五人も居て、みなやられたのか」
   「恐ろしくはしっこいヤツでして…、 面目次第もねぇ」
 親分は、くたばっている子分を足蹴にして、号令を掛けた。
   「辰巳一家へ殴り込むぞ、早く立ちやがれ」
   「親分、立てません」

 勘太郎は、一足先に辰巳一家に戻っていた。
   「泰吉兄ぃ、もうすぐ猪熊がやってくるぜ、親分の仇をとらせてやる」
   「俺が殺るのか?」
   「殺るのはいかん、辰巳一家を護っていく兄ぃがお尋ね者になるのはまずい」
   「俺は喧嘩馴れをしていないから、無我夢中にドスを振り回すだけだ。 殺るか殺られるかで、器用な真似は出来ねえ」
   「そうか、では俺らが一撃するから、兄ぃはそこの突っ張り棒でブン殴って親分の意趣返しをするのだ」
   「わかった」
   「殺すなよ」
   「うん」
 
 それから暫くして、猪熊が子分を二人連れてやって来た。「ドンドン」と、戸叩いたが誰も出てこないので入り口の引き違い戸を開けようとしたが、突っ張り棒がされているらしく開かない。無理やり開けようと子分の二人が渾身の力を込めて開こうとすると、ポキンと音がして突っ張り棒が折れたようだ。
 二人が戸を開けて飛び込むと、辰巳親分が布団に俯せに寝かされており、子分共は誰も居なかった。
   「おい、辰巳の、お前の子分共は皆、逃げてしまったようだな」
 眠っているのか、殺られる覚悟をしているのか、辰巳は身動きもしなかった。
   「おい、辰巳、死んでしまったのか?」
 布団の上から踏みつけてみたが、やはり動かない。
   「とどめを刺してやるぜ」
 連れて来た一人の子分に、「殺れ」と、もう一人の子分に「布団を捲れ」と命じた。  ―つづく―


 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の短編小説「続・朱鷺姫さま」第一章 陸奥三人旅 (原稿用紙15枚)

2016-06-26 | 短編小説
   「わらわは天台宗のお寺にお参りしてこようと思います。亮馬、そなた伴をしてはくれませんか」
 天台宗の寺と言えば、水戸城からは目と鼻の先にある長福寺であろう。朝発てば、昼前には優に城へ帰れる。
   「はい姫様、喜んでお伴仕ります」
   「そうか、頼みましたぞ、旅支度は勘定方のそなたの父、能見篤馬に申し付けておいた」
 水戸家の御息女、末娘の朱鷺(とき)姫、その容姿は「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の喩え宛(さなが)らであるが、その立ち振る舞いは男顔負けである。剣と柔術の腕は関口流免許皆伝のつわもの、家来たちは陰で「じゃじゃ馬(暴れ馬)姫」と呼んでいる。

 姫は何を大袈裟に言っているのだろう。長福寺にお参りするのに、旅支度など不必要である。二・三人の家来をお伴に、お駕籠で行けば良いではないか。亮馬は、帰りに料亭に立ち寄り、美味しいものが食べられると、心浮き浮きである。
   「姫様、帰りには鰹のたたきを食べさせるよい料亭にご案内いたします」
   「ほう、鰹のたたきとな、それは上々、楽しみにしていようぞ」
   「はい、お任せを」
   「では、日が暮れたら城を抜け出す。心積もりをしておくように」
   「日が暮れてからのお寺参りは、止しましょうよ」
   「どうして?」
   「幽霊とか色々出るといけません」
   「あはは、そんなことか」
 
 日がおちると、姫が亮馬を促して城の冠木門に向かった。前もって命令しておいたのか、門番は姫を見ると、黙って門を開けた。
   「姫様、長福寺へ行くのはこの道ではありませぬぞ」
   「誰が長福寺にお参りすると言いました」
   「違うのですか?」
   「違います、中尊寺です」
   「嘘っ」
   「何が嘘なものですか、陸奥の国は平泉の関山中尊寺(かんざんちゅうそんじ)です」

 恐らく姫は俺を揶揄っているのだろうと、亮馬は自分を落ち着かせようとした。
   「亮馬、この先の旅籠で誰が待っていると思う?」
   「助さん格さんと、風車の弥七でしょう」
   「そうそう、それとかげろうお銀… 違います」
   「誰が待っているのですか?」
   「そなたの父上、能見篤馬だ」

 夜もとっぷり更けた頃、姫の言う旅籠に着いた。話は繋いでいたのか、戸締りをせずに待っていてくれた。
   「亮馬、ご苦労」
   「えっ、何なのです父上まで巻き込んで、亮馬を驚かせようとしたのですか」
   「しっ、声が高い、姫は大きな使命を持って陸奥へ旅立たれるのだ」
   「伴は、私一人ですか?」
   「いや違う、要所に上様の御庭番を配置しておる」
 八代将軍が設けた御庭番の職が、後の将軍まで引き継がれているのだ。
   「父上、一体何事なのですか?」
   「今は言えぬ。上様の命をうけた大切な御使命だから、心してかかるように」
   「そんなこと言われても、姫のお命を護るには、私には重すぎる御役目です」
 姫が父子の会話に割って入った。
   「わらわは、そなたに護ってもらおうとは思わぬ。お伴は弱そうな者の方が物見遊山の旅らしくて良いのだ」
 亮馬が父の顔を見ると、父も同意のようである。
   「酷いッ」

   「亮馬、わらわはもう一つこの旅の目的がある」
   「それも亮馬には内緒でございましょう」
   「いや、こちらは話しておきましょう」
   「ふーん」
 亮馬気のない反応。
   「父上が勝手に決めたわらわの縁談じゃ」
   「さいですか」
   「その縁談を壊しに行く」
   「何故に?」
   「わらわには、将来夫と心に決めた殿御がおるのじゃ」
   「それは宜しゅうございました」
   「そなたじゃ」
   「ふん、もうその手は食いませんよ」
   「若い男女の二人旅です。どこでどう縁が結ばれるやら…」
   「嘘をおっしゃいますな、甘い誘いに乗って亮馬が姫にツツツと近付くと、蹴り出すくせに」
   「殿方を蹴るなどと失礼な、そんな下品なわらわではありません」
 能見篤馬が横槍を入れた。
   「愚図ぐず言っていないで、今夜はもう休みなさい、明日は早立ちでござるぞ」
   「え、姫と同じ床で」
   「馬鹿、お前はこの父と寝るのじゃ」
   「やっぱり」

 翌朝はさっぱりとした旅立ちに相応しい好天気、気の乗らない亮馬を急き立てて、野羽織に野袴姿の武士が二人旅に出た。傍目には、どう見ても兄弟である。兄はがっしりとした成人ではあるが、弟の方はまだ十代後半の少年のようであった。
   「亮馬、実はもう一人伴の者がいるのじゃ」
   「柘植の飛猿ですか?」
   「猿は猿なのだが、ましらの三太という猿じゃ」
   「また三太ですか」
   「またとは、どう言うことですか」
   「いえ、別に…」
   「おかしな亮馬だ」
 しばらく歩くと、道の脇から少年が飛び出してきた。
   「おお、三太来てくれたか」
 十にも足りない少年であろうか、黙って姫に頭を下げ、亮馬を「キッ」と睨みつけて威嚇した。
   「三太、この男は亮馬と言って私の伴の者じゃ、決して食べてはいけませんよ」
 亮馬は飛び上がって思わず防護の姿勢をとった。
   「姫様、こいつは人食い猿ですか」
   「最近は食べていないようだが」
   「?」

 三太は、朱鷺姫の前を歩いていたかと思うと、すっと姿を消した。
   「ん?」
 亮馬が辺りをキョロキョロ見回したが、どこにも居ない。
   「何ですか、あいつは?」
   「恐らく没落武士の末裔であろうが、両親に死なれて山で健気にも独り生きていたのを御馬番の足軽が育てているのだ」
   「消えたのは?」
   「木々の間を飛び移って付いてきているのでしょう」
   「地面を歩くよりも、その方が楽なのでしょうか」
   「性に合っているのでしょう」
   「ふーん、成程飛猿だ」
 時々、頭の上で「バサッ」と音がするのだが、飛猿の姿は見えなかった。
   「姫様、あんなのを連れて行って、なにか役にたつのですか?」
   「役に立ちますとも、それは夜になると分かります」
   「ふーん、あいつはムササビかモモンガですかねぇ」

 それは、次の旅籠で分かった。旅籠の番頭に朱鷺姫は、
   「部屋は三人一緒で構いません」と告げた。
   「姫様、それは困ります」
   「困ることはありません、川の字になって眠れば良いのです」
   「姫様を二人の男で挟むのですか?」
   「いいえ、三太を大人二人が挟むのです」

 その夜は姫の言う通り、川の字で眠ろうとしたが、若い亮馬のこと、姫の可愛い寝息が気になって眠れない。真夜中に「そーっ」と三太を乗り越えて姫の横へ行こうとした亮馬の腕に三太が噛みついた。
   「痛てぇ、お前は番犬か」
 三太は「うーっ」と、唸っている。鈍い亮馬にも、三太が役に立つ理由が漸(ようや)くわかった。

 翌朝も、三人揃って早立ちをした。
   「姫様、こんな野猿は邪魔です、帰しましょうよ」
 寝不足で赤くなった目を擦りながら亮馬が言った。
   「あら、昨夜三太と何かあったのですか?」
   「いいえ、何もありませんけど…」

 三人が向かう先から、手傷を負った旅の武士が喚きながら走って来る。その後から、四人の武士が追いかけてくるようである。旅の武士は見る見る追手に追い付かれ、抜き身の刃を向けられた。追手の一人が旅の武士の前に回り、刀を上段に構えて振り下ろそうとしたとき、亮馬が声をかけた。
   「待て、待てぃ」
 その声に驚いたのか、刀を上段に構えた武士が振り返った。
   「事情はどうあろうと、多勢に無勢を襲うとは卑怯で御座ろう」
 卑怯と言われて、追手の武士達は亮馬を睨みつけた。
   「こやつは脱藩して逃亡を図った我が藩の藩士で上意討ちで御座る、余所者は黙って貰おう」
 だが、手傷を負った旅支度をした若い武士は「違う、違う」と、首を振る。
   「黙って見過ごすことは出来ん、事情を窺おう、それからでも上意討ちは遅くなかろう」
 問答無用とばかり、抜き身を亮馬に向けて来た。
   「無礼者、こちらにおわすお方を、何方と心得る。恐れ多くも水戸のご息女、朱鷺姫さまなるぞ!」
   「亮馬、お前威勢ばかりで、危うくなると私の名を出すのですか、印籠など持っておらぬぞ」
 だが、水戸と聞いて一瞬ヤバいと思ったのか、一旦は刀を引いたが、思い直して亮馬を黙らせようと刀を振りかぶった。朱鷺姫は亮馬を自分の後ろに回すと、瞬時に腰の刀を抜いて相手の刀を受け止めた。
   「水戸の姫か何か知らんが、なかなかの使い手と見た」
   「私がお相手致そう、どこからでもかかって来なさい」
 朱鷺姫が相手の刀を突き放したとたん、相手は体を崩さずそのまま斬り込んできた。朱鷺姫は「サッ」と体を交わすと、次の瞬間相手の胴に斬り込んでいた。「うっ」と唸って崩れた相手に、朱鷺姫が言い放った。
   「安心しなさい、峰打ちです」
 残りの三人は、亮馬が言った「水戸の姫」が気になったのか、「ここは一旦引き上げよう」と、崩れた仲間を起こし、逃げて行った。

   「危ういところを忝(かたじけ)ない、お蔭で命拾いをしました」
   「命拾いじゃないですよ、奴らは『一旦引き上げよう』と言って去ったでしょう。また襲ってきますよ、事情を姫にお話ししたらどうです。力になって戴けましょう」
 危なくなると姫に任せて、鎮まると亮馬がしゃしゃり出て来る。
   「朱鷺姫様、我が藩の恥を話しますが、どうか藩の取り壊しだけはお許し願いとう御座います」
   「私は公儀隠密ではありません、そのようなことは上様がお決めになることです」
   「然もありましょうが、どうぞお執り成しを…」
   「執り成しも何も、そなたの藩で何が起こりましょうとも、私からは誰にも漏らすことはありませぬ」
   「有難うございます」

 旅支度の武士は、ぽつりぽつりと話はじめた。この若侍、名は滝沢丈太郎、某藩の藩士である。藩候が参勤交代で不在を良い事に、国許では国家老が百姓の年貢を水増しして取り立て、思いのままに私腹を肥やしている。その為に百姓達は苦しめられ、一触即発で一揆も起こりかねない状況にあるのだそうである。
 その事実を、江戸屋敷の藩主に進言しようと密かに藩を離れたのであるが、国家老の知るところになり、刺客を放たれた。それが先ほどの討伐劇の真相だ。
   「滝沢どの、粗方の事情は分かりました。だが、そなたに付き添って江戸まで行けばよいのですが、私たちは陸奥に用があって向かっております」
 早飛脚で江戸の藩候に書状送っても、信じては貰えないだろう。水戸へ書状を届けて、水戸から江戸の藩侯へ私の信用できる家来に早馬でこっそり届けてもらいましょうと、朱鷺姫は提案した。だが、早飛脚、早馬でも相当の日数がかかる。また、藩侯が手を打ってくれようとも、さらに日数が重なる。その間に滝沢丈太郎は亡き者にされているだろう。通りかかった船だ、何とか滝沢を護ってやらねばなるまいと、朱鷺姫は思案した。
  「滝沢どの、近くの旅籠で傷の手当をしましょう」
  「何のこれしき、手当など…」と、傷口を叩いて見せたが、「うーっ」と唸って滝沢はそのまま気を失ってしまった。
 
   ―続く―
  

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猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」第一部 再会 (原稿用紙15枚)

2016-06-08 | 短編小説
 朝倉辰之進の妹お鈴は、信州は国定一家に匿われて無事であった。親分に礼を言って、「いずれ恩返し来る」と一家に別れを告げて去ろうとしたとき、国定一家の子分が駆け込んできた。
   「親分、てえへんです、羽柴一家が縄張りを取り返しに殴り込みをかけてきます」
 国定一家は、俄かに騒々しくなったが、勘太郎は振り返りもせずに外へ出た。
   「勘太郎、お鈴を頼む」
 朝倉は、腰の刀を抑えると、一家に取って返した。今こそ恩義を返す好機だと思ったからである。
 勘太郎は、お鈴を促して旅籠に向かった。
   「お鈴さん、この旅籠で待っていてください」
   「勘太郎さん、行かないでください、あなたは喧嘩に加勢する義理はないではありませんか」
 勘太郎は、旅籠賃を前払いすると、国定(くにさだ)一家へとって返そうとしたが、お鈴は兄はともかく、まだ一宿一飯の恩義を受けてはいないこの青年が、喧嘩に加担しようとしているのを心配したのだ。
   「いえ、俺らは喧嘩をしに行くのではありません」
   「では何故行こうとするのですか?」
   「朝倉さまをお護りするためなのです。朝倉さまはお強いですが、相手は多勢です」
   「ありがとうございます」
 言うが早いか、勘太郎は韋駄天走りで国定一家を目指した。朝倉のことだから、大丈夫とは思うが相手は無法者、卑怯を恥じる意識などない。いかような手で迫っているか知れないのだ。

 朝倉は、敵も味方も面識がない。中庭で自分に向かってくる暴漢のドスをただ交わして、やくざの喧嘩にあるまじき峰を返した刀で相手を叩きのめしている。
   「止めろ! 止めるのだ」
 朝倉は、いつしか喧嘩の仲裁者になっていた。

   「朝倉さま、勘太郎助勢に参りました」
   「勘太郎、戻れ! お前はこんなくだらない喧嘩に巻き込まれてはならぬ」
 朝倉がそう叫んだ瞬間に、襲って来る敵に集中していた神経が散漫になった。隙ができた朝倉の背後からドスを小脇に抱えた男が突進してきた。
   「あっ、危ない!」
 次の瞬間、勘太郎は朝倉を押し退け、男のドスを横へ弾き飛ばした。男はだらしなく前に倒れ、顔で着地した。
   「それ見ろ、危険だから早く戻りなさい」
   「危険なのは朝倉さまの方です。こんな加勢はお止めになってください」
   「お鈴を護ってくれた義理だ」
   「その恩は、俺らが返しましょう」
 勘太郎は、どうしたことか、敵も味方も打ちのめしにかかった。忠治こと忠次郎親分が見かねて勘太郎にドスを向けた。
   「勘太郎、それはわしに対する意趣返しか」
   「いいえ、喧嘩を鎮めて師匠の身をお護りするためです」
   「なぜ儂の子分を倒すのだ」
   「俺らには、敵も味方もない、片っ端から打ちのめすので、後は親分が止(とど)めを刺すなり、命を助けるなり、勝手にしてください」

 朝倉辰之進は、忠治親分に手厚く礼を言って立ち去ろうとした。勘太郎がそれに続いたとき、忠治こと忠次郎親分が止めた。
   「勘太郎、ひとつ分かってやって欲しいことがある」
   「親父を殺した言い訳か?」
   「いや、儂のことではない、浅太郎だ」
   「兄ぃがどうかしたか?」
   「浅太郎は、お前のお父っつぁんを殺してはいない」
   「誰が殺したと言うのだ」
   「勘助は、浅太郎の目を盗んで自害したのだ」
 それは、勘太郎も薄々勘づいていた。しかし、その自害を見落としたのか、気付いていながら親分への義理のために見過ごしたのかは不明である。
   「ふーん」
 勘太郎は、何の感慨もない返事をして踵を返し朝倉を追った。


 旅籠では、朝倉の妹お鈴が、心配をして待っていた。長い間、別れ別れになっていた兄妹が、思いがけない再会に二人は暫くの間、涙を交わしていた。

   「兄上、これからお国元へ帰り、お殿様に詫びを入れましょう」
   「お鈴、馬鹿を言うでない、藩に戻れば即切腹を申し受けることになる」
   「でも、事情が事情ですから、分かって戴けるかも知れません」
   「だめだ、親友と思っていた千崎駿太郎が、お鈴にとった非情な態度を思い出してみなさい」
 千崎がとった態度は、お鈴を庇護すれば上司を殺して逃げた極悪人を庇護することになるからであろう。それは、取りも直さず未だに藩は朝倉を極悪人と見ている証拠である。そのような処へのこのこ帰えれば、捕り抑えられて即刻切腹ならまだしも、屈辱な断罪かも知れぬ。

   「儂は江戸へ行こうと思う」
 江戸には、一時身を置いていた父方の叔父がいる。また、同じ道場へ通った北城一之進という朋友も居る。叔父は南町奉行所の与力の家に婿養子として入り、義父亡き今は跡目を継いでいる。北城一之進は、北町の町方与力である。
   「困ったことがあれば訪ねて来い」
それは、若き門下生時代の一之進の口癖であった。
   「叔父は厳格な人であるから、上司を殺めて脱藩した儂など敷居を跨がせないだろうが、一之進ならこの落ちぶれ果てた儂の立つ瀬を考えてくれるであろう」
   「兄上、宜しいのですか、兄上は千崎さまも親友だと仰っておられましたねぇ」
   「今も変わらず千崎は親友だ。だから彼奴の立場も理解できるのだ」
   「兄上は、お人がよろしいのですね」
   「お前は、千崎に未練はないのか?」
   「ございません、寧ろ恨みに思います」
 どちらが強がっているのか。或いはどちらも強がって見せているのか、勘太郎には分からない兄妹であった。

 翌朝から、三人は江戸へ向けて旅立った。この先、勘太郎には三つの選択肢がある。一つは辰巳一家に戻り、親分の盃を貰いやくざ渡世で生きる道、二つ目は勘太郎を育ててくれた昌明寺へ戻り僧侶に戻る道、三つ目は信州浪人朝倉辰之進と共に江戸へ出て剣の師辰之進の夢に付き合う道である。
 三つ目の道は、全くあてにはならない。江戸の与力北城一之進は、果たして朝倉を快く迎えてくれるのだろうか。千崎と同じく、罪を犯して脱藩した朝倉に対して、冷たく門前払いをするかも知れない。
 だいたい、若い頃の言葉を信じて頼りにしていること自体、朝倉の甘さを暴露しているように思えるが、まあいいだろう。三つ目がダメなら、二つ目があるさ。二つ目もダメなら、一つ目があるじゃないか。勘太郎も自分の人生を三つ又にかけるとは、些か呑気なものである。
   「ところで、朝倉さま」
 勘太郎は、このまま三人で江戸へ出るとして、気がかりなことが一つある。自分のことではなく、お鈴のことである。
   「お鈴さんの身の振り方はどうお考えなのです?」
   「お鈴か、お鈴は心配要らぬ、江戸には叔父上が居るでナ、頼んでみようと思う」
   「お鈴さんは、敷居を跨がせてくれますか?」
   「お鈴は何の罪もない、快く引き受けてくれるであろう」
 またか、と口には出さぬが勘太郎は思う。この師匠は人ばかりあてにして、自分は何か努力をするのだろうか。叔父の屋敷で断られたら、親友の北城がどうにかしてくれるとでも思っているのではないだろうか。心細くなってくる勘太郎であった。


   「ご浪人さま、どうぞお助けください」
 とある宿場町にさしかかったところで、農家の女房と思しき女が朝倉の前に来て土下座をした。歳の頃は二十歳前後であろうか、破れた着物に裸足である。
   「どうしたのだ」
   「どうぞ、お助けを…」
   「助けてやるから、事情を話してみなさい」
 女は取り乱して、ただただ「お助を…」と懇願するばかりである。朝倉兄妹と勘太郎は辺りを見まわしたが、追って来る者はいない。
   「聞いてやるから、話してみなさい」
 暫くして落ち着いたのか、堰を切ったように話し始めた。
   「居ないのでございます」
   「誰が?」
   「わたしの赤ん坊でございます」
   「何処で居なくなったのだ?」
   「そこの石に腰を掛けて、お乳を飲ませていたら居なくなりました」
   「消えたのか?」
   「はい」
 勘太郎とお鈴は、思わず顔を見合わせてしまった。赤ん坊といえども一人の人間である。そんなに簡単に消える訳がない。
   「そなたは、居眠りでもしてしまったのか?」
   「いいえ、赤ん坊の顔をみていたら、不意に消えました」
 朝倉はと見れば、あまりの馬鹿々々しさに、話を聞いてやる気を失っている。代わって勘太郎が口を挟んだ。
   「それは、神隠しかもしれませんね」
   「ええ」
 勘太郎も、気が逸れてしまった。今度はお鈴が然も心配げに女の肩に手を遣り女に同情した。
   「赤ん坊はどこへ行ってしまったのでしょう」
   「わかりません」
 お鈴は、何かに気付いたようである。
   「あなたの赤ん坊が居ましたよ、ほら、あの雲の上に」
   「どこ? どこですか」
   「あなたには見えないかもしれません、わたくしは如来さまの召使いです」
 お鈴は空を指さした。
   「赤ん坊は、如来さまに抱かれてスヤスヤと眠っています」
   「私には見えません、どうかこの手にお返しください」
   「赤ん坊は死にました、でも如来さまは、あなたの手に赤ん坊はお返しになります」
 お鈴は、この母親を抱きしめ、優しく諭すのであった。今すぐ叶わないが、来年、または再来年かも知れないが、再びこの世に生まれてくる。あなたの元か、他の誰かのもとかも知れないが、あなたが元気に明るく生きていれば、きっとあなたの元へお返しになるでしょう。いつまでも亡くなった赤ん坊のことばかり考えて涙に暮れていれば、ほかの誰かの子供になってしまいますよと‥。
   「あっ、如来さまが微笑んで会釈なさいました」
   「このお乳を飲ませてやりたいのですが…」
   「大丈夫ですよ、如来さまの元では、お乳を飲む必要がないのです」
 お鈴は女を立たせ、手を取った。
   「さあ、お家まで、送ってさしあげましょう」
 
 家に着くと、丁度女の夫らしい男が野良仕事から帰って、女房を探しているところだった。
   「申し訳ありませんでした、もう治ったとばかり思っていたのですが、また赤ん坊が消えたと訴えたのですね」
   「でも、もう大丈夫ですよ、奥さまは立ち直りました。優しく見守ってあげてくださいまし」
 いろいろと農夫の話を聞いてやり、別れて立ち去るとき、お鈴は「ご夫婦仲良くね」と、声をかけた。農夫も「今夜は雨になりそうです。お気を付けなすって」と、声をかけてくれた。

   「お鈴さんは、凄いですね。如来さまのお姿が見えるのですね」
   「見えません。あれは嘘です」
 赤ん坊は、死んで生まれたそうである。それを自分の所為だと気に病み、想い煩ってしまったらしい。それに気付いたお鈴が、咄嗟の嘘で救ったのだそうであるが、来年、再来年にあの夫婦に子供が生まれたらよいが、そうでなければお鈴は恨まれるだろうと笑っていた。
   「朝倉さまのご兄妹は、いいかげんですね」
 呆れながら足を早めた。農夫が「今夜は雨ですよ」と言っていたのを思い出したのだ。 ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第五部 国定忠治(終) (原稿用紙17枚)

2016-05-27 | 短編小説
 勘太郎は、やくざになりたくて辰巳一家で下働きをしてきたのではない。さりとて、坊主に戻る気はさらさらない。百々村(どどむら)は元、大前田一家の貸元(親分)国定村出身の忠次郎に会って、父親三室の勘助は「裏切り者では無かった」と、言わせたい。もしも、頑として自分の非を認めようとしなければ、腕のひとつも折ってドスが持てないようにしてやりたい。この一途な思いが、自称新免一刀流の達人の朝倉辰之進の剣に食らいついて自己鍛錬をしてきたのだ。

   「朝倉さま、長い間面倒をみていただき、有難う御座いました」
 猪熊一家の殴り込みの片がついて間もない日、勘太郎は朝倉の前に手をついた。
   「御座いましたとは、過去のことか? 勘太郎には、まだ免許皆伝しておらぬぞ」
   「はい勘太郎は武士では御座いません、喧嘩長脇差ですので、もう十分に教わりました」
   「十分かどうか、門下生が見極めてどうする」
 師が、皆伝とは言っていないのに、門下生が「もう十分」とは、何事かと勘太郎は叱られた。朝倉辰之進は、勘太郎に剣道を教え込み、江戸で道場を開いたときの師範代にするつもりであった。考えてみれば辰巳一家の借金など、遠の昔に返している。それでもなお辰巳一家に留まっているのは、その所為である。
   「忠次郎親分に遭って決着をつけたら、勘太郎は朝倉さまを頼って江戸に参ります」
   「儂よりも勘太郎が先に江戸へ着くかもしれないぞ」
   「では、信濃の朝倉さまのお屋敷を訪ねましょうか」
   「さて、それだが、屋敷が残っていれば良いのだが」
 朝倉辰之進が脱藩したのち、妹が婿をとって屋敷を護っているとは考え難い。むしろお家取り潰しになり、妹も追放されているかも知れない。親友の千崎は、はたして妹のお鈴を妻にしてくれたであろうか。些か不安もあった。
   「朝倉さま、お国で一体何があったのですか?」
   「そうだなぁ、勘太郎には話しておこうか」
 朝倉の妹お鈴には、千崎駿太郎という末は夫婦と約束した恋人が居た。後から田沼意信という朝倉たちの上司がお鈴を見初め、嫁にすると言い出した。朝倉は、お鈴と千崎の仲を分かって貰うべく田沼の屋敷に出向いたが、田沼は自分が上役であることを笠に着て、一歩も引き下がろうとしなかった。
 仕方がなく、千崎と妹お鈴を諦めさせようとしたが、お鈴は落胆の余りに身投げもやりかねない嘆きようであった。お鈴を見かねて、田沼の屋敷に日参したが、しまいには田沼が激怒して打刀(うちがたな)を抜いて、朝倉に斬りつけてきた。
 朝倉も抜刀して田沼の刀を凌いでいたが、凌ぎきれずに応戦してしまった。田沼が斬り込んできた刀を朝倉は左へはらったつもりだったが、手元が狂って田沼の喉を裂いてしまったのだ。「しまった」と思った時は、既に田沼は朱に染まっていた。
 朝倉辰之進は、自分の屋敷には戻らず、迂闊にもそのまま出奔してしまった。
   「千崎とお鈴はどうなったであろうか」
 二人には何の罪もない。悪いのは自分一人である。千崎は罪に問われることはないだろうが、お鈴は追放されてしまったかも知れぬ。どうか、千崎の妻になることは許されなくとも、せめて下女として雇い、千崎が庇っていてくれることを祈り続けた朝倉であった。
   「だがなぁ、お鈴の身を思うと、儂は恐ろしくて未だに確かめに行けないのだ」
   「どうしてもっと早く打ち明けて下さらなかったのですか、こんなところで五年もの歳月を費やすとは…」
 勘太郎は、呆れ返ってしまった。そんなことであれば、自分が信濃の千崎の屋敷へって、確かめて来たものをと、朝倉の優柔不断を心のなかで詰った。
 もし、お鈴が藩を追放されていたら、身寄りのない若い女が一人流れて行くところは遊里であろう。

   「朝倉さま、すぐここを出て、信濃に向かいましょう」

 当然、辰巳一家の貸元は二人がここに留まることを勧めた。ことに、勘太郎には親分子分の盃をやりたい。必死に止めるのを押し切って、師弟は旅に出た。

 宿と飯が伴ったとはいえ、小遣い程度の報酬で働かされていたのだ。朝倉も、勘太郎にも、辰巳に恩義は無い。二度と立ち寄ることは無いと思うが、万が一立ち寄って一宿一飯の恩義を受けた暁には、喧嘩の加勢か、命がけの使い走りは引き受けてやろうと、勘太郎は自分の心に湧いた後ろめたさをふりきった。

 勘太郎は朝倉を途中の旅籠に残し、一人で信濃の国の朝倉辰之進の屋敷を訪ねたが、そこは空き家であった。それではと、千崎の屋敷を訪ね、朝倉の使いだと言って妹のお鈴に逢いたいと願い出たが、千崎も奥方も「そんな女は知らない」と、突っぱねた。そればかりか、上役を殺して逃げた朝倉辰之進なる男とは一切関わりがないと、冷たい対応であった。
   「師匠は、親友だと言っていたのに、随分冷たい親友だなぁ」
 千崎の奥方は、朝倉から聞いていたお鈴の容貌とは違っていた。
   「では、お鈴さんはどうなったのだろう」
 考え込みながら、朝倉が待つ旅籠への道を辿っていたら、後ろから追ってきた男が声を掛けてきた。
   「旅人さん、待ってください」
 千崎の使用人であった。
   「朝倉様の妹さんの消息を聞いて知っております」
 主人の目を盗んで、知らせに来てくれたらしい。

 朝倉の家は断絶となり、妹お鈴は追放になったそうである。後の噂では、行く当てもなく呆然自失で身投げをもしかねなかったお鈴を、やくざの親分が助けて連れて帰ったそうである。それを千崎の使用人に伝えに来たのも、その親分一家の三下だった。
   「それは何処の親分でしょうか?」
   「国定忠治とかいう親分です」
 国定? 忠治? 勘太郎は「もしや?」と、ある男を頭に浮かべた。その男こそ、勘太郎が怨みに思っていた国定村生まれの長岡忠次郎親分に違いない。そんな男の手に落ちれば、お鈴の身は遊里に売り飛ばされているか、妾にでもされていることだろう。朝倉のもとへ戻る勘太郎の足は、俄かに重くなった。

 朝倉は勘太郎の帰りを待ちかねていた。そんなことであれば、自分が足を運び確かめたら良いものを、「それでも武士か」と勘太郎は、腹立たしい思いを抑えて、一部始終を報告した。
   「そうか、やはりお鈴は千崎に見捨てられたのか」
 千崎を責めてはいけない。全ては自分の軽率な行動がお鈴を不幸に陥れたものだ。朝倉は自分を責めた。
   「その一家へ行ってみよう」
 国定忠治とか言うやくざ者が、お鈴を辛い目に遭わせていたら斬る。朝倉はそこまで言ってのけた。
   「実は…」
   「勘太郎、どうした」
   「その国定忠治は、俺らのお父を殺させた長岡忠次郎の偽名かも知れないのです」
   「そうだったのか、よし、仇討ちに行こう」

 仮初にも、一時は仏にお仕えした身である。仇打ちではないと自分に言い聞かせる勘太郎であったが、父ばかりではなく、たった一人の血がつながった浅太郎を仏門に追いやり、わが身を天涯孤独にした憎い男である。とは言え、父の目が見えなくなったときには、大枚を惜しまずはたき、江戸から医者を呼び寄せてくれた恩義もある。

 勘太郎は、複雑極まりない気持ちで国定一家を訪ねた。
 
   「軒下三寸借り受けまして、ご挨拶申し上げます」
 勘太郎の切る仁義に応えて、若い男が座敷に正座して手をついた。
   「当方、三下でございます、どうぞ旅人さんからお控えなすって…」
   「いえ、当方こそしがない若造でござんす、あんさんからお控えなすって…」
 仁義はたんなる挨拶ではない。一宿一飯の恩義を与るだけの偽侠客でないことを分かってもらう儀式でもある。
   「お言葉に甘えて、控えさせて戴きます」
   「早速のお控え、有難うございます」
 ここからが、辰巳一家で覚えた勘太郎の腕のみせどころである。
   「手前生国と発しますは、上州です。上州と申しましても些か広うござんす」
 奥で、国定忠治が聞いているだろうと、名前の紹介は声高になった。
   「上州は赤城山の麓、百々村の在所で産声を上げ、赤城の勘太郎と二つ名の渡り鳥にござんす」
 奥で反応はなかった。勘太郎の仁義を認めてくれた若い衆は、親分は留守であるが、座敷に上がることを勧めてくれた。
   「忠治親分とは、幼い頃にお会いしおります」
   「そうでしたか」
   「実は、もう一人お侍の連れが外で待っているのだが」
   「親分に御用の方ですかい?」
   「当家に御厄介になっている筈のお鈴さんの兄上なのです」
   「そんな大切なことは先に言ってください、たしかにお鈴さんをお預かりしています」
 お鈴は、離れの座敷で生活しているそうである。
   「親分さんのお妾ですかい?」
   「違います、親分は大切なお預かりものだと、あっし達には、話もさせて貰えません」
 若い衆は、「今、お呼びしてきます」と、奥へ引っ込んだ。その間に、勘太郎は朝倉を呼びに外へ出た」

   「朝倉様、お鈴さんはご無事ですよ」
 その勘太郎の一言を聞いて、朝倉は転がり込むように戸を潜った。
   「お鈴、お鈴は何処だ!」
   「今、呼びに行って貰っています」

 お鈴もまた、奥から転がり出て来た。
   「兄上、ご無事でしたか」
 言うなり、朝倉辰之進の胸に顔を埋めて慟哭した。
   「良かった、お前も無事だったのだな」
   「はい」
 そう答えたのであろうが、声にはなっていなかった。

   「親分のお帰りです」
 表で若衆の声がした。奥に居た子分たちがサッと出て来て勢揃いした。
   「お帰りなさいまし」
 男が入ってきた。男は脇に居た若いのに腰から抜いた長脇差を渡し、二人の客人とお鈴に気付いた。
   「何かあったのか?」
   「お鈴さんのお兄さんが会いにこられました」
   「何、朝倉さんが?」
   「さいです」

 勘太郎の見覚えのない男であった。無理もない、勘太郎が忠次郎をみたのは、まだ幼い頃である。それも、父親勘助が正座して忠次郎を迎えたその背越しにチラっと見ただけである。
   「それで、こちらの旅人さんは?」忠治が子分に訊いた。
   「赤城の勘太郎さんです」
   「朝倉さんを案内して来てくれたのか?」
   「さいです、勘太郎さんは親分のことを知っているそうです」
   「さて、いつどこで会ったのやら」
 勘太郎が親分の前に進み出た。
   「親分、俺らの顔に見覚えはありませんか?」
   「知らないなぁ」
   「では、誰かに似てはいませんか?」
   「似ていると言えば、板割の浅太郎に似ている気がするが…」
   「もっと、似ている男が居るでしょう」
   「うーむ」
   「あんたが浅太郎に殺させた、三室の勘助の倅ですよ」
 忠治は、勘太郎の顔をまじまじと見つめて、瞬きさえ忘れ沈黙した。暫くして漸く口を開いた。
   「あのチビ助が、こんなに立派になりやがって…」
 忠治の視線が、勘太郎の目から離れて宙に浮かんだ。過去を悔いているように見える。
   「勘太郎、仇討ちか? 遥々仇討ちにやって来たのか」
 先ほど、親分から長脇差を受け取った若衆が戻そうとしたが、忠治は黙って手で「要らない」と合図した。
 勘太郎はゆっくり首を左右に振った。
   「親父は、忠次郎親分に逃げてもらおうと、大声で逃げ道を教えた」
 追われる身であったとは言えその謎が解けず、思慮なく父と甥の浅太郎を手柄に走った裏切り者と罵り殺害を命じた。幼くして親をなくした子の嘆きなど、お前には察することは出来まい。もし自分が武士の子であれば、返り討ちに遭おうともせめて一太刀でも恨みを晴らそうものを、と勘太郎は悔し涙を零した。

   「よくぞお鈴さんを護ってくだすった」
 恨みは恨み、礼は礼。朝倉兄妹と勘太郎は、丁重に国定忠治に頭を下げると表に出た。入れ替わりに、国定の子分が転がり込んだ。
   「親分、てえへんです、羽柴一家が縄張りを取り返しに殴り込みをかけてきます」
 国定一家は、俄かに騒々しくなったが、勘太郎は振り返りもせずに一家を後にした。
   「勘太郎、お鈴を頼む」
 朝倉は、腰の刀を抑えると、一家に取って返した。(終)

赤城の勘太郎 (悪戯半分に股旅演歌風の歌詞を書きました)

墨染衣 網代の笠で
赤城背にして 峠を越えた
青葉目に沁む そのただ中を
何処へ行くのか 勘太郎

 親父譲りの 度胸と意地を
 胸に隠して 網代を捨てて
 脇に抱えた その三度笠
 やくざ渡世の 勘太郎

人は斬らずに やくざの縁を
斬って戻って きはきたけれど
待っていてくれ その墓の中
親父恋しい 旅鴉

 今度戻って 来たそのときは
 親父が願った 堅気の姿
 墓に供えた その濁り酒
 ほろり零した ひとしずく

この物語はフィクションであり、登場するかって存在したであろう人物とは全く関係ありません。

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
  第一部 板割の浅太郎
  第二部 小坊主の妙珍
  第三部 信州浪人との出会い
  第四部 新免流ハッタリ
  第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
  第一部 再会
  第二部 辰巳一家崩壊

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第四回 新免流ハッタリ   (原稿用紙15枚)

2016-05-02 | 短編小説
   「おい、坊主これから何処へ行く」
 二人並んで黙って歩いていたが、信州浪人朝倉辰之進が口を開いた。文無しになるところを助けて貰ったくせして偉そうに、「坊主」とは何だと勘太郎は言い返そうとしたが、よく考えてみれば髪はボサボサだが坊主に違いない。
   「信濃方面です」
   「行くあてはあるのか?」
   「無いから方面と言っているでしょう」
   「わしも信濃へ行く、一緒に行こう」
   「妹さんに会うためでしょう、それはさっき聞いた、その後はどうするのですか」
   「そうだなあ、仕官は望めないから、この腕を活かして江戸で庶民の子供相手に剣道指南の道場でも開くか」
 またしても腕自慢である。余程腕が立つのか、空威張りなのか分からないが、だいたい新免一刀流などと言う剣の流儀があるのだろうか。新免宮本武蔵政名の流れを汲む流儀であれば、新免二刀流である筈だ。宮本武蔵の話は昌明寺の若い僧侶真寛が寝物語に聞かせてくれたからである。だが、住職に知られることになり「寺で血生臭い決闘の物語を小坊主に聞かせるとは何事か」と、真寛が叱られたことにより封印された。
   「俺らも、父ちゃんの恨みを晴らしたら、江戸へ出ようと思っています」
 朝倉辰之進は、小僧の一人旅に何か訳がありそうだと睨んでいたが、まさか仇討ちだとは思わなかった。
   「坊主が仇討ちか?」
   「いいえ、ヤクザになってヤツの腕の一本も圧し折ってやる程度の仕返しです」
   「それで気が晴れるのか?」
   「仮初の縁たりとも、得度して僧侶になった身、血生臭い仕返しは出来ません」
   「そうか、その心得はよしとしても、相手は大人の男であろう」
   「もと、上州大前田一家の親分で、時の代官を斬って逃げています」
   「その親分に父親が殺されたのか?」
   「はい、こともあろうに父ちゃんの甥、俺らの従兄弟に命じて殺させたのです」
   「父ちゃんが親分に裏切行為をしたのか?」
   「いいえ、父ちゃんは目明しだったので、捕物で凶状持ちを逃がすことが出来ず、せめて世話になった親分にそれとなく逃げ道を教えたのですが、その謎が解けずに裏切り者と思い込み殺させたのです」
   「そうか、それは悔しいなぁ」
   「はい」
   「なぜ坊主になったのだ?」
   「俺らも幼心に殺されると思ったので、従兄弟の隙をついて闇に逃れ、寺に駆け込んで庇ってもらったのが縁で、そこで育てて貰いました」
   「辛かったであろう」
   「はい、ですが真寛師僧がお優しい方でしたので、厳しい修行にも耐えることが出来ました」
 勘太郎は空を眺めた。真寛にはもう会えないだろうと思ったので、悲しくなり涙を零すまいとしたのだ。

 朝倉辰之進は、ふと立ち止まった。何を思ったのか、ヤクザ風の男を呼び止め、賭場の場所を尋ねた。ここからすぐ近くの辰巳一家が、夕刻から賭場を開くそうであった。
   「懐の物が乏しいので、ここらで増やして行こうと思う、付き合ってくれるか」
   「俺らは、何をすればいいのですか?」
   「何もしなくて良い、黙って待っていてくれ」
   「待つだけで、何の役にたつのですか?」
   「役に立つのではなく、今夜、旅籠で一緒に泊まろうと思っているのだ」
   「それで?」
   「これから勘太郎と行動を共にして、強い男にしてやろうと思う、どうだ、やってみるか?」
   「剣道の指南が受けられるのでしたら、是非お願いします」

 勘太郎は、賭場(とば)の外で朝倉辰之進が出て来るのを待った。だが、いつまで待っても出てこない。痺れを切らして賭場を覗き込み、若いヤクザに叱られた。
   「ここは子供の来るところではない、けえれ」
 勘太郎は、ぶすっとしてその場を離れたが、一刻(二時間)は待っている。もう日暮れも間近であるから諦めて独りで旅に立とうと思うが、剣道指南に未練がある。旅籠に泊まれるかもしれないのも魅力だ。
   「どうせ独りで立てば野宿だ」
 こうなれば、野宿の積りでとことん待ってやろうじゃねぇか、と腹を括ったとき、漸く朝倉が出て来た。
   「いやぁ済まん、済まん、こんな筈ではなかったのだが」
 持ち金を、すっかり摩ってしまったうえに、借金まで作ってしまったようだ。
   「わしは、この一家で用心棒をさせられることになった、坊主もここへ草鞋を脱がないか?」
   「子供など、子分にしてはくれないでしょう」
   「下働きをして、置いてもらうのだ」
 どうやら、勘太郎を働かせるのも借金返済の算段に入っているらしい。勘太郎とて、その積りで旅に出たのである。不満どころか、朝倉から剣道指南が受けられるので御(おん)の字である。


 朝倉と共に辰巳一家に来て、早くも五年の年月が流れた。貸元は、勘太郎が一丁前になったとして親分子分の盃を交わしてやろうと言うのだが、のらりくらりとその矛先を躱(かわ)して十九歳になった。

 月夜には、暇をみて朝倉とふたり街はずれの空き地へ出かけ、「えいっ!」「とう!」と、剣道の指南を受ける勘太郎であった。
   「勘太郎、まだ慢心するなよ、お前の腕はまだまだである」
   「はいっ、お師匠さま」
 
 ある日、辰巳一家の若い衆が意気込んでいる。その割には、ふっと表情に陰りをみせる。
   「勘太郎、世話になったなぁ」
   「泰吉兄ぃ、何処かへいっちまうのですかい?」
   「多分な」
   「どうしたのです?」
   「猪熊一家へ喧嘩状の返事をもって行かされることになった」
   「そんな使いなら、俺らが行ってきますぜ」
   「簡単に言うな、多分、生きては帰れねぇのだぞ」
   「何故?」
   「喧嘩開始の血祭りだ」
   「ふーん」
   「ふーんって、それだけか?」
   「兄ぃ、俺らに任せとけって、上手く返事を伝えて逃げ帰ってやる」
   「それはダメだ、親分が許さねぇ」
   「どうして?」
   「だって、おめえは将来辰巳一家の跡取りになるのだろう」
   「俺が?」
 勘太郎は寝耳に水であった。泰吉に問い質せば、いずれ親分の養子になって、一家を束ねることになるのだそうである。
   「あはは、ならねぇよ」
 勘太郎は、三下でも半かぶち(半分やくざ)でもない。ただの下働きで、しかも置いて貰っているだけで、決まった駄賃すら貰っていない。
 たまに、「女郎買にでも行って来い」と、一朱か二朱持たされるが、これでは夜鷹も買えない。それでも黙って働いているのは、朝倉辰之進に剣の指南が受けられるからである。

 猪熊一家には、俺らが行くと親分にいうと、「子分でもないおめぇを‥」と、渋っていたが、勘太郎のたっての申し出に折れた。あの様子だと、養子の話は満更嘘でもないらしい。「そろそろ潮時かな?」と勘太郎はそろそろ旅に発とう思った。

 清水一家の桶屋の鬼吉は、喧嘩状の使いの時は棺桶を担いで行ったという。殺られた時は、これに入れて帰してくれという覚悟を示したものである。勘太郎は、長脇差を一本だらしなく腰に差し、鼻唄まじりで出かけていった。

   「おひけぇなすって」
   「なんだ、三下の勘太郎じゃねぇか」
 三下じゃねぇやと口からでそうになったが、飲み込んだ。
   「へい、喧嘩状の返事を、口頭でさせていただきやす」
   「それで?」
   「売られた喧嘩、買わせていただきやしょう」
   「それが辰巳の返事だな」
   「確かにお伝えしゃした、では勘太郎帰らせていただきやす」
   「待て、そう急がずとも、乗り物に乗せて送ってやろう」
 ははん、戸板だなと思ったが、にンまり笑って「結構です」と、断って頭を下げた。
   「そいつを帰すな、血祭にあげろ」
 それ来た、泰吉の兄ぃが言っていたことは本当だったのだと、「キッ」と身構えた。
   「わかりやした、殺って貰いましょう。その前に、この喧嘩のもとは何か教えてくれませんか?」
   「死に土産だ、教えてやろう。猪熊の縄張りで、辰巳の若いもンが、女を手籠めにしょうとしたところを、うちの若いもンが止めたので殴りかかってきた」
   「いつ?」
   「昨日の昼よ」
   「まっ昼間に、女を手籠め?」
   「そうよ、うちの若いもンは、歯を折られちまったのよ」
   「ふーん」
   「納得したか?」
   「ばか、そんな下らねぇことで殴り込みか」
   「親分に、ばかとは何だ」
 子分の一人が、勘太郎を捕まえようと腕を伸ばしてきたところを斜め後ろへ飛び、腰の長ドスを抜きざまに男の腕を斬った。いや、見ていた者は斬ったと見たが、武士さながらの素早い峰打ちであった。一同は「おお」と唸り一瞬固まったが、気を取り戻して長ドスを抜いて勘太郎に向けた。
 その時、師の「先手必勝!」の声が、勘太郎の耳に飛び込んだような気がした。長ドスの峰を返したまま、勘太郎は子分たちの中に飛び込んだ。
 束になって斬り込んでくる子分たちを、物の見事に躱(かわ)していたが、「やめた、やめた」と突然長ドスの切っ先を下げた。
   「てめえらのドスじゃ、この勘太郎を斬るのは無理だ」
 師譲りの、ハッタリをかました。これも、新免一刀流の奥義だとか。
   「これ以上かかってくるなら、明日の殴り込みでドスを持てるものは少なくなるぜ」
 それに、辰巳一家には、勘太郎の師匠が居る。
   「猪熊一家に、勝目はないと思うが、明日を楽しみにしているぜ」

 それでも、威勢の良い若いのが、長ドスを水平に構えて突っ込んできたのを、勘太郎は横にはらい、返すドスで手首を打ち付けた。
   「ギャッ」
 男は柄に似ず、高い声で悲鳴を上げた。
   「ほら、また一人減ったぜ、なんなら、五・六人減らしておこうか」
 勘太郎は、落ち着き払っていた。「俺らは、強くなった」と、満悦気味である。だが、長居をしていてはハッタリがばれてしまう。一斉にかかってくると、お手上げだ。用は済んだ、ここらで引き上げておこうと、挨拶をして猪熊一家を出た。

 子分たちが、後を追って来るかと用心したが、その様子は無かった。
   「先生直伝の、ハッタリが効いたようです」
 勘太郎は、独り言を言いながら、帰途を急いだ。

   「親分、勘太郎が元気に戻ってきやしたぜ」
 泰吉である。勘太郎のことが心配で、門口で待ち受けていたようである。
   「ほう、流石先生の手解きを受けているだけはあるな」
 親分も、目を細めた。

 翌朝になっても、猪熊一家の殴り込みは無かった。昼近くになって、猪熊親分が子分を一人連れて辰巳一家にやってきた。
   「すまねぇ、女を出会茶屋へ連れ込もうとしたのはこの野郎だった」
 その女を助けたのが辰巳の若いモンだったそうだ。連れてこられ、悄気返っていた子分が、深々と頭を下げた。
   「こいつには、きっちり落とし前をつけさせるので、許してくれ」
 親分は懐からドスを出すと、台の上に懐紙を重ね、子分に「ここへ手を置け」と、命令した。子分は手の震えを隠そうと、懸命になっている。
   「正直に白状したことだし、猪熊の、そいつを許してやってくれねぇか」
 辰巳が声をかけた。勘太郎も、濡れ衣を着せられかけた若衆も頷いた。  -続く-
 
 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
  第一部 再会
  第二部 辰巳一家崩壊
  第三部 懐かしき師僧
  第四部 江戸の十三夜

猫爺の連続小説「赤城の勘太郎」第三部 信州浪人との出会い (原稿用紙15枚)

2016-04-10 | 短編小説
 妙珍が修行した昌明寺では、般若心経をあげることはなかった。他の宗派では、「行によって煩悩を断ち切れ」と教える般若心経を上げるのだが、浄土真宗ではその行すらも必要ではなく、ただ阿弥陀如来に身をお任せするだけで良いと教える。
 本堂に向けて妙珍が声をかけると、檀家の人であろう男が気付いて応対に出た。
   「どちらのお坊さんですか?」
   「私は赤城山の麓にある昌明寺の僧で妙珍と申します、ご住職にお会いしたいのですが‥」
   「当寺の住職は、ただいまお勤め最中ですので、暫くお待ち戴いても宜しゅう御座いますか?」
   「はい、待たせて頂きます」

 妙珍は、はっきりと聞いた。当寺の住職は、阿弥陀如来像に般若心経をあげるばかりで、
領解文、重誓偈、阿弥陀経などの経は一切あげることはなかった。
   「変だなぁ」

 四半刻(30分)も待たされたであろうか、読経の声が止み僧侶が妙珍の前に現れた。
   「昌明寺の妙珍どの待たせたな、して、儂に用とは?」
   「先代のご住職さまは如何されましたか?」
   「二年前に、儂がここへ来て間もなく遷化(せんげ=死亡)なされた」
   「そうでしたか」
   「先代の住職に用があったのか?」
   「いえ、和尚さまにお尋ねしたいことがあります」
   「他に何か?」
   「和尚さまのご宗旨は、浄土真宗とお聞きしましたが」
   「如何にも、それがどうかしたか?」
   「先ほど読経を聞かせていただいておりましたが、どうして般若心経ばかりなのでしょう、阿弥陀経はお上げになりませんでしたね」
   「お前は、儂に因縁をつけにきたのか?」
   「そうかも知れません、貧乏人を檀家から外すなど、僧に有るまじき暴挙ですので、真意を確かめに参りました」
   「小僧の分際で何をぬかすか、痛い目に遭いたくなかったら帰れ!」
   「これはシタリ、まるで破落戸(ならずもの)のおっしゃりようではありませんか、あなたは僧侶ではありませんな」
 妙珍は確信した。この男は僧に化けているが、どこからか流れて来た破落戸であろう。しかも、男がこの寺へ来て間もなく先の住職が遷化したという。これは、もしかしたら先の住職はこの男に殺されたのかも知れない。
 住職の形相が変わった。それは僧侶のそれではなく、正体を言い当てられた鬼の形相であった。妙珍は駆け出した。住職は妙珍を追いかけてきたが、足の素早さでは妙珍の比ではない。住職は途中で諦めて寺へ戻っていった。

 翌日、本山の高僧に出向いて貰い、妙珍は役人と共に西福寺へ乗り込んだときには、住職の姿は消えていた。
 後に、医者の立ち合いで、元の住職の棺桶を掘り起こして再検分が行われたが、妙珍の勘があたり、土色の骨ばかりになっていたものの、肋骨に刀で斬られたた跡が見られた。

   「妙珍さん、村に留まって、西福寺の住職になってはくださらぬか」
 村長(むらおさ)に勧められた。葬儀を無事に終え、父親のご遺体を西福寺に埋葬されることになった作兵衛も、若い妙珍に頭を下げた。
   「申し訳ありません、私はこの通り未熟な僧です、そのお勧めには応じ兼ねます」
   「いえ、お若いが立派な和尚様です、なにとぞ‥」
 妙珍は、実は還俗した身である。僧侶の恰好で頭を丸めているために、僧侶として振る舞ったのであって、胸の内は既に僧ではない。
   「私は思うことがあり旅に出ました、この先は任侠の世界に身を投じようと考えております」
   「任侠の‥」
 村長は絶句した。だが、妙珍にはそれなりに訳と覚悟があるのだろうと思えた。
   「訳は訊きますまい、せめて新しいご住職が来られるまでご滞在いただけないでしょうか」
 作兵衛の父親の新仏(しんぼとけ)を、せめて四十九日の間は供養したい。そんな考えもあって、妙珍は暫く西福寺に留まることにした。殺された元のご住職も、それを願っているに違いないと思ったからである。

 作兵衛の父親の四十九日法要を終えて数日が経っていた。妙珍はそろそろ旅立とうと思っていた矢先、村長(むらおさ)が西福寺にやってきた。
   「住職を引き受けてくれる和尚が見つかった」というのだ。
   「それは宜しゅう御座いました、私はこれで心置きなく旅に立つことができます」
   「足止めして済まなかった、村の衆とも話し合ったのだが‥」
 村長は、懐が懐紙の包を取り出して妙珍に差し出した。
   「貧乏な村なので、皆寄ってもこの程度のお礼しか出来ないのだが‥」
 包には、一分金が三枚包まれていた。
   「名主さま、そのようなお心使いは無用に願います」
 妙珍の懐は乏しいが、侠客一家に身を寄せるつもりである。そこで働いて父親を殺した浅太郎と、それを教唆した忠太郎の消息を知りたいのだ。礼金は、布施として寺に置いて行くつもりで一応受け取った。

 間もなく、村の若い衆が墨染の僧衣に網代笠を被った僧を案内してきた。
   「新しいご住職がみえたようです」
 村長は、深く頭を下げて住職を迎えた。
   「では、私は新しいご住職に挨拶をして旅に出ましょう」
 妙珍もまた頭を下げて迎い入れた。僧は、網代笠をとって、やはり村長と妙珍に向かって頭を下げた。
   「ようこそ、お出でくださいました」
 僧の顔を見た妙珍は、飛び上がる程に驚いた。見紛うことなく、従兄弟の浅太郎である。相手は妙珍に気付いていないらしく、掌を合わせて妙珍に語り掛けた。
   「拙僧は伊那の仙光寺の僧、曹祥(そうしょう)と申します」
曹祥は、まだ妙珍に気付かない。
   「私は赤城山の麓、西福寺の妙珍でございます」
西福寺の名を聞いて、漸く気付いたようである。
   「お前は、勘太郎なのか?」
   「如何にも、三室の勘助の倅、勘太郎にございます」
   「よかった、生きていたのか」
 曹祥は思わず駆け寄って妙珍の肩を抱こうとしたが、妙珍はその手を跳ね除けた。
   「浅太郎兄さんは、僧侶になられたのですか」
   「あの後、俺は赤城山に戻って、親分に勘助おじさんが遺した言葉を伝え、親分子分の盃を返し、村へ戻って勘太郎を探したのだが見つからなかった」
   「私は西福寺に匿われておりました」
   「やはりそうだったのか」
 浅太郎は、幾度も西福寺に出向き、勘太郎のことを尋ねたのだが、その都度「知らぬ」「来てはいない」と追い返された。足を滑らせて池へ落ちたのではないか、山へ逃げ込んで飢え死にしたのではないかと、一帯を掛けずり探し回ったのだと言う。
 浅太郎は、自分の思慮の足りから、罪のない勘太郎まで死なせてしまったと自分を責め、二人の供養のために出家したのだと言う。

 僧侶同士で、仇討ちも仕返しもないだろうと、妙珍は、旅支度にとりかかった。
   「妙珍、何処へ行く」
   「ただいまから、妙珍の名は捨て、赤城の勘太郎に戻ってやくざの世界に身を投じます」
   「勘太郎、待ってくれ」
   「浅太郎兄さん、俺のことは、放っといてくれ」
   「勘太郎、お前は父親の仇を討つ積りだろう」
   「仇などとは武士の世界のこと、町人の俺に仇討ちなど出来ない」
   「やくざの仕返しなのか、勘助おじさんを殺したのは俺だぞ」
 浅太郎は、父を殺しておいて出家という駆け込み寺へ逃げ込んだのだ。もう怨むことも手出しをすることも出来ない。
   「俺はたった今から、あんたにそうさせた国定村の忠次郎だけを憎むことにした」
 勘太郎の父、勘助は目明しという立場から、代官殺しの大罪人忠次郎を逃がす訳にはいかなかった。そこで、それとなく逃げ道を忠次郎に教えたのだが、忠次郎にはその配慮が通じずに、恩義ある自分を裏切ったと勘違いしてしまったのだった。忠次郎がそれに気付いたのは、こともあろうに勘助の甥浅太郎に、「勘助を殺せ」と命じた後だった。

   「浅太郎兄さん、俺はもうあんたに会うことはないだろう、あばよ」

 待ってくれと懇願するような浅太郎の目を逃れて、勘太郎は旅に出た。恰好良く啖呵のひとつも切ってやりたかったが、着ている僧衣がそうはさせてはくれなかった。
   「どこかで銭を稼がなければ、旅籠にも泊まれない」
 と、言ってもこの若造に出来る仕事があるのだろうか。
   「とりあえず、侠客一家に草鞋を脱ごう」
 だが、客人として一宿一飯の恩義を受けるだけの器量も度胸もない。喧嘩出入りにでも出くわせば、何の役にもたてない。出来るのは、寺で覚えた飯炊き、風呂焚き、庭掃除の類である。


 行くあてなど無いも同然であるが、勘太郎の草鞋は信州を向いていた。途中、三基の一里塚を数え宿場町に入ると、通行人の数が目立ちはじめた。勘太郎がキョロキョロしながら歩いていると、後ろから足早に歩いてきた浪人者に追い越された。
   「大人の足は、早いなぁ」
 浪人の遠ざかっていく後姿を、感心しながら眺めていると、路地から町人の女が飛び出してきた。浪人の前に回ると、ふらっとよろけて胸に縋るように寄り掛かった。
   「破落戸(ならずもの)に追われています。どうぞお助けください」
 しきりに懇願しているが、女を斜め後ろから見ている勘太郎には、その手付きがよく見える。女は浪人の懐から財布を抜き取った。そこへ、女が飛び出してきた路地から男が女を追って来た。
   「こらお紗江、待ちやがれ!」
   「何だ、お前たちは知り合いか」
   「へい、女房のお紗江です、このアマ叩き殺してやる」
   「夫婦喧嘩か、人騒がせなヤツらだ」
   「へい、申し訳ありません」
   「だが、叩き殺すとはただ事ではないな」
   「いえ、これは口癖で、本当に殺したりはしません」
   「そうか、夫婦喧嘩は犬も食わぬと申すぞ、もっと人目のないところでやりなさい」
   「済みません、お紗江も謝らないか」
 女も頭を下げ、浪人の前から立ち去ろうとしたとき、駆け込んできた勘太郎が真相を明かした。浪人は自分の懐を探ると、漸く財布が無くなっていることに気付いた。
   「何と、こやつ等は二人組の掏摸であったか」
 浪人は、行き成り男に当て身を食らわして蹲せると、女の肩を抑え付けた。
   「掏り盗った財布を返してくれ」
 女はしぶしぶ浪人の財布を出した。
   「両の手首を斬り落としてやりたいが、やめておこう。お前たち、狙うならもっと金持ちを狙え」
 こんなことで、掏摸をやめるようなタマではない。その証拠は、離れ際に二人して勘太郎を睨みつけたことである。

   「おい坊主、よく知らせてくれたのう」
   「俺らに見られてしまったのに、子供だと侮ったのでしょう」
   「財布を盗られたら、博打の元手がなくなってしまう。今夜から野宿をしなければならないところであった」
 たいして入っていないがと、財布の中身を確かめながら、勘太郎に見せた。それでも二両と二分二朱という勘太郎にとっては大金である。
   「拙者は、とある藩の藩士であったが、事情あって陸奥へ行っておった、矢も楯もたまらず故郷で待つ妹に一目会おうと戻るところだ」
   「俺らは、赤城山の麓の生まれで勘太郎と言います」
   「拙者は、信州浪人 朝倉辰之進と申す。これでも腕は新免一刀流免許皆伝であるぞ」
 訊きもしないのに、腕前をひけらかす。素直で、あっけらかんとしているのか、何やら魂胆があってのことか勘太郎には推量できないが、一応「怪しい浪人」として、受け止めておくことにした。   ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第二部 小坊主の妙珍  (原稿用紙15枚)

2016-02-24 | 短編小説
 勘太郎は、父親の呻き声を聞いて飛び起きた。そこには,油皿の明かりに浮かび上がった朱に染まって動かなくなった父親と、その傍らに蹲る従兄弟の浅太郎の姿があった。
   「父ちゃん、父ちゃん!」
 勘太郎は泣き叫んで父親に縋り、振り返って浅太郎を見た。
   「父ちゃんを殺したな」
 浅太郎に近寄り、拳で叩きながら泣き叫ぶ勘太郎に、訳も話せず、弁解も出来ず、浅太郎は泣いて叩かれ続けるのであった。
   「勘太郎、俺と赤城山へ行こう」
   「嫌だ、人殺しの親分が居るところへなんか行くものか」
 どうやら、父親殺しは忠次郎の言い付けであることを夢現で聞いていたらしい。
   「違うのだ、訳は後で話す、とにかく赤城山へ行くのだ」
   「嫌だ!」
 強く叫ぶと勘太郎は駆け出し、戸を開けて外へ飛び出した。
   「いつか、仕返しをしてやる」
 何度も叫びながら、勘太郎は闇に消えた。浅太郎も後を追ったが、月は雲間に隠れ、小さくてすばしっこい勘太郎は、探しても見つからなかった。

 勘太郎が消えた先へ走って行くと、近隣村々の檀家を永代供養する菩提寺である昌明寺に辿り着いた。
   「ここへ逃げ込んだのだろう」
 浅太郎は寺の境内を探したが、暗いうえに裏が森である為、見つけ様が無かった。もし、寺の僧侶に匿って貰っているなら、幼い知恵でも「人殺しに追われている」と、訴えたに違いない。僧侶に尋ねても「知らない」と言うだろう。
 勘太郎を探してばかりはいられない。早く赤城山に戻って、叔父勘助が遺した言葉を忠次郎に伝えなければならない浅太郎なのだ。


   「あゝ 吃驚した」
 早朝の昌明寺、若い真寛(しんかん)という僧侶が境内を掃除していたら、本堂の縁の下から子供がのそのそっと、出てきた。
   「どうしたのだ? 昨夜ここで寝たのか?」
   「うん」
   「おや、三室の勘助親分のところの勘太郎ではないか」
   「うん」
   「家出をしてきたのか? お父さんが心配しているぞ」
   「従兄弟の浅太郎に父ちゃんが殺された」
 勘太郎は「シクシク」泣き始め、やがて大泣きをして真寛に抱きついた。
   「和尚様に相談して、お役人を呼ぼう」
 住職に相談すると、寺男を呼び代官所まで走らせた。駆けつけた役人が勘助の家に赴き、勘助の死体を見分(けんぶん)して寺へ戻ってきた。
   「浅太郎に父ちゃんが殺されるところを見たのか?」
   「うん、親分の言い付けだと言っていた」
 親分と言えば、あの手配されている大前田一家の忠次郎だろう。
   「すぐに捕えて、仕置きしてやるからな」
 翌朝、人数が揃ったので、役人達は赤城山に出掛けたが、立て籠もっていた忠次郎たちは、もぬけの殻であった。
   「勘助が浅太郎に脅されて、山狩りを漏らしたらしい」


 勘太郎は、昌明寺で預かることになり、やがて得度して妙珍(みょうちん)という法名を住職から戴き、修行に入った。


   「妙珍、隣村の長老がお亡くなりになった、今夜は通夜なので真寛に御供しなさい」
 住職は、別の檀家の法要に出掛けるという。妙珍が昌明寺に来て三年の月日が流れた。来た当時は六歳であったが、九歳にもなると、経も読め、字も真寛に習って写経が出来、すっかり僧侶としての日課勤行を熟していた。
   「はい、和尚様」
 まだ声変わりもしていない、幼さののこる少年であるが、見た目は修行僧でも、その心の内は僧にあるまじき復讐心に燃えていた。口には出さないが、いつの日か父親を死に至らしめた浅太郎と忠次郎に仕返しをする決意を秘めていたのだ。
   「和尚様、では行って参ります」
   「明日は葬儀があるので、今夜は先様へお泊りすることになる。ご無礼のなきようにな」
   「はい和尚様は、御無理をなさらないように‥」

 よく働き礼儀を尽くし、はきはきと経を読むので妙珍はどこへ行っても子ども扱いされずに、一人前の僧侶として敬われた。

 三歩下がって師の影を踏まず、妙珍にとって真寛は師ともいうべき僧侶であった。小さい体で、大きな荷物を背負って、チョコチョコと真寛の後を歩いていると、妙珍の顔をすれ違い様にジーッと見ていた行商人風の男が近寄って話しかけてきた。
   「小僧さん、もしや三室の勘助親分のお子さんではありませんか?」
   「はい、倅の勘太郎です」
   「やはりそうでしたか、勘助親分に似ていらっしゃる」
   「そうですか、私は父の顔が思い出せないのです」
   「人情に厚いお方でしたよ」
   「そうですか、有難う御座います、それで私に何か御用でも‥」
   「商いで信濃の国へ行ったとき、浅太郎さんにお会いしました」
   「そうですか」
 妙珍は気のない返事をした。
   「浅太郎さんは、勘太郎さんのことを気にかけていらっしゃいましたよ」
   「お尋ね者の忠次郎親分と一緒でしたか?」
   「そのようでした」
   「信州の何処に身を置いていましたか?」
   「それは訊きませんでしたが、会ったのは佐久の沓掛でした」
 妙珍は真寛に促され、男に礼を言って「先を急ぎますので」と、別れた。表面は事もなげに繕ったが、妙珍の心の内に棲む夜叉が目覚めていた。

 今にも信州へ飛んで行きたい気持ちに駆られるたが、子供の自分には尚早である。まして修行中の小坊主、仏に仕える身で決して許されることではないのだ。

   「妙珍、葬儀の仏壇を設える、そちらの端を持ちなさい」
 仏の枕元で経を読んでいた妙珍の背に真寛の声が降った。
   「あ、はい真寛さま」
 粗末ではあるが、ご家族の方々と共に仏壇を設置すると、妙珍は矢継ぎ早に真寛から命令を受けた。
   「妙珍、お前は絵が得意であったな」
   「はい」
   「亡き大旦那様の似顔絵を描いて差し上げなさい、仏壇に掲げましょう」
 家族の一人に墨と紙、毛筆用の細筆、太筆を用意して貰い、妙珍の前に置かれた。その後、亡き大旦那さまの顔に掛けられた布をとると、そこに眠っているが如く安らかな顔が顕われた。
   「お目は、開いて描きなさい」
   「はい、大旦那様には何度かお会いしております」
 妙珍は、達筆であるが、絵も見事である。「すらすらっ」と、在りし日の長老の生き生きとした肖像画を描いた。それを見た家族の者たちは喜び、涙を新たにした。
 葬儀は、しめやかに執り行われ、御遺体は昌明寺に運び込まれて無事に埋葬された。この時から、妙珍の噂が村々に広がり、「是非、妙珍さんに‥」と、法要の折には妙珍一人で出かけることが増えた。


 昌明寺において、妙珍は穏やかな日々を送り、五年の月日が流れた。妙珍十四歳の立派な僧侶になった。色黒で背丈は大柄の真寛にも届きそうで、僧衣で目立たないが、骨太のがっしりとした体つきになっていた。

 ある日、妙珍は住職と真寛の前で正座をして、深く頭を下げた。
   「和尚さま、お願いが御座います」
   「改まってどうした、言ってみなさい」
 住職が、厳かに声をかけた。
   「妙珍は、還俗(げんぞく)させていただきとう御座います」
 住職と、真寛は驚いて言葉を失った。その二人の耳に、更に驚きの言葉が入ってきた。
   「妙珍、任侠の世界に身を置きとうございます」
 仏に仕えて修行し、漸く一人前の僧侶になった途端のこの申し出、一体何が有ったのかと問いかけようとした和尚だったが、はたと気付いて言葉を呑んだ。代わりに真寛が口を開いた。
   「妙珍お前、父親の仇討ちをする積りではあるまいな」
   「町人の仇討ちはご法度にございます」
   「では、何故の還俗なのだ」
   「父を殺した浅太郎と忠次郎に仕返しをするためです」
   「やはり、仇討ちではないか」
   「いいえ、喧嘩の仕返しでございます」
 そなたは僧侶の身である。俗世の恨みで血を血で洗う諍いをするのは止めて、一心不乱に仏の道一筋に生きなさい。やがて、恨みや憎しみが如何に無意味なものであることを悟る日が来るであろうと和尚は妙珍を諭したが、一途に思いつめた若い妙珍は、既に僧侶の精神ではなかった。
   「妙珍、わしはそなたを縛り上げてもこの寺に繋ぎ置きたいところじゃが、いつか悟って仏門に戻ってくることを信じて待っていよう」
 
 翌朝、執拗に止める和尚たちに別れを告げて、妙珍は寺の布施から幾許かの金を分けて戴き、白衣の上に墨染の法衣、そして網代笠をかぶり、行くあてもなく旅立った。ただ、草鞋の先は、信州に向かってはいたが‥。

 妙珍の足は、赤城山を北にとって、恐らく忠次郎一行が辿ったと思われる街道を西へ向かった。還俗を許されたとはいえ、まだ丸坊主に法衣を纏っている妙珍は、無意識のうちに経を唱えて歩いていた。いくつかの村落を通り抜けたところで、後から若い男が追いかけてきた。
   「お坊さま、お待ちください」
 男は妙珍より四つ五つ年上であろうか、童顔の妙珍の前まで来て、大人の男が行き成り頭を下げた。
   「お願いがあります」
   「どうされました、私は浄土真宗の僧侶、妙珍と申しますが、このような未熟な坊主に願いとは如何なるものでしょうか」
   「私はこの村の者で、作兵衛と申します。今朝、父親が息を引き取りました」
   「それはご愁傷なことです」
   「私どもは貧しくて、亡き父にお寺のお坊さまをお呼びすることが出来ません」
   「たとえ布施など差し上げることが出来なくとも、お寺の和尚さまは来てくださるでしょうに」
   「いいえ、お布施の最低限が決められていまして、それを満たせないところには来て戴けません」
   「それはおかしいですね、檀家をお布施の額で差別をなさることは無い筈ですが‥」
   「私の家族は、檀家ではないのです」
   「菩提寺なのでしょう」
   「いえ、貧乏人は檀家の扱いはされません」
   「それは酷い、私がお寺へ行ってご住職に掛け合いましょう」
   「お坊さま、それは無駄です、取り合わないばかりか、追い返されますよ」
   「こんな小坊主のたわごとなど、聞く耳を持たないってことですか?」
   「はい、失礼ながらその通りだと思います」
   「ではまず、お父さまの通夜の準備をいたしましょう」
   「有難う御座います」
 
 妙珍が昌明寺で修行した行儀の真似事であるが、出来得る限りのことをしてあげようと、妙珍はてきぱきと指示を出した。棺桶も妙珍が金を出し、菩提寺である筈の寺の名を訊き、出かけて行って明日の葬儀までに埋葬の話をつけておこうと妙珍は考えている。

 寺は、西福寺と教わった。門前に立つと、この辺りの村々の菩提寺らしく、先祖代々の墓と刻まれた墓石が並び、可成り古びた本堂から読経の声が響いてくる。妙珍が昨日まで見慣れ、そして聞き慣れたた風情である。
 中へ入ると、檀家の衆であろう人の気配などあり、お香の臭いが立ち込めている。妙珍は更に本堂へ近付き、読経の声に神経を集中すると、凍り付いたように動きを止めてしまった。
 西福寺は昌明寺と同じ浄土真宗の寺であるが、聞こえて来たのは般若心経であった  ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜
   

猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第一部 板割の浅太郎   (原稿用紙12枚)

2016-02-16 | 短編小説
  この年、上野(こうずけ)の国、赤城山の麓の村々では、天候不順で穀物の凶作に苦しんでいた。それでも、お上の年貢軽減は行われず、代官は百姓の糧までも取り立ててしまう有り様であった。
 田の畔に出来る粟、稗などがある内は良かったが、それさえも食い尽くすと雑草を食み、冬になれば飢え死ぬ者や夜逃げをする農民も出ることだろうと危ぶまれた。
 これを憂いて、必死に代官の悪政と闘い続けた侠客が居た。国定村の苗字帯刀を許された豪農長岡与五左衛門の長男、忠次郎である。忠次郎は、上州百々村(どどむら)の大前田一家を束ねる若き貸元である。

   「こらこら、ここはガキがくるところではない、けえれ!」
 最近、十二、三歳の少年が、大前田一家の前をうろついている。時には門口から中を覗き込んだりもする。忠次郎が出入りするのを待っているのだ。
 忠次郎の姿を見かけると、駆け寄って「浅太郎と言います、どうか子分にしてください」とすがる。
   「馬鹿なことを言うな、お前はまだ子供ではないか、やくざなどになると、親達が泣くぞ」
 忠次郎が宥めると、その日はおとなしく帰るのだが、また暫くすると大前田一家の前をうろつくのであった。

 そんなことが続いたが、ある日からピタッと来なくなった。忠次郎は少年のことをすっかり忘れていたが、五年経ったある日、大きな図体になって再び姿を見せるようになった。
   「親分、あっしです、浅太郎です」
   「五年前に子分にしてくれとしつこく言っていたガキだな、大きくなりやがって」
「へい、両親が借金を残して亡くなった為に田畑は他人に渡り、あっしは無宿者になりやした、どうか下働きにでも使ってくだせぇ」
   「嘆く親が居なくなったのか」
   「へい、」
   「お前には、他に身寄りはないのか?」
   「勘助という叔父が居ますが、三歳になる倅を残して妻に先立たれ、男手ひとつで懸命に働きながら子育てをしております」
   「仕事は何だ」
   「目明しのようなことをやっております」

 目明しの勘助ときいて忠次郎は思い出した。三年前、俄かに目が見えなくなった目明しがいた。目明しが盲目ではお役目も果たせないと前途を悲観して首をも括りかねない男がいると訊いた忠次郎は哀れがって、大金をはたいて江戸から名医を呼び、手厚い治療させた。その甲斐あって目明しは目から鱗が一枚一枚剥がれるように見えるようになった。だが、女房のお房は、看病疲れと気苦労のために弱っていたところに、風邪を拗らせてぽっくりと死んでしまった。残された三歳の幼子を背負って苦労をしている目明しに、忠次郎は温かく手を差し伸べたのだ。「浅太郎は、あの目明し勘助の甥だったのか」と、忠太郎は不思議な縁を痛感した。

   「それで、お前に何が出来る?」
   「風呂焚き、飯炊き、厠の掃除なんでもやります」
   「ドスの心得はどうだ」
   「持ったこともありません、ただ一つ、素手で板が割れます」
   「ほう、どのくらいの板だ」
 浅太郎は、こんなこともあろうと持参した分厚い板をだして、忠次郎に渡した。
   「これが割れるのか、力持ちだなぁ」
   「いえ、力だけで割るのではありません、技と気合いで割るのです」
 浅太郎は、忠次郎の前で板を割ってみせた。
   「見事なものだ」
 忠次郎は、浅太郎を置いてやることにした。
   「そのうち、盃をやるから、しっかり働いてくれ」
   「へい、ありがとうござんす」
 数日後、叔父の勘助がやってきた。浅太郎は、叔父の自分が面倒をみてやらねばならないところだが、貧しいうえに女手もなく、困っていたらしい。
   「どうか、甥の浅太郎をよろしくお願いします」
   「わかった、預かろう」
   「重ね重ね、有難う御座います」
 勘助は丁重に礼を言って、浅太郎に顔を向けると、
   「親分には、たいへんお世話になっているのだ、浅太郎、その万分の一でもわしに代わって親分に尽くしてくれよ」と、言い残して帰っていった。浅太郎、十七歳の砌である。

 その年は、五年前よりも深刻な天候不順に襲われ、米の生産は平年の七割を下回った。百々村を含む十数ヶ村を取り締まる代官の熊村伝兵衛は、相も変わらず厳しく年貢を取り立てて私利私欲を満たし、農民を苦しめ続けた。
 代官に村人の現状を訴え、陳情に行った忠次郎は、代官の薄情な態度に激昂したが、お上に盾突くことも出来ず、悔しい思いで戻らざるを得ないのであった。そんな忠次郎をこのままにしておいては、代官の不正がいつ何処で暴露されるや知れぬと、「忠次郎を殺れ」と、代官は家来に命じた。
 忠次郎を捕えにやってきた役人たちと、大前田一家の者は忠次郎のもとで一糸乱れずに闘い、追い返してしまった。
   「こうなれば破れかぶれだ、熊村伝兵衛を生かしておいては村人たちの為にはならない、代官屋敷に殴り込みをかけよう」

 忠次郎は、後先のことも考えずに代官屋敷に襲撃をかけ、代官を斬ってしまった。お尋ね者となった忠次郎は、子分を引き連れて赤城の山に立て籠もったのであった。

 捕り方役人が赤城山まで追ってくることもなく、立て籠もってひと月も経ったであろうか、ある日、忠次郎は独り夕闇に紛れて下山し、久しぶりに湯に浸かり、髪結い床屋に髪を結い直して貰い、さっぱりとして赤城山へ戻ろうとした時、待ち伏せしていた役人に囲まれてしまった。
 多勢に無勢、それでも腕のたつ忠次郎は幾人かの役人を倒し、ほうほうのていで逃れ、時雨の赤城山麓に差し掛かったとき、ここでも待ち伏せしていた役人に取り囲まれた。道に迷って、「もうだめだ」と、観念した忠次郎に十手を突き出した目明しがいた。
   「忠次郎、ご用だ!」
 御用提灯の明かりに照らし出されたその人物は、見紛うことなく浅太郎の叔父、三室の勘助であった。忠次郎は、勘助に斬りかかったが、刃の下を潜り抜けた勘助は、十手で忠次郎の肩をぐいと押した。その忠治の耳元で、勘助は叫んだ。
   「一本椎ノ木に沿って南に折れると、赤城山頂に向かう一本道だ、忠次郎はその道を通って山頂へ逃げた、逃がすな!」
 この野郎、この俺に十手を向けるとは何という恩しらずだ。忠次郎は、尚も自分に十手を向け続ける勘助をぐっと睨みつけて、山頂に向かって逃げ去った。

   「浅太郎、ちょっとここへ来い!」
   「へい、親分何か御用でも‥」
   「てめえ叔父の勘助に手柄を取らせようとして、わしが今夜下山することを勘助に喋っただろう」
 浅太郎は、寝耳に水であった。
   「俺は親分を売るようなことはしませんぜ、それを一番ご存知なのは親分ではありませんか」
 忠次郎は、町で自分が役人の罠にかかったことを話した。誰にも言わずに出かけたことが、漏れていたのだ。
   「あの恩知らずの首を、お前の手で取ってきて身の証を立ててみせろ」

 こともあろうに、血の繋がりのある叔父を殺して来いというのだ。浅太郎は、その夜のうちに山を下りて、叔父勘助の家に向かった。

 夜中にも関わらず、叔父は快く浅太郎を迎え入れ、一番先に忠太郎親分が無事に戻ったかと尋ねた。勘助はそれを気にかけていたのだ。
   「親分は、無事だ」
   「そうか、それは良かった」
 叔父は、仏壇に忠次郎の名を書いて供え、毎日親分の無事を祈っていたという。また、心ばかりの食料を、明日農夫に頼み親分に届けるつもりだったと風呂敷に包みを差し出した。
 これで浅太郎は真実を理解した。叔父は親分を逃がす為に、逃げ道を教えたのだ。目明しという立場上、恩義ある親分に十手を向けざるを得なかった叔父の辛い心が読めて、浅太郎は涙を零した。さらに、優しい叔父を義理のために殺らなければならない自分の立場が悲しいのだ。

   「浅太郎、今夜は親分にこのわしを殺れと言われてここへ来たのだろう」
 叔父は、百も承知で、覚悟をきめていたのだという。それは、一本椎ノ木のところで親分が見せた怒りに満ちた目だった。親分は、勘助の心が読めなかったのだ。
   「浅太郎、お前に頼みがある。安らかな寝息を立てている勘太郎の行く末だ」
 勘太郎は六歳である。まだ一人で生きて行く力はない。
   「どうか、勘太郎はお前の手で堅気に育ててやって欲しい」
 さらに、忠治郎親分に伝えて欲しいことがある。代官をやくざに殺されたとあっては、お上の威光にも関わると、代官所では明後日に赤城山で山狩りを行う計画があるのだという。これには、公儀の助人も加わるので逃げきれないだろう。その前に何とか逃げて欲しいという伝言である。
 勘助は、浅太郎に両の掌を合わせた。そのあと、勘助はくるりと浅太郎に背を向け、隠し持った短剣を自分の腹に突き立て前のめりになった。
   「叔父さん、早まったことを‥」
 抱き起そうとした浅太郎の手を拒み、勘助は再び座り直すと浅太郎に言った。
   「お前も、やくざの足を洗って堅気になってくれ。わしはここでお前に討たれて死ねば本望だが、お前を叔父殺しの凶状持ちにはしたくない‥」
 勘助は、そう言い残すと、自分の腹から短剣を抜き取り、刃先を胸に当てて再び前のめりになり呻き声を残して事切れた。  -つづく-

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍へ
   第三部 信州浪人との出会いへ
   第四部 新免流ハッタリへ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜

猫爺の短編小説「母をさがして」第六部 別離 -最終- (原稿用紙12枚)

2016-02-09 | 短編小説
   「奥様、おいら仕事が見つかりました」
 耕太が喜んで飛び出してきた。その後を、奥方が追って出てきた。
   「どのようなお仕事ですの?」
   「お客様の相手をすればよいのだそうです」
 弥生は、首を傾げた。
   「いったい、何を商うお店(たな)でしょうね」
   「まだお店に行っていないのでわかりませんが、道で男の人に声をかけられたのです」
   「それで、いつお店に紹介して貰えるのですか?」
   「明日の朝です、五年先までのお給金を前借りできるそうです」
 弥生は、怪しいと話だと確信した。
   「今夜、旦那様がお帰りになったら相談してください、全てお話しするのですよ」
   「はい」

 弥生は会津の出である。江戸のことはよく分からないのだが、十三歳の駿平にとって、こんなにも都合のよい話があるものだろうかと疑問を抱いた。
   「耕太喜べ、おっかちゃんを取り戻せるかもしれないぞ」
   「本当かい、嬉しい」
 無邪気にはしゃぐ子供たちを眺めながら、不安に駆り立てられる弥生であった。

   「旦那様、お帰りなさいまし」
 駿平たちを喜ばすような良い情報が無かったのであろう。こころなしか格之進の表情は曇っていた。
   「あなた、駿平さんが仕事を見付けてきたのですって、何だか怪しいお話しなのでよく訊いてあげてくださいな」
   「怪しい?」
   「どこの誰だかわからない男の人に、誘われたそうです」
   「わかった、聞きだしてみよう」

 夕餉を終えたあと、格之進は兄弟を呼んだ。
   「駿平、それでどのような仕事か教えて貰えなかったのか?」
   「はい、でも働くところは陰間茶屋と言っていました」
 格之進は驚いた。この男は、巧言で女や男の子を騙して、遊里や富豪の男色家に売りつける人攫いの類に違いない。
   「それで、その男と何か約束したのか?」
   「いいえ、お世話になっているお屋敷の方々にご挨拶してから行くので、明朝待ち合わせということにしました」
   「よくやった、そのままついて行っておれば、母親の二の舞になるところだった」
   「おいら、売られるところだったのですか?」
   「そうだ、お給金の前払いなど真っ赤な嘘で、その男が全額受け取ってとんずらされるところだったのだ」
   「なんだ」
 駿平は、がっかりした。
   
 翌日、格之進は手下二名を駿平につけることにして、それを伝えに下男を番屋に走らせた。男が怪しい素振りをしたら捕えてふん縛るもくろみである。

 早朝、格之進の屋敷に、伝吉と平次という目明しが来た。格之進は、二人に小声で何事か指示して声高に「抜かるではないぞ」と言い放った。

 駿平が男に指定された場所で待っていると、ひょいひょいと男が姿を現した。
   「待たせたな、では行こうか」
   「はい」
 
 道のりは、可成り遠かった。朝でかけて、昼前に郊外のとある屋敷に到着した。
   「茶屋ではないのですね」
 駿平は、男に尋ねてみた。
   「そうだ、今日からお前はここで働くのだ」
   「お金は、いつ貰えるのですか?」
   「お屋敷の主がお前の働きを見て、気に入れば渡してくれるのだ」
  男は駿平を屋敷の戸口に待たせると、中へ入って行った。そこへ伝吉が来て、駿平の口を人差し指で封じて見せた。この時は、既に平次の姿は消えていた。

 伝吉は、屋敷内の様子を窺っている。中では、なにやら交渉している様子である。
   「小僧、入って来なさい」
 駿平が屋敷内に入ると、五十絡みの主(あるじ)らしき男が駿平の頭から足の先まで舐め回すように見ている。
   「ご主人さまだ」
 男が主を紹介した。
   「この子かい駿平というのは、わしの屋敷に奉公したいのか?」
   「はい」
   「歳はいくつだ」
   「十三歳です」
 屋敷の奥では、使用人らしき、いや用心棒かも知れぬ屈強な男達が棒立ちでこちらを見ている。主は、駿平を連れてきた男に、指を三本立て示した。
   「そんな殺生な、こんな上玉ですぜ、せめてこれは戴かないと‥」
 男は指五本を示した。
   「素性は?」
   「孤児でさぁ」
   「よし、それで手を打とう」
 使用人に五十両を持ってこさせて、人攫いに手渡し、男が懐に捻じ込んだところで、入り口の外で呼び子の笛が鳴った。

   「子供の売り買いはご法度、まして男の子となれば重罪だ」
 呼び子笛の合図で平次とともに駆けつけた同心が叫んだ。その後ろには、刺又、突棒、袖絡と十手を手にした捕り方が並ぶ。この屋敷の主は、以前から人買いの容疑で目を付けられていたのだ。

   「駿平、焦るな、お前たちのことはこのわしが悪いようにはしない」
 その夕刻、奉行所の勤めを終えて屋敷に戻った格之進が駿平兄弟に言った。慰めだけではなく、母親お由の行く方も、ほぼ掴めたようである。
   「最近、千住に会津出身の女が来たようで、名前はお由という」
   「おっかちゃんだ」
 耕太が叫んだ。格之進は気を使って「千住」としか言わなかったが、駿平は「千住遊郭」だと分かっていた。
   「駿平は侍になる気はないか?」
   「なれるのですか?」
   「一応、わしの義弟として、子供が生まれない同心夫婦の養子になるのだ」
   「なりますが、耕太はどうなるのですか?」
   「耕太は江戸の大店、津野国屋が引き受けてくれるそうだ、丁稚だが年季奉公ではないぞ、お給金の前借ということで、三十両渡して貰える、保証人はわしだ」
   「はい、一生懸命つとめます」
 明日、双方へ連れて行って、承諾を得るのだと格之進は言った。明後日は、高崎格之進独りで千住へ確認するために行くという。
   「高崎様、おいら達も連れて行ってください」
   「おっかちゃんに会いたいです」
 連れて行っても、子供は遊郭へは入れない。
   「お前たちのお母さんが居るところに、子供は入れないのだ」
   「会えずとも構いません、少しでもおふくろの近くに行きたいのです」
   「そうか、では行こう」

 子供の居ない同心は、一番目の妻との間に子供に恵まれず離縁し、二番目の妻との間にも生まれずに離縁した。現在は、三番目に貰った妻と三年添ったが、未だ子宝に恵まれず四十路を迎えてしまったのだという。賢そうな駿平を見て、高崎格之進様の義理の弟君であれば申し分ないと、是非とも養子になってほしいと望まれた。
 津野国屋でも、高崎格之進様の後ろ盾があるなら是非にも奉公して貰いたいと、揉み手で受け入れてくれた。

 日本橋から日光街道に行く手をとり、最初の宿場町が千住であった。その中で江戸の街中よりも人通りがある色街と呼ばれる郭で兄弟の母親は働いているのだそうである。
   「おっかちゃんに、会いたいなぁ」
 耕太が呟いた。
   「我慢をしようよ、いつかきっと会えるのだから」
 駿平は、兄として耕太を宥めたが、駿平もまた母親に会いたい気持ちは耕太以上であった。遊郭から少し離れた橋の上で兄弟は待ち、格之進一人が遊郭の中へ消えていった。それから半刻(一時間)ほどして、格之進は兄弟のもとへ戻って来た。
   「喜べ、お前たちの母親に違いなかったぞ」
 お由に、駿平と耕太が千住まで来ていることを伝えると、大泣きをして息子たちに詫びていたそうである。駿平と耕太の行く末を話し、一年もすれば兄弟で見受けしてくれるぞと話すと、悲しみの涙は喜びの涙に代わり「母は頑張ります」と、伝えて欲しいと、笑顔さえも見せたそうである。


 それからの兄弟は、強く明るくよく働いた。駿平は、同心の家へ養子に入ったものの、養子では義父の跡目を継ぐことは出来ないかも知れないと知らされても平然として、使用人以上に働き、親孝行につとめるのであった。
 耕太は、先輩丁稚のいうことをよく聞き、小さいながらも一生懸命に働いた。その甲斐があり格之進の補充も入れて、見受け料の六十五両の金繰りが出来た。
 丁度一年後に、兄弟は格之進に連れられて千住にでかけ、兄弟は母親のお由会えた。
   「おっかちゃん、会いたかったよ」
 八歳になっていた耕太が、母親の胸に飛び込んだ。抱き合う二人に駿平はそっと近寄り、二人を抱きしめた。

   「ところで、お由さんの身の振り方だが‥」
 格之進の言葉が終わらないうちに、お由が言った。
   「お江戸で子供たちの世話になることは出来ませんので、私は会津へ戻ります」
 会津で一人生きているか、死んでしまったかわからない亭主のもとに戻るのだという。
   「お由どの、またしても借金の肩に身売りということにならないだろうか」
   「子供たちのように、私も働きます」
 亭主が病んでいれば、生涯働きながら面倒を看たい。死んでいれば、自分の生涯をかけて弔ってやりたいと言う。
   「千住で地獄を見てきました、もう弱いお由ではありません」
 そして、お由は付け加えた。
   「亭主は、親孝行者の駿平と耕太の実の父親ですもの」   -終-

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猫爺の短編小説「母をさがして」第五部 金繰り  (原稿用紙12枚)

2016-02-01 | 短編小説
   「拙者は、今何処にいるのだ」
往診に来ていた医師が帰ったあと、意識が朦朧としていた侍が漸く口を利いた。
   「おヽ お目が覚められたか」
   「拙者の財布を抜き取った掏摸を、洞穴へ追い詰めたまでは覚えているのだが‥」
   「ご安心なさいませ、その掏摸は共が捕えております」
   「そうであったか、それは忝い、盗まれた三十両は戻るのか?」 
   「それが、盗人たちが金の隠し場所を吐かないのですよ」
   「盗人たち? そうか盗人には仲間が居たのか」
   「兄弟の二人組です」
   「大切な金なのだ、盗人に会わせてくれ、拙者が頭を下げてでも返して貰いたい」
   「いずれ、お代官の許しを得て、お会わせいたしましょう」
   「いずれでは困る、何とか今すぐにでも会わせてくれ」
 侍は、江戸北町奉行所の与力、高崎格之進と名乗った。騎馬与力であった父が事件に巻き込まれて馬とともに不慮の死を遂げ、格之進は若くして高崎家を継いだのだが、お役目上馬が必要である。妻のすすめで会津藩の妻の実家に赴き、頭を下げて三十両を借用した帰りであった。昨夜から熱が出てふらふらになり、なんとか旅籠まで歩いて行こうとしたが途中でぶっ倒れてしまった。
 そこへ、旅人と思しき男が声を掛けて来て親切ごかしで介抱され、体に巻き付けていた三十両を抜き取られた。気が付いた格之進は逃げる盗人を追いかけたが、あの洞穴の近くで見失ってしまった。
 もう、一歩も歩けない状態であったが、とにかく洞穴まで這って辿り着き、そのまま気を失ってしまった。
 何日の間、気を失っていたのだろう。朦朧とした意識の中で、懸命に自分を介抱してくれている男の声を聞いた。声の主は、自分より可成り若い男と、もう一人は年端もいかぬ少年の声であった。格之進は、その二人に微温湯を口に流し込まれ、そのまま眠ってしまい、目が覚めると番所に運ばれていたと役人たちに語った。
   「そいつ等ですぜ、旦那の三十両を盗みやがったのは」
   「拙者からお代官に頼んでみる、お代官に会わせてくれ」
 北町奉行所の与力と聞いては、会わさないわけにはいかない。まして、三十両も盗んだヤツ等を吐かせて断罪したい。
   「わかりました、お代官の許しを得てきましょう」

 代官とて、江戸の与力とあっては礼を欠かせるわけにはいかないと、自ら先頭に立って部屋に入って来た。
   「ご気分は如何で御座る」
   「はい、お蔭様でこの通りでございます」
   「それは上々、盗人にお会わせ致そう」
 代官は、家来に格之進を牢に案内せよと命じた。

   「あっ、お侍さま、お元気になられましたか」
 格之進は、叫んだ駿平を見て首を傾げた。
   「この子たちが盗人なのか?」
   「左様で、中々しぶとくて、金の隠し場所を白状しないのですよ」
   「違う、断じて違う、拙者の金を盗み取ったのは、大人の男だ」
   「違う? この子供たちが洞穴に居たのですよ」
   「この子供たちは、拙者の命を助けてくれたのだ」
   「気を失っていて、その判断が出来たのですか?」
   「朦朧として、顔かたちは覚えていないが、声ははっきり覚えている、弟は耕太と呼ばれていた」
   「耕太は、おいらです」
 駿平兄弟を牢に入れた役人は、しぶしぶ「出してやれ」と、牢番に指示した。
   「拙者の命を助けてくれた兄弟に間違いない、拙者に関わったばかりにとんだ目に遭わせてしまったようだな」
   「いえ、お侍さんがおいら達に気付いてくれなかったら、三十両盗んだとして首を刎ねられるところでした。
   「済まなかった、この通りだ」
 格之進は、駿平兄弟に軽く頭を下げた。
   「お侍さんは悪くない、謝ってほしいのは、おいら達の言い分を聞いてきれなかったそちらのお役人さんですよ」
 当の役人は、駿平を無視して、嘯いていた。

 牢から離れるとき、隣の牢に入っていた男と格之進の目が合った。
「拙者の金を盗んで逃げたのは、この男だ!」

 男は、病で倒れた格之進を介抱すると見せかけ、三十両と路銀の二分という大金を奪いながら、次の宿場で枕探しをして捕えられたのだった。三十両で満足して大人しくして居れば捕えられずに済んだものを、欲をかいたばかりに命取りになったようである。
   「その包は拙者から奪ったものだ、中に義兄から妻宛ての手紙が入っているはずだ」
 金だけ盗って、余計なものを捨てもせず持ち歩いていたとは、格之進にとっては幸いしたが、盗人としては愚の骨頂である。
 
 高崎格之進と駿平たちは、代官に礼を述べて代官所を後にした。駿平たちは、何も代官に頭を下げる義理はないのだが、格之進につられたのだ。
   「拙者がこうして無事に江戸へ戻れるのは、お前たちのお蔭だ、礼をいうぞ」
   「おいら達が元気に居られるのは、お侍様のおかげです」
 すっかり病気から快復した格之進に、兄弟二人で江戸へ向かっている訳などを聞いてもらいながら、その日は充実した気分で旅を楽しんだ。日暮れがせまって来たので、兄弟は格之進に別れを告げた。
   「ここでお別れします」
   「旅籠は、もう少し先だぞ」
   「おいら達は野宿です、そろそろ塒を探さねばなりません」
   「江戸まで拙者と共に参ろう、路銀も返ってきたことだ、三十両に手を付けぬとも贅沢をせねば三人で江戸まで行けよう」
 江戸に辿り着けば、格之進の屋敷で今後のことを話し合おうじゃないかと、駿平兄弟にとっては、願ってもない言葉に出会えた。

 
   「旦那様、お帰りなさいませ」
 高崎の屋敷で出迎えてくれたのは、奥方であった。
   「妻の弥生だ」
 兄弟に紹介してくれた。
   「この兄弟は、わしの命の恩人だ」
   「おいらは耕太、お兄ちゃんは駿平です」
   「旦那様を助けて下さったのですね、有難う御座いました」
 何があったのか、格之進の衣服は汚れていたが兄弟はそれ以上で、泥んこ遊びをして帰って来た腕白坊主さながらであった。
 弥生は、二人の衣服を脱がせ、兎に角風呂へ入れた。その間に、兄弟の衣服を洗濯しようと思ったが、擦り切れており洗っても無駄であった。急遽今夜縫ってやろうと、取り敢えず格之進の浴衣を二着用意した。
   「旦那様の浴衣なので、耕太さんには大き過ぎるけど、今夜は我慢してね」
 風呂から上がって、さっぱりした。続いて、格之進が風呂に入ったが、夫より先に誰かを風呂にいれることなど、今まで一度も無かったことである。それだけ、この兄弟を大切な客だと思い持て成しているのだろう。
 その夜、格之進は兄弟の話をじっくりと訊いた。
   「お前たちの母親なら、三十路は過ぎておろう」
   「はい、三十二歳でございます」
   「そうか、それでは江戸の遊郭吉原ではあるまい、恐らく江戸近辺の岡場所に売られたのであろう」
 明日から、格之進は二人の母親捜しをすると言ってくれた。会津の出で、お由という名前の三十二歳の女、これだけの情報があれば何とかなるだろうと格之進は考えていた。
 
 翌朝、格之進が奉行所にお勤めに出たあと、弥生が夜更けまでかけて縫ってくれた着物を頂戴した。その後、駿平と耕太は話合った。
   「兄ちゃん、おいらを年季奉公に出してくれ」
   「うん、そうだなぁ、おいらは歳をくっているから、年季奉公も売ることも出来ないだろう」
 それでも、何とか働き口を探して、金を前借してみる積りで、駿平は町に出てみようと思った。

   「駿平さん、どちらへ?」
 出掛けようとしている駿平に、弥生が声をかけた。
   「仕事を探してみようと思います」
   「それも、旦那様に相談してはどうかしら」
   「いても立っても居られないのです」
   「江戸は広いうえ、恐いところですよ、遠くまで行かないでね」
   「はい」
 お店というお店、口入れ屋という口入れ屋を回ったが、前借の出来るところなど無かった。まして、無宿者同然の子供など、相手にはしてくれなかった。日暮れが迫り、駿平はがっかりして耕太が待つ屋敷に戻ろうとしていると、遊び人風体の男が声をかけてきた。
   「急な物入りのようだな、歳は幾つだ」
   「はい、十三歳です」
   「それなら良いところが有る」
   「本当ですか?」
   「陰間茶屋と言って、お客の相手をするだけで大金が入るぞ」
   「おいらに勤まりますか?」
   「お前、なかなかいい顔をしている、勤まるとも」
   「給金の前借が出来ますか?」
   「そうだなぁ、十八歳まで務めるとして、五十両にもなるだろう」
   「どんなことでもやります、死んだって構いません」
   「そうか、では今から行ってみるか」
   「はい、と言いたいのですが、弟を待たせています、それに弟の面倒を見て戴く人に挨拶をして行きたいので、今日は帰らせて貰います」
   「明日、何処かで待ち合わせようか」
   「はい」
 待ち合わせの場所を決めてもらい、約束をして男と別れた。

―つづく―


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猫爺の短編小説「母をさがして」第四部 投獄   (原稿用紙9枚)

2016-01-28 | 短編小説
 餅は朝と夜に一枚ずつ食べるとして、五日分はある。運が良ければ、晒を使って川の浅瀬で小魚を獲ることも出来た。沢のほとりで火を焚き、小魚を炙って舌鼓を打つこともある。このまま行けば、飢えずに江戸まで行けそうである。江戸まで行ければ、何とかなるだろうと駿平が楽天的になれるのは、母親が江戸のどこかに居るという安心感からくるものだろう。

 昼過ぎ時、雲が張り出し雨模様になってきた。今日は少し早いうちに塒を探しておかなければならないだろうと、脇道に逸れて荒れ小屋か住人が絶え果てた廃家を探したが見当たらなかった。更に脇道を奥に進むと、猟師が雨宿りをする為に掘られたらしい洞穴があった。日暮れまでにはまだ刻はあるが、今夜はここで眠ろうと中に入ろうとすると、壁にもたれて休んでいる先客があった。
   「済みません、おいら達も入らせてもらってよろしいか?」
 汚れて擦り切れた打裂羽織と袴を付けてはいるが、立派な大小の刀を下げた侍のようである。
   「お侍さま、よろしいでしょうか?」
 駿平は侍に声をかけたが返事がない。「煩いガキどもが来た」と、無視しているのかも知れない。諦めて別の場所を探そうと思ったところに雨がポツリポツリと降り始めた。洞穴に踏み入れて侍の様子をみたところ、眠っているように思えた。起こしたら、行き成り怒鳴られて刀を抜かれるのではないかと思ったが、恐る恐る肩に手を当ててみた。
   「お侍さん、眠っておられるのですか?」
 駿平が、侍の肩を揺すると、「ガクッ」と横に倒れた。
   「死んでいる!」
 駿平は、慌てて手を引っ込めたが、代わって耕太が侍の胸に耳を当てた。
   「兄ちゃん、この人生きているよ」
 駿平も侍の胸に耳を当てた。息はしておらず、心の臓はさざ波のように小刻みに震えていた。
   「助かるかも知れない」
 駿平は自分の着ているものを脱ぐと侍を包み、馬乗りになって侍の口と自分の口を合わせ息を吹き込むと、暫くは両手で胸を押した。その昔、雪崩に埋まって心の臓が止まった村人を、若い医者が胸を押して助けたことを思い出したのだ。
 百回も続けただろうか。やがて心の臓は弱いながらも脈打ち始め、息を吹き返した。枯草を集め粗朶を拾い集め、枯れ木を燃やして侍の体を温めた。駿平の腰に下げていた竹筒の焼酎を沢の水で薄めて火の傍に置いた。
   「お侍さん、目がさめましたか」
 侍は目を開き、体を動かそうとしたが、「うっ」と呻いて顔をしかめた。体の節々が痛むらしい。やがて、水割り焼酎が人肌ぐらいに温まったので、侍の口に注いでやった。
 腹が減っているだろうと、餅を焼いて食べさそうとしたが、今の今まで気を失っていたのであるから、咀嚼力が低下しているだろうと、思い留まった。喉に痞えるかも知れぬと思ったからだ。

 体を摩り、火を絶やさず、どうにか夜明け近くになって侍は安定した寝息をたて始めた。耕太も駿平の傍らでスヤスヤと眠っている。
   「夜が明けたら、どうしょうか」
 侍を放って旅立ちも出来ず、この大男を背負って人里まで行く力もない。パチパチと燃えるたき火を見ながら、思案に暮れる駿平であった。

 夜が明けると、駿平は耕太を起こした。
   「兄ちゃん、近隣の村へ人を呼びに行ってくる」
   「おいらも行く」
   「耕太は、この人を看ていてくれ」
   「恐いから嫌だ」
   「どうして?」
   「この人、良い人か悪い人かわからない、目を覚ましたらおいらを殺すかも知れん」
 言われてみれば、そうである。自分と耕太が必死に介護したのに、気を失っていて何も知らない。懐に財布などはもとから無かったが、自分達が盗んだと思うかも知れない。
   「そうか、では一緒に行こう」
 昨夜は暗くて顔が見えなかったが、若いようであった。髭面で顔色など今もって分からぬが、寝息が安らかであった。放っておいても大丈夫だろう。

 民家を見付けて侍の様子を訴えると、番屋まで連れて行かれた。兄弟は役人に尋問されて、足止めをされた。
   「その侍を連れて来るから、それまでここで待っておれ」
 二人の役人に見張られて、縛りはされなかったものの完全に盗人扱いである。
   「あんな侍に関わって損をしたな」
 駿平は膨れっ面をしたが、耕太は平然としている。
   「おいら達は、なにも悪いことをしていないのだから平気だよ」

 兄弟を足止めしておきながら、茶一杯も出さない役人たちに憤りながら待たされること一刻(2時間)、漸く行倒れの侍を連れて役人が戻ってきた。筵に包み、上半身と足に縄をかけ、それはまるで屍でも運んで来たようであった。どうやら、侍の意識がはっきりとしていないようで、背負うことも出来なかったのであろう。
   「懐に財布はあったか?」
   「いいえ、有りません」
   「やはりこのガキどもが盗み取ったのだろう」
 兄弟は裸にされて取り調べられた。
   「財布は無いが、それぞれ巾着に百文ずつ入れて持っております」
   「盗んだ財布は、何処か途中の藪にでも隠してきたのだろう」
 取り調べているのは、威張ってはいるが手代と呼ばれる代官所の下級役人である。
   「その人は、初めから財布など持っていなかった」
 駿平が抗議をしたが、それが帰って疑いを深めさせた。
   「小僧、語るに落ちたなぁ、侍の懐を探ったからそう言えるのであろう」
   「違う、その人は息が止まり、心の臓も止まりかかっていたので、胸を押したのだ」
   「嘘をつけ、息をしていなかった者が、生き返ることはない」
   「このお侍は、息を吹き返しました」
   「ガキの癖に大嘘つきめ、こやつを縛り上げて、代官所のお牢に入れておけ」
 役人は、部下らしき男に申し付けた。そのとき、今まで黙って成り行きを窺っていた耕太が役人に言った。
   「お役人さん、小父さんは馬鹿か、懐にお金を入れていた侍が、あんな洞穴で野宿をするのか」
 お金が無かったから宿場に泊まらずに、洞穴で夜を過ごそうとしたのである。自分達が見つけて看病したときは、この侍は一文なしであったのだ。
 耕太が説明したが、馬鹿と言ったのが悪かったようである。役人は激怒して、侍の朦朧とした意識が回復したら、必ずお前たちを仕置きしてやると意気込んだ。

   「おいらたちはツキが無いらしい」
 お牢の中で、駿平は独り言のように呟いた。
   「お兄ちゃん大丈夫だよ、あの侍の意識が戻れば、おいら達は解き放ちになるさ」
   「ところであの侍、医者に診せたのだろうか」
   「さっき、医者を呼んで来いと手下を走らせていたよ」
 
 一日過ぎても、二日過ぎても何ら音沙汰はない。少しでも早く江戸に近付きたいのに、駿平は苛立ってきた。
   「あの侍、死んだのかも知れない」
 そうなれば、意地の悪い役人に盗人にされてしまう。どうぞ生きていてくれと、祈る気持ちで待ち続ける駿平であった。

-つづく-


  「母をさがして」第五部 金繰りへ

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猫爺の短編小説「母をさがして」第三部 拐かし  (原稿用紙10枚)

2016-01-27 | 短編小説
 その日も暮れかかったので、兄弟は街道を逸れて一夜の塒を探した。運が良いことに、今度は小さなお社が見つかった。神主様にお願いをして、床下をお借りしようと中に入ったが、誰も居なかった。
   「おかしいなぁ、人が居た気配はあるのに」
   「どこかに、ご用で出かけているのかも」
 日が暮れても、神主は戻ってこなかった。兄弟は勝手に床下に潜り込み、横になっていると、「ドタドタッ」と、床上で音がした。
   「その柱に縛り付けておけ」
 誰かが捕えられてきたらしい。駿平が耳を澄ましてみると、縛られたのは女の子のようだ。猿轡をされて喋れないが、「ううう」と、泣いている様子である。
 大人の男は、三人いるらしい。
   「よく見張っておけよ、そこで泣いているのは子供ではなく、百両だと思え」
 一人の男に番をさせて、二人は出て行った。
   「拐かしだ」 
 駿平は直感した。耕太を待たせて、駿平はこっそりと外へ出て、本堂を覗き込んだ。男は、落ち着かずに歩き回っていたが、やがて女の子の傍にしゃがみ込み、嫌がる女の子に悪戯をはじめた。夢中になっている男の後ろに忍び寄り、駿平は持ってきた棍棒を男の脳天に振り下ろした。
 頭を抱えて悶える男の上に馬乗りになって男の帯を解くと、その帯で「のごみ猿」のように男の手足を縛りあげた。

   「お嬢ちゃん、おいらが助けるから静かにするのだよ」
 耕太より一つか二つ年下のような女の子だった。縄を解き、猿轡を外してやると、泣き止んで安心したように静かになった。
   「お家まで、背負ってあげるからね」
 女の子は、こっくりと頷いて駿平の背におぶさってきた。耕太を呼び寄せて事情を話して聞かせ、街道に向かって小走りで急いだ。下弦の月明かりのもと、目の良い耕太を四半町(200m)ほど先に歩かせて、男たちの姿を見かけると駿平の元に戻ってくるように指図した。耕太が戻ってくると、隠れて男たちを遣り過ごして難を逃れる算段である。
 もう少しで街道に出る辺りで、耕太が戻って来た。
   「兄ちゃん、ヤツ等が戻ってきた」
   「よし、茂みに隠れよう」
 女の子も、自分達の置かれている立場がわかっているらしく、茂みの中で大人しく息を潜めた。
 
 無事街道に出たが、女の子の家の方角がわからない。女の子に尋ねても、きょとんとしているだけである。もしかすれば、反対の方向かも知れないが、江戸の方角に向かって急いだ。例え反対であろうとも、代官屋敷か番屋に駆け込んで、女の子を保護して貰おうと考えたのだ。

   「家はお店かい?」
 江戸方向に歩き続けて、女の子に家を訪ねると、「辰巳屋」と告げた。途中の農家に立ち寄り、事情を話して辰巳屋の場所を尋ねると、次の宿場町の旅籠であることが分かった。後ろから拐かしの犯人たちが追ってこないか気にしながら、駿平はへとへとになりながら急いだ。
 突然、女の子が指をさした。
   「あの旅籠かい?」
 女の子は、嬉しそうな声で、「うん」と答えた。そこは、街道沿いの大きな旅籠であった。
   「そしたら、ここから一人でお帰り」
 女の子を肩から下ろしてやると、家に向かって駆け出していった。駿平と耕太は脇道に入り、旅籠の前を避けて進んだ。どうせ、このままお店までついて行ったら、自分たちが拐かし犯にされて、役人に引き渡されると思ったからである。

 暫く歩いて、ふたたび街道に戻ると、三人の男が追いかけてきた。
   「あっ、拐かし犯が仕返しにきたぞ、耕太、逃げよう」
 だが、振り返って男たちを見ていた耕太が、兄を止めた。
   「あいつ等と違うぞ、兄ちゃん」
 駿平も振り返ってみると、身なりの良い宿の番頭のようであった。
   「待ってください、うちのお嬢さんを助けてくれた方たちでしょう」
   「はい」
   「どうして、店に寄ってくださらぬ」
   「拐かし犯にされるのではないかと‥」
   「お嬢さんが、はっきり言っています、お兄ちゃんたちに助けて貰ったと」

 呼び寄せられて、怖気づきながら辰巳屋の番頭たちに連れられて暖簾を潜ると、女の子が「お兄ちゃん」と呼びながら飛んできた。昨夜は大騒ぎだったようで、二人の役人も来ていた。
   「娘が危ないところを、有難う御座いました」
 旅籠の主らしい男が出てきて駿平に頭を下げた。女の子の母親であろう、心配で泣き腫らした目を袖で抑えながら出てきて、深々と礼をした。ただ、二人の役人は違っていた。駿平と耕太を足元から頭のテッペンまで舐めるように疑いの目で見ていた。
   「あの社は、宮司が居ない筈だ、無断で侵入したのか?」
   「はい、縁の下をお借りして、一夜を明かそうとしていたら、男の声が聞こえて覗いてみたら女の子が柱に縛られていました」
 事の始終を訊かれて素直に答えたが、やはり子供を使った騙りではないかと疑いの目をしていた。
   「旦那様、おいら達は旅を急ぎますので、行かせて貰います」
 駿平が立ち去ろうとしたところ、女の子の母親に引き留められた。
   「いま、お食事を用意させています、お昼のご飯を食べて行ってください」
 食べ物と聞いては、断れない。遠慮せずに言葉に従った。
   「これは、お礼です」と、主は裸のままの二両を駿平に差し出した。
   「旦那様、おいら達の身形をよく見てください、この恰好で買い物をしようと小判を出したら、泥棒に違いないと番屋に連れて行かれますよ」
   「では、4貫文(一両=約30㎏)二つにしてあげよう」
   「まさか、それでは重くて持てませから、お礼は要りません」
   「では、三十二朱(2両)にしましょうか?」
   「いえ、戴けるのでしたら、百文で結構です」
   「そうか、ではせめて弁当でも作らせるので持って行ってください」
   「有難うございます」
 母親が櫛状に切った「なまこ餅」を風呂敷にどっさり包んでくれた。
   「折角で御座いますが、全部食べないうちにカビが生えてしまいます」
   「それなら、いいことがあります」
 ちょっと待っていてと言い残して、女将は厨に入っていき、暫くして竹筒と丸めた晒をもって出てきた。
   「これは焼酎です」
   「おいら達は、まだ飲めません、飲んだら目を回してしまいます」
   「飲むのではないのよ、これを少しこの晒に付けて、毎日餅の表面を拭いてごらん、長持ちするから」

 百文は、耕太の背中に縛り付け、駿平は餅の包を背中に縛り付け、腰に竹筒をぶら下げて辰巳屋を後にした。銭は駿平の懐の百文と耕太の背中の百文とで、合計二百文ある。駿平も耕太も、大金持ちになったような気分である。とは言え、旅籠に一泊すれば、もとの無一文になってしまう。今夜は餅を一つずつ齧り、やはり野宿である。

 その夜は、畑の中に積み上げられた枯草の上で眠ることにした。物音に目聡い耕太だが、疲れていたのか先に眠ってしまった。しばらく「スヤスヤ」と寝息を立てていたが、突然大きな声で寝言をいった。
   「おっかちゃん、こんなに土筆を摘んできたぞ」
 母親が喜んでいるらしく、耕太も笑っている。
   「おっかちゃんの煮浸し、旨いからなぁ」
 駿平も思い出して、つい涙を零してしまった。
   「おふくろ、どこに居るのだ、いまにきっと会いに行くから待っていろよ」
 江戸に着いても、すぐに会える筈がない。母を連れて帰るには、何十両、或いは百両を遥かに超える金が必要だろう。十年いや、耕太と二人でそれ以上の年月がかかるかも知れない。それまで、どうぞ元気でいてくれと、脳裏の母親にそっと呼びかける駿平であった。

―つづく―


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