雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「チビ三太ふざけ旅」 第四十二回 卯之吉、お出迎え

2014-10-05 | 長編小説
 保土ヶ谷宿の帷子橋(かたびらばし)中程で腰を下ろして溜息をついている女の傍に寄り、亥之吉は声を掛けた。
   「お絹、お絹じゃないか、お前どうしてこんなところに…」
 女は驚いて顔を上げた。
   「おっ、これは失礼しました、女房とよく似ていたので、申し訳おまへん」
 亥之吉は頭を下げて謝った。
   「いいえ、どういたしまして」
 女も、丁寧に頭を下げた。
   「お兄さん、お願いがあります」
   「へえ、わたいに出来ることでしたら、なんなりと」
   「わたくしの躯を買ってくださいませんか?」
   「えっ、お姉さんのようなお方が何故だす」
   「掏摸に遭いまして、有り金全部盗られてしまい、今夜の旅籠代もありません」
   「それはお気の毒でした、それにしてもそこまでしはないでも、平旅籠で働かせてもらったら、路銀にはなりまっせ」
   「こんな素性のわからない女を使ってくれるでしょうか」
   「お姉さん、お綺麗だすさかい、何処でも歓迎されますわ」
   「綺麗だなんて…」
   「わたいも二分(ぶ)ばかりだすが、差し上げます、路銀の足しにしておくなはれ」
   「えっ、本当でございますか? 有難う存じます」
   「お姉さん、お一人旅だすか?」
   「わたくしは人妻でして、夫は博徒で、それも半かぶち(親分を持たない博徒)です」
 二年前に、旅に出ると言って出たまま未だに帰らず、生きているのやら、野垂れ死にをしたのやら、音沙汰もなく、居てもたってもおれず、普段夫との会話の中で「浪花」の話をしていたのを思い出して、後追い旅をしているのだという。
   「では、早くご亭主が見つかりますように祈っとります」
   「ありがとう御座いました、お言葉に甘えて、この金子頂戴してまいります」
 丁重に礼を言った割には、金を貰った男の名前を尋ねるわけでもなく、女はそそくさと立ち去った。
   
 近くの茶店で亥之吉たち三人が串だんごを頬張り、茶をすすっていると、店の爺が亥之吉に話しかけた。
   「お客さんが、さっきお金をやっていた女は美人局(つつもたせ)ですよ、お気付きでしたか?」
   「へえ、感付いておりました、向こうの木陰でチラチラと、わたいの方を伺っている男がおりますので、多分あれが相棒かと…」
   「そうです、そうです、それを承知でお金をやったのですか?」
   「有り金全部奪われるよりも、ましかと思いまして」
   「そうでしたか、それは賢明でした、罠にはまってからだと、半殺しにされかねません」
 半殺しと聞いて亥之吉は、「しまった」と思った。それなら態と罠に嵌(はま)って、あの男を叩きのめしてやったのにと、悔しがった。

 茶店を出て暫く行くと、どうしたことか金貨二分を与えた女が引き返してきた。
   「お兄さん、ちょっとお待ちくださいな」
   「どうしはりました?」
   「お名前を訊いておくのを忘れました、わたくしは小万(おまん)と申します」
   「わいは江戸の商人、福島屋亥之吉だす」
   「お店のご主人でしたか、わたくしはまた、お百姓さんかと思いました」
   「この棒の所為ですか、肥担桶(こえたご)を担ぐ天秤棒だすさかい」
   「失礼をいたしました」
   「いえ、それはかいませんが、態々引っ返してきはったのは、まだ何かご用が…」
   「やはり、ただお金を頂戴するのも申し訳なくて…」
   「それはええのだす」
   「せめて今夜、夫婦としてご一緒に旅籠で」
   「ごらんのように、わたいには二人の子供がいましてな、こいつらが大人の男女がすることをよく知っとるのですわ」
   「こんなことや、そんなことも知っていなさるのですか?」
   「へえ、そればかりやおません、あんなことまで知っているのです」
   「何のこっちゃ」三太が呟(つぶや)いた。

 ほっといて行こうとする亥之吉に、女はまとわり付いてきた。
   「ねえ兄さん、よろしいじゃありませんか」
   「あきまへん、子供が見とります」
 その時、博打うち風の男が飛び出してきた。
   「おい、そこな兄さん、わしの女房に何をするのだ」
   「へえー、あんさんの女房だしたのか、あんさん、この女房を置いて旅に出たのやおまへんのか?」
   「馬鹿言え、おい等は女房と二人旅でえ」
   「さよか、この女、嘘つきだすな」
   「何ぬかす、おい等の女房に手を出した責任はどうしてくれるのだ」
   「まだ、手も足も褌の中身も出しとりません」
   「やらしい」と、三太が呟く。
   「今、おい等の女房の肩を抱いていたではないか」
   「あほなことを言いなさんな、こんな美人局の女を、誰が抱きますかいな」
   「言い逃れをするのか」
   「最初から、お前らが美人局だということを見抜いておりましたんや」
   「この野郎、温和しくしていれば、舐めた口を…」
   「なら、どうするのです?」
   「女房を寝盗ろうとした罰だ、有り金出してもらおうか」
 男は懐から匕首を出した。
   「本性をさらけだしたな」 
 亥之吉は天秤棒を立てて右手で持ち、相手が出てくるのを待った。男は匕首を順手に持って突きつけ、左右に振り回しながら亥之吉に近付いてきた。

 亥之吉は仁王立ちのまま、微動だせずに相手が更に近付くのを待った。それを無防備とでも思ったのか、男は亥之吉の心の臓を目掛けて跳び込んできた。
 
 亥之吉は天秤棒を立てたまま、左に振って匕首を跳ね飛ばした。匕首は傍(かたわ)らの石に当たって、チャンと音を立てて亥之吉の居る方へ跳ね返ってきたのを、足で蹴って傍らの水溝へ落とした。慌てて匕首を拾おうとした男の尻を天秤棒で突いたので、男はもんどり打って水溝へ頭から突っ込んだ。
   「匕首は見つかりましたかな?」
 その時、亥之吉の後ろで三太が叫んだ。振り向くと、女が三太を左手で抱え込んで、右手で三太に匕首を突きつけていた。だが、次の瞬間女が悲鳴を上げた。三太の懐から顔をだした狐のコン太が、女の腕に噛み付いていた。甘噛みでさえ、仔狐の歯は針のように尖って痛いのに、コン太は思い切り噛み付いていた。女は三太を突き放すと、腰が抜けたかのように、這って男の元へ行こうとしていた。

   「美人局のおばちゃん堪忍な、こいつ狐ですねん、犬と違って加減をしらんから痛かったやろ」
 三太は、女をいたわった割には、大笑いしていた。

 二分(ぶ)は取り返すことなく、しかも美人局を許してやることにした。
   「お前ら、ええかげんに足を洗わんと、そのうちしくじって縛り首になるぜ、お前より喧嘩の強い男はいっぱい居るのや」
   「へい、済まんことでした」
 男は、女に顔を拭いて貰って、街道を上りに向けてしょんぼりと歩いていった。


 神奈川の宿を通り過ぎると、川崎の宿である。やたら渡しの多い東海道で、三太たちも船に慣れるというよりも辟易していた。
   「もうすぐお江戸だす、生き馬の目を抜くというくらい人の動きが早いので、気を付けなはれや」
   「馬の目を抜いて、何に使うのです?」
   「ほんまに抜くわけやあらしまへん、あの早い馬でさえも目を抜かれかねない程やということだす」
   「漢方薬にするのかと思った、目薬とか」
   「あほな洒落を言いなさんな、江戸まで六里半だす、品川の宿でもう一泊してから店へ帰りましょ」
   「へえ、何もかも初めてのことやから、恐いような嬉しいような」
   「おいらは、江戸に馴染めるだろうか」
 新平は、不安そうである。コン太は、あと半年もすれば山へ帰れるかも知れない。それまでは、犬として三太が面倒を見なければならない。

 川崎の宿場町で、亥之吉の親友、やくざ風の男、鵜沼の卯之吉が迎えにきてくれた。
   「親分、ご苦労様です」
 三太は驚いた。新平はふざけて三太のことを親分と呼ぶが、旦那も親分と呼ばれているのだ。
   「卯之さんや、その親分はやめてくれませんか」
   「そうか、亥之吉さんは堅気のお人ですからねえ、では何と呼んだら良いのです?」
   「友達やさかい呼び捨てで宜しおます、わたいも卯之吉と呼び捨てにさせてもらいまっせ」
   「へい、わかりやした、お店へいった時も呼び捨てでよいのですかい?」
   「へえ、宜しいですとも、その方が親しみを持てますさかいに」
   「へい、そうさせてもらいます」
   「ところで卯之吉、誰に頼まれて迎えに来てくれたのや、お絹か?」
   「いえ、大江戸一家の貸元です」
   「貸元がどうしてわたいなんかの迎えに、卯之吉を寄こしたのです」
   「用心棒らしいです」
   「えらい心強い用心棒だすな」
   「面目ない」
 亥之吉が三太と新平の紹介をした。
   「この子等が三太と新平、懐の犬はコン太だす」
   「鵜沼の卯之吉です、おやぶ… いや亥之吉、これは犬ではねえですぜ」
   「分かったか、どうも名前がいけまへんな」
   「ほな、ワン吉にしますわ」と、三太。


 品川の宿では、四人で相部屋になった。亥之吉と卯之吉は、近くに居てもなかなか話をする機会がなかったらしく、夜遅くまでぼそぼそと話をしていた。

 翌朝、日本橋を渡った。京橋銀座(今の銀座二丁目辺り) までは眼と鼻の先である。
   「まだ朝なのに、えらいたくさんの人通りだすな」
   「よう、前を見て歩きや、きょろきょろしていたら、人に突き当たって跳ね飛ばされまっせ」

  第四十二回 卯之吉、お出迎え(終) -最終回に続く- (原稿用紙13枚)

「チビ三太、ふざけ旅」リンク
「第一回 縞の合羽に三度笠」へ
「第二回 夢の通い路」へ
「第三回 追い剥ぎオネエ」へ
「第四回 三太、母恋し」へ
「第五回 ピンカラ三太」へ
「第六回 人買い三太」へ
「第七回 髑髏占い」へ
「第八回 切腹」へ
「第九回 ろくろ首のお花」へ
「第十回 若様誘拐事件」へ
「第十一回 幽霊の名誉」へ
「第十二回 自害を決意した鳶」へ
「第十三回 強姦未遂」へ
「第十四回 舟の上の奇遇」へ
「第十五回 七里の渡し」へ
「第十六回 熱田で逢ったお庭番」へ
「第十七回 三太と新平の受牢」へ
「第十八回 一件落着?」へ
「第十九回 神と仏とスケベ 三太」へ
「第二十回 雲助と宿場人足」へ
「第二十一回 弱い者苛め」へ
「第二十二回 三太の初恋」へ
「第二十三回 二川宿の女」へ
「第二十四回 遠州灘の海盗」へ
「第二十五回 小諸の素浪人」へ
「第二十六回 袋井のコン吉」へ
「第二十七回 ここ掘れコンコン」へ
「第二十八回 怪談・夜泣き石」へ
「第二十九回 神社立て籠もり事件」へ
「第三十回 お嬢さんは狐憑き」へ
「第三十一回 吉良の仁吉」へ
「第三十二回 佐貫三太郎」へ
「第三十三回 お玉の怪猫」へ
「第三十四回 又五郎の死」へ
「第三十五回 青い顔をした男」へ
「第三十六回 新平、行方不明」へ
「第三十七回 亥之吉の棒術」へ
「第三十八回 貸し三太、四十文」へ
「第三十九回 荒れ寺の幽霊」へ
「第四十回 箱根馬子唄」へ
「第四十一回 寺小姓桔梗之助」へ
「第四十二回 卯之吉、お出迎え」へ
「最終回 花のお江戸」へ

次シリーズ「第一回 小僧と太刀持ち」へ





最新の画像もっと見る