雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十九回 鷹之助の夢

2013-12-28 | 長編小説
 坂崎佐間之助は、下級武士とは言え三十万石の大大名、井伊直定侯の家臣である。 その屋敷は、彦根の城下町から少し外れた山裾にあった。
 一郎太と共に屋敷の中まで佐間之助を介添えして、別れを告げようとすると、
   「粗茶なと入れさせますので、どうかご一服なさりませ」
 坂崎一郎太が、引き留めた。
   「佐貫殿、護衛までして下さり、大変忝(かたじけ)のう御座った」
 相手の島田浅衛門の方には、藩を通して事情を説明し、一郎太に着せられた濡れ衣は晴らすと、佐間之助の決意を聞かされた。
   「これは我らの感謝の気持ちに到底届くものではないが、護衛料として受け取ってくだされ」
 懐紙に包んだ十両を渡された。 断っては却って無礼だと、三太は有難く頂戴することにした。 新三郎が、「よしよし」と、ご機嫌で言った。
   「彦根の家中(かちゅう)をお通りになるときは、どうぞ我が屋敷にお立寄りくだされ」
 佐間之助と一郎太は、式台から三太と浩太を見送ってくれた。
 武佐宿(むさじゅく)で一泊すると、翌日は東街道に合流し、京の山城の国に着いいた。 京の伏見からは浪花まで淀川を下る三十石船がある。 夜これに乗ると、翌朝大坂に着くのだ
 浩太が初めて乗る大きな船に、無邪気に喜んでいた。 三太は、前に一度緒方梅庵の伴で乗ったことがある。
 三太が船縁で微睡(まどろ)んでいると、乗客たちが「わぁー」と何やら溜息とも驚きともつかぬ声を上げた。 見ると、浩太が諸肌脱いで乗客の中心に居る。 入れ墨の訳を話しているのだ。
 見世物小屋に売られ、無理矢理入れ墨を入れられ、その日から檻の中で生活させられたことを話すと、懐紙を目頭に当てる女客も居た。
   「こんな幼気(いたいけ)な子供に、酷(ひで)ぇことをしやがる」
 怒りの声も聞かれた。 三太はその様子を見て嬉しかった。 浩太はこんなに強い男であったのかと感心もした。 これからは、人目を気にせずに歩いて行けそうとだ思うのだった。
   「こら、浩太、あんまり調子にのるなよ、お前は見世物ではないのだぞ」
 三太は、浩太に釘をさすのも忘れなかった。
 塾生に案内されて、鷹之助の部屋を訪ねると、鷹之助は独り座机に向かっていた。 振り返りざま三太を見て、目を輝かせてとんで来た。
   「兄上、来て下さったのですね」
   「鷹之助のことが気掛かりでなぁ」
   「三太郎兄さんは、お変りありませんか?」
   「兄上は、立派なお医者に成られて、お弟子さんも方々から集まっているよ」
   「そうですか、私も頑張ります」
   「俺も、二人の弟子が居るのだよ、こちらは二番弟子の浩太だ」
   「浩太です、宜しくお願いします」
   「礼儀正しいのですね、こちらこそ、宜しくお願いします」
   「浩太は、鷹之助より一つ年下だ」三太が言った。
   「十二歳です」
 見世物小屋に売られ、全身に入れ墨があることも話した。
   「辛い目に遭われたのですね、これからは私と友達になってください」
 浩太は、同じ年頃の少年の優しい言葉が嬉しかった。
   「はい、師匠に剣を習い、いつか鷹之助さんの護衛役になりたいです」
   「剣をとは、兄上は医者の師匠ではなく剣の師匠ですか?」
   「ははは、両方の積りだが、浩太も俺と同じで武道の方が好きと見える」
 三太は腹に巻いた包み取り出し、鷹之助に差し出した。
   「ここに三十両持って来た、鷹之助の生活費だ」
   「こんなにたくさん戴けるのですか?」
   「今後も、私から為替で送ってやろう」
   「今、荒れ寺を借りて、寺子屋に行けない子供達に、手習いを教えています」
   「金は入るのか?」
   「はい、小銭が少々、それでも私が食う分位にはなります」
 鷹之助は、三太から貰った金の一部で古寺を正式に借り受けて修理し、金を払えない子にも来てもらえる勉強塾にしたいのだと、希望を語った。 塾の名も考えていて「鷹塾」というのだそうである。
 それにつけても、武芸一筋の佐貫慶次郎と血が繋がる息子たちは、どうしてこうも頭が良いのであろう。 良からぬ思いが 三太の頭を横切った。 例え思っても、決して口には出せないことである。
 それは、父慶次郎の親友中岡慎衛門だ。 彼は切掛けとなる事件があったものの、武士を嫌って脱藩し医者になったのだ。 鷹之助の母は慎衛門の妹であるから、慎衛門の息子慎一郎同様頭脳明晰であっても不思議ではない。 もしや、緒方梅庵は… 三太は疑念を抱いたが、頭を振って打ち消した。
   「三太さん、考え過ぎですよ、そんなこと口に出してはいけませんよ」
 新三郎は、三太を嗜(たしな)めた。

 今宵は、浪花の旅籠に泊り、明日、信濃の佐貫の屋敷に戻る旅に発つことを鷹之助に伝えた。
   「兄上、また佐貫の屋敷に戻り、佐貫の家を継いでください」
 鷹之助は、もう信濃に戻っても、父を継いで上田藩主に仕えることはないとまで言った。
   「私は、実の母を水戸に残しているのだよ」三太の懸念である。
   「私が独り立ちしたら、私の母になって貰います」鷹之助の思いは本物のようだ。
   「何だか、ややこしい関係になりそうだね」
   「いいじゃないですか、ねえ新三郎さん」
 三太は不意を突かれて驚いた。 一度も新三郎のことは鷹之助に話したことはない。
   「鷹之助、何故新さんのことを知っているのだ?」
   「水戸の兄上ですよ、水戸の兄上は能見数馬さんの生まれ変わりでしょ」
   「それはそうだが…」
   「能見数馬さんは、新三郎さんのことを誰よりも知っている方です」
   「そうだ」
   「三太兄さんと旅をしている新三郎さんのことを、水戸の兄上が知らない訳がないではありませんか」
   「懐かしいねぇ、数馬さん御達者でしょうか?」新三郎に懐かしさが込み上げてきた。
   「新さん、亡くなった人に達者かはないでしょう」
   「へい、そうでした」
 鷹之助は、水戸の兄上緒方梅庵からの手紙を三太に見せた。 なるほど、能見数馬を護っていた新三郎の霊が、今は三太に憑いているようだと書かれていた。 だから父上に危機が迫っても、三太が居れば安心だよ、とも。
   「新さん、兄上と父上を護ってくれて、ありがとう」鷹之助の可愛い思いである。
   「鷹之助、私の体に触れてみなさい、新さんの思ったことが伝わるよ」
   「あっしは三太さんの守護霊でござんす」
   「へー、新三郎さんは、生前任侠の人ですか?」
   「そうだよ、木曽の生まれの中乗り新三(しんざ)たあ、あっしのことよ」
 三太は、浩太にも打ち明けて置こうと思った。
   「俺は不思議な力を持っているだろ、あれは守護霊の新三郎さんの働きなのだ」
   「すごい、新さんかっこいい」
   「俺の体に触れてみなさい、新さんの言葉が分かるよ」
   「浩太、ありがとな」と、新三郎。
   「あっ、伝わった」
 翌朝、名残り惜しそうな鷹之助に別れを告げ、三太と浩太は信濃路へと戻り旅に発った。 途中、池田の亥之吉の本店、雑貨商福島屋善兵衛の店に寄り、佐貫の母上へのお土産を買った。 長男圭太郎に妻のお幸さん、お由とお志摩の二人の娘達と、この家の旦那の様子などを伺い、亥之吉の江戸の店の様子などを伝えた。
 福島屋を出て、三太が船の上で食べる弁当を買い求めていると、浩太は小さい子供たちに取り囲まれていた。 浩太が腕まくりをしたところを見られてしまったらしい。
   「お兄ちゃん、もっと鱗みせてえな」
   「もっと見たい、見たい」
 子供たちにせがまれていた。 浩太は片肌を脱いで見せてやった。
   「うわぁ」ここでも驚きとも感嘆ともつかぬ子供たちの甲高い声が上がった。
   「すごい、すごい、鯉のぼりの鯉みたいや」
   「ガクッ」
 上りの三十石船、岸から綱を引いて人足の手で淀川を逆登っていく。 朝出発すると、夕刻に京の伏見に到着する。 途中、くらわんか船という小舟が、三十石船に寄り添うようにして、餅などを売りに来た。 帰りの旅は、金を稼ぐこともなく、遊山の旅そのものであった。
   「母上、三太只今戻りました」
   「お帰りなさい、ご苦労さまでした」
   「母上、今度は忘れずに、お土産を買って参りました」
   「あら、三太にしては気が利いたではありませぬか、催促した訳でもないのに」
   「母上は催促なさいました」
   「そうだったかしら…、まあ綺麗な簪(かんざし)、三太有り難う」
   「いえ、どう致しまして」
   「鷹之助は元気にしておりましたか?」
   「はい、それはもう、それに子供たちを集めて、勉強塾を開いておりました」
   「まあ、生意気なこと、それはお金が頂けるのですか?」
   「はい、鷹之助が食って行けるくらいの小銭ですが…」
   「それは上々、我が子ながら頼もしく思います」
   「はい、立派でした」
   「それで、父上や、この母が心配していることを伝えでくれましたか?」
   「はい、里心が付かない程度に…」
   「微妙ですね」
   「それから、この子は、私の二番弟子、浩太です」
   「おや、お弟子さんが増えたのですね、三太、それこそ生意気ですよ」
   「この子は、見世物小屋に売られ、全身に入れ墨をされて見世物になっていました」
   「まあ、酷い」
   「浩太です、よろしくお願いします」
   「お行儀の宜しいこと、こちらこそね」
 小夜は、佐助を呼んだ。
   「あなたより、大分年下のようだけど、三太の一番弟子ですよ」
   「佐助です、宜しくお願いします」
   「奥様と佐助さんも、私の入れ墨を見てくださいますか?」
   「はい、私は驚きませんよ」 と、小夜。
   「私も大丈夫です」と、佐助。
 浩太は片肌を脱いだ。
   「まあ、酷(ひど)いことを…」小夜は絶句した。
 佐助は、無邪気に羨ましがって目を輝かせた。
   「鯉のぼりの鯉みたいだ」
   「これっ、そんなことを言ってはいけません」
   「いえ、上方の子供達にも言われました」浩太は、さもおかしそうにカラカラっと笑った。
   「三太、佐貫の家に戻る決心をしてくれましたか?」
   「鷹之助にも、そう言われました」
   「と、言うことは、鷹之助は父の跡目を継ぐ意志はないってことですね」
   「そのようです」
   「あの子は、侍が嫌いで、三太郎にそっくりです」
   「でも、学者として佐貫家を継ぐかも知れません」
   「かもなんて、呑気なことを言っている間に、父上にもしものことがあればどうします」
   「父上も、もうすぐ五十ですね」
   「そうですよ、人間(じんかん)五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり、と言いますからね」
   「敦盛(謡曲・織田信長が好んで舞った)ですね、父上今頃くしゃみをしていますよ」
 三太が戻ってくれば、義父慶次郎が水戸にでかけて、能見篤之進に三太を佐貫家の跡継ぎにしたい旨、頼みに行くそうである。 慶次郎は若い頃のように無理のできないご老体、しかも以前の時のように馬もない。 どうやら、これは弟子二人を置いて、三太自身が行かなければならないだろう。 今度は、江戸へ下る中山道から、水戸街道へと繋ぐ旅になる。
   「私も連れて行ってください」浩太が言った。
   「わたしも行って、梅庵先生を見たい」 負けずに、佐助も。
   「見たいって、梅庵先生は、お役者ではないのですよ」 小夜。
   「道中、渡世術でも教えますか」
   「剣道がいいです」浩太。
   「私は馬術」佐助は剣術を慶次郎に習いたいらしい。
   「医学は、どうするのですか?」
   「序(ついで)に習います」
   「あのなー」と三太。
 慶次郎がお勤めから戻り、三太を見つけると、「今度はわしが水戸へ行く」と言い出した。
   「父上、水戸へは私が行きます、お父上は無理を為さらないでください」
   「何をいうか、人を年寄り扱いしよって」
   「いいえ、充分お年寄りです」
   「馬鹿をいうな、最近、後方宙返り(バック転)は出来なくなったが、まだまだ体力は若い者には負けん」
   「嘘!」
  第十九回 鷹之助の夢(終) -次回に続く- (原稿用紙枚)

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「第二十一回 涙も供養」へ
「第二十二回 新三捕り物帖」へ
「第二十三回 馬を貰ったが…」へ
「第二十四回 隠密新三その1」へ
「第二十五回 隠密新三その2」へ
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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十八回 今須の人助け

2013-12-26 | 長編小説
 幟を見て依頼される仕事は、人助けには成るが金儲けには成らない。 儲けたのは三十文程度、これでは屋台のかけ蕎麦を二杯食べることが出来ない。 三太は「やーめた」と、幟を投げ捨てた。 あまり感心の出来ないやり口で手に入った小判が幾らか三太の懐にあるが、義弟鷹之助の為に少しでも多く稼いでやりたかった。
 道の先に、若い武士が初老の武士に肩を貸して、旅籠の門口で通る人に何やら声をかけている。 よく聞いてみると、医者を探している様子であった。 三太は駆け寄り若い武士に尋ねてみた。
   「私は医者ですが、どうなさいました」
   「はい、主人が俄かの腹痛で難儀しております」
   「僭越(せんえつ)ながら、私が診て差し上げましょう」
   「お願い致します」
 病人の「ぶっさき羽織」の紐を解き、帯と袴の紐を緩めて腹を出させた。 甲斐甲斐しく手を動かす若侍に、主人を労わる気持ちがこもって好感が持てた。
 三太は、病人の鳩尾(みぞおち)を軽く押してみた。 反応はない。 今度は、胸の方に向けて強く押してみると、「うっ」と、吐きそうな仕草をした。
   「俄かに腹痛が起こったのですか そうではないでしょう、前々から腹痛が起きていた筈です」
   「主人は我慢強くて、痛くとも決して表情に出しませんから、気付きませんでした」
   「それにしても、こんなに悪くなるまで気付かないなんて、あなたにも落度があります」
   「申し訳ありません」
   「驚かないように、先に言っておきましょう」
   「何で御座いましょうか」
   「主(あるじ)殿は、間もなく大量の血を吐かれます」
   「お命が危ないので御座いますか」
   「いいえ、命は私が取り留めます」
 三太が言った通り、病人はたくさんの血反吐(ちへど)を吐いて失神した。
   「お亡くなりになったので御座いますか」
   「気を失っただけです」
 ほんの一刻気を失っていたが、気が付いた病人に三太は背なの荷から取り出した薬を飲ませると、気分的にも落ち着いたようであった。
   「主殿を近くの旅籠にお連れしましょう」

 三太は、若い侍と共に病人を運び、浩太は病人の荷物を持って三人の後に続いた。 宿の者に訳を話して床をとって貰い、病人を寝かせると、病人は半身を起こして言った。
   「姓名も名乗らずに失礼申した、それがしは彦根藩士坂崎佐間之助と申し、伴の者は家来の蔓木(かずらぎ)仙太郎で御座る」
   「これは、申し遅れました、私は医者の佐貫三太郎で、こちらに居ますのは二番弟子の浩太にございます」
   「忝(かたじけ)のう御座った、お蔭様で拙者は命拾いをした様ですな」
   「いえ、治療はこれからで御座います、時間をかけてじっくりと治す必要があります」
   「それが、そうは参らぬ事情がありまして…」
   「私で宜しければ、その事情とやらをお打ち明けくださいませんか それもまた治療の一環となりましょう」
   「聞いてくださるか、実は倅のことで苦労させられております」
   「ご子息様が何か」

 佐間之助は、ぽつりぽつりと話した。 妻は息子を産んで直ぐに他界した。 乳母と男手で甘やかして育てた息子は、長じて放蕩三昧に明け暮れ、佐間之助はその尻拭いに奔走した。
 この度は、他藩の武士の妻に手を出したとして捕えられてしまった。 詫び代、金一千両を払わないと世間に公表した上で倅を妻仇(めがたき)として討ち果たすと脅迫された。 武士とは言え、藩に仕える身で一千両は無理だと、百両の金をかき集めて指定された屋敷に詫びに行ってきたが、千両でなければ応じられぬと突き返されてしまった。
 この身はどうなろうと、せめて坂崎家の跡継ぎである倅の命だけでも助けてくれと土下座をして頼み込んだが、受け入れては貰えなかった。
   「五代続いてきた坂崎家は、拙者の代で断絶かと思えば、ご先祖に申し訳なくて涙が零れます」
 だが、佐間之助は諦めていないようであった。 倅を捨ててでも、佐間之助は坂崎の家を護ろうと決心していた。 自分が生きている間に仙太郎を養子に迎えて、坂崎の家を継いで貰おうと考えているのだ。
   「仙太郎、どうだ坂崎の養子になってくれるか」
   「それはなりません、坂崎家のお世継ぎは、ご子息の一郎太様です」
   「一郎太の命を救うには、一千両もの大金が必要なのだ、そんな大金はわしには逆立ちをしても工面はできない、藩侯に訴えようとも、坂崎家の恥を明かすようなものだ」
 三太は、この主従の話の邪魔をしないためにこの場を離れた。
   「新さん、どう思います この主従の話」
   「泣けてくるではありませんか」
   「何だかおかしいと思いませんか」
   「何が」
   「そうでしょう、坂崎殿に千両も出せぬことを承知で言っているとしか思えないよ」
   「そうでしょうか」
   「そうですよ、この話は、坂崎父子を失墜させるのが目的のようです」
   「誰が 何の為に」
   「まだ、分かりません、調べてみましょう」
 新三郎は、捕えられている坂崎一郎太のもとへ飛んだ。 三太は佐間之助の看病をしながら、仙太郎が佐間之助から離れる機会を待った。
   「仙太郎さんは、一郎太さんのことが気掛かりのようですね」
   「仙太郎は優しい男で、倅を気にかけてくれるのじゃ」
   「いつ頃から、坂崎殿のお屋敷に…」
   「三年程まえからだ」
   「仙太郎さんが来たのは、一郎太さんが幾つのときでしたか」
   「十七の時だ」
 そこへ仙太郎が戻って来たので、三太は話を打ち切った。
 幽霊というのは便利なもので、人が歩いて行くと、一日は掛かりそうなところを、「あっ」という間に一郎太のもとへ到着した。 一郎太は、縛られて座敷牢に入れられていた。
   「一郎太さん、わたしはあなたを護る為に遣わされた守護霊です」
 一郎太は、飛び上がる程驚いた。 辺りを見渡しても、人影は無い。 一郎太は自分の悔しい気持ちが、きっと幻聴を起こしたのであろうとがっかりした。
   「一郎太さん、幻聴ではありません、私は新三郎といいます」
   「新三郎さんですか」
   「そうです、あなたは喋らなくても、思うだけで私には分かります」
   「私は、明朝手討ちにされるそうです」
   「そのようですね、今日ここへあなたの父上が来ました」
   「私の命乞いに来たのですか」
   「そうです、千両持ってくれば、あなたの命は取らないとこの家の主は条件を出していました」
   「この家の主は誰なのですか」
   「ここへ来て、すぐに調べてみたのですが、島田浅右衛門という旗本でした」
   「父に、千両もの大金を工面することは出来る筈がありません」
   「父上は、百両持ってここへ詫びに来ましたが、追い払われてしまいました」
   「私は何をしたことにされているのでしょうか」
   「他人の妻を寝取った罪です」
   「そんなことはしていません」
 彦根の町で会った女に一目惚れをして女に声をかけたところ、女は短冊を取り出して、すらすらっと歌を書いて手渡してくれたそうである。

   ◇瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ◇
 女から短冊を貰って、逢いたくて堪らずにいると、仙太郎が調べてくれて、女がここに居ることを突き止めたのだそうである。
 募る恋心を抱いてこの地へ来て、その女会ったとたんに人妻であると告げられた。 それなら、何故あの歌を贈ってくれたのかと問う間もなく、姦通の罪を着せられて牢にぶち込まれてしまったのだと言う。
   「一郎太さんは、その女に手を出していないのですか」
   「いるも、いないも、会ってすぐに捕えられたのですから」
   「分かりました、一郎太さん、あなたは嵌められたのですよ」
   「嵌めたのは、あの女ですか」
   「いいえ、あなたの身近な人です」
   「身近な人と言っても、父と忠義者の仙太郎しかいませんが…」
   「今に分かります、ここに居ては殺されてしまいます」
   「父が千両を持って来るかどうかを待たずして、私を殺すのですね」
   「そんな金はあてにはしていませんよ、目的はあなたの命をとることです」
   「さあ、ここに居ては殺されてしまいます、今すぐここから逃げましょう」
 暫く大人しく待っていてくださいと伝えると、新三郎は一郎太から抜け出した。 一郎太が待っていると、牢番が一人鍵を持って牢に近寄ってきた。 錠を開けて中に入ると、一郎太を縛っていた縄を解いた。 その後、牢番がばったりと倒れたので、一郎太は牢を抜け、表に飛び出した。 この家の家来に見つかったが、この家来は叫ぶ間もなくばったりと倒れた。
   「さあ、父上が今須の旅籠で待っておられます、急ぎましょう」
 一郎太は走った。 日が落ちても、月明かりの下を眠らずに走った。 早く父上を安心させねば、血を吐いて死ぬかも知れないと、新三郎に聞かされたからだ。
 新三郎に案内されて、夜明けには佐間之助が泊って三太の看病を受けている旅籠へと一郎太は辿り着いた。
   「父上、一郎太です、一郎太戻って来ました」
 佐間之助は驚いたが、仙太郎はもっと驚いた。 何をどう言えばいいのか、言葉もない様子であった。
   「一郎太、許して貰えたのか」
   「いいえ、新三郎さんが導いてくれたのです」
   「本当なのかどこのお方だ」
   「新三郎さんは、守護霊です、話もしました」
   「新三郎どの さて聞いたことがない名だが、今もお前を護ってくれているのか」
 三太が口を挟んだ。
   「信じられないでしょうが、新三郎さんは、私の守護霊なのです」
 佐間之助は訝った。 その折り、新三郎は三太の元へもどり、調べて来た真相を三太に伝えていた。
   「そうだろうと思った」 三太は新三郎を労った。
 三太は、佐間之助と父に寄り添う一郎太に向かい、「心落ち着けて聞いてほしい」と、姿勢を正した。
   「あなた達父子は、図られたのです」
 まず、一郎太を放蕩にはしらせて、他人の妻との姦通の罪を着せ、女仇を討つと見せかけて殺害し、父、佐間之助に養子をとる決心をさせる。 その後に佐間之助も病死に追い込む計画だったのだ。
   「誰がそんな企てを…」
   「それは、言わずもがなでしょう」
   「いや、拙者の周りには、そのような企みをする悪人は居ない」
   「一郎太殿も、やはりそう思われますか」
   「いいえ、私を放蕩へと導き、私を女に引き合わせ、私に姦通させようとした男が居ます」 
   「気が付きましたか、そして、あなた方父子が死ねば坂崎家の跡取りとして仕官が叶う者です」
   「一郎太を牢に入れた屋敷、たしか島田と表札がかかっていたが、あの者は何故この企てに加担したのであろう」
   「女ですよ、島田浅衛門の若い妻と、この企てを考えた男が恋仲なのでしょう」
 蔓木仙太郎が、「ちっ」と、舌打ちをした。 三太を睨み付けて、「覚えていやがれ」と捨て台詞を残して逃げ去った。
   「一太郎さん、あんな男に付け入られるあなたもあなたです」
 三太は、一太郎に説教をした。
   「お父上は、あなたを心配するあまりに病気になられたのです、これからは、あなたが父上の看病をしなさい」
 心配をさせないで、親孝行すれば佐間之助の病は治ると教えた。
   「医師殿、拙者の診察代は如何程でありましょう」
   「三太さん、十文と言ってはいけませんよ」
 新三郎に釘を刺された。
   「そうですね、一両がとこ頂きましようか」
   「一朗太の命を救って下さったのです、せめて一郎太の為にかき集めたこの百両を貰ってください」
   「いえいえ、それは結構です、どうぞお屋敷にお帰りになって、治療に専念してください」

 三太は、一両戴いて懐に入れた。 やがて宿に町駕籠が呼ばれ、三太と浩太は佐間之助と一朗太に付き添って近江の国は彦根まで行くことにした。 仙太郎の捨て台詞が気になったからだ。

 案の定、途中で賊に襲われた。 どうやら仙太郎に雇われた無頼の徒のようだ。 三太は佐間之助が乗った駕籠を背にして庇い、剣を抜いて上段に構えた。 仙太郎はと辺りを見回すと、樹の陰で様子を伺っている。

 三太は、飛び込んでくる者を、体をかわして上段から肩先を斬りつけた。 男たちは斬られたと思い込み、本人は気を失ったが、三太の剣は瞬時に峰を返していた。いわゆる峰打ちである。
 無頼の徒どもは一瞬怯んだが、気を取り戻して三太に飛びかかった。 この男たちも何が起こったのかわからないまま、気が付けば地に叩き付けられていた。

 樹の陰に隠れていた仙太郎は、浩太の姿を見付けて、人質にとろうと浩太のもとに駆け寄ろうとしたが、仙太郎の前に一郎太が抜刀して立ちはだかった。
 その間に、仙太郎の横へ廻った三太は、仙太郎の剣を持つ腕を掴んで捩じ上げた。 仙太郎は剣を落としたが、その剣が仙太郎の足の甲に刺さった。 剣を足から抜き、足を引きずりながら逃げて行く仙太郎を横目に、三太は浩太を護ってくれた一郎太に礼を言った。
   「一郎太さん、勇敢でしたよ、お父上も安心されたでしょう」
 この一郎太が居るかぎり、坂崎家は安泰だと三太は思った。

  第十八回 今須の人助け(終) -次回に続く- (原稿用紙17枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十七回 弟子は蛇男

2013-12-23 | 長編小説
 三太の一番弟子、美江寺の河童佐助は、佐貫の屋敷で師の帰りを待っていた。 幼少の頃の三太のように、佐貫慶次郎に剣を学び、慶次郎の妻小夜の空いた時間に読み書きを学んで過ごした。
   「これは平仮名と言い、昔は女文字とされていたものなのよ」
 小夜は、藁半紙にすらすらっと滑らかで美しい文字を書いて佐助に見せた。
   「私たちの言葉を、この四十七文字で表わすことが出来るの」
 佐助は、生まれてこの方、文字に接することはなかった。 思えば、両親も、叔父と叔母も、文字を読み書きしているところを見たことが無い。 佐助は、自分が文字を読み書きできるようになるのかと思えば、心逸(はや)る思いであった。
   「いろはと言うのは、ただ文字を並べただけのものではないの」
 小夜は、まず「いろは」の意味から佐助に教えた。
 色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為(うい)の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔(え)いもせず
   「匂いを漂わせている真っ盛りのお花も、やがて散ってしまうように、この世に住む誰もが無情、即ち移り変わって、死んでいくものです、現世の一切のごたごたを乗り越えて、浅はかな夢は見るまい、また夢に酔うこともしない、それが悟りなのです」
 佐助が理解出来ずに戸惑っているのを察して、今は仏教的な意味を持った歌だと言うことを覚えておくだけにしようと、小夜は流した。
 慶次郎が休養日のときは、庭に出て剣道を教わった。 これは三太が子供の頃に使っていた竹刀だと手渡されると、身震いをする程佐助は感動した。 佐助独りの時も、立木を相手に黄色い掛け声を響かせた。
   「その熱心さは、三太に負けず劣らず筋が良い」と、慶次郎に言わしめた程であった。
 一方、新三郎は女に憑いて木曽福島へと急いだ。 案の定、女の一人旅と見て、二人の男が声を掛けてきた。
   「お姉ちゃん、おいらたちと遊んでくれや」
   「私は急ぎ旅です、そんな暇はありません」
   「直ぐ終わるから、時間は取らせませんぜ」
   「真っ昼間に、女をどうするというのですか」
   「そんなもん、分かっているだろう」
   「私には守護霊が憑いています、私に近寄ると酷い目に遭いますよ」
 男たちは、腹を抱えて嘲笑(わら)った。
   「守護霊だと、面白い女だ、おいら余計に燃えてきたぜ」
 男の一人が女に抱き付いてきた。 その途端、男は力が抜けてその場に崩れ落ちた。
   「だから、言ったでしょう、私には守護霊が憑いていると」
 別の男が、崩れた男に駆け寄った。
   「兄貴、どうした、女に何をされたのだ」
 兄貴と呼ばれた男は口も利けない。
   「畜生っ、兄貴に何をした」
 女に向かって殴りかかってきた。 この男もまた、よたよたっと四・五歩後退りして崩れた。
   「ねっ、わかったでしょう、早く帰ってお祓いをしないと、悪霊に取り憑かれてしまいますよ」
 今度(いまわたり)の渡し(太田の渡し)は、木曽川の流れが速いため渡し舟が出せないことが多く、碓氷峠、木曾の架け橋と並び、中山道三難所のひとつであった。
 雨が続いた訳でもなく、水嵩が増えた様子も無いのに、三太は足止めを食ってしまった。
 江戸で散々強盗を働いた盗賊団が、東海道から中山道に逃げ込んだという噂だった。 三太は「ふっ」と、亥之吉の店を案じたが、亥之吉は強盗に負けるような軟な男では無い。 三太は心配を打ち消した。 川幅は二町(220m)程度である。 対岸(太田側)では、役人たちが何やら大騒ぎをしているようであった。
 そのとき、侍を一人乗せた一艘の舟が大田の渡しを離れた。 近付くにつれて、三太はその侍に見覚えがあることが分かった。 江戸は北町奉行所の与力長坂清三郎である。
   「長坂さん、どうされました、私です、三太ですよ」
 長坂は驚いていた。
   「三太さんとは、あの伊東松庵先生の所に居た、三太ちゃんですか」
 三太は父親殺しの罪で裁かれたが、時のお奉行の情けで、能見篤之進に預けられたことまでは清三郎は知っていた。 あの幼い三太が大きくなってこんな所で出逢うなんて、偶然も偶然、奇跡も奇跡であった。
   「医者を探しに来ました、太田で捕り物があって怪我人が出ました」
   「わたしも医者です、直ぐに連れて行ってください」
 これまた奇遇である。 聞けば、太田に医者が一人しか居ず、伏見にも居ると訊いてやってきたらしい。
   「三太さん、お願いします、舟に乗ってください」
 盗賊側の怪我人は傷が浅くて命には別状なかったが、役人の一人は刀の切っ先が肝の臓にまで届く深手を負っていた。
   「すぐ手術をしなければ命は助かりません」
 とは言ったものの、新三郎が居ない。 深手を負った若い役人は、既に弱っていて、息も絶え絶えである。 手術の痛みに耐え兼ねて死んでしまうだろう。 三太はそう思ったが、手を拱いている訳にはいかない。 焼酎と晒しを用意させ、熱湯を沸かさせ、手術の準備をした。
   「おーい、新さん早く戻って来ーい」
 三太は、心の中で叫び続けた。 一刻を争う事態なので、仕方なく傷口を焼酎で洗うと、その痛みに耐え兼ねて、怪我人の呼吸が止まりかけた。 この時、三太の叫びに新三郎の応答があった。
   「三太さん、こんな所にいたのですかい、鵜沼まで行ったのですが居なくて…」
   「あっ新さん、助かった、この怪我人の生霊を連れ出してくれ」
   「わかった」
 怪我人は、呻かなくなった。 呼吸も整い、心拍も落ち着いてきた。 すやすや眠っているようだ。
 三太は、まず男の足の牽を、糸一本分剥ぎ取り、焼酎に漬けて置いた、 肝の臓の傷口を縫うためだ。 熱湯消毒したメスで傷口を開き、肝の臓の傷口を探した。 幸いなことに、刀は肝の臓を突きぬけてはいなかった。
 傷口を牽で縫い合わせると出血が止まった。 絹糸の代わりに牽を使ったことで、再び傷口を開いて抜糸する必要がないと、三太は思い着いたのだ。 皮膚の傷口も縫い合わせたが、直ぐに生霊を戻さずに、暫く様子を見た。
   「もう大丈夫ですが、一時(いっとき=2時間)は、このまま眠らせておきましょう」
 江戸から盗賊を追ってきて、若い部下を死なせることになるかも知れぬと憔悴していた清三郎は、三太の言葉に安堵した。
 手術痕の抜糸の方法を、太田の漢方医に教えて、自分は「急ぎの旅なので先に発ちます」と長坂に告げた。 長坂は礼を言い、「また江戸で逢いましょう」と、別れた。
   「新さん、あの女は無事に福島まで行きましたか」
   「案の定、男二人に襲われようとしましたが、あっしが追い払いました」
   「新さん、ありがとう、この度の手術にも間に合って、死なせずに済みました」
   「銭にはならなかったのですかい」
   「あっ、請求するのを忘れていた」
   「十文も貰えずかい」
   「いいよ、与力の長坂さんは、知り合いだし」
   「あっ、長坂清三郎さんですかい、あっしも知っておりやす」

 鵜沼を抜けて、佐助の生まれた美江寺を抜けたあたりで、寺の境内が賑わっていた。 見世物小屋が出ている。 面白そうなので三太は寄り道してみた。 蛇男が見られるそうである。
   「蛇男だって、どんなのだろう」
 三太は興味津津である。
   「一人五十文は高いねえ」
 三太はそう言いながらも懐から巾着を取り出している。
   「さあ、入って見てやってください、親の因果が子に報い、生まれ落ちたるこの子の姿、可愛そうなはこの子でござい」
 意気のいい口上が、客の興味を引く。 聞いてみると、親は蛇を捕まえて漢方の薬種問屋に売る漁師であった。 その女房が子を孕み、生まれて来た男の子の顔を除く全身が蛇のように鱗に覆われていたのだと言う。
 木戸銭を払って中に入ってみると、小柄な男が檻の中でうねっている。目を澄ましてよく見ると、年の頃は十二・三歳の少年である。 なるほど、全身が鱗で覆われている。
   「新さん、ちょっと見て来てくださいよ」
   「へい、何かインチキ臭いですね」
 新三郎が戻ってきた。
   「三太さん、あの鱗は、入れ墨ですぜ」
   「えっ、あんな幼気(いたいけ)ない少年の全身に入れ墨を彫るなんて…」
 どれだけ痛かっただろうかと思うと、三太は言葉も出なかった。
   「あの子、家族に会いたいと泣いていますぜ」
   「何とか助けてやりたいが、あの入れ墨では世間は受け入れないだろう」
   「生涯、消すことは出来ねぇでしょう」
   「新さん、あの子と話がしたいが、何か良い方法は無いだろうか」
   「分かりました、まずあっしがあの子の友達になりやしょう」
 その夜、新三郎は三太をから抜け出して、見世物小屋に向かった。 蛇男の夢枕に立って新三郎は話しかけた。
   「わしは只今からお前の守護霊となる、お前の名は何というのか」
   「浩太です、守護霊って何ですか」
   「浩太を守る幽霊だ」
   「おいらは死ぬのですか」
   「いいや、お前をあの世に連れに来たのではない、助ける為に来たのだ」
 新三郎は、浩太の身の上を尋ねた。 父親が病に倒れ、浩太が懸命に働いたが、年貢米を納めることが出来ず、姉のお加代が女郎に売られることになった。 浩太は姉を庇って、自分は何でもするから、俺を売ってくれと父親に頼み込んだ。
 折しも、見世物小屋の興行師が少年を買いたいと人買いに依頼していたことから、浩太が売られることになった。 泣き叫ぶ姉を慰め、「俺は男だから、大丈夫だ」と、人買いに連れられて家を後にした。 痛がって泣く浩太を抑えつけて、全身に鱗の入れ墨を彫られ、浩太は蛇男として檻の中で生活をすることになった。
   「守護霊さま、おいらのこの入れ墨を消して、ここから逃がしてください」
   「入れ墨は、消すことが出来ないが、お前をここからに逃がすことはできる」
   「それなら、逃げても殺されるだけです」
   「入れ墨が有っても、勇気があれば生きていけるぞ」
   「俺には、そんな勇気はありません」
 世間さまに蛇男と知れると、少年は石を投げられ、殺されて漢方薬にされると興行主に教え込まれているのだと言った。
   「それはわしが護り抜いてやる、心配するな」
 朝が来て、浩太は何時ものように檻の中で目を覚まし、「何だ、夢だったのか」と、呟いた。 その日、見世物小屋に十数人の役人が来た。 子供を買って虐待し、体を傷つけて見世物にしていると訴えがあったのだ。 頭頂を丸く剃られ、牛の肩甲骨で作った皿を縫いつけられ、口に柘植の嘴を埋め込まれ、海亀の甲羅を背負わされた河童男や、幼い頃から首に輪を入れて徐々に首を長くした首長女など、惨(むご)たらしく見世物にされた子供たちが見付けられた。
 人身売買は女性を郭に売ることは認められていたものの、子供を見世物にするために虐待する行為は禁じられていた。
 興行主とその関係者は摘発されてお縄になり、見世物小屋は取り潰されることになった。 心と体を傷つけられた子供たちは、上方の診療院に収容されて、年月をかけて治療されるようである。 緒方梅庵こと佐貫三太郎が西洋医学の指導に当たり、三太と共に池田の亥之吉の手術したあの診療院である。
 次の夜、浩太は旅籠のふかふかの布団で寝ることになった。 三太は浩太の元を訪れ、しばらく話をした。
   「浩太、明日お前の家族に会いにいこう」
   「あなたは、誰ですか」
   「昨夜、守護霊の夢を見たであろう」
   「はい、見ました、なぜそれを知っているのですか」
   「あの守護霊は、俺が送り込んだのだよ」
   「あなたは、霊能者ですか」
   「そうだよ、それに医者でもある」
   「それで、おいらのことを知っているのですか」
   「お姉さんを庇って浩太が売られたことも昨夜話してくれただろ」
   「はい、本当だ、本物の霊能者だ」
   「浩太、家に戻っても強く生きていけるか」
   「わかりません、多分村の人達に入れ墨を見られると、村を追い出されるでしょう」
   「そうだろうなあ、親に会った後俺の弟子になって、将来医者にならないか」
   「本当ですか おいらでも医者になれますか」
   「成れるとも、この先生が、じっくり教え込んでやる」
   「はい」
  第十七回 弟子は蛇男(終) -次回に続く- (原稿用紙17枚)
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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十六回 大事な先っぽ

2013-12-19 | 長編小説
 幟を担いだ三太を追いかけてくる男がいた。 男は二十五・六歳の、純朴そうな百姓のようである。 三太に追いついた男は、「はあはあ」と喘ぎながら三太に縋(すが)りついた。
   「お願いがあります、私を占ってください」
   「何 そなたを占うのか それは何故のことじゃ」
   「はい、私は役人に追われております」
   「何の罪を犯した」
   「それを占って頂きたいのです」
   「そんなことは、お前が一番分かっていることではないか」
   「それが、分からなくなったのです」
   「奇妙な依頼じゃなあ」
   「私の持ち金二分三朱と五十文あります、これで何とかお願いします」
   「普通は、一両貰うところだが、半分の二分でまけておこうか」
   「ありがとうございます」
 新三郎が男に乗り移る。
   「お前は、何も喋らなくてもよい、私が尋ねることをただ聞くだけでよい、よろしいかな」
   「はい」
   「其方の名は そうか、耕作と申すのだな」新三郎が三太に念を送って来たのだ。
   「年齢は そうか、二十三歳であるか」
 耕作は驚いた。 何も答えていないのに、この占い師は自分の心を完全に読み取っている。
   「お前は、自分が何の罪を犯したか占えと申したが、お前は何も犯していないぞ、まったくの無罪無垢である」
 耕作が喋ろうとするのを三太は更に遮った。
   「お前が人殺しの罪で役人に追われているのは、お前の友達に陥れられたようだ」
 耕作は黙ったままであったが、三太はすらすらと事の次第を言葉にしていった。
 耕作は、借金をしていた金貸しのところへ、もう少し待って貰うように頼みに言った。 金貸しの家の戸をあけると、金貸しの男が倒れていたので「どうしました」と、抱き起そうとすると、男は胸を刺されていて血が噴き出し事切れていた。 驚いてその場を離れようとしたが、腰が抜けて立たれなかった。
 そこへ入って来たのが、お前の友達の喜助だった。 喜助は耕作を助けようとして、耕作に駆け寄ったが、血で滑って俯せに倒れ、喜助の着物もべっとりと血が付いてしまった。 喜助は耕作に自訴を勧めたが、耕作は「俺が殺ったのではないと」逃げ出してしまった。
   「耕作、こんな筋書であろう」
   「はい、その通りでございます、何とよくお判りの占いの先生でしょう」
   「そうであろう、それで、このわしにどうして欲しいのじゃ」
   「いいえ、これで十分でございます、誰にも信じて貰えず、まして母にさえも疑われたままで、この首を斬られてしまうのが悔しかったのでございます」
   「何、お母さんは自害したのか」
   「それもお判りでございますか、その通り、世間様に合せる顔が無いと…」
   「早まったことを…、耕作、悔しかろうなぁ」
   「はい、でもあなた様に分かって貰えたことで、満足致しました、これから奉行所へ出向きます」
   「そうか、首を刎ねられるとわかっていても、行くのか」
   「はい、わたし独りで逃げおおせせるものではありません、あの世とやらに行って、息子を信じなかった母に小言のひとつも言ってやります」
   「よくわかった、わしも乗り掛かった船だ、付いて行ってやろう」
   「ありがとうございます、もし恐怖のあまりに私の腰が崩れそうになったら、蹴りあげてください」
 奉行所に向けて暫く歩いたところで、耕作が立ち止まった。
   「首を刎ねられに行くと分かっている奉行所へ行くのは、足が竦(すく)んで歩けません、ここでお侍さんに斬られて死にとうございます」
   「耕作、わしがお前に付いていってやるのは、お前を助ける手筈がまだ残っているからだ、わしを信じて付いて参れ」
   「私には、懸賞金など付いていませんよ」
   「無礼なヤツだなぁ、わしは懸賞金も褒美も狙っていぬわ」
   「済みません」
 関所の役人では埒があかないので、三太は耕作を連れて奉行所に赴いた。
   「私は上田藩士佐貫慶次郎の倅で、三太郎と申す、金貸し殺しの罪でお手配中の耕作を連れて罷り越しました」
 門番も、この事件は知っていたのであろう。 直ぐに門を開き、三太と耕作を中に入れた。 門番は役人を呼び、何事か一言二言耳打ちをすると、役人は一旦奥に入り三人の役人を従えて再び出て来た。
   「耕作に縄を打て」と、命令した。
   「佐貫三太郎とやら、ご苦労であった、お手前は帰られても良いぞ」
   「お待ちなさい、拙者はお奉行に会いたい」三太は高飛車にでた。
   「お奉行に御用の向きは」
   「そこなる耕作は無実でござる、金貸しを殺した犯人は他の者である」
   「それはお奉行が裁断を下されること、そなたの意見など無用でござる」
   「いや、拙者は証人とも為り得る者、いまここで拙者を追い払えば、お奉行は間違ったお裁きをされることになりますぞ」
   「わかった、お奉行に伺って参る、暫くはそれへ」
 三太は奉行の前に案内された。
   「佐貫慶次郎殿のご子息と申されるか」
   「はい、倅の三太郎でございます」
   「父上は、ご健勝でござるかな」
   「はい、相変わらず気持ちだけは若いのですが、体が付いて行かないので戸惑っております」
   「ご隠居の松平兼重様もご健勝かな」
   「はい、父が話や碁の相手をさせて戴いているようでございます」
   「左様か、佐貫殿は、藩侯を護ってよく忠義を尽くされたと聞き申す」
   「今も、それは貫いております」
   「今日は、金貸し殺しの犯人、耕作を捕らえてくれたそうだな」
   「いえ、それは違います、耕作の無罪を訴えに参ったのでございます」
 耕作は返り血を浴びて着物にべっとり血が付いていたのが何よりの証拠ではないかと、奉行は自信げに言った。
   「耕作が逃げて拙者の元へ来た時、血糊は膝の辺り一ヶ所に纏まって付いておりました」
   「そんなことが、耕作が犯人でない証拠になるのか」
   「金貸しは、心の臓を一突きで仕留められていたと訊き申した」
   「その通りじゃ、たった一突きで事切れたようであった」
   「しかも、刃物は抜き去られていたとか」
   「よく調べておるのう、その通りじゃ」
   「刃物で心の臓を突き、その刃物を抜き取れば、血が噴き出しましょう」
   「左様」
   「さすれば、犯人は全身に返り血を浴びている筈です」
   「耕作は、血を拭いたのであろう」
   「拙者の観察力を侮(あなど)られてはいけません、耕作の顔、頭、胸元には一切血糊を拭き取った跡はありませんでした」
   「では、犯人が別人として、全身に返り血を浴びた者が通りに飛び出せば誰かが目撃したであろう、聞き込みをさせたがそのような者を見かけた者はいなかったぞ」
   「お奉行殿、全身に血を浴びた男が一人居ましたぞ」
   「誰じゃ わしはその様な者の存在を聞いていぬぞ」
   「お忘れですか 耕作の後から金貸しの家にきて、耕作が金貸しを殺すところを目撃したと証言した男でござる」
   「喜助は偶々出くわして…」
   「いえ、偶然ではありません、明るい外から入ってきたので耕作は全身に飛び散った返り血は見逃したようですが、喜助は既に全身に血が付いていたのです」
   「左様か、それで態(わざ)と血の海のなかで俯(うつぶせ)に倒(こ)けてみせたのじゃな」
   「お判り頂けたようですね、滑って倒ける場合は血で足を滑らせ、尻餅を着くのが普通でしょう、それを前に倒れたのは解せません」
   「分かった、喜助を捕らえて吐かせよう」
   「耕作が無実であることは、拙者が保障します、お疑いがある場合は、上田城の佐貫慶次郎へ書状を賜れば、拙者が参上仕る」
   「どうやら貴公のお蔭で、わしの裁きに汚点を残さずに済んだようだ」
   「有り難う御座います、耕作は拙者がお預かり申すが、宜しいですか」
   「貴公にお任せ致そう」
 三太は、耕作を連れて揚々と奉行所を出た。
   「直ぐに真犯人は捕まろう」
   「喜助は私の友達でした、それが私に濡れ衣を着せようとしたなんて…」
   「悔しかろう、だが皆が皆、その様な人間だと思うなよ」
   「はい」
 三太は、耕作を家まで送ってやった。 門口で女が手を合わせているのが見えた。 耕作は名を呼んで手を振った。
   「お梅ちゃん」
 呼ばれた女は、振り返り耕作を見て泣き叫んだ。
   「おれが無実だと、このお侍さんが証明してくれたのだ」
 女は、三太に向って何度もお辞儀をした。 どうやら、耕作の許嫁らしい。 耕作たちと別れて三太は街道を向けて歩き出した。
   「三太さん、占い料はどうなった」 新三郎が見かねて言った。
 その時、耕作が追いかけて来た。
   「お侍さん、占い料をまだ払っていません」
   「おお、そうか、そうか」
   「お約束の二分でございます」
   「いや、もっと負けてやろう、十文でよいぞ」
   「えっ、二分でも少なくて申し訳ないと思っていますのに、たった十文ですか」
   「良い、良い」
   「三太さん、また十文ですか、そんな風では、のぼり旗の代金にも届きませんや」
   「まだ、稼ぐのはこれからだ」
   「稼ぐ気、有るのですか」
 「木曽路は総て山の中である」とは、後の世に作られた小説の出だしであるが、ここ馬籠の宿は.峠の頂きにある。 京方面から曲りくねった十曲峠を登って来ると、美濃の国と信濃の国の境界辺りに位置する。
 その峠で三太が休息をしていると、遥か十曲峠の途中の街道で四・五人の男たちに拉致される女が見えた。 どうやら強姦目的であるらしい。 峠から走って行っても、三太が行き着く頃には女は男たちの慰みものにされているだろう。
   「あっしの出番ですね」
   「新さん頼む、俺が行くまで時を稼いでくれ」
   「ホイきた雲助」
   「誰が雲助じゃ」
 女は屈強な男たちに抑(おさ)え込まれて、必死にもがいていた。
   「私は武士の妻じゃ、無礼は許しませんぞ」
   「叫んでも誰も来ぬぞ、精一杯泣け、暴れろ」
 最年長らしき男が女の体に馬乗りになった。
   「止めなさい、舌を噛んで死にますぞ」
 男は仲間に命令して、木を女に銜えさせて、木の両端に縄を結び女の首の後ろで結ばせた。
   「よし、裸にしてしまえ」
 男が、女の帯を解こうとしたとき、女は上に載った男の股間を下から拳で突き上げた。 男はが「うっ」と唸った隙に、右に倒すと男は横にスッ跳び、背中を岩に思い切り打ち付けた。 男は「うーん」と、唸りを上げて起き上がれなくなった。
 女は立ち上がると、口枷(くちかせ)を自分で外し、啖呵を切った。
   「やいやい、わしがお前らに大人しくやらせる女だと思うのか」
 男たちは「ギョッ」とした。
   「わしを誰だと思っている、明神のお龍とはわしのことだ」
   「へ 明神のお龍」
   「しらざぁ教えてやろう、てめえらみてぇなどスケベ野郎を、十七・八人ぶった斬った殺し屋お龍とはわしのことじゃい」
 お龍は、年長男の腰から長ドスを抜くと、
   「二度とこんなことが出来ねぇように、摩羅の先をぶった切ってやる」
 女は凄んで見せると、男たちは後ずさりをして女を遠巻きにした。
   「まず、この野郎から料理してやるぜ」
 女は、背中を打って呻いている男に近付いて、長ドスで男の着物を肌蹴て、褌の紐を切った。
   「何でぇ、縮こみやがって、切り応えがねえなあ」
   「勘弁して下せぇ、もう決してしませんから…」
   「馬鹿垂れ、わしがそんな寝言を信じるとおもうか」
 男は仲間に助けを乞うたが、遠巻きの男共は前を抑えて震えているばかりである。
   「勇気の有るヤツは、かかってきやがれ」
 そこへ漸(ようや)く三太が駆け付けて来た。
   「お侍さん、助けてください」 叫んだのは褌の紐を切られた男であった。
 三太が目にしたのは、長ドス片手に片肌を脱がんばかりに気負った、怒りに燃えて般若を想像させるような顔をした女だった。
   「おいおい、どうした、摩羅の先をぶった切るなんて、女の言う科白じゃないぞ」
 女が、そこで「ふっ」と正気に戻った。 今まで暴れていたのは新三郎であったのだ。
   「あらっ、わたくしどうしたのかしら…」
 肌蹴ていた着物の裾を直し、緩んでいた帯を締め直し、楚々とした女に戻り三太の後ろに隠れた。
   「お侍さん、お助けください、この男たちはわたくしを辱めようとしたので御座います」
   「おお、そうか、恐かったであろう、拙者が来たからにはもう安心で御座る」
   「はい、助かりました、辱めを受けたら、夫への申し訳に、ここで舌を噛んで死のうと思っておりました」
 男たちは、呆れてものも言えないようであった。
   「あの女は魔物だぞ」
   「そうだ、あの若侍、取って喰われるかも知れん」
   「今の内に逃げよう、逃げてお祓いをしてもらおう」
   「兄貴、あそこで動けなくなっている親分をどうします」
   「助けに行けば、先っぽをちょん切られてしまうぞ」
   「おっぽりだして逃げよう」
 男たちは囁き合って、這うほうの体で逃げようとした。 三太は逃がさじと追いかけて行った。
   「こら、助けて貰ってお代も払わねぇのか、持ち金全部置いて行きやがれ」
   「これ、三太さん、やり過ぎですよ、まるで三太さんが追剥ぎじゃありませんか」
 新三郎が止めたが、とき既に遅く、三太の前に小判が投げ置かれ、男たちは逃げていった。
   「ところで、子分達に逃げられたお前はどうする 起き上がって拙者に向かってくるか」
   「いえ、どうぞこれでご勘弁を…」
 懐から巾着を取り出して、三太の前に投げてよこした。
   「うん、お前も運が良い男よな、大事な先っぽを切られずに済んで…」
 親分も「わあっ」と、先に逃げた子分を追って駆け出していった。
   「あやういところをお助けくださり、有り難うございました」
   「信濃の国でご亭主殿がお待ちですか」
   「はい、木曽福島の関所の役人見習いをしております」
   「一人旅とは物騒でござるな」
   「懸命に自分は大丈夫と思い込んでおりましたが、このようなことが有りましては、この先とても進めません」
   「そうであろう、よし、そなたに勇気と守護霊を授けよう」
 三太は新三郎に福島までついて行ってやってくれと頼んだ。
   「新さん、鵜沼で落ち合おう」
   「へい、合点でござんす」
   「幽霊でも、若い女が良いらしい」
   「あたぼうでがしょう」
   「何それ、アタボウって」
   「当たり前のベラボウめよ」
   「ふーん」
   「気の無い返事、妬いていなさるのか」
   「かも」
  第十六回 大事な先っぽ(終) -次回に続く- (原稿用紙20枚)

   「第十七回 弟子は蛇男へ

猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十五回 死神新三

2013-12-14 | 長編小説
   「母上、三太只今戻りました」
   「はいはい、お帰り」
 不機嫌な返事である。
   「母上、どうかしましたか」
   「別に」
   「何だか、ご機嫌斜めですね」
   「そりゃあ、斜めにもなりますよ」
 久し振りに三太が帰って来たと思えば、旦那も一緒になって「ぷい」と外へ飛び出す。 何処の誰だか分からない客を連れて来たかと思うと、今度は縄で縛った二人の刺客。 刺客も入れて五人分の朝餉を作ったのに、食べもせずに五人とも出て行ってしまう。 ようやく三太と客人一人帰って来たと思えば、旅支度して出て行き、五日も六日も経ってから、大根を五本持ってひょっこり三太だけ帰ってきた。 一体どうなっているのか、小夜には分からぬままであった。
   「この大根は、文助さんが持たしてくれたものです」
   「そうでしょうね、三太が買ってくる筈がないもの」
   「すみません、母上にお土産買って来なくて」
   「私は別にお土産が欲しくて言っているのではないのですよ、鼈甲の簪とか、柘植の櫛とかが欲しいとか言っている訳ではありません」
   「なんか、言っているようですね」
   「そうかしら」
   「言っていますよ」
   「では、あなたの心に留めておきなさい」
 その夜、慶次郎が戻り、三太は晩酌の相手をした。
   「なあ三太、お前この屋敷に戻ってくれないか」
   「私は能見家の養子ですよ、能見家には実の母が私の帰りを待っています」
   「能見篤之進殿には、私が水戸へ言って頭を下げて来よう」
   「私の母は、どうなります」
   「三太と一緒に、この屋敷に来て貰おう」
   「例え、私が佐貫家へ戻りましょうとも、跡継ぎは鷹之助です」
   「鷹之助は三太郎(緒方梅庵)と同じで、侍にはならないと頑固一徹、上方へ行ってしまったよ」
   「父上、藩士は、武芸を持って藩侯にお仕えするばかりでありません、思想学者としてお仕えするのも、また然りではありませんか」
   「そうかのう、わしは剣一筋に上田藩にお仕えして参ったが、息子たちは、自由奔放で、わしは付いて行かれぬ」
   「父上は、剣を持って上田藩にお仕えなさっています、鷹之助は儒学者として、上田藩に佐貫ありと名を讃えられる藩士になりましょう」
   「そうか、それならば三太郎も戻ってきて藩医になってくれると良いのだが」
   「兄上は、もう上田藩の兄上ではありません、日本の緒方梅庵に成りつつあります」
 若くして、大勢の弟子を持って活躍している兄上緒方梅庵の、三太は一番弟子であることが誇らしい。 兄上を上田藩の藩医に据えるなど、三太の中では到底有り得ないことなのだ。
   「父上、私は上方へ行って参りましょう、鷹之助のことが気掛かりですし、鷹之助の考えも訊きたいのです」
   「そうか、実はわしと小夜もそうなのじゃ、持たせた金が尽きているのではないか、食べるものにも事欠いているのではないかと、二人で心配しているのだ」
   「では、明日にでも上方へ向います」
   「本当は、わしが行きたいのだが」
   「ご安心なさいませ、お金も私が用意して行きます」
   「三太お前、そんなに金持ちなのか」
   「旅の途中で、しっかり稼いで参ります」
   「まさか、あくどい金儲けをするのではあるまいな」
   「多少は…」
 新三郎が口出しをした。
   「三太さん、父上が心配するではありませんか」
   「だって、本当のことですから」
   「よし稼ぐぞ、新さん頼りにしています」
 中津川から戻って来たかと思うと、また中津川の方へと三太と新三郎の旅は同じ中山道を行ったり来たり、それぞれ目的があっての旅ではあるものの、まるで風が吹くまま気の向くまま、風来坊さながらである。
   「三太さん、博打で稼ぎましょう」
   「俺は、博打をしたことがないのだ」
   「あっしの指図通りにやればいいのですよ」
   「元手は幾らあれば良いのだろう」
   「軽く、一両から始めましょうか」
   「わかった」
 気前よく中津川のお妙ちゃんに合計六両と一朱遣ってしまったので、三太の懐には六両とちょっと残っている。 例え一両摩ってしまっても、まだまだ大丈夫だ。
 中山道は、生前の新三郎が幾度となく行き来して勝手が分かっている。 下諏訪の宿に賭場を探し当てた。
   「三太さん、まず一両をコマ札に換えてくだせぇ」
   「分かった、他の客の通りにすれば良いのだな」
   「開帳したら、後はあっしの言う方へコマを張ってくだせぇ」
 新三郎が「半」と言えば、半目に賭けると半が出る。 丁に賭ければ丁が出る。 みるみる三太の前にコマ札が溜まっていった。
   「お侍さん、ツイとりますねぇ」 親分らしいのが声を掛けてきた。
   「そろそろ引揚げるとするか」
 三太が立ち上がろうとすると、
   「最後にわしと差しで勝負しませんか」
 賽は一つで五回勝負、三回先取した者が勝つ。 三太が勝てば、二倍になるが、ここで欲を出すと、スカンピンにされそうである。 三太が断ろうとすると、新三郎が「待った」をかけた。
   「三太さん受けなせぇ、敵はここでイカサマをやって来るが、あっしがそうはさせません」
   「分かった、新さん」
 三太は、差しの勝負を承諾した。 予めそれぞれが丁半を決めておいて、ツボ振りに賽を振らせる。 ここまではイカサマなしの勝負であったが、差しの勝負では、三太が「丁」と張れば、ツボ振りは奇数の目近くに鉛が入った賽を使う。この賽は、半の目が出る確率が数段多くなるのだ。
   「ツボ振りの魂は眠らせて置いて、あっしがツボを振りやす」
   「そうか、新さんは出目を操れるのか」
   「あっしは、悪霊でやすから…」
   「なんだか根に持っていません」
 最初の勝負は三太が負けた。 相手はニタッと嘲笑(わら)ったが、ここからは三太が三連勝した。 親分は、ツボ振りに「お前、ドジを踏んだな」と、拳で殴りつけた。 それ程強く殴ったわけでもなかったが、ツボ振りはドテッと倒れて、そのまま気を失ったようであった。
   「それは、どう言うことだ、イカサマをする手筈だったのか」
   「このサンピンめ、ツボ振りに何をしやがった」
   「手も触れていないぞ」
   「喧(やかま)しい」と、三太を睨み付けて、子分たちに命令した。
   「こいつの腕を圧(へ)し折って、叩き出してしまえ」
   「その前に、このコマ札を金に換えてくれ」
 三太は、一両をコマ札に換えた時の二十倍はあると踏んだ。
 三太は、ドスを持った男たちに囲まれた。 一人の男がドスを振り翳(かざ)して三太に突進してきたかの様に見えたが、男は三太の前で崩れ落ちた。
 三太を取り囲んでいた男たちは「おーっ」と、驚きの声を上げて怯(ひる)んだ。
   「命知らずは、かかって来い」
   「糞ったれ、死ね!」次に斬りかかってきた男は、三太が峰打ちで倒した。
 他の男たちは、掛け声だけは勇ましいが、逃げ腰である。
   「今度は、峰を返さねぇぞ」三太は凄んで見せた。
 その時、「早く殺れ」と、子分達に命令していた親分が、急に態度を変えた。
   「悪かった、コマを金に換えるからお帰りになってくだせぇ」
 親分のこの変わりようは、三太にはすぐわかった。 新三郎の仕業だ。 親分は土下座をして許しを乞い、二十両を三太に差し出し、その場で気を失った。 子分たちは、親分の体たらく振りに呆れているようであった。
   「それ、てら銭だ」
 三太は儲けの五分である一両を投げて賭場を後にした。 どうやら、後を追いかけてくる勢いも無くしたようだ。
   「やっぱり、俺たちは賭場荒らしだな」三太は新三郎に、ぽつりと言った。
三太は考え込んだ。 人の役にたって、尚且つ金儲けが出来ることは無いだろうか。 町に定着して商売が出来ないかぎり、ある程度は荒稼ぎでなければならない。
   「流しの医者なんてどうだろう」三太が新三郎に問いかけた。
   「何ですそれ医者のご用はありませんかと、流し歩くのですかい」
   「だめかな」
   「三太さん、それで自尊心は傷つかないのですか」
   「軽く見られるだろうな」
   「誰だって、余程のヤブ医者だと思いやすぜ」
   「偽薬でも、名医の誉れ高い匙で処方されると、患者にとって特効薬になることもあると梅庵先生から教わった」
   「例え高価な朝鮮人参でも、流しの医者が与えれば、蒲公英の根か何かではないかと疑われて効果が出ないってことでしょ」
   「では、失せ物探しはどうだろう」三太が提案した。
   「無くした物をあっしらが探して遣るのですかい」
   「うん、新さんが依頼主の過去の記憶を辿って、探してやるのだ」
   「盗まれたものは、辿れないですぜ」
   「それは仕方がない、正直に盗まれていますと、言ってやればよい」
   「とにかく、やってみましょう」
 早速、旗屋にのぼり旗を作らせ、三太はそれを担いで歩いた。 のぼりには、「霊能占い師、宍戸妙軒」横に小さく「失せもの探し、人探し」と書いて貰った。 名を宍戸妙軒としたのは、この胡散臭(うさんくさ)い商売に、佐貫の名も、能見の名も出せないからだ。
 のぼり旗を持ち歩いて半里ほど歩いたところで、糸も切れそうな三味線を小脇に抱えた鳥追い風の女に声を掛けられた。
   「人探しの占いをやっておくれでないかえ」
   「分り申した、暫く黙ってそれがしの目を見ていなさい」
   「あいよ、こうですかえ」
   「しーっ、黙って」
 二人に暫しの沈黙があったが、その間に新三郎が女に乗り移り、心の中を偵察した。
   「お志摩姐さん、ご亭主を尋ねての旅でござるな」
   「嘘、私の名前をどうして知っているの それが占いで分かるのかぇ」
   「そうとも、ご亭主の名前は、追分の音次郎と申すのだな」
   「えーっ、亭主の名前まで分かるのですか」
   「まだ分るぞ、三年前に突然旅に出ると言い、道中合羽に縋りつこうとするお志摩姐さんからスルリと身を交わし、闇の中に消えていったのであろう」
 女は驚いた。 見も知らずの占い師が、そこまで言い当てるとは、まるで亭主がすぐ近くに居るように錯覚した。 新三郎はその男に出会っているように思えた。 あの賭場で、持ち金すべてを摩(す)り、三太と同時に賭場を出た男だ。 違いない、三度笠の裏に「音」という字が書かれていた。 これは、連れの者か誰かに、見付けて欲しい時に旅籠の軒先に吊るすために書いた文字だ。
 音次郎は、ぐずぐずしている三太を尻目に、中山道を草津に向けて歩いて行った。 推察するに、音次郎は江戸方面から中山道を歩いてきて、追分の宿に戻っていたのだ。
 しかし、女房に合わす顔がなく、再び中山道を草津に向けて歩き、上方へでも行く積りであったのだろう。
   「お志摩さん、ご亭主はまだそんなに遠くへまで行っていない」
   「本当ですか どこへ行けば会えるのでしょう」
   「今、占ってみる」
 三太は怪しげな呪文を唱えて時を稼いだ。 追分の音次郎と二つ名を名乗るからにはヤクザ渡世の男。 持ち金を無くせば、ヤクザ一家に草鞋を脱ぐか、空腹を抱えて野宿するかである。 新三郎には、音次郎のとった行動が手に取るようにわかる。 三太が幟に文字を書いてもらう為に費やした時間だけ、三太よりも先に進んでいるのだ。 音次郎は、次の宿場で草鞋を脱ぐためにヤクサの一家を探しているだろう。
 新三郎は、音次郎を直ぐに見付けた。
   「おい、音次郎」
 音次郎は辺りを見回した。 誰も居ない。
   「おい、音次郎、わしは死に神じゃ」新三郎である。
 音次郎は腰が抜ける程驚いた。
   「お前には、わしの姿が見えぬじゃろう」
   「はい、見えません、あっしはここで死ぬのですかい」
   「そうだ、だからわしが迎えに来た」
   「わかりました、黄泉の国へでも冥途へなと連れて行っておくんなせぇ」
   「そうかわかった、だがお前はまだ若い、一つだけ助かる方法がある」
   「そんなのが有るのですかい」
   「あるとも、お前は今来た道を戻るのだ」
   「戻れば何が有るのですか」
   「まあ、黙って聞け、お前の女房お志摩さんに助けてもらうのだ」
   「お志摩は何処に居るのです」
   「今、お前を探してこっちに向かっている」
   「お志摩は三年前に捨てた女、あっしを憎んでいることでしょう」
   「いいや、惚れているからこそ、お前を尋ねて旅に出たのだ」
   「お志摩は、今でも独り身ですかい」
   「あたりまえじゃろう」
 音次郎は逸(はや)る気持ちを抑えきれずに走ろうと思うが、腹に何も入っていない。 それでもとぼとぼと歩いていたら、男連れのお志摩らしい女がこちらへ向って来る。
   「お前さん、そこにいるのは、追分の音次郎だろ」
   「お志摩か」
   「そうだよ、お前さん酷(ひど)いじゃないか、今日帰るか、明日帰るかと待っているうちに、三年も経ってしまったよ」
   「お志摩、俺はお前の傍でねぇと生きてはいけないだ」
   「どうしたのだい、そんな殊勝なことを言って、お前さんらしくもない」
   「いま、おれは死に神に取り憑かれているのだ」
   「そうかい、それじゃあこの凄い霊能占い師の先生に、お祓いしてもらおうよ」
   「その人、そんなに凄いのかい」
   「そうともお前さんのことも、ぴたりと言い当てたのだよ」
   「先生、どうか宜しくおねげぇしやす」音次郎が頭を下げた。
 三太は、怪しげなお祓いをしてやった。
   「音次郎」
   「へい」
   「今度お志摩さんを泣かせたら、わしがお前に死に神をけし掛けるぞ
   「あっしは犬ですかい」死に神新三郎はムスッとした。
   「先生、占い料は如何ほど」お志摩が三太に尋ねた。
   「占い料と、お祓い料で十両がとこ頂戴しましょうか。
   「今旅先だから、そんな金は持ち合わせていないよ」
   「そうか、では十文にまけておこう」
   「えっ、たった十文」
   「三太さん、十文じゃ屋台のかけ蕎麦も食えませんぜ」
 新三郎が堪えかねて忠告した。
   「まっ、いいじゃないか、この二人が幸せになるなら」
   「馬鹿ですぜ、このお人」
  第十五回 死神新三(終) -続く- (原稿用紙19枚)

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「第二十九回 暫しの別れ」へ
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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十四回 三太の大根畑

2013-12-08 | 長編小説
 上田藩奉行所の牢に勘定奉行を陥れるのに加担したとして山内と川辺が入れられていた。 特別に許されて、三太は二人に面会した。
   「あなた方は、四・五日後には処刑されることになろう、誰を恨んでいる」
   「誰も恨んでいない、放っといてくれ」 山内が苦々しく言い放った。
   「川辺さんはどうだ」
   「うるさい、あっちへ行ってくれ」 懸命に虚勢を張っている。
   「放っとけないから、態々面会に来たのではないか」
   「我々を嘲弄するために来たのであろう」 山内は、三太を睨み付けた。
   「馬鹿なことを言うな、俺が貴様たちを揶揄する為に来たと思うか」
   「処刑を前にした大の男が、恐怖に震えているところが見たかったのであろうが」
   「恐いか」 と三太。
   「恐くない、我らとて武士の端くれだ」
 虚勢を張りながらも、怒りの為か、死の恐怖の為か体が震えている。 実は、三太はこの二人の命を助けたいのである。 上司に命令されたら、武士は断ることが出来ないのが世のならいである。 さりとて、上司の醜行を諫めると、手打ちにもなり兼ねない。 下級武士の悲哀である。
   「俺は、貴様たちの釈放を嘆願しようと思う」
   「お前のような若造の嘆願が聞き入れられる訳がない」
   「そうでも無いぞ、俺は前(さき)の藩侯、松平兼重様にはいつでも目通りが叶う身だ」
   「ご隠居様と」
   「この度の事件も、兼重様のお口添えがあっての解決だ」
   「我々は、解き放される望みもあると言うのか」
   「だからこそ、誰を恨んでいると尋ねたのだ」
   「だれも恨んではいないが、強いて恨むなら、己が下級武士の家に生まれたことだ」
 山内は、今までの苦痛の数々を思い出しているようであった。
   「川辺殿はどうだ」
   「無実の人間に手にかけぬ間に捕まえてくれたことを感謝している」
   「そうか、それだけ聞けば良い、希望を持って朗報を待て」
 無闇に解き放って、小間物商や稲造を仇と襲うようなことが有ってはいけないと危惧しての三太の面会であった。
 三太は、東奔西走して、佐貫慶次郎が二人の身柄を引き受けることで話が着いた。 三太が再度二人に面会をして、武士として佐貫慶次郎の配下となるか、武士を捨てて町人になるかを問い質した結果、二人は武士として佐貫の元に留まることを意思表示した。
   「其の方たちは、決して命乞いをしたのではない、武士として誇りを持って佐貫慶次郎の配下に着くのだ」
 ふたりは頷いた。 また、三太の気配りに感動した。 やがて二人は釈放の身となり、佐貫慶次郎が引き取った。
 いよいよ、稲造もお菊と、お妙と、赤子が待つ中津川の家に戻ることができるようになった。 三太は、用心の為、稲造を塩尻まで送って行くことにした。 稲造は、汗水垂らし、食べるものも節約して貯めた二両と百文の金が元奉行に取り上げられたままであることを三太に訴えた。 戻りしな、藩の町奉行所へ寄り、稲造か働いて得た収入であることを説明して、お下げ戻しを申し出たところ、詫びの一言と、二両百文に添えて三両の詫び料を賜った。
   「稲造さん、それからこれは俺からだ、お菊さんとお妙に土産でも 買って帰ってくれ」
 三太は持ち金から五両の金を渡してやった。
   「三太さん、命を救って貰ったうえに、こんなにして戴く訳には参りません」
 遠慮して戻そうとする稲造を制したものの、十両もの大金を持ち歩いては物騒であるし、また盗みの疑いをかけられたら、十両盗めば死罪になるこのご時世、三太は中津川まで稲造を送って行くことにした。 稲造は嬉しいのと申し訳なさが入り乱れ、いたたまれない様子であった。
   「俺は暇人だ、気を使うことはない、猿に似た赤子の顔も、もう一度見たいのだ」
   「そういつまでも猿には似ていませんよ、猿の子ではないのですから」
   「そうか、なんだ、つまらん」
 何泊かして、中津川に着くまでに、稲造も打ち解けて冗談を言い合うまでになっていた。 稲造は広い土地を任されていなかったので、近所の畑の手伝いをして食い繋いでいたが、この際、頂戴した金で町へ出て、小さな八百屋を開きたいと希望を話した。
   「それは良いことだ、村の農作物を買い集めて売るのだな」
   「はい、村の人々へ恩返しがしとう御座います」
   「それでは、資金がたりないだろう」
   「はい、行商からはじめます」
   「そうか、最初は苦労が絶えないであろうが、赤子のためにも頑張りなさい」

数泊の後、稲造は家族の待つ我が家へ帰り着いた。
   「お菊、今戻ったぞ」
 お妙が転がるように家から飛び出してきて、父親に飛びついた。
   「あなた、お帰りなさい、お帰りが遅いので心配していました、よくぞご無事で…」
   「苦労をかけて済まなかった、男の子が無事生まれたそうだな」
   「あなた、それをどなたから」
   「ほら、あの木の陰に隠れていらっしゃる、わしの命の恩人だ、しかもここまで送ってくださった」
 お妙が見つけて、木の陰へ駆け寄った。
   「先生だ!」
   「まあ、先生に送っていただいたのですか」
   「しかも、五両も頂いたのだ、奉行所から三両も頂戴したので、わしが働いて稼いだ二両が、貧弱に思える」
 三太が夫婦に近寄り、稲造を嗜めた。
   「何を言うか、その金の中で、稲造さんの二両が一番重いであろうが」
 お妙が父親から小判を持たせてもらい、どれが重い小判か確かめている。
   「どれが、お父っつぁんの二両か分かったか」
 お妙は、首を横に振った。
   「わかりません」
 お妙は、お産の経緯を語り、稲造は盗人の濡れ衣をきせられて死罪になりかけた経緯を話す。 夫婦は、どちらも三太に助けられた奇遇に感涙した。 暇人ながら、まだ用事が残っているのでと、家族と早々に別れて、三太は再び信濃の国は上田へと草鞋を向けた。
 新三郎は、三太の体を心配している。 三太の旅は、新三郎の旅でもある。
   「三太さん、如何に暇人でも往(い)ったり復(き)たりのし過ぎじゃありませんか」
   「いいじゃないか、すべて成り行きなのだから…」
   「懐の金も、少なくなりましたね」
   「構わん、構わん、お妙ちゃんの喜ぶ顔も見ることが出来たし」
   「ははあん、三太さん少女愛に目覚めましたな」
   「何? それ」

 上田に戻ると、文助の八百屋に足を運んだ。 文助は、佐貫の屋敷の使用人で馬の世話をしていた権八の息子である。 後に文助も奉公先を辞めて佐貫の屋敷の使用人となり、幼い三太を可愛がって遊び相手になってくれた男だ。
 やがて佐貫の使用人も辞めて、近所の農家の娘と祝言を挙げ、農家を継いで畑を耕していたが、町に出て、八百屋になり、妻子と父親の権八を呼び寄せた。 権八は数年前に他界したが、亡くなる寸前まで父子なかよく商いに精を出していたと、三太の佐貫家の義母小夜が語っていた。 三太は酒を買い求め、文助の店に向かった。
 文助の店は立派だった。 使用人も雇っているらしく、店先では三太の見知らぬ若い男が掃除をしていた。 店の中はと覗くと、面影はあるものの、昔の若々しい文助ではなく、髭を蓄えたおやじが、帳場に「でん」と座って算盤を弾いていた。
   「文助さん、ご無沙汰です」
 文助は顔を上げて三太を見たが、三太に気が付かないようであった。
   「失礼ですが、どなた様でいらっしゃいますか」
   「私をお忘れですか ほら、ひよこのサスケを懐に入れていた…」
   「えっ、三太さんですか、大きく成られて、お見逸れしました」
   「権八さん、お亡くなりになられたそうですね、ご愁傷さまです」
   「ありがとうございます、父はよく三太さんの噂をしておりました」
   「俺のことで良い思い出はなかったでしょうね」
   「その通りですよ、三太さんの事件のことを聞いたときは、食事も喉が通らないようでした」
   「権八さんの仏壇に線香をあげさせてください」
 文助の女房、楓が出てきた。
   「まあ、懐かしい、三太ちゃんじゃありませんか」
   「分かりましたか」
   「分かりましたとも、三太さんが独りで江戸へ発たれたのは確か十歳くらいのときでしたでしょ」
   「そうでしたねぇ」
   「その頃より、ちょっと貫禄が付いただけで、ちっとも変っていません」
   「でも、文助さんは気が付かなかったのですよ」
   「うちの人は、鈍感なのですよ」
   「おいおい、それは酷い」
 文助は言ったが、現にまったく分からなかったのだから、鈍いと言われても仕方ないと苦笑した。
   「楓、三太さんを仏間にご案内しなさい」
   「はい、お線香を挙げてくださるのですね」
   「はい、それと権八さんが好きだった酒を持ってきました」
   「それはありがとうございます、お父さん、きっと喜びますわ」
 三太はしばらく文助と思い出話に浸った。 火事で焼けてしまったが、文助が三太のために鶏小屋を作ったことがあった。 その中でサスケの父親、鶏の三四郎が、サスケを大切に自分の羽の中に入れて母親代わりをしていたのが思い出される。 それを聞いた文助が、「雄鶏が子供を護るなんてことは珍しいのだよ」と、三太に語った。
 三太は、鶏の名を耳にして、当時の上田藩主が、三太では武士の子らしくないから、名を考えてやろうと、三四郎とかサスケだのと名を付けようとしたことを思い出した。  あれは偶然ではなく、慶次郎から聞き鶏の名を知っていて、三太をからかったのだろうと思っていると冗談交じりに話した。
   「そうでしょうね、幼い三太さんをからかうと、反応が面白かったからですよ」
   「俺は、大人の玩具だったのですかねぇ」
 三太が佐貫の屋敷へ戻ろうとしていると聞くと、文助は大根を五本束ねて持たせてくれた。
   「三太さんの大根畑を思い出すでしょ」
   「ああ、文助さんに手伝ってもらい、馬糞の堆肥で育てた大根ですね」
   「小さい体で、鍬を振り上げていた三太さんが目に浮かびます」
 文助は、少し涙目であった。
   「でも、この大根少し重いです」
   「昔の幼い三太さんじゃないのですから、我慢してください」

  第十四回 三太の大根畑(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十三回 無実の罪 (2)

2013-12-07 | 長編小説
   「三太さん、起きてくだせぇ」
 熟睡していた三太は新三郎に起こされた。 ここは三太の第二の実家、佐貫家の屋敷である。
   「何者かが、屋敷の外で中を窺っていますぜ」
   「やはり来たか、それにしても早すぎる」 三太は眠い目を擦った。
   「早いって、まだ真夜中ですぜ」
   「いや、その早いではない、昨日の今日だからだ」
 やつらは、稲造の命を狙っているのだ。 稲造を佐貫の屋敷に匿(かくま)っているのは、お奉行と慶次郎と三太と佐助だけである。 誰にも知られずに、夜中に町駕籠(まちかご)でこっそりと連れて来たのだ。 駕籠屋から情報が漏れたとしか考えられない。 しかし、駕籠屋には乗った客の名前など聞かせていない。
   「三太さん、一人はあっしが片付けます」
   「わかった、もう一人は俺がやっつける」
 三太は潜戸(くぐりど)をそっと開け、塀を乗り越えようとしている二人の刺客(しかく)の後ろから声を掛けた。
   「こら、待たんかい、うぬ等は何もんじゃい」
 新三郎が三太を嗜めた。
   「三太さん、言葉が上方弁になっていますぜ、それも下品な…」
   「この方が、凄みが出るだろうと思って…」
   「感付かれたようだ、こいつから始末しよう」 刺客は剣を抜いて三太に向かってきた。 そのとき、一人の刺客がへなへなっと地に崩れた。 新三郎の仕業だ。 崩れた男は気を失っているように見える。
   「おい、山内どうした、貴様、こやつに何をした」
   「この男、山内と申すのか、確(しか)と聞き申したぞ」 言われた男は、「しまった」という表情をみせた。
 身の熟(こな)し、言葉遣いは武士であるが、剣の腕は三太の目ではなかった。 ぶ様に斬り込んでくる剣を躱(かわ)し、剣を持った両腕を、三太は刀の峰で叩き付けた。 刺客の一人は、「ぐわっ」と悲痛な叫びと共に、これまた地に崩れた。
 三太は、二人を縛りあげた。 気を失っていた男は、気が付くと縛られているので、何があったのか懸命に思い出そうとしている。
 もう一人は峰打ちされた手首を縛られたので、「うっ」と、呻き声を上げた。
   「お前たち、何者だ、誰に頼まれて忍び込もうとしていた」
 男たちは、黙り込んだ。
   「言っとくが、舌を噛んでも死ねはしないぞ、俺は蘭方医だ」
   「では、首を刎(は)ねてくれ」
   「馬鹿をいうな、貴様たちは大切な証人だ、なあ山内どの」
 名を言われた山内は、きょとんとしていたが、急に仲間の方を見て叫んだ。
   「川辺、お前だな、こいつに俺の名を教えたのは」
   「そうか、そうか、お前らは山内と川辺だな、しっかりと聞き留めたぞ」
 ふたりは、暫くは罵りあっていたが、不貞腐れて黙り込んでしまった。 この間抜けなやつらは雇われた忍者ではない。 忍者なら、こうも易々と名を呼び合ったりはしない。 何者かの家来で、俄か刺客であろう。 三太はそう思った。

 昨日、慶次郎はご家老の許(ゆる)しを得て、町奉行と共に勘定奉行の屋敷を訪れていた。 勘定奉行が抜け荷の品を買った疑いがあるからである。
   「無礼な、拙者が抜け荷の品を蒐集しているだと」
   「申し訳ありません、小間物商の番頭が証言しましたもので」
   「分かり申した、屋敷の内部を隈なく探されるが良い」
   「それでは、失礼して探させて頂きます」
 慶次郎は、蔵の中まで丁寧に調べたが、町奉行が小さなギヤマンの一輪挿しを呆気なく仏壇の奥から探し当てた。
   「お奉行(勘定)、これは唐制のギヤマンで御座らぬか」 町奉行は、言ってにんまり笑った。
   「なに ギヤマンだと、拙者は知らぬ、そんなものは見たこともない」
   「奉行所へ持ち帰りまして、調べさせて戴くが、よろしいかな」
   「宜しいも何も、それは拙者が買い求めたものではない」
   「小間物屋の番頭は、松平家の封印がしてある小判二十五両を、勘定奉行様の使いの者から受け取ったと証言しております」
   「佐貫殿、拙者は使いを出した覚えはない、頼む、貴殿が調べてくれぬか」
 慶次郎は、勘定奉行を宥めるように答えた。
   「お奉行(勘定)、拙者には真相が見えてきています、ご安心召されて、どうぞ普段と変わりなくお過ごしください」
   「そうか、佐貫、頼んだぞ」
 翌日、慶次郎が帰宅した。
   「父上、昨夜稲造に二人の刺客が放たれました」 早速、三太が昨夜のことを報告した。
   「やはりそうか、それで稲造は無事か その刺客はどうした」
   「稲造は、何も知らずに寝ておりました、刺客は捕えてあります」
   「そうか、三太でかしたぞ、流石わしの息子だ」
   「その二人の名も、聞き出しております」
   「そうか、わしの知り得る者かも知れぬ、名は何と申した」
   「山内と川辺です」
   「案の定だ」

 慶次郎は、老け込む年齢ではないが、頭に白いものが目立ってきた。 だが目は青年のように輝いている。 その目を更に輝かせて言った。
   「三太、町駕籠を二丁呼んで参れ、刺客を連れて奉行所へ踏み込むぞ」
   「わかりました、直ちに…」 三太は出て行った。
   「稲造、昨夜お前に刺客が差し向けられた、この男たちがその刺客だ、事件をきっちり解決しないままでお前を帰らせると、命を狙われる、そのためにもお前に証言して貰いたいことがある」
   「何でございましょう」 稲造は落ち着き払っていた。
   「この男たちの顔をよく見ろ、お前の手に小判を持たせた者が居よう」
 稲造は、男たち顔をしっかり見て、「あっ」と、声を漏らした。
   「この人で御座います」 稲造は川辺を指差した。
   「そうか、やはり顔を見ておったか、それでこいつらはお前を消しにきたのだ」
 稲造は考えた。 奉行所で取り調べのとき、自分に小判を手渡した男のことは一度も訊かれなかった。 稲造が申し上げても、取り上げようとしなかったものを、佐貫さまは何もかも分かっているようにその男を捕らえている。 これは絶対に信用出来るお方だと頼もしく思えたのだった。
 駕籠に刺客を其々乗せて、慶次郎、三太、佐助、稲造の一行は奉行所へ向った。 途中、小間物屋に寄って店の主(あるじ)と、稲造を「小判を奪って逃げた犯人だ」と証言した番頭を同行させた。
   「お奉行殿、稲造を消す為にわが屋敷に忍び込もうとした刺客を捕らえ申した」
 奉行は顔色を変えて駕籠から出された男たちから目を逸(そ)らせた。
   「そうか、では早速取り調べて、それ相応の罰を下そう」 町奉行は、嘯いたつもりである。
 慶次郎は、縛られた二人の刺客を睨み付けたが、二人も黙ったまま目を逸らせた。
   「お奉行、目を逸らさずにこの者たちを見られたい」
 奉行は慶次郎に言われて、しぶしぶ二人に目を向けた。
   「あっ、お前たちは…」 奉行は驚いたような素振りをした。
   「お奉行、そう 驚かれることは無いでしょう」
 慶次郎は、小間物屋の番頭を呼び寄せた。
   「その方は目がわるいようだが、小判を持って来た勘定奉行の使いの者の顔は至近距離で見ておろう、この二人のうちにその者はおるか」
   「はい、こちらの方です」 番頭は山内を指した。
 慶次郎は、今度は稲造を呼び寄せた。
   「もう一度答えてくれ、お前の手に小判を握らせた男は、二人のうちどちらであったか」
   「こちらの方でございます」 稲造は川辺を指した。
 慶次郎は、その一連の出来事を繋(つな)ぎ合わせた。
 つまり、店の主が留守であることを何らかの方法で確認して、まず山内が暖簾を潜った。 勘定奉行の使いの者と称して、あたかも店の主から何かを買ったと思わせ、封印したままの小判を番頭の前に置き、代金を払いに来たと言った。 金を払えと言うなら、番頭は警戒するだろうが、払うというのだから難なく受け取った。 その時、山内と入れ替わりに店に入って来たのが川辺である。 川辺は番頭から小判を奪って店の外に飛び出し、店の前でぼんやり佇んでいた稲造にそれを掴ませた。 番頭は目が悪かったのと気が動転動莖していて、川辺と稲造を同一人物だと思い込んで、稲造を捕まえてしまったのだ。 ましてや、稲造が小判をもっていたのだから無理もないことである。
 こうする、ことにより封印された小判が明るみに出てしまう。 それが何者かの狙いであったのだ。
   「山内と川辺は、奉行殿の配下の者でござったな」 慶次郎は、奉行を見て言った。
 奉行は、顔を真っ赤にして二人を睨み付けた。
   「よくもこの奉行の顔にドロを塗るようなことをしてくれたな、成敗してくれよう」
 刀を抜いて、二人を斬ろうとした奉行の剣を、三太が剣を抜いて走り寄り、刀の峰で受け止めた。
   「お奉行、口封じのつもりで御座るか」 慶次郎は叱る様に言った。
   「無礼な、口封じとは片腹痛いわ」
   「二人を成敗する必要はなかろう、いくら二人を問い詰めてもこやつらも武士、上司に命令されたとは口が裂けても申さぬであろう」
 慶次郎は、言葉を続けた。
   「それよりも、狼狽される奉行殿が、全てを物語っているでは御座らぬか、ご家老、確と御覧(ごろう)じたか」
 いつの間にか、家老が来ていた。
   「勘定奉行様は、小間物屋から抜け荷の品など買ってはおられませぬ、それは小間物商の主が証言しております」
 慶次郎は、町奉行と共に勘定奉行の屋敷蔵を見せてもらったが、抜け荷の品など一切無かった。 また小間物商も調べたが、それらしきものは見当たらなかった。
   「勘定奉行さまの屋敷で見付かったギヤマンの一輪挿しは、恐らく町奉行殿どのが懐に忍ばせていたものでござろう」
 慶次郎は、勘定奉行の屋敷に赴く際、膨らんでいる町奉行によろめいて接触したように見せかけ、それとなく確認していた。 また、勘定奉行の屋敷で、町奉行は迷うことなく仏間に入り、いきなり仏壇の扉を開いていた。
 何よりの証拠は、ギヤマンの出所である。 後に慶次郎が調べあげ、町奉行が長崎の奉行所勤務であった時に手に入れたものと判明し、町奉行の屋敷が捜索されて数々の抜け荷の品が見付かった。 その後、評定所より町奉行に切腹の沙汰が下った。

   「町奉行が、勘定奉行を失脚させねばならない動機は何でしょうか」 三太が慶次郎に訊いた。
   「自分が勘定奉行にのし上るためであろう」
   「同じ奉行で、そんなに身分の差があるとは思えませんが…」
   「勘定奉行は藩財を横領することが他易い、それでご禁制の品々を買い集めようと図ったのかも知れぬ」

  第十三回 無実の罪その2 -次回に続く- (原稿用紙14枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十二回 無実の罪 (1)

2013-12-04 | 長編小説
 三太と佐助の二人は、長久保の宿(ながくぼのしゅく)に入った。 三太(数馬)の第二の故郷である。 ここには養父上田藩家臣佐貫慶次郎と、義母小夜の屋敷がある。 実の長男佐貫三太郎は武士を嫌い、今は水戸で緒方竹庵の養子となり、緒方梅庵と名を改め、緒方診療院を継ぐとともに、蘭方医学の緒方塾を開いている。
 三太は、佐貫慶次郎の養子となり、武士を捨てて医者を志した三太郎に代わり、佐貫家の後を継ぐべく、母上小夜からは、文字の読み書きを習い、甲賀(こうか)忍者の流れを汲む父上から武道と馬術を修得した。
 やがて慶次郎と小夜の間に男児が生まれ、三太は自ら跡継ぎの身を退き、実母を探す為に単身江戸へ出て来て母に巡り合うが、母や自分に暴力を加える父に見つかり、母を護るために三太は実の父を刺してしまう。 まだ幼さの残る子供であったが、肉親を殺害した罪は重い。 三太は処刑されることになったが、三太に同情した時の奉行の計らいで、こっそりと奉行が昵懇にしていた能見篤之進に、氏の亡き次男能見数馬の名を受け継ぎ、三太を預けた。
 おりしも、長崎から阿蘭陀医学を修得して戻った佐貫三太郎が、世話になった能見に挨拶にきて、三太と出会う。 三太は、実の父親に捨てられて寺の縁の下で命を繋いでいたが、病気になり三太郎に助けられ、養子として佐貫慶次郎に委ねたのであった。
 佐貫の屋敷は、役宅(社宅のようなもの)であったが、三太が居た頃に放火されて全焼し、上田藩が新築したものであった。
   「母上、只今三太もどりました」 子供の昔をしのんで、三太は大声を出して門を潜った。
 小夜は、三太がこちらに向かっていることを慶次郎から聞いていたので、驚きはしなかった。
   「まあ、随分ゆっくりした旅でしたのね」 慶次郎の部下が知らせてくれてから、幾日も経っているからだ。
   「方々寄るところがありまして…」
   「三太さんも兄上と同じですね、忙しい、忙しいと言ってすぐに帰ってしまうのでしょ」
   「私は兄上と違って、暇ですよ」
   「では、ゆっくりしていけるのですね」
   「はい、今度は文助さんのお店にも行ってきます」
 文助は三太が小さかったころの使用人で、三太を可愛がってくれた男である。 今は子供にも恵まれ、町で八百屋を営んでいる。
   「そうですね、この前に兄上と戻って来たときは、素通りだって文助さん怒っていましたよ」
   「そうだろうと、思っていました」
   「それで、何時になったら紹介してくれますの」
   「あっ、忘れていました、私の弟子で佐助といいます」
   「佐助です、よろしくお願いします」
   「こちらこそね、酷い師匠ですね、忘れていたなんて…」
   「はい」
 小夜は、三太に向き直り、「あなたねぇ」と、説教口調でいった。
   「この人のお名前、三太が付けたのではないでしょうね」
 三太が飼っていたひよこのサスケを想像したらしい。
   「違いますよ」
   「そう、それなら良いのです」
 佐助が三太に尋ねた。
   「先生、ここでは三太と呼ばれているのですね」
   「私の幼名です」
   「まあ、幼名ですって、お大名みたい」 小夜がからかった。
   「江戸の慎衛門おじさんに逢ってきましたが、奥さんのお樹さんも、慎一郎さんもお元気でしたよ」
 中岡慎衛門は、小夜の実の兄である。
   「それはありがとう、何よりのお土産です」
 日暮れ時に、慶次郎が戻ってきた。
   「父上、お帰りなさい」
   「三太、戻っていたのか、母上が心待ちにしていたぞ」
   「これは、私の弟子で佐助と言います」
   「そうか、三太の父、佐貫慶次郎だ」
   「お世話になります」  佐助は、行儀が行き届いている。 両親が躾けたのだろう。

 その夜、三太は慶次郎に尋ねた。
   「父上、信州のどこかで橋の普請をしているところをご存じありませんか」
   「ああ、それなら、上田藩で大きな架橋普請をやっている最中だ」
   「明日、そこへ行ってみたいのですが、場所を教えてくださいますか」
   「何だ 人探しか」
   「はい、その通りでございます」
   「名は何と申す」
   「中津川から出稼ぎに来ている稲造という二十九歳の男で、右の耳の下に黒子があります」
 慶次郎は暫く考えていたが、「もしや…」と、呟いた。
   「やつが、確か稲造とか言ったぞ」
   「工事現場に居ましたか」
   「いいや、奉行所のお牢の中だ」
 三太も、佐助も愕然とした。
   「何の罪を犯したのでしょう」
   「盗みだ、町の小間物商の店から、真っ昼間に二十五両もの大金を盗んで逃げようとしたのだ」
   「えっ、二十五両も」
   「そうだ、やつは知らない、自分ではないと白を切り通しているが、その二十五両を握りしめていたのだから疑う余地がないのだ」
 稲造は、子供の出産費用を稼ごうとここへ来たのだ。 どうしてそんな大金が必要であろう。 慶次郎の知る限りのことを話してもらった。
 町の小間物商の店の中で、客から渡された二十五両を、使用人が片付けようとした時に、他の客がいきなり掴み取って店の外へ逃げた。 使用人は犯人の顔をしっかり見届け、犯人を追って外へ飛び出すと、稲造がぼんやり立っていて、その手に封印された二十五両が握られていたのだ。
 稲造は、自分ではない、向こうへ走り去った男に二十五両を握らされて、唖然としているところを使用人に捕まり、番所に突きだされたのだと話した。
 使用人は、奉行所でもはっきりと「犯人はこの男だ」と、稲造を指差した。 奉行は、稲造に「仲間がいるのであろう」と、拷問に掛けたが、稲造は「知らないものは知らないのだ」と、叫び通した。
 白状しないまま、稲造は奉行から死罪を申し渡された。 明後日に死刑が執行される予定である。 三太は、稲造は無実である。 明朝、稲造に会うことは許されないだろうかと、慶次郎に尋ねた。
   「無実の者が処刑されるのを黙ってみていられない、何とかしよう」
 慶次郎は、明日奉行所へ乗り込んでみようと言ってくれた。 場合によっては、前の藩主松平兼重候のお手を借りるかも知れぬとまで言った。
 稲造は、拷問で腫れ上がった顔を三太に向けて、「早く殺しやがれ」と、口の中の血玉を「ふっ」と、三太に吹きかけた。
   「稲造さん、違うのだ、俺は役人じゃない」
   「ふん」と、稲造は横を向いた。
 稲造の女房お菊のことや、娘お妙のことを話し、この度無事に男の子が生まれたことなどを話して聞かせると、稲造は少し心を開いたようであった。
   「俺は、上田藩の家臣佐貫慶次郎の息子で医者だ」
 稲造は、しっかりと三太の目を見た。
   「稲造さん、この事件は何か裏がありそうだ、俺は稲造さんの無実を証明して、稲造さんをお妙ちゃんのもとへ帰してあげる、俺を信じなさい」
 稲造は、こっくりと頷いた。
 慶次郎に、奉行所で待ってもらい、三太と佐助は次に、犯人を目撃した使用人に会ってみた。 その男は、善良そうな勘三郎というこの店の番頭であった。
   「勘三郎さん、犯人の顔をはっきり見たのですね」
   「見ました」
   「犯人は、金を掴んで脱兎のごとく逃げたのですね」
   「そうです、わたしも裸足で素早く後を追いました」
   「それで表に飛び出すと、犯人がぼんやり立っていたのですね」
   「そうです」
   「変だと思いませんか、脱兎のごとく店から飛び出した男が、急に立ち止まって店の前でぼんやり立っていたとは」
   「気が変わったのでしょう」
   「そうかもしれません、あなたは小判を握って立っている男に集中して走り去る男は見ていないでしょうね」
   「気が付きませんでした」
   「私は今日、あるお大名から頂いた古い眼鏡と言うものを持って参りました、ちょっと付けてみてくれませんか」
   「はい、ここを耳に掛けるのですね」
   「そうです、よく御存じですね、遠くを見てください、如何ですか」
   「うわぁ、よく見えます、遠くまではっきり」
   「そうでしょう、あなたはかなり目が悪いですね」
   「はい、目を細めないと見え難いです」
   「今日、ここへ来る前に、店で奪われた小判を見せて貰ってきましたが、なんとこの小判、封印がしたままでした」
 封印には、上田藩松平家の家紋があった。 このような封印のある小判を持ちだせるのは、勘定奉行くらいである。
   「この小判をお持ち下さったのは、勘定奉行様の御使いと申されました」 勘三郎はすらすらと答えた。
   「勘定奉行さまは、ここで何をお買い求めになったのでしょうか」
   「私は知りません、多分、当主がご自分でお届けになったのでしょう」
 三太には、この事件の容貌が見え始めたようであった。
   「よく話してくれました、あなたの身は、この私が必ずお護りします、どうぞご心配なきように」
 三太のその言葉に、この番頭は却って心配になってきたようだが、これは、後に証言して貰う為に、三太がとった心理作戦である。
 慶次郎は、三太を待っていた。 三太は番頭の勘三郎とのやり取りを、つぶさに話した。
   「封印したままの小判で代金を支払った者は、確かに勘定奉行さまのお使いで来たと申したのだな」
   「そうです、恐らく買ったのは抜け荷の品でしょう」
   「では、ご家老に申し上げて、勘定奉行の屋敷を捜索しよう」
   「多分、直ぐに抜け荷の品が見付かることでしょう」
   「わかった、直ぐに手配する」
   「お待ちください、勘定奉行さまは、何もご存じない筈です、何者かに嵌められたのです」
   「嵌められた」
   「はい、抜け荷買いの犯人は勘定奉行だと言わんがばかりに、松平家の紋所が入った封印のまま小判を使っています、それに、その小判を持って行かせた者に、勘定奉行の使いだと名乗らせています」
   「そうか、それでこの小判を奪わせて、無実の稲造に持たせ、お奉行にこれ見よがしに見せたのだな」
   「その通りです、稲造は偶々店の前に居て、この企てに利用されたのでしょう」
   「もし、稲造がそこに居なかったら」
   「盗人は、番頭に追い詰められたと見せかけて、小判を捨ててにげたでしょう」
   「そうか、目的は盗みではなくて、勘定奉行を嵌める罠だったのだからなぁ」
   「これで稲造は御解き放しになるでしょうか」
   「もし、直ぐに稲造を解き放ったら、稲造は命を狙われるぞ」
   「処刑されたと見せかけて稲造を隠し、敵を油断させれば良いのだが…」
   「そうか、よし、三太に預けるようにお奉行に進言しよう、護ってやれるか」
   「はい、命に懸けても」
   「三太の命を懸けるほど、稲造の命が大切か」
   「当たり前でしょう、稲造の赤ん坊は、私が取り上げたのですから、どうしても赤ん坊のところへ父親を返してやりたいのです」
   「わかったぞ、安心してわしに任せておけ」
 その夜のうちに、稲造は佐貫の屋敷へ駕籠で届けられた。
   「稲造さん、もう少しの我慢だ、真犯人が捕まるまでここに隠れていてください」
   「三太さん、有り難うございます」
   「私は、稲造さんを護る為に、この屋敷を出ることはできませんが、私の父がきっと犯人を捕まえてくれます」
   「はい、あなたを信じて、総てあなたにお任せいたします」
   「稲造さんの男の赤ん坊、可愛いいでしたよ、あなたに似て」
   「私に似ていましたか」
   「似ていました、あなたにそっくりでした」
   「嘘でしょ、生まれたての赤子は、みんな猿に似ているものです」
   「あはは、ばれたか」
 三太は母上に頼んで、薬箱を出して貰った。
   「さあ、稲造さん、傷の手当てをしましょう、着物を脱いでください」
   「嬉しくて自分の事は忘れていました、先生、お手柔らかにお願いします」
   「私は名医ですよ、痛くないように、優しく手当てしましょうね」
   「はい、有り難うございます」
   「佐助、稲造さんが暴れないように、しっかり押さえていなさい」
   「はいっ」 と、佐助。
   「あれっ」 稲造に、また拷問の恐怖が襲う。
   「嘘ですよ」

     第十二回 無実の罪その1 -次回に続く- (原稿用紙16枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十一回 母をたずねて

2013-12-03 | 長編小説
 松本城を出て、木曾街道の塩尻に向かう途中で、八歳くらいの男の子の二人連れに出会った。 この辺りの子供ではないらしい。 ちゃんと旅支度で、それぞれ小さな三度笠に振り分け荷物を肩に掛けている。 まるで芝居の子役が、大人の形(なり)をしているような具合である。 しかも、その二人が顔かたちそっくりである。
   「おっちゃん、善光寺参りの帰りか」
 子供の一人が三太に話しかけて来た。
   「いいや、違うよ」
   「善光寺までは、まだまだか」
   「そうだなあ、まだずっと先だ」
   「おっちゃん、強そうやなぁ、それに優しそうやし、かっこええ」
   「ほんまや、ほんまや」
 子供たちは、善光寺へ行くらしい。
   「子供二人で旅をしているのか」
   「二人きりやけど、わいら子供やあらへん」
   「そうや、そうや」
 どう見ても、幼さが残る子供である。
   「とし、幾つなの」
   「八歳や」
   「わいも八歳」
   「八歳で大人なのかい」
   「おっちゃん、なんか文句があるのか」
   「文句は無いけれど、物騒だなぁ、どこから来たの」
   「上方や」
   「二人で?」
   「そやから、言っているやろ、二人きりやと」
   「そうや、そうや」
 木曾街道は難所が多いし、盗人や山賊がでることもある。 よくもここまで無事で来たものだと三太は感心したが、まだまだこの子たちの旅は終わっていない。
   「そこに茶店があるから、ちょっと休憩して行きなさい」
   「わいら、疲れてえへん」
   「腹が減っているだろ」
   「それは慣れている」
   「お団子でも奢ってやるから、食べて行きなさい」
   「それが、あかんのや、他人から食物を貰ったら、必ず旦那さんに見せてからやないと食べたらあかん」
   「そうや、そうや、上方まで見せに帰ったら、またここまで歩いて来なあかん」
 三太は、呆れてしまった。 この子たちは行儀が良いのか、融通がきかないのか、賢いのか、馬鹿なのかもわからない。
 聞けば、上方のお店に奉公する丁稚のようだが、旦那さんの代参で善光寺へお布施を納めに行く途中らしい。 上方の旦那さんも、子供らに代参させて、もしものことが有れば取り返しがつかないではないか。 三太は、この二人の話に疑いを持ってきた。
 三太は新三郎と佐助に相談をした。
   「なあ、ここで出会ったのも何かの縁だ、善光寺まで一緒に行ってやらないか」
 佐助は、大賛成であった。 お妙のお父っつぁん探しが二日ほど遅れるが、「牛に引かれて善光寺参り」の故事もある。一生に一度くらいは善光寺参りをしておくのも悪くはないだろう。 新三郎も渋々ながら賛成した。
 道すがら、事情を訊けばこのように話してくれた。 この二人、双子である。 母親は仕立屋をして三人で細々と暮らしてきたが、この子たちが四歳の時に今の店に年季奉公にだされた。 親はお店から幾らかお金を貰って姿を消したので、年季奉公というよりも、この子たちは売られたという思いであった。
 五歳にもなると、店の仕事もちゃんと熟(こな)すようになり、てきぱきとよく働くので、店の者に可愛がられていたようである。
 旦那がでかける時には、必ず一人をつれていった。 店に用が出来ると、子供に走って帰らせて伝書鳩のように使える。 また、店から旦那に用ができた時は、もう一人の子供に走って行かせ、旦那の行先がわからなくとも、兄弟の臭いを嗅ぎつけて的確に旦那のもとへ行き着く。 今で言う警察犬のような役をするのだ。 そこから店の主人が付けた二人の名前が、鳩松と犬松である。
 三太はこの子たちを不憫(ふびん)だと思うが、子供たちはそんな暗い部分を億尾(おくび)にも出さない。 二人をおいておけば、漫才さえしそうな明朗闊達(めいろうかったつ)な子供達である。
   「ほんま? ほんまか」
   「嬉しい、良かったなぁ 鳩松」
   「こっちのお兄ちゃんも、行ってくれるのか」
   「行くけど、俺は犬松さんらよりも年下です」
   「えーっ、背高いし、頭もよさそうでキリッとしているし、てっきり二つ三つ年上やと思とりました」
   「ほんまや、わいも思っていました」
 三太には、これは上方の商家で育った子供の御世辞だということは知っていた。  会って間なしに「おっちゃん、強そうやなぁ、それに優しそうやし、かっこええ」と、ぶつけて来たのも上方人特有の渡世術である。
 佐助はどうやら煽(おだ)てに乗って、随分気分が良いらしい。 さながら、森の石松の三十石船である。

   「江戸っ子だってねえ、喰いねえ、喰いねえ、遠慮せずに寿司食いねえ、ところで石松ってのはそんなに強ぇのかい」
   「強いの、なんのって、街道一、いや日本一強ぇや」
   「そうかい、そうかい、日本一かい」
   「喧嘩は強いのだが、こいつが馬鹿でおっちょこちょいの間抜けな野郎で」
 三十石船の甲板で大喧嘩が始まるのは、清水の次郎長の代参で、石松が四国の金毘羅参りのくだりである。 (三十石船は、京都から大阪までの淀川を往復する人専用の船である)

 こちらの鳩松、犬松の二人は、悪口は思っていても一切口に出さない。 相手を気分よくさせて利用するちゃっかり者である。
   「ほんとは、恐かったのや、そやから強そうで優しそうな人の後からこっそり付けてここまで来たんや、なっ、犬松」
   「わいらが大声を出したら聞こえるくらいの距離をあけて、なっ、鳩松」
   「うん」
   「ここで、強そうで、優しそうなおじさんに出会ったのに、行く方向が違ったのでがっかりしてたんや、なっ、鳩松」
   「うん」
 さすが双子である。 息がぴったり、意見もぴったり、考えていることも同じなのだろう。
   「私たちが本当は悪者だったらどうする」
   「わいら二人が、ええ人やと感じたんやから、もし間違っていたのなら仕方がない、なっ、鳩松」
   「あっさり諦めて、持ち物みんな差し上げます、なっ、犬松」
   「うん、後は野垂れ死にしょうな、鳩松」
   「うん」
 そんな気はさらさら無い癖に、しおらしいことを言いおってと、三太は苦笑した。 こいつらは、何が何でも生きて行くに違いない。例え盗みをしても、民家の人に縋りついても、上方へ辿り着くであろう。
 善光寺に着くと、二人は善光寺にお参りするでもなく、ただそわそわしているだけであった。
   「どうした、早くお参りして、お布施を納めて来なさい」
 二人は同時にぺたんと地べたにしゃがみ込んで、三太に土下座をした。
   「堪忍してください、わいら嘘をついていました」
   「旦那さんの代参なんか、嘘でおます」
 三太は、やはりそうかと思った。
   「おまえたち、お店のお金をくすねて、逃げ出してきたのだろう」
   「お金を盗みました」
   「そやけど逃げて来たんやないです、お店に黙っておっ母ぁを探しにきたのです」
 ようやく二人は本当のことを打ち明けた。
 二人は、店の旦那が二人の母親に産ませた子供であった。 子供たちが四歳になった時、母親の仕立ての仕事が無くなり生活が出来ず、旦那に泣きついてきたのだ。 自分は子供たちの前から姿を消しますから、どうかこの二人を引取ってくださいと頼み込んだが、旦那はどうしてもこの双子を自分の子供として受け入れ難く、年季奉公という形で店においてくれたのだという。
 二人の母親をよく知っている人が、善光寺参りから帰って来て、善光寺の傍の旅籠で、二人の母親に会ったと話してくれたのだそうで、この兄弟は居ても立ってもいられなくなり、二人でこの計画を練ったのだった。 一目会えば、例え突き放されようとも、二人はそれで満足しようと話し合った。 もし会えなかったら、そのまま上方へもどり、奉行所に名乗り出る決心もした。
   「ありがとうございました」
   「わいらはここでお別れします」
 二人が去ろうとしたのを、三太が引きとめた。
   「待ちなさい、ここまで一緒にきたのだから、私たちもおっ母さんを探してあげよう」
 子供たちの表情が、急に明るくなった。
   「ほんまですか」
   「ありがとうございます」
 この二人の割ゼリフのような物言いが三太には面白くて、出来得れば上方までも、付き合ってやりたい気持ちが湧いてきた。

 何軒か旅籠を尋ね歩いて、案外と早く探し当てた。やはり、母親は旅籠で働いていた。 母親に会うことができて、この大きな図体の兄弟は、恥も外聞もなく大声で泣いた。
   「おっ母ちゃん、会いたかった」
   「わいも会いたかった」
 この兄弟は、直吉と定吉というのがこの子たちの母親が付けた名前だった。 小さな家を借りて三人で住まい、兄弟もまた母親が働く旅籠で使ってもらうことになった。
   「お金のことは、この子たちの父親に手紙を書いてお詫びします」 母親はそう言った。
   「血を分けた実の父親です、まさか訴えはしないでしょう」
   「この子たちが持って来た五両のお金は、一両使っただけです、三人で働いて、もとの五両になったら、私が上方まで持って行って謝ってきます」
   「おじちゃん、ありがとう」
   「佐助ちゃん、ありがとう」
   「ご親切に、有り難う御座いました」
 三人は、三太たちの姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。

  第十一回 母をたずねて(終)  -次回に続く-  (原稿用紙12枚)

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第十回 贄川の人柱

2013-12-02 | 長編小説
 木曾街道(中山道)は贄川の宿(にえかわのしゅく)で、三太は橋の架け替え普請が行われているとの話を耳にした。 私たちはちょっと寄らなければならない用ができたのでと、佐竹浩介に別れを告げた。
   「分かり申した、先に戻ります、数馬さまどうぞお気を付けて…」
   「父上(佐貫慶次郎)にお会いになったら、水戸の数馬が屋敷に向かっているとお伝えください」
   「承知した、では…」
 宿場で教えて貰った普請現場は、かなり遠かったが直ぐに分かった。 現場に居た男たちに、耳の下に大きな黒子のある稲造(いねぞう)という二十九歳の男を探していると尋ねたが、ここは村の男しか居ないと首を横に振られた。
 諦めて戻ろうとしたところ、三太と佐助は近くの小屋の中から子供の呻き声がするのを聞いた。
   「どうしたのだ」
 三太は男たちに訊いたが、男たちは「知らない」と、答えるばかりで、そのことには触れたくないと思っていることがありありと顔に顕われていた。
 男たちが止めるのを聞かず、三太は小屋に向かって駆けていった。 小屋の中には六・七歳の男の子が縛られており、猿轡(さるぐつわ)をされているが、「嫌だ、嫌だ」と言っているのが分かる。
   「その子は何故縛られておる」
 三太は不審に思い傍で見張っている男に声を掛けた。
   「悪戯をしたので、お仕置きをしている」
   「そうか、それにしても猿轡とは遣り過ぎではないか」
   「こいつは性根が腐っているので、徹底的に直してやらねばならない」
 子供が首を振って、「嘘だ、嘘だ」と言っているのが三太には分かった。 次の瞬間、子供が大人しくなって、誰かと話しているようであった。 相手は言わずと知れた新三郎である。 新三郎が戻って来た。
   「この村の者達は、一体いつの時代に生きていた亡霊だろう」
   「どうしたの」
   「橋の普請に、人柱を立てるらしい」
   「生きた人間を沈めて、その上に橋桁を立てるという」
   「そうですよ、呆れてものも言えねぇ」
   「あの子の親兄弟はどうしているのだろう」
   「子供を沈めるまでの間、家に監禁されているようですぜ」
   「まず、子供を助けよう」
 三太は、佐助にも説明して、小屋の戸を蹴破り中に入った。 三太が見張りに当て身(あてみ)を喰らわした。 当て身とは、人の鳩尾(みぞおち)辺りを拳で一撃するのだが、鳩尾は神経が集まっている急所である。 一撃を食らっても、気を失うことはまず無いが、その痛みの為に横隔膜の動きが一瞬止まって、息が出来なくなるが死ぬことはない。
 佐助は「今、助けてやるならな」と、子供に言って、猿轡と縛っていた縄を解いた。 普請場に居た男たちが戸を蹴破る音を聞き付けて集まってきた。
   「大事な人柱が奪われたぞ」
 男たちは、手に、手に鶴嘴(つるはし)や天秤棒を持って、三太を取り囲んだ。 三太は、その天秤棒を見て、池田の亥之吉を思い出し、「くすっ」と笑ってしまった。 それが余程ふてぶてしく異様に思えたのか、男たちは引いた。
   「お前たちがやろうとしていることは、神事でも何でもない、人殺しだぞ」
 男たちの中にも、人柱に不審を持っているものは、更に一歩引き下がって黙り込んだ。
   「人柱を提案したのは誰だ」 三太が叫んだ。
   「しゃらくせぇ、殺ってしまえ」
   「お前たちは、殺人軍団か、殺れるものなら殺ってみやがれ」
 三太が剣を抜いた。 一瞬、男たちは怯んだが、先頭をきる男に続いて、男たちは向かってきた。 三太は先頭の男が鶴嘴を上に振り上げて向かってきたのを「さっ」と横にそらし、男の腕を斬ったかのように見えたが、腕に剣が食い込む寸前で三太は峰を返していた。
   「あーっ」と、低い悲鳴を残して、男は崩れ落ちた。
   「次はどいつだ、心してかかってきやがれ」
 新三郎が堪りかねて、三太に注意した。
   「三太さん、言葉使いが悪すぎます、もっと淑やかに願います」
   「やかましい、黙っとれ!」
   「わしら、何も言っておりませんが…」 と、農具を持った男たち。
   「そうか、言ってなかったか、すまん、すまん」
 三太の謝る余裕に、男たちは更に怯み、戦意を無くしたようである。
   「もう一度訊く、人柱を立てよと指示したのはだれだ」
 男たちは沈黙を守った。
   「では訊くが、この普請の普請方はどなたなのだ」
 男たちは、頑なに口を閉ざす。
   「お前たちが言わぬなら、これから松本城へ赴き、藩主直々に聞こう」
 男たちは狼狽し、お互いの顔を見回して目で相談し合っているようである。
   「お待ちください」 言葉が丁寧になった。 「申し上げます、普請方の佐伯格之丞様です」
   「そうか、よく申した、お前たちが喋ったとは決して言わぬから安心しなさい」
 三太は、そう前置きをして、村の男たちに説いた。 この度の人柱は、普請方か、その上司が仕組んだことで、藩から降りる援助金や町人などから募った費用を、手抜き作業で浮かせた金を着服した。 手抜きの結果弱い橋が出来上がり、濁流が押し寄せて脆くも橋が落ちると、水神の怒りと称して人柱を立てたり、生贄を捧げたりさせて、責任を転化するのだと。
   「大切に育てた宝物を、そのような企みの為にむざむざ殺させてはいけない」
 人柱に選ばれた子供の親が、どれ程悲しんでいるか、お前たちは察することも出来ないのかと、三太は怒りを込めて訴えた。
   「では、その子供を親元へ返しに行くが、誰か案内をしてくれ」
 一人の男が名乗り出た。
 三太から腕に峰打ちを受けた男は、人柱を指示した者の手先かも知れない。 三太はその者の名と住まいを訊き、「覚えておくからな」と、凄んでみせて、その場を離れて子供の家へと向かった。
 子供の家は、ピタリと戸を閉め切り、中で嘆いているようすであった。
   「三太、お前を守れなかったわしを許して、どうか成仏しておくれ」
 父親の声が外まで聞こえてきた。
   「お前も、三太というのか、三太、お父っつぁんがお前の為に泣いてくれているぞ」
   「うん、俺はお父っつぁんを恨んでなんかいない」
   「そうか、そうだよなぁ、お父っつぁんは、一生懸命に三太を守ろうとしたのだろう」
   「うん、俺の代わりに、わしを人柱に立てろと喚いていた」
   「そうか、いいお父っつぁんだ、早く元気な顔を見せてやろう」
 三太(数馬)が戸を開けると、三太の親が泣き伏した。 もう我が子が人柱に立てられたと思ったのであろう。
   「お父っちゃん、俺だよ、三太だよ」
 両親が驚いて顔を上げた。
   「このおじちゃんが助けてくれた」
 両親は恐る恐る我が子を触ってみて、「あっ、暖かい」と、抱き寄せて更に泣いた。
   「このままでは、また誰かが犠牲になるかも知れない、私は今から松本城へ赴く」
 三太(数馬)は、礼をいう三太の両親に別れを告げて、松本城へ向った。
 門を叩くと、門番が顔を出した。
   「私は、上田藩の家臣、佐貫慶次郎の一子、佐貫三太郎と、その弟子佐助でござる、ご家老に会いたい」 兄の名を騙(かた)った。
 三太が告げると、「何を言うか、この若造共が…」と、ばかりに、追い払おうとした。
   「待ちなさい、私を追い払うと、後でお殿様からお叱りをうけることになりますぞ」
 門番は、三太のその言葉に怯んだ。
   「お待ちください、ただいま上司に伺ってまいります」 言葉が急に丁寧になった。
 しばらくして潜戸が開かれると、「お入りください」と、丁重に招き入れた。
   「上田のご城主の信頼厚き佐貫慶次郎殿のご子息で御座ったか」 と、身分の高そうな家臣が迎えてくれた。
   「それがしは、年寄の坂部勘左衛門と申す」
   「父をご存じでしたか」
   「はい、以前に前(さき)のご城主、松平兼重候にお目見えする機会が御座って、その節に佐貫氏をご紹介頂き申した」
 後に上司から「佐貫氏は忠臣者」だと聞かされたそうである。
   「それで。ご用の向きは」
   「松本藩のご藩中で、橋の普請に人柱を立てようとしているのを貴殿はご存じか」
   「なんと、このご時世に人柱とは驚き申した」
   「それを指示したのは、普請方のお役人だと耳にしました」
   「今、普請している橋は、贄川でござるが」
   「そうです」
   「普請方と言えば…」
   「佐伯格之丞殿ですね」 三太が先に言った。
   「あっ、その通りだ」
   「その佐伯格之丞ですが、手抜き普請をしている様子はありませんか」
 橋を普請しても、直ぐに壊れるのは水神の怒りと称しているが、じつは手抜きがその原因ではないのかと三太が疑っている旨を打ち明けてみた。
   「早速調べあげて対処しょう」
   「ありがとう御座います」
   「そのような残酷なことはさせません、どうぞご安心召され」
   「わかりました、宜しくお願い致します」
 三太は、それで納得して戻ろうとしたが、坂部勘左衛門が引きとめた。
   「折角、当城へ来られたのでござるから、我が殿にお目通りされては如何かな」
   「御会いできるのですか」
   「暫くお待ちください、只今の話と、佐貫氏のご子息が見えていることを殿に話して参る」
 暫く待って、そろそろ退屈になってきたところで勘左衛門が戻ってきた。
   「佐貫殿の子息に、是非会いたいと申された」
   「そうですか、それではお目通りさせて頂きます」
 三太は、殿の御前で恭しく平伏した。
   「佐貫三太郎でございます、こちらは弟子の佐助と申します」
 三太は、上田の殿様に初めてお会いした時のことを思い出した。 懐に入れていたひよこの名がサスケであると父に聞いて知っていた殿が、それを知らぬ振りをして、三太の名にサスケと付けようとして、三太が困るのを見て笑ったのだった。
   「よく知らせに来てくれた、礼を言うぞ、そのようなことが他藩に知れると、余は恥をかくところであった」
   「ははあ、恐悦至極に存じます」
   「そう畏まらずとも良い、楽に致せ」
   「有り難うございます」 三太は顔を上げた。
   「ははは、そなたは佐貫三太郎ではあるまい、弟の三太であろう」
   「えっ、何故にそれをご存じですか」
   「余は、佐貫三太郎に会っておるぞ」
   「これは、恐れいりました」
   「よいよい、兄弟であるから、どちらでも構わぬ」
   「何故に、三太までご存じでしたか」
   「松平兼重殿が、笑って其の方のことを話していたのだ、サスケのこともな」
   「お恥ずかしい限りで御座います」
 三太は、赤面した。
   「何を言いふらしているのだ、隠居様のお喋りめ」

  第十回 贄川の人柱(終) -次回に続く-  (原稿用紙14枚)

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